spine
jacket

───────────────────────



【無料】霊力使い小学四年生たちの京域信仰 第一一話 元田中・田中神社の孔雀と干菜寺

坪内琢正

瑞洛書店



───────────────────────

第一一話 元田中・田中神社の孔雀と干菜寺

 八月下旬の夕方頃、京都市北区紫野(むらさきの)の空は赤く染まっていた。
ところが、その近くの船岡山(ふなおかやま)の頂上付近だけは、黒い霧が溜まっていた。
「これは末鏡の力……あれが復活したのか……、いいだろう、ならば我は……」
 そして、低い男性の声がその付近からした。
 その後程なくして霧は消えていった。
一方同じ頃に、京都市左京区にある叡山電車元田中駅近くの、豆腐の加工工場の事務室の隣の休憩室で、長テーブルについた椅子のうちの一つに座っていた、初老のスーツ姿の男性社員に、一人の若い男性社員が詰め寄っていた。
「室長、今日こそは定時で帰らせてください! 子どもが体調不良なので……」
「何を悪いことを言っているんだ! だめだだめだ! 休憩が終わったら美しい労働に戻れ!」
 若い社員に対し老人が叱責に似たようなものをした。
「それは私のセリフですよ! だいたい、月給一九万の正社員とうたっていながら、入ったら、うち二〇時間の残業代が最初から含まれている、さらに、毎日退社は二二時頃で、週に八〇時間は残業がある……、これではアルバイトが長時間拘束されているだけではないですか! 先日も診察に行ったら、ビタミン剤を処方されたんです、これだって、労災なのではないですか? 私の子どもの頃、殆どの家であった父母の揃っての団欒の時間が、大半が取れていないではないですか!」
「いい加減にしないか、この根性なしめ! うちのライバル会社が価格を下げ、よりコンビニエンスなサービスをユーザー、そしてその先にいる消費者に提供しているんだ! 誰もがみんなコンビニエンスなサービスを崇め奉っているいるじゃないか。俺たちの世代は体育系から、ひ弱な理系や女性に至るまで、みんな誰しもがそうなのだ! それこそが唯一真実の正義だ! 子どもには、多くの大人たちが既に言っている言葉を言ってやればいい、『悪魔の子どもめ! お前を生み出したのは間違いだった!』と! それに反発する一部のマイノリティなど弱者だ、弱者こそ悪者だ、だからその非力を、とっても爽やかな俺たちの笑顔で笑ってやればいい! それは人間としてとっても笑える愉快な光景なのではないか! ……さあ、わかったら後で仕事を続けろ。いや、その前に……俺はちょっとコーヒーを買いに行くつもりだったんだが……お前もついてこい」
「え……はい……」
 そういうと、初老の男性、そして渋い顔をした若い男性の二人は、休憩室、そして工場を出て、細い道を進み、田中神社の前を通り過ぎた。二人の他には、通りには誰もいなかった。
「……」
 二人はその近くにあった自動販売機の前に立った。
「今日は静かな道だな……、ふむ……ブラックでいいか……」
 初老の男性は呟いた。
「……およこせ……」
 その時、二人の背後から、低い別の男性の声が聞こえた。
「……?」
「へ……?」
 二人が振り返ると、そこに、時代錯誤な中古時代風の、緋色の狩衣を着た男性がいた。
「なんだ……、祭事でもやっているのか?」
二人は彼を見て奇妙に思った。
「鬼玉をよこせ……!」
 彼はつかつかと初老の男性に歩み寄り、その胸倉をさっと掴んだ。すると同時に、彼の体中から、黒い霧がゆらゆらと吹き出した。
「な……?」
「ちょ、ちょっと……!」
 二人の男性は困惑した。
「くくく……」
 狩衣の男性は深呼吸をしてその霧を吸った。
「! ああああ!」
「えっ?」
 霧が吸われると同時に、初老の男性は苦痛を訴え始めた。それを見た若い男性はさらに驚きの声を上げた。

