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「空飛ぶ飛行機」
――ジャパニーズ・ジョーク集
日曜の昼下がり。
買い物客でにぎわう銀座の歩行者天国で、母親に手を引かれた少年が突然東の空を指さして叫んだ。
――あっ、空飛ぶ飛行機だ。
まえがき
陰気で生真面目で、およそユーモアとは縁がない国民と言われながら、我ら日本人の中にもジョークを愛する者が数多くいる。
それはまた落語家や、お笑い芸人の専売特許ではない。
ごく普通の市民がありふれた日常の暮らしの中で、――職場で、家庭で、学校で、――あるいは杯を交わしながら、あるいはまた電話越しに語らいながら、十八番の笑いのネタを披露する。
だがしかしそれだけ多くのジョークが交わされながら、彼らの誰かがそれらを書き留めている、という話はあまり聞いたことがない。
すべてはその場の即興で語られて、かつ生まれては消えていく。
ときにはプロたちのそれよりはるかに大きな笑いを引き起こしながら、プロでないがゆえに記録され、積み上げられ、受け継がれることはない。
それはただ単純に考えて、ずいぶんともったいない話しである。
ましてや、おりしも時代は文化発信の時代である。
インターネットからブログが生まれ、PCから電子書籍が生まれて、今では何の資力もつてもないずぶの素人が、自分なりの思いを伝えることが可能になった。
だとしたらジョークもまた、そうであってよい。
ジョークもまたそれらと同じように無数の素人たちによって、ぬけぬけと、――だがしかし百花繚乱と、発表されてしかるべきなのだ。
そしてそんな新しい潮流の先鞭を付けるべく、まずは隗より始めたのが拙著だというわけだ。
採録されたネタのすべては、筆者が過去の人生の様々な場面で着想し、実際に語ったオリジナルのものばかりである。
もちろんそのいくつかは、ひょっとしたらオリジナルと思っているのは当人ばかりで、すでに世間に知られているようなものも混じっているかもわからない。
もしそうだとしたら、すべては管見のいたすところであり、少なくとも意識的に盗用したものは一つたりともありえないのでご容赦願いたい。
あるいはまた野郎仲間の酒の席で飛び出した冗談のほとんどは、品のない下ネタや、愚にもつかない駄洒落にすぎないかもしれない。中には大層悪趣味のシックジョーク(sick joke)も混じっているにちがいない。潔癖性の淑女の方々の眼に触れれば、眉をひそめるだけだろうから、けっしておすすめはできない。
ただ私と同じようにそこそこの人生経験を積み、清濁を併せ呑む大らかさを持ち合わせた男性読者なら、きっとそんな猥雑なジョーク集に、微笑ましさといくばくかの共感を感じてくれるにちがいない。
また五十代になんなんとする筆者の過去のジョークは、その時代背景も発想法も、今の若者には理解しづらいものも多いかもわからない。
だがしかし、ここでもまたその逆に、私と同じ世代の読者には同じような懐かしさを共有してもらえるものと希望するものである。
もちろん最も致命的なことに、私の繰り出すネタの数々は、本人が思っているほど面白いものではないかもわからない。
もしそうだとしたら、素人の戯言と大目に見てもらいたい。
プロの仕事には厳しい批評の目を向けても、素人の懸命な冗談にはあえて笑ってあげるのが、温かい世間の仁義というものだ。
確かに、本の購入に入り用だったはずの数百円の費用は、プロの高座の木戸銭と考えるには、あまりにも安値であるのにちがいないから。……
平成二十九年 三月
著者しるす
*「休肝日七分割法」
酒飲みにとってはたとえ一日でも、酒を控えるのは辛いもの。
「週に一回は完全に酒を抜いて、肝臓を休ませる休肝日を作りなさい」と医者にたしなめられても、なかなか実行に移せずにいるものである。
だが知り合いのある酒飲みは、自信満々にこううそぶいていた。
「休肝日を週に一度、いっぺんにまとめて取ろうとするから無理があるんだ。
その一日分の休みを、残りの六日にも均等に分けて取るようにすればいい。
そうすれば二十四時間÷七だから、一日あたり四時間ずつ酒をやめれば、お釣りがくることになる。
四時間なら俺でもやめられる。ばっちし」
何かが違うような。……
*「何かが違う」
年配の方ならご記憶だろうが、今では「ソープランド」と通称される個室サウナ型の風俗のことを、かつて「トルコ風呂」と呼びなしていた時代があった。
もちろん本来の「トルコ風呂」とは、かの国(トルコ共和国)に伝統的に存在する公衆浴場で、男性には男性の垢擦り師がついて体を流す、健全な娯楽と社交の場である。その由緒正しい名前を、けしからぬ日本の性風俗業界の輩が、女性が性的サービスを行う特殊浴場の名前として、勝手に借用していたわけである。
もちろんかの国の人々にとって、これほどの侮辱はない。祖国の尊い名が、いかがわしいセックス産業の名称に用いられていることを知ったら、どれほどのショックだろう。
実際1984年に、元トルコ人留学生により、抗議の声が上げられた。当時の厚生省に対して名称変更についての直訴が行われ、マスコミに大々的に取り上げられたこともあって業界も敏速に反応し、その後諸店舗の看板を始め「トルコ風呂」の呼称はなだれを打ったように「ソープランド」へ改名されたのである。
と、ここまでは事実である。
さてそのころのある日、ご存じ地図出版の大手である帝国書院に、一本の匿名の抗議の電話が掛かってきたそうな。
声の主は年の頃は四十か五十のもちろん日本人。いかにも憤懣やるかたないという口調で、こうまくしたてたという。
「今般の世間の騒ぎについては、貴社とてもご存知であろう。いずこにおいても新たな『ソープ』」の呼び名が用いられ、『トルコ』の旧称など跡形も残ってはない。しかるに、貴社の世界地図はいまだにトルコがソープに直っていないではないか。
かの国の方々に、大変失礼なことだとは思わぬか?――」
うーん、 何かが違うような。……
*「尿療法」
今から二十年ほど前、 「尿療法」なる健康法が流行したのをご記憶だろうか。
朝一番に出した自分の尿をコップに一杯飲み干す。排泄したばかりの尿は基本的に無菌であるばかりでなく、そこに含まれる尿素やら、抗体やら、ホルモンやらが、様々な病気の治癒や健康の改善に有効だというものだ。
当時さる病院の院長が推奨本を出版したこともあって、マスコミでも大きく取り上げられたが、どちらかというと際物的興味のために話題になっただけで、実際に飲尿を実践された方は多くはなかったのではないだろうか。
さてそのころ、私の職場でもまた、この療法のことがひとしきり話題となった。
いかに健康のためとは言え、はたして本当にあの黄色い液体を飲み干せるものか、喧喧囂囂の議論が始まったのだ。
同じ質問を振られたある同僚の返答に、誰もがのけぞった。いわく、
私「それでお前はどうなんだ? お前は自分の小便を飲めるのか?」
同僚「うーん、自分のはちょっと。……」
何でも可愛い女の子のならば、いつでも飲んでいると言うのだ。
一体どういう趣味をしてるんじゃ、おのれは!
*「無償の愛」
とってもお下劣な、下ネタ大喜利の一こまである。
司会者 表向きの建前は?
解答者 日本全国で無償の愛を説いて回っています。
司会者 してその実態は?
解答者 「ただでやらせろ、この野郎!」とわめいています。……
*「看板に偽りあり」
いつの世にも謳い文句とその実態は、似て非なるもの。
看板の偽りに悪意を見つけて、憤慨させられることも確かに多々あが、ときには両者の落差にいくばくかの諧謔を見つけて、思わず笑ってしまうこともないではない。
否、以下の事例はもちろん現実の話とは違う、あくまでジョークの世界だけのものにすぎないのではあるが。……
『不動産広告の場合』
――セントラルヒーティング完備だというので行ってみたら、部屋の真ん中に炬燵が置いてあった。……
――駅から徒歩二十分というので行ってみたら、競歩の選手が測っていた。……
『求人広告の場合』
――フロアレディ募集というので行ってみたら、モップを持って床の掃除をさせられた。……
『人事募集の場合』
――なかなかの切れ者だというので採用しら、プッツンと切れる男だった。……
『モデルの場合』
――妖しい魅力の持ち主というので採用したら、ただの妖怪女だった。
*「どちら似」
職場の誰かにおめでたがあったりすれば、たいていきまって「どちら似か」が話題になる。
「それがまた俺の方に似ているんだよ。男の子だったらよかったのに、女の子が俺に似ちゃったからなあ」などと、亭主は頭をかいて笑ってみせる。
そんなときは、すかさずどこかから、あのおきまりの混ぜ返しが飛び出すのだ。
「馬鹿だなあ。お前に似てていいんだよ。隣のおじさんに似ていたら、どうするつもりなんだ?」
その心は――亭主の知らぬ間に、女房が近所の旦那と……という、ずいぶんきわどい冗談なのだが、そんな下世話な口調がかえって、いわば気の置けない仲間の手荒い祝福と解されて喜ばれるものなのだ。
だがしかしそんなあるとき、お調子者の新入社員が、思わずこうひとりごちたのが聞かれてしまった。
「けっこうペットのポチに似ていたりして。……」
その心は、やはり亭主の知らぬ間に、女房がペットのポチと……否。それはネタであるにしてもあまりにも不謹慎な、趣味の悪いシックジョークだった。
くだんの新入社員が、その軽はずみのためにきついお目玉を食らったのは言うまでもない。
* 「不条理とは」
女子校の持ち物検査で、ある生徒の鞄から避妊具が見つけられた。
「お前は男にやらせてるな」。そう叱りながら生活指導の教師が、ゴツンと一発、拳骨を食らわせたのはいうまでもない。
さてその次に調べられた生徒の鞄からは、もちろん避妊具は出てこなかった。
だがしかしそれを知ったくだんの教師は、「お前は生でやらせてるな」と叱りながら、やはりゴツンと一発、拳骨を食らわせたという。……
*「私の好きな漬け物」
1. 奈良漬け 2.柴漬け 3.ホルマリン漬け
*「日本の在来犬」
1.土佐犬 2.秋田犬 3.バター犬
何でも一部の女性たちは、陰部に塗ったバターを飼い犬になめさせて快感を得る――いわば自慰行為の一種なのだが、そのようにしつけられた犬のことを「バター犬」と呼ぶらしい。
はたして実際にそんな行為が行われているものなのか、あるいは単に男たちの妄想が作り出したおとぎ話にすぎないのかは、寡聞にして知らない。……
*「酒飲み」
酒飲みの気持ちは、ただ酒飲みだけにしかわからない。
アルコール恋しさのあまり、下戸には到底思いもよらぬような奇矯な行動に走ることだってあるものなのだ。だとしたら、こんな愉快な連中だって、本当にいたのかもしれない。……
1.三三九度のときに「とりあえずビール」と言った奴。
2.山登りのときに、遭難するといけないからと、一週間分の酒をかついでいった奴。
3.病院に入院中に、点滴の灌注器を指さしながら、「あそこにお酒を」と哀願した奴。
*「大船」
「大船に乗ったつもりでいてください」というのは勧誘の常套句である。
そんな甘言に乗せられて、虎の子の貯金を注ぎ込んだ儲け話は、たいていきまっておしゃかになる。
「大船に乗ったつもりで」――だとしたらそんな台詞を耳にしたときには、誰もがすべからく、あの二十世紀最大の客船に起こった悲劇を思い出して、心して欲しい。いわく、
――大船に 乗ったつもりが タイタニック。……
*「新ことわざ集」
私たちが習い覚えたのあの「ことわざ」というものは、おおむね前向きな、希望の教えだった。
だがしかし実際の人生は、しばしばもっとずっと厄介な、悲喜劇に満ちあふれている。
だとしたらそうして打ちのめされて、すっかり世を拗ねた者たちが、ときには思わず混ぜ返しのパロディーでも、作ってみたい気持ちになるのも無理からぬことである。
いわく、
1.捨てる神もあれば拾う神もあり → 捨てる神もあれば踏みつける神もあり(つまりはいつだって踏んだり蹴ったりだ、とうことだ)
2.人生七転び八起 → 人生七転八倒(のたうち回ってもだえ苦しむ一生だって、けっして珍しいものではない)
3.日はまた昇る → 日はまた沈む(しばしばそんな物事の裏側の方に、より多くの真実が含まれているものである)
*「物は言い様」
世の中には性豪と称される人物がいる。
すなわちそれは男性的活力の証であるから、我々にとってはときに自慢の種となり、ときに羨望の的となるのも無理からぬことなのである。
さて私の知人にも、精力自慢の者があった。だがしかしこの男の場合には、どうやら少々様子が違うようだった。いわく、
「俺って絶倫なんだ。強いの何のって、三十分に十回はいけるんだ」
ひょっとしたらそれは、絶倫ではなくて。……
*
また別のある知人は、常々女性恐怖症を自称していた。だがしかし彼の場合もまたやはり、ずいぶん様子が違うようだった。いわく、
