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塔
列をつくり人が腰を下ろしていた。埃をかぶった服を着て、一針一針縫い目はしっかりしていても、よく見るとその一本一本に擦り合ったような解きが見られる。しかし、全体のステッチはまだしっかり布地を支えている。そんな一人一人、というより一体一体は、全身を細長くして色褪せ土気だった靴を前へ放り投げ、躰を壁にあずけている。その目は、どれも同じように遠くを見ているように思え、それがやがて心なし俯いてしまうと実は、はっきりしたところを見ているのではなく、ただ、瞳を開いているに過ぎないということがわかってくる。そうやってじっとしていることだけが、今できる心の休まる唯一の方法であると信じているかのようにである。
「その塔にいっちゃいけないよ」
母はいつも、私に言った。
「だって、あの人たちは……」
「だめなんだよ。あそこだけは」
少しでも言い返そうとする私の言葉足らずなその先を見透かすように、母は、尚早口に言う。
「あそこだけは、近づくことさえできないんだよ」
「どうして」
「どうしてって、だめなもんはだめなんだよ」
私は、地方の小さな新聞社の記者をしている。
隣の家で三毛が生まれました、とまではいかないがそれに類する記事を書いてきていることだけは確かだ。
ごく身近なものからいけば、交通事故の件数であるとか、催し物の期日とか、いらなくなった中古品の売ります、買います、譲りますコーナーであるとか、最近始めたものとしては、新聞をとおした花嫁、花婿募集というのまである。もちろん、経済部、社会部もあるにはあるのだが、概ね、中心は前記のものに偏っている。購読者の多くは、うちとは別に大手のものを取っており、いわばこちらは身近な広報誌の役目を持っているのだ。
そんな私が最近よく見る夢が、この塔の夢なのだった。
夢には、三つのはっきりした場面があった。
一つは、右斜め上空から、小高い山を過ぎその先端から少しずつ全体が視界に入ってくる。塔は、古いゴシック調のつくりをしていて、大きな柱とそれを外から縁取った刻み模様は、入り組みながら重層な感じを抱かせる。私は、空から迫りながらいつもその塔へ、蜉蝣のようにふらふらと近づいていくのだ。
次の場面は、突然人々の顔になる。
疲れた顔がいくつも並び、私はなぜかゴム草履を履いている。子どもに戻っているのだろうか。とは言え、快活な少年期の地面を蹴って進む歩き方はしておらず、音をできるだけ立てないよう気を配り、摺り足で人々の休息の邪魔にならぬよう注意しながら見て回っている。やがて母の声がしてき、駆け足で降りていく後ろ姿が自分ではっきりわかるのだ。くの字型に折れ曲がった上下に結ばれた階段と途中途中にあるほんの僅かの踊り場との小さな隙間の交錯する中へ消えていくのだ。
最後は、母に制せられた後、塔の前方に聳える山に登り、やはりそこからまた懲りもせず塔を見つめている姿である。塔がよほど気に入っているのか、それともその中で倒れている人たちと、その横たえた躯に愛着を持つのか、母の声はさすがにそこまでは届かないが、夕暮れまで塔から目を離さず半ば恍惚とした気分で見とれている。
夢はそのまま、記憶の底に沈み込むように底の底へと流れ込み、やがて細部を埋め尽くしていくと息苦しさが増し、私自身、息たえだえといった状態になり、暗闇に一人取り残されたように終わってしまう。
それから目を覚まし、渇ききった唇で母の残した言葉を反芻しているのだ。まるで、夢の残滓を記号にでも変えているように。
そんなあるときのことだ。
私に次のような取材が舞い込んできた。
新聞の購読者の住んでいる範囲をセスナ機で飛び、地元では比較的活発な果実栽培の様子を見て一年間の特集を組んでほしいというのだ。
春は苺の路地栽培であるとか、夏は甘夏、秋は梨、冬は蜜柑といった具合に、どのような線を地形に刻み込みながら果実が成長しているか、地上から見たのではなく、上空からその輪郭だけを取材してほしいというのである。これにはかなり知名度の高い地元出身の代議士からの申出があり、そうとう大きな資金が出ているというのだ。
どうやら小さいながら政治基盤であるに違いないこの町を、果実の町として全国的に売り出したいつもりらしく、大学の農学部ともタイアップした企画らしい。
