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 本格的に釣りをするためだけの遠征であれば、必要と思われるもの、あると便利なものをすべて持って行けばいい。しかし世の中の多くの人は釣りのためだけに海外遠征を計画するのは難しいもの。
 それなら家族旅行のついで、観光旅行のついでに一日だけ釣りの時間を作ってみるのはいかがでしょうか。著者自身による、実際の海外釣行を例にとりつつ、道具選びから海外の慣習、ライセンスの購入方法まで「ふらり海外釣行」するための入門書。
 肩の力を抜いて旅そのものを愉しみましょう。きっと釣りも今より愉しめるはずです。

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ふらり海外釣行

折戸和朔

アイサクオルト・パブリッシング



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  この本はタチヨミ版です。

はじめに

 僕にとって釣りの原点は二つあります。一つは幼い頃父親に連れて行かれたヘラブナ釣りの思い出。もう一つは、自分であちこち旅するようになってからの経験です。特に、スペインのトルメス川での釣りが印象深いです。極東と言われる日本から、遠く離れたヨーロッパの、西の果てであるイベリア半島に滞在し、僕はそこでボカディージョを齧りながらパイク釣りを愉しんでいました。ローマ時代に築かれた橋のたもとでルアーをキャストしつつ、仰ぎ見た塔は中世ゴシックの教会です。夕暮れて、静寂を破る教会の鐘。その寂とした旅の孤独を僕は愛し、愉しみました。
 あの時の経験が、今の僕のスタイルに直結しているのかもしれません。釣りとは旅であるのでしょう。外国に行かずとも、遠くへ行かずとも、いや近所の小川であっても、釣り人の視点で川を眺めれば、そこには旅が現れるはずです。だから、釣りとは旅なんだ。

 海外での釣りというと、古くは開高健氏の大物釣り『オーパ』シリーズ、或いは近年ではテレビ放送もあった「怪魚ハンター」を思い浮かべる方が少なくないかもしれません。旅の目的を《釣り》に絞って遠征を行うことができるなら、細かいことは気にせず、そこに予算と時間を可能なだけ投入すればよいでしょう。僕自身、観光もせず日本から現地までの往復に架かる時間以外、一週間以上丸々釣りだけに費やした旅行をしたこともあります。
 でもそんな恵まれた(?)旅行のスタイルは誰にでもできることではないかもしれません。現実は限られた休日と、限られた予算の上に、溢れんばかりの家族の要求が沸いてくる……。そんな旅行を毎年やりくりしている方も少なくないのではないでしょうか。現在の僕が、まさにそう。

 そこで、僕自身がどんな風に家族との観光旅行に《釣り》を組み込んでいるのか、恥ずかしながら率直に伝えることで、海外釣行を密かに目論む同好諸氏の参考になればと、思い至った次第です。
 大物は釣れないかもしれません。たくさんも釣れないかもしれない。人跡未踏のジャングルや大自然なんてもってのほかで、むしろ街を流れる運河の釣りしかできないかもしれない。それでもいいじゃないですか。肩肘張らずリラックスして、ふらり海外釣行を愉しみましょう。
 旅に出よう!

 目 次

はじめに

第一章 海外釣行あれこれ


一、スペインのパイク(ルアーフィッシング)


二、ベルギー釣行(フライフィッシング)


三、夏のカナダ釣行①(ルアーフィッシング)


四、夏のカナダ釣行②(フライフィッシング)


五、冬のカナダ釣行(アイスフィッシング)


六、マンハッタン蚤の市探訪《番外編》

第二章 海外釣行のKnow How


一、情報収集


二、メールによる問い合わせの実例


三、宿泊地を選ぶ


四、何はともあれライセンス


五、現地ガイドを利用する


六、予算について


七、オルト流タックル選びとパッキング

第三章 海外釣行の雑学


一、まずは釣りの概念と呼び名について


二、パイクについて


二、パンフィッシュあれこれ


三、チャブについて


四、センターピンリールとトロッティング

おわりに

第一章 海外釣行あれこれ

 まずは、僕がこれまでに行ってきた旅の釣行を幾つか紹介することにします。
 本当は全ての旅を紹介したいのですが、紙面の都合で六編に絞らざるを得ませんでした。はじめの二編がヨーロッパ釣行、続く三編がカナダです。最後にニューヨークの旅を掲載しているのですが、僕自身の釣りは出てきません。都合悪く、ニューヨークで釣りはできなかったのですが、釣りに関係するエピソードを紹介しています。これも《ふらり海外釣行》と呼んでいいでしょう。
 家族旅行から外れる旅もありますが、全体を通して読んでいただくと、僕が考える旅と釣りの関係がぼんやり見えてくるかもしれません。
 これらの旅を通して見えてきた、海外釣行をする上での重要なポイントは第二章で解説しています。
 

