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エデュケイショナル スノウ ~ある十二の報告集から~

宮本誠一

夢ブックス



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エデュケイショナル スノウ 
~ある十二の報告集から~

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     プロローグ
 総司令官閣下殿、私たち一行が、この辺境の地へひそかに参りましてから既に数年が過ぎ、観察調査しましたことについてのご報告をいたづらに引き延ばしながら日一日と恐縮していたおり、このたび届きました閣下からの御催促の御言葉に私自身、覚醒の感がありまして、これまでの己の俊巡を今さらながら遺憾と思い直す次第、ようやくここにペンを執ることになった旨をまずもって、お伝えせねばなりません。と言いますのは、閣下が最もお知りになりたかったこの地域に於ける、今現在とられている教育の現状を考えましたとき、私たち外部の者から見た場合、どうしても推察しようにも出来ない、ある線上を越えた地点があり、それらがあたかも、この地域独特の干満の激しい潮の満ち引きとともに姿を現す幻の防波堤の如く我々の思考を悩ましつづけ、冷静な判断を極力しづらくしていたということがあったからです。我々は、我々に課せられたその職務と責任をけっして忘れたわけではなく、これら具現する視差をできるだけ最少限に押さえ、過剰なものを取り除き、客観的な根拠に近づけようと日夜努力を重ねて参ったのですが、なかなか各々の考えをまとめることができず、遅ればせながら、今ここにこうしてお詫びを兼ねた微力な報告書の紙片をお渡しするに及んだ次第なのです。結果はどうであれ、既に開始された以上、この遅鈍なる文面が双方にとって、幸なる糧の第一報となればと願っております。
 さて、最も重要なことからお話いたしますに、開口こんなところから始めるのは不躾でありましょうか。閣下には、我が国で行われている初等教育の、ある一つの小学校の教室での授業風景の一場面を想い浮かべていただきたく思います。それには、これといった別段の教科の選定はしなくともよろしいかと思います。ただ、全体に共通する大まかなところだけは、しっかりと想像していただきたいのです。私が考えますに、その辺りにこそ我が国全体とこの辺境との最大なる相違が潜んでいると思われるからです

   第一の報告
 総司令官閣下、先頃、この地域の教育を司る機関の独自の調査によって、小学、中学就学者数の発表に合わせ、地方公共団体の設置した公立並び監督庁の認可する学校法人等の管轄内にある教育施設以外に通う子どもの総数が発表されました。そこには、学校をなんらかの理由で不登校になり、もしくは免除された者を含め、中途退学者などもいるほか、この地域の最大の目玉であるJUKU産業の隆盛による併学パターンが顕著に見られたそうです。たとえば第六学年を例にとれば、全体数に対し、何らかの形で他の施設へ通っている生徒数はほぼ、その三分の二に達し、時間数にすると一人当たり年間のべ、約半分の割合をしめるほどになっていたといいます。 これは、最近、この地域でようやく現実となった週休二日制にもっともその原因の多くがあることは確かで、その年は、『新たなるJUKU年間』とか『公キョウイクの終末』とかが叫ばれ、教師の志望者は、相かわらず根強かったものの、後退してきた景気の波も計算には入れるべきであったでしょうが、公務員や大手企業への希望者が多い中、学生たちの就職の目玉として上位に初めて、ある民間教育施設の一つが上がったのもスクープとして各マスコミに取り上げられたほどです。
 総司令官閣下、参考までに、ここでこのJUKUのご紹介をいたしたいと思います。名前は、CAN進学センターです。センターは、本部をこの辺境の海岸沿いの都市に持ち、数多くあるJUKUの中でも近年急成長を遂げてきた会社で、ほぼ中堅の位置にあります。100%子どもたちの能力と学力のバック・アップを約束するという振れ文句で健常な小学、中学の児童だけを対象として出発した進学JUKUです。その基本理念は、社名も示すとおり「教育」という名称を取り払い、受験に向けての学習指導のみを徹底して行うことにあり、ある学者がかつて言った『どの教科でも知的な性格をそのままにたもって、どのような発達段階にある子どもにも効果的に教えることができる』ことを、受験に巧みに置き換えカリキュラム化し実践しようとする、いはば家庭教師とJUKUとを合せ持ったような受験集団なのです。
 代表の片桐という男は、三十八を今年迎えたばかりの年齢で、彼自身中学から高校に至るまで或るJUKUに籍を置き、それが後の自分の人生に大いに役立ったということをしばしば表立ち口に上らせているそうですが、しかしそれは、彼がJUKU経営をやっている手前、宣伝効果を考え勝手に公言しているのでは、と言うのがもっぱらの評判です。彼の素性の本当のところは定かではなく、どのような経歴を持ち今に至ったのか、彼の出身が本部の置かれている場所の近くであるということのほか余り人に知られてはおりません。常務でもあり事務局長であるもう一人の男、瀬上の存在は、今や代表にとってなくてはならないものであり、良きアドバイザーであると同時に優秀な社員の位置をしめ、多くの保護者や生徒たちから信頼を受けているということです。もともと彼は、センターが契約していたビジネス・コンサルタントの社員でしたが、ひょんなことから代表に見込まれ五年ほど前にセンターの会員数約半分を領するBブロックの常務の肩書きをもらい、運営に関するほぼ全責任を任せられるようになったのです。彼はその後、期待を裏切ることなく仕事に励み、むしろ最近では代表片桐以上に積極的にセンター運営に取り組み、発展につくしております。今度、手を伸ばすことになったこの東部R地域進出も彼の業績に負うところが大きく、前途に於いても重要な鍵を握っていることは言うまでもありません。
 JUKUの宣伝の方法はこうです。ビル管理会社や不動産との話も終え、メインの会場であり、今後子どもたちが学習することになる貸しビルの手配も終えた状態からすべては出発します。地元ではかなりのシェアを誇る有名百貨店の階上にある、陽光の燦々と降り注ぐスタジオ風ホールのできるだけ派手な場所を借り切って、第一回目の説明会は行われます。オーストラリアの大平原など、世界各地の解放的な風景をバックに、年度ごとに決められるテーマである、たとえばここでは「虹」と「滝」だとすれば、それをあしらった豪華なポスターを作成し、およそ子どもたちの学習とは遠くかけ離れた旅行代理店のPRの会合のようにもそれは映るとのことです。
 説明者が、常務瀬上から代表の片桐へと変わっていくときが、最もこの会のクライマックスといっても言いようです。このときばかりは保護者たちを後方から取り囲むように立っている職員たちも、一斉に壇上のステージに注目する一瞬なのです。ここからは、実際に一年前、行われたR地区での説明会を例にとりお話してまいりたいと思います。と申しますのは、このR地区のセンターの行方こそがこの報告文でも今後、重要な位置をもってくると思われるからです。
 そのとき、予定より少々早く瀬上の話は打ち切られ、それでも、シルクや麻のスーツを真新しく着込んだ入社したての進入社員は身じろぎもしなかったと言います。袖や襟もとに光を受け、同じ色彩がかった濃緑色の壁に溶け、あたかも都会に生息するカメレヨンよろしく、保護色として和ませているのがそのときの彼らの特長といってもいいでしょう。中には、いかにも清潔感の漂ってきそうな地味ながらも若さをうまく引きだす薄手の服を、自分の躰の細かな線と重ね無難に纏っている者もいるにはいますが、それはきわめてごく少数とのことです。また、そこには、説明会をできるだけ大がかりに見せるため他の局から応援に駆けつけた社員が含まれていることは言うまでもありません。壇上にいる代表片桐の話しぶりこそが、おそらく全てを決していく、そのことを皆了解しているのです。社員たちは、徐々にやってくる緊張を、腰の辺りを探るように組み直す腕の様子などで露にしていきますが、動向を待ち受ける大半の保護者は、それとはまったく反対です。多くをしめる母親たちは椅子に腰を落ち着け全身に漲っていたこわばりをようやく解き始め、突然に緩み出した筋肉の始末をどうつけようか、思案しています。それでも筆記用具を勤勉に走らせつづける者もかなりいることは、親たちにとって、いかにこのJUKUに賭ける熱情が凄まじいものであるかを物語っています。そんな状態から常務から代表へのスピーチ交替は、いくつもの説明会をこなしてきた職員たちの眼にはまさしく時を得ているように思われてくるのです。
「お母さん方は、子どもさんたちにまず何を望まれるでしょう」
 壇上に上がるや否や、タイピン式のマイクから常務とは若干違った高く透った声で話し始めます。それは、母親たちにとって、今最も神経を研がしている質問と言えば言えないこともありません。心持ち前かがみになっていた母親もこの時ばかりは否応なくステージに視線を向けさせられます。
 代表の話はつづきます。
「ただ良い中学や高校、大学に合格してもらうだけで満足なのでしょうか。おそらくそうではないはずです。今やそれだけでは不十分なことはわかりきっています。子どもさんたちの幸せにとって、強いては親御さんの願いにとって、それではとても納得のいかないのは当然です。そのことは、この社会そのものが答えをだしてくれています。かつて半世紀以上前には紡績業で栄え、その後衰退し海岸を埋め立て安価な原料と資源を海外から手にいれることにより化学工業を興し、奇跡的に復活を遂げてきたこのR地区も、ここ四、五年都市部の不景気の影で泣かず飛ばずな状態がつづき、生産は落ち込み、それに拍車をかける勢いで慢性的な底なしの不況に陥りました。その後は坂道を転ぶように輸出削減にコスト高、人員整理と約束された将来の姿は消え、前途多難であることは私どもが申すまでもなく保護者の方が最もよく御承知のことと思います」
 総司令官閣下、この時こそ、ステージ下の常務をはじめ、多くの社員たちが、決まってハッとした思いに駆られるときはありません。代表の発言の中には、そのとき予め会議で確認していた内容とは違い、会場に来ている保護者のうち、地元の化学産業に従事している者が少なくないという、前もって得ていたセンターの知識を彼なりに独自に計算した筋書きが話されていることが明らかだからです。まず、センターへの費用を払うのは親であること、その親を説得し、脅かすのだという今となっては忘れられてしまったJUKU産業の鉄則を、片桐の歯に衣着せぬ言葉は、まじまじと思い出させてくれるのです。閣下、なんということでしょう。ここでは、『脅迫』という心理戦が教育をとおして白昼どうどうと行われているのです。
 かつて、センターを他の私jukuと同じようにビルからビルへ部屋を借り運営していたとき、彼、すなわち片桐はある鉄則のようなものをつかんでいったと聞いています。それは、当然のことですが、地域性と産業とは大きく結びつくということです。特に、JUKU産業の場合、不況地域であればあるほどその運営は旨くいくのは皮肉なことです。親の子どもへの期待は、自らが労苦を嘗めれば嘗めるほど、その都度大きく膨らんでいくかのようです。当然、それに見合うだけの代償もありますが……。同業相犇めく過当競争がそれです。そんな場所には、昔ながらの個人経営の根を張ったjukuが少なくないのです。代表は若い時分、それらを容赦なく包囲し根絶やしていったと聞きます。
 説明会後の第一陣乗り込みでは、今と同様徹底した個人指導を行ったと調査には明記されているのです。けっして現在のように華やかでないビルの一室で、生徒が一名であろうが二名であろうがその時講師は、つきっきりで指導していきます。もちろん、そのころセンターの職員は今ほど多くはなく、学生や一般者を講師としてそれに見合う賃金で雇い、五対一の比率で保たれていたと聞きます。子どもを指導していく場合、少しでも上のクラスへの進学が可能な子に対しては時間を惜しまず、深夜まで授業はつづけられるのがこの業界の常識です。確実に本人の成績を上げること、あるいは本人の希望する中学、高校へ合格させることが先鋒耕し組には義務づけられているのです。
 実績が増していくに従い、各々の口コミや評判によって、生徒数も十人、二十人へと変化し、ある程度各学年の人数が満たされ、その地区での経営に見込みがついてくると、今までの個人指導からその内容は一変します。徹底したスパルタとできるだけ組織だって見せるためのテスト攻め、データー攻めです。テストは、毎週各教科ごとに行われ、その頃契約していたコンピューターの別会社によって各地区ごとに集計され、割り出された得点や偏差値が棒グラフとなって送られてきます。子どもたちは、毎週それを受け取ることで、学力が前の週に比べどのくらいついたのか、一目でわかるようになっていて、同時に配られる全国版成績順位表に早く自分の名前を載せることが、センターの中でも特に「出来る」子どもたちの願いであると言いいのです。
   
