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荒れ狂う北洋でソ連警備隊から日本漁民を守る為に攻防を繰り広げる男達の生き様。

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オーロラ輝く最果ての海(北洋編)

本間 晋藏

キク書房出版



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  この本はタチヨミ版です。


        『時代』
        『吠える北洋』
        『家族の絆』
        『激流』
        『流氷子守唄』
        『長崎ブルース』

        『時代』

 既に戦後ではないと言う言葉が囁かれ始め、様々な規制が解除されると目覚ましい復興の足音が聞えて来て昭和三四年には皇太子殿下と美智子妃の御成婚の模様がテレビ中継され、テレビの普及が急激に伸びたが、庶民にはまだまだ高根の花で、街頭テレビに人々は群がり、田舎では駄菓子屋さんでお菓子を買えば見せて貰えたし、力道山の活躍で大人も子供もプロレスに熱中した。
 この年巨人軍に入団した長島が大きな話題をさらい、国民健康保険や船員保険が適用されるようになり給与も一万円札で受け取ったし、家に帰ればテレビが居間で映り、麗子はフラフープと言う物で腰をくねらせ、柱にだっこちゃんと呼ぶ真っ黒な人形が抱きついていて驚いた。
 昭和三六年に捕鯨船団史上最悪の事故が起こり、別会社の捕鯨母船がソロモン海上で大火災を起こしたが日本の捕鯨船団はピークを迎え、三社が競合して捕獲数を競い合った。
 その頃になると勇も一等航海士兼砲手として鯨を追う毎日だったが操業中に悲しい知らせを受け、祖父が脳卒中で亡くなったと電報を受け取ったが海の上では悲しみに暮れる以外無かった。
 勇が幼い頃から目の中へ入れても痛くない程可愛がってくれ、勇が捕鯨船に乗り込んだ事を一番喜んでくれたのも祖父だった。
 祖父の面影を思い浮かべては悲しみに暮れたが鯨を追い求める日々は個人の感情など許される筈も無く、電報が届いた日も吹雪の中で鯨を仕留めた。
 日本の海運業は大型タンカーの時代を迎え、日本最大のタンカー『日章丸』は十三万トンという途方もない大きさで中近東との間を就航し、東南アジアのフィリピンやボルネオ方面に材木を積んだ日本の貨物船が増え始め、インド洋で操業する大型の漁船も増えた。
 本船でもお湯を注げば手軽に作れるインスタントラーメンが重宝され、ビールも瓶から缶ビールになり、これまでコーヒーの粉を布で漉していたのにインスタントコーヒーが発売されてからはお湯を注ぐだけで良くなった。
 大相撲の世界では大鵬と柏戸が横綱に昇進し『巨人、大鵬、卵焼き』の言葉が流行しテレビの「シャボン玉ホリデー」では双子の姉妹『ザ・ピーナツ』が伸びやかに歌い、坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」が大ヒットし、南極の昭和基地に置き去りにされていた樺太犬タローが四年半ぶりに日本へ戻り、人々の話題をさらった。
 昭和三十七年にイギリスの捕鯨船団が南氷洋捕鯨から撤退するとそれを契機に今まで世界の海で散々鯨を取り尽くしたアメリカで鯨の保護を求める声が上がり、それに同意したオーストラリアが南極海での捕鯨に反対の声を上げ始め、白長須鯨やザトウクジラの捕獲制限が決まり、今泉船団長が船を降りて本社の取締役になり唐津の林さんも東京本社へ転勤になった。
 昭和三十九年は日本中が盛り上がる東京オリンピックが開催され黒い弾丸「ヘイズ」が百メートルを十秒で駆け抜けて人々の度肝を抜き、エチオピアの「アベベ」がマラソンコースを裸足で走り優勝をさらった。
 東海道新幹線が飛ぶような速さで東京、大阪間を往復し日帰りで利用できるようになり、集団就職の列車が金の卵を乗せて走った。
 勇と麗子は所帯を持って随分経つが二人の間には子供が出来る兆しも無く、勇も既に三十六歳になっていた。
 東京芝浦製作所と日立製作所からカラーテレビが発売され、オリンピックの影響で白黒テレビが急速に広まったが、カラーテレビとなると二十一インチテレビが二十六万円と高額で、公務員の初任給が一万七千円位だったから普及率が悪かった。
 勇の周りでは祖父が亡くなって反対する者が居なくなった忠叔父さんが運送業を始め、一時は従業員を十名抱える程景気が良かったらしいが、新車を導入した日にトラックの後ろで遊んでいた近所の子共を死亡させたのが悪運の始まりで、深夜、唐津の横断歩道上で寝ていた酔っ払いを死亡させ、その補償だけでも莫大で、本家の家、屋敷が抵当に入り、多額の借金を背負った。
 その時点で勇に何らかの相談が有れば対策を打てたのだが、美穂子叔母ちゃんは何も話してくれず、勇が知ったのはその年の漁を終えて自宅に戻ってからだった。
 世の中は高度成長の波に乗り、里山家の彩芽は唐津で婦人服やアクセサリーの店を広げ、元々商才にたけていたのか結婚式に着るドレスが話題を呼び、自分で車を運転して唐津まで通っていた。
 鶴に女の子が生まれエリやナミは宿舎の近くで小さな美容院を開き、辰次郎や源太郎も海上保安庁の職員として玄界灘を守っていた。
 西岡の会長はタクシー会社ばかりか市内に豪華なキャバレーを開店させ、遊びに行ってみれば入り口にボーイが二人立ち、恭しく会長と勇に頭を下げ、真っ赤な絨毯を敷き詰めた先の頑丈な扉を開ければ劇場みたいな舞台が有り、その上で楽器隊が音楽を奏でている。
