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チュン、チュンとすずめのなく声が聞こえていた。
烏丸高辻付近にある、洛内(らくない)小学校四年生、朝霧珠洲(あさぎりすず)の部屋の窓も明かりが差し込んでいた。その部屋では九月三日、朝七時を告げる目覚まし時計のアラームが鳴り響いていた。
「ーー」
珠洲はそれをぼんやりとしながら止めた。
「……」
そして、ベッドのわきの窓にあったカーテンを開けた。すると、すぐに部屋は明るい日差しで満たされた。
「……」
珠洲はその美しさに少しの間見とれた。
「あ……」
少しして、珠洲は部屋の学習机の前に行き、そこに置いてあった二つのヘアピンを手に取った。それを耳の前につけると、ショートヘアーの彼女の髪は、耳は表に出るようになった。続けて彼女はパジャマを脱ぎ、下は深紅のミニスカートを履いた。また上は白のTシャツを着た。そしてその上から、ハンガーにかけてあった、温州みかん色の長袖のジャケットを手に取った。そして、机の上のある手鏡に再度自分の顔を映した。
「……OKかな」
少し苦笑して、彼女は自室を後にした。
珠洲はその後屋外に出て、夏休み直前の学校に登校し、廊下を進んだ。朝の休み時間のため、どの教室もにぎやかで、また廊下も頻繁に他の生徒とすれ違った。
ただ、四年二組の入り口は不自然に人だかりができており、普段以上に騒がしかった。
「おはよう……?」
珠洲が彼らに挨拶すると、クラスメートたちも自然と彼女に道を譲った。
「あ……」
その先の机のうちの一つに、一人の少年、銭桂創(チェングエチュエン)が座っていた。
「ーーグエチュエンくん?」
珠洲は彼の姿を見て驚きを隠せなかった。
「珠洲ちゃん、おはよう……、みんなも……」
桂創は彼女に笑って見せた。彼は1960年頃に死去した中国の少年の亡霊で、彼に導かれ、珠洲たち四年二組のクラスメートたちは、その霊力の力を借りて、中国東北部の一部、遼寧省の東側、吉林省の大部分、黒竜江省の牡丹江地区などから成り立つ、関東共和国を中国から独立させ、珠洲が国務院総理、同級生の男子茨木美濃(いばらきみの)がヘゲモニー政党制の与党、関東議会議員機構の中央委員会主席などになり、外部との交戦、内部の民生の安定などを促進させたのだった。
「桂創くんが来たってことは、もしかしてまた、あの地域で、酷い政情不安が……」
美濃が不安そうに彼に尋ねた。彼は濃い緑色のTシャツに、紺色の短パンを履いていた。また、髪型は珠洲のそれと殆ど変わらなかった。
「ううん、それは大丈夫……大きな殺し合いになるような戦争も、内情不安も発生してないよ。それに、珠洲ちゃんが願った通り、国民の教育水準が上がった時点で、ヘゲモニー政党制と議員機構の解消もなされたんだ」
「そ、それはよかった……」
短めのセミロングの髪に、胸元に赤のリボンを付け、襟と裾がピンクで、両肩部が二重の白いローブを着ていた少女、宝塚耐(ほうづかたえ)が言った。
「じゃあ、どうしてここに……」
耳を覆っていない程度の短いショートヘアーに、上は白のTシャツに茶色のベスト、下は青いジーンズを履いていたその少年、長田司(ながたつかさ)が聞いた。
「うん……」
それを聞いた桂創は少しずつ俯いていった。
「戦争も、内乱もなくて、インフラも、社会保障も、整備されている……おおよそNIESくらいにはなっている、そんな国に、何か危険なことがあるなんて、まずわかりにくいし、そういう指摘をする人は、おおよそ、陰謀論とか、市民が選んだ公職を無理に最初から悪と決めてかからないと成り立たないはず……なんだ……けど、そうじゃなかったんだ……」
「え……?」
それを聞いて、長めのセミロングへアで、えび茶色のシャツに、黒のラインがいくつか入った白のスカートを履いた少女、石橋雲雀(いしばしひばり)が不思議そうな表情をした。
「みんなの気づかない所でじわじわと、でも、いつ、いきなり、になるかがわからない危険があって、それを自分たちで拭うことができなくて……結局、また危機に瀕してる」
「あらら……それが何なのかはわからないけど……」
耳を覆っていないショートヘアーで、白いシャツの上に赤紫色のジャケットを羽織り、黒のズボンを履いていた少年、北山弘明(きたやまひろあき)がやれやれという表情になった。
「普通の戦争でも、内乱でも、もう霊界は、一度は立派に樹立したあの国に関わることはやめるつもりだったんだ。ただ、今回のことは、あまりに歴史的にも想定外だったんだ……」
「歴史的想定外……?」
水色のシャツに、黒のラインがいくつか入った灰色のスカートを履いていた少女、池田唯(いけだゆい)が少し強張りながら聞き返した。
「うん……そのために……みんなには本当にごめんなさい、また、過去の関東共和国に来てほしいんだ……」
桂創は深々と頭を下げた。
「えっ……」
「……。うん、わかった、大丈夫だよ。ただ……とても想定外のことだし……あまり力になれないかもしれないけど……」
珠洲が少し微笑みながら頷いた。
「みんなはどうだろう……? 僕も、構わないけど……」
美濃が周囲に聞いた。
「あっ、美濃くん、ちょっと待って」
桂創が美濃に言った。
「え?」
「今度は……条件も結構シビアで……、九人までで、霊力のペンも、三本だけ……」
桂創はぼそぼそと言った。
「ぎょっ」
それを聞いて、彼女より少し長めのセミロングで、白のシャツの上に黄緑色のベスト、灰色のスカートを履いていた少女、謝淡水(シェイタンシュイ)が思わず驚きの声を出した。
「ふふ……だいたいちょうどだよ。ペンが少ないけど」
耐がぼそっと言った。
「え……?」
それを聞いた司はきょとんとした。
「……あ、もう休みが終わりそう……」
美濃がつぶやいた。
「今回のその人数、きっと霊的なことが原因だと思う……。今年の夏から、頻繁に私の家の手伝いをしてくれてる子、今日も集まってくれないかな。多分あの八名が指名されたっぽいよ」
「あ……なるほど」
珠洲は耐の言葉を聞いて頷いた。
その日の放課後、珠洲、美濃、耐、司、雲雀、弘明、唯、淡水の八名と桂創は淡水の家の寺院の庫裏に集まった。また、近所に住む大学二回生で、、図書館でときどき出会っていたことで、珠洲、耐、雲雀の三人とは友人になっていた、相川正(あいかわただし)もそこに呼ばれていた。
「あ……」
そのメンバーを見た桂創がつぶやいた。
「実は僕は、ここに顕現する前に、ひとときみんなの夢……というか、幻想を見たんだけど……、それと、ここの子どもたちら九人が完全に一緒なんだ……」
「え……」
それを聞いた珠洲たちは一瞬驚いた。
「天路の従者のメンバーの兼任だね」
「うん」
彼らは苦笑し合った。
「あと……でも……今度は、僕もいかないといけないのかな」
正が素直に桂創に尋ねた。
「はい……幻想の中に、えっと、お兄さん……」
「ふふ、たあくんで、敬語じゃなくてもいいよ」
「あっ、うん、たあくんの姿もあったので、おそらく……」
「そっか……わかった」
彼は躊躇なく笑って快諾した。
「なんかそんな気もしたし……一応の荷物も持ってきてるよ」
彼は先ほどから自分の隣に置いていたリュックサックをあらためて手にした。
「い、いいの? ペンも三本しかないのに……あっ、でも、その、嫌ってわけじゃないんだけど……」
それを見た珠洲が慌てた。
「うん。桂創くんの幻想に居たってことは、僕も何らかのすることがあるっていうことな気がするんだ、珠洲ちゃん、気を使ってくれてありがとう」
「あ、いえ、私は、そんな」
珠洲は少し紅潮して再度慌てた。
「私も、三本しかないのも、たあくんが初めて来るのも、ちょっと心配で……、でも、嬉しさの方が上回るよ」
耐も続いて少し興奮気味に言った。
「ぼ、僕も……」
「私も……」
耐に続けて子どもたちが口々に言った。
「どうもありがとう。僕も、気をつけるし、みんなのことも、できる限り支えるね。ペンは、多分、引き続き、珠洲ちゃんと美濃くんが持つままでいいと思うよ」
正は引き続き笑顔で言った。
「こちらこそ……」
珠洲も少し正から目をそらしながら礼を述べた。
「それで、桂創くん、大変なことになっているところっていうのは……」
耐が恐る恐る桂創に尋ねた。
「それは…同じ関東共和国、二〇〇二年の……」
「え……」
「近い……?」
「今の私たちの生活と何も変わってない時代だし、そこそこ経済力のある国ではもう紛争も内乱も何も……」
「それなのに、とても危険な状態に見舞われているって……」
桂創の答えに、一同は少し戸惑った。
「うーん……まずは、来てもらった方がいいのかな……」
