spine
jacket

───────────────────────



臺灣出宰房列車

出宰漱太郎

デザイソ書房



───────────────────────

   臺灣出宰房列車  (二〇一七年一月)


          一

 臺灣の高雄に居るから、列車に乗って瑞穂に行こうと思う。特に用事は無いけれど、あえてするなら便當を食べることくらい。食べ終わったらそのまま高雄に帰って来ようと思う。
 高雄には三日前に着いた。あしたから始まる展覧會に出品をすることになっていて、その設營に来ている。高雄には日本から直行便も飛んでいるけれど、いったん臺北に飛んでから新幹線に乗ってきた。高鐵こと臺灣高速鐵路は、日本の東海道新幹線とほぼ同じ車兩を使用して、臺北から高雄まで一時間半で着くから、東京から名古屋に出掛ける様な錯覚に陥る。なにしろ倶に來たのは東京でも隣席で仕事をするヒゲチカ山系氏だ。ますます異国情緒の欠片も無い。
 臺灣新幹線には過去にも乗ったことがあるから、今回はグリーン車に相当する「商務車廂」の切符を買い求めることも考えた。どうせ乗るなら標準車廂より商務車廂のほうが良い。日本より安い金額で乗れるし、さらに飲物や菓子まで出ると云う。このおもてなしは名古屋行きどころかまるで空の旅である。列車に乗って居るのにわざわざ飛行機情緒を味わうなど、愚の骨頂とも云えるけれども、その不要なおもてなしに気を取られさえしなければ、商務車廂そのものの醍醐味については、かつて行ったことのある臺北から臺中までの四十五分間の旅で味わうより、その倍の時間を要する高雄までの片道のほうが堪能できるせっかくの機会であることは間違い無い。
 だけれど今回の表向きの旅の目的は一応は展覧會の設營であり、私とヒゲチカ山系のふたりが招待されているのであるから、羽田から臺北までの飛行機と、そこから設營地の高雄までは隣席ヒゲチカ山系氏と行動を共にする必要がある。彼にとってグリーン車は全くの興味の対象外で、一時間半程度の旅程で人に付き合って追加出費をする必要は無いし、絶対に首を縦に振らない。
 それならばいっそ彼を標準車廂に置いて、私だけ商務車廂に乗ったら良いだろうと云う考えもあった。あるいは往路は標準車廂で、復路は商務車廂にすると云う算段もある。實を云うと、旅そのものよりも嗚呼だ斯うだと旅の計畫を立てている時がいちばん樂しいとも言えるのだけれども、そうした結果、今回の臺灣出張に於いて私は或る計畫を私は秘かに練り上げ、後に實行する事にした。
 往路は極極ふつうに島の西側を新幹線で高雄に入る。その後、設營を終え展示に必要な用事を済ませたら当然帰路に着く事に成る譯だが、その際に同じ路線を戻るのではなく、高雄からそのまま反時計廻りに鐵道を乗り継いで、今度は島の東側、すなわち臺東や花蓮を経由して臺北に戻ろうと云う計算だ。とても単純な發想だけれどもこれは中中良いと我ながら思った。
 あまりにも良い計畫なので、帰りまで待ち切れず早速に往路の時点で逆廻りで實行してしまう事も夢見たけれども、東側経由で時計廻りに高雄に行くとなれば新幹線の様に一時間半では到着するはずも無く、少なくとも一泊はしなければならない。満喫するなら二泊は必要だ。ところが展覧會の主催者で今回私たちを招いた連中は、私たちが飛行機で臺北に着く日時を承知しているから、彼らの予定ではその日の晩には高雄に着いていないと、到着の航空便が遅れたのかあるいは途中で事故に遭って遅れているのか心配する事になる。第一、設營のために持ち込んだ荷物が邪魔であるし、ヒゲチカ山系は設營前の遠廻りの鐵路にも一泊ないしは二泊の旅にも付き合う筈が無い。間違い無く「何しに来たんだよ」と云うであろう。我々は展覧會の設營に來たのである、と。それは至極正論と思われるからこの計畫は彼には微塵も伝えていないし、その日の夕刻までには何事も無く高雄に着く必要があった。
 そう云う譯だから、行きは音無しく新幹線に乗り、更なる樂しみは帰路に取っておく事となった。この帰路については時刻表や車兩などを調べ上げ、かなり入念に計畫を立てて来た完璧な物である。實は何度か計畫の変更を強いられ非常に苦労をしたのだが、それは後で書く。とにかくそう云った東廻りの帰路に気持ちも時間も費用も注ぐことにしたので、往路についてはさほど費用をかけずに極めて素直に高雄に入ることに決めた。拠って商務車廂の切符は買わず、標準車廂に席を求めた。
 商務車廂に乗る必要は無いけれども、座席の位置はなるべく良い位置を確保したい。そう考えて事前にインターネットで座席の予約をする事にしたのだが、これが中中に骨を折った。高鐵の場合はインターネットで予約をする際に一人一席のみを購入するのが基本で、一人で二席以上をまとめて購入した場合には乗車前に窓口にて席数分の切符を発券する手続きをしなければならないと云う。
 窓口に並んで手続きをする必要があるとは、最早インターネット予約の意味を無さないが、さらに今回は臺北の桃園空港に到着後、使い慣れた臺北驛には行かずに、高雄に近い桃園驛にバスで向かい、そこから新幹線に乗車しようと考えていた。バスの待ち時間や乗車時間など、新しい経験と引き替えに慣れないことに費す時間を考えると、もはや窓口に並ぶ時間など無い。
 したがって事前予約は私とヒゲチカ山系と、各々行うことにした。インターネット予約では座席は選ぶことができずに自動で割り当てられる仕組みになっている様で、個別に予約処理を行った二名の座席が隣になる可能性は低い。とはいえ殆ど同じ時刻に予約をしたので連続で発券されるかもしれず、羽田から臺北までの空路で味わった、傍から見れば仲良く座っている様に見える、半ば予定調和的な隣席どうしでの旅の可能性は残っていたが、實際に切符を確認すると座席は別々であった。
 桃園空港からバスで桃園驛に着き、地下ホームへ降りる。臺北驛からやってきた七百T型新幹線に乗り込むと、定刻通り十四時四十三分に桃園驛を滑る様に出発した。日本で東海道新幹線に一人で乗車する際は、下り列車では二十番のE、上りでは一番のEと云う様に、進行方向最後尾二名がけの窓側の席をいつも定位置とするけれど、今回インターネットで自動的に当てがわれた席は二号車の十五番Eであった。進行方向右側で、海まで見えないけれども眺めも良い。無論まずまずの席ではあったけれど、馴染みのE席に座ると名古屋行きの心持ちが拭えない。