   *

 ジョロジョロと地面に水が流れていた。その近くに、大輪を咲かせている向日葵の根元があった。
「このくらいかなぁ……」
「うん、まぁまぁだと思うよ」
 耐と雲雀の声がした。
「これでラストだよね……」
「うん、みんなありがとう」
 珠洲と、再び耐の声がした。女子三人は、耐の家である宝心寺の庭の向日葵群に夕べの水やりをし終わったところだった。今日はたまたま、男子二人はまだ来ておらず、代わりに雲雀が先に耐の家に遊びに来ていた。
「じゃ、庫裏に戻ろっか」
 耐が快活に言った。
「すみません、皆さん……」
「わっ」
 その時、耐の背後から新蘭の声がして、彼女は驚いた。
「あ……新蘭さん……、また出たんですね……」
 珠洲が神妙な面持ちで新蘭のほうを向いて言った。
「はい……、ほかの皆さんにも、すでに文字で連絡しています」
「わかりました……」
 珠洲は頷いた。
「ふふ……珠洲ちゃん、みんなが、都合がつかなくても、自分は行くよって顔してる……」
「えっ……」
 珠洲は耐のその指摘を聞いて戸惑った。
「大丈夫、私たちも行くよ」
 雲雀が穏やかな顔で珠洲に言った。
「あっ、う、うん、二人とも、一緒に行こう」
 珠洲も少し口元を緩めながら二人に言った。

