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この本はタチヨミ版です。
二XXX年 東京・大田区 蒲田
「へえ、そんなことがあったんだ……」
夜、仕事の後、職場で仲良くなった、気難しそうな顔をして実は気さくな仕事仲間と、医務室の陽気な看護師との三人で、看護師の地元である蒲田の居酒屋で楽しく飲んでいた。
明日が土曜ということもあってか、居酒屋はとても混んでおり、その一角に俺達はいた。
「あ、篠山くん、次の一杯どう?」
「そうですね……」
一杯目に頼んだビールはもう空になっていた。既に酒がそれなりに入って、調子に乗っている看護師の高橋さんから、お酒のメニューを受け取った。ああ、その時だった。
『ピロロン♪』
仕事とプライベートで兼用の携帯電話が鳴った。俺のだけではない、高橋さんのも、仕事仲間の川上さんのも。
「あれ、一斉送信?」
「何だなんだ」
二人も携帯電話の画面を見た。確かに、俺と同じところから専用アプリにメッセージが入っていた。
メッセージのタイトルは『業務依頼』。表情が厳しくなる。差出人は、「畑野岬」。職場のトップだった。
『関東支部の皆に告ぐ。川崎駅からAHM3体発生の通報あり。駅員が確保済み。近くのレベル3以上の会員は連絡の上、回収して府中に持ってくるように』
「行かねえか? 川崎は隣だろ」
「隣だよー? ちょうどここにレベル五がいるし?」
残念、高橋さんも川上さんもそう言う、高橋さんに至っては、俺の肩を叩いてくる。ここはどうやら、仕事に向かわなければならないらしい。
「はいはい、行ってきますよ。二人はここでゆっくり飲んでてください」
「はーい」
「いや、しかし……」
酒に弱い二人を置いて立ったが、川上に引き留められた。
「……行くの?」
「心配、させてくれよ」
そんな、しゅんとした目で見るのはやめてくれよ、川上さん。本人、無意識なのだろうけど。勘違いさせないでくれないか。
「……分かりましたよ。一緒に来てください」
「ひゅーっ。じゃ、俺も行くっ」
「あ、こらっ。……まあいい」
おいおい、結局二人も付いてくるのか。いや、年齢的には二人の方が俺より上であるし、川上さんに至っては肩書も上なのだけど、この職場では、生まれつきの能力がものを言うシーンもある。そういう意味では、俺は二人より上で、今回はそんな場面だった。
残っていた焼き鳥と刺身を完食し、アルコールも飲み干して、ここでは一番年長である川上さんが支払っている間に、俺はまだ誰の返信のないチャットに書き込んだ
『Re:業務連絡
篠山です。現在、川上さんと医務室の高橋さんと一緒に蒲田にいます。他に連絡も無いようですので、私達が現場に向かいます。』
送信して、支払いを終えたのを確認して三人で夏の空の下に出たとき、返信があった。
『Re:re:業務連絡
了解。レベル五なら安心だ。二人は耐性低いから、事故の無いように。』
『Re:re:re:業務連絡
はい、細心の注意を払って作業にあたります。』
そのメッセージを三人で確認して、駅へと歩き出した。
「討伐場面見るの、ひっさびさだなー」
「あんまり浮かれるなよ、仕事だぞ」
高橋さんは楽しそうだ。左手の薬指にされた婚約指輪が眩しい。交通費は会社の経費落とせるので、それ専用のICカードで改札を通ったが、蒲田は初めてだったので、どれに乗れば良いのか分からない。
「えっと……」
「川崎へは京浜東北線で一駅だよー。こっちこっち」
「あ、はい」
高橋さんの手招く方向に行って、階段を降りると、ちょうど南行きの電車が来た。俺達はやや混んでいるそれに乗り込んだ。
「えっと、薬……」
この後の作業に備えて、特殊な薬を左手首に塗っておかなければならなかった。しかし、それを入れている鞄が他の客の荷物に引っかかっていて、うまく取り出すことができない。
「後でいいだろ。もう捕まってるんだ、電車を降りてからでもいい」
「はい、そうします」
川上さんのアドバイスを素直に受け入れた。夜の多摩川を渡り、数分で川崎駅に到着。人波に押しつぶされる前に、素早く三人で電車を降り、改札階へと登っていった。高橋さんに声をかけられる。まだ足取りは何とか大丈夫そうだ。
「川崎も初めて?」
「はい、来たことはないです」
「めっちゃ楽しいよー。また案内してあげる」
「ありがとうございます。――あ、先に薬を」
「あ、そうだね」
階段を上りきったところで、鞄からクリーム状のそれを出して、左手首の適当な位置に塗った。それを片付けてから、名刺を持っているのを確認して、窓口に向かう。
「すいません、AHM協議会の者ですが」
「あ、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
名刺を差し出すと、すぐに奥に通してくれた。事務室らしきそこには、三つの逆さまにされた段ボール箱があった。
「下がっててください」
一緒に来た二人と、他の職員には遠ざかってもらう。その段ボール箱の一つを持ち上げると、謎の黒いもじゃもじゃの生物が確かにいた。
――可愛いんだけどな……
――ごめんなさい。
