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雷鳥の振り向くとつぜんの空
大滝を底に置いて去る
牧場の朝がにんげんを孕んでいる
スラムに濡れた紙幣を重ねてここは上野
地球大のたまごのなかに棲んでいる
昆虫の世紀のひとのさびしさよ
五月の胸鰭で会いに行く
空腹の舌の先は火の領土
永遠からはぎ取ったようなコンビニ袋が舞っている
葉みどり闇を吸う
背表紙に火の手が並ぶ生涯よ
水仙の肉を分け入る鰭がある
水仙がひとつ もういない奴の飢えがひとつ
遠ければ照明の明るすぎる家族箱
鷹のような夜の泣きじゃくりの家
さくらさくらすべての背後に立つ闇よ
しんしんとひとさし指が立っている
米を研ぐ誰かが地球を転がしている
総立ちのさかなを映し稲光
それは夜明けのしぐさ 水平線に魚一匹放している
春来れば戸口に立つまあたらしい子
耳を マリアナ海溝に不意の滑落音
本当の君はカトマンズ市場で不機嫌な果実売り
いまもランゲルハンス島に退屈な釣り糸
東京は女と時給四百円の青年を売っていた
闇のなか闇という動詞がひとつだけ
おみなえし 眼を伏せおやゆび姫を待っている
子の胸のまっさらに光る鉄
ひとふさのねむりにふるあめはあめのいろ
夜をみだす羽ふたつ雨に立てこもる
雨の日の鳥がいて夜はかたむく
少年の嘘がいっぱいアルミニウムの花びら
ガガガ空に棲む空を遊ぶ空で交わる
ガガガ太陽の氏族マママのやまやま超えて
ガガガの背後その背後そのまた背後
豚を焼くもうもうとくらしが燃える
ひとの世に豚工場野菜工場しかも死にたがる自動人形
破片は一つに寄り添はうとしてゐた。
亀裂はまた微笑まうとしてゐた。
砲身は起き上つて、ふたたび砲架に坐らうとしてゐた。
みんな儚い原形を夢見てゐた。
ひと風ごとに、砂に埋れて行つた。
見えない海――候鳥の閃き。 丸山薫「砲塁」
私にとって詩(自由詩、短歌、俳句)は、日常的な言葉の「意味」を介して理解・共感するものでなく、自分と「共振」するもの。差し出されたイメージの向こう、言葉の向こうにある情感を再生し触れることであったと思う。それらは、象徴・暗示という、情報の少ない詩にとっては大事な手法のひとつですが、何を伝えたいのかわからない、という反応をする方も多い。昔の詩友にもいましたし、普段詩に触れない方は特に。だが、そもそも文学(や芸術)とは何かを意味で伝えようとする「だけ」のものだったのだろうか。
この詩に関して言えば、砲身が、あらかじめ絶望を内側に抱えこんでいる有機体のように見えて来ないでしょうか。その絶望感がしみじみと私のこころに染み通ってきて、なんともいえない切なさを感じます。同じ戦乱後のスケッチでも、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」の句が人生の無常を感じるのに対し、これは「人間としてのにがみ」の方が前にでています。
象徴・暗示云々というと難しく聞こえるのですが、自由詩に限らず言語表現では当たり前のように使われていますよね。村上春樹が月を二つ登場させるのも、芭蕉が「夏艸や」と詠うのも、放哉が「山のうしろの烟」と書いたのも。同じく散文的な因果を離れている比喩は、日常の慣用句にも頻出します。
足が棒になる
などは、棒の形状や感触をイメージすると、単に「足が疲れた」という散文的表現の何十倍も真に迫ってきます。それらは、「意味」を伝えるよりもより印象的に直截的に読者に届きます。言葉の字面だけ追わず、印象を正確に捉えることで、私たちの心は自然に作品に寄り添うことができます。
例えば、「私は寂しい」と書けば、意味は伝わりますが、どんな寂しさなのか情感は一向に伝わりません。大切なのは、内容を伝えることではなく(それはコミュニケーションです)内容のリアリティです。ベタなイメージですが、冬の樫一本描いたほうが効果的です。そして確実に映像として心に残ります。ともあれ、そういう詩に私は幾度も心動かされてきたということです。