「あっ、うん」
「心の準備はばっちりだよ」
「僕も……」
桂創の戸惑いを見て子どもたちは答えた。
「わかった……。それじゃ、行こう……。みんな、靴と荷物を持ってきて……」
桂創が言った。
「えっ?」
「あっ、うん」
子どもたちは玄関から各々の靴を持ってきた。
「行くね……!」
桂創はそういうと立ち上がり、軽く目を閉じた。すると彼を中心に微風が舞った。
「……?」
「え……」
それを見た子どもたちはざわついた。一方、桂創は胸の前で手を小さく重ね合わせた。するとその中から薄い緑色の光の玉が出現し、それは一気に庫裏の部屋全体を強く光らせた。
「わっ……」
「何も見えな……、……?」
次の瞬間、彼らはアスファルトの上に立っていた。
「え……?」
周囲を見渡すと、すぐ近くに高さ三~四階ほどで、奥行きが見えない、かなり古めかしい赤茶色のビルがあった。またその手前には、ビルの姿を覆い隠すほどの巨大な松などの木が並べて植えられていた。
また、ビルに沿って高さ二メートルほどの巨大な塀があった。珠洲たちは、そのビルを取り囲む塀とビルの間の通路にいた。
「ここ、どこ……」
「わからな……あっ」
「美濃くん?……あ……」
美濃の声に珠洲が反応した。近代製の高さ三階程度のビルの一角の上に、その四~六階に相当する形で、一部箇所に、安土桃山時代のような天守閣が付けられていた。近代製の
ビルの上に、天守閣を合わせ持った作りの建物がそこにあった。
「場所は……わかった……」
珠洲が呟いた。
「少し、涼しいね……」
耐が呟いた。
「うん、時間はわからないけど……」
珠洲は続けた。
「今は……五月二六日の一五時くらい……」
桂創が珠洲に言った。
「二〇〇二年五月終わりころ……五ℊ月二六日……! 私がすること、少しわかったかも……」
珠洲は顔を俯きながら呟いた。
「珠洲ちゃん……?」
耐が不安そうに声をかけた。
「あ……ごめんね、また後で詳しく話すね……あ……」
珠洲は耐に言い、徐にビルの奥の方を眺めた。すると、横長のビルの中央部当たりにだけ三階程度から六階程度になっていた。しかも、その増設されている三階部分は単なるコンクリートではなく、日本のお城の天守閣を模して作られていた。
「美濃くん……」
「うん……」
二人はお互いに声で相槌を打った。
「二人とも……?」
司がその様子を見て不思議に思い、二人に声をかけた。珠洲と美濃は図書館にも二人でよく行っていて、一緒にいるときでも、自分や耐たちが気づかないうちに、何かを発見していることもよくあった。そんな二人を少しは羨ましくも思ったが、そもそもその内容は難しいし、また、必要があれば二人はすぐに自分たちに、なるべく言葉をかみ砕いて説明してくれるので、それは仕方がないことだと司たちは思っていた。
そして、それから数分も経たないうちに、スーツ姿の男性たちが、その、天守閣付きの門から出て、珠洲たちの方に向かって歩いてきた。
「ひっ……」
それを見た耐はひるんだ。しかし珠洲、美濃らは何も動じなかった。
「私は……、現代……といくっても二〇〇二年ですが、関東共和国国務院総理を務める、王陳礼(ワォチンレイ)…と申します。……かつてあなたが後任に指名した首相、王陳立の子息でもあります……。言葉は憚れるのですが……原則満タンであるはずのあの子瓶の砂、今は半分以下とまでなっているのです……。潜在的交戦国である中華人民共和国とも……我が国は貴国とは異なった主権を擁しそれは妥協できない、と……そのことが我が国の国民の人権についてより強固な保全ができると考えたため、私はこれについて。朝霧珠洲……いえ、朝霧珠洲初代国務院総理、私はかの国に対し発してまいりました……なのに、なぜ……」
王陳礼と名乗った四〇代ほどの青年は、子どもたちにひざまずきながらも言った。
「中国とのやむを得ない緊張状態には、異論なく彼らに主張しているのですね……」
珠洲は言った。
「はい」
陳礼は珠洲の問いに答えた。
「わかりました……王首相……、さすが王陳立首相の子でもありますね……。その働きは、日本、韓国、台湾など、他のアジア先進国の首脳と変わらないと思います」
「え……」
「これ、日本ですら解消できていないどうしようもない暗黒の問題です。王首相が日本並みのことをしてくれているんだったら、私は安心して、日本ですら解消できていない、この、国家を襲う恐ろしい問題にとりくめます」
珠洲は長春の関東共和国旧日本軍司令部、また旧中国共産党旧吉林省委員会の前で彼に言った。
続いて、王らは珠洲たちを旧関東軍司令部の入り口に導いた。
「ーー」
そこで正が歩みを止めた。
「たあくん……?」
「あ、ごめんね」
不思議な表情をする珠洲に正は笑顔を向けた。
「あ、そっか……。ここは、本来なら中国共産党吉林省委員会……普通の日本人だったら、入れるどころか、外から見るだけの場所だよね……」
珠洲はそう言いながら俯いていった。
「うん……。そういうのも含めて、僕とみんなとの距離を、少しずつ縮めていければいいよね」
「うん……」
それを聞いた珠洲は少し頬を赤らめて頷いた。正は玄関に入ろうとして、足を止めた。
「……?」
珠洲たちはそれを不思議そうに見つめた。
「えいっ」
正は両足でジャンプして旧関東軍司令部の入り口に入った。
「これで、少しは僕もみんなに近づけた……といいな……」
正も顔を赤らめながら言った。
「は……はい」
珠洲もそれに答えた。
「そうだ、あ、あの……」
「?」
「スマホで写真撮っていいかな、みんなとの……」
正はスマホを取り出し、顔を引き続き赤らめさせながら言った。
「え……あっ、はいっ……あ、あの、みんなも……一緒に……」
「うん」
「いいよ」
珠洲も赤らめて他の子どもたちに聞いた。彼らはそれをなだめるように笑顔で言った。
「僕は……きっと映らないので避けるね」
桂創が言った。
「あ、う、うん」
耐はそれに頷いた。
そして、本来の時間軸であれば日本人がまず入ることができない場所であるはずの旧関東軍司令部の入り口で一〇人は記念撮影をした。その写真では、提案や同意をしたにもかかわらず、正、珠洲、美濃の三人はとくに少し俯きがちに恥ずかしがっていた。
王は子どもたちらを旧司令執務室に招いた。
「ええと、人数が多いですね……」
「ふふ、これでも、少ない方なんです」
弘明が王の言葉に苦笑した。
「そ、そうでした……、ええと、少し待ってください……」
王はそういうと、司令の机の裏側に回り何かを手にして戻ってきた。
「あっ……」
「それは……」
それはかつて、関東の国民の幸福度合いを示す指標として用いられていた小瓶だった。そこの内部には自然と霊力の砂が入り、かつて珠洲たちが政策を遂行していくたびにその量が増え、満タンになったときに帰れるようになっていた。
今、瓶の中の砂は半分程度になっていた。
「半分くらい……? ええと、陳礼さん、これは前からでしょうか……?」
珠洲が陳礼に聞いた。
「いえ、もともとは満タンでした……。皆さんが去ってからずっと何十年もということになりますね……、それが、つい先日、急に半分になったのです」
王が説明した。
「あ、それは僕から……」
桂創が言った。
「みんなが戻ってからその子瓶は、霊力との関係を切って、ただの瓶と砂になったんだ……。それが、先日から再びリンクを始めた、ということだよ。半分、という分量のも目安のようなもので、霊界の『気持ち』のようなものに左右されることが多いよ」
桂創は続けた。
「え……それでは、半分だからと言って、戦時真っ最中でもあった、前回皆さんがこられた一九六〇年と同じような状態、とは言えないということでしょうか」
陳礼が聞き返した。
「そうでもないよ……。確かにフィーリングの部分はあるにしても、あのような戦乱状態から比べると、国全体が内憂外患にでもなっていない今、二〇〇二年五月末は、半分以上は常にあるような状態じゃないとおかしい……」
桂創が言った。
「なるほど……やはりそうなのですか……にしてもなぜ……。確かに一人当たりGDPは為替換算だと低いですが、購買力平価では大きな差は先進国ともないはず……ニーズの水準であればそのくらいは……」
王が頷き、そして首を傾げた。
「あの」
「あ、あの」
そのとき、珠洲と正の二人が同時に王に声をかけようとした。
「あっ……ごめんなさい、たあくん、どうぞ」
「こちらこそ……、珠洲ちゃんからどうぞ」
二人はお互いに焦りながら譲り合った。
「う、うん、わかった……じゃあ、ちょっと私から……。えっと、王首相、気になるデータがあるのですが……ここ最近の関東の出生率はどうなっていますか」