   一、スペインのパイク(ルアーフィッシング)

 二十代後半のある年の春、マドリードからバスで二時間半、大学都市として栄えるスペインの古都サラマンカで二ヶ月ほど過しました。一般的な旅行のスタイルとは違うかもしれませんが、海外釣行のエピソードををここから始めたいと思います。

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 三月のスペインはもう夜九時頃まで明るいため、それこそ毎日のようにのんびりと夕マズメの釣りを楽しむことができました。もちろんシエスタの国だからお昼休み(大体二時から四時半くらいまで)にだって十分釣りになります。
 サラマンカでは、街の中心マジョール広場から歩いて十五分ほどの、新市街の大通りに面したピソ(マンション)を借りていました。釣りに行く日は、二時過ぎにいつも通りのお昼を食べて、三時を待たずに部屋を出ます。サモラ通りを抜け、マジョール広場の真ん中を突っ切り、サン・パブロ通りをさらに南下、十五分もすると旧市街の城郭にぶつかります。城郭の先には、中世以前は街を防御する堀として役に立っていたであろうトルメス川が流れています。川岸にはローマ時代に築かれたという《ローマ橋》が残り、その近くに趣のある古い水車小屋が復元されていました。その水車小屋こそ、スペイン最古のピカレスク物語「ラサリーリョ・デ・トルメス」の生まれた家だと知ったのは日本に帰国した後でした。
 トルメス川の近くにキャンベルと言う名の小さなカフェがあって、若い男の店員がいつも一人で客の相手をしていました。場所柄のせいかそれとも時間帯なのかはわからないけれど、僕が行くときはいつも閑散としていて、彼は決まって退屈な目で入口の僕を眺めます。いつものように入口に近いカウンターに座ると、僕はスーモ・デ・ナランハ(オレンジジュース)とボカディージョを頼みました。彼は厨房の奥からオレンジを両手に幾つか持ってくると、エスプレッソマシンの横に据え付けられた仰々しい圧搾機にオレンジを順番に入れます。機械の横のハンドルを回すと、下の蛇口から絞られたフレッシュジュースが縦長のコップに注がれ、そのコップが僕の手元に届く前に、すでに店内はオレンジの香りが満ちていました。
 ボカディージョと言うのは、言わばスペインのサンドイッチで、バゲット型のパンに適当な具を挟んだものです。お店のメニューにはなくても、頼めば大抵の店で作ってくれます。ただしフランスのパン屋で見るような、目にも鮮やかでおしゃれな食べ物を期待したらがっかりするかもしれません。ボカディージョは即物的に何か一つの具をパンに挟むだけだから、ハモンと言えばハモンだけ、チョリソと言えばチョリソだけ、ケソ(チーズ)と言えばそれだけがが、スペインのボソボソしたパンに挟まれているだけで、レタスの一枚、トマトの一欠けも飾ってあるものにはついぞ出会ったことがありません。これはほぼスペイン全土で言えます。

 河原に何人かの釣人を認めながら川沿いの遊歩道を進むと、やがてトルメスに南から小さな流れが合します。そこが僕の馴染みのポイントでした。そこに流れ込みがあれば水中の酸素量が増え、プランクトンも多くなり、それを求めて小魚が集まるから、大きな魚も小魚を狙ってよって来る……と、絶好のポイントになるのは釣り師の常識でしょう。途中に何人かの釣人と会いました。釣果を訪ねると、水につけたビクをあげて見せてくれました。三十センチ前後のカルパ(コイ)が四、五尾重なっていました。
 別の釣り人に声を掛けると、両手を大きく広げながら「ルスィオがいるのさ」と教えてくれました。古めかしいスピニングタックルにフロート仕掛け、大ぶりの針にはフナに似た小魚が背掛けにされています。
「君も釣りをするの?」
「うん、少し。日本からルアーを幾つか持ってきたんだ」
「へぇ、ハポンか。テンガ・スエルテ!(グッド・ラック)」
 彼が教えてくれた魚は《ルスィオ》。その魚を僕はまだ知らない。

