役目を終えたと考えた勇は後は村でのんびりと過ごそうと考えていたが・・・・
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この本はタチヨミ版です。
今年で五度目に入った羅臼の借家暮らしにもすっかり馴染み、漁師さん達は勿論、町の商店街の人達とも気安く声を掛け合う間柄になり、土曜の夜は帰ってこない者も居た。
羅臼の町も勇達が来た頃は娯楽と言えば町にパチンコ屋が有るくらい冬の間はひっそりとした所だったが、近年の知床ブームに乗って民宿や土産物店が増え、それに伴ってスナックや料理屋も増えたし、ゲームセンターも出来た。
春先から秋までは昆布漁やサンマ漁などの出稼ぎ漁師達で人口が膨れ上がる羅臼の町も冬場は地元の漁師達が細々と春の訪れを待ちわびる寒村だったが、この頃は冬でも流氷見物の観光客や氷の下を潜る物好きな若者を見かけるし、海難事故も増えてきた。
世の中も高度成長の波に乗り、家庭にテレビや冷蔵庫が有る家が当たり前になり、公務員やサラリーマンの所得も右肩上がりになり、昭和四十七年の五月にはアメリカが実効支配していた沖縄が県として発足し、二十八年ぶりにグアムのジャングルで発見された『横井』さんが「恥ずかしながら」と言いながら帰国してテレビで話題を呼んだし札幌で冬季オリンピックが開かれ、氷の妖精「ジャネット・リン」が若者の間で人気をさらった。
洋画が普及し邦画でも「網走番外地」に男達は熱狂した。
進学率が伸び大学卒のサラリーマンの初任給が五万円に手が届くところまできて映画の入場料も八百円に跳ね上がった。
身近な所ではビールの大瓶が百四十円になり喫茶店が増えた。
新築のログハウスで暮らし始めた緑はすっかり村の生活を満喫し咲村の所へも彩芽が週に一度は顔を見せるようになり、木嶋も広い部屋に満足していた。
食事は一応別に作っていたが、何か有ればみんなが集まり玉井や緑が本宅の台所に来て手伝う姿を見かけていたし勇もハウスの広い檜造りの風呂に入りに行く時もあった。
菊丸で変化が起きた事と言えば、昨年、機関長の本間さんが高齢の為に惜しまれつつ下船し、これまで二機だった鹿児島の大山が機関部を纏めるようになり、新しく加わった金吾や武雄も菊丸に慣れ始め、みんなの身の回りの世話や玉井や緒方と一緒に料理の下働きや買い出しに出かけ、みんなから可愛がられている。
菊丸の見習い船員と言っても陸上で働く人では考えられない程の給料が支給され、船員手帳が送られてきた月からマルヤの社員として本給が家族に送られてきたし、両家族とも早速テレビや冷蔵庫を揃え、両親は涙を流して喜んでくれた。
武雄や金吾も長男として家族を支える喜びに胸を張っていた。
村はみんなで助け合って暮らしているとは云え、耕す土地も無い彼らの両親は村の下働きなどをしながら家族を養っていたが、まだ子供達が幼い上に兄妹が多く、村の中でも貧困に喘いでいた。
武雄や金吾が菊丸に乗って羅臼へ向かう途中、大した揺れでもないのに船酔いに苦しみ、羅臼に着いた時は二人とも暫く寝込んだが、これは船乗りならば一度は通過しなければいけないし、誰も手助け出来る事では無かった。
ましてや菊丸は他の船とは違い揺れが激しく、高速で走るから尚更で、どんなに荒海の中であろうと反復力が発揮できるように造られているし彼らが苦しむのも無理が無かった。
彼らが漸く船の揺れに慣れ始めたのが何度目かの嵐に遭遇し粘液まで吐き出して苦しんだ後の頃で、船酔いを克服してからは見る物全てが珍しいのか船内の計器類などに興味を示し、菊丸と一緒に競争するイルカや岩の上で寝そべっているトドを見ては歓声を上げ、借家では生まれて初めて個室が与えられたと喜び、玉井たちが作る料理の豪華さに目を丸くし、初めて飲んだ酒に酔い潰れた。