「おいっ、室長を放せ、このっ!」
「ぬ?」
 一方、件の自動販売機の前で、若い男性が、狩衣姿の男性の腕を掴み、強く引っ張った。するとその腕は、掴んでいた初老の男性の胸倉を放した。
「変質者……? ひとまず逃げますよ!」
「あ、ああ」
 二人の男性は走ろうとした。
「無駄だ」
「ひっ!」
 狩衣の男性は、慌てていた初老の男性の胸倉を再び掴んだ。
「室長!」
 少し走り出したため離れていた若い男性が叫んだ。一方、初老の男性からは、再び黒い霧が発生していた。
「ふふふ……」
 狩衣の男性がほくそ笑んだ。
「や、やめろ……!」
 初老の男性も悲痛に怒鳴った。
「待ってください……!」
 その時、美濃の叫ぶ声がした。
「ん……?」
 狩衣の男性が、初老の男性の胸倉を放し、怪訝そうな顔で振り返った。
「あなたは……神霊さんですか?」
 司が彼に尋ねた。
「いかにもその通りだ……、天路の従者ども……意外と早かったか。我はここ、田中神社の神霊だ……、弘安年間(1278~88)、大国主命を祀る、この地の産土神として在る。現在の社殿、拝殿は、賀茂社にも縁のある、三つ葉葵の紋がつけられている……さて、そのようなことよりも……!」
 田中神社の神霊と名乗ったその男性は、自己紹介をしながらしたためていた右手の白い光、即ち神能を、司目掛けて放った。その光は司のいる足元の地面に当たり、そこからすぐに凄まじい爆風が舞い、彼の姿も土埃で見えなくなった。
「ふふ、次は……ん? これはいったい……」
 その土埃が晴れたとき、そこにあるはずの負傷した司の姿は見当たらなかった。それを見た田中神社の神霊は焦った。
「……!」
 そして彼は慌てて背後を振り返った。すると、他の天路の従者らと反対側の道路の先に、光筒で移動した美濃と司が、自分の姿を見つめていた。
「いかっ……」
(撃って……!)
 田中神社の神霊が狼狽する中、美濃と司が念じた通り、光筒から薄い緑色の光の弾が後線を引いて飛び出し、二つともそれは田中神社の神霊に直撃した。こちらもすぐに土誇りが舞い、彼の姿もそれに隠された。
「――」
「……」
 美濃と司は少し安堵したものの、黙ったままそれを見つめていた。
「……あっ!」
 そのとき、耐が声を上げた。
「え……あっ」
 司はそれに反応し、そしてすぐに顔の向きを変えた。塵の中から、自分に向かって体長二メートル程度の巨大な羽根を少し広げた孔雀が進んで来ていた。そしてその羽根はすぐに司を数メートルほど弾き飛ばした。
「司くん……! ……!」
 美濃は慌てて叫んだが、直後に硬直した。
「いあああっ!」
その孔雀は続いて自分のほうに来ており、すぐに自分も司のように宙に飛ばされた。
「司くん、美濃くん……!」
 雲雀が叫んだが、二人は地面に横たわってぐったりとしていた。
「す、スマホで救急車……ん? なんで……」
 それを怯えながら見ていた二人の会社員は慌ててスマホの電話をかけたが、繋がらなかった。
「きゃああ!」
 一方唯が悲鳴を上げた。孔雀は再度美濃の方に向かっていた。
「いやああ!」
 美濃自身も悲鳴を上げた。彼は再び孔雀に弾き飛ばされた。
「え……」
 一方、司は腰をどうにか上げ、彼も美濃の方を向き、絶句した。
「やめてええ! ぎゃああっ!」
 美濃は何度も孔雀に跳ね飛ばされ続けていた。
「……!」
 司は慌てて光筒を持つ手を少し上げた。
「おっと……それは困るな、そちらのお主たちもだが」
「――」
 田中神社の神霊の手中は既に白く光っており、いつでも司に当てられるように田中神社の神霊は彼の方を睨んでいた。孔雀や田中神社の神霊に攻撃の準備をしようものなら、司はすぐに神幹の餌食になるーー子どもたちもそれを悟った。
「どうしたら……」
 一方孔雀は攻撃の手を止めた。しかし美濃は既に意識を失っていた。
「我が社においては、孔雀が使いである。我の神能の代表の一つだ」
 田中神社の神霊は誇らしげに言った。
――ヒュン!
 そのすぐ後に、司の傍を風が吹いた。
「え……」
 そして、孔雀に白い神幹が当たり爆発し、孔雀の姿は消えた。
「な……!」
 それを見た田中神社の神霊は訝しんだ。
「へ……?」
「今のは……」
 また、弘明、珠洲他子どもたちも当惑した。
