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この本はタチヨミ版です。
巻頭企画「あの世」
◆面影が崩壊して行く 押利 鰤鰤
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少し昔。
まだスマホどころかガラケーも無かった時代。
親の世代の中でも営業職に付いている奴だけがポケベルを持っていたくらいの時代。
世の中はバブル景気の盛りの頃で、華やかで賑やかだった時代。
大工で個人事業主を親に持った俺には何の恩恵もなかったけれど、それなりに未来に希望がまだ持てた時代だったと今になっても思う。
そんな時代に高校生になったばかりの俺は死んでしまった。
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激しい衝撃を体に受けたのは覚えている。
その衝撃がスッと通り抜けたと思ったら、足元の血溜まりの中に上半身と下半身が密にならない様に分かれた俺がいた。
頭部は生涯で二度と麻婆豆腐が食えなくなる状況になっており、その影響かどうかはわからないが頭の中は真っ白だった。
どうやら大型ダンプカーに轢かれたようだ。
ダンプカーから運転手が降りてきて、口からいろいろ吐いているが、それは俺の肉体の状況を見てなのか、事故を起こしてしまった事に対する精神的重圧から来るものかはわからないし、知ったことでは無かった。
俺が心を痛めるのは、目の前で俺の脳味噌を一生懸命、割れた頭蓋骨中に戻そうとしている付き合い始めたばかりの彼女の春の事だけだ。
真新しいセーラー服が俺の体液で、酷く汚れていた。
「もういいよ、春。そんな事しても俺はもう死んでるよ。汚れるからやめてくれ」
当然のように俺の声は聞こえるはずはなく、一通り大雑把に脳味噌を詰め込んだ春は、次に下半身を引きずってきて上半身と合わせようとするが、さすがに内臓関係は辺り一面に散らばったり、ダンプカーのタイヤに持っていかれたようで、あきらかに内容物が足りないのだが、春は汚れた手で額の汗を拭うと小さく良し‼︎と呟いた。
何が良しなのか、いまいち俺はわからなかったけれど、今の精神状態ならばそこで納得するしかなかったのかも知れない。
遠くから救急車のサイレンが聞こえて来る。
そこで春は気を失ってアスファルトの上に倒れた。
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幼なじみを好きなると言うことは、そんなに珍しいことではないだろうと思う。
容姿端麗、質実剛健、文武両道となれば相手にとって不足は無い。
逆に問題は俺にあると言えたのだが、惚れた方の負けであると言うことは言うまでもなく、恋心に気がついた中一の頃からの微妙な距離を取り続けたのだが、高校生活を桃色ゴールデンタイムとする為に一念発起したわけだ。
俺の告白に真っ赤な顔をして正拳突きで答えてくれたと言うわけである。
水月に無呼吸になるほどの痛みを抱えたが、後の祭りである。
俺の頭の中には既に詳細な人生設計があった。
高校をイチャイチャとしながら卒業し、程々の大学をふんわりと卒業して、お互いに手取り三十くらいの会社に就職。
二十代の半ばで結婚して、子供は三人程度。
三十代の早めに庭付きのマイホームを建てて、慎ましく幸せな人生を送り、定年後は歳を重ねた春と時々旅行にいったりしながら、最後の日まで子供達に頼る事なく二人で生活していく。
できれば八十くらいまで生きて、先に逝くのは俺だ。
そんな夢のような日々が、本当に夢になってしまったなと、自分の葬式に高校のクラスメイト達と一緒に参列しながら考えていた。
横にはずっと泣き続ける春がいる。
余りにもずっと泣き続けているので、俺は春が壊れてしまうんじゃ無いかと心配になった。
その春を支えているのはクラス委員長の何とか言う女子だ。
委員長も泣いていたが、クラスメイトになって二日目の名前も覚えていない女子に泣かれる覚えは無いのだけれど、今は春を支えてくれている事に感謝しておこうとは思う。
葬儀は進み、俺の体は火葬場に運ばれて骨になり墓に入れられた。
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死んでしまった事は仕方ないと思って諦めるしか無いとは思う。
ただ目の前で凄惨な事故を見た春の精神状態が心残りだった。
