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 目 次

澪標 創刊五周年によせて

桔梗に紫煙 藤井カスカ

頬の内側 朝霧

不毛な食事 高町空子

懸衣の鬼に奪衣の女 吉諭カツマ

無様な名前 小桜店子

うみおとしもの 野秋智

箱庭に舞う欠片 ひよこ鍋

僕とラララのなれの果て 二丹菜刹那

表紙 タリーズ

あとがき

花は、秋風に吹かれて散るのだろうか。

桔梗に紫煙

藤井カスカ

<新作読み切り・小説>

桔梗に紫煙

 私と友人のユヅキは、喫茶店で退屈な午後を過ごしていた。ユヅキはぼうっと中空を眺めながら煙草をふかし、私はコーヒーを啜りながら読書を進める。
 彼はふとなにかを思い出したかのように煙草を口端に咥えると、「死ぬってどんな感じなんだろうな」と言った。
 それについて私はしばらく考えてみたが、気の利いた答えは思い浮かばなかった。
「さあね。でも死は人生の体験に含まれてないらしいよ。ヴィトゲンか誰かの言葉」
 そう、とりあえず答えておいた。
 ユヅキは、「ふうん。それもそうかも知れない。だとしたら、みんなはなにを怖がっているんだろうか」と、独り呟いた。
 私は肩を竦めてから、再び読書に戻った。平凡な大学生と死とはあまりにも遠すぎる関係にあるし、そんなことを取り立てて考える機会もない。死は路傍の石ころとなんら変わりないのだ。


 ユヅキが自殺をしたのはその翌日で、うら寂しい夏の終わりの日だった。私はそれを、別の友人から聞かされた。
 茫然とし、何度となく「自殺」という言葉を反芻した。
 ユヅキが死んだ――それは本当だろうか。実は生きていて、私をただからかっているのではないだろうか。だって、そうじゃなきゃおかしい。昨日だって、馬鹿みたいに煙草を吸って、幸せそうな顔をしていたじゃないか。
 やがてなにを考えるのも億劫になり、ほとんど無意識の内に、いつもの喫茶店へと足を運んでいた。コーヒーを頼むと、マスターがユヅキの吸っていたピースの箱を私に渡した。昨日、我々が帰った後に彼は一人戻って来て、マスターにこれを託したらしい。
 箱から一本取り出してみると、一緒に折りたたまれた紙片が出てきた。内容はこうだった。


・下宿先の机の引き出しに入っているノートを処分して欲しい。
・もし迷惑でなければ、我々の過ごした日々をなにかに書き留めておいて欲しい。


 私は急いで勘定を済ませ、ユヅキの下宿先へと向かった。
 すぐに管理人を呼び、頼み込んで部屋へ上がらせてもらう。
 日に焼けて薄汚くなった机、その引き出しを開けると一冊のキャンパスノートがあった。私はその中身を見ることなく、管理人に礼を述べてから部屋を後にした。
 ピースの箱に入っていたライターを手で弄りながら、下宿近くの河原へと向かう。
 途中、悪いとは思いつつもノートをめくった。そこには映画のだろうか、前半には脚本が、残りのページには絵コンテが書きこまれていた。ユヅキは映画が好きで、日頃からなにかをノートに書き殴っているのは知っていたが、シナリオだということは今はじめて知った。
 ノートを読み進めていくと、最後のページに「怖い」と震える字で書かれていた。私は昨日の会話を思い出し、胸が苦しくなった。
 ユヅキは言った。
「ふうん。それもそうかも知れない。だとしたら、みんなはなにを怖がっているんだろうか」
 昨日はまともに考えもしなかったが、あるいは、死――それの怖さは〈忘却〉なのかもしれない。それを、ユヅキは感じていながらも、あえて私に訊いたのではないだろうか。死に向かう本人もそうだろうが、同時に自分のような関係のある人間にとっても、〈忘却〉は身を蝕むような恐怖だ。自分が忘れてしまうと彼は、ユヅキは本当に死んでしまう。そんな気がした。
 彼の二つ目の遺言が、痛々しく、分かりやすいくらいに、それを表している。あの言葉には死にゆくユヅキの不安と恐怖とが込められていたのだ。だから、私にそれを遺してほしいと、死に際で頼んだのではないだろうか。
 私は死と、その恐ろしさとを、彼の死で文字通り痛感した。虚しさでも哀しみでもなく、痛い。ある人に言わせれば当然なのかもしれないが、死の匂いが遮断された平和の中にいる我々は、この恐怖を知らなかった。
 河原に着き、秋風の中に腰を下ろした。木々は葉を赤く染めはじめ、鳶が空に弧を描いている。視界の端に紫が映ったのに気が付き、ふと目を遣ると、そこには桔梗の花が咲いていた。花は、秋風に吹かれて散るのだろうか。それとも、自分の意志で、散るのだろうか。
 散華。そんな小説を、太宰治が書いていたことを不意に思い出す。ユヅキは散ったのだ。誰一人として理由も知らず、そしてただの一人にもその孤独と恐怖とを知られずに。
 ユヅキのノートに火を点けた。燃えろ、と思った。
 夢の残骸、人知れぬ恐怖、ユヅキの躰。それらすべてが煙になって、空に昇って、
 新しい風を知らせる目印となってくれ、と私は願う。
 誰かが迷ったときの目印となってくれ、と私は願う。
 今を忘れないための目印となってくれ、と私は願う。


 煙が細くなってきたあたりで、私は凛と佇む桔梗を見ながら、原稿用紙を買って帰ろうと思った。
 そして、燃え尽きそうなユヅキのノートから火を貰い、ロングピースを大きく一息吸った。

〈了〉

気楽な辞世(サンプル版)

2020年9月21日 発行 初版

著  者:小桜店子(編・著) 藤井カスカ(著) 朝霧(著) 高町空子(著) 吉諭カツマ(著) 野秋智(著) ひよこ鍋(著) 二丹菜刹那(著) タリーズ(表紙イラスト)
発  行:身を尽くす会

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