私も一度はこの町を空からじっくり見てみたかったし、夢の中で出会った塔も気になり、嬉々として取材を始めたのだった。
春
路地苺は、見事なコラージュを地上に描き出していた。苺は、上空から見るとまるで点描されたスケッチ画の挿絵のようで、真っ赤な表面は、もちろん一粒一粒肉眼では識別できないが、苺特有の色褪せた赧が地面の葉や茎とに締め出されたように浮き上がり、淡い鮮明さを示していた。
「なかなかのものじゃないか」
私は、一回り以上年下の操縦士の柄本に話しかけた。
彼は軽く首を動かしただけだった。
私は視線を外へ移すと、同行していた写真担当の田村に撮影の指示を与えた。相手はカメラを腕で固定させ、アングルを固めているようだ。
「後で他の季節の果物とのコントラストも狙っているから、そこも考えてくれよ。柄本は低空を大きく飛んでくれ」
打ち合わせの段階で既に聞いているその言葉に、了解の意味で頷くや、操縦桿を動かした。尾翼と両翼とに微かに空気抵抗がかかり、押し上げるような揺れが震動となって広がり、下腹に伝わってきた。私は取材ノートに簡単なスケッチと苺だけではなく、民家の風景をデッサン画のように書き取っていった。
取材も終え、飛行場へ戻るために一度海岸線へ出、旋回しかかったときだ。
一瞬我が目を疑った。
「ああ、ちょっと待って……」
操縦士に思わずそう言いかけるや、すぐにやめた。
夢に出ていた塔がそこにあったように思えたからだ。だがそれは、海岸の突端に行けばよく見かける丘陵と断崖に囲まれた岬だった。
塔に見えたのは、セスナ機と夢の中での接近の仕方があまりに酷似していたからかもしれない。
小高い丘とキラキラ光る幾本もの波をたたえた大海原があり、岬は両者に挾まれるようにしてあった。
私は性懲りもなく、またデッサンをした。
塔などないとわかっていながら高揚した気持ちで鉛筆を走らせたのである。
「田村、あの岬もついでにおさめといてくれないか」
「岬を?」
「ああ、そうだ」
「わかりました」
相手はいかにも撮影者らしく、いつになくはりきっていた。
社に戻ってから、私は自分のメモと現像し終わったばかりの写真を見比べ、何かそこに隠された暗号でも探り出すかのように、夢の情景を思い浮かべていた。浮遊感の残る身体と夢での飛翔感とが重なり合い、もっとはっきりとしたものが掴める気がした。
「吉田、なかなかのが撮れたな」
「まあな」
編集の久具が声をかけてきた。
「柄本も腕を上げたよ」
私は、そう言って微笑んだ。
久具は私とこの社に二年違いで入ってきた。向こうが先輩だが、私が学生でしばらく余分に過ごしたため年は同じだった。
「ところで久具、おまえこの岬知ってるか」
「岬?」
ほら、と私は何枚か写真をつかみ、突き出した。
「へえ、これはどの辺りだ?」
久具の質問に、私は丁寧に答えた。
「あそこはこんなだったんだなあ」
感心しながらも首を傾げた。
私は編集デスクの鹿島に、今回の取材でもう少し詳しく調べてみたいことが出来たと無理を言い、柄本も連れ岬まで車を走らせた。
「まあ、今度の企画にはお偉いさんからのバックアップがあるからね。うちとしちゃあ、ビッグなメインで派手にしたいんだ。ただでさえ農業を扱えば暗くなりがちだしな。せいぜい枠外さない程度にがんばってくれよ」
私はハンドルを取りながら、出がけの鹿島の励ますような口振りを思い出していた。
「吉田さん」
柄本は助手席でレンズを磨きながら、言った。
「俺、あの岬を撮りながら、何か不思議な感覚持ったんです」
意外な柄本の切り出しに私は最初、どう反応していいかわからなかった。
「へえ、どんなのか聞かせてくれないか」
それでもちらりと視線をやり、そこがたまたまカーブに差しかかっていたため軽く手首を返しハンドルを切って片手を離すとラジオのスイッチをポンと切った。『あっ』とも『うえっ』ともつかぬアナウンサーの声が、擬音のように意味不明なものとなって消えた。
柄本の話は、こうだった。
「よくあるでしょう。遅く帰宅してて、随分走ったな、運転したなあ、そろそろ家かなって回りを見回しても半分も来てないっていうのが。それなんですよ。かなりシャッター押したな、いろんなアングルで撮ったなって確認しても、意外と撮れてないっていうか」
坂道になったためギアを一つ落とし柄本を見ると、どこか怯えた表情になっていた。
「お前は、あの岬のこと知ってたのか」
「いえ、全然」
私は、幻覚を見たのは黙っていた。