そう、心の中だけで思いながら、特殊なクリームを塗った箇所の感覚が麻痺しているのを確認する。そして、会社から支給された刃物で、麻痺しているそこを切った。違和感はあるが、痛みは全く感じない。
そこから滲み出る血液を、その生物にこすりつけると、ゆっくりと動いていたその生物は、間もなくその動作を停止した。他の箱に閉じ込められていた二体についても、同じ動作を繰り返し、その息の根を止めた。最後に、傷口をガーゼで止血し、絆創膏を貼った。
「ビニール袋はありますか。これが入るぐらいのを三枚」
「はい、今お持ちします」
彼らは毒を持つ生物だった。死んでもなお、適切に処理されるまでは毒が残る。紙は毒を通してしまうため、通さないビニールに入れて運搬する必要があった。
「これでいいですか」
「はい、十分です。ありがとうございます」
俺は毒に耐性があるので、素手で触ることもできるが、ここは安全をとって使い捨てのビニール手袋をする。その上で、一体ずつ、用意されたゴミ袋に入れて縛り、箱に入れた。運搬時に他の人の目に触れないよう、ガムテープを借りて封をする。これで毒に耐性のない人でも運搬が可能になる。
「すいません、ご協力ありがとうございました
「いえいえ、こちらこそ、助かりました」
駅員に挨拶をし、三人で一箱ずつ持って、改札内に戻った。
「南武線に乗ればいいよ。それで、途中で一回、乗り換えるから」
「はい」
案内を高橋さんに任せて、俺と川上さんはその後ろをついていく。ホームには二本の電車が停まっていたが、片方はもう人でいっぱいだったので、まだ空いているもう片方の電車に乗った。
「ねえねえ、後で飲み直さない? うち、飲み足りないんだけど」
「時間があったらな」
高橋さんに川上さんが呆れた風に言う。まもなく、乗っていた電車も混んできて、立川方面へと動き出した。
そうだ、この仕事は、俺にとっては突然降ってきた天職だった。その始まりは、大学時代に遡る。
*
――ああ、今日も何だか気怠いなあ。
「ササヤマ ヒロキ」。カタカナで名前が書かれた定期券を持っていることを確認して、間借りしている親戚の家を出た。今日は授業ではない。年に一回の健康診断の日だった。
俺は外からキャラ付けされるとしたら、「冴えない男子大学生」なのだろう。その自覚はある。成績はそこそこいいとは思うが、大した特技もなく、どこかぱっとしない。飲食店などでのアルバイトも長続きせず、単発のイベントスタッフなどで生活費や学費の一部を稼いでいる、という生活。正直、不安ではあったし、最近はその不安感が増していた。
どうして不安か、というと、大学三年になり、就職活動を控えているからだった。大学四年になってからでは遅い、三年生から、情報収集や自己分析、インターンシップに本格的に取り組まなければ間に合わないと、所属していた二次元アニメ同好会の先輩が言っていた。
しかも昨今は、インターンシップでの経験が本番での評価を左右したり、それに参加するために面接などの試験を受けなければいけなかったりとも聞く。余計に憂鬱だった。
――しかし、うじうじと考えていても仕方が無い。
そのことは、一旦忘れることにした。今日は就活のための外出ではないのだ。
伊予鉄の郊外電車に乗って、市の中心部に出て、古町駅で路面電車に乗り換える。そこから六番目の電停、鉄砲町が大学の最寄りだった。
健康診断の内容は、二年生の時と同じだった。視力検査は両目とも一、身長や体重もほとんど変動していない。X線を撮ったあとは、医師による診察。
で、終わるはずだった。いや、去年はそれで終わっていたのだ。だが、係員に、別の部屋に行くように言われた。記録表を見てみると、一番下に、去年は見なかった『備考欄』があるのに気付いた。
――なんだこれ。
その欄の中には、「今回、大規模な学術調査を実施しております。ご協力お願いいたします」と書いてあった。まあ、よく分からないが、受けないと終われないものなのだろう。
「最終検査」と書かれた立て看板の案内にしたがって進んだ部屋は、やたら日当たりのいい部屋だった。十数人の学生が三列になって並んでいて、ちょうど一人進んだ列に案内された。誰も服を脱いでいるような人はいない、どんな検査なのだろうか。列からは見えなかった。
「どうぞ」
呼ばれて、仕切りの向こうに進んだ。女の検査員が二人いた。それと、テーブルの上に見慣れない機械。検査員の一人に、記録表を渡した。
「篠山広樹さんですね」
「はい」
「では、簡単な検査をさせていただきます。まず、窓際に立って、このように手の甲を太陽の光に十秒当ててください。それからここに戻ってきてください」
「はい……」
俺は言われた通り、窓から差し込む日の光に、両手の甲を立てた状態で曝した。そして、検査員のところに戻った。
「では、手の形のあるところに、その通りに両手を乗せてください」
それは二段になっている機械で、一面が横長にあいた半透明のプラスチックの箱のようなもので、底面だけが黄色で、そこに黒い線で両手の形が描かれていた。その機械は、ノートパソコンに接続されているようだった。俺はそのようにした。
「しばらくお待ちください。合図があるまで離さないでください」
すると、おや、と検査員の一人が言った。何か異常でもあったのか?
