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ブルーアース
第一部

寿甘(すあま)

すあま書房



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次

マステマの章
幕間1
フェンリルの章
幕間2
ガネーシャの章
幕間3
セベクの章
幕間4
ツクヨミの章
幕間5
バステトの章
幕間6
ポセイドンの章
幕間7
戦争の終結
あとがき

マステマの章

プロローグ

 この国は、種族で身分の階級が決まる。そして、種族毎に順列があるが支配階級の種族と被支配階級の種族に大きく二分されている。
 階級の高さを決めるのは、種族としての強さ。
 最も強いのは狼人ロウポー
 最も弱いのは犬人ドゴー
 見た目にはほとんど違いがないのに、強さで一番上と一番下に別れているのだ。
 なぜ強さで階級が決まるのかというと、今この国は戦争をしているからだ。
 戦争の相手は、この国以外の全国家。全ての旧人類である。私達獣人は、百年ほど前にこの世界に誕生した新人類なのだ。
 なぜ旧人類と戦うのか?
 それは私には理解出来ない。ただ、この地球の浄化が目的だと皇帝陛下はおっしゃっている。
 地球は、汚れているのだ。
 かつて、地球は青かったという。
 でも、今の地球は、茶色かったり黒ずんでいたりする。
 旧人類が、この地球を汚し尽くしたのだ。そう、教科書に書いてあった。
 だから、我々獣人は旧人類を滅ぼし地球を浄化してかつての青さを取り戻さなくてはならないのだという。
 その決意を表明するため、この国の名前は『ブルーアース』という。
 一人の皇帝と、元老院と名付けられた政治を行う議会と、戦争を行う軍隊の三つの権力が支配する国。

 そんな国で、私は犬人ドゴーとして生まれた。

孤児と将軍

 今日は、皆で町へ出かける日。
 戦争で偉大な成果を上げた将軍さまが凱旋するから、そのパレードを見に行くことになっている。
 私は本を読んでいたいんだけどなー。
 でも、人手を見込んで色んな屋台が出るからそっちは楽しみだったりする。
葉月はづきちゃん、準備できた?」
 緩くウェーブのかかった金髪を揺らし、輝く青い瞳に優しい光を宿した魚人フォイショーの女の子が話しかけてきた。
 この子は孤児院の友達で、名前はなぎさ
 魚人フォイショーは下から三番目の種族で犬人ドゴーと同じく被支配種族だ。被支配種族の中でも、下の種族を見下すのが普通なのだけど、渚は私とも分け隔てなく接してくれる優しい子だった。
 人型フーマーノなので魚っぽくはないけど、耳の後ろにあるエラで水中でも呼吸できるらしい。便利。
 そうそう、獣人の同じ種族でも人型フーマーノ獣型ベソートーの二種類があって、人型フーマーノより獣型ベソートーの方がより強く地位も高い。
 もちろん私は人型フーマーノ
 本当に底辺の底辺、最底辺の獣人なのだった。
「うん、おこづかいもばっちり! あの屋台また出るかな?」
「もう、葉月ちゃんたら」
 笑いあいながら出かける準備をする二人。
 そこに、人型フーマーノ兎人レポーローの少女が声をかけてきた。
「こら犬! なにノロノロしてんの、もうみんな準備済ませてるのよ」
 この子の名前は美貴。美しく貴いと書いてミキ。完全に名前負けね。
 兎人レポーローは下から四番目の種族であり、また被支配種族の中で一番上の種族でもある。だからいつも私を馬鹿にして高圧的な態度で接してくる。
 兎人レポーローは身体能力が飛び抜けて高く、レイキの量では下位の支配種族よりも高い。反面魔力マナが少なくて魔法が苦手なせいで支配種族にはなれない。
 でも戦争ではよく活躍するのでかなり厚待遇を受けているし、その分プライドも高いのだ。
「はーい、ごめんなさい」
 ケンカするのも馬鹿らしいし、素直に謝って集合した。気持ちとしては高圧的なもの言いにイラッとするけど、種族の階級差を考えれば美貴はむしろかなり優しい子なんだと分かってる。
 イラッとするけど。

 町は獣人で埋め尽くされていた。
「ううー、思ったより人が多い」
「しょうがないねー、あの芳紀ほうき中将だもの。みんな一目見たいと思うよ」
 人の多さにげんなりして耳も尻尾も垂れてる私の手を引きながら、渚が苦笑する。
 芳紀中将は獣型ベソートー狼人ロウポーで、史上最年少の将軍だ。若い、というより幼い頃から前線で戦い、何人もの人間連合軍の指揮官を倒してきた英雄なのである。
 イケメンなので若い女の子達の憧れの的なのだ。
 同じく活躍してるオジサン将軍には見向きもしないから人気の理由がわかるね。
「はーやれやれ、これだから女は」
「……葉月ちゃんも女の自覚を持とうね」
「えっ、声に出てた!?
 手を引く渚にジト目で言われて、口に出していたことに気づいた。孤児院の女の子達ももちろん彼のファンなので冗談抜きに命に関わる失言である。
 焦って周りを見回した。
 幸い、聞いていたのは渚だけだったようだ。あぶないあぶない……

◇◆◇

 芳紀中将は、考え事をしていた。
「どうすればむらくも様は分かってくださるのか」
 叢とは元老院議員である。芳紀と同じく獣型ベソートー狼人ロウポーで、議員の中でも特に強い権力を持つ人物だ。
 ブルーアースの国会は、皇帝、元老院議員と少将以上の軍人をメンバーとして開かれる。そこで芳紀中将はたびたび叢議員と意見がぶつかっていた。
「種族に身分を当てるべきではない。強さで階級を決めるのは軍人だけでいいはずなのに」
 彼は人種差別反対派だった。
 それに対し、叢は国の安定には厳格な身分差を規定することが重要と主張していた。効率の良い国家運営には、ある程度自由を犠牲にし、役割分担しなくてはならないのだと。
「叢様は戦争の間だけとおっしゃるが、百年経っても未だユーラシア大陸の半分しか奪取出来ていない」
 戦争が終わるのはいつになることかと、暗い気持ちになりながら百年の戦争史を思い浮かべる。

 西暦二一〇〇年。
 日本国の首都東京に、突如として三人の獣人が現れた。
 一人は翼持つ少女。
 一人は獅子の頭を持つ大男。
 そして、もう一人は――

「閣下、民が手を振っていますよ」
 副官である逸樹いつき中佐の言葉に、思考を中断させられた。
「ああ、すまない。ちょっと考え事をしていた」
 今は凱旋パレード中である。民に笑顔を見せるのも仕事のうちだ。
 芳紀中将は群衆に手を振り返し、人々の笑顔を目に焼き付けていく。
「戦争が終われば、この人々も……」
 集まった群衆には支配種族も被支配種族もいる。皆一様に笑顔を見せていた。
(俺たちが頑張って早く戦争を終わらせれば良い、か。無茶を言うが、確かにそれが正論か)
「ん?」
 芳紀は、群衆の中にある一人の獣人を見つけていた。
(あの姿、たしか)
「……」
 逸樹中佐は、彼の様子をじっと見つめていた。
(あれは、犬人ドゴーの少女か……フフ、将軍も年頃の男性だからな)
 彼は、あの真面目な上司に媚を売る良い機会が回ってきたと、心の中でほくそ笑むのだった。

◇◆◇

「あれ? なんかこっち見てない?」
 狼人ロウポーの将軍が、私達のいる方に目を向けてきた。
「キャーーー! 芳紀さまーー!!
 あのー、耳元で叫ばれるとうるさいんだけどー。
 渚や美貴をはじめ、孤児院の女の子達は興奮して大騒ぎだった。
 あははは……余計なことを口に出さないように気をつけよっと。