「俺は女性恐怖症なんだ。きれいな女の人が近くに来たりすると、恐怖のあまりあそこがカチンカチンになってしまうんだ。……」
(それは恐怖症ではなくて、ただの助平だろうが!――)
また続けていわく、
「この前なんか恐怖のあまり、先っぽから泡を吹いてしまった。……」
(それはただの早漏だろうが!――)
*「新ことわざ集」
「焼け石に水」――ギャンブル狂の人間なら、きっと身につまされることわざだろう。
大枚注ぎ込んだ勝負に負けたその後で、財布の底をはたいて何とか買った次のレースで、申し訳程度の配当を得る。
もちろん損失のほとんどは取り戻せてはいない。そればかりではない。本当に負け続けなら足を洗おうという気持ちにもなれるだろうに、なまじ当たりの味を思い出したばっかりに、永遠に鉄火場の地獄をさまよい続けることになる。
それはまるで意地の悪い博打の神様が、「生かさず殺さず」を実践しているかのように。
そんなとき、おけら街道をとぼとぼと帰りながら、男がつぶやくのだ。
――焼け石に 二階から 雀の涙。……
*「グルメ」
――一万円札しか食べない、口が奢った山羊。……
山羊に紙を与えると、おいしそうに食らいつく。紙は元来植物が原料なので、草食動物の彼らには十分に食料の代わりになるのだという。
新聞紙、紙袋、なんでもござれ。中には食い意地が張って、体に悪いだろうにビニール袋まで口にする奴もある。
だがしかし、山羊といっても千差万別である。ちょうど高級品しか食さない口が奢った人間がいるように、山羊の中にだってときにはグルメ気取りのえり好みが、見られることがあるのかもしれない。
安物の新聞紙や紙袋などとんでもない。紙なら何でもいいというわけではないのだ。
そして挙げ句のはてには。……
*「物は言い様」
知人の一人に、超がつくほどの粗食の者がいる。
外食などはいわずもがな、コンビニ弁当を買う金さえ惜しんで、食パンにバターをつけてかじっている。
そうしてせっせと節約した金を何に使うかというとすべて女遊び、つまりは風俗通いに注ぎ込んでいるのだ。
そうして周囲の顰蹙を買いながら、本人はいたって涼しい顔で、
「俺は食欲を性欲に昇華したんだ」
とうそぶいている。……
*「言葉」
物書きなどをして暮らしていると、言葉の響きとか、その原義とかいうものが、必要以上に気になりだす。
例えば「紳士」という言葉がある。
その元来の意味合いは、もちろんただ男であるというだけではない。もっぱら上流社会の男性を、あるいは品位があり教養も高い、立派な男性だけを指し示す単語であるにちがいない。
もちろん限りなく貧相で、俗悪な自分は、けっして紳士ではない。そのことは当の本人が一番よく承知しているのである。
さてそこで一つ、大きな問題が生じる。鉄道の駅であろうと、デパートであろうと、必ず現れる「紳士用トイレ」の表示である。
もしこれが本当に紳士のためだけの施設であるとすれば、そうでない私はやはり、利用するのがためらわれるのである。
もちろんあたりに他のトイレがあるわけでもなく、事態は急を要するわけだから、結局ためらいながらも紳士用の入り口をくぐるはめになるのだ。
だがしかし、そうしておっかなびっくりに足を踏み入れた私の目の前では、一人のプータロー(浮浪者)が洗面台の水でしきりに体を拭っていたりするのだ。
その薄汚れた半裸の姿を見て、私は思わず胸をなで下ろす。
それはそうだろう。少なくともこの男よりは、自分の方がはるかに「紳士」であるのにちがいないから。……
*「替え歌」
――おたまじゃくしはカエルの子♪ クジラの精子じゃありません ♪♪
もちろん理屈ではわかっている。どんなに巨体のクジラだろうと、その初まりは単細胞なわけだから、精子は他の動物と少しも変わりはしない、微細なものなのにちがいない。
だがしかしどんなに頭ではわかっていても、私たちの感覚はどうしても、こんな荒唐無稽な想像の方に加担してしまう。
そうだった。あれだけの 図体だもの、その精子だって十分に目に見えるくらいの、おたまじゃくし大のやつを放出しているにちがいない。……
*「不動の地位」
その昔、ある風俗店の呼び込みがのたまった。
「いい子紹介しますよ。うちの店のナンバーワン。
もう四十年以上もナンバーワンなんですから」
それってひょっとして。……
*「お新香」
その昔「レモンクラブ」という名の風俗店があった。
名前の連想から、さぞピチピチギャルが一杯だろうと期待して飛び込んだら、とんでもないおばさんをあてがわれた。
腹に据えかねて、帰り際に呼び込みのボーイにからんでやった。
「何がレモンだ。しわくちゃのばばあだったじゃないか」
それを聞いたボーイは、平然とうそぶいた。
「ああ、あの子ですか。あの子はレモンのおしんこです」
何でもかんでもおしんこにするな、ってーの!
*「記憶」
私の知人に大層酒癖の悪い男がいる。
いったん飲み出すと、底抜なしに飲み続けるばかりでなく、最後には誰彼かまわず喧嘩をふっかけては暴れまくる。
もちろん酒の上でのことだから、当人には何も記憶はない。翌日になれば、何事もなかったようにけろっとしている。
ある朝もまた、そんな昨夜のご乱行を周囲に指摘された知人は、怪訝そうにこうひとりごちた。
「そんなに飲んじゃあいないだろう。本当にそんなに飲んだのなら、ちゃんと覚えているはずだ。……」
*「妖怪小話」
その昔「口裂け女」という都市伝説が広まったことがある。
マスクをした若い女性が、学校帰りの子供に「わたし、きれい?」と訊ねてくる。マスクを外したその口は耳元まで大きく裂けている――というあれである。
――ちょうどそのころ、ある一人の男が噂の真相を確かめようと立ち上がったそうな。
はたせるかな、三日三晩の探索の後、ついにそれと思しき女を引っ捕らえることに成功した。
「世間を騒がすお前の正体は、一体何者だ」。そう問いつめる男に、女は涙ながらこう答えたそうな。
「口が裂けても言えません」
お前は初めから口が裂けてるだろうが――そう言って男が思いきり女をどついてやったのはいうまでもない。……
*
――さて、妖怪つながりとでも言うのだろうか、男は翌日、今度は「のっぺらぼう」を引っ捕らえた。後ろ手に締め上げられて身動きひとつかなわない姿に、目鼻のない化け物はこう言って嘆いたそうだ。
「これではみんなに会わせる顔がない」
お前は初めから顔なんかないだろうが――そう言ってここでも男が思いきり相手をどつき倒したのはいうまでもない。……
*「恐怖のカルピス男」
男の精液には「薄い」と「濃い」があって、片やどんなに頑張っても子宝に恵まれず、片や望みもしないのにたちまち腹ぽてにさせてしまう。……
もちろん医学的には、濃度の問題ではない、もっとちゃんと別の原因があるのにちがいないが、そんな俗っぽい言い方の方が、少なくともジョークの世界にはふさわしいにちがいない。
いわく、
1.ある「薄い」男は、結婚して何年しても子供ができない。不思議に思って顕微鏡で自分の液を調べてみたら、精子の代わりに乳酸菌が泳いでいた。……
(それ以来彼は仲間うちから、「恐怖のカルピス男」と呼ばれているそうである。)
2.またある「濃すぎる」男は、ダッチワイフを妊娠させてしまったと言って嘆いている。……
*「三つ子の魂」
「三つ子の魂百までも」ということわざではないが、幼い時分に受けたしつけというものは、確かにその人の一生を左右するだけの影響力がある。
三歳にして礼儀をわきまえることを教わった者は、生涯折り目正しく振る舞うだろうし、そうでないものは、きっとその後もずっと、ずぼらのままであり続けるだろう。
だとしたら幼稚園の食事どきに、一斉に両手を合わせて「いっただきまーす」を唱和する――あの光景はただ単に微笑ましいというばかりではない、重要な教育的意味をになっているのにちがいない。
だがしかし確かにごくまれに、そんなしつけのよさが裏目に出てしまった者もいるようである。いわく、
――子供のころのしつけがよすぎて、女と寝る前に「いっただきまーす」をやっちゃった奴。……
いやもちろん、ただの他愛のない冗談にすぎないのではあるが。――
*「馬並み」
男性諸子の心の底には、たいていひそかに巨根(巨大な男性器)への憧れがある。
立派な道具を持ち合わせることで、思う存分女を泣かせてみたい――巨根の象徴はもちろん馬であるから、「馬並みになりたい」というのがすなわち彼らの願いなのだ。
さて昔あるところに、貧弱な持ち物に悩む男がいた。
「短小」「粗チン」と仲間から嘲られ、異性からも疎まれた続けた男はことのほかこの巨根願望が強く、毎日のように「馬並みになりたい」と嘆き暮らした。
だがしかし、どうやら神様というのは本当にいるものらしく、ある日ついに男の長年の願いが聞き届けられたのだという。
もっともそこにはどうやら、ちょっとだけ手違いがあったようだ。
そうだった。ある朝男が目を覚ましてみると、顔の長さと頭の中身は確かに馬並になっていたが、肝心のあそこの方は相変わらず粗チンのままだったのだ。……
*「矛盾」
――骨董屋の店先で売っていた、不死鳥の剥製。……
「矛盾」という言葉の由来をご存じだろう。
昔の中国で「どんな盾も突き抜く矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなる」と問いつめられて返答に窮した、というあれである。
今度のジョークもまた、そんな文脈で解して欲しい。
もとより古物屋の店先には、怪しげないわれの「お宝」が並んでいるものだが、この「不死鳥の剥製」は笑わせる。
確かに剥製になったフェニックスなど、ありがたくも何ともない。それは少しも不死ではない、しっかりと「死んでいる」にちがいないから。……
*「言い間違え」
――葬式の挨拶で、「ご同慶の至り」とやってしまった奴。……
確かに平生から言葉の勉強が足らないような場合、思わぬ失態をやらかすことがある。
とりわけ敬語やら、漢語やら、定型の挨拶やらは、日常に使い慣れないものであればあるほど、そんな危険が増すというものだ。
くだんの男だってもちろん、少しも悪意はなかった。ただ悲しみは私も同じでございます、という気持ちを伝えたかっただけなのだ。
そしてついつい、うろ覚えの成句が口をついた。「慶」という漢字の担う意味合いに少しも思いが至らずに。……
そればかりではない、まるで追い打ちを掛けるように、男はその後にこう続けてしまったという。
「…… 何がさいわいするかわかりません。このうえ奥様に、もしものことがあったあかつきには。――」
*「一語違いが大違い」
「愛のないセックスなんてできない」――それは確かにとびきりの、ロマンチックな台詞である。この放埒の時代に、来るべき愛のために貞節を守る、熱情の叫びなのだ。
一方、高校のある友人は、こんなふうに叫んでいた。
「愛のないオナニーなんてできない。――」
一体、お前はどのような。……
*「種馬」
サラブレッドの世界と言えば、まずはさておき血統の世界である。
優秀な成績を収めた馬の子供なら、同じように優秀であるとされて、しきりに「交配」と「生産」が行われる。
とりわけ一流の雄馬は、ひっぱりだことなる。
年間に百回以上の種付けが行われるばかりではなく、その一回ごとに時には何千万円という単位の種付け料をいただている豪傑もいるのである。
人間たちの世界に置き換えてみれば、それは確かにうらやましいかぎりだった。いわばとっかえひっかえ女をあてがわれた挙げ句、その度に目の玉の飛び出るような額のお金を貢がせることができるというわけだから、まるで極楽なのだ。――
さてあるとき、そんな種馬たちの暮らしぶりを聞かされて、風俗通いの友人はこう言ってため息をついた。
「畜生、うらやましいな。 それに比べて俺なんか、種付け料払っているからな。―― 」
*「近頃の子供」
近頃の子供たちときたら、とみにかわいげがない。
例えば古き良き時代には、どんな洟垂れ小僧でも、きまって瞳を輝かせて未来の夢を語ったものだ。「大人になっら野球選手になりたい」「宇宙飛行士になりたい」――
ところが今日日の子供はてんで覇気がない。大人になったらの問いかけには、平然と「サラリーマンになりたい」と答えるという。
身の丈に合わない夢を追いかけて大けがをするよりは、呑気な安定の方がありがたいというわけだ。
そんな無気力を目の前にして、昔気質の熱血教師が思わず叱咤した。「もっと大志を抱け」。
すると子供は、いかにも仕方なしにという口調で、こう答えたという。
「それじゃあせめて、係長になりたい。――」
*
近頃の子供たちときたら、とみにかわいげがない。
例えばいにしえの時代なら、一人っ子はきまって弟が欲しい、妹が欲しいとせがんでは、親たちを困らせたものだ。
ところが今日日の一人っ子はとんとそんな素振りは見せない。
それどころか、弟が欲しくはないのかと問われて、冷ややかに首を振りながら「だって弟がいれば、相続のときの取り分が減るじゃないか」と答えたという。……
*