      第二の報告
 総司令官閣下、たとえばこの地で、ある生徒が虹を見たとします。虹は、いつも存在しませんが出現するときがあります。それは、決まって雨の降っているときか、雨上がりのときで、子どもの示す反応もどうしてそんなときに現れるのか不思議に思う子がいたり、虹の美しさに見とれたり、まったく無関心であったりまちまちでしょう。しかしこれを統一し、持続させ、学習への動機づけへ発展させようとしているのがCAN教育センターの狙いであると言ったらご理解いただけますでしょうか。知識の注入よりむしろその奥にある感覚反応を錬磨し、子どもたちの意欲を呼び起こすに最適な効果を発揮できるようしていくことが、現在、センターでは試みられているのです。
 それでは、学習内容に興味や関心を持たせるために最も必要な心理的作用とは何か。それは、稀にそんな子どもたちの中に、なぜ虹がこんなにも美しいのかを疑問に思う子がいることです。その子は、それを知るために、色の組み合わせに興味を持ち、七色に自分の肉眼で識別できることに気づくでしょう。虹を組成している雨滴がプリズムの役目を果たし、光を分光することもわかってきます。そうすれば、太陽からふりそそぐ自然光は混合色であることにも理解がつながり、紫外線や赤外線の認識へも役立ちます。しかし、それだけわかっていても最後にどうしても解けない疑問にぶつかります。それは、なぜ自分がそんな虹を美しいと感じるかです。その子は、この重い問題に三日三晩悩みつづけます。とても小学生や中学生には耐えられないことかもしれません。ところが、ここにある一つの貴重なデーターがあるのです。このCAN進学センターの側からある操作、極めて限定的な設定をしてやると、その子はどんな形であるにせよその疑問に対するその子なりの答を用意して来るというものです。その設定とは、一人一人の子どもに応じて様々であり、多種多様です。ある場合には、単に答の期日を決めてやるときもありますし、また別の場合、考えさせる時間や曜日を指定してやることもあります。すると、驚くことにその子は見違えるほどに思考を深め、見事な答を導き出してくるのです。
 閣下、例を紹介いたします。中学校一年生の女の子の場合です。その子には、夜寝る前の三十分間を 考える時間として、センター独特の『シレン』という形式で与えさせたそうです。もちろん、家庭には本部のセンター側で決められた時間を必ずチェックするよう忠告してあり、万全の体制が整えられています。そして、この作文は、会員を募集するための第一回目の説明会で、これまでとはまったくちがったパターンのもと、保護者へ配られる資料として使われたと言います。なぜ、夜寝る前という設定をしたのかは、後々念入りに説明させていただきたいと思います。
 
『シレン』・その1
『わたしは、虹は、星に似ていると思う。星は夜、お日様がしずんでから空が晴れているときでてくるけど、虹は、雨がふっているときや止んですぐ、お日様がときどき顔をのぞかせるときにしかでてこない。だから、見るのもたいへんだ。前わたしは、虹や星をいろんなところで見ていた。とくに多かったのは、天井の木目模様が虹に見えたりしたことだ。夜、自分の部屋で布団に横になっていると、そこだけ気味の悪いほどモコモコ浮かび上がってきて、まぶたを閉じると、ちょうどそのうらっかわで色がパーッと飛び散ってしまったようになって、頭だけがほかのところから切り離されて宙に浮かんでいるような、熱がなかなか引かずうなされて、それでも眠くって目を閉じていると少しずつ階段を一人で遠くへのぼって行っているみたいな、うれしいのになぜか悲しい気持ちで自分の家から離れていっている、まるで、わたしをつつみこむものが、星か虹かのどちらかで、きれいなんだけどふわふわしていてなじめそうでなじめないへんな気分だった。でも、そんなときにかぎってあとで考えるとぐっすり眠れていたのも本当で、とても不思議だ。
 虹で、もう一つおぼえているのは、おじいちゃんの死んだときの火葬場だ。おじいちゃんは、わたしが小学校三年生のとき死んだのだけれど、いつもはあまり口もきかず、おこづかいをくれるときだけわたしは笑って、ありがとうと答えていた。きっとあのときも、そんなわたしのバチが当たったのにちがいない。おじいちゃんは、死ぬそのすぐ前にお母さんと病院へお見舞いに行ったときは、とてもつらそうに、一人で立ち上がることもできないくらいくたびれて、体中しわだらけでやせてかわいそうなぐらいみじめだった。火葬場では、そんなおじいちゃんが灰になってしまうまえに、一度だけ燃えているところを見たい人にだけ見せてくれる。わたしは、なんだか死んだ人とはいっても真っ赤な炎の中についこのあいだまで生きてお話をしていた人が横たわっているのを見るのが、とても怖い気がして、残酷に思え、それでも、これでおじいちゃんと会うのは最後なのだからお別れをしておきなさい、というお母さんの言うことを聞かないでそばを離れていくわけにもいかず、しかたなく親戚の人たちの一番後ろにくっついていくつもりで、恐る恐る裏側へまわってみた。長いかぎのようなもので男の人が下に敷いてある鉄の板を引き出すとゴーッという、ものすごい炎の音といっしょに、おじいちゃんが入れられたお棺がその上にのっかってあらわれた。なんだか、チカチカするような青白い火のかたまりにおおわれていてよく見えなかったけど、おじいちゃんの目を閉じた苦しそうな顔がその中から突然ぬーっと浮かび上がってくるような気がして、わたしは、あわててまぶたを閉じてしまった。そして、みんなといっしょに、そのときはじめて手を合わせいっしょうけんめいお祈りしていたように思う。わたしは、今からふりかえると、そのときの炎が虹のように七色の光を放っていたような気がしてしかたがない。虹が、パッパッと大きく息をするように、辺り一面に広がっていくような、青い風のない空の下で昼間っからみんなで花火を囲み、線がいっぱい刻まれたセルロイドをとおして見てる、そんな不思議な感覚だ。星にもにている。もしかすると、あれが美しいということなのだろうか。人は死んだら星になるというけれども、ひょっとするとその前に、だれも知らないところで虹になるのかもしれない。でも、虹になったすがたをまわりにいるほとんどの人は、気づかない。わたしだってそうだ。今度、ここにやってきて、こうやって決められた時間に考えるようお母さんに勧められて、わたしは初めて気がつき出したのだ。わたしにそんな経験があったなんて自分でも驚いているぐらいだし、これまでもそんなことはぜんぜん知らなかったのだから。そろそろ、約束の三十分間も終わろうとしている。お母さんが様子を見にやって来る時刻だ。虹はまた、今度はわたしの夢の中に出てきてくれるかもしれない』
 さて、総司令官閣下、繰り返しますが今のは一つの例にすぎません。ここでもう一つ『シレン』を紹介しておきたいのです。今度は、小学校六年生の『ユウメイシリツ』といわれる、ある中学受験を前に控えた児童の書いたものです。既にお手もとにはそれと同じものがとどいているかと思いますが、この子は小学四年生のときからわれわれの調査の対象となっており、その後、このセンター独自の二時間ごとにステップを組んだ発展的学習方法によって、着実に学力を上げてきた生徒の中の一人です。それは、彼が特別優秀だったことを示すのではなく、ただ着実に毎日センターが与える課題を消化し積み上げてきたにすぎないのだそうです。それでは、消化する力をやはり人以上に持ち合わせていたのではないかという疑問を閣下は持たれるかもしれませんが、それも確かに当然のことと思われます。しかしそれには、このセンターの教育においては、プログラムがけっして数種類の型に嵌め込み押しつけるといった従来の学校教育で行われていたものではなく、それぞれの子どもに合わせた学習パターンによって分肢化と時間差の違いを考慮し、個人差に応じた細かなカリキュラムに基づく徹底した個別指導を行っていることからも見当違いであることがのちのち閣下は、御判断されるのではないかと思われます。
 その子には、先程の女の子の場合と違い、朝、学校へ通う前の三十分を考える時間として充てさせたとのことです。また、そのことについては女の子同様、のちほど説明することにいたします。
 
『シレン』・その2
『ぼくは、にじを先生や友達といっしょに山登りしたとき一つではなく、二つもつづいているのを見た。滝が近くにあってざあざあ音がいっているそのすぐそばの岩がごつごつしている場所でお弁当を食べ、みんな食べ終わるころには少し天気も悪くなっていたので、早めにそこを下りることになった。みんながバスの駐車しているところまでつくころには雨は小雨だったけど少し頭に落ちてきた。でも、バスが動き出し、海岸を目にして走り出したとたん、いよいよ真っ黒になっていた雲のあいだからわっと大つぶの雨がふってきて、たちまち窓は水びたしになってしまった。雲の流れがはげしくてものすごいスピードで動いていた。雨はとても強かったけど、またしばらくするとやんでしまった。少し雲のうすいところから太陽が見えた。そのとき、今度はぼくの右手の方に二つのにじがつながって、ちょうど海と山とをむすぶように橋のようにかかっていたのだ。ぼくは、びっくりした。みんなもよろこんでいた。先生は、マイクを使って、どうしてにじができるのかをすぐに教えてくれた。だけど、そのときはちんぷんかんぷんでよくわからなかった。それでぼくは、にじがどうしてあんなにきれいなのか知りたくて、あとで先生に聞きに行った。先生は、紙に書いてわかりやすく説明してくれた。だいじなことは、きれいなすんだ空気がないとあんな透きとおったにじも見れないということだった。とても勉強になった。それからぼくは、にじが早く見たいといつからか思うようになって、天気が少しでも悪かったり、雨がやんで少し晴れ間がのぞいていたりするとできるだけ空を観察するようになった。自分でもホースを使ったりなどして実験をやってみたが、なかなかあのとき見たようなにじを思いどおりにつくることはできない。とても残念だ。ぼくは、いつの日か、世界で一番きれいなにじを自分のこの目で見てみたいと思っている』
    
     第三の報告
 さて、総司令官閣下殿、またこの地の学校の現場に報告の中心をもどしたいと思います。まず、この辺境における諸々の教科、授業には様々な見方、受取り方ができるかと思われます。それは、小学部から中学部までの間に最も顕著にその特徴が見られると思うのです。そこで、授業内容に入る少し前の段階からわずかではありますが、こちらがまとめた点をここに御報告しておきたいと思います。
 この地域においては子どもたちは初めに、縦横に整列させられ与えられた自分たちの席に座り、黒板の前に一人の教師が立ち授業を行う形式が取られます。子どもたちの人数の標準は大体三十名から四十名程度です。当然、彼らは常に一望の下に監視せられその一挙手一投足が教師の眼によって晒されます。教師は、『キョウダン』と言って子どもたちのいる場所から一段高くなったところに立ちそれを実行するのです。最近では、この『キョウダン』がどういうわけか取除かれ出しているのですが、一人の視察員の報告によりますと教師たちの何人かが集まり、この『キョウダン』に対し反対の意志を表明し、教師と子どもとを同じ位置関係に立たせようとする運動を起こしたそうで、それでもまだ周囲から絶対の賛同を受けたわけではなく、それに最近ではかえってそうすると子どもたちの授業態度がますます悪くなり躾の面にも悪影響を及ぼすとか、ただ単に教師や黒板が見えにくくなって授業に差し支えるといった意見を述べる親や教員、それに一部の生徒たちまであらわれたため、現場はわずかこれだけのことに混乱の極みに達しているとのことです。
 総司令官閣下殿、しかし、私どもがここで最もお耳にとどけておきたいことは、そういった現象面のことではなく、そこに常に大きく欠落している、そのために最終的にはこの地域の様々な出来事がいつも同じ結論なり方法しか導かざるを得なくなってしまう事象のことです。私が先に見えない防波堤と称したものも、実はこの一つといえるのかも知れません。
 総司令官閣下、この地では、様々な問題が学校内で起こったとき、必ずと言っていいほど無視されるか軽視され、または排除される者が出てきます。それは問題そのものにも因りますが概ねどのケースにもあてはまりそうです。ある時は担任を受け持つ教師であったり、またある時は、それ以外の教師だったり、そしてこれがほとんど多くの場合を占めるのですが、学校教育においてはおそらくその主たる存在であるべき子どもたち自身がその対象となることも決して少なくないのです。閣下はこのことをどうお考えになられるでしょうか。そんなことはわかりきっている、我が国のどこの場所でも多かれ少なかれ同じことだ、とお考えでしょうか。しかし私どもが推察しますにこの辺境の地においては暗黙のうちに問題そのものを、その当事者である人間もしくは大切な実証を核心の外へ置いたなかで第三者が決定を下し、その上で肝心の話合いを行っていくという形態がつくり上げられてしまっているか、もしくはそれに馴れ切っているように思われるのです。もちろん、そのことに意義申し立てする自由もありますし、現にそういう者もいます。しかし如何んせん、その者さえも別の立場でいるときは自らも同じ排除といった行為を繰返していることで引け目を持つためか、それが網の目のように互いの位置関係の上に降り重り、無反省に流れていってしまっていることが少なくないのです。先程の例を取りますと問題は『キョウダン』その本体に問題の本質があるのではなく、子どもたちの眼から見た時の教師の側にある眼に見えない『キョウダン』そのものにあるはずなのですが、そのことに気づいていながら実は、教師たちもそのことを後回しさせる形で順繰りに、それぞれの意見を出し合う場としてその時々を凌いでいる感がしばし見受けられるのです。
 子どもたちは教師を『センセイ』と呼びます。それには、〝先に生まれた人〟という意味が含まれ、この地域がかつて我が国に属する前、最も強く影響を受けた隣国の思想が大きく働いていることがうかがえます。普遍性より経験訓を、日常より建て前を、個人より集団をという考えが今も所々に、しかし確実に息衝いており、むしろそれは、過去の歴史の残滓というよりも、やはりこの地域の特質そのものなのです。我々調査団もこの事で大きく頭を悩ませてきました。その地域の文化をあまりに外からの影響のみで捉えてしまったり、また歴史性のみで整理しようとしていたため見逃してしまっていた断層のような陥没があることに気づいたのです。根本的なところから申します。閣下、この地には教育というものが、もしかするとこれは全てに相当するのかも知れませんが、もともと自らの内から生まれ出し切り開かれていったものではなく、授けられ与えられ、こちらがそれを受ける側にあるという関係のうちに成り立たせることで話の折合いをつけ手を結んでしまったため、各々の胸の底ではわざわざ行きついた個々人の自由な支流から遡り、今度は逆に集団の本流に辿り着いてしまうことがわかっていても、決まってある八方塞がりの地点へ返りついてしまっていることがままあると言うことなのです。我々は何かそこに、この辺境の地の自らの拵えた陥穽のようなものを感じないではありません。かつて外国政策によってヘロインづけになったある一国のように、この地域にもし閣下のおっしゃるような我々の中央と同様の、もしくはそれをもとにした教育制度をこの上さらに、強行にもたらしたならば、当然この地域の教師や子ども、それに大人たちは、それを別なものにつくりかえ、本流を遡り逆流していくような、それでいて既に人工的に塞止められ滞ってしまっている冷たい溝のような流れに自らを没しかねない、そんな危険な思いがあり、知らず知らずこちらも危惧を抱いてしまうわけなのです。総司令官閣下、お分かりいただけるでしょうか。何事も今は慎重に事を進めて行かなくてはなりません。閣下にはこれからも万全を期した報告書をお渡しする所存です。何とぞ、本件に関しての詳細は今しばらくお待ち下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
   
