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一
人が人と接する時に、その人の何をはじめにみるだろうか。外見だろうか、身なりだろうか、それとも才能だろうか。才能は見分けがすぐに付きにくい。才気溢れる者ならばすぐに判るが、「努力家」はなかなか判らないだろう。
「努力」とは「才能」の一つである。それは性格として顕れてくる。文才や画才も、それを前提としている。「努力」がなければ、殆どの事は成し得ないだろう。いくら優秀な能力があったとしても、努力を欠いてしまっては維持できない。
その点において、太田正夫(おおた まさお)は才能があった。「努力」という才能があったのだ。それは父親譲りのものかも知れなかった。
正夫の父親は、昔堅気の職人では無かった。商売をしていて、本や文具を売る小さな店の店主だった。鼻眼鏡を掛け、ワイシャツの上にジャンパーを羽織っていた。ネクタイは緩く結ばれていた。白髪が少し目立ちはじめていたが、毛染で黒くしていた。文房具屋の名は「回文堂」といい、学校の文具や昔馴染みの常連客でもっているような小さな店だった。
「いらっしゃい。今日はいい天気だね」
回文堂は正夫の自宅であり、小さいころから入り浸っていた場所だった。正夫は背が低く、余り目立たない少年だった。本が好きで、図書館や本屋さんで良く遊んでいた。回文堂の父親も、店番をしながら正夫の相手をしてくれた。
文房具には不思議な魅力がある。正夫は、いつもそう感じていた。赤のペンやボールペン。とりわけ、万年筆の格好の良さは群を抜いていた。それは大人の魅力だと、正夫は感じていた。いつか万年筆で文章を書いてみたいものだと、常々思っていた。正夫の父親は万年筆を持っていたが、殆ど使っているところを見た事が無かった。万年筆は五千円から一万円位のものが回文堂の店先に並んでいた。正夫の父によれば、買っていくお客様向けというよりも、父自身が眺めたいために置いていると云うことだった。
正夫の父は、幹夫という名だった。文房具屋の匂いが付いたジャンパーは、正夫の少年時代を想起させた。毎日、学校が終わると、宿題の入ったランドセルを背負って、回文堂に通うのが、正夫の日常だった。友達は多い方だったが、学校が終わるとすぐに回文堂へ行くので、放課後に遊ぶ友達はあまり居なかった。
その父の影響だろうか。四十二才になった正夫の夢は、本を出版することだった。
―― 本の出版。
電子書籍などに代表される電子メディアによる出版物を、正夫は好んで読んでいた。殆どが無料で閲覧可能だった。
―― 父の入院。
その知らせが入ったのは、三日前のことだった。急性の脳梗塞。日頃の不摂生が祟ったのだろうか。緊急の入院だった。
「親父、大丈夫だろうか」
すぐに手術が行われ、幸いにして幹夫は一命を取り留めた。しばらく昏睡状態が続いた。しかし、回復力が勝り、昨日目を覚ましたとの連絡が、正夫に入ったのだった。
「親父、少し良くなったかな」
病院へ向かう道すがら、自動車の車中で、正夫は何度もそう繰り返した。悪夢のような三日間だった。ご飯が喉を通らなかったのだ。四キロ、体重が減っていた。
車を病院の駐車場に停め、正夫は父親のいる集中治療室へと向かって急いだ。気ばかりが急く。
「あの、太田幹夫の家族ですが……」
集中治療室の入り口の窓口で正夫はそう告げ、中に入った。
ベッドの中で、酸素マスクをつけた父が、静かに眠っていた。看護婦が声を掛けると、幹夫はゆっくりと目を開けた。
「親父、大丈夫か」
「……正夫か……」
「大丈夫、すぐ良くなるって」
「心配かけたな」
「今は、ゆっくり休んで」正夫は安堵のため息をついた。
「済まない」
「大丈夫だよ」
「あの、ご家族の方にお話があります」
正夫はその声に振り返った。医師と看護婦がこちらを見ている。
「それじゃ、また」
そう言って、正夫は医師たちの方へ向かって歩きはじめた。
「今後のことなのですが……」
医師たちによると、左半身に麻痺が残る可能性が高いらしい。また入院は三ヶ月間位になるのだと云う。
「そんなに長くかかるんですか」
医師は静かに頷いただけだった。
―― 今後、回文堂はどうしよう。