近頃の子供たちときたら、とみにかわいげがない。
例えば一昔前の男の子なら、取っ組み合いの喧嘩は当たり前だった。
やんちゃや腕白は元気な印であり、力自慢のガキ大将はどこでも一目置かれる存在だったはずだ。
だがしかし今日日弟か妹の男の子はすっかり冷め切っている。
力ずくの勝ち負けなんて野蛮きわまりないし、そもそも感情をむき出しにしてやり合うようなことは、格好が悪いとでも思っているようだ。
もちろんそんな現代っ子でもときには、一触即発の危機を迎えることがある。
あるとき私の二人の甥っ子が、ゲームの取り合いか何かで激しく言い争った。
一人はもう堪忍袋の緒が切れたとばかりに、拳を固めている。
これは珍しい絵が見られると、内心期待して見守る私の前で、だがしかし甥っ子は振り上げた拳をぴたりと止めて、こう言い放った。
「もう止そう。大人げない。――」
*「辛子明太子(からしめんたいこ)」
若者言葉の変化について、指摘されて久しい。
それはただ、得体の知れない造語や、略語のことだけではない。とみに顕著なのは、むしろそのアクセントの変化である。
例えば女性にとっての恋人は、元来の日本語では「かれし」のように先頭にアクセントを置いて発音すべきなのに、若者たちはもっぱら「かれし」のように平板に、あるいはときには尻下がりにすら聞こえる声調を好む。「かなり」も然り、「サーファー」も然り。中には「クラブ」(学校の同好会)と「クラブ」(昔でいうディスコ)のように、意味合いによって同じ語彙を高低を変えて使い分けていることさえある。
そんな不思議な語調の変化が、ときには新しい言葉遊びを生み出すこともある。
例えば福岡の名産に、辛子明太子というものがある。
その渋めの味わいから、よその土地では年配の好物のように思われがちだが、地元ではその嗜好は老若男女を問わない。
中年の男性ばかりか、マニュキュアに茶髪のお嬢様に至るまで、この食べ物の熱狂的なファンばかりなのだ。
そうだった。ちょうど東京の少女がチョコレートやケーキに目がないように、福岡の女の子は明太子に首っ丈だった。
その食べ方も若者らしく創造的で、ただご飯のおかずというだけでなく、スパゲッティに、ピザに、スイーツにと、何かにつけて片時も明太子がなくてはいられない。
それはまるで彼女たちにとって明太子が恋人だ、彼氏だ、というかのように。
だとしたら「かれし明太子」というかの地での呼称は、きっとそのあたりから来たのである。―――
*「依存症」
薬物には依存症と言われるものがある。
それはただ、麻薬と呼ばれる類のものだけではない。ごくありきたりの市販薬でさえ、いったん使い出すと、おそらくは心理的なこともあって何だか片時も使わずにはいられなくなる。
ビタミン剤を飲まないとしゃきっとしない。目薬をささないと視界がかすむ。消化剤の助けがないと、胸のつかえが取れない――そんな暗示に縛られて哀れな依存症の患者たちは、今日もまた薬の瓶を放せずにいる。……
だとしたら中には本当に、こんな笑ってしまう人物だって現れないとはかぎらない。
――トイレの前には下剤を飲まないと便通が起きず、
トイレの後には下痢止めを飲まないと便通が止まらない奴。……
毎朝下剤を飲んだり、下痢止めを飲んだりと、ずいぶんお忙しいことである。―――
*「新ことわざ集」
『泣きっ面に雀蜂』
阿鼻叫喚の不幸のさなかに、さらに追い打ちを掛けるようにまた別の不幸に見舞われる。
そんな踏んだり蹴ったりの状況を、昔から「泣きっ面に蜂」と呼び慣わしたものだ。
だが確かに、ときにはもっとずっとたちの悪い、雀蜂のような奴が襲い掛かることもあるのにちがいない。……
『蛙の面にうんこ』
水に住み慣れた蛙は、たとえ顔面に水を掛けられても、もちろん少しもひるむことはない。
それどころかたとえ小便を浴びせたとしても、平然とその場に居続けるにちがいない。――そんな蛙の生態に、人間たちの厚かましさの戯画を見つけて「蛙の面に小便」ということわざが生まれたのだ。
だが確かに、たとえどんなに厚顔無恥の蛙だって、もしも大便の方をぶちまけられたら、たちまち悲鳴を上げて逃げ出すのにちがいない。……
*「奇妙な標識」
一昔前の田舎町では、警察と市民との間に、都会のような殺伐とした緊張の関係はなかった。
警官はあくまで「おらが村のおまわりさん」という愛すべき存在であり、警察の方もあまり細かいことに目くじらを立てるような取り締まりは望まなかった。
極端な場合には、多少の飲酒運転やスピード違反も、まあまあそういうこともあるでしょう、という具合で敬礼一つでお目こぼしいただいたというわけだ。
もちろんそれは、本当はあってはならないなれ合いなのだが、田舎町らしいおおらかさととらえれば、微笑ましく思えないこともなかった。
もっとも田舎の警官とて、目の前で堂々と違反をやられては、建前上取り締まらざるをえない。
だがしかしとりあえず見えないところでやってくれれば、あるいは少なくとも目立たないようにやってくれれば、、見て見ぬふりをすることもできるというわけだ。
以下はそんなのんきな田舎町の土壌から生まれたジョークである。
――茨城の県道に立っていた「交番近し徐行せよ」の標識。……
せめてうち交番の前でだけは、ちゃんと繕ってくださいよ――確かに、そんな警官の心の叫びが何だか聞こえてくるようだ。……
*「競馬で家を建てた男」
ギャンブルに手を染める者なら誰でも、表向きは嗜む程度と笑いながら、心の奥底のどこかでは、一儲けを夢見ていないものはない。
「博打で家を建てた男」は、いつでも彼らの無意識の憧れなのだ。
私の知人もまた競馬狂であった。
彼もまた見果てぬ夢に踊らされて、よせばいいのに給料の大半をレースにつぎ込み、――そして当然のように負け続けた。
女房子供には愛想を尽かされ、長年住み続けたマンションの家賃は払えなくなり、……多摩川の河川敷に他の多くのホームレスとともに、ビニールシートの小屋を建てて暮らし始めた。
彼は確かに、あれほど憧れていた「競馬で家を建てた男」となったのだ。……
*「適量」
「酒は百薬の長」という言葉の通り、ほどよく嗜む程度なら、アルコールはあくまで健康の味方である。
一方度を超せばたちまち身を滅ぼす毒となるから、そこにあの「適量」という考えが生まれるのだ。
例えば、
ビール 1本(633ml)
清酒 2合(180ml)
ワイン 1/3本(240ml)
ウイスキー水割り シングル2杯 、ダブル1杯(60ml)
焼酎お湯割り 0.6合 (110ml)
そんな目安を記した一覧表には、誰もが見覚えがあるであろう。
さてかつての私の職場でもまた、おそらく男性社員の自覚を促すために、同じような一覧表が壁一面に張り出されたことがあった。
ある日大酒飲みのはずの同僚が、張り紙をつくづく眺めながら、しきりに頷いている。「うん、これなら俺は大丈夫だ。ちゃんと適量を守っている。……」
不思議に思って問いただすと、この男は何と自信満々に言い放った 「昨日だって飲んだのはそれだけだ。ビール一本と、日本酒一合と、。……」
andで読むな! orだって言うの、or! しかもそれじゃあ、ちゃんぽんじゃあないか!
*
また別のある同僚は、同じ張り紙を前に、こうつぶやきながら舌打ちをした。
「何が適量だ! ちっとも足りないじゃないか!」
*「ウィリアムテル」
幸運には「射止める」という言葉がよく似合う。
江戸時代の富くじでは、木箱に入れた富札を錐の先で突いて当たりを選んでいたそうだが、これもある意味では「射止め」ていたのだ、と言ってもよいだろう。
現在の宝くじの場合は、もっと直截である。抽選会場では、回転盤に書かれた数字を、本当に弓矢で射抜いて、当選の番号を決めているのだという。
射止める――そうだった。さあればこそときには、こんな愉快な想像も浮かんでこようというものだ。
――宝くじの抽選会場に 忽然と現れたウィリアムテル。……
もちろんそれは実際にはあるはずもない、あまりにも荒唐無稽な絵図ではある。
だがしかし、確かに息子の頭の上にある林檎を射抜いたというウィリアムテルなら、思いのままの番号を射止めることだって、いとも容易であるのにちがいない。――
*「無意味な言葉遊び」
――完全に開き直った、アジの開き。……
*「無意味な言葉遊び」
――清濁併せ呑む、どぶろく。……
「清濁併せ呑む」とはもちろん、清流も濁流も迎え入れる大海のように、善人も悪人も分け隔てなく受け入れる度量の広さを表す。
だが確かに読みようによっては、清酒も濁酒(どぶろく)も見境なくちゃんぽんでいただく、意地汚い酒飲みの話と受け取れないこともない。……
*「 抜き差し」
膣痙攣というものをご存じだろうか。
性行為のまっ最中に何らかの刺激や、精神的な原因により、文字通り女性の膣が痙攣を起こす。
もちろん立派な医学的症状なのだが、男たちの下ネタに登場するのは、その中でも最悪のシナリオである。
すなわちもしそれが本当に、まさしく「挿入」の最中に起こったとしたら。そのうえもし、痙攣が重度のものであったとしたら。男性自身は女性器の中にしっかりとくわえ込まれたきり、引き抜くことがかなわなくなる。
そんな文字通り「抜き差しならぬ」状況に終い込まれた男女は、そのまま救急車で病院へ送られる。……
もちろん当の本人たちは、できれば大事にはしたくない。時間が経って、痙攣が収まるのを待ちたいのが本音だろう。
だが血流が止められた男性自身は石のような勃起の状態のまま、食いちぎられるような痛みが襲う。放置すれば壊死の危険もあるわけだから、本当にやむにやまれずなのだ。
――抜き差しならぬ 膣痙攣。……
一方野次馬たちにとっては、すべては最高の見せ物である。
それはただ男と女の秘め事が、ひょんな出来事によって白日にさらされた、というばかりではない。
下半身をつながれた状態のまま、申し訳程度にタオルか何かをかぶせて担架に乗せられる男女の姿は、確かにとてつもなく間抜けな、笑える絵であるのにちがいないから。――
*「よいお年を」
およそ誉め言葉と言われるものには、いつでも必ず二様の解釈が可能である。
「おきれいですね」の一言は、もちろんたいていは字義通りに相手の美しさをたたえる賛辞であるにちがいないが、ときには逆に不細工に対するあてつけともなりうる。相手の真意がそのどちらにあるのかは、普通はその場の文脈と状況に応じて理解され、処理されているのである。
もっとも言葉の解釈を左右するものは、そうした客観的な要因だけとはかぎらない。たとえば受け取る側の気質のようなものも、大きな影響を及ぼすにちがいない。
片や温室育ちのおめでたい人物は、あからさまな皮肉を投げつけられても、その裏の悪意などつゆ疑わない。一方踏んだり蹴ったりの人生を歩んですっかり心のねじけてしまった男たちは、心底からの誉め言葉さえもはや素直には受け取れない。
ちなみに類は友を呼ぶというのか、私の知人はおおむね後者のタイプである。それはもはや誉め言葉の場合にとどまらない。
「すっかり梅雨も晴れたねえ」
「晴れねえよ。俺は一生涙雨だよ」
という具合で、単なる時候の挨拶さえ、まるで反語か何かのように受け取られてしまう。
そう言えば去年の年末にも「よいお年を」と声を掛けられて、
「悪かったな。どうせ俺にはよい年なんかこないよ。どうせ来年も踏んだり蹴ったりだよ」
とふてくされていた奴がいたっけ。……
*「離婚の原因」
ひと頃芸能人の離婚会見などで、「性格の不一致」という台詞をよく耳にしたものだ。
もちろん本当の離婚の原因には、もっとずっと込み入った事情があったにちがいないが、そうした裏側にはすっかりと口を閉ざして、ただその一言だけですべてを片づけてしまうのが流行りだったのだ。
ちょうどそのころ、ある高校の英語の教師が、悪乗りして黒板にこう大書した。
『whichの三用法』
1.疑問詞のwhich
2.関係代名詞のwhich
3.性格のwhich
さすがに英語の教師ともなると、駄洒落も国際的だ、というわけだ。――
*「BSE」
狂牛病(BSE)の騒動についてはまだ記憶に新しいであろう。
いわく、狂牛病に掛かった牛は脳味噌にスポンジ状の空洞を生じ、運動機能に障害を来す。食肉を通して感染し、人にまた同様の症状を引き起こすという。
さて、牛肉を口にすることさえためらわれたそんな騒動のさなかに、こんなたちの悪いシックジョークを耳にしたことがあった。
――どんなに牛肉を食べても、絶対に狂牛病にかからない奴がいるのを知っているかい? 答えは簡単だ。それは初めから脳味噌がスポンジな奴だ。……
ちなみに「初めから脳味噌がスポンジな奴」とは、知能程度の低い人間たちを揶揄して称した言い回しと思われる。――
*「無知」
その昔HIVの感染例が国内にもちらほら現れ始め、無節操な性行為の危険性がようやく啓蒙され始めたころ。
ある風俗狂いの男が、友人の忠告を笑いながらこう言い放った。
「俺は子供の頃に、一回やっているから大丈夫だ」
(はしかじゃないと言うのに!)