 席はソファーみたいな背もたれが有りチャイナドレスを着たホステスが側に座るとボーイがビールを運び、店内はシャンデリアが輝きホステスだけでも五十名は揃っていると会長が自慢する。
 満席状態の店内は客とホステスが入り乱れ和やかな雰囲気だ。
 ステージ上から音楽が奏でられ始めると店内の照明が落とされ、ステージ前の空間で客とホステスが身体を密着させて踊り始めステージ上に女性歌手が登場するとスポットライトが当てられ、勇も誘われて踊ってみたもののホステスの足を踏みつけそうで緊張した。
 腰の部分を密着させながら踊るとホステスの化粧の香りが漂いそれだけでもう変な気分になってくる。
 それから数日置いた夕方、馬場と北方を誘ってキャバレーに出かけ、何かと理由を付けてはキャバレーに通い、帰りに市役所前の屋台でラーメンを食べて帰るのが習慣になった。
 麗子とは家に戻ったひと月程は毎日新婚気分だったが三ヶ月も過ぎると海が恋しくなり、子供が居ない事も有りマンネリ気味になってくる。
 十月の中旬乗船通知が届き、乗船五日前に長崎に出かけると冴子の部屋で寛ぎ、昼間は冴子が開いた小さな喫茶店を手伝ったり夜は一緒に飲み歩いた。
 冴子とはママ達と寿司屋へ出かけた事がきっかけで二人だけで会うようになり、深い仲になるのに時間は要らなかったし、どこかで鶴の面影を追い求めていたのだろう。
 捕鯨漁を終えて長崎へ戻ってみれば冴子はクラブ勤めを辞め、自分で小さな喫茶店を開いていた。
 本船がドッグ入りして検査が済む間は宿舎に入らず冴子のアパートで過ごし、自宅へ戻ってみれば難解な問題が起きていて、本家が大変な事になっているのを始めて知った。
 土産物を届けるとトラックも見えず運転手も見当たらないし望だけが留守番していて忠叔父さんや美穂子叔母ちゃんを暫らく待っても帰って来ず、その時は何も思わず土産だけを置いて帰ったが、それから五日後麗子が保育園に出かけた後勇一人で裏庭の草むしりをしていると美穂子叔母ちゃんが血相を変えて飛び込んでくるなりその場で泣き崩れ、どうしたのだと聞けば家に高利貸しの男達が現れ、忠叔父さんに返済を迫り、家の登記簿を出せと刃物を突きつけながら脅し始め、叔母ちゃんは金策に走ると言う事で男達を納得させて家を飛び出して来たが勇の顔を見た途端涙が出たのだと話す。
 叔母ちゃんを残して本家に向かうと男達の怒鳴り声が聞え、その手に刃物が握られている。
 勇が上がり込むと男達は不審そうな眼を向け、勇に「お前は誰だ」と問い詰め、勇が「身内だ」と応えると「お前が払ってくれるのか」と表情を崩し、勇が叔父さんに幾ら借りたのだと聞けば「二十万円借りたのだが百万要求されている」と項垂れ、勇が二十万円払うと言えば男達は納得せず、勇を脅してきた。
 小豆色のスーツに手首に数珠を巻いた狐みたいな男が二十万円貸したが半年分の利子と自分達が博多から通う経費が膨れ上がった金額が百万だと言い始め、その金を払って貰うまで帰るわけにはいかないし、現金が揃えられないのなら家の権利書を出せと迫り、勇が二十万円のお金がどうして百万になるのだと言えば、高利の金だと判って借りたのだろうがと開き直り話は平行線を辿った。
 借りた二十万円で辛抱して欲しいと言えば、別の男が「ガキの使いじゃねえ」といきなり座卓を蹴り上げ、勇に刃物を向けて来たから思わず振り払い、無意識に相手を殴っていた。
 後は成り行きで男達を叩き伏せ、男達は捨て台詞を吐きながら車に乗って去ったが、後で来るのは判り切っていた。
 叔父さんにどれだけの借金が有るのか訊ね、借用書を見れば銀行以外は町金融が殆どだったが金額はたいした事が無く、思い余って西岡の会長を訪ねて相談すれば、借用書を持って叔父さんと二人で来るように告げられ、翌日タクシー会社の事務所に向かった。
 会長は丹念に整理しながら自分の知っている金融関係者に電話を入れて解決してくれ、銀行員を呼ぶと返済年数と毎月支払う金額を下げてくれ、残るは福岡の町金融だったが会長も知らなかった。
 会長の手際の良さに驚いたし、改めて会長の底力に恐れ入った。
 借用書に書いてある福岡の金融会社へ電話を入れると最初は丁寧な対応をしていたが、叔父さんの名前を出せば態度が変わり、電話の相手が変わったし、電話が勇と判ると声を荒げ、三人分の治療費と百万円、耳を揃えて用意しないと押しかけると喚き、会長に電話を替わって貰っても話にならず、とうとう会長が唐津駅前のタクシー会社まで取りに来るよう告げて電話を切った。
 会長の口ぶりではどうやら博多のヤクザ組織らしく、二代目に電話を入れると二代目が飛んできて若い衆が警戒を始め、一時間もかからず奴らが現れ、余程飛ばしてきたのだろう。
 事務所の中へ四人の男が踏み込んで来たが会長と二代目を見るなり狐に摘ままれた表情で辺りを見回し、男達は腰を折りながら「会長、ご無沙汰しております。実は私ら相手から此処へ来るように告げられて出向いたんですが、まさか会長の知り合いとも知らず申し訳ありません」と直立不動をしながら言い訳を始め、会長が「わしには話が見えないがどういう事だ?」と尋ねれば、スーツを着た男が、お金を貸した上若い者が怪我を負わされ、その男が電話をしてきたから飛んできたのだと説明し、それを待っていたかのように二代目が、唐津で金貸しをするのはわしらの米櫃へ手を入れる事になるのじゃないかと言えば男達は黙りこんだ。
