日本体育大学理事長である著者は、レスリング選手として活躍。アメリカ留学を経て、アフガニスタン国立カブール大学で指導と研究。帰国後は大学教授、やがて若いときからの夢を実らせ、衆議院議員となる。その豊富な異文化、特異な体験は本書の中で異彩をはなち、大学経営、スポーツ、文化、社会への直言、提言は読む者を充分に納得させる文章力に満ちている。
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この本はタチヨミ版です。
一、広告効果絶大 塗り替わる勢力図 大学スポーツの現状
二、ウィンウィンの関係構築に手答え 大学と地方創生
三、障害児は増加、教育者育成に挑戦 少子化で〝二〇一八年問題〟
四、創意工夫でレーサー、パイロット育成も 日体大「創立一二五周年」の挑戦
五、血税で救済、経営努力する私大に憤り 苦境の私大が続々公立化
六、学生増は困難、地域社会との共存が鍵 地方私大が生き残るには
七、データに基づく教員確保で補強が重要 激化する大学間競争は常在戦場
八、補助金獲得の戦場化 知識・パイプ役渇望 文科省天下り 大学側にOB依存
九、あの手この手で「女子」を囲い込め! 全入時代の大学生き残り策
一〇、笛吹けど踊らず、危機意識の低さに警鐘 学部譲渡を容認 文科省が新方針
一一、少子化で揺らぐ大学経営にも光明 進めたい「学び直し」
一二、動かぬ私大、座して死を待つ気か 国立大先行の大学改革
一三、文科省は助成金大幅カットで改革迫れ 一部私大に欠けた公共性意識
一四、教育・研究の質向上には理想的だが… 全大学教員常勤化に苦悩
一五、経営マインドで高めたい大学の存在感 「科研費」獲得は最重要課題
一六、透明性高い経営、国民の理解不可欠 学校法人への公費助成の在り方
一七、安穏経営は即退場、問われる計画力 淘汰の時代に入った私大
一八、私大維持の生命線、要求応じるのは困難 コロナ禍での授業料一部返還の声
一九、国際的常識 理解できぬ研究者に疑問 国立大への国旗掲揚要請
二〇、入試に期待 多様な人材育成を 一流大学の国際ランキング低下
二一、国・企業負担で返還義務のない奨学金を 大学生はバイト漬けでいいのか
二二、成長分野発掘、健康寿命の延伸も 大学スポーツ産業化のススメ
二三、進学先、多様なモノサシで判断を 大学の「就職率」を疑え
二四、晩婚化を憂う 学生結婚奨励も 大学改革で少子化防止を
二五、文化を担い国民を勇気づける特効薬 国費で大学スポーツ強化が不可欠
二六、工夫促す厳密評価で質向上を 大学の講義はおもしろいか
二七、「お雇い教師」招聘、維新政府に倣え 競争力失う日本の大学
二八、受験生の選択肢を狭める付け焼刃 東京二三区の大学に 岩盤規制
二九、散見する流行におもねった学部新設 獣医学部設置は理念に沿うか
三〇、理解に苦しむ民生技術との境界線 大学における軍事研究論争
三一、感謝忘れた若者の堕落が「人づくり」か 人気取りの大学無償化
三二、収入や体裁にこだわるなら質的低下 大学院増加に警鐘
三三、学問・研究の自由を無視した愚策 東京二三区大学の定員抑制
三四、大学院の無償化急ぎ「ポスドク」救え 学者への夢を打ち砕くな
三五、定員割れで補助金減額 弱肉強食の様相 大学が消える時代
三六、大学の大衆化、受験生争奪戦を象徴 加熱するオープンキャンパス
三七、少子化対策など自己改革進める契機に 「大学一八年問題」大騒ぎの後で
三八、英知を結集 大学スポーツ振興の切り札 「日本版NCAA」始動
三九、低所得者手厚く全国民規模の恩恵なし 疑問だらけの「大学無償化法」
四〇、困難に直面する学生への配慮こそ大切 不毛な議論続「九月入学」問題
四一、IT、大学教育の場でも必須ツールに コロナ禍で定着したオンライン授業
四二、新国立競技場問題、単なる運動会にするな 平和の祭典にふさわしいのは