挙げ句のはてには「今から予防接種に行って来ると」と豪語して、そそくさと夜の街に消えていったという。……
*「本末転倒」
物事には順番というものがある
それ自体はどんなに立派な行為でもこの順番を間違えると本末転倒、全くの無駄に終わったり、ときには裏目に出てしまうことさえある。
あるとき知人の一人が、あれだけやっていた酒とタバコをきっぱりとやめた。健康のためだと言う。
思い切りのよさにひとしきり感心していると、知人は胸を張ってこう付け加えた。
「俺は意志が強いんだ。あと残るは覚醒剤だけだ」
覚醒剤から止めろって言うの! 覚醒剤から !
*「二十四の瞳」
『二十四の瞳』といえば、言うまでもなく壺井栄の小説である。あるいはまた同小説を原作とした映画の方を、真っ先に思い浮かべる方もあるかもしれない。
瀬戸内海の小豆島に赴任した女教師と、十二人の新入生の物語――そしてもちろん「二
十四」という数字は、一斉にこちらを見つめる生徒たちのの数を表しているのにちがいなかった。
さて、かつてある飲み会で、仲間の一人がこう謎を掛けた。
――『二十四の瞳』に続編ができた、って知っているかい?
もちろん周囲の返答はノーであった。
それを聞いた仲間は悪戯っぽい目で笑いながら、こう種明かしをしてみせた。
――十九の明美に二十(はたち)のさやか、っていうんだ。ハハハ。
それじゃただの、キャバクラの姉ちゃんの名簿じゃないか!――
*「新ことわざ集」
命あっての物種、という格言をご存じであろう。
当然のことながら、何をなすためにも命のあることがその前提にあるから、何かをなすためにを命を危険にさらすというのは本末転倒である――という教えを手短に説いたことわざである。
さて話題は変わるが、いにしえより食通と称する人々がいる。
一向に口の肥えていない私などには理解の外の世界ではあるが、どうやら彼らのおおむねは、ことさらに寿司の味がお好みである。いたずらに手の込んだ料理よりも素材のままの味がうれしいというかのように、生の魚と米粒にすぎないこの固まりをありがたそうに口に運ぶ。
一方火を通さぬ生食ということは、いつも危険と背中合わせである。私たちのこの時代でさえ、ときおり食中毒のニュースが新聞の紙面をにぎわすことがあるはずで、ましてやあまり衛生状態のよくなかったその昔、とりわけ夏場のうだるような暑さの頃には、食通でいるのもずいぶん覚悟が要ることだったろう。
だとしたら彼らのいくたりかは、くだんのことわざもじって、こんなふうにつぶやいたかもしれない。
――命あってのすし種。……
確かに寿司好きの食通を貫こうにも、命を散らしてしまっては元も子もない。とりわけ足の速いすし種には、万全の注意を払う必要がある、という自戒の意味を込めて。――
*「お年玉付き年賀はがき」
昨今のことはいざ知らず、かつては年賀状と言えば抽選番号付きが当たり前だった時代があった。
この「お年玉付き年賀はがき」の特異なところは、まぎれもなく抽選で当たりを競う「くじ」でありながら、実際に当選の恵みを享受するのが資金を出した当人ではなく、宛先となった相手になるというところである。
お前からもらった年賀状の賞品が当たっていたよ――そんな報告を耳にした送り手の気持ちはずいぶん複雑である。
何しろはがきの元手を出したのも、当たりの番号を引き当てたのもこの自分自身なのだ。それなのに幸運の成果は少しも目の前にない。当たりを送った相手の手の中にある。――
もちろん末等の記念切手くらいなら笑ってすますこともできるが、大本命の電化製品ともなれば心中穏やかではない。
もっともそんな報告は、現実にはめったに上がってくるものではないが、万が一の可能性を思いめぐらすうちに、何だか自分の送ったすべての賀状の行く末が気に掛かり出す。……
さてここにも、同じような焦燥に駆られた一人の男がいる。
人より少しばかり欲の皮のつっぱったこの男は、どうやらやがて打つべき手らしきものを思いついたらしい。いわく、
――年賀はがきの抽選番号を、あらかじめ控えている奴。……
もちろんすべては賀状を差し出す、その前の話だ。去年のうちに、しっかりそうして事前に手を打っておけば、あわよくば景品の代金の半分くらいは環流させることもできよう、という魂胆なのだ。……
*「家付き」
一昔も二昔も前、まだ自家用車の所有がまだそれほど当たり前でなかったころ、「家付き、カー付き、ばばあ付き」という流行り文句があった。
その心は、――跡取り息子と結婚すれば、当然持ち家が付いてくるから、ローンも家賃も支払いがいらない。そのうえ裕福な家柄なら、夢だった自家用車(=car カー)もそのまま使い放題だ。もちろんいいことずくめというわけにはいかず、代わりにやっかいな姑(=ばばあ)も付いてくるという、皮肉なのだ。――
その当時くだんのフレーズもじって、こんなたちの悪いシックジョークをひねり出した者があった。
――家付き、カー付き、ばばあ付きで結婚したら、女房は下付きだった。……。
「下付き」とはもっぱら殿方の下ネタに使われる隠語で、女性器が下腹部のどのあたりに付いているかを表す。
その位置が「下」であればあるほど、男性にとっては扱いの難しい、具合が悪い女ということになる。……
*「当世やくざ事情」
当節のやくざ気質は、もちろんずいぶんと様変わりしている。
切った張ったの出入りやら、任侠道やらはもはや少しも流行りではない。法人登記で会社を起こし、表向きは立派な看板を掲げた「経済やくざ」が主流なのだ。
もちろんそこには社長もいれば、会計士もいる。きっと決算報告だって、ちゃんとそろっているにちがいない。そうして見た目には普通の会社と少しも変わらない企業活動が営まれているというわけだ。
私たち素人もまた、いつまでも一昔前の映画の中のイメージでとらえていると、そんな今風のやくざの姿に、面食らわされることになりかねない。
――ムショ帰りのやくざだと言うからビビッたら、税務署の帰りだった。……
確かにそうして合法の仮面を装うためには、年に一度の確定申告だって、きっと必要であるのにちがいない。――
*「豚肉か牛肉か」
どこの世の中にも皮肉屋というのがいる。
何を話すにせよ、必ず最後に何か一言、ちくりと棘のある言葉を交えずにはいられない。
そしてそこに多少の諧謔が混じればブラックジョークとなり、ときには大層趣味の悪いシックジョークに変じることもあるのだ。
私の友人にもこういうタイプの男がいた。
あるとき仲間内で肉の好みが話題になったとき、男はすかさずこう言って割って入った「話は簡単さ。前世が豚だった奴は豚肉を好み、前世が牛だった奴は牛肉を好み、前世が鳥だった奴は鳥肉を好む。それだけの話さ。――」
もちろんこれだけでも十分、ブラックジョークだった。そこには世の中所詮そんなものさ、という冷笑が聞こえてくるばかりではない。いわば世の中の人間の三分の一を豚呼ばわりしているわけだから、だいぶたちの悪い冗談なのだ。
だがこの男の場合は、ただそれだけでは終わらなかった。最後の最後に、にたりと口元を歪めて、ずいぶんと薄気味悪い口調でこう付け加えた。
「ということはだ、前世も人間だった奴は?――」
*「昔ある進学塾で」
その昔ある進学塾で、保護者面談に訪れた母親が、しきりに息子の不勉強を嘆いていた。 うちの子も馬鹿ではないので、その気になりさえすればできるようにはなると思うのですが、何しろなかなか勉強が手に着かなくて。……
そうしてひとしきりこぼすうちに、この母親ははたと、何か大切なことを思い出したようだった。
「先生、そう言えばこの間、息子が本屋に行って『やる気の出る本』というのを買ってきました。
わざわざそんな本を買いに行くということは、うちの子にも本当はやる気があるのでしょうか? ――」
*
また別のある母親は、少々気恥ずかしそうに息子の「思春期」のことを相談していた。 年頃の男の子だから仕方がないとは思うんですけれど……何と言いますか、夜寝る前に部屋の電気を暗くして、Hな写真の載っている本を読んでいるようなんです。……
その談によれば先日母親はついに意を決して、厳しい口調でこう言って息子をたしなめたという。
「陰でこそこそ読んでいないで、読むのなら堂々と読みなさい。――」
いつにない母親の形相に気圧されて、答えに窮した息子はしどろもどろになりながら、こともあろうにこう言って答えたという。
「そ、それじゃあ面白くないんだよ。――」
*
その進学塾はまた、出欠の管理が大層厳しく、保護者からの正式の連絡がないかぎり欠席は認められない、というのがその基本方針だった。
もちろんどんな制度でも、必ず裏をかこうとする者がいる。
ずる休みをしたいがために、わざわざ父兄の名をかたって、声色を使ってまで欠席の電話連絡を入れてくる生徒が現れるわけだ。
「本日木村隆広は、学校行事のためお休みさせていただきます。……」
そのいかにも子供っぽい口振りを不審に思った事務員は、もちろんすかさず問いつめた。
「ひょっとして隆広君本人じゃありません?」
ずばりと正体を見抜かれた電話の主は、あわてた様子でこう言いつくろったそうだ。
「いいえ隆広君本人じゃありません。 隆広君のお父さんです。――」
* 「食生活」
男性相手の風俗でもその業態は様々であるが、もっとも料金がお手頃なのが「ピンクサロン」というやつだろう。
文字通りサロン風の店内のソファに腰掛けた男性客を、横に侍ったホステスがあの手この手で「昇天」させる、という種類のものだ。
そのサービスも「手を使って」「ゴムを付けて口で」「途中まで口で」「最後まで口で」……と次第に過激なっていき、今ではこの最後のタイプが最も一般的らしい。
さて、やはりそんなサービスが売りのある店で、中でもナンバーワンのホステスは、ただ客の出したものを口で受けるというだけでない。何とそのままごくりと飲み干してしまうという。
さすがに驚いた店長は、こう言ってホステスを諭した。
いくらうちの店でも、そこまでの過激なサービスは要求していない。そもそもお前、よくもあんなものを平気な顔して飲めるなあ。……
だがしかし、そうしてあきれはてた店長を後目に、ホステスは少しの悪びれた様子もなくこう言ってのけたという。
「だって貴重なタンパク源ですから。――」
お前は一体、どういう食生活をしてるんじゃ!