そんな思いが脳裏をかすめた。
「いっそのこと、回文堂を継ごうか」
今までしていた仕事を辞め、回文堂の店主となったらどうだろうか。
それはいいアイディアに思えた。
正夫は今、スーパーマーケットの魚売り場で、刺身を切ったり盛り付けたりする仕事をしていた。かれこれ十年になる。お盆やお正月には、朝早くから出勤し、包丁を握った。立ち仕事の大変な仕事だったが、定収入を得ることが出来ていた。
その魚売り場を辞め、家業の文房具屋を継ぐことを考えていたのだ。
―― そして、もう一つ。
「店番をしながら、小説を書けないだろうか」
それは正夫にとって、人生の夢の一つであった。小説を出版したことは無かったのだ。自費出版を主にしている出版社は、インターネットで幾つか検索にヒットしていた。そこでは、有料で本の企画・編集・校正・印刷・流通まで行ってくれるサービスがあった。
正夫は今まで、インターネットのサイトやブログ、SNSの小説を読んできた。全部読むだけだった。その習慣から脱却したかったのだ。
病院からの帰り道のことだった。携帯電話が鳴った。正夫は車を停め、電話に出た。
「オフクロか……。はい、もしもし……」
「正夫、お父さんのことをさっき聞いたの」
正夫の母親の梅子だった。梅子は父の幹夫そして正夫と別居していた。家を出て三年ほど経つ。ささいな口ゲンカがきっかけで、家を出たのだ。
「お父さんの所へ、お見舞いに行ってもいいかしら」
「もちろんいいさ。あの……」
「何?」
「オレ、回文堂を継いでもいいよ」
それは二人にとって触れてはならない話題のひとつだった。母の梅子は、正夫に文房具店の回文堂の仕事に就いて欲しいと願っていたのだ。スーパーマーケットの仕事に魅力があった訳ではない。文房具屋の収入の低さが問題だったのだ。
「どうして、急に」
「親父の後を継ぎたくなったんだ。店番をしながら小説を書くのもいいかと思って……」
「正夫……」
電話の向こうで、泣いているような声が聞こえた。
「少し、バイトするよ。コンビニなんかでね」
「……ありがとう、正夫」
「大丈夫さ」
正夫の新しい生活がはじまろうとしていた。
まず、近所のコンビニへバイトの応募に行った。いつも行く店ではないが、割と近くのコンビニだった。応募書類を届けて二日後、面接予定の電話があった。
「明日の午前十時頃から、面接をしたいのだけれど……」
「有難うございます。十時ですね、分かりました」
電話の相手は五十代位の男性で、おそらくコンビニの店長かと思われた。二〜三分位用件を話し、明日は宜しくお願いします、と言って電話を切った。
「親父にことわっておこうか」
正夫はそう思い、父の入院する病院へと車を走らせた。病院は、車で二十分位の場所にある救急病院で、市内で一番大きな病院だった。
「親父。……あ、オフクロが来たのか」
病室に入ると、父の幹夫はベッドに横になっていた。テレビの上に、見舞いの人が持ってきた花のカゴが置かれていた。ベッドのまわりには、服や洗面器が綺麗に整理されて置いてあった。
「……正夫か」
幹夫が目を覚まして、声をかけた。気力だけで動いているように、正夫には感じられた。
「親父、あのさ。回文堂の仕事を、僕にさせて貰えないだろうか」
「……有難う。お前に任せてみようと思う」
「大体はさ、分かるよ。時々、仕事を教えてくれたからね」
正夫はスーパーマーケットの仕事が休みの日に、時々、文房具屋の仕事を教わっていたのだ。
―― 将来、必要になるから。
それは母の梅子が常に言っていたことであった。
「オフクロには、感謝しなきゃね」
「そうだな。優しいな、梅子は」
幹夫はそう言うと、テレビの上の花カゴを見つめた。
「忘れられていなかった。もう、忘れようとしていたのに」
ポツリと、幹夫が洩らした。正夫は黙って頷いた。
「オフクロにさ、言ったんだ。僕が回文堂を都合と思っている、って」
「正夫……」
「収入が足りないところは、コンビニでバイトするよ。そして、小説を書きたいんだ」
「分かった。有難う」
正夫はしばらく話をした後、病院を後にした。明日は、バイトの面接がある。今日は早めに休んで、明日に備えよう。そう考えながら、正夫は帰路を急いだ。