「神能はどうにかできたようですね」
 そのとき、司の背後から、若い女性の声がした。
「えっ……」
 司が振り返ると、そこに目立つ萌黄の法衣に紫の五条袈裟を着た尼がいた。
「あなたは……?」
 司が訝しがりながら彼女に聞いた。
「あ……これは失礼しました、私は叡山電車出町柳駅の裏側にあります、光福寺……通称、干菜寺(ほしなでら)の神霊です」
「干菜……?」
「はい、干菜というのは、大根の草などを乾燥させたもののことです。もとは、還元(1243~1247)年間に、道空が、今の長岡京市浄土谷にあった東善寺で、一五八二年、月空宗心のとき、今の場所に移転しました。一五九三年、秀吉が鷹狩りの際に当寺に立ち寄ります。住職宗心は、小さな寺院のため、大したもてなしもできず、その干菜を恐る恐る差し出しました。気まぐれな秀吉のことです、機嫌を損ねただけで死刑でしょう。この時の秀吉は、おそらく宗心の態度もそれなりのものがあったためか、質素なものを食べ、天下人にすらそれを食事として出すという精神に感銘を受け、光福寺に、干菜山の山号を与えました。もちろん、機嫌次第の問題でしたが。また我が寺院には、『六斎念仏総本山』の碑文があります。六斎念仏は知恩院の秘儀ですが、室町期に後柏原天皇によってその総本寺とされたものです。さて、それよりも……」
 干菜寺の神霊と名乗った彼女は、自分と司の間にいた田中神社の神霊の方に目をやり、顔を強張らせた。
「え……」
「天路の従者の少年……、田中神社の神霊の鎮魂に協力してもらえないでしょうか」
「あっ……、はい、もちろんですっ」
 司は干菜寺の神霊の言葉に頷いた。
「待て、干菜……!」
 その時、二人のさらに背後から、田中神社の神霊とは別の男性の声がした。
「へ……? わっ!」
 司は振り向こうとして慌てた。その脇を、神幹の光弾が尾を引いて一筋通過した。恐る恐るそれが来た方、干菜寺のさらに背後に目をやると、そこに、松襲(まつかさね)の法衣に茶色の五条袈裟の若い僧侶が立っていた。司には、彼は少し取り乱しているように窺えた。
「あ、あの……」
「天路の従者殿、あなたを狙うとは……、また新たに惑いの神霊が現れたようです、ここは私にお任せください!」
 戸惑う司に、干菜寺の神霊はすかさず告げ、自らの右手を光らせ、そしてその神幹を、至近距離から司に向かって放った。
「え……」
 彼は驚きその神幹をかわそうとしたが、それは脇を少し掠った。
「痛ああっ!」
 司はその場に仰向けに倒れた。
「えっ……」
「つ、司くん!」
 耐が叫んだ。ほかの子どもたちもその光景に驚かされた。一方、干菜寺の神霊は、続けて右手を上げた。するとその上空に、一〇メートルもの長さの巨大な干菜が数束出現した。
「へ……」
「え……」
 戸惑っている子どもたちをよそに、その干菜は、珠洲と耐の手首と足首に絡んだ。
「あっ……」
「しまっ……ちょっと待ってえ!」
 二人はそれに引きずられた。
「二人とも……!」
 雲雀や唯の光筒を持つ手に力が入った。
「干菜寺さん、あなたも……よもや末鏡に……」
「ええ、お気づきですか。仰る通りですよ」
 雲雀の恐る恐るの質問に、干菜寺の神霊は笑い飛ばして答えた。
「あああっ!」
「いやああ!」
 一方、干菜は、珠洲と耐を逆さ向きに空中に持ち上げた。
「珠洲ちゃん!」
「耐ちゃん……!」
 唯と雲雀は光筒を構えようとした。
「待て!」
 その時、田中神社の神霊の声がした。二人がちらとその方を向くと、彼は既に神幹を光らせ右手をこちらに向けていた。
「う……」
 それを見た唯と雲雀は光筒を降ろした。
「ふあああ……!」
「おろしてよぅ……!」
 一方、逆さの状態の珠洲と耐を、干菜はそのまま向かい合わせに顔や胴体がくっつくように縛った。
「珠洲ちゃん……怖いよう……」
「……あふ……うぐ……」
「お前たちも一束になってもらった方が、攻撃がしやすいのでな」
 苦しむ二人を尻目に干菜寺の神霊は言い放った。そして、他の干菜が何本かの少し太めの束になり二人に近づいた。
「ひっ……」
「いや……やめて……」
「そうもいかない!」
 干菜寺の神霊はそう言いながらまた右手を上げた。
「ぎゃああっ! いやあああっ!」
