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「今日開始不可用天籟語同廣東話。淨可以用英文同德國話」
母 はいつもと同じ無表情 で、ムオにそう言った 。
ムオと母は 血のつながりこそないものの、ずっと養育してくれていた 彼女は、ムオにとって母親には 変わりない。
ただ、真っ直ぐと ムオを見下ろすその目 は、いつも以上に冷たかった。
「點解呀?」
ムオは姿勢を動かさず、小声で問うた。
何故、今、こんな場所で 言うのだろう。
ムオは母と共に 神殿 の本殿の隅で平伏していた。神殿は天籟国の宮殿の最奥にあり、中でも本殿は御神体である神子の在所として使われる、 の本殿、最もこの国天籟で最も重要とされたる場所。
よく磨かれた床にはふたりの顔が 映り込む。み、ムオは母の顔を床ごしに見ていた。
母はムオが仕える姫の乳母であり、ムオたちを取り仕切る仮母だった。
血が繋がっているわけではないが、ムオにとってはいつも目指すべき『完璧な理想象』だった。
愛想がない代わりに、とびきり優秀。天籟の言葉や大清の言葉、それに英語や独語など、必要な言語はすべて話せる。
そして何より、抜身の刃のように研ぎ澄まされている。
鐘が鳴る。美しい鐘 の音がいくつも響く。
今日は神子の代替わり だ継承式だった。 新しい王が即位し、その姉である王女が神子として宮殿の奥、神殿 に入る。これより王が崩御するか神子が亡くなるまで、神子は本殿 から出ることなく、永遠に 処女として のまま神に仕える。
神性を帯びた王族の女性の中でも、神子は天を頂き、地を祝福し、この国を守る。
ムオたちのように ひれ伏した者たち以外は、全て王族だ。上座には即位しされたばかりの新王、そしてその弟王子王弟ふたりと、姫王妹ふたり。ムオが仕える姫のはその中五人の兄弟姉妹の中のでも一番 末子だ。
「ムオ。姫の婚姻が決まりました」
母の独語の言葉に、ムオは飛び起き 顔を上げそうになった。
けれど だが、動いてはならない。
響き合う鐘の音。その響きに揺さぶられるように、ムオは自分の心がぐらりぐらりと揺れるのをムオは感じていた。
*
「姿勢が悪い」
真っ先に感じたのは熱さだった。鋭い痛みが全身に走る。
真後ろからしたたかに勺 竹尺で背中を打たれ、ムオは転がりかけた。咄嗟に頭の上に乗せた花瓶に手を当てて、堪えたる。
両手ではしっ がっしりと花瓶を抑え、足を大きく開いて止まったムオに、母は冷たい声を浴びせる漏らす 。ムオが振り向けばくと、横目でじろりと睨まれた。
「なんですか、その格好は、猿のように」
「……すみません」
母はムオが仕える姫の乳母であり、ムオたちを取り仕切る仮母だった。
血が繋がっているわけではないが、ムオにとってはいつも目指すべき『完璧な理想象』だった。
愛想がない代わりに、とびきり優秀。天籟の言葉や大清の言葉、それに英語や独語など、必要な言語はすべて話せる。
そして何より、抜身の刃のように研ぎ澄まされている。
神子の代替わり以降の日から、ムオは今までの 服を着ることを禁じられ、母と同じ 大人の女性が着る官服を着ることとなった。肌着の上に何枚か の衣をまとい着て 長い上着の、隙間に、暗器を仕込む。ムオの得意の暗器は簪と峨嵋刺で、ある。王族の傍に仕えるものとして、その身を守る武器を持つのは当然のことだ。(ここに暗器の説明が欲しい)それを仕込むのには。児童が着る袖や裾の短い衣装よりは、今の女性の服の方が楽だ。
ただ、裾の扱いが困る 難しい。今までのように歩こうとすれば足に絡みつき、大股をで歩けばはだける。
母のように凛としていたい。それも間違いではない そう考えているのも事実だ。ムオは花瓶から手を離すと、裾を直して、また歩きはじめる。
(……頭をずらさず、膝の下だけで動く。丹田に力を入れて、視線は真っ直ぐ、一点を見る)
母はゆっくりとムオの周囲を歩いている。ただし、響く 足音や衣擦れの音はムオひとり分だ。まだ幼いとはいえ、ムオだって もまた、母と同じく宮殿に仕える身。早く立派に 一人前ならなくては姫に申し訳ない。示しがつかない 。
ふん、と気合を入れる。
「無心におなりなさい」
「ッ~~~~~!!!」
ビシリ、とまた一発喰らう。
今度は堪えきれなかった。あまりの痛みに倒れ込む 膝をつく。なんとか花瓶だけは受け止めつつて、ムオは地面でもんどり打った うずくまる。
「母上は手加減をして下さらない……」
ムオは背中が腫れ上がるだろう未来を想像して、ぼやいた。
勺を手に母は少しだけ首を傾げた。
そして、竹尺勺を伸ばし、床に這いつくばったままのムオの顎を持ち上げた。磁器陶器 のように白くつるりとした顔に、すっと切れ長な目、がある。 母の顔は得も言われぬ不思議な雰囲気がある。
じぃっとムオを見ていた母は、ゆっくりと口を開いた。
「お前の修練に 手心を加えて、姫になにかあったのならばとき、お前はどう贖うというのだ」
「この命で」
「お前の命を投げ出したとて、何になるというのか。愚かな」
「愚かではありません。いまだって ちゃんと言葉も覚えて……!」
母はムオの言葉を黙って聞いている。