次の日は、緊張の連続だった。朝、ベッドの中で早くに目が覚め、まんじりともせずに横になっていた。
軽めの朝食を済ますと、すぐに昨晩書いた履歴書を何度も確認した。家を出るまでの数時間は、苦行のようだった。車で面接先のコンビニへと向かう。約束の十分前に、コンビニへと辿り着いた。
「あの、店長さんはいらっしゃいますか」
「はい。奥の部屋におりますが……」
「面接を受けに来た、太田と申します」
正夫は、カウンターにいた四十代位の女性に声をかけた。
この女性がもしかしたら同僚になるかもしれない。そう思うと、正夫は不思議な感覚にとらわれた。縁とは、本当に繊細なものなのだろう。明日の自分を想像した正夫は、身震いした。
「今、店長を呼んで参ります」
「有難う」
二〜三分して、奥の部屋から男性が現れた。白い帽子を被った男性は、五十才位だった。
「店長の田中です。奥へどうぞ」
「はい」
雑然と物が積まれた通路を抜け、奥の小部屋に行き着いた。監視カメラの映像が映ったテレビが幾つか据えられた休憩室のようだった。
「まあ、掛けて」
「はい。これ、履歴書です」
正夫はそういう言いながら、A4の封筒を手渡した。緊張で顔がこわばった。
「まあ、リラックスしてよ」
「はい」
店長の田中は、履歴書を見ながら話を続ける。
「どうして、バイトをしたいと思ったの?」
「家業の文房具屋だけでは、生活が苦しくて仕事をしようと思ったんです。それと……」
「それと?」
正夫は息を飲み込むと、一気に告げた。
「小説を出したいんです。自分の本を」
店長の田中は少し面食らった表情を見せた。
「小説?」
「はい。いつか、作家デビューしたいんです。子どもの頃からの夢なんです」
「小説か、いいね」
その後、十分位面接は続いた。
「じゃあ、明日から来れるかな?」
「はい、大丈夫です」
「時間は、夜の二十時から二十四時までね」
そう結んで、面接は終了した。正夫は思ったより面接が簡単だったことに、少し拍子抜けした。
「ありがとうございました」出口で先ほどの女性が声を掛けてくれた。
「あの……」
「はい?」
「僕、明日からこの店で働くことになった太田正夫と申します。どうか宜しく」
カウンターの女性は、にこやかに微笑んだ。
「そうなの? こちらこそ宜しくね」
正夫と女性は微笑みあった。穏やかな時間が流れた。
二
五月の新緑が優しい風になびいた。車の窓から入る清々しい風が、正夫の髪をすいた。フロントガラスをこえて陽ざしが顔に照りつける。眩しさに、少し顔をしかめた。それは充実した時間だった。少し、倒れた父のことを思った。大丈夫だろうか。この先の道は険しくなりそうだった。
その時、携帯が鳴った。正夫は車を停めて、電話にでた。
「はい、もしもし……」
「正夫……」
「オフクロか、どうしたの?」
「実はお父さんの所へもう一度、行ってみたいの」
正夫は嬉しくなって、顔をほころばせた。
「そうしてもらえると助かる」
「ありがとう」
「僕、バイトの面接に受かったんだ」
「良かったわね、いつから?」
「明日からの仕事なんだ。オフクロは、いつこっちへ来るの?」
「私も明日からよ」
「実家の方へかな?」
「うん。正夫の分も食事を作ってあげられるわ」
そこまで言うと、梅子は一息のみこんだ。
「もう、家へ帰るの」
「良かったら、回文堂の方も、少し手伝ってくれないかな」
正夫はゆっくりと告げた。
「正夫は何のために働くの? わざわざ、スーパーも辞めて……。それだけ聞かせて」
正夫は噛むように語りかけた。
「……そうだな。自分自身の小説の為さ」
「小説の?」
「ああ。もう少しで、素晴らしいものが書けそうな気がするんだ」
「お父さんに似て、努力家なのね」
「有難う」
バイトを始めて三日が経った。ようやく深夜の勤務にも慣れはじめてきたところだ。
「いらっしゃいませ」
最初は先輩に付いて、商品のレジを打つところからだった。
「あと、この商品の在庫だけど……」
先輩の二戸部君――二十二才の青年だった――は、親切に丁寧に教えてくれた。
深夜の勤務は腕にきた。まるで鉛のようだった。
「ただいま」
真夜中のキッチンへ帰ると、テーブルの上に、夜食とメモ書きがあった。