 すかさず会長が「兄弟も知っての凌ぎなのか?」と訊ねると男は慌てて否定し「うちの親父の耳に入れば私らは破門されます」と応え、会長が「今回の事は見なかった事にしよう」と言えば逆に男達は頭を下げ、逃げるみたいに帰った。
 それにしてもやくざの世界とは力の優劣で決まるのだと判り、引退して跡目を譲ってからも会長が隠然たる力を持っている事が判ったし勇の相談に気軽に応じてくれた事に感謝した。
 部屋の隅に座って成り行きを見ていた忠叔父さんは胸を撫で下ろし、人目も構わず泣き始め、余程辛かったに違いない。
 会長に謝礼の話しをすれば怒鳴り付けられたばかりか忠叔父さんの運送業の事を詳しく尋ね始め、じっと考えていたが叔父さんに向かって自分を訪ねて来るように告げ、励ましてくれた。
 自宅へ帰った時は既に陽が暮れ、車を駐車場に入れると麗子が飛んできて美穂子叔母ちゃんと望が待ち詫びていると告げ、家に入ると忠叔父さんが深々と頭を下げ、借金問題は解決したと話せば麗子は手を叩いて喜び美穂子叔母ちゃんは涙を流しながら項垂れていた。
 忠叔父さんが勇の御蔭で西岡の会長が銀行と掛け合ってくれた上、町金融の借金も処理してくれた事等を話始めると叔母ちゃんは嗚咽を漏らし始め、麗子は台所の陰で涙を拭いている。
 その晩麗子が腕を振って鯨の竜田揚げや白和えなどを拵え、望も一緒に手伝っている。
 一緒に食卓を囲み、口下手な忠叔父さんが麗子に対して感謝の言葉を伝えたのに驚き、麗子はこれまで勇に隠していたらしいが蔭ながら叔母ちゃん達を助けていたらしく、望が入学する時はランドセルや文房具などを全部揃え、日頃も何か有ると援助を行ってくれていたらしい。
 美穂子叔母ちゃんも話してくれなかったのは麗子に口止めされていたらしく、勇の留守中に身内を蔭で支えてくれた麗子を改めて誇らしく思った。
 恥ずかしがり屋のくせに気が強く、勇と一緒に居る時は時々ピント外れな行動を取って驚くが、彼女なりに勇の身内を気使ってくれた事が嬉しく、一緒になって良かったとしみじみ思った。
 それに勇にとって気が楽なのは勇の行動に干渉しないし彩芽の存在も気にはなるのだろうが男とは家庭を壊さずに守ってくれればいいと思っている節が有り、時々彩芽と連絡を取り合っている事も知っている。
 遊び好きな勇の性格は死ぬまで治らないと言うのが口癖で、キャバレーに通う事も黙認しているし、まるで彼女にすっかり見透かされている様な気がしてくる時が有る。
 麗子にしても船乗り稼業は浮草みたいなものだから外国で息抜きする事も必要だと話した事は有るが、勇にとって一番怖いのが冴子の存在を知られる事だった。
 その晩叔母ちゃん達は肩の荷が降りたのか安堵しながら帰り、勇は麗子に感謝の気持ちを伝え夜遅くまで語り合った。
 鬱陶しい梅雨の季節になると麗子を車で保育園まで送る事が日課になり、夏の陽射しが照りつける頃麗子が草叢の中へ捨てられていた子猫を拾って来て家で飼い始めた。
 まだよちよち歩きの牝猫で、その子だけが段ボールの中で鳴き声を上げていたらしく、家に連れ帰った時は痩せ衰え、鳴き声もか細く、薄汚れていたが煮干しや魚の骨を煮込んだ汁を与えると夢中で飲み、風呂に入れて蚤退治をする時は激しく抵抗し鳴き叫んだが見違えるような毛並みになり、翌日から覚束ない足取りで家の中の探検を始め、誰が教えた訳でもないのに外に出ると穴を掘って糞や尿を始末し、名前をチビと付けられた子猫は直ぐに懐いてきた。
 麗子は子猫に夢中になり、自分の子供みたいに抱きすくめ、寝る時も蒲団の中へ入れて可愛がっていたがひと月もすれば少しもじっとしてないばかりか飛び跳ねて向かってくるし、困ったのが襖や障子を破って暴れ回り甘えて噛んでくる。
 晩酌する時も甘えて膝の上に乗り、人が食べる物なら何でも催促し、魚が焼ける匂いがすれば台所を離れない。
 秋が深まり再び南氷洋へ向かうと、今回の航海では他国の捕鯨母船が見当たらず、母船から獲得枠が厳しくなった事を知らされ鯨を追う時間も制限された。
 鯨の頭数が減った事も有るが一番影響したのが中近東で油田が開発され鯨油の需要が減った事やアメリカやオーストラリアが自国の牛肉を日本に広めようと鯨の保護を求め始め、今まで鯨を捕獲していたイギリスまでが掌を返したみたいに捕鯨反対運動が盛んになり
IWCは白人社会の意のままになった。
 白人社会は全てにおいて自分たちこそ正義だと思っているし、日本人等黄色い猿位にしか思わず、毛皮を取るためだけに沢山の貴重な動物を殺し、数が少なくなると種の保存や環境保護の声を上げるが、種の保存というのならアメリカやオーストラリアに移り済んだ白人は原住民と共存するどころか抹殺し、保護の名目で僅かな原住民を晒し者にしているではないかと思った。
 その年の捕鯨は白長須鯨が集団で泳いでいるにも関わらず捕獲する事も出来ず、二月に入っても漁は芳しく無く、三月に必死の追い込みで漸く獲得枠に達成し、勇達も胸を撫で下ろして帰国の航海に着いた。
 途中母船から給油を受けた以外何処にも寄らず長崎へ帰った。
 造船所へドッグ入りすると同時に勇だけが長崎支所の事務所へ呼ばれ、本社の今泉専務から電話が入ると「ひと航海だけ北洋の鮭・鱒母船へ乗り込んでくれないか」と頼まれ、期間は五月末から九月までという事で気軽に引き受けるととても喜び、詳しい事は自宅へ書類を送ると告げて来た。
 お世話になった今泉専務からの頼みでも有りひとシーズンだけという事でも有ったし北洋にも興味が有った。