「やめあああっ! 珠洲ちゃん近すぎゃああああ!」
 干菜の束の数々は、二人の体をまとめて勢いよく叩き始めた。二人は向かい合わせにくっつき逆さのまま、少し左右に回転し始めた。
「あああっ! 二人ともぅ……」
「やめてあげてよ!」
 雲雀と唯も、あたかも自分のことであるかのように嘆願した。
「あああふうっ! おろしてえぇ!」
「たすけいやああ! ぎゃあああっ!」
「いずれ痛くなくなるだろう。じわじわと続くがな」
 珠洲と耐の悲鳴をよそに、干菜寺の神霊が薄ら笑いをしながら言った。その直後に、巨大な茶色の袈裟が彼女の傍を通過した。
「ん……?」
 干菜寺の神霊がそれを気にすると同時に、その袈裟は逆さに縛られている二人の真下で停止した。そしてそれと同時に、二人の足のさらに上の干菜に、どこからか飛翔してきた神幹が当たり、二人はお互いに手足を縛られたままその袈裟の上に落下した。
「これは……」
 それを見た干菜寺の神霊はさっと背後を振り返った。するとそこに、袈裟のない先ほどの松襲の僧侶が仁王立ちをして、ちょうど右手から神幹を放った瞬間だった。
「な!」
 それは干菜寺の神霊の左胸を貫通し、同時に爆風を周囲にまわせた。
「う……あ……」
 爆風が去ったとき、干菜寺の神霊はその場で片膝をついていた。
「う……、あ、あの……」
 一方、その僧侶のやや後ろに倒れていた司は再び意識を取り戻し、地面を這いながらその僧侶に少し近づいた。
「あなたは、惑わされていないのですか、さっき僕を狙ったように見えたんですが……」
「あっ……! これは、先ほどの従者殿……!」
 その僧侶は少し焦りつつ振り返り、司の方に目を下げた。
「はい、惑わされてはおりません、先ほどは干菜寺を狙ったのですが、やつの動きもあって、私の神幹があなたに当たるところでした、本当になんとお詫びしていいか……」
「いえ……僕は大丈夫です……、あなたは一体……」
 司は聞いた。
「私はここから一キロほど南にある百万遍の神霊です。正称は百万遍知恩寺……最近までは知恩寺が正称でしたが、知恩院との混同回避のため、百万遍を冠しています。浄土宗知恩院派七大本山の一ですが、草創は浄土宗改宗より早い平安前期、円仁によるもので、地理的に下鴨社との関係が深く、神宮寺とされました。法然は下鴨社の招きでしばしば我が寺院を訪問していますが、彼の死後は、その弟子源智の派の拠点となりました。元弘元(一三三一)年、疫病蔓延の際、後醍醐天皇の勅令により、八世住職空円が念仏百万遍を実施したことからその号が下賜されました。その後、洛域各地を転々とします。現在のこの場所には寛文二(一六六二)年への移転ではありますが……それよりも、今は……」
 百万遍の神霊は、自分と、雲雀と唯との間にいる、二人の神霊に目をやった。
「く……このままでは……!」
 彼と目の合った干菜寺の神霊は憔悴し始めた。
「鎮まり去れ、干菜寺……!」
 百万遍の神霊は彼女に向かって叫び、その手に神幹を光らせ始めた。
「ああああ!」
 しかし聞こえたのは彼の悲鳴だった。
「え……」
 司が前を見ると、百万遍の神霊の視界からは逸れていた、田中神社の神霊が神幹を放った直後だった。
「ひゃくまんべ……」
「おっと、お前もだ」
「へ……? っいやあああ!」
 その光景を見て呆然としていた雲雀に向かって、田中神社の神霊が神幹を放った。それは彼女の左足に直撃し、彼女は痛みでその場に倒れ込んだ。
「雲雀ちゃんも……!」
 司は慌てて光筒を田中神社の神霊に向けようとした。
「小僧、貴様の相手は私だ!」
「……!」
 そのとき干菜寺の神霊の叫び声がして、司は彼女の方を向いた。その右手は既に白く光り輝いていた。
「あ……」
 それを見た司は間に合わないと感じ怯えた。
「司くん……!」
 その直後に、学校に行っているはずの弘明の声がした。
「え……」
「ん……?」
 司は驚き、また、干菜寺の神霊はその声のした方を向こうとした。
「あああぎゃあ!」
 そして彼女はすぐに悲鳴をあげた。右腹部を薄い緑色の光弾がえぐり、同時に爆風が舞い、彼女の姿がかき消された。
「……!」
 司がさっと光弾の来た方を振り向くと、弘明と、今それを放ったばかりの淡水がいた。