 ディパックから釣り竿を取り出してリールをセットし、ラパラを結びました。一投目にいきなりガツンと当たったけれど、ビックリして合わせられずにバラシ。何投か投げているうちにまたもやガツン。二度目だからね、と落着いて合わせるとギュンギュンと竿を絞り込む。ドラグを鳴らす。
 ひょっとしたらさっきのおじさんが言っていたルスィオかな、と思いながらリールを巻くと上がってきたのは……、パイクだっ!ワニみたいな平べったい口と歯、モスグリーンの体色は間違い無くパイク。もちろん日本にはいないから初体験。やや興奮しながら写真を撮っていると、釣り師らしきおじさん登場。がらがら声で「ルスィオ」と一言。
 こいつがルスィオか。いつかパイクを釣ってみたいと思っていたけれど、まさかここで実現できるとは思わなかった。手のひらを当てると、一つ二つ三つ……六十センチだ!一通り写真を撮り終えて、緩やかな流れに魚を戻し終えてからどきどきばくばくと心臓が響きはじめた。まさかはじめて来た国のはじめて来た川で日本にはいない憧れていた魚をはじめて釣ってしまったのだから、これが興奮せずにいられようか!それに僕の釣り竿は上流域ででマスを釣るための物だ。六十センチのフィッシュイーターが掛かったんだから、そりゃぁぐいぐいしなったのもうなずける。何が釣れるかわからないからと、ソルトウォーター用の八ポンドラインを巻いておいたのが救いだ。しかしこのラパラも一回のフッキングで傷だらけとは、すごい歯だねぇ。
 ルアーを換える。ちょっと陽射しがかげってきたから、より強くアピールできるように金色のカラーに換えた。するとホラ、いきなりだ。またさっきにも増して重たくひき込む。無理せず充分時間をかけてから上がってきたのは明らかにさっきのより一回りほどデカイ。手のひら四つに欠けるから七十センチ以上の大物!その後も銀色スプーンのトビーにかえてまた六十センチほどのルスィオをキャッチ。感が冴えまくって、ルアーローテーションが大正解。それにしてもただただ興奮の連続。
 一休みするときは川岸の倒木に腰かけてボカディージョを齧りました。天気が良い日のスペインは常に風が乾いています。ミネラルウォーターを飲みながらトルティージャ・デ・パタタを挟んだボカディージョを味わう。トルティージャ・デ・パタタはスペインを代表する家庭料理で、スペイン風オムレツのことです。どこででも食べることができるけれど、キャンベルで作っているトルティージャはどういう訳かボカディージョに良く合いました。僕は今も良く自分でトルティージャを作るのだけれど、食べるときにちょっとマヨネーズを付けます。こうすると、あのキャンベルの味に近くなる気がするのだけれど、ひょっとしたらあの店では隠し味にその手の何かを入れていたのだろうか。ボソボソとした例のパンの中にジャガイモの風味が広る。ホクホクとした食感も残っているし、パンとは対照的な卵の滑らかな舌触りも悪くない。
 釣りはじめた三月の後半から、その地を離れた四月末までそれこそ毎日のように通った。毎日のように釣上げた。獰猛な奴だからそこに潜んでいれば一投目からアタックすることが多い。引きの強い魚だから、僕のウルトラライト・アクションのロッドは手元から曲がった。恍惚の日々。
 ある日、若い父親と小さな男の子がサイクリングで僕のポイント(!)にやってきたことがあった。僕の道具を父親に貸したが残念ながらノー・ヒット。帰り際に僕にヒットした。子供に釣り竿を与えてパイクを引きずりあげさせた。目を丸々とさせて魚を覗き込む男の子の表情。そしてスペインで釣りキチ少年一人誕生。
 現地で知り合ったドイツからの留学生を一緒に釣りに誘ったこともあったなぁ。このルスィオは自分の人生の中ではじめて釣った魚だと言って喜んでいたっけ。

 パイクという魚は、異国の地で愉しむ、エキセントリックな釣りに良く似合っているようです。
(Rio Tormes, Salamanca, Spain 2001)

トルメス川のパイク

   二、ベルギー釣行(フライフィッシング)

 スイスに近い、フランス西部から流れ出たマース川は、大きな蛇行を繰り返しながら北上してベルギーを縦断、オランダへ入るとドイツ国境に並行するように流れた後、流れを大きく西へ向けてロッテルダムで北海へ注ぎます。
 ブリュッセルから電車を乗り継いで二時間ほどの小さな街リュスタンはそのマース川のほとりにあって、その無人駅から車でクルペと言うやはり美しい小村へ至る途中にポステ城があります。今度の旅は、このお城のホテルに泊まりつつフライフィッシングも愉しもうという魂胆です。城は、城という建物単体であるわけではなくて、広大な敷地を有しているのだから、その中の起伏に富んだ森の散歩道を散策するだけでも相当に楽しむことができます。実際、木陰でピクニックを楽しむ宿泊者もちらほらといました。だから僕がフライフィッシングに興じる一日、家族にはお城の滞在を愉しんでいてもらいましょう。
 後でガイドに聞いたところによると、そのお城のホテルにはアメリカからやって来る釣り人も良く泊まっていて、彼らからの評判も上々だということでした。

