世の中には鳥のモチーフが多い気がする。
今年が酉年だから、というわけではなくて以前から。
なんでだろう?
みんな鳥に何を重ねているんだろ?
もしかしたら夢をみているからなのかもしれない。
鳥のような飛躍を夢みる、今いる場所から。
自分の「影」に気づき、飛びたてる日がくると信じて
磯部 三恵
departure of my mind
伊東 彩乃
「命」を教えてくれた鳥
兼松 明里
自由
l i s a
女性は仕事・結婚・出産・親などの問題から、人生の岐路に立たされ、決断をしなければならない、そんな時があります。特に35歳はターニングポイントといわれ、とても重圧の時といえます。
まさしく私もその時もがき、困惑していました。そんな時、知人から1冊の本をプレゼントされました。
『Little Tern』(ブルック ニューマン著/集英社)
一羽のアジサシの物語です。
―Little Tern=アジサシは、アクロバット的技術で飛翔する鳥。彼はその日まで何不自由なく当たり前に過ごしていたが、ある日突然、飛ぶ能力を失い世界が一変。海岸での、未知の生活が始まった。その世界で彼は、星・花・カニ・蝶と今まで意識してなかった生き物達と出逢う。その出逢いは、彼の失われた自信や喪失感のこころに変化を与えていくこととなった―
簡略しましたが、このような物語です。
当時の私はまさしく、この飛ぶ能力を失ったアジサシだったのです。何故ならば、走り続けてきた時間がいつの間にか、色を失ったモノトーンな毎日になっていたからです。
そして、確実に私は岐路に近づきつつありました。
「仕事」
「結婚」
この2文字に追い込まれ、周囲の重圧を浴び、答えを見出せないまま、ただアジサシのようにさまよう……不安だ……寂しい……
でも、ふとしたことで自分の弱さを自覚し、今の自分の立ち位置に目を向けたとき、少しずつ見えてきたのです。今に慣れすぎて、自分の知っているものを当たり前としか捉えていなかったことを。そのくせ、美しい未来を求めたがる。本当は色のない日はないのに。
私はアジサシの思いと自分を重ねました。
ある日の朝、アジサシは、太陽によって輝く海岸に、自分の影がそばにあることに気づきます。その影を今まで意識すらしなかった自分に気づくと同時に、存在しないように見えても確かに存在している! と実感したのです。
そして彼は自然に翼を広げ、風にまかせ、再び空に飛び立っていきました。
この主人公は、力強く困難を乗り越え、自分らしい生き方へ再び飛び立ったのではありません。だからこそ私は共感をし、優しくホッとするような感覚が残りました。
存在価値は消滅するものではなく、ふと置き忘れているだけ。
本質は影、影なのです。
その影に気づくことで、これからの時間に自ら色づけしていける。孤独で悩んだ時間は、生きるために必要な時間なのだと、アジサシに教えられました。
今、自分を見失い答えを見出せない方に、もう一度「今」、自分の足元にそっと目を向けてほしい……立ち止まっていることも勇気、大事なことだと伝えたい、何かの気づきに繋がっていただければ。そう思い、この一冊の本との出会いをお話ししました。
きっと先は見えてきます。このアジサシのように。
自分の影に気づき、きっと飛びたてる日がくると信じています。
「自分の都合だけで世の中を見ていては、正しい見解は出てこない」
2017年酉年、お正月。引いたおみくじに書かれていた、神様からのご指南。
自己中心的な私の性質はお見通しね。
今は机の中から、そっと私に呼びかけている。
にわとりは、武士が備える5つの徳を備えているらしい。だから酉年の人は、客観的で論理的、恋愛には慎重で真面目なのだとか。そんな話を聞いた。
それで昔の恋を思い出した。
酉年の人がいた。十三歳年上のスマートな男性。
シュッとしたスタイルで、パリッとスーツを着こなす。きれいな所作とソフトな話し方には品が漂う。自信が自然で、そしてとてもやさしい人だった。小さな顔いっぱいに、少年みたいに笑う人。
私は彼に人生の先輩として頼り、大人として甘え、男性として焦がれた。