もうひとつこの「私は寂しい」的散文的な表現がまずいと思うのは、自分で自分の感情を要約してしまっている、感情を言葉に合わせてしまっていること。形容詞副詞が主題となってしまっている表現もそうですね。本当は逆でなければならないのに。日常の言葉では表現しきれないものこそが認知なり心理なりからだの感覚なりであって、たとえ失敗してでもこれを表現すべきだと考えています。ですから、字面ですぐにわかりたいと思ったり、社会通念的な意味に翻訳しようとしてしまうと、ときに詩は難しいのが当たり前。また、即時的に意味が取れるかどうかは、その詩の価値とはまったく無関係でしょう。象徴・比喩は、デフォルメするためのものではなく、殊更にテクニカルなものでもなく、感じたことを正確に表現するためのことばの用法です。
ところで、私が、定型ではなく自由律を選んで書き始めた理由のひとつに、季語・季題というものに頓着していない、ということがあります。どんなことばにも季語と同じ働きをする象徴性や時には暗示は元々あり(さきほどの例など)、「季節」に限定する理由はどこにもないように思うのですね。ましてや、仮に俳句が「文学」であるならば、人間・社会・世界のあらゆるものが対象になって良いはず、という思いもあります。
「雪」という言葉があります。雪を出してきたから冬の情感を表すだけではつまらない。
雪降れり時間の束の降るごとく 石田波郷
若い頃読んだ好きな句。やはり雪は「時間」という概念と親和性が強いですよね。時間の暴力的な経過を思わせると同時に雪に質感を与えています。
読む際にうまく「鑑賞」できなくても、差し出されたイメージから確かな情感や認識・世界観を得られれば良いのであって、良く言われることですが、ことばを意味の奴隷(単に伝達するための手段・乗り物)にしてはいけないのです。ああその気持ち/理屈良く分かります・理解できます、で終わる共感型作品は、「ことばの表面」を無条件に信じているという点でとても弱い。悪い、と言っているわけではありませんが、そういう意味では、語数の一番少ない俳句は、詩のなかで最も読者に想像力を強いる詩形なのかもしれません。
最後にこんな歌を。現代短歌は久しぶりに触れましたがユニークです。笹井宏之歌集「ひとさらい」から。視野全般を覆うほどの圧倒的な光のイメージは、むしろ核爆発などのあっけらかんとした不穏を感じさせる。
それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかつた。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばつている
にんじんのしつぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる獣の涙。
石垣りん「くらし」
最近読んだ本でとても印象深かったものに、堀田善衛「方丈記私記」がある。あとがきにはこうあります。『無常感という舌に甘い言葉とともに想起されがちな鴨長明像はくずれ去り、言語に絶する大乱世を、酷薄なまでにリアリスティックに見すえて生きぬいた一人の男が見えてくる』。、そこらあたりに死体がいつも転がっているような時代(実際に死体の数を数えたとも言われている。)
その大乱世を横目に、他人事のように編纂された勅撰・新古今集への言及も、これもまた新しい発見があり。教科書や一般知識としての歴史など子供だましにさえ思えるほどで。
さて、石垣りんという詩人は、日常(台所)風景から、一気に生の根幹にせまるようなものを書く方ですが、ただ「メシ」「親」を食うだけだったら、「スネかじり」の後悔とでもとられかねない。この詩は、先人を偶像化神格化して自分で考えようとしない知性を(「師を食う」)、社会に飼いならされた「心」という恥辱を(「こころを食う」)。そして、そういう人間のくらしの痛ましさ、いのちの痛み、を自戒とともに書いているのだと思っています。最後にわざわざ「獣」の涙とあることですし。
