この度、月刊誌「無色」を発刊することになりました。内容は2000文字程度の作品を六篇収録したものです。毎月その月の出来事やキーワードを設定しております。
タイトルを「無色」にしたのは「無色出版」から出版することと共に、読者の方がこの作品を読み終えた後に今号は「こんな色だったな」と感じてもらえるようにするためです。
創刊にあたり、新作を書き下ろした作品を収録しています。さらにサラッと読めるように各話ショートショートで綴っています。
それでは、創刊号「無色」をお楽しみください。
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この本はタチヨミ版です。
「創刊号」月刊無色 三月号
入学式と卒業式
ひな祭り
イチゴ狩り
ホワイトデー
お花見
花粉
月刊無色 四月号
入社式
転校生・新学年
歓迎会
開幕シーズン
ハイキング
エイプリルフール
月刊無色 五月号
こどもの日
深緑
五月病
母の日
日本ダービー
パン祭り
「我が家の子供達は元気に健やかに育っていますよ」
夫の写真立ての前で私は手を合わせた。
「おかあさん! 早く早く!」
そう急かすのは小学校へ入学するハルトだ。私はバッチリメイクをして、ケバケバになりかけたところで、手を止めた。
「まぁ、普通のメイクで良いか。ケバケバの化粧なんてしていったら入学早々、ハルトの印象も悪くなるし」
そんなこと考えていると再びハルトが玄関先から大声を上げる。
「おかあさん! まだー?」
「分かった、分かった。もう行くからちょっと待ってて。ハルトは良い子に待てるかな?」
私はそれとなくハルトに気を配る。
「分かった! ハルト良い子だから待ってるね!」
主人に似た優しい性格はハルトがおとなしいことを表していた。そんな中、階段をドタバタと駆け下りて来る音が聞こえた。
「悪いけど、先に出るから」
高校生の娘のアカネだった。最近思春期で反抗的な態度を取るようになってしまった。私の言うこともろくに聞かず、夜中まで遊んでいるような荒れようだった。私はそんなアカネを心配していたが、どうしようもなかった。私の横を通り過ぎるとき私は彼女に小さく「行ってらっしゃい」と声をかけた。私の声が聞こえていたのかいなかったのか、彼女は玄関のドアをバタンと締めて学校へ出ていった。本当に学校に行ってるかどうかも分からない。どこかで遊びほうけているのかもしれない。私のしつけがなっていなかったからと自分を責めるほか無かった。主人がいないから余計にアンバランスな関係になってしまった。主人がいれば……。そう思うことも多々あった。主人は交通事故に巻き込まれて、意識不明の重体。その後、植物人間になって今も病院に入院したままだ。
そうして私はハルトの入学式に向かった。四十代のママに合うスーツをコーディネートしたのだけれど、あながちネットの情報の甘く見てはいられない。しっくりきたスーツ姿で特に浮くこともなく、無事に入学式が終わった。
帰宅すると、テーブルの上になにやら一枚の紙切れが置いてあるのに気づいた。
「明日、卒業式だから時間が合ったらきて」
ぶっきらぼうに書かれたメモはアカネから物だった。アカネとは話すことも少なくなっていた上に、進路相談すらちゃんと聞いてなかった。そんなアカネからの手紙に私は目頭が熱くなった。もちろん、卒業式には出席した。そこで私は驚きの事実を知ることになった。
「卒業生代表、答辞! 永井アカネ!」
「はい!」
まさかの出来事だった。高校で主席を得た物だけが任命される答辞のあいさつにアカネが選ばれたのだ。「どうして?」単純にその思考回路だけがグルグル回っていく。
「私たちはこの学び舎で多くのことを学び、家族という大きい支えがあってここまで来ました。時に両親と上手くいっていないときもここで培った友人関係に助けられました。すごく貴重な時間を過ごすことが出来ました。この経験を基にこれからの自分たちの道を切り拓いて行こうと思います。以上、卒業生代表 永井アカネ」
この言葉を聞いたとき私は涙が止まらなかった。主席で卒業なんていうのはどうでも良くて、アカネからの熱い思いがひしひしと伝わってきたのだ。そして、帰り際にアカネからまたも聞くことのないはずの言葉が発せられた。
「おかあさん。校門の前で写真撮らない?」
私はとっさに「えぇ」と答えたけれど戸惑っていたのは丸わかりだったと思う。