 次の日、孤児院に軍の偉い人がやって来た。少佐だか中佐だかって言ってたけど、よく分からない。
 とりあえず分かることは、私が誰かから指名されたということだ。
 こういうことはよくあるそうだ。そりゃ国内全て階級社会だものね、最下層の女なんて上位階級の慰みものになるために存在しているようなものよね。
 と、強がってみても、やっぱり怖い。せめて乱暴にしないで欲しいなぁ……本当に。
「ああ、そんな……なんで葉月ちゃんが」
 目に涙を溜め、オロオロとしている渚に手を振って心配しないでと伝える。
「葉月!」
 迎えの車に乗り込もうとすると、孤児院の入口に走って来た美貴が私の名を呼んだ。が、その後に続く言葉が出てこないのか口を真一文字に結んで立ち尽くしている。
 初めて美貴に名前を呼ばれた気がする。私は無理矢理笑顔を作って見せ、車に乗った。

 そこは、いかにもな寝室だった。ふかふかの大きなベッドはどう見ても二人用。少し暗めの照明が不安を駆り立てる。
「どうか、優しくされますように」
 もうここまできたらそれだけが唯一の望みだった。酷い目に遭わされ、死んでしまった子もいるというのだから。
 少しして、ドアが開いた。思わず身をすくめ、入って来た人の顔を見る。
 それは、昨日見た顔だった。精悍な顔つきの若い狼人ロウポー。鋭くも憂いを帯びたグレーの瞳に吸い込まれそうな感覚を覚える。
「ほ、芳紀将軍?」
 えっ……?
 予想外の人物だった。だって、こういうのってもっと歳のいった中年エロ親父みたいなのがでっぷり太った腹をさすりながらゲヘヘとか言って入って来るもんじゃないの!?
 女なんてよりどりみどりでしょこのイケメンは!
 昨日の女子達の狂乱を思い出す。
 こっちを見ていたのは、そういうことだったのか……こ、これはまずいですよ。別の意味で命の危険が!
「あの……」
「申し訳ありませんでした!」
 突然の土下座。
 ええと、これはどういう状況なのでしょうか?
 国民的英雄で、若くて美形で、地位も名誉も最高級のスーパースターが、人型フーマーノ犬人ドゴーで親にも捨てられた孤児の、底辺も底辺、最下層民の私に向かって土下座している。
 何かの試練? 私、試されてる?
「私がちゃんと説明しなかったのが悪いのです。貴女を見ていたのを、性的な欲求から見ていたと勘違いした部下が気を利かせたつもりでこのようなことを」
 ああ、なんとなく事情はわかった。忖度そんたくってやつね。でも……
「何故、私を見ていたのですか?」
 気になる。聞きながら芳紀将軍の手を取り、土下座をやめてもらった。怖いからね、色々と。
「それは……知っている人に、よく似ているのですよ」
 私の目を見つめながら言う。あ、ヤバい、ドキドキする! 私顔赤くなってない?
 それから、ベッドの横にあるソファーに座り、話をした。あの時はたまたま彼が頭に思い描いていた女性とそっくりな私を見つけて驚いて凝視してしまったのだという。一体誰に似ているのかな?
 あとは私の身の上を聞いて、彼の夢を語ってくれた。
「私は種族で身分が決まる今の制度を廃止したいと思っています。このようなことがまかり通っているのはおかしい」
 このようなこと……私が連れて来られた理由ね。
 でも相手が芳紀様だったら……いやいや、何考えてるの私。さっきまであんなに怖がってたのに。
「葉月さんには将来の夢とか何かありますか?」
「あ、私は本を読むのが好きで、作家になりたいなって思ってます。あんまり上手く書けないけど」
「それはいい、是非夢を実現させて貴女の書いた本を読ませて下さい」
 何なのこのお見合いみたいな会話は。この状況、やっぱりうちの女子達には話せないなぁ。
「あの、葉月さん。もしよろしければ、またお会い出来ますか? もっと貴女とお話がしたい」
「え? は、はい。喜んで!」
 へ?
 これって……どう……いう……?
 えええええ~~~~~っ!?

 そして私は彼にエスコートされて孤児院に戻り、女子達のなんとも言えない凄まじい表情に出迎えられたのだった。

◇◆◇

 東京のある一室。
「あの子が、連れ出されたと聞いたわ」
 透き通るような声が室内に響く。声の主は、少女の姿をしていた。そしてその背中には大きな純白の翼。
「なあに、心配はいらん。あやつは儂が心配になるぐらいの堅物でな。仮に何かあっても責任は取らせるさ」
 軍服に身を包んだ大男が軽い調子で答える。その頭は白髪のたてがみを持つ獅子。襟元には、軍の最高位である、元帥を示す階級章が付けられていた。
「そうね、もう十七才になるのだから……いつまでも子供扱いするものでもないか」

◇◆◇

「おかしい! 絶対おかしい!!
「あはは、まあまあ」
 渚に愚痴る私。さぞや迷惑なことだろう。
 何を愚痴ってるかって? それは――
「もう半年になるのよ、半年! なんで何もしないの!?
 あれから度々芳紀様とお会いして色々な話をした。主に元老院に対する愚痴とか、夢を熱く語ったりとかだけど。
 しかし逢瀬を重ね、次第に打ち解け、もはや私の彼に対する気持ちは愛へと変わっていた。
「せめてキスのひとつぐらい、ねえ?」
 そんなわけで、何も手を出してこない彼氏に苛立ちを覚え始めたのだ。
 私のこと、ただの話し相手としか思ってないのかな?
 あんなに二人で何度も会ったのに……
「時代は肉食系よ。男からのアクションを待ってばかりじゃなく、こっちから攻めて行かなきゃダメじゃないの!」
 美貴が熱弁をふるう。コイバナの時は妙に積極的に絡んでくる彼女とは、いつの間にか気安く話せる仲になっていた。
 肉食系かー、兎のくせに。
 後から思えば、この頃が一番幸せだった。しばらくして、絶対的な知らせを受けとる事になるからだ。

――芳紀中将、戦死。

 私は、戦う事が嫌いだった。犬人ドゴーなんて、戦争に参加しても大した戦力にならない。だから、戦い方を学ぶより物語を書いている方がいいと思っていた。でも――
 人間が憎い。
 私から愛する人を奪った人間が、この上もなく憎かった。
 親しい人の死に直面した時、人の心には命を奪ったものへの憎しみが生まれる。
 それが病気であれば、病気をこの世から無くそうとし、それが事故であれば、事故の原因を無くそうとする。それもある種の憎しみなのだ。そして、人に殺されたのであれば……
 憎しみは憎しみしか生まない。なるほど、確かにその通りだ。彼も多くの人間の命を奪っていた。私が憎しみに身を委ね、人間を殺せばまた人間も私を憎むだろう。
 でも、しょうがないじゃない。この悲しみと憎しみを、抑え込むなんて無理。
 だから、生まれて初めて強くなりたいと願った。
――人間を、皆殺しにするために。

 まず、獣人の強さの秘密、霊気について詳しく学ぶ為、教則本や戦史を読み漁った。霊気は、肉体の機能を強化する技術だ。
 霊気の名の由来は、レイキというエネルギーを使う事から来る。レイキとは、すなわち励起。獣人であれば、誰もが生まれつき備えている技術。身体を構成する分子を『励起する』というのだけど、ピンと来ない。ただ、このレイキエネルギーの差が戦闘力の差を生み出している。
 戦闘力の差が、身分の差を生んでいる。それはつまり、犬人ドゴーである私は生まれながらにして弱い事が決定づけられているという事でもある。
「後天的に霊気を鍛える方法はないのかしら?」
 調べていくと、戦場において後天的にレイキを飛躍的に高めた事例がいくつか見つかった。
「なるほど、共通点があるわね。なんとかなるかも知れない」

◇◆◇

「おかしい! 絶対おかしい!!
 前にも同じセリフを言った気がする。
「どうしたの?」
 渚が不思議そうに私の顔を覗きこんできた。
 彼女は、芳紀様の訃報を聞いて取り乱す私のそばに、一晩中いてくれた。そして、一緒に泣いてくれた。
 彼女がいなかったら、立ち直れなかったに違いない。
「どこにも、芳紀様を殺した敵の情報がないのよ。ブルーアース側の情報も曖昧だし、連合軍側にも戦果として挙がってないの」
「それって、どういう事? 敵の英雄的な司令官を討ち取ったなら、大々的に宣伝するよね?」
「もしかして……」
 私が疑惑を抱き始めたのは、訃報から一月ほど経ってからだった。
 ほぼ同時に、国内で陰謀論が囁かれるようになった。