塔は、あのとき確かにあった。
車が、本車線と二股に分かれるところに差し掛かった。一方は海水浴地である弓なりの海岸へ続き、もう一つは、かなりきつい上りの後、岬へつながっているはずだ。
私たちは迷うことなくそちらを選んだ。
エンジンの排気音がけたたましく鳴った。
雑木林を抜け、見晴らしの良い場所に着いた。適当なところに車を止め、私と柄本は降り立った。岬がつい目と鼻の先にあった。
「なかなかいいところじゃないです」
柄本は早速、カメラを取り出すとシャッターを押し出した。
私は一人岬の突端へ歩いていった。
一人が歩けるほどの小道が少し下りながらつづいていた。
断崖のすぐ手前に着いた。
小さな石碑があり、文字が刻まれていた。
フォーチュン・ヒル(幸運の丘)
雑草が生い茂り、春の蟲たちが羽音を立てて飛んでいた。
大海原が、これ以上遠くまで見渡せないほど迫ってきていた。振り返ると車を置いた場所が何の遮蔽物なく視野に入り、柄本が相変わらずファインダーを覗いていた。
私は崖際まで歩いていった。
弓形をした浜辺が静かに波を受け佇んでいた。夏になれば海水浴客たちで賑わう砂浜には、今は誰一人いなかった。私は、その場で柄本がくるのを待った。
彼は十分ほどしてやってきた。
「吉田さん、ここ、すごく見晴らしが良いし、開発すれば名所になるんじゃないですか」
「でも、ちょっと寂しすぎないか」
私は、感じたまま言った。
「そうですね」
柄本も同感らしかった。
潮風が時折、煽られるように吹き上がってきた。
帰りに私は、柄本の祖父が動員された軍需工場跡に案内してもらった。
「全部とは言えませんが、けっこうまだ残ってるんです」
「せっかくここまで来たんだし、よろしく頼むよ」
運転を彼に代わってもらい麓に出た。
跡地は蛇行するように流れる小川にかかった橋を渡り、しばらく行くとすぐにわかった。道路の向かい側に弾薬庫の跡が残っていた。今は扉もなく、まるで横穴式古墳のように穴倉が四つ並んでいるだけだ。
私たちは車を止め、危険防止のための柵の外から中を覗いてみた。
かつて積み上げられていたであろう弾薬はもちろんそこにはないが、薄暗く冷気が感じ取れ、異様な静けさがあった。
戦争中、おそらくかなり深いところまで掘られていたであろうことが、途中で固められたコンクリの壁から察せられた。
「吉田さん、そろそろ社にもどりませんか」
柄本の言葉に促されるようにその場を立った。
第一回目の特集の反応は様々だった。社には珍しく沢山の投書もきた。
わたしは、四十年、農業をやってきた者だが、こんなにうれしかったことはないという素直な喜びから、今更あんな記事を連載する気が知れない、といういささか立腹した抗議めいたものもあったが、おおむね好評だった。
「吉田、まずまず良いスタートが切れたな」
久具が激励の意味で言葉をかけてくれた。その横では鹿島がニンマリと笑っていた。これで、資金もとの代議士に立てる顔もでき一安心といったところだろう。
実はその時、私は密かにもう一つ鹿島に特集の願いを出していた。
あの岬だった。
「あそこは俺も調べてみたが、戦争中、麓の弾薬庫と関係が深かったらしく火薬の原料の硫黄や硝酸カリウムが大量に流出したって噂だ。それで風光明媚でも手つかずになってたらしい。うちは地元と結び付いてなんとか生きてきた新聞社なんだ。イメージダウンになることはできないし、諦めるんだな」
行き着くところ、私は柄本と暇を見つけては岬について調べていくしかなかった。
そうこうしているうちに春は過ぎ、熱い日射しが降り注ぐ季節がやってきた。
夏
甘夏は、強く差し込む日射しを受け、酸味と甘味を袋に蓄えようとしているようだ。厚ぼったい葉が、果実の周りに生い茂っていた。
撮影も終え、前回と同じように海岸線から大きく弧を描き戻ったときだった。
「塔だ、おい柄本見えるか、塔だよ!」
私はつい大きな声を上げてしまった。興奮のあまり血が逆流したように熱くなった。夢で見た、あのゴッシック調の外壁を備えた塔が立っていた。
「あれだよ、あれ。俺の夢に出てきたやつは」
「塔?」
柄本はきょとんとしていた。
「ああ、そうだ、あの中に人がいるんだ。くたびれ果て、座り込んでこっちを見てるんだ」
「吉田さん、大丈夫ですか。塔なんかないですよ。ただの岬ですよ、ねえ、吉田さん、もう一回、しっかり見て下さいよ」
私は言葉を追いかけるように両目を見開き、再度見た。塔は消えていた。柄本の言うとおり、岬の丘陵があるだけだ。