それが気がかりで俺はあの世に行けず、春の周りをウロウロする浮遊霊をしていた。
死んだ魚のような目で、数ヶ月過ごした春は、委員長のやクラスメイト達の支えのおかげもあり、少しづつ笑顔を取り戻していく。
それでも夜はベットの中で泣いている事が多かった。
それが俺が死んでしまった事が原因なのか、春が負った心の傷が原因なのかはわからない。
俺はただの浮遊霊であって、春の心の中を知る事はできない。
俺は彼女が早く俺のことなど忘れて、幸せな日々を暮らすことを願うだけだ。
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俺が死んでどれだけの日々が経ったのか浮遊霊の俺にはわからない。
ただ春は高校を卒業し、地元を離れて進学した大学も卒業して就職した。
以前のように毎晩ベッドの中で泣いてることもなくなり、表情も明るくなった。
交際を求められることも多いが、やんわりと少し悲しそうな顔をして断りを入れている。
今年の命日に俺の実家に顔を出した時、春に年老いた親父が言った。
「春ちゃん、もう来なくていいんだよ。アイツが死んで随分経った。俺たちを気にしてくれるのは嬉しいけれど、春ちゃんには早く幸せになって欲しいからね」
春は少し困ったような顔をして、そうですねと言った。
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俺が死んでどれだけ経ったかわからない。
ただ春が五年付き合った同僚と結婚した。
同僚の猛アタックに根負けした春だった。
プロポーズを受け入れた時の春の笑顔は俺の知らない春の顔だった。
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俺が死んでどれだけ経ったかわからない。
春に孫が生まれた。
もう俺の知らない春の姿だ。
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春が亡くなった。
老衰だった。
俺は何であの世に行けないのだろう?
「墓荒らしの仕業だろう」
瑪列宇が言った。ぼりぼりと刈り上げの頭を掻く。
「でも、墓石まで盗む意味がない」
そう言うと、彼はうーむと唸った。それがこの事件の不可解なところだった。
目の前の穴を覗き込む。地面の一角が、綺麗な直方体に切り取られていた。もともと誰かの遺骨が埋められていたところだという。
墓荒らし自体は珍しいことではない。納骨棺をこじ開け、中にある金目の遺品を奪っていく。死者に敬意を払わない盗っ人はあとを絶たない。しかし棺の中身だけでなく、ガワの棺や墓石さえ盗られるケースは、まずありえなかった。
「棺や墓石自体が、高級だったとかか? こんな共同墓地には似つかないが」
「いいえ、ここの墓は平凡なものだったはずです」
管理人が不思議そうに言う。私たちに調査を依頼した張本人だ。
「なんの変哲もない墓石を、わざわざ持っていく、か……」
「もう一度聞きますが、昨晩ほんとうに怪しい人は見なかったんですね」
「ええ、見ていたら話しております」
「怪しい音とかも」
「ええ」
「こりゃあ、妙だな」
瑪列宇が漏らす。私は頷いた。
「一人ではまず、できる量ではない」
一帯を見渡す。共同墓地には、人ひとり分の広さに区分けされた墓が、何列にも並べられている。シンシォン中国最大規模といわれるこの墓地は、地平線に見える山の麓まで墓が続いているのかとさえ錯覚するほど、延々と田んぼのように墓が並んでいた。
しかしその至る所に、穴ぼこが見える。すっぽりと、まるで墓を作る前段階に戻ったかのように。点々と墓列に虫食いができている。
そのいずれもが、たった一晩の間に生まれていた。たった一晩で、この共同墓地のいたるところの墓が消えた。墓の中身だけではない、墓石も、その下に埋められていた棺もすべて。大人数でなければまず無理の作業量だが、墓荒らしの姿を見た者はひとりもいなかった。
「どうか犯人を見つけてください。上からは減給を言い渡されているのです」
管理人が瑪列宇の肩にすがる。彼は面倒くさそうにその手を払った。
「わかったわかった。どうにかしてやる。俺たちに解けない謎はねえからな」
「ひとまず、穴をひとつひとつ調べてみよう。何か手掛かりが残っているかもしれないし」
タチヨミ版はここまでとなります。
2020年6月10日 発行 初版
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