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哀しきパンチドランカー

鬼沢哲朗

鬼沢哲朗出版



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哀しきパンチドランカー
 前編  「鬱の風景」




 誰もが同じ経験をしたことがあるだろう。
 いつもの帰途。単調なレールの響きに誘われたうたた寝。そしてふとわれに帰った瞬間車窓に広がった見もつかぬ風景。…… 
 それはもちろん駅を乗り過ごしたということにすぎなかった。だがそのことに気付くまでのほんの数秒の間、私たちの怪訝はいかばかりだろう。――その間すべての記憶はまだ深い靄の中にある。だとしたら確かに私たちは何の脈絡もなく異境の列車に揺られているのだ。ここは一体何という土地で、自分は何のためにここに来たのか? いやそもそもこの自分は一体誰なのか? 
 ちょうどそれは唐突にこの世に生み落とされた赤子の困惑に似ている。そうなのだ。もし転生ということが本当にあるとしたら人はきっとこんなふうに生まれ変わるにちがいない。……

 だが私の場合はすべてがあまりにも奇異であった。
 いつもの帰途。単調なレールの響きに誘われたうたた寝。そしてふとわれに帰った瞬間車窓に広がった見もつかぬ風景――だがあの日そのようにして目覚めた私が見たのは、なぜか朝日にかがよう丘陵だった。

 冬の落葉樹の寒々とした梢。そこここの寒桜。まだやわらかな日の光をその東の面に受けながら風景の全体が凛冽な吸気を楽しんでいる。……だとしたら私は新しい朝に生まれ変わったのだ。
 突然K駅を告げるアナウンスが私の夢見心地を破る。K駅――それもまた耳慣れぬ名前だ。
 事態が呑み込めぬまま私は反射的に閉まりかけたドアをすり抜けるようにしてホームに降りた。

 もちろんそこでは私とていつまでも寝ぼけ眼ではいられなかった。
 冷たい冬の外気に顔を洗われながら私もまたおもむろにうつつに返る。
 眠りに弛んだ筋肉にやがて生気が満ちるように次第に記憶の空白が埋められていく。どんな目覚めもそうであるように、確かにそこには不思議な蘇生の感覚が伴った。生まれたての赤子のようなまっさらな白紙の心にこのかたの記憶が忙しく刷り込まれ、そのようにして非人称の「私」がようやく姓と名を担う。そんな不思議な蘇生の感覚……
 見知らぬ駅のホームに佇みながら私もそのようにしてようやく「私」のデータを取り戻していく。脳髄を曇らせていた靄は七分方まで晴れる。そこまではもちろん速やかだった。だが私の場合後の作業は多少の苦労を伴なった。そもそも残りの三分の回復が着手された瞬間に稲妻のような頭痛が私を襲ったのだ。
 二日酔い? 
 確かにそれは相当ひどい二日酔いの症状だった。だとしたら私は昨夜しこたま酒を飲んだのだ。それどころかきっと一晩を仲間と飲み明かしたのにちがいない。――もちろんそれは目の前の状況について新しい理解を与えていた。すなわち始発を待っていつもの路線に乗り込んだ私は、座席に腰を掛けたきり眠りこけてしまったというわけだ。……
 
 頭痛をこらえながら私は左手の腕時計を見やる。五時五十五分。だとしたらこのK駅というのは都心から一時間半も離れた郊外にあった。
 腕時計はもう一つのデータを私に与えていた。二月十日。木曜日。私はもう一度頭痛をこらえながら分別した。木曜日は五日制の私の会社の休日に当たっていた。だとしたら今の私には慌てて上りの電車に飛び乗って引き返すようなどたばたは必要ないようだった。いやそもそもさあればこそ昨夜の私も正体を失くすほど飲み続けることができたのではなかったか。
 私は自分の口元が綻ぶのを感じた。頭痛に悩まされながらも私はあらかたの記憶を取り戻している。そうすると私の心にもいつしかゆとりが生まれ、私は自分の下り立った周囲をゆっくりと眺め回し始める。

 車中からは人気のないように見えた丘陵も西側の斜面はすっかり開拓されて高層団地の棟が遠望された。その手前にもおもちゃの家のような単純な造りの建て売りの住宅が続いている。どうやらここは典型的な郊外の新興住宅地なのだ。
 だがそんな凡庸な町並みにも冬の朝の玲瓏な光はなぜか不釣り合いな、息も詰まるような神々しい輝きを与えている。
 眺めるうちにある奇妙な感覚が私を捕らえ始める。
 きっとこんな不思議な光に満ちた朝にはすべてのものはただ眠りから醒めるばかりではない。その実そこでは昨日までの世界はいったん死んで、新しい何かが目を覚ますのだ。
 だとしたらそのとき何らかの手違えによって、私たちが他の誰かに生まれ変わってしまったとしても別段不思議はないにちがいなかった。……
 それは確かに唐突にこの世に産み落とされた赤子の困惑――だがしかしひょっとしたらそれは赤子に返ることさえない。ただ大人の姿のまま、旧い記憶のすべてを失くした私たちの魂が他の誰かになりかわる。そんなとてつもなく奇妙な転生の感覚と私はしばし戯れていた。――

 午前六時。下り線のホームにはさすがに私の他に人影もなかったが、線路を挟んだ彼岸にはすでに幾人もの通勤客が東京行きの電車を待っていた。まるでチェスの駒のようにお互いに等間隔を置いて佇む彼らは、一様に大仰な厚手のオーバーを着込んで寒気に耐えていた。あるいは小刻みに足を踏み鳴らしながら、そしてあそこのあの男はポケットに手を入れたまま凝固してしまったように動かない。……
 煙草を吸う者は煙草の白い煙を、そうでない者も同じように白く凍てつく呼気を吹き上げる――そんな冬の朝の通勤の風景は私にもお馴染みのものにちがいなかった。それどころか私はあれらのサラリーマンの中に会社に向かう自分自身の姿を認めたような気さえした。
 だとしたらここでもまた奇妙な錯覚が私を捕らえる。そうだった。確かに向いのホームのあの人影の中に「私」がいるのだった。ただその意識だけはこうして人魂のように「私」を離(さか)り、線路のこちらから自分自身を、そしてその同類たちの有様を眺めている。……

 もちろんそれはずいぶん荒唐無稽な思いつきだった。だがあのときの私はどういうわけかそんな感覚の遊戯をとてつもなく心楽しいものに感じていたのだ。
 もちろん本当なら私はあのまま上りの電車に乗って引き返すべきだったろう。だがしかしいつしか興に乗った私は多少の酔いも手伝って(その証拠に私のほてった体はあのサラリーマンたちのように寒さに震えてはいなかった)ある稚気に満ちたアイデアを着想したのだ。
 それはこうして偶然足を踏み入れた土地をしばらく探検してみよう、という計画だった。
 探検――確かにあのときの私の浮き立つ気持ちには、そんな子供染みた言葉がもっともふさわしいものであると感じられた。
 そうだった。今日が私の休日である以上は何も慌てて家に帰る必要はないのだ。だとしたら休日に必要な気まぐれとして、こんな小さな冒険ほどふさわしいものはないにちがいない。
 そのうえ例の朝焼けの魔術によって、私は自分がこの土地に降り立った偶然にすら何かの意味を認めたくなるような神秘的な気分に陥っていた。そうなのだ。人と人との出会いにも窺い知れぬ因縁が働いているように、私が何らかの必然に導かれてこの駅に降りたのだとしたら。……



 人と人との出会いにも窺い知れぬ因縁が働いているように、私が何らかの必然に導かれてこの駅に降りたのだとしたら――それももちろん笑止な空想であるにはちがいなかった。だが同時にそんなお伽話をいわば目一杯弁当箱に詰めてハイキングに出掛けるというのも、また愉快な趣向のように思われたのだ。
 そんなふうに心浮き立つ無邪気な冒険の気分があのときの私の心を領していた。
 それはちょうど列車に乗る度に運転室のガラス窓にへばりついてしまうあのなつかしい少年の心。
 目の前に無限に続く線路の上を列車は滑って行く。すると少年の右に左に、まるで切り裂かれたように未知の国の風景が別れていく。……

 だがもちろんあの日私がそうして目にしたものは見知らぬ異人の国などではありえない。あのとき私の気まぐれな散策を迎えたもの。それは確かにもう一つの、あまりにもありふれた私たちの日常だった。
 無人の改札を抜けて私が足を踏み入れた街は思い描いていた通りの佇いをしていた。何の変哲もない郊外の新興住宅地――駅の前には数件の小売店が軒を並べているだけで商店街と呼べるものすらない。それらの店すら今の時刻にはシャッターを降ろしたきりで、ただ団地に連なる道を蟻の行列のように間断なく男たちが駅へ向かってくる。
 そんな人の流れに私だけが逆らって進む。まるで河流を溯るように。あるいはひょっとしたらそれは本当に、何か時を溯るような逆説なのかもしれない。――
 五分も歩かぬうちに道は住宅街の真ん中に入っていった。通りの右手にも左手にもどこまでも同じような建て売りの家並が続く。それは確かに先刻のホームの上からおもちゃの家のように見えていたもの――だが不思議なことにこうして間近に見た今も私の印象は少しも変わらなかった。ただ嵩だけが膨らんだ相変わらずのおもちゃの家? だとしたら何か珍妙な魔術によって私のほうがこんな小人になって、あの積み木細工の街に迷い込んだのだ?
 白塗りの二階建て。バルコニー付き。確かにそんな一つ一つの設計自体は十分瀟洒なものであった。だがそんな造りがこうまで無数に軒を並べたとき、そこにはたちまち出来合に付き物の安っぽさが漂ってしまう。こんないずれも瓜二つの家の中でそれでもそれぞれの人生が送られている――そのことが私にはどうしても信じられなかった。そしてもし逆に家の外見(そとみ)と同じようにそこに判で押したような人生しかないとしたら、今日あそこの主人とここの主人が入れ違ってしまったとしても誰も気が付かないにちがいない。……
 確かにそこかしこでいずれも灰色のオーバーで着膨れした男たちが、まるで太った鼠のようにそれぞれの巣穴を抜けていた。あるいは玄関口まで家人に見送られて。あるいはまたひっそりと人気のない家を泥棒のような忍び足で後にしながら。
 あるいはまたいくつかの家からは朝餉の準備をする気配が感じられる。あそこの家の換気扇からは葱を炒めたような甘い匂いが流れてくる。……そんな手料理は出勤前の亭主のために用意されているのだろうか。それとも亭主はとうに家を出ていて、遅れて目覚めた子供たちのための食事なのだろうか。
 確かにそんな出勤の風景には微妙なニュアンスの違いが想定できた。だがいずれにしてもこんな慌ただしさの中では家族そろって食卓を囲む光景はとうてい思い浮かばない。――
 もちろんそれは少しも驚くには当たらない。それこそはあのお馴染みの私たちの日常そのものだった。きっと私自身もまた昨日まで馴染んでいたはずのあまりにも平凡なサラリーマンの一日。――
 だとしたらそれもずいぶん興ざめなことだったにちがいない。
 それはそうだろう。生まれて初めて降り立った新しい土地で始まった小さな探検ごっこ。だがしかしそうして私の目を過ぎるものが昨日までの自分の退屈のただ再現にすぎないとしたら、そんな私の冒険に一体どんな意味があるというのたろう。
 その上真冬の散策は睡眠不足の体をすでに容赦なく冷え切らせていた。……
 私の中にしばし宿ったはずの遊び心はそのようにしてもうすっかり萎えかけていた。だとしたら私は始まったばかりの遠出をそれでも早々に打ち切ろう。そうして上りの電車に乗って再びこの町を後にする決心を私はもう固めていた。

 上りの電車に乗って――だが、否。あのときそうして踵を返そうとしたまさにその瞬間、確かにあるはずもない不条理が私を襲ったのだ。
 もちろんそれまでも私は何度か心に呟いていた。もし私が何らかの必然に導かれてこの町に降りたのだとしたら? 目に見えない運命の糸が二つを結んでいるとしたら? 
 だがしかし他愛のない空想にすぎなかったその呟きが今はけっしてそうではない。本当に、あのとき倦み疲れた心と体の一瞬のすきを突くようにして、私の一生を支配するそんな不可思議の体験が実際に訪れたのだ。――
 そうだった。先述のように散策の興味をすっかり失くしながら、私はそれでも今しばらくだけただ怠惰な慣性で足を運び続けていた。
 私の左右には相も変わらぬ住宅の光景が先にもまして緩慢な速度で繰られて行く。さびかかったピンク色の郵便受け。繋がれた早起きの犬が精気を持て余して吠えかかる。朝刊を取りに庭に出たパジャマ姿の女房。――
 それらのものを私は認めはするがもはや格別の関心を示さない。それはもちろんあのあまりにもありふれた私たちの毎日。だとしたらそんな陳腐な書き割りの絵柄など誰もいまさらつくづく眺めはしないのだ。……
 確かにそれはそのはずだった。
 だがそのときに不思議は起こった。そんな板絵の中の風景にすぎないはずのものが突然まるで蜘蛛の巣のように道行く人を搦め取り、そのようにして捕われた私はたちまちこのお伽の国の街角で演ずることを強いられたのだ。――

 朝刊を取りに庭に出たパジャマ姿の女房。――確かに歩き続ける私の傍らをかつて近かった家は通り抜け、遠かった家はかえって目前にあった。そのようにして今はたまたまこの女の横顔がまるで虫眼鏡を覗いたように大写しになっているのだった。
 だがその瞬間確かに忌まわしい奇蹟が起った。書き割りの絵柄の中のこの女はけっしてこれまでの景色のようにそのまま過ぎ去ろうとはしない。そればかりか唐突にこちらに向き直り、とてつもなく朗らかな調子で声を掛けてきたのだった。
 「あら、お帰りなさい」
 意表を突かれて私は思わず自分の背後を振り返った。
 それはそうだろう。もしもこの見知らぬパジャマ姿の女房がこちらに向かって声を掛けたとすれば、それはもちろん私の後ろの男に対してでなければならない。
 だとしたらどうやら出勤の葬列を遡っているのは自分だけではなかったようだった。もう一人の朝帰りの男が私のすぐ後ろを歩いているらしい。そしてたまたま庭に出ていたこの女房が、まさしく今その自分の亭主を出迎えているのだった。
 だがしかしそうして後ろを振り返った私の驚愕はいかばかりだったろう。
 本当に、そんな男の姿などどこにもありはしない。目に入るものはただ私たちに背を向けて駅へ急ぐあのサラリーマンたち。だとしたら今この女が話しかけているは、他ならぬこの私自身でなければならない。――
 私は茫然と立ち尽くした。だがしかし女はそんな相手の困惑などは少しも意に介さずにその一人芝居を続けていく。
 「お疲れさま。大変だったでしょう」
 言いながら亭主の鞄を受け取るその流れるような動作には確かにいささかの迷いも感じられない。
 あっけにとられた私はマネキン人形のように突立ったまま女のなすがままになってしまう。
 もちろん本来なら私はきっぱりと突っぱねるべきだったろう。見知らぬ人間が見知らぬ家に私を迎える。それはただとてつもない理不尽であるばかりではない。ひょっとしたらそこには何か危険な罠さえ待ち構えているかもしれないのだから。
 だがしかし私はなぜだか何の抵抗も示さずにおとなしく身を任せてしまう。
 あるいはひょっとしたら相手がたった一人の女であることが私の警戒心を解いていたのだろうか。
 そのうえ今朝ほどからの夢見心地はまだ幾分私の心を謀っていた。そうだった。何らかの魔法に導かれて降り立った異邦の町。不可思議な転生の感覚。確かにそんな舞台の上でならどんなきてれつなお伽話が起きないとも限らないのだ。――
 とにかく私はそうして女の言いなりに振る舞いながらただ事態を静観していた。
 その間にも私が観察した女の様子。――
 中学生が着るようないちごの模様のパジャマ。いくら一時とはいえこんな薄着で寒気の中を飛出してきたからには、よほどの元気者なのにちがいない。構い付けない頭には寝起きのほつれ髪が目立っていたが、まだ四十前にも見えるその化粧気のない顔立ははっきりと美人の部類に属していた。
 「寒いでしょう。さあ、早く入って」
 そう言って小さく手招きをしたきり女は鞄を抱えたまま勝手に家の中に入ってしまう。質を取られた私にはもはや従うよりほか仕方がなかった。

 玄関を入るとおそらくはセントラルヒーティングの威力によってそこは既に十分に暖かだった。そろそろ体の冷えきっていた私にはそれがこの上なくありがたい。
 女は続けてオーバーを脱がせにかかる。狐につままれた私はまたしてもマネキンのようになすがままになりながらも、こうして起きつつある事態を理解しようと焦った。
 もちろんこんな喜劇の筋立てを最も良く説明するものは「狂気」だったにちがいなかった。だが目の前の女には確かに多少芝居がかった不自然な言動はあっても、その種の疾患にありがちな病的な匂いは感じられなかった。
 あるいは女はとてつもなく寝起きの悪い低血圧で、まだ半ば寝ぼけた朦朧の状態でうわの空の応答をしているだけなのか。
 あるいはまた原因は女の心神ではなくその身体にあるのかもしない。おそらくはその視力に――確かにそれがもっともありそうな解答だった。そうだった。女はきっとコンタクトレンズを使用していたのだ。だとしたらこんな起きがけのまだ顔も洗わぬうちには裸眼のままでいるのが普通だった。そんな明き盲同然の状態で、おそらくは背格好の似た私の姿を夜勤から今頃帰るはずの亭主と誤認したのだった。
 そしてそれもけっして笑止なことではない。なにしろ朝のこの時間に駅から帰るサラリーマンなどそうそうお目にかかれる代物ではない。だとしたら同じような鼠色のオーバーコートのシルエットをてっきり待ちかまえていた自分の旦那と早とちりしたとしても、それはいささかも彼女の不名誉にはならないはずだった。

 こうして私は起きつつあった現象にどうにか脈絡を付けることに成功した。
 もちろんそんな解釈が事実であるという保証はない。だが少なくともそれは理屈にかなった仮説だった。すべての意味づけを拒むような得体の知れない不条理の混沌よりは、確かにはるかに望ましいものなのにちがいない。
 だとしたらそんな説明にあのときの私が迷わずに飛びついたのも不思議ではない。自分がわけの分からぬお伽話の国に迷い込んだわけではなかった安堵――そのうえ和んだのは私の心だけではなかった。同時に寒さに痺れていた私の四肢もまた女の家の過剰な暖房のおかけで、まるで氷が溶けていくように温んでいった。
 そうしながら私はまた自分の中に何かが蘇るのを感じていた。それはあの運転室のガラス窓にへばりつく少年の心。寒さと疲労のためにいつしか萎えていたそんな幼い冒険気分が、今緩みかけた私の心と体に再び宿ろうとしていた。
 そうだった。ちょうど先刻駅を降りた私がしばしこの見知らぬ土地を尋ねたように。今は女の勘違いに乗じて少しだけその暮らしぶりを覗き込んでみよう。
 自分に振られた朝帰りの亭主の役割をいましばらく黙って演じ続ける。見知らぬ他人の女房とのそんな不思議なままごとも、休日の趣向としてはまんざら悪いものでもないだろう。―― 
 もちろん本来なら私は女の誤解を解くために、最初の一言から(彼女の振る舞いに気圧された私は何とまだ一言も口を利いてはいないのだった)きっぱりと宣言すべきだったのだ。奥さんそれはとんでもない思い違いです。私はあなたの亭主などではありません。コンタクトなり眼鏡なりを取ってきてとくと眺めてみてください。第一、声が全然違うでしょう。
 だが私の悪戯心がいつしかそんな理を忘れさせていた。今しばらくの間だけなら、何だかそんな脱線も大目に見てもらえそうに感じられたのだ。

 そうだった。あくまでもすべては今しばらくの間だけなのだ。 そんなお遊戯に興じているうちにいかなこの奥さんもやがて自分の誤りに気付かずにはいないだろう。
 そうして一瞬腰を抜かすほど驚いた後で、すべてを理解した彼女は怒るよりもまず吹き出してしまう。
 そのときに二人はお互いに非礼を詫びながら顔を見合わせていつまでも笑うだろう。彼女のとんでもないおっちょこちょいと私のあまりにも子どもじみた茶目っけとを、とてつもなくおかしいものに感じながら。――
 そんな微笑ましい結末を心に思い描いて早くも吹き出しそうになるのをこらえながら、私はまだ無言のまま(今度の沈黙には明らかに私の不純な意図が隠れていた)女の後に従って行った。



 私が導かれたのは突き当たりのダイニングキッチンだった。
 ものぐさな旦那のために甲斐甲斐しい女房はわざわざ椅子まで引いて掛けさせる。
 用意よくポットの中に保温された熱湯でさっそく濃い目のお茶が入れられた。徹夜明けの身体にしみわたるタンニンの渋みがこたえられない。
 「すぐ作りますからね。――」
 そう言いながら女は続いて朝食の準備に取り掛かる。炊飯器の中で御飯は手筈よく蒸らされていて、味噌汁の具を入れて一品か二品の惣菜を盛り付ければ準備万端なのだった。
 まな板の上で菜切り包丁がこれもまた心地よいリズムでタップを鳴らす。二日酔いの私はそんな女の後ろ姿を朦朧と見つめながら、それでも立ち上ぼってくる味噌の香りにやにわに空腹を感じ始めた。

 そうする間にも女はひっきりなしにしゃべり続けた。
 お隣の山田さんがこぼしていった愚痴のこと。本家の兄からの電話の件。
 子供たちの春休み。家族旅行のお願い。……
そんな四方山話を私はただお茶をすすりながら受け流している。
 もちろんそれは目の前の女房だけにかぎらないあのかまびすしい女のおしゃべりだった。だがしかし男たちをいつでも辟易させるそんな喧噪にも、ときにはそれなりの利点というものがないではない。
 つまりはそこではたいていの場合相づち以上の応答は期待されなかったから、女が話し続けている限り男は沈黙を恐れることなしにいつまでも無言でいることを許された。疲れきったサラリーマンの家庭ではそれは確かにありがたい心遣いだった。とりわけ今のこの場合姿だけ旦那にすり替わった私が自分の声でしゃべることはゲームの終りを意味したから、女の一方的な独演は格別好都合なものだったのだ。
 加えて私は女の言葉の端々から自分が演ずる男の情報を拾い集めることができた。私の頭の中に次第に男の肖像がデッサンされる。丸山孝雄。四十三歳。A出版社勤務。そこは中堅のスポーツ雑誌を三つほど手掛ける会社であり、丸山はその野球雑誌を担当する記者だった。どうやら最近はライバル誌に押されぎみでその売れ行きもはかばかしくないらしい。……
 長女玲子。高校二年。長男猛。中学三年。受験でおおわらわの長男は隣家の次男と同級だったが、ライバルと呼ばれるにはその成績はずいぶんと見劣りしていた。……
 少なくとも表向きは相当の愛妻家のようで、雑誌社の不規則な勤務の合間にも家庭との接触を絶さない。昨夜の夜勤でも律義に家に電話を入れて始発で帰る旨まであらかじめ伝えていた。忠実な細君も夫の言葉を素直に聞いて、こうして朝食の支度をして迎えているのだった。……

 そのようにして私は聞きかじりの知識から少しずつ亭主のデータを整えていく。だとしたらただ頷くだけのこんな時間も確かにまんざら無益なものでもないようだった。
 そのうえ不思議なことにあのときの私にはこの古女房のかまびすしさがなぜだかどこか愉快で、愛しいものにすら感じられていた。
 確かにどんなに陳腐な日常の繰り返しにすぎないはずのものも、こんな旅人の目で眺めたときにはたちまち新鮮な輝きを帯びて映ってしまう。それはまたあの運転室のガラス窓にへばりく少年の心。――
 そのうえ夫婦ゲームには明らかな余録があった。
 食膳はいつのまにか整う。いただきますの言葉もないまま私は食事に箸をつけた。空腹で迎えた冬の朝、湯気を立てている白飯はそれだけで一つの御馳走だった。おみおつけ、そして小鉢と私は次々と箸を運ぶ。
 もちろん冷静に味わってみれば料理はどれも祖雑な味付けで相当に塩辛かった。こんな女を女房に持った男はきっと高血圧で命を縮めるだろう――だがありがたいことにあのときの私の空腹は、どんなコックの不手際をもたえなる美味に変えていたのにちがいない。だとしたら私は休日の遊戯がもたらしたこの最も直截な楽しみを、舌先よりはむしろ胃袋で味わおうと決心した。……

*  

 こうして見知らぬ街で始まった冒険ごっこ。赤の他人の女との夫婦ゲーム。他愛のない休日の趣向をそれでも私は十分に堪能していた。
 だがこんなお芝居は一体いつまで許されるというのだろうか。
 駅に降り立ってから五十分。この女と出くわしてからは三十分ほどの時間が経とうとしている。もちろんそれは興ずる者にとっては短い時間だった。私もまたこのほほえましい時間が今しばらく続くことを願っていた。
 だが私はきっと思い出さなければならない。こんな遊戯はまたいつだって、そこで真似られ戯画とされた何かへの冒涜でもあるのだ。だとしらたときにはそんな私たちの不敬があまりにも手厳しく罰されてしまうことがないだろうか。
 そうだった。一体いつまでお芝居が許されるのか。とりあえず朝食をいただくまで。とりあえず女がコンタクトを着けるまで。とりあえず本当の旦那が戻るまで?――とりあえず、まで。とりあえず、まで。だかそんな小さな順延が手枷となり足枷となって、いつしか身動きがとれなくなる。
 初めは確かにただ虚構にすぎなかった家庭劇。だがしかし積み重なった無数の嘘がいつしか現実に化肉して、私たちもまたやがてのっぴきならない不条理の奴隷になってしまう。そのようなことが本当にきっとあるのだ。……

 確かにあの休日の趣向とやらもここまで度が過ぎてはもはや洒落にはならない。こうして三十分もの時間が過ぎて、そのうえ朝食までただ食いしてそれでもなおかつ芝居を続けるとしたら? もちろんそんなたちの悪い冗談にはもはや誰も笑ってはくれないだろう。
 そのうえこのおっちょこちょいの近眼女はいまだに自分の人違いに気付く気配さえない。だとしたら確かにもはや私は自分自身の手でこのお芝居の幕を下ろさなければならない。――
 だがそれはどのような方法で?
 もちろん本来なら私は今すぐに通告すべきだったろう。実は奥さん、私はあなたの亭主などではありません。第一、声が全然違うでしょう。――
 だがそんな直截の通告をなぜだか私は選ばなかった。
 おそらく事ここに至ってもなお先程来の悪戯気分がどこかで尾を引いていたのだろう。私は実も蓋もないような興ざめな告白とは違う、何かもっと気の利いた筋書きを工夫しようと考えていたのだ。
 用意された筋書きは次のようなものだった。
 二回目のおかわりの後、皿の上のおかずももうあらかた平らげた私はようやく箸を置く。
 ごちそうさまを言う代わりにおもむろに女房の取ってきた朝刊を広げ、ことさらに大きな音を立てながらページをめくっていく。
 そのようにしてようやく天気図の欄にたどりつくと私は独り言のような口調で、だがしかし女の耳に必ず届くはずの十分な声量ではっきりと読み上げたのだ。
 「東北の風曇り後雨」
 女の聞き漏らすことを恐れて私はもう一度念を押す。
 「東北の風曇り後雨」
 その先に続くはずのことはもうおわかりだろう。
 そうだった。これが私が女の前で初めて喋った言葉、始めての発声だった。だとしたら目の悪いこの女はすっかり旦那と信じ込んでいた男が突然上げた似ても似つかぬ胴間声に驚いて、そして……

 だがしかし目論見はものの見事に裏切られた。本当に何ということだろう。そうして現に私の声を聞かされた後も相手は何一つ特別な反応を示そうとはしないのだ。
 私は焦りを感じた。ひょっとしたらこの女は目が悪い上に耳まで遠いというのだろうか。だとしたら私はここでもう一度、今度はまるで老人たちと話すようながなり声で同じ天気予報の一節を読み聞かせなければならないのか?
 だがそのとき遅ればせながら女の返した科白は私の狼狽にさらに輪をかけるようなものにちがいなかった。
「あら雨なの? 本当?、困ったわねえ」
 もちろんその相づちは私の声が相手に十分に聞こえていることを証していた。そしてもしそれでもなおかつ女が自分の人違いに気付かないとしたら。だとしたらここの亭主は背格好どころか、声までもが私とそっくりだというのか?

 それは確かにあまりにも、あまりにも不気味な暗合。……
 私はそのとき何かオカルトの罠のようなものが自分を搦めようとするのを感じていた。
 ひょっとしたらそれこそがあの、不敬の芝居が招いてしまった懲罰。初めは虚構にすぎなかったものが現実に化肉して、いつしか引き返すことのできない深みにはまってしまう。……
 だとしたらもう一刻の猶予もならない。私もまたここに至ってようやく意を決していた。こんなもって回ったやり方でいつまでも手間取っていてはならない。たとえどんなに興ざめなやり口であろうとも、きっぱりと宣告するしかなかった。実は奥さん、私はあなたの亭主などではありません。コンタクトなり眼鏡なりを取ってきてとくと眺めてみて下さい。――
 「実はね。……」私は思いきって口火を切った。
 だがしかしまさにその瞬間まるでそんな私の言葉を遮るかのように、これまでのどれよりも決定的な衝撃が私を襲ったのだ。
 そうだった。そんな私の一声がまだ届かぬうちに女はつかつかとこちらに歩み寄ってくる。あら雨なの? 本当? 困ったわねえ。――つい先刻のそんな台詞をもう一度独り言のように呟きながら。
 そして私の横から新聞を覗きこむと、あろうことか例の一節を声を出して読み上げたのだった。
 「東北の風曇り後雨。本当だわ。今日も一日暖かくならないのね。――」
 それは本当に、ハンマーで頭を殴られたような衝撃だった。
 それはそうだろう。何しろ私は今の今まですっかり勘違いをしていたのだ。視力の悪いこの女はコンタクトをはずした状態で私を旦那と取り違えたのだ、と。――だがその実、女は少しも目など悪くはないのだった。それどころかこんな細々しい天気予報の活字さえ、こうしていとも容易に読み取ってしまった。……

 だとしたら確かにこの瞬間、すべては振り出しに戻らなければならなかった。信じたはずの仮説は今しもあっけなく突き崩され、目の前にあるのは再びすべての意味づけを拒むあの得体の知れない不条理の混沌。――
 いわば糸の切れた散り散りのビーズの玉にもう一度脈絡をつけようと私はもがいていた。
 確かに女はそもそもの初めからかくまでも健常な視力をもって私と相対していたのだ。それでなおかつ自分の旦那と取り違えてしまうほど生き写しの顔などというものがありうるとは思えない。
 それならばやはり自分がかつて最初に疑った通り、この女はどこか精神の方に異常をきたしているのだろうか。
 あるいはその逆に女も本当は私が他人であることは分かっていて、その実演技をしているのはあちらの方だったのかもしれない。だとしたらもちろんそれはただの遊び心からではありえない。そこには何かとてつもなく忌まわしい悪意が隠されているのにちがいない。
 そのとき私の脳裏に浮かんだのは、いにしえの世から繰り返された「美人局」のやり口だった。女をだましたつもりのおめでたい男が実は女にだまされていて。……たいていは頬に傷か何かのあるおっかないお兄さんにいい気になって興じた夫婦ごっこのつけを払わされる。
 そうだった。だとしたらこうして私がのんきに楊枝などを使っている最中にも、ドアの向こうから本当の旦那が入ってきて。――
 そしてどうやらそんな心配もあながち杞憂ではないようだった。それが証拠にそのとき確かに私の耳には階段を駆け降りてくるあわただしい足音が聞こえたのだ。
 その乱暴な足の運びといい、床板のきしみから推測される体重といい、それはどう見ても女のものではありえなかった。
 だとしたら思い描いた不安はたちまち現実となった。私が危惧したまさにそのことが、まさにそうして危惧した瞬間にもうすでに起ようとしていたのだ?
 今しもキッチンに連なるドアが男の粗暴な手で押し開けられる。
 最初の一発を警戒して私は思わず身構えた。

 すさまじい勢いで跳ね開けられた扉。
 その瞬間にかまちのところに姿を現わしたのは詰め襟の制服に学生帽さえかぶった旦那だった。
 学生服の旦那?
 いやもちろんそんなはずはありえない。これこそが女の言うところの長男の猛であるのにちがいなかった。
 自分の一瞬の勘違いを私は思い切り腹の中で笑った。
 そうして笑いながら私は同時に分別していた。そうだった。確かにここにはすべてを打開する糸口がある。長男の猛といういわば第三者の登場は女房の誤解を解くためのまたとない機会となるのにちがいない。
 行ってきますの挨拶をしたきりキッチンを通り抜けようとする少年を腕をつかんで引止めながら、私はその顔をまじまじと覗きこむ。どうかよくこの顔を見てごらん。それは大層似ているのかもしれないけれど、君の前にいるこの私はけっして君のお父さんなどではないはずだ。おっちょこちょいなお母さんの早とちりを早く笑っておやり。……
 だが猛は事態を悟るどころか、父親のいつにない突飛な行動が理解できないというふうだった。怪訝そうな不服の表情を浮かべて、これもまたまじまじと私の顔を覗き込みながら「何かまたお説教なの? 昨日はちゃんと勉強したよ。――」

 うぐ、と何やら声にならない声を一つ飲み込んだきり私は言葉を失った。
 だとしたら? だとしたらこの中学生の目からも自分の姿は父親以外の何者にも見えないのだ! 少年の加勢を頼んだ私はものの見事に裏切られたばかりではない。いわばこうして倍増してしまった証人のために、ますます有罪の罠の中に追い込まれていくようだった。
 完膚なき敗北に私はやむなく少年を放免する。
 「行ってらっしゃい」。母親の朗らかな声に送られながら、少年はこれもまた入って来た時と同じように威勢よく部屋を飛び出していった。
 私は次第に焦慮を増していった。それもそのはずだろう。確かに女一人のことだったらすべては笑止な早とちりと決め付けることもできた。だがこうして女と息子の二人の人間が、二人揃ってありえない思い違いをするだろうか? もちろんそのようなことはもし数学の本の記述を信じるなら二乗の確率で、つまりは皆無に近い確率でありえないことなのにちがいなかった。
 その上もはやこれは何か意図的なたくらみでもありえない。図体ばかり大きくて醇朴そのもののこの中学生が、そんな悪辣な計略に荷担していようとは到底思えなかったから。

 だとしたら、だとしたら何かとんでもない手違いが起ろうとしている。…… 
 立て続けの衝撃に打ちのめされた私はそのとき続けてもう一度、階段を降りる足音を聞いた。
 だがしかしもはや私にはすべての筋書が読み切れるような気がした。あの軽やかな足取りがきっと長女の玲子なのだ。あと何秒かおいて先刻と同じように、しかし今度ははるかに女の子らしいしとやかな所作で扉が開けられる。そうしてセーラー服か何かの少女が――
 そして予期した通りに――本当に、こんな荒唐無稽の物語の筋書きが予期した通りに起こってしまう不思議な感覚は経験した者でなければとうていわからない。だが実際予期した通りに少女は現われた。ただ唯一私の台本に遺漏があったとすれば、それは彼女が飛びきりの美少女であったということだった。そのうえもう一つ付け加えるなら少女はセーラー服ではなしに、パジャマ姿のままでそこに現れたのだ。
 それにしても長女の美しさは半端なものではなかった。高校生らしいあどけなさが残ってはいても、そこには見る者をたちまち夢見心地にさせてしまうような女神の蠱惑がもうすでに備わっていた。
 本当に、このまだ若すぎる娘とわずかにとうが立ち始めた母親とを足して二で割ったら、絶世の美女ができあがることだろう。――そう思えばなるほど目鼻立ちといい何といい、すべてがあの美人の母親にそっくりだった。あまりの瓜二つに私はほとんどこう信じかけた。きっとこれはちょっと部屋を出たすきにあの母親が若返って戻ってきたのだ。あるいはちょうど縮小や拡大が自在なように、年齢まで変更できる不思議なコピー機があって。……
 確かにしどけないパジャマ姿のままでうろつき回るその習癖も母親を真似ていた。白地に真っ赤ないちごの模様が散りばめてある思いっきり幼女趣味のパジャマ――だがそんな幼い着衣の向こうに少女の体温の匂いのようなものを嗅いで私はわずかにめくるめいた。
 そんな長女の姿を前にして私は再び最後の勇気を振り絞った。そうだった。もう一度だけ、今度はこの美しい娘に期待してみよう。長男の猛には果たせなかった自分の冤罪をはらす重大な使命を、今度はこの長女の方に託してみよう。
 だとしたら私は先刻の猛の場合と同じように娘の顔を穴の開くほど見つめる。そうすることで相手もまた、けっして父親などではない私の顔を注視してくれことを期待しながら。――
 だがしかしそんな私の無言の問いかけに、向き直った娘は何を思ったのか少しも悪びれる様子もなくこう答えてのけた。
 「学校は今日はお休みなのよ。入学試験の会場に使うというので日曜日まで四連休。お父さんこそ今日は明け番なの?」
 それにしてもそれは何という意外な返答だったろう。お父さんこそ今日は明け番なの?――三連打を食らった私はあえなくリングの上にくずおれた。私にはもはや立ち上がる気力はない。
 それはまた次第に私を搦めようとするあのオカルトの罠。――
 本当に今度こそ私はすっかり諦念していた。どうやらこの奇妙な家族の間に正常さを求めること自体がそもそも無理なことのようだった。忌まわしい多数決の原理がいつしかこんな真理の世界までをも支配して、そのやり方に従えばもし彼ら三人ともがそうだとしたら、少なくともこの家屋の中では正常なのは彼らの方で狂っているのは私だということになるのだ。……

 もちろん私はそれでも必死になって分別しようとした。
 確かにこの家族の全体が狂っているとしたら、後はもうただ家の外に期待するしかなかった。それは例えば回覧版を持ってきたおしゃべり好きの隣の奥さん。威勢のいい御用聞き。夫の会社からの電話。――そしてこの家が陸の孤島でないかぎりそんな誰かはいつか必ず訪れる。そのときこそすべてにはっきりと白黒が付けられるにちがいない。いずれが正でいずれが邪であるか、傍目にはあまりにも明らかな審判がきっと下されるだろう。
 だとしたら私は覚悟を決めたのだ。今日一日の間だけこうして求められるままの芝居を続けながら、そんな救世主の出現を待ってみよう。これも何かの縁なのだから、自分の木曜の休日をこの不幸な親子の誤解を解くことに捧げたとしても罰は当たらないだろう。――
 だがしかしそうしていったん待つことだけに徹してしまうと、後はずいぶん手持ちぶさたにちがいなかった。気抜けした私はたちまち自分が徹夜明けの二日酔いでとても疲れていることを思い出した。
 よく気が付くこの女房はそんな私の顔色を見てとってすかさず声をかける。
 「もうお休みになる?」
 そうして提示された睡眠の観念が私の疲労感をそっくりそのまま眠気に変えた。
 どうやらこんな夜勤明けには朝食の後に仮眠を取るのが亭主の習慣らしい。こうして今の自分の身体の欲求とここの家族のしきたりとが偶然にも一致したことを、私は妙に嬉しく思った。
 先に立つ女房に導かれながら私は寝室に入った。
 東向きの六畳の和室には厚手のカーテンに堰かれた朝日が、まるで水槽の中のような龜甲色の薄ら明りを満たしている。行儀良く二つ並んだ寝床の片方は掛け蒲団がしどけない抜け殻の形をしていた。のみならず何故だか枕もとには白いシュミィズが乱雑に脱ぎ捨てられているのだった。
 その瞬間、いや本当にその瞬間だけ、亭主を演じ続ける私の芝居にいくばくかの不純な動機が混入した。
 美人の奥さんを振り返ると試みにいつもの自分の目配せでモーションを送ってみる。    
 だがそんな私の謎掛けには何の答えも返ってこない。それはことさらに無視したというよりは合図の意味がわからないか、そもそも私の仕草そのものに気が付かないというふうであった。どうやらここの夫婦には日の明るいうちに、娘のいる家の中でそういう習慣はないらしかった。   
 断念した私はもはや邪心を捨てた。
 女に掛け蒲団まで捲ってもらって私はまるで子どものようにおとなしく寝床に潜り込んだ。
 「お昼には起こしましょうか」
 「ああ」
 おやすみなさい、と最後のあいさつをしたきり女が部屋を出ていくのが分かる。
 おやすみなさい――言い残された言葉のなぜだか謎めいた響きがまるで呪文のような効果をもたらし、たちまち耐え難い睡魔が私を襲った。
 そうして急速に眠りに落ちながらかすかな意識の中で私は考えた。こんな妖しい力を持つ不思議な言葉を吐くあの女は、だとしたらきっと魔法使いか何かにちがいない。今日の奇怪な出来事はすべてあの女の使った幻術で、こうして一眠りした後には私はいつもの私の寝室に何事もなかったように目を覚ますだろう。……

2               

 目を覚ましたらすべてが始まってしまった。何かが決定的に始まってしまった。
 私が目覚めたのはけっしていつもの寝ぐらとは違う。それは鼈甲色の薄明に包まれた抜け殻の布団の傍ら――つまりはあの幻の中の情景と寸分違わぬ設定だったのだ。
 だとしたらやはり、そこには何か忌まわしい手違いが起こったのだ? 私は夢から醒める代わりにいわば夢の中へと目覚めてしまった。あるいはもしそうでないとしたら、私の悪夢の全体がそっくりそのまま目の前の現実の形となって化肉していた。――
 いやもちろんそれはそうではない。そうだった。どんなに不可思議なものに思えようとも、すべては最初からけっして夢の中の出来事などではなかった。私は今日の朝本当に見知らぬ町にさ迷い込み、本当にあの無茶な家族の虜にされた。そして確かに今もまた本当に、ここでこうしてその父親の役割を演じることを強いられているのだ。
 私はおもむろに身を起こすと枕もとの時計を覗き込んだ。午前十一時。ちようど四時間眠りこけていた勘定になる。
 ほどよい睡眠の後で確かに私の四肢には十分な生気が戻っている。それでも脳髄のあたりにはまだどんよりとしたアルコールの滞留を感じながら、私は改めて寝室の中を見回してみる。
 幾分明るさを増したそこには今朝方には気が付かなかった幾つかの調度が観察された。それらの中の一つのカーテンの真下に据え付けられた女の化粧台――そこに視線が止まった瞬間、私は不思議な胸騒ぎに駆られて思わず窓辺に歩み寄る。
 それはもちろん、鏡の中にひょっとしたら見出だすかもしれないものへの不安。あってはならない不条理がそこにはあるのかもしれない。――震える手でようやっと観音開きの扉を開けた私はこわごわと鏡を覗きこむ。……
 だがそこには――当然のことだが――女に着せられた派手めのパジャマを除けば、昨日までの自分とつゆ変わらぬ四十男の姿が写っていた。
 私は冷笑でわずかに口元を歪めながら自分の妄想気分をたしなめた。
 この科学万能の世の中でそのようなことは起きるはずもなかった。昨日までの私が目覚めたら見知らぬ誰かと入れ替わってしまう――そんな荒唐無稽な転生譚はただ一時の感覚の戯れが織りなしたお伽話にすぎない。
 そのようなことはもちろんあるはずはない。起きているすべてのことはけっして転生やら、変身やらとは違う。だがそれがそうではないとしたら? だとしたら本当に、その正体は一体何だったろう?
 ここでもまた私は目覚める前と少しも変わらない堂々巡りの思案を繰り返す。
 確かに種明かしを女の視力に求める可能性は、幾度となく突きつけられた悲しい反証によってもうすでに完全に覆されてていた。だとしたら?
 だとしたら少なくとも現段階で最もふさわしい説明はやはり「狂気」だったにちがいない。なかんずくもし狂気が美貌と同じように遺伝性のものであるとすれば、家族三人が揃って正気を失っていると考えるのもあながち無謀な仮定ではないにちがいない。
 だがもしも狂っているのが彼らではなかったとしたら―― 

 そうして始まったばかりの私の思案はだがしかしたちまちにして遮られた。私の起き出した気配を察してか今度はエプロン姿に着替えた女房が寝室の襖を開けて声を掛けてきたのだった。
 「お目覚めになりましたか。お昼ご飯はすぐにいただきますよね?」
 もちろんノーサンキュウが私の答えだった。何しろ食後すぐに眠ってしまった私の胃袋には朝食の中身が消化できずにまだそっくりそのまま詰まっていた。まるで誤ってビニールを呑み込んでしまったかのような不快な異物感が残っているのだ。
 だがしかしそれを聞いた女は怪訝そうに眉をひそめながら「それはまたずいぶんと珍しい」。
 おそろらくはこの家の亭主はずいぶんと大雑把な胃袋の持ち主らしく、その突然の小食を目撃して信じられないというように目を丸くしている。
 だとしたらそれはもちろんずいぶんと悲惨な返答だった。それはそうだろう。二人の人物のこれほどまでの齟齬を見せつけられても、女は頑なに目の前の私を自分の亭主と信じこんでいるのだ。そうなると異常は真性で、相当深刻だったのにちがいない。

 もし彼らが狂っているとしたら――女がようやく引き下がった後私はもう一度自分の思案に立ち戻った。
 もちろん私の結論はまだ今朝方のそれから一歩も先に進んではいなかった。そうだった。もし彼ら三人ともが狂っているとしたら私一人ではとうてい太刀打ちできない。彼らを説得するために誰か第三の部外者の手助けが必要だった。そしてそんな機会はこの家が陸の孤島でないかぎり今日の内に必ず訪れるにちがいない。……
 それは例えばお茶を呑みにきた親族。小金を当て込んで出入りする証券マン。在宅の娘を尋ねにくる高校の友人。そんなチャンスの到来を私はただ気長に待ち続けよう。
 だがしかしもし万が一、今日中に救いの主が誰も現れなかったとしたら――確かに私にはもうそんな最悪の場合の覚悟も決まっていた。もしそんな場合には私はもう一晩をこの家で過ごした後で、明くる朝の亭主の出勤日にその職場を訪ねてみよう。
 言うまでもなくそれは会社の同僚たちの力を借りてこの狂った家族の誤解を解くためであった。
 もちろん赤の他人の彼らのために私がそうまでしなければならない義理は少しもない。得体のしれない家族のことなどほっぽりだして、姿をくらましたとしてもどこからも文句は出はしないだろう。だがそれでもやはり、何らかのえにしによって掛かり合いになったはずの哀れな親子をこのまま捨て置くのはどことなく気が咎めたのだ。……
 それにしても間抜けなのはここの亭主であった。女房の談によれば確かに昨夜のうちに自宅に夜勤の連絡があった。急の仕事で申し訳ないが今夜は泊まりになったこと。始発で帰るので朝食の用意を頼みたいこと。だがしかしそれきり今日の昼になっても帰宅どころか、今度は電話の一本さえもよこしてはこないというのだ。――
 だが同時に私には同性ならではの嗅覚によって亭主の構えた嘘をうすうす察することができた。
 すっかり愛妻家の仮面を被ったこの男はおそらく実際には雑誌記者という不規則な勤務にかこつけて、けっして悟られないような巧妙なやり方で酒に女にと遊び回っているのにちがいない。
 昨夜だって夜勤というのはもちろん口実で、六本木の深夜バーか何かで秘密の恋人とデートを楽しんだのだ。そんな恋愛ゲームの過程できっと何かとてつもなく嬉しいことか悲しいことかがあって、ついつい酒の量を過ごした。それで今頃は美しい細君のことも忘れはてて、どこかの道ばたで正体もなく酔い潰れているにちがいないのだ。
 
 そんな昨夜の男の物語を試みに私は心の中に一つずつ組立てていった。
 だがそうする最中にも私はふと不安に駆られだす。
 こうして紡がれた筋書きは本当にただの私の推理にすぎないものだろうか? 六本木の深夜バー。ストレートでやるスピリッツ。女がしきりに口にするスナック。――脳裏に浮かぶこのトレンディドラマの情景も、あくまでがたくましすぎる私の想像の産物であるにすぎない?
 だが、否。それらのすべてはけっして私の心に作り事のようには浮かばなかった。それはまるで思い出のように、つまりは私自身の経験の記憶のようにスクリーンに映し出されていたのだ。
 確かにそれはもう、何かとてつもなく薄気味の悪い倒錯だった。
 もちろんそのようなことが本当にあるはずはない。――何度も何度も自分自身にそう言い聞かせながら、私はやがて世にも恐ろしいある一つの発見にたどり着いてしまったのだ。
 そうだった。それはもちろん私自身の経験ではありえない。だがだとしたらそもそもこの自分自身は昨夜をどのように過したのだろうか。もちろん私もあれほど酔いつぶれていたからには酒を飲んでいたにちがいなかった。だがそれは、どこで? 誰と? どのように?
 私は思い出せない。
 もちろん酔った夜を思い出せないのは別段不思議なことではなかった。だが今の場合はただそればかりではないのだ。どういうわけかその酒を飲み始める以前の出来事にまで深い霧が掛かっている。夜になる前の昼間の時間は一体どのように過ごしたのか。そしてその前日は? いやそもそも丸山孝雄でないはずのこの私は、だとしたら一体誰だったのか? そこにあるはずのそんなすべての記憶が頭からすっぽりと抜け落ちていたのだ。
 本当に、今の今までそのことに気付かずにいたとは何というおめでたいことだったろう。私はこれまでずっとてっきりこう思いこんでいたのだ。今朝六時K駅のホームに下り立った自分はややおいて七分方の記憶を取り戻した――だがしかしそうして七分だと信じているのは当の本人だけで、本当はほとんど何一つ蘇ってはいないのにちがいなかった。
 あのとき戻ったように思えたものはかろうじて舞台の上で演じることができるだけの「私」の意識であるにすぎない。それが一体何という名のどのような人間なのか、そんな根幹のデータさえまだ与えられてはいなかった。いわば暗闇に包まれた劇場の足下を小さく照らす丸いライトの中で、私は一人おぼつかない喜劇のモノローグを続けていたのだ。

 あろうことか私はそんな自分の奇態をすっかり尋常と信じて疑わなかった。本当に、こうして忘れるはずのないものを忘れたとき、失すはずのないものを失したときには、そんな途方もない錯覚がときに私たちを謀ることがあるのだ。……
 もちろん私は事態を何とか理解しようと必死になってもがいていた。それほどまでに呪わしい欠落が本当に起きてしまったとしたら、その原因は一体何なのか? そしてそれが結局意味するところのものは? 
 もちろん確かな解答など見つかるはずもない。だとしたらやがて諦念した私はおそらくは最悪の可能性を考えまいとするために、想像しうる無数の選択肢の中から最も安穏な解釈に飛び付いてしまったのだ。
 そうだった。すべてはあくまでも昨夜の深酒のせいなのに違いない。確かに世の中にはそんなきわめてアルコールに弱い体質というのがあるのだ。とりわけ真っ先に神経がやられてしまうタイプがいて、少し量をすごしただけでもたちまち正気を失ってしまう。今自分はなぜどこにいるのか、記憶が飛んでしまうことだってけっして珍しくはないだろう。
 もっとも今の自分の場合は少しばかり重症ではあったけれども、その本質はいささかも変わらない。それもまたやはり激しい二日酔いの朝などに起りがちなただ一時的な見当識の喪失。たっぷり四時間の睡眠をとった後でもきっと自分はまだ完全にはしらふに戻っていない。さあればこそこんなきてれつな心の状態が生み出されたのだ。
 だとしたらもちろんやがて時が経って体中からすっかりアルコールの抜ける頃には、この記憶の靄もまたすっかり晴れ渡っているのにちがいない。――本当に、私はそんなふうにすべてを解釈して終えた。
時が経って体中からすっかりアルコールの抜ける頃には、――そうだった。だとしたらここでもまたやはり私には待つしかないのだ。自分自身の酔い覚めとその後にきっと来るはずの健常な心の恢復を、ただひたすら待ち続けなければならない。
 そして確かにそのころまでにはあの例の援軍も現れる。誰かしら家族を訪れた部外者の力を借りて、このいかれきった親子の誤解を解くこともまた同時に可能になっているだろう。
 そのときが来るまでは私はこのままじっと彼らの亭主になりすます。そしてあくまでも今しばらくの間だけ、この不条理の芝居を演じることを続けなければならない。―― 



 そうして私は演じ続けた。丸山孝雄という見ず知らずの雑誌記者と、その休暇の一日を。
 それにしてもサラリーマンの休日というものは、どうしてこうどこもかしこも似たようなものばかりなのだろう。
 そこには何一つ目新しいことなどない。見ず知らぬ男のものでありながら誰のものとも変わらない、あのあまりにもお馴染みの一日だった。
 本当に、こうして昼まで寝て過してしまっては遠出の一つもままならない。いやそもそも身も心もぼろぼろのサラリーマンの休日は、ごろ寝ととてつもなく自堕落な気散じとで時間をやりすごす気力しか残ってはいない。……
 そんなときもっとも効き目があるのはもちろん家族の笑顔だった。だがそんな団欒の風景も近頃めっきり見かけなくなった。
 娘はいつのまにか二階に上ったきり引きこもったままだ。どこか物欲しげな亭主を置き去りにして女房も買い物に出掛けてしまう。
 一家の中ではただ茶の間に置かれたテレビだけがいつでも亭主の友達だった。もちろんどんな頭の人間が作っているのか番組はどれも底抜けにくだらない。それでもさも愉快だと言わんばかりに、一人の部屋にどこか空々しい乾いた笑い声を響かせる。……
 
 確かにそれはあのあまりにもお馴染みの一日。だとしたらその逐一を今さらここに繰り返すまでもないだろう。
 そうだった。そうこうするうちに、つまり何一つしないうちにもういつしか日が暮れかけている。
 積み重なった無為の時間ににわかに呆然として、夕餉の支度を始めた女房を横目にこっそりと家を抜け出してみる。
 そうして足が向かうのは例えば近所でただ一軒のパチンコ屋。だがしかしそこでもまた有り金はたいたパチンコ玉はたいていは一発もかすりもせずに費えてしまう。
 怒るよりもそんな自分をとてつもなくくだらない人間に思いながら、今日もまた憂欝な面持ちで店を出る。……  
何食わぬ顔で家に戻ると煮付けやきんぴらと並んで食前のお銚子が亭主を迎える。
 押し黙った妻を前にしてただやりきれない空しさを紛らすために酒をあおる。
 だとしたらそれはずいぶんとせっぱつまった酒だった。傍目には鷹揚な晩酌の亭主を演じてはいても、そんな仮面の裏にはいつでも必死に麻薬を求める痛い痛い傷があるのだ。……

 そうして私も酒を飲んだ。見知らぬ町の見知らぬ食卓で。自分が演じるそんな一人のサラリーマンの生き様をいつかとてつもなく憂欝なものに感じながら。
 それはもちろん丸山孝雄という名のある男の一日だった。だが誰がそれを今日の自分でないと言い切れるだろう。同じような退屈。同じような哀愁。同じような飢渇。――
 それは確かにあのあまりにもお馴染みの一日。本当にすべてがどうしようもなくワン・オブ・ゼムなのだ。そしてもしそんなふうにブリキの荷札以外木箱の中身を分つものがないとしたら、きっとすり替えも容易なのにちがいない。そうだった。だとしたら私が実際に丸山孝雄であったとしても、それもまた本当に別段驚くような不条理ではないのかもしれない。――

 だがしかし私の憂鬱の原因はそればかりではなかった。
 そうだった。こうして何事もないままに丸一日をすごしてしまったとしたら、だとしたらこの家族の誤解を解く機会もまた失われたのだ。
 もちろんそんな場合には自分はもう一晩をこの家で過ごし、明くる朝に亭主の職場を訪ねるはずだった。だがそんな奇特な人助けも思えばずいぶん大儀なことにちがいないのだ。
 そのうえもしこうして丸一日経っても亭主が姿を現さないとしたら、それは確かに警察沙汰になってもおかしくない大事件だった。だとしたら自分は何かとんでもない面倒に巻き込まれつつあるのかもわからない。――
 得体の知れない不安を紛らすために私は何度も酒をあおった。
 本当に私は――私の演ずる丸山孝雄はその妻の前で二本、三本とよせばいいのに次々と銚子を空けた。
 そしてもちろんそれは飲んではいけない酒だったのだ。
 それはそうだろう。そもそも私は昨夜の大酒のために記憶の機能に大きな障害を負っていたのではなかったか。
 もちろん時が経って体からすっかりアルコールの抜ける頃には、頭の中に立ちこめたこの深い靄もまたすっかり晴れているのにちがいない――だがだとしたらなおさら、今のこれはけっして飲んではいけない酒だったのだ。
 そうだった。二本、三本と銚子を空けながら私は再び頭の芯に激しい頭痛を感じだした、
 ようやく抜けつつあった昨日の酒に今しも新たな助勢が加わって。そのようにして晴れるはずだった記憶の靄はかえってますます深まってしまう。……

 翌朝けたたましい目覚ましのベルで私はかろうじて目を覚す。 かいがいしい女房に世話を焼かれながらようやく身仕度を終えた私は、半ば朦朧とした意識のまま家を出る。
 それはただ寝呆ぼけているのとは違う。昨日の酒と一昨日の酒が複合して、脳味噌の全体に何か忌まわしい作用を働いているのにちがいない。
 冬の朝の凛冽な空気は確かに肌を切った。だがそれは少しも夢見心地を覚ましはしない。私はただもう一つの何か別の夢の中に投げ込まれたのだ。肌に触れる空気さえこんな鮮烈な体感を伴うような、いとも生々しい悪夢の中に。――
 私が向かうのはもちろん亭主の勤め先だった。
 机から持ち出した茶封筒にA社の住所があった。ただそれだけを頼りに私は覚束ない足取りで電車を乗り継ぐ。
 私が降り立ったのは千代田区の三崎町。ばかでかい球場とキャンパスのない大学の狭間に無数の製本業者がひしめきあう街だった。
 隘路に迷い込んで三十分ほど堂々巡りが続く。
 そのとき私の目の前にまったく唐突に、それはもう本当に夢の中のように唐突にA社のビルが――二階建てのちっぽけな社屋が出現したのだった。

 そこで私を待ち受けていた決定的な瞬間。次第に私を搦めようとするオカルトの罠。……
 一瞬の俊巡の後、私は意を決して扉を開けた。
 紺色の事務服を着た女がまるで待ち兼ねた客を迎えるようにこちらに歩み寄ってくる。
 「あら丸山さん、遅いじゃない。校正の仕事早くお願いしますよ。――」



 女の言葉を遠いやまびこのように聞きながら、私は力なく傍らの椅子にへたりこんだ。確かにその瞬間それまでずっと私を支えてきた何かが――すべてが音を立てて崩れ去ったのだ。

 弱り切った私の様子に女もまた難詰を諦めて銀縁の眼鏡を光らせながら立ち去る。
 数秒をおいて再び立ち戻った女の持ち込んだ仕事――目の前の机に積まれた原稿用紙の山に顔を埋めながら私はひそかに涙した。
 ひとり銀縁眼鏡の女だけではなかった。この建物の中の誰一人として見知らぬ闖入者の存在を気にとめる者はないのだ。
 私が同僚の丸山孝雄であること。そして多少の遅刻に照れながらいつもの机で事務を取り始めたことをつゆ疑ってはいなかった。お茶汲みの女すら湯気の立つ茶碗を机に置いたきり私の顔を閲そうともしない。
 そうだった。狂った家族の誤解を解くためにわざわざ足を運んだ亭主の職場で。だがしかし今やそうして味方に引き入れるはずの彼らもまた、そのままこぞってあちらに寝返っていた。だとしたら確かにもはや私にはなすすべはないのだ。――

 もし職場の誰一人異変を認めないとしたら――打ちのめされた私はそれでも必死になって筋道を追おうとした。
 確かにそこではこれまでの私の理解は根底から覆った。もし異変が家族三人の中だけならもちろん狂気の伝播を疑うこともできた。だがこうして会社の人間まで全員が狂ってしまったとは到底考えられない。……
 そのようにして、もし狂っているのが彼らではないとしたら、――だとしたら狂っているのは人間の方ではなく、ひょっとしたら世界を統べている秩序自体に何か尋常でない破綻が生じたのかもしれなかった。
 それこそはあの私をからめようとする不条理の罠?――そうだった。何かとてつもなく忌まわしい悪意によって、きっとそこには大掛かりなすり替えが行なわれたのだ。
 瞬時にして箱の中身が入れ代わってしまうマジックのように、私とこの丸山孝雄という二人の人間の間に隠微な交合が行なわれた。男の面貌や掛かり合いはそのままに魂だけが――電球の玻璃の中で透明なガスに包まれて輝くあのフィラモンの部分だけが入れ替わって。……
 否。もちろんそれはただの私の妄想だった。
 この科学万能の世の中でそのようなことは起るはずはない。転生やら入れ替わりやらはすべてが荒唐無稽なお伽話にすぎない。
 私は激しく二回頭を左右に振った。まるでそうすることで自分の脳髄からたちの悪いアルコールの影響を振りはらうことができるかのように。

 狂っているのが彼らではないとしたら――そうだった。だとしたら最後に辿り着く結論はもちろんたった一つしかない。
 もちろん本当は私自身も心の中ではもうとっくにそのことに気が付いていた。ただ今の今まで真実を直視する勇気を持てなかっただけなのだ。
 だがもはや私も認めずにはいない。狂っているのが彼らではないとしたら、だとしたら狂っているのはやはりこの私自身なのにちがいない。
 私の背筋に激しい悪寒が走った。それは単に悪夢の与える戦慄とは違う。それは冷厳な真実だけが、――悪夢のような真実だけが与える身も凍るような悲しみの戦慄なのだ。
確かに事態は残酷なまでに簡明だった。誰もが私を「丸山」として扱う理由はその実狂気でも策謀でもない。それはただただ至極単純に私が本当に丸山孝雄だからなのだ。
 そうだった。丸山孝雄とは他ならぬ私自身のことだった。だが彼は――いやつまりこの私は何らかの原因のために精神に変調をきたし、その結果悪性の健忘症のような症状が起こってこうして自分自身に関する記憶をすっかり失っているのだ。
 昨日の朝K駅に降り立った私は酔いと眠気が大方醒めた後にも思い出すことができなかった。その前日自分はどこで、誰と酒を飲んだのか。そしてまたその前日は? ――だがしかしそればかりではない。私の記憶の中のあの霞みの掛かった部分にはその実丸山孝雄の四十三年間の閲歴がそっくりそのまま隠れていた。それはいわば失われてしまったジグゾーパズルのピース。そのうえパズルの図柄を知らぬ者はただ当の私一人だけだというのだ。――
 これまでずっと異常と思えた彼らの方が実は真っ当で、狂っているのはこの私自身だった。上だったものが下になり、右だったものが左になって世界が裏返ってしまう。それはあまりにも唐突な、忌まわしいどんでん返し。……

そのうえそれはもはやただ一時の二日酔いの醜態とはちがう。こうして現に丸山孝雄として自分の家族と同僚とに囲まれながらなおかつ何一つ思い出すことができないとしたら、それは確かに物忘れと呼ぶにはあまりにも深刻な症状だった。
 だとしたらそれはもちろん「狂」ということなのにちがいない。
 私自身の内側の目には見えないどこかを今何かとてつもなく忌まわしい病が蝕んでいる。そこは私の頭脳なのか心なのかあるいは魂と呼ぶべきなのか――ともかくもその病のために私の精神の働きにいつしかひそかに疾患が生じ、今ではもはや自分自身の正体さえ認めることがかなわぬほどの重度の障害に到っているというのだ。  本当に、それは何という恐ろしい宣告だったろう。
 そのとき私の脳裏に真っ先に浮かんだものは世人の場合と少しも変わらない。それは要するにただあの暗く湿った座敷牢。人里離れた松林の中の病院。鉄格子のはまった病室。――もちろんすべては本当はけっしてそうではない、昔語りの神話であるにすぎない。だがしかし神話の中のおどろおどろしい光景は言い伝えられるうちに確かに無知の心の奥処に巣くい、容易に私たちを謀ってしまう。
 例えば何も知らないあのころの私はてっきりこんなふうに思いこんでいたのだ。
 この狂気という病は特別の病だった。他の病気の場合ならどんなに重いものであろうと畢竟機能の故障であり、修理屋の腕前がいつでもたちまちそれらを治してしまう。できものなら切り落とすこともできる。指が欠けたのなら義肢で補うことができた。臓器でさえ移植は可能なのだ。――だが今の私のこの異常は存在のもっと中心の部分を蚕食する、いわば私という本質そのものの疾患なのだった。だとしたらそれは切ることも補うことも、移すこともままならない。……
もちろんそんな考えは一介のサラリーマンが耐え続けるにはあまりにも重たすぎる考えであったにちがいない。
 激しい失意に打ちひしがれながら私はそれでも必死に涙を隠した。相変わらず丸山孝雄の机に座って例の山積みの書類の陰に顔を埋めながら。――



相変わらず丸山孝雄の机に座って例の山積みの書類の陰に顔を埋めながら。――

 だが、否。もちろん私とてそうしていつまでも悲嘆にくれてばかりはいられなかった。
 真っ暗な闇の向こうにそれでもいささかばかりの希望の光を探すために、私はいつしかこんなふうに呟くことを始めたのだ。
 そうだった。これもまたあのお馴染みの俗説によれば、通例心の病を患う者たちはけっして自分自身の異常さに気付かない。そんな病識の欠如こそが狂人の狂人のたるゆえんであり、きっと精神病の要件なのだ。
 だがしかし今のこの私は間違えなく現下の変調を自覚し、嘆きさえしているではないか。いわば私の欠損はもっぱら記憶と感覚の領域にかぎられたもので、理性そのものはあくまでも健常で筋道立った思考にも耐えることができる。だとしたら私はけっしてそうではない。少なくとも致命的な段階にまでは蝕まれてはいないのだ。…… もちろんそれはいわば闇の暗さに耐えかねた私が無理やり点した灯のようなもの。すべてはここでもまた私の無知が致したおめでたい楽観であるにすぎない。だがしかしたとえそうだとしても、あのときの私はただそう信じて縋るしかなかったのだ。――

 確かに私は必死になって自分自身に言い聞かせていた。
 そうだった。それがもし本当に単なる感覚の齟齬にすぎないものなら対処もまたけっして困難ではないにちがいない。
 つまりはたとえその目に世界が逆様に映っているとしても、当の本人にその自覚が備わっているかぎり少なくとも演技を続けることは可能だっだ。本当は上が下であり、下が上であることを自分自身に言い含める。そうすることに次第に慣れていけば生活自体を営むことに大きな支障はきたさないにちがいない。
 病に冒された感覚のたわごとを健常な理性がたちまち撥ねつけて、本当のあるべき姿を教えていく。いわば歪んだ情報に対しては恒常の検閲と補正を行うことで、不揃いの靴下を履くような違和感はあっても確かに正常を演技することはできる。……
そのうえ可能なのはけっして演技だけではない。そんな作業を根気よく無限に重ねていくことでひょっとしたら治癒さえもが可能かもしれないのだ。
 それはそうだろう。感覚の非をすかさが理性が正す。上を下と、下を上と言い換える。そんな補正と変換のシステムがいつしか常住に機能するように仕向けることができれば。それは快癒ということと一体どう違うというのだろう?
 そんなふうにいわば一種の自律訓練のような療法を続けることで、医者にも掛からず誰にも知らぬうちにこの狂った感覚を元に復させることができるのにちがいない。……

 誰にも知られずに――もちろんそれこそが最大のポイントだった。
 幸い私はこれまで自分の心中の出来事をまだ誰にも打明けずにいた。家族が家族に思えぬこと、会社が会社に思えぬこと、自分が自分に思えぬこと――何度も喉のところまででかかった言葉を、偶然の巡り合わせも手伝ってそのたびにすんでのところで飲み込んできたのだ。
 もし本当にそんな妄想を話したとすれば悪い冗談と受け流してくれればよし、たいていの場合はたちまち異常を見抜かれてしまう。その揚げ句はあの暗く湿った座敷牢、鉄格子のはまった病室――私のもっとも恐れていたあれらの結末を招いていたのにちがいない。
 だとしたらもちろんそんな忌まわしい心の秘密はこれから先も永遠に秘密であり続けなければならない。そしてそのためには確かに今もまたすべてが暗々裡に処理される必要があったのだ。
 誰にも知られずに――つまりは外見にはあくまでも正常を演じながら、私は誰の助けも借りることなくたった一人の努力でこの内なる病に打ち克たねばならない。
 もちろんそのような芸当はけっして易々として成し遂げられるものではない。
 きっと私の前にははてしない孤独の戦いが待ちかまえていた。胸中の懊悩はけっして誰にも気取られてはならない。そのうえ私はたえず上を下と、赤を緑と言い続けなければならないというのだ。……
 まるで踏み絵に耐える基督者のようなそんな苦しみに臨むには確かに並大抵の気持ちでありえない。そこにはどこかめくるめくような凄切な覚悟が必要なのだ。――



 書類の山に顔を埋めたまま私は再びきつく唇を噛んだ。

 そうだった。これから現実が始まる。
 K駅の朝焼けに謀られて夢見続けたあの空物語は終わった。
 独り合点のどたばた芝居の一日の後で、今しも本当の現実が始まろうとしている。
 私が生き抜かなければならない蒼白の時間、演じなければならない丸山孝雄の初舞台が――

 そんな時突然肩を叩かれて、私はたちまち我に帰る。振り返るとしょぼくれた背広姿の男がにこにこと私に微笑みかけている。   だが私は驚かない。私にはもうすべてが分っていた。それがきっと丸山孝雄の――私の仕事仲間の一人であり、今めりはりのない仕事の息抜きのために気楽な世間話を仕掛けようというのだ。
 あにはからんや男はしきりにお猪口を口に運ぶパントマイムを繰り返しながら、まるで辺りをはばかるような小声でささやいた。
 「一昨日はどうも。ごちそうさま」



 その時からすべてが始まってしまった。何かが決定的に始まってしまった。
 始まったのは丸山孝雄という平凡な雑誌記者の毎日――だとしたらそれはもちろんただあのお馴染みのサラリーマンの生態が、ここでもまた少しばかり形を変えて繰り返されたということにすぎない。
 その詳細はあらためて記すまでもない。それは要するに任意の職場で演じられるあの単調な日々の仕事。お決まりの気散じ。
 おもねりと反骨。男と女の噂話。
 そしてそのどこにも家族、家族、家族。……
 それらのありきたりのメニューの一通りに私もまた箸をつけていく。
 だがしかし忘れてはならない。そんなあまりにもありふれた日常が、あのときの私が置かれたようなあまりにも特異な状況の中ではたちまち苛酷な試練へと変じてしまうのだ。

 少なくとも最初の一週間それはそうだった。
 丸山孝雄を演じ始めたあの最初の一週間。私がまず経験したのは台詞をもらわずに舞台に上がった役者の困惑だった。
 それもむべなるかな、なにしろ私ときたらこの丸山孝雄についての記憶と情報をまるごと欠いていたのだ。
 すべてがゼロからの手探りの演技だった。妻子と交わす言葉の一つ一つが、同僚たちの表情の一つ一つが発見であり同時に学習なのだ。記憶を失う前にひょっしたら交わしたかもしれない約束。言い張ったかもしれない意見。それらと少しも齟齬を来さぬように慎重に言葉を選ぶ。そうしてその場その場を切抜けながら一方で自分の内部に膨大なデータを蓄積していく――そんな綱渡りの作業を強いられた者の苦衷はきっと想像に難くないはずだ。

 そればかりではない。
 私の理性と感覚は相変わらず思い思いの世界像を組立てていた。理性はもちろんとっくに「丸山」を認知していた。だが一方感覚の方は頑なにあの日の始発電車の原体験にしがみついている。自分はけっしてそのような人物ではない。ただこうして見知らぬ町に迷い込み見知らぬ家族の囚われとなった、悲しい身の上であるにすぎない。……
 それぞれに囁くそんな二つの自己認識のどうしようもない不整合を抱えながらぎこちなく日々を暮らす。――いわば道を行く度に同じ段差につまずいて、ぶざまによろめく自分をもはや笑う余裕すらなくして。……

 それはまた同時に孤独におののく日々でもあった。
 心中の懊悩は誰にも打ち明けることはかなわない。――そうだった。それがもし会社での戦いなら愚痴を聞いてくれる家族もいる。夫婦のいさかいなら慰めてくれる友もいるだろう。だが私の場合、本当に誰もいないのだ。そんな思いには確かに凍てつくような淋しさがあった。
 そのうえそれはただの孤独とは違う。私は誰とどこにいても自分の演技が気取られることを恐れて身構えていなければならない。いわば回り中を敵の間諜に囲まれて、ただ一人蒼白の不安に怯えながら。……

 科白を知らない役者の困惑。けっしてかみ合うことのない二つの自分。そして孤独。
 もちろんすべてはあの日書類の陰に顔を埋めながら私が覚悟したもの。私が生き抜かなければならない丸山孝雄の殺伐の現実だった。
 凡庸なサラリーマンの一日を過ごすことがそっくりそのまま壮絶な難行となるような、悲しい逆説の仕組みが確かにそこにはあった。……
 そうだった。少なくとも最初の一週間、そうして待ち受けていた苦闘の日々に私は健気に歯を食いしばって耐えたのだ。
 だがしかし?――
 だがしかしもしそんな始まったばかりの苦難の日々が本当にただその一週間だけで終わってしまったとしたら、それは一体どうしたことだろう?