気を取り直すように、操縦士に言った。
「すまんが、できるだけ近づいてくれないか。はっきり確かめたいんだ」
セスナ機はプロペラを響かせ接近していった。
土手の小道も石碑も肉眼で確認できたが、他にどんな建立物もなかった。
─このぶんだと塔のことは、誰に話したところで相手にされないな。
私は、一人そんなことを思っていた。
秋
二度目の特集も好評に終わり、次の取材がやって来た。
梨は台風の被害を直撃し、出荷前の一番大事な時期に哀れなほど地面に振るい落とされていた。それでもどうにかしがみつき残っているものもあったが、ボリューム感に欠けるのは否めなかった。
いつものように取材を終え岬へ向かった。
塔は、私にさえも映らなかった。
「吉田さん、どうです。塔は見えますか」
柄本がすっかり慣れた口調で聞いてきた。私は旋回する間、黙っていた。
「どうします、もうしばらく飛んでみます?」
珍しく、田村が訊ねてきた。
「そうだな……、」
私はしばらく考え、「悪いが麓の景色も見てみたいんだ。そっちにも行ってくれないか」
弾薬倉庫跡地だった。
なぜかそこに塔があるように思えた。人々が疲れて眠る塔が立っている気がした。
だが、その地に近づくにつれ私は落胆せずにはいられなかった。
塔どころか、影一つなかった。
私は本気で『幸運の丘』について知りたくなった。まず手始めに名付け親に会いたく、町役場に行った。
役場は三階建てで立派なつくりをしていた。
仕事の関係上よく出入りし、奥の窓口カウンターに観光課があることは知っていた。
「実は、あの岬について知りたいんですが」
持ってきた地図を広げ、いつ頃、だれがあの名前をつけたか訊ねた。
「幸運の丘、ですね。ちょっと待って下さい」
ベテランの女の職員が手際よく調べてくれた。
「わかりました。木村さんて方です。十二年前に退職なさって今はご自宅にいらっしゃるんじゃないですか。退職される最後の最後まで、随分、あすこを保養地にするよう尽力されたそうですけど」
私は住所をメモした。
家は、隣町との境界にあった。呼び出しブザーを押すと年配の女性が出てきた。木村の妻だった。夫のことを訊ねると表情が俄かに曇り別人のようになった。
木村は退職して一年たった頃、認知症の徴候が出始め、今ではすっかり記憶も薄れ、少し離れた施設に入っているとのことだった。
「せっかく来てもらって、申し分けありませんが」
彼女は、質問は何一つ受け付けないとばかりに丁重に断ってきた。
「岬の〝幸運の丘〟について、木村さんはかなり熱心に打ち込まれたとお聞きしましたものですから」
「ああ、退職直前のことですね。私も覚えてます。主人は執念のように走り回ってました。どうにかしてあそこを整備して保養地にしたいって家でも言ってましたから」
「何か、そのことで残っている資料みたいなのはありませんか。日記とか何でもいいんです。あの岬について書いてあるやつでしたら」
しかし、相手は残念ですけどぽつりとつぶやくなり、口を閉じてしまった。
私は気落ちしながらも、最後の望みで施設へ向かった。
そこは広い敷地に植林が豊かにされ、涼しい風が心地好く吹いてきていた。建物自体も新しく、二階建ての屋上に貯水タンクと「夕陽山荘」と大きく書き出された看板が取り付けてあった。
入ってすぐのロビーで、私は見舞いに来たことを係の者に告げた。木村の部屋は、2階のエレベーターで降りたところから右に出た一番奥の突き当たりにあった。
扉を開けると、そこには、幾つか観用植物がプランターに植えられ壁際に置いてあり、部屋も日当たりが良く、広々とし、二人部屋になっていた。木村は、車椅子に乗って窓から外の景色をぼんやり見ていた。もう一人の老人は、散歩に出ているらしく、そこにはいなかった。私は彼の車椅子にそっと手をかけ、踞んで挨拶した。
顔は筋肉に張りはなく、目元から生気が失せていた。唇が弛み、唾液が流れた跡があった。瞼の下は黒ずんだたるみを抱え込み、妻が忠告したように、かなり認知能力はなくなっているようだ。早速、悔いの感情が走った。私はせめて何か手掛かりでもと、施設で彼を担当している職員に聞いてみた。しかし、これと言って収穫はなかった。
仕方なく玄関を出て駐車場へ行こうとしたとき、さっき職員へきいていたとき、遠巻きに見ていた女職員が駆けてきた。
「あのー、吉田さんでしたね、これでよかったら、……」
