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この本はタチヨミ版です。
手漉き和紙職人の日常を綴る「わし太夫」のブログ記事をまとめました。本書「1」には、ブログ開始の二〇〇六年から二〇〇九年までの記事が収録されています。基本的に日付通り記載していますが、「祈り」のみ集約しました。
わし太夫こと長田和也は、福井県・越前和紙の里にて襖紙を製造する株式会社 長田製紙所の四代目。様々な手漉き襖の技術を継承しつつ、新しい紙の可能性を創り出すべく日々奮闘しています。
「わし太夫」は長田製紙所の屋号である「八太夫」が由来。檀家となっている円成寺の過去帖によれば、十三代前(江戸時代初期)から八太夫の名が残っています。
八月三十一日~九月五日まで、東急本店にて展示されました。
東京から地元に戻ってから二十年、最近はほとんど足のむくことのない町、久しぶりの渋谷は古いもの(といっても当時は新しかったんだけど)と新しいものが混在するシブヤでした。そういう意味では変わっていないのですが、私が年取ったということでしょう、すごく居心地のいい場所とこの風景に自分がなじんでなくて場違いだなと感じる場所がほんの隣り合わせだったりして、それはそれでなかなか面白かったですよ。
展示中の空き時間にちょっと散歩、DISK UNIONで懐かしいCDを見つけ衝動買い、レコードジャケットをそのままサイズダウンした紙製、ディスクの入れ物もレコードと同じ扱い、紙袋に半透明のビニール袋。これに感激できるのは四十歳以上? 今回の一番の自分のお土産でした。この店に集う人は私と変わらない瞳をしていますが一歩外へ出るとそこはやっぱり今のシブヤなんですね。自分の時間がずれただけであってあの頃どきどきしながら歩いた路地は今も昔もやっぱり変わらないって事ですか。残念ながら田舎にこもっていてはなかなかこんな気持ちにはなれないことに気がつきました。
クラフトデザイン協会のスタッフの皆さん、この町の平均年齢をかなり上げて(失礼! 私も含めてでした。)いながら元気さは誰にも負けていませんでしたよ。打ち上げで中華レストランでお腹いっぱい、車でこられた方が多くて皆で東京での楽しみのひとつ大好きな居酒屋にいけなかったのは心残りですが……
作品は写真の照明を入れたもの(W6000×H2000×D400)と
茶室(W3000×D3000×H2000の部屋)に仕立てたものを出品しました。直前までお盆明けのたまりにたまった仕事に追われ、「この忙しいのに東京に逃げる気?」と痛い空気の工場で作品を仕上げると同時に現場直行という感じでした。春先から声をかけていただいていたのに何でこんなに余裕のないことになってしまうのか。毎回反省、しかし学習できない私。
仕事に追いまくられる中、今日は午前中作業をこなし午後から子供のソフトバレーボール大会に。日ごろのバレーボールと違って楽しみながら(本来もそうあってほしいのですが……)、それでも勝ち負けにこだわる、負ければ悔しくてちょっとだけ涙も出たりするけどすぐ立ち直る。それはそのプレイの間がどれだけ楽しかったか、思い返せば納得できることだった証拠。子供が楽しいと大人も楽しい。
幼馴染バレー部同級生三人、帰りの車でお腹すいたの大合唱、帰り道に見える食べものの看板にいちいち大騒ぎ。焼肉! ラーメン! マクド! ケンタッキー! 焼き鳥! とんかつ! 食べ放題!! いやいや世の中にはこんなに食べ物があふれているんだね。あまりにかわいそうなのでちょっと小腹をと買っておいたあんドーナツをあっという間にお腹に……いつもの何倍もおいしかったんじゃない? お家のご飯もたくさん食べるんだよ。
帰ってきたところに待っていてくれた食卓には季節のもの、さんまと舞茸のてんぷら、実はお父さんも腹ペコだった……
お腹も膨れほろ酔いで子供の宿題に付き合う。本読みの後、「おとうさん、星を観察しないといけないの。」
