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聖書のどこにも献金をたくさん捧げる者は30倍、60倍、100倍の祝福を受けると仰せられていません。聖書に上記のことばが文字的に記録されていても、献金をたくさん捧げたら30倍、60倍、100倍の祝福を受けると、仰せられたのではない。全聖書で持って聖書を解釈しなければ、上記のことがなぜ恐喝なのか、弁えるのが容易ではない。上記の恐喝は、とても簡単にその通り信じるように、もしくは、信じたくなるように惑わす言葉であるからだ。
お金を好まない人間が全世界のどこにいるだろうか?金持ちになるのが嫌な人間がいるのだろうか? 世の中のすべての人間が好きな言葉の中で一つが「祝福を受ける」、「金持ちになる」という言葉だ。世の中で起こるほとんどの事件は、全部お金が絡んでいると言っても過言ではないからだ。
これについての証拠は次の御言葉だ。「金銭を愛することがあらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛を持って自分を刺し通しました。」という御言葉どおりに世の中すべての犯罪の絶対多数がお金と絡んでいる。
さらに、ストレートにお金を好む者たちに次のように仰せられた。「しもべはふたりの主人に仕えることができません。一方を憎んで、他方を愛したり、一方を重んじて、他方を軽んじたりするからです。あなたがたが神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。さて、金の好きなパリサイ人たちが、一部始終を聞いて、イエスをあざ笑っていた。イエスは彼らに言われた『あなたがたは人の前で自分を正しいとするものです。しかし神は、あなたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。』」という御言葉は見えも、聞こえも、信じもしないで、自分勝手に作り上げた恐喝が献金をたくさん捧げれば、祝福を受けるという言葉だ。
このように恐喝する指導者たちが挙げる例が、信仰の父アブラハムが祝福を受けて金持ちになったと言う。信仰の父アブラハムは神の御言葉に従った信仰、言葉の通り、信仰によって行動した人であった。真実なキリスト者であるならば、必ず神の御言葉をその通りこの地上で成し遂げて上げることが神を喜ばせる信仰であるということを知らないクリスチャンたちはいないはずだが…
今、この時代、全世界のクリスチャンたちはみんなおしゃべり屋。指導者も講壇で口先だけで、信徒たちも同じでだ。神の御言葉どおりに従って行動はしないでおしゃべり屋・ほら吹きだけを作り上げてきた。このようなほら吹きたちが言った言葉も聞いてくださって、金持ちの国になったのがまさに韓国である。このように豊かな暮らしができるようにしてくださったのは、とてつもない神の計画があったからである。
なぜ、おしゃべり屋・ほら吹きを作ったと言うのか簡単な例を挙げると?
罪を悔い改めることも同じだ。罪を犯して、口先だけで赦してくださいと悔い改めても、一生涯の間一つの罪も捨てずに口先だけの悔い改めを神が受け取られたとでも思うのか?今、キリスト教が、世のすべての他の宗教と違うことは何か?神の御名、イエスキリストの御名を用いて祈ることの他に違うことは何か?神の御こころどおりに生きれば、わたしたちが祈る前、すでに全てをご存知の神である。また、神が仰せられる祈りとは何だと思うのか?
信仰の父アブラハムが金持ちになった訳とは?
神の御言葉どおり実行したからだ。証拠は次の御言葉だ。「主はアブラムに仰せられた。『あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を離れ、わたしが示す地へ行きなさい。わたしがあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福するものをわたしは祝福し、あなたをのろうものをわたしはのろう。地上の全ての民族はあなたによって祝福される』アブラムが主のお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼と一緒に出かけた。アブラムがハランを出たときは、75歳であった。」
万が一、アブラハムが神の御こころ、神の示すとおりに行動しなかったら、彼が祝福を受けたのだろうか?