「はい、チーズ!」
そう言うと、アカネは自撮り棒に取り付けられたスマホのシャッターボタンを切った。私の顔はどこか複雑で作り笑いにも程があるような気がしていた。親子だからそんなこと気にもしないのはアカネの良いところなのだけど。
帰宅すると、アカネはハルトの入学を祝った。
「おかあさん、卒業式来てくれてありがとう。どうしても見て欲しかったから。私の頑張った成果ってヤツ? なんてね」
アカネはニタッと笑って、素直に喜んでいるようだった。
「アカネ、おかあさん、何も分かってなかったんだね。ただ、反発してるだけだと思ってたけど、本当はアカネは誰よりも優しくて、勤勉な娘なんだなと思った」
「うん。私もおかあさんとはほとんどしゃべらなかったから」
「お母さんとは?」
私は少しその言葉に引っかかった。
「お父さんのところには毎日顔出してたんだ」
私はそんなこともつゆ知らずただの反抗期だと思っていたのに、真逆のことをアカネはやっていたのだ。また目頭がジーンとなる。
「私、進路。医学部受けたいと思う。お父さんのこと少しでも楽にさせてあげたいし、きっと目を覚ますから。その時は私が主治医になってみせるから」
アカネは自分の進路をしっかり見据えていた。こんなにしっかりしているとは思わなかった。正直、私の気持ちよりずっと強くて芯が真っ直ぐ通ってるんだなと思わざるを得なかった。
「頑張ってね! 学費の面は気にしないで、あなたがやりたいようにすればいいわ」
「それじゃ何も変わらない!」
「え?」
急な反発に聞き返す。
「私がやりたいようにしてきた結果が今日の答辞だったけど、これからはおかあさんとちゃんと相談して私のアカネの将来を歩みたい」
私はそんなアカネの言葉にもう何も言い返せずに、「うん、そうね」と強く頷くのだった。
―完―
今日は大事な大事な女の子達の日。女子が主役になれる特別な日。大広間には大きな大きなお内裏様とおひな様が座っている。このひな人形には我が家に代々受け継がれている伝説がある。それは祖父母から聞いた話なのだけど、私はこれが当たり前の世界だと思い込んでいた。
「お内裏様には定められた人がいてその運命を辿ることが当然だった。そして、おひな様にはお内裏様とは違う運命の人が存在し、それぞれの運命は変えられることなく交錯することもなく、ただ平行線で決して交わることなどないと伝えられていた。二人は運命を共にする人物と何事もなく平穏無事に幸せになったとさ」
以上が「愛憎劇」なわけなどなく、この話には続きがあった。
「お内裏様と運命を共にした女性は命が限られた短命の身だった。そのことを知ったお内裏様は彼女の死を受け入れることが出来ないまま、自分のふがいなさに自身を責めたてた。そんな中、おひな様はというと、実はお内裏様の運命の人と血縁関係にあった。お内裏様の相手となる女性である妹を思う彼の気持ちに寄り添っていった。おひな様は自分の運命の人を捨ててまで彼を思い続けた。それ故、彼への愛情は強くなり、妹の代わりとなれるよう自分の姿形を似せようとまでした。それだけでは収まらず、ついに、おひな様はお内裏様に求婚するようになる。彼女自身の運命の相手をも見捨てて、お内裏様へと心が移っていく様子を次のように俳句として読み上げた。
【憎悪でも 気持ちが変われば 愛情に】
こんな愛憎劇を誰が望んだのであろう。おひな様の愛情はこれまで伝えられてきた「お内裏様への純真無垢な愛」などではなく、自身のお内裏様になるはずだった人物をも投げ捨てて血縁関係である妹の最愛の人を奪い取り、挙げ句の果てには妹に姿や顔まで似せて自身の妹と瓜二つになった。こんな話が果たして、信じられていいのだろうか。
私の祖先から伝わってきた、このお内裏様とおひな様のお話は今もなお受け継がれていることには理由があった。それは、私のおじいちゃんとおばあちゃんの出会い方であり、両親の出会い方でもあった。こんな醜いおとぎ話が私の家系では当然で、それにまつわって結婚をして子宝に恵まれていく。そうして、生まれたのが私であり、妹のヒロコなのだ。そのため、私はこれまでの家系論争で培われてきた流れにより、ヒロコに自然と歩み寄り、ヒロコの死んだあとの彼氏(お内裏様)を奪い取り、私はヒロコへとなりすますことになることを悟っていた。そんな私の中で生まれた一句が次の句だ。
【肉親も 形なければ 我が物に】