       第四の報告
 閣下、ここである小学校の、しかも臨時採用の男のことについてお話します。その男の名前を木村としておきます。なぜ、このような話をするかと申しますと、全体的な御報告もさることながら、時として一つの例を微細に見ていくことで、むしろ閣下がご判断される上で多くの示唆をもたらすケースもあると思われるからです。
 木村が最初に赴任した小学校は、全校生徒五百六十、クラス数十八、各学年三クラスづつのこの地では中規模に属し、門から入ったすぐ右手には、今は使わなくなった古ぼけたモルタル塗りの用務員室がひっそりと立つ、そんな古風な面影を残すものでした。木村が受け持つことになったクラスは、四年生でした。やや年配の女性教師が担任していたのですが、今度、以前から医者に診断されていた内臓の筋腫を本格的に治療することになり、その摘出手術を行うために必要な入院と自宅での療養期間が委員会との手続きのもと承諾されたのです。期間は約二カ月という短いものでした。つまり、木村は二か月間、その四年生のクラスを担任することになったわけです。それは、三学期が始まってすぐの時期に当たっていて、手術するのを引き延しわざわざその時を選んだのは、ベテランなりに色々考えてのことか、それともこれ以上延ばすに延ばせぬやむをえぬ事情があったのか、内実は詳しくは誰にもわかっておりません。
 木村には子どもがおり、そんな臨採の彼を、周囲の教師たちは物珍しがりました。二か月という短期間の臨時教員に二十六才の子もちの男がのこのこやって来るのですから、どこか風変わりに映っても仕方ないことだったでしょう。とくに、その年採用されたばかりの新採の何人かは木村を不思議な眼で見ていたとのことです。と言いますのも、その時、季節は既に新年を迎え、益々風も冷たさを増しいよいよ冬一色になろうとしていたわけですが、来年度の採用に向け、気の早い者たちは、その準備に取りかかる時期にさしかかっていたからです。一人の若い男の教師が、木村のことを今年は試験は大丈夫なのか心配してくれました。それは木村が子持ちであり、妻帯者であったことが原因していたのかも知れません。木村は、そんなときはきまって二つ返事で、今のところ試験を受ける気は全くない旨を告げていたそうです。その教師は面食らったように驚き木村に何か魂胆か深い主義でもあるのだろうという訝かる眼つきで見つめていたそうですが、私どもが木村の性格から分析しますに、彼には大してはっきりとした思いはなかったととる方が妥当かもしれません。ただ、敢えて言えば、紙切れやわずかばかりの実技で教師に選び取られたり、落とされたりすることに彼自身納得ができないこともあったでしょうし、そんなことを繰り返すことにそろそろ嫌気が差していた、というのも充分考えられます。と言いますのも木村はよく、その不満を妻に漏らしていたそうなのです。おそらく、その時本気で教員になりたかったのか、と彼自身聞かれれば、それさえも疑わしかったのではないでしょうか。ただ木村はそんなことより、クラスの子どもたちとの新しい生活の方に期待を抱いていたらしいことはこちらにもはっきりと確認されています。彼には他の教員とは違い残された時間はわずか二か月しかなかったのですから。
 閣下、ところで、木村が教員になって初めてやったまともな仕事は、児童たちと一緒に鶴を折ることでした。鶴といっても千羽鶴で、手術をした女性教師へのささやかなお見舞いのつもりでした。それと一緒に手づくりの色紙をつくり、手紙や作文も書きました。鶴は学校の空いた時間や特活だけでは足りず、家でも子どもたちや保護者につくって来てもらったそうです。黒板に「1000」という数字を書き込み、毎日少しづつ減らしていくことに児童は夢中になりました。木村も子どもたちと一緒にうまく折れない子に教えてやったり、教え合ったりしました。幸い、折り紙クラブの子が何人かいて中心となってやってくれたそうです。
 そんな中で木村は、まず学級づくりの取組として班替えをやりました。初めに、班替えの件を呼びかけ、全員の賛成を得たのち、二学期の学級委員を立たせ、これまでどういう方法で決めていたのかを発言してもらいました。そしてしばらく子どもたち自身で話し合った後、くじ引きということに決定したのです。その際、二学期の場合、一度くじを引いた後、担任が指示しいろいろ何人か特定の者を入れ替えていたことを木村は他の教師から聞き、今ある班と席順が女性教師の意図あってのことであることを知ったそうです。そこで彼は、子どもたちに再び問い直しましたが、やはり替えたいという意志の者が全員であったため思いきって実行に移しました。このとき、もちろん、木村は子どもたちに意見を聞きながら、隠れていた少数者や、見せかけだけの賛成者を見抜こうとはせず、葬っていたことを否定はできません。子どもたちの間には、大人たちと同様、何らかの力関係が在ることは眼に見えていましたし、発言権の強い者、弱い者、自分の存在を何とか認めてもらおうとする者、あるいは既にそれを断念している者と、少ない時間であってもその様子から判断することは困難ではありませんでした。しかし、木村はやってみたかったそうなのです。女性教師がつくり上げたものが今在る形であるならば、それらを壊し、子どもたちの望むとおりにやってみて子ども自らがそこから露になった自分らの姿を見つめ始める、そんな一瞬があるかもしれないということを。彼は、そんなことを、後ほど発表する学内でのレポートにもハッキリと書いています。
 鶴は様々な色で折られ黒板の上に掛けられていきました。一羽一羽がどこか違い、表情が異なって見えたことは言うまでもありません。この地域では、折り紙は折る人柄がよくあらわれると言われます。レポートによると木村は、子どもたちが持って来る鶴とその子の表情を見くらベ、どんなときにどんな気持ちで折ったのか想像し楽しんだり、複雑な気持ちになったと言います。千羽の鶴には千の顔があることになります。子どもら一人一人に、家一建一建に二十も三十も顔があるということは、何か末広がりに深まっていく不安のようなものを木村自身、抱いたようです。鶴は、班替えもすみ、クラスの役員も決め終えた頃、完成しました。木村は、新しい学級委員二人を連れ女性教師の家へ、寄せ書きや手紙と一緒に持っていったのです。  
  
     第五の報告
 総司令官閣下、再び報告をCAN進学センターへともどします。急がずにじっくり『ガッコウ』と『センター』を交互に見ていただくことが閣下にとりましても私どもにとってもより明確に、この地の教育の現状を読み解く方法であると考えるからです。今回は、センターの朝の様子から始めたいと思います。
 センターでは、子どもたちは、参考書やノートのつまった重いバックを手に口もとを緩めたり、引締めたり様々な表情をしながらやってきます。動作も機敏とまではいかぬまでもはっきりとした意志を示している子がいたり、そうでなかったりといろいろです。細くくびれた手足の速やかな伸び縮みは、まるで軟体動物のようで、朝日を受け白金色に照らし出される長形の建物に向かい、一歩一歩進んでくるのです。その後ろには車窓から見送る保護者の影がくっきりと揺らめき、その先端はときに陽炎のように子どもたちの足もとにとどき、先の尖った透きとおった炎が冷えたアスファルトの地面や最近レンガづくりに模様がえされた遊舗道を嘗めるように蔽っています。
 ビルの入口で待っている職員から挨拶された小学生の児童は、突然だったためか声があまり出ず、元気がないことを理由にもう一度やりなおしをさせられました。センターの職員は出迎えのため玄関前に立ち、時には重い荷物にバランスを奪われ躓きそうなぐらいふらふらしてやって来る子どもたちに、そのような形で訓練を行っているのです。閣下、驚くことは、このような子どもたちを見て、センター代表の片桐は週に二回だけの授業ではもの足りず、最近では今のセンターの学習能率に限界があるように考えているということです。かつてセンターの創設当時、人員の不足もあり週一回の学習を毎週日曜日にまとめて行っていたのですが、そのころはあれこれ理屈をつけ保護者を納得させ、子どもたちの集中を高める上でも、また職員の労働意欲を駆り立てるためにもそれが都合がよいものであると説明していました。しかし、徐々に局数も増え、営業に安定性が見えてくると、現状では何としても物足りなさを感じているのが、このごろの彼の心境なのです。それを受けてかどうかはわかりませんが、センターでは数年前公共機関が週休二日制になるのを見越して土曜日もゼミ日に組み入れました。結果は予想以上の反響で、徐々に現在のシステムが定着したのが、このCAN進学センターなのです。ところが、最近ではその体制でも、代表はなぜか不満を覚えるようになり、いっそのこと全ての曜日を授業日にし、これまでのJUKUにない徹底した指導のもと公教育に一歩も引けをとらせぬ教育機関につくりあげることはできないものかと考え始めているらしいのです。といっても、いわゆる「教育」というものにこだわりはなく、むしろそんな概念はこれからのJUKUにとって不要なものになるとも思っている様子です。父親や母親の望むもの、それは取りもなおさず子どもたちの学力を最大限に伸ばし、今ある力以上の本人の希望する中学や高校、大学に合格させてやることであり、それを彼らJUKUに携わる者たちがアピールする時代はやがて終わりを告げるだろうというのが彼の最近の持論です。すなわち、少しでも実績を上げ数字を確かなものにし、組織全体でそれに応じ拡大しながら、周囲からの信頼を勝ち得ていく。それにはもっと本質的な大衆の欲求をそそるカリキュラムの編成が必要であると考えているのです。総司令官閣下、そのためにもセンターでは、常務瀬上がやはり最近、またも面白い案をだしていると言います。その案を代表片桐も、さらに押し進めなければならないと考えている最中なのです。それは、以下のようなものです。
 センターが土曜、日曜制にしたまではよかったのですが、もう一つ他のJUKUとくらべ徹底した違いというものが見当たらないというのは、今申し上げたとおりです。そこで思いきってセンターをどこか環境のいいところへ移し全寮制にしてみれば、というのがこの常務瀬上の考えなのです。常務が代表とわずかに違うところは、JUKUが成績を良くしたり問題の少ない子ばかりを見ていくことそのものも、やがて終焉を迎えるだろうという点にあり、こちらにもそのことは綿密に記録されております。それは、現在抱えているこの辺境の地域における児童数の減少と公教育の現場の荒れが表面的には受験体制を変えていくことに間違いないからでもありましょう。しかし反面、親のこれまで積み上げてきた価値観にそうそう急激な変化があらわれるとは考えられないのもまた事実としてあげられます。本来、自己の存在というものを人との単純な相対化以外確認できない人間の心情が、それほど簡単に変貌するとは期待できぬことは、代表や常務が嫌というほど知りつくしていることです。人が 一流 に対して付加価値をもって向かわないのであれば、それみよがしに、ますます一極集中がベールの内側で氷に亀裂が走るように急速に展開されることは両者とも計算ずみですし、覚悟のところです。その中にあってわずかづつではありますが、JUKUの在り方そのものが現在変容の過程にあることもまちがいありません。閣下に申すまでもありませんが、もともとこの辺境の地にあって、JUKUの生きる道が『受験』にしかないと断定してきたことは、わかりきった常識の範囲内であったのです。それぞれに新しい教育を目指し数え切れぬJUKUがこれまでいくつも誕生しながら、受験体制に吸い取られ、あるいは手助けし、いつのまにか開き直ったかのように子どもたちに追い討ちをかけていった事実が、このJUKU産業の避けられぬ宿命とも言えましょう。瀬上は要するに、そんなJUKUが今までに収容しきれずにいた子どもたちを何とか吸収する手立てがあるはずだということを苦慮している一人だとも言えます。代表とはまるで正反対な考えを持ちながらも彼らの言うことはセンターをさらに巨大にするという一点において、遠い円周上で結ばれていたと言わざるをえません。まず、そのような常務の実験的な試みとして職員の研修所や保養所、それに子どもたちの合宿所を兼ねた大がかりな施設ハウスがこの地域の西はずれの島に建設中であり、まもなく完成予定と言う情報が既に入手されてきております。
 閣下、全てはこれからは時間が決定していってくれることでありましょう。このセンターの報告は、第一段階を終え、今二段階目にようやく差しかかっているところです。真の意味で閣下にとって意義ある報告文になるかどうかはこれからの叙述が決定してくれることであると、私たちは、現在、考えておる次第です。 
   
