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【無料】霊力使い小学四年生たちの京域信仰 第七話 堀川今出川 相国寺・清浄華院と大雨

坪内琢正

瑞洛書店



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第七話 堀川今出川 相国寺・清浄華院と大雨

「それにしても、車を借りるのに苦労したよな」
「ああ、そうだな」
 六月下旬、上京区の堀川今出川東入るを西向きに走っていた軽乗用車の中で、三人の若い男性が会話をしていた。彼らは、今朝、同じ上京区内の路地で同い年くらいの青年から軽乗用車を借りようとしていたときのことを思い出していた。

   *

「嫌だよ、僕の車なのに……それに、君たちはまだ無免許じゃないか」
 朝、彼ら三人の前で別の男性が話していた。
「まあ……そういうなよ、一日だけだから」
「俺たちもちょっとくらい車で遊びたいんだよ」
「そうは言うけど……」
 軽自動車の持ち主であるその男性は口篭った。
「な、ちょっとだけだから、いいだろ?」
 三人の男性のうちの一人が彼に迫った。
「ううん……」
 彼は気難しそうな顔になった。

   *

「あいつは体力もないくせに気だけは強いんだよな」
「ほんとに……空気の読めない奴だよ。ああいうのをコミュ力のない奴って言うんだよな」
今、軽乗用車の中で三人は談笑していた。やがてその車は烏丸今出川の交差点を東に進もうとしていた。
「だいたい免許のあるなしなんて関係ないよな」
「なくても普通に運転できるしな」
「そうだよな……、法律なんて、破るためにあるようなものだぜ」
「はは、まったくだ……」
「お、おい、前!」
 突然助手席にいた男性が叫んだ。軽自動車は赤信号のまま烏丸今出川の交差点に進入し、横断歩道を渡っていた子どもに向かって突き進んだ。
「う……うわっ!」
 運転席に座っていた男性が驚いて声を上げた。
 次の瞬間、その子どもの姿が消え、また、交差点に付近の軽自動車以外の全ての車両がその場で停止した。
「な……?」
 運転席にいた男性はきょとんとしながらブレーキを踏み、軽自動車を交差点にやや進入させて停めた。
「なんだ……? ほかの車が全部停まっているぞ……?」
「そんなことより、さっきそこに子どもがいなかったか?」
「降りてみるか」
 男性たちは恐る恐るドアを開け、軽自動車から降りて付近をきょろきょろと見渡し始めた。
「子どもがいないぞ?」
「見間違えたのか」
「いや……俺も確かに見たぞ。轢いていない……のか?」
 男性たちは言い合った。
「お主たちは今私が展開した虚空の中に移動しているのだ」
 そのとき、いつの間にか彼らの背後に、黒の雲水衣(うんすいころも)を着用した若い僧侶がいた。
「へ……?」
「な、なんだ……?」
 男性たちは驚いてその僧侶を見た。
「お主たちは今私が展開した虚空の中に移動しているのだ」
「へ……?」
「な、なんだ……?」
「お主に取り付いた鬼玉を我に与えよ」
 その僧侶は言った。
「は……?」
 男性たちがきょとんとしていると、その僧侶は右手を振り上げ、そこから白い光線を彼らに向かって飛ばした。
「え……!」
男性たちは慌ててそれをかわした。光線は道路に触れると爆発した。
「ひ……」
 彼らはそれを見て驚愕した。

   *

 一方同じ頃、珠洲と美濃は下京区新町松原下ルの下京図書館で読書をしていた。
 そのとき、二人の携帯電話が二度振動した。
「……?」
 二人はそれを見た。発信元は新蘭だった。
「美濃くん、また……」
「うん……、耐ちゃんとこに行こう」
 二人はそう言い合うと席を立った。

   *

「こんにちはー……」
 珠洲はベルを鳴らすと美濃と二人で宝心寺に入っていった。
「あ、珠洲ちゃん、美濃くん……」
 居間で耐が二人の方を向いた。他に司と雲雀が既に着いていた。
 程なくして、唯、淡水、弘明もやってきた。
「皆さん……暑い中申し訳ありません……」
 新蘭は子どもたちに詫びた。
「あ、いえ……大丈夫です……」
 珠洲が返事をした。
「また……末鏡に惑わされた神霊でしょうか」
 雲雀が尋ねた。
「はい……今度は上京区の方です……」
「わかりました、行きましょう……」
 弘明が言った。
「ありがとうございます……、それでは、北山さんと謝さん以外の六名の方、先でお願いします……」
 新蘭が言った。
「あ、はい……」
 美濃が返事をした。その直後に、弘明と淡水を除いた六名の子どもたちの姿が白い光に包まれ始めた。

