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この本はタチヨミ版です。
この本は、著者である私の「恩人」に当たる方に関する事実に基づく物語です。
恩人は、この本を発表する2年前に逝去されました。そのお亡くなりになる1カ月前に、私たちは20年ぶりに再会しています。その時彼は、自分が立ち上げる新規事業について熱く語り、そのパートナーになるよう私を強く誘ったのでした。
「己の仕事で日本をもっと元気にする」。
2人は、将来の日本を憂えており、共通の志を持っていましたが、誘われた当初、私は恩人の事業に難色を示しました。彼の新規事業概要は、「海外から優秀な外国人労働者を受け入れ、逆に、海外へも優秀な日本人技術者や現地講師を紹介・あっせんする」というものでした。私の思いは恩人とは違いました。「外国人に頼るのではなく、まずは日本人が自信・誇り・勇気を取り戻し元気になるべきである。そのために、私自身独立した。本当に自分が好きなことを仕事にして、まず自分自身が元気になる。そして、心を丸裸にし、自分の夢・志をかなえる勇気を必要とする仲間と気持ちを分かち合い、その仲間を応援する本を書き続けたい」。
突然の一本の電話連絡。そしてなんとその翌日には、ご自身が住む愛媛県松山市から、私のいる愛知県名古屋市まで訪ねて来られ、2人は20年ぶりの再会を果たします。そして、そこから恩人の説得が始まるわけです。
それは4日間に及びました。
そのいきなりの訪問は、結果的にお互いに家に帰らずの4日間になってしまったのです。酒場での大論議。その時々、さまざまなお店で出会うさまざまな方々を巻き込んで進む4日間です。最後は、東京に体があるのです。それは、日本を元気にしたいという思いだけが道連れの「酒と涙の熱い小旅行」でもありました。恩人も私も心を燃やしながら、とことん「日本」を語り、憂え、愛情を注ぎ、口角泡を飛ばしながら語り続けました。
そしてついに、最後は私から新規事業を手伝わせてほしいとお願いするに至るのです。その唯一の理由、それは「恩人だから」なのです。20年ぶりに会った彼の人間的魅力はあの頃のままであり、以前同様、私はこの4日間でも彼に人生を教えていただきました。説得に応じたというよりは、私は志を胸に後半の人生を共に生きることが必然だと感じたのです。
私たちは一度解散し、それから1カ月が過ぎました。そして、始動の連絡を待っていた私の元に届く突然の恩人逝去の知らせ。
私は、彼の遺志を本にしました。久しぶりに過ごす楽しかった時間が2人にとっての最後の時間となってしまった、あの永遠の4日間を文字につづりました。この本が、本当の夢をかなえるため、志を成し遂げるための、あと一歩の勇気を必要としている仲間の皆さんの一助となることを信じております。これは、20年ぶりに突如として私の目の前に姿を現し、私に勇気を授け、1カ月後に天国に出発してしまわれた、ある男の物語です。その一人の日本男児の魂を、私は少しでも受け継ぎたいという思いでこれを書き表したつもりです。
彼は、自分の「心の中の不要なものを整理する人」でした。常に、己にとって必要なことのために集中し全力で当たる姿を通し、私に大切なことを思い出させてくれました。人生で大切なこと、忘れてはならないことを。冒険すること・挑戦すること・とにかくドアを開け進むことを。
彼が4日間、常に表明していた思い、その魂の声をお伝えして、この章を終わりにいたします。
「ああ、もったいない!日本には、可能性を秘めた人間がたくさんいるんだよ。だが、その才能を活かし切れていない人が多過ぎる。小さな枠の中でくすぶり続けているんだ。そこから出ないと!ああ、もったいない!出ないと!枠から!ああ、俺は、この現状を放ってはおけん!」
激動に満ちた永遠の4日間。その扉が開きます。
「今、決めた!」
平成30年(2018年)3月5日。天気が周期的に変化する、冬型の気圧配置が強まって肌寒かったその日の夕方近くに、私の「恩人・師匠」から携帯電話に連絡が入りました。驚きました。それは本当に久しぶりのことだったからです。それまでは、私の独立を知らせる連絡をはじめメールでのやりとりは幾度かあったものの、直接声を聞くのは実に6年ぶり、お会いできずにいた期間は20年にもなっていました。