*「百年の恋」
「百年の恋」という言葉をよく耳にする。
それが実際にはどのようなものなのか、寡聞にして知らない。だがしかし、移ろいやすい人の心にあって、もし本当に百年思い続ける恋があったとしたら、確かにずいぶんとロマンチックなものなのにちがいない。
もしろんここでいう「百年」とはただの誇張法であり、不変の恋を象徴する詞藻であるにすぎない。
万が一その数字まで字義通り解釈してしまっては、せっかくの名台詞も形無しなのだ。
いわく、
――百年の恋を実らせた百十才のばばあ。……
本当に、それではすべてはまるで老人ホームの痴話騒ぎのように、身も蓋もないものになってしまう。……
*「アル・カポネ」
その昔、まだコンビニの参入がなかったころ、酒類の購入ははもっぱら近所の酒屋に限られていた。
もちろん夜が更けるころには、酒屋の店舗自体はシャッターを閉めてしまうのだが、店の前の自動販売機は終日営業を続けていて、これが私のような酒飲みの深夜族にはずいぶんと重宝したものであった。
ところがある夜、アルコールを切らしていつもの酒屋に向かうと、ずぼらな店主が商品の補充を怠ったのか、自販機のすべてが「売り切れ」の表示になっていた。
やむなく少し離れた別の酒屋に足を運ぶと、そこもまた売り切れ、そしてまた次の酒屋も―――なんと市内のすべての自販機から、品物が消えていたのだ!
怪奇の種明かしはこうである。
ちょうどその頃風営法の改悪か何かがあって、その日を境に深夜の酒類の販売が禁止になった。販売中止という設定はないので、代わりに売り切れのランプを灯していたというわけだ。
ところがやがて、酒飲みはあることに気がついた。
市内の数ある酒屋の一つで、三台並んだ自販機の一番奥の、一番小さな日本酒の販売機だけが、売り切れのランプが点いていない。初めは故障かとも思ったが、お金を入れてみるとちゃんと商品が買えるのである。
そしてそれは、けっして一日だけの偶然ではなかった。来る日も来る日も、その機械だけはなぜかランプが点かずに、ワンカップの日本酒が買え、いつしか酒なし砂漠のオアシスのように機能を始めたのだ。
なぜか―――もちろんすべては、店主の目論見である。
店の全部の自販機を販売可能にしていては、たちまちお上からお叱りを受けてしまう。だがしかし十いくつかもある商品のうちの一つだけなら目に付かないし、いざというときには「点け忘れ」との申し開きもできるだろう、と考えたのだ。
確かに一般の市民から見れば、それはずいぶん悪質な商魂である。だがしかし我々酒好きにとっては、何だか店主がいたずらっぽくこちらに向かってウィンクしているように見えて、嬉しかったものだ
あるときその自販機を見た飲み仲間の一人が、こんな冗談を言った。
―――アル・カポネがっている、日本酒の自販機。……
もちろんアル・カポネとは、禁酒法時代のアメリカで密造酒の販売で暗躍した、あのギャングである。
そんな西部劇の時代の人物が、現代の自動販売機を仕切っているという不条理と、その商品がよりによってワンカップの日本酒であるというミスマッチな取り合わせが、妙におかしかったのを覚えている。……
*「言い間違え」
――会社の女性上司に向かって、「いつになくお美しい」と言ってしまった奴。……
もちろん本当は「いつにもましてお美しい」と言うつもりだったのだ。
だがしかし、心にもなく慣れないお世辞を無理やり使おうとすると、こんな言い間違えも起こったりするのだ。
この上司があまり才色兼備とは言えないタイプだっただけに、この失言が男の命取りとなったのは言うまでもない。
合掌。
*「トカゲ男」
よく何かの動物に似ている、と言われる人がいる。
醇朴そうな目が犬に似ているとか、毛深さが熊を思わせるとか、顔の輪郭がニワトリみたいだとか、その例を挙げれば枚挙にいとまがない。むしろ何の動物にも似ていない人を探す方が、はるかに難しいくらいである。
私の職場には、かつてトカゲ男と呼ばれる男がいた。
だがしかし男のどの部分がそうなのかと問われると、たちまち答えに窮する。どの一つのパーツをとってもけっしてトカゲには似ていないのだが、そんな細部的な分析を超越して、ただ全体の醸し出す雰囲気がなぜか確かにトカゲを思わせるのだ。
ある女子社員は「あの中年の、いやらしそうなじとーという感じが、爬虫類そのもの」とひそかに眉をひそめていたが、まさしく言い得て妙であった。
あるときそんな男が、風邪をひいてひどく咳き込んでいたことがあった。
そうしながらときおりあたりを見回して、
「げほ。げほ。俺に近づかない方がいいいよ。風邪がうつるから。ヒヒヒ」
とまるでトカゲが舌を出したように、これもまたじとーと不気味に笑っている。
そんな様子を見た皮肉屋の同僚は、こう言って男をやりこめたものだ。
「大丈夫だよ。あんたの風邪はヒトにはうつらないから。――」
*「お互い様」
一口に受験産業といっても、その指導形態は様々であるが、おおむね大教室の予備校ならマイクを使った一方通行の講義が行われ、少人数の進学塾なら、生徒を「当て」ながら双方向の授業が行われる、というのが通例だろう。
後者の場合厄介になるのは 当然のことながら「同姓同名」である。
名字だけが同じなら、ただフルネームで呼べば事が足りる。だが下の名前まで同じ二人の場合には始末におえない。
もちろん最後の一文字まで同じ、本物の同姓同名にはめったに出くわすものではないが、漢字違いの同音ならけっして珍しいことではない。
例えば西村真理子と西村麻利子でも、声にして読んでしまえば何の違いもないから、二人が同時にはい、と返事をしてしまうことになるのだ。
講師の方もそれなりに工夫はしてみる。の西村真理子と、cottonの西村麻利子で区別してみたり。学校名を枕詞に××(高校)の西村真理子と呼んでみたり。あるいは時代劇の「八丁堀の」にならって、「千葉の」と「横浜の」をかぶせてみたり。――
そう言えば、あるとき面倒くさくなった講師が冗談で「可愛い方の西村まりこ」と呼んでみたら、二人が同時にはいと答えた、――というジョークがあったっけ。
二人ともけっして美少女と言えた容姿ではなかったが、平生こいつにだけは負けてない、とお互いに思っていたんだろうな、きっと。……
*「新ことわざ集」
――窮鳥懐に入れば漁師「しめた」と殺す。
ことわざに「窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さず」などと言うが、世の中はそんなに甘くはない。わざわざ向こうから飛び込んでくれたのだから、みすみす逃すわけもない。もはや鉄砲を撃つ手間もいらず、まんまと焼き鳥にして食らってしまうにちがいない。……
*「お金の値打ち」
考えてみればお金というものは、ずいぶんと不思議なものである。
福沢諭吉の肖像が写っただけの紙切れに、一日の日当分の価値がある。ましてやただの預金通帳の数字にすぎないものが、一生の財産であったりする。
一方十円玉を百枚並べても、それだけの値打ちはない。人間社会のしきたりを忘れて虚心に眺めれば、どうみてもこちらの方が圧倒的に存在感がある、ありがたいものに見えるにちがいなのに。
もちろん世の中の金持ちは、おおかた硬貨とは縁が薄い。いつもきまって札入れの中の紙幣か、カードでお支払いである。じゃらじゃら小銭で蝦蟇口を一杯にしているのは、たいていは貧乏人と相場が決まっている。
おそらくはだからこそ、こんな皮肉たっぷりのジョークも生まれたのだ。
――金の「数」なら誰にも負けないと 自慢している奴。……
確かになけなしの一万円だって、もし一円玉に崩してしまえば、宝箱にも収まりきれないだけの豪勢な金額であるのにちがいない。……
*「女神の微笑み」
俗に「幸運の女神が微笑む」というようなことを言う。
思いもかけない大僥倖が突然に舞い込できたり、そこまでは望まなくても御難続きの人生がようやく少しばかり上向いてきたり。……
とりわけそれが浮き沈みの激しいギャンブラーの世界で、しばしば願望の意味を込めて語られる台詞であることは言うまでもない。
だがしかし、一口に微笑みと言っても様々である。
本物の、慈愛に満ちた微笑みだけではない。久米正雄の名付けた微苦笑もあれば。どこか悲しげなほころびのような笑みもあれば。裏に悪意の棘を隠したわずかな嘲笑が口元を歪めることだってある。
そんな世の中の酸いも甘いも知りつくしたある男が、かつてこんな警句を吐いたことがある。
――幸運の女神が微笑んだ。「ニター」ってね。……。
確かに大勝だと思えたものがただのビギナーズラックで、すっかりのめり込んだギャンブルでけつの毛まで抜かれた、などということはあちらの世界ではけっして珍しい事ではないのだ。……
*「物は言い様」
時代劇の定番の台詞に「家で寝ている父の薬代」というのがある。
そのために若い娘がときには辛い奉公に耐えたり、ときには道を誤りもするが、すべては親を思う孝心のため、というので涙を誘うのである。
もちろんすべては江戸の世の、芝居の中の常套であるすぎない。はたしてそんな月並みな人情話の設定が、現代のこの国の殺伐とした世の中にそのまま当てはまるかどうか――スーパーの万引きで捕まった女子高生が、同じような健気な台詞を口にすることがあるのかどうか、はなはだ疑問に感じる者も多いだろう。
――「家で寝ている父の薬代」と言うので同情したら、父親は家でごろ寝しながら
を使っていた。……
本当に、そんなとぼけた冗談が、今では現実に起こらないともかぎらないのだ。……
*「物は言い様」
生物の分類に「被子植物」と「裸子植物」というのがあるのをご存じだろう。
同じ種を作る植物でも、前者は種子の元になる胚珠というのが、雌しべの根本の部分に包み込まれて隠れている。我々の知るほとんどの花々はこちらに属するのだが、イチョウやソテツの仲間は後者であり、胚珠が雌しべの上にむき出しに残っている。
歴史的には「裸子」の方が、より原始的な形態である。いわば「裸子」から「被子」が進化して、より高等な「被子」が次第に「裸子」取って代わった、というのは昔教科書で教わった通りである。
さてかつてある男子校で、やはりそんな理科の授業があった少し後のこと。
友人から「包茎」を馬鹿にされた生徒が、無理やり強がってこう答えたという。
「ば、ばか野郎、俺は被子植物なんだ。――」
*「無茶な進路指導」
その昔まだ短大の存在が珍しくなかったころ、高三女子の悩みの一つは「短大にするか四大(四年制大学)にするか」であった。
「一年でも多く遊びたい」当の生徒はおおむね四大の方を希望するが、あいにくその四大の方がおおむね難易度が高く、不勉強な女子高生にはいきおい敷居が高くなる、というジレンマがあったのだ。
さて、その当時ある女子校で、今日もまたおきまりの相談を受けた進路指導の教師が、いかにも面倒くさそうにこう答えたという。
「そんなに四年がいいんなら、短大に四年通えばいいさ。――」
お、おのれという奴は。――
*「特急列車」
昔々、ある草深い片田舎に、ようやく特急列車が通る運びとなった。
もちろん地元では願ってもない、諸手を挙げて賛成である。これまでのような各駅停車のローカル線だけでは、観光業もままならない。健全な地域の発展のためには、新幹線の恩恵にあずかることが、どうしても必要と思えたのである。
だが問題は、停車駅の誘致である。
せっかく特急が走ったところで、地元をただ素通りされてしまってはどうにもならない。かえって周囲の繁栄に取り残されて、ますますさびれていくだけにもなりかねない。――
その日から激しい陳情合戦が始まったのは言うまでもない。
ぜひおらが村に駅を、いやそうではなくておらが村の方に、 ――だがそこはさすがに、和を尊ぶ日本人の知恵である。
こちらを立てればあちらが立たない諍いを避けるために、
「すべての村に平等に特急を止める」
ということで、万事が丸く収まったという。
めでたし、めでたし。――
*「嘘か真か」
近頃は何かにつけてエコがブームである。
この前など銀行で下ろした一万円札に「このお札は再生紙を使用しております」と書いてあった。……
(それじゃあ偽札だっつーの!)