「え、出生率ですか……? 少しお待ちください、用意しますので……」
王はそういうと机の上のファイルを手に取りそれらに少しずつ目を通していき、ページによっては付箋を貼ったり、ファイルから取り出したりした。
「たあくんは……」
「あ……ふふ、珠洲ちゃん、僕と同じだよ、聞こうとしたこと」
「そうなんだ……」
正は珠洲に笑った。それを見た珠洲も少し赤くなりながらも笑った。
「お待たせしました……。お察しかと思いますが、二、さらには一,五にすら届かず、一,三程度で、これは喫緊の課題となっています」
王は淡々と答えた。
「では……僕も……。女性の就業人口の推移を知りたいです」
続いて正が聞いた。
「そちらも……工業化が進んで以降、専業主夫の比率が増加しました。そのため、政府にて、日本の男女共同参画運動と同じ名称の運動に取り組み、事業所での女性比率向上を呼びかけましたが……婚姻・出産を機に退社する事例がやはり主流になっており、それ以上の効果はなかなか得られていません」
「なるほど……あの、続けて聞いてもいいでしょうか。人々が『自分は貧しい』というのはいつの時代もほぼ同じだと思うのですが、その内容は変化していませんか……」
「といいますと……?」
「二〇〇二年頃を境に、貧しい人の基準とは、『外車を持っていない人』から、『配偶者がいない人に変わっていませんか』」
正が王の方を向いていった。
「な……!」
「もしも、その内容が変化したまま、『冗談のつもり』での『ちょっとした競争』をし続けたら……、そこに住む人々、とくにそんな水準のことまでもを競争にして煽る側は、有史以来初めて、全体が時間軸の中にあるという感覚を欠いてしまっているのでは……」
「……!」
王は言葉を詰まらせた。
「小瓶の砂に変化が現れた理由は、それで……」
「わかりました……、王首相、安心してください。それら民衆の悪癖、為政者、私……、小学校四年生ですが、この朝霧珠洲……、かつてのこの国の、空想上の初代首相として、、全面解消しますよ。……どんな手を使っても……。あの……、王さん、たあくん、美濃くんたち……、今度は、私たちは、国務院委員では、少し動きにくいです……」
珠洲が二人に言った。
「え……」
「国務院とその会議の他に、私は、複数の国務院委員たちなどからなる委員会を作ったかと思いますが……、あれはまだ残っていますか」
「あ、はい……ええと、臨時で国務院会議に直属する委員会も作れるように改良しました、主にこれの主任には国務院委員就くのですが……それとは別に、常設であるものですね、はい、あります、あの、国家軍事委員会と、国家経済財政委員会の二つですね。今は管掌業務が増えて、名称も変わり、各々、国家安保防災委員会、国家財経社労委員会になっています」
王は答えた。
「はい、そうです……、たあくん、美濃くん、みんな……、私は、今度は、国務院会議でなくて、ここの、国家財経社労政委員会に集まるのがいいかな、って思ってる。一応、一部の国務院委員さんも名義だけ……だけど実際の参加はなしで……」
「……! 関東共和国国家財経社労委員……! 国家安保防災委員会も、外交、安全保障の司令塔、NSCとして、国務院会議に匹敵する強力な権限を持っています……共産圏など独裁が敷かれる場合には、名目上のトップよりも、NSCのトップが上位に来ることもしばしば……。国家財経社労委員会はその内務版、日本の経済財政諮問会議などに匹敵します。そこへと仰るのですね……!」
王は少し興奮気味に言った。
「はい……そういう提案ですが……」
珠洲は王に向かってはっきりとした口調で言った。
「なるほど……八人で内閣は、ちょっと難しいよね」
正が苦笑した。
「あ、あと、すみません、もう一つ、ずっと気になっていたんですが……」
「え……?」
珠洲が再度王に話しかけた。
「旧関東軍司令部は、ここは、今は、何の施設なんでしょうか」
「あっ、えっと、民社党本部です」
「民社党……?」
雲雀が眉を潜めた。
「朝霧総理らの考え通り……ヘゲモニー政党制の憲定与党関東議会議員機構は、教育水準の向上と引き換えに役目を終えました……。その後、議員機構に所属していた議員らは、元から野党として在った民社党に移りました。このため、議員機構時代には野党としての機能を果たしていた民社党が与党になることが今も多いのです。私は首相であると同時に、そこの中央委員会主席でもあります……。ちなみに、野党的存在の代表として、ええと、ややこしいのですが、民主党というのもできています」
「なるほどです……。では、与党本部が旧関東軍司令部ということは……首都を瀋陽から長春に遷都したんですか?」
「あっ……」
「そういえば……」
子どもたちもどよめいた。
「はい、実質的に首都機能を移転しました……。いくら旧関東軍が中心となって優れた都市、旧称新京を構築したとはいえ、新興都市長春から首都機能を外したところ、寂れが酷かったので……。ただ、清族古来の宗廟を誇る瀋陽からの移転には反対も多かったので、それは書類上です……」
「では瀋陽の方はどうなりました……?」
「宗廟都市、そして観光都市としての新たな地位を模索しています。当時ほどの存在感はありませんが……」
「長春が……それはわかりました……、瀋陽では、首都を示す何かの行事などは……」
「いえ……それは特に何もしていないです……」
「わかりました……」
珠洲はそこまで聞くと、少し窓の外を眺めた。
「ちょっとリモートなことがいるのですが……、関東共和国国務院会議にも匹敵する内務機関、関東共和国国家財経社労委員会なのですが……、テレワークなどのテクノロジーを駆使して、瀋陽に置いてもいいでしょうか……」
「そ、それは、もちろん、大丈夫ですっ」
王首相らは慌てて言った。
「急がなくてもいいです、アメリカNSCについては、出来る限りでOKです……、よろしくお願いします……」
「はっ」
珠洲も王首相らも深々と頭を下げ合った。
「台湾もそうですが……。何ですかこの私の国のコンビニとかいう悪魔の店の山は。あのい店員さんからは大人の姿……つまり、背後に世帯がある姿が見えない……! ある意味簡単かも……。みんながコンビニという危険な、従業員の背後が見えない、お客にとってはくだらなく楽しくても、楽しくても、従業員にとって労働の楽しみが完全に削除されているところと、デパートまでいくのと、その差はどの程度だろう……」
珠洲は窓を見て再度呟いた。
「学生、通院、通所など普通の市民の中、労働者だけが、あのころから、まさに瞬時に笑顔が消え、悲しみの表情が増えた……有識者はそれを、『老害』と評した……。かよわい心優しい若者に、生まれてきた価値すら疑わしい老害があたかもまるで自分たち同士は労働者という特殊だからと痴漢のような行為を正当化してな接近する……おかねなんとか、がその醜い手口のひとつ……、特別に何かしないといけないことは何も起こっていない……」
珠洲は続いて呟いた。
「でも……、今回は、身の危険はさほど多くなさそうだよ」
不安そうに窓の外を見つめる珠洲に美濃が言った。
「うん……、二〇〇二年……暴動や、不法デモなんて、とてももう起こりそうにもないし……」
耐も珠洲を励ました。
「あっ……、う、うん、そうだね」
珠洲は二人が励ましてくれたことを素直に喜び、はにかんだ。
「そうか……。みんな、『不便』にならないと……。快適さを追求することばかりして、お店を増やし過ぎたから、賃金が低下し、少子化対応の世帯が半分程度にしかなっていない……。それは得て喜んだり、得られず落ち込んだりの競争をしている場合じゃない……。まあ、後者は『一部の可哀そうな人』だと洗脳されがちだけど、実際には半数程度もいるから、ある意味そこまで落ち込まなくてもいいかもしれないけど……、出生率が都市も国家も破滅へと向かっているから、落ち込むべきは少子化対応世帯も含めて全員だ……。なのに、首都を長春に奠都してからというもの、それへの具体的な経済改革もないから、暗い風潮になって、思想をいくら論じてもなかなか効果もないんだ……。この国も日本の仏教は入ってきているけど、禅宗の只管打座や、近代京都学派の主客未分離の状態が嘲笑れ、真宗では自力作善たる自己PRや、本願誇りたる集団主義が跋扈して、真の正義たる悪人正機の慚愧を知る人を精神病扱いして差別して、結局それがそのままになっちゃって、禅宗も真宗も継承が難しくなってしまったんだ……。日本三大随筆方丈記は負けた者の愚痴と言われ、太平記が糾弾したバサラは、上はまだしも下にも粗暴という内容はそのままに、それは称賛される対象に……、過去千年に渡って日本人が受け継いできた思想が、僅か数十年で壊滅させられてしまった……。