   *

「くそ……なんだあれは!」
「おい! こっちだ……!」
「に、逃げろ……」
 一方その頃、誰もいない虚空に取り込まれた烏丸今出川の交差点で、軽乗用車を運転していた三人の男性が車を乗り捨て、そのまま東に向かって走った。
「逃げても無駄だ……そんなこと、お主たちも実は気付いているのではないか、既に。今まで、ずっと、通常の正論を言わずに、偽りの正論を言って、それで逃げてきたお主たちであれば……」
 しかし僧侶はすぐに彼らに追いつき、そのうちの一人の胸倉を掴んだ。
「鬼玉を我に喰らわせよ……」
「うう……」
 するとその男性の胸元から黒い霧が発生した。僧侶はそれを吸い始めた。
「ん……?」
 そのとき、彼らの前に竜巻が俟った。風が治まると、その中から新蘭と六人の子どもたちが現れた。
「く……天路の従者か……」
 僧侶は呟くと、男性を手から離した。その男性はふらふらとその場に尻をついた。
「あの……、あなたはどちらの神霊でいらっしゃいますか?」
 珠洲が僧侶に尋ねた。
「我は御所の北にある万年山相国承天禅寺(まんねんざんしょうこくじょうてんじょうじ)、通称相国寺の神霊である。開基は足利義満(あしかがよしみつ)、開山は夢窓疎石、臨済宗相国寺派大本山であり、京都五山第二位に列せられている。金閣寺、銀閣寺も我の山外塔頭である……。天路の従者よ、我の邪魔をするのであればお主たちには幽世に行ってもらう……」
 その僧侶は相国寺の神霊と名乗ると、数珠を掛けた右手から神幹を放った。それは雲雀と唯の方に向けて飛翔した。
「……!」
「危ない……!」
 その神幹を二人は慌ててかわした。
「逃がすか……!」
 相国寺の神霊は再度二人に向けて神幹を放った。ところがその神幹が当たる直前に二人の姿はその場から消えた。
「な……?」
 相国寺の神霊は二人の姿が消えたことに驚いた。一方、雲雀と唯は光筒による瞬間移動の技を使って彼の背後に行っていた。
「唯ちゃん……!」
「うん……!」
 雲雀と唯は呼応しあうと、光筒を相国寺の神霊に向けた。
「な……後ろか……!」
 相国寺の神霊は慌てて背後を振り返った。しかしそのときには既に二人の光筒は薄い緑色の光を発していた。そしてそれは彼に向かって飛翔した。
「光筒……た、耐えられるか……」
 相国寺の神霊は憔悴しながら両腕を顔で覆った。すぐに光は彼に衝突し、そして爆発し、音と煙を出した。
「やったの……?」
 司が恐る恐る呟いた。
 そのとき、煙の中から突然幅、高さ二メートル程度の洪水が発生した。
「え……?」
「――!」
 美濃、司らは慌ててそれから逃れたが、珠洲、耐がそれに飲み込まれた。
「す……!」
 美濃と司は慌てて洪水の中に飛び込むと、それぞれ珠洲、耐を連れ出した。しかし二人は大量の水を飲んで意識を失っていた。
「……治癒の技でなんとかならないかな……」
「やってみよう……」
 二人はそれぞれ珠洲と耐の口元に光筒を宛がった。するとすぐにそこから薄い緑色の光が発生した。
「耐ちゃん……? 珠洲ちゃん……?」
 一方雲雀、唯も慌てて光筒による瞬間移動で四人の元にやってきた。
「七二候の第三六番目は、『大雨時に行く』である……。我の神能として雨水を使った。……お主たち、治癒などしている余裕はあるのかな?」
 一方相国寺を覆っていた煙はいつの間にか晴れており、その場に彼は立っていた。
「相国寺さん――」
 その姿を見た美濃たちは茫然とした。
「先ほどの光筒、危うく幽世に戻されるところであった……やはり天路の従者の力は恐ろしいな」
 相国寺の神霊はそう言うと、再び右手を上げた。
「相国寺……待て……!」
 そのとき、美濃たちのさらに背後から若い男性の声がすると共に、一筋の神幹が彼の眼前を通過した。
「な……?」
 相国寺の神霊は慌てて顔を上げた。そこに縹(はなだ)色の法衣に蘇芳(すおう)色の袈裟を着用した若い僧侶が立っていた。
「え……」
「誰……?」
 相国寺の神霊も、美濃、唯らも彼の姿を見て訝しんだ。
「あ、これは失礼しました……」
 その僧侶はつかつかと美濃たちの元に歩み寄ってきた。