「お久しぶりです!元気ですか?!」
「今、決めた!」
「えっ?」
恩人は少しお酒が入っている様子でした。
「俺は、世界に出る!」
彼は唐突に言いました。
「はっ?」
昔からこのような方です。変わりません。真っすぐに自分の思いを届けます。
「世界?」
「そうだ、世界だよ!決めた。俺は、世界に出る!」
「はあ……」
「お前と!!」
「はあああああー?!」
「そうだ、やるぞ。事業だ!ずっと、考えてきた。やっと、決めた。お前、まだ作家をしているのか? もうかっているのか? もうそろそろお前も世界に出ろ!」
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ!世界って……、い、いきなり言われても……」
「名古屋に行くぞ。待ってろ!今日は、もう行けんかあ……。とにかくやるぞ!」
当時、恩人は自身のふるさとである愛媛県松山市に、私は前職での転勤時から愛知県名古屋市に住んでいました。
「は? ちょっ、来るって……、どういうことですか?」
「将来について話すんだよ、お前と!」
彼は自分の思いを真っすぐに、遠慮も迷いもなくぶつけてきました。その信念にはためらいなどありません。微動だにしていないのです。それは昔から全く変わらないものでした。私は、そのことに少しうれしさを覚えました。
「全然変わってないですね。会うって言ったって、約20年ぶりですよ!お互いの生活の事情もあるし、とにかく、いきなり過ぎます!」
「もう決めたんだ。話を聞けば分かる!会え!今度名古屋に行くぞ!」
「うーん、わ、分かりましたよ。では、少しだけでも仕事の内容を聞かせてください」
話はそれからだと思いました。
「いいか、お前。日本の人口はこれから減少していくんだよ。労働力が落ちていく。税金が取れなくなるんだぞ。国力が落ちていくんだ。お前、黙って見ているのか? 耐えられるのか。俺は、新事業でそこを補うんだ。それはつまり他国からの労働力でだ!」
「は?えーっと……、それは外国人労働者を受け入れて国力を上げるということですか。世界に出て、現地から人を日本に送る事業ということですか」
「そうだ、まずはインドネシアだ!」
「なるほど、そういうことですか……。うーん、あのー、あのですね、僕の意見は違うんですよ。僕も将来の日本を憂慮しています。でも、僕はまず、日本人の心を元気にしたい。どちらかといえば、一人でも多くの日本人に海外へ出ること、そして見ることを奨励したいほうです。できれば独りきりになって、外から日本を見てもらう。そうすれば変わります。日本がいかに素晴らしい国なのか、そのことを痛感します。誇りに思えます。もっと好きになるはずです。活力を持って生きる勇気が芽生える一助になるはずです。僕がそうでしたから。僕は、日本人自身の手で国力を上げていきたいんです」
彼の熱にほだされるように、私も熱弁を振るっていました。
「それもしたらいい!いいか、電話じゃ分からん。面倒だ、会うぞ。また、電話するから!」
ツーツーツー……。
電話が切れます。私は、直感でこのままではいけないと思いました。そして少し焦りました。「この意見の相違は良くない、きっといつか大きく対立する。そして、恩人は本当にこちらに訪ねてくるだろう。あの方は、そういう人だ。若干酔ってはいたが、本気だった。俺には分かる。名古屋に来てしまわれる前に、今、もう一度話しておかなければならない」。私は、そう思いました。そして、相手が本気なだけに、この件はお断りした方がいいと考えたのです。
恩人は、この時55歳。地元で商売をされており、成功を収めたとも伺っていました。それにもかかわらず、さらに志を胸に前に進もうとしていらっしゃる。こちらも生半可な気持ちでは協力できないと思いました。少し頭の中を整理して15分後、私は恩人の携帯電話を鳴らします。
「何だ?」