手には数枚の紙片を持っていた。
「木村さん最初、デイケアで来てたんですが、そのとき熱心にこんなもの書いてたの」
彼女は周囲を気にしながら話した。
「私、ここの利用者への介護の仕方、ちょっとおかしいって思ってたんです。それでこれ読んだときもいざっていうとき大事な証明になるかなってこっそり取ってたんです」
彼女はどうやら告発につなげたい思いがあるらしかった。
「だって、もしかしたらここに出てくる『独房』って、夕陽山荘のことかもしれないじゃないですか。だとしたら、今そちらにお渡ししてここの改善に役立てば、きっと木村さんもうれしいんじゃないかなって思って」
どんな理由にせよ、貴重な資料の提供はありがたかった。
私は大きく頷き礼を言い、車に戻るやその場で目を通した。
木村の手記
独房は、少しずつ監督の目が揺るやかになってきていた。
戦況が、今、どう変わってきているのか、ここに連れてこられてから、判断ができにくくなっているが、そのような僅かの変化でどうにか見当がつけられる。果物が腐ったような匂いがいつもしている。 海岸寄りにあることは、微かに聞こえてくる波音でわかってきている。
つまらぬことで飛ぶ看守の怒声や罵声も最近では少なくなったが、何より昼間は、神経を集中させるには暑すぎる毎日がつづいている。
鉄格子越しに看守に起こされた。また、いつもの取り調べが始まる。苦虫を噛み潰すような思いだ。私が上官を撃たかどうか。軍の執拗な取り調べは以前は昼夜なくつづいていたが、最近ではすっかり少なくなり、労役の合間を縫ってたまにあるくらいだ。
私は、当時、歩兵部隊のある連隊に所属していた。そこで一つの事件が起こった。一人の上官が死んだ。最初その上官の死は、大本営には、自決であったと連絡されていた。絶対国防圏の防備強化のためやがて乗り込むべく南洋諸島の一画に位置する島への機動準備としての僅かな内地での時間と厳しい訓練の合間に、その自決事件とでも呼ぶべきものは発生した。しかし、何のための自決か、そこが問題だった。既に、その島には別の歩兵連隊が先遣隊として出発し、我が隊も、準備を整え向こうでは、隊の到着を今か今かと待っているその矢先だった。つまり上官の死は、早すぎる、理由の分からぬ死であった。そこで浮かんできたのが、部下の上官殺しであった。私は、かつてその上官と揉め事を起こしていた。内地に戻ってくる前加わっていた戦闘の行軍中に飯盒を失くした男を、私が庇ったのである。
いやしくも天皇陛下の授け給いしものはすべて、御心の分身たるものぞ。上官は叫び、私は、失くした本人よりいやというほど殴られ、寒い二月、罰として腕立ての姿勢のまま、外に数時間静止しさせられた。しかし、そのようなことは当然で、揉め事と言えるほどはなかった。しかも、上官と言っても、連隊の指揮に影響を与えぬ下級官部の死である。懇ろに葬っておけば、それで事よしとできるはずだった。だがなぜか、その死の疑いが私にかかってきたのだ。
私は反逆罪の容疑に問われ、ここへ連れてこられた。私の所属する隊は死守すべく南洋の島へ出発している頃だ。
私には次第に焦りの色が出てきた。もしかするとこのまま部隊に戻れず、どことも知れぬ場所で朽ち果てねばならぬのだろうか。地下壕はほとんど風がないかわり、空気も冷え、蒸し暑さはなかったが、じっとしていると今にも岩肌が全身に襲いかかってくるような圧迫感を覚えた。行き着こうとしている地点がどこかわからないこともその要因のようだった。
与えられた道具は鶴嘴と支え棒に嵌め板で、削岩用のドリルが班長のみ与えられた。
我々は逃げ出すたちの囚人ではなかった。十数名それぞれ、皆無口で不穏なことを考えているようには見えなかった。それどころか、おそらく元の部隊でもそうしたように、全身全霊、作業に精励しているようだった。
あどけなさの残った若い学徒動員組も作業に加わっていた。地元から来ていて夜になるときちんと整列し、帰っていった。
食事は、毎日二回、朝と晩、与えられた。朝食は、お椀に薄い汁が盛られるだけで、夜も皿と鉢に僅かに固形物と言えるほどの切れ端が載っかっているだけだった。
監視の一人は、頻繁に私たちが運がいいことを皮肉交じりに投げつけた。戦地では食糧さえ尽きてることを配給口から食事を差し出すたびに憎々しげに言い放つのだ。私自身、好き好んでここにいるわけではなかったが、さすがに労働後は胃や腸も活発に動き、むさぼり食った。そんなとき誰もそうらしく静まった地下壕の各房から咀嚼する音だけが聴こえきた。