「私は寺町広小路に所在する清浄華院(しょうじょうけいん)の神霊です……。浄土宗七大本山の一、八六〇年、清和天皇の勅願により円仁が開基、浄土宗祖法然を改宗開山としています。創建以来京都以外に伽籃を構えたことがなく、御所の傍にあり続けたため、山号がないという珍しい寺院です。立地条件も幸いしたことから皇室、幕府からの帰依が篤く、一四二九年には一〇世等煕が後円融、後小松、称光三天皇の戒師となり香衣綸旨をあてられ、菊紋章入紺地金襴の大衣を賜りました。近世以降はやや衰微したものの境内には近世以降も皇族の陵墓が多数あります。寺紋は近世までは菊花門でしたが、近代以降は皇室に配慮し、菊花に葉をかけた『葉菊紋』を使用しています」
 その僧侶は清浄華院の神霊と名乗り、淡々と口上を述べた。
「え……は……」
 美濃たちはその口上をぽかんとしながら聞いた。
「清浄華院よ……お主も鬼玉を喰らいに来たのか」
 相国寺の神霊は清浄華院の神霊に向かって尋ねた。
「さぁ……どうでしょう」
 そう言うと、彼は右手を上げようとした。
「清浄華院よ……待て……!」
 そのとき、美濃たちのさらに背後からまた若い男性の声がするとともに、一筋の神幹が飛翔してきた。
「――」
それは雲雀の頬を掠めた。
「……っ! しまっ……」
 すぐにその男性の憔悴する声が聞こえた。美濃たちが振り返ると、そこに、浅葱色の衣冠を着用し、檜扇を手にした若い男性が立っていた。
「え、あなたは……」
 美濃がその男性の名前を尋ねた。
「あ、私は……」
 その男性は口ごもった。
「天路の従者殿、あなた方を狙うとは、あの者も末鏡に惑わされた神霊と見受けられます……、相国寺の神霊と合わせて幽世に御戻りいただきましょう」
 清浄華院の神霊はそう言うと、やや俯き、ほくそ笑んだ。そして再び右手を上げ、それをさっと下ろした。
 すると突然、美濃と雲雀の前に体長五〇センチメートルくらいの巨大な金魚が、水もないのに空中に出現し、泳ぎ出した。
「え……」
「金魚……?」
 二人はそれを見て驚いた。すぐにその金魚は二人の脇を三センチメートルほど啄んだ。
「――!」
「あ……」
 二人は激痛に耐えかねてその場に倒れた。
「え……?」
 それを見た司と唯は驚かされた。
「金魚売り……近世後期から始まったらしいですが夏の季語ですね、戦後になってからはもうその姿は見られなくなってしまいましたが……、神能にはちょうどいいですね」
 清浄華院の神霊はニヤリと笑いながら言った。
「え……清浄華院さん……?」
「まさかあなたも……末鏡に……」
 司と唯は恐る恐る尋ねた。
「ええ……、御察しがいいですね、さて金魚たちよ……あの二人も幽世送りにしてしまいなさい」
 清浄華院の神霊は言った。すると二匹の金魚はそれぞれ司、唯の方に向かってやってきた。
「――!」
「わ……や、やめ……」
 二人は慌てた。そのとき、二本の神幹が飛翔し、その金魚たちに直撃した。
「な……?」
「え……?」
 清浄華院の神霊も、司も唯もその光景に驚いた。煙が消えたとき、金魚たちも消えていた。二人がその神幹の来た方を向くと、そこに先ほどの衣冠の男性が立っていた。
「よかった……」
 その男性は呟いた。
「え……あ、あの、あなたは……」
 司が再度彼の名を問うた。
「私は御所の西側、蛤(はまぐり)御門付近に鎮座する別格官幣社、護王神社の神霊です ……祭神を和気清麻呂公とし、御所守護の神社として、明治一九年こと一八八六年に高雄神護(たかおじんご)寺から遷座しました……。ご承知の通り、和気清麻呂公は平安京、即ち京都の造営を桓武天皇に建言した者です」
 その男性は護王神社の神霊と名乗った。
「あの……護王神社さん、あなたは末鏡に惑わされてはいないのですか? さっき、雲雀ちゃんを狙ったようにも見えたのですが……」 
 唯が尋ねた。
「はい……清浄華院の神霊を狙ったつもりが手元が狂ってしまい……、大変申し訳ございませんでした……」
 護王神社の神霊は唯たちに詫びた。
「く……護王神社だったか……、だかしかし、私の目論見の妨げとなる者は、全て幽世に行ってもらう」
 相国寺の神霊はそう言うと、右手を上げた。
「護王神社さん……!」
 唯はその様子を見て叫んだ。その直後に、相国寺の神霊が放った神幹が護王神社の神霊に向かって飛翔した。
「……!」
 護王神社の神霊はそれをかわすと、檜扇を掲げ、さっとそれを振り下ろした。
「な……!」
 護王神社の神霊の檜扇からも神幹が出現し、相国寺の神霊に向かって飛んでいった。彼は慌ててそれをかわした。