正しい解釈がどうかは別として、これらを生きる為に消費してきたという、「スネかじり」とは比較にならない、のっぴきならない悔恨がここにはあります。
——同時に、俳句が超俯瞰図か断面図のようであるのに、自由詩はあくまで「構造体」であるなあ、と。高柳重信や富澤赤黄男といった、一字空白や行変えで俳句に構造を持ち込んだ試みには自由詩に近いテイストを感じています。一字空白は句に構造を持ち込むもので、「切れ」とはまた別の概念なのでしょうね。「父のはらわた」がとても印象に残ります。不快に思う方もいるだろう表現ですが、本質を書くことは不快をともなうこともある。で、ことばの斡旋が効果的だと、意味は光る。
いのちについて、宗左近はこんな句を残しています。詩歌文学館賞を受賞した、「中句」と称した詩性と俳句性のハイブリッドのような作品群(自由律俳句ですよね)。
蝸牛 夢の螺旋を這っていて
大空襲 美しさとは人を光にすることでした
骨を拾った箸だから焼くほかはない
枯山水 鬼面をとれば 顔あって
蛍二匹 光として 闇として
腐って行く桜桃のなかの大満月
腐ることもまた、いのちの働きである、と言っているように聞こえます。満月のように丸く大きく、欠けることのない完璧さだと。それは、何の瑕疵もない明るさというよりも、どこまでも自然の非情の美しさであると。
ところで、人間の「こころ」とは、とても恣意的で流されやすい性質を持っています。社会通念や固定観念や偏見といったものに侵されやすく、『星の王子さま』を引き合いに出すまでもなく社会に飼いならされやすい。「イジメをなくそう」と主張する方が、同時に、集団内の倫理・道徳・同調を声高に主張する危うさを見ると、べき論と心理とがどこかでねじれている、という印象さえ持ちます。むしろ「こころ」とは、「からだ」の感覚の総和・延長に近いものとして捉えたほうが良いのではないか。解剖学者の三木成夫が、その著書で、何億年かかけて魚から進化した人間のからだの感覚や意識を、「生命の記憶」であると書いていました。この考え方は私にはとても好ましい。動物形態学などに触れると一層その感を強くします。
からだ(五感)で感じ、その感じた何かを夾雑物を除いてあたまで言語化する。その時、「こころ」はもしかしたら夾雑物となることもある。無常感とか孤独とかいう言葉を、それが過酷な現実からしか生まれないことを忘れてしまう、(それが素朴な感情だとしても何の免罪符にもならない)私たちの肥大した「こころ」とは何か。
エドワード・ゴーリーのその絵本は、モノクロの絵とともに、一頁ごとこんな風に書かれている。
Aはエイミー かいだんおちた
Bはベイジル くまにやられた
Cはクララ やつれおとろえ
Dはデズモンド そりからなげられ
Eはアーネスト モモでちっそく
エドワード・ゴーリー/柴田元幸訳
「ギャシュリークラムのちびっ子たち」
ABC順に、こどもたちの死因を「うた」のようにして描いていくという、さながら残酷な大人の寓話のような絵本。言い換えれば、「民話」のようでもあります。
民話とか童話というものは、近代社会の要請によって、平準化・教条的にされてしまっているのではないか、とは、以前ユリイカの民話特集か何かで感じた事なのですが、現代の私たちもそれに加担しているのだ、という苦い思いも同時にあります。社会はきれいなイメージを求める傾向があるのか、倫理的に問題なくとも、少しでもバッシングを受けそうな表現には蓋をしますよね。美術展での出品差し止めや放送禁止歌の問題など、事例はいろいろあります。「赤ずきんちゃん」の原型は、カニバリズムとエロスがムワっと匂うようなものでしたし。