今日はまあまあいい天気、叱られない程度の家の中の電気と外灯を消して泡盛片手に外へ出てみる。おっ星がひとつふたつ……やっぱりうす曇かな、しばらくすると時間とともにだんだん見える星が増えてくる。目が慣れてきたせいなのだがなかなか感動。「あれがカシオペア座」などとわかったような説明、本当はあまり自信はありません。宿題はこんなもんで許してもらう。
久しぶりに見上げた空にはこんなに星があることすら忘れていた。子供に教わった田舎ならではの贅沢。
四角い大きな輪? に波を思わせる楮のラインに厚みの変化によって縞模様をつけた紙を丁寧に貼っています。中に仕込んだ照明によって存在感を増し、無機質なホテルの空間にアクセントをつけています。大きな紙なので当然一枚で出来るはずもなくコーナーで継ぎ貼りするため、楮のラインの位置をうまく合わせなくてはなりません。また自然な流れを途切れさせないように楮の曲げ具合、縞模様の入れ方に注意しました。
これはいわゆるデザイナーとのコラボレーションです。この言葉も最近は聞き飽きましたが実は十年以上前に「和紙と炭とのコラボレーション」と自分でコピーを考え、パンフレットを作りました。その当時は誰もこの意味がわからなかったみたいで、それがちょっと自慢だったりして……
写真のオブジェは地元のホテルのロビーに置いてあります。一応自分でも作品らしきものを手がけているのでどこまでが自分のものなのかと、ちょっと中途半端な気持ちだったのかもしれません。デザイナーの指示通りにとやっていたつもりでしたが、柄を合わせるのに慎重にやれば一回で出来る仕事を二回もやり直しすることに……しっかりしろよ。
五年ぶりに祭りの当番にあたり、和紙の神様を奉る神輿を担ぐ。これがまた普通ではない。重い神輿を担いで急な山道を三十分以上登り、奥の院に奉られる御神体を載せ下宮に奉納して祭りは始まる。もちろん終わるときは奥の院に還さなくてはならない。その間境内やその付近では全力疾走したりで江戸っ子の神輿の熟練者でも五分で音を上げたという大変なもの。前回は四十歳を越え体力の衰えに加え、その二年前のアキレス腱断裂の後遺症で不安だらけ、次はもしかすると無理かもなどと弱気になってはいたが担いでみるとまだまだ私の足腰も捨てたもんじゃないことに気づく。怪我のおかげで力任せの生活をちょっと見直したおかげか、この年になってやっと体の使い方を覚えた気もする。
平日の祭りだったので、当然仕事にはならない。時間のやりくりに苦労する。昔は盆暮れ以外は休みなく働いていたのでこのときばかりは仕事を休んで皆で楽しんでいたそうだ。もっと余裕を持って臨まないといけないのだが……天気に恵まれたこと、何より無事に終えられたことに感謝しながら後始末の後の慰労会、気分良く酔っ払った帰り道、昨日まで一晩中ついていた祭りのちょうちんも消え、星が良く見える秋の夜空が戻ってきた。
祭りと仕事のごちゃ混ぜの一週間の最後はまたまた子供のバレーボールの試合。なんだか知らないうちにとうとうコーチみたいになってしまい、慣れないベンチワークで痛めた声を更に枯らす幸せな秋の祭り。
このところ熊のニュースが毎日届く。学校の緊急メールシステムは今熊注意情報ばかりである。昨年小学校のPTAでこのシステムを導入したときは不審者対策と災害時の連絡業務をその役割としていたのに……
近所に住む知人のの庭にも体長百三十センチ体重九十キロ近いはらぺこ熊が現れ、射殺された。季節も冬に近くいろんな食べ物を探していたが、山の木の実の状態があまり芳しくなく、普段は絶対に近寄らない人の住む場所にまで来てしまった。発見された場所には蜂の巣がありそれをすすっていたらしい。ディズニーランドのプーさんなら皆の人気者なのに……襲われれば危ないから勝手なことも言えないが死んでしまった熊はやはりかわいそう。熊も同居している平和で危険な紙の里の秋。