*
安売りほどありがたいものはない。
この前など近所のディスカウントストアで、一万円札が八千円で売られていた。……
(そんなんじゃあ商売にならないっつーの!)
*「ストレス」
よく「胃が痛くなる」 というようなことを言うが、確かに心中のストレスは食欲に直結している。
のんきに甘菓子をぱくついていた若い娘が、恋の悩みを抱えたとたんに食が細って、ふくよかな頬がやつれ始める、――という具合である。
さて昔ある酒好きの友人が、子弟の教育問題をこぼしながらこうつぶやいた。
「息子のことが心配で心配で、酒も喉を通らない――」
*「矢でも鉄砲でも」
その昔「江戸っ子」と呼ばれる人種があった。
「矢でも鉄砲でも持って来い」というような威勢のいい啖呵を切って、ひたすら向こう意気が強く、それでいてどこか間抜けで憎めないあの連中である。
もちろんすべてはもはや、過去の遺物であるにすぎない。近頃のこのご時勢に、そんな勇ましい台詞を耳にすることも、めっきりと少なくなった。
先日近所の喧嘩の場面で、久方ぶりに懐かしいフレーズが耳に飛び込んできた。
「矢でも鉄砲でも持って来い。――」だがその先には、ずいぶんと情けない小声で、こんな言葉が続いたのだ。
「矢でも鉄砲でも持って来い。逃げるから。――」
何のことはない ただ逃げ足の速さを自慢していただけなのだ。……。
*「無意味な言葉遊び」
――金魚すくいの金魚が言った。「神よ我を すくいたまえ」。
――魚釣りの釣り餌の虫が思わず叫んだ。「ゴカイだよゴカイ」。
*「物は言い様」
私の友人は自称、大口投資家である。
確かに「この株が上がれば何百万」「半年で二倍は確実」などと、いつでも大きな口を叩いている。……
*「逆は真ならず」
女子校の若い男性教師と言えば、生徒たちのあこがれの的である。それはきっと乙女たちの甘いためいき一身に担う、ずいぶんとうらやましい存在であるのにちがいない。
だがもしその逆に、野郎だらけの男子校にうら若き女性教師が現れたら、もはやそんなきれいごとばかりではすまされない。
――女子高生のあこがれの的
男子高生の射精の的。……
というようなおぞましい事態にも、きっとなりかねないのだ。……
*「ファーストクラス」
金のない貧乏人にとって、飛行機の旅など高嶺の花である。
たまに空の移動があったとしても、それはきまってエコノミークラスで、ファーストクラスと呼ばれるあの空間で、一体どんな豪勢なサービスが行われているのかなど、想像さえ及ばない。
さて先日、生まれて初めてそんな大名旅行を経験した友人が、うらやむ仲間を前にして、ニタつきながらこう話した。
――ファーストクラスではステュアーデスが膝の上に乗ってサービスしてくれるんだ。本当だぜ。……
風俗店じゃないっつーの! まったく。
*「お人好し」
――「見た目ほど馬鹿ではない」と言われて、喜んでいる奴。
(馬鹿面だって言われているのがわかんねえのか!)
*
――「良い意味でこきぶりみたいだ」と言われて、喜んでいる奴。
(ごきぶりに良い意味なんて、探しても見つからないっていうの!)
*
――「三島と芥川を足して五で割ったような天才」と言われて、喜んでいる奴。
(半人前以下と言われているのがわかんねえのか!)
*「無意味な言葉遊び」
――万事はうまく収まったが、
収まらないのがバンバンジー。……
*「男子」
昔から「男子厨房に入らず」というようなことを言う。
一家の主たるもの食膳の準備などの家事は細君に一切任せきり、奥の座敷ででんと構えて座っているべきだ。まかり間違っても台所で包丁を握るようなことはあってはならない、というような教えである。
それから時代が下って、殿方もずいぶん柔和になった。エプロン姿のお手伝いも、今では少しも珍しくない。
だがしかし、もちろん何事もいいことづくめというわけにはいかない。
ふんぞり返った関白亭主の代わりに現れたのが、皮肉なことに「セックスレス」の問題である。
それはまるで、すっかり女性化したまめ男たちが、女房殿を満足させる本来の男のつとめを忘れてしまったかのように。……
私の友人にも、あちらの方はもうずいぶんご無沙汰、という男がいる。
照れくさそうに頭を掻きながら、それでも友人はむりやり強がってこうのたまった。
「君、昔から『男子閨房に入らず』と言うだろう。あはは。――」
閨房とはもちろん寝室のことで、さしずめここでは奥方との愛の巣のことを指す。――
*「ありそうでないもの」
――男物のパンティー 。
*「苦手」
その昔「虫愛ずる姫君」という話があったが、その逆に大の男と言われながら、虫の相手はどうにも苦手、という者も少なくない。ましてやゴキブリのような薄気味悪いのが目の前に飛び出してきたら、女子供と一緒に悲鳴を上げて逃げ回りたくもなろうというものである。
さて私の友人にもかつて「ゴキブリはどうも苦手だ」という者があった。
仲間うちでももっとも神経のず太そうな男だっただけに、意外に思って「さすがのお前でも、ゴキブリはだめなのか?」と訪ねると、友人は真顔でこう答えた。
「だめだねえ。まあ、塩漬けにすれば何とかいけるかもしれないけど。―― 」
食べるつもりだったのか、おのれは!
*「お下劣大喜利」
とんでもない奴とは?
―― 女が好きなので婦人科の医者になった奴。
もっととんでもない奴とは?
―― 男が好きなので肛門科の医者になった奴。……
*「ギャンブル大喜利」
救いがたい奴とは?
――有馬記念のレースの後で、「今年はもう競馬をやめた」と誓っている奴。
もっと救いがたい奴とは?
――その誓いを守れずに、最終レースを買いに走った奴。……
*「誤字」
そろそろ適齢期の、象の花子に聞きました。
「お前の理想の男性象は?」
*「看護士」
ご婦人の患者さんにとって、男の医者に体を診察されるというのは、一体どんな気持ちだろう。
もちろん我が身の大事というときに、一々性別などに構ってはいられないが、これが婦人科というようなことにれば、やはり全く抵抗がないとは言えないだろう。
その点女医の担当ならば、ずいぶんと安心である。
それはただ羞恥がない、というばかりではない。同性として細かい相談に乗ってもらえるから、わざわざ女医のいる医院を選んで通ってくる患者だってけっして珍しくはない。
だがしかしそんな選択にも、ときには思わぬ落とし穴が待ちかまえていることがある。
――女の先生だというので診察に来たら、看護士は全員男だった。……
いや、ちろん現実には、そんなことはありえない。すべてはあくまでも、ジョークの中だけの話である。
だが確かに、カーテンの向こうからニヤニヤしながらこちらを覗き込んでいる看護士たちの顔が、何だか目に浮かぶようだ。……
*「不思議な男」
甘菓子の羊羹に向かって、
「甘ちゃんなんだよ、お前は。――」
と説教をしている奴。……
*「死後硬直」
年とともに衰えるのは、「男」もまた同じである。
若き日には天を衝くほどにそそり立っていたものが、いつしか萎びたただの飾り物となって股間にぶら下がっている。
もちん古希にして子をなすという話もあるから、個人差もあるのだろう。しかるべき機会に恵まれれば、お役に立つこともあるのかもしれないが、たいていは月に一度が、やがて盆と正月になり、ついにはとんとご無沙汰になってしまう。
それこそが、
――爺さんの股ぐらが、ようやく固くなったと思ったら、
死後硬直だった。……
というような事態にもなりかねないのだ。――
*「一姫二太郎」
昔から「一姫二太郎」というようなことを言う。
いわく子をもうけるなら一人目は姫、つまり女の子が、二人目は太郎、すなわち男の子が望ましい。
その順番なら、小さい時分は長女が家事の手伝いもし、幼い弟の面倒も見る。長じては今度は長男の方が、父母を養う大黒柱に育つだろう、という理なのだ。
だがしかし、もしそうだとしたらその後の子供は一体、男女どちらがよいのだろう? 残念ながら、ことわざはそこまでで打ち止めである。その次の、三番目の子供のことは少しも想定されていない。
それも確かに、不思議なことである。
例えば縁起の良い初夢なら、「一富士、ニ鷹、三茄子」というように、たいていのことわざは三番目まで数え上げる。まるでそんな三拍子のリズムが日本人の耳には心地よく、きりのよいものにも聞こえるというかのように。
それなのになぜ「一姫二太郎」にかぎって、尻切れとんぼのままに終わっているのだろう? ――おそらくはそんな違和感が、次のような荒唐無稽な冗談を生み出したのだ。
いわく、
――一姫二太郎の後に、なすびを産んじゃった女。……
つまりは初夢のリストと混同した、というわけだが、なすびが女の自慰を連想させるものだけに、どこか下ネタの臭いのするシックジョークである。
*「しつけ」
ある昼下がりの電車のシルバーシートに、一組の親子が腰掛けていた。
三十代とおぼしき母親は、突然小学生の娘の袖を引いた。
「お年寄りが来たわよ」
どうやら向こうの扉から乗り込んだ、老人の姿に気がついたらしい。
確かにここは親のしつけの見せ所である。
こういう幼い時分に、公の場所での正しいふるまいをしっかり教え込んでおかなければ、娘の行く末が思いやられることになる。
だがしかしくだんの母親は、
「お年寄りが来たわよ――寝たふりしなさい」
と続けると、親子そろってうり二つの寝顔で、狸寝入りを始めてしまった。……
*「気の若い老人」
1.シルバーシートに座っていて、向こうから来たもう一人の老人に、あわてて席を譲る老人。
2.シルバーシートに座っていて、向こうから来たもう一人の老人に、あわてて寝たふりをする老人。
*「尼寺」
人間の欲望には様々なものがある。
守銭奴たちの財欲。餓鬼のように貪る口腹の欲。栄華を望む名誉の欲。とりわけ殿方たちを悩ます女犯の欲と、数えたてればきりがない。
そしてそのどれもが、仏教の世界では解脱の妨げになる煩悩として、疎まれてきたのは言うまでもない。
さて、そんな数多な煩悩から逃れるために編み出されたのが、「出家」のシステムである。
もちろんそれは煩悩そのものを元から断ち切ってしまう、魔法の妙薬とは違う。ただ煩悩の対象を遠ざけることでその発現を抑える、いわば対症療法のようなものであるにすぎない。
だとしたらそれはけっして仏徒たちの心の強さではなく、むしろ誘惑に打ち勝つことのできない心の弱さを証しているはずで、だからこそこんな荒唐無稽な笑い話も生まれるのだ。
いわく、
――間違えて尼寺に出家しちゃった奴。……
つまりは誘惑から逃れたつもりがかえって回り中を女の色香に囲まれて、ますます色欲の泥沼にはまりこんでいく、というわけなのだ。……
*「自虐の詩」
私の友人にすっかり世をすねた男がいる。
踏んだり蹴ったりの人生を送るうちに、健やかな希望のようなものをすっかり失ってしまい、ひたすら自嘲気味のブラックジョークを飛ばしては、周囲の顰蹙を買っている。
そんな男がある日突然、珍しく殊勝なことを言いだした。
「人生まだまだこれからさ。――」
いつになく前向きなその口調を不思議に思って耳を傾けると、案の定この男は途中からいつもの伝の冷笑に口元を歪めて、こう付け加えた。
「人生まだまだこれからさ――これからますます落ちて行くのさ。……」
*「墓穴」
その昔会社の昼休みに、超能力のことが話題になったことがある。
喧々囂々の議論さなか、一人が「俺は通りすがりの女の服の下が見える」と奇妙なことを言い出した。
それを聞いた別の同僚は、激怒してこう答えた。
「それは透視能力じゃあなくて、単なるすけべの妄想だろうが! そんなのでいいのなら、俺なんか下着の下まではっきり見えるわ!」
墓穴を掘るとは、まさにこのことである。
この最後の一言が原因で、会社一の助平であることが知れ渡ったこの同僚が、その後女子社員たちから総スカンをくったのは言うまでもない。……
*「嘘のような話」
その昔ある進学塾で、教材の製本を専門に担当する係がいた。