「護王……、これ以上邪魔はさせません……!」
 続けて清浄華院の神霊が護王神社の神霊に向けて神幹を放った。
「あっ……!」
「護王神社さん!」
 護王神社の神霊は今度はそれを避けることができず、清浄華院の放った神幹の直撃を受けた。彼の周囲を煙が俟い、やがてそれが晴れたところで、護王神社の神霊は倒れていた。
「護王神社さん……」
 司と唯は慌てて彼の元に向かおうとした。
「おっと……残る天路の従者共……あなた達も幽世に行っていただきましょう」
 そのとき、清浄華院の神霊が二人に向けて言い放った。それを聞いた二人は硬直してその場に立ち止まった。
「これで全員ですね……」
 清浄華院の神霊は右手を上げた。司と唯は憔悴した。
 その直後に、清浄華院の神霊の眼前を一筋の光が通り過ぎた。
「――!」
 清浄華院の神霊は慌てて背後を振り返った。そこに弘明と淡水がいた。
「弘くん……」
「淡水ちゃん……!」
 その姿に司と唯も驚いた。
「司くん……、唯ちゃん……、お待たせ……!」
 淡水は二人に向かって言った。
「うわ……また酷い……」
 一方、弘明は、珠洲や美濃たちが倒れている状況を見て茫然とした。
「な……天路の従者が増えたというのですか」
 清浄華院の神霊も二人の出現に驚いた。
「弘くん……、唯ちゃん……、あの神霊、清浄華院の神霊と相国寺の神霊の鎮魂をお願い……」
 唯は二人に頼んだ。
「わかった……、淡水ちゃん……」
 弘明は頷くと、淡水に呼び掛けた。
「うん……」
 淡水もそれに呼応した。そして、二人は清浄華院の神霊に向かって光筒の光を放った。
「な……光筒……!」
 清浄華院の神霊はそれに驚愕した。しかし弘明と淡水の視点の狙いが不十分だったためか、その光は清浄華院の脇すれすれを通過した。
「あっ……」
「く……天路の従者共……これを喰らうがいい……!」
 そのとき、二人の正面から相国寺の神霊が神幹を放った。
「――」
「え……」
 その神幹は弘明の左腕と、淡水の右肩を直撃して通過した。二人はすぐにその場に倒れた。
「あ……ああ……」
「弘くん……、淡水ちゃん……」
 その様子を見た司と唯は震えだした。
「おっと……まだ二人残っていたな」
 相国寺の神霊はそう言うと、再度右手を上げた。
「え……」
「嫌……」
 二人は怯え続けた。しかし相国寺の神霊は容赦なくそこからすぐに神幹を放った。
「ああっ!」
 その神幹は司の脇に直撃し、彼はその場に倒れた。
「く……」
 唯は怯えながらも光筒を相国寺の神霊に向けた。
「お待ちなさい……、あなた一人で何ができるというのです……?」
 清浄華院の神霊はニヤニヤと笑いながら言い放った。
「えっ……」
 唯は周囲を振り返った。自分以外の天路の従者は全員倒れていた。
「――」
 その状況はより一層唯を恐怖に陥れた。
「く……移板は……。……!」
 新蘭は袖から移板を取りだした。能源は満ちていた。
「これで終わりです……、天路の従者共……!」
 清浄華院の神霊は右手を上げた。
「池田さん……、皆さん、移板、行けます……!」
 直後に新蘭が叫んだ。同時に、唯、子どもたち、新蘭、護王神社の神霊と、軽乗用車に乗っていた三人の男性の姿がすぐに白い光に包まれ、そしてその場からその光ごと消えた。
「な……は……?」
「これは一体……」
 その場に取り残された相国寺と清浄華院の神霊は茫然とした。そのとき、二人の背後の空中に黒い霧が現れた。
「末鏡に惑わされた神霊たちよ……困惑しているようだな……」
 その黒い霧の中から祟道神社の神霊の声がした。
「な……」
「何奴……?」
 二人の神霊は訝しんだ。
「我は上高野、祟道神社の神霊……末鏡の意思と一体となった者だ……」
「な……末鏡の意思と一体、ですか……」
「そうだ……、天路の巫女が使ったのは移板だ。一度に多数の者を長距離移動させることができる……、しかし移板の通ったところには霊気の跡が残る……。その跡をつけていけば、いずれ再び天路の従者たちとも、そして……鬼玉を発生させた者とも遭遇できるであろう……」
 祟道神社の神霊は淡々と説明した。
「それは……」
「祟道神社の神霊殿、ありがとうございます」
 相国寺、清浄華院の二人の神霊はそれを聞いてニヤリと笑った。