「二人とも……!」
 唯がその姿を見て歓喜しつつ叫んだ。
「あの神霊も……」
「うん……!」
 弘明と淡水は、田中神社の神霊の方を見て呼応しあった。
「な! 新たな天路なのか……!」
 二人の姿を見た田中神社の神霊は狼狽えた。
「そうは……いかぬわ……!」
「え……」
 突然、干菜寺の呻き声がした。そして、土埃の中から、一筋の白い光の弾が尾を引いて飛び出し、淡水の右肩を貫通していった。
「ぎゃああっ!」
 彼女は弱めの衝撃風に包まれつつ、仰向けに倒れた。
「淡水ちゃん……!」
 それを見た弘明も司も驚かされ、弘明は慌てて彼女の治癒をしようとした。
「まだだ……!」
 再度干菜寺の呻きがした。
「……!」
 弘明はそれを耳にし、手を止めた。
「いだああっ!」
 そしてすぐに悲鳴を上げた。彼にも干菜寺の神幹が当たり、若干の風の中で、彼もうつ伏せに倒れこんだ。
「こ、このままでは……移板は……、……駄目ですか」
 新蘭は慌てて移板を取り出したが、その能源量は不足していた。
「ひ、ふ、二人とも……!」
 干菜寺の神霊を挟んで二人の反対側で新蘭と共に立っていた唯が、隙を見て光筒を光らせた。
「させぬ……!」
 それを見た、干菜寺の神霊を包んだ煙の傍にいた田中神社の神霊が、唯に神幹を放った。
「……あ……」
 その神幹は、唯の左大腿に当たり、少しの風を舞わせた。彼女の体も宙に浮き、仰向けにさせた。
「ゆ……!」
 それを見た司は驚愕し、すぐに光筒をあげようとした。
「貴様もだ……!」
 しかし、すぐに田中神社の神霊が、右手を白く光らせ始めた。
「あ……ひっ……」
 司はその様子を見てさらに怯えた。
「移板……あっ!」
 そのとき、新蘭の目が大きく見開いた。
「長田さん、すぐに移板を使いますっ!」
 彼女は司に向かって叫んだ。そして移板を持つ右手を上げた。すぐに彼女と、司と、倒れていた他の子どもたち、二人の会社員、百万遍の神霊の体が白い光を放ち始め、各自の全身がそれに包まれ、そしてその光ごとその場所から消えた。
「天r……なっ?」
 田中神社の神霊は、司が突然姿を消したことに驚いた。そして周囲をきょろきょろと見渡し、他の子どもたちなども消えていることに気づき、さらに驚かされた。
「これはいったい……」
 干菜寺の神霊も同じように困惑していた。
「わからぬ……おのれ天路め……」
「ククク、困惑しているようだな」
 その時、二人の背後、クラス委員の二人が出現した辺りから低い男性の声がした。
「……!」
 二人の神霊は慌てて振り返った。するとその上空二メートル程度の上空を中心に、黒い霧が発生していた。
「む……?」
「何者……」
 二人の神霊は貌を強張らせた。
「案ずることはない、お主たち、船岡山の頂上に、社があることは知っているな? 名を建勲(けんくん)というが、我はそこの神霊だ」
「建勲神社の神霊……?」
「お主も惑わされているというのか?」
 二人の神霊は建勲神社の神霊と名乗った霧に聞いた
「そうではない……、お主たち、我の祭神は知っているか」
 建勲神社の神霊が聞き返した。
「いや……」
「かたじけないが、知らぬ」
 二人の神霊は答えた。
「織田信長だ」
「な」
「まことに……」
「明治近代化の際に、人物神の別格官弊社が各地に創建されたが……信長は我、風光明媚でのどかで、ほぼ当人を想起させない船岡山の山頂に祀られ、建勲神社の名を与えられた……。彼の破壊、破滅の衝動は、穏やかな船岡山によって抑え込まれている……、しかし彼を祀る以上、それは消えはしない……、我、建勲神社の神霊のうち、彼の破壊の衝動の心は、この度末鏡の意思と一体となった、それが我だ」
 その黒霧は建勲神社の神霊と名乗り出自を説明した。
「な、なんと……」
「天路の巫女は、劣勢を見て移板を用いたようだ……。一度に多勢の者たちを遠方へ移動させることができる」
「そ、それでは、我らは逃がしたのか」
 田中神社の神霊が悔しがった。
「案ずることはない、よく見るがいい、移板の経由した跡には、霊気の跡も残っている。それを辿っていけば、奴らの行った先もわかるであろう」
「はっ……、なるほど……」
「確かに……」
 田中神社と干菜寺の二人の神霊は薄っすらと笑った。