当然だが独房と独房を隔てているのは厚い岩の塊だった。躯を僅かにずらす音や寝息など壁を通しては聴こえて来ないが、一たび鉄格子から外へ解き放たれると、地上以上に響き、はっきり耳元へとどいた。
私は、最近、自分の隣の房に入ってきた男に目をつけていた。
朝食を終え、取り調べがない時、労働に従事するのだが、房が開けられ掘削点まで整列して向かうが、私は、自分の前にいる男が順番からして隣の囚人と考えた。
道具を手に労役にかかるや私は男の横にすかさず移動し、監守たちの目を盗み話しかけた。
と言っても看守たちも最初ここへ連れて来られたときと違い、どこか注意散漫で一言一言の会話まで厳しく叱責しなくなってきていた。
名を言った私に男は一瞬、驚いたものの、いかにもわきまえているように小声で、坂本と名のった。そして、ここに来るまでは北の電信連隊にいたと告げた。
外は、今どんな状態なのか、私は尋ねた。
坂本は黙って首を横に振った。それは、わからないのか駄目という意味か、私にはどちらともとれた。
その日から私と坂本は、作業中放置されていく小さな杭を密かに持ち帰り、互いの独房の壁を削り始めた。
岩質は意外に脆いことはすでにわかっていた。
十日もすると、互いの声が微かに届くまでになった。
坂本は、本土決戦もやがては時間の問題であろうと言った。
本土決戦という言葉葉を聞き、出動した我々の連隊はどうなったか、不安になった。おそらくだめだろうと坂本は溜息つくように小声で言った。
私は坂本に日本は、負けるのか訊ねたが、相手は答えなかった。
この穴は何に使われるのか。私が聞くと、本土決戦に備えての地下壕になるんではないか、との返事がかえってきた。ならばこれも無駄にはならないわけだと私は少なからず安堵し、気持ちを伝えたが、それにも返事はなかった。
それから、我々は、幾日も幾日も穴を掘りつづけた。取り調べも、最初からすれば、日に二度も三度もあっていたものが、一度になり、それがやがて二日に一度になり、ついに三日に一度から、今では思いついたようにたまにあるだけで、ほとんどが作業だけになってしまった。
本土決戦という言葉を聞いて以来、私は、我然鶴嘴を振り下ろす手に力が入った。穴を掘っているときだけが南洋で闘っている戦友たちとともにいられる、そんな気がした。
ある日、朝、いつものように朝食を待っているといつまでも看守が現れなかった。私は壁を通して坂本を呼んだ。坂本も、さっきからまんじりとせず座っていたと言う。格子から呼んでも、だれも来ない。 ついに本土決戦が始まったな、と思った。
とうとうここで恥をさらしながら敵の銃弾を浴び滅することになるのだ。だが私のそんな思いは覆された。格子から届くところに独房の鍵束が落ちていたのだ。
自ら牢を開け決戦を迎えよということか。大本営からの最後の通達であり、心尽くしに思え、私は胸が締めつけられる思いがした。坂本の方が近かったのでとってもらった。
おかしいからすぐ、外へ出た方がいいと言う坂本に、いざ出陣の構えをとっていた私は躊躇した。なぜなら、へたに外へ出て、易々と敵の餌食になるより、ここで待ち構え、礫の一つでも食らわし散っていきたい衝動に駆られていたからだ。私は看守室へ向かった。武器らしきものは一つもない。坂本がしつこく追いかけ説得にかかった。私は坂本の、ではいよいよのときは二人で突っ込みましょうとの言葉に決意し、常夜灯を頼りに、何か月ぶりかに見る外の光に向かって歩いていった。
思いのほか、距離があった。
軍需工場や弾薬庫は、破壊され無残な姿になっていた。
地下壕は弾薬庫の倉庫の一つが入り口になり繋がっていたこちがわかった。私は改めてそんなことを漠然と受け止めていた。
呆然と立ち尽くしているとき遠くから私を呼ぶ声がした。坂本だった。私は、爆撃により飛散した鉄屑や折れ曲がった鉄線を避け、声のする方へ歩いていった。傍までいくと、彼は戦争が終わりましたよ、木村さん。日本は負けたんです。たった今、陛下のお言葉があったそうです、そう言った。
私は、無言で立っていた。
いや、少しでも動こうものなら、直ぐに膝から下が折れ曲がり、その場にへたりこんでしまいそうだった。日本が、……負けた……。私には、信じれなかった。信じろと言うほうが無理だった。連隊の仲間の顔が浮かんだ。やはり駄目だったのか。