この男がまたとんでもない天然キャラで、余人にはとうてい思いつかないような言動をやらかしては、職場に笑いの種を提供していた。
あるとき授業中に急にB5の用紙が必要となった講師が、印刷室にインターホンを入れた。
「B5の白紙を五十枚、至急302教室にお願いします」
依頼を受けたくだんの担当は、何と白紙の原稿をゼロックスで五十枚コピーして、たちまち教室まで持参したという。……
*「本末転倒」
その昔特に十代の娘たちの間で、ミニスカートが大流行したことがある。
「足を長く見せたいから」というのがその言い分なのだが、もちろん見えるのは足ばかりではなく、その「スカートの中身」をめぐって、駅の階段などでは毎日のように無言の攻防が繰り広げられていたものだ。
男たちは前を歩く女子高校生たちの股間のあたりに必死に目を凝らし、当の娘たちはまるで座布団でも敷くように学生鞄を尻に押し当てて、これもまた必死の防御を試みる――そしておそらくはそんな日常の光景こそが、次のような「本末転倒」のブラックジョークを生み出したのだ。
いわく、
―― 階段でパンチラを覗かれないように、ノーパンで出かけた娘。……
――そのノーパンの中身を覗き込んで「何だ、パンツが見えないじゃないか。……」と
がっかり肩を落とした男。……
確かに本来の欲求よりも、その形代であったはずのものにいつしか心が移り、執着される――そんなフェテシィズムの逆説は、多かれ少なかれどんな人間の心にも潜んでいるものなのにちがいない。……
*「無神経」
「人の気持ちがわからない奴」というのは確かに存在する。
相手の痛みを知りながらことさらに踏みにじる、冷酷なタイプとは違う。
ただ目には見えない他者の心の内側を推し量るだけの想像力に欠けた、ただひたすら幼稚な人種なのだ。
だとしたらもちろん、本人たちには何の罪もない。
少なくとも憎むべき悪意のようなものは、かけらほども見つからないのにちがいない。
だがしかし慟哭の涙を「あ、嬉し泣きしている」と理解し、断末魔の阿鼻叫喚をにこやかに指さして「嬉しい悲鳴だ」と言いなしたあの男には、確かにかすかな殺意を感じずにはいられなかった。……
*「三つ指」
「三つ指を突く」とはもちろん、両手の三本の指を床について深々と頭を下げる、もっとも丁寧なお辞儀のことである。
今ではすっかり死語になってしまったが、かつては奥ゆかしい日本女性の所作として、大層重んじられていた時代があった。
男子にとってもまた、理想の女性と言えば、きまってそんなタイプだった。
どうせ結婚するのなら、おきゃんな現代娘よりも、三つ指突いて夫の帰りを迎えるような古風な女としてみたい――そんな私の発言に、だがしかし友人のKだけはどうしても納得がいかないらしく、「三つ指は俺にはちょっと。……」と、しきりに首を傾げている。
どうやら「三つ指」という言葉の意味がわからなかったK君は、てっきり女性器の具合のことを話していると思いこんだらしい。
確かに指三本が余裕で入る寸法では、K君が遠慮したいと思ったのも無理からぬことではあるのだが。……
*「占い」
占いなどというものは、たいてい相手に都合のよいことさえ占っておけば、喜んで歓迎される。
その逆に聞かされたくない託宣を突きつけたりすると、大いに落胆されるか、今日のようなご時勢では、ときにはとんでもない逆恨みさえされかねない。
だが中には変わった人間もいて、本来なら大吉と思しき運勢にも、かえって腹を立てることがあるという。
いわく、
――「女難の相は、全然ありません」と言われて激高した奴。……
どうやら一生恋愛沙汰とは縁のない醜男ぶりを、揶揄されたと思い違えたようなのだが、そんな皮肉な指摘があながち当たっていなくもなかったがために――いや、むしろ図星であったがために、到底腹に据えかねたというやつなのだろう。
*「聞き違え」
「三行半(みくだりはん)」という言葉をご存じだろう。
江戸時代には妻君に暇を出す亭主は、そのいきさつやらを三行の書に分かち書きしてしたためたという、いわば離縁状のことである。
さて先日ある芸能人の離婚会見で、当の男性タレントが「女房に三行半を突きつけられた」と、いかにも照れくさそうに頭を掻いていた。
だがしかしその言葉を耳にした友人は、なぜか「そんなに早漏じゃあ仕方がないなあ」と不思議なリアクションをしたのだ。
今思えば友人はどうやら「三行半(みくだりはん)」を「三擦り半(みこすりはん)」と聞き違えたようだ。
「三擦り半」とはもちろん、もっぱら下ねたに用いられる俗語である。
女性の蜜壺にいざ挿入した男性が、三回と半分だけ抽迭をしただけであえなく果ててしまう、病的な早漏のことを揶揄した言葉なのだ。
確かにもし本当に、亭主の方が文字通りの「三擦り半」であったとしたら、そうして女房から願い下げにされたとしても「仕方がない」のにちがいがない。……
*「足裏診断」
その昔「足裏診断」で有名になった宗教団体があった。
何でも足の裏にはその人間の健康状態や、悩みのすべてが表れると考えて診断を行うのだが、その実宣べ伝える診断の結果は初めから決められている。
たいていはあと一年も生きられない大病のように脅かされて、挙げ句の果てには多額の法納料をふんだくられる。何のことはない、昔ながらの宗教詐欺の常套を少しばかり現代風に味付けをしただけの手口なのだ。
当然のことながら、そんなとき詐欺師たちは信者の不安をめいっぱい煽るために、あらん限りの想像力で、多彩な恫喝のストリーをこしらえあげる。
現代の医学では解明できない新種のガンだったり、先祖の誰かに人を殺めた者があってその罪障が祟っていたり、一生晴れない心の曇りで自殺に追い込まれたり。……
次の信者のためには一体どんなおどろおどろしい物語が用意されているのであろうか?――だとしたらそんな多弁なはずの足裏診断の現場で、もし次のような一言だけで片付けられてしまったら、かえってどんなに衝撃だったろう。
いわく、
――足裏診断でただ一言「臭いですね――」と言われちゃった奴。……
その激臭たるや、口八丁の詐欺師たちも思わず黙りこませるようなものだった、という笑い話なのだ。……
*「瓜二つ」
その昔草刈正男と同郷で、その上年齢まで同じと自慢する男がいた。
お世辞にも好男子とはいえないタイプだけに、その取り合わせが周囲には滑稽なのだが、当の本人は何も気がついてはいない。
さてあるとき、お決まりの自慢話を聞かされた皮肉屋の友人が、
「そう言われてみれば、顔の造りもどことなく草刈正男に似ているな。……」
もちろん賛辞と思しき言葉には、続きがあった
「確かに何から何までそっくりだ。口の数と言い、鼻の数と言い。――」
そう言われた自称草刈正男は、「俺は化け物か!?」と腹立たしそうに突っ込んでいたっけ。……
*「重ね着」
その昔職場の仲間内で、その冬の寒さのことが話題になったことがある。
ある中年の社員が、照れくさそうに頭を掻きながら、
「私もひどい寒がりでしてね。かと言ってあまり着膨れしていてもおかしいので、ここだけの話ですけど、下着を二枚重ねて着るようにしているんですよ。
外から見てもわからないし、暖かいですよ。――」
それはもちろん、今風のおしゃれな重ね着とは違う。正真正銘の白の肌着を、おそらくは上下とも二枚ずつ、身につけているというのである。
そんないかにも、色気とは縁のなくなった中年男ならではの発言に、全員が苦笑いしたのは言うまでもない。
さてそんな笑いのさざなみがようやく静まったころ、もう一人の別の仲間が、今度は真顔でこう打ち明けた
「実は俺も、かなりの寒がりでな。普通の下着の下に、女物の下着をはいているんだ。――」
そ、それはひょっとして寒がりじゃあなくて。……
*「毒舌」
どこの職場にも、口の悪い男というのはいるものである。
その昔、風邪をこじらせたのかしきりに咳き込んでいる同僚をつかまえて、仲間の一人がこう声をかけた。
「心配するな。あなたが死んだらちゃんと葬式をやってやるから」
毒舌にはさらに、とんでもない続きがあった。
「みんなで盛大に葬式をやるよ。シャンパンを抜いて。――」
*「毒にも薬にも」
物腰のやわらかい柔和な人間が必ずしも魅力的、というものではない。
一癖も二癖もある、危険な匂いのする奴がかえって人を惹きつけて、人畜無害の好男子はただのよい人で終わってしまう、ということも珍しくはない。
「無害ですが食べられません」というのはどうやら乾燥剤だけの表示ではなさそうである。
*「花札」
――風流な 家に生まれて 猪鹿蝶(いのしかちょう)。……
花札というものを見かけなくなってもうだいぶ久しいが、「萩に猪」やら「紅葉に鹿」やら「牡丹に蝶」やらの図柄を独特の色彩で描き込んだ絵札は、確かに知らない者が見たら、上流階級のみやびの一種のように勘違いされないともかぎらない。
だがもちろん、実際の花札はせいぜい西洋のトランプと同じレベルの遊戯であるにすぎない。
花札賭博の伝統もあるので、間違っても良家の子女のたしなみなどではありえない。
上記の川柳もあくまでも反語、アイロニーである。
むしろその育ちの悪さのためにやくざな渡世にどっぷりつかった男の、自嘲のようなものと考えてもらいたい。――
*「ほんの手違い」
「過去との訣別」とは、確かに勇ましいキャッチフレーズである。
過ぎ去った思い出やしがらみにいつまでもしがみつかずに、前向きに人生を切り開く凛々しい心がけを、上手に表した文句であるのにちがいない。
だがときには、情けない手違いが起こることもある。
いわく、
――間違えて未来と訣別しちゃった奴。……
確かに未来の夢も希望もなくして、ただ愚痴っぽく昔を懐かしむ悲しい御仁も、けっしてめずらしくはないのだ。……
*「苦しい言い訳」
性病のひとつに梅毒というのがある。
その昔の花柳界(今で言う風俗産業)で蔓延していたため、「花柳病」と呼ばれたものの一つであるが、今では抗生物質の投与で治癒するため、大流行の話はあまり聞かない。
発症した際に全身に出来る発疹が梅の花を思わせることからその名があり、もちろん梅の毒に当たったわけではないが、確かに誤解を招きやすい名前ではある。
その昔、まだ梅毒が不治の病とされていたころ、悪所通いで病気をもらった亭主が、女房になじられてこう答えた。
「そ、そうじゃないんだ。ちょっとばかり梅酒を飲み過ぎただけなんだ。――」
*「家政婦」
その昔「結婚は不経済、一生独身」を公言する男がいた。
炊事もだめなら掃除もやらないずぼらなタイプだが、「家政婦で十分」だと言う。
それを聞いた友人たちは、こう言ってからかった。
「あっちの方はどうするの? 彼女を作る甲斐性もないのだから、せめて見合いでもして嫁さんをもらったら?」
だがしかし、そう問われた当の本人は、少しも悪びれることなくこう答えたという。
「それも家政婦で十分。――」
お、お前って奴は――
*「勤勉の美徳」
戦前の生まれでなくとも、二宮尊徳のことはご存じだろう。
貧しい家を助けて働きながら学を修め、学者として身を立てたその人物は、かつての修身の鑑であった。
薪を背負って売り歩きながら書物に読みふける幼い金次郎(尊徳の幼名)の銅像は、今でも多くの小学校の校庭に残されているにちがいない。
先日私も同じ銅像を眺めながら、ふとこう思った。これとまったく同じ姿を、つい最近どこかで見たことがある。……
だがしかし、それは何のことはない、行きつけの賭博場で見慣れたギャンブラーの姿――食事を口に入れながらも、連れ立つ友人と言葉を交わしながらも、一心不乱にデータ表に目を凝らす亡者たちの光景である。
――薪を背負いながら、競馬新聞に読みふける二宮金次郎。……
確かにギャンブラーたちは、このうえなく勤勉である。たとえ重たい薪を運ぶ仕事の最中だって、その目は一瞬たりとも彼らの指南書から離れることはない。……
*「タイプ」
山歩きの途中、人気のない林の間の空き地で、極悪の暴走族の一団が一人の可憐な少女を輪姦(まわし)ている現場に出くわした。
さてそのとき、あなたの取る行動は?