 とある草木の繁る場所の空間に、直径一〇メートルほどの白い半球体の光が出現した。
 その光はすぐに消え、そしてその中から新蘭、司の他はぐったりと倒れている八名の子どもたち、百万遍の神霊、田中神社付近の会社の社員二名の姿が出現した。
「……え、ここは……?」
 薄暗い木々の中で。司はきょろきょろと周囲を見渡した。
「すみません、急ぎだったので場所の指定はしていないのです……、ただ、何らかの神霊との関わりのある場所である可能性もあります……普通の山中かもしれないですが……」
 新蘭がすまなさそうに言った。
「は、はい……、ひとまず、みんなの治癒をしますねっ」
 司は慌てて、少し傍らで倒れていた唯の左大腿部に、直接光筒を充てた。するとそこはびくっと反応した。
「あ……司くん……」
「唯ちゃん……? よかった……、喋っちゃだめだよ」
 司は唯に言った。
「だ、大丈夫……、あ、あの……」
「え」
「筒爪……、私の光筒についてるんだ……、スカートのポケットの中……、前に六条河原町で貰ったやつ……」
「唯ちゃん、今は、喋ったら……」
「いいの……、筒爪……付けていて……」
「わかった……」
 司は唯を安心させようと、彼女の光筒を取り出し、その筒爪を自分の光筒に取り付けた。
「よかった……」
「まだ傷口が少しあるからよくないよ」
「うん……」
 唯は頷き、引き続き楽な姿勢で司の治癒を受け続けた。
「その子どもは……治らないであろう」
「—―!」
 直後に背後から田中神社の神霊の声がして、司の光筒を持つ手に汗が流れた。
「く……」
 唯も無念そうな表情を浮かべた。司の背後に、田中神社、干菜寺、二人の神霊が揃っていた。
「お前が最後の天路の従者だ……、これでようやく邪魔がいなくなり、鬼玉がいただける」
 干菜寺の神霊が憤りを見せながら言い放った。
「うむ……、天路よ、覚悟してもらう」
 そういうと田中神社の神霊はさっと右手を光らせた。司は振り向くこともできなかったが、後ろで何が起こっているかは察することができた。
「唯ちゃん、みんな、ごめんね……」  
 司は涙ながらに唯に笑って見せた。
「田中、手を降ろせ!」
 その時、初めて聞く若い男性の声がした。
「くっ……」
 田中神社の神霊の悔しがる声がした。司が恐る恐る振り返ると、そこに黒の闕腋袍に、銀の魚袋と金の飾り太刀をつけた若い男性がいた。
「あなたは……」
 司はその男性の名を訪ねた。
「こちらの社の神霊でございます」
 彼は笑顔で答えた。
「えっ……この木々は……」
 司はきょとんとした。
「糺の森(ただすのもり)の中なのですよ、こちらは」
「!」
 糺の森と聞いて、さすがの司もはっと目を見開いた。
「もうお気づきですね……、百万遍は私の神宮寺であったこともありました、明神第三位、勅祭筆頭、下鴨の神霊でございます。とはいえ、葵祭の方が著名ですので、私の井出たちも、その路頭の儀に参列する勅使代と同じ黒の闕腋袍なのですが……。賀茂氏は今の御所市から、木津川市、そして八瀬へと移動したと言われており、八瀬には境外摂社御蔭神社があります。毎年御蔭より当社へ、現代は一部を除いて自動車になってしまいましたが祭列があり、賀茂の神威を補充いたします。補充が終わったことを喜び、帝が勅使を当社に派遣しますが、それが葵祭です。……さて、今はそれより……」
 下鴨神社の神霊はさっと顔を上げた。
「ひっ……! 下鴨、ま、待て……」
 彼と目が合った田中神社の神霊は蒼褪めた。
「ええい!」
 下鴨神社の神霊はすぐに神幹を作りそれを田中神社の神霊に向けて放った。
「うっ……あああ!」
 田中神社の神霊はその直撃を受けた。彼の周囲に土煙が俟った。
「くっ……下鴨……」
「下鴨さん!」
 干菜寺の神霊と司とが同時に下鴨の名を呼んだ。干菜寺の神霊は彼に向けて神幹を放とうとしており、それを見た司は彼女を凝視した。
「!」
 下鴨神社の神霊も干菜寺の神霊の動きに気づいた。
(よく見て……撃ってっ!)
 司は念じた。
「く……ん? あ、ああっ……」
 干菜寺の神霊は、自分に向かって司が放った光筒の薄緑色の光弾が線を引きながら飛翔していることに気づき、一気に蒼褪めた。それはすぐに彼女を貫通し、その姿は土埃で見えなくなった。
 そして、少し時間が経った時、二人の神霊を覆っていた埃が消えた。その中に彼らはいなかった。
「今度こそ……鎮魂できたの……?」
「はい……、ご安心ください、二人とも、鎮魂できています」
 司の問いに、新蘭が告げた。
「よかった……あれ?」
 司は安堵して、すぐに自分の光筒が少し軽くなっていることに気が付いた。先ほど付けた唯から貰った筒爪が完全に消えていた。
「あ……筒爪がないや……。もしもなかったら、まだ戦いが続いていたのかな……。あっ」
 司は呟きながら、唯らのことを思い出した。
「みんなを治癒しないとっ」
 そして慌てて振り返り、すぐ近くで倒れていた子どもたち、まずは唯のもとに向かった。
「あ、あの……」
 その時、会社員の男性二人が新蘭の背後から彼女に呼び掛けた。
「……え?」
「気になっていたのですが、この怪異は、よもや我々に原因が……」
「ええ、その通りです」
 新蘭は毅然として言った。
「そんな……そのために、幼い子どもたちが、あんな大けがを負って……」
 二人は絶句した。
「あの……何か、僕たちにもできることはないでしょうか……」
 そして、室長の方の社員が恐る恐る新蘭に尋ねた。
「それは……、そうですね、ないというわけでもありません……。長田さん、すみませーん!」
 新蘭は、唯に続いて美濃の治癒に取り掛かっていた司を呼んだ。
「あ……、ごめん、新蘭さんが呼んでる……」
「わかった……きっと筒爪かな。僕は大丈夫だよ」
 美濃は司に笑って見せた。
「うん……、少し待ってて……」
 司は横たわっていた美濃に告げ、すぐに新蘭の元へ来た。
「筒爪でしょうか」
「はい……、こちらの大人の人からです……」
 新蘭は室長を軽く指して言った。
「わかりました……」
 司は頷き、自分の光筒を両手で握った。
「え……?」
 それを見た室長は不思議に思った。
「彼の、その手をですね……」
 すぐに新蘭が室長に筒爪の作り方を説明した。彼は司の手を、その上からそっと握った。すると光筒が薄緑色に光り、筒爪が構成された。
「な……」
 それを見た室長は驚きの声を上げた。
「あ、あの……」
 今度は若い方の男性が新欄に声をかけた。
「はい?」
「他には何か……、ああいったことが起きないようにするには……」
「それは……今はひとまず、自分に正直に、コンプライアンスを守るといった、ありきたりのことしか言えません……とはいえそれは大事なことですが」
「う……わかりました……でもそれだと、私たちだけでは大きな力にはなれないのでは……」
 若い男性は新蘭の説明に拍子抜けし項垂れた。
「あ、あのっ」
 その時、司が彼を呼んだ。
「え……?」
 二人の男性は司の方を向いた。
「筒爪……凄く嬉しいです、勇気づけられます、協力してくださって、本当にありがとうございますっ」
 司ははにかみながら彼らに礼を述べた。