姫の結婚婚姻 が決まりったとき、その相手国嫁ぎ先の国の言葉を徹底的に覚えるためとに、ムオは身の回りのものとの天籟語での会話を禁じぜられた。姫と相対する話すときも、母と話すときも、すべて言葉は独語を用いている。独語がままならない時は英語ならを用いれば、事足りるてよいと言われている。
あまたには見た辞書のすべてが入っている。
「愚かな子め。 ムオ。お前は入れ物ではないのだ」
母は興味を失ったように勺竹尺を引っ込める。
「私のは姫のために生き、姫のために死にます。愚かではありません、守るために言葉も風習も覚えます、必ず」
くるりと母はムオに背を向けた。
「すぐにお前は先を 見失う。ムオ」
「母上!」
母を呼び止めようとした 時、鋭い痛みが背中に走る。
動きが見えなかったが、 母の左腕が先程より少しだけ下がっていた。暗器だ。母の暗器が何か、ムオは知らない。得手とする自分の暗器の種類は誰にも明かさないのが天籟の王族を守る人々の掟だを明かす僕など、この世には存在しない 。
ただ、勺とは比べ物にならない痛みに、息が停とまる。
「手当をします。背中を出しなさい手当を呼びましょう 。ムオ」
「いいえ、大丈夫です」
「腫れますよ」
「いいえ、 私の不始末です」
ムオは頑なに首を振った。
ふぅ、と母は息を吐く。そして、ムオに背中を向けた。
「好きにしなさい」
母が歩いて去って行く 歩き去るのを、ムオは待った 見送った。母は渡り廊下を進み、角を曲がる 。すっかりその姿 が見えなくなってから、裂けた背中の痛みでに声にならない悲鳴を上げてもんどり打つ 地面に倒れ込んだ。
(くそ……っ! 絶対に、絶対に一人前になってみせる……!)
天籟の姫を守るため、天籟の姫に仕えるため、ムオも母もこの世に存在しているのだから。
*
姫は末子として育てられ 、とても穏やかな方だった。
痛みを堪えて姫の部屋に向かう。ムオの足音に気が付いたらしい姫は、えば、 のんびりと書を眺めていた姫は、その目をきょとんと開いた眺めていた書から顔を上げてきょとんと目を丸めた。
「ムオ。どうしたの。歩き方がおかしいわ」
姫も母と同じく独語で話しかけた。
「そんなに無様な歩き方ですか」
思ったよりも思わず拗ねた甘ったれた えたような声が出て、自分でも驚いた。
姫は、察したように微笑むと、首を振った。
「いいえ。綺麗に歩けている。ジャンは厳しい」
「猿のようだと言われました」
「ふふ」
姫は袖で口元を隠して笑う。
「でも、ジャンがそれだけ厳しいのは、ムオを好きな証拠」
「好きかどうかは……はい」
母は厳しいが、見込みのない者 を置いておくことはない。個人的な好意など、ムオには分からない。
ただ、ムオは選ばれたのだ。姫にも、母にも。
天籟末娘であるの国を背負うべき姫 を守るために者として。
姫はほっそりとした手をあげて、窓の外を指さした。
「ムオ。見て、桃が成っている」
「ああ、本当ですね」
見れば、見事な桃が成って生って いる。確か、この木は姫の曾祖母に当たる大清の公女公主 が輿入れした際に植えられた木だ。
ムオは宮殿にある、王族によって植えられた樹木をすべて覚えている。
「桃を所望されますか」
尋ねたものの、もう体は動いていた。
窓にひょいと飛び乗ると、反動をつけて目の前の枝ぶり に腕を伸ばす。腕に力を込めながら、振り子の要領で更に太い枝に飛び乗った。よく手入れされた木はとても登りやすい。その枝をぐるりと前転して飛び乗れば、枝枝を進むだけだ 。
王族が植えた木には手も足もかけず、周囲の木を使って桃に近づく。
両手でそっと捥いで、懐に忍ばせる。
そして、来た時と同じように木を伝って、姫の待つ窓に戻った。
枝ぶりの上に腰かけて、懐から桃を取り出す。
「どうぞ、姫」
「ふふ」
姫はころころと笑う。
そして、桃ではなくムオの髪に手を伸ばした。
「葉がついている。可愛い子猿」
「あっ」
「ジャンが見たら、妾が怒られる」
姫は笑う。
桃を捧げ持ったまま、ムオも笑った。
「姫様、あなた殿下の輿入れをお守り出来るよう、私は今よりももっと、きっと強くなってみせます」
完璧に服も着こなし、言葉もこなし、その身にかかるすべての困難を払う矛 盾になる。
「お前、背中はもういいの?」
「……とても痛いです」
「おいで、。手当てをさせよう」
姫はムオの手から桃を受け取った。桃の分、手が軽くなる。不思議な予感が、ムオの体に残った。けれど、まだこの時のムオには、それが何か分かることはなかった はわからなかった。
そして 二年の時をかけて、天籟国は欧州クリークヴァルト公国との結婚に関する協議を終えた。ムオは姫とあの船 に乗ることになる。
一九〇〇年、オスマン帝国領ポート・サイド、からヴェネチアへ向かう船。その先には、姫の将来の夫が待つ、クリークヴァルト公国があるへの船へと。
そしてその短い船の旅はムオにとって人生を一変させる日々になると、このころのムオは知るすべもなかった。
<了>
2019年11月21日 発行 初版
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NovelJam2018秋:鈴木みそ賞受賞。 NovelJam2017:優秀賞受賞。 もっぱらギター小説を書くようです