――芳紀将軍は、敵対する議員に暗殺された。

最高議会

 ブルーアースの国家運営における意思決定は、三権の集まる会議によって行われる。
 最終的には皇帝、軍、元老院がそれぞれ一票ずつを持ち多数決をするが、その前に会議で政策議論が行われる。
 軍は将軍クラスが参加し、議員は元老院の議員が参加するが、元老院の下にも通常議院がある。そして元老院の議員、元老議員は通常議院で行われる選挙によって選出されるのだ。
 通常議院の議員は通常議員。紛らわしいが、運用上困ったことが無いので特に改正の意見が出たことはない。
 通常議員になれるのは当然、支配種族のみである。
 支配種族は多い。
 被支配種族が兎人レポーロー魚人フォイショー猫人コアトー犬人ドゴーの四種族なのに対し、支配種族は鳥人ヴァルデ獅子人レオーノ狼人ロウポー熊人ウルゾー虎人ティガロー象人エルファタル鰐人カヨマーノ蜥蜴人リズローと八種族いる。
 ただし、鳥人ヴァルデは皇帝のみ、獅子人レオーノは元帥のみ、象人エルファタル鰐人カヨマーノも現在は突然変異で生まれた一人ずつが確認されているのみだ。
 実質的には支配種族、被支配種族共に四種族ずつであるとも言える。
「人間の技術は常に進歩しております。耐魔装甲、対霊突破力共に年率20%もの伸びを見せており……」
 若い少将が戦況の報告をしている。
「貴重な戦力をすぐに失う我々には、厳しい話ですね、叢殿」
 老齢の議員が含みのある笑みを浮かべながら話を振る。
「うむ、此度の訃報は誠に残念でなりませぬな。重大な戦力を失ってしまうとは」
 話を振られた議員が心底残念そうに答える。
「……はぁ」
「どうされました? 神無かみな殿。ため息などついて」
藤乃枝ふじのえ様……大した事ではありません」
 女性議員達がそのような会話をする横で、
「う~、お腹すいたぁ」
「もうすぐお昼だから、我慢しましょうね、かすみ
 と、幼い子供のような事を言う議員もいた。
 まとまりがない。元老院はいつもこの調子だ。
 若い将官達は苦虫を噛み潰したような顔で、この光景を眺めていた。
(厳しい現状を理解していないのか?)
(芳紀を殺したくせに、白々しい!)
「発言、よろしいかな?」
 ある人物が手を挙げた。一瞬にして静まる場内。
獅子丸ししまる、何か案があるの?」
 それまで表情一つ変えずに会議を見守っていた、純白の翼を持つ少女が口を開いた。
「ええ、皇帝陛下。特別な部隊を新設しようと思いましてな」
 手を挙げた獣人――獅子の顔を持つ老人――が、皇帝の質問に答える。

 ブルーアース軍総司令、獅子丸元帥。
 百年前、東京を火の海に変えた三人の獣人の一人である。その年齢は百二十とも言われているが、未だ衰えを感じさせる事はない。彼の前では、傍若無人な元老議員も借りてきた猫のようになる。

「新しい部隊? どのくらいの規模なの?」
 翼を持つ少女――皇帝ガイアス――が、獅子丸に尋ねる。彼女も最初の三人の一人であるが、外見はまだあどけなさの残る少女のまま。百年前から変わらないといい、不死皇帝とも呼ばれていた。
「規模か……規模で言えば分隊といったところかのう? 総員七名の精鋭部隊じゃ」
 不敵な笑みを浮かべる。
「七名? 一個班にも満たないではないですか」
 それまで黙っていた元老議員の一人が、口を開いた。
「一体何ができ……」
 言葉を続けようとする議員を、少女帝が手で制す。
「誰に任せるの?」

 全て解っている。

 彼女が議員に向かって軽く掲げた左手は、そう語っているかのようだった。
「あれを使うのか」
 ある議員が、誰にも聞こえないような小声で呟いた。
 その部隊は『七神将』と名付けられ、構成員も神将という、独立した階級を与えられる。権力は大将と同等。つまり、軍に強力な権力者が七人も一度に増える事になる。
(元老院が納得するのか……?)
 将軍達は議員の反対を危惧したが、すぐに全員が賛意を示した。

「神将とは、大きく出たものですね」
 閉会後、中年の将官達が新部隊について話している。
「しかし、種族を問わず国中から適任者を集めるとは如何なる事か。叢議員がよく賛成したものだな」
「外部から集めた者で部隊を新設とは、元帥閣下は今の軍が頼りにならないと仰るのか」
「その通りでしょ」
 ぼやく中年達を眺め、冷ややかな目をして言い捨てる若い女性議員がいた。
「これ、はしたないですよおぼろ
 傍らに立つ、蜥蜴人の女性議員がたしなめる。
「すみません、藤乃枝様」
 素直に謝る、朧と呼ばれた議員。
「フフフ、帰りましょう。あの子に話さないと」
 口の端を引き上げ、ニタリと笑う藤乃枝。
「おおっ! ついにでびゅ~!」
 藤乃枝を挟んで朧の反対側に立つ女性議員が、明るい声を上げる。
「楽しみね、霞♪」
 無邪気に笑う二人の若い女性議員を引き連れて、蜥蜴人の議員は議場を後にした。

選考試験

「私、軍人になる」
 私の宣言に、不安そうな目を向ける渚。
「何をしたいのかは分かるけど、危ないよ? こう言ったらなんだけど、葉月ちゃんは戦うのに向いてないと思うし」
 もちろん、犬人ドゴーの私が戦いに向かないのはわかってる。戦場に出たらすぐに死んでしまうかも。
 でも、芳紀様の死の真相を知りたい。その為には、軍の内部から探るしかないと思う。
「……なら、これに参加しなさい。現実を教えてあげる」
 美貴が手渡して来たのは、隊員募集のチラシだった。
「こんな時期に新隊員の募集?」
 どれどれ……試合形式の隊員選考と書いてある。
「私はこれに応募するわ」
 つまり、美貴と試合するって事?
 別に偉くなろうとは思って無いんだけど。弱いし。
……でも。
 何故だか、挑戦してみたいと思ってしまった。

 その日がやって来た。昨晩、本で調べた霊気を強化する方法を試したからかなんか変な感じ。
 その方法とは、自傷行為だった。魔法で傷は治したけど、痛みの記憶は残っている。違和感があるのはそれだろう。
 ちなみに霊気が強化されたような感じはない。まあ、単なる思いつきだし仕方ないね。
 鏡を見ると、そこには長い黒髪が印象的な犬人ドゴーの少女が立っている。薄い鳶色の瞳はキラキラと輝き、ピンと立ったグレーの耳と、緩やかなカーブを描くグレーの尻尾を持っている以外は人間と変わらない。
 準備を終えて会場に向かう途中、渚に出会った。緩くウェーブのかかった髪は肩にかかる程度。碧い瞳は澄んだ輝きを持つ。一見、人間と見紛う姿だが、耳の後ろにエラがある。
 人型フーマーノ魚人フォイショーは総じて美形が多く、しばしば支配種族に鑑賞用として売られるらしいが、彼女を見ていると納得してしまう。
「渚、おはよう!」
「おはよう、葉月ちゃん。元気みたいね」
「もちろん! 今日は大事な日だからね」
 二人で話しながら歩いていると、今度は美貴に出会った。
「あら、身の程知らずな犬が歩いているわ。今日は何の日か知ってる?」
 久々に聞いた、彼女の嫌味ったらしい言葉。なんとなく、無理をしているように聞こえる。
 黒の髪はショートカット。頭の上に伸びる二本の耳は、戦士の種族であることを誇るようだ。兎人の特徴である赤い目は吊り上がり、きつい印象を与える。
「知ってるわよ、新部隊の隊員を選考するために獅子丸元帥の前で模擬戦をするんでしょ」
「違うわ、元帥閣下の目前で哀れな犬が惨めに叩きのめされる日よ」
 ウザい。
 どうした肉食ウサギ? 機嫌が悪いのかな。
「緊張してるのよ」
 その場を離れてから、渚がこっそりと耳打ちした。そうか、人生が変わるかもしれないんだものね。兎人レポーローなら選ばれる可能性も高いし。

