spine
jacket

───────────────────────



新しい「時」を 友情を求めて

キリストめぐみの家 (代表)平川博達

yoshikawa-shimon-nobuyuki出版



───────────────────────




  この本はタチヨミ版です。

 目 次 ※このエントリを使う場合は「記事非表示」チェックを外してください


 
   ー新しい「時」を
     新しい神との「友情」を求めてー

  
   

   

第一章 幼子たちの天国の「とき」というものは、
     ー「どういう幸いの時」であったのしょうか。



1 それ故に、考えてみてください。

 
 みなさんも、 
 はじめてうまれたときの 
 「よろこび」をおもいおこしてみてください。

 ごぞんじでしたか。

 わたしの友人が あたらしく、
 このよにうまれかわったのは
 十月26日でしたが、
 ほんとうは
 そのいちねんまえに
 すでにうまれていたのです。

 おかあさんの
 おなかのなかに
 すでにいたのですよ。


 おかあさんの
 こころのこえを
 ずっときいていたのですが、
 そうして、おとうさんの

 「こころ」のこえも
 きいていたのですよ。


 2 そのころからも「ふしぎ」が「いっぱい」でした.


 ほんとうに

 わたしがうまれたときも
 そのあとも
 ふしぎがいっぱいでした。

 みてきたことも、
 きいてきたものも、
 ふしぎが「いっぱい」でした。


 「ふしぎ」がいっぱいでしたので

 まいにちが、たのしいことばかりでした。
 ひとりではあっても、
 「ふしぎ」が「いっぱい」でしたので、


 ほんとうに
 まいにちが
 たのしかったものでした。


 ほんとうに、ほんとうに

 「ふしぎ」ほど「いいもの」はありませんでした。



 3 そうしてイエスというひともまた、
   「かみさま」を
   「てんごく」の「おとうさん」とよんでいきました。


 そういうことでした。

 そのあと、イエスという人にもまた、


 ーわたしは エホバ。
  「あってあるもの」だよー

 という「こえ」がきこえてきた、というのではありませんか。

 その「こえ」がまた、「ふしぎ」だったのです。


 そのときの「こえ」が、
 「だれもいなかった」ときになると、

 また、

 -わたしは エホバ。
  「あってあるもの」

 といったのです。

 こえも、
 なにもみえなかったのですが、

 その「こえ」が、いつのまにか、
 

 ー「わたしの神」からもきこえてきた、ー

 と、いうようになっていた、と、いうではありませんか。


 ほんとうにやはり、イエスさまにとっても、「ふしぎ」が」「いっぱい」でした。



 4 なにもみえなかったときでも、
   ひとりぼっちになったときでさえ、「ふしぎ」が、「きこえていた」というでは、
   ありませんか。


 わたしは、その「こえ」をしんじました。
 なぜなら、それから、
 わたしもまた、そのかみさまのこえを

 しるようになったからです。 


 おもいだしてたのです。
 「おかあさん」のなかできいていたときから、
 「こえいたから、

 そうして、「おとうさん」のこえさえも、しるようになっていった、
 と、いうではありませんか。

 しんじられますか。
 「しんじてほしい」のです。

 「てんごく」にいるときは、
 いつも
 ほんとうに、「ふしぎ」が「いっぱい」で
 あったのですが、ーーーーしんじられますか。










 





 











 


 




  タチヨミ版はここまでとなります。


新しい「時」を 友情を求めて

2021年1月29日 発行 初版

著  者:キリストめぐみの家 (代表)平川博達
発  行:yoshikawa-shimon-nobuyuki出版

bb_B_00168046
bcck: http://bccks.jp/bcck/00168046/info
user: http://bccks.jp/user/139999
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

yoshikawa-shimon-nobuyuki

現在にところ、7000ページ程の原稿があります。発行した本もありますが、書籍化はまだしていません。  盲学校、知的障害者などの学校の教師の後伝道者になり、今は執筆をつづけています。

jacket