聖書の句を用いて自分勝手に作り上げて恐喝する者どもは全部、前後の文脈は全部捨てて、自分たちが好きな言葉だけを拾って使ってしまう。単語を部分部分つなげて作り上げた恐喝(偽りの言葉)であるのに、弁えることのできない無知な信徒たちは全部聖書で見たことのあるような言葉だから、そのまま信じてしまうのである。理由は、恐喝を聞くものたちも、自分の好む言葉で、望む言葉であるからそのまま受け入れてしまったのである。
クリスチャンが神が与えられた祝福を受ける唯一の道は、ただ一つ、神の御言葉に従い、服従することである。証拠として次のように仰せられた。「あなたがあなたの神、主の御言葉に従えば、この全ての祝福があなたに臨み、あなたに至る」と言った御言葉どおり、アブラハムは御言葉どおりに従って行けと言われたら行き、止れと言われたら止まった。
聖書の外面(文字そのまま)は、各時代別に信仰の人たちが肉体を着て地に住む間、神の御言葉どおりに従って歩む道を記録したものであるが、全聖書を全体的に見ると、各時代ごとに信仰の人たちは必ず神のみむね通りに行動する時、神からの祝福を受け、逆に罪を犯した時は神からの懲らしめを受けた。全聖書を通して見なさい。聖書のどこにも各種献金をたくさんしたら祝福を受け金持ちになると、記録されているかどうかを…
全聖書を通したもっと決定的な解答は、創世以来全宇宙的な七日目が来る前までは、信仰の良いと言われたクリスチャンは全部殉教され、神が助けて乞食として生きて、肉体が死んで霊魂が楽園に行っているラザロのように生きなければならなかった。これらは、まことに各時代ごと神の御言葉に従った人たちであった。なぜ彼らは乞食として生き、または殉教しなければならなかったのか?全世界のクリスチャンはみな、全聖書を見て、再び、深く考えてみなさい。
また、過去の過ぎし日の間はもちろん、今この時代も同じように、金持ちすなわち、巨富になることを望んでいる全てのクリスチャンたちに、まことに金持ちになれるより決定的な解答がある。このまま守れば必ず肉体を着ても地で金持ちになるし、永遠のいのちも必ず得ることができる。ただ一つの条件はおしゃべりではなく、必ず聖書どおり、真理どおりに守って、実を結ばなければならないということだ。
イエス・キリストが肉を着て地上で働かれたときにあった実状である。
「すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。『先生、永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。』」と質問をした。この青年は良いことをすれば永遠のいのちを得ると思って尋ねたのだ。聖書どおり、ストレートに答えると、良いことを行えば永遠のいのちを得るのではなく、永遠のいのちを得た者は必ず、実として良いことを行うようになる。
これに対するイエス・キリストの答えは「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。」と言われて、その人は再びこのように答える。「彼は『どの戒めですか』と言った。そこで、イエスは言われた。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』」
青年の答えは「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」この青年は金持ちであった。自身はすべての戒めを守っていると自信もって答えた。今日、全世界のキリスト教の中でだれがこの青年のように自信もってこのすべての戒めを守っていると答えることができるだろうか?まして、恐喝する指導者とその恐喝にアーメンと言って心に受け入れ、むなしく信じている教会員たちの中で、果たしてだれがこの青年のように戒めを守っていると言えるだろうか?
これに対するイエス・キリストの答えを見よう。
「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」と言われた。つまり、この青年はすでに多くの財産を持っている金持ちで、イエス・キリストを訪ねた目的は永遠のいのちを得たいからでした。これに対してイエス・キリストを通じた神の応答は、完全になれば永遠のいのちを得る、完全になるにはあなたの持ち物をすべて売って貧しい人に与え、イエス・キリストについて行けば良いと言われたのである
言い換えれば、完全になる方法は自身(ある人、青年)が持っている物(財産、財物)を売って貧しい人たちに与えれば、天に宝を積むことになりますと、そしてイエス・キリストについて来なさいと言われる。こうしてこそ完全になり、永遠のいのちを得るようになるということだ。
つまり、完全になり、永遠のいのちを得るには上記の戒め、すなわち、殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない、偽証をしてはならない、父と母を敬え、あなたの隣人をあなた自身のように愛せよという戒めをすべて守ったとしてもまだ足りないということになる。このようなすべての戒めを守っても完全になるためには自身のすべての持ち物を売り払って貧しい人たちに与え、イエス・キリストについて行ってこそ永遠のいのちを得るようになるということである。
このような御言葉に「青年はこのことばを聞くと、悲しんで去っていった。この人は多くの財産を持っていたからである。」と書いてある。このように青年が去って、イエス・キリストが言われたことばが次のことである。このことは御子イエス・キリストを通した神の御声である。
「それから、イエスは弟子たちに言われた。『まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。』弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いていった。『それでは、だれが救われることができるでしょう』イエスは彼らをじっと見て言われた。『それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。』」と、すでに判決を下された。