十年以上前から続けている「PLANT」シリーズ。今回は展示会用に制作した作品。東京に送る前に撮影しました。工場の中に突如として生えてきた得体の知れない植物? 妙になじんで不思議な感じ。ビッグサイトではどんな風に展示されるのかな。IPEC(十一月二十二日~二十六日)という展示会の中のデザイナーズショーケースに出品しています。あの大きな空間では存在感を出すのは難しそうですがもし行くことがあれば探してみて。この展示会では他に特注襖、透かし模様の入った障子紙やロールスクリーンなども制作しています。詳しく案内できないのは残念ですが面白い展示会になりそうなのでなんとかして行こうと思ってはいるのですが……二十三日よりいまだて現代美術紙展が始まります。明日から毎日展示作業に追われるでしょう。うーん行くのは無理かも……
資金不足や人員不足のなか、何とか開催にこぎつけたいまだて現代美術紙展公募展(十一月二十三日~十二月十日)。皆、前日までの準備で寝不足、疲労困憊、でも作家の喜ぶ顔、展示された作品、審査員の激励などで元気を取り戻せたようです。お疲れ様そしてありがとう。自分の作品「A-URA」(オーラ)も何とか入選、よかったよかった。
今度は生花とのコラボ。バックのカーテンの色が今ひとつでよくわかりませんが十五年前に作った初期の作品で長さ十メートルの紙です。楮のラインでつながっていますが自分としては一枚の紙として仕上げたつもりで、実際に接着剤などで貼り付けたりして継いだ部分はどこにもありません。道具も今ほど大きなものも無く工夫と体力で作った大きな紙です。多分二度と作れないんじゃないかと思います。今では大きな紙を作る人も出てきましたがその当時は多分一枚の紙の作品としては最大だったと思っています。だいぶ痛んできてこれが最後の展示になるかもしれません。
4.5×3メートルのタペストリー用の紙です。三箇所でつなげていますが紙を作るより送るための荷造りのほうが大変でした。なにせ折り曲げられない、あまり小さく丸めることも出来ないため、直径八十センチのダンボール製の芯を手作り(大変でしたが結構楽しい工作でした。)、これに巻きつけてなんとか筒状に丸めましたが長さは3.2メートルもあるので結局木箱は
1メートル×1メートル×3.2メートル
のとんでもなく大きい箱になってしまいました。工場から出すのも四人がかりで一苦労、それよりこの荷造りでほぼ一日かかってしまい仕事としての利益はどこへやら……全体の感じも吊り下げて見る時間すらなくそのままトラックに積み込み送られて行きました。送り先は温泉旅館と聞いてますがどんなところに吊り下げられるのかな。
ただでさえ忙しい年の瀬、いい竹が手に入ったのでよせばいいのに正月飾りに凝ってしまい二時間もかかって大ヒンシュク。でも思ったよりいい出来に本人だけ満足。
このあたりでもテレビの影響かクリスマスイルミネーションにとんでもない飾りを作っています。でも日本の田舎の風景にはちょっと合わないような気がするのです。正月飾りもなかなかいいものですよ。
暖冬で全く雪がなく暖かい日が続いています。このまま春になってしまうんでしょうか。十年ぶりに新車を購入、足慣らしにと東尋坊に。こんないわゆる観光地なんて久しぶり、いつもは立ち寄らない土産物屋の中の食堂で昼食。周りのバス旅行の人々と一緒の席で食べたイクラうに丼、空腹も手伝ってかとてもおいしく感じられました。人の舌なんてそんなもんです。
岩場に向かえばそこは冬の日本海! 天気は良くても荒々しい波が打ち寄せ、しぶきが十メートルはあるかと思うくらい跳ね上り多くの歓声が。今日来たお客さんはラッキーでした。
帰り際、まだお腹に余裕があるので「一分五十八秒でつきたてお餅がお持ち帰りできます」の看板に惹かれ、きなこもち。おじさんひとりのあやしい店でしたが味はなかなか。でも「命もお持ち帰り」という不思議な貼り紙に店内をよく見れば、この店は自殺で有名なこの観光地で人助けのため相談所も兼ねていて、ここのおじさん、そのNPOの委員でもあるのでした。ユーモアのあるゆるーい雰囲気、きっと多くの人をなごませているのでしょう。
ついでにそのとなりにある雄島にも足を伸ばし、奥さんと子供を連れて十何年ぶり(婚約時代から)に日本離れした景色を楽しみました。テレビなどで心霊スポットなどと面白半分に伝えられてますが私にはこの風景が北部ヨーロッパの(映画でしか見たことないですが……)海岸を想像してしまいます。大好きな場所のひとつです。