ヒロコには悪いが、私はヒロコの旦那さんであるお内裏様を奪い取ることを確信していたし、家系上、仕方の無いことだ。そんな私に、突然異変が起こり始める。ヒロコに複数の男性が言い寄ってきたのだ。ヒロコは誰とでも楽しく接し、誰が一番ということも決めていなかった。当然、結婚する話も出ておらず、ただただ楽しく明るく色々な男性と遊んでいた。私はヒロコの旦那さんに当たるお内裏様が一体誰になるのか見当もつかなかった。さらに、家系上、短命であることには変わりは無かったため、彼女の死する時も半ば明かされていた。それでも、彼女は一人の男性をこの人と決めず、自身の死の時を迎えた。
「お姉ちゃん、これでこの苦しくて残酷なもので満ちた愛憎劇を終わらせることが出来るわ。お姉ちゃんの好きな人、大事な人と結婚できるんだもの。これ以上なものはないわ。私が死んでしまうのはこれまでの流れで把握できていたから、私はこの道を選び、お姉ちゃんと私でこの連鎖を終わらせられる。だから、泣かないで。自分のお内裏様になる人を探して末永く幸せになってね」
彼女は自分自身でこの連鎖を終わらせて、私が幸せになることだけを考えて身を削った。そんな彼女の死を無駄にしないためにも私のお内裏様をこれから見つけていくことを心に刻み、幸福なおひな様になれるよう努めようと思うのと同時に、我が家に伝わるこの「愛憎劇」が今年のひな祭りで終止符が打たれることに非常に重たい気持ちを感じていた。
【ひな祭り 憎悪もここまで 愛深く】
―完―
今年もこの時期がやってきた。私が大好きな旬の味覚。イチゴ狩りだ。イチゴと言っても一口に言える物でもない。例えば、「あまおう」という代表的な物を例に挙げると、福岡県で作られていて、大粒で甘味が強いイチゴだ。これまで福岡県で代表的なイチゴとして主力品種だったのが「とよのか」だ。恐らく耳にしたことはあるだろう。「あまおう」は後者「とよのか」よりも平均で約一、二倍程度の重さがあり、見た目も丸みがありかわいらしい形をしていることで知られている。さらに先ほど紹介した甘味の他に酸味もほどよく調和され、「濃い味」を実現したのだ。「あまおう」の名前の由来は県内で公募して、名付けられた。それは「赤い」「丸い」「大きい」「うまい」の頭文字を合わせたものらしく、「甘いイチゴの王様になれるように」という意味もこめられている。
と、まぁ、イチゴ狩りだというのに「あまおう」の宣伝ばかりになってしまったが、私の実家は福岡県で「あまおう」の成長をビニールハウスで見届けている。温度の調節等も管理がしやすいというメリットがあるからだ。そして、私たち家族はこの時期になると一家総出で福岡県に帰省する。「あまおう」が食べたいがために行動するのだ。なぜ、そこまでするのかというと、ウチの先代の祖先から「あまおう」を育成してきており、先祖代々伝わるイチゴ農家なのだ。よって、イチゴ狩りというより実家への帰省と言うことがメインであるのが通例の考え。しかし、私たちの目的はあくまでもイチゴ狩りなので、実家帰省はついでなのである。十二歳になる娘のイズミも小さい頃からそういう習慣がついていて、いや、付けさせたのは私だが……。いつもイチゴ狩りの時期が来たら同じセリフを口にする。
「イチゴそろそろ食べ頃かな? じいじとばあばに会えるかな?」
「そうね。そろそろかな。じいじとばあばにあんまり甘えないでね。イチゴ狩りがメインなんだからね」
「分かってる。ずっと同じように教育を受けて来たんだから、通知表には良く出来ましたの十段階の十を取るくらい成績はいいはずだから」
なんだか教育現場では不思議なことが教えられ、そして、学ばされている気がして仕方なかったが、あながち間違いでも無いので、そこはスルーしておいた。こうして、私たち一家は福岡の実家にやって来た。
「じいじ! ばあば! きたよー!」
イズミの大きな声が長屋に響き渡る。祖父母は待っていたと言わんばかり「よう、きたのー。早速行くかの?」と声をかけてくれた。その言葉にイズミは「うん! いっぱい食べたい!」と頷くが、私たち夫婦がそれをとがめる。
「ダメよ。まずは荷物を整理してから! それと通信簿じいじとばあばに見せて上げて。出来が悪いとイチゴはなしかもね~?」
「えー! そんなこと聞いてないよ! イチゴ食べたいのに」
イズミはムスッと表情を崩す。