     第六の報告
 閣下、第二の報告にありました作文について、あとでくわしくお話しする約束になっておりました。そこでこの報告文では、そのことについてできるだけご理解いただけるようご説明いたしたいと思います。
 最初の作文を書いた子、名前を綾と言います。綾は、今年中学に入学したばかりの女の子で、顔立ちは非常に端正なつくりをしていて色白で、周囲とどこかちぐはぐな距離感を自然に与えてしまう、そんな子です。わたくしも実際に内密に手に入れたフィルムを見ましたが、控え目ではありますが存在感のある眼が実に印象的でした。ときに潤んだように見開かれる瞳は、何かを訴えかけるようでもあり、重苦しさとは違った雰囲気を醸し出しています。閣下、生命が起伏を徐々に変えつつ、ついに盛り上がれず、それでいて仄かに閃光を引きのばし濃密さを増している、そう申せばおわかりいただけるでしょうか。私は、視察団の一員として、その少女を見るたびにそんなふうに感じます。
 綾が初めてセンターによって実験的につくられようとしている施設へ母親と姿をあらわしたのは、CAN教育センターの常務瀬上がBブロックに赴任したころのことです。わたしたちはその当時から既に視察とは別に調査官を忍び込ませ、実態を把握させておりました。調査官は社員になりすまし瀬上のすぐ近くにいるポストをつかみ、微々にわたり記録してきたのです。よってこれからのご報告文は、より裏側までも克明に記した信憑性の高いものです。潜入したその男はあらゆるところに神経を配り、様々な精密機器を設置し、わたしたちの模範となるべく勤勉に情報の収集に励んできました。
 母親は、本来なら綾の弟の健一のことについて話をしなければならないはずだったのですが、綾についてとにかく早急に瀬上に相談したかったらしく、センターの懇談会が終わってからもしばしば彼に会っていたようです。綾は、不登校がかさみ、出席率が低く学校の授業についていけなくなっていました。現在でもそうですが、当時、この地域の学校では、JUKU教育に負けないよう小学校のうちから補習制度が取り入れられ必ず週に数時間かは、それを実行するよう義務づけられていました。既に教員たちは、この地では前回の大戦の後に生まれた者が大半を占めるようになり、教員の『クミアイ』組織率も落ち込み、また個々の教師の意識もあやふやなものになりつつあったのです。それどころか、むしろ受験競争の中で育った若い教師たちが大半をしめるようになると無給の補習であろうが別に疑問も抱かず、自分のクラスから『ユウメイシリツ』の合格者を増やすことを誇りとし、当然のように競い合う図式が増えてきました。また、この地の教育にとっては信じられぬくらいの統制力を発揮する『シドウヨウリョウ』もまた、当初はその謳い文句として子どもひとりひとりの「興味」「関心」「意欲」の三本柱が上げられておりましたが、それがやがて「能力」「課題」「評価」というそれまで陰に引きこもっていた脇役が主役の座に取って変わるなど、徐々に正体を現してきた頃には、初め両手を挙げ嬉々としていた教師たちがそれに気づき対処しようにも、もはや取り返しのつかぬ事態となっていたのです。当然、補習授業も当初は、子どもたちによる自由参加だったため、学習になかなかついていけない子たちより、むしろ充分すぎる学力を持つ子どもの方が進んで受講する結果となったことは皮肉なことです。その救済策として学校側は補習を受ける必要のある子だけを残し、必要のない子は帰ってもらうことにしたのですが、たちまち不公平だという保護者からの抗議が殺到し、初めのとおり希望者であれば誰もが参加できるようになっていったのです。しかし、閣下、参加する子のほとんどが相変わらずJUKUにも依然同じように通っていたことは明らです。つまりJUKU産業にこれ以上追い討ちをかけられまいと『モンブカガクショウ』がやっきとなって打ち出した『シドウヨウリョウ』の改訂と学力の弱い生徒や児童のための制度化した補習制は、結局は、出来る子と出来ない子との学力差を益々広げてしまうことになってしまったのです。結果的にセンターを始めJUKUは、いよいよその存在を確固たるものにしてしまいました。
 さて、ずいぶん前置きが長くなりましたが、ようやく話を作文の件に戻したいと思います。総司令官閣下、この報告文の中心は、その少女綾が、この地域の西の島に面する『レモラ・ハウス』という施設の中に母親と弟の三人でやって来たときのものです。まず、レモラとは、小さな幻想上の魚であることを言っておきます。鱗の中に持っている吸盤を使って船底に吸いつきどんなに勢いよく走る船さえも止めてしまう、そんな不思議な力があるとされています。おそらく閣下につきましては、その躰の小ささから、無数のレモラが船底にびっしりと吸いついてヒレやエラを懸命に動かし流れに逆らおうとする姿が思い浮かんでこられることでしょう。相手が船でなくとも、この場合シャチのような獰猛な大型の魚であることも充分に考えられます。レモラは別に『ショウガイ』という意味も持っているそうです。順風万帆に進む帆船に螢光塗料をたっぷり吹きつけたように青白く光を放すレモラが群れを成します。魚鱗を浮かべたレモラの群れは月の光を受け、海面を鮮やかに疾走します。レモラは止める力だけでなく周囲のものを呼び寄せてしまう力も持っているのです。快調に走るかに見える船は実はそうではなく、彼らが予期せぬ方角へと進んでいくのがその真実の姿です。彼らには、彼ら自身を止める力はありません。レモラは、そんなとき闇夜に水飛沫を上げ、人知れず輝きを増すのです。
 センターがつくろうとしていた保養所を兼ねた合宿所に、この名前をつけたのもやはり創案者である常務の瀬上でした。彼は、既に申し上げましたとおりJUKUが、いずれ今の形での経営状態は終わることを予測し、その暁には、自らの力で何とか教育の流れを変えてみたいと考えている一人でした。そのため彼は代表の片桐を要所要所でうまく使い、ここまで漕ぎ着けた感さえあります。と言っても彼は、センターそのものを消滅させようとしているのではなかったようです。これから別の形でのJUKU発展を見た場合、やはり自分が思っていることが最も理想的な方法であると信じ込んでおりましたが、それを実現するにはやはり豊富な資金源と人材を持つセンターが必要不可欠であるとも考えていたのでした。
 その日、調査官の言葉に従いますと母親は、綾の相談にいったとき、海が見渡せるこのハウス自慢の総ガラスに覆われた三階ラウンジで瀬上と会っていたということです。瀬上はソファアにゆったりと腰かけ外の景色を見つめていましたが、日を浴びてできる表情の陰りが感慨深い様相を呈し、ふっと溜息をついたと、記録には表記されています。合わせて母親はどこか疲れたような、しかしそれを相手に気づかせぬ口調で、しきりに常務に何かを訊ねていたと申します。瀬上は、ソファアからゆっくり立ち上がると母親の方を振り返らずに、そのままリノリウムの敷きつめられた床を靴先で軽く蹴ったらしく、おそらく、甲高い音が二人の間を掠め、響き返ったにちがいありません。瀬上はそのときなにかを綾の母親に告げたようです。母親はしばらく無言でした。
 しばらくして、母親がつぎにだしたある言葉は、常務を初めて慌てさせたそうです。彼は、母親の顔をまじまじと見つめ、その後、二人の話が会話というにはあまりにたどたどしいものだったことは、調査官も語ったことですし、後で提出された文書にもはっきりと明記されています。
母親と瀬上とがどんな関係だったのか、私どもにもくわしくはわかりかねます。
 海はすぐそこにあるのに波の音は厚いガラスによって遮断されとどかないつくりになっていました。それがかえって二人の間に苛立たしさを覚えさせたのでしょうか。海岸線へつづく道路とを挾んで拵えられたかなり広い前庭には人夫たちが、最後の仕上げとも言える芝張りをやっていたらしいのですが、踞んだ後ろ姿が適当に散らばり小まめに移動する風景をじっと耐え入るように見つめていたと言います。
 瀬上は再びソファアに腰を下ろすと、身を乗り出すように背を伸ばし、ゆっくりとした口調で、あの作文の趣旨を母親に説明し始めたそうです。
   
     第七の報告
 総司令官閣下、この記録が、綾と健一が好きな海岸の砂浜へ遊びにいったときのものであることをお伝えしておきます。そうです、あの作文を書いたセンターの二人の生徒は、この母親の子どもであり、姉弟だったのです。そして、作文に関する訓練は、瀬上と母親の二人で始められたことも付記せねばならないでしょう。
 まず、姉弟にあのような作文を書かせたのは瀬上一人の考えでやったわけではないことを母親に伝えたことが調査によってわかってきました。そのとき、R地方進出のより強い基盤をつくるため、センターのテーマは 虹 と 滝 のイメージに絞られていたのは事実です。そこで、それに見合った内容の作文が、会員数を増やす目的である説明会には必要だったのです。その場でどれだけ保護者を説得し、入会したときの価値を信じ込ませるか、そこに事業のすべてはかかっています。そのために彼らは、最初から両親たちを術中に治めるため、綿密な計画を練らねばなりません。つまり、集団催眠の要領です。とくに常務の狙いとして新しい試みを行ったようです。いつもの出来る子の受験パターンではなく、かつて学校を不登校になり、排除、もしくは自ら拒否した子どもらがセンターの指導により立ち直り学校へ復学したり、ユウメイシリツ中学や高校への合格も果たしたとなれば世間はどう思うか。これまでJUKUに批判的だった人々やマスコミが、どう評価を下してくるのか。彼の考えていたことはそんなところです。
 母親は、そのようなセンターの思惑をまったく知りませんでした。もしかすると母親は、センターの方針をはっきりさせたくて、わざわざ瀬上に会いにきたのかも知れません。確かに姉も弟も、少しずつですが、センターの設定した規則に合わせ生活するにつれ、学習に対し前向きになっていたことは、母親自身が一番、自覚していたのですから。しかし、そこには、どこか形だけの繕った雰囲気が感じられないでもなかったようです。閣下、報告によると母親が望んでいたものは、そんな表面的なものではなく、もしかするとセンターのために自分の娘や息子は、試験材料に使われているのでは、という危惧さえ抱いていたようなのです。
瀬上が彼女に対し、充分納得のいく説明ができなかったことは、閣下にもご理解いただけるでしょう。瀬上が彼女から娘の話を聞いたのは二年前です。小校四年から学校に行こうとしなくなったそうです。その前兆はそれまであったにせよ、母親が娘に理由を聞いてもその内実はわからなかったようです。いじめられているのではと心配になり、担任に訪ねても問題はないと言い、逆に家庭での教育の問題を上げてきたと言います。頂度そんなとき弟の健一が、どこから聞いて来たのかセンターのことをしきりに母親に口にし始め、ぜひそこへ行って勉強してみたいと言い出したのがそもそも姉も来始めたきっかけです。
 健一がセンターへ通い始め、最初の教育相談に行ったとき、母親はわずかながら期待を持ったと記されています。洗練された言葉づかい、磨き上げられた建物の内部、ゆきとどいた接待と熱心な相談、どれをとってもそれまで母親が経験したことのないサービスだったようです。ここに子どもを任せても大丈夫ではないか、そう母親が思っても不思議でなかったわけです。そしてこれはさらに重要なことですが、八年前、突然蒸発してしまった彼女の夫の面影を瀬上は、かなり多く持っていたことを母親はある友人に漏らしていたとのことです。八年間も姿をくらましていた自分の夫とそっくりの人物が澄まし顔で『こちらへ、どうぞ』と言った驚きを、閣下は御想像なられますか。母親は、興奮を抑え切れぬように頬を紅潮させたそうです。しかし、それからは母親の凄さが調査官の目を釘付けにしています。母親は、動揺を周囲に気取られぬよう、息子のことよりむしろ娘のことを涙ながらに喋り出したそうです。さすがの瀬上もそれにはまいったらしく、ただ芯から疲れたことを部下の一人につぶやいています。
その後、母親は弟だけではなく姉もいっしょにセンターにやり、一年間もの間、教育相談のたびに講師と保護者の関係で瀬上と会っていたわけです。二人が個人的なものとしてさらに発展していったのかどうかは、私どもにもわかりかねます。
 それからは瀬上の言うことを信じて、彼女は週に一度、この建物に二人の子どもを連れて来るようになったのです。勉強時間や寝る時間、果ては話す内容もすべてセンターで決められたとおりやり、娘を立ち直らせることに必死にがんばってきたのです。そんな話をしている途中、母親の躰が少しづつですが顫え始めたと記録には明記されてあります。
 そのときです。閣下、手もとの記録には「後方で扉の開く音がした」と書いてあります。
 風の音のようでもあったかもしれませんが、壁とガラスによって締め切られ、まだ出来て間もない金属の匂いの立ち込めるその部屋に、そのような現象が起こるはずもありません。常務と母親は、椅子に座ったまま振り返りました。
 二つの影が、西日に黄金色に染められ、細長く壁に垂れ、壁に映し出されていたそうです。
『綾と健一が、浜辺から帰って来ていた』
 記録の最後の言葉はそこで終わっています。総司令官閣下、以上が作文に関する我々の調査のおもな内容です。
   