 ただその一週間だけで?――
 もちろんそんな物言いはとてつもなく奇異なものに聞こえるだろう。今しもそうして始まったはずのもの。その最中には確かに永遠に続くと思われた苦しみがあっけなく終わってしまう? だとしたらそれはずいぶんと人を食った、乱暴な幕引きに思えるに違いない。
 そればかりではない。そのころから私の運気のグラフがまるで底を打ったように上昇に転じ、災厄に代わって立て続けの僥倖が訪なった。――もしそんなふうに言ったとしたら、そんな荒唐無稽な筋書きをもはや誰も笑って取り合おうとはしないだろう。

 だがしかしそれは実際その通りだったのだ。
 本当に何ということだろう。苦難の一週間のその先に待ち受けていたものは、尋常の物語の展開にはけっしてあってはならないどんでん返し。それは単に受難が終わったというばかりではない。立て続けの僥倖が訪なって負が正に、陰が陽に、影が光にというようにすべてのカードが一斉に裏返った。……
もちろん今になって思えば種明かしはいとも容易だった。そんな「尋常ならざるもの」こそがきっとあの私の病の致したものだったのにちがいない。
 そうだった。私が患うような心の病というものは、ときにその周期の波によってそんな悪戯を働くことがある。昨日まではしゃいでいたはず極楽蜻蛉の男が、躁が鬱に転じたとたんに陰気なため息で傍目を驚かす。だとしたらその逆に地獄に喘いでいたはずの私が唐突にバラ色の夢を見ることを始めたとしても、けっして怪しむには当たらないのだ。
 すべてはただ周期の波に弄ばれた私の心が見たバラ色の夢。だがしかし少なくともあのころの私はそんな舞台裏のからくりには少しも気づかずに、突然の奇跡の降臨を前にしていつまでも目をしばたたくしかなかった。――

 確かにそれはあまりにも不思議な経験だった。
丸山孝雄を演じ始めた一週間の苛酷な試練。だがしかしそんな苦闘の日々がそうしてちょうど一週間ほど続いたころ。まずは私の心の中にある意想外な――だがしかし確実な変化が訪れたのだ。
 本当に、それはちょうどあの頃からだった。
 あの初めの日から私をずっと悩ませてきた忌まわしい違和感がやにわに消え始めた。
 丸山孝雄を演ずることの、否、丸山孝雄であり続けることのどうしようもないぎこちなさが急速に癒えていく。
 それはまるで最も困難なはずの魂の移植が――存在の根そのものの植え代えが成功していくようにも見えた。あれほど懸念された拒否反応を伴うこともなく。……

 そのうえ変化はただそれだけにとどまらなかった。確かにそれもまた何という意外な発見だったろう。そうして頑固なしこりが取り除かれたその後に、そこには次第にどこか見覚えのあるなつかしい気分が蘇っていったのだ。
 それはもちろんあのすべて始まりの日、私の心にほんの一時だけ宿ったもの。上りの電車で引き返す代わりに見知らぬ朝の町を訪ねた幼い冒険気分。――
 そしてそれもむべなるかな。
 今の私にまだ過去の記憶が戻っていないとすれば、ようやく受け入れ始めた「丸山孝雄の人生」を生きることはそっくりそのまま未知の世界の探訪になる。いわばかつてはただ気重な試練でしかなかったものが、今や鬱から躁に転じた私にとってはどこか心浮き立つ冒険のように感じてられていたのだ。それはちょうど一夜の酒の酔い心地に誘われたあの朝の場合と同じように。――
それはまたたとえば小説家にでもなったような気分だった。丸山孝雄の家族関係。丸山孝雄の仕事関係。丸山孝雄の友人関係。丸山孝雄の女性関係――そんな取材の成果を白紙のメモ帳に一つずつ書きためながら、やがて私はすべての筋書きを組み上げて一篇の小説世界を作り上げていく。
 もちろんそれは数奇崇高の物語ではない。ただ安物の通俗小説が描き出す下世話なてんやわんや。それこそはあのあまりにもお馴染みのサラリーマンの生活であるにすぎない。――だがしかしそんなワンパターンの筋書きがそれぞれのコンテクストで演ぜられるのを見るのは退屈とばかりは言い切れない。そのうえ少なくともそれは肩の凝らない読み物であることは間違いないのだから。

 それは確かに小説家にでもなったような気分だった。――ただそれが小説と違うのはそこに作り上げられたものが誰か他の人間の人生ではなかったことだ。それは私自身の人生であり、丸山孝雄の成功はそのまま私の幸福を増し、丸山孝雄の失敗はそのまま私の不幸を増した。
 だとしたらそれはむしろファミコンの冒険ゲームに興ずる少年たちに似ていた。
 与えられたルールと設定で、それぞれの武器と地図とを携えながら少年たちは成果を競う。画面に映った世界は傍目にはただ作り物のように見えるかもしれない。だが忘れてはならない。少なくとも操作盤に向かう今この瞬間のゲーマーにとって、それは確かに彼らの人生なのだ。
 そうだった。彼らの上げる歓声も叫喚もけっして座興のたわむれではない。そうして彼らは今しもそれを――ゲームの中の人生を生きている。そのときめきも苦悶も憤怒も、確かにすべては本当にその中にあった。……
そんなふうに私もまた丸山孝雄の人生を生きることを始めた。設定は四十二才の四人家族の雑誌記者。そんなサラリーマンの浮き沈みの人生のゲームを生きることを始めたのだ。
 そしてそれはもはやけっして気鬱な演技ではない。もっとずっと心浮きたたせる種類のもの。
 それこそはあの操作盤に向かう少年たちの手に汗握るスリリングな戦いだった。――



それは私の心に訪れたいわばあまりにも突然の小春日和。丸山孝雄を演ずるための戦いが今では何か愉快な、人生の冒険ゲームのように感じられている。……
 だがしかし私を本当に驚かしたのはそのことではなかった。それにも輪を掛けて奇怪だったのはそうして私が加わった人生のゲームのあまりにも一方的な結果だった。

 そうだった。ゲームならば必ず勝ち負けがあり、笑うこともあれば泣くこともある。それが常道だった。だが私の場合どういう巡り合わせなのか、そもそもの初めから破竹の連勝に恵まれてしまうことになるのだった。 
 生まれて始めて前にするファミコンの操作盤。もちろん少年は自身の才能などまだ知るべくもない。だがものの一週間もした頃には、少年はどんな名人の度肝も抜いてしまう技倆を示し始める。
 私の運気のグラフが上昇を続け、立て続けの僥倖が訪なう。――もちろん今思えばそれもまたきっとあの私の病が働いた悪戯だった。本当に我が身に起きたのはその実些細な幸運や、ちっぽけな勝利であるにすぎない。ただ私の心のいわばレンズの歪みのようなものが一を十に見せ、十を百に思わせた。あくまでもそんな錯覚の結果として、私はまるで我が世の春が訪れたかのような有頂天に酔いしれたのだ?
だがしかしあるいはまたひょっとしたら、それはけっしてそうではない。たとえそのすべてが病に起因するものだったとしても、私たちの前向きな希望に満ちた心はときに不思議な呪力を授かりあるはずもない奇跡の業をなす。だとしたらあのときの私もきっとそのようにして、本当にあんな立て続けの勝利を招き寄せたのだ。……

 確かにそもそもの初めからそれはそうだった。
 そもそもの初めから――つまり私がまだ右も左も分からずに事務所の片隅に引籠もっていた頃から、いわばビギナーズラックのようなものが次々と私に不可思議な勝利をもたらしていたのだ。
 例えばあの最初の日、あの銀縁の女が持ち込んだ初仕事はどうだったろう? 山と積まれた原稿を前に私もやむなくノルマに取り掛かる。記憶を失くした私にとって確かに生まれて初めてのこの校正とやらの作業に、冷や汗をかきながやっとの思いで事を仕上げたのだ。だがそのとき私を待ち受けていたものは、けっして懸念されたような叱責の言葉ではなかった。
 「もう済んだんですか? 珍しい。……いえ、とても助かります」
 私は思わず失笑した。急場しのぎの自分のやっつけ仕事がかくまで有り難がられてしまうようなら、雑誌記者の業務なんてずいぶんいい加減なものだ。そのうえ女の皿のようになった目から察すれば、彼らの知る丸山孝雄という男は相当に鈍重なタイプだったにちがいない。だとしたら比較される相手がいつもそいつであるかぎり見劣りの心配はない。私も十分に気楽に構えていることができそうだった。……

 もちろんノルマはそんな単純作業ばかりではない。
 例えば翌日には私にも早速記事の割り当てが回ってくる。「開幕に寄せて」という仮題で球界に望む提言を書き連ねるというのだ。つまりは今度は手際だけではない多少の独創の才を要する仕事なのにちがいない。だとしたら私はここでもまたいわば初めて作文の宿題を課せられた小学生の気分になって最初は恐る恐る、途中からはもう目をつぶってただ出任せを書きなぐった。
 だが何と言うことだろう。そんな少年の作文を迎えたものはかえって受け持ちの中に神童を見つけてしまった教師の驚愕だった。
 「素晴らしいじゃないか、丸山君。きわめて独創的だ。君にこんな才能があったとは、やあ、お見それしました」
 最大級の賛辞を並べ立てるのは初めての日にごちそうさまの声を掛けてきたあの男――編集長の佐藤なのだった。
 聞きながら私はこうして自分の演ずる先代の「丸山」という人物にますます蔑みの念を禁じ得なかった。だがしかしそればかりではないのだ。さらにもっと驚いたことに、どうやらこの会社においては無能なのはけっして丸山一人ではないようだった。
 「今月の巻頭記事はこれで決まりだ。誰のどの記事と比べても、出色の出来じゃあないか」
 一人はしゃぎまくる編集長を前に私はにわかに白々とした気分になっていった。本当に、こんな出鱈目なでっち上げが雑誌のメインを飾ってしまうようでは他の記者たちの才能も知れたものなのだ。――だがそんな私の哀れみもやがていつしか哄笑に変わっていった。それはそうだろう。どんなに馬鹿馬鹿しいことに思えようと、勝ち負けだけを言うならこれは確かに圧勝だった。そのうえこうして神童に祭り上げられるのは、たとえ少しも身に覚えがないとしてもまんざら悪い気はしないにちがいないのだ。……
 そのようしてこのにわか仕立ての「天才」はあくまでもつつましく片隅の机に引き下がった後でただ腹の中でいつまでも、いつまでもくつくつと笑い続けた。……
 
 万事がこんなふうだった。まるでいたずらな妖精が陰で魔法でも用いているかのように、やみくもに振り回す私のバットにボールの方から当ってくる。そんな百発百中が私にはただ愉快なばかりかむしろどこか滑稽なものと感じられている。――
 そのうえ快打は単に仕事の上のことだけにとどまらなかった。
「最近丸山さんがずいぶん垢抜けてきたわね」。そんな女たちの驚嘆の声が私のところにも聞こえてくる。どうやらこの丸山という男は、つまり以前までの私は中年男にはありがちなずぼらなタイプらしかった。身嗜みに気を使わぬあまりせっかくの男臭さが悪臭に変わってしまうというような――その丸山が今や寝癖を見付ければ油で頭を撫で付け、髭の濃い顔には必ず毎朝剃刀を当てる。二日と同じネクタイを締めることもなく身奇麗にし始めたものだから、幾人かの女が胸をときめかしたのも理だった。
 もちろんまだまだ丸山孝雄になりきれない私は何につけてもとんちんかんな言動を連発した。だがOLたちの魔可不思議な感性は私のまさにそのずれ具合の中に――相手の言葉を理解しかねて小首を傾げるその仕草にさえ、どこか悩ましい「詩」のようなものを嗅ぎ付けてしまうようなのだ。
そしてそれはけっして私の手前味噌とは違った。確かに実際バレンタインのその日にはいずれ劣らぬご大層なプレゼントの包みが私の机に山と積み上げられたのだ。
 そんな熱狂ぶりを横目に見ながら切り屑みたいな義理チョコで両手を一杯にした同僚たちは、あくまで女子供のざれ事と笑い飛ばそうとして果たさなかった。……



 確かにそもそもの初めからすべてがこんな具合だった。
 丸山孝雄を生き始めたばかりの私の吃音ような演技さえ何故だか過分な喝采をもって迎えられてしまう。
 だとしたらやがて時が過ぎ舞台の立ち居振る舞いもようやく板に付き始めた頃、役者がどれほどの成功を博したかは説明の要はないだろう。
 チャレンジは必ず吉と出て、まるですべてが私の思いのままになるようにさえ感じられた。――否。もちろんそのようなことは本当に起こるはずもない。おそらくはそれもまた躁に転じた私の心の病が見せたバラ色の夢だったにちがいない。
 だがしかし忘れてはならない。たとえそれがただ私の心中だけの出来事にすぎないとしても、少なくともそこではすべてが真実だった。今では私の唯一の関心事である自分自身の「心」の次元――そこではすべての奇跡はまがいようもない現実の出来事だったのだ。
 だとしたら私はやはり書き連ねる。余所目にはどんなに滑稽に響こうとも、私自身が確かに邂逅したあまりにも不思議な連戦連勝の成功の奇譚を。――

 そうだった。ファミコンに向かう少年のように私が始めた生まれ変わりの人生ゲーム。丸山孝雄にまつわるすべての情報を新しく一つずつ学習しながら、成功の冠を掴みとっていく冒険のゲーム。
 もちろんそこに繰られたのは波乱に満ちた英雄たちの冒険とは違う、あまりにもありふれたサラリーマンの毎日だった。だがしかしかくまでの戦果に恵まれたときそれはそれで興の尽きない愉快な成功の物語となる。――
 例えば私の勤務するA社は三つのスポーツ誌を発刊する雑誌社だった。
 野球誌配属の私は今では現場の取材というよりも編集のデスクワークを主にしている。
 直接の上司はあの編集長の佐藤で、私より一つ年上だが気さくな良い男だ。
 もちろんこのA社の組織の中では佐藤のような各誌の責任者はただ傀儡にすぎない存在だった。元締めとして実権を握っているのはA社のオーナー社長でそのワンマンぶりから神のように畏れられる澤山なのだ。
 元来はA社の独擅場だったこの分野でも、近年は後発の数社に押されて部数の落ち込みは目を蔽うばかりらしい。そのことを快く思わぬ澤山は三誌の編集長に有形無形の圧力を掛けていた。佐藤が食事の度に胃薬を欠かさないのはどうやらアルコールのせいだけではないようだった。……
 私が佐藤に好意を抱いていたように佐藤もまた私を腹心の部下として万事につけて頼り切っていた。交誼は仕事の上だけにとどまらずアフターファイブの酒にもしばしば私を誘った。
 とりわけ二人の絆を堅固にしていたのは私たちが同じ草野球チームの主戦であったことだ。
 A社の愛好家が集った「マイナーズ」の中でとりわけ佐藤は群を抜いてチームに入れ込んでいた。甲子園の土も踏んだというこのかつての野球少年にとって、グラウンドはただそこにいるときにだけ本当の自分に戻ることができるようないわば生き甲斐そのものだったのだ。――
 そして私の成功譚はここでも一頁を加えていた。
 ライバルチームとの試合を控えたある日私たちのエースが突然の腰痛でダウンした。
 代役に選ばれた私は血祭りに上げられるべく恐る恐るマウンドに立った。
 だが不思議なことにピッチングのいろはさえわからぬままに委細構わずぶん投げる私の球に、宿敵の打者たちのバットは空を切るかせいぜいポップフライを打ち上げるだけなのだった。
 相手の投手も好調でゼロゼロで迎えた九回裏、絵に描いたようなサヨナラヒットで私たちは勝った。
 試合後佐藤は私の肩を抱く。
「これは驚いた。素晴らしかったよ。ありがとう。本当にありがとう」
 エースの故障といういわば逆境をはねのけての勝利が感激屋の佐藤の胸を打っていた。眼鏡の向こうに涙さえ浮かべた編集長の純情ぶりに、またしてもまぐれ当たりをしでかした私は何だか気恥ずかしい気持ちになる。……

 そんなささやかなエピソードが私と佐藤の公私に渡る信頼関係をますます深めていった。
 もちろん肝心なのは仕事の方だった。
 あの例の「開幕に寄せて」以来、佐藤は五週に渡って私の書くものを巻頭記事に推し続けた。彼の言を借りれば私のそれはスポーツ記事を害する「現場主義」の弊習を免れている。足を棒にした取材を尊ぶあまりただ平板な情報の告知で終わってしまう――そんな古い現場主義の遺物を私の文章は見事にかなぐり捨てていた。そこには確かにビジョンがあり、独創があると言うのだ。
 そのうえそんな肩入れは必ずしも佐藤の身贔屓ではない。あの開幕号以来売り上げは着実に上向いていた。B社への劣勢を挽回するには到底至らないが、少なくとも一昨年並みにまでは復しているのだった。
 そんな嬉しい数字を見せられた日、私は居酒屋で佐藤に酒を奢られた。私の杯になみなみと酌をしながら、
 「君のおかげだ。世間も君の文才を認めざるを得ないんだ。
 B社の連中は五十歩百歩の数字と笑うかもしれないが、これから焦らずに追い上げればいい。君のおかげだ。改めて君に惚れ直したよ。ありがとう」
 あのグラウンドでの大勝利の日と同じように佐藤は眼鏡の向こうの涙を隠そうともしない。そんな編集長の姿を前にして、自分の出任せな文章が少しでもこんな良い人のお役に立てたことをずいぶんと嬉しく感じた。……

 そんなふうにやることなすことがすべてうまく運ぶ連戦連勝の日々が続いた。
 それは本当に不思議な感覚だった。いわば何か宗教的な力が私の中に宿り次々と不思議な業をなした。投げられた賽はいつも四半分だけ余計に回転して私の望んだ目を出すのだ。……
 そうして三ヶ月続いた怖いもの知らずの絶頂の日々。その後に訪れた破綻など嘘のように、大波に乗って宙に舞い上がったサーファーのこのうえもないハイな気分。……



そのうえ私に「惚れ直した」のは編集長一人だけではなかった。実に世界の人口の半分が――つまりはすべての女性が私に惚れ直しているようだった。
 否。それはもちろんここでもまたあまりに脳天気な私の誇大妄想であるにちがいない。
 どうやら躁の病のあのおめでたさはことこうして色事がからんだような場合にとりわけ重症の度合いを増すらしい。それは本当に野放図に常軌を逸し、常人には到底及ばないような高みを天翔ってしまう。……
 だがしかし少なくともあのとき私の心はすべてをそのように感じていた。私の唯一の関心である自分自身の「心」の次元――そこでは確かにすべてはそのように起こったのだ。……

本当に、今ではすべての女性が私に惚れ直していた。それはあのバレンタインの一幕ばかりではない。常日頃から女たちは私の存在を意識し、私の視線を気に掛けてはそわそわしていた。そしてそれはけっして私の思い違いなどではない。ある者は夢を見るような眼差しで高嶺の花の私に見惚れ、またある者は実際にその好意を得ようと色目を使ってモーションをかけてくる。……
だが同時に私はここでも一つ忘れてしまった丸山孝雄の物語の、その筋書きを教えられることになる。
 そうだった。どうやら私の艶福家ぶりはけっして今に始まったことではないらしかった。こうして新たに私にのぼせ上がったいわば後発隊とは別に、丸山には元々幾人か決まった愛人があったのだ。
 中でも総務課の愛子との関係は社内では半ば公然の秘密だったようだ。愛子自身私との関係を引き摺ったまま、二十八にもなっていまだに嫁にも行かずにいるくらいだった。
 そしてそこにはあのおきまりのトラブルがあった。妻子ある私に愛子は家庭を捨てることを求める。そして。……
 そんなトラブルに私は巻き込まれていたらしい。――もちろんこうして他人事のように述懐していられるのも、新しい丸山に生まれ変わった私がすべてをたちどころに片付けてしまったからである。それはちょうどややこしい綱の結び目をほどこうともせず、一刀両断に断ち切ってしまった伝説のアレクサンドルのように。
 確かに解決はいとも容易だった。
 そうだった。男と女の恋愛ゲームも所詮は単純な力学関係に支配されていた。どちらが惚れてどちらが必要としているのか、ただそれだけなのだ。そうして惚れてしまった方が奴隷のように跪いて恋人のすべての横暴に耐えなければならぬ――それがゲームのルールだった。
 おそらく以前の私は愛子に惚れ愛子との関係を必要としていた。そこに生まれる弱腰こそがトラブルをもつれさせた元だったのにちがいない。だが今では女の代わりはいくらでもいたから、もし愛子が去りたければ去ればよい。跪かなければならないのはむしろあちらの方なのだ。――そんな私の強気の処方は実際効を奏した。愛子はベッドの傍らに土下座して二度とあなたを煩わせません、このままあなたの女でいさせてくださいと涙ながらに哀願する。その姿を私はただ満足げに見下ろすだけだった。――

 否。こんな私のたわけた文体からはまたしてもたちまち忌まわしい「狂」の臭いが嗅がれてしまう。もちろんその通り、すべてはあの心の病が見せたバラ色の夢。レンズの歪みが映し出した人笑わせな奇態であるにすぎない。
 だが確かに少なくとも私の心の次元では、すべてはそのように起こったのだ。
 本当に肉体も精神も、とてつもなく健康な感じ。まるで禁断の薬でも用いたかのように体中に力が漲り、脳味噌はいつも冴えかえっている。だとしたらそれはきっと自分の秘められていた能力がそうして一斉に開花したのだ。……  
 たとえばまた私に惚れ直したのは女房の冴子も同じだった。
 あの最初の出会いの日の印象通りおしゃべりで、おっちょこちょいですぼらだったはずの女。だがしかしそんな中年女の厚顔無恥に私は最も単純な治療薬を処方したのだ。
 それは歌を忘れたカナリアにもう一度「女」であることを教え込むこと――そんな魔法の薬を私は本当に十二分に与え続けた。
 効果はもちろんてきめんだった。冴子は急に口数が少なくなる。寝起きの髪のままパジャマ姿で歩くような興ざめもなくなり、時には紅さえ差しだした。しばしば私は食卓の向うに夢見るような眼差しでこちらを見詰めている女房を見出だす。……
 要するに冴子もまた私に惚れ直したのだ。
 当然そんな母親の変化に気付いた子供たちは目をしばたかせる。
 「お母さん具合でも悪いの?」
 私はひそかにほくそえむ。病気なんかじゃあないんだ。お母さんは今とっても幸せなんだ。――本当に、たった一人の女房さえ持て余す世の腑抜け亭主どもと自分は何と違っていることだろう。五指に余る愛人を抱えながら、なおかつ同時にこれ程満ち足りた女房の顔を見ることができる。そんな自分の中に私は確かに何か不思議な精気がみなぎっているのを感じていた。
 私は頭の中に今度は自分自身の裸体をイメージしてみる。両の肩に、腕に、足に――私の胴から突き出たあらゆる太い枝に無数の女子供がまつわりついている。愛人たち。女房。子供。あらゆる係累。私は彼らすべてを四肢であやしながら幸福という名のパンを投げ与える偉大なる家父長だった。私は男としてこれ以上ない自信を感じていた。……

 もちろん私とてもうとっくに気がついている。すべてはここでもまた、やはり私の病の紡がせた度し難い奇想であるにすぎない。躁の気分のあのあやしい高ぶりに煽られたとき、患者の心は必ずきまってこんなとめどない観念の奔逸を経験するものなのだ。
 だがしかし少なくともあのとき、その私の心の中ではすべてはそのように感じられていた――そうだった。私は確かにあのとき「超人」ということを思っていたのだ。それは人類が長く夢見て果たさなかったあの変身。ヒトが生身のままヒトの限界を超えるという、そんな奇跡を今しも自分が経験している――そんなふうに感じるのは本当にただ私の妄想にすぎないのだろうか……?
 「オーバーチヤージ」という忌わしい言葉もまた私の頭をよぎらなかったわけではない。だがそれは膨らみすぎた風船の末路を説くあまりにも月並みな喩えだった。過度の健康を不健康と呼ぶようなそんな逆説はつまるところは凡夫たちの妬みであるにすぎない、とあのときの私は笑って意に介さなかった。
 本当に、私に宿った神懸かりの力は次々とその霊異を働いた。職場から家庭へ。同僚から女たちへ。不思議の杖が触れる先々で、あらゆる困難がたちどころに平らげられていくようにさえ思えた。
 だとしたらもちろん夫婦の和合の次は今度は子供たちの番だった。
 確かにこの頃は丸山家のあの姉弟も揃いも揃って頼れる父親に心服していた。
 例えば反抗期の猛も今度の受験の一件があって以来父親を見る目をすっかり変えていた。――すなわち直前の追い込みで付きっきりで勉強の面倒を見た私は当然いくつか大きな山を掛けた。だがしかしそれも何という奇跡だろう。そのすべてがことごとくものの見事に的中して、その結果記念受験のはずだったK高校に合格した猛はもう父親に頭の上がろうはずはなかったのだ。……
 美しい姉の玲子もことのほかこの合格を喜んだ。つまりはあの年頃の女の子にとって自分自身の美貌が第一なら、その次に来る第二の誇りは間違えなく出来の良い弟を持つことだった。そしてついでに言うならできるだけ恰好のよい父親を持つこともまた自慢の種に数えられるだろう。だとしたら彼女はまさにこの瞬間、そんな娘としての勲章のすべてを三つながらに手にしたことになるのだ。
 そのうえ幸せの波紋は家族の中だけにとどまらなかった。例えばわが長兄の聡もさっそく甥っ子の合格祝いに駆け付けてくれる。従兄弟たちの誰もが果たせなかったK高校合格の快挙は、そんないわば一族の功と思しきものなのだ。……
 確かにそんなふうに、息子のこの合格で私の夢見心地の成功物語は頂点を迎えようとしていた。魔法の及ぶところあらゆる周囲の人間の顔が薔薇色に輝いていた。猛本人が。玲子が。冴子が。私と冴子の両方の親族が。熱心だった猛の担任が。親友たちが。そして――

 あらゆる人間たちの顔が――いやもちろんあらゆる挿話には必ず後日譚がある。ここでもまたばら色に輝いていたのは正確には全員ではなく一人を除いてすべて、と言い直さなければならない。
 そうだった。収まらないのはお隣の山田さんであった。
 それはただ隣家の僥倖が妬ましいというばかりではない。あろうことか秀才の誉れ高い彼女の息子の亮が、あらゆる模擬試験が太鼓判を押していたにもかかわらず同じK高校に落ちたのだった。――発表の夜狂喜乱舞する我が家とは対照的に、悔し泣きをする奥さんの声が漏れ聞こえてきた。その取り乱す有様ときたら、ひょっとしたら彼女がこのまま狂死してしまうのではと不安に思わせた。…… そしてまさしくこの番狂わせのために彼女は我が家を恨んでいた。そうなのだ。こうしてプラスの奇蹟とマイナスの奇蹟が同時に起こった時、その間には確かに見かけの因果関係が成立してしまう。だとしたらこれもまたやはり猛が受かったせいで亮が落ちたのにちがいない。――否。もちろんそれはただの逆恨みにすぎなかったが、実際それ以来あれだけ親しかった両家の行き来がばったりと途絶えた。
 のみならず道ですれちがっても幸福そうな冴子の顔を正視できないというかのように、山田さんは必ず顔をそらしてしまう。それはそうだろう。冴子の充足しきった表情たるやけっして単に息子の合格だけが原因ではない。そうして母としての幸福に恵まれる以前にあの女としての満足も十二分に手に入れて、今やまばゆいばかりに輝いていたのだから。……



 そして。――
 本当に、何か宗教的な力が私の中に宿り、やることなすことがすべてうまく運ぶ。投げられた賽はいつも四半分だけ余計に回転して私の望んだ目を出した。――
 もちろん今思えば、そんな奇怪な事態がいつまでも続こうはずもなかった。
 あるはずのない偶然にさらあるはずのない偶然が重なる。膨らみすぎた風船のような幸福のオーバーチヤージ。――だとしたらやはりそこでは何かが狂っていたのだ。それはあくまでも私の頭の変調だったのか、あるいはひょっとしたら世界を統べる秩序自体に何らかの故障が生じていたのか。いずれにしてもそれが例外であり病である以上すべてはいつかは正常に復さねばならなかっただろう。
 確かにこんな奇跡のような僥倖はけっして常態ではありえない。だがあのころの私は覚えたばかりのゲームの勝利にすっかり現を抜かして少しもそんな理に気付かなかった。本当に、有頂天の私はまるでこんな怪談じみた成功譚が永遠に続くかのように錯覚していたのだ。

 そんなある日私はふとさらにもう一つ嬉しい発見をする。
 その日私は午後の会社のデスクに向かいながら、それにもかかわらず心もそらに色事のことを思い巡らしていた。今夜の残業の話に確かに冴子は顔を曇らせていた。だとしたら仕事にかこつけた火遊びのことを冴子はもうとっくに感づいているにちがいない。――だがそのとき突然、私はある一つの重大な事実に初めて気付くのだった。確かに今しもそうひとりごちた自分の科白の中で、つまりは自分の意識の中で顔を曇らせていたのは「冴子」だった。それは「おっちょこちょいなあの女」ではない。もはやけっしてそんなふうには知覚されてはいないのだった!
 それは確かに驚くべき発見だった。見知らぬ町で見知らぬ女の亭主を演じていたはずの私。それが今は「私」の町で間違えなく「私」に他ならない丸山孝雄の生を生きていた。だとしたらそれはいつからのことだったろう――私は思い出せない。それはおそらくいつからということもない、本当に微量ずつの日々の変化だった。いわば見過ごしていた小さな変化が積もり積もって、世界がひっくり返ってしまったころになってようやく夜が昼になったことに気付いたのだ。――
 確かに改めて見渡せば思い当たる節はいくらもあった。玲子。猛。佐藤。……私の周囲のあらゆる人物が今では正しい名前を担っていた。そのうえ彼らの織りなす複雑な人間関係の網の目の一本一本までもが今では的確に把握されている。
 それはただ周囲についてばかりではない。私自身につきまとっていたあのおぼつかなさの感覚もまた消え果てていた。私の存在の壁の内側を今では揺るぎない一個の自我がしっかりと束ねている。そこにはまた私の歴史が復し、私は過去から未来へ確実な時の流れを意識しながら日々を生きた。朝に目覚めて自分の居場所を訝かることはもうない。……
 要するに、要するに私の病は完癒したのだ!
 確かにあの初めての出社の日、書類の山に顔を埋めながら私は覚悟していた。感覚の惑乱は理性がたしなめる、そんな補正の作業を無限に積み重ねることで誰にも知られずに病を治療しよう。――だがしかしそれから始まった新しい人生のゲームに夢中になって興じるうちに、私はいつしかそんな自分の決意を忘れた。そして皮肉なことにまさにそうしてすべてを忘れていた期間に、おそらくはまさにその無心さのゆえに治療は成就したのだ。
 本当に今ではすべての症状がごくごく自然のうちに消滅していた。自分自身の正体を否み続けるたわけた囁き。理性と感覚のぶざまな角突き合い。いわば右目が左目にそむいてあやかしの二重の像を結ぶような、そんな困惑ももう過去のものとだった。なるほど視差自体はなお残存したが、それを統合し修正する正常な機能が戻ったというかのように。
 私は四十数年来丸山孝雄自身であった。そしてまた丸山孝雄とは四十数年来私自身のことであったのだ。ある時どうしようもなく酔い潰れた日があってとんでもない誤謬が起こったこと――かつての私が語り慣れたそんな転生の奇譚もまた、少年の日の悪夢のようにいつしか記憶の奥深くに埋もれて褪せていった。そのようにして私は、たとえ一時でもそんな珍妙な夢を見た自分を笑った。
 私は病気に打ち克った。――本当に、それもまた確かに「勝利」だった。あのころ私が酔いしれた連戦連勝の夢物語の最後を飾る挿話として、私は自分自身の宿痾さえこうしていつしか破り去ってしまったのだ。
 だとしたら確かにもはや私に恐れるものは何もない。私の授かる魔法の力を前にしてなべてはかくも容易にひれ伏してしまう。――
 そんないわばわが世の春の到来にここでもまたすっかり有頂天になった私は、何だか急に自分が豪傑にでもなったように錯覚して、一応周りに誰もいないのを確認したうえでいつまでも呵々と笑い続けた。……

 それは本当に、大得意の一人芝居。だがそのとき舞台の袖のカーテンの陰で目引き袖引きしながら皮肉な笑いを浮かべているのは一体誰だろう。――舞台の裏を知り尽くす彼らはそうして意地悪く役者の増上慢を嘲笑う。それはまるで何も知らずに演じ続ける悲しいピエロをただ玩具のように弄ぶことで彼らの無聊を――神々の永遠の無聊を紛らそうとするかのように。……
 舞台裏のからくりは宇宙のすべてを宰る循環の大則だった。
 公転しかつ自転する天体。潮はその干満を繰返し、世代はまた新しい世代に継がれる。相場はお馴染みのチャートを描き――そんな世事日常の一つ一つに至るまで、天が下のすべての事象を支配してしまった周期性の呪縛。それはおもちゃの蓋を開けると必ず見いだすぜんまいのようにあらゆる存在が組込まれた仕掛けだった。だとしたらすべては確かに流れ行くものの位相にすぎない。満月のように見えるものはその実その腹に三日月を孕んでいるのだ。栄華もまた零落の仮の姿にすぎない。凪でさえああして静かに息を潜めながら、じっと嵐となる日に備えているにちがいないのだ。……
 そのようにして常に立ち戻らなければならない私たち。――だとしたらそこには進歩も成功も超越も不可能だった。そのように思いなされるものがあったとしたらそれはただ波の起伏に欺かれた一時の錯覚であるにすぎない。
 そこでもまた私たちを阻むものはやはり彼らの禁忌だった。高みに焦がれた人間たちの僣窃をいましめておそらくは彼らが――神々が噛ませた轡。……
 そうだった。あの有為転変の理の前では終の勝利も救済も不可能だった。その上ひょっとしたらそこでは病すらその変幻で私たちを惑わしているのかもしれない。例えば無病のように思えた長い期間、それはただ潜伏していたにすぎなかった。そしてとりわけある種の間歇性の病気では「快癒」でさえその実「小康」の被った仮面にすぎないという。……
そんな恐ろしい人生の真実に私は気付かなかった。少なくともそれは私の意識には上らなかった。
 そこにあったのはただ三ヶ月の怖いもの知らずの絶頂の日々。その後に訪れた破綻など嘘のように、大波に乗って宙に舞い上がったサーファーのこのうえもないハイな気分。……
 確かにそれは私の意識には上らなかった。私の意識には? そうだった。そうしておめでたい勝利の奇譚に酔いしれながら、私もまた心の奥のどこかではぼんやりとした不安を感じていなかったとは言えない。
 だとしたらそれは確かにせり上がった波濤の困惑だった。天を衝く限りない野望のために、海のその部分にだけ奔馬のような力が漲っている。そして波の企てを砕こうとする地の呪力。――そして実際、ほんの一時だけ二つの力が釣り合う瞬間があるのだ。そのとき中空に仁王立ちになった波は、行き場をなくして何だかただうろたえているようにも見える。……



私に訪れた最終的な、最後的な破綻。……
 確かにすでに数週間前からそんな徴候が現れていたのだ。
 相変わらずの破竹の快進撃を続けながらそのころには私の気分にもある微妙な変化が起こり始める。
 例えばかつてゲームもまだ振り出しのころ、私の勝利はいつでもそれなりの苦労を伴ってもたらされた。丸山孝雄に成り済ますためにいわば私は双眼鏡でこの見ず知らずの男のプライバシーを窺いながら、まるで遠隔操作のような形でぎこちなく駒を進めていたのだ。
 もちろんそれは大儀なことにはちがいなかったが、逆に言うなら覗きには確かに刺激と秘密の快楽が伴っていた。ところが今やこうして何不自由なく自分がすっかり今の自分になりきってしまうと、皮肉なことに今度はあれほどスリルに満ちていた日々がまた例の陳腐な「私たちの毎日」に成り下がる。そのうえ勝利がここまで当たり前になったとき、負け知らずのゲームもまた格別の感動を与えるのを止めてしまう。……

 あるいはまたそのころ例えば日常の取るに足らない細部が、まるで拡大鏡でも用いたかのようになぜだかしきりに気になり始める。路傍の雑草や通りすがりの人の顔にまで注意を奪われて、立ち止まってしまうこともしばしばだった。
 それはもちろん、ひょっとしたら嬉しい変化なのかもわからない。無我夢中で他人を演じていた私の心も病が癒えてようやくそんなゆとりが生まれたのだ? だが同時にゆとりであると思えたものはまた心の隙とも取れる。……
 そうだった。朝の通勤ラッシュ。すっかり蒸気で曇った窓硝子。そんなとき突然窓の向こうが気に掛かりだす。誘惑に抗しかねて私は指先で硝子を拭って小さな覗き窓を作る。冬の曇天。冬の梢。冬の葱畑。そして雲間を縫ってわずかに差し込む冷たい金の朝日。――見るうちに私の脳裏をふと小さな疑念がよぎる。だがそれは一体何に対する、どんな疑念なのか? 少しも正体のわからぬままにともかくとてつもなく危険なものを感じた私は、邪念を振り払うように再び手にした新聞に目を落とす。……

 そのうえそれはただ私の心の中だけの変化にはとどまらなかった。
 そのころにはあの私の破竹の快進撃そのものにも次第次第に翳りが見え始めたのだ。
 もちろんそれは少しも驚くには当たらない。そもそもがあんな奇跡のような連勝が永遠に続くわけはない。ここでもまたすべからく周期と循環の大則を前にして、峠を越えた者がやがて衰運を辿るのは理だった。
 そうだった。確かにそれが循環であれば何も問題はなかった。だとしたらそうしていったん頂から転げ落ちた私もやがて巡り巡って、いつかまた再び勝ちに回る日が来るにちがいないから。
 だがしかしそんなふうに呟きながら、同時にまた私にはなぜだがぼんやりとした不安がつきまとって離れない。
 ひょっとしたら――ひょっとしたらそれは循環でも周期でもないかもしれない。いったん歯車が狂い出すとすべてが悪い方に悪い方に巡り、とめどなく落ちていく。それは昔数学で習った上に凸のグラフのように成功に天井はあっても転落には際限がない。……



そうだった。私に訪れた最終的な、最後的な破綻。その徴候は確かにそうしてすでに数週間前から現れていたのだ。
 もちろんそこには特別新しい災難が降って湧いたわけではない。それまでのいつとも同じような筋書きが同じような展開を続けながら、ただきっと小さな糸のよじれが次第に大きくなるようなことが起こったのだ。
 あれほどまでに私を舞い上がらせた奇跡の成功譚が今度は逆にすべてが裏目裏目に出た。そして気が付けばいつしかそっくりそのまま私の零落の物語に変わっていた。……

例えばA社の仕事に関してもそれはそうだった。
 もちろんそこでは相変わらず編集長の佐藤との二人三脚によって雑誌の売れ行きは徐々に持ち直していた。その限りでは私の成功はまだ続いていたとも言える。
 だがそのころには私もまた、すべての職場が必ずそれぞれに抱え込むあの厄介な内輪の事情というものを痛いほどを思い知らされることになる。
 そうだった。驚いたことに私のそんな水際だった仕事ぶりを評価しているのは、何とA社の中に佐藤ただ一人しかないのだった。そしておそらくその逆に佐藤の力量を買っているのもまた私一人だけなのらしい。二人三脚と思えたものもその実孤立無援のはぐれ者同志が手を結んだ、やむにやまれぬ共闘にすぎなかったというのだ。
 私たちはまず現場の記者たちから総すかんをくっていた。だがそれは一体何故だったろう?
 もちろん原因の第一は「私たちの才能」だった。もしこんな言い方が自惚れに聞こえるとしたら、それを「彼らの無能」と言い換えても不都合はない。
 そうだった。無能な人間どもが保身のためにいかに努めいかに謀るか――それはもうご承知の通りだ。とりあえず緊要なのはそうでないと思しき者たちを極力排斥することだ。その結果周りを似たような木偶の坊で固めてしまえば改めて彼らの無能に気が付く者はないだろうから。……
 確かに彼らもまたそんなふうに私たちの才能を恐れ、それを葬るためにことあるごとに理不尽な攻撃を仕掛けてくる。
 もちろんここでも彼らの錦の御旗はあの「現場主義」のお題目だった。
 彼らの言によれば、デスクでお茶を啜りながらでっち上げた編集員の作文のごときはジャーナリズムの本然とは違う。そこからはグランドの埃にまみれて取材する記者の汗の臭いがみじんたりとも感じ取れない。
 とりわけ私の巻頭記事の場合のような空疎な文士気取りでは、いかに大向こうに当たりを取ったとしてもかえって軽蔑にしか値しないのだ。――

 彼らはけっして強がりではなく本気でそう思いこんでいた。
 だとしたら確かにもはや付ける薬はない。彼らはそんな大義名分をよりどころに陰に陽に私たちを責め立ててくる。――
もちろんそんな同僚たちの悪意も初めは痛くもかゆくもなかった。私の超人妄想はここでもすべてを豪快に笑い飛ばしてしまう。 確かに有象無象の言うことにいちいち取り合うことはない。誰がどう指弾しようとも、私たちの成功は客観的な数字の裏付けを伴っていた。毎週着々と伸びる売り上げの数字をもし見る人さえ見ていてくれれば、もとよりそれで十分であるにちがいない。――
 見る人さえ見ていてくれれば――だが私もまたやがて事態の本当の深刻さを思い知らされることになる。すなわち少なくともこの職場においては「見る人」はけっして見てはいないのだった。
 もちろんそれは三誌の総元締めであるあの澤山のことだった。本当に驚いたことに何とこのA社のオーナーは、職場にとぐろを巻いたあの貧乏記者たちと完全に意見を同じくしていた。いやつまりは私たちの能力をまったく評価していなかったのである。
 このワンマン社長の前では確かに私たちのデータなど米粒ほどの価値もない。なるほど売り上げは伸びてはいるようだが数字はどのようにも解釈できる。澤山によればそれは私の記事のお陰による現象とは判断されなかった。それどころか逆に、すべては私の記事にもかかわらず起きた変動だという。
 そうだった。澤山は「ジャイアンツの連勝は当誌の売り上げを伸ばす」という大時代の法則をいまだに奉じていた。今はちょうどそのジャイアンツの連勝の時期に当たるがゆえに商売の好調は当然だった。もし私の駄文が足を引っ張らなければB社の売り上げに追い付くこともまた十分に可能なのだ。――
 確かに澤山はそんなふうに断じていた。そしてもちろんこのA社という王国のその領土の内側では、「客観的な判断」はすべてこんなオーナー社長の主観から生み出されるのだった。それよりほかのどこにも、いかなる真理も存在しうるものではないのだ。……
 確かにそれでは泣くに泣けなかった。――だが恐ろしいことにそれから事態はさらに急速に悪化していった。
 当初は佐藤の顔を立てて黙過していた澤山もやがて次第に痺れを切らして露骨な圧力を掛けてくる。お涙頂戴の巻頭記事はきっぱりと取りやめにすること。もっと取材に忠実な従前のスタイルに立ち返って、ただちにB社を追撃せよとの命が下ったのだ。
 そうなると哀れなのは間に挟まった佐藤であった。部下の私に彼は頭すら下げるのだ。頼むから澤山社長の意向を汲んでほしいこと。記事の体裁は前任者のものに合わせてもらいたい。すなわち彼自身があれほど嫌っていた「現場主義」のものに戻してくれ、と。……

 だが頑なな私は筆を曲げるよりは仕事を降りることを選んでしまう。その任ではない、というような決まり文句とともにお役御免を願い出た。
 もちろんそうして巻頭記事を降りることは実質上の格下げを意味していたが、そこには必ずしも短気とは違う私なりの計算もあったのだ。それはそうだろう。誰が後を継ごうともその才能は知れているから必ず自分の場合より売り上げが落ちる。その時こそ本当に、数字がすべてを証してくれるだろう。――いわばこれだけ憂欝な事態に直面しながらも私はまだ心のどこかで自分のツキを信じていて、着々と巻き返しを策していたのだ。
 後釜には案の定山野が任ぜられた。澤山のお気に入りの、妾のようにへつらう男だ。……

 *

 私に訪れた最終的な、最後的な破綻。
 確かにすでに数週間前からこんなふうな徴候が現れていたのだ。
 それはあの連戦連勝の三か月の後に、まるで魔法が切れたように突然訪れた憂鬱の日々。――

 もちろんそんないざこざはどんな会社にも日常に見受けられる風景だった。とりわけ今や三流に成り下がった吹き溜まりのような会社には必ずつきものの抗争劇だ。だとしたらその一部始終を改めて述べるのは冗漫に過ぎるかもわからない。
 だが私の場合事はそれだけに止まらなかった。拗れたのはただそんな出世物語の筋書きだけではない。その実私のすべての成功譚に狂いが生じていたのだ。――かつてあの有頂天の日々、サラリーマンとしての勝利を呼び水にしてすべての勝利が立て続けに私を見舞った。だが今しもまさにネガの反転が行われ、それとちょうど同じことがちょうど逆の形で起ころうとしていた。すなわちたった一つの会社勤めの蹉跌が引き金となって、ことごとく万事についての私の幸運のカードが一斉に裏返ってしまったのだ!
 例えばそれは男としての憂欝。どうやら私に女を口説く才はあってもその数を御していく手腕までは備わっていなかった。お手玉を楽しめたのは初めの数ヶ月だけで、版図を広げた帝国はたちまちその大きさを持て余してしまう。……
 もちろん女の角突きあいは職場の中だけにはとどまらない。情事の躓きがやがては家庭の中にも飛び火して、そこに生じたあのお馴染みの夫としての憂欝。……
 そしてまた親としての憂欝。空前のまぐれでK高校に合格した猛は当然勉強に付いて行けない。かつての良き軍師ももう高校の数学はお手上げだった。お決まりのパターンで学校をサボり出した猛は盛り場で三度まで補導された。時を同じくするように、美しい玲子が凄艶なまでの色気を放ち始める。頻繁に帰宅が遅くなる。理由はもちろんクラブだったが、私にもまたそんな娘の嘘を嗅ぎ付けることができた。…… 
 そしてまたあるいは。……
 そんなふうにいったん歯車が狂い出すとすべてが悪い方に悪い方に巡り、気が付いたら私は回り中を無数の憂欝に囲まれていた。
 そればかりではない。そうしてあたりをすっかり埋め尽くした後も、それらはなおアメーバのように忌まわしい分裂を繰り返しながら無限にその密度を増していくように感じられた。
 真綿で首を締めるような苦しみがたえず襲いかかる。だとしたらこの先、自分を待ち受けているものは一体何なのか?
 自分を待ち受けているものは何なのか――だが有り難いことに、どうやら悪魔は神よりも慈悲深かった。それは何一つ生殺しになどしはしない。いつでもすべてを楽にしてくれるとどめの一発を用意してくれているのだ。

 事の経緯は次のようなものだった。
 先述の通り澤山の横車に泣かされながら、私はけっしてただ腕をこまねいてはいなかった。どんづまりの袋小路を脱するための起死回生の一打を密かに狙っていたはずだった。
 誰が後を継ごうともその才能は知れているから必ず自分の場合より売り上げが落ちる。そのときこそ本当に、数字がすべてを証してくれるだろう。――いわば私はそうしてじっと機を窺っていたのだ。 はたせるかな実際後任の山野は初めから愚にもつかない記事を書き続け、雑誌の部数もまた見る見る落ち込んでいく。不謹慎ながら私は心に快哉を叫んだ。
 だがしかし希望の曙光と思えたものはその実どうやら悪魔の悪戯にすぎないようだった。
 待ち望んだはずのまさにその事態がここでもまた完全に裏目に出る。
 そうだった。山野が叩き出した悲惨な実績は当然澤山の目に触れた。だがしかしそこで激怒した澤山はまたしてもあの世にも恐ろしい客観的な評価を下してしまっのだ。
 売り上げの数字を見比べたこのオーナー社長は、けっして私の目論見通りに前任者の力量を見直してはくれなかった。その代わりにただ私をすら下回った山野の実績を言語道断と断じたのだった。
 逆鱗に触れた山野は時を置かずに詰め腹を切らされる。だがとばっちりはたちまち周囲の私たちにも及んだ。今や一種の激越状態となった暴君は腐りきってしまった私たちの部門に大鉈を振るうと宣言したのだ。
 まず三名の退職者が出る。編集長の佐藤はかわいそうに平に格下げとなった。そして平生快く思わぬ私にも配転の命が下った。「得意の空想力をもっと活かすことのできる職場で」もちろんそれが表向きの理由だった。だがその澤山がある所で「あいつの文士気取りがけちの付き初めだ」と語ったのを確かに私は人伝てに聞いていた。……

 ――私が転任したのはA社のボクシング部門。三誌のうちでも格段に部数の見劣るマイナーな雑誌だ。
 もちろん私とて初めは前向きに受け止めようとつとめたのだ。畑違いの職場はなるほど最初は辛いだろうがそれはまた新天地であるとも取れる。これが私の運勢のあの周期の谷であるならば、そうして再び盛り返す日を根気よく待つことだ。――
 だがそれは確かにもはや周期ですら、谷底ですらなかった。昔数学で習った上に凸のグラフのようにそこでは成功に天井はあっても転落には際限がない。……
 実際その新天地とやらに出向いてみれば、何のことはないそこは落ち目のサラリーマンが行き着く最後の墓場だった。
 新入りを迎える眼のいずれも死んだように澱んだ表情。
 廃刊の噂の絶えない雑誌の仕事などもとより身が入るはずもない。ただ御用済みの窓際族ばかりが一日中煙草を吹かしながら時を過ごす。――
 もちろん閑職には閑職らしい処遇が用意され、一家の大黒柱が新卒社員と変わらない薄っぺらな給料袋をあてがわれる。
 つまりは今回の転任は実質的な左遷であり、減俸であり、要するに体のよい肩叩きだったのだ。……



 確かにもうすでに数週間前からこんな徴候が現れていた。
 容赦のない災厄が立て続けに私を見舞う。我が世の春の極楽とんぼが初めはゆっくりと、やがて急坂を転げるようにとめどなく落ちていく。……
 そしてそんなある日。すべての呪わしい前触れのその後でついに私に訪れた最終的な、最後的な破綻。瞬時にして人間の根幹そのものを蝕んでしまうあの恐ろしい病気のこと。
 そのことについて私は後に医者に語った通りのことを語ろうと思う。
 いつものような駅からの帰り道。ただその日はいつにない早仕舞で私は夕焼けを――まるで朝焼けのような夕焼けを見ながら歩いていた。
 そのとき突然、ちょうど最初の曲がり角に差し掛かった辺りで私は何かに襲われたのだ。

 その正体が一体何なのかあのときの私には皆目見当がつかなかった。ただ確かに何かに襲われたことを示す衝撃と激変の感覚を私は認めたのだ。
事態を呑み込めぬまま私はまるで凍り付いたかのようにその場に立ち尽くした。
 だがしかしすべてはもちろん私に取り憑いた悪魔の仕業だった。そうだった。あのとき私を襲ったもの――それこそがあの私の心の病の発作なのだった。
 本当に、まるで心臓病や卒中の場合のように精神の疾患にまでそんな劇発性があろうとは誰が予測しえたろう。しかし確かにそれはそうだっのだ。心の病の唐突な発作。その症状の暴発。――それかあらぬか時を置かずして憂欝とも悲哀ともつかぬ感情が私の心の中を嵐のように吹き荒れ始める。両の目から止めどなく涙が流れ出し、私の四肢は小刻みに震え続けた。……
 そのとき私を苦しめたものはやはりあのサラリーマンとしての憂欝? 夫としての憂欝? 親としての憂欝?――否。それはけっしてそんな分析が可能であるような細部的な感情ではなかった。もっとはるかに茫漠とした広大無辺のもの。いわば宇宙そのものが患った憂欝なのだ。
 私は適切な比喩を見出だせない。それはたとえばうららかな春の日に突然空のくらむ日食のように、世界をあまねく蝕む理不尽の病。……
 もちろんひょっとしたらそれは本当は少しも唐突ではない。その実事態ははるかに以前から少しずつ進行していたのだ。あの冬の朝の生まれ変わりの幻覚がそもそもの病の初めなら、後に続いた有頂天の三か月の顛末にも誰もが十二分に異常の臭いを嗅ぎ付けることができたろう。そのうえこの数週間次々と私を絡めた憂欝の罠――もしも一歩退いて舞台の袖から眺めれば、なるほどそれらのすべてが前兆であったのにまちがえない。だがしかし舞台の上で悲しい喜劇を演ずるピエロはけっしてそれに気付かない。すべてが確かにあまりにも突然だったのだ。……
 やがて私は辺りもはばからず嗚咽の声を漏らし始める。不精髭を伝わる涙がぼたぼたとしたたり落ちる。――道行く人はそんな私の異形を怪訝そうに一瞥すると、見てはいけないものを見てしまったというふうにきまって目をそらして通り過ぎた。

 そんなふうに私はまるで母を呼ぶ迷子のように同じ所に立ち尽くしたまま三十分も泣き続けただろう。
 もちろんそうしてひとしきり泣くと涙は物理的に涸れてしまう。ただその後に不思議な事が起こった。そうして涙が涸れるのと同時にあれほど激しかった私の心の動転が、何と嘘のように静まっていったのだ。
 そのときになって私は初めて知らされる。先刻までの狂乱はもちろん私の病の一部だったが、それはどちらかと言えば前奏のような症状だった。本当の病のそのものに私たちが向き合うのはいつでもそれが過ぎ去った後なのだ。……
 そうだった。涙が涸れたその後に私の心を領したもの。それは驚くことにそれまでの惑乱とは全く逆の――まるでその反動のような恐ろしい無感情だった。 
 そしてきっとこれこそが私の心を蝕む病の本質なのだ。それは騒がしい愁嘆とは違ういわば無感情という感情。悲哀と憂愁の絵の具を極限にまで薄めて描いた、従って水墨画のように見える一枚の風景画。それこそが本当の「鬱」なのだった。
 確かに感情の起伏を伴うような憂欝は「鬱」とは違う。それは健康な心の痛みだ。悲しみにはうるおいがあり憤怒にすら燃え立つような力が漲っている。――病んだ心の鬱はもっとずっと索漠とした荒れ野だった。ただ「感じる」事のどうしようもない物憂さ。いわばそれは痛みの感覚すら失くしてしまう心の死だった。否。たとえ死ではないとしてもそのとき私の心は確かに眠っている。まるであの数万本の枯れ木が刺さった冬の山のように眠っているのだ。……

 心を失くしたまま、ただ不思議な帰巣本能に操られて私はようよう家に辿り着く。私を迎えた妻の驚愕――本当に、一体自分は何に驚いているのか、それがわからないことがいっそう彼女を驚かせていたのだ。確かに目の前にいるこの男は朝家を出た時と寸分違わぬ格好をした夫自身だった。もし鑑別を機械に委ねたとしたらコンピューターは何の疑いもなく丸山孝雄と認知しただろう。だが彼女は人間だけが持ちうる直観で感じ取っていたにちがいない。この精緻に刻まれた臘人形の向こうにはなぜだか灯っているべき魂がない。……
 「疲れた。眠る」と抑揚のない声でつぶやいたきり私は寝室に下がってしまう。
 そんな異変を前にしながらきっと妻は自分自身に必死に言い聞かせていた。おそらく夫は男にしかわからない外の世界で破れ破れの状態になって戻ってきたのだ。だとしたら今はただこうして幾許かの休息を必要としているだけだ。本当に、ただそれだけのことなのだ。――  
 だが翌朝になっても夫は起きてこない。目を覚ましているのはわかっているのだが起き上がってこようとしないのだ。「会社は休む。連絡しとけ」「大丈夫、寝れば治る」気遣う妻に二度口をきいたきりで布団を被ってしまう。
 もちろん妻は待ち続けた。「寝れば治る」の言葉を信じてあともう一日、少なくとも明日になればまた元気になって会社に出てくれることを期待しながら。
 だがしかしまたその明日になっても夫は起きてこない。もう丸二日相変わらず寝室にずっとこもったまま、枕元に運んだ食事にもろくに手を付けようとはしない。――見る見るやつれていく夫を見ながら、彼女もさすがにそれが単なる体の不調でないことを悟った。これは間違いなく重大な心の病だ。だとしたら?
だとしたら――確かにそのとき彼女の心に浮かんだものは、ちょうど三ヶ月前のかつての私と変わらなかった。それは要するにあの暗く湿った座敷牢。鉄格子の嵌まった病室。子孫たちの受難。そんな昔語りの神話にすぎないはずものがここでもまたいとも容易に家族の判断を誤らせてしまう。
 そうだった。もしそうだとしたら世間にそれを知られることはずいぶんと危険だった。そればかりではない。そもそも心だけの病なら医者も薬も要りはしない。ただ身内の努力だけで治療してしまうことも可能なのにちがいない。……
そんなふうに思いこんだ妻はきっぱりと意を決した。事態はこのまま最後まで隠しおおせよう。医者にも誰にも知られぬうちに夫婦二人の間だけで処理しよう。――連日の会社からの問い合わせに苦慮しながら、健気にもそのためなら妻としてのすべてを注ぎ込んで夫を励まし、看護しようと心に誓った。……

 その間の私の症状。
 始終頭が重たい。まるで食欲がなく物を食べないせいもあって全身にずっしりと痺れたような気怠さがある。
 もちろんその他にも数え立てればきりがない。要するにあの精神医学の教科書に記されたあらゆる症状が私の体に起こったのだ。
 そして私の心にも。
 例えばこのころの私には自分という存在がもはや耐え難いほど卑小なものに感じられている。それはただ無意味というだけではない、恥ずべき汚点のような何かだった。だとしたらその逆にもしこんな自分さえいなくなれば。――
 この結論から当然私は自殺を考えた。だが今の自分には手首を切る包丁を持ち上げるだけの体力も残っていない。確かに死ぬことは生きることと同じくらい大儀だった。……
 そんなとき私はふと故郷の裏山の松の木を思い出す。裏山の西側の切り立った崖から身を乗り出すように枝を伸ばした一本の巨大な松。その魁偉な姿を見上げながら私は子供心にこう思ったものだ。遠い神話の時代の巨人が何らかの神罰によってあんな異形の松に姿を変えているのだ。――
 剥げかけたかさぶたのように捲れ上がった樹皮。身悶えするように奇妙に捩れた幹。苦悶は数多に伸びた指の先にまで漲り、それらの一本一本を世にもおぞましい形に歪めている。そしてさらにまたその指の先には、あの緑色をした痛い痛い針が無数に刺さっているのだ。……
 それはきっと犯してしまった罪のために醜怪な形の中に封じられた異類の者。もちろんそんな呪わしい身の上を誰もこれ以上望みはしない。だが腕をもがれたお前にはもはやわれとわが命を断つ術すらないのだ。ただお前は西の空を仰ぎながら祈願を凝らす。いつかあの空から稲妻の一閃が落ちてその長の命に終りをもたらさんことを。……

 そして。――
 程なく妻も事態の本質に気付く。それまでの自分の思いこみの浅はかさを否が応でも思い知らされることになるのだ。
 疲れた心の病なら休息が再び健康を取り戻してくれる――確かにそれが初めの妻の理解だった。だがそんな自分の楽観こそがかえって夫の治癒を遅らせているのにちがいない。
 それはそうだろう。快方に向かうどころか症状は見る見る悪化していった。
 食事をまったく取らなくなった私はやがて言葉を掛けても、肩を揺すっても何の反応も示さなくなる。ただ仰向けに床に臥したきり虚ろな眼で天井を見つめているだけなのだ。
 それはほとんど昏迷というに近い状態だった。思い余った妻はここに至ってようやく意を決して兄に相談を持ち掛けた。
 さすがに兄は即座に決断した。三十分も経たぬうちに駆け付けた兄は丸太のように眠る私を妻と二人で――兄が肩を持ち妻が足を持って自分の車に乗せた。
 もちろんそれは私を病院に運ぶためにちがいなかった。そうして忌まわしい病院に入ることで今しも夫と自分とかわいそうな子供たちが社会的に葬られようとしている。――ここでもてっきりそんなふうに思いこんだ妻はただおろおろと泣き続けた。
 兄は妻の俊巡をたしなめて車を走らせる。
 もちろん妻の嘆きと兄の叱咤とどちらに理があるのかは明らかだった。だが確かにそのときだけは兄の黒いセドリックが、何か私を斎場に運ぶ霊柩車のように見えた。……



 病院は霊園に隣接した松林の中にあった。
 霊園は何万基とも知れない墓を収容した都内でも最大級の施設だった。だとしたら葬られることを恐れる者にとってそれだけでも十分な悪意が感じられた。――そのうえ一体何故植樹は松でなければならなかったのだろう? 松の木の一本一本の奇怪な風姿が、またしても哀れな患者たちの心をあの忌まわしいアニミズムで満たしてしまいはしないだろうか?
 だがしかしすべては杞憂だった。そこでは彼らはけっして永遠に葬られはしない。たとえそれが死であったとしてもそれはあくまで一時だけの、いわば蘇生と復活の約束された死であった。
 確かに再生のためには誰もがいったん死ぬ必要がある。埋葬のように思えたものもきっとただそのためだけの過程であり、儀式であるにすぎない。――そうだった。暗く湿った座敷牢。鉄格子の嵌まった病室。子孫たちの受難。そんなものは実際にどこにもありはしない遠い昔語りの記憶にすぎない。目を開いてみれば確かに今ここにあるのは、晴朗な初夏の陽射しに輝く生命に満ちた松の青葉だけなのだ。……
 実際現代の医学の発達はこの分野においても目を見張るものがあった。
 昔年の狂騒院の悲劇などそこには陰も形もない。現在の私たちの施設では本当の重度の障害を除けば大半の精神病が風邪を治すような簡単な治療で快癒していくのだ。内科医が聴診器を用いるような単純な問診と検査。薬剤の投与。いくつかの物理療法。それだけでものの数週間、あるいはものの数日もすれば患者はすっかり心の健康を取り戻すのだった。
 私の場合もまたそのようにして時をおかずして「反応性鬱病」という診断が下された。それは確かに最も納得のいく病名であったにちがいない。それは当面のおぞましい症状を説明しただけではない。こうして欝の虜になる前の三か月、あの頃の異様な精神の昂揚もまたその前段階の燥状態と理解できるのだ。もっとも精神科の場合症状の特定はやさしくなく、私のものも「非定型精神病との混合状態」であるというややこしい解説が冠されてはいたが。
 だがしかし病名はどうでもかまわない。どんな診断と分類がなされようともここではその瞬間から世にも簡便な処方があてがわれるのだ。坑鬱剤の投与。隔日施される電気衝撃療法。本当にただそれだけだった。一週間の入院の間たったそれだけの治療で私の病気は寛解状態を迎えた――いやつまり私は再び平常心を取り戻したのだ。

 たったそれだけで――だがもちろんけっして忘れてはならない。そんなただそれだけのあっけない治療の背後には、いつでもまたきまって一人の優秀な医師の存在が必要だった。
 それはただ医術に長けているというだけではない。目には見えない患者の心の有様を見透かし、それを取り巻くにちがいない環境にまでも思い及ぶというような。――
 そしてこの点についてもまた私は恵まれていた。私の担当のS医師はまだ四十半ばという若さに似合わぬ豊富な経験の持ち主だった。その穏やかな風貌と落ち着いた語り口。その向こうに見え隠れする人柄の誠実。そこにはもうすでに気弱な患者が父親のように頼り切れる名医の威厳さえ備わっているようにみえた。
 S医師の治療はまずは私自身よりもむしろすっかり動転してしまった妻に対してなされねばならなかった。精神病の治療は今では一昔前とは違う長足の進歩を遂げていること。なかでも私の症状はけっして深刻なものではなく、すべては幾日かの投薬と静養で必ず快癒する。そのためにはもちろん本人以上に家族の理解と協力が大切なこと。
 ただ黙ってうなずく妻に向かってそんな理が実に諄々と説かれていく。その抑制のきいた声調を聞くうちに、まるで催眠術に掛かったかのように妻の恐慌が収まっていくのが分る。
 続いてS医師は私に対しても心の支えになろうと試みた。問診は症状のことばかりにはとどまらない。私の生活の全般に立ち入ってその逐一について助言を下さるのだ。
 だとしたらそれは確かにいかに生きるべきかを教えるに等しかった。
 本当にこの人生の導師は常に簡明に、ときには指さえ折りながらなすべきこと、してはならないことを説くのだ。
 「……どうかこの五つのことだけ約束してください。そうすれば入院どころか、一と月後には通院すら必要でなくなります。私の方でもそれは必ずお約束します」
 私は先生に諭された小学生のようにただ一回、こっくりとうなずいた。そして確かに精神科の場合にはいったんそんな信頼を打ち立てることができさえすれば、それだけで治療の半ばは終わったに等しいのだ。

