spine
jacket

こんな光景を見たことがない。


男が女を選ぶために渦をまく現象。
メッカの巡礼を彷彿とさせる異様な熱気。女たちは壁際とカウンターの両サイドに立っている、微笑をうかべて。

その間を男たちが1周する。
あまりに男が多過ぎるので、1周してすぐ外に吐き出される。
観光シーズンの5月から7月にかけて演じられた夜毎のセレモニー。サケやセミ、蜻蛉が夏の一夜に相手を選び、交尾して滅びるあの世界のよう。
ここへの参加は、最初は楽しいものだった。
通うようになって2,3日目、その夜、もっとも美しい女から声をかけられた。
異国の娘は、タイの中では異端のアラビア混血娘。綺麗な怜悧な瞳、美しい鼻筋。長く濃いまつげ、濃い眉。
いくら見ても飽きさせないくるくる変わる表情。
だが、彼女の愛人になって、体力があまりにも違いすぎることに愕然とした。

そこから、この物語は「戦記」に変わっていったのだ。



テーメーカフェの女

evan hiroyuki shintani

Japan Cyber Library出版



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

クルンテープは天使たちの都

第1部第1章憂いをおびた漆黒のひとみ

メッカの巡礼

ヌーンの白馬のナイト事件

ラオス美女は日本人嫌い「ちん切るよ!」と凄まれる!

バタフライ・タトゥーの女 フォン

テーメーカフェで処刑される市中ひきまわしの刑

THERMAE CAFEの実像

マルガリータ・ストーム

NANA PLAZE夜8時の登校時間

余計なお世話だ! 伝説の回数

HOTEL MIAMIの妖!

Special Thanks !

クルンテープは天使たちの都

 戦記
最低10才は若返らないと、愛想をつかされる前に戦えない。
そう感じたわたしは、途方もない計画を実行に移した。
30日で青年の身体に戻ること。
でも、どうやって。

つべこべ言わずやれっ!
自分に命令していた。
筋肉のサイズを青年のころの最大サイズにバルクアップさせるところから開始した。
午前中に脚、昼寝して夕方から胸、
翌日午前中に肩、これを1週間繰り返した。サイズだけは大きくなったが、脚と首、腕のサイズが釣り合わない。
そして、試行錯誤を繰り返し、見た目は青年の身体になった。
いや、もとが空手の師範代をしていたので、運動選手に近いサイズにならなければいけないのに足踏状態が続く。
バーベルがないので、自重トレーニングの最大サイズまでは大きくなった。
そしたら、驚くことに肌がそれも全身の肌が若返ったのだ。
瞳が綺麗に澄んでいる。
見違えるほどの変わりようだった。
ホテルの階段なら一気に10階まで駆け足で登れる。


サーシャは「あなた、どうしたの」と聞くほどの変貌ぶりだった。
気恥ずかしいので、病気から回復しただけだよと説明した。

彼女より見事な身体になっていたのだ。厚みのある肩の筋肉。甲冑を着たような胸の筋肉ははりつめ、腕は盛り上がり、尻はズボンにおさまりきらないほど盛り上がっていた。

わたしが、このドキュメンタリーにどれほどの力を裂いているかは誰も知らない。まさか、日本からこのために闘いにやってきたとは思わないだろう。
単に知り合い、ベッドを共にするだけなら誰でもできる。

ここにいる最高の美女に挑む。
選んだ女性はみな、わたしを受け入れてくれる。
そのために魅力を獲得した。

わたしはその向こう側に何があるのかを知りたかった。
もっと彼女たちの内面を覗くため、深く深く心のなかにダイブした。

テーメー戦記とは、相手からの深い愛情を受けて、恍惚ともいえる甘美な瞬間がある。しかし、そのすぐ横にはあまりに異なる習慣と考え方と環境が絶壁のように立ちはだかっていた。

その1例は、タイ女性のわがままっぷり。関係をホールドできないのだ。極端なのはSNSの英語からタイ語の変換ミス(GOOGLE翻訳は英語が機軸なのでよく、意味を逆に伝えてしまい相手を怒らせる)で二度と返ってこない。
信じられない展開が待ち受けていた。