うまくいかないとわかっていて、恋をした。本気にならない自信があった。なのに……私は感情を開示した。
自分にやさしくできないとき、あの人のやさしさは切ないほどにいきわたった。肯定が、渇いた私を潤おわしてくれた。
あの人が私に向ける、眼鏡の奥の瞳は実直で、揺れる陰影は私だけのもので、私ではない私、女性としての私を見ている。そう思った瞬間の優越感は私を魅了していった。見たくない現実は見ずに。
「さあ」
「どうかな」
「そうね」
それがあの人の口ぐせだった。
温度を感じない、つれないその言葉たちは、空気を振るわせない、無機質な響きだった。なのに、どうして、私の鼓動は高鳴っていたのか。
あるとき、ふいに聞いてみた。
「出逢うタイミングが早かったら、ちがう関係になれた?」
斜め下から覗く私の質問に、聞き慣れたトーンであの人は答えた。
「どうかな」
そこは「そうね」でもよかったんじゃない? 酉年の人が恋愛には慎重で真面目って本当ね。
目の前にあるものだけ見ていればいい。つながりはひとつ、気持ちだけを持って、現実や将来なんていう目に見えない煩わしいものを見なくていいことは、とても心地がよく、羽ばたける軽さを備えていた。でも、やっぱり飛ぶまでにはならなかった。
何もなかったことにはしないけれど、何かがあったと思えば、無くなってしまったことを認めなければならない気がして、失ったものには目を向ける必要も、思考をめぐらせる意味もないと思っている。ましてや心を支配されるなんてナンセンス。
でも、一つだけ伝えたい。たまには格好つけさせてね。
「あの経験があったから大人になれたのよ。感謝しているわ」
私はあなたから学んだの。
もう、おみくじの「自分の都合だけで世の中を見る」なんていう、わるい癖は手離したわ。今の私には、手にしたものの意味が見えている。
そしてもう、両手は空けるの。出発するために。
羽ばたける軽い翼は、今、光を浴びている。
私と鳥が深くかかわるようになったのは、大学1年生の夏だった。
畜産学科に入った私が、最初に目の当たりにした「屠殺」が「鶏」だった。
実習は1週間。富士山の麓にある農場にカンヅメの共同生活。
コンビニまでは1時間以上歩かないといけないような山奥だったけれど、修学旅行みたいで楽しかったんだ。その時までは。
屠殺の方法はこう。
頸動脈を切り、さかさまにしたまま血を抜く。その後熱湯に放り込み、毛穴を開き、棒状のゴムがたくさんついている洗濯機のような機械に入れると、羽がとれてつるんとした「チキン」が出てくる。こういう仕組みになっていた。
申し訳ないような、のどがつまって苦しくなっていたのに、おびただしい血が床に流れていく様はどこか他人事だった。
その日の夕食は「鶏のからあげ」。昼間のことを思い出し、食べられるわけがない……
屠殺を目の当たりにしたことのない生徒は特に、完食なんてできっこなかった。
多くの生徒が夕飯を残し、食事が終ろうとしていたその時、普段口数の少ない教授がみんなの前に出てきてこう言った。
「いいか、命をいただくということはこういうことだ。君たちはさっきいただきますと言っただろう。人間は多くの命をいただいて生きている。そしてその命も、さっきまで生きていた。それを忘れるな」
ごちそうさま、を言える者はだれ一人いなかった。
泣きながらから食べる生徒もいた。完食はできなくても、教授の言う意味を理解していた。
これが原因かはわからないが、実習が終わってから自主退学をしてしまった人も数人いた。それでも、あそこにいたすべての学生が、命をいただくという意味を体で知っただろう。
鶏なんてこりごり……なんて思っていた私が、大学3年生になり研究室に所属し、担当したのは鶏だった。
毎日餌をやり掃除をし、時には孵化をさせ育てて屠殺する。
もちろん、機会があるたびに美味しく「いただく」ようになったのは、1年生のときのあの教授の言葉がずっと残っているから。
あの経験は自分になくてはならないことだったし、鶏は私の人生にはなくてはならない存在になった。