 実際その後の私はS医師の前で終始良き患者であった。
 医師の言葉通りになすべきことをなし、してはならないことはすべて避けた。すると不思議なことにこれもまたその言葉通りに私の病状はみるみる回復していくのだった。
 確かにすべては驚くほどすみやかだった。
 一週間後の退院。自宅での休養と通院。それから三週間後にはもうすでに社会復帰が許される運びとなる。
 それは確かに私がそこから葬られたはずの「社会」だった。それを思うとさすがに初出勤は恐怖で足が震えないではなかった。だがしかし危惧していたようなことは何も起らなかった。会社は以前とつゆ変わらぬ暖かさで――つまりはまた言い換えれば以前とつゆ変わらぬ冷やかさで私を迎えてくれたのだった。
 それにしても本当に何というあっけない治癒だったろう。あれほどおぞましかった病臥。死に近い昏迷。家族の動転。まるでそんなことは初めから少しも起こらなかったかのように、すべてが平静に復していた。
 かつて私がもっとも危惧したこと。周期の波の底が抜けて、昔数学で習った上に凸のグラフのように際限なく落ちていく。――だがしかし確かにそのようにして始まったはずの悲劇が、ものの数週間でもうすでに一件落着を迎えてしまう。それは実際拍子抜けするほど尻切れ蜻蛉の大団円だった。だが、否。もちろん私はそんな幸運を天に感謝しなければならない。すべては確かに素晴らしき医学と、そして何よりS医師のお陰なのだ。

 それからさらに一週間後、いつもの診察室でS医師は私の手を取りながら嬉しい言葉を下さった。
 私の健康は完全に元に復しておりこれが最後の診察になること。これからも医師の忠告を守って幸せな社会生活を営んで欲しいこと。そして心からおめでとうと言いたい。――私もまた丁重に謝意を述べながらS医師の手を握り返した。そこにはどこか男同士の固い友情のようなものさえ感じながら。……



 そんな祝福の場面以来、今日に至るまで私は二度と診察室の敷居をまたぐことはなかった。
 もちろんS医師に再びまみえることもない。その意味では確かに私の病気は本復していた。
 S医師の言う「社会生活」の方も相変わらずごたごた続きに悩まされながらも、少なくとも憂欝で会社を休んでしまうような事態には至らなかった。だとしたらやはり倦み疲れていた心はいつしか健かな弾性を取り戻し、葬られたものはまたやわらかな日の光の中によみがえったのだ。……
だがしかし――
 だがしかしもしそうだとしたらなぜ私はあの発病を最終的な、最後的な破綻などと呼んだのだろう? 私はここでもまたいつもながらの言葉の弾みで、ただいささかばかり行き過ぎた喩えを用いただけなのか?
否。その実そこにはこれっぽっちの誇張もありえなかった。私がそれを最後的と呼んだのはそれが実際けっして取り戻すことのできない喪失だったからだ。
 そうだった。私がここまで駆け足で記した闘病記。突然の発作から退院に至る顛末。それは私がS医師に対して――そして妻と会社に対して語った病状の報告を忠実に再現したにすぎない。そしてそんな人間たちの関係の中で語られた物語にはいつもなにがしかの嘘と虚飾が含まれてしまうものなのだ。
 もちろんそのすべてがそっくりそのまま偽りなどではありえない。きっとそこにあるのはただ口を閉ざした些細な秘密。微妙な論理のすり替え。だがそんな小さな不実にすぎないはずのものがときには無数に積み重なって、やがて本物の姿を大きく歪めてしまう。そのようなことが確かにありうるのだ。
もちろん私はそれを誰にも打ち明けるわけにはいかない。ただこの手記の中にだけは本当のことを書き残しておきたい。
 あのあっけない快癒の顛末記の見せ掛けの芝居の向こうにあった忌まわしい真実。私に確かに起こった最終的な、最後的な破綻のことを。

 たとえばそもそものあの発病の場面からそれはそうだった。
 確かにそのときの出来事をかつて私はこんなふうに伝えていた。
 ――駅からの途次朝焼けのような夕焼けを見ながら歩いていた私は突然憂愁の発作に襲われた。私の四肢は震え、双の目からは涙がとめどなく流れ出す。……
 もちろんそんな記述自体には何の偽りもない。あのときの私には本当にそのような得体の知れない発作が訪れていたのだ。だがしかし私がそれを「突然」という言葉で呼ぶとき、そこにはやはり真実を巧みに覆い隠す微妙な語調の操作があったのにちがいない。
 そうだった。私のあの狂態が確かにどんなに予期せざる意外なものに感じられたとしても、それはけっして突然の――つまりは何の理由もない偶然の発作ではなかった。あのとき朝焼けのような夕焼けを眺めながら、その実そこにはやはりすべての引き金となった出来事が確かに起こっていたのだ。
もちろんそれが起こったのは私の心の中でだった。
 本当に、あのとき駅からの途次まるで朝焼けのような夕焼けを眺めながら――私の脳裏に突然、あの冬の朝の記憶が蘇ったのだ。
 かつてどうしようもなく酔い潰れた夜があって、ようやく乗り込んだ始発列車で寝込んでしまったこと。乗り越して降りた見知らぬ駅で私を待ち受けていた理不尽な人違い。――要するに三ヶ月前あの初めの日に朝焼けの下で見たすべての情景が眼前にくっきりと映し出されたのだ。
 もちろんそれは正確には事実の記憶ではない。すべてはただ一時、私の心の病が織りなした荒唐無稽のお伽話であるにすぎない。それから三ヶ月あの有頂天の日々を暮らすうちにいつしか忘れ果て、今では笑い話の一つになったもの。
 だがしかしそうして一度は退けたはずの不条理を、なぜだか今私は再びいとも他愛なく受け入れてしまう。――あの日あの駅に下り立つ前は。そして住宅街に向かうあの一本道を歩くまでは。いやそればかりではない、新聞を取りに来たあのおっちょこちょいな女に声を掛けられる前までは、自分はけっして丸山孝雄などという人間ではなかった。ただまさにあの時あの瞬間からすべての悪夢は始まったのだ。私はこの今の丸山孝雄という名の存在の蜘蛛の巣に否応なく絡めとられてしまった。……
 あの日駅からの途次突然私の心を捕らえたものは忘れたはずの冬の朝の物語。だとしたらここはおまえのいる場所ではない――いわばそんな悲しい悪魔の囁きに再び謀られて、きっと私はあの底なしの憂鬱のあなぐらに転げ落ちていったのだ。……

だがしかしそんな私の弁明にはここでもまたいささかばかりの韜晦が潜んでいる。
 それはそうだろう。本当は今では事態はけっして三か月前とそっくり同じではありえない。私の心を蝕む病はきっとその間にもひそかに忌まわしい進行を続けていて。私の妄想の物語もまたそうして蘇ったときさらにまた新しい不条理の章句を加えていたのだ。
それはおそらくこういうことだった。
もちろんあの三ヶ月前にもやはり私はやりきれない覚束なさに悩んでいた。ここは自分のいる場所ではない――だがしかしもしそうして今の自分がそのまま丸ごと偽りだとしたら本当の自分とは、以前の自分とは一体どのようなものだったのか? 少なくともあのときの私には見当もつかなかったのだ。
 だがしかしもしそれを思い出したとしたら? そんな空白の記憶が本当に戻ったとしたら一体どうなるのか。そればかりではない。そのうえもしそうして知らされた過去が至福と栄光に包まれた何かであったとしたら? そんな知識はやはりすべての苦悶を救う霊薬となりうるのだろうか。
 いやおそらくそれはその逆だった。少なくともこの私の場合まばゆい過去の記憶はいつだってかえってそうではない今の身の上を際だたせてしまう。記憶の中に垣間見た光り輝くもう一人の自分――だがもしそんな自分が今では似てもに似つかないあさましい姿に身を落としているとすれば、そんな発見は少しも祝福とはなりえない。むしろそれは二度と立ち直れないほどの失意でたちまち私を打ちのめしてしまう。……

 そしてそれこそがあのとき実際に起きてしまったことなのだ。
 そうだった。あの日あの朝焼けのような夕焼けを眺めながら。私は突然そんな帷の向こうを覗き見てしまった。失したはずの記憶の中の忘れたはずの情景。幾重もの深い霧に覆われていたその向こう側がなぜだかほんの一瞬だけ覗けてしまったのだ。
 もっとも本当はそうして窺い見る私の目に特別な何かが映ったというわけではない。そこに確かにあったはずのものも夥しい光に目が眩んでその姿を定かに認めることはできなかった。見えたのはただ溢れ出る眩い光。それは燦然たる真夏の光とは違う、あの朝焼けのような夕焼けに似た柔らかな朱の色をしていた。……
 そんな光の向こうにあったいわば前世の記憶。もちろん本当は私は何一つつぶさには覚えていない。そこにいたのは一体何を名乗る、どのような人物なのか――だが、否。少なくともそれはしょぼくれた背広姿のサラリーマンとは似ても似つかない、光り輝くもう一人の自分なのだ。……
 細目は知らない。だがそれはまたきっとあのはるかな夢に焦がれる者。果てのない闘いの日々。孤高と矜持とそしてまたいささかばかりの憂愁と。……
 否。もちろんそんな饒舌は本来一切無用だった。要するにそこにいた記憶の中の私は、「栄光」という言葉が最もふさわしい誰かだった。くだくだしい能書きなど少しもいりはしない。ただ栄光! その一言で十分なのだ。
 だがしかしそれに引きかえ今の私のこの有様ときたら一体どうしたことだろう。確かにここでも多言は要さない。今の私はその逆に要するにそうではなかった。最もそうではない存在であるのにちがいない。いわば私はそうして対極から対極へと転げ落ちたのだ。
 だとしたらもちろん私は帰らねばならない。だがそれはどこへ?今ではそんな以前の自分の住家も名前もわかりはしない。ただ私の記憶の中の霧の掛かったところにきっとあるにちがいない理想郷。そこに戻りたいという理不尽な郷愁が激しく襲いかかる。……
 おそらく私はあのまま何も知らずにいた方がよかっただろう。なまじ思い出したばっかりに、私は思わせぶりの光の記憶に死ぬほど苛まれなければならなかったのだ。死ぬほど――そうだった。だとしたらそれこそがあの死ぬほど恐ろしい私の鬱病の真の原因だった。

 光の記憶とかなうはずもない帰郷の願望。ここは自分のいる場所ではないというどうしようもない不条理の感覚のために、私はあんなおぞましい狂気の中に追い込まれていった。――確かにそれこそが私のあの恐ろしい鬱病の、誰にも打ち明けなかった真の原因だった。
 もちろん私はそれに取って代わるような何かの物語を捏造したわけではない。だがそうしてもっとも重大なはずの真実に口をつぐんでしまったとすれば、それはやはり私のついた「嘘」であるのにちがいなかった。
本当にことこの点に関しては、私はS医師に対してすら必ずしも忠実な患者ではなかった。
その人柄と技倆に絶対の信頼を置きながら、私はなぜだかここでもS医師への報告をただ表面だけの症状に限ってしまった。あの突然の鬱の発作とそのあとに続いた昏迷の時間。ただそのことだけで、その向こうにあったはずのこれらの心の葛藤については何一つ教えようとはしなかったのだ。
 だがしかし私は何故そうまでして病の正体を隠したのだろう? S医師への背信にも他ならないあの私の頑なな秘密主義の原因は一体何なのだろう。
それは確かにこのようなものであったにちがいない。
 私が再び信じたあの転生の物語――だがしかしここでもまたかつての場合と同じように、それを信じようとするものはあくまでも私の中の「感覚」にまつわる部分であるにすぎない。一方私の理性そのものはすべてがレンズの歪みが映した幻にすぎないことを十二分に自覚していたのだ。
 だとしたらそんな忌まわしい妄想の存在を私が打ち明けたとしたら一体どうなるのだろう?
 もちろん私がそこで展開した論法は、またしてこの心の病についてのいとも愚かしい偏見に支配されていた。
 そうだった。当時の私の考えによれば鬱病とは単なる感情の抑制の故障であり、そこに「妄想」のような症状が起こることは尋常のこととは思えなかった。
 だとしたら私が自分の病状を正直に告白した場合、鬱病以外の何か忌まわしい病名が冠せられるにちがいない。
 そしてもし例えば分裂病というような診断がなされたとしたらそれはまたきっと一時の病院通いではすまされない。少なくとも表の日の当たる社会からは自分は永遠に葬られてしまう。――
もちろんそれは本当はけっしてそうではない。鬱の病は少しも妄想と無縁ではなく、またそれと同じように分裂病もけっして治療不能な廃疾などではありえない。だがしかし何も知らないあのころの私はちょうどあの妻の場合と同じように、実に短絡的にそんなふうに思いこんでしまった。

 その先に私を待ち受ける結論はもはやたった一つしかありえなかった。
 だとしたら確かにすべての恥部は――おぞましい狂気を疑わしめる舞台裏の症状は必ず伏せられなければならない。
 それはただあの転生の物語だけではない。本当はもっと小さな無数の妄想が私を悩ませていたのだ。たとえばあるときは私は地球を訪れた目玉の大きな異星人だった。またあるときには私はマッチ箱の中のマッチであり、軸木に塗られた頭薬は私の脳味噌となった。……
 そんな数多の笑止な奇想のそのどの一つとしてもし医者に知られたとしたならば、私はたちまち誤ったレッテルを張られて一生日陰の穴ぐらに閉じ込められてしまうかもわからない。
 そんなふうに考えた私が、いわば生きたままの埋葬を恐れる気持ちから真実の告白をためらったのは当然だった。
 そうだった。あのときの私の自己診断によれば私の病気はあくまでも少々症状が重たいだけのただの鬱病であるにすぎなかった。そして医者もまた今まさに同じ判断をしているのだ。だとしたらそれで一体何が不足だというのだろう?
 いわば私はあれほどまでにS医師の人柄と技倆を信頼しながら、それでも自分の無用のおしゃべりが何か忌まわしい誤診を引き起こしてしまうことを恐れたのだ。……



 もちろん私はすべてをS医師に包まずに告白すべきだったのだ。
 窺い見てしまった自分の過去。ここは自分のいる場所ではないという違和の感覚。それに伴う無数の小さな妄想の体系――そんな仮面の向こうの本当の病態を率直に伝えなくてはならなかった。
 確かに今にして思えばそんな心の歪みさえ、S医師の技倆をもってすればいとも容易に除くことができたのだ。
 それはたとえば私の病名が分裂病のようなものに変更されたとしても同じだった。いささかなりとも精神医学の知識をかじった今、私にはそのことがよくわかる。現代の医療にとっては鬱病が風邪のようなものだとしたら、分裂病だってせいぜい盲腸のようなものでしかない。それもまた例の簡潔な処方箋できっと手もなく治療されたにちがいないのだ。……
 
 だがしかしあのころの私は不覚にも大切な報告の義務を怠ってしまった。
 そんな患者の背信がどんな報いを招いたかは言うまでもない。要するにそれらは治らなかった。心の裏を蝕む病魔はけっして祓えなかった。そしてそれは少しもS医師の問題ではない。教えられない症状までを除くことなどもちろん神を措いてはかなうはずもない。すべてはあくまでもただ私の愚かな隠し立てが招いた業果なのだ。……
 そして確かにそれこそはあの私に訪れた最終的な、最後的な破綻。哀れな心に取り憑いたまま生涯離(さか)ることのない宿痾なのだ。
 そうだった。ちょうどあのころに私の心から――私の魂と存在から何かが決定的に欠け落ちてしまった。そしてそれは本当に、その先もはや二度と元に復することはない剥落なのだ。……
 否。もちろん表向きにはすべてが収まっていた。あの突然の鬱の暴発もその後に続いた昏迷も、外見に映る症状はすでに記した通りにもはやすっかり完治したのだ。ほんの三週間程の加療だけで私の悲劇はあっけなく尻切れ蜻蛉の大団円を迎えたように見えた。
 そのことには確かにいささかの偽りもない。だがそれにもかかわらず快癒はあくまでも表面だけのことだった。役者が演じた悲劇のその舞台の裏で起こっていた本当の悲劇。誰にも打ち明けなかった魂の病は少しも癒えなかった。
 ここは自分のいる場所ではないという常住の違和の感覚は三週間経っても三か月経っても――今でもそしてこれからも、けっして治ることはない。だからこそそれは最終的な、最後的な破綻なのだ。

 確かにS医師の尽力のおかげで傍目には私は急速に健康を回復していた。家庭においても会社においても再び人並みらしい暮らしを取り戻すことができたように見えた。
 一か月の病院通いなど嘘のように、少なくとも外見上は従前の丸山孝雄といささかの差異も認められない。松林の病院から舞い戻ったこの男の中に、誰もがかつての自分の夫と父と同僚の姿を見出していた。 
 だがしかしそれは本当はそうではなかった。その実二人の人物の間には本人自身にしかわからない、とうてい乗り越えることのかなわない大きな溝があったのだ。
 そうだった。 すべての表面の、身体の症状が収まった後も。あの突然の狂乱とその後に続いた病臥がすっかり過去のものとなった今も。傍目には何事もなかったように人並みの暮らしを暮らしながら、 そんなやるかたのない場違いの思いが患者の心を捕らえて離さない。
 否。あえて言うなら確かにかつての奇態の妄想はそのいくつかは消え、いくつかは間遠になっていった。私を謀り続けた冬の朝の始発電車の情景さえときには薄れ掛けることがないではない。 
 だがしかしたとえそれらの幻影が消え去った後も、まるで夢の残滓のようなもの悲しい感覚だけはいつでもそこにあった。ここはけっしておまえのいる場所ではない、と。――
 それはいわば心の奥処に棲まう不思議な原罪の記憶。だとしたら私もまたまるで十字架を担うようにこのどうしようもないおぼつかなさを担いながら、一生を暮らすしかないのだ。……

 それは同僚との馬鹿話の最中、豪快な高笑いの後にふと口をつぐんでしまったようなときに。
 あるいは仕事帰りの夕まぐれ、そこここの家の灯が窓にやさしい影絵を映すころ。
 そしてとりわけつとめて避けようとしている夕焼けや、朝焼けを見てしまったような場合に。
 そんなとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と。……

 例えば締切り間際の追い込みには、終電で帰ったと思う間もなく数時間の仮眠の後に再び会社へ向かう。そんな朝のラッシュの身じろぎもできない四十分、突然窓の外にのどかな河原の風景が見えることがあった。
 そんなとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と。……
 
いつもの会社のいつもの机に向かいながら突然耐え難い睡魔が襲う。
 そうして自分が本当は綿のように疲れ切っていたのを思い出す。 とりわけ風邪をひいているような場合は最悪だった。鼻水でぐちゃぐちゃになって働くその姿をもはや笑う気力さえどこにも残ってはいない。……
 確かに三日に一度なら夜には体が空くことがある。だがしかしなまじそんな時間があるばっかりに、萎れてしまった花が水を求めるようにアルコールに浸らずにはいない。
 そんなとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と。……
心の破れに吹き入る透き間風のようにふと忍び込んだそんな小さな疑念が、今日もまた弱々しい溜め息をつかせずにいないのだ。

 もちろんすべては要するに、あのあまりにもありふれたサラリーマンの日常であるにすぎない。だがしかしそのありふれた一こまがあらためて我が身の上に繰り返されるのをみるとき、そんな折節にそれは必ず訪れた。
 それはまた例えば丸一日を寝て過ごす日曜日。愚痴っぽい女房。子供たちの仏頂面。……
 否。確かに元気の残った休日には、競馬にもパチンコにも出かけることはある。だがそのたいていは揃いも揃って負けっぱなしの凶日で、必ずみぞれ空のような陰惨な気分になって帰ってくる。
 そんとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と。……

 だがしかしそればかりではない。同じような哀感はときにはちょうど全く逆の場面にも誘われた。
 それは要するにありふれたサラリーマンの日常とは違う、正反対の何かを目の当たりにしたときに。
 例えばでたらめに回したテレビのチャンネルがなぜだか映した冒険の物語。本屋の片隅で見つけた偉人の名前。今しも行き違った学生服の若者は何という快活な目の輝きをしているのだろう。――そしてもちろんあのつとめて避けようとしている夕焼けや、朝焼けを見てしまったようなときに。
 そんなとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と。……
 確かに自分もまたきっとかつてはそのようだったのだ。それはいわば夕焼けの、あるいは朝焼けの向こうの前世の記憶。夥しい光の向こうにあるにちがいないものは、少なくとも今の私のあさましい姿とは似ても似つかない。だとしたらやはり、ここはけっしておまえのいる場所ではない。――
 
そんなふうに今日もまたしょぼくれたサラリーマンの一日を暮らしながら。あるいはまたその逆のもう一つの何かを覗き見たようなときに。私は必ずきまって同じ囁きを聞いた。
 さらに忌まわしいことに初めは間遠だったそれらの場面はいつしかかぎりなくその数を増していくように思われた。だとしたらやがて私は起きている間は絶えず、そしてきっと夢の中でさえ――つまりは生きているかぎりはいつでもこの場違いの感覚に悩まなければならないのだ。……
 それはもちろん人目に付くような病ではない。時折の放心としばしばの溜め息と常住の憂はしげな視線以外には患者を特徴付けるものは何もない。
 それはまた愁嘆場を招くような派手な病ではない。ほとんどの患者はそんなおぼつかなさをただ一人胸に秘めてしまう。
 だがしかしそれにもかかわらずやはりそれは最も恐ろしい病なのだ。
 そうだった。もしここが自分のいる場所でないとしたら誰が身を入れて今の人生を生きようか。究極の無関心と無気力の蝕むその先に、訪れるのはきっとあのおぞましい魂の死。そこでは人は悲しい胸の虚ろを押し隠しながらただぎこちなく今日を演じるしかない。……
 もちろんそれは三か月前の私とは違う。今では丸山孝雄を演じるための知識にいささかの不備もありえない。そこにあるのはただそうして今ではあまりにも闊達に振る舞うことを覚えた肉体と、その奥にとうに死んでしまった魂との間の確かにどうしようもなくぎこちない違和だった。……

 ここはけっしてお前のいる場所ではない。――
 今日もまた何事もない丸山孝雄の一日を暮らしながらどこからともなくそんな不思議な囁きが聞こえてくる。
もちろんそれはいわば耳鳴りのような病で、当の自分がぎこちなさを忍びさえすれば外づらの生活には何の支障もなかった。
だとしたら私は誰にも打ち明けない。否。たとえ打ち明けたところですべてはたちまち一笑に付せられてしまうような不条理なのだ。
 だから私は語らない。誰一人また気付く者もない。それは確かに花束で見舞う者のない秘密の、孤独の病。……
 だがしかしもしこの病気に元来そんな沈黙がつきものだとしたら、ひょっとしたら患っているのは私だけではないのかもしれない。
 いわば誰もが同じような場違いの不安におののきながらこの自分だけの病のことを互いに言い出せずにいる。
 そう言えば背広姿の男たちの肩のあたりに必ず漂うという哀愁は、何かこれらの同病たちが密かに示し合わせるサインなのかもしれない。……

あのありふれたサラリーマンの日常を暮らしながら、誰もがそんな悲しい業病のことを知らせずにいる。お気楽な冗談に笑いころげるその胸の奥に、けっして埋めることのかなわない虚ろが透かし見られる。―― 
 否。少なくとも私の場合はそれはそうだった。
 そしてそれこそは確かに訪れてしまった最終的な、最後的な破綻。一生付き纏って離れないおぼつかない場違いの感覚。――おそらくはS医師に対する背信の懲罰として、私が迎えなければならなかった蒼白な魂の「死」なのだ。……



私に訪れた最終的な、最後的な破綻。
作り笑いのその向こうの魂はとうに死んで、ただ抜け殻のように暮らすサラリーマンの毎日。
 もちろんあのころからもうずいぶんと長い時間が過ぎた。だとしたらそんな時の流れは私の忌まわしい痼疾にもまた何らかの好転をもたらしただろうか。
否。今となってもなお病状は何一つ変わってはいない。残念ながらこの点について私の判断はあまりにも正しかったのだ。確かにそれは私に訪れた最終的な、最後的な破綻。この忌まわしい場違いの感覚は今もなお、そしてこれから先も一生付き纏って離れることはない。……
 だがしかし忘れてはならない。
 そうして相変わらずの病を抱えながら、その実そこにはたった一つだけ決定的な事態の変化が生じていた。
 そうだった。確かに私を絡め取った悲しい状況は何一つ変わってはいない。だがしかしまさにその状況に対する私自身の捉え方はいつまでも同じままではありえなかった。
 患者を悩ます宿痾はもちろん何一つ癒えてはいない。だがしかしあれから長い時が過ぎ病についての患者の理解は今ではいくつかの点で大きく違っていた。……

 それは例えばこういうことだった。
 確かにかつて私は呪文のようにこう繰り返していた。自分の水くさい秘密主義の報いとして、S医師に対する背信の懲罰として仮面の裏側の本当の病は治らなかった。――つまりは「ここは自分のいる場所ではない」というあの不条理の感覚も、現代の精神医学の範疇からは鬱病か何かの当たり前の心の疾患の取るに足らない病状であるにすぎない。もし正直に事態を打ち明けさえすれば医者は手もなくすべてを治せたにちがいない。ただ松林の影に怯えた私の蒙昧がそんな当然の報告をためらわせてしまったのだ、と。……
 だがしかしこの点についてもまた私の考えは今では大きく変わっていた。いつのころからか私はそれとちょうどあべこべの、こんな科白を呟いているのだ。たとえ正直にすべてを打ち明けたとしてもS医師の力では病を治すことはかなわなかった。……
 そしてそれはただS医師ばかりではない。たとえこの世のどんな名医の力を持ってしても私の心を癒すことはかなわなかった。そんな忌まわしい事態の本質に私は今にして初めて気が付いたのだ。
 だがしかしそれは一体何故?
 その実そこには少しも難しい理屈などない。それはそうだろう。それが確かに病であり妄想であるならばいずれ治る日もくるにちがいない。だがしかしもしそうでなかったとしたら? もしすべてが病とも妄想とも違う「真実」であったとしたら、誰がそれを治すことなどできようか。たとえあらゆる病を医せる名医でも「真実」はけっして癒すことができない。……

 そうなのだ。
 「ここは自分のいる場所ではない」いつのころからか私の心を捕らえてやまないこの不可思議な思いはけっして錯覚とも妄想とも違った。そうして戯言のように聞こえた呟きの中にはその実忘れられていた本当の真実が隠れていたのだ。――
もちろんこんな結論は傍目にはあまりにも唐突なものに感じられるだろう。私が生まれてこの方この丸山孝雄であり続けたことはこれまで幾多の証拠が裏付けた動かしがたい事実だった。それなのに私はこの期に及んですべてをひっくり返して、再びまたあの理不尽な転生の奇談に縋ろうとでもいうのだろうか?
 否。もちろんそれは少しも私の本意ではない。なるほど私は四十三年来ずっとこの丸山孝雄であり続けた。そのことはもはやいささかも疑いを容れる余地などありえない。だがしかし無理を承知であえて言うなら、それが「事実」であることと「真実」であるということの間にはときに微妙な違いがあるのだった。確かに事実であり現実であったものが本当はとてつもなく不条理であり、かえって語られた物語の方に深遠な真理が潜んでいる――そのような逆説の仕組みがそこにはきっとあるのだ。
 別段私は謎を掛けているわけではない。つまりはこの掛け替えのない自分という存在が丸山孝夫と名乗るどこにでもいるサラリーマンの日常を暮らしていること――それはまごうかたない現実でありながら、それにもかかわらずあの転生の物語よりもはるかにあってはならない不条理なのだ。
 そうだった。
この掛け替えのない自分という存在。甘美な夢と思い出を宿し、溢れんばかりのやさしさを湛えた器。
 だとしたらもちろんそんな特別な存在には何かもっと特別の、輝かしい生き様が用意されていなくてはならない。
 だがしかし目の前のデスクの上にあるものはおそらくはあみだ籤で当てがわれた仕事だった。別段それでなくてもよかった。別段自分でなくてもよかった。もし突然自分がいなくなったとしても、まるで部品を換えるようにたちまち誰か他の同僚が作業をこなしてしまう。だとしたらもちろんそれは自分の生まれてきた目的とは違った。
 要するに自分が今ここでこうしていること。そのことの方がむしろはるかに本当の不条理だった。そしてその逆に真実なのはやはり荒唐無稽に思えたはずのあの冬の朝の物語――確かにあの日あの駅に降り立つ前までは自分はけっして丸山孝雄などではなかった。記憶の中の本当の自分はかがよう光に包まれた何かであり、こんなしょぼくれたサラリーマンの姿とは似ても似つかない。……

確かにそれが今の私の新しい理解だった。
 ここは自分のいる場所ではないというあのやり場のない焦燥の感覚はその実錯覚とも妄想とも違う。それは帷の向こうに覗いてしまった本当の真実。誰一人癒すことなどかなわない世界の根源にまつわる憂鬱なのだ。……
 いやもちろん私とてもはやとうに気がついている。こんな私の尋常ならざる強弁の中には、誰もがきっと忌まわしい病の匂いを嗅ぎつけずにはいない。
それはそうだろう。ここは自分のいる場所ではない――なるほどそんな命題はあくまで寓意として解するかぎりではときには十分に真実だった。だがしかし私はその同じ囁きを現に風の中に聞き、なおかつすべてを字義通りに伝えようというのだ。だとしたらやはりそれはどう見てももはや健全な観想の域をはるかに超えているのにちがいない。   
 そうだった。こうして目の前の現実を不条理と言いなし、虚構であったものの中に真実を見いだす。そんな私の独善の論法は確かに狂疾の患者たちの妄言とあまりにも似通っていた。彼らはそうしていつだって蚕が糸を巡らすように小さな狂気の繭に籠もり、いつしかそのうち病を病と認めることをやめてしまう。すべてはそれにもかかわらず正常であり、もし歪んでいるものがあるとしたらそれは繭の外にあるかもしれない世界の方なのだ。……
だとしたら私の場合もきっとそうだった。
 新しい理解と思えたものはまた同時に新しい狂気でもあった。それはいわば松林の病院から舞い戻った私の中のけっして除かれなかった癌部――きっと心の病にもちょうど外科の場合と同じように「取り残す」ということがあって、いわばメスの切っ先を逃れた小さな病巣がようやく医者の手を離れたころになってひそかに息を吹き返し、やがてその忌まわしい増殖と肥大を始めたのだ。
 そのようにしていつしか魁偉に育った新しい狂気の中で、私もまた病を病と認めることをやめた。それはただ聞くはずのない囁きを聞いたばかりではない。いつしかこうして奇怪な逆説の館に住まい、丸山孝雄の現実を不条理と言いなし朝焼けの向こうの幻を真実と断じることを始めたのだ。……
確かに私とてそのことにはもうとっくに気が付いている。
ここはお前のいる場所ではないというあの不思議な彼岸の声も。空耳にすぎないはずのその言葉が何か神々しい託宣のように聞かれたのも。すべてはきっと私の心の患いのいたすところにちがいないのだ。
 だがしかし――
 だがしかしここでもまた私の中のもう一人の自分は頑なに否を叫ばずにはいない。
 そうだった。つまりはそれが狂気であるということと虚妄であるということは必ずしも同じではない。たとえ私の知識と発見が忌まわしい心の故障のためにもたらされたとしても、すべてはそれにもかかわらずやはり真実でありうるのだ。
 それはきっとこういうことだった。
 もしそこに究極の真実があるとしたら、この世界の秘奥に関わる真理というものがあるとしたらそれは確かに誰にでも明かされるというわけにはいかなかった。ただ一握りの選ばれた人間だけが、何か特別なきっかけによって扉の向こうを覗き込むことを許されるにちがいなかった。
 だとしたら私もまたそのように、まさにこの特別な精神の疾患のためにそんな真実の存在を知らされたのだ。
 忌まわしい狂気であると思えたものはその実そっくりそのまま私に訪れた啓示だった。そういえば預言者たちの耳にしたという聖霊の声もまた、初めはきっとこんな幻聴のように聞こえなされた。……
 
 ここはお前のいる場所ではない――私が常住に聞くあの囁きはなるほどいびつな狂気でありながら、同時にけっしてすべてがでたらめな戯言とは違う。それはちょうど曼陀羅の図柄が世界の実相を教えるように、ただ狂気ゆえに人並みはずれてとぎすまされた私の五感にそのようにして私たちの本当の真実が顕わされたのだ。
 私たちの?
 そうだった。確かにそれはただ私一人だけではない。すべての私たちが否応なく抱え込んだ世にも悲しい不条理だった。
 それは例えばあの背広姿の肩口に男の哀愁を醸し出すもの。
 夢に焦がれた若い時代はとうに過ぎて今はただ空っぽの宝石箱を形見に抱いて愚痴っぽく時を過ごす。やりがいのある仕事ならせめて救われた。だがすっかり嫌気の差しているこんな会社のために、あのあまりにもお馴染みのサラリーマンの毎日を続けるのではどうにもやりきれない。
 だとしたらやはりここは自分のいる場所ではない。……
 そのうえそれはただ父親たちのぼやきでは終わらない。同時にまたあらゆる人間の実存が突きつけられた悲しい命題なのだ。
 それはそうだろう。私たちの魂――それは確かに時空を越えて翔り、意匠をもって創るもの。だがしかしもしそんな崇高な人間たちの精神が、ただこうしてこの時とこの場所に繋がれているとしたら? 退屈で醜悪な存在の檻に囚われているとしたら?
 だとしたら、だとしたらやはりいるはずでないものがそこにいるのだ。ここはけっして自分のいる場所ではない。……
 もちろんそれはけっして目新しい発見ではない。かつて数多の哲学が嘆き、数多の宗教がそのために祈ったもの。ただそれと同じ知識が同じような物悲しい憂愁で今もまた私の心をふたいでいるのだ。

 「ここは自分のいる場所ではない」――確かにそんな人間たちの真実になぜだが今では誰一人気付こうとはしない。
 あるいはそれはそうではなく、ただ全員が知らぬふりをしているだけなのか? 少なくともこの私だけはまさしくこの病ゆえに、そんな見てはならない世界の秘密を覗いてしまった。……
 そしてもし「真実」だとしたら、それはやはりS医師のどんな治療をもってしても癒すことはかなわなかったのだ。
本当に、もし真実を治せる医者などというものがいたとすれば、それはもちろん全能の神をおいてほかにはありえない。
 天なる神以外誰も治すことのできないもの。そして無慈悲にもけっして神は治そうとしないもの。そんな悲しい私たちの真実にひょっとしたらたった一人で気付いてしまった私は、ただそのことを胸に秘しながら抜け殻のように演じ続けるしかない。……



「ここは自分のいる場所ではない」。
 確かにそれは私だけの一時の気の迷いとは違う。誰にも癒すことはかなわない私たちの永遠の真実だった。
 いわばあらゆる人間たちの存在を蝕む根源の不条理――だとしたらそんな悲しい曼陀羅を前にしたとき、まるでメドゥサの面貌を覗き見たように私の心が石に変じてしまったとしても不思議はないのだ。

 そしてもちろんそれこそがあの日起こったことだった。
 あの日あの朝焼けのような夕焼けを眺めながら禁断の知識が初めて私に授けられた。そこで私が陥ったおぞましい惑乱もその後に続いた長い病臥と昏迷も、そうして石に変じた心の哀れな断末魔であるにすぎない。
 それから一か月の闘病はいわばそんないにしえからの哲学的な憂愁と現代の精神医学との闘いだった。そして実際S医師の適切な処方のもとで抗鬱剤の薬効がメドゥサの呪力に勝ったのだ。少なくとも表向きは私の惑乱も昏迷もすべて収まって、私は先にもまして健常な日常に復することができた。巖に変じたはずの心もまたもう一度湿った土の芳香を放ち始めるようにさえ見えた。……
 だがしかしけっして忘れてはならない。そうして治ったように思えたのはただ病の目に見える症状だけだった。それらすべての引き金となったあの真実自体はもちろんけっして治ることはない。真実は――知識はけっして治ることはない。忌まわしい指で入力されてしまったこの知識はどんな操作を用いても消除することはかなわない。……
 ここは自分がいる場所ではないという真実。その知識がかもしだすぎこちない場違いの感覚。おぞましい鬱の病の表の症状が癒えた後にもそんな心の奥の密かな違和は間歇的に、いや恒常的に私を悩ませるのだった。
 例えば締切り間際の追い込みには、終電で帰ったと思う間もなく数時間の仮眠の後に再び会社へ向かう。そんな朝のラッシュの身じろぎもできない四十分、突然窓の外にのどかな河原の風景が見えたとき。
 そしてとりわけつとめて避けようとしている夕焼けや、朝焼けを見てしまったようなときに。
 そんなとき軽い、だがしかしけっして振り払うことのできない不安が私を捕らえる。
 それこそは今も、いやこうして生きて行くかぎり一生私に付き纏って離れない本当の病。……

 真実という名の不治の病――だがしかしそんなふうに諦念した瞬間から、私もまた病気と付き合う術を学んでいく。終生の痼疾となったこの焦燥の感覚のあしらい方を次第次第に覚えていったのだ。
 そうだった。なるほどそんな茫漠とした不安はたえず私の行住座臥を支配していた。だが同時にそれがとりわけ増幅してしまうような場合を私は知っている。だとしたらそんな状況は極力避けることだ。
 それは例えばあの朝のラッシュの車窓からのどかな河原の風景が見えるとき。とりわけ夕焼けや朝焼けを仰ぐとき。そういう場面を私は極力避けることだ。
 確かにそうして遠方を眺めることはいつでも危険を伴った。そこに突然開けた広闊な座標がきまって私の神経を脅かし、得体の知れないおぼつかなさを誘うのだ。
 見るのなら総じて近くを見ることだ。例えばパチンコ台の前に座って玉の行方を無心に眺める。赤子が目を見張るようにしてただそれだけを見つめ続けることは、真実を思い出さないためには効果があった。
 そしてまた例えば煙草をふかしながらの放心もずいぶんと有効だ。
 あるいはまたビール二本を飲み干した後の軽い酩酊。四肢と脳髄のかすかな麻痺。だがけっして量を過ごしてはいけない。二日酔いは私を必ず陰惨な気分にさせる最も危険な状態だった。……

そしてまた終生の持病と理解した瞬間から怨じる気持もまた次第に薄らいでいく。
 それもそのはずだった。何しろ病がそこに生涯巣喰うとしたら、それは私自身の一部であることと少しも違いはしない。だとしたらそこにはまたきっとなにがしかの自己愛さえ及ばずにはいないのだ。
 つまりはそれがあくまで「私」である以上、ぱっくり開いた傷口をいとおしむことはあっても憎み続けることはできない。たとえ相変わらずの不具を託つとしても呪わしさは限りなく中和され打ち消
されていく。……
 だとしたらそれはまた同時に新たな探求の始まりでもあった。
 確かにかくまでも親しまれた内なる存在はいつまでも謎のままではいられなかった。一体この病の、この私の心の虚ろの本質は何なのか? そこではいつでもさらにより多くのことが知られる必要があったのだ。
答えを探して私は次々と書物を求めひもといた。それはただ精神医学ばかりではない。文学。宗教。そしてまた哲学。……
 私は問いかけ、そして学んでいった。
 それは本当に、不惑を過ぎて始まった奇妙な自己発見の旅。もちろんその成果のいくらかは、きっとここまでの私の手記の中でも披露する機会があったのにちがいない。

 私は問いかけ、そして学んでいった。文学。宗教。そしてまた哲学。――
 もちろんそんな私のはてない探求もそれから長い時を経て、その意味するところは次第に変わっていった。なるほど私の関心そのものは尽きることはなかったが、私の心の向かう先はいつしか病の正体そのものよりもむしろその普遍性のようなものへと移っていったのだった。
確かにこの点について私の理解は大きく揺れていた。
 初め私はいわばたった一人で十字架を背負おうと考えた。すべての真実はただ私だけに明かされたひそかな黙示であり、そんな私のおののく孤独は見てはいけない世界の秘密を覗き込んだ予言者の孤独になぞらえられたのにちがいなかった。
 だがしかしそれはおそらく、そうではないのにちがいない。
 「ここは私たちのいる場所ではない」。――もしこの囁きが本当に単なる狂人の妄想ではなくすべての人間の真実であるとしたならば、それはやはり誰か一人だけの特別な知識ではありえない。私の他にもきっとその事に気付いた者がいるのに間違いなかった。
 だとしたらその同類は一体どこで、どのようなことを語っているのか?
そんなふうに私の考察は次第に自分自身の内側の病から、いわば戦友たちの苦悩の方にその比重を移していったようだった。それと同時に渉猟の範囲もおのずから野放図に広がっていき、私は仕事の合間を縫っては思い当たる本のページを片っ端から捲っていった。

 それはもちろん例えば精神科医のカルテ。私はその中に離人症という言葉を見出だす。それは分裂病や鬱病にありがちな病状で自我からの現実感の喪失を――要するに自分が自分と感じられない状態を意味するらしい。だとしたら私のものもきっとそうなのだ。そこにまつわるすべての意味と寓喩をはぎ取ってただ純粋な医学の目から眺めたとき、確かにそのような一般的な分類に属するものとされているのだ。……
そしてまた天才達の伝記。例えば極貧の中で大河のロマンを綴ったあの巨匠は、ふと我に返って殺伐とした仕事部屋をどんな思いで見詰めていたのか。それはもちろん海の向こうばかりではない。ひるがえってあの軍服姿の明治の文豪にとって、昼間の役所勤めの世界とランプの下での夜の世界は一体どのように関わっていたのか。
ここは自分のいる場所ではないという囁きを彼らもまた聞いていたのか? あるいはその逆にむしろそれゆえにけっして聞くことはなかったのか?
 だがもちろんそんな彼らの人生は私のそれと比するにはあまりにも偉大すぎた。
 むしろ私は自分の分身と思しきものを三面記事の主役たち中に見出していた。
 例えば女詐欺師が演じた華麗な宮廷オペラ。あるいは潜伏先の逃亡者の皮肉な人望。……
 もちろん傍目にはすべては嘘で固めた人生だった。ガラス細工の虚構の城はやがては必ず音を立てて崩れ去らねばならなかった。――だがしかしここでもまた彼ら自身にとってはそれは一体どうだったのか? ひょっとしたら彼らの心の中に不思議な倒錯が起こり、欺くための物語がかえって唯一無二の真実であるように感じられてはいなかっただろうか。
 そしてもしそうだとしたら彼女にとって、あるいは彼にとって本当の自分とは一体何だったのか? そしてまた崩れ去ったと思ったものは確かに虚構だったのか。あるいはその逆に彼らの生きた本当の現実だったのか?
 そんな世界の二重性。現実の危脆さ。だとしたら彼らもまたどこかであの囁きと無縁ではいられなかったはずだ。ここは自分のいる場所ではない。――

とこうするうちに雑誌記事の中にふと見つけたある一つの言葉が私を虜にしてしまう。
 パンチドランカー。
 それがその言葉だった。雑誌の説明はおおむね次のようなものであった。
――ボクシングにおける頭部殴打の後遺症として慢性的な脳障害が残る場合がある。酩酊に似る症候からパンチドランカーと俗称される患者には眩暈・記憶力減退・手足の震えから、涎・失禁に至るまであらゆる機能障害が認められる。……
 その一節は確かにそれまで私の知ることのなかった新しい世界を垣間見させた。そしてそんな未知の何かに誘われるように、今しも翼を得た私の空想は再び力強く大空を羽ばたくことを始めたのだ。――
 もちろんそれはまずはボクシングということだった。
 確かに迂闊なことにまさしくそのボクシングの専門誌に配属されながら、私はこのスポーツの本当の魅力に今の今までついぞ気付かずにきたようだった。
だがしかしこうして改めて思い巡らせば、なるほどボクシングこそはなべての競技が憧れる至高のスポーツだった。
 それはいわばあらゆる卑近な運動と間怠い遊戯の形態をそっくり蒸留して得られたスピリッツのようなもの。だとしたらそこにはもちろん飛びきり純度の高い闘争の精神が抽出していた。
 そこには繁瑣なルールなど何もないように思えた。ただ加減乗除のように単純な戦いの論理が統べている。殴るか殴られるか。倒すか倒されるか。ただそれだけだ。
 そこにはまた栄光の論理が支配していた。天地をあまねく領した夜の闇の中でただ一か所だけスポットライトに浮かぶ四角いリング。だとしたらやはりその余のすべての営みはやがてリングの上に掲げられるチャンピョンベルトの輝きに収斂していく――そんな不思議な世界の構造が確かに見て取ることができた。
 そしてまたリングに上がる前のまるで苦行僧のような時間。なるほど百歩譲って苛酷なトレーニングの要は認めるとしても、それではあの地獄の減量とは一体何事なのだろう? 噛んではただ吐き捨てるだけの奇怪な食事。バナナの夢にうなされた眠れない夜。水洗便所の水にさえ手が伸びる気違いじみた喉の渇き。もしそんなものにいささかでも意味があるとしたらそれはやはり殉教の論理以外にはなかっただろう。否。少なくとも痛みと引き替えるのでなければ、我が身のすべての安楽を抛って贄に捧げるのでなければ誰一人栄光を勝ち得ることはできないのだ。……

闘いの論理。栄光の論理。殉教の論理。――確かにそれはその通りだった。だがしかしもしそうだとしたらリングを去った後のパンチドランカーとは一体何なのだろう?
 もちろん彼らは今では凡庸な幸福をこいねがっている。飯を食って小便をしてまた同じ明日を過ごすために眠る。それはどこまでも退屈で味気なく、同時にまたどこまでも平らかな日常。――
 だがしかしそうしてまさに常凡に帰ろうと願ったそのときに、彼らはそれまではけっして気付かなかった恐ろしい事実を知らされるのだ。
 例えばぎこちなく使う箸の先からは食べ物がこぼれ落ちる。ネクタイはきまって片結びになり、おはようございますの挨拶にもぶざまに舌が縺れる。――だとしたら彼らのそんな赤子のような不如意には、確かに酔いどれとも見まがう道化ぶりには一体どんな寓意が読みとれるというのだろう?
 だが否。それはもちろんこういうことだったにちがいない。
 そのとき彼らの還俗を妨げるもの。誰とも同じように再び当たり前の時間をやりすごすことをそれほどまでの難事とするもの。
 それは確かに、ボクサーたちのあの遠い栄光の記憶だった。
 そうだった。
かつて栄光を志しそして栄光に撃たれた者たちはついぞその幻影から逃れることはできない。すべてを忘れ去ったと思え始めた頃、突然のフラッシュバックがボクサーたちの神経を捩じ曲げる。ぎこちなく使う箸の先から食べ物がこぼれ落ちる。――だとしたらそれは文字通り宿酔だった。だがそれは二日酔いどころか、一生涯覚めることはかなわないかもしれない酔いなのだ。
 男たちを悩ませる遠い栄光の記憶。だがしかしひょっとしたらそれはそうしながら彼らを呼んでいるのかもしれない。そのとき悪戯にマリオネットの糸を操りながら、誘うものはきっとあのお馴染みの囁きだった。ここはお前のいる場所ではない。――確かにその拳はそうして箸を握るために固めるものとは違った。否。もしもリングの上を舞うためでないのなら何一つ本当ではありえない。ボクサーはその刃のような存在のすべてをたちまち持て余してしまう。だとしたら、だとしたらやはりここはおまえのいる場所ではない。……

 ボクシング。パンチドランカー。――だとしたらそれは確かにもはやグローブをはめた彼らだけの言葉では終わらない。こんな文脈で読み替えたときすべては寓喩となり象徴となり、その意味するところはやがていつしか無辺際の広がりを担い始める。
 かつて栄光の酒に口をつけてしまった者。そうだった。もしそんな意味でなら私自身もまたボクサーに他ならなかった。
 否。それを言うならきっと私たちの誰もがみなボクサーだった。
 冬の朝日に照らされながらホームの上で電車を待つサラリーマンたち。彼らもまた遠い昔、おそらくはその青春に頃にきっと何かを僥望しそして断念していた。栄光に立ち返ることも忘れ去ることもできずに、煮え切らぬ気持ちのままきごちなく過ごす毎日。そんな意味でなら彼らもまた哀しきパンチドランカーなのだ。
哀しきパンチドランカー。
 この言葉との出会いを境にしてそれまでの私の濫読は一つの明らかな傾向を見せ始める。
かつて私はいわば手当たり次第に書物を漁った。自分の心の病の、つまりはこのぎこちない場違いの感覚の同類は一体どこにいるのか? その「どこか」を探すのにもちろん特別な心当たりなどありえなかったのだ。
だがしかし今ではそんな私の探索はもっぱらスポーツマンたちの残した手記の方へと向かい始める。いやそれはむしろかつてのスポーツマンたちの――確かにそうして栄光の階段を上りそしてころげ落ちていった男の数だけ、兄弟たちの姿は必ずそこにあった。
彼らの文章の行間から聞こえるはずのないあの囁きが聞こえてくる。ここはけっして自分のいる場所ではない。……
 読書はきまって激しい昂揚のその後で、最後には私を深い哀しみに陥れた。
 ときにはページの上に涙さえ落としながら、私はそこに描き込まれた世界の中に身も心も没入することができたのだ。
 それが野球選手の手記であれば野球選手に。メダリストであればメダリストに。そしてとりわけボクサーであれば、自分自身が本当に一人のボクサーになりきってしまうまで。

*  

 そんなある日私に再び巻頭記事の御鉢が回ってきた。
 今度の雑誌に移って以来いわば久々の大役である。
 依頼を受けたその瞬間、私はそうして読み溜めていた資料の中の一つを思い起こした。
 それはH・Aという元日本チャンピョンの手記で、一読したときから私の心に深い印象を刻んでいたにちがいなかった。その理由はもちろん言うまでもない。当時の私が考えていたスポーツの――栄光の形而上学のようなものがそこには最もよく表れていると思えたのだ。
 私はさっそくボクサーと連絡を取った。そしてまたこのH・Aという人物は想像通りの好男子で、何一つ注文をつけるでもなく記事にすることを快諾してくれたのだ。
 それから私の連日の突貫作業が始まった。
 H・Aの手記はそもそもその長さが十枚にも満たない。文章にもまたほころびらしきものが目立ち、だとしたら雑誌の巻頭を飾るためにはかなりの改変が必要だと思われたのである。
 それはただ幾度も朱を入れたというばかりではない。意を尽くさないと思しきところでは大幅に書き加える。――だがしかしそうこうするうちに私に不思議な憑依の状態が訪れた。何だか私自身がH・Aで、実際にこの手記を書いているような奇妙な感覚。興が乗ったというよりもまるで何かの熱に煽られたかのように、私は驚くほどの速度で原稿用紙の升目を埋めていった。
 ひょっとしたらそれは忘れかけていたあの私の躁の病が再びぶり返そうとしていたのか? だが一方ではかくまでも狂おしい思いは何だか違った種類の切望であるようにも感じられた。……

 三日三晩の作業の後。ようやく筆を置いた私は出来上がったはずの記事を前にしながらふと我に返った。
 客観的に見ればそれは確かにとんでもない代物だった。
 本来ならばスポーツマンの訥弁の手記であったもの。だがそこに私自身の思い入れと想像のありったけが吹き込まれて、風船玉のように膨らんだそれはもはやほとんど原形を留めぬ姿に変わっていた。
 考えてみればそれはH・Aにはずいぶんと失礼な改作だった。そのうえ思い切り「空想的な」記事のスタイルは例のわが社の方針にも明らかにも抵触していたにちがいない。いやそれ以前にそもそもここまで紙数が超過しては、三回連載にでもしない限り掲載は不可能なのだ。
 私は当然自分の狂態に苦笑した。それと同時にとてつもなくシニカルな気分が私を襲ったのだ。
 確かにかくまでの労作をこのつぶれかけの雑誌のためだけに披露するのはふさわしくない。そのうえどんなに心血を注ごうとも、所詮この会社は自分の才能など少しも認めるようなところではありえないのだ。だとたらもっと当たり障りのない作文でお茶を濁してしまうほうがよほど賢明だったのにちがいない。
 そんなふうに考えた私はせっかく書き上げた大作を机の引き出しの奥の奥に葬ってしまう。心中そんな自分自身をまるで顧みられぬ日陰の天才のように思いなしながら。……

 それから二月後。六月号の雑誌の巻頭は確かに間に合わせの、愚にも付かない私の取材記事が飾っていた。――



 あれから一年の時が過ぎた。
 いつに変わらぬサラリーマン記者の毎日を暮らしながら、それはまた同時に私を誘なう不思議な声に戸惑い続けた一年でもあった。 もちろんそれは初めはただ耳を澄ました折節に虫のすだきのように聞こえてきたかすかな音。私もまた耳鳴りか幻聴のようなものと考えて笑って済ますこともできたのだ。だがしかし時が経つにつれてそれは消えさるどころか次第に音量を増し、やがてはっきりと私の名前を呼ぶことを始めたのだ。

 それはまるで空の彼方から赴くことを求める徴召の声――私にはその意味することがすぐに理解できた。
否。むしろだからこそ私は耳をふたいだのだ。発表の術のない原稿とこれ以上関りあいになることは、何かとてつもなく面倒な事態を引き起こしそうに思えたから。
だがしかしこの不思議な声はけっして消え去ることはなかった。そしてそれはただ耳を訪なう音ばかりではない。やがては町を行くたびに否応なく目の中に飛び込む文字がなぜだかそろって同じたった一つのテーマを奏で始める。
 例えば異国の花になぞらえた思わせぶりな店名の看板。電飾のニュースは若者たちの快挙を謳い、女性誌のつり広告は自分探しを説いていた。そしてまた旅行ガイド。人生読本。新人文学賞。……それらの言葉の一つ一つが今ではどこか不思議な暗合で共謀しあい、私の袖を引き肩を揺するのだった。

そして……いや、そんなことはどうでもよかった。とにかく私はついに意を決したのだ。
 私は再び筆を取った。H・Aの手記に加筆したあの雑誌記事の草稿にまたさらなる手を加えていったのだ。
 もちろん今度こそ発表の場はA社の雑誌ではありえなかったから遠慮は無用だった。だとしたら私はあふれんばかりの思いのすべてを、そっくりそのまま文章に込めることができたのだ。
 そうしてできあがったものはもはや手記でも記事でもない、百五十枚に及ぶ小説だった。だがしかし今はきっとそれで構わなかったのだ。
 そんな自分の確かに力作と思しきものを私はかねてから好感を抱いていた文芸誌に送付した。
 目の前の机の上にはただ応募原稿の写しだけが残っている。
 その紙の嵩をつくづくながめながら私はふと考える。今しも自分がこうして感じている不思議な充足感は一体何なのだろう?
 もちろん私はここに至っておそらくは生まれて初めて、何に縛られることもなく思いの丈を綴ることができたのだ。だとしたらそんな経験がまるで何かの儀式のように私の心に一種の浄化の作用を働いたのは間違えなかった。
 だがしかしきっとそればかりではない。同時にそんな私の満足には、いわばようやく役目を終えた男の安堵もまた混じっていたのににちがいない。
そうだった。H・Aの短い手記を読んだ瞬間から私はずっとそんなふうに感じていたのだ。そこに描かれていたのはまるで男の寓話そのものを生きたようなH・Aの半生だった。だとしたらやはりそれはただ私の心を揺さぶるだけでは足りはしない。この戦慄と感動を今度は自分があまたの男たちに伝え、知らしめなくてはならない。
 そんな私に託されたある種の使命のようなものを、私は今こそこうして十二分に果たすことができたのだ。―― 

 そしてまたそこには同時に自分の作品に対する絶対の信頼があった。
 そうだった。たとえ言葉は足りなくともそれが偽りのない心の叫びであるかぎり、必ず伝えられるものがある。確かにH・Aの物語を記す間私の心もまたこの上もなく真摯であった。だとしたらやはり私の思いはその訥弁を越えて、まるで真空の中の放電のような形で直接読者の魂に届いて行くのにちがいない。
 もちろんひょっとしたら文学賞の選者の諸氏は私の作品を認めようとはしないかもしれない。だとしたらそれは彼らがきっと私とは違う、おそらくはもっと幸福な種類の人間だからなのだ。
 だがそれでも巡り巡って、私の作品は哀しいバイブルとして多くの読者に読み継がれていくだろう。
 多くの読者。
 それはもちろん冬の朝日に照らされながらホームの上で電車を待つサラリーマンたち。彼らもまた遠い昔おそらくはその青春の頃にきっと何かを僥望し、そして断念していた。栄光に立ち返ることも忘れ去ることもできずに、煮え切らぬ気持ちのままきごちなく過ごす毎日。そんな彼らの胸にはきっと私と同じ共感が宿っているものと信じる。
 そうだった。およそ男と呼ばれる人種なら私の作品を――H・Aの手記を読んで誰が泣かずにいられよう。とりわけあのネクタイを締めた灰色のオーバーのボクサーたち。朝日の中で電車を待つ彼らの心にH・Aの言葉は矢のように刺さって血を流す。
 何故なら?
 何故ならH・Aは私であり私は彼らであり、そして――私たちの誰もが同じように朝日の中で電車を待ち続ける哀しきパンチドランカーなのだから。


 後編  「哀しきパンチドランカー」




 ある日突然、見知らぬ部屋のベッドで目を覚ます。

 八畳程の白塗りの壁。金属パイプで組んだ寝台の枠。そして右肩から見下ろす点滴のスタンド。
 私には事態が飲み込めない。
 頭の中にはぽっかりと大きな穴が開いて、そこにあるはずの記憶がそっくり抜け落ちている。それはひょっとしたら、朝の目覚めの瞬間には誰もが経験する夢うつつ?――だが私の場合よほど長い時間眠ったのか、一分経っても二分が経っても正気が戻らない。ここは一体どこで、自分はなぜここにいるのか。……

 私は一応念のための自問自答を仕掛けてみる。

 ――青沼英司。

 とりあえず名前はOKだった。
 続いて私は枕もとの籐椅子に腰掛けた女の存在に気付く。うつむき加減に床に目を落とした、やさしい顔をした女だ。

 ――妻。かず子。

 確かにそれはその通りだった。だとしたらもちろん、私は恥ずかしながら自力では解くことのできなかった問題の解答を、内緒のうちにそっとこの身内から教わっておかねばならない。

 うつむいたままの妻に向かって、私はいつもの胴間声で声を掛けた。
「おい」
 だがそんなありきたりの呼び掛けを聞いた瞬間、相手が見せたあの異様な反応は一体何だったのだろう。
 まるで稲妻に打たれたように、細身の体が跳ね起きる。それっきりこれ以上ないというほど大きく目をみはって、ただ茫然と私の顔を見つめている。
 そんな仕草は確かにずいぶんと芝居掛かったものと感じられた。そればかりではない。今度は見開いたままのその目から、これもまた何かの小道具の仕掛けのようにはらはらと大粒の涙が流れ出す。あわてて取り出した木綿のハンケチで目頭を押さえながら、妻はただ意味もなく何度も念を押すのだった。
 「気が付いたのね。気が付いたのね。気が付いたのね。……」

 ――当たり前だ。

 こんな得体の知れない女の情緒不安を、起き抜けから見せつけられるのはもちろんうんざりだった。だとしたら私は一切取り合わずに、そのまま最初の問い掛けを続けた。
 「何で俺はこんなところにいるんだ」

 それにしても何という、理不尽なことばかりが続くことだろう。確かについ先刻私の最初の一声が、あれほどの驚きに迎えられたのも。続いてそんな衝撃がたちまち大げさな嬉し泣きに取って代わられたことも。――だがしかしそんな不思議に輪を掛けるように、今度の私の問いかけは涙目の妻を一転その場に凍り付かせてしまったのだ。
 そうだった。何で俺はこんなところにいるんだ――そんな私の素朴な質問を聞いたとたん、妻はそれまでの嗚咽の声をぐっと飲み込んだ。そればかりかその顔からはみるみるうちに血の気が失われていく。
 返す言葉が見つからないまま、しばらくの間気まずい沈黙が続いた。
 だがもちろんそんな妻もまた、やがてどうやら器用に立ち回ることを覚えたらしい。はぐらかすというよりは私の言葉が全然聞こえなかったふりをして、あくまでその一人芝居を押し通してしまった。
 「気が付いたのね。……よかった。……院長先生に報告してくるわね」
 そうして彼女は脱兎のごとく部屋を出てしまう。水臭くも、夫のこの私から逃げるように。
 
 本当に何もかもが、とてつもなく奇妙な出来事だった。幕が上がったそのとたんに、なぜだか私は誰か見知らぬ男の芝居を演じていた。少なくとも知っているのはただその名前だけで、もらったはずの台本の中身は何一つ頭に残っていないというわけなのだ。
 
 それはただもどかしいというだけではない。ただ思い出そうとする小さな努力が、今の私には大きな苦痛を伴った。実際目覚めてまだ数分も経たないうちに、私はもうすっかり疲れきったように感じていたのだ。
 耐えられずに私は目を閉じた。そして確かにそのままもう一度、うとうとと寝入かけていたのにちがいない。
 だがそのとき私はふと枕元にいる妻と、もう一人の白衣の紳士に気がつく。だとしたらもちろんこれが妻の言うところの、院長先生なのにちがいない。
 その姿を見ただけで私はこの初老の医師に対して、すでに不思議な好意を抱いていた。
 それはただ人物が醸し出す品位というものなのか。それともひょっとしたら何かの予感のようなものだったのか。いずれにしても院長は特に問診というふうでもなく、実に穏やかな語り口で問い掛けるのだった。
「気が付かれましたか。気分はいかがです」
 そんなふうにしきりに「気分」という言葉を使いながら、院長はさり気ない口調で少しずつ私の状態を質していく。私もまた面倒がせる素振りも見せずに、一つ一つに正直に答えていった。
 だがしかし私もやがて気付いてしまう。こうして当たり障りのないやり取りをしながら、どうやら院長は私の精神と、とりわけその記憶装置の状態に探りを入れているらしいのだ。
 もちろんそうして持って回ったやり方をされるのは、けっしてあまり愉快なことではない。医者もまたやがてそんな不満の表情を見て取ったのか、この患者にはもっと単刀直入の質問が望ましいと思い直したようだった。
 「事故のことは覚えていらっしゃいますか」

 ――一体どんな事故が起こったというのだろう。

 ここでも私はまた何の迷いもなく、馬鹿正直にいいえと答えた。 「そうですか。それでしたら無理に思い出そうとなさらないでください。ゆっくりと時間を掛けて、できれば自然に思い出すようにしましょう」
 聞きながら私は初め愕然とする。ゆっくりと時間を掛けて? 冗談ではない。何しろ今定かでないのは事故の記憶ばかりではない。自分は一体何故、どこにいるのか? いや、だとしたらそもそも自分は何者なのか? そんな当たり前の知識さえ授からずにいるとしたら、私は生きていながら本当は少しも生きてはいない。それでははあまりにも心細く、残酷すぎる仕打ちなのだ。……
 ふと見ると妻は院長の傍らにぴったりと寄り添って、その言葉の一つ一つにうなずいている。それを何だか裏切られたように感じて、私は急に腹立たしい気持ちになる。
 だがあとに続いた院長の言葉は、そんな患者の苛立ちをたちまち鎮めてしまった。
 「こういう頭の怪我には後遺症が付き物ですから無理をしてはいけません。ゆっくりと時間を掛けていきましょう。焦らずに取り組めれば、一か月もあれば回復は請け負います」
 そうだった。こうして何度となく繰り返された「時間をかけて」の一言は、いつしか不思議な暗示の効果を持ち始める。とりわけ最後に完治を約束した自信にあふれたその口調が、私の中に忘れかけていた医者への信頼をもう一度蘇らせていったのだ。
 だとしたら今度は私もまた妻と同じように、院長の見つめる前で実に素直に、大きく一回うなずいてみせた。
 「お疲れになったでしょう」
 確かにその瞬間、私は自分がすっかり疲れきっていたことを思い出した。
 「少しまた、お休みになってください」
 そんな院長の言葉を聞いたとたん、まるで催眠術にでも掛かったかのように突然の睡魔が私を襲った。
 私はたちまち眠りに落ちた。今では目の前の医師の見立てにすべてを委ねきって、母に抱かれた赤子のように安らかに。――



 ある日突然、見知らぬ部屋のベッドで目を覚ます。

 八畳程の白塗りの壁。金属パイプで組んだ寝台の枠。そして右肩から見下ろす点滴のスタンド。
 私には事態が飲み込めない。
 頭の中にはぽっかりと大きな穴が開いて、そこにあるはずの記憶がそっくり抜け落ちている。それはひょっとしたら、朝の目覚めの瞬間には誰もが経験する夢うつつ――
 いやもちろんそれは、そうではない。
 私もまたたちまち思い出した。これはけっして初めての目覚めではない。確かに私はすでに一度、この同じ病室のベッドで目を覚していた。そして院長とのちょっとした面談の後、再び深い眠りについたのにちがいなかった。
 もちろん自分が実際どの位眠ったのかはわからない。あるいはひょっとしたら、それはほんの短い間にすぎなかったのかもしれない。
 確かに今そこに見えるものは、何一つ変わってはいない。八畳程の白塗りの壁。金属パイプで組んだ寝台の枠。そして右肩から見下ろす点滴のスタンド。
 続いて私は枕もとの籐椅子に腰掛けた女の存在に気付く。うつむき加減に床に目を落とした、やさしい顔をした女だ。……
 だが同時にまた私は気が付いていた。そうしてまるで巻き戻したビデオのように同じ風景を映しながら、今度の再生にはいわばはっきりとした画質の変化のようなものが伴っていた。
 あの初めの目覚めのとき、すべてのものは薄い靄の中に包まれていた。院長もそしてときには自分の妻でさえ、ただ夢の中の人物のように感じられていたものだ。
 だが今では、本物だけが持つ確かな手応えがそこにはあった。だとしたらもちろん、変わったのはこの私の方だった。院長の言う事故のためにねじのゆるんでいた頭の状態が、ようやく元通りに戻りかけているというわけだ。
 身体からも心からも、気怠い感じはすっかり抜けきっている。病室にいるのが不思議なほど、それはさわやかな目覚めだった。……

 だとしたら私はもう一度、あの例の自問自答を試してみる。

 ――青沼英司。

 もちろんここでもまた、とりあえず名前はOKだった。だが今度の場合その同じ一言が、けっしてただ呟きのままでは終わらない。いわば私の名乗りの声のすぐ後に、まるでこだまのように応じる言葉が続いたのだ。
 
 ――青沼英司。

 年齢。二十三才。

 職業。ボクサー。――

 それは本当に、不思議な感覚だった。
 まるで種から草が芽生えやがて蕾が花開くように、私自身のデータがひとりでに目の前に展開していった。青沼英司。年齢。二十三才。職業。ボクサー。――とりわけこの一等最後の言葉を唱えた瞬間、まるでそれが何かの呪文であったかのように、忘れていたはずの記憶が一斉に蘇ったのだ。
 そうだった。確かに私はボクサーだった。それはただプロであるというだけではない。日本の王座へ一足飛びに駆け上がり、さらにその先の「世界」を窺うファイターだった。
 試合を控えて私は地獄の減量とトレーニングに耐えていた。おそらく彼ら言う「事故」もまた、きっとそのときに起こったものにちがいないのだ。……
 もちろん蘇ったのは、そんな過去の物語だけではない。それまでは無意味に思えた目の前のすべてのものにもまた、今ではつながりが与えられた。私の傍らでうつむく女はこの瞬間からボクサーの妻ととなった。腕の点滴はやがてリングの上で燃え上る滋養であると理解された。そして院長の静かな言葉は――いわば不本意な人生のスリップダウンを強いられた私を、励ます叱咤の声であるのにちがいない。……
 そのうえどうやらこの同じ言葉は、見つからなかった未来さえも取り戻してくれたようだった。もちろん当面の敵はボクサーの前に立ちはだかるこの厄介な故障だった。だがしかしこいつを確かに片づけた後には、自分は再び世界を目指す戦いに立ち戻らなければならない。……

 そんなふうに過去も未来もひっくるめて、青沼英二のすべてが今ではそこにあった。それはまるでこの世の初めに天が生まれ、地が造られたというかのように。
 そんな奇跡を目の前にして自分がどれほど喜んだかはいうまでもない。
 それはただ単純に記憶を取り戻したというだけではない。同時にそうして現れた「私」と呼ばれる人物がけっしてしょぼくれたサラリーマンなどではなかったことが、何よりも誇らしい気持にさせていたのだ。
 だとしたらこんな浮き立つ気持ちを、私もまたきっと誰かに打ち明けずにはいない。そのうえ今そこにいるのが一心同体の連れ合いだとしたら、報告は同時に私の義務でもあるにちがいなかった。
 どうせなら驚かせてやろうと、多少の茶目っけも手伝ってここでも私は得意のワンツーを繰り出してみる。
 「おい」
 とりあえずこれが左ジャブだった。妻は当然のように顔を上げる。
 「ボクサーの若奥さん――」