          二


 さて、臺灣の鐵道と云えば便當である。八角形や四角形の箱に詰まった白米の上に、それを覆い隠す手の平程の豚のスペアリブが乗り、その横には煮卵と青菜などの野菜と沢庵も添えられる。これを車内で食すのが臺灣鐵道旅の醍醐味で、すっかり昼時は過ぎてしまうけれども、桃園驛で便當を購入し車内で頬張ろうと考えていた。
 ところが桃園驛には便當の賣店が無かった。かつて臺北驛から乗った時には賣り場があったから、てっきり新幹線の全ての驛には賣店が有るものだと思っていたが、構内にはコンビニエンスストアしか無く、そこには所謂コンビニ弁当というものは賣って居たけれど、例の高鐵便當という奴には御目にかかれない。桃園驛は東海道新幹線で云うところの品川か、少なくとも新横濱くらいのつもりでいたけれど、これでは三河安城や新富士驛のような侘しい心持ちだ。それにしても三河安城や新富士であっても便當くらいは賣っている。あるいは早早に賣切れて店終いをしてしまったか。そう云えば以前、臺北から臺中に新幹線で出掛けた時は、驛の構内にはたくさん便當屋があり、また便當の種類も豊富だったのが改札を入った途端に賣店は一切無くなり、便當を買い逃してしまったことがあった。ならば臺中からの帰りの際に買おうとしたが今度は販売時間を過ぎており、空腹のまま帰路についた。
 とにかく今回もまた便當にありつけぬまま乗車し、その記録は更新される事と成った。車窓から外に目をやると、高い山の無い広く平らな景色が続く。青い空の下、緑と灰色と茶色が程良い配分で後方へと流れ行く。川を渡り、時折、田圃も見えている。二期作の為に休ませている乾いた田圃があり、その隣には水を入れ苗を植えた水田が新たな稲を育んでいる。南のほうが米作りは盛んだから、新幹線が進むに連れ田圃は増す。便當を喰い逃して増す空腹感に此の景色は聊か辛くなってきた。もう田園風景を見るのは止めた。
 座席を立って通路に出る。E席から通路に出るにはD席の人の前を通過しなければならないから、その場合に隣席がヒゲチカ山系であれば遠慮無く横切る事が出來たと感じたが、然程の長旅でも無いし、通路に出るのはこの一度位だから、そこまで深刻に考える事も無い。軽く手振りでお願いすれば、通路には出られる。
 車兩を前方に歩いて行くと、三、四つほど前の列では、窓側の席でリュックを胸元に抱えヒゲチカ山系氏が口を開けて居眠りをしている。空腹極まり無い夢の最中に違い無い。身動きひとつしない彼を見やりながら、商務車廂のほうへいざ探検に出かけたり、もとの座席に戻ってからはその座席の布地の模様や、前席の背に付いている、本当であれば便當を置くはずであった折り畳み式のテーブルの、東海道新幹線同様に閉じた部分に書かれている、しかし日本のそれとは違った言葉で書かれた案内文などをいちいち眺めているうちに高雄の左營驛に到着してしまった。



(つづく)

臺灣出宰房列車

2020年8月31日 発行 初版

著  者:出宰漱太郎
発  行:デザイソ書房

bb_B_00165421
bcck: http://bccks.jp/bcck/00165421/info
user: http://bccks.jp/user/10896
format:#002y

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

出宰漱太郎

文泌家。2011年に京急蒲田処女小説文藝大賞応募作『コモン・センス』でデビュー。『惑星』をBCCKSで発表。年賀雑誌『かど松』に『犬文学』『あんときの、亥の木』『ねのこのみねこ』を掲載。
文字にまつわる文学をあつめた『文字文学』『文字文学II』『文字文学III』(type.center編)にて解説を寄稿。
西暦1971うまれん/身長168センチメンタル

jacket