私は、坂本の制止も聞かず、また弾薬庫の入り口から地下壕へと入っていった。
確か穴は、まだ途中だったな……。私は、そんなことをぼんやり思い、薄暗い壕へ戻っていった。
それから私は、死んだように夢中で掘った。波音がする。やがてこの穴はどこかへとどくはずだ。蝉の鳴き声もし、体の中から締め付けた。
足先から手の指先まで夏なのに寒気をおぼえた。蝉は相変わらず鳴き続けている。私は堪え切れず、その場に倒れ伏した。
それから十年後、私は、その穴の上に立っていた。岬だった。
数十メートル下に、我々の掘った地下壕が眠っていた。なんでも地盤沈下の恐れがあるため、発破をかけ穴はつぶし、壕の入口ごとセメントで埋めてしまうらしかった。
私の視線の先には南洋の島があった。
目の前に兵士たちがいて、私は最後尾にいた。駆逐艦の常備する内火艇から下り、今、島に着いたのだと隣の古参兵が振り返り説明してくれた。
海岸を過ぎると、ぬかるんだ道に出た。やがて視界はジャングルになり、大休止をとっている間に出した斥候群が、交戦中であることを知った。兵士の顔に緊張が流れた。我々は、白兵夜襲をもって攻めることだけを念頭に置いておけばいいと支隊長が鼓舞した。
夜を待った。深い帳が下り、一発の信号弾らしきものが上がった。敵に発見されたのだ。いよいよ攻撃のときは来た。我々は待ち伏せ態勢をとった。私も慌てて後方で同じ姿勢になった。
敵の猛烈な射撃によって火蓋は切られた。
我々は、じりじりと匍伏前進を余儀なくされた。速射砲の地に唸るような轟音が響いた。兵士が、敵陣の正面に出るたびに、折り重なるように倒れていった。それでも支隊長の進めの命令に変わりなかった。
倒れた兵士に見覚えある顔があった。飯盒を失くしたとき私が庇った男だ。私が抱き上げると彼の顔半分は、吹き飛ばされていた。死傷者は、あとをたたない。暗闇のいたるところから呻き声が聴こえ、それが啜り泣きのようになってやがては消えた。稲光が走り、やがて、天候悪化とともに豪雨が激しく降り始めた。密林の中は、泥濘化し、雷雨の中、倒れた兵士だけでなく負傷した兵士までが、土中に没していった。砲撃は一段と激しさを加え、夜が明けるまでつづいた。明るくなると、射撃の精度は上がる。敵の迫撃砲の火力は物凄く、無尽蔵と思われるほどの弾薬の幕の前で、我々の連隊は動く者がほとんどいないほどだった。すべて腕や足がちぎれ、躯がねじれたように倒れていた。支隊長もその中にいた。
ところが、一人だけ、動く者がいた。それが私だった。私は不思議なことに激しい射撃と降り注ぐ砲弾の中にあってさえも、傷一つ負っていないのだった。まるで、弾の一発一発が、私の躯の中を擦り抜けていくように、私の目の前を飛び散っていく肉片や、応戦もこと絶えたこちらの陣地にあって、茫然と立ち尽くしているのである。
俺を撃ってくれ。俺を撃て。俺はここにいる。俺は敵だぞ。
私は、叫びながら、敵の方へ向かっていった。それども、砲撃音だけ大きくなるばかりでついに私は、死ななかった。
波の音がした。気づくと私は、岬に立っていた。
戦地ではない、ここは、戦争が終わりやがて十年が過ぎようとしている岬だった。役場に勤める同僚が後ろに立っていた。この灯台の残骸も、取り除かなければいけないな、そんな言葉に私は、黙っていた。相手は、私の沈黙を察したらしく、言葉をその先つづけようとしなかった。
幸運の丘だよ。ここは、俺にとって生き延びることのできた、幸運の丘だよと、私は、打ち寄せる波の飛沫を見ながら、吐き捨てるように言った。
手記は、そこで終わっていた。
私は、店を出てもう一度、岬へ行きたくなった。幸運の丘を見てみたくなったのだ。レジで会計を済ませた私は、足早に車に乗り込んだ。
冬が近い。
風を受けて走る季節ではなく、窓は閉め切っていた。
厚手のジャンバーや、スカートを履いた人々を街中では、多く目にすることができた。信号待ちしているときも、頭から手記に記されてあった有様が離れなかった。
海岸が近くなるにつれ、私の気持ちは落ち着いてきた。もいじきなのだ。もうすぐあの幸運の丘へいける、そう思った。
雑草や生い茂った檪の中を踏みしめ歩いた。
岬の全貌が見え始めたとき、私は、思わず目を瞠った。
人がいた。
何人も、横たわり、こちらを見ていた。倒れ込み、躯を前へ投げ出している。その目はどれも昏い。ただ、不思議なことに、塔は、そこにはなかった。