本社のスケソウ母船が操業を開始した十一月は何事も起きず、気温が急激に下がり始めた十二月に入ると急にSOSが入る頻度が増え、現場に駆けつけるとこれまで目にしたことが無い小型の高速艇が鱈釣り独航船を追いかけている所で、ぐんぐん距離が狭まったかと思うと高速艇から火花が散り、菊丸が駆けつけると漁船には見向きもせず高速で走り去った。
これまでの監視船みたいなのろい動きではなく、菊丸に劣らぬ速さで漁船を追いかけ、菊丸が現れなければ船員達は拿捕されたに違いない。
ただ見た限りでは漁船よりも小型に見え、追突されて沈没することは無いだろうが奴らは武器を携えているし、独航船のスピードならば直ぐに追いつかれるだろうと思った。
勇達は独航船に接舷させると漁師達に被害は無かったが、機関銃の弾が船体に当たる音に生きた心地がしなかったと話し、菊丸の姿が見えなかったら船もろとも連行されただろうと話す。
漁労長に詳しく話を聞けばパラムシル島沖合で鱈を満載して花咲港へ戻ろうとしていた所、遥彼方に小型の船が見え、双眼鏡で確認すればソ連の船と分かり慌てて無電を打ったのだがたちまち追いつかれ、そんなところへ菊丸が現れて助かったが、菊丸が現れなかったら今頃は連行されているか海の藻屑になっていただろうと話す。
熊井に聞けばこれまであんな速いソ連の船は見た事が無いし、恐らくウラジオストックに常駐している軍の払い下げではないかと話すが、軍の船ならば民間漁船を攻撃出来ない筈だし、信号旗も上げてなかった。
独航船と別れを告げて羅臼へ戻り、その後暫くは何事も無く、小型の高速艇はたまたまウラジオストックから千島へ来た時に気まぐれに独航船と遭遇して追いかけたのだろうと安心していると、北洋にしては穏やかな日に再び高速艇が漁船を追いかけているところを目撃した。
菊丸が現場に着いた時には漁船は停船させられ、その後から例の監視船が現れ、目の前で連行されているが、菊丸はどうすることも出来ず指を咥えて見ている以外なかった。
独航船の乗組員たちは監視船に連れ込まれ、船は監視船の後ろへ縛られて去り始め、その周りを高速艇が菊丸を監視していた。
そんな事が重なると羅臼の漁師の間でも話題になり、鱈漁の最盛期というのに沖合に出かけることも出来ず、暗い話題ばかりが先行し、漁師達と対策を練ったがこれという案は浮かばなかった。
ソ連の奴らも菊丸に対しての備えを強化したに違いなく、先ずは高速艇を出して漁船を拿捕し、連行する方法に切り替えたのだと判った。
漁師達の話だと、ソ連の奴らは日本の船が積み込んでいる高性能の無線類や船員達の時計や雑貨などを欲しいばかりに日本漁船を拿捕し、没収した船の漁具やエンジン類はウラジオストックやナホトカの業者に売ってひと儲けするらしく、ソ連との領海は関係ないと話すし、パラムシル島に三年間抑留されていた漁師さんによれば、パラムシル島には国境警備隊の基地が有り、使っている建物は戦前の日本軍が使っていた施設で、収容所も日本軍の避難所として使っていた所だと話す。
漁労長と機関長以外は取り調べも受けず、仕事と言えば夏場は宿舎周辺の草むしりや冬場は雪かきや兵士達の宿舎へ石炭運びなどの単調な仕事ばかりで暇を持て余し、食事と言えば酸っぱい黒パンに青いトマトとキャベツの酢漬け、それに缶詰の羊の肉、ジャガイモ二個が毎日出され、米は月に一度アザラシ肉入りのスープの中へ入っている位で、兵士達も同じような物を食べていたが、違うのはパンにバターを塗り、チーズが与えられる位で、新鮮な肉が出たと思えばアザラシの肉で脂が多く、日本人の口に合わなかったと零した。
