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人が存在する限り、凶悪な事件が世間を騒がせますが、過去は怨恨や貧困など、追い詰められた殺人が多かったのに対して現在はゲーム感覚で行う殺人が増えつつあります。
それも低年齢の子供たちによる殺人で、彼ら加害者は『少年法』に守られ社会復帰できますが、被害者の人権は世間に晒され、一生、傷を背負って生きていくのです。
裁判にしても「六法全書」を片手に無菌栽培で育った世間知らずの裁判官が出世争いに明け暮れ、過去の判例だけで人を裁こうとするからです。
教育現場も戦後教育で洗脳された『日教組』の教師たちが人の尊厳や感謝の気持ちを教える事無く子供達を世に送り出し、人を虫けらみたいに抹殺する悪魔が蠢いていくに違いありません。
『少年法』とは何か、裁判や教育とは何かを問いかけたいと思います。

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天に唾はく鬼畜ども

本間 晋藏

キク書房



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  この本はタチヨミ版です。

 『牛頭馬頭』

 『人面獣心の群れ』

 『天網恢恢』

 『百鬼夜行』

 『無間地獄』

『牛頭馬頭』

 午後の授業が終わった休憩時間、クラスの中が騒然となる言い争いが始まり、クラスの女の子を巡って藤田と嶋崎が言い争いを始めた。
 二人は日頃から何かにつけ張り合う関係で、口論になったのも藤田が女の子を侮辱する言葉を 吐いたのが原因の些細な事だったし、その場はお互いの仲間が止めに入り、暴力沙汰にはならなかった。
 藤田と嶋崎が所属するクラスは問題児を集めた特別クラスと呼ばれ、その中でも藤田は竜ヶ崎署の警察幹部を父に持つ事を鼻にかけ、横暴な振る舞いが多く、仲間と徒党を組んでは我がもの顔で支配者気どりだった。
 この後、事件の被害者になる岡崎 哲君が下校前の帰りの会が始まる前トイレで用を足していると藤田が入って来て哲君の顔を見るなり口論してきた。
 哲君と藤田は三年生では別のクラスだったが二年生の時は同じクラスで、正義感が強かった哲君と粗暴な振舞いをする藤田とは何かとぶつかり合い、哲君と嶋崎が仲が良かった事も知っていた。
 用を足し終わった哲君は藤田に足蹴りにされたが反撃せず、
「放課後、人が居ない処でケリをつけようや」と藤田は挑発してきたが哲君は相手にせず、藤田が胸倉を掴んできた時に教師が通りかかり哲君だけに注意を与え、その場は治まった。
 放課後のチャイムが鳴り、哲君が校門まで歩いて行くと藤田が待ち構えていて、彼は既にジャージ姿で喧嘩支度をしていたし仲間が何人か側に居た。
 仲間に対して虚勢を張るみたいに
「いいか岡崎、今日はタイマン勝負でケリをつけるからついてこい」と声を張り上げ、藪に向かって歩き始め、仲間達は自転車に飛び乗って帰った。
 哲君は最初から喧嘩をするつもりは無かったが藤田が一人だと言う事に安心し、彼の後ろから付いていくと、藪を掻き分けた先にゴルフ場の芝生が拡がっていた。
 ゴルフ場に人影は無く、手に何かをはめ始めた藤田をぼんやり見ていると藪がざわめく音がして、突然、腹に凄い衝撃を受けた。
 藤田の蹴りが飛んできて顔面を拳とは違う何か硬いもので殴られ、顔を抑えた途端、股間に野球の金属バットが食い込み、脇腹を藤田とは違う男が蹴ってきたのまでは覚えているが、意識が薄れ、救急車に乗せられた事さえ判らず、報せを受けた哲君の家族が病院に駆けつけた時には、変わり果てた哲君がベッドへ寝かされ、看護婦が手で心臓マッサージをしながら心電図を見ている状態で、顔面を見て母親はその場へ蹲った。
 教師たちに聞かされた話では素手で一対一の喧嘩だと聞いていたから、これほど酷い怪我を負っているとは思えず、医師が死亡確認した事さえ信じられなかった。
 顔面の傷は素手では到底できない大小の擦過傷が顔面右側に集中し、特に眉間の所には拳で殴った位ではつかない点状の傷が有り、とても素手での殴り合いとは思えず、周りに居た十人程の牛久第一中学の教師を問い詰めた。
 返ってきた返事は一対一の喧嘩で、相手の名前と素手での殴り合いだと繰り返した。
哲君の残された家族は到底納得できず、その場に居る教員に息子の顔を凝視するように伝えたが全員が顔をそむけ、只の喧嘩だと言い張った。
 事件が報道されたのは平成十年十月九日の朝刊で、
《牛久市内の中学生同士が喧嘩をして、同市神谷二丁目、会社員岡崎さんの三男、岡崎 哲君が死亡した。竜ヶ崎署は同市内の中学三年生の少年(一五)を傷害致死容疑で逮捕したが、二人はどちらも凶器を使わず、数分間殴り合っただけらしい。哲君は頭を強く打って死亡したとみられる。
 調べによると、授業が終わった後、二人は学校から数百メートル離れたゴルフ場と住宅に囲まれた山道で喧嘩を始めたらしい。少年は、哲君が動かなくなった事に驚いて、通りかかった生徒に「救急車を呼んでくれ」と叫んだと言う。消防署員が駆け付けた時には哲君は意識が無かった。顔には切り傷の様な物が有ったが、そのほかには目立った外傷は無かったという。
 少年はその後学校へ戻って先生に事情を説明した時も、かなり興奮していたと言う。二人は一年前くらいから口喧嘩をしていたと言う。どちらも無断欠勤は無く、服装の乱れも無かったと言う》(朝日新聞・茨城版)
 牛久第一中学校は九日、予定を変更して全校集会を開き、唯根校長が事件を説明、全員で一分間の黙祷をして哲君に哀悼の意を表した。