本当なら、日本の影響を強く受けているこの国も、自浄ができたはず……だけど、長春という奠都は、単に人口が多いだけの、表向きの秩序だけを守る狡猾な中国人たちの都市に過ぎない……、そして、本来の日本が持っていた思想に真逆の評価をする……でも、いくらそれが強大だろうと、またそれに異を唱えるものが弱小であろうと、それは風習であって思想にはなり得ない……。不自然さを感じている者ですら、確実に徒労に終わるというのに、目先の利益に捉われて、見間違えることのまずないはずの悪意を、ここは先進国だからそれ以上上はないと吹聴して、そんな中国人の真似をしていきがり、人の歎異を嗤い、そして自然災害として扱われることにしか頭が及ばない……。なのにそんなものまでを、経済的に成長しているからといって、先進的だと勘違いして、あげく正義感からそれを否定できた人を、適応なんとかと病人扱いして差別しているから、地位や身分と関係しない精神衛生上の落ちぶれ度合いが、目も当てられなくなってしまったんだ……。内向的な行動は実は否定しようと思えば否定できる。体育系不祥事さんたちが高らかに威勢よく讃えるように、相手を人間ではなく無機物と思い、人間としての心の通い合わせをやめるだけ……、でも、内向的なHSPがそれをやめようとしないのは、社会的な名誉・金銭以前に、それが人としての存在意義に関わることだからのはずなのに……。人はしばしばに集団浅慮に陥って、人が増えれば増えるほど酷い結論を導くこともあるけど、そんなときでも、一〇〇人中九九人と違っても、個人の絶対他力の方を優先すべきはず……。末法の対策として書かれた歎異が通じないなら、段階はもう末法のさらに次の段階だ……。だから、経済統制によって永続的に都市を守るという、単純な正解すら解けず、社会権として有権力者となる資質を失っているんだ……」
桂創が述懐した。
「うん……」
美濃が頷いた。
「で、でも……やっぱりすごいよね、珠洲ちゃんも、たあくんも、美濃くんも……。今回は霊力……、魔法めいたものはいらないのに、まるで魔法みたいに、みんなの困ったことを解決できちゃうんだ」
耐が感心したように言った。
「えっ、あっ、それは」
「うん、べ、別に僕たちは……、ただ、みんなが困っているのを、どうしたら笑ってもらえるかって、そのくらいのことしか……」
珠洲と美濃はそれを聞いて赤くなり慌てた。
「えへへ、そんな珠洲ちゃんたちだから、私たちも大好きなんだよ」
雲雀が耐に続いていった。
「あ、ありがと……」
珠洲たちは照れながら礼を言った。
「ふはははは! さて、それはどうかな?」
その直後に、司令執務室の外から中の全室に響き渡る低い男性の声がした。同時に内外共に強風が吹き荒れ、開けていたカーテンが激しく揺れた。
「……!」
司がその外を見ると、先ほどまで晴天だった屋外が、やや濃い紫色を帯びて曇天と化していた。
「だ……誰ですか? 瀋陽清陵の宗廟……?」
珠洲は暴風の中、執務室の入り口からくる暴風に向かって叫んだ。
「察しがいいな……。しかし案ずることはない。清朝宗廟の全てがこの関東に遺憾があるわけではない。われはその中で遺憾のある意思を持つ、分離した存在だ」
低い声は言った。
「今日は警告のつもりだ……。関東など、そもそも未開の地のままでよい。お前たちが出る幕などない、というな……。しかし、もし次に会うことがあるとすれば……」
そういいながら、その暴風は収まっていった。
「こ、これはいったい……」
王首相は慌てた。
「王首相、安心してください、彼はもう去りました……。しかし彼は、この関東を取り巻く、人々の幸福を害する亡霊のようなもの……、出現はこれで終わらないはずです……一応、そのために私たちも用意があるのですが」
珠洲は王をなだめながらペンを見せた。
「やはり……我々人間のうちの浅はかなものが気づいているだけの人災では、霊界などからの詰問が多いのですね」
「そうです……。ただ……そのために私たちがいます。王首相、どうか安心してください」
珠洲は王に向かって言った。
」
珠洲たちにとって、国務院とは別に国家財経社労委員会とその事務処の位置をどうするかは、図らずも、彼女たちにとって最初のちょっとした難関になった。
首都機能はすでに長春特別市への移設が完了しており、また、長春は旧関東軍が建設した、最新鋭の首都施設が既に用意された町だった。「委員会の会議自体は長春でも構わないが、普段の委員や事務処の作業は旧都たる瀋陽で」という珠洲の要望は、現関東政府にとっても寝耳に水の話だった。
それでも、珠洲と、彼女をはじめとする洛内のメンバーは、この点を譲ることに難色を示した。原因は瀋陽が長春ら他の都市と同様ではなく、仮に首都としての機能を失っても、その期間が長かったため、瀋陽北陵、東陵をはじめとする歴史的文化財をあまりに膨大に保有していること、そして、それが人間精神にとって、他の町とは比べ知れないほどの効果をもたらすことにあった。
例えば一つの文化財を取ってみても、それは悠久の歴史を経てその場所での建立が受け継がれてきたかけがけのないものであり、しかもしれは火災などにより、いつ、あっという間になくなってもおかしくないものなのである。生き物や人間に対してすら、NIESはその感覚を失っているが、その感覚は重要なものであり、生き物、人間だけでなく、建造物などにも、人間にとって適用される。それを察知した珠洲たちにとって、いわば「瀋陽の町の心の影響」を受けずに作業することは、いかに危険なことであるかは理解されていた。そのため珠洲たちもこれを譲らず、結果王政権もこれを受諾した。
また、この一件を契機として、一つの慣習が生まれた。国民が選挙で選出するのは国家議会議員であり、議院内閣制のもと、その議会が『国務院会議』こと内閣を編成する。しかし、その下部機関のうち、第一種常任通常委員会、即ち、国務院委員のうち複数が委員となり、また常設を前提とする、『国家安保防災委員会』、『国家財経社労委員会」のうち、後者は、政権交代がない限りほぼ完全に珠洲たち以外がノータッチとなることである。即ち、内閣たる国務院会議を凌駕しかねない強力な二つの外務、内務の会議体のうち、内務については、選挙の結果に対し超然主義をとる、ということでもある。
珠洲たち洛内小学校四年二組が、珠洲を委員長、耐を副委員長とし、その他を国家財経社労委員、また、相川正はその補佐委員となることが発表されると同時に、過去に珠洲たちが国務院総理等として活躍していた期間の人物、経歴などは改ざんがなされ、それは住民の記憶操作にまでなった。但し無事に子どもたちが帰れる状態になったときには、再び人々の記憶を戻し、二一世紀の改革は王政権によってなされたことにすることで彼らは一致した。
正は会議構成メンバーのうち、議決権を有する正委員ではなく、補佐委員として、あくまでもアドバイスに徹することを望んだ。大人の委員としては、このため、ダミーの長春の委員として王首相と、民選与党民主社会党の秘書長らが数名いるほかは、議決権はないものの、有力なアドバイザーである正がいることととなった。また、委員のうち美濃は事務処処長、司は事務処副処長を兼ねた。
また、各機関の名称についての日本語化が進められた。もともと中国語圏で使用されている熟語などは殆どが日本語であり、しかも私たちが用いる日本語以上にわかりやすい日本語である。例えば内閣厚生労働省は国務院労働社会保障部、と言った具合であるが、そのままの路線を進化させ、わかりやすいと思われるものについて順次修正を実施した。その結果、『主席』は(国家)主席や政党のそれ以外には用いられないようになり、安保防災、財経社労の両代表や、委員会の代表は『主席』、『主任』などから、『委員長』に統一された。また、『弁公』・『秘書』(日本の中央政府では『官房』などに相当)の用語は『事務』に統一され、その規模に応じて、事務司、事務処、事務室、事務係などが振り分けられることとなった。
さて、国家財経社労委員会の設置場所が瀋陽になったため、かつて瀋陽が首都であった時の国務院会議府が活用された。
国務院会議府はまさに珠洲たちが国務院総理(首相)、委員(閣僚)であった時のための施設である。北稜からまっすぐ降りてきた北稜崇山付近にあり、「一口」の形状からなっている四階建ての鉄筋コンクリート造りの建物で、私たちの世界には実在しない。
