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この本はタチヨミ版です。
表紙イラスト 丸橋 都
大正時代のベストセラー、河上肇の「貧乏物語」から100年余り経った現在、「貧乏」という言葉や現象に注目が集まっています。
ワーキングプア、非正規雇用、若者や高齢者の貧困、一人親家庭などが社会問題として取りざたされ、国民全体が貧しくなっているという認識が広がっているようです。実際のデータとしても、給与所得の減少が続いており、多くの人が豊かさを感じられない社会に陥っています。
この現象を「貧乏物語」という著書名と重ね合わせて、貧困の現状を訴えたり、解決策を模索したりする動きが顕著になっています。
東京新聞(中日新聞)は、2016年1月に「新貧乏物語」という連載を掲載しました。これは主に、学生の奨学金の問題を取り上げた記事です。「貧困から脱出するため」「親がリストラされたので」など、それぞれの理由で奨学金を頼りに進学したものの、不景気や就職難により人生設計が狂い、返済が滞り、底辺に落ちてゆく若者の姿が紹介されていました(その後も連載を重ねて2017年に「新貧乏物語」という単行本が発行されています)。
また、岩波書店からは、『私の「貧乏物語」』という本が出版されました。副題に「これからの希望を見つけるために」とあるように、貧困にあえぐ国民に対して、「これからどのように生きていけばいいのか」ということを提案したい、これが編集者の意図です(この目的は私も同じです)。この本は、各界の著名人36名によるエッセイ集になっています。著名人ということは、社会的に成功された方々です。その中でも年配の方は、「昔は今より物質的に貧しかったけれど貧乏などと思ったことは一度もなかった」という論調が多く見受けられました。
私は現在、非常に少ない収入で家族(妻と3人の息子)と共に暮らしています。一般の人から見れば「極貧」の類いです。しかし、生活が苦しいと思うことは一度もなく、それどころか物質的にも豊かだし、精神的にも大変幸福を感じて毎日を過ごしています。
宗教でもやっているのかと思われるかもしれませんが、そういうことは一切ありません。
では、縄文時代のような暮らしをしているのかといえば、それも違います。自動車もテレビもパソコンも使って生活をしています。
偶然か必然か、「少ない収入で豊かに暮らせる方法」にたどり着いたわけですが、その過程で見えてきたものを伝えることで、未来への希望につながると考え、この本を書くことにしました。
ポイントの一つは「自給」ということです。食糧やエネルギーを自給することで、あまりお金がかからない生活を実現することができます。同時に、質が向上した豊かな生活が手に入ります。その様子もご紹介します。
当然このような生活は、田舎でしか実現し得ません。ですから、都会(都市部、街、田舎も既に都市化されている)で暮らしている方にとっては、夢物語だと思われるかもしれません。でもちょっと待って下さい。都会というのは、100%お金に頼らなければ暮らしていけない場所(空間)です。この「お金」というものの正体を知ったとき、あなたは本当にこれからも都会で暮らしますか、ということを問いかけたい。特に将来のある若者にここを考えてもらいたい。これが二つ目のポイントです。
「お金と自給」「都会と田舎」「過去現在未来」。これらの基軸がきちんと整理されたとき、「貧乏」の概念も違ったものになってくると確信しています。
それでは私の「貧乏物語」を始めたいと思います。
「貧乏」の定義を再考する
まず最初に、本家本元、河上肇の「貧乏物語」を考察してみます。
経済学者の河上は、この「貧乏物語」の序盤で、「貧乏とは何か」という定義付けを試みます。
彼は最初に二つの曖昧な貧乏を否定します。一つは、「金持ちに対する貧乏」という概念。これは相対的かつ心情的な意味合いです。自分より金持ちと比べて貧乏だと感じても、自分より金がない人から見れば、貧乏とはいえないということです。これは当然で、何が貧乏で誰が貧乏なのかわかりません。
次に否定した貧乏は、「被救恤者( 他の救助や慈善に依頼して生活する者)」。この場合は、何らかの特別な事情があって困窮しているケースであり、貧乏の定義づけは出来ないということです。
そして河上がたどり着いた貧乏の定義とは、「労働を支えるために必要な食糧(カロリー)を満たすだけの収入があるかどうか」ということです。河上はこれを数値化した上で「貧乏線」なるものを設定し、それ以下の人を貧乏(人)と定義づけたのです。ここで私は疑問が生じました。
まず、日本の産業別就業(労働)人口の推移を見てみます。明治から比べると変化(減少)があるとはいえ、大正初期に第1次産業が占める割合はまだ60%を超えています。これは主に農業・林業・漁業でしょうから、60%以上の国民は田舎で生活していたと考えられます。さらに、第2次第3次産業の中でも、田舎で従事していた人もいたでしょう。
例えば私が生まれた群馬県富岡市も、かつては養蚕を主体とした農産地帯ですが、富岡製糸場ができたおかげで、繭の集荷、加工、運送などに就いていた地元の人もいたのです(出稼ぎの女工は別として)。
こういった地域では、食糧を自給したり、物々交換したり、親戚に融通するなど、お金を介さない食糧入手経路が存在していました。ですから、河上の定義する「貧乏線」が当てはまらない国民が相当いたのではないか、というのが私の疑問です。同時に、100年前であっても、「お金がなければ飢える世界」が存在していたということは驚きでもありました。
タチヨミ版はここまでとなります。
2020年2月2日 発行 初版
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エコ作家
1963年 群馬県富岡市生まれ
82年 群馬県立高崎高等学校卒業
91年 NTTデータ通信(株)退社
95年 参議院選挙東京選挙区に「農民連合」より出馬
2000年 作農料理人の店「自給屋」開店
08年 「地鶏ラーメン自給屋」に変更
18年 同閉店
著述歴
1998年 じゃがいも家族-ラジオ高崎 素人番組作り奮闘記(単行本)
2003~04年 「わしズム」に連載6回(体験的食べ物論)
2019年 「現代農業」に連載12回(幸せ貧乏生活)