 確かに妻の顎に炸裂した私の右ストレート。
 打たれた妻は「思い出したのね。……」と絶句したきり本当に呆然と、言葉を継げずにいる。
 だがもちろんそれも、あくまでも予想の範囲だった。今し方あの「気が付いたのね」の場面がそうだったように、今度の妻の動転もまたやがてきっと嬉し涙に変わるに違いない。そんな筋書きを私は心中ひそかに期待していたのだ。
 だが今度ばかりはずいぶんと勝手が違った。嬉し涙どころか、妻の顔面からはますます血の気が引いていくように見えた。
 「じゃあ事故のことも、ね?」
 ややあって、妻は本当に蒼白な顔で尋ねた。それもいかにも恐る恐るに訊いているといった口調で、上目づかいにこちらの反応を窺いながら。
 事故のことも?――不意をつかれた私は、思わず口ごもった。
 だがしかし、それは確かにその通りだったのだ。すべてを思い出したはずの私にも、彼らの口にするこの「事故」の記憶だけはなぜだかすっぽりと抜け落ちているようなのだ。 
 それはもちろんあまり愉快な発見ではなかった。それでも私はやむをえずに正直なところを打ち明けた。
 「いや。それだけはどういうわけか、少しも思い出せないんだ」
 「そう。……」これもまた奇妙なことにそんな相づちには今度は一転、いかにも胸をなで下ろしたというような響きがあった。
 「きっと頭を強く打ったものだから、そこのところの記憶が薄れているのだわ。……」
 それにしても院長といい妻といいこの「事故」とやらについて、たびたびの持って回った言い種は一体何だろう。私は次第に苛立ってきて、ついにここに来て声を荒らげてしまう。
 「事故だ事故だって、一体何があったと言うんだ」
 いつになく激しい私の調子に妻が一瞬、ぎくりと身構えたのがわかる。
 「何がって。……もちろん自動車の事故よ。ハンドルを切り間違えて。……」
 妻は言葉を詰まらせる。そんなうろたえぶりを目の前にして、私はとたんに自分の喧嘩腰を後悔した。
 そして妻もまたそれ以上へたな説明を続けるよりは、はぐらかす作戦を選んだようだった。
「無理に思い出そうとしてはいけないって、院長先生もおっしゃってたでしょう。ゆっくりと時間を掛けて、自然に思い浮かぶようにしなさいって。もしちゃんと治す気があるのなら言い付けを守らないと。難しいことは考えないでまた少し眠ったら」
 それはまるっきり、都合が悪いときまって子供を寝かしつけてしまう母親のように、ずいぶん上手に言いくるめてしまう。
 もちろん熟睡から覚めたばかりの私が本当に眠れようわけもない。だが私は余計な心配を掛けないために素直に妻の言葉に従った。
 確かにこんな場合にかぎって、ボクサーは変に温和だった。リングの上で命懸けで戦う彼らには、日々の暮しでのとるにたらない争いなどは、きっとどうにも面倒に感じられていやなのだ。……
 だとしたら私もまたそんなふうにして、ただ妻のためだけに静かに目をつむった。



 私は静かに目をつむった。
 だがもちろん私は眠れない。
 それはただ眠気がないというだけではない。次第次第に記憶が戻ってゆくその手応えに神経が昂って、まるでピクニックの前の子供のように、ただもう何かとてつもなく嬉しくて眠れない。

 思い出してはいけないだって? これがどうして思い出さずにいられよう。
 青沼英司。
 年齢。二十三才。
 職業。ボクサー。
 そうだった。私はボクシングの、フライ級の日本チャンピョンだった。そのうえそれは苦節何年というようなタイプとは違う。十二戦十二勝十二KO。そんな数字は確かに未来の王者を約束する、いわば栄光へのパスポートナンバーなのだ。
 そのうえ戦いのスタイルもまた単純明快だった。打って打って、ひたすら打ちまくるボクシング。チャンピョンベルトを巻いた後でさえまるで一回戦ボーイのように、ゴングが鳴った瞬間から脇目もふらないラッシュが続く。問答無用の猛攻を前にしてさかしらなディフェンスも、いつしか観念したというように私のパンチを迎えてしまう。
 無敗の戦績と小細工を知らない突貫精神。これだけ売り出しの条件がそろえば、もちろんマスコミは放っておかない。私はたちまち「日本のロッキー」と名付けられ、「世界」に向けた期待が煽られる。案の定リングサイドではやんやの喝采が私を迎えた。
 そしてまたリングの外でのキャラクターも、おそらく私の人気に一役買っていた。試合前のインタビューで吹きまくる私は確かに「ほら吹き」にはちがいなかったが、それはむしろ私のやんちゃを喜ぶ愛称であるにすぎない。私もまたそのあたりはちゃんと心得ていて、そもそもがあの出放題だって、いわば彼らの期待を裏切らないための振る舞いにすぎない。控え目で謙遜しっぱなしのインタビューでは、記事にもしにくかろう。雑誌も売れなかろう。すべてはそんな私のサービス精神のたまものだった。

そんな私のやり方を、テレビ世代の申し子と評した者がいる。
確かに私はいつだって、降り注ぐカメラの視線を感じながらリングに上がっていた。そればかりではない。観客など一人もいるはずもない毎日の暮らしでさえ、それでもそこには何か、期待される役所のようなものがきっとあるのだ。書かれているかもしれない台本。貫かなければならない美学。確かに私はいつでも無意識のうちに、そのような何かを探していた。
それはいわば自分が何かのドラマの中の主人公だという不思議な感覚。私だけでない。おそらくは誰もがめいめいに書かれたドラマの筋書きを忠実に演じる役者だった。もちろんその多くは題名のないただの男の一生、女の一生であるにすぎない。だが少なくとも私のそれは「日本のロッキー」という、輝かしいタイトルに飾られていた。……
 だとしたら試合に臨む私のあの恐ろしいまでの自信過剰も、おそらくはそれで説明ができた。どんな対戦相手とやるときも、初めから少しも負けるような気はしない。それはそうだろう。万が一ここでヒーローが負けてしまっては、その瞬間にドラマは終わってしまう。この華々しい連続KOのドラマが――もちろんそれとてもまた、いつかは幕切れを迎えるときがあるにちがいない。だがそれはもっと物語が進んだ先の、勇ましいテーマ曲の演奏に見送られたクライマックスでなければならない。こんなしょぼくれた後楽園スタジアムで、深夜のボクシング番組の録画取りしかないような試合などでは、私は負けてはならないのだった。……
 
 そうしてすべてが筋書き通りに運んでいた。
 私は無敗のまま日本の王座に着く。二回の防衛戦も難なくKOで切り抜けた。
 そしてついに念願の「世界」への挑戦が決まった。プランによれば、タイトルマッチは今秋に組まれていた。ただその前哨戦として、この七月にもう一つの国内戦をこなすことになる。
 前哨戦として――確かに今度の試合はそれだけの意味しか持たなかった。戦う相手は現級四位の小和田。もちろん勝利は確実だった。
 だがそれでも私はいつも以上に念入りに、トレーニングを積んでいた。確かにどんな試合であってもいったんドラマの一幕に組み込まれた以上、もはやただの足慣らしではありえない。物語の展開を否が応でも盛り上げるような、十分に計算された演出が必要なのだ。
 少なくとも役者は、最高の演技を見せ付ける義務があった。そこではきっとあのぞろ目の数字がもう一つだけ繰り上がる。十三戦十三勝十三KO。そんな有無を言わせぬ記録を引っ提げて、颯爽と世界タイトルに挑むこと――それが私たちの目論みだった。そのためにはもちろん、KO以外の勝利は許されない。そのうえできることなら一ラウンドでKOのような、極めつけの派手な決着が望ましい。そして確かに、いかに格下が相手とはいえ、そんな芸当は生半可な気持ちではけっしてなしとげられるものではないのだ。……
 六月にはいつになく厳しいトレーニングが続いていた。得意のおちゃらけは影をひそめ、闘う男の険しい表情が取って代わる。同時に私は、この上なく無口になる。……

 だがしかしそうして一つずつ記憶をたどるうちに、いつのまにか振り出しに戻って、私はまたしてもあの最初と同じ疑問にぶち当たってしまう。
 そうだった。それほどまでに大事な試合を控えながら、どうして私は車の運転などしたのだろう?――もちろんそれがただ心の中だけの呟きで終わるなら、何の問題もなかったのだ。だがしかしぼんやりと物思いに耽るうちにずいぶん気がゆるんでいたのか、独り言であるはずのその言葉が、うかつにも目の前の妻に向かって口をついて出てしまったのだ。
「それにしても大事な試合を控えているのに、どうして車の運転なんかしたのかな。……」
 寝入っていると信じていた夫の突然の胴間声に、妻は再びぎくりと身構える。そのうえそこではどうやら、またしてもあの「事故」についての詮索が蒸し返されているらしい。だとしたらその表情は本当に見る見るうちに曇っていった。
 だがしかし今度の妻は、いつまでも押されっぱなしではいなかった。おろおろと言い訳を探す代わりに、開き直ったように強気な口調で言い返した。
 「また考えてたのね」
 きつく睨み付けるその表情は、ここでも確かにわが子を叱る母親そのもののように見えた。
 「どうしてって、おばあちゃんを病院に送った帰りでしょう。調布のおばあちゃんを。……
 ほらほら。無理に思い出してはいけないって、院長先生もおっしゃっているはずよ。
 ちゃんと怪我を治す気があるなら、お願いだからもう少し眠って」
 その剣幕に負けて、もちろん私は引き下がるしかなかった。 
 「そうだったな。確かにそうだった。――
 わかったよ。わかったから、またもう少しだけ眠るよ」
 私は再びおとなしく目をつむってみせた。
 
 そうだったな。確かにそうだった――だがもちろん本当は、私は何一つ思い出したわけではなかった。そればかりかこの「調布のおばあちゃん」の登場には、いかにも取って付けたような嘘臭さが漂っていたのだ。
 だがしかしあのときの私は、何だかもうこれ以上あれこれ考えることがわずらわしくなっていた。だとしたらとりあえず今この場だけは、そんな妻の言い分に満足しておこうと決めたわけだ。
そのうえそこには、確かに思い当たるふしがないでもない。
 リングの上の無敗の王者が、何だか得体のしれない「事故」のためにあえなく病院のベッドにKOされる。――ときにはそんなたちの悪い冗談が、実際に起きてしまうことがあるのだ。
 もちろんそんな筋書きには、きっと何か痛烈な皮肉がこめられていた。そうだった。「リングの栄光」というはるかな思いを追い続けるうちに、いわばボクサーたちの心は次第次第に焦点がずれてくる。水平線を追う船乗りのように遠くばかりを見詰めるのに目が慣れて、その逆に最も近くにあるはずのものにピントが合わなくなる。たとえば手元の日用品や庭の植木。あるいは家族や友人。そしてまたお金やら世の中やら。――そんな日常のすべての物事がかえって遠く、まるで見えない硝子の壁の向こうにあった。それは本当におぼつかない、不思議なぎこちなさの感覚。……
 だとしたらそこには漫画のような粗相が起こることも、またしばしばだった。たとえば掴みそこねて落としたり。力余ってこわしたり。けつまずいたり。だとしたら妻の言う通り車のハンドルを切りそこなうという救いがたい大失態も、ありえないとはかぎらない。いわば私はあまりに構わずにきたそれらのものから強烈なしっぺ返しをくらって、こんなぶざまなノックダウンを強いられているのだ。……
 
 私はふと大場政夫を思い出す。確かにあの伝説のチャンピョンもまた十五年前、同じような高速道路の激突事故で亡くなっていたのにちがいない。世界のリングで負け知らずだったボクサーに、あまりにもあっけない最期が訪れた。だとしたらそのドラマは、きっと初めからそんな非情の結末が用意された、「悲運のヒーロー」の物語だったのだ。……
 だがもちろん私の場合、それはそうではない。何しろ同じ大事故を起こしながら、たったこれだけの怪我で収まったのだ。それもそのはず、ここではドラマのテーマはあくまでもあの「日本のロッキー」だった。いつか私が命を散らすことがあるとしたら、それは高速道路の冷たいコンクリートの上ではない。おそらくはラスベガスか何かの、きらびやかなスポットライトを浴びたリングなのだ。……
 つまりは今度の事故の顛末は私の物語の本筋とは違う。それはただ手に汗握る芝居の幕間に設けられた、一時の息継ぎの挿話であるにすぎない。
 だとしたらそんな息継ぎの時間は、けっしていつまでも続いてはならないのだ。――そればかりではない。少なくともボクサーの場合、体をなまらすことの恐ろしさはいやというほど知らされてきた。一日の怠惰を埋め合わすには、本当に一週間の鍛練が必要なのだ。だとしたら確かに、私は急がねばならない。

 その瞬間からボクサーの闘病が始まった。
 「闘病」――確かにそんな言葉が一番ふさわしかった。
 今の私にとって治療とは、リングの上の闘いと何一つ変わらない。
 少なくともその意味するものは、リングを目指すトレーニングと同じだった。そうだった。ちょうど歯を食いしばってトレーニングに耐えるように、私はそのときからすべてに耐えることを始めたのだ。
 それもまた再びもう一度、「世界」を目指すリングに立つために。――例えばそのために、とりあえず必要なものは一体何なのだろう? 私はたえず自分自身にそう問いかけてみる。
 だとした確かに妻の言う通り、ここでは何よりも眠ることが大切なようだった。
 そんなふうに判断した私は、それまでは少しの眠気もなかったにもかかわらず、ただボクサーの並はずれた意志の力だけで無理やり眠りについた。……



 そのときから私の耐える日々が始まった。

 私が耐えなければならない困難――もちろんそれは取り立てて何というわけではない。あのときの自分にとってはただそこでそうしているだけで、いわばすべてが苦痛であると感じられていたのだ。
 だがしかしもしそれでもあえて分けるとすれば、そこにはやはり大雑把に言って三つの種類があっただろう。

 困難のその一は、確かにあの気の遠くなるような退屈の時間だった。本当に、この点にかぎって言えば、私は目が覚めないままの方がずっと幸せだったろう。何しろ身体には、どこも悪いところなどはないのだ。手足の先まで漲る力を持て余しながら、ただ頭の怪我だけをかばって床に就く。その情けなさときたら、確かに経験した者でもなければとても想像できるものではない。
 
 そしてまた困難のその二は、相変わらずの記憶の不具合だった。
思い出したはずの「すべて」は、本当はけっしてすべてではない。そんな歯がゆさが今日も、また明日も繰り返された。確かにここでも医者のモットーは、「時間を掛けてゆっくりと」にちがいなかった。だがいつしか時がたつうちに、そんな心の余裕はもうとっくに失われていた。…… 
 
 そしてまた、困難のその三。
 もちろんこれこそがあのときの私にとって、最も厄介な代物だったにちがいない。
 それは妻と院長と看護婦と、そのうえ見舞いの客たちもが私の前で交わすあの盗むような目配せだ。確かに意識が戻った瞬間から、そんな得体のしれない振る舞いは始終私を悩ませていたのだ。――もちろん私とてそのよそよそしさに腹を立てて、何度も抗議をしようとした。だがそんなとき喉のところまで言葉が出掛かりながら、私が必ず思いとどまってしまったのは一体なぜだろう?
おそらくは私もまたきっと、どこかでひそかに察していたのだ。
 これはけっして悪意のようなものとは違う、もっとずっと別の何かだった。
 今の私にまだその正体はわからない。
 だが少なくともそれは、覗き見たとたんに争う気持ちもたちまち凪いでしまう。そんな本当に、とろけるように心やさしい何かなのだ。……
 

 
 困難のその一は、もちろんあの気の遠くなるような退屈の時間だった。

 手足の先までみなぎる力を持てあましながら、ただ頭の怪我だけをかばって床につく。今日も明日も窓辺を飾る花を見つめて過ごす。サギソウ。カンナ。キキョウ。……そんなおくゆかしい花の風情を愛でるには、もちろんボクサーの心はあまりにも無骨すぎた。
 ありがたいことに妻は私に付きっきりだったが、退屈しのぎの話し相手をつとめるにはまたこれほど物足りないものもなかった。それはそうだろう。もし夫婦が一心同体であるとすれば、二人でいながらそこには私しかいないことになる。 実際二人の間の会話ときたらまるで老夫婦の茶飲み話のように、いつでもらちもないものばかりだった。
 もちろん昼間の時間には代わる代わるに見舞いの客が訪れる。寝たきりの患者にとってそこで交わされる一言一言が、絶好の気晴らしを与えてくれるのは間違えなかった。
 だがそれもけっして長続きはしない。やがて私は気づいてしまう。こんな物静かな言葉のやりとりに本当の満足を見つけるには、ここでもまた何かしなやかな感性のようなものが必要だった。
 男たちの心はけっしてそうではない。それはいつだってもっと荒々しい、ストレートな喜びを求めているのだ。
 とりわけ身を起こすことのかなわないボクサーの所在なさは、もはや何ものをもってしても紛らすことはかなわない。……

 身を起こすことのかなわないボクサーの所在なさは、もはや何ものをもってしても紛らすことはかなわない――もちろんそれはその通りだった。
 だがそうしながら、私はある日ふと悟ったのだ。
 たとえ紛らすことのできない苦痛でも、ひょっとしたら耐えることは容易なのかもしれない。
 確かにその二つのものは、おそらくその中身において全く別の何かだった。
 「紛すこと」は苦痛の元そのものを癒してしまう。あるいは傷口は塞げないまでも、麻酔を打って痛みを忘れてしまうことだった。
 だが「耐えること」はそうではない。それは麻酔一つ打つでもなく、ただ苦痛に向き直る。血を流す痛い傷口をむしろ見せびらかしながら生きることなのだ。
 だとしたらもちろんボクサーにとって、これほどたやすいことはなかった。
 そうだった。ボクサーとは何かと問われたなら、私は迷うことなくこう答えるだろう。それは耐えることだ。ただ栄光のためだけに、我が身のすべてを放り捨てて耐えること。――
 それは例えばあの終わりのないロードワーク。気違いじみた空腹の時間。血みどろで立ちつくす十ラウンド……
 確かにボクサーはいつだってそんなふうに、じっと歯をくいしばってきたのだ。本当に、その先にあるはずの栄光のためなら、たとえ地獄の底の責め苦にだってボクサーはきっと容易に耐えてしまう。……

 ――だとしたら、どうして私が無聊に耐えないことがあろう?

 そうだった。そんなふうに悟った日から、私は慰めを探そうとするいじましい努力をやめた。
 私はただ蛹のようにじっとベッドに身を潜めて、ひたすら待ち続ける。
 そしてきっと、それでかまわないのだ。本当に、あのリングの上の半時足らずの輝く時間だけが、ボクサーの時間だった。それよりほかにもしなすべきことがあるとすれば、それはただこうしてじっと時が過ぎ去るのを待つことだけなのだ。
 そして確かにそう決め込んだ瞬間から、不思議なことにあれほど紛らすことが不可能だったとてつもない退屈に、私はいとも容易に耐えてしまう。……



 耐えなければならない困難のその二は、相変わらずの記憶の不具合だった。

 あの初めの目覚め以来、何度も「すべて」を思い出しながらそのたびに私は思い知らされる。自分がすべてと信じるものは、本当はそうではない。ちょうど大昔の世界地図のように、確かにそこにはあるはずの何かがすっぽりと抜け落ちているのだ。――
 そのうえここでは、私はただ耐えていればいいのではない。そうしてもどかしさを忍びながら、同時に「ゆっくりと時間を掛けて」記憶の綻びを一つずつ繕っていく。そんな気の遠くなるような作業に、否が応でも向き合わなくてはならないのだ。

 そのために私は、こんなふうに思おうとした。今の自分のリハビリは確かにボクシングに似ている。いやそれはきっとボクシングそのものなのにちがいない。
 例えば「ゆっくりと」を繰り返す院長は、いわば私の訓練に付き添うコーチのようなものと考えることができた。あるいは病院の全体を一つのジムのようなものとするなら、むしろその会長のような存在だった。
 もちろんこのジムで教えるのは倒すための攻撃でも、倒されないための防御でもない。それはいわばいったんリングに沈んだ後の起き上がり方だった。人生のノックダウンを食らった選手が、カウントテンを数える前に起き上がるには一体何をどうするべきか? 私はそれをこの人物から、しっかりと教わっておかなくてはならない。
 時間をかけてゆっくりと――確かに本当の私の会長も、つまりは私の所属する河合ジムの会長も、やはり同じように私に言い聞かせたものだ。
「焦るな」それが河合会長の口癖だった。
 そうだった。思えば私のもどかしさは、けっして今に始まったことではなかった。あのジムのリングの上で息も絶え絶えにあえぎながら、私はいつだって同じように苛立っていた。
 スエイバック。フェイント。ローリング。フットワークを使って、機を窺いながらのカウンターパンチ。――そんなコンビネーションを頭ではちゃんと理解しながら、一向に使いきれないいまいましさ。
 そんなとき歯ぎしりする私に、会長はよく怒鳴ったものだ。
 焦るな。
 ボクシングとは結局、機械になりきることだ。リングの上ではすべての動作が反射的に、それでいて機械のように精密に繰り出されなくてはならない。そのためにはただ毎日の実践とシャドウボクシング。じっくりと根気よく、体で動きを覚え込んでいくしかない。焦るな。―― 
 会長はきまってそんなふうに説教した。そしてもしそうだとしたら、それはあの病人たちのリハビリと少しも変わりはしない。
 例えば二本の箸の先でピンポン玉をつまんでは運ぶ。それもまたきかなくなった指先の神経に、少しずつ昔の感覚を蘇らせるために。
 あるいは今の私に当てはめるなら、それは忘れてしまった記憶をゆっくりと時間を掛けて、自然のうちに取り戻すこと――そうだった。確かにこんな病院のベッドの上でさえ、すべての訓練はあのボクシングに通じているのだ。
 
 そして不思議なことにそんなふうに思い直した瞬間から、私の愚痴っぽさは嘘のように消え去った。今ならどんな途方もない治療にだって、辛抱強く向き合うことができそうだった。
 そのうえ記憶のリハビリは、本当はけっして辛いだけでのものではありえない。それはそうだろう。いったん焦りの気持ちさえなくなれば、思い出をたどることはいつだってとっておきの楽しみの一つだった。
 そうだった。見舞いの客のあるたびに、そしてまた妻とさり気ない言葉を交わすたびに、ベッドの回りに忘れかけていた昔の物語が組み立てられていく。私はいわばタイムマシンに乗って、そんな積み木細工のおとぎの国を巡って歩く。だとしたらそれは確かに、昨日までの退屈などもうすっかり嘘のような、心浮き立つ愉快な時間なのだ。……
 
 そのようにして次第に蘇った物語のあらすじ。
 そこでは確かにいつものお馴染みの顔ぶれが、かわるがわるにその役を演じていた。
 ――妻かず子。二十一才。
 端正な顔立ちも、美人と呼ばれるタイプとはちょっと違う。いわばどこか母親のような、やさしい顔をした女だ。
 もちろんかず子はまた、ミーハーな追っ掛けでもない。いやそもそもボクシングのリングには、初めから女など一人も寄り付きはしないのだ。
 確かにこれが野球やらサッカーなら、ちょっとばかり成績を上げた選手に熱を上げる娘たちもいるにちがいない。だがボクシングはけっしてそうではない。
 その違いは誰の目にも明らかだった。要するにそうしたはやりの球技は、あくまでが「スポーツ」だった。つまりは見かけはどんなにタフだろうと、元来は楽しみの一種に属するものなのだ。だがしかしボクシングはむしろ「ファイト (闘い)」だった。だとしたらボクサーの流す汗から漂う危険な血の匂いを、女たちはその本能で嗅ぎつけて避けている。……
 もちろん二人が出会ったのも、リングの外でのことだった。まだボクシングだけでは食えない私が、ワインハウスのウエイターで食い繋いでいた頃、かず子もまた同じウエイトレスだったわけだ。初めて出会ったとき、彼女はすぐに直感したと言う。この出会いはただの出会いでは終わらない。――もっとも私の方は少しもそんな気はしなかった。男の方はいつも女ほど繊細でないためか、それとも当時の私はボクシングのことで頭が一杯だったのか。ただはしゃぎ過ぎるようなところがなくて温和な感じのこの女に、いくぶんかの好感は抱いたけれども。……
 私の素性を知らされた後も、かず子は試合に行くなどと言い出しはしなかった。怖くって、とてもあんな殴り合いは見ていられない――私は苦笑いした。だがそのとき以来、彼女もまた確かに理解したのだ。いつでもじっと耐えているような私の謎の表情。時折遠くを見る眼差し。すべては確かにボクシングという、彼女の知らない世界の中にきっとその秘密があるのだ。……
 
 ――河合元蔵。四十四才。
 河合ジム会長。
 元日本ライト級チャンピョン。
 この会長の登場は確かにかず子の場合以上に、運命的なものだったにちがいない。なぜって? それはそれこそが、私とボクシングとの出会いだったからだ。
 都下の私立高校に進学が決まり、始まった電車通学の線路沿いに、なぜだか黄色いペンキを塗りたくったこのジムがあった。
 もちろんそれは初めは、窓の外を通り過ぎるたくさんの風景の一つにすぎなかった。あそこにはぼろアパート。あそこには自動車教習所。そして新築の女子寮。……ただそのようにしてそこにはまた、少し目立ったあの黄色の建物があった。
 だがしかしここでもまたあの不思議な運命の力は、気付かないうちに私を導いていった。まるで渦潮にのまれる小船のように、私もまたドラマの中のその役柄に否応なく引き寄せられていくのだった。
 そうだった。あまり柄の良くない高校で、やがておなじみの不良三昧が始まる。喧嘩。シンナー。オートバイ。――
 そんな出口の見えない毎日にそろそろ嫌気が差し始めた二年の春、私はある日学校の帰り突然思い立ったように、ふだんは通り過ぎてしまう途中駅のホームに下り立った。
私の足の向かう先は、なぜだかあのボクシングのジムなのだ。入り口には練習生募集の張り紙がある。扉を開けると、ありきたりの練習風景の中に、ぎょろ目を剥いてこちらを振り向く一人の男があった。
 本当に、あのとき会長の視線のことを一生忘れることはないだろう。
 まるで何かを探すかのように、私の頭のてっぺんから足の先までを、何度も何度も閲していたあの目。
 だとしたらちょうどかず子の場合と同じように、きっと会長もこの突然の来客の中に、何か飛び切りの出会いを見いだしていた。
 そして確かにそんな視線に射すくめられたとき、私もまた黙ってすべてを迎え入れるほかはなかったのだ。……
 その日から私の、連日のジム通いが始まった。
 そこで私はたちまち知らされる。それまでは血の気の多い若者の殴り合いのように思えていたものが、本当はけっしてそうではない。ボクシングとは実際、会長の説く通りだった。それは理論と戦術に基づいて、体の神経の一本一本を精密にプログラムすること。あとはただ自動仕掛けの人形のように、はじき出された最適の動作をいつでも正確に繰り出すこと。そんないわば戦う機械を作り上げることが会長自身の究極の目的であり、私はまたそのために選ばれた最高の素材だったというわけだ。
 そうして私はまさしく会長の見立て通りに、日本チャンピョンとなった。そして確かにやがては、世界のチャンピョンとなろうとしていたのだ。
 そんな矢先に今度の事故だった。会長もさぞ無念だろう。私は会長のために自分の不覚を恥じ、大目玉をくらう覚悟をした。
 ――だが見舞いに訪れた会長はなぜか怒るどころか、うっすらと涙さえ浮かべている。その様子を一体、何と言い表したらいいだろう。本当に、奇妙に聞こえるかもしれないが、それは何かをいとおしむかのような不思議な表情だったのだ。
 あれほど厳しかった会長の、こんな涙脆さを意外に感じながら私は考えた。そうだった。会長はいわば私の第二の父親だった。だとしたらそれはただ雷を落とすだけではない。息子の初めてのつまずきをこうしてやさしく見守り、励ましてくれるのもまた父親なのだ。……
 そんな会長の気持ちを思って、私は心の中で誓っていた。怪我は必ず快癒させ、そしてその後には必ず世界を取ってごらんにいれます、と。……

 ――そしてセコンドのモウさん。
 渾名のいわれは一目見ただけで明らかだった。その巨体のもっそりとした動作と顔立ち。そして何よりあんな牛のような体型には付き物の、モウという籠ったような声だ。
 モウさんはもちろんボクサーではなかった。乾物屋の跡取り息子がボクシング好きが昂じて、いつしかセコンドのライセンスを取得していたのだ。
 アマチュアの経験もないモウさんは、本当にただ独学の勉強だけで玄人顔負けの拳闘の知識を身に付けていた。それもずいぶんと不思議なことだったが、確かにその牛のような図体の頭の部分には、大切なボクシングのデータがぎっしりと詰めこまれていた。
 「スイングに頼るのでは、宝籤を買うようなものだ。左ジャブで距離を掴む。それがボクシングの基本なはずだ。――」
 語るうちにモウさんの口調は次第に熱っぽさを増してくる。目の前のリングに立つことのできないモウさんは、いわばそうして選手である私たちの上に必死に自分自身の夢を託そうとしていたのだ。
 実際モウさんは試合が進むにつれて、次第に本人が闘っているような錯覚に陥っていく。初めはそんな姿は誰の目にも滑稽なものに見えた。だがしかし何度もそのアドバイスに助けられるうちに、モウさんを小馬鹿にする気持はいつしか消えていった。……
 ――見舞いに来た早々、モウさんは気を回す。
 「汗をかくだろう。体を拭こうか」もちろん選手の体をぬぐうのはいつだってセコンドの仕事だった。いつもの試合のときには冷たいタオルで、そして今はベッドの上でぬるいお湯で濡らして。
 叱り飛ばす会長を父親にたとえるなら、モウさんはいわばボクサーの女房役だった。三分間の激闘の度にボクサーを励まし、なにくれと世話を焼く。だからこそ病室の中でも、私は遠慮なくその好意に甘えることができるのだ。
 足の辺りを拭いてくれるモウさんに、私は何気なく声を掛ける。
 「だいぶ肉が落ちたろう」
 そんな短い一言の中にも、セコンドはたちまち選手の微妙な心理を見透かしてしまう。
 「心配するな。ボクシングは筋肉じゃない、神経でするものだ。神経は天性のものだから多少のブランクはどうにでもなる。――」
 そのうえ持ち前の研究心から私の怪我についても十分な下調べをしたらしく、突然まるで院長の口まねみたいにもっともらしい説教を始めるのだ。
 「焦ってはだめだ。じっくりと時間を掛けて行こう。――」
 「この脳挫傷というやつは首から下は元気なものだから、どうしても無理をしてしまう。だが頭は確かに悪いんだ。動きたくなってもひたすらじっと我慢だ。……一週間もすれば大部記憶も戻るだろうから、そうしたら起きてもかまわない。それからも万全を期してあれこれの検査があって、退院はその先だ。焦ってはだめだぞ。――」
 そう言いながらモウさんの口調は次第に熱を帯び始める。きっとここでもまたいつもと同じように、いつのまにか自分自身が病気と闘っているような気分になりきっているのだ。今はもうすっかり目が充血して、何だか涙を浮かべているようにさえ見えた。
 相変らずの様子を見て私はなぜだか急に嬉しくなる。そしてまたきっとそんな不思議な気安さから、妻にはけっして聞けなかった質問をぶつけてみる。
 「リングにはいつ頃戻れるかな」
 ――その瞬間、モウさんがうぐっと声をのむのが聞こえる。
「おれは医者じゃないからな。……」
 先刻までは確かに医者気取りだったはずのモウさんが、ずいぶん都合の良い言い訳で言葉を濁してしまった。
 私があれほど待ち焦がれていた「ラスト三十」の掛け声は、ついにここでは聞かれなかった。……

――酒井健介。ただ今売り出し中のテレビタレントだ。
 日本チャンピョンとなってからは確かにそんな芸能界の知り合いも増えてはいたが、健介の場合は違う。二人の間にはまだ四回戦ボーイだった頃からの、長いつきあいがあったのだ。
 根っから格闘技ファンの健介は、そうして観客のまばらな前座の試合にまで足を運ぶ。下積みの苦労や挫折まで暖かく見守りながら、「男らしさ」のドラマを探しているのだ。
それはテレビでのひょうきんぶりとはずいぶん違う。その素顔はえらく涙もろい感激屋だった。
 もちろん健介は女子供のように悲しくて泣くのではない。ただ胸を打たれて、こみ上げるものが抑えきれずに涙を流すのだ。
 今日もまた、忙しい中を見舞ってくれた健介の目が潤んで見える。ただその伏し目がちな表情はなぜだかいつもとは違う。どこか淋しげなもののように感じるのは、ただ私の気のせいだろうか?……

 ――そして母が見舞いにくる。何とそれが一人息子との五年ぶりの再会なのだ。
 ボクサーの親というのが嘘のように母は小柄だった。三十キロそこそこという体重だけではない。いつも一歩引いて夫に寄り添うような姿が、母を実際以上に小さく見せていたのだ。そのうえ今日こうして久し振りに見る母は昔よりもさらにまたずっとか弱く、本当に小さな点になってしまったかのように萎んで見える。
 確かにそれは五年ぶりの再会だった。いつしかボクシングにのめりこんでついには高校まで中退した私を、父は勘当したのだ。父の目にはボクシングなどは極道の一つにしか見えない。野蛮な格闘に明け暮れてどうせ行く末はやくざか用心棒――息子は道を誤った、というのがその判断だった。
 もちろん母は泣いた。問答無用の夫の流儀に、妻はいつでもそうして涙で従うよりほかなかったのだ。
 そんな母のために、そしてもちろん父の強情を見返すために、私は必死の思いで努力を積んでいった。やがて迎えた日本選手権で、私はようやく試合の招待券を実家に送った。だが会場に待ち受けた姿はない。私の探す目の先にはただぽっかりと口を開けた、二つの空の座席がこちらを見つめていた。……
 そんなふうに五年間ついに息子の姿を見ることを許されなかった母が、今病室を見舞っていた。思えばそれもずいぶんと不思議なことだ。これしきの頭の怪我くらいで、一徹者の父がどうして対面を許すのだろうか? そのうえもし父の目を盗んで来たのだとすれば、もちろんそれは母にしてはあまりにも思い切った決断だった。……
 そのうえ母ときたら、ただの世間話の間でさえしきりにハンケチで涙を拭う。もちろん涙脆いのは今に始まったことではないが、こうしていざ自分のことでひっきりなしに泣かれるとなるとけっして気持のいいものではない。
 一体どこの母親もずいぶん久し振りに息子の顔を見たりすると、こうまでも大袈裟に感動してしまうものなのだろうか?
 それともこれはあくまでも安堵の涙なのか? さんざん気を揉んだあげくに思ったより元気そうな私を見て、いわばほっとして力が抜けてしまったとでもいうかのように。……
 
 そうだった。そのようにして次第に蘇った青沼英司の物語のあらすじ。お馴染みの脇役たちが演じて見せる泣き笑い。
 だがそのどの一つにも必ず、こうしてどこか腑に落ちないわずかな疑念のようなものがつきまとっていた。。――――
 

 
 そうだった。耐えなければならない最後の困難は、確かにそこにあった。
 こうして私の周りの誰もが必ず見せる謎のようなもの。その奇妙なぎこちない反応が私を悩ませるのだ。

 そもそも首を傾げるのは見舞いの客の数だった。家族やジムの仲間はまだわかる。だが試合さえ一度も見にこなかった連中まで、駆け付けるというのは一体どういうことだったろう。そのうえときにはもう忘れ掛けていた中学時代の恩師や友達まで?
 そのうえまた同じ人間が、これでもかというように繰り返しやって来る。妻が付きっきりなのは当然として、会長やモウさんも一日おきには訪れる。健介すらスケジュールの合間を縫ってもう三回も顔を見せた。母の場合だってまた、こう何度も父の目を盗むことが一体可能だったろうか?
 もちろん初めはそうして気遣われることに、悪い気はしなかった。きっと自分はそれほどまでに誰からも愛されているということなのだ。――だかしかしそんな手前味噌な考えも、さすがに長くは続かなかった。やがて私も気付いてしまう。これはどう見ても不自然な、尋常ではない事態だ。だってそうだろう。こんなふうに誰も彼も、まるで友人の葬式にでも出るように律義だというのは。……

 それはただ見舞うというのではない。彼らの病室での振る舞いは確かにあまりにも不可解だった。女たちの涙腺がゆるいのは仕方がない。いや一歩譲って感激屋の健介が泣くのも当然だとしても、どうして会長やモウさんまで、隠しきれないというふうに涙を見せるのだろう。
 ――そうだった。彼ら一人一人のときはきまって涙だった。そして厄介なことに何人かが揃うと今度はその涙に代わって、さらにもっとずっと怪し気な目配せが始まるのだ。
 例えばともすれば沈みがちな病室の会話が、ようやく明るさを取り戻したころ。悪乗りしてまくしたてる誰かを、周りが急に袖を引いて制してしまう。いかにも触れてはいけない話題に触れてしまったというように、顔をしかめて見せるのだ。あるいはときには私の不意打ちの質問に答える言葉が見つからなくて、どうしようか、というように顔を見合わせる。……
 きっと彼らはあんなサインを用いることで、何かを隠し通すつもりなのだろう。だがそのやりかたときたら、やはりちょっとばかり拙すぎる。
 それはそうだろう。あれほど毎日毎日、そのうえあれほどおおっぴらにやられては、いかに鈍感な私でもさすがに気付かずにはいないのだ。
 まるで彼らの全員が申し合わせでもしたかのように、今私の目の前で何かとてつもない大芝居が打たれている。
 隠されているのはもちろん彼らの涙の原因となるような、厄介な種類の秘密だった。いやひょっとしたら本当に、世界がひっくり返ってしまうような重大な事実が、まだ伏せられたままでいるのだ。――
 そうだった。私だってもうそのことには、とっくの昔に気が付いているのだ。だが一体それがどんな秘密であるのか、あえて聞き出そうとはしない。
本当に、これもまたひょっとしたら頭を打った後遺症なのか、いきり立って周囲を問いつめるような攻撃的な気分は、今は少しも起こらない。自分の詮索がきっと引き起こすだろう細かないざこざなど、ずいぶんとうっとしいものに感じられたのだ。―― 
 そのうえもちろん彼らの隠し立てに、そもそも悪気があろうはずもない。ただ彼らは私の知らない何らかの理由のために、そうして私を気遣い、かばおうとしているのだ。そんな彼らの気持ちを考えれば、やはりけっして事を荒立てたくはない。私の方もまたむしろこのまま、おとなしくだまされたふりを続ける方がよかったのだ。……

 だから私はじっと黙っている。だがそれでもけっして知ることを諦めたわけではないのだ。
 何も聞かなくても、私は手がかりを探している。まるでシャーロックホームズのように、彼らの言葉の端々から事件の真相を推理するのだ。
 とりわけ時々そこに飛び出してくるつじつまのあわない作り話。隠し切れない涙。それらは一体、どんな重大な秘密を教えているのか?――
 そのようにして私もまたやがて、おおまかながらある一つの理解にたどり着いた。
 そうだった。彼らのそんな謎めいた振る舞いは、要するにあの私の第二の困難の裏返しだった。
 それは事故の後の私を悩ませた相変わらずの頭の不具合。すべてを思い出したはずの記憶から、本当はすっぽり抜け落ちていた何かの知識。
 だとしたら確かに、彼らが必死になって守ろうとする秘密とはきっとそこにあるのだ。――いわば彼らは欠けてしまった瀬戸物の茶碗をあちらに向けて、割れ口を私の目から隠そうとしていた。まだ完調でない病人の神経は、そんな惨めな傷口を直視することにきっと耐えられないだろうというわけだ。
 気丈なはずのボクサーさえもそうまでもうろたえさせるような記憶? だがだとしたら、それは一体どのようなものなのだろう?

 そうするうちにやがて、私は一つの法則に気付き始める。
 彼らがそんな態度を取るのは、きまってボクシングにかかわるときだ。そればかりかボクシングに話が及ぶときにはいつもきまって、その後には同じようなぎこちない場面が繰り返されるのだ。
 もちろん彼らはそもそもその手の話題は、初めから避けようとしていたのだ。それでもときには、流れがどうしてもそちらに向いてしまうことがある。何かの弾みでついつい口がすべる。そんなときにはそれまでなめらかだったやりとりが、急に滞る。まるで小石や砂利にもけつまずいてはならないというような、おっかなびっくりの進行に変わるのだ。それでも誰かが石を踏んでしまったときには、きまってあの例の無言の袖引き合いが始まってしまう。
 なかでもあぶなっかしいのは、どうやら会長らしかった。誰もがなるべくなら腫れ物には触るまいとする雰囲気の中で、会長だけは一人違っていた。私にはボクシングしかないことを一番よく知っている会長だけは、いわば逆療法のような形でかえってそれを利用しようと考えるのだ。
 「いつまでもこんなところで、伸びているわけにはいかないぞ」。今はまだカウントスリーくらいだが、カウントテンまでには必ず立ち上がらなくてはいけない。おまえにはファンも多いのだからけっして待ち惚けを食わせるな、という具合なのだ。
 もちろん自分にはそんな会長の激励のし方が、このうえなくありがたいものなのにちがいなかった。だが今度の言い回しにかぎっては、たった一つだけ腑に落ちないところがあった。確かにファンももちろんだが、自分が一番申し訳なく思うのは対戦相手の小和田だった。それはそうだろう。ボクサーというものは試合の日にピークを合わせて、いつだって綿密な計画を立てて暮らしている。体はもちろん気持ちの面でもまた、そうしてもう何ヶ月も前から厳重な管理が行われているのだ。その最中に相手の私がこのような形でこけてしまって、小和田もさぞ拍子抜けしたことだろう。そのうえこのまま対戦の目安も立たず無期の延期というのでは、それは少々残酷すぎる仕打ちなのだ。……

 私はそんな自分の気持ちを、実に素直に口に出した。
 「小和田をこれ以上、何もないまま待たせるわけにはいきません。いつ頃退院できていつ頃リングに立てるのか、大まかな時期だけでも知っておきたいのです。何とか会長の方から、院長に確かめてみてはもらえないでしょうか。……」
 だがそんなとき、本当にそんなときにはきまってまたあれが始まってしまうのだ。
 そうだった。聞くうちに会長の顔は見る見る青褪め、怯えた妻の体が小刻みに震え出す。
 連れ立っていた会長の奥さんは、もちろん会長をきっと睨む。その表情はまるでほらごらんなさい、あなたがまたボクシングの話なんてするからよ、と言うかのように。……

 だとしたらすべてはそこにあった。
 そうしていつもきまって彼らのよそよそしさを引き起こすもの。私の記憶のはげおちたその部分に隠れん坊をしているもの。それは確かに私のボクシングそのものにまつわる何かの故障なのだ。
 残念ながら正体はまだわからない。だがそれは私にとって、間違いなく世界の大もとを揺るがすような重大な不調だった。
 そうだった。もしそれが他の種類の何かだったとしたら、とるにたらない綻びと笑って済ますこともできたろう。だがボクシングとは青沼英司のど真ん中を束ねる、いわば心臓のようなものだった。その欠陥はたちまち私の存在の全体に、おぞましい恐慌をもたらしてしまう。……
 それはけっしてリングに上がっている間だけではない。リングの外にいるその何千倍の時間にも、この心臓は打ち続けていた。トレーニングの最中はもちろん、顔を洗っているときも、ときどきの気晴らしの間も、眠りこけている夜にも。……そしてまた今この病院のベッドの上でさえ、ただ再び世界を目指す野心だけが私を生かしているのだった。
 それはまた生きがいというのとも違う。生きがいとはきっと、そのために生きることだ。だが私の場合、けっしてボクシングのためではない。言葉はおかしいかもしれないが、私にとってはむしろボクシングそのものが、何よりも生きるということなのにちがいない。
 だとしたらやはりそれは心臓だった。ボクサーの体と心のすみずみに命を与える心臓の鼓動が、今あぶなっかしい乱れ打ちを始めたというのだ。――もちろんそれは、とんでもない事態だった。もし本当の心臓の病気なら移植という手段もあったろう。だがこれは入れ替えのできない心臓だった。もしボクシング以外の何かをそこに
植えたとするならば、私の体はたちまち拒絶反応を起こして、頓死しまうにちがいない。……

 そんなある日中田さんが見舞いに来る。
 中田さんは少しは名を知られた、某居酒屋グループの総帥だった。たった一代で全国規模のチェーン店を作り上げた、腕利きの経営者だ。
 会長とは高校時代のボクシング部仲間で、いつからかジムの後援会長に収まっている。
 もちろん今ではもう中田さん本人がリングに上がることはありえない。ただときおり銭勘定の世界を離れて、こうしてジムの若者と触れ合うのが楽しみなのだという。
 中田さんはとりわけ私の小細工のないボクシングに好意を持っていた。ちょうどようやく日本選手権への挑戦が決まったころ、一流の名に恥じないようにと、今度は私個人の後援会を作ってくださった。まだろくにファイトマネーも貰えない当時に、ご馳走してもらった極上の寿司や焼き肉の味は今でも忘れられない。
 海外に事業を広げるために、中田さんは一年前からアメリカに渡っていた。かつてその壮行会の席で、中田さんはむしろ私を励ますように肩を叩いた。おれもお前に負けないように、がむしゃらに頑張ってくる。お前もおれに負けないように、必ず世界を目指せ。……
 ――私の事故の知らせはあちらでも耳に入っていたにちがいないが、すぐには仕事を抜けるわけにはいかなかったのだ。今日が中田さんの、ほとんど一年振りの帰国ということになる。
 中田さんはまだ旅行鞄を持ったままだった。だとしたら羽田から直行で、何はさておき見舞いに駆け付けてくれたのだ。それはありがたいというより、何だか申し訳ないような気分だった。
 たくさんのいただきものに加えて私にはその土産話が、何よりも嬉しいものだった。海の向こうの珍しい風物。見聞きした愉快な出来事。そしてとりわけ本場アメリカのボクシング事情。……三十分四十分と話しても話の種は尽きず、病室に居合せた四人も誰一人退屈そうな顔を見せる者はなかった。
 思えばこんな中田さんこそ、私がもっとも待ち受けていた見舞い客だった。いつもあけっぴろげに笑っている中田さんは、他の連中のような湿っぽい表情を見せることもない。ましてよそよそしい隠し立てなどするはずもない。そしてあの次々と繰り出される楽しい話題。……
 それは単におもしろおかしいというばかりではない。ただ聞いているだけで世間知らずの若者たちに、それまで知らなかった新しい世界を必ず垣間見せてくれるのだった。
 そうだった。私の住んでいたボクシングかボクシングでないか、二つに一つの世界。だが中田さんはそのどちらにも分けることはできないような、不思議の国を道案内してくれた。本当に、あのボクシングのリングの外でも、ボクサーと同じように夢を追って精一杯生きている人がいる。だとしたらそれは確かにボクシングのようでもあり、またボクシングでないようであるもう一つの世界……
 ――いつになく盛り上るそんな面会のさ中に起きた小さなハプニング。
 同じアメリカの中でも、中田さんはとりわけハワイの素晴らしさを自慢する。そのうえ一通りの講釈の後、おそらくは私を元気づけるためにこう付け加えた。
 「――お前も早くよくなって、退院したらハワイに呼んでやる。全快祝いにハワイに連れていってやる」
 もちろんそれは中田さんのいつもの口癖だった。確かに試合の度ごとに、私は必ず同じような激励を頂戴していたのだ。今度の試合が済んだら好きなだけ寿司だ。腹一杯フランス料理をくわせてやる。――
 そしてそんな連想は、私をたちまちあのボクシングの世界へと引き戻してしまう。
 もちろんそこではせっかくのハワイ旅行のお誘いも、あまりうれしいご褒美には感じられなかった。
 だとしたら私は不服の気持ち少しも隠さずにこう言い返した。
 「でも退院したら、小和田との試合がありますから」
 そんな私の反論に虚を付かれたというように、中田さんが一瞬ぎくりとしたのがわかる。それでもすぐに平静を装って、少々芝居がかった調子で相づちを打ってみせる。
 「そうだった。確かにそうだった」
 そうして失言をとりつくろうかのようにこう続けたのだ。
 「それなら小和田戦が終わった後だ。小和田をKOした後に、じっくりとハワイ見物だ」
  だがしかし私にとってその言葉は、先ほどのそれよりもはるかにずっと腑に落ちないものにちがいなかった。
 「小和田の後は世界タイトルです。一生一度の晴れ舞台ですから」
 中田さんは再びしまった、というふうに顔をしかめる。
 「そうだった。確かにそうだった」ともう一度しきりに反省しながら、中田さんは急に立ち上がった。
 「これはアメリカ惚けだな。ちょっとジュースでも飲んで頭を冷やしてくる」
 不思議な言い訳をしながら、中田さんは何だか逃げるように病室を出てしまう。
 ――残された四人はただ間が悪そうにじっと黙ったままだ。
 何のことはない。楽しいはずの中田さんの訪問も気がつけばこうしていつも通りの、いまいましいどたばたに終わってしまった。
 モウさんだけは会話の糸口を探して、しきりに何かをぶつぶつ呟いている。それでも私はもうすっかり機嫌をそこねて、わざとそっぽを向いたまま答えようとしない。
 息苦しい沈黙が五分ほど続いた後、突然中田さんが素頓狂な声を上げながら戻ってくる。
 「それにしても日本は暑い。冷たいジュースがうまいよ」
 私はそう言う中田さんの顔を正視する。ジュースのせいじゃあるまいに、その目は本当に真っ赤に充血している。
 だとしたら私もまたぼんやりと理解することができた。なぜだか自分にはわからないけれど、中田さんはこの五分の間病室の外で、おそらくは声を出して泣いていたのだと。……



 いつのまにやら菊の花が病室の窓辺を飾り、
 その向こうにはちらほらと色づいた紅葉が覗かれる。
 そんなころ私のいらだちは日に日につのり始める。

 もちろん私はこれまで、あの三つの困難によく耐えてきたはずだった。
 気の遠くなるような退屈の時間。欠け落ちた記憶の不具合。周囲の誰かが今日もまた繰り返す狂言芝居。そのどの一つも確かに生半可な苦しみではない。ただそれでも地獄の減量に慣れたボクサーにとっては、けっして太刀打ちできない試練だとは思えなかったのだ。
 だがしかしいつのまにやら菊の花が病室の窓辺を飾るころ、私のいらだちは日に日につのり始める。――

 それもそのはずだった。思えばあの長く苦しい減量でさえ、確かに三週間と続くことはなかったのだ。それなのに私の意識が戻ってから、すでに一と月が過ぎようとしていた。だとしたらやはり辛抱できる時間の限界は、もうとっくに越えられていたのにちがいない。
 そのうえこの二つの我慢には、そもそもその根っこの部分から何かしら大きく違っているところがあった。あの胸突き八丁のトレーニングで最後の汗の一滴を絞るとき、そこで私は「ボクサーであること」に耐えているのだった。だが今この病院のベッドの上で、私は「ボクサーでないこと」に耐えなければならない。体のどこを切ってもボクシングしか出てこないような自分にとって、それは死んでいるのと変わらない。何か魂を抜かれるような、もっともいまわしい種類の責め苦なのだ。……

 このころには私も、自分の回復が手に取るようにわかっている。頭の中の霞のようなものは今ではすっかり払われて、得体の知れない気怠さに悩むことももうだいぶなくなった。いわば目には見えない背中の注ぎ口から満タンの燃料が流し込まれる。――だがしかしうれしいはずのそんな変化も、今ではかえって私の焦りを増してしまう。それはそうだろう。こうして病院のベッドにつながれているかぎり、気力も体力も空回りするばかりだった。リングに立てないボクサーは、そんな自分をただ持て余すよりほかはないのだから。……
 持て余すのはもちろん当人ばかりではない。例えば病院の側にとっても、この手の患者はいつだって一番のお荷物だった。熱にあえぎ死体のように横たわる重病人は、きっと医者の目から見れば実におとなしい、素直な存在なのにちがいない。だがしかしようやく治療の手が離れたと思うころ、今度は誰もが可愛げもなく、あの厄介な自己主張を始めるのだった。
 もうどこも悪くないのに、というのがもちろんその言い分だった。もうどこも悪くないのにどうしてこういつまでも、無意味な足止めをくわされるのか? ひょっとしたらそこには何か病院ぐるみのとんでもない悪だくみが隠れていて、かすり傷程度の怪我でさえこうしてたちまち大げさな故障に仕立て上げ、何も知らない患者たちをすっかり食い物にしているのだ? ――もちろんそのようなことが、本当はありえないのはわかっている。だがそれでも妙に疑り深い気持ちになって、自然と態度もとげとげしくなる。看護婦には何かにつけては言いがかりをつけ、挙げ句の果てには院長にまでもはや素直に耳を貸さずに憎まれ口を利き始める。……

 そんな私の変化に妻はすっかり手を焼いている。だが病院の連中はさすがに慣れたもので、はいはいわかってますよというように、私の繰り出すパンチをあっさりと受け流してしまう。
 おそらくはこんな反抗期の患者の扱い方にまで、ひそかに十分なマニュアルが用意されていた。それはちょうど血圧には降圧剤を、出血には止血剤をあてがうというの少しもと変わらない。どんな厄介な言動に対しても、同じように単純明快な処方が最初から定められているのだ。――例えば私は言いつけを守れずに、ときどきこっそりと上体を起こしてしまう。そんな秘密が知られてしまったときにも、看護婦はとりたてて厳しく叱るようでもなかった。ただありがちなことだといわんばかりの澄まし顔で、やけに簡単に処置してしまう。何だか奇妙な道具を持ち込んで、たちまち私の体をベッドに固定したかと思うと、またさっさと病室から出て行った。万事多忙な白衣の天使は、確かにこんなつまらないトラブルなどで、いちいち余計な時間を取られるわけにはいかないのだ。……
――そこには本当に、何一つ驚くようなことはない。すべてがあくまでも、予想の範囲内だった。
 患者本人にはどんな大事件と思えることも、いったんそんな現場の目で眺めればつまりはただのありふれた、日常の仕事の一コマであるにすぎない。そこではあらゆる病気の症状が、そしてまた治療に伴うあらゆる場面さえこうしてすでに十分に想定され、経験されていたのだ。
 そうだった。たとえ本物の難病奇病であったとしても、彼らにとってはおそらくは教科書の中で勉強ずみの、用語の一つだった。もっともそれでこそ患者は安心なのだが、我が身の大事の何から何までもがそんなふうにただの一言であしらわれてしまうのは、何だか悔しい気がしないでもない。
 
 否。確かに本来ならば、それはそのはずだったのだ。
 だが実際にはそこにはたった一つだけ、意外な盲点というものがあった。
 そうだった。そうして医療のすべてを知り尽くしたはずの人間にも、想像もつかなったような事例がある。
 それはボクサーという事例だった。あれだけ患者の数をこなしかながら、ボクサーという人種にだけは誰もいまだに生身で触れたことはないのだった。
 たとえば澄まし顔の看護婦が持ち込んだ、例の奇妙な拘束具だ。そうして腰から下を縛り付けてしまえば、もはや体をよじることもできない患者たちが上体を起こすことは至難の技にちがいない。―しかし今度ばかりは少々勝手が違った。そんな長年の病室の常識を、ボクサーだけはたちまち嘲笑ってしまう。本当に、何が至難の技だろう。それこそは我々が朝飯前にこなしているシットアップに他ならないのだ。
 そうして鍛え上げたいわば規格外れの腹筋の力が、ときにちょっとしたいたずらをしでかすことがある。
 例えば病室から誰もいなくなるたった一人の時間には、私はおとなしくベッドに伏せってなどいられなかった。一応はあたりに人がいないのを確かめながら、私はまたいつもの要領で軽々と身を起こしてしまう。もちろん両足は縛られたままで、片腕一つ突くでもなしに。
 ――いや少なくとも当人は、確かに人目を盗んだつもりだったのだ。だがあるとき、まさにそうして体を持ち上げるその動作の最中に、突然病室の扉が開いた。現れた澄まし顔の看護婦はきっと目を疑った。そこに見えたのはベッドの上であるはずのない曲芸を披露する、ボクサーという名の不思議な生き物。……
 そのあまりに奇怪な姿を前にして、看護婦は本当に一瞬小さい悲鳴を上げた。同時にそんな自分のあわてぶりがよほど悔しかったのか、今度は一転して激しい調子で私を責めた。
 「起き上がらないように、言われているはずですよ。約束を守らなければ、治るものも治らない。――」
 そのいつにない剣幕に圧されて、私は頭を掻きながら自分の軽はずみを詫びて見せた。
 だがそれもあくまで上辺だけのことだ。私の心の中はむしろどこかしてやったりの気分だった。
 それはただいつでもつんと構えていた看護婦に、一泡吹かせたというだけではない。何よりそうしていささかばかりの怪物ぶりを見せつけることで、あの教科書の一行からかろうじてはみ出ることができたようなのがどこか誇らしく感じられたのだ。……



 そんなおかしなハプニングがあってからちょうど一週間後、私の足から例の道具が外された。
 そればかりではない。病室の中をゆっくりと歩くという程度なら、立ち上がるのも構わないという。

 もちろん私は飛び上がらんばかりに喜んだ。何よりもそんな待遇の変更は口先だけの慰めとは違う、自分の回復の目に見える証拠になると思われたからだ。
 その瞬間それまで胸にくすぶっていた愚痴っぽい気持ちはすっかりと吹き飛んだ。だがしかしそれはまたけっして安心というのとはちがう。
 かえって私はどこかそわそわと落ち着かなくなる。いわばそこにはそれまでのいらだちや焦りが消えて、今度は逆にその日を待ちきれない「はやる気持ち」が取って代わったのだ。
 確かにこうして回復の見込みが立ったら立ったで、いつまでものんびりと構えてはいられない。表向きはどこにでもいる入院患者の暮らしを続けながら自然と血が騒いでくる。誰も知らないボクサーの思いは早くも先走って、もうとっくにリングの上の今度の戦いに備え始めているのだ。――

 それはもちろん、ただ夢見ているというばかりではない。私の心の中には着々と復帰のためのプランが出来上がっていく。
 プランその一は、何よりもまず体重の管理だった。
 長年の勘で体重計に乗らなくとも、だいたいの数字はわかる。おそらく今は六十台の前半、フライ級の規定からは十キロ以上が余分だった。このまま放っておけば退院後の調整に手こずるのは、確かに目に見えているのだ。
 とりわけ要注意なのは、見舞い客が日々差し入れてくるあの御馳走だった。「精が付くように」、そしてまた「他に楽しみもないだろうから」――もちろんそんな思いやりには失礼に当たらないようにうまいうまいを連発しながら、それでも口に運ぶのは極力控えなければならない。それが今の私の内緒の減量計画だった。

 プランのその二はさらに一歩進んだ、体作りのメニューだった。
 もちろん派手に動き回ることなど許されるはずもない。ただあたりを少しもはばからずに取り組むことができる秘密の鍛錬法が、確かに存在したのだ。
 それはスタティカルと呼ばれる最新の、アメリカ式のトレーニングだった。
 以前にモウさんから仕込まれたその理論によれば、筋力の強化にはけっして激しい運動は必要はない。ただじっと負荷のかかった状態を続けるだけで、同じような効果が期待できるという。たとえば満員電車の通学にしても、その三十分の間ずっとつま先立ちで過ごしてみる。ただそれだけでもう十分な脚力と、バランス感覚が養われるのだ。――
 だとしたらそれこそは間違えなく、今の私に打ってつけの練習法だった。
 例えばベッドに仰向けなったまま、上体を十五度だけ起こす。それは確かに、例のシットアップの一こまであるにすぎない。だがそんなストップモーションを五分も続けようとすれば、そちらの方がはるかに強烈な馬力が必要なのだ。
 もちろんそれでも物音一つ立つわけではないから、見とがめられる心配はない。そのうえ頭をかばう必要もないから、いくらでも心おきなく取り組むことができる。

 そして第三のプランもまた同じように、ひそかに再起に備える特訓だった。
だがしかし今度のやつは正真正銘、それこそ誰にも覗き込むことのできない秘密の小部屋で進められていた。
 それはもちろん、イメージトレーニングということだった。
 そうだった。ボクシングとは確かに蝶のように舞い、蜂のように刺すことだ。つまりはそこでは十分に計算された機械のように正確な動作が、それでいていつでもよどみなく、流れるように繰り出される。 ――だがしかし体の神経にそんな正しい指令を伝えるには、まず大元である脳味噌そのものに、正しい回路を植え付けておかなければならない。そしてモウさんに言わせれば、そのための作業なら何も実際のリングに立つ必要はない。床に着いたままのイメージの訓練で十分なのだ。
 私はベッドの中で目を閉じて、いわば自分の頭の中のテレビゲームのスイッチを入れる。画面に浮かんだ今日の対戦相手の姿が、やがて右に左にステップを踏み始める。同時に私はそんな動作に込められるにちがいないあらゆる目論見を判断しながら、自分自身の動作を決断していくのだ。それはちょうど将棋指しが対局相手の動きをにらんで次の指し手を決めていくように。――だが少なくとも本番のときには、ボクサーには将棋ほどの持ち時間は与えられていない。いつでも一瞬のうちに、稲妻のような判断を下さなければならない。それはまた脳味噌そのものが精密な戦う機械になりおおせていなければ、とうてい可能な芸当ではないのだ。

 そして最後の第四のプラン。
 今思えばそれは、ただ我ながらいじらしい悪あがきだった。
 そもそも当時の私は、とんでもない勘違いをしていたのだ。
 自分の退院の期日には本当ははっきりとした基準などなく、すべては院長の胸一つで決められる。
 だとしたらもし私が、どうしようもないならず者の患者であったとすれば早めに厄介払いをしてくれないともかぎらない。――てっきりそんなふうに思いこんだ私は誰かまわずに食くってかかり、喧嘩をふっかけてみる。
 だがもちろんそんな私の作戦は、あっけなく空振りに終わった。
 ある日の午後、院長本人が私の病室を訪れる。ベッドの横の椅子に腰掛けてわざわざ人払いまでした後で、静かな口調で私を諭すのだった。
 歯がゆい気持ちはわかるがここでは忍耐が必要なこと。この脳挫傷というものは、慎重の上に慎重を重ねて経過を見守る必要がある。一見治りきったように見えても、後遺症の心配がつきまとう。無理をしてしくじっては飲み食いのような日常生活にさえ支障を来し、一生苦しむことになる。……
 その親身な口調を聞いて、私はたちまち自分の茶番を恥じた。
 何よりも忙しい最中を自分ごときのところまで、わざわざ足を運んでくれたのだ。私はすっかり恐縮して、何度も頭を下げた。
 病室を出る院長の後ろ姿を眺めながら、私もまた自分自身に言い聞かせていた。確かにそれは院長の言うとおりだった。先を急いで無理をしては元も子もない。「飲み食いのような日常生活にさえ支障を来す」というようなことになってしまっては、それこボクシングどころではないはずなのだから。
 だがそうしながら私は、ほんの少しだけ首を傾げる。「ボクシングができなくなりますよ」――確かにそんな、私にはどんな殺し文句よりも効き目のあるはずの一言を、どうして院長はけっして使おうとはしなかったのだろう?


 
 院長の説得の効果はてきめんだった。
 その日を最後にいざこざはぴたりとやんだ。私は打って変わって、すっかりとおとなしくなる。
 だがそれはただ上辺だけのことではなかった。私の心の中からもいつしかあのはやる気持ちが消え失せて、穏やかな凪のようなものが取って代わったのだ。
 それは本当に、何という不思議な気分だったろう。
 そうだった。病院のベッドで過ごしたこの数か月は、いわば私の人生のピットインだった。ただひたすらボクシングのために走り続ける私のために設けられた、修繕と整備のための時間――もちろん初めはそんな空っぽの毎日が私には不満だった。栄光を目指して走る自分には一刻の遅れも我慢がならない。すぐにもまたこの先を、急がなくてはならないのだ。……
 だが院長と膝を交えてから、そんな私のもどかしさも消えてなくなっていった。
 確かにただ寝てすごすだけの休暇なら、初めからない方がよい。闘いを待つ身にとっては、それはかえってありがた迷惑な中断だった。だがしかしもしその間にもう一度、すべてを見つめ直すことができたとしたら? ただがむしゃらに今日を生きてきた私がふと足を止めて、静かに振り返ることができたとしたら?
 だとしたらその同じ時間は、今度はきっと掛け替えのない意味を持ち始める。
 それはちょうど絵描きがしばし画架を離れて構図を見るように。私もまた今自分自身の人生から一歩退いて、その全貌を目の中に収めてみる。
 何かを愛しすぎたために、バランスを失くしてはいないか。あまりにもないがしろにされてしまったものはないか。そして何より私の演じるこのドラマは、もっと大きな全体の中ではどのように見えているのか?
 そんなふうに自問を繰り返しながら、「栄光のボクサー」と題したこの作品の出来栄えをたえず確かめていかなければならない。
 だとしたら本当にそんな休暇を今、私は楽しむことを始めたのだ。……

 そうだった。
 いつ終わるともわからない長い休暇。ぽっかりと口を開けた空白の時間。
 だがきっとそれで構わないのだ。その間何をするでもなくただぼんやりと物を思いながら、自分はそれまで見なかったものを見た。聞こえなかった何かを間違えなく聞いていたのだ。……
 例えば二階の病室からは窓の外が眺められる。
 国道の上をゆっくりとたえまなく流れる車の列。黄金色のイチョウの落葉。公園のベンチに寄り添う男と女。
 ――確かにあれが人生だった。そうして切り取られた一枚の画の中に、まるで箱庭か何かのように世の中のすべてが描き込まれているのだ。
 不思議なことに自分にはその中身がよくわからずにいる。ボクシング一筋に無我夢中で生きてきた若者には、いつしかそんな大切な勉強がすっぽりと抜け落ちていたのだ。
 だが今なら私もまた教わることができる。少なくとも眼前に広がる景色から、地肌で何かを感じ取ることができるにちがいない。
 ――そうだった。あそこで乳母車を押す母親。杖をついた散歩の老人。客を下ろしてくつろぐくわえ煙草のタクシー。
 そしてそのどれもが今日の暖かい日差しに包まれている。……
 確かにそれがボクシングでない人生だった。
 そこには野心も栄光もない。ただ誰もがささやかな幸せに満ち足りて日々を暮らしていた。
 だとしたらあの柔らかい光の中に息づくものは、いわば終戦のやさしさだった。そしてそれは破れはてたボクサーの一時だけの休暇とは違う、本当に永遠に続くかもしれない安穏なのだ。
 もちろんそんなリングの外では、すべてがあまりにも退屈だった。だがしかしやわらかな秋の日射しの中で、同時にすべてはこれほどまでに夢のように美しい。……

 確かにそれがボクシングでない人生だった。
 そしてもしそうだとしたら?
 私はここでもまたふと立ち止まって問いかけてみる。もしそうだとしたら今度はボクシングである人生とは一体何だったろう?
 もちろんそれは「栄光」だった。少なくともボクシングと呼ばれるためには、そこには栄光を求めるための闘いがいつでも必ず欠かせなかった。
 はてしなく広がる夜の闇のその真ん中に、ただ一つ光に輝く四角いリング。それこそがひょっとしたら栄光が下り立つかもしれないボクサーの祭壇だった。祭壇に向かう道は数十歩で尽きてしまうような観客の間の花道ではない。それはボクサーだけが知っている、会場の外の暗闇をどこまでも続く道。確かにそこを今しも自分はたった一人で歩き抜いて来たのだ。……
 ボクシングはまた「断ち切ること」と同じだった。栄光を我が手で掴み取るために、ボクサーはいったんすべてを諦めなければならない。世間並みの幸せなどにはもちろん縁はない。挙げ句の果てにはもっとずっとなくてはならないはずのものさえも、まるで肉を削ぐように奪っていく。食事も水も、ときには微笑みや愛情さえも。――だとしたらきっとボクサーは、人間であることすら断念するのだ。それもまた、ただ戦う機械としてリングに立つために。……
 そのようにしてボクサーの祭壇には、いわば山のような生け贄が積まれていく。もちろんそれでも祈りが聞き入れられる保証などこにもない。ただそうしてすべてを捧げることでしか、栄光が下り立つことはありえない。そのことをボクサーは圧倒的な予感で知り抜いているのだ。……

 ――そうだった。つまりは栄光を追い求めるための長く苦しい道程。それがボクシングだった。
 少なくとも誰もが熱い言葉で語るボクシングとは、いつでもきまってそんな栄光の寓話なのだ。
そこではリングの上の男たちの闘いに、すべての彼らのもう一つの闘いが重ねられる。
 それは確かに何というわかりやすい比喩だったろう。
 ボクサーの栄光とはけっして曖昧な言葉の綾とは違う、要するにあのチャンピョンベルトなのだ。だとしたらスポットライトに映えるその輝きの意味するものは一目見て明らかだった。
そしてまたボクサーの耐える苦しみとは、要するにあの地獄の減量とトレーニング。あるいはリングの上で容赦なく降りかかる痛いパンチ。……
 だがしかしそうしながら私もまたやがて気がつかずにはられない。
 もしそれが寓話だとしたら、似顔絵には必ずモデルがいるように、たとえられた栄光そのものは確かに他のどこかになければならない。
 そしてそれはもちろん、病室の窓から見下ろすあの風景の中に。――
 だとしたらどうやら、私の理解はすっかり間違っていた。
 ボクシングでない人生は栄光ではない。代わりにそこでは誰もがただささやかな幸せだけに満ち足りている。――自分はこれまでずっとそんなふうに信じこんでいたのだ。だがしかしそれはけっしてそうではなかった。栄光と幸福は、本当はそんな二つに一つとは違う。互いがその領分を守りながら、少しずつ棲み分けるような仕組みがきっとそこにはありうるのだ。
 誰もが皆ちっぽけな幸福をついばみながら、また同時にその人なりの栄光を願っている。そこでは野心でさえ身を滅ぼす魔物ではない。まるであまり度の強くない酒のように、ただほんのりとした酔い心地で頬を染めることができるのだ。
 それは確かにボクサーがけっして知らない何かだった。――そうだった。ボクシングである人生とボクシングでない人生。栄光か栄光でないか。自分たちはいつだってそんなふうに割り切ってきたのだ。だがリングの外に見たものは、そのどちらでもなかった。どれもが多少の栄光に彩られながら、ボクシングのようでもありまたボクシングでないようである、数かぎりない人生。……

 そこでは男たちの誰もが、いやひょっとしたら女たちもまたその人なりの栄光に思い焦がれ、その人なりの痛みに耐えていた。だとしたら彼らもまたボクサーだった。少なくとも心の内のどこかに、いくらかのボクサーを隠し持っているのだ。
 それゆえ栄光の寓話であるボクシングは、また同時にそんなあらゆる人生の寓話でもあった。
 あの地獄の減量も、血みどろの十ラウンドも。すべてはその向こうに、もう一つの彼らの果てない闘いが透かし見られる。おんぼろジムの片隅で始まる天下取りの物語の中に、誰もがその淡い野心を託しながら夢見ていた。
 ボクサーがいつでもあれほどまでに愛され、声援されるのもまたきっとそんなわけなのだ。……
 だとしたらボクサーは、――私はいわば無数の読者を持つ劇画の中の主人公だった。物語の本当の筋書きを、主人公はまだけっして知らされてはいない。ただそこにあるはずの結末に向かって、今はただ走り続けるしかないのだ。
 もちろんそれはずいぶんと頼りない話だったが、特別な不満はない。例によって私は、初めからあまり難しいことなど考えはしないのだ。
 ただ主人公ということは、英語に直せばやはりきっとヒーローであるにちがいなかった。
 だとしたらそれは、私があれほどまでに憧れてきた「英雄」ということと、一体どう違うというのだろう?