 その頃の牛久は二週間前にも高三女子の鉄道自殺で騒然としていたし、第一中学も風紀が乱れ、教職員は組合活動に忙しく、生徒とじっくり向き合う雰囲気は無く荒れ果てていた。
 牛久自体が警察村と呼ばれる程、警視庁関係の人がたくさん住んでいる地域で、加害者の親も竜ヶ崎警察に勤める警察官だったし、地域の病院は警察と深くかかわっている密閉性の高い区域だった。
 哲君の両親が事件の概要を知ったのは十日の新聞記事で、その紙面には哲君が藤田を挑発したと書いてあり、医師や教師のコメントの中に、あくまで一対一の素手の喧嘩だと載っていて、哲君が攻撃的な性格だったとまで書いているし、両親は深く傷つくとともに疑問が湧きあがってきた。
 幼い頃から友達を大事にする子に育ててきたし、これまで喧嘩を売られても無抵抗を通してきたのを知っている。
 中学生の半ば、父親が「暴力では何も解決しない」と諭すみたいに話し始めると
「わかっているよ、僕が本気で相手を殴ればどうなるかくらい判ってるし、話し合いで解決すれば問題ないよ」と答え、父親を安心させた。
 それにサッカーの強豪校から勧誘にくるくらい運動神経は抜群で、一対一の喧嘩なら逃げ帰れたはずだと不信が湧いた。
 九日に司法解剖された哲君の死亡原因は『外傷性くも膜下出血の疑い』と発表され、病院の三澤医師が作成した死体検査書が警察に届けられた。
 両親は知人の医療関係者に、自宅に安置されている哲君の顔を見て貰うと、皆が一様にくも膜下出血を否定し、くも膜下なら顔が腫れるし、殴られた傷は素手で殴られたものとは思えないと口に出し、両親が十四日に竜ヶ崎署で事情聴取を受けた時、顔の傷等の不信感を口に出せば、警察関係者は脅すみたいな口ぶりで、
「これはあくまで一対一の喧嘩で、凶器も使ってない。そんな事は判るよな」と同じ説明を繰り返された。
両親は不信感と息子を失った失望感に気が狂いそうになりながらも何度も警察署に足を運んだが、事件の状況は知らされず、少年法を盾に加害者の初田が家庭裁判所に送られたのさえ知らされなかった。
 我が子の死因に重大な疑いを持ち始めた両親は絶望感と闘いながらも誰に相談しようもなく、何度も竜ヶ崎署に電話を掛けても取り合って貰えなかったばかりか、警察ぐるみで事件を隠ぺいしているように感じ始めた。
 ならば自分達で調べるしかないと思い始め、哲君の告別式が終わると哲君の同級生の間を駆けずりまわり、独自の調査に乗り出して東京医科歯科大学の医師に鑑定を依頼した。
 同級生の聞き込みを始めてみて判ったのは、藤田少年の他にもリンチを加えた者が何人かいる事も判明し、学校でかん口令が敷かれている事も初めて判った。
 現場近くに住んでいる人を訪ねると、事件当時少年たちの声で
「あっちへ行ったぞ、こっちへ行ったぞ」
 と声が聞こえてきたし、自転車に乗った数人の少年たちが藪の小路に入って行くのを見たと語ってくれた。
 この証言だけを取ってみても複数の少年たちが哲君にリンチを加え、逃げ惑う哲君を追いかけまわしていたことが解る。
 藤田と嶋崎の喧嘩の原因になった女の子を訪ねると、その子は私が原因だと教師に訴えたが、逆に説き伏せられその事実を学校は隠した。
 事件から六日後に事情聴取を受けた時、捜査員に別室へ通され、両親に
「実は現場には数人の生徒が居た。彼らはお宅の子供の救命活動をしたが、学校では加害行為に加わっていたのではないかと疑われて困り果てている。その親たちから警察を通して岡崎さん夫婦に説明して欲しいと頼まれている」と話し始め、警察に対して益々不信感を募らせた。
 