私は誘い込まれるように人の倒れているその塊の中へ入っていった。夢の中で見たように、私は少年ではなかった。
彼らは、ううっ、とも、ああっ、とも人の声かそれとも波がぶつかり、深い断崖の下で木霊し合い、地の底から湧き出るような叫びを上げていた。今いる場所から少し離れたところに悄然と一人立ち、こちらに近づいてくる男がいた。
「お前は、敵か?」
すかさず訊いて来たその男の声に、私は首を振ろうとしたが、すぐに止めた。
「俺を殺してくれ」
男は叫んだ。
「俺を殺せ、殺してくれ……」
しかし、私が尚も黙っていると、ついにその男は、止むに止まれぬ声を絞り出しながら、両手を上げ断崖へ走りだした。万歳のまま、底知れぬ闇へ消えていったのだ。
「木村さん!」
私は、名を呼ぼうとしたが、それも途中で思いとどまった。
岬にも闇が迫ろうとしていた。
冬が、確かに来ているな、私は思った。
男の叫びとともに、人々の顔は、既にそこから消えていた。
冬
とうとう特集の最後の取材がきた。私たちは、天候の良い日を見計らいセスナ機を飛ばした。
「早いとこ、やってしまおうな」
催促する鹿島は眉間に皺を寄せた。
「焦ることはないさ」
久具は、微笑を口元に貼り付け、私を励ました。
雪が上がった直後のを持しての出発だった。
「悪いが、今日は岬の方から行ってくれないか」
私は田村に明るく努めて言った。
「了解しました」
張りのある声で答えた。
「吉田さん、果実の方はいいんですか?」
柄本が心配そうにカメラを手にしたまま言った。
私は、真っ白な銀世界を顎でしゃくった。
夢の中で塔に近づくと、いつも決まって母の声がした。
「そこに行っちゃ、いけないよ。近づいたらいけない……」
母は、五年前に他界しており、ましてこんな見も知らぬ場所へ行くなど考えられなかった。
それでは、あの声の主は誰なのか。
声は、いつも心配そうに諭しはするが力づくで止めようとはしなかった。
私は、ずるずると塔へ引き込まれている自分に気づいた。
セスナ機が旋回し始めていた。飛行機は、いつの間にか岬の上空に着いたようだった。
「吉田さん、あのとき見えた塔は、もしかするとあの岬のこんもりした形が、錯覚でそういうふうに見えたのかも知れませんね」
柄本が自分自身にも言い聞かせるようにして言った。
彼には、やはり何も見えないらしい。
しかし、私には見えていた。
塔があった。
紛れもなく、あの塔が深い眠りから覚め、一つ一つの外壁の溝に埋められた硬い土を剥がされ、ゴシック調を映し出しながら、私の目の前にあった。
但し、私は一切を口には出さなかった。
人々もいた。
夥しいほどの数だった。全員が蟲のように身を捩らせていた。顔を上空に向け叫び、一言ずつ言い終わると油が飛び散ったように動かなくなった。
屍だった。雪の上に焦げた黒い跡だけをいくつも残していた。
私は、思わず身震いした。
「いっちゃ、いけないよ」
母の声がした。
「わかってるよ。ちゃんと」
私は、心の中で返事した。相手は黙っていた。やはり、母ではないらしかった。
「もっと近づきますか、どうします?」
田村も、柄本と同じく何も見えないらしかった。
「引き返してくれ。もう充分だ」
パイロットにも、柄本にもなぜかこのとき安堵の光が差したのを、私は知った。
私は、もう一度、塔を見た。
人間たちが、やはりそこにはいた。
2020年4月29日 発行 初版
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1961年熊本県荒尾市生まれ。北九州大学文学部国文科卒業後、学習塾講師、大検(高卒認定)専門予備校職員などを経て、熊本県小学校教諭に採用。二校目の赴任地(阿蘇市立宮地小学校)で、卒業生である発達障害の青年との出会いをきっかけに33歳で退職し、当時阿蘇郡市では初めての民間での小規模作業所「夢屋」を立ち上げました。その後、自立支援法施行に伴い、「NPO夢屋プラネットワークス(http://www.asoyumeya.org/)」を設立し、地域活動支援センター(Ⅲ型)代表兼支援員として阿蘇市から委託を受けながら現在に至っています。 運営の傍ら、小説、ノンフィクション、児童文学、書評などを発表してきました。部落解放文学賞に5回入選、九州芸術祭文学賞熊本県地区優秀賞2回、熊本県民文芸賞、家の光童話賞優秀賞などを受賞させていただいています。