四三、縦割り行政廃し、健康寿命伸長に取り組め スポーツ庁への期待
四四、体力・教師の指導力不足 問題の根深く 「組み体操」事故多発の真相
四五、五輪成功へ招致活動の光と影 国際イベントの現実
四六、地域社会の娯楽 「稼ぐ力」米に学ぶ 大学スポーツにビジネス化の波
四七、品格疑うスポーツマン精神に落胆 東京五輪の招致疑惑
四八、商業主義横行「平和の祭典」再認識を プロアマ区別なくなったオリンピック
四九、IOCのテレビ放映権依存体質が問題 首をかしげる札幌での五輪マラソン
五〇、国産スポーツ用品で存在感示す好機 技術の祭典でもある東京五輪
五一、国民疲弊で追加負担賛成見通せず 一年延期も厳しい東京五輪
五二、今も変わらぬ日本人の「平和ボケ」 あれから四〇年…モスクワ五輪ボイコット
五三、命がけで守られ、生き続ける文化 「アフガン秘法展」開催へ
五四、教育への挑戦 障害者と共生社会 個性重視の高等支援学校開校
五五、国立優遇に疑問、医師養成は平等 苦しい私大医学部の経営
五六、伝統に脚光、文化継続再考の機に トランプ大統領の大相撲観戦
五七、国挙げて本気で取り組むべき環境整備 在留外国人への日本語教育
五八、戦闘続き、平和構築の難しさ痛感 アフガニスタンの教え子
五九、政府は自然災害と認識し対応急げ 豚コレラ感染拡大に嘆く
六〇、アフガン復興で見せた指導力に脱帽 国際舞台で活躍した緒方貞子さん
六一、地道に対策、常に危機意識を 「南海トラフ地震」に備えよ
六二、勇気と知略で新しい展開を 本気で拉致問題を再考するとき
六三、実状知らぬ総務省、良識任せがミス招く ふるさと納税に活路求めた大阪・泉佐野
六四、自然を生かす島国、日本の参考にも 北欧アイスランドを訪ねたい
あ と が き
著書一覧
表紙写真:图行天下サイト
日本の大学をはじめ高等教育機関への評価はまちまちだが、これだけの先進国を創りあげたのは、勤勉な国民性と高等教育機関の存在があったからではあるまいか。縁があって一〇年前から母校の理事長に就任し、大学経営に取り組むこととなったが、新鮮な事象もあれば昔日のままのものもあった。かつて一八年間を日本の私立大で教え、三年間途上国で教壇に立った経験があるとはいえ、経営と指導は異なり、とまどうばかりだった。
日本が先進国の一員であり続けるためには、高等教育機関をさらに充実、発展させねばならない。かつてアメリカは、ヨーロッパの大学に水をあけられたが、大学院の教育と研究を盛んにすることによって逆にリードするようになった。日本の大学の世界的評価は低いように映るが、それは日本の高等教育機関の独自の歴史が今も色濃くあるからであろう。また、日本語という日本人しか使用しない言語で学問を身につけてきた一面も影響したにちがいない。大学の七割は私立大学で、まちまちの建学の精神を主軸に「人づくり」を行い、特殊な教育・研究機関を担ってきた。とりわけ実学面に於いては、国家を支える貴重な人材を育んできた。
その大学の近年の経営はいかになされているのか、いかなる傾向にあるのか、私なりにまとめることにした。産経新聞社の『ビジネスアイ』に毎月一回、連載させていただく機会を得て、折々のテーマで記述してきた。専門分野のスポーツの話題や外交、文化の域にまで筆を伸ばして書くこととなった。が、中心は大学や教育である。ただ、今回出版するにあたり、内容は当時から変化している面もあるが訂正せずにそのままにしたが、付け加えたものもある。永年にわたって連載させていただいた『ビジネスアイ』編集部に感謝する。
教育のあり方、大学の生き方、これらは凄いスピードで進んでいる。多くはレジタル化されているにくわえ、国際化も進む。時代の先取りこそが高等教育機関の使命とはいえ、戦中、戦後生まれの古希を過ぎた高齢者にとっては、別世界の中にいる印象をうける。少子化の波が、スピードを増して押し寄せてくる。改革なくして、対応できないばかりか閉鎖というルールが待っている。