『国務院会議府』とはいわば『内閣府』である。現代の日本には存在するが、これは一九六〇年代にはそぐわないし、また、現代日本であっててですら、内閣官房との混同を引き起こしやすい。珠洲自身もそれは認識しており、これは自分たちが去った後は首相管轄の事務を取り扱う『総理府』と、特命担当大臣とその管掌議決機関からなる適宜の第二種特別委員会の設置が妥当とよく言っていた。
ではどうして珠洲たちだけは『総理府』ではなく『国務院会議府』を必要としたのかというと、これは彼女たちのプライベートと関係していた。プライベート空間は、彼女たち洛内小学校のクラスメートのみの空間も必要とされ、このため、いわば閣僚全員に議員宿舎のような建物が必要となった。一口形の形状のうち一の部分は首相官邸に属する公的な個所であるが、その後ろの口の部分は閣僚である子どもたちが子ども姿のままでいられる部分であり、また彼らが寝泊まりをする部分でもある。彼らが大人姿に変身していないことはその外ではなるべく憚られたし、ここに入ることができる者は極めて限られていた。
珠洲たちが去った後、国務院会議府はやはり『総理府』に改称され、またその場所も長春に移ったようである。このため、ここの国務院会議府はというと、立ち入り禁止だったものの、案の定使用されていなかった。
そこで珠洲たちは、再度この旧国務院会議府を利用することにした。具体的には、建物全体は『国家財経社労委員会』であるが、その事務作業は『一口』の一の部分で全て終わることができた。同じく『一』の部分には、各委員らの個別の執務室と、合同の会議室があるが、これはダミーで使用されることはなかった。国家財経社労委員会が実際に開催されるのは長春の総理府である。また『口』の部分は、一般的には職員住宅と表記され、そこはプライベートを理由に引き続き公開されなかった。しかし実はこの中にもいくつかの委員の執務室と、会議室とがあった。ここであれば子ども姿のまま彼らは会議などを開くことができる。そのため実質的な国家財経社労委員会の執務室や会議室はこの秘密空間の中になり、暗にそれは『本執務室』、『本会議室』と言われることもあった。
また、与党も改変され、民主主義からの若干の後退が図られた。即ち、若干名の、憲法規定与党の復活である。関東議会議員機構の廃止後、政党政治は関東にも根付いてはいたが、強力な経済改革の必要性から、珠洲たちは憲定与党がいると判断した。名称を『関東議会議員支援機構』とし、その比率は議会定数の一〇分の1以下とされた。
中華人民共和国はその全人代代議員の七割を中国共産党党員とするヘゲモニー政党制であり、こちらは独裁与党のみでの改憲も可能である。一方、韓国第四共和国における、大統領指名国会議員、すなわち維新政友会議員は国会の三分の一であり、大統領指名国会議員だけでは必ずしも与党になれない可能性もあった。今回、珠洲たちが国家議会に関東議会議員支援機構を含ませたのはそれよりも低い一〇分の一であり、珠洲たち九名の他は、民社党からの移譲となった、当選確実な地方の有力議員などばかりが約一〇名ほどであった。
それでももはや、自分たちの政策を遂行するにあたって、独自政党の設置はやむを得なかった。このため珠洲たちは右記政党を結成し、これを憲法規定与党とした。但し、前回のそれとは異なり、内部では日本の政党すら凌駕する民主制度を用意した。
いずれにしてもこれは王政権によるクーデター措置であった。関東議会議員支援機構の設置に当たっての改憲は国家議会ではなされなかった。代わりに王政権は国務院に『国家発展委員会』という会議体を設置し、そこで支援機構の設置を決めたのだった。
関東議会議員支援機構の予算の大半は、結局は、民社党などから『出向』した、当選確実議員らの政党助成である。しかし規約上も、また珠洲らの意識もこれとは異なり、本来の、専従・(選挙)擁立委員は、その支持者の党費を基盤としている。党費は世帯収益の一%なので、一〇〇名程度の党費支払い世帯があって、はじめて専従・擁立委員の設置が可能となる。珠洲たちの念頭にあった「本来の大原則」はこれであった。実際には、当選確実議員が得る、「政党助成金」を、落選した擁立委員に回すことで党を成り立たせる他はなかった。彼女たちの念押しはあくまでも念押しであった。
また支部党員が約一〇〇世帯につき専従・擁立が一名では、到底一人一支部どころか、場合によっては一〇箇所以上の支部を兼ねることになり、これではとても事務作業ができないため、各支部には支部会議の準備などを中心に実施する『パート専従』がいるのが一般的であり、このパート専従が支部長などであることも多かった。
なおパートであるので月三〇時間未満、ダブルワークや専業主夫などが念頭に置かれていた。『ワープア専従』が発生されることは党是に関わるので忌避され、あくまでボランティアの延長であるパートと、世帯がいる水準でありおおよそはどこかの市区町村、地区、国家などへの擁立対象と同じ専従の二階層からなっていた。但し人数比率が少ないため、なるべく国家か地区が優先された。
機構中央構部における執行機関として『中央行政委員会』ができ、その委員長には美濃、副委員長には司がついた。加えて、同委員会事務処処長はこちらは珠洲、副処長には耐がつき、執行部門を子どもたちと正で押さえることができた。さらにこれを拡充し、その行政委員長らを選出する、『中央立法会』が、年間当たりの実施日数は少ないものの設定され、この『中央立法会会長』が名目上の儀礼的党首となった。『立法会』が他党の党大会などと違うのは、首相指名選挙同様、行政委員長選挙にあって立法会会員らが複数の中から一人にマルをつける方法を採用していることである。但し当面の間美濃以外の立候補は控えるように言われていた。
また、支援機構には、党代表選挙などはなかった。その代わりに、所属する支部だけでなく、中央、所属地区の二段階の立法会会員選挙に、全ての支部党員に選挙権を与えこれを実施しており、常に党員の考えの動向を見ていた。支援機構の瀋陽特別市地区委員会もできたが、ここには中央構部は設置されず、それは長春に設置された。もちろん、執務場所の国家財経社労委員会と支援機構中央構部とでは大きく距離も離れていて、メンバーも重複しているため、長春の同行政委員会の施設は彼らには使用されず、その事務処も事実上国家財経社労委員会事務処と同じ建物に入ることになった。
この他、党内倫理に対しては『中央司法委員会』が独自に設定された。但しこれが立法会・行政委員会から完全な独立かを果たしていたかというとそうでもない。党としては対面を保つため、マスコミなどのやり玉にあがった議員はすぐにでも排除すべきとの見方が強くなる。一方美濃ら行政委員会は独自の鉄則を形成し示した。即ち「刑事事件であれば、司法機関の信頼性にかんがみ、身柄拘束等(逮捕もしくは書類送検)とほぼ同時での懲罰はやむを得ない、しかるにそれが無罪等となった場合、極力その復職・名誉回復に努めること、また、民事案件に至っては、確定判決が出るまでは触れないこと、とりわけ本人の擁立委員としての立場は、本人が世帯を持つべき時期にあることを考慮し厳重に取り扱うべき」である。このため、いわばマスコミ批判よりも、党内批判や処分が甘い、と言われることについて、最初からそれを相手にする用意があったものとみられる。
また、政党の存在意義に関わることであるはずの党議拘束について、その罰則が大幅に緩く、そのため、割れやすい案件では、ある程度まではまとまるものの、それ以上はおおよそ一定の造反者を想定する必要があった。とはいえ党議拘束が強いあまり、党の会議の前後で持論が正反対になり、議員個人の政治活動としては見苦しくなることもあることから、これは政党としての集団行動よりも、議員個人の活動にやや重点がシフトしたものとも言えた。
現地時間二〇〇二年六月二六日、珠洲たちが来てからわずか一ヵ月で、これらの機関の設置、運営は開始された。同日、大人姿に変身して参加していた子どもたちもいた国家議会で王首相が、超法規的機関である関東議会議員支援機構とそこに所属する国家、地区の議員の設置、並びに関東共和国国務院国家財経社労委員会の異動、同委員らの国家議会議員加入を正式に宣言した。
「そういえば……すっかり忘れてたけど、珠洲ちゃん、初めてここに来た日に、それが五月末だって知って、何かを気にしてたように見えたけど……」
議会の着席中に、耐が珠洲に耳打ちした。