帰り道、後ろの娘と助手席の奥さんはすっかり夢の中、どうやらいい車を選んだようです。
奥さんの両親の金婚祝いにと片山津温泉に。三姉妹、の夫三人はなんと同級生!(学校も出身地も違います。同じ歳というだけですが)、孫軍団は大学と高校入学(私の娘)が決まった子供をはじめ、小五(家の二番目娘)、小二と年齢も幅広い和やかな宴会でした。五十年の結婚生活をこんなに健康で迎えられるなんて……私の両親も再来年。いい目標です。
一夜明けて朝、身支度も終えさて帰りましょうかというときにそれはやってきました。震度四という発表でしたが震度五といってもいいと思うくらいの揺れ、あちこちで子供を呼ぶ声は聞こえたものの、意外に冷静な人が多かったようで混乱もなく無事だったことを喜びました。
本当はよくないことですが津波は大丈夫かを確認し、海辺の喫茶店に寄り道。荒れた海を見ながらお茶を。漫画を読んでくつろぐ子供たちを横目に私は海の沖ばかり見ていました。スマトラ島の映像が目に浮かんできてもし今ここにそれがやってきたらなんて。小心者の親父です。
Ⅰ
これでよくわかるか心配ですがらせん状に紙が漉き上がっています。作業自体は力技で一枚二枚なら神経質な紙ではないので楽ですが数はこなせません。一日五・六枚が限度です。仕事の内容では漉く作業より原料の調整のほうが厄介だと思います。
類似品が早くも海外から出来てきました。やり方は全然違いますがそちらのほうが工業的な漉き方で理屈にかなっています。残念? ながらいわゆる味は出にくいです。なんだか面白いですね。手作りのものを安く供給している国が手作りの真似の紙を機械的な方法によって作っているのですから……
Ⅱ
アメリカのデザイナーが墨流しを拡大した模様を画像で送ってきました。ホテルのガラスに墨流しをつなぎ模様にして作れと言います。無理です。じゃあつながらなくていいから墨を濃く太く流してくれ……無理だとは思いましたが一応やってみました。それなりにはできたのでしぶしぶながら満足しているみたいでしたが「実はこんな方法もあるよ。」と最初のスケッチの画像を見たときに私の頭に思い浮かんだ柄を送ってみました。案の定どんぴしゃ! こちらに変更!ふふふ……職人冥利に尽きます。
Ⅲ
明かり取りのための天井のガラスに貼られるそうです。他にも二点あったのですが写真撮り忘れました。渦の模様は紙の厚さを変えて漉きあげました。
こんな調子でこの半月、自分でもわからなくなるくらいいろんな紙を漉きました。
二メートル×三メートルの作品。無題。地元の展覧会。県内の美術家で二年に一度開かれる展覧会、作品が出来たのは搬入日の朝……搬入も遅刻、皆さん申し訳ありませんでした。
和紙ではもっとも普通の漉き方(近頃変わった紙ばかりだったので……)の楮紙を昔からある方法で強くしました。さてこれから……
この6キロのダンベルを持ち上げてみました。厚さは障子紙くらいのものを7センチほどの幅にした紙で吊り上げています。紙だけ見てるとこんなものでこんなことが出来るなんてとても信じられなーい。紙って面白いね。
この五年ほど隣町の漆器の里の仲間といっしょに「蛍を聞く展示会」を開いています。蛍の群棲が見られる川の近くの場所を借り、蛍を目玉に地元のおいしい料理をもてなし、ついでに自分たちの仕事も見てもらうというなんとも遠回りの企画です。でも都会からいらっしゃる方にはリピーターも増え、売り上げはたいしたことはないのですが楽しんでいただけているようです(実は自分はスポーツ少年団のコーチなどでほとんど出席できていないのですが……)。数年前の豪雨でかなり少なくなった蛍も今年になってようやく復活の兆しが……盛り上がったパーティーも終わりのころやっと会場に汗だくのまま到着、打ち上げの飲み会になだれ込んで何とか参加できたような気がしました。
タチヨミ版はここまでとなります。
2020年4月3日 発行 初版
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福井県越前市在住。明治大学経営学部卒。
越前和紙の製造元、長田製紙所の四代目社長。伝統工芸士。