 十二月末になって両親が提出した「遺体写真」「診療記録」「死体検案書」「医師の説明記録」をもとに大学病院の三澤医師が鑑定した結果が知らされ、それによると「無抵抗の状態で固い鈍体で受傷と推定される」と診断され、遺族の疑問が裏付けられた結果になった。
 また、事件関係者を訪ね歩いている時に得た重要発言と鑑定結果を水戸家裁土浦支部に郵送し、家裁の調査官にも会いに出かけたが、少年法を盾にまともに取り合って貰えず、家裁に何度も足を運び、鑑定結果説明を求めると前例がないことだと言いながら県警で司法解剖をした医師を紹介され、その医師から直接、解剖結果の説明を受ける事が出来た。
 三澤医師の説明によると、直接の死因は腹部を激しい力で三回打撃され、神経性ショックを起こし、致命傷は右下腹部に相当な外圧が加わったショック死で、立ったまま殴る蹴るの傷では無く、倒れている所へニードロップか、何かの器具を使ったものと思われる。
 次に顔の傷の一部は表面が粗い鈍器の様なもので殴られ、素手では出来ないものだし、道路に倒れたとしてもそれだけでは説明できないと話した。
 哲君の手・腕・足には相手を殴ったり蹴ったり、防御した形跡すらなく、殆ど不意打ちに近い状態でやられたと推測できるし顔を殴った凶器は手に嵌めたメリケンサックだろうと説明してくれた。
 これで真実が明かされると希望が見え始めた。
 調べ上げた情報と鑑定結果を持って家裁を訪れても家裁は面談には応じたものの、まともに取り合ってくれないばかりか、驚いた事に夫婦が持ち寄った記録などを加害者側に提供していた。
 これまで抑えていた感情や少年事件における被害者遺族の扱われ方を記者会見を通して社会に訴えると、県警は即座に反応し、捜査経過の説明不足を謝罪したが個人の喧嘩だと言う主張は譲らなかった。
 その頃から哲君の両親が知らない所でビラがまかれ、『加害者に寛大なる処遇を』とか『加害者兄弟の職業を続ける為の署名』という嘆願署名運動が地域住民の手で広がり始め、短期間で署名を集めて家裁に提出されていた。
 署名運動の存在を哲君の両親に報せてくれたのは同じ地域に住む女性で、署名用紙を持って回っている人物は、その女性が岡崎さん夫妻と親しいのを知っていたから頼みにこなかったらしいが、近隣の知人から伝え聞き、岡崎夫妻の了解を取って活動していると触れまわっていると聞いたから驚き、直接岡崎さんに確かめに来たと話した。
 勿論、岡崎さん夫妻が知る筈もなく、自分の息子を殺された上、加害者の弁護をする様な署名運動などに賛同する筈もなく、被害者にとっては悪意以外には考えられなかった。
 それでなくても地元の新聞には哲君が挑発したから喧嘩が始まっただの、事件の様相さえ真実の逆を書いていたから住民でさえ哲君が悪いと信じ始めていた。
 署名運動と連動するみたいに地域一帯に哲君と家族を誹謗中傷する流言が飛び交い、「哲君は問題児だった」だの「哲君が加害少年を恐喝していたから喧嘩になったのは仕方ない」等と話しがさも真実みたいに広がった。
 この地域は警察村と呼ばれる程警察関係者や消防員、教師、病院関係者の家族が沢山住んでいる場所だから噂が広まるのも早く、自分達に不利な情報や出来事は包み隠そうとするし加害者の父親や兄弟も警察勤務だ。