私の人生に、鳥が深くかかわっていることは紛れもない事実で、命をかけて「食」のことを教えてくれたのが彼らなんだ。
自由に青空を飛び回れる鳥たちを見て、少しだけ心が痛くなる。
私にとって「鳥」は「自由」のイメージ。そう感じ始めたきっかけは、多分、高校の生物の授業で進化を習ったときだと思う。
鳥は飛ぶために骨を軽くし、筋肉を備え、呼吸や消化のシステムを変えた。体が小さく軽くなることは後退したように見えるけれど、結果、空という新しい領域と生存を手に入れた。
こう書いていて思うのは、生きていくために必要なものとそうではないものを整理して、必要に応じた変化を取り入れた、それは自分を再構築したということで、それが自由っていうことなのかもしれない、ということ。
一見難しそうに思えるその過程は、身近な生活にも普通にあったと最近気づく。
私は音楽をライフワークにしていて、ピアノレッスンに通っている。主にクラシック曲に取り組んでいて、大体の手順はこう(指導者、演奏者によって考え方は違うと思いますので参考程度に)。
まずは音符とおり弾けるように。次に強弱やスタッカートなどの記号を意識して弾けるように。そしてテンポが遅くても速くてもしっかり弾けるように。曲調を表すにはどうしたらいいか試行錯誤して、でも自己陶酔でハチャメチャにならないよう初心に戻りつつ、弾き込んで徐々に暗譜。
この時先生からいわれるのは、「もう自分の中に『こう弾きたい』ってイメージがあるでしょ? 楽譜とおりに弾くのは一回忘れて、そのイメージで自由に弾いてみて」
今までは基本づくり、ここから「自由」の登場。自分の中の音探しが始まる。体にしみついた基本はなかなか取り払えないのでやきもきするけれど、徐々にイメージに耳と指を慣らしていく。そして自分の中の音を出せた(と思った)ときは、とっても気持ちがいい。
こうやって学んだこと、経験してきたことから、自由になるためにまず必要なのは基本だと思うようになった。いきなり「自由に!」は危なっかしいけれど、基本が自分の中にできると、自由にできる力も自信も、自然とついているのかもしれない。
そして次に整理。これが厄介。もう必要ではない部分を手放すのは勇気がいるし、必要な部分をさらに伸ばす作業も訓練のようなもので、簡単ではない。その途中では、「本当にこれでいいの?」と自分を疑うし、自分探しをしているようで、今更? また振り出し? どこかでやるせなさを感じてしまうこともしばしば。
でも、自分のセンスを加えて変わっていけること、再構築していくことは、どこか自由さを感じられて楽しい。心躍っている気がする。
鳥の当て字をするなら「飛里」かも。夜寝る前にふと思った。ホームグラウンドから飛びたつ軽やかな生きもの。
兼松 明里
(かねまつ あかり)
引き出物プランナー、贈り物コーディネーター
学生時代は畜産を学び、卒業後は製薬会社の研究所で技術職として勤務。その後特許ライセンス業務に就き、妊娠出産を経て現在はまた研究技術職に復帰。趣味の、旅や食べ歩き・お取り寄せをキッカケに自身の結婚式でカタログギフトを自作。その後【引き出物プランナー】【贈り物コーディネーター】として開業。ヒト・モノ・コトとの出会いを求め、家族を巻き添えにし、休みの度に車で走り回っている。
Message
世の中すべてのモノやコトは理由さえあれば
“ギフト”になる可能性をもっている
ブログ
http://ameblo.jp/kokoro-no-tsumeawase/
Instagram
@hikidemonoplanner
伊東 彩乃
(いとう あやの)
中小企業診断士事務所スタッフ
静岡に生まれ、静岡の学校を卒業し、静岡でOLなどを経て、現在は中小企業診断士の事務所に勤務。広報を担当。静岡市七間町を中心に、静岡おまちのイベント・お店・商品・人をブログで紹介する日々。
Message
「自分なんて…」と思うからこそ自分自身を開きたい。
変われることを伝えられる人になりたい。
事務所スタッフブログ
http://ouendan.eshizuoka.jp/