―― 温めて食べてね。 梅子
夜食はいなり寿司だった。少しだけレンジで温めた。
優しく電子レンジがうなった。
「オフクロには、感謝しなきゃ」
チン、とレンジが鳴った。
翌朝、朝五時半に目覚ましが鳴った。
「朝か。もう……」
全身に疲れが蓄積していた。バイト始めて、今日で四日目。
一番辛い時かも知れないな……。一人そうつぶやいた。
カーテンをあける。六月の眩しい日ざしが正夫を包んだ。文机を部屋の南西の壁際に置いた。物の本で読んだところ、風水的に良いらしい。その位の知識しか無かったが、少しでも良いものが書きたかったのだ。
最初は何を書こうか。まずは、タイトルか。三十分経ったところで、止めた。
「コーヒーにしよう」
キッチンへ行き、ケトルを火にかけた。朝の光が目に眩しかった。
「おはよう、早いのね」
母の梅子だった。
「ああ、少し前に起きたんだ。小説を書こうと思って」
「もう書き終えたの?」
「いや、全然書けなくて……」
「焦ることは無いんじゃない」
正夫は梅子の言葉に、心救われるようだった。
「ありがと。もう少し頑張ってみるよ」
正夫はそう言って、部屋に戻った。手にはキッチンで淹れたコーヒーを持っていた。それを机に置くと、一息ついた。
「主人公は女の子にしようか」
まずは人物設定を決めようと、正夫は思った。レポート用紙に思いつくままに、筆を走らせた。
「名前は『ことみ』。歳は十一才くらいか。うん、美少女がいいな」
正夫は想いを馳せた。
―― ペガサスに乗るというのは、どうだろう。
そこまで考えて、タイトルが浮かんだ。
『ペガサスのつばさ』。これにしてみようか。それは、今日一番の収穫のようだった。それから三十分位、様々な設定を考えて、その日の執筆は終わった。
「正夫、ご飯よ」
一階から梅子の声が聞こえた。
「今いくよ、少し待って」
大きな声を出した。お腹がすいているということに、正夫は改めて気づいた。書きかけのレポート用紙をしまうと、正夫は部屋を出た。
正夫はキッチンに入った。テレビが付いていて、朝のニュースが流れていた。
朝食は、ご飯、だし巻き玉子、きんぴらごぼう、里芋の煮付け、そしてお味噌汁だった。
「ゆっくり食べてね」
「ありがと。いただきます」
梅子の手料理は、疲れた体に沁みるようだった。あまり濃い味付けではないが、確たる味がした。
「オフクロ、今日の品出し、手伝ってくれないかな」
「回文堂ね」
「ああ。少し分量がありそうなんだ」
正夫はご飯を食べ終えると、そう梅子に告げた。梅子は優しく頷いた。
回文堂の朝の仕事は雑誌の品出しである。付録の付いている雑誌を再梱包したり、店先に並べたりするのだ。これらは開店前に三十分程度の時間が掛かる。
十時きっかり。正夫は回文堂のシャッターを開けた。小さな店の中に、日の光が入る。闇に埋もれていた書店は、光に溢れた。
回文堂は、書店とは言っても半分は文房具店である。店の奥が住まいになった造りだった。奥が畳敷きになっていて、一段高くなっていた。父の幹夫はよくそこに腰かけて、正夫の相手をしてくれたものだった。回文堂は町医者や美容室に雑誌を定期的に届けたり、学校の文房具を扱ったりしている店である。そのため、固定収入はあるものの、それほど儲からないのだ。
今日も雑誌の配達がある。店を留守にする間を母の梅子に頼もう、と正夫は思った。
「オフクロ、ちょっと配達に行ってくるよ。その間、店番を頼んでいいかな」
梅子は、にこやかに頷いた。
「いいわよ。行ってらっしゃい」
美容室を二軒まわり、次の町医者に入った。
「いつもどうも、回文堂です。雑誌の配達に伺いました」
「あら、いつもの方と違うのね」受付の看護師がにこやかに応じてくれた。
「はい。父は今、ちょっと入院していて……」
「ああ、すると貴方が正夫さんなのね」
「え、ええ」
正夫は親しげに話しかけてくる看護師に少し戸惑った。
「こんなお顔をしていたのね」
「はい、まあ。でも、どうして?」
「お父さんの幹夫さんが、よく貴方のことを話してくれたの。お父さんは、どこか悪いの?」
立ち話は二十分に及んだ。
「では、これで」
「お仕事、頑張ってね」