「あのー、電話で少し議論しませんか。せっかく遠方から来ていただいても、僕はこの話をお断りしてしまう可能性があります。それでは駄目です。仮にお会いするとしても、その前にきちんと話を詰めるべきです。人生の大事な話であればなおさらです」
「お前はつまらんなあ!久しぶりだし、俺はお前に会いたい。お前が好きだ!以上だ。何が問題だ?」
「先ほども言ったように、僕は外国人に国力を上げてもらうよりも、日本人の心の問題を先にしたいのです。日本人をもっと元気にしたい。そのお手伝いや応援なら大賛成です。そして、仮に外国人に日本で働いてもらうのなら、日本を好きになってもらいたい。日本を好きな人に来てもらいたい。日本の伝統・文化を理解する方々にです」
「日本を好きになってもらえるように、日本を愛してもらえるように、文化・伝統をきちんと理解してもらうための教育の場を提供するつもりだ。そして、今、日本には退職して高い技術を持った人がたくさんいる。他にも、才能を活かし切れていない人も多いはずだ。もったいない!若い奴らもそうだ。本当に自分の才能を活かし切れているのか。俺は、国力の下がっていく日本をこのまま見ておれんのだよ!」
「だから、日本人が先です!僕は、日本人が本当に自分の好きなことを仕事にして活力を持ち、もっと幸せになり、周りも幸せにするべきだと思っているんです。そのための役に立ちたいんです」
「お前はそれをやればいい。俺は、海外から人を送る。お前は、海外に日本人を送ればいいじゃないか。お前はそういうのが向いている」
「うーん……。人材交流のようなものですか」
「そういうものだろう」
「うーん……。でも、僕は、外国人を先にするのは反対です。僕では意見は合わないと思います。このままでは、きっと迷惑をお掛けする」
「優秀で日本を大好きな外国人が職場にいると考えろ。今の日本人は刺激を受けるぞ。日本人を覚醒させることができる。今の日本人は極端なことでもしないと目を覚まさんぞ!そして、俺はお前と一緒にやりたい。お前は裏切らない。信じられる。お前は信じられる。この仕事は裏切らないことが大事なんだ」
「ありがとうございます。尊敬する大好きな師匠だからこそ、会ってからお断りしたくない。僕は、日本人が先だと……」
「お前は、本当につまらん奴だな!会って話せばいいんだよ。久しぶりに会いたいと言ってるんだ!会おうや!お前は言い訳が多いなあ」
「だから、断るかもしれませんと言ってるんです!」
「明日行くぞ!!」
ツーツーツー。
私は、携帯電話を握ったまま、ぼうぜんとして動けずにいました。
「明日来る……」
その日はそれ以降、どちらからも連絡を取り合うことはありませんでした。
この時期の私。
少し説明をいたします。恩人から本当に久しぶりの連絡をもらったこの日からさかのぼること約1年半前、私は独立をし、電子書籍作家として活動していました。無名で実績のないインディーズ作家です。順調にいくことはないと分かった上で、22年間勤めた旅行会社を48歳で退職し、準備期間を経て2年後に独立を果たしました。「自分の本当に好きなこと(心を文字にすること)で日本をもっと元気にする=己の書籍で、日本人の自立・独立に貢献する」という志を成し遂げるためです。
夢をかなえる勇気を持ちたいと願う仲間を応援する本を私は書き続けたいと思っています。本当の夢があるけれども、果たすための勇気を持てないでいる仲間、成し遂げたい志があるのだけれども、困難な壁が目の前に立ちふさがり一歩を踏み出せずにいる仲間。私自身も同じ悩みを抱えていた一人としてその思いを分かち合い、多くの仲間の皆さんのその背中を後押しするエールとなり得る本を届けたいと願っています。そして、一人でも多くの日本人にもっともっと元気になってもらいたいのです。それには、私が弱く情けない自分自身と向き合い闘った経験をお伝えし、裸の自分をさらすことが絶対的に必要であり、そうでなければ共感などしていただけないと強く認識し、初作を書くに至りました。この本は、第2作目となります。
タチヨミ版はここまでとなります。
2020年10月4日 発行 初版
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