「あ……うん……。二〇年くらい前だと、アニメや漫画などのストーリーには重要なメッセージが託されていることも多かったんだ……。そのうちの一つの帰結点として、二〇〇一年から放送されたものがあってね……、私もその作品の影響は受けてるけど、その最終回が一年後の二〇〇二年の五月末だったよ……。アニメと言ってもレギュラーは子どもだった……だから余計にメッセージ性も強くなってた。それが放送されたときに、いくつかの予想が立てられた。こういった作品を見たことで、今後急激に人々の倫理観は増す、あるいは、見ているのも子どもが多いから、この子たちが実際の年齢で学校を卒業するころには倫理観が変わる、またあるいは、大して変わらず、むしろ、アニメ・マンガだからということを言い訳にして、倫理観も合わせて反故にされていく……って。私たちがここにきたということは……きっと、あれらの予想は、最後のケースだったんだ、って思ったっよ……」
「え……珠洲ちゃん……。うん……でも大丈夫だよ、みんな一緒についてきてるんだし」
「うん……ありがとう」
珠洲は耐に礼を言った。
翌朝、瀋陽の国家財経社労委員会庁舎の、秘密の会議室に、子どもたち八人と、正と桂創が集まった。座席のうち三名分には、デスクトップのパソコンが用意されており、珠洲たちは少しそれに目をやった。
「前にはなかったよね。って当たり前だよね、時代も進んだし」
「うん……。でも、ここはやっぱり元国務院会議府の会議室だよ……ちょっと懐かしいかも」
耐と司が言いあった。
「そっか……僕は入るのは初めてだから新鮮だけど、みんなにとっては、懐かしさもある場所なんだよね。どちらにしても、僕たちの新しい居場所だよ」
それを見た正が少し苦笑しながら言った。
「う、うん……」
「また……私たちの居場所……」
彼らは少し紅潮した。
「あ、あの……」
そのとき、桂創が彼らに呼びかけた。
「え?」
「そのパソコンなんだけど……、霊力による機能がついてるんだ……」
「霊力の機能……?」
雲雀が聞き返した。
「うん……、何かって言うと、極端に言ってしまえば、盗撮なんだ」
「えっ?」
盗撮という犯罪用語を聞いて、子どもたちは驚かされた。
「とはいえ、邪な気持ちだと見られないから、最初から見られる場所は限られているよ。さほどオフィシャルじゃないところ……例えば事業所の従業員の区域とか、いじめが発生しそうな路地の裏側とか……」
「なるほど……」
それを聞いて美濃が少し安堵した。
「違法行為や、そうじゃなくても社会問題になるような事象っていうのは、なかなか表ではなされにくくて、そういうところでされることが多いから……。でも、だからといって、直接その事象一つだけを解決しても殆ど意味はない……、このモニターを見てやるべきことは、むしろ、そういうことがなされないようにする法規などを整備することの方なんだ……、だから、あまり見た目の動きとして面白いものというわけでもないけど……」
桂創は続けた。
「そ、それもそうだね」
司が苦笑した。
「試しに……さっそく、つけてみる……?」
桂創が言った。
「う、うん……」
子どもたちは恐る恐る頷いた。
それを見た桂創はパソコンの電源を入れた。すると、瀋陽特別市の市政府広場前の交差点がモニターに映った。
「市政府広場前だよ」
「うん……」
桂創の言葉に子どもたちは頷いた。
「あれ……」
その時、珠洲が小さく声を漏らした。
「珠洲ちゃん……?」
耐が心配そうに彼女に声をかけた。
「あ、うん、ごめん……、大きい白い建物があるんだけど……」
「これ、デパートだったよね」
「うん……廃業してるみたい……。……少し周囲の道路を見られないかな……」
珠洲は桂創に言った。
「うん、いいよ」
「ありがとう……、あんなデパートが廃業なんて……」
「うん……お客さん……、いや、それだけじゃない、大勢の、お客さんと全く対等な従業員があそこにいて、私たちの本当の社会の中枢を築いていたはずなのに……」
同じようにモニターを見ていた雲雀や弘明も言った。
珠洲は少し不安に思いながら、スクリーンで、そのデパートの周囲の道路を見て回った。するとその元デパートの周囲の道路に、合計で三つのコンビニエンスストアがあった。また、小さなスーパーマーケットも一つあった。但し、そのスーパーマーケットには、深夜遅くまで営業していることを示す広告が、ピンク色の華やかな装飾をされて出されていた。
「コンビニが、公園の中心へ向かうそれぞれの道の途中にできてるね……」
「こちらで必要なものを買って、そのまま公園へ向かった方が早い……、だからデパートが廃業になったのかな……」
唯と淡水が言った。
「うん……お店もきれいに掃除されていて、賑わっているみたいだし……」
雲雀が続けた。
「うん……でも……ここ……」
珠洲は俯きながら言葉を漏らした。
「珠洲ちゃん……?」
美濃が不安を感じて聞いた。
「いろんな人がいて、一見すると活気に溢れている街のように見えるけど……誰も笑顔じゃない……。『ありがとうございます!』と大声で言っている店員さんを筆頭に、みんな誰もがゴーレムみたい……。かつての商店街では、店員さんが『ありがとう』とは言ってくれなかったことも多かったけど、街はみんな笑顔だったはず……」
「ーー」
耐もそれを聞いて俯いた。一方、珠洲はそのコンビニエンスストアのうちの一つをさらに拡大した。するとそこには求人票が貼られていた。
「時給三〇〇元……。確か、最低賃金は、原則として、複世帯居住の人が、その世帯にあって、自分一人の分を賄うことができるように設計されているはずだけど……その数値ぎりぎりだ……。別に世帯は同じでも構わないけど、これでは、ここに勤務する人は、世帯人数を増加させることは難しいはず……」
「うん……」
珠洲は深刻そうな表情の耐らに説明した。
「なりふり構わず産業に携わる従業者の賃金をこんなことにして、仮に労働人口対象国民のたった半分がそれでなかったとしても、四則演算ができればわかる、国家という言葉を観点に置けば初めてみんなの幸せが見えてくる、約半数もの産業従業員をこんな数値で資本消費優先にしたら、世帯を設けられないことから逃れた市民も共倒れだ……、関東国民は気づいていないのかもしれないけど、この産業構造は国家が成り立たない。私は……そして国家財経社労委員にだけは、それがわかる!」
「うん……!」
「そうだね……」
美濃と正も珠洲の言葉に相槌を打った。
「気まずいけど……中を見せてもらえないかな……」
そして正は続けた。
「は、はい……」
桂創は答えた。そしてすぐにモニターは従業員専用の区域に入った。その中に、半分が倉庫のような扱いになっている、パソコンの置かれている部屋があり、二人の男性の従業員がいた。そのうちの一人はパソコンに向いたイスに座っていた。
「店長、いい加減に帰らせてもらえませんか! もう昨日から一八時間連続勤務ですよ!」
「だめだ! 代わりが来ない…。…そして、たった二名の場所など本来病欠による臨時休業が自然現象だが、それは認められていないのだ! わかったら、食事の後またレジにつけ!」
「そんな……」
お客の見えない所を的確に探し出し、その場所で二人は言い争っていた。
「あ……」
「やっぱり……」
それを見た耐や司はため息をついた。
「ちょっと大規模なことだけど……賃上げを少しずつ進めてみようかな……」
珠洲が呟いた。
「うん……」
美濃もそれに頷いた。
翌日、珠洲たちは長春に赴き、臨時の関東議会議員支援機構中央行政委員会、国家財経社労委員会の合同会議を開催した。王国務院総理以下、国務院会議事務処長、財政部長、経済企画部長、労働部長、社会保障部長ら現地の大人の閣僚の委員もそこに出席した。
「最低賃金を倍加してください」
「へ……?」
「ご心配はいりません……全職種にではないです。とはいえ……労働力とサービスが、供給過多になっていますので、現状から比べるとインコンビニエンスにはなると思われます」
冒頭の突然の切り出しに、王首相は驚きを隠せなかった。
「私たちの招へいは正しかったのかどうか……疑義がありますよね」
「は……はい」
「やはり……。では、もう少し補足しますね」
その上で珠洲は次のことを提議した。
即ち、コンビニエンスストアが多数集結する瀋陽市市政府広場周辺区域、そこから南下した、コンビニエンスストアとスーパーとが至近距離に一つずつある南湖公園周辺の区域、そこからさらに南下した、コンビニエンスストアが周囲に一店あるだけの渾河(フンへォ)大橋の北詰周辺の、瀋陽市内の三か所を指定試験区域として、最低賃金の倍加や、コンビニエンスストアへの営業統制などからなる具体策を述べた。
それは以下の通りであった。
一、最低賃金と働き方から職種を次の三区分とする。
一ー一、不要不急に分類される職種。ファミレス、遊園地など。これまで通りの賃金が適用される。なお、指定文化財博物館などはここには分類されない。作品DVDなどは制作はここに分類されるが、DVDそのものの製造や、作品DVDの流通、賃貸、小売などはここに分類されない。