大学の魅力づくりは、私学の方が容易であろうか。とりわけオーナーのいる私学は、その人物の思考力と行動力で魅力をつくることができる。が「民主主義」という手法で経営すると、たちまち学校は個性を失い、横並びのつまらない魅力のない学校となる。文部科学省は、それらの心配をして私立学校法を改正したり、ガバナンスの強化を求める。
想像以上の少子化の進行、かなりな大学が消えると予想されている。その仲間入りをしたくない大学は工夫を重ね、免許社会の日本をにらみ、免許の取得できる学部の設置、移行へと走る。想像力のたくましい、感性の鋭い人材を育成するよりも、社会で生き抜く力をもつ人材を良しとする傾向にある。つまり、「器」という人材の素養を考えたとき、大学はスケールの大きな人物よりも堅実な人物の養成に熱心である。社会に変化があれば、高等教育機関もその変化に対応して変わらざるを得なくなる。
『ビジネスアイ』紙のコラム名は、「高論卓説」であった。そのコラムに適した内容の原稿を書くことができたという自負がないにつけ、当時の社会状況に照らして自論を展開した。六年の歳月にわたっての連載、毎月、書くことを楽しみにさせていただいた。私は日体大の武道学科一期生であり、日大大学院では体育・スポーツ史とポーツ人類学を専攻した。少々、変わった学問をした者の一人として、様ざまな偏見や一方的な意見が渦巻いているかもしれないが、私の個性と断じて容赦していただきたい。
最後に産経新聞社と『ビジネスアイ』編集部に御礼を申し上げる。また本書の編集と刊行に御苦労をおかけした渡辺義一郎氏にも御礼を申し述べる。
二〇二一年春 吉日
松 浪 健 四 郎
夏休みを目前にし、各大学の運動部関係者は多忙だ。合宿先を決めたり、練習試合の相手校を探したり、新人勧誘をしたり、あらゆる調整をする。
大学の運動部は、とくに私大のそれは、ただの「文武両道」のための組織ではなく、れっきとした広報を担う装置。だから、「スポーツ推薦入試制度」を八七%の大学が設ける。多様性に富んだ人材を集めるためと説明するが、本音は宣伝である。
全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の予選、関東大会等の地区大会、大学関係者はスカウトのために疾走する。インターハイ、国体の戦績は、大学入試と同様で高く評価される。
高校の花形スポーツは、申すまでもなく野球である。どのスポーツも野球と比べればマイナー。各高校は甲子園を目指して一直線。有力な私立高などは全国にスカウト網を張りめぐらす。
大学の花形は、正月の箱根駅伝。が、この大会は全国大会ではなく、関東の大学選手権でしかない。正式には「東京箱根間往復大学駅伝競走」という。関東大学陸上競技連盟に加盟する大学に出場資格があり、それ以外の大学は蚊帳の外。なのに、大学スポーツ界の頂点にあり、国民的人気を博す。
正月の風物詩となって久しく、各メディアは競って報じる。関東の大学は、この箱根駅伝の出場枠を獲得すべく、全学挙げて血眼となる。全国に大学名を売る最高最大のイベントと表現してもよいだろう。テレビの視聴率は、実に三〇%前後とNHKの紅白歌合戦並みで、しかも二日間にわたって放送されるのだ。
卒業生やその家族に活力を正月から与えることができるばかりか、受験者数もアップする。いや、大学のメジャー化への近道、一気に全国区の大学へと上り詰めるチャンスなのだ。
今年、創価大が初出場を果たし、沿道に「創価大学」の応援の幟が列をなした。この広告メリットは、出場校ならではのもの。本数に制限がないゆえ、創価学会の力を同時に見せつけた。
電通の調査によれば、優勝効果は三〇〇億円に上るという。企業が同額の宣伝費を使うのは日本でも十社程度、駅伝に力を入れる理由がそこにある。