   *

 その直後、とある狭い幅二メートル程度の小道いっぱいに、球体の白い光が発生し、その中から、唯、子どもたち、新蘭、護王神社の神霊と、軽乗用車に乗っていた三人の男性の姿が現れた。小道の左右には萩が植えられていた。
「え……ここは……」
 唯が不思議に思った。
「申しわけありません……急ぎでしたので、行き先は設定していません……ですが、移板が誘導したところですので、なんらかの神霊と関わりのある場所である可能性が高いと思われます……」
 新蘭が唯に言った。
「そうなんですか……」
 唯は相槌を打った。
「あの、池田さん、御力がありましたら、皆さんの治癒を……」
「あ! そうですね……!」
 唯は頷くと、慌てて司たちのところに駆けていった。
「あの……」
「巫女さん……」
 そのとき、新蘭の背後に、軽乗用車に乗っていた三人の男性たちがおずおずとやってきた。
「この騒ぎはいったい……僕たちはなんでまた、巻き込まれたのでしょうか……」
「あ……それはですね……この騒動の元凶がそもそもあなた方にあるからなのです……」
 新蘭は言った。
「え……」
「俺たちに……?」
 男性たちはきょとんとした表情で顔を見合わせた。一方唯は司の脇に光筒を宛がった。するとすぐに光筒は薄い緑色の光を発した。
「待ってて……司くん、みんな……、すぐに治すから……」
 唯は呟いた。
「く……天路の従者よ……治癒などして随分と余裕だな」
「――」 
そのとき、彼女の前方から相国寺の神霊の声がした。唯は目を蒼くしたまま顔を上げた。その先に相国寺と清浄華院の神霊の姿があった。
「あ……あ……」
 唯は怯えながらもふらふらと立ちあがり、光筒を前に出そうとした。しかしそれよりも先に清浄華院の神霊が右手を上げた。
「これで終わりです……天路の従者……!」
 清浄華院の神霊はその手をさっと振り下ろした。すぐに唯に神幹が飛来してきた。
「ひっ……」
 唯は涙交じりに強く目を閉じた。
 そのとき、彼女の背後から一筋の別の神幹が飛翔し、その神幹と衝突した。二つの神幹は激しい音と煙を出した。
「……え……」
 神幹の衝撃が来ないことを不思議に思った唯は恐る恐る目を開けた。
「大丈夫でしたか……?」 
 そのとき、彼女の背後から声がした。振り返るとそこに、白の狩衣を着た若い男性がいた。
「え……あ、あの、あなたは……」
 唯はその男性の名前を尋ねた。
「私はここ、梨木(なしのき)神社の神霊です。あちらをご覧ください……」
 その男性は梨木神社の神霊と答えると、背後を指差した。その奥には楼門があった。
「あ……」
「一八八五年、久邇宮朝彦(くにのみやあさひこ)親王の令旨により、三条家の邸宅跡、御所の東、寺町広小路上ルに、三条実美の父、実万(さんじょうさねつむ)を祀るために創建された別格官幣社です。後、一九一五年に、明治政府最高指導者、太政大臣三条実美公も合祀されました。『染井(そめい)の水』と呼ばれる、京都三名水の一つが湧き出る井戸でも有名ですね」
 梨木神社の神霊は続けた。
「梨木よ……お主は、まだ末鏡には惑わされておらぬのか……?」
 相国寺の神霊が尋ねた。
「そうですよ」
 梨木神社の神霊は答えた。
「く……それでしたら厄介ですね……、残念ですが、あなたには幽世に行っていただきましょう……」
 清浄華院の神霊はそう言うと、さっと右手から神幹を放った。
「……!」
 梨木神社の神霊はそれをさっとかわした。
「天路の従者さん……!」 
 そして唯に向かって呼びかけた。
「あ……はい……!」
 唯はそれに答えた。