一ー二、最低賃金倍加職種。日常生活に関わる製品やサービスの製造、流通、小売などの全てなど。
一ー三、一ー二において時短応援をする従業員。これまで通りの賃金が適用される。なお、拘束時間は週三〇時間以内であり、また、事業所における雇用契約の件数は全体の半分以下でないとならない。
二、スーパー、コンビニなどは店内での加工からレジに至るまで一ー二が適用される。
三、二の達成のためにいくつかの措置を講ずる。まず、営業時間は一日一二時間を超え絵はならない。
四、スーパーの半径五〇〇メートル以内にあるコンビニに強制廃業を命ずる。
五、スーパーにおける設備を充実させる。具体的にはまず、利用客が自らレジチェックを行うセルフレジ化である。
六、文房具など、百円均一ショップの商品はスーパーにも原則設置する。
七、ATM、ネット通販販売装置等もスーパーに原則併設する。
八、スーパーにおいてトイレ、ATM、ネット通販装置の併設を拡充すること。
九、強制廃業となったコンビニエンスストアのうち週三〇h以上勤務の者を、その原因となったスーパーや、残留となったコンビニエンスストアは、不正解雇の例外として、同事業所内の週三〇hの従業員よりも優先して雇用し、また転職採用を前提として政府が斡旋すること。
これを珠洲は半年ほどの様子を見て、大きな問題がなければ全国に展開することを提議した。但し、全国の場合は採用前提の転職斡旋は難しいので、対象者は事前に動いてほしいとも述べた。
「た、確かに、短時間応援の者は、専業主士や学生が主体で、世帯の根元からの棄権に繋がっていない……」
「ですが……珠洲委員長自身もご指摘の通り、九は不正解雇の例外です。例えば、コンビニエンスストアのオーナーなどという、中小企業の代表者のような、つまり即ち暴君のようなタイプの人間を、同じ船頭に乗って組めと言っているようなもの……。消費者へも、『共産主義』、『消費者サービス劣化、消費者軽視』との大義名分が成り立ちます……。
王首相らは憔悴した。
「それは……」
「えへへ、王首相、デモが怖いのですか」
珠洲の言葉を遮って、唯が笑顔で王首相らに尋ねた。
「は……」
「へ……?」
ややたじろいでいる珠洲に代わって、唯は王首相らを煽った。普段はおっとりしていることの多い唯がそんな姿を見せたことに珠洲も驚かされた。
「は……それは、仰る通り……また民主主義の民選を繰り返しているうちに、被選挙者も有権力者のおべっかを見ることがメインになっていますので……」
王首相が焦りながら言った。
「私たちは国内での、暴動沙汰を含むデモも知っています。それに、小型の核に近いものの使用も……」
唯は自ら名乗り出て、珠洲のその作業を交代したときのことを思い出しながら言った。
「だから……強硬手段には皆さんよりもあまり抵抗感がないんです。もちろん、時代錯誤である可能性は大きいです。ですが、私たちがここにいるということは、その時代錯誤も、有効になる可能性がある、ということではないでしょうか」
唯は続けた。
「唯ちゃん……?」
「ふふ。珠洲ちゃんは、政策の検討のことに集中していて、少し疲れています。でもやっぱり珠洲ちゃんの方法が最適です。珠洲ちゃんに変わって、提議した政策についてお話しますね」
「は、はい……」
王首相らは唯の気迫を見てさらに驚かされた。
それから約一週間後の七月三日、珠洲たちが提議した、労働基準法、小売業法などの一括改正案は国家議会で可決された。与党関東議会議員支援機構、民主社会党はこれに賛成した。
一方最大野党である関東民主党は、現職にあるものの不正解雇に例外を設けることや、町の小売サービスが低下し人々に不便を強いるとして反対し、王首相の予想した通り抗議活動を展開した。とはいえそれはまた、唯たちの予想した通り、大規模な暴動などを伴わない、平和的なものになっていた。
関東の野党は二大政党制を本気で求めておらず、関東民主党中央執行委員会は少数意見の集約に動くことが多い、また、同党の末端の党員や、テレビや新聞しか見ていない人は、まず何よりも『政権=悪』との思考から始めて政策を評価するため、議論の自由を唱えていながら、罵倒になっていない政策議論の水準ですら不適切発言と見なして言論封鎖に動きやすい、などの特徴を珠洲たちも初めて彼らに見出すことができた。
「ひとまず……みんな、ありがとう……」
「こちらこそ……」
長春特別市の側に設けられた方の国家財経社労委員会の会議室に、大人の変身を解除して戻ってきた子どもたちのうち、最初に同法案を提議した珠洲と美濃が礼を述べ、他の子どもたちはそれを労う言葉を発し合った。
「あ……こっちにも、パソコンがあるんだね……」
そのとき耐が不意に言葉を発した。瀋陽市の実質の国家財経社労委員会会議室と同様、テーブルの上には三台ほどのデスクトップ型のパソコンが置かれていた。
「ちょっと……瀋陽市政府前を見てみない? コンビニがなくなった代わりに、トイレやATMを外部に併設してデパートが復活したらしいよ」
「あ……うん、いいね、見よう」
「そうだね」
司の提案に、弘明や唯も同意した。そして、そのデパートの外観を映し出した。
「く……なんだあの店は……」
一方、珠洲たちと同時に、付近の別のビルの屋上から、そのデパートを見ているひとりの黒のスーツの男性がいた。彼のその表情からは不愉快さがうかがい知れた。
また、珠洲たちは、すぐに長春市の国家財経社労委員会会議室のそのモニターに、デパートの、倉庫と一体化している事務室を映し出した。
すると、そこで二人の男性が、まるで客室フロアにいるかのようににこやかに会話していた。
「どうかな……、あなたはあそこのコンビニエンスストアのオーナーでしたっけ……、うちの業務にも慣れてきたかな」
「はは……店長、そうですね、感覚としては、わずかな距離の異動と言ったところでしょうか。社名の看板が異なっているだけで、私の小売屋のスキルはそのままですから……、これからも、看板より、自分のスキルだろうな、といった印象です」
「ふむ……、確かに、一人当たりのお客様への対応件数は増えたが……どのみち夜九時にはみんな帰って終わるのだ……焦るより、正確さがあれば何も心配はいらないだろう、こちらこそ、元は浅ましい競争相手……よろしくお願いしたい」
「はい、そうですね」
二人はそう言い合った。
「店長、パンの特売フロア、タイムアウトになりましたよ」
「まずまずと言ったところです」
そのとき、男女の学生や中年の女性など約三名が事務室に入ってきた。
「ああ、時短特売の時短のお疲れ様、特に変わったことはなかったかな」
「特にないですよ、あえて言えば……、お客さんが喜ぶのももちろんですが、私たちも結構楽しかったですよ、働いて喜びを感じるのは過去の時代の話だと思っていたんですが」
「ははは、それもそうだな」
従業員らはみな笑顔で言い合った。
「ふふ……この関東に、そんな仲良しは似合わない!」
一方、他のビルの屋上から、一〇〇メートル以上の距離があり、また壁で遮られていたにもかかわらず、黒スーツの男性にはそれらの声が聞こえ、そして反発の言葉を口にすると同時に、右手を上げた。するとその直上に、長さ二〇メートルはあるかと思われる巨大な黒い龍が空中に出現し、そのデパートに向かった。
突然、ヒューと強烈な風が吹き、事務室の扉があいたので、中に居た従業員たちは一同に驚かされた。そこに、先ほどの男性の元に居た黒龍が現れた。
「黒龍江(ヘイロンチャン)の黒龍は山東(シャンドン)の人から生まれた龍だと言われている……川の守護神になるときもあるが……今からは私の支配下にできる……!」
黒スーツの男性は呟いた。一方、事務室内は恐怖に包まれた。若い男子学生らがほうきなどで追い払おうとしたが効果がなく、女性らも縛られてしまった。
「え……!」
「な、何あれ……!」
長春市からその様子を見ていた子どもたちも驚き慌てた。
「関東……いや、それどころか、大陸の妖怪たちが跋扈……霊力を用いたことが原因かもしれない」
桂創も驚きながら言った。
「あれは、どうすれば……」
「助けたいの……?」
桂創は霊力のペンを持っている珠洲、美濃と正に聞いた。
「わかった……、その霊力のペンで攻撃できるよ。その前に、あの瀋陽市の店内だけど、あそこへは……僕だったら、三人を一気に飛ばすことができるよ」
「桂創くん、ありがとう」
「うん……気をつけて……、あれは黒龍江に住んでる龍なんだ」
「うん……」
美濃も答えた。
「それから、たあくんは、もしかしたら、きっと……」