しかし、駅伝の強化は一筋縄ではいかず相当の強化費が必要となる。強力なスタッフを抱え、全国から毎年一〇人くらいの有力ランナーをスカウトせねばならない。が、有力各校が有望選手に好条件を提示し、勧誘合戦に参入してくるので、新興大学の入り込む余地は少ない。外国人ランナーも含め、強化費は突出する。
それでも、大学当局からすれば、正月の箱根路を走る効果は絶大だとソロバンをはじく。名門校への道のりは険しくとも、これも大学の重要な一つの挑戦、経営載略の要として取り組む。
駅伝ほどではないが、野球、バレーボール、サッカー、バスケットボール、柔道、剣道などのスポーツも大学イメージのためには大切である。宣伝効果の高い冬のスポーツとしてラグビー、フィギュアスケートに力を入れる大学もある。
強化部を指定して二、三の運動部に全力投球する大学がある一方、古豪の総合大学や日体大のように強化部を限定できない大学は苦戦を強いられ、近年、強豪地図が変化しつつある。これらの変化も、全て受験者人口の減少の影響と感じる。 (二〇一五・六・二三)
少子化のあおりを食って、やがて幾つかの地方自治体が消滅すると民間団体が発表する以前より、政府は「地方創生・再生」策に躍起だ。今年度予算の内訳をみても、多くの省庁がそのために予算を計上している。
昨春、日体大は「地方への貢献と連携のあり方」を検討する中で、二〇二〇年のオリンピック・パラリンピックをいかに地方で生かすべきかを議論した結果、「五輪は東京都民だけではなく、全国民の行事である」と結論づけた。そこで、地方自治体とスポーツ振興・健康づくりのために協力協定を締結することとなった。
昨年から今年にかけて、すでに全国十五自治体と締結し、さらに約二十の自治体と締結の準備を進めている。原則は全国道府県の自治体の中から一、二市町村と結ぶことにした。ありがたいことに、口コミで急速に広がりつつあり、うれしい悲鳴が学内で上がっている。
できるだけ過疎化の進行する小さな自治体を元気にすべく、選ぶことにした。和歌山県の北山村や山梨県の小菅村など、人口一千人にも達しない自治体との交流を開始すべく協議会でプログラムを作成中だ。
全国に日体大OBがおり、この卒業生たちが協力してくれる。そうした卒業生らに定年退職後の活力を与えるのにも役立つ。「青少年に夢を、お年寄りに健康を!」をキャッチフレーズにして、地方貢献のために大学は大わらわである。オリンピックのムードを全国的に盛り上げる効果もあろうし、大学の存在感も増す。
昨年十月末、国連総会では国際オリンピック委員会(IOC)が提唱するオリンピック・ムーブメントが全会一致で採択された。スポーツマンシップやフェアプレーの精神の重要性が認められたのだから、建学の精神と重なるがゆえ、日体大の活動が加速する。
日体大には安価で宿泊できるゲストハウスがある。大学に来ていただければ、近代施設でオリンピアンから直接指導を受けることができる。また、防災教育、人命救助法等も学ベる。年輩者には健康寿命を延ばすための指導も行われる。大学の人材と施設を活用していただき、学生たちも実習として手伝う。
五輪教育は、つまるところ平和教育である。その普及こそがスポーツ振興の肝であると考え、老若男女を問わず、すべての人たちに興味をもっていただけるようにプログラムを作成した。
もちろん、自治体からの要請があれば、日体大の一流指導者やオリンピアンを派遣する。さらに各運動部の合宿先は、締結自治体を優先し、地域おこしにも貢献したいと考える。そればかりか、その自治体の名産を大学が購入するよう努めている。先日も、岡山県美作市のジビエ(鹿肉)を一五〇〇㌔㌘購入し、とても喜んでいただいた。
いずれにせよ、自治体と大学がウィンウィンの関係になるようにしなければならない。日体大も首都圏のローカル大学化している危機感もあり、この協定は大学の地方宣伝にも役立つ。