 そうだった。
ぼっかりと口を開けた三ヶ月の空白の時間。病室の窓辺で過ごした人生の休暇。
 小春日和の公園をぼんやりと眺めながら、私はそんなボクシングの哲学のようなことに思いを巡らしていた。
 だとしたらそれはもはや、やみくもに突き進んだ以前の私とは違う。いわば今度こそ自分自身の居所をしっかりと確かめながら、地に足をつけて歩こうとするかのように。
 確かに今の私ならこうしてボクサーであることに、どこかしみじみとした誇りと愛着を感じることができそうだった。……

 その頃には頭の具合の方もようやく完調となる。
 それまでは始終あたりにたちこめていた、あの靄のようなものもすっかりと晴れ渡る。そうだったっけ? というような間抜けな相槌ももう打つことはない。だとしたらどうやら今度こそ、私はすべてを思い出したようだった。
 日常の寝起きにももう何の不都合もない。飲み食いを含めてまるで病室にいるのを忘れてしまうほど、普段通りの暮らしを送ることができる。もちろんボクシングは論外だったが、軽い体操や屈伸さえいつしか黙認してもらえるようになる。
 どこの誰からもそれまでのような湿っぽい表情は消えて、笑顔また笑顔が私を迎える。――もちろん見舞いの客は相変わらずひっきりなしに訪れた。だがそれはもう私の体を案じてというよりも、ただ溜まり場代わりの病室でそうして皆と騒ぐのが楽しみだったのだ。実際そこでは私を囲む悪友たちの間でいつでも冗談が飛び交い、笑い声が絶えることもなかった。

 今だから言うけど、――そうして話を切り出すのがいつしか皆の口癖となっていた。
 「今だから言うけどな、青沼」と、これもまた久しぶりに見舞いにきた健介が例の冗談を始める。
 「手術のときには電気のこぎりで頭蓋骨を切ったんだ。そうしてすっぽり頭の蓋を外して脳味噌をいじくったらしい。その話を聞いたときには、さすがの青沼ももうおしまいだと思ったね」
 それだけで皆は爆笑する。確かにこの「頭の蓋」の一コマは、想像しただけであまりに突拍子もなく、何だか漫画の中の出来事のように感じられたのだ。
 「今でも力任せに引っ張ったらきっと蓋が開くだろう。どうせなら毎日一回そうやって糠味噌を掻き混ぜてみたらどうだ。――」
 部屋には再び笑いの渦が巻く。
 笑いながら私は思わず頭に手をやってみる。つるっ禿げだったそこには、確かにもうふさふさの髪があった。――

 今だから言うけど、――今度はモウさんの出番だった。
 「今だから言うけど青沼が吃ったり、手が震えたりするたびに知らないふりをするのに苦労した。もうこいつも真っ当には戻れないだろうと思って、涙を隠すのが大変だった。――」
 今度もまた全員がどっと吹き出した。だがそれはおかしいからというよりも、さしずめそんな苦労がすっかり過去のものとなったのが幸せだから笑ったのだ。
 「何だ気がついていたのか。それならそうと言ってくれればよかったのに」と、今度は私が馬鹿を言う。
 「自分の手が震えても皆黙っているので悩んでいたんだ。誰も気がつかないなら震えているように見えるのは自分の錯覚で、やはり頭がおかしいからかなって」

 そんな掛け合いを聞いて、またしても全員が爆笑する。
 笑いながらふと私と妻の視線が会う。その目の表情にはどこか濡れたようなやさしさがあった。
 ――そうだった。そうして次々と飛び出す思い出話に混じって、確かに今でもなお言えなかったこともあるのだ。
 例えば初めのうちには、私はベッドの中で何度となく失禁を繰り返していた。見舞い客が帰るのを待って、濡らしてしまった下着を代える。「誰にも言わないでくれよ。恥ずかしいから」と私はまるで母親にすがる子供のように、妻に懇願したものだった。
 そればかりではない。いかに気の置けない仲間でも、けっして覗かせてはならない部分はいくらもあった。
 いわば二人だけの秘密の数々を、見交わす目の奥にそっと確かめ合う。そんなさりげない夫婦のやりとりにどこかなつかしいような、しみじみとしたものを感じながら。……



 それはたとえば一組の若夫婦を囲むホームパーティー。
 訪れる仲間の開けっ広げの会話。――本当に、どこの家でもあるようなそんなお馴染みの風景を眺めるうちに、次第にそこが病院であることを忘れてしまう。何だか自分たちの居間ではしゃいでいるような、不思議な錯覚が捕らえ始める。……
 確かに隅に陣取る陰気なベッドさえ気にならなければ、すべては三か月前のあの頃と少しも変わらない。まるでそれが何かのお芝居であるかのように、そこでは女房持ちのボクサーの暮らしぶりがそっくりそのまま再現されていた。
 だとしたら私はいつしかこんなふうに考えていた。これはやはり予行演習なのだ。今の自分に必要なのは退院のための訓練だ。だからこそこうしていわば病室のままごとに興じながら、その先にやがて来るはずの本物の人生に備えようというのだ。……
 そしておそらく訓練は同時に模擬試験も兼ねていた。きっと今この瞬間にも私の言動に一つ一つチェックが入れられている。今ではもう補助輪を外した独り立ちが許されるのか。それともまだあくまでもその時期ではないのか。そんな患者の状態を見極めるために、厳重な採点が行われているのだ。そしてもちろん自分の得点は誰の目にも満点であり、退院の日はもう間近に迫っているはずであった。

――それでも医者は相変わらずゴーサインを出さない。その素振りさえ一向に見せようとはしない。
 だがしかし私はもう気が付いていた。これはきっと院長の仕掛けた罠なのだ。いやそんな失礼な言い方を改めるならこれこそが私に与えられた、卒業のための最後の課題だった。
 そうだった。とっくに治療の終わった元気な患者を、いつまでも引き留める理由などあるはずもない。だとしたら院長はただそうしながら、いわば試練を前にした患者の振る舞いを見守っているのだ。そんな意地の悪いおあずけを食わされて、患者は結局怒りに身を任せてしまうのだろうか? もしそうではなく、それでもなお穏やかな微笑みですべてを受け流すことができるとしたら――それこそが私の心の回復の、確実な証拠になるはずなのだ。
 そうだった。医者はこうしてすべてを日延べにしながら、私の内部に何か真実に直面する耐性のようなものが育つのを、じっと待っている。……

 だとしたらもちろん、突貫小僧のボクシングはここでは無用だった。血気にはやっての直談判などもってのほかで、それこそかえって試験官の思うつぼに嵌まってしまう。
 自分は遠回りではあるが、もっとずっと確実な方法を選ぼう。どんな場合にも必ずもっとも望まれる正解を見せつけることで、一つずつポイントを稼いでいこう。怒らない。焦らない。微笑みを絶やさない。どんなに病院暮らしが長引こうと当たり前のような顔をして、おおらかに振る舞っていよう。そうだった。それはまるで看守の前で模範囚を演じる囚人のように。
 例えばいつもの回診でのことだ。院長の例の「気分はいかがですか」の問い掛けに、私はことさらににこやかな笑顔で答えてみせる。
 「気分は爽快です。怪我をしたのが嘘のように、元気一杯です」
 だがもちろん返事はそこまでだった。後に続くはずの「いつ頃退院できますか」は禁句だった。私は喉のところまで出かかった一言をぐっと飲み込んでしまう。
 確かにそれは以前までの私とはずいぶんと違う、格段の進歩のはずだった。案の定院長はこちらの様子をじっと窺いながら、何度もしきりにうなずいている。
 それが私の作戦だなどとはもちろん知るよしもない。ただ今日の患者の顔色と、そのいつになく落ち着いた受け答えがいかにも満足であるというかのように。……

 ――そんなやりとりがあったちょうど三日後のある日。医者の目には私の変身ぶりが明らかな状態の良化と映ったのか、一週間後の退院の許可が下りた。
 私が飛び上がって喜んだのは言うまでもない。
 知人と言う知人に片っ端から電話を掛ける。――もちろんそのどれもが、答えはただのおめでとうとは違った。その日にはまるでやくざの親分の出所のように、みんな揃って迎えに駆け付けるという。
 ジムの仲間はもちろんのこと、健介のような多忙な連中さえもそうだった。「つまらん仕事なんかおっぽりだして行くよ」と健介は言っていたが、本当はそうしてスケジュールを空けるために、きっと土下座せんばかりにして頼み込んだのだ。
 そんな皆の気遣いを、私は今さらながらに有り難いものに感じた。……

 その夜の病室。夫婦二人だけのささやかなお祝いが行われる。
 さすがに酒というわけにもいかないので、ケーキとジュースで乾杯だった。このときばかりは減量のことも忘れて、子供のようにたらふくケーキをぱくついてみせる。
 そんな意地汚さを笑いながら、妻の目にしばらく見なかった涙が浮かぶ。
 確かにこれがどうして泣かずにいられよう。長すぎた三ヶ月の病院暮らしのその後で、ようやく訪れた幸せのひとときなのだ。だとしたら私もまた妙にしみじみとした気持ちになって、自分の目元が潤んでいるのをはっきりと感じることができた。
 だがそうしながら私の頭にはふと、おかしな考えが浮かぶ。
 そうだった。ひょっとしたら今のこれはそうではない。夫婦二人で幸せそうに見つめ合いながら、妻の流しているのはただのうれし涙とは違う――何だかそんな気がしてしまうのは、一体どうしてなのだろう?



 そして退院の日。
 開け放った病室の窓から吹き込む風が頬を撫でる。
 秋の終わりのやわらかい日差しを一杯に浴びながら、私は旅立ちのときを待っていた。

 約束通り仲間が駆け付けてくれる。
 口々に快気を祝い、私の手を握り肩を叩く。私もまた一人一人に丁寧にお礼の言葉を返しながら、長かった入院生活の思い出などを披露する。
 次々と人数が増えてやがて全員が揃う頃になると、病室はもうてんやわんやとなった。苦労話に花が咲き、そしてまたおどけた冗談のやり取りが続く。無理もないことだが、ここでもまたしばらくぶりの涙を浮かべる者もいる。
 すでにブレザー姿に着替えてベッドに腰掛けた私を、隙間なく取り囲む総勢十四人。めいめいの間に交わされるとりとめのないやりとりが混じり合って、いつしか大きなうなりのようになる。
 確かに今日の日の溢れんばかりの喜びを表すには、かしこまった儀式はいらない。こんなにぎやかなお祭り騒ぎの方が、はるかにずっとふさわしいのだ。――

 私もまた無邪気にはしゃぎ、冗談をやりかえす。
 だがしかしそうしてときにはおどけた素振りで仲間を笑わせながら、私の気持ちの中にはどこかめでたさに浸りきれない部分もあるのだ。
 そうだった。長かった休暇の終り。旅立ちはまた新しい苦しみの始まりだった。始まるのは「栄光」と「世界」を目指すあの地獄の日々。しかも四か月に及ぶブランクは、私の戦いをこれまで以上にきびしいものとしているにちがいないのだ。
 そう考えればいつまでもこうして浮かればかりはいられない。―――どこか場違いなそんな悲壮な思いに、私は誰にも見つからないようにそっと拳を握りしめる。
 だとしたら確かに集ってくれた仲間の祝福が、私には嬉しい一方でもどかしくもある。それはボクサーの新しい門出には少しも似合わない。十四人の誰もが終わった苦労を喜ぶばかりで、明日から始まる闘いに目を向ける者はないのだ。……
 本当になぜだが誰一人、ボクシングのボの字も言い出すでもない。――だがもちろん私はそんな怪訝を、これっぽっちも顔に出しはしない。祭に野暮は無用だった。その最中には難しいことはなどすっかり忘れて、一緒になって馬鹿になりきることだ。先に続くはずのことは、宴の後に残った者たちでしんみりと打ち合わせればよいのだ。
 私の持ち前の、サービス精神のようなものが頭をもたげる。巧妙なジョークと乗りとで仲間をもてなし、とりわけ笑いのプロの健介とのやり取りでは、病室にはしばしば笑いの渦が巻いた。

 皆が揃ってから約三十分、そんなふうに底抜けの陽気な騒ぎが続いた。
 買い物役を買って出た母もやがて戻って、お礼の品物も揃う。あとは病室の整頓をして、お世話になった院長や看護婦に挨拶を済ますだけでよかった。
 じゃあそろそろと、何度も言いかけながらそのたびに御輿を上げかねる。まるで暮らしなれた病室に名残を惜しむかのように、またしてもたわいのない四方山話に舞い戻ってしまう。
 そんなとき先刻から席を外していた妻が部屋に戻る。
 男たちのいつものおちゃらけに妻はやや毅然とした口調で割って入った。
 「退院の前に院長先生がお話があるそうよ」
 こちらから挨拶に伺おうという矢先に、そんなふうに呼び立てられるのは確かに奇妙だった。そのうえ妻のこの険しいまでの真顔は一体何だろう?
 そしてまた騒々しかった病室がとたんに水を打ったように静まり返ってしまったのも。――だがしかし私もまたやがてすべてを理解した。
 ドラマの終わりと思えたものは、けっしてそうではない。ぬか喜びのハッピーエンドのその先にもう一つの、どんでん返しの結末が待ち受けている。
 そうだった。だとしたら今しもそうして誰もが固唾を飲む、本物のラストシーンが幕を上げる。つまり私はきっとあのことを知らされるのだ。
 かつて私を悩ませた目配せと袖引き合い。涙。作り笑い。そんないじらしいどたばたを今日もまた繰り返しながら、これまで彼らがどうにか隠し続けた真実。
 その間も私はたえず秘密の手掛かりを探していた。誰かが思わずもらしてしまう一言や、不覚にも浮かべてしまう表情はないか――そんな謎解きがすっかり無駄に終わった今、私の旅立ちの最後の儀式として、院長の口からすべてが明かされようとしているのだ。……

 妻の言葉に答えるでもなく、私はただじっと座っている。
 まるで周囲の緊張が伝染したかのように、自分もまた体中の筋肉がこわばっているのがわかる。
 だが次の瞬間私はついに覚悟を決めて、すっくと立ち上がった。
 釣られるようにモウさんと会長が立ち上がる。続いてジムの二人の若手が、まるでボディガードのように両脇を固めた。 
だとしたらそれこそは、控え室を後にするボクサーの起立だった。こうしてセコンドたちに付き添われ、静かに戦いに心を備えながら、観客の待つ花道へとボクサーは黙って行進するのだ。……
 見送る仲間を部屋に残したまま五人はおもむろに出立する。
 行き先はもちろん院長室だった。
 歩き慣れた病院の廊下の、その数分ほどの道のりが今ではずいぶん遠いものに感じられた。
 その間私の胸には様々な思いが行き来する。
 ――今しもリングの上で私を待ち受ける対戦相手。それはいわば「真実」という名の見知らぬファイターだった。だがそれは本当に、こうして誰もが恐れているような強敵なのだろうか? どんな挑戦者もたちまち一撃のもとに、打ちのめしてしまうというような……?
 そうだった。確かにこれまでのいつだって、皆があんな表情を見せたことはなかった。どんなに厄介な試合のときにも本人以上の空元気で、余裕で構えていたはずだった。それなのに今は誰もがどこか心細そうに下を向いてうなだれている。それもまたまるで死刑台に向かう友人を見送るかのように、なぜだか悲しそうな目をして。――
 そのうえ怯えているのは、どうやら彼らだけではないのだ。思えばかつて私を悩ませたあの水くさい秘密主義は、院長の口止めだった。そしてまた今日の今日まで退院が日延べにされたのも――だとしたら医者もまたこの対戦を危ぶんでいた。すべての真実を打ち明けることを、きっとためらっているのだ。……

 こうして最初はいやな考えばかりが浮かぶ。リングに向かう足取りが次第に重くなる。……
 だかもちろんボクサーに弱気は禁物だった。戦う前に気持ちが負けていては、はじめから喧嘩になどなりはしないのだ。
 だとしたら私はいつもの試合のように、魔法の呪文を唱え始める。おまえは強い。おまえは必ず勝つ。――そう言い聞かせるうちにここでもまたあの世にも不思議な暗示の作用によって、私の心はふたたび頑丈な鉄の鎧におおわれていく。……
――そうだった。確かに院長はずっと告知をためらってきた。あるいは今でもまだ及び腰でいるのかもわからない。だがしかしそんなとき院長の思い浮かべるものは、あくまで過去の患者の例であるにすぎない。
 これまで医者の手をわずらわせた、あの無数のボクサーでない患者たち。――もちろんそんなありふれた普通の人間であったなら、真実との対面に恐れをなすものかもしれない。だがどうしてボクサーであるこの私が怯んだりなどするだろうか?
 もう一度繰り返そう。ボクサーとはいわば耐えることのプロだった。あの地獄の減量。血へどを吐くトレーニング。つかのまの勝利のその後には、再びまた果てのない苦闘の日々が待ち構えている。――ボクサーであるというのは、確かにそういうことなのだ。
 だとしたらどうしてそこに、今さら耐えられないものなどあるだろうか?
 そうだった。常人にかなうことならどんなことでもボクサーははるかに安々と、涼しい顔でしのいでしまう。そのうえまた常人には到底かなわないことも――そんな超人的な忍耐についてもし院長に少しでも理解があったとしたら、何もためらうことはないはずだった。それどころかもっとずっと早く、おそらくはあの初めの目覚めの瞬間から、きっとすべてを告知していたにちがいないのだ。
 何度もそんなふうにつぶやくうちにいつしか迷いの気持ちは消える。自分の中にようやくしっかりとした勝利のイメージが出来上がっていく。
 これから始まるタイトルマッチ。向こう気だけが取り柄の若い挑戦者。
 迎え撃つのは「真実」とやらの、無敵のハードパンチャー。だがしかしそこにきっとあるはずの世紀の番狂わせを、私はもうとうに確信していた。……

 そんなふうにいったん吹っ切れてしまうと、今度は急にばかばかしい気持ちになる。自分が引き連れたこの大層な行列。全員の四角張った表情。そんな何もかもが滑稽なものに思えてくる。
 「わざわざこうして呼び出すなんて、一体どういう用件だろう。最後に人目につかないところで こっそり謝礼の催促でもするつもりかな」
 だがしかしせっかく放ったそんな冗談にも、誰も何の反応もない。ただ話を振られたモウさんだけが、息が漏れたように弱々しく笑う。
 そんな陰気ったさがいい加減うっとうしくなって、私はひそかに舌打ちした。
 ――そうだった。ボクシングを知らない院長の場合は、まだ仕方がないとしよう。だがよりによってこの四人まで、どうしてこんなに後込みをしているのだろう。
 ひょっとしたらそこには本当にボクサーさえも打ちのめしかねないような、恐ろしい宣告が待ち受けているというのか。だとしたらそれは一体どのような?
 今後は肉もアルコールも一切口にできない? だがそれはあれほどまでの減量苦と比べたとき、どれほどの苦労だろう。
 あるいは女の抱けない体になりました? 確かにそいつは少々辛いし、かず子には申し訳ない話だが、縄跳びでもして気を紛らすことは大して難しいことには思われない。……
そんなふうに一つ一つの可能性を数えたてながら、私は自分の強気を確かめていく。
 そうこうするうちにまるで麻薬でも打ったように、不思議に気分がハイになる。
 もちろんそれはリングを前にしたボクサーの、あのお馴染みの酔い心地だった。
 何も恐れることはない。神経は針金のようにたくましくなり、わけもなく無性に愉快になって、いつしか心の中で不敵な高笑いを始めるのだ。
 ――あっはっは。自分がそれしきのことで、取り乱すとでも言うのだろうか。だとしたら本当に、みんなボクサーのことがこれっぽっちもわかってはいないのだ。
 耳学問のモウさんはもちろん、若造二人もまだまだ修行が足りない。会長さえもう昔の気持ちを忘れてしまった。
 そうだった。ボクサーというものは、たったそれくらいの打撃ではびくりともしやしない。肉もアルコールも、女も何も要りはしない。ただこの世の果てに待ち受ける栄光があるかぎり、霞を食う仙人のように、ボクサーはただその夢だけを食って生きて行けるのだ。……
 だとしたら、今や防御は完璧だった。
 たとえこの先のリングでどんな悲劇と屈辱が襲い掛かろうとも、私はすべてを巧みに交してしまうだろう。
 そうだった。「ボクサーであること」に耐えてきた私には、もはや何一つ耐えられないものはないにちがいなかった。――
  
 *

 ようやくたどり着いた院長室。
 ボクサーの固めた拳が今は扉を軽く二度叩く。
 どうぞ、と答える物静かな声が向こうに聞こえた。
 「失礼します」。つとめて折り目正しく、私たちは入室する。

 部屋の中は院長室とは名ばかりの構えだった。
 いくつかの事務机と簡便な応接セットを除けば、私たちの病室と何の変わりもない。
 ただ向かいのソファにおごそかに腰掛けた白衣の人物――私たちは直立不動でその言葉を待った。

 モウさんと会長と二人のジムの若手。それから今ようやく、遅れ馳せながら従ってきた妻の総勢六人。
 お座りくださいの一言にも、もちろん全員が腰掛けるスペースはなかった。私を除く五人は、ソファの背の後ろに控えて事態を見守っている。
 席についた後も院長は黙ったまま、しきりにカルテのようなものを覗いている。それはあるいはこれから迎える場面のために間を取っているのか。それともまだ話の中身を切り出しあぐねているのか。私はただじっと見つめている。今にも鳴り響くはずのゴングの音に静かに耳をすましながら。
 「こんなふうにわざわざお呼び立てしまして」
 院長はカルテにまだ目を落としたまま、まるで独り言のように口を開いた。確かにそこには何の前触れもない。ボクサーの運命のラウンドは、だとしたらそうしてあまりにも唐突に、気がついたらいつの間にか幕を開けていた。――
 「退院の前にどうしてもお話ししておかねばならないことがありまして、ご足労願ったわけです」
 そう言葉を続けながら院長はようやく書類から顔を上げて、上目づかいにこちらを覗き込む。もちろんそれは患者の症状を窺う医者の目だった。だがそこに見えたはきっと恐れていたものとは違う、両手を膝に背筋を伸ばし、余裕の笑みを浮かべた私の表情だった。
 そんな私の反応によろしい、と言うように小さくうなずいた院長は、再び顔を伏せてまるで書面を読み上げるような調子で続けた。
 「すでにもう気付かれているとも思いますが、ここまでずっとご本人にお教えできずにきたことがあります。今はその時期が来ましたので、ここで一切を包み隠さずお伝えしたいと思います。少々厳しい内容になるかもしれませんが、これからの生活にかかわる重大なことです。最後まで冷静に聞いてください」
 言いながら院長は、念を押すかのように今一度頭を上げた。今度は先刻よりもずっと力強い、訴えかけるような眼差しで真正面から私を見据えたのだ。
 だが私の方ときたら、相変わらず胸を張って自信の笑みを浮かべたまま、「はい」と何の迷いもなく言い切ってしまう。
 そんなとき私のいたずらっぽい目の輝きは、きっとこんなふうに語っていたにちがいない。
 院長先生、ご心配には及びません。私はボクサーといって、先生が御覧になってきた患者たちとはまったく違った人種なのです。何を聞かされても少しも驚きはしませんから、どうぞこんな持って回ったやり方はやめて、すべてを単刀直入におっしゃってください。……
 確かにあのときの私ときたら、まるで注射を打たれながら泣かないよ、痛くないよ、と芯の強さを自慢する子供そのものだった。
 そんな私の視線と院長の視線が、ほんの一瞬ぶつかりあう。確かについ先刻は私のこんな強がりに、院長は満足そうにうなずいてくれたにちがいなかった。――だがしかし私の期待は裏切られた。それどころかその同じ院長が、今度はふと寂しそうな表情を浮かべて目をそらしてしまったのだ。いかにも私のけなげな注視に耐えかねたとでもいうかのように。

 そんな反応は私にはきわめて心外なものだった。
 私は横目で付き添いの仲間の様子を窺ってみる。だがどうやらこうして呑気でいるのは私一人だけで、彼らもまた何かに怯えたように強張った表情を崩さない。
 確かに目の前の院長も後ろに控える五人も、今しも起こるかもしれない事態に蒼褪めていた。
 だとしたらそこにはやはり、何かとんでもなく恐ろしい真実が明かされる。その一撃にはボクサーさえも、きっとひとたまりもなくリングに崩れ落ちる。……
 例えば女もアルコールも今後一切まかりならない? もちろんそれだけなら少しも取るに足らない。
 あるいはそれはそうではない、全く別の種類の何かなのかもしれない。今度ばかりは私もまたけっして極楽蜻蛉ではいられない。本当に決死の覚悟で掛からなければ、とても太刀打ちできないような相手なのだ。
ボクサーの背中にようやく軽い武者震いが走る。そうしながら戦う心にもう一度鉄の鎧をまとうために、私はまた例の心得の条を復唱してみる。
 ――あの地獄の減量。
 血へどを吐くトレーニング。
 つかのまの勝利と、果てのない闘いの日々。……
 確かにそれらのものと比べてしまえば、どんな責め苦もまたはるかに耐えやすいものに思えてしまうだろう。そうだった。「ボクサーであること」に耐えてきた私には、もはや何一つ耐えられないものはないにちがいなかった。……

 だとしたらもうこれ以上間怠っこしい前置きは無用だった。院長もまたそれを知ってか、ここでようやく意を決したように核心に踏み込んでいくのだった。
 「お話しすることは二つあります。一つ目は怪我の原因となった事故のことです。
 ご本人には交通事故による頭部打撲とお伝えしました。しかしそれは事実とは違います。――」
 もちろん事態は私がひそかに予想した通りだった。ちょうど末期の患者から病名を伏せるように、何かしら治療上の配慮のために怪我の真相は隠されていた。自動車事故の記憶がどうしても蘇らなかったのも無理はない、そんなものは初めから少しも起っていない、ただの作り事だというのだ。
 そして今長い沈黙のあとで、すべてが明かされようとしている。いわば瀕死の患者取り付けられた人工の心肺が取り除かれて、そこに本物の「真実」が埋め込まれるのだ。
 その瞬間すべての謎が脈絡で繋がれる。あの記憶の混沌。不可解だった周囲の言動。霧に閉ざされた明日からの自分。――散り散りになっていたそんな「私」の断片が、今しも一本の糸で綴られる。そうして再び配線された闘う機械は、もう何の迷いもない。もう一度あのリングの上に、力強い機能を始めるのにちがいない。……
 だとしたら私はそれまで以上に背筋を伸ばし胸を張って、話の続きをせがむように院長の顔を見据える。

だがようやく医者のしゃべった言葉は、私の少しも予期しないクロスカウンターだった。
 「本当の事故は試合中のものでした。ボクシングの試合中の頭部強打による脳挫傷。それが正式の診断です。
 八月十五日。後楽園ホール。対戦相手は、小和田義則(おわだよしのり)と読むのでしょうか? その小和田のパンチを続けざまに頭部に受けて、意識を失くされた。そのときの衝撃が今回の怪我の原因です。……」
 それにしても何という奇異な、思いがけない言葉だろう。院長の声は確かに耳に届いていたが、私はその意味が少しも理解できずにいる。まるで水槽の魚の群れのようにただ妖しい色どりに目がくらむだけで、私の手はそれらを掴むことも、触れることさえかなわないようだった。
 八月十五日? 後楽園ホール? だとしたら私がそのために必死に備えていた小和田との試合は、もうすでに行われていたというのか。
 そんな試合の記憶など、私にはこれっぽっちも残ってはいない。だがもしそうだとしたら、勝敗はどうだったのだろう。誰もが信じて疑わないように、勝利はやはり私にもたらされたのだろうか。

 私はまるで事態を飲み込めない。ただどうやらこの瞬間、自分が地獄に落ちたことだけは確かなようだった。そのうえそれはまだ本当の終わりではない。何より恐ろしいことに次に続いた院長の言葉は、闇の暗さに戸惑う私をさらに深い、もう二度と這い上がることのできない奈落の底へと突き落としてしまったのだ。
 「確かに直接の原因となったのは、その試合中の殴打でした。――」
 だが実際には長年のボクシングが、私の頭部に目に見えないダメージを積み重ねていた。今回の事故がただの失神では終わらない、深刻な脳挫傷に到ったのもそのためなのだ。
 今だから言えることではあるが、一時は医者も諦め掛けたほど危険な状態であった。
何も知らないのは意識を失くした当人ばかりで、数日の命と知らされた家族は途方にくれ、友人たちも大勢お別れに駆け付けたのだ。
 しかし私は奇跡的に意識を取り戻した。そればかりかおそらくはボクサーの超人的な生命力によって、確かにこうして奇跡的に回復を遂げたのだ。
 今はもう十分に問題のない段階に達したこと。必死の闘病はようやく報われた。私は実に辛抱強く、最後まで立派に頑張り抜いた。――
 「ただここでもう一つ、大切なことをお伝えしなければなりません。
 これまでにも申し上げた通りこの種の頭の怪我の場合、予後についても細心の注意を払わねばなりません。とりわけ同じような事故を繰り返すようなことがあれば、大変に危険なものとなります。
 もちろん日常の生活を普通に暮らすことには何の差し支えもありませんが、頭部に強い衝撃が加わるケースだけは絶対に避ける必要があります。
 こうして復帰を待たれるお気持ちを考えれば本当に心が痛みます。しかしながらボクサーとしての再起は、きっぱりと断念してもらわなくてはなりません。
 乱暴な体の動きを伴うことはすべて禁物です。ご本人には大変残酷なことと思いますが、もし守られなければ今度こそ間違えなく命に関わることになります。どうか約束してください。……」

 最後まで聞き終えることのできたのが不思議でならない。
 そもそも医者の言葉が理解できなかったのか。それともあまりに突然の宣告をまだ真に受けることができずにいたのか。とにかく私はそのままただおとなしく結びの言葉を待った。
 そうして院長が話を終えたとたん、それまで押さえられていた何かが爆発した。
 何かが――だが私はボクサーだった。爆発したのは感情でも言葉でもない、鍛え上げられた肉体の反射神経だった。
 席を蹴立てるようにして立ち上がり、私は目の前の獲物に向かって猛然と襲いかかろうとする。
 その瞬間モウさんが、会長が、ジムの二人の若者が腕と体に組み付いた。彼らが護衛のように付き添ってきた理由を、そのとき私は初めて悟った。
 制止を振りほどこうとする悪あがきがしばらく続く。そうするうちに遅れ馳せながら感情と言葉が爆発した。
 「この野郎。――」
 喉仏が吹き飛ぶような荒々しい声で私は絶叫する。
「いい加減なことを言いやがって。このやぶ医者め。殺してやる。――殺してやる。――」
 何度も叫びながら、私はそれでも院長に殴り掛かろうともがいている。やがて酸欠のような症状が見舞い、目の前から光が失われる。確かに泣き崩れる妻の声を聞きながら、私は自分の意識が薄らいでいくのを感じた。

 その後に続いた出来事について自分自身の記憶はない。ただ後に聞かされた話によれば、そうして我を失くした私は「殺してやる。――殺してやる。――」と狂ったように叫びながら、ただ寂しげにうつむいて耐えている院長にいつまでも、いつまでも掴みかかろうとしていたという。



 それから二年、ボクサーでない日々が続いた。

 言い付けを守って養生した私には何の後遺症もない。本当に、あんな大事故があったのが嘘のように穏やかな毎日が続く。
 友達は口々に私を諭す。おまえは死にかけたのだ。いや実際に死んだのだ。あの日本一の院長の執刀がなかったら、今頃そんなふうにぬくぬくと生きてはいられないのだ、と。
 そんなとき私は実に素直にうなずいてしまう。確かに今またこうして再びのどかな春の日を浴びることができるのも、すべては院長のお陰なのだ。
 私は心の中で深く感謝する。同時にあの最後の日に、取り乱した自分が働いた非礼を詫びる。

 こうしてボクサーでない日々を暮らしながら、時折私は夢の中で泣く。
 私の見たのは、あの昔の遠く果てない夢だ。そしてそんな朝には、ここは自分のいる場所ではないというかすかな感覚が私を悩ませることがないでもない。
 私は今一度院長に非礼を詫びる。そうなのだ。恩知らずの私はそんなとき、本当にそんなときにだけ、思わずこんなふう呟いてしまうのだ。
 『医者よ、もしあなたが本当の名医なら、そのやさしい哲学者のような風貌が本物なら。――こうしてボクサーでない日々を暮らすよりは、事故の後私が外せなかった呼吸器の弁を、あなたのその手でそっと捻ってくれたほうがよかった。……』

                     (了)









 私の理性と感覚は相変わらず思い思いの世界像を組立てていた。理性はもちろんとっくに「丸山」を認知していた。だが一方感覚の方は頑なにあの日の始発電車の原体験にしがみついている。自分はけっしてそのような人物ではない。ただこうして見知らぬ町に迷い込み見知らぬ家族の囚われとなった、悲しい身の上であるにすぎない……。
 それぞれに囁くそんな二つの自己認識のどうしようもない不整合を抱えながらぎこちなく日々を暮らす。――いわば道を行く度に同じ段差につまずいて、ぶざまによろめく自分をもはや笑う余裕すらなくして……。

 それはまた同時に孤独におののく日々でもあった。
 心中の懊悩は誰にも打ち明けることはかなわない。――そうだった。それがもし会社での戦いなら愚痴を聞いてくれる家族もいる。夫婦のいさかいなら慰めてくれる友もいるだろう。だが私の場合、本当に誰もいないのだ。そんな思いには確かに凍てつくような淋しさがあった。
 そのうえそれはただの孤独とは違う。私は誰とどこにいても自分の演技が気取られることを恐れて身構えていなければならない。いわば回り中を敵の間諜に囲まれて、ただ一人蒼白の不安に怯えながら……。

 科白を知らない役者の困惑。けっしてかみ合うことのない二つの自分。そして孤独。
 もちろんすべてはあの日書類の陰に顔を埋めながら私が覚悟したもの。私が生き抜かなければならない丸山孝雄の殺伐の現実だった。
 凡庸なサラリーマンの一日を過ごすことがそっくりそのまま壮絶な難行となるような、悲しい逆説の仕組みが確かにそこにはあった……。
 そうだった。少なくとも最初の一週間、そうして待ち受けていた苦闘の日々に私は健気に歯を食いしばって耐えたのだ。
 だがしかし? ――
 だがしかしもしそんな始まったばかりの苦難の日々が本当にただその一週間だけで終わってしまったとしたら、それは一体どうしたことだろう? 

          *

 ただその一週間だけで? ――
 もちろんそんな物言いはとてつもなく奇異なものに聞こえるだろう。今しもそうして始まったはずのもの。その最中には確かに永遠に続くと思われた苦しみがあっけなく終わってしまう? だとしたらそれはずいぶんと人を食った、乱暴な幕引きに思えるに違いない。
 そればかりではない。そのころから私の運気のグラフがまるで底を打ったように上昇に転じ、災厄に代わって立て続けの僥倖が訪なった。――もしそんなふうに言ったとしたら、そんな荒唐無稽な筋書きをもはや誰も笑って取り合おうとはしないだろう。

 だがしかしそれは実際その通りだったのだ。
 本当に何ということだろう。苦難の一週間のその先に待ち受けていたものは、尋常の物語の展開にはけっしてあってはならないどんでん返し。それは単に受難が終わったというばかりではない。立て続けの僥倖が訪なって負が正に、陰が陽に、影が光にというようにすべてのカードが一斉に裏返った……。
もちろん今になって思えば種明かしはいとも容易だった。そんな「尋常ならざるもの」こそがきっとあの私の病の致したものだったのにちがいない。
 そうだった。私が患うような心の病というものは、ときにその周期の波によってそんな悪戯を働くことがある。昨日まではしゃいでいたはず極楽蜻蛉の男が、躁が鬱に転じたとたんに陰気なため息で傍目を驚かす。だとしたらその逆に地獄に喘いでいたはずの私が唐突にバラ色の夢を見ることを始めたとしても、けっして怪しむには当たらないのだ。
 すべてはただ周期の波に弄ばれた私の心が見たバラ色の夢。だがしかし少なくともあのころの私はそんな舞台裏のからくりには少しも気づかずに、突然の奇跡の降臨を前にしていつまでも目をしばたたくしかなかった。――

 確かにそれはあまりにも不思議な経験だった。
丸山孝雄を演じ始めた一週間の苛酷な試練。だがしかしそんな苦闘の日々がそうしてちょうど一週間ほど続いたころ。まずは私の心の中にある意想外な――だがしかし確実な変化が訪れたのだ。
 本当に、それはちょうどあの頃からだった。
 あの初めの日から私をずっと悩ませてきた忌まわしい違和感がやにわに消え始めた。
 丸山孝雄を演ずることの、否、丸山孝雄であり続けることのどうしようもないぎこちなさが急速に癒えていく。
 それはまるで最も困難なはずの魂の移植が――存在の根そのものの植え代えが成功していくようにも見えた。あれほど懸念された拒否反応を伴うこともなく……。

 そのうえ変化はただそれだけにとどまらなかった。確かにそれもまた何という意外な発見だったろう。そうして頑固なしこりが取り除かれたその後に、そこには次第にどこか見覚えのあるなつかしい気分が蘇っていったのだ。
 それはもちろんあのすべて始まりの日、私の心にほんの一時だけ宿ったもの。上りの電車で引き返す代わりに見知らぬ朝の町を訪ねた幼い冒険気分。――
 そしてそれもむべなるかな。
 今の私にまだ過去の記憶が戻っていないとすれば、ようやく受け入れ始めた「丸山孝雄の人生」を生きることはそっくりそのまま未知の世界の探訪になる。いわばかつてはただ気重な試練でしかなかったものが、今や鬱から躁に転じた私にとってはどこか心浮き立つ冒険のように感じてられていたのだ。それはちょうど一夜の酒の酔い心地に誘われたあの朝の場合と同じように。――
それはまたたとえば小説家にでもなったような気分だった。丸山孝雄の家族関係。丸山孝雄の仕事関係。丸山孝雄の友人関係。丸山孝雄の女性関係――そんな取材の成果を白紙のメモ帳に一つずつ書きためながら、やがて私はすべての筋書きを組み上げて一篇の小説世界を作り上げていく。
 もちろんそれは数奇崇高の物語ではない。ただ安物の通俗小説が描き出す下世話なてんやわんや。それこそはあのあまりにもお馴染みのサラリーマンの生活であるにすぎない。――だがしかしそんなワンパターンの筋書きがそれぞれのコンテクストで演ぜられるのを見るのは退屈とばかりは言い切れない。そのうえ少なくともそれは肩の凝らない読み物であることは間違いないのだから。

 それは確かに小説家にでもなったような気分だった。――ただそれが小説と違うのはそこに作り上げられたものが誰か他の人間の人生ではなかったことだ。それは私自身の人生であり、丸山孝雄の成功はそのまま私の幸福を増し、丸山孝雄の失敗はそのまま私の不幸を増した。
 だとしたらそれはむしろファミコンの冒険ゲームに興ずる少年たちに似ていた。
 与えられたルールと設定で、それぞれの武器と地図とを携えながら少年たちは成果を競う。画面に映った世界は傍目にはただ作り物のように見えるかもしれない。だが忘れてはならない。少なくとも操作盤に向かう今この瞬間のゲーマーにとって、それは確かに彼らの人生なのだ。
 そうだった。彼らの上げる歓声も叫喚もけっして座興のたわむれではない。そうして彼らは今しもそれを――ゲームの中の人生を生きている。そのときめきも苦悶も憤怒も、確かにすべては本当にその中にあった……。
そんなふうに私もまた丸山孝雄の人生を生きることを始めた。設定は四十二才の四人家族の雑誌記者。そんなサラリーマンの浮き沈みの人生のゲームを生きることを始めたのだ。
 そしてそれはもはやけっして気鬱な演技ではない。もっとずっと心浮きたたせる種類のもの。
 それこそはあの操作盤に向かう少年たちの手に汗握るスリリングな戦いだった。――

    *

それは私の心に訪れたいわばあまりにも突然の小春日和。丸山孝雄を演ずるための戦いが今では何か愉快な、人生の冒険ゲームのように感じられている……。
 だがしかし私を本当に驚かしたのはそのことではなかった。それにも輪を掛けて奇怪だったのはそうして私が加わった人生のゲームのあまりにも一方的な結果だった。

 そうだった。ゲームならば必ず勝ち負けがあり、笑うこともあれば泣くこともある。それが常道だった。だが私の場合どういう巡り合わせなのか、そもそもの初めから破竹の連勝に恵まれてしまうことになるのだった。 
 生まれて始めて前にするファミコンの操作盤。もちろん少年は自身の才能などまだ知るべくもない。だがものの一週間もした頃には、少年はどんな名人の度肝も抜いてしまう技倆を示し始める。
 私の運気のグラフが上昇を続け、立て続けの僥倖が訪なう。――もちろん今思えばそれもまたきっとあの私の病が働いた悪戯だった。本当に我が身に起きたのはその実些細な幸運や、ちっぽけな勝利であるにすぎない。ただ私の心のいわばレンズの歪みのようなものが一を十に見せ、十を百に思わせた。あくまでもそんな錯覚の結果として、私はまるで我が世の春が訪れたかのような有頂天に酔いしれたのだ? 
だがしかしあるいはまたひょっとしたら、それはけっしてそうではない。たとえそのすべてが病に起因するものだったとしても、私たちの前向きな希望に満ちた心はときに不思議な呪力を授かりあるはずもない奇跡の業をなす。だとしたらあのときの私もきっとそのようにして、本当にあんな立て続けの勝利を招き寄せたのだ……。

 確かにそもそもの初めからそれはそうだった。
 そもそもの初めから――つまり私がまだ右も左も分からずに事務所の片隅に引籠もっていた頃から、いわばビギナーズラックのようなものが次々と私に不可思議な勝利をもたらしていたのだ。
 例えばあの最初の日、あの銀縁の女が持ち込んだ初仕事はどうだったろう? 山と積まれた原稿を前に私もやむなくノルマに取り掛かる。記憶を失くした私にとって確かに生まれて初めてのこの校正とやらの作業に、冷や汗をかきながやっとの思いで事を仕上げたのだ。だがそのとき私を待ち受けていたものは、けっして懸念されたような叱責の言葉ではなかった。
 「もう済んだんですか? 珍しい……。いえ、とても助かります。」
 私は思わず失笑した。急場しのぎの自分のやっつけ仕事がかくまで有り難がられてしまうようなら、雑誌記者の業務なんてずいぶんいい加減なものだ。そのうえ女の皿のようになった目から察すれば、彼らの知る丸山孝雄という男は相当に鈍重なタイプだったにちがいない。だとしたら比較される相手がいつもそいつであるかぎり見劣りの心配はない。私も十分に気楽に構えていることができそうだった……。

 もちろんノルマはそんな単純作業ばかりではない。
 例えば翌日には私にも早速記事の割り当てが回ってくる。「開幕に寄せて」という仮題で球界に望む提言を書き連ねるというのだ。つまりは今度は手際だけではない多少の独創の才を要する仕事なのにちがいない。だとしたら私はここでもまたいわば初めて作文の宿題を課せられた小学生の気分になって最初は恐る恐る、途中からはもう目をつぶってただ出任せを書きなぐった。
 だが何と言うことだろう。そんな少年の作文を迎えたものはかえって受け持ちの中に神童を見つけてしまった教師の驚愕だった。
 「素晴らしいじゃないか、丸山君。きわめて独創的だ。君にこんな才能があったとは、やあ、お見それしました。」
 最大級の賛辞を並べ立てるのは初めての日にごちそうさまの声を掛けてきたあの男――編集長の佐藤なのだった。
 聞きながら私はこうして自分の演ずる先代の「丸山」という人物にますます蔑みの念を禁じ得なかった。だがしかしそればかりではないのだ。さらにもっと驚いたことに、どうやらこの会社においては無能なのはけっして丸山一人ではないようだった。
 「今月の巻頭記事はこれで決まりだ。誰のどの記事と比べても、出色の出来じゃあないか。」
 一人はしゃぎまくる編集長を前に私はにわかに白々とした気分になっていった。本当に、こんな出鱈目なでっち上げが雑誌のメインを飾ってしまうようでは他の記者たちの才能も知れたものなのだ。――だがそんな私の哀れみもやがていつしか哄笑に変わっていった。それはそうだろう。どんなに馬鹿馬鹿しいことに思えようと、勝ち負けだけを言うならこれは確かに圧勝だった。そのうえこうして神童に祭り上げられるのは、たとえ少しも身に覚えがないとしてもまんざら悪い気はしないにちがいないのだ……。
 そのようしてこのにわか仕立ての「天才」はあくまでもつつましく片隅の机に引き下がった後でただ腹の中でいつまでも、いつまでもくつくつと笑い続けた……。
 
 万事がこんなふうだった。まるでいたずらな妖精が陰で魔法でも用いているかのように、やみくもに振り回す私のバットにボールの方から当ってくる。そんな百発百中が私にはただ愉快なばかりかむしろどこか滑稽なものと感じられている。――
 そのうえ快打は単に仕事の上のことだけにとどまらなかった。
「最近丸山さんがずいぶん垢抜けてきたわね。」そんな女たちの驚嘆の声が私のところにも聞こえてくる。どうやらこの丸山という男は、つまり以前までの私は中年男にはありがちなずぼらなタイプらしかった。身嗜みに気を使わぬあまりせっかくの男臭さが悪臭に変わってしまうというような――その丸山が今や寝癖を見付ければ油で頭を撫で付け、髭の濃い顔には必ず毎朝剃刀を当てる。二日と同じネクタイを締めることもなく身奇麗にし始めたものだから、幾人かの女が胸をときめかしたのも理だった。
 もちろんまだまだ丸山孝雄になりきれない私は何につけてもとんちんかんな言動を連発した。だがOLたちの魔可不思議な感性は私のまさにそのずれ具合の中に――相手の言葉を理解しかねて小首を傾げるその仕草にさえ、どこか悩ましい「詩」のようなものを嗅ぎ付けてしまうようなのだ。
そしてそれはけっして私の手前味噌とは違った。確かに実際バレンタインのその日にはいずれ劣らぬご大層なプレゼントの包みが私の机に山と積み上げられたのだ。
 そんな熱狂ぶりを横目に見ながら切り屑みたいな義理チョコで両手を一杯にした同僚たちは、あくまで女子供のざれ事と笑い飛ばそうとして果たさなかった……。




 確かにそもそもの初めからすべてがこんな具合だった。
 丸山孝雄を生き始めたばかりの私の吃音ような演技さえ何故だか過分な喝采をもって迎えられてしまう。
 だとしたらやがて時が過ぎ舞台の立ち居振る舞いもようやく板に付き始めた頃、役者がどれほどの成功を博したかは説明の要はないだろう。
 チャレンジは必ず吉と出て、まるですべてが私の思いのままになるようにさえ感じられた。――否。もちろんそのようなことは本当に起こるはずもない。おそらくはそれもまた躁に転じた私の心の病が見せたバラ色の夢だったにちがいない。
 だがしかし忘れてはならない。たとえそれがただ私の心中だけの出来事にすぎないとしても、少なくともそこではすべてが真実だった。今では私の唯一の関心事である自分自身の「心」の次元――そこではすべての奇跡はまがいようもない現実の出来事だったのだ。
 だとしたら私はやはり書き連ねる。余所目にはどんなに滑稽に響こうとも、私自身が確かに邂逅したあまりにも不思議な連戦連勝の成功の奇譚を。――

 そうだった。ファミコンに向かう少年のように私が始めた生まれ変わりの人生ゲーム。丸山孝雄にまつわるすべての情報を新しく一つずつ学習しながら、成功の冠を掴みとっていく冒険のゲーム。
 もちろんそこに繰られたのは波乱に満ちた英雄たちの冒険とは違う、あまりにもありふれたサラリーマンの毎日だった。だがしかしかくまでの戦果に恵まれたときそれはそれで興の尽きない愉快な成功の物語となる。――
 例えば私の勤務するA社は三つのスポーツ誌を発刊する雑誌社だった。
 野球誌配属の私は今では現場の取材というよりも編集のデスクワークを主にしている。
 直接の上司はあの編集長の佐藤で、私より一つ年上だが気さくな良い男だ。
 もちろんこのA社の組織の中では佐藤のような各誌の責任者はただ傀儡にすぎない存在だった。元締めとして実権を握っているのはA社のオーナー社長でそのワンマンぶりから神のように畏れられる澤山なのだ。
 元来はA社の独擅場だったこの分野でも、近年は後発の数社に押されて部数の落ち込みは目を蔽うばかりらしい。そのことを快く思わぬ澤山は三誌の編集長に有形無形の圧力を掛けていた。佐藤が食事の度に胃薬を欠かさないのはどうやらアルコールのせいだけではないようだった……。
 私が佐藤に好意を抱いていたように佐藤もまた私を腹心の部下として万事につけて頼り切っていた。交誼は仕事の上だけにとどまらずアフターファイブの酒にもしばしば私を誘った。
 とりわけ二人の絆を堅固にしていたのは私たちが同じ草野球チームの主戦であったことだ。
 A社の愛好家が集った「マイナーズ」の中でとりわけ佐藤は群を抜いてチームに入れ込んでいた。甲子園の土も踏んだというこのかつての野球少年にとって、グラウンドはただそこにいるときにだけ本当の自分に戻ることができるようないわば生き甲斐そのものだったのだ。――
 そして私の成功譚はここでも一頁を加えていた。
 ライバルチームとの試合を控えたある日私たちのエースが突然の腰痛でダウンした。
 代役に選ばれた私は血祭りに上げられるべく恐る恐るマウンドに立った。
 だが不思議なことにピッチングのいろはさえわからぬままに委細構わずぶん投げる私の球に、宿敵の打者たちのバットは空を切るかせいぜいポップフライを打ち上げるだけなのだった。
 相手の投手も好調でゼロゼロで迎えた九回裏、絵に描いたようなサヨナラヒットで私たちは勝った。
 試合後佐藤は私の肩を抱く。
「これは驚いた。素晴らしかったよ。ありがとう。本当にありがとう。」
 エースの故障といういわば逆境をはねのけての勝利が感激屋の佐藤の胸を打っていた。眼鏡の向こうに涙さえ浮かべた編集長の純情ぶりに、またしてもまぐれ当たりをしでかした私は何だか気恥ずかしい気持ちになる……。

 そんなささやかなエピソードが私と佐藤の公私に渡る信頼関係をますます深めていった。
 もちろん肝心なのは仕事の方だった。
 あの例の「開幕に寄せて」以来、佐藤は五週に渡って私の書くものを巻頭記事に推し続けた。彼の言を借りれば私のそれはスポーツ記事を害する「現場主義」の弊習を免れている。足を棒にした取材を尊ぶあまりただ平板な情報の告知で終わってしまう――そんな古い現場主義の遺物を私の文章は見事にかなぐり捨てていた。そこには確かにビジョンがあり、独創があると言うのだ。
 そのうえそんな肩入れは必ずしも佐藤の身贔屓ではない。あの開幕号以来売り上げは着実に上向いていた。B社への劣勢を挽回するには到底至らないが、少なくとも一昨年並みにまでは復しているのだった。
 そんな嬉しい数字を見せられた日、私は居酒屋で佐藤に酒を奢られた。私の杯になみなみと酌をしながら、
 「君のおかげだ。世間も君の文才を認めざるを得ないんだ。
 B社の連中は五十歩百歩の数字と笑うかもしれないが、これから焦らずに追い上げればいい。君のおかげだ。改めて君に惚れ直したよ。ありがとう。」
 あのグラウンドでの大勝利の日と同じように佐藤は眼鏡の向こうの涙を隠そうともしない。そんな編集長の姿を前にして、自分の出任せな文章が少しでもこんな良い人のお役に立てたことをずいぶんと嬉しく感じた……。

 そんなふうにやることなすことがすべてうまく運ぶ連戦連勝の日々が続いた。
 それは本当に不思議な感覚だった。いわば何か宗教的な力が私の中に宿り次々と不思議な業をなした。投げられた賽はいつも四半分だけ余計に回転して私の望んだ目を出すのだ……。
 そうして三ヶ月続いた怖いもの知らずの絶頂の日々。その後に訪れた破綻など嘘のように、大波に乗って宙に舞い上がったサーファーのこのうえもないハイな気分……。



そのうえ私に「惚れ直した」のは編集長一人だけではなかった。実に世界の人口の半分が――つまりはすべての女性が私に惚れ直しているようだった。
 否。それはもちろんここでもまたあまりに脳天気な私の誇大妄想であるにちがいない。
 どうやら躁の病のあのおめでたさはことこうして色事がからんだような場合にとりわけ重症の度合いを増すらしい。それは本当に野放図に常軌を逸し、常人には到底及ばないような高みを天翔ってしまう……。
 だがしかし少なくともあのとき私の心はすべてをそのように感じていた。私の唯一の関心である自分自身の「心」の次元――そこでは確かにすべてはそのように起こったのだ……。

本当に、今ではすべての女性が私に惚れ直していた。それはあのバレンタインの一幕ばかりではない。常日頃から女たちは私の存在を意識し、私の視線を気に掛けてはそわそわしていた。そしてそれはけっして私の思い違いなどではない。ある者は夢を見るような眼差しで高嶺の花の私に見惚れ、またある者は実際にその好意を得ようと色目を使ってモーションをかけてくる……。
だが同時に私はここでも一つ忘れてしまった丸山孝雄の物語の、その筋書きを教えられることになる。
 そうだった。どうやら私の艶福家ぶりはけっして今に始まったことではないらしかった。こうして新たに私にのぼせ上がったいわば後発隊とは別に、丸山には元々幾人か決まった愛人があったのだ。
 中でも総務課の愛子との関係は社内では半ば公然の秘密だったようだ。愛子自身私との関係を引き摺ったまま、二十八にもなっていまだに嫁にも行かずにいるくらいだった。
 そしてそこにはあのおきまりのトラブルがあった。妻子ある私に愛子は家庭を捨てることを求める。そして……。
 そんなトラブルに私は巻き込まれていたらしい。――もちろんこうして他人事のように述懐していられるのも、新しい丸山に生まれ変わった私がすべてをたちどころに片付けてしまったからである。それはちょうどややこしい綱の結び目をほどこうともせず、一刀両断に断ち切ってしまった伝説のアレクサンドルのように。
 確かに解決はいとも容易だった。
 そうだった。男と女の恋愛ゲームも所詮は単純な力学関係に支配されていた。どちらが惚れてどちらが必要としているのか、ただそれだけなのだ。そうして惚れてしまった方が奴隷のように跪いて恋人のすべての横暴に耐えなければならぬ――それがゲームのルールだった。
 おそらく以前の私は愛子に惚れ愛子との関係を必要としていた。そこに生まれる弱腰こそがトラブルをもつれさせた元だったのにちがいない。だが今では女の代わりはいくらでもいたから、もし愛子が去りたければ去ればよい。跪かなければならないのはむしろあちらの方なのだ。――そんな私の強気の処方は実際効を奏した。愛子はベッドの傍らに土下座して二度とあなたを煩わせません、このままあなたの女でいさせてくださいと涙ながらに哀願する。その姿を私はただ満足げに見下ろすだけだった。――

 否。こんな私のたわけた文体からはまたしてもたちまち忌まわしい「狂」の臭いが嗅がれてしまう。もちろんその通り、すべてはあの心の病が見せたバラ色の夢。レンズの歪みが映し出した人笑わせな奇態であるにすぎない。
 だが確かに少なくとも私の心の次元では、すべてはそのように起こったのだ。
 本当に肉体も精神も、とてつもなく健康な感じ。まるで禁断の薬でも用いたかのように体中に力が漲り、脳味噌はいつも冴えかえっている。だとしたらそれはきっと自分の秘められていた能力がそうして一斉に開花したのだ……。  
 たとえばまた私に惚れ直したのは女房の冴子も同じだった。
 あの最初の出会いの日の印象通りおしゃべりで、おっちょこちょいですぼらだったはずの女。だがしかしそんな中年女の厚顔無恥に私は最も単純な治療薬を処方したのだ。
 それは歌を忘れたカナリアにもう一度「女」であることを教え込むこと――そんな魔法の薬を私は本当に十二分に与え続けた。
 効果はもちろんてきめんだった。冴子は急に口数が少なくなる。寝起きの髪のままパジャマ姿で歩くような興ざめもなくなり、時には紅さえ差しだした。しばしば私は食卓の向うに夢見るような眼差しでこちらを見詰めている女房を見出だす……。
 要するに冴子もまた私に惚れ直したのだ。
 当然そんな母親の変化に気付いた子供たちは目をしばたかせる。
 「お母さん具合でも悪いの?」
 私はひそかにほくそえむ。病気なんかじゃあないんだ。お母さんは今とっても幸せなんだ。――本当に、たった一人の女房さえ持て余す世の腑抜け亭主どもと自分は何と違っていることだろう。五指に余る愛人を抱えながら、なおかつ同時にこれ程満ち足りた女房の顔を見ることができる。そんな自分の中に私は確かに何か不思議な精気がみなぎっているのを感じていた。
 私は頭の中に今度は自分自身の裸体をイメージしてみる。両の肩に、腕に、足に――私の胴から突き出たあらゆる太い枝に無数の女子供がまつわりついている。愛人たち。女房。子供。あらゆる係累。私は彼らすべてを四肢であやしながら幸福という名のパンを投げ与える偉大なる家父長だった。私は男としてこれ以上ない自信を感じていた……。

 もちろん私とてもうとっくに気がついている。すべてはここでもまた、やはり私の病の紡がせた度し難い奇想であるにすぎない。躁の気分のあのあやしい高ぶりに煽られたとき、患者の心は必ずきまってこんなとめどない観念の奔逸を経験するものなのだ。
 だがしかし少なくともあのとき、その私の心の中ではすべてはそのように感じられていた――そうだった。私は確かにあのとき「超人」ということを思っていたのだ。それは人類が長く夢見て果たさなかったあの変身。ヒトが生身のままヒトの限界を超えるという、そんな奇跡を今しも自分が経験している――そんなふうに感じるのは本当にただ私の妄想にすぎないのだろうか……? 
 「オーバーチヤージ」という忌わしい言葉もまた私の頭をよぎらなかったわけではない。だがそれは膨らみすぎた風船の末路を説くあまりにも月並みな喩えだった。過度の健康を不健康と呼ぶようなそんな逆説はつまるところは凡夫たちの妬みであるにすぎない、とあのときの私は笑って意に介さなかった。
 本当に、私に宿った神懸かりの力は次々とその霊異を働いた。職場から家庭へ。同僚から女たちへ。不思議の杖が触れる先々で、あらゆる困難がたちどころに平らげられていくようにさえ思えた。
 だとしたらもちろん夫婦の和合の次は今度は子供たちの番だった。
 確かにこの頃は丸山家のあの姉弟も揃いも揃って頼れる父親に心服していた。
 例えば反抗期の猛も今度の受験の一件があって以来父親を見る目をすっかり変えていた。――すなわち直前の追い込みで付きっきりで勉強の面倒を見た私は当然いくつか大きな山を掛けた。だがしかしそれも何という奇跡だろう。そのすべてがことごとくものの見事に的中して、その結果記念受験のはずだったK高校に合格した猛はもう父親に頭の上がろうはずはなかったのだ……。
 美しい姉の玲子もことのほかこの合格を喜んだ。つまりはあの年頃の女の子にとって自分自身の美貌が第一なら、その次に来る第二の誇りは間違えなく出来の良い弟を持つことだった。そしてついでに言うならできるだけ恰好のよい父親を持つこともまた自慢の種に数えられるだろう。だとしたら彼女はまさにこの瞬間、そんな娘としての勲章のすべてを三つながらに手にしたことになるのだ。
 そのうえ幸せの波紋は家族の中だけにとどまらなかった。例えばわが長兄の聡もさっそく甥っ子の合格祝いに駆け付けてくれる。従兄弟たちの誰もが果たせなかったK高校合格の快挙は、そんないわば一族の功と思しきものなのだ……。
 確かにそんなふうに、息子のこの合格で私の夢見心地の成功物語は頂点を迎えようとしていた。魔法の及ぶところあらゆる周囲の人間の顔が薔薇色に輝いていた。猛本人が。玲子が。冴子が。私と冴子の両方の親族が。熱心だった猛の担任が。親友たちが。そして――

 あらゆる人間たちの顔が――いやもちろんあらゆる挿話には必ず後日譚がある。ここでもまたばら色に輝いていたのは正確には全員ではなく一人を除いてすべて、と言い直さなければならない。
 そうだった。収まらないのはお隣の山田さんであった。
 それはただ隣家の僥倖が妬ましいというばかりではない。あろうことか秀才の誉れ高い彼女の息子の亮が、あらゆる模擬試験が太鼓判を押していたにもかかわらず同じK高校に落ちたのだった。――発表の夜狂喜乱舞する我が家とは対照的に、悔し泣きをする奥さんの声が漏れ聞こえてきた。その取り乱す有様ときたら、ひょっとしたら彼女がこのまま狂死してしまうのではと不安に思わせた……。 そしてまさしくこの番狂わせのために彼女は我が家を恨んでいた。そうなのだ。こうしてプラスの奇蹟とマイナスの奇蹟が同時に起こった時、その間には確かに見かけの因果関係が成立してしまう。だとしたらこれもまたやはり猛が受かったせいで亮が落ちたのにちがいない。――否。もちろんそれはただの逆恨みにすぎなかったが、実際それ以来あれだけ親しかった両家の行き来がばったりと途絶えた。
 のみならず道ですれちがっても幸福そうな冴子の顔を正視できないというかのように、山田さんは必ず顔をそらしてしまう。それはそうだろう。冴子の充足しきった表情たるやけっして単に息子の合格だけが原因ではない。そうして母としての幸福に恵まれる以前にあの女としての満足も十二分に手に入れて、今やまばゆいばかりに輝いていたのだから……。

     *

 そして。――
 本当に、何か宗教的な力が私の中に宿り、やることなすことがすべてうまく運ぶ。投げられた賽はいつも四半分だけ余計に回転して私の望んだ目を出した。――
 もちろん今思えば、そんな奇怪な事態がいつまでも続こうはずもなかった。
 あるはずのない偶然にさらあるはずのない偶然が重なる。膨らみすぎた風船のような幸福のオーバーチヤージ。――だとしたらやはりそこでは何かが狂っていたのだ。それはあくまでも私の頭の変調だったのか、あるいはひょっとしたら世界を統べる秩序自体に何らかの故障が生じていたのか。いずれにしてもそれが例外であり病である以上すべてはいつかは正常に復さねばならなかっただろう。
 確かにこんな奇跡のような僥倖はけっして常態ではありえない。だがあのころの私は覚えたばかりのゲームの勝利にすっかり現を抜かして少しもそんな理に気付かなかった。本当に、有頂天の私はまるでこんな怪談じみた成功譚が永遠に続くかのように錯覚していたのだ。

 そんなある日私はふとさらにもう一つ嬉しい発見をする。
 その日私は午後の会社のデスクに向かいながら、それにもかかわらず心もそらに色事のことを思い巡らしていた。今夜の残業の話に確かに冴子は顔を曇らせていた。だとしたら仕事にかこつけた火遊びのことを冴子はもうとっくに感づいているにちがいない。――だがそのとき突然、私はある一つの重大な事実に初めて気付くのだった。確かに今しもそうひとりごちた自分の科白の中で、つまりは自分の意識の中で顔を曇らせていたのは「冴子」だった。それは「おっちょこちょいなあの女」ではない。もはやけっしてそんなふうには知覚されてはいないのだった! 
 それは確かに驚くべき発見だった。見知らぬ町で見知らぬ女の亭主を演じていたはずの私。それが今は「私」の町で間違えなく「私」に他ならない丸山孝雄の生を生きていた。だとしたらそれはいつからのことだったろう――私は思い出せない。それはおそらくいつからということもない、本当に微量ずつの日々の変化だった。いわば見過ごしていた小さな変化が積もり積もって、世界がひっくり返ってしまったころになってようやく夜が昼になったことに気付いたのだ。――
 確かに改めて見渡せば思い当たる節はいくらもあった。玲子。猛。佐藤……。私の周囲のあらゆる人物が今では正しい名前を担っていた。そのうえ彼らの織りなす複雑な人間関係の網の目の一本一本までもが今では的確に把握されている。
 それはただ周囲についてばかりではない。私自身につきまとっていたあのおぼつかなさの感覚もまた消え果てていた。私の存在の壁の内側を今では揺るぎない一個の自我がしっかりと束ねている。そこにはまた私の歴史が復し、私は過去から未来へ確実な時の流れを意識しながら日々を生きた。朝に目覚めて自分の居場所を訝かることはもうない……。
 要するに、要するに私の病は完癒したのだ! 
 確かにあの初めての出社の日、書類の山に顔を埋めながら私は覚悟していた。感覚の惑乱は理性がたしなめる、そんな補正の作業を無限に積み重ねることで誰にも知られずに病を治療しよう。――だがしかしそれから始まった新しい人生のゲームに夢中になって興じるうちに、私はいつしかそんな自分の決意を忘れた。そして皮肉なことにまさにそうしてすべてを忘れていた期間に、おそらくはまさにその無心さのゆえに治療は成就したのだ。
 本当に今ではすべての症状がごくごく自然のうちに消滅していた。自分自身の正体を否み続けるたわけた囁き。理性と感覚のぶざまな角突き合い。いわば右目が左目にそむいてあやかしの二重の像を結ぶような、そんな困惑ももう過去のものとだった。なるほど視差自体はなお残存したが、それを統合し修正する正常な機能が戻ったというかのように。
 私は四十数年来丸山孝雄自身であった。そしてまた丸山孝雄とは四十数年来私自身のことであったのだ。ある時どうしようもなく酔い潰れた日があってとんでもない誤謬が起こったこと――かつての私が語り慣れたそんな転生の奇譚もまた、少年の日の悪夢のようにいつしか記憶の奥深くに埋もれて褪せていった。そのようにして私は、たとえ一時でもそんな珍妙な夢を見た自分を笑った。
 私は病気に打ち克った。――本当に、それもまた確かに「勝利」だった。あのころ私が酔いしれた連戦連勝の夢物語の最後を飾る挿話として、私は自分自身の宿痾さえこうしていつしか破り去ってしまったのだ。
 だとしたら確かにもはや私に恐れるものは何もない。私の授かる魔法の力を前にしてなべてはかくも容易にひれ伏してしまう。――
 そんないわばわが世の春の到来にここでもまたすっかり有頂天になった私は、何だか急に自分が豪傑にでもなったように錯覚して、一応周りに誰もいないのを確認したうえでいつまでも呵々と笑い続けた……。