上級士官達は日本漁船から奪い取った米や魚に蟹等を喜んで食べていたし、奴らは余程酒が好きなのか船員から没収したウィスキーに目を輝かせ、瓶ごと飲んでいたが、正規の警備兵ではない下級兵士は食べるものも貧しく、飲む酒も粗末なウオッカを飲み、樺太の囚人が寄せ集められた集団らしかった。
粗末と言えばソ連で作られた製品は使い物にならない程粗悪品ばかりで、上官達は日本の漁師達から奪った腕時計や万年筆を身に着けていたし、ボールペンを巡って争奪戦を起こしていたらしい。
結局、漁師達の話では、日本漁船を拿捕するのは漁業問題や領海の事では無く、日本漁船が積んでいる無線機や時計などが欲しくて拿捕するだけだと判ったが、急に遭難船が増えると漁師達も怖がって沖に出なくなり、漁業組合でも問題になっていた。
勇達も本社に連絡を取ったり、組合側と対策を練っているのだが、高速艇を退ける妙案は出てこなかった。
船足の遅い監視船だけなら妨害することも出来るが菊丸と同じくらいのスピードで走る小型の高速艇はレーダーにも映り辛く、SOSの打電を受けても間に合わなかった。
ただ不思議なことに、吹雪や海が時化た日には高速艇が出撃しない事が判り、必ず監視船と一緒に行動していることも分かった。
最初の頃は菊丸が現れると高速艇は様子を伺うように攻撃してこなかったが最近はスピードを競い合うみたいに追いかけてくることも有った。
何の対策も無いまま年末を迎えようとしていた頃、朝早く出漁した筈のスケソウ漁船が僚船に引かれて戻ってきて、どうしたのだと聞けば、鮭・鱒定置網が流されて海上を漂っているのに気が付かず、網の上に船が乗り上げ、プロペラシャフトに網が絡みつき、航行不能になったと話してきた。
それを聞いた途端勇の頭に閃きが走り、高速艇退治にはいい方法かもしれないと思い始めるとみんなを集めて相談し、八ちゃんに出掛けて漁師に相談すれば、漁船の弱点や海の上でのタブー等を教えてくれ、漁師達が海上で一番気を付けるのが漁場に向かう時に海上を漂う漂流物で、流れ出した網などは発見しづらく、万が一、網がプロペラに絡まれば航行できなくなるし、氷の塊に当たろうものなら甚大な被害を受けると話した。
時化や岩礁などは充分な注意を払いながら船を進めるが、大きな材木や網などの漂流物は避けられない時も有り、漁師にとっては一番厄介だと話した。
漁船に乗る者の心得は海上で口笛を吹けば嵐を呼ぶと言い伝えられ、牛や豚の四足の動物の肉を船に積むと遭難すると教えられ、ご飯に汁をかけて食べるのもタブーだが、どうしても汁ご飯を食べたい時は汁椀の中へご飯を入れれば大丈夫だと話す。
他にも梅干しなどの種を海へ捨てれば船が割れると恐れられ、その理由は種を水に浸ければ芽が出て割れるからだと教えられたと話し、初潮を迎えた女性を一人で船に乗せると海の女神が焼きもちを焼き、航海の妨害をすると言い伝えられていると話す。
それを聞いて高速艇に試してみる必要があると判断し、組合や漁師達に協力して貰うことにした。
先ずは古くなった網にワイヤーを通す事を頼んだ。
広さ一〇〇㍍程のワイヤー入りの網を五セット拵えて貰うと沖合で囮になる漁船を探せば、殆どの漁師が自分が囮になると進み出たが一隻だけで充分だった。
囮になってくれる漁船と綿密な打ち合わせを重ね、菊丸の艫へ網を積み込むと十二月にしては波が穏やかな日を選んで囮の船がパラムシル沖合八十㌔、北緯五十度、東経百六十五度三十分付近で操業を開始、菊丸は直ぐに駆けつける事が出来る島陰に隠れて高速艇が現れるのを待っていると、操業を開始した四時間後、案の定高速艇がパラシウム湾から現れ、沖合に向かって走り始めた。