 選考会場は、思ったより小さな建物だった。元帥閣下が来るのに……と思ったけど、関係ない者は中に入れないんだっけ。
「おや、お嬢さんも志願されたのですか?」
 入り口で渚と分かれ、控え室に向かう途中。ゆったりとした口調で話しかけられた。
 それは、獣型ベソートー蜥蜴人リズロー
 あっ、この人見たことある!
 全身を覆う鱗は白で、紫の着物が映える。蜥蜴そのものなのに、気品を感じさせる顔立ち。
「ふ、藤乃枝様!」
 それは、支配種族の中では一番下の蜥蜴人リズローでありながら元老院でも一、二を争う有力者として有名な藤乃枝議員だった。
「木刀で打ち合う模擬戦とはいえ、大怪我をする危険もあります。くれぐれも、気をつけて下さいね」
 優しい言葉をかけられてしまった。
「はい! 気をつけます!」
 笑顔で答え、控え室に向かった。
 選考の流れは至って簡単。くじで決まった相手と獅子丸元帥の前で戦うだけ。
 種族関係なく、見込みのある者を雇うという事で志願者も多いかと思ったのだけど、あまり多くはなかった。
「私達のような身寄りのない者でもなければ、正規の方法で入隊するのよ」
 不思議そうにしている私に、美貴が教えてくれた。さっきのようなトゲトゲしさはない。

 元帥閣下が会場に姿を現した。軍服の上からでもわかる、筋骨隆々の肉体。金色に輝くたてがみは、まさに百獣の王とも言うべき威容を示していた。あれで百歳を越える老人なのだから恐ろしい。
「ふむ、皆なかなか気合いのはいった顔をしておるな。勝敗は直接には関係ないから、気楽に挑んでくれたまえ」
 軽い調子で言う閣下。集まった子達の緊張が緩むのを感じる。
「儂の目にかなう者がいれば、容赦なく軍に入れるからな。ここにいる全員が明日には軍人になっているかも知れんぞ」
 え? 募集は一人だけって……?
「軍は常に人手不足。有望な人材を放っておく余裕などないのじゃ」
 確かに、言われてみれば当然か。にわかに会場が熱気に包まれた。誰もがこの話にやる気を引き出されたようだ。もちろん、私も。
 見込みがあれば、軍に入れる。軍に入れば、私の知りたい情報も手に入れやすくなるだろう。
 よし、アレを仕込むぞ!

「美貴、葉月。貴女達の番です」
 何故か狙ったようにこの組み合わせ。そしてどういうわけか藤乃枝議員が進行役だった。
「葉月……生まれつき、どうにもならない事があるって教えてあげるわ」
 そう言って、戦闘態勢に入る美貴。レイキを身に纏い、鎧に変える……えっと、これは鎧って言うか、巨大ロボ?
 初めて間近で見る兎人レポーローのレイキは、想像を遥かに越える質量を感じさせた。
「ほう、あれほどの使い手がシビリアン(※市民。単に軍属ではないというだけでなく、下層民的な意味合い)とはな。わざわざ出向いた甲斐があったのう」
 元帥閣下まで感心するって事は、コイツが特に強いって事か。ずっと同じ屋根の下で育ってきたのに、全然知らなかった。
 一方、私のレイキは何も変わっていない。貧弱な犬人ドゴーのレイキだ。
「ふっ!」
 美貴が息を吐く音が耳に届いた。
 まずい。
 そう思う間もなく、体が勝手に後方へ跳んでいた。
――シャッ!
 美貴の木刀が空を切る。
「ファジラ!」
 ただ、恐怖に駆られて。
 私は仕込んでおいた魔法を放った。
 前に突きだした左手から炎が生まれ、美貴の全身を包む。
「詠唱ストック! 犬人ドゴーが行う戦法か!?
 獅子丸元帥の驚嘆の声も、気にしている余裕はなかった。
「へえ、なかなかやるじゃない。渚に教わったの?」
 大したダメージを受けた様子もなく、余裕の表情で佇む兎人レポーローの娘。
 戦場には、こんな化け物が闊歩しているのか。
 わずか数秒の攻防で、私の心を絶望が支配し始める。
「これで終わりよ!」
 美貴が木刀を振り上げた。

 ああ、負けた。

 観念した。

 彼女が突進してくる。
 やっぱり、犬人ドゴーの私には荷が重かったか……。
 完全に諦め、敗北を受け入れようとした瞬間、脳裏にあの人の姿が浮かんだ。

――違う!!

 私の目的は、こんなどうでもいい試合に勝つ事じゃないでしょ?
 美貴の強力なレイキに呑まれて、肝心な事を失念していたわ。

◇◆◇

「この組み合わせ、仕組んだな?」
 獅子丸が藤乃枝を咎める。
「ほほ、どうせなら全力を見せて貰わねば。……最初から決まっているのでしょう?」
 藤乃枝の余裕の態度に、押し黙る獅子丸。
「しかし、彼女の姿を陛下がご覧になったらさぞ驚くでしょうね」

◇◆◇

――ワタシハ、断罪スル。

 昨日自ら傷つけた場所が疼く。
 私は、一人だった。
 産まれて間もなく、親に捨てられた。
 理由はわからない。
 施設の他の子は皆、親と死別した身寄りのない子達。
 私には親がいて、名前も付けられた事は聞かされた。
 でも、養育権は放棄し、施設に入れた後は一切関わりを持たないように要望されたらしい。
 私は、捨てられた子。
 その事を嘆いていたら、美貴が厳しく当たって来た。
 今にして思えば、美貴はそれでも家族が生きている私が羨ましかったんだろう。種族なんて、関係なかったんだ。

 私は、芳紀様の事を本当に愛していたのだろうか?
 解らない。
 ただ、初めて大切に思えた人だった。
 その人を失った時から渚との心の距離は近づき、親友と言えるまでになった。彼女と同じ悲しみを知ったからかも知れない。
 なら、いま目の前にいるこの子とも――

 駆け出していた。
 まだ彼女は私の位置にたどり着いていない。
 何かがおかしい。
 時が止まった?
 いや、動いている。ただ、時間の流れがひどく遅い。
 手に持った木刀で、美貴のがら空きの脇腹を横に薙いだ。

――まるで、豆腐に包丁を入れるようだった。

 その場に倒れ伏す兎人レポーローの娘。
 見れば、血が吹き出している。木刀なのになんで!? いや、それより早く助けなきゃ!
「生命の根源たる水よ、肉体の根源たる土よ、この者に再生の力を与えよ!」
 回復魔法を使うための呪文を詠唱する。
「リ・フリジィ!」
 回復の魔法をかける。が、この程度では焼け石に水のようだ。見る間に彼女の顔が青ざめていく。
「美貴、美貴!!
 どうしよう。
 どうしたらいいの!?
「レ・ヴィ・ヴィゴー」
 聞いたことのないキーワード。
 美貴の腹部の傷は、何事もなかったかのように消え、頬に赤みが差してきた。
「藤乃枝、様?」
 私は、魔法を使った主を見た。
 彼女は落ち着きはらった様子で周囲に指示を出していく。
「心配は要りません。あの程度の傷、私は毎日治していますからね」
 そういえば、彼女は高名な医師でもあったっけ。
「後はまかせて、貴女は休みなさい」
 藤乃枝議員に促され、私は控え室に戻った。

第一神将マステマ

「気分はどうかな?」
 獅子丸元帥が控え室に入って来た。
「美貴は! 美貴は大丈夫なんですか!?
 心配のあまり、相手の身分も気にせず詰め寄ってしまう。
「心配はいらん、藤乃枝は最高の医師じゃ。普段から、死者だって生き返らせると豪語しておるほどでな」
 確かに、さっきの魔法は凄かった。あの様子なら、問題ないだろう。
 少し冷静になって、息をつく私に獅子丸元帥が言葉をかけてきた。
「葉月、名前を捨てる覚悟はあるか?」
「へ?」
 言っている意味がわからない。
「我々ブルーアースは、『神』を必要としておる。神に、人の名は不要」
「ど、どういうことですか?」
「ふふん、なぁに心配はいらん。儂が全てを教えてやろう。あと、儂に敬語を使うな」
「な、何だかよくわからないけど……わかりました!」
「ほら、敬語!」
「あ、わ、わかったわ!」

 一体なんなの~?