 それは本当に、大得意の一人芝居。だがそのとき舞台の袖のカーテンの陰で目引き袖引きしながら皮肉な笑いを浮かべているのは一体誰だろう。――舞台の裏を知り尽くす彼らはそうして意地悪く役者の増上慢を嘲笑う。それはまるで何も知らずに演じ続ける悲しいピエロをただ玩具のように弄ぶことで彼らの無聊を――神々の永遠の無聊を紛らそうとするかのように……。
 舞台裏のからくりは宇宙のすべてを宰る循環の大則だった。
 公転しかつ自転する天体。潮はその干満を繰返し、世代はまた新しい世代に継がれる。相場はお馴染みのチャートを描き――そんな世事日常の一つ一つに至るまで、天が下のすべての事象を支配してしまった周期性の呪縛。それはおもちゃの蓋を開けると必ず見いだすぜんまいのようにあらゆる存在が組込まれた仕掛けだった。だとしたらすべては確かに流れ行くものの位相にすぎない。満月のように見えるものはその実その腹に三日月を孕んでいるのだ。栄華もまた零落の仮の姿にすぎない。凪でさえああして静かに息を潜めながら、じっと嵐となる日に備えているにちがいないのだ……。
 そのようにして常に立ち戻らなければならない私たち。――だとしたらそこには進歩も成功も超越も不可能だった。そのように思いなされるものがあったとしたらそれはただ波の起伏に欺かれた一時の錯覚であるにすぎない。
 そこでもまた私たちを阻むものはやはり彼らの禁忌だった。高みに焦がれた人間たちの僣窃をいましめておそらくは彼らが――神々が噛ませた轡……。
 そうだった。あの有為転変の理の前では終の勝利も救済も不可能だった。その上ひょっとしたらそこでは病すらその変幻で私たちを惑わしているのかもしれない。例えば無病のように思えた長い期間、それはただ潜伏していたにすぎなかった。そしてとりわけある種の間歇性の病気では「快癒」でさえその実「小康」の被った仮面にすぎないという……。
そんな恐ろしい人生の真実に私は気付かなかった。少なくともそれは私の意識には上らなかった。
 そこにあったのはただ三ヶ月の怖いもの知らずの絶頂の日々。その後に訪れた破綻など嘘のように、大波に乗って宙に舞い上がったサーファーのこのうえもないハイな気分……。
 確かにそれは私の意識には上らなかった。私の意識には? そうだった。そうしておめでたい勝利の奇譚に酔いしれながら、私もまた心の奥のどこかではぼんやりとした不安を感じていなかったとは言えない。
 だとしたらそれは確かにせり上がった波濤の困惑だった。天を衝く限りない野望のために、海のその部分にだけ奔馬のような力が漲っている。そして波の企てを砕こうとする地の呪力。――そして実際、ほんの一時だけ二つの力が釣り合う瞬間があるのだ。そのとき中空に仁王立ちになった波は、行き場をなくして何だかただうろたえているようにも見える……。

     4

私に訪れた最終的な、最後的な破綻……。
 確かにすでに数週間前からそんな徴候が現れていたのだ。
 相変わらずの破竹の快進撃を続けながらそのころには私の気分にもある微妙な変化が起こり始める。
 例えばかつてゲームもまだ振り出しのころ、私の勝利はいつでもそれなりの苦労を伴ってもたらされた。丸山孝雄に成り済ますためにいわば私は双眼鏡でこの見ず知らずの男のプライバシーを窺いながら、まるで遠隔操作のような形でぎこちなく駒を進めていたのだ。
 もちろんそれは大儀なことにはちがいなかったが、逆に言うなら覗きには確かに刺激と秘密の快楽が伴っていた。ところが今やこうして何不自由なく自分がすっかり今の自分になりきってしまうと、皮肉なことに今度はあれほどスリルに満ちていた日々がまた例の陳腐な「私たちの毎日」に成り下がる。そのうえ勝利がここまで当たり前になったとき、負け知らずのゲームもまた格別の感動を与えるのを止めてしまう……。

 あるいはまたそのころ例えば日常の取るに足らない細部が、まるで拡大鏡でも用いたかのようになぜだかしきりに気になり始める。路傍の雑草や通りすがりの人の顔にまで注意を奪われて、立ち止まってしまうこともしばしばだった。
 それはもちろん、ひょっとしたら嬉しい変化なのかもわからない。無我夢中で他人を演じていた私の心も病が癒えてようやくそんなゆとりが生まれたのだ? だが同時にゆとりであると思えたものはまた心の隙とも取れる……。
 そうだった。朝の通勤ラッシュ。すっかり蒸気で曇った窓硝子。そんなとき突然窓の向こうが気に掛かりだす。誘惑に抗しかねて私は指先で硝子を拭って小さな覗き窓を作る。冬の曇天。冬の梢。冬の葱畑。そして雲間を縫ってわずかに差し込む冷たい金の朝日。――見るうちに私の脳裏をふと小さな疑念がよぎる。だがそれは一体何に対する、どんな疑念なのか? 少しも正体のわからぬままにともかくとてつもなく危険なものを感じた私は、邪念を振り払うように再び手にした新聞に目を落とす……。

 そのうえそれはただ私の心の中だけの変化にはとどまらなかった。
 そのころにはあの私の破竹の快進撃そのものにも次第次第に翳りが見え始めたのだ。
 もちろんそれは少しも驚くには当たらない。そもそもがあんな奇跡のような連勝が永遠に続くわけはない。ここでもまたすべからく周期と循環の大則を前にして、峠を越えた者がやがて衰運を辿るのは理だった。
 そうだった。確かにそれが循環であれば何も問題はなかった。だとしたらそうしていったん頂から転げ落ちた私もやがて巡り巡って、いつかまた再び勝ちに回る日が来るにちがいないから。
 だがしかしそんなふうに呟きながら、同時にまた私にはなぜだがぼんやりとした不安がつきまとって離れない。
 ひょっとしたら――ひょっとしたらそれは循環でも周期でもないかもしれない。いったん歯車が狂い出すとすべてが悪い方に悪い方に巡り、とめどなく落ちていく。それは昔数学で習った上に凸のグラフのように成功に天井はあっても転落には際限がない……。

     *

そうだった。私に訪れた最終的な、最後的な破綻。その徴候は確かにそうしてすでに数週間前から現れていたのだ。
 もちろんそこには特別新しい災難が降って湧いたわけではない。それまでのいつとも同じような筋書きが同じような展開を続けながら、ただきっと小さな糸のよじれが次第に大きくなるようなことが起こったのだ。
 あれほどまでに私を舞い上がらせた奇跡の成功譚が今度は逆にすべてが裏目裏目に出た。そして気が付けばいつしかそっくりそのまま私の零落の物語に変わっていた……。

例えばA社の仕事に関してもそれはそうだった。
 もちろんそこでは相変わらず編集長の佐藤との二人三脚によって雑誌の売れ行きは徐々に持ち直していた。その限りでは私の成功はまだ続いていたとも言える。
 だがそのころには私もまた、すべての職場が必ずそれぞれに抱え込むあの厄介な内輪の事情というものを痛いほどを思い知らされることになる。
 そうだった。驚いたことに私のそんな水際だった仕事ぶりを評価しているのは、何とA社の中に佐藤ただ一人しかないのだった。そしておそらくその逆に佐藤の力量を買っているのもまた私一人だけなのらしい。二人三脚と思えたものもその実孤立無援のはぐれ者同志が手を結んだ、やむにやまれぬ共闘にすぎなかったというのだ。
 私たちはまず現場の記者たちから総すかんをくっていた。だがそれは一体何故だったろう? 
 もちろん原因の第一は「私たちの才能」だった。もしこんな言い方が自惚れに聞こえるとしたら、それを「彼らの無能」と言い換えても不都合はない。
 そうだった。無能な人間どもが保身のためにいかに努めいかに謀るか――それはもうご承知の通りだ。とりあえず緊要なのはそうでないと思しき者たちを極力排斥することだ。その結果周りを似たような木偶の坊で固めてしまえば改めて彼らの無能に気が付く者はないだろうから……。
 確かに彼らもまたそんなふうに私たちの才能を恐れ、それを葬るためにことあるごとに理不尽な攻撃を仕掛けてくる。
 もちろんここでも彼らの錦の御旗はあの「現場主義」のお題目だった。
 彼らの言によれば、デスクでお茶を啜りながらでっち上げた編集員の作文のごときはジャーナリズムの本然とは違う。そこからはグランドの埃にまみれて取材する記者の汗の臭いがみじんたりとも感じ取れない。
 とりわけ私の巻頭記事の場合のような空疎な文士気取りでは、いかに大向こうに当たりを取ったとしてもかえって軽蔑にしか値しないのだ。――

 彼らはけっして強がりではなく本気でそう思いこんでいた。
 だとしたら確かにもはや付ける薬はない。彼らはそんな大義名分をよりどころに陰に陽に私たちを責め立ててくる。――
もちろんそんな同僚たちの悪意も初めは痛くもかゆくもなかった。私の超人妄想はここでもすべてを豪快に笑い飛ばしてしまう。 確かに有象無象の言うことにいちいち取り合うことはない。誰がどう指弾しようとも、私たちの成功は客観的な数字の裏付けを伴っていた。毎週着々と伸びる売り上げの数字をもし見る人さえ見ていてくれれば、もとよりそれで十分であるにちがいない。――
 見る人さえ見ていてくれれば――だが私もまたやがて事態の本当の深刻さを思い知らされることになる。すなわち少なくともこの職場においては「見る人」はけっして見てはいないのだった。
 もちろんそれは三誌の総元締めであるあの澤山のことだった。本当に驚いたことに何とこのA社のオーナーは、職場にとぐろを巻いたあの貧乏記者たちと完全に意見を同じくしていた。いやつまりは私たちの能力をまったく評価していなかったのである。
 このワンマン社長の前では確かに私たちのデータなど米粒ほどの価値もない。なるほど売り上げは伸びてはいるようだが数字はどのようにも解釈できる。澤山によればそれは私の記事のお陰による現象とは判断されなかった。それどころか逆に、すべては私の記事にもかかわらず起きた変動だという。
 そうだった。澤山は「ジャイアンツの連勝は当誌の売り上げを伸ばす」という大時代の法則をいまだに奉じていた。今はちょうどそのジャイアンツの連勝の時期に当たるがゆえに商売の好調は当然だった。もし私の駄文が足を引っ張らなければB社の売り上げに追い付くこともまた十分に可能なのだ。――
 確かに澤山はそんなふうに断じていた。そしてもちろんこのA社という王国のその領土の内側では、「客観的な判断」はすべてこんなオーナー社長の主観から生み出されるのだった。それよりほかのどこにも、いかなる真理も存在しうるものではないのだ……。
 確かにそれでは泣くに泣けなかった。――だが恐ろしいことにそれから事態はさらに急速に悪化していった。
 当初は佐藤の顔を立てて黙過していた澤山もやがて次第に痺れを切らして露骨な圧力を掛けてくる。お涙頂戴の巻頭記事はきっぱりと取りやめにすること。もっと取材に忠実な従前のスタイルに立ち返って、ただちにB社を追撃せよとの命が下ったのだ。
 そうなると哀れなのは間に挟まった佐藤であった。部下の私に彼は頭すら下げるのだ。頼むから澤山社長の意向を汲んでほしいこと。記事の体裁は前任者のものに合わせてもらいたい。すなわち彼自身があれほど嫌っていた「現場主義」のものに戻してくれ、と……。

 だが頑なな私は筆を曲げるよりは仕事を降りることを選んでしまう。その任ではない、というような決まり文句とともにお役御免を願い出た。
 もちろんそうして巻頭記事を降りることは実質上の格下げを意味していたが、そこには必ずしも短気とは違う私なりの計算もあったのだ。それはそうだろう。誰が後を継ごうともその才能は知れているから必ず自分の場合より売り上げが落ちる。その時こそ本当に、数字がすべてを証してくれるだろう。――いわばこれだけ憂欝な事態に直面しながらも私はまだ心のどこかで自分のツキを信じていて、着々と巻き返しを策していたのだ。
 後釜には案の定山野が任ぜられた。澤山のお気に入りの、妾のようにへつらう男だ……。

     *

 私に訪れた最終的な、最後的な破綻。
 確かにすでに数週間前からこんなふうな徴候が現れていたのだ。
 それはあの連戦連勝の三か月の後に、まるで魔法が切れたように突然訪れた憂鬱の日々。――

 もちろんそんないざこざはどんな会社にも日常に見受けられる風景だった。とりわけ今や三流に成り下がった吹き溜まりのような会社には必ずつきものの抗争劇だ。だとしたらその一部始終を改めて述べるのは冗漫に過ぎるかもわからない。
 だが私の場合事はそれだけに止まらなかった。拗れたのはただそんな出世物語の筋書きだけではない。その実私のすべての成功譚に狂いが生じていたのだ。――かつてあの有頂天の日々、サラリーマンとしての勝利を呼び水にしてすべての勝利が立て続けに私を見舞った。だが今しもまさにネガの反転が行われ、それとちょうど同じことがちょうど逆の形で起ころうとしていた。すなわちたった一つの会社勤めの蹉跌が引き金となって、ことごとく万事についての私の幸運のカードが一斉に裏返ってしまったのだ! 
 例えばそれは男としての憂欝。どうやら私に女を口説く才はあってもその数を御していく手腕までは備わっていなかった。お手玉を楽しめたのは初めの数ヶ月だけで、版図を広げた帝国はたちまちその大きさを持て余してしまう……。
 もちろん女の角突きあいは職場の中だけにはとどまらない。情事の躓きがやがては家庭の中にも飛び火して、そこに生じたあのお馴染みの夫としての憂欝……。
 そしてまた親としての憂欝。空前のまぐれでK高校に合格した猛は当然勉強に付いて行けない。かつての良き軍師ももう高校の数学はお手上げだった。お決まりのパターンで学校をサボり出した猛は盛り場で三度まで補導された。時を同じくするように、美しい玲子が凄艶なまでの色気を放ち始める。頻繁に帰宅が遅くなる。理由はもちろんクラブだったが、私にもまたそんな娘の嘘を嗅ぎ付けることができた……。 
 そしてまたあるいは……。
 そんなふうにいったん歯車が狂い出すとすべてが悪い方に悪い方に巡り、気が付いたら私は回り中を無数の憂欝に囲まれていた。
 そればかりではない。そうしてあたりをすっかり埋め尽くした後も、それらはなおアメーバのように忌まわしい分裂を繰り返しながら無限にその密度を増していくように感じられた。
 真綿で首を締めるような苦しみがたえず襲いかかる。だとしたらこの先、自分を待ち受けているものは一体何なのか? 
 自分を待ち受けているものは何なのか――だが有り難いことに、どうやら悪魔は神よりも慈悲深かった。それは何一つ生殺しになどしはしない。いつでもすべてを楽にしてくれるとどめの一発を用意してくれているのだ。

 事の経緯は次のようなものだった。
 先述の通り澤山の横車に泣かされながら、私はけっしてただ腕をこまねいてはいなかった。どんづまりの袋小路を脱するための起死回生の一打を密かに狙っていたはずだった。
 誰が後を継ごうともその才能は知れているから必ず自分の場合より売り上げが落ちる。そのときこそ本当に、数字がすべてを証してくれるだろう。――いわば私はそうしてじっと機を窺っていたのだ。 はたせるかな実際後任の山野は初めから愚にもつかない記事を書き続け、雑誌の部数もまた見る見る落ち込んでいく。不謹慎ながら私は心に快哉を叫んだ。
 だがしかし希望の曙光と思えたものはその実どうやら悪魔の悪戯にすぎないようだった。
 待ち望んだはずのまさにその事態がここでもまた完全に裏目に出る。
 そうだった。山野が叩き出した悲惨な実績は当然澤山の目に触れた。だがしかしそこで激怒した澤山はまたしてもあの世にも恐ろしい客観的な評価を下してしまっのだ。
 売り上げの数字を見比べたこのオーナー社長は、けっして私の目論見通りに前任者の力量を見直してはくれなかった。その代わりにただ私をすら下回った山野の実績を言語道断と断じたのだった。
 逆鱗に触れた山野は時を置かずに詰め腹を切らされる。だがとばっちりはたちまち周囲の私たちにも及んだ。今や一種の激越状態となった暴君は腐りきってしまった私たちの部門に大鉈を振るうと宣言したのだ。
 まず三名の退職者が出る。編集長の佐藤はかわいそうに平に格下げとなった。そして平生快く思わぬ私にも配転の命が下った。「得意の空想力をもっと活かすことのできる職場で。」もちろんそれが表向きの理由だった。だがその澤山がある所で「あいつの文士気取りがけちの付き初めだ」と語ったのを確かに私は人伝てに聞いていた……。

 ――私が転任したのはA社のボクシング部門。三誌のうちでも格段に部数の見劣るマイナーな雑誌だ。
 もちろん私とて初めは前向きに受け止めようとつとめたのだ。畑違いの職場はなるほど最初は辛いだろうがそれはまた新天地であるとも取れる。これが私の運勢のあの周期の谷であるならば、そうして再び盛り返す日を根気よく待つことだ。――
 だがそれは確かにもはや周期ですら、谷底ですらなかった。昔数学で習った上に凸のグラフのようにそこでは成功に天井はあっても転落には際限がない……。
 実際その新天地とやらに出向いてみれば、何のことはないそこは落ち目のサラリーマンが行き着く最後の墓場だった。
 新入りを迎える眼のいずれも死んだように澱んだ表情。
 廃刊の噂の絶えない雑誌の仕事などもとより身が入るはずもない。ただ御用済みの窓際族ばかりが一日中煙草を吹かしながら時を過ごす。――
 もちろん閑職には閑職らしい処遇が用意され、一家の大黒柱が新卒社員と変わらない薄っぺらな給料袋をあてがわれる。
 つまりは今回の転任は実質的な左遷であり、減俸であり、要するに体のよい肩叩きだったのだ……。

     *

 確かにもうすでに数週間前からこんな徴候が現れていた。
 容赦のない災厄が立て続けに私を見舞う。我が世の春の極楽とんぼが初めはゆっくりと、やがて急坂を転げるようにとめどなく落ちていく……。
 そしてそんなある日。すべての呪わしい前触れのその後でついに私に訪れた最終的な、最後的な破綻。瞬時にして人間の根幹そのものを蝕んでしまうあの恐ろしい病気のこと。
 そのことについて私は後に医者に語った通りのことを語ろうと思う。
 いつものような駅からの帰り道。ただその日はいつにない早仕舞で私は夕焼けを――まるで朝焼けのような夕焼けを見ながら歩いていた。
 そのとき突然、ちょうど最初の曲がり角に差し掛かった辺りで私は何かに襲われたのだ。

 その正体が一体何なのかあのときの私には皆目見当がつかなかった。ただ確かに何かに襲われたことを示す衝撃と激変の感覚を私は認めたのだ。
事態を呑み込めぬまま私はまるで凍り付いたかのようにその場に立ち尽くした。
 だがしかしすべてはもちろん私に取り憑いた悪魔の仕業だった。そうだった。あのとき私を襲ったもの――それこそがあの私の心の病の発作なのだった。
 本当に、まるで心臓病や卒中の場合のように精神の疾患にまでそんな劇発性があろうとは誰が予測しえたろう。しかし確かにそれはそうだっのだ。心の病の唐突な発作。その症状の暴発。――それかあらぬか時を置かずして憂欝とも悲哀ともつかぬ感情が私の心の中を嵐のように吹き荒れ始める。両の目から止めどなく涙が流れ出し、私の四肢は小刻みに震え続けた……。
 そのとき私を苦しめたものはやはりあのサラリーマンとしての憂欝? 夫としての憂欝? 親としての憂欝? ――否。それはけっしてそんな分析が可能であるような細部的な感情ではなかった。もっとはるかに茫漠とした広大無辺のもの。いわば宇宙そのものが患った憂欝なのだ。
 私は適切な比喩を見出だせない。それはたとえばうららかな春の日に突然空のくらむ日食のように、世界をあまねく蝕む理不尽の病……。
 もちろんひょっとしたらそれは本当は少しも唐突ではない。その実事態ははるかに以前から少しずつ進行していたのだ。あの冬の朝の生まれ変わりの幻覚がそもそもの病の初めなら、後に続いた有頂天の三か月の顛末にも誰もが十二分に異常の臭いを嗅ぎ付けることができたろう。そのうえこの数週間次々と私を絡めた憂欝の罠――もしも一歩退いて舞台の袖から眺めれば、なるほどそれらのすべてが前兆であったのにまちがえない。だがしかし舞台の上で悲しい喜劇を演ずるピエロはけっしてそれに気付かない。すべてが確かにあまりにも突然だったのだ……。
 やがて私は辺りもはばからず嗚咽の声を漏らし始める。不精髭を伝わる涙がぼたぼたとしたたり落ちる。――道行く人はそんな私の異形を怪訝そうに一瞥すると、見てはいけないものを見てしまったというふうにきまって目をそらして通り過ぎた。

 そんなふうに私はまるで母を呼ぶ迷子のように同じ所に立ち尽くしたまま三十分も泣き続けただろう。
 もちろんそうしてひとしきり泣くと涙は物理的に涸れてしまう。ただその後に不思議な事が起こった。そうして涙が涸れるのと同時にあれほど激しかった私の心の動転が、何と嘘のように静まっていったのだ。
 そのときになって私は初めて知らされる。先刻までの狂乱はもちろん私の病の一部だったが、それはどちらかと言えば前奏のような症状だった。本当の病のそのものに私たちが向き合うのはいつでもそれが過ぎ去った後なのだ……。
 そうだった。涙が涸れたその後に私の心を領したもの。それは驚くことにそれまでの惑乱とは全く逆の――まるでその反動のような恐ろしい無感情だった。 
 そしてきっとこれこそが私の心を蝕む病の本質なのだ。それは騒がしい愁嘆とは違ういわば無感情という感情。悲哀と憂愁の絵の具を極限にまで薄めて描いた、従って水墨画のように見える一枚の風景画。それこそが本当の「鬱」なのだった。
 確かに感情の起伏を伴うような憂欝は「鬱」とは違う。それは健康な心の痛みだ。悲しみにはうるおいがあり憤怒にすら燃え立つような力が漲っている。――病んだ心の鬱はもっとずっと索漠とした荒れ野だった。ただ「感じる」事のどうしようもない物憂さ。いわばそれは痛みの感覚すら失くしてしまう心の死だった。否。たとえ死ではないとしてもそのとき私の心は確かに眠っている。まるであの数万本の枯れ木が刺さった冬の山のように眠っているのだ……。

 心を失くしたまま、ただ不思議な帰巣本能に操られて私はようよう家に辿り着く。私を迎えた妻の驚愕――本当に、一体自分は何に驚いているのか、それがわからないことがいっそう彼女を驚かせていたのだ。確かに目の前にいるこの男は朝家を出た時と寸分違わぬ格好をした夫自身だった。もし鑑別を機械に委ねたとしたらコンピューターは何の疑いもなく丸山孝雄と認知しただろう。だが彼女は人間だけが持ちうる直観で感じ取っていたにちがいない。この精緻に刻まれた臘人形の向こうにはなぜだか灯っているべき魂がない……。
 「疲れた。眠る。」と抑揚のない声でつぶやいたきり私は寝室に下がってしまう。
 そんな異変を前にしながらきっと妻は自分自身に必死に言い聞かせていた。おそらく夫は男にしかわからない外の世界で破れ破れの状態になって戻ってきたのだ。だとしたら今はただこうして幾許かの休息を必要としているだけだ。本当に、ただそれだけのことなのだ。――  
 だが翌朝になっても夫は起きてこない。目を覚ましているのはわかっているのだが起き上がってこようとしないのだ。「会社は休む。連絡しとけ。」「大丈夫、寝れば治る。」気遣う妻に二度口をきいたきりで布団を被ってしまう。
 もちろん妻は待ち続けた。「寝れば治る」の言葉を信じてあともう一日、少なくとも明日になればまた元気になって会社に出てくれることを期待しながら。
 だがしかしまたその明日になっても夫は起きてこない。もう丸二日相変わらず寝室にずっとこもったまま、枕元に運んだ食事にもろくに手を付けようとはしない。――見る見るやつれていく夫を見ながら、彼女もさすがにそれが単なる体の不調でないことを悟った。これは間違いなく重大な心の病だ。だとしたら? 
だとしたら――確かにそのとき彼女の心に浮かんだものは、ちょうど三ヶ月前のかつての私と変わらなかった。それは要するにあの暗く湿った座敷牢。鉄格子の嵌まった病室。子孫たちの受難。そんな昔語りの神話にすぎないはずものがここでもまたいとも容易に家族の判断を誤らせてしまう。
 そうだった。もしそうだとしたら世間にそれを知られることはずいぶんと危険だった。そればかりではない。そもそも心だけの病なら医者も薬も要りはしない。ただ身内の努力だけで治療してしまうことも可能なのにちがいない……。
そんなふうに思いこんだ妻はきっぱりと意を決した。事態はこのまま最後まで隠しおおせよう。医者にも誰にも知られぬうちに夫婦二人の間だけで処理しよう。――連日の会社からの問い合わせに苦慮しながら、健気にもそのためなら妻としてのすべてを注ぎ込んで夫を励まし、看護しようと心に誓った……。

 その間の私の症状。
 始終頭が重たい。まるで食欲がなく物を食べないせいもあって全身にずっしりと痺れたような気怠さがある。
 もちろんその他にも数え立てればきりがない。要するにあの精神医学の教科書に記されたあらゆる症状が私の体に起こったのだ。
 そして私の心にも。
 例えばこのころの私には自分という存在がもはや耐え難いほど卑小なものに感じられている。それはただ無意味というだけではない、恥ずべき汚点のような何かだった。だとしたらその逆にもしこんな自分さえいなくなれば。――
 この結論から当然私は自殺を考えた。だが今の自分には手首を切る包丁を持ち上げるだけの体力も残っていない。確かに死ぬことは生きることと同じくらい大儀だった……。
 そんなとき私はふと故郷の裏山の松の木を思い出す。裏山の西側の切り立った崖から身を乗り出すように枝を伸ばした一本の巨大な松。その魁偉な姿を見上げながら私は子供心にこう思ったものだ。遠い神話の時代の巨人が何らかの神罰によってあんな異形の松に姿を変えているのだ。――
 剥げかけたかさぶたのように捲れ上がった樹皮。身悶えするように奇妙に捩れた幹。苦悶は数多に伸びた指の先にまで漲り、それらの一本一本を世にもおぞましい形に歪めている。そしてさらにまたその指の先には、あの緑色をした痛い痛い針が無数に刺さっているのだ……。
 それはきっと犯してしまった罪のために醜怪な形の中に封じられた異類の者。もちろんそんな呪わしい身の上を誰もこれ以上望みはしない。だが腕をもがれたお前にはもはやわれとわが命を断つ術すらないのだ。ただお前は西の空を仰ぎながら祈願を凝らす。いつかあの空から稲妻の一閃が落ちてその長の命に終りをもたらさんことを……。

 そして――。
 程なく妻も事態の本質に気付く。それまでの自分の思いこみの浅はかさを否が応でも思い知らされることになるのだ。
 疲れた心の病なら休息が再び健康を取り戻してくれる――確かにそれが初めの妻の理解だった。だがそんな自分の楽観こそがかえって夫の治癒を遅らせているのにちがいない。
 それはそうだろう。快方に向かうどころか症状は見る見る悪化していった。
 食事をまったく取らなくなった私はやがて言葉を掛けても、肩を揺すっても何の反応も示さなくなる。ただ仰向けに床に臥したきり虚ろな眼で天井を見つめているだけなのだ。
 それはほとんど昏迷というに近い状態だった。思い余った妻はここに至ってようやく意を決して兄に相談を持ち掛けた。
 さすがに兄は即座に決断した。三十分も経たぬうちに駆け付けた兄は丸太のように眠る私を妻と二人で――兄が肩を持ち妻が足を持って自分の車に乗せた。
 もちろんそれは私を病院に運ぶためにちがいなかった。そうして忌まわしい病院に入ることで今しも夫と自分とかわいそうな子供たちが社会的に葬られようとしている。――ここでもてっきりそんなふうに思いこんだ妻はただおろおろと泣き続けた。
 兄は妻の俊巡をたしなめて車を走らせる。
 もちろん妻の嘆きと兄の叱咤とどちらに理があるのかは明らかだった。だが確かにそのときだけは兄の黒いセドリックが、何か私を斎場に運ぶ霊柩車のように見えた……。

     5

 病院は霊園に隣接した松林の中にあった。
 霊園は何万基とも知れない墓を収容した都内でも最大級の施設だった。だとしたら葬られることを恐れる者にとってそれだけでも十分な悪意が感じられた。――そのうえ一体何故植樹は松でなければならなかったのだろう? 松の木の一本一本の奇怪な風姿が、またしても哀れな患者たちの心をあの忌まわしいアニミズムで満たしてしまいはしないだろうか? 
 だがしかしすべては杞憂だった。そこでは彼らはけっして永遠に葬られはしない。たとえそれが死であったとしてもそれはあくまで一時だけの、いわば蘇生と復活の約束された死であった。
 確かに再生のためには誰もがいったん死ぬ必要がある。埋葬のように思えたものもきっとただそのためだけの過程であり、儀式であるにすぎない。――そうだった。暗く湿った座敷牢。鉄格子の嵌まった病室。子孫たちの受難。そんなものは実際にどこにもありはしない遠い昔語りの記憶にすぎない。目を開いてみれば確かに今ここにあるのは、晴朗な初夏の陽射しに輝く生命に満ちた松の青葉だけなのだ……。
 実際現代の医学の発達はこの分野においても目を見張るものがあった。
 昔年の狂騒院の悲劇などそこには陰も形もない。現在の私たちの施設では本当の重度の障害を除けば大半の精神病が風邪を治すような簡単な治療で快癒していくのだ。内科医が聴診器を用いるような単純な問診と検査。薬剤の投与。いくつかの物理療法。それだけでものの数週間、あるいはものの数日もすれば患者はすっかり心の健康を取り戻すのだった。
 私の場合もまたそのようにして時をおかずして「反応性鬱病」という診断が下された。それは確かに最も納得のいく病名であったにちがいない。それは当面のおぞましい症状を説明しただけではない。こうして欝の虜になる前の三か月、あの頃の異様な精神の昂揚もまたその前段階の燥状態と理解できるのだ。もっとも精神科の場合症状の特定はやさしくなく、私のものも「非定型精神病との混合状態」であるというややこしい解説が冠されてはいたが。
 だがしかし病名はどうでもかまわない。どんな診断と分類がなされようともここではその瞬間から世にも簡便な処方があてがわれるのだ。坑鬱剤の投与。隔日施される電気衝撃療法。本当にただそれだけだった。一週間の入院の間たったそれだけの治療で私の病気は寛解状態を迎えた――いやつまり私は再び平常心を取り戻したのだ。

 たったそれだけで――だがもちろんけっして忘れてはならない。そんなただそれだけのあっけない治療の背後には、いつでもまたきまって一人の優秀な医師の存在が必要だった。
 それはただ医術に長けているというだけではない。目には見えない患者の心の有様を見透かし、それを取り巻くにちがいない環境にまでも思い及ぶというような。――
 そしてこの点についてもまた私は恵まれていた。私の担当のS医師はまだ四十半ばという若さに似合わぬ豊富な経験の持ち主だった。その穏やかな風貌と落ち着いた語り口。その向こうに見え隠れする人柄の誠実。そこにはもうすでに気弱な患者が父親のように頼り切れる名医の威厳さえ備わっているようにみえた。
 S医師の治療はまずは私自身よりもむしろすっかり動転してしまった妻に対してなされねばならなかった。精神病の治療は今では一昔前とは違う長足の進歩を遂げていること。なかでも私の症状はけっして深刻なものではなく、すべては幾日かの投薬と静養で必ず快癒する。そのためにはもちろん本人以上に家族の理解と協力が大切なこと。
 ただ黙ってうなずく妻に向かってそんな理が実に諄々と説かれていく。その抑制のきいた声調を聞くうちに、まるで催眠術に掛かったかのように妻の恐慌が収まっていくのが分る。
 続いてS医師は私に対しても心の支えになろうと試みた。問診は症状のことばかりにはとどまらない。私の生活の全般に立ち入ってその逐一について助言を下さるのだ。
 だとしたらそれは確かにいかに生きるべきかを教えるに等しかった。
 本当にこの人生の導師は常に簡明に、ときには指さえ折りながらなすべきこと、してはならないことを説くのだ。
 「……どうかこの五つのことだけ約束してください。そうすれば入院どころか、一と月後には通院すら必要でなくなります。私の方でもそれは必ずお約束します。」
 私は先生に諭された小学生のようにただ一回、こっくりとうなずいた。そして確かに精神科の場合にはいったんそんな信頼を打ち立てることができさえすれば、それだけで治療の半ばは終わったに等しいのだ。

 実際その後の私はS医師の前で終始良き患者であった。
 医師の言葉通りになすべきことをなし、してはならないことはすべて避けた。すると不思議なことにこれもまたその言葉通りに私の病状はみるみる回復していくのだった。
 確かにすべては驚くほどすみやかだった。
 一週間後の退院。自宅での休養と通院。それから三週間後にはもうすでに社会復帰が許される運びとなる。
 それは確かに私がそこから葬られたはずの「社会」だった。それを思うとさすがに初出勤は恐怖で足が震えないではなかった。だがしかし危惧していたようなことは何も起らなかった。会社は以前とつゆ変わらぬ暖かさで――つまりはまた言い換えれば以前とつゆ変わらぬ冷やかさで私を迎えてくれたのだった。
 それにしても本当に何というあっけない治癒だったろう。あれほどおぞましかった病臥。死に近い昏迷。家族の動転。まるでそんなことは初めから少しも起こらなかったかのように、すべてが平静に復していた。
 かつて私がもっとも危惧したこと。周期の波の底が抜けて、昔数学で習った上に凸のグラフのように際限なく落ちていく。――だがしかし確かにそのようにして始まったはずの悲劇が、ものの数週間でもうすでに一件落着を迎えてしまう。それは実際拍子抜けするほど尻切れ蜻蛉の大団円だった。だが、否。もちろん私はそんな幸運を天に感謝しなければならない。すべては確かに素晴らしき医学と、そして何よりS医師のお陰なのだ。

 それからさらに一週間後、いつもの診察室でS医師は私の手を取りながら嬉しい言葉を下さった。
 私の健康は完全に元に復しておりこれが最後の診察になること。これからも医師の忠告を守って幸せな社会生活を営んで欲しいこと。そして心からおめでとうと言いたい。――私もまた丁重に謝意を述べながらS医師の手を握り返した。そこにはどこか男同士の固い友情のようなものさえ感じながら……。

     *

 そんな祝福の場面以来、今日に至るまで私は二度と診察室の敷居をまたぐことはなかった。
 もちろんS医師に再びまみえることもない。その意味では確かに私の病気は本復していた。
 S医師の言う「社会生活」の方も相変わらずごたごた続きに悩まされながらも、少なくとも憂欝で会社を休んでしまうような事態には至らなかった。だとしたらやはり倦み疲れていた心はいつしか健かな弾性を取り戻し、葬られたものはまたやわらかな日の光の中によみがえったのだ……。
だがしかし――
 だがしかしもしそうだとしたらなぜ私はあの発病を最終的な、最後的な破綻などと呼んだのだろう? 私はここでもまたいつもながらの言葉の弾みで、ただいささかばかり行き過ぎた喩えを用いただけなのか? 
否。その実そこにはこれっぽっちの誇張もありえなかった。私がそれを最後的と呼んだのはそれが実際けっして取り戻すことのできない喪失だったからだ。
 そうだった。私がここまで駆け足で記した闘病記。突然の発作から退院に至る顛末。それは私がS医師に対して――そして妻と会社に対して語った病状の報告を忠実に再現したにすぎない。そしてそんな人間たちの関係の中で語られた物語にはいつもなにがしかの嘘と虚飾が含まれてしまうものなのだ。
 もちろんそのすべてがそっくりそのまま偽りなどではありえない。きっとそこにあるのはただ口を閉ざした些細な秘密。微妙な論理のすり替え。だがそんな小さな不実にすぎないはずのものがときには無数に積み重なって、やがて本物の姿を大きく歪めてしまう。そのようなことが確かにありうるのだ。
もちろん私はそれを誰にも打ち明けるわけにはいかない。ただこの手記の中にだけは本当のことを書き残しておきたい。
 あのあっけない快癒の顛末記の見せ掛けの芝居の向こうにあった忌まわしい真実。私に確かに起こった最終的な、最後的な破綻のことを。

 たとえばそもそものあの発病の場面からそれはそうだった。
 確かにそのときの出来事をかつて私はこんなふうに伝えていた。
 ――駅からの途次朝焼けのような夕焼けを見ながら歩いていた私は突然憂愁の発作に襲われた。私の四肢は震え、双の目からは涙がとめどなく流れ出す……。
 もちろんそんな記述自体には何の偽りもない。あのときの私には本当にそのような得体の知れない発作が訪れていたのだ。だがしかし私がそれを「突然」という言葉で呼ぶとき、そこにはやはり真実を巧みに覆い隠す微妙な語調の操作があったのにちがいない。
 そうだった。私のあの狂態が確かにどんなに予期せざる意外なものに感じられたとしても、それはけっして突然の――つまりは何の理由もない偶然の発作ではなかった。あのとき朝焼けのような夕焼けを眺めながら、その実そこにはやはりすべての引き金となった出来事が確かに起こっていたのだ。
もちろんそれが起こったのは私の心の中でだった。
 本当に、あのとき駅からの途次まるで朝焼けのような夕焼けを眺めながら――私の脳裏に突然、あの冬の朝の記憶が蘇ったのだ。

 かつてどうしようもなく酔い潰れた夜があって、ようやく乗り込んだ始発列車で寝込んでしまったこと。乗り越して降りた見知らぬ駅で私を待ち受けていた理不尽な人違い。――要するに三ヶ月前あの初めの日に朝焼けの下で見たすべての情景が眼前にくっきりと映し出されたのだ。
 もちろんそれは正確には事実の記憶ではない。すべてはただ一時、私の心の病が織りなした荒唐無稽のお伽話であるにすぎない。それから三ヶ月あの有頂天の日々を暮らすうちにいつしか忘れ果て、今では笑い話の一つになったもの。
 だがしかしそうして一度は退けたはずの不条理を、なぜだか今私は再びいとも他愛なく受け入れてしまう。――あの日あの駅に下り立つ前は。そして住宅街に向かうあの一本道を歩くまでは。いやそればかりではない、新聞を取りに来たあのおっちょこちょいな女に声を掛けられる前までは、自分はけっして丸山孝雄などという人間ではなかった。ただまさにあの時あの瞬間からすべての悪夢は始まったのだ。私はこの今の丸山孝雄という名の存在の蜘蛛の巣に否応なく絡めとられてしまった……。
 あの日駅からの途次突然私の心を捕らえたものは忘れたはずの冬の朝の物語。だとしたらここはおまえのいる場所ではない――いわばそんな悲しい悪魔の囁きに再び謀られて、きっと私はあの底なしの憂鬱のあなぐらに転げ落ちていったのだ……。

だがしかしそんな私の弁明にはここでもまたいささかばかりの韜晦が潜んでいる。
 それはそうだろう。本当は今では事態はけっして三か月前とそっくり同じではありえない。私の心を蝕む病はきっとその間にもひそかに忌まわしい進行を続けていて。私の妄想の物語もまたそうして蘇ったときさらにまた新しい不条理の章句を加えていたのだ。
それはおそらくこういうことだった。
もちろんあの三ヶ月前にもやはり私はやりきれない覚束なさに悩んでいた。ここは自分のいる場所ではない――だがしかしもしそうして今の自分がそのまま丸ごと偽りだとしたら本当の自分とは、以前の自分とは一体どのようなものだったのか? 少なくともあのときの私には見当もつかなかったのだ。
 だがしかしもしそれを思い出したとしたら? そんな空白の記憶が本当に戻ったとしたら一体どうなるのか。そればかりではない。そのうえもしそうして知らされた過去が至福と栄光に包まれた何かであったとしたら?  そんな知識はやはりすべての苦悶を救う霊薬となりうるのだろうか。
 いやおそらくそれはその逆だった。少なくともこの私の場合まばゆい過去の記憶はいつだってかえってそうではない今の身の上を際だたせてしまう。記憶の中に垣間見た光り輝くもう一人の自分――だがもしそんな自分が今では似てもに似つかないあさましい姿に身を落としているとすれば、そんな発見は少しも祝福とはなりえない。むしろそれは二度と立ち直れないほどの失意でたちまち私を打ちのめしてしまう……。

 そしてそれこそがあのとき実際に起きてしまったことなのだ。
 そうだった。あの日あの朝焼けのような夕焼けを眺めながら。私は突然そんな帷の向こうを覗き見てしまった。失したはずの記憶の中の忘れたはずの情景。幾重もの深い霧に覆われていたその向こう側がなぜだかほんの一瞬だけ覗けてしまったのだ。
 もっとも本当はそうして窺い見る私の目に特別な何かが映ったというわけではない。そこに確かにあったはずのものも夥しい光に目が眩んでその姿を定かに認めることはできなかった。見えたのはただ溢れ出る眩い光。それは燦然たる真夏の光とは違う、あの朝焼けのような夕焼けに似た柔らかな朱の色をしていた……。
 そんな光の向こうにあったいわば前世の記憶。もちろん本当は私は何一つつぶさには覚えていない。そこにいたのは一体何を名乗る、どのような人物なのか――だが、否。少なくともそれはしょぼくれた背広姿のサラリーマンとは似ても似つかない、光り輝くもう一人の自分なのだ……。
 細目は知らない。だがそれはまたきっとあのはるかな夢に焦がれる者。果てのない闘いの日々。孤高と矜持とそしてまたいささかばかりの憂愁と……。
 否。もちろんそんな饒舌は本来一切無用だった。要するにそこにいた記憶の中の私は、「栄光」という言葉が最もふさわしい誰かだった。くだくだしい能書きなど少しもいりはしない。ただ栄光! その一言で十分なのだ。
 だがしかしそれに引きかえ今の私のこの有様ときたら一体どうしたことだろう。確かにここでも多言は要さない。今の私はその逆に要するにそうではなかった。最もそうではない存在であるのにちがいない。いわば私はそうして対極から対極へと転げ落ちたのだ。
 だとしたらもちろん私は帰らねばならない。だがそれはどこへ? 今ではそんな以前の自分の住家も名前もわかりはしない。ただ私の記憶の中の霧の掛かったところにきっとあるにちがいない理想郷。そこに戻りたいという理不尽な郷愁が激しく襲いかかる……。
 おそらく私はあのまま何も知らずにいた方がよかっただろう。なまじ思い出したばっかりに、私は思わせぶりの光の記憶に死ぬほど苛まれなければならなかったのだ。死ぬほど――そうだった。だとしたらそれこそがあの死ぬほど恐ろしい私の鬱病の真の原因だった。

 光の記憶とかなうはずもない帰郷の願望。ここは自分のいる場所ではないというどうしようもない不条理の感覚のために、私はあんなおぞましい狂気の中に追い込まれていった。――確かにそれこそが私のあの恐ろしい鬱病の、誰にも打ち明けなかった真の原因だった。
 もちろん私はそれに取って代わるような何かの物語を捏造したわけではない。だがそうしてもっとも重大なはずの真実に口をつぐんでしまったとすれば、それはやはり私のついた「嘘」であるのにちがいなかった。
本当にことこの点に関しては、私はS医師に対してすら必ずしも忠実な患者ではなかった。
その人柄と技倆に絶対の信頼を置きながら、私はなぜだかここでもS医師への報告をただ表面だけの症状に限ってしまった。あの突然の鬱の発作とそのあとに続いた昏迷の時間。ただそのことだけで、その向こうにあったはずのこれらの心の葛藤については何一つ教えようとはしなかったのだ。
 だがしかし私は何故そうまでして病の正体を隠したのだろう? S医師への背信にも他ならないあの私の頑なな秘密主義の原因は一体何なのだろう。
それは確かにこのようなものであったにちがいない。
 私が再び信じたあの転生の物語――だがしかしここでもまたかつての場合と同じように、それを信じようとするものはあくまでも私の中の「感覚」にまつわる部分であるにすぎない。一方私の理性そのものはすべてがレンズの歪みが映した幻にすぎないことを十二分に自覚していたのだ。
 だとしたらそんな忌まわしい妄想の存在を私が打ち明けたとしたら一体どうなるのだろう? 
 もちろん私がそこで展開した論法は、またしてこの心の病についてのいとも愚かしい偏見に支配されていた。
 そうだった。当時の私の考えによれば鬱病とは単なる感情の抑制の故障であり、そこに「妄想」のような症状が起こることは尋常のこととは思えなかった。
 だとしたら私が自分の病状を正直に告白した場合、鬱病以外の何か忌まわしい病名が冠せられるにちがいない。
 そしてもし例えば分裂病というような診断がなされたとしたらそれはまたきっと一時の病院通いではすまされない。少なくとも表の日の当たる社会からは自分は永遠に葬られてしまう。――
もちろんそれは本当はけっしてそうではない。鬱の病は少しも妄想と無縁ではなく、またそれと同じように分裂病もけっして治療不能な廃疾などではありえない。だがしかし何も知らないあのころの私はちょうどあの妻の場合と同じように、実に短絡的にそんなふうに思いこんでしまった。

 その先に私を待ち受ける結論はもはやたった一つしかありえなかった。
 だとしたら確かにすべての恥部は――おぞましい狂気を疑わしめる舞台裏の症状は必ず伏せられなければならない。
 それはただあの転生の物語だけではない。本当はもっと小さな無数の妄想が私を悩ませていたのだ。たとえばあるときは私は地球を訪れた目玉の大きな異星人だった。またあるときには私はマッチ箱の中のマッチであり、軸木に塗られた頭薬は私の脳味噌となった……。
 そんな数多の笑止な奇想のそのどの一つとしてもし医者に知られたとしたならば、私はたちまち誤ったレッテルを張られて一生日陰の穴ぐらに閉じ込められてしまうかもわからない。
 そんなふうに考えた私が、いわば生きたままの埋葬を恐れる気持ちから真実の告白をためらったのは当然だった。
 そうだった。あのときの私の自己診断によれば私の病気はあくまでも少々症状が重たいだけのただの鬱病であるにすぎなかった。そして医者もまた今まさに同じ判断をしているのだ。だとしたらそれで一体何が不足だというのだろう? 
 いわば私はあれほどまでにS医師の人柄と技倆を信頼しながら、それでも自分の無用のおしゃべりが何か忌まわしい誤診を引き起こしてしまうことを恐れたのだ……。

 *

 もちろん私はすべてをS医師に包まずに告白すべきだったのだ。
 窺い見てしまった自分の過去。ここは自分のいる場所ではないという違和の感覚。それに伴う無数の小さな妄想の体系――そんな仮面の向こうの本当の病態を率直に伝えなくてはならなかった。
 確かに今にして思えばそんな心の歪みさえ、S医師の技倆をもってすればいとも容易に除くことができたのだ。
 それはたとえば私の病名が分裂病のようなものに変更されたとしても同じだった。いささかなりとも精神医学の知識をかじった今、私にはそのことがよくわかる。現代の医療にとっては鬱病が風邪のようなものだとしたら、分裂病だってせいぜい盲腸のようなものでしかない。それもまた例の簡潔な処方箋できっと手もなく治療されたにちがいないのだ……。
 
 だがしかしあのころの私は不覚にも大切な報告の義務を怠ってしまった。
 そんな患者の背信がどんな報いを招いたかは言うまでもない。要するにそれらは治らなかった。心の裏を蝕む病魔はけっして祓えなかった。そしてそれは少しもS医師の問題ではない。教えられない症状までを除くことなどもちろん神を措いてはかなうはずもない。すべてはあくまでもただ私の愚かな隠し立てが招いた業果なのだ……。
 そして確かにそれこそはあの私に訪れた最終的な、最後的な破綻。哀れな心に取り憑いたまま生涯離ることのない宿痾なのだ。
 そうだった。ちょうどあのころに私の心から――私の魂と存在から何かが決定的に欠け落ちてしまった。そしてそれは本当に、その先もはや二度と元に復することはない剥落なのだ……。
 否。もちろん表向きにはすべてが収まっていた。あの突然の鬱の暴発もその後に続いた昏迷も、外見に映る症状はすでに記した通りにもはやすっかり完治したのだ。ほんの三週間程の加療だけで私の悲劇はあっけなく尻切れ蜻蛉の大団円を迎えたように見えた。
 そのことには確かにいささかの偽りもない。だがそれにもかかわらず快癒はあくまでも表面だけのことだった。役者が演じた悲劇のその舞台の裏で起こっていた本当の悲劇。誰にも打ち明けなかった魂の病は少しも癒えなかった。
 ここは自分のいる場所ではないという常住の違和の感覚は三週間経っても三か月経っても――今でもそしてこれからも、けっして治ることはない。だからこそそれは最終的な、最後的な破綻なのだ。

 確かにS医師の尽力のおかげで傍目には私は急速に健康を回復していた。家庭においても会社においても再び人並みらしい暮らしを取り戻すことができたように見えた。
 一か月の病院通いなど嘘のように、少なくとも外見上は従前の丸山孝雄といささかの差異も認められない。松林の病院から舞い戻ったこの男の中に、誰もがかつての自分の夫と父と同僚の姿を見出していた。 
 だがしかしそれは本当はそうではなかった。その実二人の人物の間には本人自身にしかわからない、とうてい乗り越えることのかなわない大きな溝があったのだ。
 そうだった。 すべての表面の、身体の症状が収まった後も。あの突然の狂乱とその後に続いた病臥がすっかり過去のものとなった今も。傍目には何事もなかったように人並みの暮らしを暮らしながら、 そんなやるかたのない場違いの思いが患者の心を捕らえて離さない。
 否。あえて言うなら確かにかつての奇態の妄想はそのいくつかは消え、いくつかは間遠になっていった。私を謀り続けた冬の朝の始発電車の情景さえときには薄れ掛けることがないではない。 
 だがしかしたとえそれらの幻影が消え去った後も、まるで夢の残滓のようなもの悲しい感覚だけはいつでもそこにあった。ここはけっしておまえのいる場所ではない、と。――
 それはいわば心の奥処に棲まう不思議な原罪の記憶。だとしたら私もまたまるで十字架を担うようにこのどうしようもないおぼつかなさを担いながら、一生を暮らすしかないのだ……。

 それは同僚との馬鹿話の最中、豪快な高笑いの後にふと口をつぐんでしまったようなときに。
 あるいは仕事帰りの夕まぐれ、そこここの家の灯が窓にやさしい影絵を映すころ。
 そしてとりわけつとめて避けようとしている夕焼けや、朝焼けを見てしまったような場合に。
 そんなとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と……。

 例えば締切り間際の追い込みには、終電で帰ったと思う間もなく数時間の仮眠の後に再び会社へ向かう。そんな朝のラッシュの身じろぎもできない四十分、突然窓の外にのどかな河原の風景が見えることがあった。
 そんなとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と……。
 
いつもの会社のいつもの机に向かいながら突然耐え難い睡魔が襲う。
 そうして自分が本当は綿のように疲れ切っていたのを思い出す。 とりわけ風邪をひいているような場合は最悪だった。鼻水でぐちゃぐちゃになって働くその姿をもはや笑う気力さえどこにも残ってはいない……。
 確かに三日に一度なら夜には体が空くことがある。だがしかしなまじそんな時間があるばっかりに、萎れてしまった花が水を求めるようにアルコールに浸らずにはいない。
 そんなとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と……。
心の破れに吹き入る透き間風のようにふと忍び込んだそんな小さな疑念が、今日もまた弱々しい溜め息をつかせずにいないのだ。

 もちろんすべては要するに、あのあまりにもありふれたサラリーマンの日常であるにすぎない。だがしかしそのありふれた一こまがあらためて我が身の上に繰り返されるのをみるとき、そんな折節にそれは必ず訪れた。
 それはまた例えば丸一日を寝て過ごす日曜日。愚痴っぽい女房。子供たちの仏頂面……。
 否。確かに元気の残った休日には、競馬にもパチンコにも出かけることはある。だがそのたいていは揃いも揃って負けっぱなしの凶日で、必ずみぞれ空のような陰惨な気分になって帰ってくる。
 そんとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と……。

 だがしかしそればかりではない。同じような哀感はときにはちょうど全く逆の場面にも誘われた。
 それは要するにありふれたサラリーマンの日常とは違う、正反対の何かを目の当たりにしたときに。
 例えばでたらめに回したテレビのチャンネルがなぜだか映した冒険の物語。本屋の片隅で見つけた偉人の名前。今しも行き違った学生服の若者は何という快活な目の輝きをしているのだろう。――そしてもちろんあのつとめて避けようとしている夕焼けや、朝焼けを見てしまったようなときに。
 そんなとき、そんなときに何者かが私の耳元に囁く。ここはおまえのいる場所ではない、と……。
 確かに自分もまたきっとかつてはそのようだったのだ。それはいわば夕焼けの、あるいは朝焼けの向こうの前世の記憶。夥しい光の向こうにあるにちがいないものは、少なくとも今の私のあさましい姿とは似ても似つかない。だとしたらやはり、ここはけっしておまえのいる場所ではない。――
 
そんなふうに今日もまたしょぼくれたサラリーマンの一日を暮らしながら。あるいはまたその逆のもう一つの何かを覗き見たようなときに。私は必ずきまって同じ囁きを聞いた。
 さらに忌まわしいことに初めは間遠だったそれらの場面はいつしかかぎりなくその数を増していくように思われた。だとしたらやがて私は起きている間は絶えず、そしてきっと夢の中でさえ――つまりは生きているかぎりはいつでもこの場違いの感覚に悩まなければならないのだ……。
 それはもちろん人目に付くような病ではない。時折の放心としばしばの溜め息と常住の憂はしげな視線以外には患者を特徴付けるものは何もない。
 それはまた愁嘆場を招くような派手な病ではない。ほとんどの患者はそんなおぼつかなさをただ一人胸に秘めてしまう。
 だがしかしそれにもかかわらずやはりそれは最も恐ろしい病なのだ。
 そうだった。もしここが自分のいる場所でないとしたら誰が身を入れて今の人生を生きようか。究極の無関心と無気力の蝕むその先に、訪れるのはきっとあのおぞましい魂の死。そこでは人は悲しい胸の虚ろを押し隠しながらただぎこちなく今日を演じるしかない……。
 もちろんそれは三か月前の私とは違う。今では丸山孝雄を演じるための知識にいささかの不備もありえない。そこにあるのはただそうして今ではあまりにも闊達に振る舞うことを覚えた肉体と、その奥にとうに死んでしまった魂との間の確かにどうしようもなくぎこちない違和だった……。

 ここはけっしてお前のいる場所ではない。――
 今日もまた何事もない丸山孝雄の一日を暮らしながらどこからともなくそんな不思議な囁きが聞こえてくる。
もちろんそれはいわば耳鳴りのような病で、当の自分がぎこちなさを忍びさえすれば外づらの生活には何の支障もなかった。
だとしたら私は誰にも打ち明けない。否。たとえ打ち明けたところですべてはたちまち一笑に付せられてしまうような不条理なのだ。
 だから私は語らない。誰一人また気付く者もない。それは確かに花束で見舞う者のない秘密の、孤独の病……。
 だがしかしもしこの病気に元来そんな沈黙がつきものだとしたら、ひょっとしたら患っているのは私だけではないのかもしれない。
 いわば誰もが同じような場違いの不安におののきながらこの自分だけの病のことを互いに言い出せずにいる。
 そう言えば背広姿の男たちの肩のあたりに必ず漂うという哀愁は、何かこれらの同病たちが密かに示し合わせるサインなのかもしれない……。

あのありふれたサラリーマンの日常を暮らしながら、誰もがそんな悲しい業病のことを知らせずにいる。お気楽な冗談に笑いころげるその胸の奥に、けっして埋めることのかなわない虚ろが透かし見られる。―― 
 否。少なくとも私の場合はそれはそうだった。
 そしてそれこそは確かに訪れてしまった最終的な、最後的な破綻。一生付き纏って離れないおぼつかない場違いの感覚。――おそらくはS医師に対する背信の懲罰として、私が迎えなければならなかった蒼白な魂の「死」なのだ……。

     6

私に訪れた最終的な、最後的な破綻。
作り笑いのその向こうの魂はとうに死んで、ただ抜け殻のように暮らすサラリーマンの毎日。
 もちろんあのころからもうずいぶんと長い時間が過ぎた。だとしたらそんな時の流れは私の忌まわしい痼疾にもまた何らかの好転をもたらしただろうか。
否。今となってもなお病状は何一つ変わってはいない。残念ながらこの点について私の判断はあまりにも正しかったのだ。確かにそれは私に訪れた最終的な、最後的な破綻。この忌まわしい場違いの感覚は今もなお、そしてこれから先も一生付き纏って離れることはない……。
 だがしかし忘れてはならない。
 そうして相変わらずの病を抱えながら、その実そこにはたった一つだけ決定的な事態の変化が生じていた。
 そうだった。確かに私を絡め取った悲しい状況は何一つ変わってはいない。だがしかしまさにその状況に対する私自身の捉え方はいつまでも同じままではありえなかった。
 患者を悩ます宿痾はもちろん何一つ癒えてはいない。だがしかしあれから長い時が過ぎ病についての患者の理解は今ではいくつかの点で大きく違っていた……。

 それは例えばこういうことだった。
 確かにかつて私は呪文のようにこう繰り返していた。自分の水くさい秘密主義の報いとして、S医師に対する背信の懲罰として仮面の裏側の本当の病は治らなかった。――つまりは「ここは自分のいる場所ではない」というあの不条理の感覚も、現代の精神医学の範疇からは鬱病か何かの当たり前の心の疾患の取るに足らない病状であるにすぎない。もし正直に事態を打ち明けさえすれば医者は手もなくすべてを治せたにちがいない。ただ松林の影に怯えた私の蒙昧がそんな当然の報告をためらわせてしまったのだ、と……。
 だがしかしこの点についてもまた私の考えは今では大きく変わっていた。いつのころからか私はそれとちょうどあべこべの、こんな科白を呟いているのだ。たとえ正直にすべてを打ち明けたとしてもS医師の力では病を治すことはかなわなかった……。
 そしてそれはただS医師ばかりではない。たとえこの世のどんな名医の力を持ってしても私の心を癒すことはかなわなかった。そんな忌まわしい事態の本質に私は今にして初めて気が付いたのだ。
 だがしかしそれは一体何故? 
 その実そこには少しも難しい理屈などない。それはそうだろう。それが確かに病であり妄想であるならばいずれ治る日もくるにちがいない。だがしかしもしそうでなかったとしたら? もしすべてが病とも妄想とも違う「真実」であったとしたら、誰がそれを治すことなどできようか。たとえあらゆる病を医せる名医でも「真実」はけっして癒すことができない……。

 そうなのだ。
 「ここは自分のいる場所ではない。」いつのころからか私の心を捕らえてやまないこの不可思議な思いはけっして錯覚とも妄想とも違った。そうして戯言のように聞こえた呟きの中にはその実忘れられていた本当の真実が隠れていたのだ。――
もちろんこんな結論は傍目にはあまりにも唐突なものに感じられるだろう。私が生まれてこの方この丸山孝雄であり続けたことはこれまで幾多の証拠が裏付けた動かしがたい事実だった。それなのに私はこの期に及んですべてをひっくり返して、再びまたあの理不尽な転生の奇談に縋ろうとでもいうのだろうか? 
 否。もちろんそれは少しも私の本意ではない。なるほど私は四十三年来ずっとこの丸山孝雄であり続けた。そのことはもはやいささかも疑いを容れる余地などありえない。だがしかし無理を承知であえて言うなら、それが「事実」であることと「真実」であるということの間にはときに微妙な違いがあるのだった。確かに事実であり現実であったものが本当はとてつもなく不条理であり、かえって語られた物語の方に深遠な真理が潜んでいる――そのような逆説の仕組みがそこにはきっとあるのだ。
 別段私は謎を掛けているわけではない。つまりはこの掛け替えのない自分という存在が丸山孝夫と名乗るどこにでもいるサラリーマンの日常を暮らしていること――それはまごうかたない現実でありながら、それにもかかわらずあの転生の物語よりもはるかにあってはならない不条理なのだ。
 そうだった。
この掛け替えのない自分という存在。甘美な夢と思い出を宿し、溢れんばかりのやさしさを湛えた器。
 だとしたらもちろんそんな特別な存在には何かもっと特別の、輝かしい生き様が用意されていなくてはならない。
 だがしかし目の前のデスクの上にあるものはおそらくはあみだ籤で当てがわれた仕事だった。別段それでなくてもよかった。別段自分でなくてもよかった。もし突然自分がいなくなったとしても、まるで部品を換えるようにたちまち誰か他の同僚が作業をこなしてしまう。だとしたらもちろんそれは自分の生まれてきた目的とは違った。
 要するに自分が今ここでこうしていること。そのことの方がむしろはるかに本当の不条理だった。そしてその逆に真実なのはやはり荒唐無稽に思えたはずのあの冬の朝の物語――確かにあの日あの駅に降り立つ前までは自分はけっして丸山孝雄などではなかった。記憶の中の本当の自分はかがよう光に包まれた何かであり、こんなしょぼくれたサラリーマンの姿とは似ても似つかない……。

確かにそれが今の私の新しい理解だった。
 ここは自分のいる場所ではないというあのやり場のない焦燥の感覚はその実錯覚とも妄想とも違う。それは帷の向こうに覗いてしまった本当の真実。誰一人癒すことなどかなわない世界の根源にまつわる憂鬱なのだ……。
 いやもちろん私とてもはやとうに気がついている。こんな私の尋常ならざる強弁の中には、誰もがきっと忌まわしい病の匂いを嗅ぎつけずにはいない。
それはそうだろう。ここは自分のいる場所ではない――なるほどそんな命題はあくまで寓意として解するかぎりではときには十分に真実だった。だがしかし私はその同じ囁きを現に風の中に聞き、なおかつすべてを字義通りに伝えようというのだ。だとしたらやはりそれはどう見てももはや健全な観想の域をはるかに超えているのにちがいない。   
 そうだった。こうして目の前の現実を不条理と言いなし、虚構であったものの中に真実を見いだす。そんな私の独善の論法は確かに狂疾の患者たちの妄言とあまりにも似通っていた。彼らはそうしていつだって蚕が糸を巡らすように小さな狂気の繭に籠もり、いつしかそのうち病を病と認めることをやめてしまう。すべてはそれにもかかわらず正常であり、もし歪んでいるものがあるとしたらそれは繭の外にあるかもしれない世界の方なのだ……。
だとしたら私の場合もきっとそうだった。
 新しい理解と思えたものはまた同時に新しい狂気でもあった。それはいわば松林の病院から舞い戻った私の中のけっして除かれなかった癌部――きっと心の病にもちょうど外科の場合と同じように「取り残す」ということがあって、いわばメスの切っ先を逃れた小さな病巣がようやく医者の手を離れたころになってひそかに息を吹き返し、やがてその忌まわしい増殖と肥大を始めたのだ。
 そのようにしていつしか魁偉に育った新しい狂気の中で、私もまた病を病と認めることをやめた。それはただ聞くはずのない囁きを聞いたばかりではない。いつしかこうして奇怪な逆説の館に住まい、丸山孝雄の現実を不条理と言いなし朝焼けの向こうの幻を真実と断じることを始めたのだ……。
確かに私とてそのことにはもうとっくに気が付いている。
ここはお前のいる場所ではないというあの不思議な彼岸の声も。空耳にすぎないはずのその言葉が何か神々しい託宣のように聞かれたのも。すべてはきっと私の心の患いのいたすところにちがいないのだ。
 だがしかし――
 だがしかしここでもまた私の中のもう一人の自分は頑なに否を叫ばずにはいない。
 そうだった。つまりはそれが狂気であるということと虚妄であるということは必ずしも同じではない。たとえ私の知識と発見が忌まわしい心の故障のためにもたらされたとしても、すべてはそれにもかかわらずやはり真実でありうるのだ。
 それはきっとこういうことだった。
 もしそこに究極の真実があるとしたら、この世界の秘奥に関わる真理というものがあるとしたらそれは確かに誰にでも明かされるというわけにはいかなかった。ただ一握りの選ばれた人間だけが、何か特別なきっかけによって扉の向こうを覗き込むことを許されるにちがいなかった。
 だとしたら私もまたそのように、まさにこの特別な精神の疾患のためにそんな真実の存在を知らされたのだ。
 忌まわしい狂気であると思えたものはその実そっくりそのまま私に訪れた啓示だった。そういえば預言者たちの耳にしたという聖霊の声もまた、初めはきっとこんな幻聴のように聞こえなされた……。
 
 ここはお前のいる場所ではない――私が常住に聞くあの囁きはなるほどいびつな狂気でありながら、同時にけっしてすべてがでたらめな戯言とは違う。それはちょうど曼陀羅の図柄が世界の実相を教えるように、ただ狂気ゆえに人並みはずれてとぎすまされた私の五感にそのようにして私たちの本当の真実が顕わされたのだ。
 私たちの? 
 そうだった。確かにそれはただ私一人だけではない。すべての私たちが否応なく抱え込んだ世にも悲しい不条理だった。
 それは例えばあの背広姿の肩口に男の哀愁を醸し出すもの。
 夢に焦がれた若い時代はとうに過ぎて今はただ空っぽの宝石箱を形見に抱いて愚痴っぽく時を過ごす。やりがいのある仕事ならせめて救われた。だがすっかり嫌気の差しているこんな会社のために、あのあまりにもお馴染みのサラリーマンの毎日を続けるのではどうにもやりきれない。
 だとしたらやはりここは自分のいる場所ではない……。
 そのうえそれはただ父親たちのぼやきでは終わらない。同時にまたあらゆる人間の実存が突きつけられた悲しい命題なのだ。
 それはそうだろう。私たちの魂――それは確かに時空を越えて翔り、意匠をもって創るもの。だがしかしもしそんな崇高な人間たちの精神が、ただこうしてこの時とこの場所に繋がれているとしたら? 退屈で醜悪な存在の檻に囚われているとしたら? 
 だとしたら、だとしたらやはりいるはずでないものがそこにいるのだ。ここはけっして自分のいる場所ではない……。
 もちろんそれはけっして目新しい発見ではない。かつて数多の哲学が嘆き、数多の宗教がそのために祈ったもの。ただそれと同じ知識が同じような物悲しい憂愁で今もまた私の心をふたいでいるのだ。

 「ここは自分のいる場所ではない」――確かにそんな人間たちの真実になぜだが今では誰一人気付こうとはしない。
 あるいはそれはそうではなく、ただ全員が知らぬふりをしているだけなのか? 少なくともこの私だけはまさしくこの病ゆえに、そんな見てはならない世界の秘密を覗いてしまった……。
 そしてもし「真実」だとしたら、それはやはりS医師のどんな治療をもってしても癒すことはかなわなかったのだ。
本当に、もし真実を治せる医者などというものがいたとすれば、それはもちろん全能の神をおいてほかにはありえない。
 天なる神以外誰も治すことのできないもの。そして無慈悲にもけっして神は治そうとしないもの。そんな悲しい私たちの真実にひょっとしたらたった一人で気付いてしまった私は、ただそのことを胸に秘しながら抜け殻のように演じ続けるしかない……。



「ここは自分のいる場所ではない」。
 確かにそれは私だけの一時の気の迷いとは違う。誰にも癒すことはかなわない私たちの永遠の真実だった。
 いわばあらゆる人間たちの存在を蝕む根源の不条理――だとしたらそんな悲しい曼陀羅を前にしたとき、まるでメドゥサの面貌を覗き見たように私の心が石に変じてしまったとしても不思議はないのだ。