「池田さん……どうか落ち着いて撃ってください……、照準を合わせなくとも、視点を合わせれば、光筒は狙ったものを撃ち抜きます」
 新蘭が唯に言った。
「はい……」
 唯はそれにも答えた。そして、光筒を前に出し、並んで立っていた相国寺と清浄華院の神霊二人の姿をじっと見つめた。すると彼女の光筒には『Iy』という文字が浮かび上がり、薄い緑色に光り始めた。
(撃って……!)
 彼女は念じた。すると筒から光が飛び出し、すぐに相国寺と清浄華院の神霊の神霊を撃ち抜いた。
「あ……ぐ……」
「うわあああ……」
 二人は叫び声を上げた。同時に二人の周囲を煙が俟った。その煙が薄れたとき、二人の姿は消えていた。
「……終わった……」
「あ……はい……、二人の霊気は完全に消えました……」
 唯の呟きに新蘭が答えた。
「あ……そうだ、みんなの怪我を……!」
 唯は慌てて再び司たちの元に駆けていった。
「あの、巫女さん……」
 そのとき、新蘭の背後から再び恐る恐る軽乗用車に乗っていた男性たちが声をかけた。
「さっき、この騒動の原因は僕たちにあるって仰ってたのですが、思い当たることが……」
「実は僕たち、さっきまで、連れから無理やり車を借りて運転していて……しかも無免許で……それで危うく人を跳ねるところだったんです……」
 男性たちは自白した。
「ああ……それは鬼玉が発生しそうな状況ですね……」
 新蘭も頷いた。
「はい……すみませんでした……」
「無理やり借りて……彼のことをコミュ力がない奴、だなんて……。コミュ力、なんて、実際、奴隷力って意味で使っていました。悪ぶるどころか、悪を正と言っていたんです……」
 若者たちのうちの一人が言った。
「今気付きました……、『自力作善』や『本願誇り』を正当化した上で、『悪人正機』につけこんでの『過剰補償要求』や『過剰同調要求』は、『真正』でない『偽正』です……」
「僕も……本当のことに気付いた……。そこに陥ってた時点で対話を通じさせようとはしなかった……。でも、それに付き合っても、いずれストレスが溜まって去るのは時間の問題で、自分の時間の浪費でしかない……」
「うん……本当に自分が正しいと思えるんだったら、少し上から目線になってしまうけど、小さな声でボソボソでもよかったはず……大きな声でコミュ力なんて使って、総論多用、揚げ足取り、特徴差別……実は、すでに自分がおかしいって気付いてたのに、さらに上から目線を維持し続けようとして……その時点から、もう僕は話し合いの通じる人でなくなってた……。これは……同調病……?」
「そうか……。それは……反抗期は、どれだけスタンダードになって、自称広い社会を作ってても、それに同調してもすぐに動物じゃない人の受容を超えるストレスになるから、そこから避難するか、あるいは、もっと適切なのは、最初から、はっきりと拒否を示したうえで、稀にいる、その、同調病患者を正常化するには、心苦しいけど、必要最低限の自衛措置しかなかった……。同調して嗤うことと、KYになること、どっちがまとものか……、武蔵野風に正反対にしてた……」
「スタンダードと思ってた武蔵野は動物園だった……。僕は本当は「上から目線」にならなくても済む人と出会いそれを増やしていきたかった。その動物たちは人に成長する可能性を持ってた。動物小屋で僕がするべきことは、それを人に成長させることだけのはずだった……」
「ええ……それがいいと思います」
 新蘭は少し苦笑しながら言った。
「あの……もしかして、皆さんはこれからもあのような怖い神様との戦いを……」
 続けて、彼らのうちの一人が新蘭に尋ねた。
「え……あ、はい、おそらくは……」
 新蘭はそう言うと俯いた。
「そんな……」