その後船足が遅い監視船が後に続いて現れたのを確認すると、菊丸は全速力で高速艇を追いかけ、流石の高速艇も菊丸の速力には劣り、三十分もすれば高速艇の船尾が見えてきた。
菊丸はこれまで出したことが無い高速回転でソ連の高速艇を追い抜き、近くで見る高速艇は小型の魚雷艇みたいな高速のボートで、菊丸に追い抜かれたと判ると追いかけてきた。
菊丸は速度を落し、大きなうねりの後に高速艇との距離を測って網を海へ投げ込めば網は後ろに流れ、高速艇は網に絡みついたのかエンジンが唸りを上げる音の後に急停止し、兵士達が船室外から飛び出し右往左往している様子が見え、菊丸は急旋回すると停まっている高速艇に向かってカプセルを撃ち込むと阿鼻叫喚の声が上がり、船室にもカプセルを撃ち込むと後から追いかけてきている監視船に向かって手を振っているのが見え、監視船は菊丸を見ると大きく旋回し逃げようとするが船のスピードが違うから直ぐに追いつき、監視船にもカプセルを撃ち込むと悠々と引き揚げた。
囮の船に無線で連絡を取り合い、海上で合流すると羅臼港へ戻り、ソ連の高速艇の損傷を喜び合った。
漁船から組合に連絡が入ったのか岸壁に沢山の人が出迎え、興奮のあまり泣き出す人もいる。
勇自身もこれ程上手く事が運ぶとは信じられなかったが、実際に高速艇が自力走行が不可能な状態を見ているし、仲間たちは今でも興奮している。
借家へ戻ると全員で銭湯へ向かい、囮役になってくれた善次郎さん達と合流すると背中を流し合って喜んだ。
銭湯を出て八ちゃんに向えば漁師達が口々に感謝の言葉をかけてきて、明日から鱈釣り漁が再開できると喜んでくれた。
八ちゃんに入りきれない程の漁師や奥さん達まで押し寄せ次女の楓は吾郎の側を離れず、比呂子さんや漁師の女将さん達が忙しそうに動き回っている。
ひとしきり騒いだ後菊丸の乗組員達は馴染の店へ出かけ、漁師達や奥さん連中も引き揚げ、勇と熊井、吾郎の三人だけが残った。
ひと息ついた真奈美が珍しい事に勇の隣へ座ってきて、自分も温燗を飲み始めると勇に対して感謝の言葉を伝えた後、正月の予定を尋ねてきた。
ソ連の高速艇の事で正月の事まで考えてなかったが、言われてみれば既にもう年末が迫っている。
例年なら暮れの三十日から年明け三日まではのんびり正月を過ごしていたが今年の正月はまだ予定を決めてなかった。
これまでなら年末から年明けの五日頃まではソ連の監視船が出撃してこない事は判っていたからのんびり出来たが、今年は奴らも戦略を変えてきているし、一度の成功で浮かれているわけにもいかなかったが、これまでのところ高速艇は一隻だけみたいだしプロペラシャフトが破損していればパラムシル島では修理する技術もないだろうからウラジオストックまで曳航しなければいけないし、今年は無理に違いない予感はする。
だからと言って真奈美と正月休みには関係ない筈で、まだ決まってないと話せば、正月期間は八ちゃんも休みに入るし三日の日に近くの温泉に行かないかと話してきた。
羅臼の町から直ぐ近くに温泉がある事は漁師達から聞いてはいたが足が無い勇達は行った事が無かった。
真奈美が話す所によれば夏場は町の人達が親しんでいる温泉場らしく、冬場の知床横断道路は三月まで通行止めになるらしいがその温泉までは行けると話す。
そこまでどうして行くのかと聞けば、妹の楓が車を持っていると話し、その車は冬の山道でも平気で走ると言ってくる。
熊井に聞けば彼はその温泉の事を知っていて、一度は行ってみる価値があるが冬場に行く人は少ないのじゃないかと言えば、その温泉は鄙びてはいるが一年中管理されているし近くに住む人達が毎日掃除を行っていて綺麗だと真奈美が話す。
正月と言っても何処へ出かける訳でもなく、飲んで食べて麻雀を楽しむ位で羅臼の郊外さえ知らない。