     第八の報告
 総司令官閣下、この地域の学校では人権集会というものがあります。臨時採用教員である木村が二番目に赴任した学校でのことです。そこは担任の教師が眼の角膜に穴が開くという重い病気で入院し、約半年間彼がその教員にかわって勤務することになりました。木村は、五年生を担当しました。
 人権集会は毎年一回行われています。児童たちの『イジメ』をなくし、『サベツ』をなくすために行われます。各学年、各クラス、それぞれに工夫した教材を使い準備のときから時間をかけ子どもたちと進めていくわけですが、それでも足並みはなかなかそろいません。そのようなやり方に反対する一部の教師たちもいるからです。閣下、子どもたちに協力したり、まとまることを表面では言いながら、それを実践する教師たちが繋がり合えないとはなんと皮肉なことでしょうか。ほとんどは教材をもとに作文を書かせたり、劇をつくったりし、いじめたり、いじめられたりした経験やそれへの取組みを全校児童の前で発表させたりするのですが、そのとき教師は少しでも強引な手を打ってはならないことは閣下にもおわかりいただけることでしょう。子どもたちが自分から発表すると言うまで、ただ語らいをやりながら待つしかないのです。
 正直なところ、木村自身、今思い出してみてその短い赴任期間にどこからどこまでが人権教育で、その実践であったのかはっきり答えることはできないはずです。その頃の毎日の彼の行動は、全て教員になって初めての試みでしたし、考えようによってはそのほとんどが彼を含めた子どもたちにとっての人権とは何かを否応なく突きつけられ考えさせられる日々であったと言えなくもないからです。また、そうでなく、まったくそこから遠くかけ離れた健全で新鮮な毎日を過ごしていたと言えば、それも事実でしょう。いずれにせよ、自己満足の度合は相当なものであったことは推察されます。
 閣下、どの職場についてもそうでしょうが、彼にも、いくつかの忘れられぬ出来事があるようです。
 彼はそれを、ことあるごとに校内での研究会でレポートしていました。一つは家庭訪問に行った時の事です。訪問のきっかけは向こうからやって来たそうです。かつてよく、いじめられていた女子児童の母親が、娘が最近またいじめられているようだと、他の親から聞きつけ心配でやって来たのです。実際に木村が見たところ、最近とくにいじめられているといった様子は見受けられませんでした。その児童には、人権作文を書いてもらって以来、木村も彼女と少しづつ会話を持つようになり、これからはお互いに弱いところを変えていこうと約束し合っていたところでしたので、母親の訪問は、寝耳に水といった突拍子のない感覚を持ちました。そこで彼は、その時は彼女の最近の様子と、母親の会話の中に出てくる他の女の子二人の様子を話し、仲良く問題なくやっていることを伝え、向こうも、それならば思っていたほどのことではないと幾分安心して帰って行ったのです。
 ところが、木村自身、どこか納得がいかず、本当のところは彼一人が気づいていないだけで、実は彼女へのいじめは今もまだつづいているのではないかという不安も強まってきました。とにかくもう一度、彼女とじっくり話をしたい。彼はそう思い、児童の家を訪ねることにしたのです。 
 約一時間ほど話をしたそうです。母親も一緒でした。女の子は、最初なかなか口を開けようとしませんでしたが、後の方になってようやくぽつりぽつりと話し始めました。悪口を言われたこと、除け者にされたこと、今でも遊んでいると、ときどき自分だけ仲間はずしにされ、相手にされないときがあること……。これまで学校でのそんな娘の様子を直接本人から聞いたことのなかった母親は隣で黙って頷きながら涙を浮かべていたそうです。彼女は、しばらく話したあと黙り、木村がもう一度彼女がつき合っている女の子たちに声をかけてみることを約束し、そろそろ帰ろうかと立ち上がると、それをまた引き止めるかのように小さい声で話し出し、すぐにまた黙り、しばらくしてまた立ち退くそぶりを見せると、ぼそぼそと話し出す、そんな様子だったと言います。
 次の日、他の子どもたちが音楽室へ行っている間に、木村は遊び友だちを教室に残し話を始めました。
 まず、なぜ、木村は自分が残らせたのかその理由を聞いてみました。三人は、すぐには返事をしませんでしたが、木村本人が彼女の家へ行ってきたことを話すと、黙っていた子たちもようやく交互に重い口を開け始めました。ジャンケンをして負け、自分が鬼になるといつもいじけてしまうから、こちらがいじめていなくともいじめているように見えてしまう。それが三人の一致した言分でした。彼女はたしかに躰も大きい方でなく、むしろクラスでは小さい方です。運動も、さして活発にできるわけではありません。彼女にとってジャンケンで負け、鬼になり追いかけたりボールを取ったりすることは、他の者が軽く受け流す以上に辛く、楽しいものではなかったに違いありません。同じ一緒にやる遊びの中にも、その中に常に弱い者への配慮がなければ、たとえその発端が悪気のない無邪気な気持ちで始まったものだとしても、つい、いつのまにか力のない者を除け者にしたり、ちょっとしたいたずら心が生まれ予期せぬ方向へ行ったりするものです。閣下、報告をする私どももそうではありませんか。それほど弱い者は相手の全ての行為に神経を配り、気をあれこれ回しているのです。
 木村は、今度は彼女を入れ四人で、その日の放課後図書室を使い話し合いました。彼女には、自分のことをマイナスにとらず、考えや気持ちを自信をもって言って欲しいこと。そして後の三人にはそんな彼女の言葉にあたりまえに耳を向け、対等にやってほしいことなどをです。
 やがて、木村がその学校へ来て半年が過ぎようとしていたときに、もう一つ忘れられぬ出来事が起こりました。一人の男子児童が屋上でちょっとした騒ぎを起こしたのです。
 その日、木村のクラスでは彼の臨時採用の期間が終わりに近づき サヨナラ会 を催すための学級会が行われていました。プログラムや彼への贈物まで決めるということで、木村には見に来ないで欲しいという学級委員の言葉を彼自身、悪い気もせず承知し職員室に残り、研究紀要に記載する資料まとめをしていたそうです。
 木村は、それでもどこか悪戯心で、教室の後ろからこっそり覗いてやろうかと思い、職員室を出ました。頂度その時です。クラスのある子が息急き切って廊下を駆け、慌ててやって来たのです。何でも、ある男の子が学級委員と言い争い、家に帰ると叫んでそのまま出て行ったらしいのです。その子は、母親との二人暮らしで喘息の発作があり、欠席の目立つ、日頃はおとなしい子でした。木村は、勉強の遅れを取り戻させるためよくその子の家に足を運び、休んだ日には、もちろん顔を見にいっていました。
 木村は下駄箱へと急ぎました。靴はまだそのままにしてあり、彼は、ホッとして今度ははやる気持ちを押さえながら教室へ駆けもどりました。教室には、その子と男子児童の何人かが姿を消し、見当たりません。木村は一瞬戸惑い、教室全体を見回しました。その時、いなくなっていた中の一人の児童が突然、木村の視界の前に現れたのです。その子は、他の子たちは屋上にいると叫びました。屋上で、なんと男の子が自殺しようとしていると。木村はすぐに教室を出、屋上へと向かいました。屋上の鍵が壊れていたことは、前の日にも職員会議で問題になったばかりです。捨て猫や子犬らを拾って来て、給食の残り物で子どもたちが飼っていたことも上げられています。だが、そのとき彼の頭には、その子がとにかく無事であってくれることを願う気持しかありませんでした。
 吹き荒ぶ南風の中に躰を弄ばれるようにして、子どもたちはいました。白い鉄のフェンスから身を乗り出そうとする男の子を他の二人が両側から取り押さえています。木村はそんな子どもたちに感謝しながら上から覆いかぶさるようにして抱き着いたそうです。やがてクラスの子たちの足音がし、全員が血相を変えてやって来ました。何人かの女の子らは、涙で瞳を腫らしていました。木村は、大声で全員、教室に帰っているように注意しました。そのとき彼の腕の中にいるその子は、何かを必死に耐えているようでした。屋上が見える位置にある教室や運動場では、授業は一時中断され、教師が、そして幾人かの児童が教師に叱られながらも窓越しに顔を突き出すようにして木村たちのいる方を見上げていました。遥か斜め下の職員室の窓の向こう側にも、気づいてか気づかないでか、校長と教頭の顔が小さく二つ並んでいたと最後に記録には書いてあります。
   
     第九の報告
 総司令官閣下、この地域の地理的象徴でもある内陸の湾岸に沿った私鉄駅の正面から道路に面した西側に、CAN進学センター・R局はあります。証券会社と化粧品会社、最上階には保険会社が雑居する建物の三階に大小四つの部屋が移動式壁板で敷きいられ、そこへ小学、中学合わせ八十六名の生徒が、土曜日と日曜日とを中心にそれぞれ決められた時間帯にやって来るのです。これから申し上げるのは、あの説明会からちょうど一年たった現在の報告です。
 さて、八十六という数字は、今のところセンターの中では最低です。現在勤める四人の講師のうち、唯一正式な男性CAN職員である柏木という男が、いつかそうこぼしていたと私どもは聞いております。職員は、その他に、主に小学校低学年を担当する杉野という女性だけで、あとは雇われ講師三人を含め、事務アルバイトの全部で六人という、センターの中にあっては実に小じんまりとしたものです。
 R局を見ておりますと、何とか今のうちに策を練らないと経営困難になっていく様子が、ひしひしと伝わってきます。R局がセンター八番目の局として開講を始め、既に一年が過ぎようとしているのですが、当初は予想を上回り、伸び率も上位にある時期もありました。しかし、その後徐々に落ち込み、最近では会員数でも最低を記録するまでになった次第です。結局、子どもたちの成績の伸びが今一つだったというのが全ての原因をしめているようです。それにより、口コミでの評判も奮わなかったというわけです。ある日、柏木が、R局でもこうなったら、墨塗りでもやっていくかと冗談とも真面目ともつかぬ顔で言っていたと聞きます。そのとき杉野は、頂度本部にファクシミリで企画案の資料を送っている最中でした。墨塗りは、質問に答えられなかった子たちの顔を文字どおり黒い墨で塗るという、まさしく罰の象徴のようなもので、見ている方がかわいそうになってきて直視できないと、思わず一人の調査官が顔をしかめ漏らしていたほどです。
 そのとき、講師の一人が、どこの局のものかわかりませんが墨塗りの授業風景の写真を棚から取り出し見ていました。頬に筆太く髭が描かれている者、眼の片方だけが黒い隈に囲まれている者といろいろです。今、R局にいる生徒の勉強状態でこれをここでやったら、大方授業が終わる頃までには、全員顔が真っ黒になっているのではないか、冗談とも皮肉ともつかぬ言い方をその講師はしていたそうです。周囲に笑いが起きなかったのは、まんざら当たっていないこともなかったからでしょう。だが、勉強は間違いなくやってくるようになるはずだというのが、キャップ柏木の考えでした。彼は、机の上に置かれた写真を手にしげしげ見た後、さっきの講師の男に軽く視線を移しました。相手は、現役の大学生です。柏木は、相手のそんな何でも簡単に言い切ってしまうところがどうも癪に障り、はたから見ても苛々しているのがわかるほどだったそうです。閣下、柏木もCANの各局キャップの中にあっては最も若い、二十八歳の青年に過ぎなかったのです。
 CAN進学センターには、三つの訓戒があります。それは、かつてはどの局でも毎日、朝礼時に全学年の子どもたちに唱和させていたそうですが、今は、ほとんどの局でなくなっています。総司令官閣下、ためにしに閣下も一度、ご唱和下されば、この雰囲気なり信条をお伝えできるのではと思います。無駄なことかもしれませんが、紙面を割いてお載せ致します。

 その一、CANは、己れである。
 己れに勝てぬ者はCANにはなれない。
 その二、CANは、努力である。
 努力なき者はCANにはなれない。
 その三、CANは、可能性である。
 可能性を信じぬ者はCANにはなれない。

 そして、職員だけに配られる黒いビニール製の厚い手帳の最初の開きには、かつて研修のたびごとに頭に刻みつけられた社員用の一文も載せられています

 子どもたちをCANNOTからCANへ
 それが我々の使命である。

 このような文言を大声を上げ叫ばせているだけで会員が増えていた時代も、もう終わりを告げた。これが柏木の常日頃思っていることのようです。柏木はいつもの打ち合わせ後、手帳を上着へ仕舞うと事務所と職員室を兼ねた、今いる自分たちの部屋の壁にぎっしりと貼り出されている今年度の全国ユウメイシリツ中学や高校を始めとする地元進学校らへのセンター内での合格者の書かれた紙の上にゆっくりと眼を馳せ、一字一角を見逃さない熱心さでたどっていました。そこには、つい先日まで彼自身がこのR局で英語を教えていた見覚えのある名前もあるにはありましたが、そのほとんどが他の局の顔も名前も知らない生徒たちばかりです。しかも、その中にはセンター全体で春、夏、冬一斉に毎年三回に分け行われる模擬テストだけを力試しに受け、結局は入会することもなく、一度も授業に出ることもなかった子どもたちがかなりの数含まれています。その日も、柏木はいつ切れるともない、そんな杉野ご自慢の達筆な字で記された名前を不思議と倦むことなく平然と眺めていたのでした。そんな柏木を心配した杉野が、何か聞いたとしてもむりもなかったかもしれません。誰もがふと、空しさを覚えることはこの局にあっても充分考えられます。
 そのとき、次の週から行われる新期のゼミの打合わせにやって来ていた三人の講師は、さっそく帰る準備を始めました。引き上げていいかどうか小声でたずねる講師たちに、柏木は、労をねぎらう言葉といっしょに教材研究を充分にやっておく忠告を忘れませんでした。講師たちは、鞄の中に各自必要な参考書類をつめ込むとそれぞれに挨拶を終え去っていきます。学生もいれば、フリーのアルバイターもいます。弁護士を目指して勉強中の者もいました。それぞれに三者三様といった感じがします。思い起こせばそこにいるのは皆、一年前、開局の準備期間中に柏木自身が近くの大学や職安に募集し、彼自らが面接をやり決定し、講習会やゼミ期間を通じセンターのノウハウを教えていった者たちです。柏木は、その質にはどこにも負けない自信がありました。ある局によると大学の医学部生ばかり集めているということも伝えられていましたが、柏木はそんな方法を極度に嫌いました。彼が講師たちを選ぶ最も大きな条件は、その経歴や見た目でなく、いかに子どもたちを教育していきたいか、その熱意の方でした。様々な枷の中でも、とにかくここにいる間はCAN職員としてどれだけ子どもたちと接していくことができるか、それにすべてはかかっていると彼はとらえていたからです。そのためには、多少一癖あろうが眼はつぶる。柏木は、そんな講師たちを求めました。
 しかし、今回R局は、センターの中にあっては惨敗であったのは誰の目からも明らかです。会員の伸び率は、おそらく他の局と比べ最低であることはいずれはっきりすることでしょう。そもそも講習会からして、参加した一般者への加入を決定づける要素がもう一つ不足していたのではないかというのが柏木の見ているところでした。
 柏木に、杉野が励ますような言葉をかけたのも当然だったかもしれません。そのとき電話のベルが鳴りました。杉野がすかさず受話器を取り、柔らかな口調で応対しました。その日は、事務のアルバイトは休日に当たっていたのです。