「あの、何か僕たちにもできることはないでしょうか……」
 彼らは新蘭に言った。
「……」
 新蘭は俯いたままだった。
「あ……」
 その様子を見た若者たちも俯いていった。
「ない、というわけでもないのです」
 新蘭は呟いた。
「えっ……?」
 彼らは顔を上げた。
「ですが……それは本心なのでしょうか」
 新蘭は尋ねた。
「はい……。僕の本心です。気付きました……。ようやく、かもしれないですが」
「僕も……」
 若者たちは言った。
「わかりました……。あの、長田さん、すみません……池田さん、すみません、少しの間だけこちらにきていただいてもいいでしょうか」
「え……? あっ、ごめん、司くん、ちょっと待ってて……」
「うん」
 唯は司が頷くのを見てから新蘭と若者たちの元に向かった。
「あの……池田さん、お持ちの光筒を、彼らの前に出していただけますか」
 新蘭は彼女に頼んだ。
「えっ……? あ、はい」
 唯は奇妙に思いながらも新蘭の言われるままに光筒を若者たちの前に差し出した。
「皆さん……この筒に手を当てて、少しの間だけ、祈っていただけないでしょうか……。他に、同じような目に遭う人がいた場合に、その人が助かりますように、と……、祈るだけでいいのです」
「えっ……」
「わかりました」
 若者たちは唯の光筒に手を当て、軽く目を閉じた。
「……?」
 直後に唯の光筒の先端と反対側が薄い緑色のように光り、それは数センチほど、先ほど濃い緑色に、爪のように少し伸びた。
「え……?」
 唯はそれを見て驚いた。
「はい……もう大丈夫です、手を離してください」
「えっ……」
 新蘭に言われるままに若者たちは唯の光筒から手を離した。
「これは筒爪と言います……。池田さんの光筒が多少威力が上がりました。また、これは切り取って他の光筒に付け足すこともできます」
「そ、そうなのですか……」
 若者たちもその説明に驚かされた。
「あの、他にももし僕たちに何かできることがあれば……」
 他の若者が声を上げた。
「それは……。今は……皆さんの周囲で、鬼玉を発生させそうな方に、注意をしていただくくらいしか……」
 新蘭は俯きながら言った。
「え……」
「わかりました……。今はまだ、僕たちは、ヒーロー扱いにされてしまうかもですが……、周りで同じような目に遭う人を、少しでも減らしたいです……」
「これくらいしかできなくてすみません……」
 彼らは新蘭と唯に詫びながら答えた。
「あっ、いえ……」
 それを見た唯が声を口にした。
「……?」
 若者たちは彼女の方に顔を向けた。
「ここにいる皆さんが応援してくださって私はうれしいです、あ、あの、ありがとうございますっ」
 唯は笑顔になって彼らに礼を述べた。



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2021年1月17日 発行 初版

著  者:坪内琢正
発  行:瑞洛書店

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坪内琢正

※ 改行多数のため、ツイプロ及びブログメッセージボードをご参照ください。 〇ツイプロ:http://twpf.jp/sigure_pc 〇ブログメッセージボード: http://blog.livedoor.jp/t_finepc/ ※ アイコンの下のイラストはつばさちゃん/しいねちゃんですが、小説の珠洲ちゃん、美濃くんの外見イメージにも近いです。二人のイラストも募集しております。

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