 そしてもちろんそれこそがあの日起こったことだった。
 あの日あの朝焼けのような夕焼けを眺めながら禁断の知識が初めて私に授けられた。そこで私が陥ったおぞましい惑乱もその後に続いた長い病臥と昏迷も、そうして石に変じた心の哀れな断末魔であるにすぎない。
 それから一か月の闘病はいわばそんないにしえからの哲学的な憂愁と現代の精神医学との闘いだった。そして実際S医師の適切な処方のもとで抗鬱剤の薬効がメドゥサの呪力に勝ったのだ。少なくとも表向きは私の惑乱も昏迷もすべて収まって、私は先にもまして健常な日常に復することができた。巖に変じたはずの心もまたもう一度湿った土の芳香を放ち始めるようにさえ見えた……。
 だがしかしけっして忘れてはならない。そうして治ったように思えたのはただ病の目に見える症状だけだった。それらすべての引き金となったあの真実自体はもちろんけっして治ることはない。真実は――知識はけっして治ることはない。忌まわしい指で入力されてしまったこの知識はどんな操作を用いても消除することはかなわない……。
 ここは自分がいる場所ではないという真実。その知識がかもしだすぎこちない場違いの感覚。おぞましい鬱の病の表の症状が癒えた後にもそんな心の奥の密かな違和は間歇的に、いや恒常的に私を悩ませるのだった。
 例えば締切り間際の追い込みには、終電で帰ったと思う間もなく数時間の仮眠の後に再び会社へ向かう。そんな朝のラッシュの身じろぎもできない四十分、突然窓の外にのどかな河原の風景が見えたとき。
 そしてとりわけつとめて避けようとしている夕焼けや、朝焼けを見てしまったようなときに。
 そんなとき軽い、だがしかしけっして振り払うことのできない不安が私を捕らえる。
 それこそは今も、いやこうして生きて行くかぎり一生私に付き纏って離れない本当の病……。

 真実という名の不治の病――だがしかしそんなふうに諦念した瞬間から、私もまた病気と付き合う術を学んでいく。終生の痼疾となったこの焦燥の感覚のあしらい方を次第次第に覚えていったのだ。
 そうだった。なるほどそんな茫漠とした不安はたえず私の行住座臥を支配していた。だが同時にそれがとりわけ増幅してしまうような場合を私は知っている。だとしたらそんな状況は極力避けることだ。
 それは例えばあの朝のラッシュの車窓からのどかな河原の風景が見えるとき。とりわけ夕焼けや朝焼けを仰ぐとき。そういう場面を私は極力避けることだ。
 確かにそうして遠方を眺めることはいつでも危険を伴った。そこに突然開けた広闊な座標がきまって私の神経を脅かし、得体の知れないおぼつかなさを誘うのだ。
 見るのなら総じて近くを見ることだ。例えばパチンコ台の前に座って玉の行方を無心に眺める。赤子が目を見張るようにしてただそれだけを見つめ続けることは、真実を思い出さないためには効果があった。
 そしてまた例えば煙草をふかしながらの放心もずいぶんと有効だ。
 あるいはまたビール二本を飲み干した後の軽い酩酊。四肢と脳髄のかすかな麻痺。だがけっして量を過ごしてはいけない。二日酔いは私を必ず陰惨な気分にさせる最も危険な状態だった……。

そしてまた終生の持病と理解した瞬間から怨じる気持もまた次第に薄らいでいく。
 それもそのはずだった。何しろ病がそこに生涯巣喰うとしたら、それは私自身の一部であることと少しも違いはしない。だとしたらそこにはまたきっとなにがしかの自己愛さえ及ばずにはいないのだ。
 つまりはそれがあくまで「私」である以上、ぱっくり開いた傷口をいとおしむことはあっても憎み続けることはできない。たとえ相変わらずの不具を託つとしても呪わしさは限りなく中和され打ち消
されていく……。
 だとしたらそれはまた同時に新たな探求の始まりでもあった。
 確かにかくまでも親しまれた内なる存在はいつまでも謎のままではいられなかった。一体この病の、この私の心の虚ろの本質は何なのか? そこではいつでもさらにより多くのことが知られる必要があったのだ。
答えを探して私は次々と書物を求めひもといた。それはただ精神医学ばかりではない。文学。宗教。そしてまた哲学……。
 私は問いかけ、そして学んでいった。
 それは本当に、不惑を過ぎて始まった奇妙な自己発見の旅。もちろんその成果のいくらかは、きっとここまでの私の手記の中でも披露する機会があったのにちがいない。

 私は問いかけ、そして学んでいった。文学。宗教。そしてまた哲学。――
 もちろんそんな私のはてない探求もそれから長い時を経て、その意味するところは次第に変わっていった。なるほど私の関心そのものは尽きることはなかったが、私の心の向かう先はいつしか病の正体そのものよりもむしろその普遍性のようなものへと移っていったのだった。
確かにこの点について私の理解は大きく揺れていた。
 初め私はいわばたった一人で十字架を背負おうと考えた。すべての真実はただ私だけに明かされたひそかな黙示であり、そんな私のおののく孤独は見てはいけない世界の秘密を覗き込んだ予言者の孤独になぞらえられたのにちがいなかった。
 だがしかしそれはおそらく、そうではないのにちがいない。
 「ここは私たちのいる場所ではない」――もしこの囁きが本当に単なる狂人の妄想ではなくすべての人間の真実であるとしたならば、それはやはり誰か一人だけの特別な知識ではありえない。私の他にもきっとその事に気付いた者がいるのに間違いなかった。
 だとしたらその同類は一体どこで、どのようなことを語っているのか? 
そんなふうに私の考察は次第に自分自身の内側の病から、いわば戦友たちの苦悩の方にその比重を移していったようだった。それと同時に渉猟の範囲もおのずから野放図に広がっていき、私は仕事の合間を縫っては思い当たる本のページを片っ端から捲っていった。

 それはもちろん例えば精神科医のカルテ。私はその中に離人症という言葉を見出だす。それは分裂病や鬱病にありがちな病状で自我からの現実感の喪失を――要するに自分が自分と感じられない状態を意味するらしい。だとしたら私のものもきっとそうなのだ。そこにまつわるすべての意味と寓喩をはぎ取ってただ純粋な医学の目から眺めたとき、確かにそのような一般的な分類に属するものとされているのだ……。
そしてまた天才達の伝記。例えば極貧の中で大河のロマンを綴ったあの巨匠は、ふと我に返って殺伐とした仕事部屋をどんな思いで見詰めていたのか。それはもちろん海の向こうばかりではない。ひるがえってあの軍服姿の明治の文豪にとって、昼間の役所勤めの世界とランプの下での夜の世界は一体どのように関わっていたのか。
ここは自分のいる場所ではないという囁きを彼らもまた聞いていたのか? あるいはその逆にむしろそれゆえにけっして聞くことはなかったのか? 
 だがもちろんそんな彼らの人生は私のそれと比するにはあまりにも偉大すぎた。
 むしろ私は自分の分身と思しきものを三面記事の主役たち中に見出していた。
 例えば女詐欺師が演じた華麗な宮廷オペラ。あるいは潜伏先の逃亡者の皮肉な人望……。
 もちろん傍目にはすべては嘘で固めた人生だった。ガラス細工の虚構の城はやがては必ず音を立てて崩れ去らねばならなかった。――だがしかしここでもまた彼ら自身にとってはそれは一体どうだったのか? ひょっとしたら彼らの心の中に不思議な倒錯が起こり、欺くための物語がかえって唯一無二の真実であるように感じられてはいなかっただろうか。
 そしてもしそうだとしたら彼女にとって、あるいは彼にとって本当の自分とは一体何だったのか? そしてまた崩れ去ったと思ったものは確かに虚構だったのか。あるいはその逆に彼らの生きた本当の現実だったのか? 
 そんな世界の二重性。現実の危脆さ。だとしたら彼らもまたどこかであの囁きと無縁ではいられなかったはずだ。ここは自分のいる場所ではない。――

とこうするうちに雑誌記事の中にふと見つけたある一つの言葉が私を虜にしてしまう。
 パンチドランカー。
 それがその言葉だった。雑誌の説明はおおむね次のようなものであった。
――ボクシングにおける頭部殴打の後遺症として慢性的な脳障害が残る場合がある。酩酊に似る症候からパンチドランカーと俗称される患者には眩暈・記憶力減退・手足の震えから、涎・失禁に至るまであらゆる機能障害が認められる……。
 その一節は確かにそれまで私の知ることのなかった新しい世界を垣間見させた。そしてそんな未知の何かに誘われるように、今しも翼を得た私の空想は再び力強く大空を羽ばたくことを始めたのだ。――
 もちろんそれはまずはボクシングということだった。
 確かに迂闊なことにまさしくそのボクシングの専門誌に配属されながら、私はこのスポーツの本当の魅力に今の今までついぞ気付かずにきたようだった。
だがしかしこうして改めて思い巡らせば、なるほどボクシングこそはなべての競技が憧れる至高のスポーツだった。
 それはいわばあらゆる卑近な運動と間怠い遊戯の形態をそっくり蒸留して得られたスピリッツのようなもの。だとしたらそこにはもちろん飛びきり純度の高い闘争の精神が抽出していた。
 そこには繁瑣なルールなど何もないように思えた。ただ加減乗除のように単純な戦いの論理が統べている。殴るか殴られるか。倒すか倒されるか。ただそれだけだ。
 そこにはまた栄光の論理が支配していた。天地をあまねく領した夜の闇の中でただ一か所だけスポットライトに浮かぶ四角いリング。だとしたらやはりその余のすべての営みはやがてリングの上に掲げられるチャンピョンベルトの輝きに収斂していく――そんな不思議な世界の構造が確かに見て取ることができた。
 そしてまたリングに上がる前のまるで苦行僧のような時間。なるほど百歩譲って苛酷なトレーニングの要は認めるとしても、それではあの地獄の減量とは一体何事なのだろう? 噛んではただ吐き捨てるだけの奇怪な食事。バナナの夢にうなされた眠れない夜。水洗便所の水にさえ手が伸びる気違いじみた喉の渇き。もしそんなものにいささかでも意味があるとしたらそれはやはり殉教の論理以外にはなかっただろう。否。少なくとも痛みと引き替えるのでなければ、我が身のすべての安楽を抛って贄に捧げるのでなければ誰一人栄光を勝ち得ることはできないのだ……。

闘いの論理。栄光の論理。殉教の論理。――確かにそれはその通りだった。だがしかしもしそうだとしたらリングを去った後のパンチドランカーとは一体何なのだろう? 
 もちろん彼らは今では凡庸な幸福をこいねがっている。飯を食って小便をしてまた同じ明日を過ごすために眠る。それはどこまでも退屈で味気なく、同時にまたどこまでも平らかな日常。――
 だがしかしそうしてまさに常凡に帰ろうと願ったそのときに、彼らはそれまではけっして気付かなかった恐ろしい事実を知らされるのだ。
 例えばぎこちなく使う箸の先からは食べ物がこぼれ落ちる。ネクタイはきまって片結びになり、おはようございますの挨拶にもぶざまに舌が縺れる。――だとしたら彼らのそんな赤子のような不如意には、確かに酔いどれとも見まがう道化ぶりには一体どんな寓意が読みとれるというのだろう? 
 だが否。それはもちろんこういうことだったにちがいない。
 そのとき彼らの還俗を妨げるもの。誰とも同じように再び当たり前の時間をやりすごすことをそれほどまでの難事とするもの。
 それは確かに、ボクサーたちのあの遠い栄光の記憶だった。
 そうだった。
かつて栄光を志しそして栄光に撃たれた者たちはついぞその幻影から逃れることはできない。すべてを忘れ去ったと思え始めた頃、突然のフラッシュバックがボクサーたちの神経を捩じ曲げる。ぎこちなく使う箸の先から食べ物がこぼれ落ちる。――だとしたらそれは文字通り宿酔だった。だがそれは二日酔いどころか、一生涯覚めることはかなわないかもしれない酔いなのだ。
 男たちを悩ませる遠い栄光の記憶。だがしかしひょっとしたらそれはそうしながら彼らを呼んでいるのかもしれない。そのとき悪戯にマリオネットの糸を操りながら、誘うものはきっとあのお馴染みの囁きだった。ここはお前のいる場所ではない。――確かにその拳はそうして箸を握るために固めるものとは違った。否。もしもリングの上を舞うためでないのなら何一つ本当ではありえない。ボクサーはその刃のような存在のすべてをたちまち持て余してしまう。だとしたら、だとしたらやはりここはおまえのいる場所ではない……。

 ボクシング。パンチドランカー。――だとしたらそれは確かにもはやグローブをはめた彼らだけの言葉では終わらない。こんな文脈で読み替えたときすべては寓喩となり象徴となり、その意味するところはやがていつしか無辺際の広がりを担い始める。
 かつて栄光の酒に口をつけてしまった者。そうだった。もしそんな意味でなら私自身もまたボクサーに他ならなかった。
 否。それを言うならきっと私たちの誰もがみなボクサーだった。
 冬の朝日に照らされながらホームの上で電車を待つサラリーマンたち。彼らもまた遠い昔、おそらくはその青春に頃にきっと何かを僥望しそして断念していた。栄光に立ち返ることも忘れ去ることもできずに、煮え切らぬ気持ちのままきごちなく過ごす毎日。そんな意味でなら彼らもまた哀しきパンチドランカーなのだ。
哀しきパンチドランカー。
 この言葉との出会いを境にしてそれまでの私の濫読は一つの明らかな傾向を見せ始める。
かつて私はいわば手当たり次第に書物を漁った。自分の心の病の、つまりはこのぎこちない場違いの感覚の同類は一体どこにいるのか? その「どこか」を探すのにもちろん特別な心当たりなどありえなかったのだ。
だがしかし今ではそんな私の探索はもっぱらスポーツマンたちの残した手記の方へと向かい始める。いやそれはむしろかつてのスポーツマンたちの――確かにそうして栄光の階段を上りそしてころげ落ちていった男の数だけ、兄弟たちの姿は必ずそこにあった。
彼らの文章の行間から聞こえるはずのないあの囁きが聞こえてくる。ここはけっして自分のいる場所ではない……。
 読書はきまって激しい昂揚のその後で、最後には私を深い哀しみに陥れた。
 ときにはページの上に涙さえ落としながら、私はそこに描き込まれた世界の中に身も心も没入することができたのだ。
 それが野球選手の手記であれば野球選手に。メダリストであればメダリストに。そしてとりわけボクサーであれば、自分自身が本当に一人のボクサーになりきってしまうまで。

      *  

 そんなある日私に再び巻頭記事の御鉢が回ってきた。
 今度の雑誌に移って以来いわば久々の大役である。
 依頼を受けたその瞬間、私はそうして読み溜めていた資料の中の一つを思い起こした。
 それはH・Aという元日本チャンピョンの手記で、一読したときから私の心に深い印象を刻んでいたにちがいなかった。その理由はもちろん言うまでもない。当時の私が考えていたスポーツの――栄光の形而上学のようなものがそこには最もよく表れていると思えたのだ。
 私はさっそくボクサーと連絡を取った。そしてまたこのH・Aという人物は想像通りの好男子で、何一つ注文をつけるでもなく記事にすることを快諾してくれたのだ。
 それから私の連日の突貫作業が始まった。
 H・Aの手記はそもそもその長さが十枚にも満たない。文章にもまたほころびらしきものが目立ち、だとしたら雑誌の巻頭を飾るためにはかなりの改変が必要だと思われたのである。
 それはただ幾度も朱を入れたというばかりではない。意を尽くさないと思しきところでは大幅に書き加える。――だがしかしそうこうするうちに私に不思議な憑依の状態が訪れた。何だか私自身がH・Aで、実際にこの手記を書いているような奇妙な感覚。興が乗ったというよりもまるで何かの熱に煽られたかのように、私は驚くほどの速度で原稿用紙の升目を埋めていった。
 ひょっとしたらそれは忘れかけていたあの私の躁の病が再びぶり返そうとしていたのか? だが一方ではかくまでも狂おしい思いは何だか違った種類の切望であるようにも感じられた……。

 三日三晩の作業の後。ようやく筆を置いた私は出来上がったはずの記事を前にしながらふと我に返った。
 客観的に見ればそれは確かにとんでもない代物だった。
 本来ならばスポーツマンの訥弁の手記であったもの。だがそこに私自身の思い入れと想像のありったけが吹き込まれて、風船玉のように膨らんだそれはもはやほとんど原形を留めぬ姿に変わっていた。
 考えてみればそれはH・Aにはずいぶんと失礼な改作だった。そのうえ思い切り「空想的な」記事のスタイルは例のわが社の方針にも明らかにも抵触していたにちがいない。いやそれ以前にそもそもここまで紙数が超過しては、三回連載にでもしない限り掲載は不可能なのだ。
 私は当然自分の狂態に苦笑した。それと同時にとてつもなくシニカルな気分が私を襲ったのだ。
 確かにかくまでの労作をこのつぶれかけの雑誌のためだけに披露するのはふさわしくない。そのうえどんなに心血を注ごうとも、所詮この会社は自分の才能など少しも認めるようなところではありえないのだ。だとたらもっと当たり障りのない作文でお茶を濁してしまうほうがよほど賢明だったのにちがいない。
 そんなふうに考えた私はせっかく書き上げた大作を机の引き出しの奥の奥に葬ってしまう。心中そんな自分自身をまるで顧みられぬ日陰の天才のように思いなしながら……。

 それから二月後。六月号の雑誌の巻頭は確かに間に合わせの、愚にも付かない私の取材記事が飾っていた。――

     *

 あれから一年の時が過ぎた。
 いつに変わらぬサラリーマン記者の毎日を暮らしながら、それはまた同時に私を誘なう不思議な声に戸惑い続けた一年でもあった。 もちろんそれは初めはただ耳を澄ました折節に虫のすだきのように聞こえてきたかすかな音。私もまた耳鳴りか幻聴のようなものと考えて笑って済ますこともできたのだ。だがしかし時が経つにつれてそれは消えさるどころか次第に音量を増し、やがてはっきりと私の名前を呼ぶことを始めたのだ。

 それはまるで空の彼方から赴くことを求める徴召の声――私にはその意味することがすぐに理解できた。
否。むしろだからこそ私は耳をふたいだのだ。発表の術のない原稿とこれ以上関りあいになることは、何かとてつもなく面倒な事態を引き起こしそうに思えたから。
だがしかしこの不思議な声はけっして消え去ることはなかった。そしてそれはただ耳を訪なう音ばかりではない。やがては町を行くたびに否応なく目の中に飛び込む文字がなぜだかそろって同じたった一つのテーマを奏で始める。
 例えば異国の花になぞらえた思わせぶりな店名の看板。電飾のニュースは若者たちの快挙を謳い、女性誌のつり広告は自分探しを説いていた。そしてまた旅行ガイド。人生読本。新人文学賞……。それらの言葉の一つ一つが今ではどこか不思議な暗合で共謀しあい、私の袖を引き肩を揺するのだった。

そして……いや、そんなことはどうでもよかった。とにかく私はついに意を決したのだ。
 私は再び筆を取った。H・Aの手記に加筆したあの雑誌記事の草稿にまたさらなる手を加えていったのだ。
 もちろん今度こそ発表の場はA社の雑誌ではありえなかったから遠慮は無用だった。だとしたら私はあふれんばかりの思いのすべてを、そっくりそのまま文章に込めることができたのだ。
 そうしてできあがったものはもはや手記でも記事でもない、百五十枚に及ぶ小説だった。だがしかし今はきっとそれで構わなかったのだ。
 そんな自分の確かに力作と思しきものを私はかねてから好感を抱いていた文芸誌に送付した。
 目の前の机の上にはただ応募原稿の写しだけが残っている。
 その紙の嵩をつくづくながめながら私はふと考える。今しも自分がこうして感じている不思議な充足感は一体何なのだろう? 
 もちろん私はここに至っておそらくは生まれて初めて、何に縛られることもなく思いの丈を綴ることができたのだ。だとしたらそんな経験がまるで何かの儀式のように私の心に一種の浄化の作用を働いたのは間違えなかった。
 だがしかしきっとそればかりではない。同時にそんな私の満足には、いわばようやく役目を終えた男の安堵もまた混じっていたのににちがいない。
そうだった。H・Aの短い手記を読んだ瞬間から私はずっとそんなふうに感じていたのだ。そこに描かれていたのはまるで男の寓話そのものを生きたようなH・Aの半生だった。だとしたらやはりそれはただ私の心を揺さぶるだけでは足りはしない。この戦慄と感動を今度は自分があまたの男たちに伝え、知らしめなくてはならない。
 そんな私に託されたある種の使命のようなものを、私は今こそこうして十二分に果たすことができたのだ。―― 

 そしてまたそこには同時に自分の作品に対する絶対の信頼があった。
 そうだった。たとえ言葉は足りなくともそれが偽りのない心の叫びであるかぎり、必ず伝えられるものがある。確かにH・Aの物語を記す間私の心もまたこの上もなく真摯であった。だとしたらやはり私の思いはその訥弁を越えて、まるで真空の中の放電のような形で直接読者の魂に届いて行くのにちがいない。
 もちろんひょっとしたら文学賞の選者の諸氏は私の作品を認めようとはしないかもしれない。だとしたらそれは彼らがきっと私とは違う、おそらくはもっと幸福な種類の人間だからなのだ。
 だがそれでも巡り巡って、私の作品は哀しいバイブルとして多くの読者に読み継がれていくだろう。
 多くの読者。
 それはもちろん冬の朝日に照らされながらホームの上で電車を待つサラリーマンたち。彼らもまた遠い昔おそらくはその青春の頃にきっと何かを僥望し、そして断念していた。栄光に立ち返ることも忘れ去ることもできずに、煮え切らぬ気持ちのままきごちなく過ごす毎日。そんな彼らの胸にはきっと私と同じ共感が宿っているものと信じる。
 そうだった。およそ男と呼ばれる人種なら私の作品を――H・Aの手記を読んで誰が泣かずにいられよう。とりわけあのネクタイを締めた灰色のオーバーのボクサーたち。朝日の中で電車を待つ彼らの心にH・Aの言葉は矢のように刺さって血を流す。
 何故なら? 
 何故ならH・Aは私であり私は彼らであり、そして――私たちの誰もが同じように朝日の中で電車を待ち続ける哀しきパンチドランカーなのだから。


 後編  「哀しきパンチドランカー」


     1

 ある日突然、見知らぬ部屋のベッドで目を覚ます。

 八畳程の白塗りの壁。金属パイプで組んだ寝台の枠。そして右肩から見下ろす点滴のスタンド。
 私には事態が飲み込めない。
 頭の中にはぽっかりと大きな穴が開いて、そこにあるはずの記憶がそっくり抜け落ちている。それはひょっとしたら、朝の目覚めの瞬間には誰もが経験する夢うつつ? ――だが私の場合よほど長い時間眠ったのか、一分経っても二分が経っても正気が戻らない。ここは一体どこで、自分はなぜここにいるのか……。

 私は一応念のための自問自答を仕掛けてみる。

 ――青沼英司。

 とりあえず名前はOKだった。
 続いて私は枕もとの籐椅子に腰掛けた女の存在に気付く。うつむき加減に床に目を落とした、やさしい顔をした女だ。

 ――妻。かず子。

 確かにそれはその通りだった。だとしたらもちろん、私は恥ずかしながら自力では解くことのできなかった問題の解答を、内緒のうちにそっとこの身内から教わっておかねばならない。

 うつむいたままの妻に向かって、私はいつもの胴間声で声を掛けた。
「おい。」
 だがそんなありきたりの呼び掛けを聞いた瞬間、相手が見せたあの異様な反応は一体何だったのだろう。
 まるで稲妻に打たれたように、細身の体が跳ね起きる。それっきりこれ以上ないというほど大きく目をみはって、ただ茫然と私の顔を見つめている。
 そんな仕草は確かにずいぶんと芝居掛かったものと感じられた。そればかりではない。今度は見開いたままのその目から、これもまた何かの小道具の仕掛けのようにはらはらと大粒の涙が流れ出す。あわてて取り出した木綿のハンケチで目頭を押さえながら、妻はただ意味もなく何度も念を押すのだった。
 「気が付いたのね。気が付いたのね。気が付いたのね……。」

 ――当たり前だ。

 こんな得体の知れない女の情緒不安を、起き抜けから見せつけられるのはもちろんうんざりだった。だとしたら私は一切取り合わずに、そのまま最初の問い掛けを続けた。
 「何で俺はこんなところにいるんだ。」

 それにしても何という、理不尽なことばかりが続くことだろう。確かについ先刻私の最初の一声が、あれほどの驚きに迎えられたのも。続いてそんな衝撃がたちまち大げさな嬉し泣きに取って代わられたことも。――だがしかしそんな不思議に輪を掛けるように、今度の私の問いかけは涙目の妻を一転その場に凍り付かせてしまったのだ。
 そうだった。何で俺はこんなところにいるんだ――そんな私の素朴な質問を聞いたとたん、妻はそれまでの嗚咽の声をぐっと飲み込んだ。そればかりかその顔からはみるみるうちに血の気が失われていく。
 返す言葉が見つからないまま、しばらくの間気まずい沈黙が続いた。
 だがもちろんそんな妻もまた、やがてどうやら器用に立ち回ることを覚えたらしい。はぐらかすというよりは私の言葉が全然聞こえなかったふりをして、あくまでその一人芝居を押し通してしまった。
 「気が付いたのね……。よかった……。院長先生に報告してくるわね。」
 そうして彼女は脱兎のごとく部屋を出てしまう。水臭くも、夫のこの私から逃げるように。
 
 本当に何もかもが、とてつもなく奇妙な出来事だった。幕が上がったそのとたんに、なぜだか私は誰か見知らぬ男の芝居を演じていた。少なくとも知っているのはただその名前だけで、もらったはずの台本の中身は何一つ頭に残っていないというわけなのだ。
 
 それはただもどかしいというだけではない。ただ思い出そうとする小さな努力が、今の私には大きな苦痛を伴った。実際目覚めてまだ数分も経たないうちに、私はもうすっかり疲れきったように感じていたのだ。
 耐えられずに私は目を閉じた。そして確かにそのままもう一度、うとうとと寝入かけていたのにちがいない。
 だがそのとき私はふと枕元にいる妻と、もう一人の白衣の紳士に気がつく。だとしたらもちろんこれが妻の言うところの、院長先生なのにちがいない。
 その姿を見ただけで私はこの初老の医師に対して、すでに不思議な好意を抱いていた。
 それはただ人物が醸し出す品位というものなのか。それともひょっとしたら何かの予感のようなものだったのか。いずれにしても院長は特に問診というふうでもなく、実に穏やかな語り口で問い掛けるのだった。
「気が付かれましたか。気分はいかがです。」
 そんなふうにしきりに「気分」という言葉を使いながら、院長はさり気ない口調で少しずつ私の状態を質していく。私もまた面倒がせる素振りも見せずに、一つ一つに正直に答えていった。
 だがしかし私もやがて気付いてしまう。こうして当たり障りのないやり取りをしながら、どうやら院長は私の精神と、とりわけその記憶装置の状態に探りを入れているらしいのだ。
 もちろんそうして持って回ったやり方をされるのは、けっしてあまり愉快なことではない。医者もまたやがてそんな不満の表情を見て取ったのか、この患者にはもっと単刀直入の質問が望ましいと思い直したようだった。
 「事故のことは覚えていらっしゃいますか。」

 ――一体どんな事故が起こったというのだろう。

 ここでも私はまた何の迷いもなく、馬鹿正直にいいえと答えた。 「そうですか。それでしたら無理に思い出そうとなさらないでください。ゆっくりと時間を掛けて、できれば自然に思い出すようにしましょう。」
 聞きながら私は初め愕然とする。ゆっくりと時間を掛けて? 冗談ではない。何しろ今定かでないのは事故の記憶ばかりではない。自分は一体何故、どこにいるのか? いや、だとしたらそもそも自分は何者なのか? そんな当たり前の知識さえ授からずにいるとしたら、私は生きていながら本当は少しも生きてはいない。それでははあまりにも心細く、残酷すぎる仕打ちなのだ……。
 ふと見ると妻は院長の傍らにぴったりと寄り添って、その言葉の一つ一つにうなずいている。それを何だか裏切られたように感じて、私は急に腹立たしい気持ちになる。
 だがあとに続いた院長の言葉は、そんな患者の苛立ちをたちまち鎮めてしまった。
 「こういう頭の怪我には後遺症が付き物ですから無理をしてはいけません。ゆっくりと時間を掛けていきましょう。焦らずに取り組めれば、一か月もあれば回復は請け負います。」
 そうだった。こうして何度となく繰り返された「時間をかけて」の一言は、いつしか不思議な暗示の効果を持ち始める。とりわけ最後に完治を約束した自信にあふれたその口調が、私の中に忘れかけていた医者への信頼をもう一度蘇らせていったのだ。
 だとしたら今度は私もまた妻と同じように、院長の見つめる前で実に素直に、大きく一回うなずいてみせた。
 「お疲れになったでしょう。」
 確かにその瞬間、私は自分がすっかり疲れきっていたことを思い出した。
 「少しまた、お休みになってください。」
 そんな院長の言葉を聞いたとたん、まるで催眠術にでも掛かったかのように突然の睡魔が私を襲った。
 私はたちまち眠りに落ちた。今では目の前の医師の見立てにすべてを委ねきって、母に抱かれた赤子のように安らかに――。

     *

 ある日突然、見知らぬ部屋のベッドで目を覚ます。

 八畳程の白塗りの壁。金属パイプで組んだ寝台の枠。そして右肩から見下ろす点滴のスタンド。
 私には事態が飲み込めない。
 頭の中にはぽっかりと大きな穴が開いて、そこにあるはずの記憶がそっくり抜け落ちている。それはひょっとしたら、朝の目覚めの瞬間には誰もが経験する夢うつつ――
 いやもちろんそれは、そうではない。
 私もまたたちまち思い出した。これはけっして初めての目覚めではない。確かに私はすでに一度、この同じ病室のベッドで目を覚していた。そして院長とのちょっとした面談の後、再び深い眠りについたのにちがいなかった。
 もちろん自分が実際どの位眠ったのかはわからない。あるいはひょっとしたら、それはほんの短い間にすぎなかったのかもしれない。
 確かに今そこに見えるものは、何一つ変わってはいない。八畳程の白塗りの壁。金属パイプで組んだ寝台の枠。そして右肩から見下ろす点滴のスタンド。
 続いて私は枕もとの籐椅子に腰掛けた女の存在に気付く。うつむき加減に床に目を落とした、やさしい顔をした女だ……。
 だが同時にまた私は気が付いていた。そうしてまるで巻き戻したビデオのように同じ風景を映しながら、今度の再生にはいわばはっきりとした画質の変化のようなものが伴っていた。
 あの初めの目覚めのとき、すべてのものは薄い靄の中に包まれていた。院長もそしてときには自分の妻でさえ、ただ夢の中の人物のように感じられていたものだ。
 だが今では、本物だけが持つ確かな手応えがそこにはあった。だとしたらもちろん、変わったのはこの私の方だった。院長の言う事故のためにねじのゆるんでいた頭の状態が、ようやく元通りに戻りかけているというわけだ。
 身体からも心からも、気怠い感じはすっかり抜けきっている。病室にいるのが不思議なほど、それはさわやかな目覚めだった……。

 だとしたら私はもう一度、あの例の自問自答を試してみる。

 ――青沼英司。

 もちろんここでもまた、とりあえず名前はOKだった。だが今度の場合その同じ一言が、けっしてただ呟きのままでは終わらない。いわば私の名乗りの声のすぐ後に、まるでこだまのように応じる言葉が続いたのだ。
 
 ――青沼英司。

 年齢。二十三才。

 職業。ボクサー。――

 それは本当に、不思議な感覚だった。
 まるで種から草が芽生えやがて蕾が花開くように、私自身のデータがひとりでに目の前に展開していった。青沼英司。年齢。二十三才。職業。ボクサー。――とりわけこの一等最後の言葉を唱えた瞬間、まるでそれが何かの呪文であったかのように、忘れていたはずの記憶が一斉に蘇ったのだ。
 そうだった。確かに私はボクサーだった。それはただプロであるというだけではない。日本の王座へ一足飛びに駆け上がり、さらにその先の「世界」を窺うファイターだった。
 試合を控えて私は地獄の減量とトレーニングに耐えていた。おそらく彼ら言う「事故」もまた、きっとそのときに起こったものにちがいないのだ……。
 もちろん蘇ったのは、そんな過去の物語だけではない。それまでは無意味に思えた目の前のすべてのものにもまた、今ではつながりが与えられた。私の傍らでうつむく女はこの瞬間からボクサーの妻ととなった。腕の点滴はやがてリングの上で燃え上る滋養であると理解された。そして院長の静かな言葉は――いわば不本意な人生のスリップダウンを強いられた私を、励ます叱咤の声であるのにちがいない……。
 そのうえどうやらこの同じ言葉は、見つからなかった未来さえも取り戻してくれたようだった。もちろん当面の敵はボクサーの前に立ちはだかるこの厄介な故障だった。だがしかしこいつを確かに片づけた後には、自分は再び世界を目指す戦いに立ち戻らなければならない……。

 そんなふうに過去も未来もひっくるめて、青沼英二のすべてが今ではそこにあった。それはまるでこの世の初めに天が生まれ、地が造られたというかのように。
 そんな奇跡を目の前にして自分がどれほど喜んだかはいうまでもない。
 それはただ単純に記憶を取り戻したというだけではない。同時にそうして現れた「私」と呼ばれる人物がけっしてしょぼくれたサラリーマンなどではなかったことが、何よりも誇らしい気持にさせていたのだ。
 だとしたらこんな浮き立つ気持ちを、私もまたきっと誰かに打ち明けずにはいない。そのうえ今そこにいるのが一心同体の連れ合いだとしたら、報告は同時に私の義務でもあるにちがいなかった。
 どうせなら驚かせてやろうと、多少の茶目っけも手伝ってここでも私は得意のワンツーを繰り出してみる。
 「おい。」
 とりあえずこれが左ジャブだった。妻は当然のように顔を上げる。
 「ボクサーの若奥さん――」

 確かに妻の顎に炸裂した私の右ストレート。
 打たれた妻は「思い出したのね……。」と絶句したきり本当に呆然と、言葉を継げずにいる。
 だがもちろんそれも、あくまでも予想の範囲だった。今し方あの「気が付いたのね」の場面がそうだったように、今度の妻の動転もまたやがてきっと嬉し涙に変わるに違いない。そんな筋書きを私は心中ひそかに期待していたのだ。
 だが今度ばかりはずいぶんと勝手が違った。嬉し涙どころか、妻の顔面からはますます血の気が引いていくように見えた。
 「じゃあ事故のことも、ね?」
 ややあって、妻は本当に蒼白な顔で尋ねた。それもいかにも恐る恐るに訊いているといった口調で、上目づかいにこちらの反応を窺いながら。
 事故のことも? ――不意をつかれた私は、思わず口ごもった。
 だがしかし、それは確かにその通りだったのだ。すべてを思い出したはずの私にも、彼らの口にするこの「事故」の記憶だけはなぜだかすっぽりと抜け落ちているようなのだ。 
 それはもちろんあまり愉快な発見ではなかった。それでも私はやむをえずに正直なところを打ち明けた。
 「いや。それだけはどういうわけか、少しも思い出せないんだ。」
 「そう……。」これもまた奇妙なことにそんな相づちには今度は一転、いかにも胸をなで下ろしたというような響きがあった。
 「きっと頭を強く打ったものだから、そこのところの記憶が薄れているのだわ……。」
 それにしても院長といい妻といいこの「事故」とやらについて、たびたびの持って回った言い種は一体何だろう。私は次第に苛立ってきて、ついにここに来て声を荒らげてしまう。
 「事故だ事故だって、一体何があったと言うんだ。」
 いつになく激しい私の調子に妻が一瞬、ぎくりと身構えたのがわかる。
 「何がって……。もちろん自動車の事故よ。ハンドルを切り間違えて……。」
 妻は言葉を詰まらせる。そんなうろたえぶりを目の前にして、私はとたんに自分の喧嘩腰を後悔した。
 そして妻もまたそれ以上へたな説明を続けるよりは、はぐらかす作戦を選んだようだった。
「無理に思い出そうとしてはいけないって、院長先生もおっしゃってたでしょう。ゆっくりと時間を掛けて、自然に思い浮かぶようにしなさいって。もしちゃんと治す気があるのなら言い付けを守らないと。難しいことは考えないでまた少し眠ったら。」
 それはまるっきり、都合が悪いときまって子供を寝かしつけてしまう母親のように、ずいぶん上手に言いくるめてしまう。
 もちろん熟睡から覚めたばかりの私が本当に眠れようわけもない。だが私は余計な心配を掛けないために素直に妻の言葉に従った。
 確かにこんな場合にかぎって、ボクサーは変に温和だった。リングの上で命懸けで戦う彼らには、日々の暮しでのとるにたらない争いなどは、きっとどうにも面倒に感じられていやなのだ……。
 だとしたら私もまたそんなふうにして、ただ妻のためだけに静かに目をつむった。

     *

 私は静かに目をつむった。
 だがもちろん私は眠れない。
 それはただ眠気がないというだけではない。次第次第に記憶が戻ってゆくその手応えに神経が昂って、まるでピクニックの前の子供のように、ただもう何かとてつもなく嬉しくて眠れない。

 思い出してはいけないだって? これがどうして思い出さずにいられよう。
 青沼英司。
 年齢。二十三才。
 職業。ボクサー。
 そうだった。私はボクシングの、フライ級の日本チャンピョンだった。そのうえそれは苦節何年というようなタイプとは違う。十二戦十二勝十二KO。そんな数字は確かに未来の王者を約束する、いわば栄光へのパスポートナンバーなのだ。
 そのうえ戦いのスタイルもまた単純明快だった。打って打って、ひたすら打ちまくるボクシング。チャンピョンベルトを巻いた後でさえまるで一回戦ボーイのように、ゴングが鳴った瞬間から脇目もふらないラッシュが続く。問答無用の猛攻を前にしてさかしらなディフェンスも、いつしか観念したというように私のパンチを迎えてしまう。
 無敗の戦績と小細工を知らない突貫精神。これだけ売り出しの条件がそろえば、もちろんマスコミは放っておかない。私はたちまち「日本のロッキー」と名付けられ、「世界」に向けた期待が煽られる。案の定リングサイドではやんやの喝采が私を迎えた。
 そしてまたリングの外でのキャラクターも、おそらく私の人気に一役買っていた。試合前のインタビューで吹きまくる私は確かに「ほら吹き」にはちがいなかったが、それはむしろ私のやんちゃを喜ぶ愛称であるにすぎない。私もまたそのあたりはちゃんと心得ていて、そもそもがあの出放題だって、いわば彼らの期待を裏切らないための振る舞いにすぎない。控え目で謙遜しっぱなしのインタビューでは、記事にもしにくかろう。雑誌も売れなかろう。すべてはそんな私のサービス精神のたまものだった。

そんな私のやり方を、テレビ世代の申し子と評した者がいる。
確かに私はいつだって、降り注ぐカメラの視線を感じながらリングに上がっていた。そればかりではない。観客など一人もいるはずもない毎日の暮らしでさえ、それでもそこには何か、期待される役所のようなものがきっとあるのだ。書かれているかもしれない台本。貫かなければならない美学。確かに私はいつでも無意識のうちに、そのような何かを探していた。
それはいわば自分が何かのドラマの中の主人公だという不思議な感覚。私だけでない。おそらくは誰もがめいめいに書かれたドラマの筋書きを忠実に演じる役者だった。もちろんその多くは題名のないただの男の一生、女の一生であるにすぎない。だが少なくとも私のそれは「日本のロッキー」という、輝かしいタイトルに飾られていた……。
 だとしたら試合に臨む私のあの恐ろしいまでの自信過剰も、おそらくはそれで説明ができた。どんな対戦相手とやるときも、初めから少しも負けるような気はしない。それはそうだろう。万が一ここでヒーローが負けてしまっては、その瞬間にドラマは終わってしまう。この華々しい連続KOのドラマが――もちろんそれとてもまた、いつかは幕切れを迎えるときがあるにちがいない。だがそれはもっと物語が進んだ先の、勇ましいテーマ曲の演奏に見送られたクライマックスでなければならない。こんなしょぼくれた後楽園スタジアムで、深夜のボクシング番組の録画取りしかないような試合などでは、私は負けてはならないのだった……。
 
 そうしてすべてが筋書き通りに運んでいた。

 私は無敗のまま日本の王座に着く。二回の防衛戦も難なくKOで切り抜けた。
 そしてついに念願の「世界」への挑戦が決まった。プランによれば、タイトルマッチは今秋に組まれていた。ただその前哨戦として、この七月にもう一つの国内戦をこなすことになる。
 前哨戦として――確かに今度の試合はそれだけの意味しか持たなかった。戦う相手は現級四位の小和田。もちろん勝利は確実だった。
 だがそれでも私はいつも以上に念入りに、トレーニングを積んでいた。確かにどんな試合であってもいったんドラマの一幕に組み込まれた以上、もはやただの足慣らしではありえない。物語の展開を否が応でも盛り上げるような、十分に計算された演出が必要なのだ。
 少なくとも役者は、最高の演技を見せ付ける義務があった。そこではきっとあのぞろ目の数字がもう一つだけ繰り上がる。十三戦十三勝十三KO。そんな有無を言わせぬ記録を引っ提げて、颯爽と世界タイトルに挑むこと――それが私たちの目論みだった。そのためにはもちろん、KO以外の勝利は許されない。そのうえできることなら一ラウンドでKOのような、極めつけの派手な決着が望ましい。そして確かに、いかに格下が相手とはいえ、そんな芸当は生半可な気持ちではけっしてなしとげられるものではないのだ……。
 六月にはいつになく厳しいトレーニングが続いていた。得意のおちゃらけは影をひそめ、闘う男の険しい表情が取って代わる。同時に私は、この上なく無口になる……。

 だがしかしそうして一つずつ記憶をたどるうちに、いつのまにか振り出しに戻って、私はまたしてもあの最初と同じ疑問にぶち当たってしまう。
 そうだった。それほどまでに大事な試合を控えながら、どうして私は車の運転などしたのだろう? ――もちろんそれがただ心の中だけの呟きで終わるなら、何の問題もなかったのだ。だがしかしぼんやりと物思いに耽るうちにずいぶん気がゆるんでいたのか、独り言であるはずのその言葉が、うかつにも目の前の妻に向かって口をついて出てしまったのだ。
「それにしても大事な試合を控えているのに、どうして車の運転なんかしたのかな……。」
 寝入っていると信じていた夫の突然の胴間声に、妻は再びぎくりと身構える。そのうえそこではどうやら、またしてもあの「事故」についての詮索が蒸し返されているらしい。だとしたらその表情は本当に見る見るうちに曇っていった。
 だがしかし今度の妻は、いつまでも押されっぱなしではいなかった。おろおろと言い訳を探す代わりに、開き直ったように強気な口調で言い返した。
 「また考えてたのね。」
 きつく睨み付けるその表情は、ここでも確かにわが子を叱る母親そのもののように見えた。
 「どうしてって、おばあちゃんを病院に送った帰りでしょう。調布のおばあちゃんを……。
 ほらほら。無理に思い出してはいけないって、院長先生もおっしゃっているはずよ。
 ちゃんと怪我を治す気があるなら、お願いだからもう少し眠って。」
 その剣幕に負けて、もちろん私は引き下がるしかなかった。 
 「そうだったな。確かにそうだった――。
 わかったよ。わかったから、またもう少しだけ眠るよ。」
 私は再びおとなしく目をつむってみせた。
 
 そうだったな。確かにそうだった――だがもちろん本当は、私は何一つ思い出したわけではなかった。そればかりかこの「調布のおばあちゃん」の登場には、いかにも取って付けたような嘘臭さが漂っていたのだ。
 だがしかしあのときの私は、何だかもうこれ以上あれこれ考えることがわずらわしくなっていた。だとしたらとりあえず今この場だけは、そんな妻の言い分に満足しておこうと決めたわけだ。
そのうえそこには、確かに思い当たるふしがないでもない。
 リングの上の無敗の王者が、何だか得体のしれない「事故」のためにあえなく病院のベッドにKOされる。――ときにはそんなたちの悪い冗談が、実際に起きてしまうことがあるのだ。
 もちろんそんな筋書きには、きっと何か痛烈な皮肉がこめられていた。そうだった。「リングの栄光」というはるかな思いを追い続けるうちに、いわばボクサーたちの心は次第次第に焦点がずれてくる。水平線を追う船乗りのように遠くばかりを見詰めるのに目が慣れて、その逆に最も近くにあるはずのものにピントが合わなくなる。たとえば手元の日用品や庭の植木。あるいは家族や友人。そしてまたお金やら世の中やら。――そんな日常のすべての物事がかえって遠く、まるで見えない硝子の壁の向こうにあった。それは本当におぼつかない、不思議なぎこちなさの感覚……。
 だとしたらそこには漫画のような粗相が起こることも、またしばしばだった。たとえば掴みそこねて落としたり。力余ってこわしたり。けつまずいたり。だとしたら妻の言う通り車のハンドルを切りそこなうという救いがたい大失態も、ありえないとはかぎらない。いわば私はあまりに構わずにきたそれらのものから強烈なしっぺ返しをくらって、こんなぶざまなノックダウンを強いられているのだ……。
 
 私はふと大場政夫を思い出す。確かにあの伝説のチャンピョンもまた十五年前、同じような高速道路の激突事故で亡くなっていたのにちがいない。世界のリングで負け知らずだったボクサーに、あまりにもあっけない最期が訪れた。だとしたらそのドラマは、きっと初めからそんな非情の結末が用意された、「悲運のヒーロー」の物語だったのだ……。
 だがもちろん私の場合、それはそうではない。何しろ同じ大事故を起こしながら、たったこれだけの怪我で収まったのだ。それもそのはず、ここではドラマのテーマはあくまでもあの「日本のロッキー」だった。いつか私が命を散らすことがあるとしたら、それは高速道路の冷たいコンクリートの上ではない。おそらくはラスベガスか何かの、きらびやかなスポットライトを浴びたリングなのだ……。
 つまりは今度の事故の顛末は私の物語の本筋とは違う。それはただ手に汗握る芝居の幕間に設けられた、一時の息継ぎの挿話であるにすぎない。
 だとしたらそんな息継ぎの時間は、けっしていつまでも続いてはならないのだ。――そればかりではない。少なくともボクサーの場合、体をなまらすことの恐ろしさはいやというほど知らされてきた。一日の怠惰を埋め合わすには、本当に一週間の鍛練が必要なのだ。だとしたら確かに、私は急がねばならない。

 その瞬間からボクサーの闘病が始まった。
 「闘病」――確かにそんな言葉が一番ふさわしかった。
 今の私にとって治療とは、リングの上の闘いと何一つ変わらない。
 少なくともその意味するものは、リングを目指すトレーニングと同じだった。そうだった。ちょうど歯を食いしばってトレーニングに耐えるように、私はそのときからすべてに耐えることを始めたのだ。
 それもまた再びもう一度、「世界」を目指すリングに立つために。――例えばそのために、とりあえず必要なものは一体何なのだろう? 私はたえず自分自身にそう問いかけてみる。
 だとした確かに妻の言う通り、ここでは何よりも眠ることが大切なようだった。
 そんなふうに判断した私は、それまでは少しの眠気もなかったにもかかわらず、ただボクサーの並はずれた意志の力だけで無理やり眠りについた……。

   2

 そのときから私の耐える日々が始まった。

 私が耐えなければならない困難――もちろんそれは取り立てて何というわけではない。あのときの自分にとってはただそこでそうしているだけで、いわばすべてが苦痛であると感じられていたのだ。
 だがしかしもしそれでもあえて分けるとすれば、そこにはやはり大雑把に言って三つの種類があっただろう。

 困難のその一は、確かにあの気の遠くなるような退屈の時間だった。本当に、この点にかぎって言えば、私は目が覚めないままの方がずっと幸せだったろう。何しろ身体には、どこも悪いところなどはないのだ。手足の先まで漲る力を持て余しながら、ただ頭の怪我だけをかばって床に就く。その情けなさときたら、確かに経験した者でもなければとても想像できるものではない。
 
 そしてまた困難のその二は、相変わらずの記憶の不具合だった。
思い出したはずの「すべて」は、本当はけっしてすべてではない。そんな歯がゆさが今日も、また明日も繰り返された。確かにここでも医者のモットーは、「時間を掛けてゆっくりと」にちがいなかった。だがいつしか時がたつうちに、そんな心の余裕はもうとっくに失われていた……。 
 
 そしてまた、困難のその三。
 もちろんこれこそがあのときの私にとって、最も厄介な代物だったにちがいない。
 それは妻と院長と看護婦と、そのうえ見舞いの客たちもが私の前で交わすあの盗むような目配せだ。確かに意識が戻った瞬間から、そんな得体のしれない振る舞いは始終私を悩ませていたのだ。――もちろん私とてそのよそよそしさに腹を立てて、何度も抗議をしようとした。だがそんなとき喉のところまで言葉が出掛かりながら、私が必ず思いとどまってしまったのは一体なぜだろう? 
おそらくは私もまたきっと、どこかでひそかに察していたのだ。
 これはけっして悪意のようなものとは違う、もっとずっと別の何かだった。
 今の私にまだその正体はわからない。
 だが少なくともそれは、覗き見たとたんに争う気持ちもたちまち凪いでしまう。そんな本当に、とろけるように心やさしい何かなのだ……。
 
      *
 
 困難のその一は、もちろんあの気の遠くなるような退屈の時間だった。

 手足の先までみなぎる力を持てあましながら、ただ頭の怪我だけをかばって床につく。今日も明日も窓辺を飾る花を見つめて過ごす。サギソウ。カンナ。キキョウ……。そんなおくゆかしい花の風情を愛でるには、もちろんボクサーの心はあまりにも無骨すぎた。
 ありがたいことに妻は私に付きっきりだったが、退屈しのぎの話し相手をつとめるにはまたこれほど物足りないものもなかった。それはそうだろう。もし夫婦が一心同体であるとすれば、二人でいながらそこには私しかいないことになる。 実際二人の間の会話ときたらまるで老夫婦の茶飲み話のように、いつでもらちもないものばかりだった。
 もちろん昼間の時間には代わる代わるに見舞いの客が訪れる。寝たきりの患者にとってそこで交わされる一言一言が、絶好の気晴らしを与えてくれるのは間違えなかった。
 だがそれもけっして長続きはしない。やがて私は気づいてしまう。こんな物静かな言葉のやりとりに本当の満足を見つけるには、ここでもまた何かしなやかな感性のようなものが必要だった。
 男たちの心はけっしてそうではない。それはいつだってもっと荒々しい、ストレートな喜びを求めているのだ。
 とりわけ身を起こすことのかなわないボクサーの所在なさは、もはや何ものをもってしても紛らすことはかなわない……。

 身を起こすことのかなわないボクサーの所在なさは、もはや何ものをもってしても紛らすことはかなわない――もちろんそれはその通りだった。
 だがそうしながら、私はある日ふと悟ったのだ。
 たとえ紛らすことのできない苦痛でも、ひょっとしたら耐えることは容易なのかもしれない。
 確かにその二つのものは、おそらくその中身において全く別の何かだった。
 「紛すこと」は苦痛の元そのものを癒してしまう。あるいは傷口は塞げないまでも、麻酔を打って痛みを忘れてしまうことだった。
 だが「耐えること」はそうではない。それは麻酔一つ打つでもなく、ただ苦痛に向き直る。血を流す痛い傷口をむしろ見せびらかしながら生きることなのだ。
 だとしたらもちろんボクサーにとって、これほどたやすいことはなかった。
 そうだった。ボクサーとは何かと問われたなら、私は迷うことなくこう答えるだろう。それは耐えることだ。ただ栄光のためだけに、我が身のすべてを放り捨てて耐えること。――
 それは例えばあの終わりのないロードワーク。気違いじみた空腹の時間。血みどろで立ちつくす十ラウンド……
 確かにボクサーはいつだってそんなふうに、じっと歯をくいしばってきたのだ。本当に、その先にあるはずの栄光のためなら、たとえ地獄の底の責め苦にだってボクサーはきっと容易に耐えてしまう……。

 ――だとしたら、どうして私が無聊に耐えないことがあろう? 

 そうだった。そんなふうに悟った日から、私は慰めを探そうとするいじましい努力をやめた。
 私はただ蛹のようにじっとベッドに身を潜めて、ひたすら待ち続ける。
 そしてきっと、それでかまわないのだ。本当に、あのリングの上の半時足らずの輝く時間だけが、ボクサーの時間だった。それよりほかにもしなすべきことがあるとすれば、それはただこうしてじっと時が過ぎ去るのを待つことだけなのだ。
 そして確かにそう決め込んだ瞬間から、不思議なことにあれほど紛らすことが不可能だったとてつもない退屈に、私はいとも容易に耐えてしまう……。

     *

 耐えなければならない困難のその二は、相変わらずの記憶の不具合だった。

 あの初めの目覚め以来、何度も「すべて」を思い出しながらそのたびに私は思い知らされる。自分がすべてと信じるものは、本当はそうではない。ちょうど大昔の世界地図のように、確かにそこにはあるはずの何かがすっぽりと抜け落ちているのだ。――
 そのうえここでは、私はただ耐えていればいいのではない。そうしてもどかしさを忍びながら、同時に「ゆっくりと時間を掛けて」記憶の綻びを一つずつ繕っていく。そんな気の遠くなるような作業に、否が応でも向き合わなくてはならないのだ。

 そのために私は、こんなふうに思おうとした。今の自分のリハビリは確かにボクシングに似ている。いやそれはきっとボクシングそのものなのにちがいない。
 例えば「ゆっくりと」を繰り返す院長は、いわば私の訓練に付き添うコーチのようなものと考えることができた。あるいは病院の全体を一つのジムのようなものとするなら、むしろその会長のような存在だった。
 もちろんこのジムで教えるのは倒すための攻撃でも、倒されないための防御でもない。それはいわばいったんリングに沈んだ後の起き上がり方だった。人生のノックダウンを食らった選手が、カウントテンを数える前に起き上がるには一体何をどうするべきか? 私はそれをこの人物から、しっかりと教わっておかなくてはならない。
 時間をかけてゆっくりと――確かに本当の私の会長も、つまりは私の所属する河合ジムの会長も、やはり同じように私に言い聞かせたものだ。
「焦るな。」それが河合会長の口癖だった。
 そうだった。思えば私のもどかしさは、けっして今に始まったことではなかった。あのジムのリングの上で息も絶え絶えにあえぎながら、私はいつだって同じように苛立っていた。
 スエイバック。フェイント。ローリング。フットワークを使って、機を窺いながらのカウンターパンチ。――そんなコンビネーションを頭ではちゃんと理解しながら、一向に使いきれないいまいましさ。
 そんなとき歯ぎしりする私に、会長はよく怒鳴ったものだ。
 焦るな。
 ボクシングとは結局、機械になりきることだ。リングの上ではすべての動作が反射的に、それでいて機械のように精密に繰り出されなくてはならない。そのためにはただ毎日の実践とシャドウボクシング。じっくりと根気よく、体で動きを覚え込んでいくしかない。焦るな。―― 
 会長はきまってそんなふうに説教した。そしてもしそうだとしたら、それはあの病人たちのリハビリと少しも変わりはしない。
 例えば二本の箸の先でピンポン玉をつまんでは運ぶ。それもまたきかなくなった指先の神経に、少しずつ昔の感覚を蘇らせるために。
 あるいは今の私に当てはめるなら、それは忘れてしまった記憶をゆっくりと時間を掛けて、自然のうちに取り戻すこと――そうだった。確かにこんな病院のベッドの上でさえ、すべての訓練はあのボクシングに通じているのだ。
 
 そして不思議なことにそんなふうに思い直した瞬間から、私の愚痴っぽさは嘘のように消え去った。今ならどんな途方もない治療にだって、辛抱強く向き合うことができそうだった。
 そのうえ記憶のリハビリは、本当はけっして辛いだけでのものではありえない。それはそうだろう。いったん焦りの気持ちさえなくなれば、思い出をたどることはいつだってとっておきの楽しみの一つだった。
 そうだった。見舞いの客のあるたびに、そしてまた妻とさり気ない言葉を交わすたびに、ベッドの回りに忘れかけていた昔の物語が組み立てられていく。私はいわばタイムマシンに乗って、そんな積み木細工のおとぎの国を巡って歩く。だとしたらそれは確かに、昨日までの退屈などもうすっかり嘘のような、心浮き立つ愉快な時間なのだ……。
 
 そのようにして次第に蘇った物語のあらすじ。
 そこでは確かにいつものお馴染みの顔ぶれが、かわるがわるにその役を演じていた。
 ――妻かず子。二十一才。
 端正な顔立ちも、美人と呼ばれるタイプとはちょっと違う。いわばどこか母親のような、やさしい顔をした女だ。
 もちろんかず子はまた、ミーハーな追っ掛けでもない。いやそもそもボクシングのリングには、初めから女など一人も寄り付きはしないのだ。
 確かにこれが野球やらサッカーなら、ちょっとばかり成績を上げた選手に熱を上げる娘たちもいるにちがいない。だがボクシングはけっしてそうではない。
 その違いは誰の目にも明らかだった。要するにそうしたはやりの球技は、あくまでが「スポーツ」だった。つまりは見かけはどんなにタフだろうと、元来は楽しみの一種に属するものなのだ。だがしかしボクシングはむしろ「ファイト (闘い)」だった。だとしたらボクサーの流す汗から漂う危険な血の匂いを、女たちはその本能で嗅ぎつけて避けている……。
 もちろん二人が出会ったのも、リングの外でのことだった。まだボクシングだけでは食えない私が、ワインハウスのウエイターで食い繋いでいた頃、かず子もまた同じウエイトレスだったわけだ。初めて出会ったとき、彼女はすぐに直感したと言う。この出会いはただの出会いでは終わらない。――もっとも私の方は少しもそんな気はしなかった。男の方はいつも女ほど繊細でないためか、それとも当時の私はボクシングのことで頭が一杯だったのか。ただはしゃぎ過ぎるようなところがなくて温和な感じのこの女に、いくぶんかの好感は抱いたけれども……。
 私の素性を知らされた後も、かず子は試合に行くなどと言い出しはしなかった。怖くって、とてもあんな殴り合いは見ていられない――私は苦笑いした。だがそのとき以来、彼女もまた確かに理解したのだ。いつでもじっと耐えているような私の謎の表情。時折遠くを見る眼差し。すべては確かにボクシングという、彼女の知らない世界の中にきっとその秘密があるのだ……。
 
 ――河合元蔵。四十四才。
 河合ジム会長。
 元日本ライト級チャンピョン。
 この会長の登場は確かにかず子の場合以上に、運命的なものだったにちがいない。なぜって? それはそれこそが、私とボクシングとの出会いだったからだ。
 都下の私立高校に進学が決まり、始まった電車通学の線路沿いに、なぜだか黄色いペンキを塗りたくったこのジムがあった。
 もちろんそれは初めは、窓の外を通り過ぎるたくさんの風景の一つにすぎなかった。あそこにはぼろアパート。あそこには自動車教習所。そして新築の女子寮……。ただそのようにしてそこにはまた、少し目立ったあの黄色の建物があった。
 だがしかしここでもまたあの不思議な運命の力は、気付かないうちに私を導いていった。まるで渦潮にのまれる小船のように、私もまたドラマの中のその役柄に否応なく引き寄せられていくのだった。
 そうだった。あまり柄の良くない高校で、やがておなじみの不良三昧が始まる。喧嘩。シンナー。オートバイ。――
 そんな出口の見えない毎日にそろそろ嫌気が差し始めた二年の春、私はある日学校の帰り突然思い立ったように、ふだんは通り過ぎてしまう途中駅のホームに下り立った。
私の足の向かう先は、なぜだかあのボクシングのジムなのだ。入り口には練習生募集の張り紙がある。扉を開けると、ありきたりの練習風景の中に、ぎょろ目を剥いてこちらを振り向く一人の男があった。
 本当に、あのとき会長の視線のことを一生忘れることはないだろう。
 まるで何かを探すかのように、私の頭のてっぺんから足の先までを、何度も何度も閲していたあの目。
 だとしたらちょうどかず子の場合と同じように、きっと会長もこの突然の来客の中に、何か飛び切りの出会いを見いだしていた。
 そして確かにそんな視線に射すくめられたとき、私もまた黙ってすべてを迎え入れるほかはなかったのだ……。
 その日から私の、連日のジム通いが始まった。
 そこで私はたちまち知らされる。それまでは血の気の多い若者の殴り合いのように思えていたものが、本当はけっしてそうではない。ボクシングとは実際、会長の説く通りだった。それは理論と戦術に基づいて、体の神経の一本一本を精密にプログラムすること。あとはただ自動仕掛けの人形のように、はじき出された最適の動作をいつでも正確に繰り出すこと。そんないわば戦う機械を作り上げることが会長自身の究極の目的であり、私はまたそのために選ばれた最高の素材だったというわけだ。
 そうして私はまさしく会長の見立て通りに、日本チャンピョンとなった。そして確かにやがては、世界のチャンピョンとなろうとしていたのだ。
 そんな矢先に今度の事故だった。会長もさぞ無念だろう。私は会長のために自分の不覚を恥じ、大目玉をくらう覚悟をした。
 ――だが見舞いに訪れた会長はなぜか怒るどころか、うっすらと涙さえ浮かべている。その様子を一体、何と言い表したらいいだろう。本当に、奇妙に聞こえるかもしれないが、それは何かをいとおしむかのような不思議な表情だったのだ。
 あれほど厳しかった会長の、こんな涙脆さを意外に感じながら私は考えた。そうだった。会長はいわば私の第二の父親だった。だとしたらそれはただ雷を落とすだけではない。息子の初めてのつまずきをこうしてやさしく見守り、励ましてくれるのもまた父親なのだ……。
 そんな会長の気持ちを思って、私は心の中で誓っていた。怪我は必ず快癒させ、そしてその後には必ず世界を取ってごらんにいれます、と……。

 ――そしてセコンドのモウさん。
 渾名のいわれは一目見ただけで明らかだった。その巨体のもっそりとした動作と顔立ち。そして何よりあんな牛のような体型には付き物の、モウという籠ったような声だ。
 モウさんはもちろんボクサーではなかった。乾物屋の跡取り息子がボクシング好きが昂じて、いつしかセコンドのライセンスを取得していたのだ。
 アマチュアの経験もないモウさんは、本当にただ独学の勉強だけで玄人顔負けの拳闘の知識を身に付けていた。それもずいぶんと不思議なことだったが、確かにその牛のような図体の頭の部分には、大切なボクシングのデータがぎっしりと詰めこまれていた。
 「スイングに頼るのでは、宝籤を買うようなものだ。左ジャブで距離を掴む。それがボクシングの基本なはずだ。――」
 語るうちにモウさんの口調は次第に熱っぽさを増してくる。目の前のリングに立つことのできないモウさんは、いわばそうして選手である私たちの上に必死に自分自身の夢を託そうとしていたのだ。
 実際モウさんは試合が進むにつれて、次第に本人が闘っているような錯覚に陥っていく。初めはそんな姿は誰の目にも滑稽なものに見えた。だがしかし何度もそのアドバイスに助けられるうちに、モウさんを小馬鹿にする気持はいつしか消えていった……。
 ――見舞いに来た早々、モウさんは気を回す。
 「汗をかくだろう。体を拭こうか。」もちろん選手の体をぬぐうのはいつだってセコンドの仕事だった。いつもの試合のときには冷たいタオルで、そして今はベッドの上でぬるいお湯で濡らして。
 叱り飛ばす会長を父親にたとえるなら、モウさんはいわばボクサーの女房役だった。三分間の激闘の度にボクサーを励まし、なにくれと世話を焼く。だからこそ病室の中でも、私は遠慮なくその好意に甘えることができるのだ。
 足の辺りを拭いてくれるモウさんに、私は何気なく声を掛ける。
 「だいぶ肉が落ちたろう。」
 そんな短い一言の中にも、セコンドはたちまち選手の微妙な心理を見透かしてしまう。
 「心配するな。ボクシングは筋肉じゃない、神経でするものだ。神経は天性のものだから多少のブランクはどうにでもなる。――」
 そのうえ持ち前の研究心から私の怪我についても十分な下調べをしたらしく、突然まるで院長の口まねみたいにもっともらしい説教を始めるのだ。
 「焦ってはだめだ。じっくりと時間を掛けて行こう。――」
 「この脳挫傷というやつは首から下は元気なものだから、どうしても無理をしてしまう。だが頭は確かに悪いんだ。動きたくなってもひたすらじっと我慢だ……。一週間もすれば大部記憶も戻るだろうから、そうしたら起きてもかまわない。それからも万全を期してあれこれの検査があって、退院はその先だ。焦ってはだめだぞ。――」
 そう言いながらモウさんの口調は次第に熱を帯び始める。きっとここでもまたいつもと同じように、いつのまにか自分自身が病気と闘っているような気分になりきっているのだ。今はもうすっかり目が充血して、何だか涙を浮かべているようにさえ見えた。
 相変らずの様子を見て私はなぜだか急に嬉しくなる。そしてまたきっとそんな不思議な気安さから、妻にはけっして聞けなかった質問をぶつけてみる。
 「リングにはいつ頃戻れるかな。」
 ――その瞬間、モウさんがうぐっと声をのむのが聞こえる。
「おれは医者じゃないからな……。」
 先刻までは確かに医者気取りだったはずのモウさんが、ずいぶん都合の良い言い訳で言葉を濁してしまった。
 私があれほど待ち焦がれていた「ラスト三十」の掛け声は、ついにここでは聞かれなかった……。

――酒井健介。ただ今売り出し中のテレビタレントだ。
 日本チャンピョンとなってからは確かにそんな芸能界の知り合いも増えてはいたが、健介の場合は違う。二人の間にはまだ四回戦ボーイだった頃からの、長いつきあいがあったのだ。
 根っから格闘技ファンの健介は、そうして観客のまばらな前座の試合にまで足を運ぶ。下積みの苦労や挫折まで暖かく見守りながら、「男らしさ」のドラマを探しているのだ。
それはテレビでのひょうきんぶりとはずいぶん違う。その素顔はえらく涙もろい感激屋だった。
 もちろん健介は女子供のように悲しくて泣くのではない。ただ胸を打たれて、こみ上げるものが抑えきれずに涙を流すのだ。
 今日もまた、忙しい中を見舞ってくれた健介の目が潤んで見える。ただその伏し目がちな表情はなぜだかいつもとは違う。どこか淋しげなもののように感じるのは、ただ私の気のせいだろうか? ……

 ――そして母が見舞いにくる。何とそれが一人息子との五年ぶりの再会なのだ。
 ボクサーの親というのが嘘のように母は小柄だった。三十キロそこそこという体重だけではない。いつも一歩引いて夫に寄り添うような姿が、母を実際以上に小さく見せていたのだ。そのうえ今日こうして久し振りに見る母は昔よりもさらにまたずっとか弱く、本当に小さな点になってしまったかのように萎んで見える。
 確かにそれは五年ぶりの再会だった。いつしかボクシングにのめりこんでついには高校まで中退した私を、父は勘当したのだ。父の目にはボクシングなどは極道の一つにしか見えない。野蛮な格闘に明け暮れてどうせ行く末はやくざか用心棒――息子は道を誤った、というのがその判断だった。
 もちろん母は泣いた。問答無用の夫の流儀に、妻はいつでもそうして涙で従うよりほかなかったのだ。
 そんな母のために、そしてもちろん父の強情を見返すために、私は必死の思いで努力を積んでいった。やがて迎えた日本選手権で、私はようやく試合の招待券を実家に送った。だが会場に待ち受けた姿はない。私の探す目の先にはただぽっかりと口を開けた、二つの空の座席がこちらを見つめていた……。
 そんなふうに五年間ついに息子の姿を見ることを許されなかった母が、今病室を見舞っていた。思えばそれもずいぶんと不思議なことだ。これしきの頭の怪我くらいで、一徹者の父がどうして対面を許すのだろうか? そのうえもし父の目を盗んで来たのだとすれば、もちろんそれは母にしてはあまりにも思い切った決断だった……。
 そのうえ母ときたら、ただの世間話の間でさえしきりにハンケチで涙を拭う。もちろん涙脆いのは今に始まったことではないが、こうしていざ自分のことでひっきりなしに泣かれるとなるとけっして気持のいいものではない。
 一体どこの母親もずいぶん久し振りに息子の顔を見たりすると、こうまでも大袈裟に感動してしまうものなのだろうか? 
 それともこれはあくまでも安堵の涙なのか? さんざん気を揉んだあげくに思ったより元気そうな私を見て、いわばほっとして力が抜けてしまったとでもいうかのように……。
 
 そうだった。そのようにして次第に蘇った青沼英司の物語のあらすじ。お馴染みの脇役たちが演じて見せる泣き笑い。
 だがそのどの一つにも必ず、こうしてどこか腑に落ちないわずかな疑念のようなものがつきまとっていた。――――。
 
     *
 
 そうだった。耐えなければならない最後の困難は、確かにそこにあった。
 こうして私の周りの誰もが必ず見せる謎のようなもの。その奇妙なぎこちない反応が私を悩ませるのだ。

 そもそも首を傾げるのは見舞いの客の数だった。家族やジムの仲間はまだわかる。だが試合さえ一度も見にこなかった連中まで、駆け付けるというのは一体どういうことだったろう。そのうえときにはもう忘れ掛けていた中学時代の恩師や友達まで? 
 そのうえまた同じ人間が、これでもかというように繰り返しやって来る。妻が付きっきりなのは当然として、会長やモウさんも一日おきには訪れる。健介すらスケジュールの合間を縫ってもう三回も顔を見せた。母の場合だってまた、こう何度も父の目を盗むことが一体可能だったろうか? 
 もちろん初めはそうして気遣われることに、悪い気はしなかった。きっと自分はそれほどまでに誰からも愛されているということなのだ。――だかしかしそんな手前味噌な考えも、さすがに長くは続かなかった。やがて私も気付いてしまう。これはどう見ても不自然な、尋常ではない事態だ。だってそうだろう。こんなふうに誰も彼も、まるで友人の葬式にでも出るように律義だというのは……。

 それはただ見舞うというのではない。彼らの病室での振る舞いは確かにあまりにも不可解だった。女たちの涙腺がゆるいのは仕方がない。いや一歩譲って感激屋の健介が泣くのも当然だとしても、どうして会長やモウさんまで、隠しきれないというふうに涙を見せるのだろう。
 ――そうだった。彼ら一人一人のときはきまって涙だった。そして厄介なことに何人かが揃うと今度はその涙に代わって、さらにもっとずっと怪し気な目配せが始まるのだ。
 例えばともすれば沈みがちな病室の会話が、ようやく明るさを取り戻したころ。悪乗りしてまくしたてる誰かを、周りが急に袖を引いて制してしまう。いかにも触れてはいけない話題に触れてしまったというように、顔をしかめて見せるのだ。あるいはときには私の不意打ちの質問に答える言葉が見つからなくて、どうしようか、というように顔を見合わせる……。
 きっと彼らはあんなサインを用いることで、何かを隠し通すつもりなのだろう。だがそのやりかたときたら、やはりちょっとばかり拙すぎる。
 それはそうだろう。あれほど毎日毎日、そのうえあれほどおおっぴらにやられては、いかに鈍感な私でもさすがに気付かずにはいないのだ。
 まるで彼らの全員が申し合わせでもしたかのように、今私の目の前で何かとてつもない大芝居が打たれている。
 隠されているのはもちろん彼らの涙の原因となるような、厄介な種類の秘密だった。いやひょっとしたら本当に、世界がひっくり返ってしまうような重大な事実が、まだ伏せられたままでいるのだ。――
 そうだった。私だってもうそのことには、とっくの昔に気が付いているのだ。だが一体それがどんな秘密であるのか、あえて聞き出そうとはしない。
本当に、これもまたひょっとしたら頭を打った後遺症なのか、いきり立って周囲を問いつめるような攻撃的な気分は、今は少しも起こらない。自分の詮索がきっと引き起こすだろう細かないざこざなど、ずいぶんとうっとしいものに感じられたのだ。―― 
 そのうえもちろん彼らの隠し立てに、そもそも悪気があろうはずもない。ただ彼らは私の知らない何らかの理由のために、そうして私を気遣い、かばおうとしているのだ。そんな彼らの気持ちを考えれば、やはりけっして事を荒立てたくはない。私の方もまたむしろこのまま、おとなしくだまされたふりを続ける方がよかったのだ……。

 だから私はじっと黙っている。だがそれでもけっして知ることを諦めたわけではないのだ。
 何も聞かなくても、私は手がかりを探している。まるでシャーロックホームズのように、彼らの言葉の端々から事件の真相を推理するのだ。
 とりわけ時々そこに飛び出してくるつじつまのあわない作り話。隠し切れない涙。それらは一体、どんな重大な秘密を教えているのか? ――
 そのようにして私もまたやがて、おおまかながらある一つの理解にたどり着いた。
 そうだった。彼らのそんな謎めいた振る舞いは、要するにあの私の第二の困難の裏返しだった。
 それは事故の後の私を悩ませた相変わらずの頭の不具合。すべてを思い出したはずの記憶から、本当はすっぽり抜け落ちていた何かの知識。
 だとしたら確かに、彼らが必死になって守ろうとする秘密とはきっとそこにあるのだ。――いわば彼らは欠けてしまった瀬戸物の茶碗をあちらに向けて、割れ口を私の目から隠そうとしていた。まだ完調でない病人の神経は、そんな惨めな傷口を直視することにきっと耐えられないだろうというわけだ。
 気丈なはずのボクサーさえもそうまでもうろたえさせるような記憶? だがだとしたら、それは一体どのようなものなのだろう? 