 ベルギーでは何を食べても美味しかった。肉も野菜も魚介もパンもチョコもビールも。このお城のホテルも同様で、食事は朝晩ともビュッフェスタイルなのだけれど、それでもついつい食べ過ぎてお腹が苦しくなるくらい美味しいくて困りました(笑)。その日は日曜日で、朝食が始まるのは八時三〇分からだから、僕は待ち合わせの九時に間に合わせるために大急ぎで朝食を詰め込まなければなりませんでした。本当はゆっくりと味わっていたいのだけれど仕方ない。二種類のパンとフルーツとコーヒーだけで我慢してロビーに行くと、すでにガイドのセバスチャンは待っていました。ベルギーのフィッシングライセンスは一年間用か十五日間用かの二種類しかないということなので、セバスチャンは僕に十五日間用を用意してくれました。その十五日間の期限のうち、最初の一日だけが僕の鱒釣りになります。
 その日釣った川の少し上流にはベルギー王室の別荘(やはり城だ)があって、当然その区間の川も王室に私有されているそうです。もちろん王室かどうかに関わらず、私有されている川ではその所有者の許可がない限り釣りはできません。僕がこの日釣った川も私有地であり、所有者との仲介はガイドが行っています。ガイドのセバスチャンに聞くと「王室の川」では毎年何人かが密漁者として捕まっているとのことでした。
 日本の長良川にも天皇陛下へ献上する鮎を獲る専用のご漁場があって、そこでは見たこともないような大型の鮎がひしめき合っている(笑!)と聞いたことがありますが、やはりベルギーでも丸々と太ったロイヤルフィッシュに目がくらむ釣り人は多いのかもしれませんね。

 最初の川ではブラウントラウトとグレイリングを狙いました。川は桂川忍野を広くした感じで、時折瀬があるものの、基本的にはゆったりした流れが蛇行しています。ライズはないものの、水中をクルーズする魚は目視できました。ちなみにこの日の釣りはほとんどの時間で、魚を目で確認してからガイドの指示でフライをプレゼンテーションする、いわゆるサイトフィッシングでした。例外は午後のわずかな時間、とある瀬でチェコニンフをやった時くらいで、それ以外は夕方のライズがはじまるまでは、基本的に一日中サイトフィッシングでした。そしてこの川で僕はグレイリングとブラウントラウトとチャブを釣ることができました。
 セバスチャンが「シャブ」と呼んでいた、英語でチャブとも言うこの魚の、五〇センチくらいの大型も目撃していたのですが、釣れたのは残念ながら手のひらにのるサイズのみ。このチャブが以前カナダで釣ったクリークチャブと同じ魚かどうかは僕には分からないけれど、釣ることはできなかった大型のそれは、丸々と太った野鯉のような体形とボラのような大きな丸い口、それに銀色の体色でした。
 初めて釣った魚と言えばグレイリングです。これも残念ながら小型の魚のみでしたが、それでも初めての魚だから嬉しい。特徴的な大きな背びれの形と色が印象に残ります。鮎に似てスイカともキュウリとも呼ばれる香りがすると聞いていましたが、僕には分かりませんでした。これを確かめるのは次の機会、僕の釣竿を根元からひん曲げるサイズが釣れた時に取っておこうと思います。
 ヨーロッパの鱒と言えばやはりブラウントラウトですよね。シューベルトが作曲した「ます」はこの魚を題材にしている、とは開高健の著書で知りました。茶色い魚体、金色の腹、ポルカドットが眩しい。この魚を釣ると、実にフライフィッシングをしている気分になります。

 お昼になると川岸の木陰でセバスチャンが手作りのランチをふるまってくれました。チーズとサラダのサンドイッチ、自家菜園のミニトマト、オリーブの実、そしてカットチーズ。ミネラルウォーターの他に熱いコーヒーとチョコレート、それにビールまで用意してくれていたのはベルギーと言うお国柄でしょうか。
 河原の岩に腰掛け、口の広いグラスにビールを満たしてライズを待ちます。
「グラスに魚の絵が描いてあるだろ。これは鱒なんだ。昔、お姫様が湖で大切な金の指輪を落としてしまった。途方に暮れて泣いていると水の中から1尾の鱒が指輪を咥えて浮かび上がり、お姫様にリングを返してくれたって言うんだ。中世の言伝えだよ。」
 そんなお伽話を聞きながら土地のビールを味わい、鱒の影を探すのは、ここがいかにもヨーロッパなんだという実感がして楽しかったです。



  タチヨミ版はここまでとなります。


ふらり海外釣行

2020年7月1日 発行 初版

著  者:折戸和朔
発  行:アイサクオルト・パブリッシング

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折戸和朔

群馬県生まれ。現在は東京都渋谷区に在住。 著書に時代小説「蜻蛉の涙」(幻冬舎)がある。

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