 署名運動をしている人物Xもその地域に住み、岡崎さん夫婦に同情するふりをして陰では陰湿な嫌がらせをしているらしく、真相を知りたい岡崎さん家族を地域から除け者にしようと企んでいる様子に見えた。
 岡崎さんの家の様子を窺っていたXを哲君の兄が見咎め
「事実がどういう状況か判らないのに嘆願署名をとって歩くと言うのはおかしいじゃないですか」と抗議すると最初は、地域に波風を立てたくないだの哲君の為だと抗弁していたが、兄が「それはおかしな行為だ」と言えば口論になり、それまでの態度をがらりと変え、肩をいからせて
「おまえらはなあ、加害者を殺したいんかよ」とやくざみたいな口ぶりで怒鳴り散らし、哲君の兄が
「そんないいかたはないでしょう」と言えば家の中に聞えるみたいに喚き
「殴りたいなら俺を殴ってみろ」と言い始めた。
 その日を境に益々誹謗中傷が激しくなり、最初は同情していた近所の人さえも、道で顔を合わせても顔をそむけ、中には
「あの子、酷い子だったんですってね」とか
「挑発したのは被害者のほうだって云うじゃない、だから挑発された方は必死で喧嘩をやったんでしょう?可哀そうなのは加害者だ」
 そんな声を聞くたび哲君の両親はどん底に突き落とされた気持になり、やりきれない気持と真実を知るまでは負けられない気持が交錯し、近所のスーパーへ買い物に出かける事さえ億劫になり始めた。
 哲君の同級生達の親が集まって話し合いを持った時
「この辺りでは最初は岡崎君に同情してたんだけど、だんだん哲君の方が悪いという噂が多くてね。哲君の家族は自分達に都合がいい情報が無いから騒いでいるだけだって」と言う話が出た事を伝えてくれる人も居た。
 我が子の命を理不尽な形で奪われ、気がふれる様な気持になりながらも真実を求めて走り回る両親に少年法と言う名目で事実関係は何も知らされないばかりか周りから疎外され白い目で見られる。
 少年法の矛盾や残された遺族に対する被害を誰も考えようとせず、逆に専門家と言われる人達は見て見ぬ振りをする。
 人としての道を導かねばならない教師たちでさえ、誰かに口止めされているかのように知らぬ存ぜぬを決め込み、哲君の担任だった女性教師は一度訪問したのみで遺影の前に座る事も無かった。
 通夜には哲君がキャプテンをしていたサッカー部の顧問だけが出席してくれ、告別式には学校側から誰ひとり出席しなかった。
 学校側が事件現場に設置した線香立ては錆ついたペンキの缶だったし、これでは息子が浮かばれないと思ったし、それを目にした生徒たちはどういう反応を示すのだろう。
 事件の夜、職員室で説明を求めると教師は及び腰になり、別室へ通されると、いきなり賠償金の話しになり、父親が怒りを表すとその場に居た教頭が
「私の首でも取りますか」と暴言を吐き、哲君の通夜に出席してくれた同級生達が小さな声で「一番最初にきた教師がバットを隠して車で持ち帰った」とひそひそ話をしていたのを聞いた人が居る。
 そんな話を警察に訴えても「一対一の喧嘩だ」と相手にされず、これでは誰に事件の真相を聞きだせばいいのか疑心案義になる。