 電話は、代表の片桐からでした。柏木は彼女に促され、観念したように腕を伸ばすと点滅する保留ボタンを押しました。しばらく挨拶程度に話し、実績が奮わなかったことや、センターのR局へ今回新しく要求してきたカリキュラムの多少の無理と困難さと、そこからでた保護者の戸惑いなどを受話器をとおし伝えました。ときがときだけに、柏木が受話器を置くと同時に、隣にいた杉野がすかさず電話の内容をたずねてきました。
 柏木が言うには、代表は、このままの調子でやってくれ、と比較的明るい声だったそうです。彼も拍子抜けしたように呆れた表情です。それから片桐は今度、R局にきたとき一緒に食事をしようと誘ったと言います。杉野は、代表があまり細かい数字にこだわらぬ面があり、自分たちの気持ちが通じたのではないかと柏木に笑顔で返したのも頷けます。ただし、彼女にそう言われても、柏木にはどうも腑に落ちないことがありました。考えてみれば今回このR局の運営そのものには不審な点が多かったのです。
 まず第一に、柏木よりキャリアも豊富で年齢も上の者が、センターにはたくさんいました。そんな者たちを差し置いてまだ入社して間もない自分がこの局のキャップに抜擢された理由が、そもそも不可解なのでした。それに、今回提示されたカリキュラムです。一見しただけでこれまでと違っているところは、ゼミの中に合宿が一期ごとに三回の計九回、取り込まれているという点です。連休などを利用してスケジュールを組んではあるにはありますが、余りに強引すぎるとしか言いようがありません。しかも、その会場が『レモラ・ハウス』という聞き覚えのない施設であることも気になりました。西の小さな島に研修所を兼ねた子どもたちの合宿所が建設中であることは、彼も連絡を受け知ってはいましたが、しかし、東部地区のことを考えた場合、何もわざわざそんな場所につくらなくともよかったはずです。将来的にもっと増やしていこうという心積もりなのか。柏木の疑問は膨らむ一方でした。
 柏木は杉野にそのことを尋ねてみました。何か彼女も同じようなことを感じているのではないかと思ったからです。彼女は、あまりピンときていない様子でした。柏木はていねいに補足しました。
 思えば、あれほど説明会や懇談会にも力を入れ本部からも多くの動員をかけ出発したR局です。今までどの局にもなかったほど力を注ぎ込んだことは周知の事実であり、その後、いくつかの難関を万全を期してのりきって来られたのもそれらバック・アップの体制があってのことでした。それでも結果はわずかの八十六名に過ぎなかったことは、センターにとって常識的に見れば大きな痛手のはずです。それなのに、片桐は充分な数字と言うのですから、柏木が首を捻るのと言えます。
 杉野はどちらかというと楽観的で、柏木の考え過ぎではないかということと、継続率が伸びなかったのは、合宿が保護者にまだ充分に理解されていなかったからだろうと答えたそうです。しかし柏木は、企業経営がそんなに甘いものでないことぐらいは、頭に叩きこんでいるつもりです。合宿についてもいくつかの疑問を彼女にぶつけてみました。
そもそも『レモラ・ハウス』での合宿が組まれているのが、R局のカリキュラムだけだということです。白状すると、柏木本人そのことを前々から代表から知らされ了解はしていたのですが、その事実を公の場では伏せていました。さらに、R局の児童、生徒たちははっきり申し上げて、他の局の生徒よりかなり学力が落ちる子が集まってると言っても過言ではありません。これはどういうわけかと考えますと、センターでやっている毎週授業の中で行う科目ごとのテストが、やはり他の局と違って少しばかり平均点が落とされ易しい問題にかえてあることが判明してきました。しかも念入りなことに、一斉に行う模擬テストなどの全国版成績表にはどういう操作をやったのか、ちゃんと本人にはわからぬように別のメンバーを使ってまるっきり違った一覧表が作成してあるのですから手はこんでいます。柏木はそれについては、不覚にも夏講が終わり、新学期が始まってからすぐ、別の局から移って来た一人の転校生の持っていたテスト用紙やコンピューター表を見て気づいた次第です。彼はそのときの驚きをまだよく覚えています。それは、まったく精巧かつ緻密にできていましたが、その中身に出てくる子どもの名が見覚えのないことに衝撃をもちました。担当の本部の職員に問い正してみても、生徒たちに自信をつけさせるため、どこの局でも最初のうちはやっていることだと一蹴されたそうです。しかし、そんなことが今までのセンターのやり方からして考えられるでしょうか。柏木の疑問は深まるばかりでした。
 それら一連の操作の結果、段々と成績上位の子たちは物足りなくなり、落胆を隠せぬ様子で辞めていきました。あとに残ったのは、ユウメイシリツ合格などとても考えられぬ者ばかりです。しかも口コミでやって来た者の中には、学校の勉強についていけない生徒や児童、遅刻の多い子、中には一時学校にさえ行っていない生徒もいました。講師たちが、墨塗りでもやりたい気分になってくるのもわかる気がしないではありません。
 柏木は、溜息をつき、杉野に同意を求めるように軽く眼もとを顰めたそうです。相手は、その都度相槌を打つのが精いっぱいだったことを、閣下、最後に申し上げておきます。
   
     第十の報告
 閣下、ひきつづきあの二人の子どもについて、しばらく報告します。
 『レモラ・ハウス』にいるときの綾や健一にとっての疑問。それは瀬上が、ほんとうに自分たちの味方なのかどうかということでした。弟の健一は、自分の父親がいなくなったことを当時まだ二つだったためよく覚えていませんでした。ところが、このごろ少しずつ、曖昧な記憶の像が実物か幻か定かではありませんが、次第に輪郭を強めてきた気がしていたそうです。
 姉の綾も、健一の悩みを聞いたことはありましたが、別にはっきりとは答えず、そのときも『レモラ・ハウス』の一室でベッドの隣に据えられた机に向かい座っていました。
 その日、海岸からもどってきたとき母親と瀬上が何を話していたのか。ずいぶん両者とも怖い顔をしていたのが印象的だったと綾は日記に書いています。
その夜、健一が話しかけても、綾は、なかなか喋ろうとはせず、ただ、「うん」とか「そうね」とかを合間合間に繰り返すだけでした。
 やがて、健一が自分のベッドで軽い寝息を立て始めると綾は、作文を書き始めました。書くと言っても八畳ほどの広さの部屋に、さほど大型ではないにしろ、性能の良いコンピューターが机の正面の壁に埋め込まれ、どこと結ばれているのかわからない端末機が一台あるきりです。それにテレビ電話らしきものも置いてはあるのですが、綾はまだそれを一度も自分から使ったことはありませんでした。ただ決まった時間になると、母親や瀬上がそそくさと部屋にやってきて、送られてくる資料や画像を見ながら、幾枚もの問題用紙や回答をプリントアウトして綾に渡し、解かせたりするのが最近の日課だったのです。とくに瀬上は、綾についてのスタッフとの学習の打ち合わせは電子メールでやっていました。それら全てには、いよいよ間近に迫った『レモラ・ハウス』開寮に向けての最終的な予行テストとチェックも兼ねられていたふうなのです。
 とにかく、そこに来るたびに頻繁に作文を書かされていた思いが綾にはありました。そして決まった時間になると自然に書く習慣がついてしまっているのか、パソコンの画面を目の前にした綾は、別にあれこれ考えもせずキーボードに向かうのでした。それまで心なしどんよりと曇っていた眼は、光沢にも似た輝きを一段と増し、無口でおとなしいだけの彼女ではないことがすぐに見て取れるほどでした。
 閣下、その作文は次のような書き出しです。
 
   姉、綾の作文の書き出し
『わたしは、遠い将来ずっと生きていたとしても、今日も明日もあさっても、その次の日も、その翌日も翌々日も、もう二度と虹は見ないだろう。そのことはわかっているのだ。はっきりとした理由は今の私には言えないが、そんな気がする。
 わたしがどうして学校へ行きたくなくなったのか、瀬上先生もお母さんもほんとうのことは知らない。私が黙っていたからだ。話したくなかった。これからも当分の間は誰にも話さないつもりでいる。でも今は、不思議に正直に言えそうな気分になっている。どうしてだろうか。自分でもよくはわからない。私が自分で自分の命を終わらせてしまおうと、今考えていることも、その理由の一つなのかもしれない。
 私は、お母さんの時々使う睡眠薬を家からこっそり持ってきている。お母さんは私を誰よりも信頼しているから、あまりそれを隠しておこうとはしなかった。もちろん人目につくところに置いていたわけでもなかったが。私はお母さんの持ち物なら大体どこにどのようにしまってあるのかほとんど知っている。
 学校に行かなくなったわけをちゃんとここに書く前に、どうしてもこのことだけは言っておきたいことがある。それは、わたしはけっして、人からいじめられたりして学校へ行かなくなったわけではないということだ。誰に悪口を言われたのでも、いたずらをされたのでもなく、わたしはわたしの意志で行かなくなった。そのことをこれから書こうと思う』
 綾は、そのとき白い錠剤の詰まった薬瓶を藍色のポシェットから取り出しました。彼女のつぶらな瞳がそのガラスの表面をなぞるようにしばらく見てから、またディスプレイへ移ります。
  
   作文のつづき
『健一が隣ですやすや眠っている。その眠りをじゃましないためにも、わたしもこの薬を一粒ずつ飲みながら作文を書いていこう。
 わたしが、あの変な感覚をおぼえ始めたのは、小学校四年生のころからだった。おじいちゃんが死んでからだから、お父さんがいなくなって五年ぐらいが過ぎていることになる。わたしだって小さかったのだし、健一と同じようによくはおぼえていない。ただ、今計算するとそういうことになってしまう。
 変な感覚というのは、学校まで歩いて登校しているときははっきりとはしなかったのだけれど、そのもやもやは教室に入るといっぺんに羽をつけ、わたしの頭の中をちょうちょになって舞いだした。そのうちどこか花のようなところにとまり、今度は突然絵の具の吹き絵をかけられたようにいっぺんに真っ白な風景に変わってしまったのだ。それからは、すべてがおかしくなってしまった。友達の顔を見ても、いつもは話かけられれば、おはようとあいさつするのに、相手の顔と声とが、日頃わたしの知っている子とはなんだか違うように思えてきて、近よるのもこわくなってきた。先生だってそうだ。それまで、勉強のときや遊んでいると、やさしくて好きな先生だったのが、その日から少しづつそばへ近づくことができなくなり、向こうからひそひそ話さえ聞こえてくるようになってしまった。話す内容は、もちろんわたしのことなんだけど、ぎょうぎが悪いとか、勉強してないとか、遊んでばかりいてはだめだとか、初めはそんなことだったんだけど、そのうち、あなたはなんでここにいるんだとか、名前は何といったっけとか、もう遅いから早くかえりなさいとか、はっきり言ってピンとこないことを何回も何回もしつこいくらい小さな声で言ってくる。わたしもついきょとんとなって、そのたびに考え込んで、答なんて当然見つからない。わたしの名前は藤木あやよ、このクラスで、出席番号は八番で、家はあそこで、昨日も来てたでしょうって言おうとするのだがどうしてもそれができない。そのうち日が暮れかかってきたような本当にそんな気がしてきて、帰らなくちゃいけない気になり家に戻った。それが最初のきっかけだ。
 その日の夕方、わたしは、お母さんからたっぷりとしかられた。担任の先生が電話をかけてきたからだ。お母さんと先生が電話でなにを話していたのかはよくわからないけど、お母さんは、泣きながら、その後わたしを今まで見たことのないぐらいこわい顔をしてしかったのだ』
 この時綾は、箱から取り出した瓶から三粒ほどさらに薬を取り出し、一息つくようになんの気なしにそれを飲み干しました。彼女は首を軽く動かすと、コップに汲んであった水といっしょに胃の中へ落とし込みました。錠剤を飲むとき特有の、甘くて少々苦い感覚が喉奥からのぼってくる気がしたかもしれません。そして、まだ眠気がやってきていないのを躰全体に確かめた彼女は、キーボードを小気味よく叩き、作文をつくり始めたのです。文章はつづきました。
  
   綾の作文のつづき。
『それからは、お母さんも先生もわたしに対して厳しい態度をときどき見せるようになっていった。でもそのことを、わたしはあまり気にはしなかった。かえってそれまでやさし過ぎていた頃より好きになっていたくらいだ。そうすることで、あの変な感覚がなくなればと、わたしはいつも心から願っていたのだ。
 これだけは今でもはっきりと覚えているけれど、わたしがほんとうに学校へ行かなくなったのは、あのリレーのときからじゃないかと思う。あのときも、あの変な感覚が突然、急に悪くなったお天気のようにわたしの頭の中をおそってきたのだ。
 小学校の最後の年だ。わたしたちの学校では、月に一度全校で学年ごとにクラス対抗のリレーが行われている。わたしもその月は、選手の順番が回って来ていてどうしても走らなければならなかった。わたしは、何となく不安だった。あの変な感覚が、その日はずっと朝起きたときから始まっていたからだ。それがいよいよ、それまでなんとかしておさえていたにもかかわらずバトンをもらう前になって、とうとうあばれだしてしまったのだ。
 わたしは、白い線の上に五人の他のクラスの子といっしょに立っていた。クラスのみんながわたしを応援してくれているのがよくわかった。でもその声がなんだかよく聞きとれない。最初は、きっとわたしは気のせいだと思った。みんなが一度に言うからだ。そんなことはよくあることだ。心配することはない。それでも反面不安にも思っていた。みんなは、ほんとうにわたしのことを応援してくれているのだろうか。内心は、ころべばいい、抜かれて一番びりになればいいと思っているんじゃないだろうか。そんなことを考えているうちにあの変な感覚がもうどうしてもおさえきれなくなってしまったのだ。わたしがバトンをもらう相手は、もう、すぐそこまで来ている。わたしはどうしたらいいのか迷った。わたしの頭の中には、早くも真っ白といった感じに、少し濃ゆめの幕が下ろされていた。足音がばたばたと聞こえてきている。わたしの手には、もうじきあの冷たいバトンがわたされるのだ。
 そのとき、たしかに声がした。
 声はわたしに、いつもよりやさしく、あなたにはそこにいる理由がわかっているのって聞いた。わたしは、いいえ、と答えた。そしたら声は、つまらなさそうに返事をしてくれた。
 そう、だったら立っていることはないわ。すわりなさい。
 わたしは、走り出すことも、そのまま立っていることもできず、その声に答えるようにバトンをもらうすぐ直前で、その場にしゃがみこんでしまったのだ』
 