大学には地方創生のための補助金は出ないが、地方貢献こそが使命であるし、学生たちの実習の場が広がる。
各大学は、いかにして地方貢献できるのかを考え、地方創生・再生に寄与すべきであろう。自治体の消滅よりも大学の消滅の波の方が早くやってくるのだから。(二〇一五・七・二二)
二〇一八年以降、大学進学者が激減する。ついに少子化の波が大学へまで押し寄せ、「二〇一八年問題」と謳って大学関係者は深刻に捉えている。
予期していた問題ではあるが、対策を講じていない大学は、あたふたするほかない。とりわけ、地方の大学は深刻で、定員割れを加速させるにちがいない。大規模大学(学生数八千人以上)は、文部科学省の通達で入学定員を少し上回る人数しか入学させることができず、経営に余裕がなくなる。間違いなく、大学は〝冬の時代〟を迎えねばならない。
ところが、少子化であるのにもかかわらず、障害児が増加傾向にある。文科省の一二年の推計では発達障害の可能性があるのは小中学生の約六・五%に上り、各自治体は支援学校の増設や学級数の増加におおわらわであるという。一般教員は余る状況だが、特別支援学校教諭免許を保持する教員不足に頭を抱えているとも耳にする。
大学でこの種の免許を出すために教員(研究者)を集めようと努力しても、専門家が少なく困難を極める。私の日体大も、やっと今年から免許の出せる陣容を整えたが、ここまでたどり着くのに四年を要するほどだった。この分野は重視されず、光が当たらなかったゆえ、専門家が多くない印象だ。国立の旧学芸大(現教育大)の専門分野だったのだ。
だが、パラリンピック大会の開催が決定し、障害者アスリートにスポットが当たるようになった現在、とりまく環境が変化しつつある。障害児教員の教員希望者も増加し、障害者を見る目にも変化が生じつつあろうか。昨年末、閣議決定された「東京五輪政府方針」においても、「パラリンピックの参加数を増加させる。オリンピックと一体的に運営する」とされ、パラリンピックを重視する姿勢を強調している。障害者の自立や社会参加を促す機会と位置付ける方針を明確にしたのは評価できようか。
各大学は、競って看護師養成の学部や学科を増設しているが、それでも看護師不足は続くという。増加中の障害児教育の教員不足はあまり報じられないが、この小さな声に応じようとしない大学ばかりである。
文科省は、この分野の教員免許を出す専門家の養成を急ぎ、教員の増加を促進させるべきだろう。地方の定員割れしている大学は、看護師養成だけに走るのではなく、多彩な免許を出す工夫をすべきだと思う。時代は、虚学から実学へと移行していて、資格や免許を出す学部や大学に人気が広がっている。
来年四月、日体大は北海道網走市に附属高等支援学校を開設する予定だ。私立大が、この種の高校を持つのは稀で、日体大は私学として挑戦することにした。ほとんど利益の見込めない高校であるが、特徴のある個性的な私学の特別支援学校が日本にあってもいいではないかと決断した。
網走市の協力をいただいて、地方再生・創生の理念に沿って、開校準備を進めている。
この特別支援学校の特徴は、まず知的障害者を対象とし、一学年男子四〇人でスタート。スポーツを基軸に農業での労作教育、そして芸術(書道、音楽、陶芸、絵画、彫刻)の三本柱を教育の骨格とし、全寮制である。生徒は北海道を優先しながらも全国から集めたいと考えている。
女満別空港から二五分、立地条件や環境にも恵まれた立派な学校であると自負しているが、開校までにはやるべき仕事が多いのは申すまでもない。
日体大附属高としたのは、特別支援学校教諭免許を出すための実習校としたからである。実習生が寝泊まりできる施設も完備した。