 そのあと夕暮れの前に、回復した子どもたちは下鴨神社と百万遍の神霊と別れ、宝心寺に帰ってきた。
「ただいまー」
 耐が元気よく玄関を開けた。
「おかえりなさい……、と言っても僕の家じゃないけど」
 正が苦笑しながら子どもたちを出迎えた。
「わ、たあくん」
 雲雀、珠洲らは正の姿に驚くとともに、同じように苦笑した。そして子どもたちは正とともに一階の客間に入っていった。

「男の人の話だと、残業で、子どもの看病もできないって……」
 司は正に、男性からの話を伝えた。
「それは……正社員って、ただ単に拘束時間が違法なワープアなだけだよ……」
 正は俯いた。
「彼を取り巻く環境は異常すぎるよ。違法なのに、監督署はすぐに来てもくれないから、彼の会社……それだけじゃない、おそらく、同じ程度の価格で品物を提供している殆どが、そんな感じで、どこが最初に値を上げるかの浅ましい対立をしてる……」
「うん……」
 司は頷いた。
「監督署の権限強化……、それだけじゃない。独占は禁止、競争が大事っていう価値観ばかりを広めた結果、大半が、浅ましい行為に走っているイメージかな……。会社はあくまで、社員らが人々にスキルを提供する繋ぎの場でしかないよ。どこかが倒れそうなときは、協力、応援しあうことだって、書類さえ十分であれば、何もおかしいことじゃないはずなんだけど……」
 正は続けた。
「うん……」
「そうだね……」
 それを聞いた、珠洲、耐、雲雀らは頷き合った。
「お祈り……しようかな……祝詞奏で……」
 司が呟いた。
「うん……、いいねそれ」
 美濃が同意した。
「美濃くん、ありがとう……」
 司は美濃に礼を言った。そしてそっと光筒を両手で握りしめ、目を閉じた。すぐに光筒は薄緑色に光り出した。
「……」
 少しして司は再び目を開けた。するとその光も次第に消えていった。
「えへへ、意味があるのかどうか、わからないけど……」
 司は筒爪をもらった時と同じようにはにかんだ。
「多分、司くんの気持ちそのものには、意味がありそう」
 耐が言った。
「そ、そうかな」
「うん、そうだよ」
 司の言葉を聞いて、耐も彼と同じようにはにかみ、励ました。
「えへへ」
 それを聞いた司は三度はにかんだ。



【無料】霊力使い小学四年生たちの京域信仰 第一一話 元田中・田中神社の孔雀と干菜寺

2021年1月17日 発行 初版

著  者:坪内琢正
発  行:瑞洛書店

bb_B_00167715
bcck: http://bccks.jp/bcck/00167715/info
user: http://bccks.jp/user/138478
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

坪内琢正

※ 改行多数のため、ツイプロ及びブログメッセージボードをご参照ください。 〇ツイプロ:http://twpf.jp/sigure_pc 〇ブログメッセージボード: http://blog.livedoor.jp/t_finepc/ ※ アイコンの下のイラストはつばさちゃん/しいねちゃんですが、小説の珠洲ちゃん、美濃くんの外見イメージにも近いです。二人のイラストも募集しております。

jacket