家に戻って暫く寛ぎ、以前勇が住んでいた浦内の家を訪ねると美穂子叔母ちゃんが草むしりの最中で、勇を見ると全身で喜びを表し、家に入るとお茶を入れてくれた。
お茶を飲みながら本家の事を話し始め、ご先祖様に顔向けが出来ないが今は借金も無く、忠叔父さんは西岡会長の世話で魚市場の専属運転手として関西まで鮮魚運搬の仕事をしているし、毎月入る給料がこれ程有り難いと思わなかったと話し、自分も時々道路工事等の仕事に出かけ、日銭を稼いでいると話す。
 勇が使っていた部屋は望が使っているらしく、台所なども変わってなかったが何処か殺風景だし、部屋の中を見渡せばテレビや冷蔵庫も無く、祖父が元気な頃は裕福だった家で育った美穂子叔母ちゃんにとっては辛いに違いないだろうが、そんな様子を見せないどころか明るい笑顔は少しも変わってなかった。
 忠叔父さんにしても養子として婿入りしたばかりに廃れて行く本家を立て直す為に始めた運送業だったが、不運に見舞われ思い通りに行かず、根が気真面目なだけに相当悩んだに違いない。
 勇みたいに開き直って世の中を渡って行く方が楽に違いない。
 今回は土産を買って来なかった事を詫び、町の電気屋に走るとテレビと冷蔵庫、洗濯機を注文し、叔母ちゃんの家に取り付けてくれるように頼んだ。
 テレビと冷蔵庫、洗濯機だけで二十万円近く払い、電気屋のおやじはホクホク顔で奥さんと店員に三輪ミゼットに積み込みを命じ、自らアンテナなどを積み込み始め、勇の景気の良さを羨んだ後本家が人出に渡った事を嘆き、これも時代の流れだと話してくる。
 狭い町の事であり地元で育った人ばかりだったから本家が家屋敷を手放した事はあっという間に広まり、以前本家に世話になっていた人達ほど養子の忠叔父さんを批難した。
 麗子と過ごす日々はあっという間に過ぎ、五月の十日、『明和丸』に二等航海士として乗り込むように通知が来て、二十三日までに横須賀に向かうように書いてある。