桂創はペンを持つ正の左手をそっと持ち、そのまま胸の方に持って行った。
「あれ……わっ」
そのまま桂創の手は、正の体内に入り込んだ。
「やっぱり……、たあくんは、ペンを、自身の体に内蔵できるよ……、もちろん、願えば取り出すこともできるし」
「そ、そうなんだ……、ありがとう」
正は桂創に礼を言った。
「えへへへ……。……それじゃあ、三人とも、準備はいい?」
桂創が珠洲、美濃、正の三人に再度聞いた。
「うん」
「大丈夫だよ」
「こちらも……」
三人はほぼ同時に答えた。
「珠洲ちゃん、みんな、気をつけて……」
「無理しないでね……」
それを見た耐や雲雀が彼らに言った。
「あ……えへへ、うん」
「僕も大丈夫だよ」
「すぐに帰ってくるね」
三人は彼らにも笑顔を向けた。
「それじゃ、いくね……!」
桂創は子どもたちに向けて告げた。
その次の瞬間には、彼と、珠洲、美濃、正の三人は薄い緑色の光に包まれた。
そしてその次の瞬間には、その光もろとも、彼らの姿はその場所から消えた。
「珠洲ちゃん……みんな……」
それを見た耐が呟いた。
「待ってください!」
次の瞬間、市政府前の新デパートの事務室の中に現れた珠洲が叫んだ。
「貴様らは……く……霊の力に見いだされし者か……、よかろう、この私、そう、省の名前にすら登りつめたこの私が相手になろう!」
黒龍江の神霊は珠洲たちに向かって言い放った。
「いえ……!」
珠洲と美濃は、黒龍江の邪体に縛られている従業員たちの付近に向かって、ペンによる霊力の光弾を発した。視点さえ合っていれば当たるものの、よりその意思を明確にしたいため、珠洲と美濃はペンを少し前に出し、正は人差し指を突き出し、その先から放った。すると黒龍江の体の一部が消滅し、従業員たちのうちの数名が解放された。
「あ……」
「助かった……」
彼らは床にへたり込んだ。
「おのれ……!」
黒龍江は珠洲、美濃と正に向かって側体を強く振り当てようとした。
「あっ……!」
「……え……」
三人は視点による瞬間移動を実施しそれをかわした。
「えい……!」
そして再び、珠洲と美濃は捕われている従業員らの傍の胴に向かって霊の弾を放った。「あっ……」
しかし今度は、揺れ動く黒龍江の体をうまく視座できなかったため、二人共その弾を外した。
「珠洲ちゃん……!」
突如美濃が叫んだ。
「え……」
光弾が外れて一瞬呆けた隙をついて、黒龍江の胴体が珠洲の左足首を巻いた。
「あっ! ……うあ……」
そしてそのまま珠洲は片足で逆さ吊り状態にされた。そのため、ミニスカートも下に向いた。
「珠洲ちゃ……」
「わ、見な……ううん、いいや」
美濃と正は慌てて珠洲の方を向き光弾を放とうとした。ミニスカートが反転していることに慌てたが、珠洲はそのことは諦めた。
「待て!」
黒龍江が怒鳴った。
「それ以上そいつに注視していると、お前たちの体を私の手が損わせるが」
「え……」
二人はちらりと背後を見た。そこには既に黒龍江の右手があった。
「まずこいつだな……。邪魔をしてくれたお礼に、じわじわと痛めつけながら意識、それから命だ……」
「え……へ……?」
黒龍江はゆっくりと尾を彼女に近づけた。
「それ」
「え……ああっ! あああっ! いやあっ!」
その尾は珠洲の首から下のあちこちを強く叩き始めた。
「珠洲ちゃん……!」
「無駄だ」
「やっぱ見ないで……、いたっ! ああっ! やめて……!」
次第に珠洲の悲鳴が弱まっていった。
「くく……どうやら声が弱くなって……、……!」
黒龍江が珠洲の様子に気を取られた瞬間を狙って、正が、吊るされている珠洲のすぐ傍らまでジャンプしてきていた。
「しまっ……」
「ーー!」
「わっ……」
正は黒龍江が動く前にその体に光弾を当てた。するとその箇所の力が弱まり、珠洲は落下した。
「え」
「……!」
正は落ちてきた珠洲の体をさっと受け止めた。珠洲の体は、はだけているスカート以外は水平になった。
「ちょっとしんどいところだけど、同時攻撃やろう……! ずれたらまたチャンスをうかがえばいいだけだし」
正は二人に言った。
「うん……!」
「わかった……!」
珠洲は抱かれながら、美濃はそれより少し離れたところから、霊力のペンを少し上にあげた。
「くっ……ちょこちょこと小賢し……な?」
黒龍江は三人が自分の姿を眺めつつ、意識を何かに集中していることに気が付いた。
「む……まさか……!」
「いくよー……いち、にのさーんっ!」
正は少し伸ばし気味に声を発した。すると、彼の指先と、珠洲、美濃のペンの頭部から、薄い緑色の光弾が尾を引きながら黒龍江の体に飛翔し直撃した。
「な、しまっ、ああっ、うわああ!」
黒龍江は胴体だけでなく頭部も含めて全て消滅した。
「あ……」
「……ふ……」
彼に縛られていた他の大人たちもそれから解放された。
「よ、よかった……」
「うん……」
珠洲、美濃、正の三人は力が抜け安堵した。
「い、今のはいったい……」
大人たちのうちの一人の女性が呟いた。
「社労に関して新しい法令が整備され、人々の民生は向上しました……とはいえこれまでがあまりに酷く、それが一気に良い方向に改善されたので、中には悔しさのあまり、顕現する妖怪も出てくるようになったのです……でも、もう大丈夫です」
正はその女性に告げた。
「それは……よかったです……」
「はい……私たちはみんな、これからも引き続き、今まで気づくことのできなかった、今の国家の新たな法令を支持し続けます、民主主義という、自分の人間としての責任においてっ!」
「うん……僕たちがこれまでしていたことはただの大人ごっこ、社会人ごっこだったんだ……。新しい政府の下で僕たちはようやく偽大人から真大人になれたって、心からそんな気がするのですっ。今から思えば、こんなこともできずコンビニエンスのまやかしに乗せられていた僕たちは、何も言う資格のないゴーレムであって、それ以上でもそれ以下でもありませんでした」
女性らも正の言葉に安堵し、彼に答えた。
「そ……それはありがとうございます」
「どういたしまして」
女性らは晴れ晴れとした表情で再び正に返礼した。
耐、司、雲雀ら子どもたちのいた瀋陽の国家財経社労委員会会議室の一角が薄緑色に光り、そしてすぐにその中から、珠洲、美濃、正、桂創の四人が出現した。
「ただいま……」
「ただいまー……」
「珠洲ちゃん、みんな、おかえりなさいーっ」
耐がすかさず返事をし、そして珠洲の体を抱いた。
「わ……耐ちゃん?」
珠洲はそれに少し驚かされた。
「足……大丈夫?」
「うん……見てくれてたんだよね」
珠洲ははにかんだ。
「そうだよ……、というか、スカートがああなってるのに、男子も全員」
「はふひ?」
耐の言葉に珠洲は紅潮した。
「き、緊急事態だし」
「うん……、でも、ごめんね……」
弘明と司は詫びた。
「う、うん、そうだよね……それで正解だと思うよ。でも私、みんなの前でパンツ……」
珠洲は紅潮したまま、恥ずかしさのあまり、少し目に涙をためた。
「ごめんなさい……」
司が再度詫びた。
「あ、大丈夫、正解だよ、大丈夫……」
珠洲はそのままの表情でありながら司らを説得した。
「珠洲ちゃん、、僕もごめんね……でも……あれは、勘弁して……」
「うん」
桂創の嘆願に珠洲はまだ紅潮しながらも答えた。
「ただ……、たあくんも言ったように、僕たちの改革は、これまでに比べて、とても規模が大きいのは確かだ……人々の無知が原因でもあるんだけど」
「うん……」
美濃や耐も頷いた。
「だから、あの黒龍江のように、これまで出現しなかった大陸の妖怪たちが、悔しさのあまりに、顕現したんだけど……。この改革は、今回だけじゃきっと終わらない……まだmだ、今のマズいところはいっぱいあって、そのたびに改革が必要になる……。すると、きっと、あのような妖怪も、これからもしばしば出てくると思う……」
桂創は次第に俯きながら言った。
「桂創くん、大丈夫……」
美濃が桂創にはにかんで言った。
「みんないるし、他の人や大人はともかく、僕たちが作った関東共和国国家財経社労委員会……国務院会議をもしのぐこのグループだったら、それを全部乗り越えられると思うよ」
美濃は続けた。
「うん……私もそう思う」
珠洲はまだやや紅潮しながらも美濃に同意した。
「そうだよね……たあくんもいるし」
「うん、大丈夫だよ」
耐と司が続けた。
「みんな、ありがとう……」
桂創は子どもたちと正に礼を言った。
「どういたしまして」
珠洲はそれに笑顔で答えた。
2020年5月12日 発行 初版
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