だが、わがままを仏陀にように寛大に聞き入れていたら、道がさっと拓けた。
「キンカオルーヤン」
「タムアライユー」
今、何しえるの
ご飯食べた?
タイ語でメールが一日に何通も行き来するようになった。
そこから彼女の生活ぶりや家族、あるいは一人暮らしの場合は家族の話が、、、。

サーシャとは2度目の喧嘩で決定的な別れを演じてしまった。
その間にラオス美女BEEと知り合うが、彼女の心の闇と、その逆に輝くばかりの優しさに心を奪われた。
ほとんど二重人格だ。

ベトナムの混血美女フォン。子どもがいて、わたしは考えぬいてフランスのハンサムな青年を彼女に紹介した。

このころわたしの中で、もっともきらめく宝石のような女性があらわれたのだ。
ナナ駅近くにあるホリーズカフェのテラスで人並みを眺めながらタバコをふかしていたら、美女(表紙デザインに娘)がわたしの顔をずっとのぞいていたのだ。彼女は歩き去ったが、5分もしないうちにもどってきて、また、わたしの顔をみながらゆっくりと通り過ぎる。

おっさん、何か悪いことしたのかな、この娘に?
アイスコーヒーのカップと思っていたらタバコの吸殻が詰まったカップを口に運んで、仰天するハメに、、。

あまりに美しい絶世の美女。そう、あのトロイのヘレンを演じたドイツ女優に似た娘。

しばらくずっと探しても会えなかった。
1カ月後の9月1日。
それがテーメーに行ったらカウンターの近くに立っているではないか?

あっ!

この娘はわたしが連れ出す約束をして、BEEか誰か別の娘を連れ出したため『、わたしを覚えていたのだ。
きっと、あのおやじ、ブサイクのくせしてあたしを袖にして、懲らしめてあげるわ』と思っていたのだ。

この時はじめて知った。
美女は魅力を隠すすべを知っていることだった。

わたしもヌーンなど40過ぎのオバさん連中につきまとわれて、中には私に恋心を抱く始末。それでよごれた服装で髭もそらない汚らしいおっさんででかけていたのだ。
まさか、この娘がと、、、。
色白の美女は、ファランの混血娘だった。
優しく、思いやりのある完全なレディーに思えた。が、、、。

わたしはギック(愛人)という言葉さえ知らなかった。
それが3人同じ時期にできてしまった。
SNSでグレースが送ってくれる
5555555
という意味さえわからなかった。
ヌーイがわたしに英文にSNSを読むために、苦労してGOOGLE
で翻訳して、はりつけて送ってくれていたことも。
SNSそのものを使いこなせなかった記者は、最初、サーシャにやり方を見せてもらって、出来るように。
そして、GOOGLE翻訳はヌーイから教えてもらったのだ。
そして、戦力アップしたわたしはグレースへと立ち向かったのだった。
彼女はぼくの手のなかにあった。
しかし、それをキープすることができないのだ。
ビザが間もなく切れる。

身が切られるほど切ない。
彼女なしで年明けまで日本で過ごさなければならない。
そして、あの優しいヌーイの希望もかなえてあげられない。
「身体に気をつけてね!」
彼女はその後、何を言っても「わからないわ!」を連発。
取り乱して、わたしの英語が聞きとれない。
わたしは彼女を道のまんなかで抱きしめた。
彼女はそれを振り切るように7イレブンに消えた。
見ると、
あの祠が結界として守っていた境界線を越えていた。
恋人たちを別れへと導くあのまさに同じ空間に立っていた。

1カ月前、30才のハンサムな青年に抱きついてすがるタイ娘。彼女たちの別れを目撃したその同じ場所。
見ていて胸が締め付けられる光景だった。
泣いてすがる娘を男は涙をながしてじっと耐えていた。