◇◆◇

 混乱する葉月を、愛おしそうに見つめる獅子丸。
「……立派に育ったな」
 彼の呟きは、誰の耳にも入ることは無かった。

◇◆◇

「貴女の名前はマステマです。これまでの名は捨て、神将として戦に臨むのです」
 あれから数日後、私は帝国軍の『神将』なるポストに就く事になった。その任命式で、初めてこのブルーアースの皇帝陛下を間近に見る。
 身長は私よりも小さい。肩で揃えたシルバーブロンドは、青みがかって見える。自然の色なのだろうか? 何よりも目を引くのは、純白の巨大な翼。
 その姿は、まさに天使。
 不死皇帝の二つ名とは相容れぬ、儚げな少女だった。
「……りなさい」
 え?
 しまった、見とれてぼーっとしてたら何て言ったのか聞き取れなかった!
 慌てて彼女の顔を見ると、その赤い瞳に吸い込まれそうになる。
 彼女はそれ以上何も言わず、ただ微笑みを浮かべただけだった。

 式典のあと、所在なくベンチに座っていた私に声をかける者がいた。
「納得いかねえ!」
 ええと、フェンリルだったかしら?
 私と同じく、神将に選ばれた若い獣型ベソートー狼人ロウポー。全身の毛はグレー、瞳は薄い茶色。芳紀様に比べて、全体のフォルムがごつい。
「何が?」
 大体予想はつくけど、一応聞いてみる。
「お前が七神将のリーダーになることがだ!」
 はいはい。そうだと思ってました。
「それで、どうしたら納得するの?」
「勝負だ!」
 う~ん、暑苦しい。
 ま、こういう奴は嫌いじゃないけど。

 数分後、私は地面に仰向けで倒れる狼人をそこに残して、支給された新居に向かうのだった。

幕間1 コーデリア

獣人の生態

 皆さんこんにちは。
 本日はお忙しいなか、講演にお集まり頂き、誠にありがとうございます。
 さて、まずは自己紹介から始めさせて頂きます。
 私の名前はコーデリア・ブラックモア。
 アメリカ生まれですが、ドイツの国立科学研究所にて、獣人の生態について五年前より研究をさせて頂いております。
 専門は霊気の研究ですが、残念ながら発生機序については未だに解明の糸口も掴めない状況です。
 そこで、本日は霊気の効果と対策についてお話したいと思います。
 霊気は魔法と違い、人間には使うことが出来ず、それでいて全ての獣人が持つ能力です。
 おかしいと思いますか?
 獣人に出来て人間に出来ないなんて。
 しかし、これは自然界にはよくある事です。コウモリは超音波を発生させ、聞くことが出来ますが、人間には出来ません。電気ウナギは発電しますが、人間には出来ません。
 獣人の証言によれば、生まれつき使えるもので特に理由を意識した事はないそうです。
 さて、霊気の効果については身体能力を高めるとしか証言を得られませんでした。しかし、これまでの百年の戦いの記録を分析すると、決してそれだけの能力ではない事がわかります。
 小銃で戦車を破壊した獣人。
 離れた所から、剣で斬りつけてきた獣人。
 ロケット弾の直撃を受けて、無傷どころか服に汚れすら付かなかった獣人もいます。
 以上の事から、彼等の使う霊気とは、魔法のマナと同じく何らかのエネルギーが存在し、そのエネルギーは身体だけでなく様々な物質の強度を高める事が出来るほか、そのエネルギー自体が硬質化して剣や鎧にもなると推測されます。
 では、どう対抗すればいいのか?
 霊気に対抗する手段。それは大きく分けて三つあります。
 一つ目は、霊気でも防げない、強力な兵器を作ること。
 二つ目は、霊気を無効化する事。
 この二つは、長年連合国が研究開発を続け、一定の成果を収めています。
 今まさに、獣人の侵攻を防げているのがこれらのおかげなのです。しかし、現在の技術では防ぐだけで精一杯。このままでは戦争はいつまでも終わりません。
 そこで三つ目、人間も霊気を使う事です。
 先程私は言いました。人間には使えない。それは普通の事だと。
 しかし、コウモリも電気ウナギも、専用の器官を持ち、特殊な能力を発揮する仕組みが解明されています。人間は、自分の肉体で超音波や電気を発生させることは出来ません。でも、超音波や電気を発生させる道具を作り、扱う事が出来ます。
 獣人に備わった、霊気を扱う能力の仕組みが解れば、あるいは人間も使えるようになるかもしれません。
 その為にも、獣人の生態を研究する事は重要なのです。連合国の、そして人間の未来は、獣人の生態研究にかかっていると言っても過言ではないのです!

 それでは、これから私どもの研究によって得られた成果――霊気使用時の獣人の身体機能変化――について、お話いたします。

フェンリルの章

時代劇好きの狼

 二人の子供がいた。
 二人はとても仲が良く、いつも一緒に遊んでいた。
 おままごとのように将来を誓いあった二人は、大人の都合で引き離されてしまう。
 男の子が、親の仕事で遠い異国の地に引っ越したのだ。
 どこにでもある、極々ありふれた別れ。

 だが、この出来事が人類の未来を大きく変える事となる。

◇◆◇

「あ~っ、クソ!」
 仰向けになったまま悪態をついた。我ながら物凄くみっともない。
「リ・フリジィ!」
 回復の魔法。
……最悪だ。
「どう? まだ痛いところはある?」
「ええ、心が」
「ぷっ、何それ?」
 笑いながら、さっきまで犬人ドゴーの娘が座っていたベンチに腰かける彼女。
「たいちょ……神無殿」
 そんな若い女性の姿に、つい見とれてしまう俺は更にどうしようもなくみっともなかった。
「今、隊長って言いかけたでしょ。もう一年も元老議員やってるのにな~」
 おどけた様子で俺を咎める彼女は獣型ベソートー狼人ロウポー。体毛は完全な白。完全に全てが白の狼人ロウポーは珍しい。華奢な身体をしているが、見た目に騙されてはいけない事をたっぷりと思い知らされた。
……たった今も別の女に思い知らされたわけだが。
 女って怖い。
「何か失礼なこと考えてない?」
「イエ、ソンナコトナイデスヨ?」
「なんで片言なの」
 薄目で突っ込みを入れ、更に言葉を続ける。
「それと、『様』はやめて。貴方はもう、将軍なのだから」
 俺は神無議員の笑顔に見とれながら、情けない姿を見られた事をひたすら悔やんでいた。
 あ~! 畜生!

◇◆◇

 俺の名前は竪牙りゅうが
 狼人ロウポーの男は、名前に牙がつく事が多い。昔は獣人にも人間のように姓があったらしいが、変に家柄を気にする連中にキレた獅子丸元帥が無くしたそうだ。
 物心ついた時から、俺は誰にも負けたことがなかった。勉強も、武術も。当然、ケンカだって負け知らずだ。
 何の疑問も持たずに軍に入り、腕にものを言わせて出世していった。この世で一番強いのは自分だと、信じて疑わなかった。
 そんな俺に転機が訪れたのは、軍曹になって二年目の春だった。

「いや~、やっぱり江戸時代はいいな!」
 時代劇は最高だ。
 俺は当然のように日本刀を武器に選んだ。刀好きは山ほどいるらしく、有名な刀匠も多い。大体は蜥蜴人だ。手先が器用なのと、暑さに強いのが理由だ。
 俺の愛刀は、新進気鋭の刀匠八幡やはたの手によるものだ。綺麗に整った刃紋と艶やかな輝きが見るものを惹き付ける。