 卒業式が翌日に迫った三月八日、遺族が「卒業式に哲君の遺影を出席させたい」「卒業証書は頂けるのか」と問い合わせると「校長が不在で連絡が取れない為わからない」と告げられ、子供達や保護者の親が動揺するのではないかと言われれば、やむなく出席を取りやめた。
 式当日、クラス代表の生徒がサッカーボールと寄せ書きを届けてくれたが、卒業証書とアルバムは郵便で届けられた。
 事件後、牛久第一中学校の対応は冷ややかで、学校が作成した「事件報告書」の公開を遺族が求めると「出せない」と拒んだ。
 哲君の父親が
「事件当事者に対しては情報を公開せよと各市町村の教育長と校長に通達が有った筈だ」と迫ると校長は「知らない」と答え、岡崎さん夫妻が県に対して文書の開示を求めると、県は校長に文書の開示を指示し、慌てた校長は平成十年末になって遺族に報告書を手渡した。
 校長は詫びるわけでもなく、淡々と「通達はありました」と告げると哲君の事件に触れようともせず、何かを恐れているみたいに口を閉じ、逃げるように哲君の自宅を後にした。
 
 卒業式が済んで哲君と仲が良かった生徒の話で知ったことだが、哲君の同級生達が彼の遺影を椅子の上へ乗せて卒業式に出席させてあげたいと希望し、担任に伝えると、最初はなぜか嫌がった返事をしていたが、生徒たちの声があまりにも多く、困った女性教師は「自分が哲君の遺影を持って哲君の席に座る」と妥協し、みんなは納得して喜びを表した。
 しかし、驚いた事に式当日、担任は遺影を持ってくる事も無く、平気な顔で教師たちの席に座り、式が済んでからも何の弁明もしなかった。
 生徒達は裏切られた失望感に襲われたが、卒業式の会場で騒ぐわけにもいかず、この事と女性担任の事は絶対に許さないと誓いあったらしい。
 生徒たちとの約束を破り、そんなことまでして学校の面目を保つものとは何だろうと両親は考え、学校や警察に対して深い失望感が湧いた。
 同級生の言葉に、哲君がクラスで嫌われていたのではないと確信を深めたが、女性教師の行為は許せなかったし、生徒たちに不信感を植え付けた教師は死ぬまで生徒達も許さないだろうと思った。

 平成十年十月二十九日、傷害致死容疑で逮捕された警察官の息子初田は水戸家庭裁判所土浦支部へ送致され、平成十一年八月二十五日に保護観察の決定が下され、これは無罪と同じだと思った。
 その情報を知ったのはマスコミの記者からで、家裁は遺族にも知らせる事無く加害少年初田がどんな事を供述をしたかの内容さえ知ることが無かった。
 おぼろげな内容を知ることが出来たのは記者からの電話で、その内容も死亡原因が変わっていたし、最初は「外傷性くも膜下出血」だったのが地裁の決定では「ストレス心筋症」なる病名になっていて、両親は信じられなかったし、凄いショックを受けた。
 哲君の父親はやりきれない思いで不満を表し
「裁判が終わるまでに死因が四回も変わった事になるんです。最初は頭に受けた外傷性くも膜下出血だろうと病院での死体検案書はなってました。翌日に司法解剖された時には詳しく調べてみないと解らないので不詳と言う事になった。事件から三ヶ月後に解剖医にお話をうかがったときは、右のお腹に相当の圧力が加わり、それが死因といわれた。そして審判結果では、喧嘩で殴り殺されたのではなく、何時死んでもおかしくない心臓のせいで突然死んだと書かれた。こんなむちゃくちゃな話はないでしょう」



  タチヨミ版はここまでとなります。


天に唾はく鬼畜ども

2020年8月11日 発行 初版

著  者:本間 晋藏
発  行:キク書房

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本間 晋藏

 愛媛県松山市在住

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