それはともかく、毒にも薬にもならない、読者が気持ちいい、『役に立つ』だけの作品ばかりあってもつまらないですよね。読者の快・不快が作品を測る基準になってしまうのは、文芸というジャンルにとっては不幸です。
夕ぐれはいつも素敵だ何本も紅茶ポットに眠る針たち
みずうみの底にはしろい馬がいた鱗のはえた子をころす妹
子供たちみんなが大きなチョコレートケーキにされるサトゥルヌス菓子店
公園の砂場にかがむ男の子 かあさんの手がはえる日曜
安井高志歌集「サトゥルヌス菓子店」
首吊りの木に子がのぼる子がのぼる 高岡修
死んで俺が水の中にすんでる夢だつた 河本緑石
わあわあと月山超える喉の肉 西川徹郎
或る闇は蟲の形をして哭けり 河原枇杷男
日盛りを長方形の箱がくる 宇多喜代子
鬼もまた白き歯もてり夏の闇 倉阪鬼一郎
倉阪鬼一郎編「こわい俳句」より
エロイエロイレマサバクタニと冷蔵庫に書かれ 関悦史
ゆけむりの人らと少しかにばりぬ 小津夜景
関句は空腹で冷蔵庫になにもなかった場面、小津句は、温泉での交情の場面だと思いますが、両句とも意図的に大仰なことばを持ってくることで、くぐもった笑いをも引き起こします。ちょっと怖い、けれど、ちょっとユーモラス。ゴーリーの絵本と共通したところがあります。「エロイエロイレマサバクタニ」は、キリスト教福音書の一節で「神よなぜわたしを見捨てたのですか」という意味らしい。誰がその言葉を書いたのか、と考えるとやっぱり怖い。「かにばりぬ」は「カニバリズム」のもじりでしょうか。こういう言語センスはこの方面白いです。
たとえばカフカとか、――「断食芸人」という作品が大好きです。人間の心理の悲喜劇を見事に表現していると思う――現代だとブッツアーティとか、日本だと別役実とか、不条理という枕詞がつくことがありますが、不条理な現実を直感でもわかり易いように単純化すると、ファンタジーに近くなるのではないか。さしてまわらない頭で、そんなふうに考えることもあります。さながらダークファンタジーのような吉行理恵の作品。詩人の不安感がそのまま詩になったような。この暗い詩世界に、たまにどっぷりつかりたくなることがあります。そして未完だった晩年の立原道造の詩の傾向を確かに引き継いでいるようにも思うのです。
隣の小さな男の子は
藁のはみでた人形を紐で背負い
梨の木をのぼっていったのでした
いちばん綺麗な空の色のリボンを結んで
白い花が揺れるのを
不思議な思いで眺めながら
私は葉ずれに答えました
その小枝に腰かけて
隣の小さな男の子は
私に笑いかけました
藁のはみでた人形を紐で背負い
梨の木をのぼっていったのでした
隣の小さな男の子は
死ぬつもりだったのでしょう
吉行理恵「梨の木の揺れた時」
マキノ君という男の子がいた。小学生の頃だ。少し太っていて、素朴な感じのする子だったと思う。同じクラスだった。ある日のこと、級友が、遊んでいた私を呼び出し、今からマキノの家に行くからお前も来い、という。理由を聞くと、なんでも、あいつ万引きしたらしい、家に行って問いただす、と。友だちも何人か行くのだ、と。
のこのこと私はついて行き、数人の友達のうしろから、私はマキノ君を見ていた。お母さんとマキノ君は、玄関先で、集まった級友たちと相対していた。その時どんなやりとりをしたのか、私は何か喋ったのか、マキノ君への疑念は晴れたのか、それは忘れてしまった。だが、遠巻きに見ている自分の所在なさだけがかすかに心に残っている。
これは、私に今でも残る苦い思い出だ。なぜ私はのこのこ皆について行ったのだろう。思い出すたびに、私は私という人間にすこし幻滅する。振り回す正義の本質を自覚せぬまま、集団という力に加担していたのである。いくつ年を取ろうとも、自分に幻滅する出来事はたまに訪れる。
お父さんは
お母さんに怒鳴りました
こんなこともわからんのか
お母さんは兄さんを叱りました
どうしてわからないの
お兄さんは妹につっかゝりました
お前はバカだな
妹は犬の頭をなでゝ
よしよしといゝました
犬の名はジョンといゝます