 閑話休題。俺は娯楽室を占領して、大型スクリーンで時代劇を鑑賞していた。
「班長、新しい隊長が来られました!」
 至福の一時を台無しにする部下の報告に、苛立ちながらも出迎えの準備を始めた。
「ええと、名前は神無。女か……十月生まれ? 神無月かんなづき神無かみなか、安直だな」
 机に置かれた資料で新隊長の情報を確認する。自分が一番だと思っているので、隊長だからと変にかしこまるつもりはない。その器を見定めてやろうと思っていた。
「はじめまして。本日よりこの部隊の指揮を執る、神無少佐です」
 新隊長が挨拶をしている。
 若いな。俺と大して変わらないんじゃないか?
 身体も小さいし、威厳ってものを感じねぇなあ。
 それが、彼女の第一印象。
「あなたが竪牙軍曹ね。噂は聞いているわ」
 その日の午後、神無隊長が俺に話し掛けてきた。いつもの事だ。俺は好き勝手やるので、上司になった奴はまず最初に俺に釘を刺しにくる。
 やれ命令に従えだの、任務の重要性だの、面倒くせぇがしょうがない。さっさと出世して偉くなるまでの辛抱だ。どうせ一月もすればどいつも匙を投げる。
 どんなに上司に嫌われたって活躍すれば出世するこの組織は、まさに俺の為にあるようなもんだ。
「良い刀を持ってるんでしょ? ちょっと見せてくれない?」
 おっと、懐柔策か?
 なかなか上手い手だが、お見通しだぜ。
「いいですよ。この刀の銘は……」
 その後、数時間に渡って愛刀自慢で盛り上がった。

「やっぱり、時代劇は人間がやった方が良いわねぇ」
「そうですね、獣人に丁髷ちょんまげは似合いません」
 神無隊長は、まったく軍人らしくない人物だった。威厳もないし、戦う姿もまるで見せない。だが、物腰柔らかで人当たりの良い彼女はすぐに人気者になった。
 俺は、そんな彼女が何故この若さで少佐になったのかが気になっていた。
「知らないのか? 無詠唱の神無。入隊前から注目の的だったぞ」
 妙に馴れ馴れしい同僚が情報を寄越す。
「無詠唱って、まさかあの」
「そうさ! あの伝説の『星落とし』だ」
 人の言葉に被せるな。
 イラつきつつも納得した。
 ブルーアース建国当初、軍を率いて人間を蹴散らしたのは若かりし頃の獅子丸元帥ではなく、狼人ロウポーの娘だった。その二つ名が『星落とし』だ。
 魔法は、軍隊の号令に似ている。号令は予令と動令からなり、「右向け右」なら「右向け」が予令、「右」が動令となる。
 魔法では長い呪文を唱えて、マナに己のやるべき事を理解させ、キーワードを発してマナを思い通りに動かす。呪文が予令、キーワードが動令になるわけだ。
 だが、予令のない号令――例えば、「気をつけ」――があるように、呪文の詠唱を伴わない魔法もある。
 無詠唱とは、全ての魔法を詠唱無しに使える能力だ。上級兵が使う戦術、『詠唱ストック』に似ているが、あちらは予め詠唱しておくのに対し、こちらは詠唱する機会そのものがないのだ。
――伝説の、オオカミか。

◇◆◇

 神無隊長は、時折フラッとどこかに出掛ける事がある。
「隊長は?」
「外出だってさ。書類の決裁を貰わないといけないのに」
 そういう不審な行動は探らずにいられないのが俺だ。彼女の匂いを辿って後を追う。彼女は簡単に見つかったのだが……

 彼女は、街を見ていた。

 今にも泣き出しそうな表情で、ただ街を眺める神無隊長の姿は、何者をも寄せ付けない、ただならぬ気配を発していた。
 おそらく、何人もの兵士がこの姿を見つけ、怯み、黙って帰ったのだろう。
 俺はと言うと、見入っていた。綺麗だった。はっきり言って惚れた。ただ黙って見つめていると、
「貴方は、帰らないのね」
 突然、彼女は口を開いた。
 動揺した俺は、「はい」とだけ答える。
 何か、気の利いた言葉でもかけるべきだったなぁ。今更後悔しても後の祭りだが。
「生き別れのね、妹がいるの」
 神無隊長は、ゆっくりと身の上話を始めた。俺はその場に立ったまま、黙って話を聞いていた。
 とある名門の家に生まれた事。稀有な才能を持つ為に、軍人になる事が幼い頃から決まっていた事。
 何をやってもそつなくこなせるので、世の中のどんな事にも真剣になれなかったが、妹が存在すると知ってから居場所を探すのに夢中になっている事。
 そして、何故か妹の行方が、最高機密扱いである事。
「偉くなって突き止めてやろうと思ったけど、少佐ぐらいじゃまだ全然足りないみたい」
 そう言って肩をすくめる彼女は、なんだか酷く疲れているようだった。
「見つかりますよ、絶対!」
 俺は単純な男だ。彼女の話を聞いているうちに、この国の色々な闇の部分をぶち壊してやりたいと本気で考え始めていた。
「……ありがとう」
 そう言って微笑んだ彼女は、実に可愛らしかった。
 いつしか俺は、神無隊長に惚れ込んでいた。もちろん女性としても魅力的だが、どちらかというと軍の上司としてだ。
 だから、彼女が軍を去ると聞いて酷く動揺した。

「隊長!」
 中庭でぼんやりしていた彼女に詰め寄った。
「竪牙軍曹、ちょうど良かった」
 いつもと変わらぬ様子で、彼女は微笑んだ。
「退役するんですか?」
 単刀直入に聞くと、彼女は意外そうな顔をする。
「あれ? 知らなかったの? 元老議員になるのよ、私」
 え?
 何故急にそんなことに。
「選挙に出馬するんですか?」
「選挙なんて、ただのパフォーマンスよ。誰が議員になるかは初めから決まっているの」
「だが、何故隊長なんです?」
「親の意向と、元老院の要求よ」
 なんだそれは。人気のある神無隊長を議員にして、発言力を強めようというのか。
「……ねえ、ちょっと相手してくれない?」
 今まで淡々と話していた彼女の口調に、力が入った。
「はい?」
 相手?
 いぶかしむ俺に、言葉を続ける彼女。
「暴れたい気分なの」