 長浦港の埠頭に着けば『明和丸』が黒い船体を横たえ、事務室で着任の手続きを済ませると部屋に案内され荷物の整理を終えた後キャプテンの部屋へ挨拶に出向いた。
 キャプテンは黒田さんと名乗り、新潟の村上出身だと言いながらコーヒーを勧めてくれ、ひと航海だけお願いすると頭を下げ、勇の噂は聞いているし北洋の事を話してくれた。
 キャプテンの話では長浦から函館へ向かい、函館で漁労部の人間や事業員が乗り込んでくるし、出航は二十五日だと話、その足で船団長に挨拶に出向いた。
部屋へ行けば大柄な体格の目つきの鋭い男の人が椅子に座っていて、キャプテンが勇を紹介すれば椅子から立ち上がって握手を求め、自分から『橋爪』だと名乗り、自分が今泉専務に頼んだのだと話始め、勇の母船時代の事やキャッチャーで活躍している事に詳しかったし、大いに期待していると話す。
 橋爪船団長は今泉専務の水産学校時代からの後輩らしく、勇の噂は今泉専務から度々耳にしていたし、本船内で派遣会社の監督達に手を焼いていると今泉専務に相談すると勇を本船へ乗り込む手配を整えてくれたのだと話した。



  タチヨミ版はここまでとなります。


オーロラ輝く最果ての海(北洋編)

2020年8月23日 発行 初版

著  者:本間 晋藏
発  行:キク書房出版

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