「出てますね……可能性ありと書いてください」
「はい、了解です」
すると、画面を斜めから見ていた、俺に指示を出していた女が、記録表に赤いボールペンで何かを記入した。
「はい、結構です。この紙を、終了確認に出してください」
手を離して受け取った紙には、「AHM耐性可能性あり」と書かれていた。
――エイ・エイチ・エム?
見慣れないアルファベット三つの並び。何かの略語だろうか。未知のウイルスとか? それだと、なんだかわくわくする気持ちも湧いてくる。
しかし、よく分からない。ここはこの紙をさっさと出して帰ろう。このことは後でネットで調べることにして、その紙を確認所のスタッフに出した。
「はい、終了ですね。――あ、少々お待ちください」
やはり何かあるらしい。スタッフは青い紙を後ろから出してきた。
「えーと、今回ですね、記録表にある通り、大規模な学術調査を実施しておりまして、篠山さんにより詳細な調査に参加してもらう可能性があります」
「あ、はい」
「費用負担や健康への影響はございません。期間は夏期休業中ですので、学校を休む必要もありません。また、調査に対する金銭での報酬がございます。もしご興味がありましたら、連絡先を書いて提出していただきたいのですが」
ふむ、これは確かに、何やら本当に面白い話のようだ。お金がもらえるならなおさらだ。紙にはきちんと連絡先も書いてある。いや、それ以前に、国立大学が協力しているのだから、真っ当な調査なのだろう。俺は信用して、携帯電話の番号と、パソコン用のメールアドレスを記入し、「電話とメール、どちらの方が都合がよろしいですか」の欄では、メールの方に丸をしておいた。電話は苦手なのだ。
「ありがとうございました。では、連絡先をお渡しします。対象者となった場合には、この連絡先から、五月頃に連絡をいたします」
「はい、分かりました」
その白い紙と、確認済みの記録表用紙、それにX線の検査結果の報告日程が書かれた紙をもらって、外に出た。
学食のカレーを食べてから、街の電器屋で買い物をしてから家に帰ると、午後三時半になるところだった。夕食までにはまだ時間があったので、『AHM』とやらについて調べるべく、自分専用のノートパソコンを立ち上げ、もらった紙に書かれていた機関の名前を、検索バーに入力した。
『AHM協議会 日本支部』
確定キーを押すと、検索結果の一番上に、その機関らしきサイトが来ていた。それをクリックすると、白と緑を基調としたホームページが現れた。そして、バンッと目に飛び込んできたのは、青空を背景にした、一枚の白い文字が入った画像だった。
『協議会会員・支援者募集中』
その下には、小さい文字でこう続いていた。
『AHM協議会は、皆様のご支援によって成り立っています。皆様からのご援助は、AHMによる被害防止のための研究費や、その危険を子供達に啓発するための活動などに役立てられます。ご協力お願いいたしします。』
さてはて、どうやら『AHM』とやらは、ウイルスか病気か、あるいは生物か、何か人間に危害を与えるもののようらしい。その画像の右下には、車の運転の初心者マークとともに、『AHMとは?(初めての方へ)』と書かれた薄緑色のボタンがあったので、そこを押してみた。
すると、そのページには、黒い、球形の毛むくじゃらの、ダンスで使うようなポンポンのような物体が映っていた。その画像の解説には、『「アンチ・ザ・ハルモニア(略称:AHM)は、このような形状をしています。一見、可愛らしい形状をしているため、子供が誤って触れて意識を失う事故が多発しています』とあった。
――これは。
その画像の物体には、見覚えがあった。テレビで見たことがある。そうだ、つい先日、東京のとある駅で大量に発生して、夕方のニュースで大きく取り上げられていたのだった。確かそのニュースでは、『謎多き危険生物』と扱われていたような。
――つまり、俺の身体の何かと、この生物に、何らかの関係がある、ということか。
耐性、と書いてあった。ということは、この危険生物に触れても大丈夫とか、そういう感じのものなのだろうか。俺は説明を読み進めた。
『アンチ・ザ・ハルモニア(Anti the Harmonia、略称:AHM)は、世界中で問題になっている危険生物です。世界中の、特に人口が密集している大都市の路上や商業・娯楽施設に突然発生し、社会問題化しています』
そうだったのか。だから、東京で発生して、大騒ぎになっているのか。ここは一地方都市、一応、四国で一番人口が多いところではあるが、実物は見たことがない。このレベルでは出ない、ということか。いやしかし、人口に関係するとは不思議だ。
『AHMはまだ研究段階です。現在、目撃証言や、諸研究から分かっているのは、次のような事項です。
タチヨミ版はここまでとなります。
2020年5月5日 発行 初版
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