模擬戦

 営庭えいてい
 いつもは一部の熱心な兵士が運動しているぐらいで人はほとんどいないこの場所に、今日は溢れんばかりに兵士達が群がっていた。
 どこで聞き付けたのか、俺と隊長の手合わせを見物しようと集まった野次馬である。
「準備はいい?」
 たのしげに聞いてくる彼女。
「手加減はしませんよ?」
 嘘だ。
 俺には本気で戦うつもりなど欠片もなかった。そんな俺の言葉に観衆が騒ぎ出す。
「よく言った! 男の意地を見せろ!」
「青二才が調子に乗りやがって!」
「隊長! 生意気な若造を懲らしめてやって下さい!」
「分隊長(※堅牙の事)頑張って下さい!」
 思ったより応援の声が多い。それにしても、隊長も俺と変わらない年齢なんだがな。
「では、カウントダウンで始めましょうか」
 隊長が、その場の全員に促す。
「5!」
 隊長の言葉を受けて、先任曹長(※曹長の中で一番序列が高い人物)が声をあげた。
「4!」
 観衆が声を合わせる。
「3!」
 俺は、腰を落として木剣を下段に構えた。
「2!」
 隊長は、木剣を右手に持ったまま、両手を下げて足を肩幅に開く。無形の位か……
「1!」
 二人がゆっくりと息を吸う。
「始め!」
 俺は、地を蹴った。
 神無隊長が、左手を前にかざす。
 魔法か。
「ファジラ!」
 視界が炎に覆われる。が、この程度は予測済みだ。
 即座に大きく左に跳ぶ。このまま、回り込んで……
 刹那。
 視界の端に木剣の先端が映る。何かを考える前に、剣を振り上げた。
 ガッ!
 木と木がぶつかり合う鈍い音が響く。
「何故、こちらに跳ぶと?」
 辛うじて彼女の斬撃を防ぎ、聞く。
「貴方の利き脚は右でしょう?」
 内心、俺は舌を巻いていた。
 こちらの動きを読まれた事よりも、彼女が先回り出来た事に対して、だ。
 俺より、速い。
「はあっ!」
 腕に力を込めて、彼女の剣を押し戻す。
「トランカ!」
 後ろに跳び、更に魔法を放つ白狼。聞いたことのない魔法だ。
 彼女はまた左手を俺に向けている。すぐにまた右に小さく跳んで、着地と同時に彼女に向かって突進した。
 キキキキキン!
 後ろから大量の金属音と野次馬の感嘆の声が上がるが、無視。
 一気に間合いを詰めると、力任せに下段から剣を振り上げた。
 体を回転させ、剣で受け流すように払う隊長。だが、俺はそのまま逆足を前に踏み込み、全力で上段から剣を振り下ろした。
 素早く後ろに跳んだ彼女は、俺の振り下ろしによって生じた衝撃波を食らい観衆に突っ込んだ。
「ごめんなさい、大丈夫?」
 下敷きになった兵士に謝り、彼女が戻って来る間に俺は誰にも聞こえないように詠唱を済ませる。
「凄い腕力ね。こんなに吹き飛ばされるなんて」
「隊長も、よくそんなに速く動けますね」
 手加減するつもりだったが、とてもそんな余裕はなかった。
「行くわよ。フルーエ・トランカ!」
 彼女の左手から放たれた光弾が高速で向かってきた。
「レフレクティロー!」
 準備しておいた魔法を放つ。俺の前に生まれた光の壁が、光弾を弾き返した。
 神無隊長に向かって飛んで行く光弾。だが、彼女は微動だにしない。
 何だ?
「ミグル」
 また、知らない魔法。だが、効果はすぐにわかった。
 二人の位置が入れ替わったのだ。
――避けられない!
 光弾は、無数の刃に変化し俺を取り囲んだ。身を屈める俺の身体に、襲い掛かる刃。グレーの毛皮に傷が刻まれていった。
 それにしても、こんな魔法を撃ち合ってるんじゃ武器だけ木剣にしても意味ないよな……
 俺は無数の刃に切り刻まれながら、今更過ぎる事を考えていた。
「驚いた。たったそれだけしか傷を負わないなんて」
 我ながら、頑丈な身体だ。魔法の刃は、体組織に有効なダメージを与える事が出来なかった。
 まあ、表面は傷だらけだがな。
「俺のレイキは特別製でしてね」
 軽口を叩いて、次の攻撃の準備に移る。あれをやってみるか……
 剣を持った右手を左肩に持っていき、左腕で右腕を体に引き付ける。ちょうど、体の前で両腕がクロスする形だ。
「何か、必殺技的なものが出てきそうね」
「さて、何が出ますかね?」
 口の端を上げ笑いながら言うと、彼女は初めて剣を構えた。
 しんと静まり返る営庭。
 全員、息を飲んで次の攻防に意識を集中させている。これで決着がつく。そう、誰もが確信していた。
 二人同時に体を沈める。
「そこまで!!
 大きな声が、戦いを終わらせた。
 人垣が割れて、声の主が姿を現す。
「ふむ、なかなか元気があってよろしい。だが、仲間同士で本気になってはいかんなあ」
 金に輝くたてがみは力強く、全身からあふれでる威圧感は、とても百年以上生きた老人とは思えない。
 獅子丸元帥だ。
 全員、その場で背筋を伸ばして敬礼をする。一体何故、こんなところに?
「その元気は人間に向けて貰おう、竪牙。そして、神無……お主がこれから向かう場所は、戦場よりも過酷な世界じゃ。あそこは、正に悪鬼羅刹の巣窟」
 どうやら神無隊長に会いに来たようだが、酷い言われようだな元老院。
「地獄に乗り込み、その白い身体をどす黒く染めてでも、あの娘を探し出す覚悟はあるか?」
 あの娘?
……生き別れの、隊長の妹か!
「はい!」
 それまでかしこまって聞いていた隊長の目に、鋭い光が宿った。
「困った時は、いつでもおいで。お主は儂の孫のようなものじゃ」
 元帥閣下の話と共に、俺達の勝負はお流れとなるのだった。

◇◆◇

 神無隊長が部隊を去って数ヶ月が経った。俺は相変わらず好き勝手やっていたが、ずっと彼女の事が気になっていた。
 彼女は、妹の行方を突き止めたのだろうか?
 ニュースで見る彼女は、部隊にいた頃と変わらぬ微笑みを浮かべていて、その心中をうかがい知る事は出来ない。
「竪牙軍曹、隊本部からの呼び出しです」
 何だ?
 突然の呼び出しに首を捻る。心当たりがない。
「おう、元気そうでなによりじゃ」
 隊長室にいたのは、獅子丸元帥だった。
 前回といい、何の事前連絡もなしに動き回って……
 本当に、俺もかなわない奔放ぶりだ。秘書官の苦労が偲ばれる。それにしても、何の用だ?
「今日は、ちょっとお主に手伝ってもらいたい事があってな」
 俺に手伝ってもらいたい事?
 きっと厄介な事なんだろうな。
「七人の部隊で迷宮を探索してくれ。ちょっと武器を取ってきて貰いたい」
 あ、これは想像を遥かに越えた厄介事だ。ブルーアースで迷宮と言えば、一つしかない。今は亡き伝説の星落とし――オオカミの墳墓だ。
 この獅子丸元帥が作らせたものだが、内部は相当な『お宝』の山らしい。頻繁に盗掘に挑戦した不届きものが逮捕されたニュースが流れる。
「とは言っても、他の六人と行動を共にすることはない。どちらかと言うと競争じゃな」
 競争?
「その武器とは、一体何です?」
 俺の質問に、不敵な笑みを浮かべて短く答える。
「オリンピアの七天使」
 七人……七天使……競争。
 そういう事か。
 その一言で、俺が自分で使う武器を取りに行くのだと理解した。しかもどうやら、それらは同じ性能では無いようだ。
「全員の準備が出来次第、向かうぞ」
 獅子丸元帥の言葉には絶対的な強制力があった。逆らう気など更々無いがな。思いがけない冒険の予感に、俺はワクワクが止まらなかった。

第三神将フェンリル

 そこは、入口からしてまさに迷宮だった。
 他の六人と行動を共にすることはないと聞いてはいたが、入口でも他人の気配を感じない。本当に七人いるのだろうか?
「まあ、いいか」
 そんなことより、合法的にここを探索出来るという事実が何よりも俺を興奮させていた。
 大神おおがみの迷宮。
 墓ではあるが大規模な迷路になっており、安置所にたどり着くのは至難と言われる。
 何より皇帝陛下直々にここの管理をし、侵入者を排除しているのだ。余程の事がなければここに葬られた伝説の獣人の下へ到達出来る者はいないだろう。
 その余程の事が、今起こっていると言うわけだ。しかも俺がその当事者という奇跡的な事態。興奮しないわけがない。
「入ってすぐに十字路か。……うーん、まっすぐ!」
 あれこれ悩むのも馬鹿らしい。どんどん進んでマッピングしていけばいいさ。罠があったらその時はその時だ。
 しばらく進むと、突然床が無くなった。落とし穴というやつだ。
「うおお!?
 とっさにレイキをかぎ状にして壁につかまり、穴の底をうかがう。
 下の階……等というものは無く、円錐形の鉄が上方に向かって伸びている。針山だな。
「あのジジイ、殺意満点じゃねーか!」
 侵入を許可されたのだから多少は優しく迎えてくれるかと思っていたが、甘かった。
 まあ、俺の身体ならそのまま落ちても大したダメージは受けないがな。しかし、他の六人は大丈夫なのか?
 気にしてもしょうがないので、そのまま先へ進む。今度は扉と、これ見よがしな騎士像が二体。
「どうせ動き出すんだろ? さっさとかかってこいよ」
 挑発したが、微動だにしない。やれやれ、無粋な罠だ。スタスタと歩いて扉に手を掛け……
 ガシャン!
 両脇から剣が振り下ろされた。もちろん予測していたので危なげなくかわす。そして動き出した像に向かって、攻撃を加えた。
「はっ!!
 武器を使わず、レイキを込めたパンチを喰らわす。しかし、壁に叩きつけられた像は何事もなかったかのように起き上がり、剣を構えた。
「へえ、頑丈じゃねーか」
 結構本気で殴ったんだけどな。本気で妨害してくるつもりだな?
 なら……
「貫け!」
 レイキを槍状に変化させ、像の胴体を力任せに突き通した。胴に大穴を開けられ、崩れ落ちる像。
「へっ、俺を舐めんじゃねえ!」
 もう一体も破壊して、扉を開けた。
 扉の向こうには、下り階段。どうやらやっと一層目を抜けたらしい。
「地下何階まであるか知らんが、これは骨だな」
 さすがにこんなにすぐ目的地に到達するとは思ってなかったが、先が見えないというのはやはりきつい。気合いを入れ直して下へ進んだ。