 綾は、眠ってしまいました。幸運なことに、一粒づつ薬をのんでいくという発想は、やはり中学一年生の考えつくことでしかなかったのです。致死量にいたるそのはるか手前で彼女の思いはあっけなく断たれてしまったのでした。彼女は、次の日の朝いつもより遅く、多少寒気を覚えながら眼を醒ました。
 目を覚ましたとき、弟の健一がどうしたのか、心配そうに綾を見つめていました。
「あら、健一、おはよう」綾も、なぜか眠っているときからそう言いたくて仕方なかったように最初に笑顔で答えました。背中には毛布が掛けられています。
 気分はどうか弟がたずねると、綾は、それにも笑顔をつくりだいじょうぶであることを伝え、毛布をかけてくれた健一に今までにないくらい丁寧にお礼を言ったそうです。綾は自分でもその日は、思っていることがすらすら話せることに驚いていました。いったいどうしてしまったのか。綾はほんとうに心地よい運動をしたようなスッキリした思いだったと後で作文にも書いています。昨日と較べ何かが自分の中で変わったような気がしないでもなかったと彼女なりに分析しています。とにかくそのときは、これまでより少しはましな気分だったということかもしれません。時計は、九時半を差しています。コンピューターの方は、自動的に電源は切れていました。まだ薬が机の上に置いてあり、健一がそれに気がついていないことを知って慌てて引き出しの中へ仕舞い込み、片手で軽くコンピューターのスイッチを入れ、昨夜の作文のフォルダを念のため消去しました。
 綾は、その日が日曜であったことに気づき、健一に外に出て遊ばないかと珍しく誘いをかけました。
 窓から外の様子を窺っていた健一は、姉の元気な声を聞いて安心した様子だったようです。扉を開けると、健一が空を見上げ、小さく叫びました。綾もそれにつられ空を見、掌をだしてみました。部屋の中からはわかりませんでしたが、確かにそこに湿っぽい冷たいものが落ちていました。閣下、実にその西の島にもその季節には少々早く、雪がちらほらと舞っていたのでした。
   
     第十一の報告
 閣下、報告もいよいよ大詰めになってきましたが、ここに、ある密室でのCAN進学センター代表の片桐と、この地ではかなりの実力者との会合の資料がとどきましたので御覧いただきたいと思います。これにより、この辺境の地の教育の根幹がおよそどのように動き、またどの方向に進もうとしているかがうかがい知れると思われるからです。
 初め、片桐に対して、老人は何度も念を押すようにほんとうに今度のセンターの計画がうまくいくのか尋ねたそうです。
 老人は、年齢のわりには肌艶もよく、短めに刈った髪に白髪がまばらに混ざる程度で、片桐と向き合い座っていると確かに親子ほどの開きは感じられますが、話の節々で見せる挙措動作は充分な威厳と若々しさを保っていました。二人の間に置かれた南米産のマホガニーの分厚いテーブルが照明を受け、いっそう際だち光り輝いていたそうです。
 片桐は既に、R地区のほか二箇所ほど、値段も手頃な人里離れた場所に土地を買い求めていることと、さっそく西の島で来週から八十六名の子どもたちが実践に移っていくことになっていることを報告しました。自分たちの開発したシステムと総合力で、センターもついに第二段階目へと発展していっていることが片桐自身の興奮を抑え気味の話しぶりからも充分うかがえます。
 老人は嗄れた声で、自分としても今の教育に不満があって片桐に協力してきたことや学校では教師たちが我がもの顔でふるまい、文句ばかり言うだけで問題の解決の糸口さえ見つけきらずにいることを強く批判しました。彼自身、配下の部下が情報を持ってきたときは半信半疑でしたが、それでも片桐と会って三年もせぬうちにセンターが現在のように成長したのは期待以上で、最後に片桐に賛辞を送ったことも、閣下、ここでつけ加えておかねばなりません。老人は、それからしばらくして、喉の調子を整えるためか咳払いをしました。
 彼は、以前から、周囲にこう漏らしていました。
 四半世紀以上前、この地域で流行ったあの『コウナイボウリョク』というものを閣下には思い出していただきたいのです。大方は生徒たちの学校教育に対するつまらなさを如実に物語っているものだと世間では評されていましたが、その矍鑠とした老人は、そうではないと信念をもっていたようです。つまり彼は、常日頃から産学一体となった教育を義務教育の段階か、もしくはもっと早くからやるべきであると教育界に進言している一人でした。しかし、老人のあまりの性急さからかなかなか取り入れてはもらえなかったようです。政府の『キョウイクシンギイイン』に、だいぶ息のかかった人物を送り込んだりもしたそうですが、いかんせん思惑どおりにことは進みませんでした。そこでついに思い切って発想の転換と言うものをはかったようなのです。
 彼自身、今まで、あまりに公教育にこだわり過ぎていたのではなかったかということです。すると突然視界が開けてきたように思ったというのですから不思議ではありませんか。JUKUというものが彼の発想の中で大きく膨らみだしたのです。
 相手の時折見せる鋭い眼光に片桐は、固唾を飲んで対峙し続けました。老人の目は、深い谷間から岩肌を照らすように光っていたそうです。老人の考えは、まだまだつづきました。
 彼は、教育について自分なりに調べるにつれ、ある学者の考えついたモデル校が気に入ったようなのです。そこでは、あの、今ある学校での教育とはまったく違ったシステムが成されていました。教室の壁をなくし、だだっ広い突き抜けの部屋や広場や空地で、子どもたちには教科書の代わりに釘や板切れを持たせ作業させるといったものです。子どもたちの小さな手で板と板とが組み合わされ、鋸の引く音や金槌の叩かれる音が甲高く響き、今にも彼の耳元へとどいてきそうだったと言います。
 老人は片桐に、はっきりその場で明言したそうです。そのモデル校は一つの例えであって、直接に金槌や鋸を取れといっているのではけっしてなく、社会と繋がりを持ち、系統づけていかなくては美しく健康な教育などできるはずがないことが重要であるのだと。そう老人は滔々と話しつづけたらしいのです。
 閣下、そのことをわたしどもなりに考えました時、老人の論理にしたがえば、子どもたちには早くから適度な労働とそれに結びついた学習が必要だということになります。さっそく日々学ぶことが将来の役に立つのであれば、混乱する社会でも、子どもたちは目標を見失わないだろうと彼は考えているようなのです。
 あれこれ不服を言いながらもほとんどの者が、おさまるところにおさまってしまう、それがこの地域であると老人は嘆いています。時代が移っても本質は変わらず、しかも学校はその本質を見ようともせず、ただ闇雲に子どもたちを押さえつけている。それがまったくの無能な方法であり、教師の質も問題であると吐きすてるようにつけ加えました。校舎のつくりもですが、一つ一つの屁理屈張った会議での決め方まで、彼は強い怒りを持っていることがその報告書から読みとれてきます。教師を選ぶ試験も、この地の動乱を生き抜いてきた彼からすれば手ぬるいとしか思えないようです。
 報告によりますと片桐は、老人の吐き出す不満に慇懃に同意を示していっています。閣下、彼がどれほど今回、この老人との会合に神経をくばっているか、よくおわかりたただけるかと思います。その証拠に、「マッタク、オッシャルトオリデス」という言葉を、何度も呪文のようにつぶやいているのですから。彼は、そんな老人の難問、疑問に対し、自分たちとしても、学校からはみださざるを得なかったり、嫌気がさした子たちにもう一度チャンスを与え、救ってやるというのが目的であり、そのためには、卒業証書や学歴に変わり得る魅力ある物件が必要であることを説明しました。
 老人は、その子たちの中から使えそうな者を優先的に採用してほしいという片桐の真意を察知したようで、表情は何一つ変えず淡々とした態度でうなづき返していた様子です。
 片桐はつづけました。センターとしても彼らの注文にできるだけ応じた子どもを造り上げるつもりであることを。両親に対する説得力の方も、そのような目的があれば人生設計が万全であることから多大な安心を得ることは間違いありません。多少悪い条件でも、老人たちの持つ大きな組織に将来拾ってもらえるとなれば、我が子をセンターに来させる甲斐があるというものです。総指令官閣下、今度西の島『レモラ・ハウス』で実践に移る子どもたちは、近くの進学校に入ることもできずにセンターに頼ってきている、社会から排除された生徒たちばかりです。センターでは、シニアの受入れも万全な体制であることから、まずは当面中学まで面倒を見、その後は臨機応変に対応すると片桐は、一気に捲し立てました。老人に自分たちの勢いを感じさせる必要があると、彼持ち前の計算高さから感じ取ったようです。
 老人は最後に、まずは、五年後あたりの片桐たちの自負する第一号の子どもを見て評価を下すつもりであることを伝えたと調査書には記されています。
 片桐も、今までどおり子どもたちをより幸福な状態へ導くため、できるだけ細かく単元を組み立て訓練していくことを再度確認しました。そのためにも綿密に構成されたカリュキュラムは、センターにとっては仮の姿であり、隠れ蓑であることも打ち明けました。問題はカリキュラムではなく、より自分たちに役立ってくれる人間を育てていく事、それが全てであると彼は多少強く、しかし冷静に強調したのです。
 片桐は、老人の家を辞すとさっそくタクシーを拾い本部へと急行したそうです。
 携帯で『レモラ・ハウス』との連絡をとるとさらに彼は上機嫌になりました。もういつ開校してもいいと言う、常務、瀬上の自信に満ちた声が聞けたからです。そこで、つい気が緩んだのかさっきまでの男との話を瀬上に知らせたことは、今回この計画にとって彼の最大の誤算であったかもしれません。
 今の彼の心境を例えれば、やっと三年がかりの恋が実った一途な若者といった感さえあったはずです。ようやく影の大物も彼らセンターが今までしてきたことを認めざるをえなくなったその手応えを感じていたのですから。当然、目をかけられているのはCANだけではないと思われますが、これからは、どちらがあの老人たちの気に入った子どもを造るかで勝負は決まってくるわけです。片桐はそのことも瀬上に注言することを忘れませんでした。最後は、閣下つぎの一言です。この地特有の労をねぎらう調子でその電話は終わりを告げました。
 瀬上君、『レモラ・ハウス』の件よろしく頼むよ。オツカレサマ。
 それが今思い起こせば、片桐が瀬上と交わした最後の言葉だったのです。
   