考えてみれば毎日借家と菊丸との往復で、若い者達のように他の店は知らないし、北洋の海の事なら随分詳しくなったが斜里の町さえ行ったことが無い。
ここらでのんびりと温泉に浸かって気分転換を図るのも悪くないと思うと勇の方から温泉に連れて行ってくれるように頭を下げた。
翌日から再び広範囲に菊丸を走らせたがソ連の監視船が現れる様子もなく、それ以降SOSも入らなくなった。
暮れの二十八日は組合主催の餅つきに招かれ、三十日に若手達が借家の玄関に注連飾りを整え、大晦日の夜は玉井や緒方、金吾たちがお節の準備を始め、今年の労を労った。
明けて元日、自宅から送ってきた飛魚の干物と鶏ガラで出汁を取った雑煮を勇は作り、全員が起きてくると菊丸の船神様と近くの神社へ全員で出かけて今年一年の無事を祈った。
全員の盃にお屠蘇が注がれると勇が新年の挨拶を一言述べ、機関長の大山が全員の健康を祝し、通信長の吉永が菊丸の無事を祈って全員が盃を飲み干した。
勇が作った雑煮が配られ、玉井が丹精を込めて作ったお節に手を伸ばしながら金吾や武雄はこんな豪勢な正月は初めてだとしんみりし、飲めない酒をみんなに勧められている。
話題はどうしてもソ連の高速艇の事で、物事に動じない熊井や咲村さえもこれからは菊丸がソ連の標的になるだろうし、奴らの事だから正攻法では攻撃してこないだろうと心配する。
テレビから各地の初詣での光景が映し出され、それを見た玉井が串浦に残してきた緑が恋しくなったのか、席を立つと電話をかけ始めた。
酔いが回り始めると羅臼の町の女性達の話題になり、どこそこのスナックの女の子が可愛いとか、スーパーのレジに立っている女の子はテレビタレントの誰それに似ているなどと話が盛り上がり、全員が北海道の女性は美人が多いと意見が一致した。
勇も家に電話すると麗子が電話に出て、緑も一緒に正月を楽しんでいると話し、まさか余計な事まで話やしないだろうかと心配していると遥に替わり、遥は新年の挨拶の後、学校での出来事や犬のキクの事などを話してきて、電話の向こうで麗子が早く替わりなさいと言う声が聞こえてくる。
二日の日は近所の人達が新年の挨拶に訪れ、例のごとく花札博奕が始まり、吉永が一人勝ちをしているし、昼前に八ちゃんの真奈美と楓、比呂子さんの三人が着物姿で挨拶に現れ、吾郎が楓と出かけて行くと武田と久嶋が連れ立ってパチンコに出掛けた。
日頃見慣れている真奈美と比呂子さんが着物姿で飲んでいる姿は艶めかしく、話しているうちに比呂子さんも海で主人を亡くされたと聞きこの辺りの漁師は本当に命がけで漁に出ているのだと思った。
九州辺りの海ではたとえ遭難して海に落ちても助かる見込みが有るが冬の北洋の海では海に落ちると言うことは死を意味するし、最近はウエットスーツなどを身に着ける漁師も増えてきているが、まだまだ一般の漁師は救命具さえ身に着けてない。
勇が以前独航船に乗った時も波に洗われるデッキの上で平気で放尿していたし、一つ間違えば足元を掬われる胴縄や背縄が竹ざるに入れられ、鱈を針から外す道具などはナイフより危険だと思った記憶が有る。
南極海もそうだが北洋の海も死と隣り合わせなのだ。
明けて三日、待ち合わせの朝十一時に八ちゃんの前に行けばすでに運転席に楓が座り、真奈美や比呂子さんも乗り込んでいる。
勇は助手席、熊井が後ろに乗り込むと車は力強く発進し、羅臼役場から知床峠方面へ登り始め、道路脇にはうず高く雪が積もり、楓の運転は荒っぽいが凍てつく道をものともせず車は走る。
タチヨミ版はここまでとなります。
2020年9月28日 発行 初版
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