 地下は、想像していたのとは大分違っていた。なんだかよくわからない機械、機械、機械……
 墓というより研究所といった風情。何か情報が得られるかと調べて見る。
「普通に電気がついているが、電源はどうなってるんだ?」
 モニターには、意味のわからない文字列が表示されていた。

――Phul-Monato

「フル、モナトー? ……わからん」
 何かの名前らしい。その後に続く長文は説明のようだが、わかりそうでわからない、不思議な言葉の羅列だった。
「とりあえず、英語ではなさそうだ」
――誰?
 急に、何者かが話しかけてきた。声の主を探して周囲を探るが、生き物の気配はしない。
「俺は竪牙。獅子丸元帥に頼まれて武器を取りに来た。オリンピアの七天使とかいうそうだが」
 変に駆け引きをするつもりはない。そもそも元帥閣下の命でここに来ているんだ。
――獅子丸……そう。
 声と共に、浮遊感に包まれる。これは、転送か?
 瞬時に視界がブラックアウトした。

 気がつくと、俺は宇宙空間にいた。いや、そう感じるだけで実際に宇宙にいるわけではないだろう。
 ただ、目の前には月があった。
 視界を埋め尽くす岩肌は、通常であれば何かは分からないはずだった。だが俺には『それ』が月だと、確信をもって言えた。
――あなたに、フルの力を授けましょう。
 どくん、と身体が拍動する。どこからとは言えないが、何かが入ってくる感覚。そして、身体の内からわき上がる凄まじいレイキ……
 俺には解る。
 フルと呼ばれる、月の力が自分の身体に宿ったのだ。
「これが、オリンピアの七天使か」
 フルって七天使の中でどの位置だ?
 最初の十字路でまっすぐ進んだのが唯一の分岐点だった。これで一番弱かったらお笑い種だな。
 何はともあれ、思っていたよりは短い迷宮探索が終了したのだった。

 フルの力を手に入れた俺は、新しい名と神将とかいうやたら偉そうな階級を貰えるらしい。
 今日はその式典だ。
 順番に並んで皇帝陛下に呼ばれるのを待つ。こういう時は序列順と決まっているので、必然的に神将の強さランクも解る。
 俺は三番手だった。
 まあ、百歩譲って俺が一番じゃないのはいい。だが、前に並ぶ二人の顔ぶれが問題だ。会場に居並ぶ将兵の中からも、困惑する声が聞こえる。
「まさか、犬人ドゴーがトップだと?」
「あの娘、見たことがあるぞ」
 ざわめく場内だが、前の二人はお構い無しだ。ニュースに疎い俺は知らないが、顔を知っている将官もいるらしいし、どうやらただ者ではないようだな。
 だが、気に入らねぇ。
 自分で強さを確かめないと納得出来ねーな。俺より強い奴が犬人ドゴー猫人コアトーの娘だと?
 しかも、二人とも人型フーマーノだ!
 何かの間違いじゃないのか?
 それとも、とんでもなく強い天使の力を得たのか?

「あなたの名前はフェンリルです。これまでの名は捨て、神将として戦に臨むのです」
 皇帝陛下から名を授かり、式典が終わると俺はあの娘――マステマを探して外に出た。
 猫人コアトーの娘――バステトも気になったが、やはりリーダーとなる犬人ドゴーの力を確認しなくては。

「勝負だ!」
 俺はマステマに勝負を挑んだ。
「いいよー。その代わり、負けたらちゃんと言うこと聞きなさいよね?」
 あっさりと挑戦を受けるマステマ。どうやら、腕に自信はあるようだ。
「よし、じゃあどこか広い場所に行こう」
「いいわよ、ここで」
 提案を却下する娘。広さを必要としないということは、魔法で戦うんじゃないのか?
「可愛い顔して肉体派か。俺を甘く見るなよ?」
「さて、どうかしらね?」
 軽口を叩き合いながら、互いに距離を取る。口調とは裏腹に、緊張の高まりを感じる。ベテラン兵が戦闘態勢に入る時に見せる気配だ。
「はっ!」
 先手必勝、レイキを込めた拳を最短距離で突き出した。が、拳の先に犬人ドゴーはいなかった。
 総毛立つ感覚。懐に『敵』が入り込んでいる気配。

――はやい。

 俺は確かにマステマの姿から目を離していなかった。にもかかわらず、動きを視界に捉える事は出来なかった。まるで、時間を止めたかのように……
 次の瞬間、顎に衝撃を受けた。
 アッパーか!
 そう思った時には、俺の身体は仰向けに地面の上で寝ていた。すぐに起き上がろうとしても、力が入らない。
 一撃で、勝負は決まったのだった。
 心を覆い尽くす屈辱感。だが、負けた事が屈辱なんじゃない。

 あの女……手加減しやがった!

 鋼のごとき毛皮に覆われた、狼人ロウポーのこの俺を!
 握れば折れそうな細腕の犬人ドゴーの娘が!
 怪我させないようにと気遣いやがったんだ!!
「くっそー……完敗だ」
 しばらく、屈辱感から起き上がれずにいた。そして、冒頭に続くわけだ。

「そういえば、妹さんは見つかったんですか?」
 穏やかな笑顔を見せる神無議員に、気になっていた事を聞いてみる。
 大丈夫かな? 傷付けないだろうか?
 ドキドキする俺に、明るい声で答える彼女。
「ええ、見つかったわ」
 なんと!
「本当ですか! おめでとうございます!」
 自分の事のように嬉しい。ずっと気になっていたからな。
「どんな人なんですか? 今度紹介してくださいよ」
 喜びのあまり勢いで言ってしまったが、妹を紹介してくれって言うとなんか違う意味に聞こえるな。
「うふふ、私から紹介する必要はないわ」
 楽しげに答える神無議員。
「えっ、もしかしてもう会った事があったりします? 神将の中にいたりとか?」
 えーっと、あと四人はどんなメンバーだったっけ?
「さあ、どうかしら?」
 本当に、本当に楽しそうな彼女を見ていると、とにかく良かったという気持ちになった。

◇◆◇

「本当に、元気でいてくれて良かった」
 慈しむような目で呟く神無の言葉は、フェンリルの耳には届かないのだった。

幕間2 作戦前夜

若者達の夜

 七神将は、明日から本格的な作戦行動に入る。

 フェンリルは刀の手入れをしながら時代劇を見ていた。
「フンフーン♪」
 大きな戦いを前にしても、余裕の態度である。彼にとって、戦は自分の力を誇示する舞台でしかなかった。
 フェンリルの敵は人間ではない。他の神将に仕留めた敵兵の数で勝つ事しか考えていないのだ。

「父上、どうかこのガネーシャの戦いを見ていて下さい。完全なる勝利を皇帝陛下に捧げます!」
 象人エルファタルの神将、ガネーシャが『父』に決意の表明をしていた。
「ああ、しっかりとお前の活躍を見せて貰うぞ、息子よ」
 穏やかな笑顔で彼を激励するのは、元老議員・むらくもである。
 親子の種族が違う事はまれにあるが、ガネーシャは叢の実子ではなく、養子であった。とはいえ、血が繋がっていなくとも彼は父を尊敬している。

「明日は美味いもんにありつけるかねぇ?」



  タチヨミ版はここまでとなります。


ブルーアース 第一部

2020年9月15日 発行 初版

著  者:寿甘(すあま)
発  行:すあま書房

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