杉山平一「わからない」/詩集「希望」
詩集「希望」は、元四季同人で、第一次中原中也賞の第二回受賞者(第一回は立原道造)の杉山平一氏の九十七歳の時の詩集。穏やかさのなかにも、ピリっとしたところのある詩群です。
この詩に、世の中の権力の構造を見ても良いし、自己顕示の愚かさを見ても良いし、家族という、時にいびつな箱の暗示を見てもよいのではないかと思います。「わかっている」のは実は誰もいないのではないか、というオチかもしれません。ただ、詩人はそれに対して何の主張もしません。私が注目したいのは、家族それぞれの名前は明かしていないのに、犬だけに名前をつけた、ということです。犬だけが固有のもので、あとの人物は関係詞であるということ。それに気づいた途端、はじめは肩透かしのように感じていた最終行が、にわかにボディブローのように効いてくる
こういう句があります。
人殺す我かも知れず飛ぶ蛍 前田普羅
自分も人を殺すかもしれない、という内省の句。
意味だけをとれば、自分も人を殺す存在である、ということに共感も深みも感じる方はいるのだと思いますが、私には、観念で書いてしまった浅さ素直さのようなものが引っかかってしまう句です。作者自身の思惟の深浅ではなく、この句が。平凡な述懐のうえ、ここで「蛍」かあ、と思ってしまう。
それにしても、自分や他人の中にある無意識の(無邪気ともいえる)加虐性について、ひとはどう考えているのでしょう。そんなものはないと考える方がいたら、少しうらやましい。そんなことを書くべきではない、と言われると少し寂しい。お前はナイーブすぎる、と言われると(言われたことあります)ぐうの音も出ません。
夕焼けビルわれらの智恵のさみしさよ 阿部完市
蛇苺われも喩として在る如し 河原枇杷男
蛇苺という名称の由来が、蛇「とともにある」のか、蛇「しか食べない」かはわかりませんが、「苺」というような具体的な固有名詞を与えられていない、個が個として成立しない存在のありか。
ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアが、こんなことを書いていました。筆名をいくつも使い分けた人らしい述懐です。『この世のすべては象徴である。私もまた象徴なのかもしれない』。
同じく小学生の頃、私は、しばしば内股歩きをからかわれたものでした。(これは、三十歳くらいまで、私の強いコンプレックスになりました。)交通事故で足の筋が内向したのが原因らしいのですが、そんなことを誰も知る由もありません。知っていたとしてもきっと同じことだったでしょう。
私がマキノ君にしたこと。私が誰かにされたこと。人の感情さえも、どこか似通っていて。「関係」という閉じた輪のなかでは、人は、もしかしたら何かをなぞっているだけなのではないか、と時折思ってしまうことをやめられません。
ある詩人会の会合で、ある方が先輩と思しき方にこう聞いていました。「現代詩ってどうしてこんなに難しいのですか」と。先輩はたしかこう答えていました。「なかなか一言では言えない問題だね。作者が失敗しているのかもしれないし、読者がサボっている、ということもあるだろうし‥‥‥」。「サボる」という言葉に過剰反応したのか、「え、詩って勉強しないと読めないものなんですか?」。どうやら軽く憤慨している様子。
これは、詩というものが、一般的にはどう捉えられているか端的にわかるエピソードのような気がします。
以下の句は有名ですが、もしかしたら「わからない」と言う方も多いのではないか、と思われる句です。
広島や卵食うとき口ひらく 西東三鬼
湾曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太
南浦和のダリアを仮のあはれとする 攝津幸彦