わたしにもその時が来たのだ。
これが物語りの終わりだった。
自問しても、答えはない。
ビザなしで60日、観光ビザ2連発、それに両方ともリエントリーパミットを行使して限界に達していた。





日本人はビザなしで30日プラスして申請で、もう30日の滞在許可が下りる。
すでにわたしはカオサンとパタヤの取材でそれを消化していた。
日本に一時帰国して最大60日のビザを認められた。
だが、会議への出席、冠婚葬祭で一時帰国すると、リエントリーパミットを申請しないとタイ入国は許されない。
綱渡りのような帰国と再入国を繰り返しぎりぎりの延長で、わたしは彼女たちと正面から対峙していた。
なぜなら、これまでの経験から友好的な状態をキープできなければ関係は破綻する。
それができたなら、もっと長い本当の関係へと移行できる。
そして、知ることになったタイの女性のあまりに違う考え方。まるで男である。
わがままを通り過ぎるほどの自己中心的な行動。
だが、それをできる範囲で聞いてあげれば彼女のナンバー1になれる。
つまり恋人になれるのだ。
そこまでわたしはたどりつくために、忍耐を重ねた。なぜ、あれほどタイの男がやさしいのか、女性にマメなのか、それがわかり始めたとき、わたしは男の方から去ってゆくことが多いのではないかと考えるようになっていた。

決して怒ってはいけない。
プリンセスとして扱う。
わがままを出来る範囲で聞いてあげる。
タイに住むことを厭わない。
連絡は毎日20回以上はまめに。
余裕と笑みを絶やさない。

これがわたしが探り当てた回答だった。
 前段で、すでに一緒に外出しても恥ずかしくない外見
金持ちに見える(なくてもそう振舞う)、という2項目をクリアしておくことをお忘れなく。
日本人ならできることなので、うえの6つを忘れなければ、タイ女性の心をつかむことが出来ます。

しかし、探り当てたといっても、よく見たら上の6項目、タイ人男の特長であることに気づいた。
わかってがっくりである(笑)

つまり、タイの国では当たり前のことがハードルになっていたわけで、そうされるのに女たちは慣れていたのだ。

わたしはこのなかの1つでまたしてもつまずいた。
SNSでも決して怒ってはいけない。
まとめて、言いたいことを送ってはいけない。
不満をぶちまけられたと思われ、この人、もうわたしのこと好きじゃないんだを思い、心が醒めるらしい。

まさか、こうしたら? という提案が、、、

誰も思わないだろう?
まさか、SNSが愛情表現にこれほど深く噛み付くとは!


第1部
第1章
憂いをおびた漆黒のひとみ

エンポリウムから南の眺め。美しい公園が広がる。左側は日本人が多く住む界隈。

綺麗なおんなだな。そう思うと自然に彼女の前に立っていた。どんなことを話したらいいのだろう? 
口からは空々しい英語で挨拶している自分。
そしたら相手が日本語で、

こんにちわ。

嬢には日本人だとバレバレ。
たしかにこの夜、わたしに話しかけてくれた5人のうち3人までは日本語がしょべれた。
そんな、いいところがあるのかって?
そう、それがテーメー・カフェ。
わたしは、ここでけっこう引っぱりだこだった。不細工なわたしですらこうなのだから、あなただってもてる!
 ひとつ、ふたつ、既成概念をひっくり返す事実をお知らせします。
わたしは2019年版の「タイに移住しよう」を取材中で、バンコクのど真ん中、スクンビッドに「沈没」している。みんな驚くと思うけど、パタヤより快適だよ。理由はパタヤにいたとき(4月ー5月末)は真夏、日本風に言えば盛夏。外を歩くだけで太陽に焼かれる。バンコクに旅立つ日になって初めて夕立が落ちたのだった。

それからは涼しくなっているのかもしれないが、バンコクの都市中心部にいても、暑くはなく、快適に生きているのだ(笑い)。
わたしはタイに移住しようをすでに2版だして、その他に番外編も出版している。タイが日本人にとってどれほど肌に合っているか身をもって感じているのでこの本に磨きをかけている。