 そうするうちにやがて、私は一つの法則に気付き始める。
 彼らがそんな態度を取るのは、きまってボクシングにかかわるときだ。そればかりかボクシングに話が及ぶときにはいつもきまって、その後には同じようなぎこちない場面が繰り返されるのだ。
 もちろん彼らはそもそもその手の話題は、初めから避けようとしていたのだ。それでもときには、流れがどうしてもそちらに向いてしまうことがある。何かの弾みでついつい口がすべる。そんなときにはそれまでなめらかだったやりとりが、急に滞る。まるで小石や砂利にもけつまずいてはならないというような、おっかなびっくりの進行に変わるのだ。それでも誰かが石を踏んでしまったときには、きまってあの例の無言の袖引き合いが始まってしまう。
 なかでもあぶなっかしいのは、どうやら会長らしかった。誰もがなるべくなら腫れ物には触るまいとする雰囲気の中で、会長だけは一人違っていた。私にはボクシングしかないことを一番よく知っている会長だけは、いわば逆療法のような形でかえってそれを利用しようと考えるのだ。
 「いつまでもこんなところで、伸びているわけにはいかないぞ。」今はまだカウントスリーくらいだが、カウントテンまでには必ず立ち上がらなくてはいけない。おまえにはファンも多いのだからけっして待ち惚けを食わせるな、という具合なのだ。
 もちろん自分にはそんな会長の激励のし方が、このうえなくありがたいものなのにちがいなかった。だが今度の言い回しにかぎっては、たった一つだけ腑に落ちないところがあった。確かにファンももちろんだが、自分が一番申し訳なく思うのは対戦相手の小和田だった。それはそうだろう。ボクサーというものは試合の日にピークを合わせて、いつだって綿密な計画を立てて暮らしている。体はもちろん気持ちの面でもまた、そうしてもう何ヶ月も前から厳重な管理が行われているのだ。その最中に相手の私がこのような形でこけてしまって、小和田もさぞ拍子抜けしたことだろう。そのうえこのまま対戦の目安も立たず無期の延期というのでは、それは少々残酷すぎる仕打ちなのだ……。

 私はそんな自分の気持ちを、実に素直に口に出した。
 「小和田をこれ以上、何もないまま待たせるわけにはいきません。いつ頃退院できていつ頃リングに立てるのか、大まかな時期だけでも知っておきたいのです。何とか会長の方から、院長に確かめてみてはもらえないでしょうか……。」
 だがそんなとき、本当にそんなときにはきまってまたあれが始まってしまうのだ。
 そうだった。聞くうちに会長の顔は見る見る青褪め、怯えた妻の体が小刻みに震え出す。
 連れ立っていた会長の奥さんは、もちろん会長をきっと睨む。その表情はまるでほらごらんなさい、あなたがまたボクシングの話なんてするからよ、と言うかのように……。

 だとしたらすべてはそこにあった。
 そうしていつもきまって彼らのよそよそしさを引き起こすもの。私の記憶のはげおちたその部分に隠れん坊をしているもの。それは確かに私のボクシングそのものにまつわる何かの故障なのだ。
 残念ながら正体はまだわからない。だがそれは私にとって、間違いなく世界の大もとを揺るがすような重大な不調だった。
 そうだった。もしそれが他の種類の何かだったとしたら、とるにたらない綻びと笑って済ますこともできたろう。だがボクシングとは青沼英司のど真ん中を束ねる、いわば心臓のようなものだった。その欠陥はたちまち私の存在の全体に、おぞましい恐慌をもたらしてしまう……。
 それはけっしてリングに上がっている間だけではない。リングの外にいるその何千倍の時間にも、この心臓は打ち続けていた。トレーニングの最中はもちろん、顔を洗っているときも、ときどきの気晴らしの間も、眠りこけている夜にも……。そしてまた今この病院のベッドの上でさえ、ただ再び世界を目指す野心だけが私を生かしているのだった。
 それはまた生きがいというのとも違う。生きがいとはきっと、そのために生きることだ。だが私の場合、けっしてボクシングのためではない。言葉はおかしいかもしれないが、私にとってはむしろボクシングそのものが、何よりも生きるということなのにちがいない。
 だとしたらやはりそれは心臓だった。ボクサーの体と心のすみずみに命を与える心臓の鼓動が、今あぶなっかしい乱れ打ちを始めたというのだ。――もちろんそれは、とんでもない事態だった。もし本当の心臓の病気なら移植という手段もあったろう。だがこれは入れ替えのできない心臓だった。もしボクシング以外の何かをそこに
植えたとするならば、私の体はたちまち拒絶反応を起こして、頓死しまうにちがいない……。

 そんなある日中田さんが見舞いに来る。
 中田さんは少しは名を知られた、某居酒屋グループの総帥だった。たった一代で全国規模のチェーン店を作り上げた、腕利きの経営者だ。
 会長とは高校時代のボクシング部仲間で、いつからかジムの後援会長に収まっている。
 もちろん今ではもう中田さん本人がリングに上がることはありえない。ただときおり銭勘定の世界を離れて、こうしてジムの若者と触れ合うのが楽しみなのだという。
 中田さんはとりわけ私の小細工のないボクシングに好意を持っていた。ちょうどようやく日本選手権への挑戦が決まったころ、一流の名に恥じないようにと、今度は私個人の後援会を作ってくださった。まだろくにファイトマネーも貰えない当時に、ご馳走してもらった極上の寿司や焼き肉の味は今でも忘れられない。
 海外に事業を広げるために、中田さんは一年前からアメリカに渡っていた。かつてその壮行会の席で、中田さんはむしろ私を励ますように肩を叩いた。おれもお前に負けないように、がむしゃらに頑張ってくる。お前もおれに負けないように、必ず世界を目指せ……。
 ――私の事故の知らせはあちらでも耳に入っていたにちがいないが、すぐには仕事を抜けるわけにはいかなかったのだ。今日が中田さんの、ほとんど一年振りの帰国ということになる。
 中田さんはまだ旅行鞄を持ったままだった。だとしたら羽田から直行で、何はさておき見舞いに駆け付けてくれたのだ。それはありがたいというより、何だか申し訳ないような気分だった。
 たくさんのいただきものに加えて私にはその土産話が、何よりも嬉しいものだった。海の向こうの珍しい風物。見聞きした愉快な出来事。そしてとりわけ本場アメリカのボクシング事情……。三十分四十分と話しても話の種は尽きず、病室に居合せた四人も誰一人退屈そうな顔を見せる者はなかった。
 思えばこんな中田さんこそ、私がもっとも待ち受けていた見舞い客だった。いつもあけっぴろげに笑っている中田さんは、他の連中のような湿っぽい表情を見せることもない。ましてよそよそしい隠し立てなどするはずもない。そしてあの次々と繰り出される楽しい話題……。
 それは単におもしろおかしいというばかりではない。ただ聞いているだけで世間知らずの若者たちに、それまで知らなかった新しい世界を必ず垣間見せてくれるのだった。
 そうだった。私の住んでいたボクシングかボクシングでないか、二つに一つの世界。だが中田さんはそのどちらにも分けることはできないような、不思議の国を道案内してくれた。本当に、あのボクシングのリングの外でも、ボクサーと同じように夢を追って精一杯生きている人がいる。だとしたらそれは確かにボクシングのようでもあり、またボクシングでないようであるもう一つの世界……
 ――いつになく盛り上るそんな面会のさ中に起きた小さなハプニング。
 同じアメリカの中でも、中田さんはとりわけハワイの素晴らしさを自慢する。そのうえ一通りの講釈の後、おそらくは私を元気づけるためにこう付け加えた。
 「――お前も早くよくなって、退院したらハワイに呼んでやる。全快祝いにハワイに連れていってやる。」
 もちろんそれは中田さんのいつもの口癖だった。確かに試合の度ごとに、私は必ず同じような激励を頂戴していたのだ。今度の試合が済んだら好きなだけ寿司だ。腹一杯フランス料理をくわせてやる。――
 そしてそんな連想は、私をたちまちあのボクシングの世界へと引き戻してしまう。
 もちろんそこではせっかくのハワイ旅行のお誘いも、あまりうれしいご褒美には感じられなかった。
 だとしたら私は不服の気持ち少しも隠さずにこう言い返した。
 「でも退院したら、小和田との試合がありますから。」
 そんな私の反論に虚を付かれたというように、中田さんが一瞬ぎくりとしたのがわかる。それでもすぐに平静を装って、少々芝居がかった調子で相づちを打ってみせる。
 「そうだった。確かにそうだった。」
 そうして失言をとりつくろうかのようにこう続けたのだ。
 「それなら小和田戦が終わった後だ。小和田をKOした後に、じっくりとハワイ見物だ。」
  だがしかし私にとってその言葉は、先ほどのそれよりもはるかにずっと腑に落ちないものにちがいなかった。
 「小和田の後は世界タイトルです。一生一度の晴れ舞台ですから。」
 中田さんは再びしまった、というふうに顔をしかめる。
 「そうだった。確かにそうだった。」ともう一度しきりに反省しながら、中田さんは急に立ち上がった。
 「これはアメリカ惚けだな。ちょっとジュースでも飲んで頭を冷やしてくる。」
 不思議な言い訳をしながら、中田さんは何だか逃げるように病室を出てしまう。
 ――残された四人はただ間が悪そうにじっと黙ったままだ。
 何のことはない。楽しいはずの中田さんの訪問も気がつけばこうしていつも通りの、いまいましいどたばたに終わってしまった。
 モウさんだけは会話の糸口を探して、しきりに何かをぶつぶつ呟いている。それでも私はもうすっかり機嫌をそこねて、わざとそっぽを向いたまま答えようとしない。
 息苦しい沈黙が五分ほど続いた後、突然中田さんが素頓狂な声を上げながら戻ってくる。
 「それにしても日本は暑い。冷たいジュースがうまいよ。」
 私はそう言う中田さんの顔を正視する。ジュースのせいじゃあるまいに、その目は本当に真っ赤に充血している。
 だとしたら私もまたぼんやりと理解することができた。なぜだか自分にはわからないけれど、中田さんはこの五分の間病室の外で、おそらくは声を出して泣いていたのだと……。

     3

 いつのまにやら菊の花が病室の窓辺を飾り、
 その向こうにはちらほらと色づいた紅葉が覗かれる。
 そんなころ私のいらだちは日に日につのり始める。

 もちろん私はこれまで、あの三つの困難によく耐えてきたはずだった。
 気の遠くなるような退屈の時間。欠け落ちた記憶の不具合。周囲の誰かが今日もまた繰り返す狂言芝居。そのどの一つも確かに生半可な苦しみではない。ただそれでも地獄の減量に慣れたボクサーにとっては、けっして太刀打ちできない試練だとは思えなかったのだ。
 だがしかしいつのまにやら菊の花が病室の窓辺を飾るころ、私のいらだちは日に日につのり始める。――

 それもそのはずだった。思えばあの長く苦しい減量でさえ、確かに三週間と続くことはなかったのだ。それなのに私の意識が戻ってから、すでに一と月が過ぎようとしていた。だとしたらやはり辛抱できる時間の限界は、もうとっくに越えられていたのにちがいない。
 そのうえこの二つの我慢には、そもそもその根っこの部分から何かしら大きく違っているところがあった。あの胸突き八丁のトレーニングで最後の汗の一滴を絞るとき、そこで私は「ボクサーであること」に耐えているのだった。だが今この病院のベッドの上で、私は「ボクサーでないこと」に耐えなければならない。体のどこを切ってもボクシングしか出てこないような自分にとって、それは死んでいるのと変わらない。何か魂を抜かれるような、もっともいまわしい種類の責め苦なのだ……。

 このころには私も、自分の回復が手に取るようにわかっている。頭の中の霞のようなものは今ではすっかり払われて、得体の知れない気怠さに悩むことももうだいぶなくなった。いわば目には見えない背中の注ぎ口から満タンの燃料が流し込まれる。――だがしかしうれしいはずのそんな変化も、今ではかえって私の焦りを増してしまう。それはそうだろう。こうして病院のベッドにつながれているかぎり、気力も体力も空回りするばかりだった。リングに立てないボクサーは、そんな自分をただ持て余すよりほかはないのだから……。
 持て余すのはもちろん当人ばかりではない。例えば病院の側にとっても、この手の患者はいつだって一番のお荷物だった。熱にあえぎ死体のように横たわる重病人は、きっと医者の目から見れば実におとなしい、素直な存在なのにちがいない。だがしかしようやく治療の手が離れたと思うころ、今度は誰もが可愛げもなく、あの厄介な自己主張を始めるのだった。
 もうどこも悪くないのに、というのがもちろんその言い分だった。もうどこも悪くないのにどうしてこういつまでも、無意味な足止めをくわされるのか?  ひょっとしたらそこには何か病院ぐるみのとんでもない悪だくみが隠れていて、かすり傷程度の怪我でさえこうしてたちまち大げさな故障に仕立て上げ、何も知らない患者たちをすっかり食い物にしているのだ? ――もちろんそのようなことが、本当はありえないのはわかっている。だがそれでも妙に疑り深い気持ちになって、自然と態度もとげとげしくなる。看護婦には何かにつけては言いがかりをつけ、挙げ句の果てには院長にまでもはや素直に耳を貸さずに憎まれ口を利き始める……。

 そんな私の変化に妻はすっかり手を焼いている。だが病院の連中はさすがに慣れたもので、はいはいわかってますよというように、私の繰り出すパンチをあっさりと受け流してしまう。
 おそらくはこんな反抗期の患者の扱い方にまで、ひそかに十分なマニュアルが用意されていた。それはちょうど血圧には降圧剤を、出血には止血剤をあてがうというの少しもと変わらない。どんな厄介な言動に対しても、同じように単純明快な処方が最初から定められているのだ。――例えば私は言いつけを守れずに、ときどきこっそりと上体を起こしてしまう。そんな秘密が知られてしまったときにも、看護婦はとりたてて厳しく叱るようでもなかった。ただありがちなことだといわんばかりの澄まし顔で、やけに簡単に処置してしまう。何だか奇妙な道具を持ち込んで、たちまち私の体をベッドに固定したかと思うと、またさっさと病室から出て行った。万事多忙な白衣の天使は、確かにこんなつまらないトラブルなどで、いちいち余計な時間を取られるわけにはいかないのだ……。
――そこには本当に、何一つ驚くようなことはない。すべてがあくまでも、予想の範囲内だった。
 患者本人にはどんな大事件と思えることも、いったんそんな現場の目で眺めればつまりはただのありふれた、日常の仕事の一コマであるにすぎない。そこではあらゆる病気の症状が、そしてまた治療に伴うあらゆる場面さえこうしてすでに十分に想定され、経験されていたのだ。
 そうだった。たとえ本物の難病奇病であったとしても、彼らにとってはおそらくは教科書の中で勉強ずみの、用語の一つだった。もっともそれでこそ患者は安心なのだが、我が身の大事の何から何までもがそんなふうにただの一言であしらわれてしまうのは、何だか悔しい気がしないでもない。
 
 否。確かに本来ならば、それはそのはずだったのだ。
 だが実際にはそこにはたった一つだけ、意外な盲点というものがあった。
 そうだった。そうして医療のすべてを知り尽くしたはずの人間にも、想像もつかなったような事例がある。
 それはボクサーという事例だった。あれだけ患者の数をこなしかながら、ボクサーという人種にだけは誰もいまだに生身で触れたことはないのだった。
 たとえば澄まし顔の看護婦が持ち込んだ、例の奇妙な拘束具だ。そうして腰から下を縛り付けてしまえば、もはや体をよじることもできない患者たちが上体を起こすことは至難の技にちがいない。―しかし今度ばかりは少々勝手が違った。そんな長年の病室の常識を、ボクサーだけはたちまち嘲笑ってしまう。本当に、何が至難の技だろう。それこそは我々が朝飯前にこなしているシットアップに他ならないのだ。
 そうして鍛え上げたいわば規格外れの腹筋の力が、ときにちょっとしたいたずらをしでかすことがある。
 例えば病室から誰もいなくなるたった一人の時間には、私はおとなしくベッドに伏せってなどいられなかった。一応はあたりに人がいないのを確かめながら、私はまたいつもの要領で軽々と身を起こしてしまう。もちろん両足は縛られたままで、片腕一つ突くでもなしに。
 ――いや少なくとも当人は、確かに人目を盗んだつもりだったのだ。だがあるとき、まさにそうして体を持ち上げるその動作の最中に、突然病室の扉が開いた。現れた澄まし顔の看護婦はきっと目を疑った。そこに見えたのはベッドの上であるはずのない曲芸を披露する、ボクサーという名の不思議な生き物……。
 そのあまりに奇怪な姿を前にして、看護婦は本当に一瞬小さい悲鳴を上げた。同時にそんな自分のあわてぶりがよほど悔しかったのか、今度は一転して激しい調子で私を責めた。
 「起き上がらないように、言われているはずですよ。約束を守らなければ、治るものも治らない――。」
 そのいつにない剣幕に圧されて、私は頭を掻きながら自分の軽はずみを詫びて見せた。
 だがそれもあくまで上辺だけのことだ。私の心の中はむしろどこかしてやったりの気分だった。
 それはただいつでもつんと構えていた看護婦に、一泡吹かせたというだけではない。何よりそうしていささかばかりの怪物ぶりを見せつけることで、あの教科書の一行からかろうじてはみ出ることができたようなのがどこか誇らしく感じられたのだ……。



 そんなおかしなハプニングがあってからちょうど一週間後、私の足から例の道具が外された。
 そればかりではない。病室の中をゆっくりと歩くという程度なら、立ち上がるのも構わないという。

 もちろん私は飛び上がらんばかりに喜んだ。何よりもそんな待遇の変更は口先だけの慰めとは違う、自分の回復の目に見える証拠になると思われたからだ。
 その瞬間それまで胸にくすぶっていた愚痴っぽい気持ちはすっかりと吹き飛んだ。だがしかしそれはまたけっして安心というのとはちがう。
 かえって私はどこかそわそわと落ち着かなくなる。いわばそこにはそれまでのいらだちや焦りが消えて、今度は逆にその日を待ちきれない「はやる気持ち」が取って代わったのだ。
 確かにこうして回復の見込みが立ったら立ったで、いつまでものんびりと構えてはいられない。表向きはどこにでもいる入院患者の暮らしを続けながら自然と血が騒いでくる。誰も知らないボクサーの思いは早くも先走って、もうとっくにリングの上の今度の戦いに備え始めているのだ。――

 それはもちろん、ただ夢見ているというばかりではない。私の心の中には着々と復帰のためのプランが出来上がっていく。
 プランその一は、何よりもまず体重の管理だった。
 長年の勘で体重計に乗らなくとも、だいたいの数字はわかる。おそらく今は六十台の前半、フライ級の規定からは十キロ以上が余分だった。このまま放っておけば退院後の調整に手こずるのは、確かに目に見えているのだ。
 とりわけ要注意なのは、見舞い客が日々差し入れてくるあの御馳走だった。「精が付くように」、そしてまた「他に楽しみもないだろうから」――もちろんそんな思いやりには失礼に当たらないようにうまいうまいを連発しながら、それでも口に運ぶのは極力控えなければならない。それが今の私の内緒の減量計画だった。

 プランのその二はさらに一歩進んだ、体作りのメニューだった。
 もちろん派手に動き回ることなど許されるはずもない。ただあたりを少しもはばからずに取り組むことができる秘密の鍛錬法が、確かに存在したのだ。
 それはスタティカルと呼ばれる最新の、アメリカ式のトレーニングだった。
 以前にモウさんから仕込まれたその理論によれば、筋力の強化にはけっして激しい運動は必要はない。ただじっと負荷のかかった状態を続けるだけで、同じような効果が期待できるという。たとえば満員電車の通学にしても、その三十分の間ずっとつま先立ちで過ごしてみる。ただそれだけでもう十分な脚力と、バランス感覚が養われるのだ。――
 だとしたらそれこそは間違えなく、今の私に打ってつけの練習法だった。
 例えばベッドに仰向けなったまま、上体を十五度だけ起こす。それは確かに、例のシットアップの一こまであるにすぎない。だがそんなストップモーションを五分も続けようとすれば、そちらの方がはるかに強烈な馬力が必要なのだ。
 もちろんそれでも物音一つ立つわけではないから、見とがめられる心配はない。そのうえ頭をかばう必要もないから、いくらでも心おきなく取り組むことができる。

 そして第三のプランもまた同じように、ひそかに再起に備える特訓だった。
だがしかし今度のやつは正真正銘、それこそ誰にも覗き込むことのできない秘密の小部屋で進められていた。
 それはもちろん、イメージトレーニングということだった。
 そうだった。ボクシングとは確かに蝶のように舞い、蜂のように刺すことだ。つまりはそこでは十分に計算された機械のように正確な動作が、それでいていつでもよどみなく、流れるように繰り出される。 ――だがしかし体の神経にそんな正しい指令を伝えるには、まず大元である脳味噌そのものに、正しい回路を植え付けておかなければならない。そしてモウさんに言わせれば、そのための作業なら何も実際のリングに立つ必要はない。床に着いたままのイメージの訓練で十分なのだ。
 私はベッドの中で目を閉じて、いわば自分の頭の中のテレビゲームのスイッチを入れる。画面に浮かんだ今日の対戦相手の姿が、やがて右に左にステップを踏み始める。同時に私はそんな動作に込められるにちがいないあらゆる目論見を判断しながら、自分自身の動作を決断していくのだ。それはちょうど将棋指しが対局相手の動きをにらんで次の指し手を決めていくように。――だが少なくとも本番のときには、ボクサーには将棋ほどの持ち時間は与えられていない。いつでも一瞬のうちに、稲妻のような判断を下さなければならない。それはまた脳味噌そのものが精密な戦う機械になりおおせていなければ、とうてい可能な芸当ではないのだ。

 そして最後の第四のプラン。
 今思えばそれは、ただ我ながらいじらしい悪あがきだった。
 そもそも当時の私は、とんでもない勘違いをしていたのだ。
 自分の退院の期日には本当ははっきりとした基準などなく、すべては院長の胸一つで決められる。
 だとしたらもし私が、どうしようもないならず者の患者であったとすれば早めに厄介払いをしてくれないともかぎらない。――てっきりそんなふうに思いこんだ私は誰かまわずに食くってかかり、喧嘩をふっかけてみる。
 だがもちろんそんな私の作戦は、あっけなく空振りに終わった。
 ある日の午後、院長本人が私の病室を訪れる。ベッドの横の椅子に腰掛けてわざわざ人払いまでした後で、静かな口調で私を諭すのだった。
 歯がゆい気持ちはわかるがここでは忍耐が必要なこと。この脳挫傷というものは、慎重の上に慎重を重ねて経過を見守る必要がある。一見治りきったように見えても、後遺症の心配がつきまとう。無理をしてしくじっては飲み食いのような日常生活にさえ支障を来し、一生苦しむことになる……。
 その親身な口調を聞いて、私はたちまち自分の茶番を恥じた。
 何よりも忙しい最中を自分ごときのところまで、わざわざ足を運んでくれたのだ。私はすっかり恐縮して、何度も頭を下げた。
 病室を出る院長の後ろ姿を眺めながら、私もまた自分自身に言い聞かせていた。確かにそれは院長の言うとおりだった。先を急いで無理をしては元も子もない。「飲み食いのような日常生活にさえ支障を来す」というようなことになってしまっては、それこボクシングどころではないはずなのだから。
 だがそうしながら私は、ほんの少しだけ首を傾げる。「ボクシングができなくなりますよ。」――確かにそんな、私にはどんな殺し文句よりも効き目のあるはずの一言を、どうして院長はけっして使おうとはしなかったのだろう? 


 
院長の説得の効果はてきめんだった。
 その日を最後にいざこざはぴたりとやんだ。私は打って変わって、すっかりとおとなしくなる。
 だがそれはただ上辺だけのことではなかった。私の心の中からもいつしかあのはやる気持ちが消え失せて、穏やかな凪のようなものが取って代わったのだ。
 それは本当に、何という不思議な気分だったろう。
 そうだった。病院のベッドで過ごしたこの数か月は、いわば私の人生のピットインだった。ただひたすらボクシングのために走り続ける私のために設けられた、修繕と整備のための時間――もちろん初めはそんな空っぽの毎日が私には不満だった。栄光を目指して走る自分には一刻の遅れも我慢がならない。すぐにもまたこの先を、急がなくてはならないのだ……。
 だが院長と膝を交えてから、そんな私のもどかしさも消えてなくなっていった。
 確かにただ寝てすごすだけの休暇なら、初めからない方がよい。闘いを待つ身にとっては、それはかえってありがた迷惑な中断だった。だがしかしもしその間にもう一度、すべてを見つめ直すことができたとしたら? ただがむしゃらに今日を生きてきた私がふと足を止めて、静かに振り返ることができたとしたら? 
 だとしたらその同じ時間は、今度はきっと掛け替えのない意味を持ち始める。
 それはちょうど絵描きがしばし画架を離れて構図を見るように。私もまた今自分自身の人生から一歩退いて、その全貌を目の中に収めてみる。
 何かを愛しすぎたために、バランスを失くしてはいないか。あまりにもないがしろにされてしまったものはないか。そして何より私の演じるこのドラマは、もっと大きな全体の中ではどのように見えているのか? 
 そんなふうに自問を繰り返しながら、「栄光のボクサー」と題したこの作品の出来栄えをたえず確かめていかなければならない。
 だとしたら本当にそんな休暇を今、私は楽しむことを始めたのだ……。

 そうだった。
 いつ終わるともわからない長い休暇。ぽっかりと口を開けた空白の時間。
 だがきっとそれで構わないのだ。その間何をするでもなくただぼんやりと物を思いながら、自分はそれまで見なかったものを見た。聞こえなかった何かを間違えなく聞いていたのだ……。
 例えば二階の病室からは窓の外が眺められる。
 国道の上をゆっくりとたえまなく流れる車の列。黄金色のイチョウの落葉。公園のベンチに寄り添う男と女。
 ――確かにあれが人生だった。そうして切り取られた一枚の画の中に、まるで箱庭か何かのように世の中のすべてが描き込まれているのだ。
 不思議なことに自分にはその中身がよくわからずにいる。ボクシング一筋に無我夢中で生きてきた若者には、いつしかそんな大切な勉強がすっぽりと抜け落ちていたのだ。
 だが今なら私もまた教わることができる。少なくとも眼前に広がる景色から、地肌で何かを感じ取ることができるにちがいない。
 ――そうだった。あそこで乳母車を押す母親。杖をついた散歩の老人。客を下ろしてくつろぐくわえ煙草のタクシー。
 そしてそのどれもが今日の暖かい日差しに包まれている……。
 確かにそれがボクシングでない人生だった。
 そこには野心も栄光もない。ただ誰もがささやかな幸せに満ち足りて日々を暮らしていた。
 だとしたらあの柔らかい光の中に息づくものは、いわば終戦のやさしさだった。そしてそれは破れはてたボクサーの一時だけの休暇とは違う、本当に永遠に続くかもしれない安穏なのだ。
 もちろんそんなリングの外では、すべてがあまりにも退屈だった。だがしかしやわらかな秋の日射しの中で、同時にすべてはこれほどまでに夢のように美しい……。

 確かにそれがボクシングでない人生だった。
 そしてもしそうだとしたら? 
 私はここでもまたふと立ち止まって問いかけてみる。もしそうだとしたら今度はボクシングである人生とは一体何だったろう? 
 もちろんそれは「栄光」だった。少なくともボクシングと呼ばれるためには、そこには栄光を求めるための闘いがいつでも必ず欠かせなかった。
 はてしなく広がる夜の闇のその真ん中に、ただ一つ光に輝く四角いリング。それこそがひょっとしたら栄光が下り立つかもしれないボクサーの祭壇だった。祭壇に向かう道は数十歩で尽きてしまうような観客の間の花道ではない。それはボクサーだけが知っている、会場の外の暗闇をどこまでも続く道。確かにそこを今しも自分はたった一人で歩き抜いて来たのだ……。
 ボクシングはまた「断ち切ること」と同じだった。栄光を我が手で掴み取るために、ボクサーはいったんすべてを諦めなければならない。世間並みの幸せなどにはもちろん縁はない。挙げ句の果てにはもっとずっとなくてはならないはずのものさえも、まるで肉を削ぐように奪っていく。食事も水も、ときには微笑みや愛情さえも。――だとしたらきっとボクサーは、人間であることすら断念するのだ。それもまた、ただ戦う機械としてリングに立つために……。
 そのようにしてボクサーの祭壇には、いわば山のような生け贄が積まれていく。もちろんそれでも祈りが聞き入れられる保証などこにもない。ただそうしてすべてを捧げることでしか、栄光が下り立つことはありえない。そのことをボクサーは圧倒的な予感で知り抜いているのだ……。

 ――そうだった。つまりは栄光を追い求めるための長く苦しい道程。それがボクシングだった。
 少なくとも誰もが熱い言葉で語るボクシングとは、いつでもきまってそんな栄光の寓話なのだ。
そこではリングの上の男たちの闘いに、すべての彼らのもう一つの闘いが重ねられる。
 それは確かに何というわかりやすい比喩だったろう。
 ボクサーの栄光とはけっして曖昧な言葉の綾とは違う、要するにあのチャンピョンベルトなのだ。だとしたらスポットライトに映えるその輝きの意味するものは一目見て明らかだった。
そしてまたボクサーの耐える苦しみとは、要するにあの地獄の減量とトレーニング。あるいはリングの上で容赦なく降りかかる痛いパンチ……。
 だがしかしそうしながら私もまたやがて気がつかずにはられない。
 もしそれが寓話だとしたら、似顔絵には必ずモデルがいるように、たとえられた栄光そのものは確かに他のどこかになければならない。
 そしてそれはもちろん、病室の窓から見下ろすあの風景の中に。――
 だとしたらどうやら、私の理解はすっかり間違っていた。
 ボクシングでない人生は栄光ではない。代わりにそこでは誰もがただささやかな幸せだけに満ち足りている。――自分はこれまでずっとそんなふうに信じこんでいたのだ。だがしかしそれはけっしてそうではなかった。栄光と幸福は、本当はそんな二つに一つとは違う。互いがその領分を守りながら、少しずつ棲み分けるような仕組みがきっとそこにはありうるのだ。
 誰もが皆ちっぽけな幸福をついばみながら、また同時にその人なりの栄光を願っている。そこでは野心でさえ身を滅ぼす魔物ではない。まるであまり度の強くない酒のように、ただほんのりとした酔い心地で頬を染めることができるのだ。
 それは確かにボクサーがけっして知らない何かだった。――そうだった。ボクシングである人生とボクシングでない人生。栄光か栄光でないか。自分たちはいつだってそんなふうに割り切ってきたのだ。だがリングの外に見たものは、そのどちらでもなかった。どれもが多少の栄光に彩られながら、ボクシングのようでもありまたボクシングでないようである、数かぎりない人生……。

 そこでは男たちの誰もが、いやひょっとしたら女たちもまたその人なりの栄光に思い焦がれ、その人なりの痛みに耐えていた。だとしたら彼らもまたボクサーだった。少なくとも心の内のどこかに、いくらかのボクサーを隠し持っているのだ。
 それゆえ栄光の寓話であるボクシングは、また同時にそんなあらゆる人生の寓話でもあった。
 あの地獄の減量も、血みどろの十ラウンドも。すべてはその向こうに、もう一つの彼らの果てない闘いが透かし見られる。おんぼろジムの片隅で始まる天下取りの物語の中に、誰もがその淡い野心を託しながら夢見ていた。
 ボクサーがいつでもあれほどまでに愛され、声援されるのもまたきっとそんなわけなのだ……。
 だとしたらボクサーは、――私はいわば無数の読者を持つ劇画の中の主人公だった。物語の本当の筋書きを、主人公はまだけっして知らされてはいない。ただそこにあるはずの結末に向かって、今はただ走り続けるしかないのだ。
 もちろんそれはずいぶんと頼りない話だったが、特別な不満はない。例によって私は、初めからあまり難しいことなど考えはしないのだ。
 ただ主人公ということは、英語に直せばやはりきっとヒーローであるにちがいなかった。
 だとしたらそれは、私があれほどまでに憧れてきた「英雄」ということと、一体どう違うというのだろう? 

    4

 そうだった。
ぼっかりと口を開けた三ヶ月の空白の時間。病室の窓辺で過ごした人生の休暇。
 小春日和の公園をぼんやりと眺めながら、私はそんなボクシングの哲学のようなことに思いを巡らしていた。
 だとしたらそれはもはや、やみくもに突き進んだ以前の私とは違う。いわば今度こそ自分自身の居所をしっかりと確かめながら、地に足をつけて歩こうとするかのように。
 確かに今の私ならこうしてボクサーであることに、どこかしみじみとした誇りと愛着を感じることができそうだった……。

 その頃には頭の具合の方もようやく完調となる。
 それまでは始終あたりにたちこめていた、あの靄のようなものもすっかりと晴れ渡る。そうだったっけ? というような間抜けな相槌ももう打つことはない。だとしたらどうやら今度こそ、私はすべてを思い出したようだった。
 日常の寝起きにももう何の不都合もない。飲み食いを含めてまるで病室にいるのを忘れてしまうほど、普段通りの暮らしを送ることができる。もちろんボクシングは論外だったが、軽い体操や屈伸さえいつしか黙認してもらえるようになる。
 どこの誰からもそれまでのような湿っぽい表情は消えて、笑顔また笑顔が私を迎える。――もちろん見舞いの客は相変わらずひっきりなしに訪れた。だがそれはもう私の体を案じてというよりも、ただ溜まり場代わりの病室でそうして皆と騒ぐのが楽しみだったのだ。実際そこでは私を囲む悪友たちの間でいつでも冗談が飛び交い、笑い声が絶えることもなかった。

 今だから言うけど、――そうして話を切り出すのがいつしか皆の口癖となっていた。
 「今だから言うけどな、青沼。」と、これもまた久しぶりに見舞いにきた健介が例の冗談を始める。
 「手術のときには電気のこぎりで頭蓋骨を切ったんだ。そうしてすっぽり頭の蓋を外して脳味噌をいじくったらしい。その話を聞いたときには、さすがの青沼ももうおしまいだと思ったね。」
 それだけで皆は爆笑する。確かにこの「頭の蓋」の一コマは、想像しただけであまりに突拍子もなく、何だか漫画の中の出来事のように感じられたのだ。
 「今でも力任せに引っ張ったらきっと蓋が開くだろう。どうせなら毎日一回そうやって糠味噌を掻き混ぜてみたらどうだ。――」
 部屋には再び笑いの渦が巻く。
 笑いながら私は思わず頭に手をやってみる。つるっ禿げだったそこには、確かにもうふさふさの髪があった。――

 今だから言うけど、――今度はモウさんの出番だった。
 「今だから言うけど青沼が吃ったり、手が震えたりするたびに知らないふりをするのに苦労した。もうこいつも真っ当には戻れないだろうと思って、涙を隠すのが大変だった。――」
 今度もまた全員がどっと吹き出した。だがそれはおかしいからというよりも、さしずめそんな苦労がすっかり過去のものとなったのが幸せだから笑ったのだ。
 「何だ気がついていたのか。それならそうと言ってくれればよかったのに。」と、今度は私が馬鹿を言う。
 「自分の手が震えても皆黙っているので悩んでいたんだ。誰も気がつかないなら震えているように見えるのは自分の錯覚で、やはり頭がおかしいからかなって。」

 そんな掛け合いを聞いて、またしても全員が爆笑する。
 笑いながらふと私と妻の視線が会う。その目の表情にはどこか濡れたようなやさしさがあった。
 ――そうだった。そうして次々と飛び出す思い出話に混じって、確かに今でもなお言えなかったこともあるのだ。
 例えば初めのうちには、私はベッドの中で何度となく失禁を繰り返していた。見舞い客が帰るのを待って、濡らしてしまった下着を代える。「誰にも言わないでくれよ。恥ずかしいから。」と私はまるで母親にすがる子供のように、妻に懇願したものだった。
 そればかりではない。いかに気の置けない仲間でも、けっして覗かせてはならない部分はいくらもあった。
 いわば二人だけの秘密の数々を、見交わす目の奥にそっと確かめ合う。そんなさりげない夫婦のやりとりにどこかなつかしいような、しみじみとしたものを感じながら……。



 それはたとえば一組の若夫婦を囲むホームパーティー。
 訪れる仲間の開けっ広げの会話。――本当に、どこの家でもあるようなそんなお馴染みの風景を眺めるうちに、次第にそこが病院であることを忘れてしまう。何だか自分たちの居間ではしゃいでいるような、不思議な錯覚が捕らえ始める……。
 確かに隅に陣取る陰気なベッドさえ気にならなければ、すべては三か月前のあの頃と少しも変わらない。まるでそれが何かのお芝居であるかのように、そこでは女房持ちのボクサーの暮らしぶりがそっくりそのまま再現されていた。

 だとしたら私はいつしかこんなふうに考えていた。これはやはり予行演習なのだ。今の自分に必要なのは退院のための訓練だ。だからこそこうしていわば病室のままごとに興じながら、その先にやがて来るはずの本物の人生に備えようというのだ……。
 そしておそらく訓練は同時に模擬試験も兼ねていた。きっと今この瞬間にも私の言動に一つ一つチェックが入れられている。今ではもう補助輪を外した独り立ちが許されるのか。それともまだあくまでもその時期ではないのか。そんな患者の状態を見極めるために、厳重な採点が行われているのだ。そしてもちろん自分の得点は誰の目にも満点であり、退院の日はもう間近に迫っているはずであった。

――それでも医者は相変わらずゴーサインを出さない。その素振りさえ一向に見せようとはしない。
 だがしかし私はもう気が付いていた。これはきっと院長の仕掛けた罠なのだ。いやそんな失礼な言い方を改めるならこれこそが私に与えられた、卒業のための最後の課題だった。
 そうだった。とっくに治療の終わった元気な患者を、いつまでも引き留める理由などあるはずもない。だとしたら院長はただそうしながら、いわば試練を前にした患者の振る舞いを見守っているのだ。そんな意地の悪いおあずけを食わされて、患者は結局怒りに身を任せてしまうのだろうか? もしそうではなく、それでもなお穏やかな微笑みですべてを受け流すことができるとしたら――それこそが私の心の回復の、確実な証拠になるはずなのだ。
 そうだった。医者はこうしてすべてを日延べにしながら、私の内部に何か真実に直面する耐性のようなものが育つのを、じっと待っている……。

 だとしたらもちろん、突貫小僧のボクシングはここでは無用だった。血気にはやっての直談判などもってのほかで、それこそかえって試験官の思うつぼに嵌まってしまう。
 自分は遠回りではあるが、もっとずっと確実な方法を選ぼう。どんな場合にも必ずもっとも望まれる正解を見せつけることで、一つずつポイントを稼いでいこう。怒らない。焦らない。微笑みを絶やさない。どんなに病院暮らしが長引こうと当たり前のような顔をして、おおらかに振る舞っていよう。そうだった。それはまるで看守の前で模範囚を演じる囚人のように。
 例えばいつもの回診でのことだ。院長の例の「気分はいかがですか」の問い掛けに、私はことさらににこやかな笑顔で答えてみせる。
 「気分は爽快です。怪我をしたのが嘘のように、元気一杯です。」
 だがもちろん返事はそこまでだった。後に続くはずの「いつ頃退院できますか」は禁句だった。私は喉のところまで出かかった一言をぐっと飲み込んでしまう。
 確かにそれは以前までの私とはずいぶんと違う、格段の進歩のはずだった。案の定院長はこちらの様子をじっと窺いながら、何度もしきりにうなずいている。
 それが私の作戦だなどとはもちろん知るよしもない。ただ今日の患者の顔色と、そのいつになく落ち着いた受け答えがいかにも満足であるというかのように……。

 ――そんなやりとりがあったちょうど三日後のある日。医者の目には私の変身ぶりが明らかな状態の良化と映ったのか、一週間後の退院の許可が下りた。
 私が飛び上がって喜んだのは言うまでもない。
 知人と言う知人に片っ端から電話を掛ける。――もちろんそのどれもが、答えはただのおめでとうとは違った。その日にはまるでやくざの親分の出所のように、みんな揃って迎えに駆け付けるという。
 ジムの仲間はもちろんのこと、健介のような多忙な連中さえもそうだった。「つまらん仕事なんかおっぽりだして行くよ。」と健介は言っていたが、本当はそうしてスケジュールを空けるために、きっと土下座せんばかりにして頼み込んだのだ。
 そんな皆の気遣いを、私は今さらながらに有り難いものに感じた……。

 その夜の病室。夫婦二人だけのささやかなお祝いが行われる。
 さすがに酒というわけにもいかないので、ケーキとジュースで乾杯だった。このときばかりは減量のことも忘れて、子供のようにたらふくケーキをぱくついてみせる。
 そんな意地汚さを笑いながら、妻の目にしばらく見なかった涙が浮かぶ。
 確かにこれがどうして泣かずにいられよう。長すぎた三ヶ月の病院暮らしのその後で、ようやく訪れた幸せのひとときなのだ。だとしたら私もまた妙にしみじみとした気持ちになって、自分の目元が潤んでいるのをはっきりと感じることができた。
 だがそうしながら私の頭にはふと、おかしな考えが浮かぶ。
 そうだった。ひょっとしたら今のこれはそうではない。夫婦二人で幸せそうに見つめ合いながら、妻の流しているのはただのうれし涙とは違う――何だかそんな気がしてしまうのは、一体どうしてなのだろう? 

     5

 そして退院の日。
 開け放った病室の窓から吹き込む風が頬を撫でる。
 秋の終わりのやわらかい日差しを一杯に浴びながら、私は旅立ちのときを待っていた。

 約束通り仲間が駆け付けてくれる。
 口々に快気を祝い、私の手を握り肩を叩く。私もまた一人一人に丁寧にお礼の言葉を返しながら、長かった入院生活の思い出などを披露する。
 次々と人数が増えてやがて全員が揃う頃になると、病室はもうてんやわんやとなった。苦労話に花が咲き、そしてまたおどけた冗談のやり取りが続く。無理もないことだが、ここでもまたしばらくぶりの涙を浮かべる者もいる。
 すでにブレザー姿に着替えてベッドに腰掛けた私を、隙間なく取り囲む総勢十四人。めいめいの間に交わされるとりとめのないやりとりが混じり合って、いつしか大きなうなりのようになる。
 確かに今日の日の溢れんばかりの喜びを表すには、かしこまった儀式はいらない。こんなにぎやかなお祭り騒ぎの方が、はるかにずっとふさわしいのだ。――

 私もまた無邪気にはしゃぎ、冗談をやりかえす。
 だがしかしそうしてときにはおどけた素振りで仲間を笑わせながら、私の気持ちの中にはどこかめでたさに浸りきれない部分もあるのだ。
 そうだった。長かった休暇の終り。旅立ちはまた新しい苦しみの始まりだった。始まるのは「栄光」と「世界」を目指すあの地獄の日々。しかも四か月に及ぶブランクは、私の戦いをこれまで以上にきびしいものとしているにちがいないのだ。
 そう考えればいつまでもこうして浮かればかりはいられない。―――どこか場違いなそんな悲壮な思いに、私は誰にも見つからないようにそっと拳を握りしめる。
 だとしたら確かに集ってくれた仲間の祝福が、私には嬉しい一方でもどかしくもある。それはボクサーの新しい門出には少しも似合わない。十四人の誰もが終わった苦労を喜ぶばかりで、明日から始まる闘いに目を向ける者はないのだ……。
 本当になぜだが誰一人、ボクシングのボの字も言い出すでもない。――だがもちろん私はそんな怪訝を、これっぽっちも顔に出しはしない。祭に野暮は無用だった。その最中には難しいことはなどすっかり忘れて、一緒になって馬鹿になりきることだ。先に続くはずのことは、宴の後に残った者たちでしんみりと打ち合わせればよいのだ。
 私の持ち前の、サービス精神のようなものが頭をもたげる。巧妙なジョークと乗りとで仲間をもてなし、とりわけ笑いのプロの健介とのやり取りでは、病室にはしばしば笑いの渦が巻いた。

 皆が揃ってから約三十分、そんなふうに底抜けの陽気な騒ぎが続いた。
 買い物役を買って出た母もやがて戻って、お礼の品物も揃う。あとは病室の整頓をして、お世話になった院長や看護婦に挨拶を済ますだけでよかった。
 じゃあそろそろと、何度も言いかけながらそのたびに御輿を上げかねる。まるで暮らしなれた病室に名残を惜しむかのように、またしてもたわいのない四方山話に舞い戻ってしまう。
 そんなとき先刻から席を外していた妻が部屋に戻る。
 男たちのいつものおちゃらけに妻はやや毅然とした口調で割って入った。
 「退院の前に院長先生がお話があるそうよ。」
 こちらから挨拶に伺おうという矢先に、そんなふうに呼び立てられるのは確かに奇妙だった。そのうえ妻のこの険しいまでの真顔は一体何だろう? 
 そしてまた騒々しかった病室がとたんに水を打ったように静まり返ってしまったのも。――だがしかし私もまたやがてすべてを理解した。
 ドラマの終わりと思えたものは、けっしてそうではない。ぬか喜びのハッピーエンドのその先にもう一つの、どんでん返しの結末が待ち受けている。
 そうだった。だとしたら今しもそうして誰もが固唾を飲む、本物のラストシーンが幕を上げる。つまり私はきっとあのことを知らされるのだ。
 かつて私を悩ませた目配せと袖引き合い。涙。作り笑い。そんないじらしいどたばたを今日もまた繰り返しながら、これまで彼らがどうにか隠し続けた真実。
 その間も私はたえず秘密の手掛かりを探していた。誰かが思わずもらしてしまう一言や、不覚にも浮かべてしまう表情はないか――そんな謎解きがすっかり無駄に終わった今、私の旅立ちの最後の儀式として、院長の口からすべてが明かされようとしているのだ……。

 妻の言葉に答えるでもなく、私はただじっと座っている。
 まるで周囲の緊張が伝染したかのように、自分もまた体中の筋肉がこわばっているのがわかる。
 だが次の瞬間私はついに覚悟を決めて、すっくと立ち上がった。
 釣られるようにモウさんと会長が立ち上がる。続いてジムの二人の若手が、まるでボディガードのように両脇を固めた。 
だとしたらそれこそは、控え室を後にするボクサーの起立だった。こうしてセコンドたちに付き添われ、静かに戦いに心を備えながら、観客の待つ花道へとボクサーは黙って行進するのだ……。
 見送る仲間を部屋に残したまま五人はおもむろに出立する。
 行き先はもちろん院長室だった。
 歩き慣れた病院の廊下の、その数分ほどの道のりが今ではずいぶん遠いものに感じられた。
 その間私の胸には様々な思いが行き来する。
 ――今しもリングの上で私を待ち受ける対戦相手。それはいわば「真実」という名の見知らぬファイターだった。だがそれは本当に、こうして誰もが恐れているような強敵なのだろうか? どんな挑戦者もたちまち一撃のもとに、打ちのめしてしまうというような……? 
 そうだった。確かにこれまでのいつだって、皆があんな表情を見せたことはなかった。どんなに厄介な試合のときにも本人以上の空元気で、余裕で構えていたはずだった。それなのに今は誰もがどこか心細そうに下を向いてうなだれている。それもまたまるで死刑台に向かう友人を見送るかのように、なぜだか悲しそうな目をして。――
 そのうえ怯えているのは、どうやら彼らだけではないのだ。思えばかつて私を悩ませたあの水くさい秘密主義は、院長の口止めだった。そしてまた今日の今日まで退院が日延べにされたのも――だとしたら医者もまたこの対戦を危ぶんでいた。すべての真実を打ち明けることを、きっとためらっているのだ……。

 こうして最初はいやな考えばかりが浮かぶ。リングに向かう足取りが次第に重くなる……。
 だかもちろんボクサーに弱気は禁物だった。戦う前に気持ちが負けていては、はじめから喧嘩になどなりはしないのだ。
 だとしたら私はいつもの試合のように、魔法の呪文を唱え始める。おまえは強い。おまえは必ず勝つ。――そう言い聞かせるうちにここでもまたあの世にも不思議な暗示の作用によって、私の心はふたたび頑丈な鉄の鎧におおわれていく……。
――そうだった。確かに院長はずっと告知をためらってきた。あるいは今でもまだ及び腰でいるのかもわからない。だがしかしそんなとき院長の思い浮かべるものは、あくまで過去の患者の例であるにすぎない。
 これまで医者の手をわずらわせた、あの無数のボクサーでない患者たち。――もちろんそんなありふれた普通の人間であったなら、真実との対面に恐れをなすものかもしれない。だがどうしてボクサーであるこの私が怯んだりなどするだろうか? 
 もう一度繰り返そう。ボクサーとはいわば耐えることのプロだった。あの地獄の減量。血へどを吐くトレーニング。つかのまの勝利のその後には、再びまた果てのない苦闘の日々が待ち構えている。――ボクサーであるというのは、確かにそういうことなのだ。
 だとしたらどうしてそこに、今さら耐えられないものなどあるだろうか? 
 そうだった。常人にかなうことならどんなことでもボクサーははるかに安々と、涼しい顔でしのいでしまう。そのうえまた常人には到底かなわないことも――そんな超人的な忍耐についてもし院長に少しでも理解があったとしたら、何もためらうことはないはずだった。それどころかもっとずっと早く、おそらくはあの初めの目覚めの瞬間から、きっとすべてを告知していたにちがいないのだ。
 何度もそんなふうにつぶやくうちにいつしか迷いの気持ちは消える。自分の中にようやくしっかりとした勝利のイメージが出来上がっていく。
 これから始まるタイトルマッチ。向こう気だけが取り柄の若い挑戦者。
 迎え撃つのは「真実」とやらの、無敵のハードパンチャー。だがしかしそこにきっとあるはずの世紀の番狂わせを、私はもうとうに確信していた……。

 そんなふうにいったん吹っ切れてしまうと、今度は急にばかばかしい気持ちになる。自分が引き連れたこの大層な行列。全員の四角張った表情。そんな何もかもが滑稽なものに思えてくる。
 「わざわざこうして呼び出すなんて、一体どういう用件だろう。最後に人目につかないところで こっそり謝礼の催促でもするつもりかな。」
 だがしかしせっかく放ったそんな冗談にも、誰も何の反応もない。ただ話を振られたモウさんだけが、息が漏れたように弱々しく笑う。
 そんな陰気ったさがいい加減うっとうしくなって、私はひそかに舌打ちした。
 ――そうだった。ボクシングを知らない院長の場合は、まだ仕方がないとしよう。だがよりによってこの四人まで、どうしてこんなに後込みをしているのだろう。
 ひょっとしたらそこには本当にボクサーさえも打ちのめしかねないような、恐ろしい宣告が待ち受けているというのか。だとしたらそれは一体どのような? 
 今後は肉もアルコールも一切口にできない? だがそれはあれほどまでの減量苦と比べたとき、どれほどの苦労だろう。
 あるいは女の抱けない体になりました? 確かにそいつは少々辛いし、かず子には申し訳ない話だが、縄跳びでもして気を紛らすことは大して難しいことには思われない……。
そんなふうに一つ一つの可能性を数えたてながら、私は自分の強気を確かめていく。
 そうこうするうちにまるで麻薬でも打ったように、不思議に気分がハイになる。
 もちろんそれはリングを前にしたボクサーの、あのお馴染みの酔い心地だった。
 何も恐れることはない。神経は針金のようにたくましくなり、わけもなく無性に愉快になって、いつしか心の中で不敵な高笑いを始めるのだ。
 ――あっはっは。自分がそれしきのことで、取り乱すとでも言うのだろうか。だとしたら本当に、みんなボクサーのことがこれっぽっちもわかってはいないのだ。
 耳学問のモウさんはもちろん、若造二人もまだまだ修行が足りない。会長さえもう昔の気持ちを忘れてしまった。
 そうだった。ボクサーというものは、たったそれくらいの打撃ではびくりともしやしない。肉もアルコールも、女も何も要りはしない。ただこの世の果てに待ち受ける栄光があるかぎり、霞を食う仙人のように、ボクサーはただその夢だけを食って生きて行けるのだ……。
 だとしたら、今や防御は完璧だった。
 たとえこの先のリングでどんな悲劇と屈辱が襲い掛かろうとも、私はすべてを巧みに交してしまうだろう。
 そうだった。「ボクサーであること」に耐えてきた私には、もはや何一つ耐えられないものはないにちがいなかった。――
  
     *

 ようやくたどり着いた院長室。
 ボクサーの固めた拳が今は扉を軽く二度叩く。
 どうぞ、と答える物静かな声が向こうに聞こえた。
 「失礼します」つとめて折り目正しく、私たちは入室する。

 部屋の中は院長室とは名ばかりの構えだった。
 いくつかの事務机と簡便な応接セットを除けば、私たちの病室と何の変わりもない。
 ただ向かいのソファにおごそかに腰掛けた白衣の人物――私たちは直立不動でその言葉を待った。

 モウさんと会長と二人のジムの若手。それから今ようやく、遅れ馳せながら従ってきた妻の総勢六人。
 お座りくださいの一言にも、もちろん全員が腰掛けるスペースはなかった。私を除く五人は、ソファの背の後ろに控えて事態を見守っている。
 席についた後も院長は黙ったまま、しきりにカルテのようなものを覗いている。それはあるいはこれから迎える場面のために間を取っているのか。それともまだ話の中身を切り出しあぐねているのか。私はただじっと見つめている。今にも鳴り響くはずのゴングの音に静かに耳をすましながら。
 「こんなふうにわざわざお呼び立てしまして。」
 院長はカルテにまだ目を落としたまま、まるで独り言のように口を開いた。確かにそこには何の前触れもない。ボクサーの運命のラウンドは、だとしたらそうしてあまりにも唐突に、気がついたらいつの間にか幕を開けていた。――
 「退院の前にどうしてもお話ししておかねばならないことがありまして、ご足労願ったわけです。」
 そう言葉を続けながら院長はようやく書類から顔を上げて、上目づかいにこちらを覗き込む。もちろんそれは患者の症状を窺う医者の目だった。だがそこに見えたはきっと恐れていたものとは違う、両手を膝に背筋を伸ばし、余裕の笑みを浮かべた私の表情だった。
 そんな私の反応によろしい、と言うように小さくうなずいた院長は、再び顔を伏せてまるで書面を読み上げるような調子で続けた。
 「すでにもう気付かれているとも思いますが、ここまでずっとご本人にお教えできずにきたことがあります。今はその時期が来ましたので、ここで一切を包み隠さずお伝えしたいと思います。少々厳しい内容になるかもしれませんが、これからの生活にかかわる重大なことです。最後まで冷静に聞いてください。」
 言いながら院長は、念を押すかのように今一度頭を上げた。今度は先刻よりもずっと力強い、訴えかけるような眼差しで真正面から私を見据えたのだ。
 だが私の方ときたら、相変わらず胸を張って自信の笑みを浮かべたまま、「はい」と何の迷いもなく言い切ってしまう。
 そんなとき私のいたずらっぽい目の輝きは、きっとこんなふうに語っていたにちがいない。
 院長先生、ご心配には及びません。私はボクサーといって、先生が御覧になってきた患者たちとはまったく違った人種なのです。何を聞かされても少しも驚きはしませんから、どうぞこんな持って回ったやり方はやめて、すべてを単刀直入におっしゃってください……。
 確かにあのときの私ときたら、まるで注射を打たれながら泣かないよ、痛くないよ、と芯の強さを自慢する子供そのものだった。
 そんな私の視線と院長の視線が、ほんの一瞬ぶつかりあう。確かについ先刻は私のこんな強がりに、院長は満足そうにうなずいてくれたにちがいなかった。――だがしかし私の期待は裏切られた。それどころかその同じ院長が、今度はふと寂しそうな表情を浮かべて目をそらしてしまったのだ。いかにも私のけなげな注視に耐えかねたとでもいうかのように。

 そんな反応は私にはきわめて心外なものだった。
 私は横目で付き添いの仲間の様子を窺ってみる。だがどうやらこうして呑気でいるのは私一人だけで、彼らもまた何かに怯えたように強張った表情を崩さない。
 確かに目の前の院長も後ろに控える五人も、今しも起こるかもしれない事態に蒼褪めていた。
 だとしたらそこにはやはり、何かとんでもなく恐ろしい真実が明かされる。その一撃にはボクサーさえも、きっとひとたまりもなくリングに崩れ落ちる……。
 例えば女もアルコールも今後一切まかりならない? もちろんそれだけなら少しも取るに足らない。
 あるいはそれはそうではない、全く別の種類の何かなのかもしれない。今度ばかりは私もまたけっして極楽蜻蛉ではいられない。本当に決死の覚悟で掛からなければ、とても太刀打ちできないような相手なのだ。
ボクサーの背中にようやく軽い武者震いが走る。そうしながら戦う心にもう一度鉄の鎧をまとうために、私はまた例の心得の条を復唱してみる。
 ――あの地獄の減量。
 血へどを吐くトレーニング。
 つかのまの勝利と、果てのない闘いの日々……。
 確かにそれらのものと比べてしまえば、どんな責め苦もまたはるかに耐えやすいものに思えてしまうだろう。そうだった。「ボクサーであること」に耐えてきた私には、もはや何一つ耐えられないものはないにちがいなかった……。

 だとしたらもうこれ以上間怠っこしい前置きは無用だった。院長もまたそれを知ってか、ここでようやく意を決したように核心に踏み込んでいくのだった。
 「お話しすることは二つあります。一つ目は怪我の原因となった事故のことです。
 ご本人には交通事故による頭部打撲とお伝えしました。しかしそれは事実とは違います。――」
 もちろん事態は私がひそかに予想した通りだった。ちょうど末期の患者から病名を伏せるように、何かしら治療上の配慮のために怪我の真相は隠されていた。自動車事故の記憶がどうしても蘇らなかったのも無理はない、そんなものは初めから少しも起っていない、ただの作り事だというのだ。
 そして今長い沈黙のあとで、すべてが明かされようとしている。いわば瀕死の患者取り付けられた人工の心肺が取り除かれて、そこに本物の「真実」が埋め込まれるのだ。
 その瞬間すべての謎が脈絡で繋がれる。あの記憶の混沌。不可解だった周囲の言動。霧に閉ざされた明日からの自分。――散り散りになっていたそんな「私」の断片が、今しも一本の糸で綴られる。そうして再び配線された闘う機械は、もう何の迷いもない。もう一度あのリングの上に、力強い機能を始めるのにちがいない……。
 だとしたら私はそれまで以上に背筋を伸ばし胸を張って、話の続きをせがむように院長の顔を見据える。

だがようやく医者のしゃべった言葉は、私の少しも予期しないクロスカウンターだった。
 「本当の事故は試合中のものでした。ボクシングの試合中の頭部強打による脳挫傷。それが正式の診断です。
 八月十五日。後楽園ホール。対戦相手は、小和田義則(おわだよしのり)と読むのでしょうか? その小和田のパンチを続けざまに頭部に受けて、意識を失くされた。そのときの衝撃が今回の怪我の原因です……。」
 それにしても何という奇異な、思いがけない言葉だろう。院長の声は確かに耳に届いていたが、私はその意味が少しも理解できずにいる。まるで水槽の魚の群れのようにただ妖しい色どりに目がくらむだけで、私の手はそれらを掴むことも、触れることさえかなわないようだった。
 八月十五日? 後楽園ホール? だとしたら私がそのために必死に備えていた小和田との試合は、もうすでに行われていたというのか。
 そんな試合の記憶など、私にはこれっぽっちも残ってはいない。だがもしそうだとしたら、勝敗はどうだったのだろう。誰もが信じて疑わないように、勝利はやはり私にもたらされたのだろうか。

 私はまるで事態を飲み込めない。ただどうやらこの瞬間、自分が地獄に落ちたことだけは確かなようだった。そのうえそれはまだ本当の終わりではない。何より恐ろしいことに次に続いた院長の言葉は、闇の暗さに戸惑う私をさらに深い、もう二度と這い上がることのできない奈落の底へと突き落としてしまったのだ。
 「確かに直接の原因となったのは、その試合中の殴打でした。――」
 だが実際には長年のボクシングが、私の頭部に目に見えないダメージを積み重ねていた。今回の事故がただの失神では終わらない、深刻な脳挫傷に到ったのもそのためなのだ。
 今だから言えることではあるが、一時は医者も諦め掛けたほど危険な状態であった。
何も知らないのは意識を失くした当人ばかりで、数日の命と知らされた家族は途方にくれ、友人たちも大勢お別れに駆け付けたのだ。
 しかし私は奇跡的に意識を取り戻した。そればかりかおそらくはボクサーの超人的な生命力によって、確かにこうして奇跡的に回復を遂げたのだ。
 今はもう十分に問題のない段階に達したこと。必死の闘病はようやく報われた。私は実に辛抱強く、最後まで立派に頑張り抜いた。――
 「ただここでもう一つ、大切なことをお伝えしなければなりません。
 これまでにも申し上げた通りこの種の頭の怪我の場合、予後についても細心の注意を払わねばなりません。とりわけ同じような事故を繰り返すようなことがあれば、大変に危険なものとなります。
 もちろん日常の生活を普通に暮らすことには何の差し支えもありませんが、頭部に強い衝撃が加わるケースだけは絶対に避ける必要があります。
 こうして復帰を待たれるお気持ちを考えれば本当に心が痛みます。しかしながらボクサーとしての再起は、きっぱりと断念してもらわなくてはなりません。
 乱暴な体の動きを伴うことはすべて禁物です。ご本人には大変残酷なことと思いますが、もし守られなければ今度こそ間違えなく命に関わることになります。どうか約束してください……。」

 最後まで聞き終えることのできたのが不思議でならない。
 そもそも医者の言葉が理解できなかったのか。それともあまりに突然の宣告をまだ真に受けることができずにいたのか。とにかく私はそのままただおとなしく結びの言葉を待った。
 そうして院長が話を終えたとたん、それまで押さえられていた何かが爆発した。
 何かが――だが私はボクサーだった。爆発したのは感情でも言葉でもない、鍛え上げられた肉体の反射神経だった。
 席を蹴立てるようにして立ち上がり、私は目の前の獲物に向かって猛然と襲いかかろうとする。
 その瞬間モウさんが、会長が、ジムの二人の若者が腕と体に組み付いた。彼らが護衛のように付き添ってきた理由を、そのとき私は初めて悟った。
 制止を振りほどこうとする悪あがきがしばらく続く。そうするうちに遅れ馳せながら感情と言葉が爆発した。
 「この野郎――。」
 喉仏が吹き飛ぶような荒々しい声で私は絶叫する。
「いい加減なことを言いやがって。このやぶ医者め。殺してやる――。殺してやる――。」
 何度も叫びながら、私はそれでも院長に殴り掛かろうともがいている。やがて酸欠のような症状が見舞い、目の前から光が失われる。確かに泣き崩れる妻の声を聞きながら、私は自分の意識が薄らいでいくのを感じた。

 その後に続いた出来事について自分自身の記憶はない。ただ後に聞かされた話によれば、そうして我を失くした私は「殺してやる――。殺してやる――。」と狂ったように叫びながら、ただ寂しげにうつむいて耐えている院長にいつまでも、いつまでも掴みかかろうとしていたという。

      *

 それから二年、ボクサーでない日々が続いた。

 言い付けを守って養生した私には何の後遺症もない。本当に、あんな大事故があったのが嘘のように穏やかな毎日が続く。
 友達は口々に私を諭す。おまえは死にかけたのだ。いや実際に死んだのだ。あの日本一の院長の執刀がなかったら、今頃そんなふうにぬくぬくと生きてはいられないのだ、と。
 そんなとき私は実に素直にうなずいてしまう。確かに今またこうして再びのどかな春の日を浴びることができるのも、すべては院長のお陰なのだ。
 私は心の中で深く感謝する。同時にあの最後の日に、取り乱した自分が働いた非礼を詫びる。

 こうしてボクサーでない日々を暮らしながら、時折私は夢の中で泣く。
 私の見たのは、あの昔の遠く果てない夢だ。そしてそんな朝には、ここは自分のいる場所ではないというかすかな感覚が私を悩ませることがないでもない。
 私は今一度院長に非礼を詫びる。そうなのだ。恩知らずの私はそんなとき、本当にそんなときにだけ、思わずこんなふう呟いてしまうのだ。
 『医者よ、もしあなたが本当の名医なら、そのやさしい哲学者のような風貌が本物なら。――こうしてボクサーでない日々を暮らすよりは、事故の後私が外せなかった呼吸器の弁を、あなたのその手でそっと捻ってくれたほうがよかった……。』

                     (了)









哀しきパンチドランカー

2021年3月15日 発行 初版

著  者:鬼沢哲朗
発  行:鬼沢哲朗出版

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