作者は、「あはれ」という単語にこびりついた有象無象の手垢に反応したのでしょう。「南浦和」という微妙な地名におかしみを感じます。ここに思想性を見ても良いのかも知れませんが、攝津幸彦という作家は、言葉に対する感受性だけで作っているようなところがあると思っています。いずれにせよ、「広島」「爆心地」「あはれ」ということばへの感受を大きくひろげなければスッと入ってこない、意味や理屈では理解できない句でしょうか。
(前略)
母と兄が罪になることなど、わたしは望まなかった
人間でなくなりさえすればよかったのだから
わたしの望みが叶えられ、人間でなくなった日
わたしは思い出していた
以前、人間だったことを
再度の人間稼業はごめんだと真底思っていたことを
わたしの望みが何処かの神のお耳に入ればいいと
思っていたことを
理由は
今更、人間に話しても仕方がない
陽気な顔をして何度でも人間に生まれたがっている者に
わたしは、ただ、微笑を贈るばかり
(後略) 吉野弘「人間のことばを借りて」
詩に、「わかりやすくあるべきだ」とまるでそれが伝家の宝刀のように振り回すのは良くないですね。自分が理解できないだけなのかも知れないのだから。そして、詩の読み方というのは一種類しかない、という思い込みに囚われているのだから。(逆に「わからない」ことを有難がる習慣もどうかとおもいますが。失敗作かもしれないのに)。自分の感受性や価値観を同心円上に拡げていった先に世界があるという思い込み。そして「多数が支持するもの」と「良いもの」とを簡単にイコールで結んでしまう心性はとても危険。母集団の思想的偏りを考慮していないばかりでなく、これは排他性に直結する。
吉野弘は有名な詩人ですが、たとえば「夕焼け」をヒューマニズム溢れる作品と捉えてしまうと、この詩人の基調をはずすような気がしています。「理由」以下の連が腑に落ちるかどうか、は読者にゆだねられているのです。「厭世観」のような言葉ではひとくくりにできない、はみ出してしまう何かこそが主題ですが(詩は倫理や因果を軽く飛び越えて成立するもの)、案外共感する方も多いのではないかと思っています。
一般的な知名度はないでしょうが、最近こんな詩を見つけました。好きな詩・詩人に出会う事はとても素敵なことです。きっと、一生に十人も現れないのだから。宮澤賢治の再来、とまで言われた北の詩人のこの詩は、果たして「わかりにくい」のでしょうか。ふと考えます。
坂をのぼる馬があった
その時馬を見つめていた人と
人の眼があった
坂をのぼる馬は
坂のために生きたという
その時村があった
町さえもまだ広く広くあった
だが坂をのぼる馬が
坂のために永劫を昇華しはてた時
馬の背にあった一切の未来は
豪雨のように流れたろう
そうして今は
のぼるべき坂もない
ただ抵抗のない白い平面が
原始のように続くだけなのだ
村上昭夫「坂をのぼる馬」
ちなみに、村上昭夫はこんな俳句も残していました。
孕み鹿死ぬ日のごとく眼を向ける
個人詩誌「午前」第7号は興に乗って書いたエッセイ5作と自由律俳句です。
二十歳代では主宰の同人誌で、三十歳代では個人のホームページで、「詩を読む楽しみ」というタイトルのエッセイを書いていたことがあります。今回も同じような傾向。①に関しては、現在所属している自由律俳句の同人誌「青穂」にも載せていただきました。本人が一番気に入っているのは④で、いつか書きたいと思っていた子供時代のエピソードと、「通俗」という名の悲しみについて。
久しぶりのエッセイのせいか、見直すと結構力んでいるところがあり、コラムのようで恥ずかしいのですが、このまま載せることにしました。
「午前」は4号より有料(サイトによっては無料)の電子書籍としていますが、一部の方には紙版を献本させて頂いています。数百円にも満たない印税が、それでも読んでくださる方がいることを知らせてくれており、ありがたいことです。
2020年1月12日 久坂夕爾
2020年1月12日 発行 初版
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