新しい出会いに心を躍らせながら、正夫は軽自動車に戻った。エンジンをかけ、車をスタートさせる。新しい一日は、思いがけず好発進だった。
「九百三十二円になります」
「はい、丁度」
「ありがとうございました」
コンビニでの勤務は覚えることが多くて、何度も確認しながらの作業だった。
「あの、切手ありますか」
「はい。ええと……」
―― 切手か。確かこっちに……。
何度か引き出しを探した後に、正夫はようやく切手を見つけた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
次のお客様だった。
―― キレイな人だなぁ。
黒髪でショートカットの美人が、カウンターの前に立っていた。お弁当とお飲物を差し出される。
「あの、お弁当は温めますか?」
「お願いします」
「七百三十円になります」
「はい」
緊張して、少し声がうわずったのが、自分でも分かった。
「二百七十円のお釣りになります」
「どうも」
温めたお弁当の包みを渡す。少し指先が女性の手に触れた。
「ありがとうございました」
正夫はコンビニの自動ドアを出て行く女性を見送った。
―― また、会えるかな。
そうしているうちに、その日のコンビニの夜勤は終了した。
その女性――後で知ったことであるが、中島さんという名だった――は、何度もコンビニを訪れてくれた。
中島さんは、会社の帰りらしく、夕食か夜食を買っていくのだと思われた。二回に一回はサンドイッチで、飲み物はミルクティが多かった。時間は大体午後八時半位がほとんどで、まれに残業なのか午後九時頃になる時もあった。
中島さんは、黒髪のショートカットだった。スリムで、背は百六十五センチ位だった。時々浮かべる笑顔が愛らしかった。
それは、回文堂の店番をしていた時だった。
「あら、こんにちは」
中島さんが回文堂に入ってきたのだ。
「いつも、どうも」
「こちらでも働いていらしたのですね」
「ええ、まあ。ええと……」
「私、中島といいます」
「どうも、太田です」
正夫はようやくそれだけを言うことしかできなかった。
「素敵なお店ですね」
中島さんが微笑んだ。
「まあ、その……」
「いつから勤めていらしたの?」
「子どもの頃からずっとです」
「え?」
「ここ、僕の家なんだ」
正夫は照れながらつぶやいた。
「そうなのね」
「前は父が店番をしていたんだけど、今ちょっと入院していてて……」
「そうなんだ。くれぐれもお大事に。あ、これ下さい」
中島さんはそう言うと、黒のボールペンをカウンターへ置いた。
「いつも、このペンなの」
「お気に入りなんですね」
正夫は一途な人なんだろうと思った。
「ずっと使い続けるって、大事なことなのかもしれませんね」
正夫はやっとそれだけを告げた。
「愛することと同じね」
中島さんがクスリと笑った。
「いや、あの……」
正夫は真っ赤になってしまった。
「素敵なことよ」
「そうですね。中島さん、これ。僕からのプレゼントです」
正夫はレジの隣に置いてある、カラフルなメモ帳をつかみ、ボールペンと一緒に袋に入れた。
「素敵なメモ帳ね」
「僕のお気に入りなんです」
「お気に入りとお気に入りが出会ったのね」
「……はい」
正夫は嬉しくて天にも昇る心地だった。
「じゃあ、これで」
中島さんは、支払いを済ませると店を出た。
表の道へと出て行く中島さんを、正夫はぼんやりと見送った。
それから中島さんは、時折回文堂に立ち寄ってくれるようになった。嬉しいことに、時々立ち話をすることが出来た。
小説と回文堂とコンビニの生活は、それから三ヶ月程続いた。
父の幹夫が退院したのは、夏も終わる八月下旬のことだった。
「出来た。これで完成にしよう」
三ヶ月かけて、正夫は一本の小説を書き上げた。小説というよりは児童文学に近かった。タイトルは「ペガサスのつばさ」。原稿用紙で二百五十枚を超えていた。
「これ、中島さんが読んだら、なんと言うのかな……」
正夫はひとり、そうつぶやいた。
「今度、会った時に必ず、見てもらおう」
辺りはゆっくりと、白じんでいった。
(結)
2020年12月23日 発行 初版
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