少子化をにらんで、いかなる工夫をすべきか、社会貢献と相まって、大胆に挑戦せねば生き残れない大学。私どもは、パラリンピックを脳裏に描いて、高等支援学校設置にかじを切った。 (二〇一六・一・二一)
近年、「創立一三〇周年」「創立一五〇周年」などとうたう大学が目立つ。明治期に諸々の学校が創立され、脈々とその伝統を継承し、歷史を積み重ねてきた大学群。私が勤務する日本体育大学も体育とスポーツ指導者養成一筋、今年で「創立一二五周年」。六月には記念式典を開催する。
大学入試のセンター試験前後、各紙には大学の広告が競うかのごとく躍った。受験生を増加させたい目的は当然ながら、卒業生に母校の元気さを伝達する狙いもあり、世間に大学の存在を認知してもらう宣伝効果もあろう。少子化で受験者が激減する「二〇一八年問題」を控え、各大学は危機感をもって必死の体、サバイバル合戦の火蓋が切られて久しい。
大学をブランド化させるためには、独自性に富む個性が求められる。歴史ある大学は、確固たるスクールカラーが定着していて、圧倒的な強さで受験生をひきつける。伝統は魅力的で、各界で活躍する一流の卒業生たちが広告塔ともなる。
日体大は、体育教員養成の古くからのチャンピオンであっても、それだけでは受験者数を伸ばせない。オリンピック開催の追い風をいかに活用すべきか、私どもは「創立一二五周年」と合わせて研究した。ただ、トップアスリートの育成だけでは限りがあるばかりか、逆に敬遠されてしまうからだ。
身体にまつわる科学と文化の総合大学にしよう、という発想から保健医療学部を設置した。「医療も日体大のフィールドです」とのコピーが功を奏し、多くの受験生を迎えることができた。若者間に人気のあるスポーツトレーナーになるための柔道整復師の資格や救急救命士の資格を得るこの学部は成功した。
日体大生は、毎年、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員として、約五〇名が短期・長期で発展途上国に派遣されている。海外で体育指導、スポーツ指導に携る学生が多数いる。そこで、専門の国際系学部を立ち上げようと準備中だ。
安倍晋三首相が、オリンピック招致に際し、「わが国は途上国のスポーツ振興に指導者を派遣して協力する」と述べられたので、そのタフな要員を日体大で育成しよう、となった。
グローバル化社会にあって、国際協力のための人材が求められる。ましてや国策に合致した人材育成は、大学にとってプラスとなるに違いない。
また今年から、F1レーサーとパイロット養成も開始することにした。思い切った施策が求められるのにくわえ、日体大生の運動能力を多方面で発揮させたいのだ。全て講座制で希望者が選択できるようにした。
F1は、トヨタ系列の企業に協力をいただいてスタート。パイロットは米国ボーイングの協力を仰ぐ。
実技授業の単位を講座に読み替え、卒業単位として認定する。費用については、選択者負担。既に選択者があり、日体大卒のレーサーやパイロットの出現する日が楽しみだ。今後の経営は創意工夫と創造力、柔軟性と若者の心理追究に尽きる。
産官学協調の時代、企業と連携、あるいは独立行政法人と組んで教育をするのは社会の流れである。たとえリスクがあろうとも、挑戦せねばならないと覚悟する。現状維持など許されないのだ。挑戦をしないリスクの方が、はるかにリスクの高いことを大学経営者は認識せねばならないと腹をくくる。教授会には経営責任を問えず、理事者側こそが、スピード感をもって本気にならねばならない。
「一二五周年」を漠然と迎えるのではなく、大学改革の機会と捉える必要があろう。各紙への広告は、寄付金をねだる意味もあろうが、全ての人の共感を得る挑戦が大切だと考えている。
(二〇一六・二・一〇)
タチヨミ版はここまでとなります。
2021年3月1日 発行 初版
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