磯部 三恵
(いそべ みえ)
「therapy mirakul 」
女性専用カウンセリング、メンタルケアセラピスト
私は昔、インナーチャイルドに捉われていました。抵抗していくことで、現在の自分、ライフスタイルを獲得しています。女性が自分らしく充実して生きていく、そのために私ができるお手伝いがある! その思いから「ミラクル」をはじめました。
Message
自己の過去から『現在』『未来』は変えられる。
意識づけが変化を生み充実したWoman lifeに繋がる。
ホームページ
http://www.therapymirakul.com
l i s a
ピアノ弾き、音楽クリエイター、図書館司書
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わたしはわたし
ひとはひと
みんなそれぞれの人生をちゃんといきている
だからおもしろい✨
を心にとめて
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空
もっと自由に!
2017年お正月、県外に住む親戚が我が家に滞在していましたので、伊豆半島の観光スポットを案内する機会がありました。行った先の一つが、静岡県三島市にある、360度パノラマの絶景と富士山の姿を楽しめる大吊橋『三島スカイウォーク』。渡った先のエリアにある『flower drop』というワゴンで、間伐材から作られたこの木のチャームを見つけました。さまざまなメッセージがある中、手にしたのがこの言葉。
ストレートな言葉はちょっと恥ずかしいというか、むず痒いんですが、やっぱりそのままに響きます。
そう、私はもっと自由になりたいの! なんて(笑)
以前年上の知人から、私は自由への欲求がかなり強いと指摘いただきました。言われて初めて自覚しましたが、確かに、縛りの多い環境にずっとはいられない性格です。フレキシブルさを好みます。
でも、自由って何?
その頃から「自由」について考えていた気がします。自分なりの考えはエッセイ枠で書きましたので、よかったら読み返してみてください。
ちなみにこの木のチャームには花の種がついていて、大吊橋から投げると、下の土地について来年には花を咲かせるんだとか。
来年、どれが自分のまいた種から咲いた花かはわかりませんが、何気ない小さな行動が来年の景色をつくるかもしれないってなんだか気持ちのいいことだ! と早速やってみました(笑)
このマガジンもそんな存在になれることを願って。
スタジオ 木の中庭 l i s a
2017年4月11日 初版 2020年3月 第2版 発行
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"私らしさというのを持ちながら、今ここを生きようと変化し続ける女性はとってもハンサム! そのために必要なのは……? たくさんの考え方にふれて自分を知ること、だと思う。"
Her storiesは「多様な考え方とスタイルを知ることこそ自分らしく生きるコツ」をコンセプトに、ライフスタイルも仕事も考え方も異なる女性たちのお話を配信するエッセイマガジンです。ライターが執筆を通して自身の振り返りと発見をし、自分の言葉で伝えていきます。そして、「より自分らしく生きたい」と願う読者に向けて、ハンサムに生きるためのヒント「たくさんの考え方やスタイルを知る」機会を提供することを目的としています。
毎号「言葉」を決めて、そこから連想されることを各自書いていくのですが、同じ言葉なのに思い出したり考えたり感じたりすることはバラバラ。文調も使われる言葉も人それぞれ。それは、考え方の違い、これまで生きてきた背景の違い、感性やセンスの違い‥‥‥その人らしさが出ているからだと思います。それってとっても面白い! と思いませんか?
読んでくださる皆さんが「自分だったらどうだろう?」と想像をめぐらせる、自分を見つめる機会になったならうれしく思います。
自分らしく生きたい人のヒントになることを願って。