     第十二の報告  
 総司令官閣下、このたび係りの者から受け取りました閣下からの御手紙ならび御通達を、私はどのように判断すればよいのか、いささか困惑し心労しきっております。承服しかねぬ気持ちもさることながら、反省すべき点も重々承知した上、閣下には御無礼のないよう、今後とも誠心誠意を尽くしていく所存です。なにとぞ今はいささか気が動転していることと御寛容の上でお聞き願いたいと思います。まず、わたくしどものこれまでの報告が遅々として進まなかったことを先にお詫び申し上げておかねばなりません。私が閣下の意にそぐわなかったことは、おそらくそれが最も大きな理由かと思われるからです。ただお分かりいただきたいのは、私がここで自らの失態の申し開きをしているのではけっしてないということです。私は、結局は潔く閣下からのご更迭の勧告を承ることになるでしょう。ただ、これまで同様この視察団の代表として、いかばかりかの意地と態度でこのおそらく最後になるであろう私どもからの報告文をなおざりに片づけることだけは避けておきたい気持ちで臨んでいるだけなのです。そうすることが、私をこの視察団の代表として初めに御指名下さった閣下への最後の意に添う忠誠であると確信しています。なにとぞ老僕の意気と感じ取って、わずかばかりの文面の猶予を今少しお許し願いたいと思います。
 さて、何でもそうでしょうが少しずつ対象に接近するにつれ輪郭がつかめ、わずかずつはっきりしてきたことがあります。それはこの辺境の地において最も基盤となるものは、やはり血縁関係といって良いことです。これは、教育の世界と言わず、どの世界にも同じだけの重さで被さっています。
 人々は「血」というものを大事にし、そこに自らの拠り所を見つけようとします。頂度一人一人の顔を見ていますと一つの幹から枝分かれし、たわわに成った赤い果実のように思えるのです。どの実も細かく伝わる管から、まんべんに栄養を吸い取り、光沢を浮かべ豊に実ることだけを目標にしています。少しでも自分と同じ幹か、もしくは枝から奇形の実がなることは極度に嫌います。それは、他人でも「血」の繋がりを感じているこの地域の者たちの特徴とも言えましょう。
 閣下、ここで教室を一つの木とし子どもたちを実に例えてみます。子どもたちは自分たちがスクスク育つことだけを目指して一生懸命に学習します。教師は自分の担任するクラスという木が立派に成長していくことのみを願い教育に励みます。『キョウトウ』や『コウチョウ』は、それぞれの学校という木が無事にその日その日を日照りや害虫など病気を寄せつけず安泰であるかどうかを考慮しながら監視に一段と力を注ぎます。それらを受け入れる地域という大木は、一個一個の学校という木が思うように育成されているかを見るため、常に連絡を取るのに便利な接ぎ木を行い、その繋がりを濃くします。それは縦の経路を通じて生徒一人一人にまで行き届きます。かくして木を通しての「血」の関係は教育に於いて完成します。
 完成された血縁の中で、個々がどうあがいても、もはやその一人一人の中で描く自己というものは存在しません。在るのは、周囲との関係の中で結ばれた像に過ぎず、すべては他者同士の約束事の中で決定されていくのです。そこに口を挟んだり、自分に対する他者の抱く像に不満を持てば、無残に剪定され芽さえも摘み取られていきます。ただ、それでも異形の実は確率的にいくつか生成され、そのうちの何個かは摘まれずに野ざらしにされておくこともあります。なぜならその不格好な実によって、より形の整った均一な多くの実の価値が鮮明となり、有効に外部に対して機能するからです。その働きとは、農園を世話する教師や地域、ひいては子ども本人に画一的な意識を育み、他者によってつくられている幻の存在理由を信じ込ませることで、摘果された者たちに対する優越意識さえ持たせていくということです。閣下、わたしたちはそこにこそ、『サベツ』の永遠不変な創出のメカニズムとそれを可能にするいびつな構造を見るのです。それはさらなる入り乱れた枝葉を伸ばすためのエネルギーへと変換され、貯蓄されながら次なる歪んだ植生の増殖を目指し連動していくことでしょう。
 総司令官閣下、最後に今、私の申し上げられることはこんなところです。御報告しておきたいことはこれまで伝えてきたと思いますが、何分観察がたりず、はっきりとまだつかみきることができないのも事実です。それに私は自分の身分をわきまえることは知っておりますし、次の者へその責務は譲りたいと考えます。
 ただ、最後に申し上げておきたいことはこうした「血」の結束が、この地を、ある意味で固い殻に閉じ込めさせたままにしているということは事実ですし、また、あるときには恐るべきエネルギーとなり信じられぬ強力な瞬発力を生み出す要因ともなることがあり得るということです。閣下、私がどこかまだ危惧せずにはいられないというのはその点なのです。この地に我が中央の世界で培われた教育を取り組んでいったとき、この辺境の地域は、おそらくこの地域なりの方法によって見事にそれをつくりかえていくことでしょう。そして、それによりさらに大きく立ち直ったこの地は、いずれ我が国中央にとっても驚異となるはずです。しかしそれにも増し、もしそれが大木の栄養素として初めに受け入れられたとしたなら、子ども、あるいは教師たちはそれらを自ら拒絶するしない関係なく、かりにそれが自分らにとって毒素であったとしても躰に流し込まざるを得なくなることはわかりきっています。あの、無数の細胞に囲まれた器官の網の目を通して、あたかも中毒になったヘロイン患者のように、血管がボロボロになるまでそれはつづけられるでしょう。
 閣下、私が前々から心配していたのはこのことなのです。
 その毒素が一体どういうものであるのか、今の段階では私にもわかりかねます。ただそれは、徐々に少しづつ蝕み始めるにちがいありません。ときには時代に乗り一度に広がることもあるでしょうが、概ね静かに、行っては戻る蠕動を繰返しながらわずかづつ、しかし確実に接ぎ木から接ぎ木へとその毒素は伝わっていく筈です。
 閣下、私はこれを『エデュケイショナル・スノウ』と名づけます。
 まさしく、教育の白い粉です。街をたむろする『キョウイク』によって薬づけにされていく子どもたちや親を垣間見る前に視察団代表の職を辞させていただくことを、閣下、今となってはただただ光栄と思う次第です。

   報告書に対する総司令官の所見
 原初宇宙にあって水素とヘリウムの質量比がそもそもの運動の出発点だと仮定した場合、センターやこの地の『ガッコウ』にとって生徒は一対の二項対立そのものであり、これまでひたすら水素の役目を果たしてきたと思われる。
 それから判断してもヘリウムは、学習付与者である大人や、教師たちの側を意味し、両者のうちどちらかに自己を固着化させ早々と腰を落着けてしまったため思考能力が急速に固くなってしまった実体としての対象と言っても過言ではない。
両者の変成の後、実体としての質量に耐え切れなくなった学習付与者の歪みを持つ空間は静止したまま生存することに耐えきれぬため、渦をつくり凝縮することで爆発を起こし歪みを収斂させ、同時に別の空間では他者との入り組んだ関係をつくるなどして拡張を遂げ、これまで様々な末期の足掻きを繰返し、生存を引き延ばしてきた。
そこで今回の報告書から、この辺境の地の教育体制が、どの程度、一定水準を保ち継続できるか危惧する面は大きい。しかし、今は、あくまで発展の途上であることを考慮に入れ、進化するものの鉄則を踏んでいることを押さえておく必要がある。
 学習被験者である児童、生徒たちも彼らなりに進化を成している。悲観的かつ抑鬱的になるのはむしろ学習付与者である大人の方であって、被験者たちはその点は生命法則に従い乗り越えていけるようにできていると思われる。大人が生きた以上に十分に生きていけると我々は判断するものである。付与者も老化といっしょに進化はたどっているが、重要なのは両者の関係が組み合わさった二つの歯車と同じであると言うことだ。肝心なのはバランスであり、今後も旧いバランスの崩壊後、新しい構造を持ったバランスが生まれる循環が期待され得る。
 そもそも旧来の二つの歯車が組み合わされば、一つの歯車の歯数と一定時間に回る回転数が決定する、あるいはもう一つの歯車の同じ時間に回る数は歯の数に従って少しの狂いもなく決まるという発想は、対象を限定してのみ通じる定義であり、その尺度が人と人がつくりだす「教育」にまで通じるとは断定できない。
 バランスは意志とは関係なく不完全であり、その意味で、付与者、被験者ともバランスが壊れたとしても、けっして最悪の段階に至ったとは言えないのだ。むしろ、注意すべきは、個々が新しい枠組みでの未経験なポジションに不賛成か、不慣れなため全体を見渡す能力が具備できていない点にある。繰り返すが、問題はバランスであって、課題は個々の内部にある。歯車は一定の速度で回転し時間を経過しながらも、この地といわず中央、もしくは他地域とも一定した問題を抱えているわけで、我が国の置かれた現状は共通するとみる。バランスは、全体で一つに見えながら、各人にそれぞれ存在し、辺境の地での固有の課題とは言い難いのだ。よって最終結論として、今後我々としては、個と全体とのバランスに着目しつつ、主導権を握ることが予想される大人が一方的に利己的バランスを保つことに専念させてしまう危険がないよう監視をさらに強化していくものである。
 よって、今回調査に当たったセンターも同様であり、構造的にそれ自身一つの巨大で不完全なバランスの中、様々な歯車が組み合わさり回っているが、子どもと保護者と職員と受験と学校教育と地域と町と数え切れぬ大小の歯車が、可視不能なシフトに連結され動いていることにこそ着目するものである。けっして構造のみに捉われることなく、全体の不統一なバランスに重点を置きつつ、今後とも我々は、調査対象の地が我が国中央と将来一体となった構想を見据えた上で、政策を一貫していくものとする。
   *          *
   エピローグ
 非常用扉の大きな窓には、暮れかった薄い浅黄色の膜に覆われた景色が映っていた。横には襞を幾本も折重ねながら内臓のように落し込んだ通気孔がある。光の差さぬ暗い孔の中には、何か深い叫びのようなものが、樹液のようなものに塗固められ、押し込められているようだ。
 綾と健一も、もしかするとこの『レモラ・ハウス』にいる短い間、こんな空洞へ口では言い尽くせぬものを投げ込んでいたのかも知れない。コンクリートの白壁に、ラウンジから漏れて出る螢光の明りを手がかりにやっと像を結んだ一人の男の影が距離を置いて縦に伸びていた。等身大よりやや大きめなはずなのに、なぜか同じくらいに思え、それでいて他人の影のようによそよそしく、時折り解れたように白んだ。
 瀬上は、片桐からの電話のあと受話器を置くと窓から視線をずらし、それからしばらく自分の影と向き合っていた。
 綾と健一は、たった今、母親に連れられ帰っていったばかりだ。彼は今日は送りに出ず、一人この『レモラ・ハウス』に残っていた。ときどき肩口から落ち込むように影は踞み、またすぐに立ち上がると横へ退き、今度は上下に揺れながら静かに近づき、瀬上へそっとつぶやくようだった。
 ふと、誰かの声がした。影と向き合い初めて発する瀬上の声だったかもしれない。それはまさしく一人言のようでもあったし、今の彼にしてみれば、胸の塞ぎから幾らかでも解放されようと思った節がないではなかった。
 影は、洩れてくる光だけでは少し心細いらしく壁をつたって広がり切れず、困惑しているようだった。それでも風に揺れる蝋燭の光のようないつ消えるかもしれぬ不安定さはなく、やがて輪郭を徐々に取りもどしていった。
 片桐と老人の会合後、一週間してから『レモラ・ハウス』での第一回目の児童の入寮が行われたとき、既に瀬上の姿はセンターから消えていた。代表の片桐は、堅く口を閉ざし職員たちには何も言わず、平然とした態度でセレモニーに参加したが、誰の眼からもそこに漂う裏切りと動揺の色は隠し切れなかった。
 しかも、職員たちを驚かせたのは、それだけではなかった。『レモラ・ハウス』が開寮からわずか数日たって早くも名称の変更が行われたのだ。それには、合宿日に当たっていない期日が選ばれ、子どもたちに知らされることなく一部の職員たちでパンフレットから建物に刻み込まれた文字まですべて変更の手続きが速やかに行われていった。銀色の屋根の建物には、『クラーケン・ハウス』と光沢を浮かべた鉄の文字がプレートに埋め込まれた。
 海岸から吹き寄せる潮風を受け特別加工されたその文字は錆びることなく、海の巨大な海龍にふさわしく、辺りの島々をのみこむ勢いで、その後、子どもたちを一人、また一人と受け入れていった。
 夕闇が迫っていた。日は、広大な内海を越え聳える丘陵の向う側に沈み切っていた。しかし、光の残照は鮮やかに今も残っている。
 それから数日後、一人の男が、ある駅の向かいのビルの窓に身を擦り寄せ、食事をとっていた。
 彼は食器から目を離すと眼前の駅舎をただじっと見ていた。幾つものレールが地面を匍うようにホームへ集まり、列車の車両は、駅が都市からかなり離れた近郊の終点であるため客数も少なく疎らだった。車内が、角度をつけてはいるが、網棚に置き忘れられた週刊誌の類まではっきりと見渡せた。
 客は立ち上がり、どの車両にも等しいぐらいの人数が重たげな動作で張りつき、仕事を終えた安堵感か躰の隅々に残る疲労のせいか、どこか投げやりさを込め扉の前にじっとしている情景は、まさしくこの土地独特のもののように思われた。電車は静かに滑り込み、市電の向うにはまた別会社の市電の駅があり、その両方の駅にたまたま一緒に二つの車両が入ってくるとその距離は縮まり、重なったように上下に位置した。上空では山際に赤い炎がゆらめきその上は黄色がかり、さらに青味がかっていた。やがて透きとおった青になると、霞んだ雲に溶け菫色に染まり、すぐに闇が日の沈んだ中心から引き摺り下ろされ、弧自体を絞り込み丸みを細らせるようにそちらへ連れ込まれた。日が落ちてからずいぶん長く感じられた。燃えるような赤の次は、今度は淡い茜がむしろ同じように長く散って線を描きだした。
 電車は清掃も終わり、出発の準備が始められようとしていた。車掌が忙しく立ち働き、線路は闇の中に見えなくなった。山際から山裾へ赤い残照は降り、一瞬白みがかったように霞んだ。男は瞼でも凝らしたか、額に軽く手を当てた。照明の中、電車のホームを行き来する人影とその白い影が交錯した。山際に全ての色が出揃うと、沼のような内海は陸と山と空とを一つにしたようにそこにうっすらと伸び広がった。アパートのように立ち並んだ列車は行き急ぐ乗客たちの住家のようにそこにあった。工場は地面に横たわり腰高にその全体を寝かせている。
 男はそこを立ち、別のところへ行こうとしたが、ふとまたさっきの山裾が気にかかり窓枠へ歩み寄った。山が一瞬紺青に色づき浮かび上がったように思え、怯んだように躰を竦ませ、またすぐにそれも消え、視線をもとに戻すとようやく闇は底に下り立ったようだった。うっすらと白い粉雪が遠く空の彼方から人知れず舞い降りていた。

エデュケイショナル スノウ ~ある十二の報告集から~

2020年4月29日 発行 初版

著  者:宮本誠一
発  行:夢ブックス

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宮本誠一

1961年熊本県荒尾市生まれ。北九州大学文学部国文科卒業後、学習塾講師、大検(高卒認定)専門予備校職員などを経て、熊本県小学校教諭に採用。二校目の赴任地(阿蘇市立宮地小学校)で、卒業生である発達障害の青年との出会いをきっかけに33歳で退職し、当時阿蘇郡市では初めての民間での小規模作業所「夢屋」を立ち上げました。その後、自立支援法施行に伴い、「NPO夢屋プラネットワークス(http://www.asoyumeya.org/)」を設立し、地域活動支援センター(Ⅲ型)代表兼支援員として阿蘇市から委託を受けながら現在に至っています。 運営の傍ら、小説、ノンフィクション、児童文学、書評などを発表してきました。部落解放文学賞に5回入選、九州芸術祭文学賞熊本県地区優秀賞2回、熊本県民文芸賞、家の光童話賞優秀賞などを受賞させていただいています。

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