「当然だよ。努力のあとに実るのはイチゴも成績も一緒だからね」
主人はそう話して諭した。イズミは渋々ながら通信簿をじいじとばあばに見せる。正直、あんまり良い点数ではなかった。しかし、祖父母からしたら顔を見せてくれるだけで百点満点なのだ。
「よく頑張ってるじゃないか。イチゴ狩り楽しんでおいで」
「ちょっと、あんまり甘やかさないでよ?」
「やったー!」
じいじと私の会話にイズミが飛び込んでくる。そんなことをしながら、私たち家族三人は食べ頃を迎えた「あまおう」に向かってビニールハウスを駆け抜けた。ところ構わず、「あまおう」を食べきると、今度は練乳を持ち込んで第二戦。イチゴ狩りの楽しみをもう何年も体験している以上、二回戦に行くのは当然のこと。こうして、私たちのイチゴ狩りは終焉を迎えた。
「そのうち、こっちに帰ってこなきゃいけないね。もうお義父さんもお義母さんもだいぶ疲れてるみたいだし、そのためにもこのイチゴの、この『あまおう』のおいしさを、僕らが跡を継がないといけない」
「そうね。いつまでも都会で暮らすことが出来れば良いって考えていたけど、お父さんとお母さんの調子がいつ悪くなるか分からないしね。これからのこと考えたら、こっちに戻ってこなきゃね」
イズミが寝静まってから私たち夫婦はこんな話をしていくうちに夜が更けていった。
「じゃあ、またね! じいじ! ばあば!」
「ありがとうね。またおいで!」
「お世話になりました。また来ます」
お互いに挨拶をし合って、また近いうちに来ることを誓い帰路に着くのだった。
―完―
私の職場では、二月になると一斉にチョコが飛び交う。「義理チョコ」という名の査定だ。人事課にいる私たち女子は次の四月からの人事異動で飛ばされたくないという一心で、二月からチョコレート商戦が始まるのだ。「義理チョコ」でもレベルが高い。女子力を存分に発揮するイケイケ女子に対して、高級ブランドチョコで勝負する少し年季の入った女性たち。皆、厳しい査定の入る人事異動が怖いのだ。そのうちの女子である私もそのバレンタイン商戦に全力のお手製チョコで挑む。私の他の人と違うところはクッキーの型から成形し、その上からチョコレートを型に流し込む。その上にカラフルでポップなチョコチップなんかを乗せたりして。しかし、これだけではその辺の頭脳は女子には到底及ばない。そこで私が選んだのは生チョコだ。生チョコは作るのも面倒で大変だが、受け手には最高水準の反応が返ってくる。これが吟味されて、人事異動での可能性が左右されるのだから手は抜けない。一度にチョコレートを大量に作るなんて学生時代以降無いと思っていたが、今の会社に入って活きてくるとは皮肉なものだ。そして、「バレンタインデー」当日、ようやくやって来たチョコレートの配り合い。男性、女性、関わらずとりあえずところ構わず渡していく。どの人が人事異動の権利を持っているのかが分からないため、皆、必死だ。もらった人たちも「ありがとう」と言葉を返すが、頭の中では「この人をこの課に回すべきか?」などと考えているのだ。その裏のやりとりがこのチョコレートにかかっているのだから甘く見てはいけない。人事部係長クラスの人へは山のようにチョコレートが送られる。まるでアイドルタレントの香りさえ匂わせる量の数と言えばしっくりくるだろうか。そして、人事異動が発表される前に訪れるのが、「ホワイトデー」だ。
タチヨミ版はここまでとなります。
2020年5月31日 発行 初版
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1988年12月14日大阪府門真市生まれ。高校時代にケータイ小説ブームの中、執筆活動を開始。
関西外国語大学スペイン語学科を卒業。大学一年時、著書である長編小説『突然変異~mutation~』を執筆。同時期において精神疾患である「双極性障害Ⅱ型」を発病。大学卒業後、自宅療養の傍ら作品を数多く執筆。インターネットを介して作品を公表し続け、連載時には小説サイトのランキング上位を獲得するなどの経歴を持つ。その他、小説のみならずボイスドラマの脚本・監督・マンガ原案の作成・ボーカロイド曲の作詞など様々な分野でマルチに活動。闘病生活を送りながら、執筆をし続けることで同じように苦しむ読者に「勇気」と「希望」を与えることを目標にしながら、「出来ないことはない」と語り続けることが最大の夢である。