30倍、60倍、100倍の祝福を受ける方法も聖書の中に解答がある。探して一緒に見ましょう。この祝福に対する御言葉は種を蒔くたとえの中に出てくる。種を蒔けば、どの地でも30倍、60倍、100倍の祝福を受けるのではなく、必ず良い地でなければならない。証拠として、マタイの福音書では「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。」と言われた。このように祝福を受けるなら必ず良い地でなければならない。このような良い地に種を蒔くようになれば、「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」と言われたので、種を蒔くと実を結んで祝福を受ける絶対条件は必ず良い地でなければならない。
もっと具体的なことは神の御言葉を聞いて悟るものがこのような祝福を受けるということだ。だから、神の御国は奥義であって誰でも聖書を見るからといって見えるものではない。まして、聞くからといって聞こえるものではない。それゆえ、神の御言葉は必ず文字的だけで見ては絶対に神の御国の奥義は見ることも、知ることも、聞くこともできないだけではなく、悟ることもできないということを忘れてはいけない。それで、あなたがたは真理を知り、真理があなたがたを自由にしますと、すでに仰られた。また、「御霊は真理である」と言われたので、必ず真理の御霊によってすべての真理の中に導けば、隠されていた神の御国の奥義を見ることができ、聞くことができ、悟ることができる。
同じ出来事が記録されているマルコの福音書では、より具体的に次のように言われる。「また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった…良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」と仰られれた。
そして、前で触れたある人、つまり、金持ちの青年が永遠のいのちについて、イエス・キリストに尋ねた出来事に対する答えまで含まれている解答が次の御言葉だ。マルコの福音書10章29節~30節に「イエスは言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今この時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。』」
同じ出来事を記録したマタイの福音書を再び見てみよう。
マタイの福音書19章29節~30節「また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」
また、同じ出来事を記録しているルカの福音書も見てみよう。
ルカの福音書8章8節「『また、別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結びます。』イエスは、これらのことを話しながら『聞く耳のある者は聞きなさい』と叫ばれた…良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。……イエスは言われた『まことにあなたがたに告げます。神の御国のために家、兄弟、父母、子を捨てる者はこの世でも幾倍を受け、後の世では永遠のいのちを得ます。』」と仰られた。
結論的に全体を総合して言うと?
紙面上、すべてを記録することができなくて要約して記録しましたが、全聖書を全部見て言うと、30倍、60倍、100倍の祝福を受ける絶対条件は必ずよい地でなければならず、神の御言葉を受けなければならず、その御言葉を聞いて、受けて、悟って、正しい良い心で御言葉を守って実行することで実を結ぶ者が、このような祝福を全部受けて永遠のいのちを得る。また、必ず忍耐が必要だ。理由はこのような良い地になるためには、上記の御言葉どおりに守らなければならないので、自身が持っているすべての持ち物を売り払って貧しいものたちに与えなければならず、必ずすべての民族に憎みと迫害を受けなければならないからだ。
しかし、聖書に記録された金持ちの青年は財産が多いので悩んで去ってしまった。その金持ちの青年は自分の考えどおりに永遠のいのちを得たかったのです。自分が持っているすべての財産(持ち物)を売り払わずに永遠のいのちを得る方法を尋ねたことだったのに、その尋ねたことに対する答えは自分の考えとは異なったものでした。今、この時代の金持ちのクリスチャンもみな同じだ。いや、世の中のすべての金持ちもみな同じである。
この青年もこうなのに、ましてこの金持ちの青年のように戒めを全部守ってもいないのに献金だけ捧げれば金持ちになると恐喝をする彼らは誰というのか?聖書のどこにも無い恐喝を言うこの者たちは、自身の霊魂の救いとも全く関係が無い。万が一、そのまま肉体が死ねば必ず聖書どおりに判決を受けて、陰府(地下、永遠の地獄)に下って、永遠の罰を受ける。恐喝する指導者はもちろんのこと、その言葉を聞いて信じていると勘違いしている教会員たちも同じだ。より正確には、牧師は信徒たちの霊魂に対する責任もとらなければならない。永遠な地獄の永遠の罰を受けながら。。。
この言葉は決して私の言葉ではない。全聖書をもって聖書どおりに聖書を解釈した答えである。このようにふたつの目を持っていても誰でもが全部、見て、読むことができて、各々自分の国の言葉で翻訳された聖書をもって見ながら、どう、このような恐喝ができるのか。。。良心が麻痺していない限りこのような恐喝は到底できない。全世界のクリスチャンはもちろんのことほかの宗教を信じる人たちも、何の宗教も信じない全ての人たちは今、このような恐喝に惑わされてはいけない。
2020年2月18日 発行 初版
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