ぼくと話した女性たちは、わざわざ、一生懸命、日本語を学び、そして、日本文化を知りたいと思って、日本人との出会いを求めて、ここにやって来ている。それを知っておいてほしい。

一番、わかってほしいのは、是非、機会があったら、カオサン、パタヤ、バンコクと2週間程度でもいいからトライアングルのように巡ってほしい。
すでにタイは変わっており、日本人が書いたタイの像と現実はかなりズレが生じている。一番にあげられるのは、タイは日本よりすぐれた点をたくさん持っていること。
このビル群。スカイトレイン通称BTSのナナ駅から撮影したものだが、亜熱帯気候の夕闇がせまる迫力の空の色。

はっきり言うと、日本はアジアのなかで置き去りにされているといった方がいいだろう。アジア周辺国はこの10年間に凄まじく発展しているのに日本だけは足踏み状態。
それが積み重なってバンコクは世界中からひとが集まるアジアの拠点に成長。逆に東京には行きたがらないひとが多い。魅力に乏しい。物価が高いだけで、払った代償を返してもらえないからー。
なんで、そうなったのか?

人件費が高いから? うそである。儲け至上主義で粗末な造りのカフェチェーンだけが生き残ったり、スターバックスも面積が狭いので、これがスターバックス? と思われてしまう。
タイのひとは今、日本語など勉強していない、もっぱら韓国語、そして中国語。そして、英語。
だから、テーメーに行って日本語が話せる女の娘が何人もいるから、相変わらず、日本はアジアのトップという観念は10年前の大人たちが作った幻影で、現実はそれよりもっと早く動いている。

こんな記事は大手新聞社や週刊誌では書けない。
そこまで深く取材する時間はないし、駐在員でも、本当のことをかけないでいる。
日本はアジアのナンバーワン。
では、もっとも深刻な証拠を日本政府の外務省に突きつけてみる。

なんで韓国人はタイの入国はビザなしで90日間有効で、日本人は60日なのか?
タイにとっての一等国とはイギリス、韓国の90日間のビザなし、そして、日本は中国と横並びで60日間。
もっとも、老人が多く海外の生活拠点が必要なときに、役に立たないのが外務省。

必要もないときにオーストラリアやスペイン移住のキャンペーンをやって、「やっぱり、ムリでした」はないだろう。

もっと現実的な話を取材してきた。それは、ターミナル21には東京のフロアと日本のフロアが設置され、日本人は鼻が高いと思う。
それはすでに過去。今はナナ駅とアソーク駅の中間に韓国人街が出現している。これには驚かされる。
KPOPのスターたちの曲や映像が画面に流され、いかに、タイと韓国の結びつきが強いかをうかがわせる。
もはや日本ではないのだ。
それをこのタイに移住しようの冒頭シーン、カオサンで描いたのだ。
韓国人がなぜ、わがもの顔でタイ中を闊歩しているか、そして、なぜ、一人前でもない娘が大きな顔をしているかがわかっていただけたと思う。荒唐無稽な韓流ドラマはアジアを本当に制したのだ。
日本では決して喜ばれない真実をこれから書こうと思う。
※カオサンの項はカメラ取材がメーンのため写真ファイルの重さのため、写真集として出版予定です。


わたしは例によって、沈没できる安宿を探しだし、なんと、今、ナナプラザの横のホテルに連泊中。
夕刻になると出勤に間に合わないらしい嬢が駆け込んでくるので、笑える。
せめて、拝んでから店にでろよというと、
「キッ」と目をむく。

先にテーメーカフェについて詳しく書こうと思ったら、テーメー・カフェがあるナナ駅とアソーク駅の中間あたり、街が韓国人街になっているので、みんな、驚くな!。



  タチヨミ版はここまでとなります。


テーメーカフェの女

2020年2月1日 発行 第2版

著  者:evan hiroyuki shintani
発  行:Japan Cyber Library出版

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evan hiroyuki shintani

経済専門のジャーナリスト。バンコク駐在中

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