タイプ1
「君たち卑劣なまねはやめたまえ」と止めに入る。
タイプ2
安全な木陰で、一部始終を見物する。
タイプ3
ちゃんと並んで順番を待つ。
どこが「ちゃんと」じゃ!
*「命名」
かつてある男がこう言って家人を紹介した。
「こちらが長男の二郎、こちらが次男の一郎です」
紛らわしい名前を付けるなっていうの!
*「タイプ」
目の前の階段をミニスカのいい女が歩いている。さて、男たちの取る行動は?
タイプ1
なるべく距離をおいて、下から股間を覗き込もうとする。
タイプ2
なるべく距離を縮めて、下から股間の匂いを嗅ごうとする。
クンクン♪
い、犬やないんやから。――
*「金策」
その昔ギャンブル好きが祟って、慢性的な金欠の男がいた。
「金貸して」がその口癖である。
もちろん枕詞は「絶対に返すから」と相場が決まっているのだが、あるとき博打の負けが込んで、ついに気でも触れたのか急におかしなことを言い出した。
「絶対に返すから金貸して」最初の一言はいつもと変わらぬ台詞だったが、その後に畳みかけるようにこう続けたのだ。
「たぶん返すと思うから金貸して」
「ひょっとしたら返すかもしれないから金貸して」
お、お前という奴は。――
*「プロフィル」
何か犯罪事件が起きれば、当然現場近くに現れた人物が捜査の対象に上がる。
とりわけ犯人のプロフィルに近ければ、執拗な聞き込みにあうことは必定であるが、たとえば「変質者風」というだけでゆえもなく取り調べを受けては目も当てられない。
かつてある、すっかり髪の薄くなった小太りの中年男が、笑いながらこう言って嘆いていた。
――うちの近くで殺人事件があってね。「犯人は二十歳くらいのいい男」だというので、真っ先に疑われちゃったよ。……
もちろんすべては反語、自虐ネタのジョークだと思ってもらってかまわない。……
*「三ない運動」
三ない運動(さんないうんどう)というのをご存じだろう。
例えば高校生にバイクは「乗せない」「買わせない」「(免許を)取らせない」のように、三つの禁止を並べ立てて運動の精神を表すスローガンである。
さて私の知人にも、もう何十年も三ない運動を続けている男がいる。
いわく、
――金ない、夢ない、女ない。……
もちろんそれは、別段何か自ら課した禁止ではない。やむにやまれずそんな散々な人生を歩み続けているのではあるが。……
*「桁取り」
ある知人が「女遊びなど数えるほどしかしたことがない」と、いつになく殊勝なことを言っている。
からかうつもりで「それじゃあ、ためしに数えてみろよ」と突っ込むと、これもまた悪乗りした知人は、そらとぼけて指を折りながら、
「一、十、百、千、万――」
と数え立てた。……
く、位取りをしてどうするんだ!
*「養生訓」
接して漏らさず――江戸時代の貝原益軒という学者が、その「養生訓」に記した、有名な教えである。
すなわち女性と接する(性行する)おりにも、漏らす(射精する)ことは避けるべきだ。そうして精気を失うことを防ぎ、養生をすることで、やがては長生きに通じる、というものだ。
多くの男たちにとって、これはずいぶん耳の痛い言葉だろう。
別段長生きは望まなくとも、少しでも射精を遅らせることができれば、そのぶんだけ長く交情を楽しむことができるわけだから、それが理想なのはわかっている。
だがあの手のものはけっして、自分の意志だけでコントロールできるものではないのだ。何とか引き延ばそうとあの手この手をつくしてみても、結局は蜜壺の心地よさに負けてあえなくはててしまう、というのが大抵のところなのだ。
かつてある男が、
――俺なんか、「接さずして漏らす」だからな。……
とため息をついた。
もちろん自虐ネタのジョークだろうが、誰しも若い頃には似たような覚えがある。
ときめきの女体を前にした興奮のために、入り口のあたりに触れたくらいで放ってしまう。思いっきり情けない失態なのだが、男なら誰しもそんな道を通ってきているのだ。
おそらくはあの、悟り顔の江戸の老学者も。――
*「論語」
ED(勃起不全)といえば、かつては中高年特有の悩みであった。
もちろん年とともに精力が衰えるのはある意味無理からぬことだから、性の喜びに執着さえしなければ、それなりにあきらめもついたはずなのである。
だがしかし物の本によれば、近年は同じ症状が若年層にまで広がっているらしい。
それは現代社会のストレスなのか。文明に恵まれすぎた暮らしが、動物らしい本能を失わせたのか。あるいは忌まわしい環境ホルモンの影響なのか、原因はわからない
ともかくかつては五十代の悩みであったものが、四十代、三十代と次第に年齢が下がっていく。
そうなればもはや問題は、ただ当の本人ばかりではない。子孫の繁栄というただ一点からも、社会の全体にとってそれはとてつもなくゆゆしき事態なのである。
孔子の言葉をもじって、
「三十にして立たず」
などと、茶化して笑っていられる場合では到底ないのにちがいない。……
*「子曰く」
吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず……
とは、有名な孔子の言葉である。
人生の歩みをあくまで人間の修養の行程として見つめるその目は、欲得だらけの現代人には端倪すべからざるもので、そこにはまかり間違っても、
――六十五にして厚生年金をもらう。……
などという卑俗な台詞は、けっして現れはしないのである。……
*「どうにも救いがたい奴」
――宝くじの負け金が、一億円を超えちゃった奴。……
宝くじを外し続けて、その購入資金の合計が積もり積もって、やがてついに一億を越えてしまう。
そうなるともはや、たとえ一等一億円が当たったとしても、せいぜい元を取るのがやっと。
「もしくじが当たったらあれも買って、あれもして――」と思いめぐらす楽しみさえなくなった、あまりにも夢のない状態になってしまう。……
*「単なる言葉遊び」
――首を長くして待つ、ろくろ首。……
ろくろ首と言えばもちろん、我が国に古来より伝わる妖怪である。見かけは普通の女性と変わらぬ姿をしているが、夜になるとその首がまるでろくろの上でこねる粘土のようにひょろひょろと長くのびて、行灯の油などを舐めるという。――
*「病みつき」
こと物理的快感に限って言うなら、口淫(フェラチオ)は男性たちにとって、ひょっとしたら女性たちにとってもまた(クンニリングス)、間違えなく最高の性戯である。
手淫のような粗雑な感触とも異なり、また同じ粘膜でも膣よりははるかに変幻自在な動きが可能で、達人の手に掛かればたちまち天にも昇るここちよさを味わえることは請け合いである。
あるとき友人の一人が、「ろくろ首になりたい」と奇妙なことを言い出した。
不思議に思って理由を問いただすと、
「だって自分のあそこを舐められるじゃん。――」
あそことはもちろん性器のことである。
馬鹿なことを言ってはいけない。もしそんなことが実際にかなったら、たちまち病みつきになつてしまう。それこそ四六時中くわえ続けて、その瞬間から人生終わってしまうことにもなりかねない。……
*「義理マン」
本人にはまったくその気がないのに、女性がただ男性の求めに応じてお義理で関係を持つことを、下々の言葉で「義理マン」と呼ぶ。
愛情の冷め切ったカップルの淋しい風景が、何だか目に浮かぶような言葉である。
その昔、「体位はバックが好き」だと言う奥さんがいた。不思議に思って問いただすと、悪びれずにこう答えた。
「だって新聞が読めるじゃあない」
こら! もっと気を入れてやらんかい! 気を入れて!
*
ある亭主は、女房が注文したコーヒーの銘柄を見て、ふと女房の浮気を疑った。
――義理マンじゃろう!?
*「音楽大喜利」
ありそうでないもの――ピアノで「猫踏んじゃった♪♪」を弾いているベートーベン。
もっとありそうでないもの――ピアノで「どじ踏んじゃった♪♪」を弾いているベートーベン。
注 「どじ踏んじゃった♪♪ どじ踏んじゃった♪♪」は、一部の負け組のギャンブラーの間で愛唱される悲惨な替え歌である。……
*「替え歌」
不摂生のしすぎで、ヨイヨイになった男の歌。
――ふせっせっせーの♪ よいよいよい♪♪
*「言い訳」
その昔ある新聞に「キムチに覚醒剤と同じ成分が含まれている」という記事が載ったことがある。
もちろんごく微量だけの話なのでキムチを食べることに何も問題はないのだが、実際覚醒剤の検査で陽性が出ることもあるという。
さてそんな記事が出た翌日、警察に捕まったシャブ中(覚醒剤中毒)の男が、案の定こう言い張った。
「シャブじゃあない。キムチを食べ過ぎたんだ。お前ら昨日の新聞を読まなかったのか!」
だがしかし、警官たちはその立っているのもやっとというおぼつかない足元を眺めながら、「キムチを何樽食べたらそんなにラリる(=ふらふらになる)んだ?」と、もちろん笑って取り合わなかったという。……
*「自虐の詩」
しみじみ思う しじみ貝
こんな人生 つくづく法師
今日も啼きます トホホぎす
*「勘違い」
酒を飲み過ぎて肝臓悪くした男が、こう言って嘆いた。
「あんなに毎日鍛えたのに。――」
*「校則違反」
一昔前の女子校と言えば、生徒たちがけっして色気に走ることがないように、がんじがらめの校則が設けられていた。
制服着用は言うに及ばす、スタートの丈からマニュキュアにいたるまで、「女」を否定するためのあらゆる決めごとが用意されたのだ。
だがもちろん、そうして抑えつけることができるのはただ外側のことだけで、内側の成熟は隠しようがない。
思い切り地味な制服に身を包んでいても、その向こうの発育した肢体や、濡れた唇からからは、確かにむんむんの色気が立ち上っている。
そんな瘴気のようなものに当てられた男性教師が、思わずくらくらとするも珍しくなかっただろう。
とりわけFカップはあろうかという胸を体操着の下に揺らして走るある女生徒は、教師の間ではひそかに「校則違反のおっぱい」と噂されていた。……。
*「新ことわざ集」
――弱り目にあたりめ。……
「御難続きのときには、げんが悪いので、酒のつまみにスルメを食べてはいけない」という意味のことわざ。
言うまでもなく「弱り目に祟り目」のもじりであるが、ここでいう「あたりめ」とは俗語で広くスルメのことを指す。
*「無意味な言葉遊び」
―― 一皮も二皮も剥けた、美川憲一。
*「看板に偽りあり」
――天才肌の男だと思ったら、ただの鮫肌だった。……
――人柄がいい女性と聞いていたら、ただの鶏ガラだった。……
注 痩せすぎて骨と皮ばかりの体型の女性を、俗に「鶏ガラ」と呼ぶ。
*「とんでもない奴」
――「赤羽」の次の駅は「しかばね(屍)」だ、と言い張っている奴。……
*「石川啄木」
その昔九州の小倉出身の知人がいた。
何でも小倉の方言は九州の中でもとりわけ乱暴で、喧嘩を売るのにこれほどふさわしい言葉はないが、また愛を囁くのにこれほどふさわしくない言葉もない。
小倉の町の真ん中に小倉競馬場があるのだが、ギャンブル場特有の怒声罵声が飛び交うそここそが、小倉弁がもっとも生き生きと聞こえる場所なのだと言う。
そう語って苦笑しながらなつかしむ知人の表情は、さしずめ、
「ふるさとのなまりなつかし鉄火場の」
とでもいったところであった。……
注 言うまでもなく「ふるさとのなまりなつかし停車場の」のもじり。鉄火場とはギャンブル場の別名である。
*「ダンゴムシ」
ダンゴムシという奴は、おそらく日本中どこにでも見られる虫であろう。
枯れ葉や石の下にひそんでいるのを探し出して、棒で体をつつくと、その名の通り団子のように体を丸める。言葉は悪いが子供たちにとっては、格好のおもちゃである。
だがそれはあくまでも、子供たちならではの話である。
もし大の大人が、同じようにダンゴムシをつついていたとしたら、――その上その口が「艱難汝を玉にす」などと、得体の知れない台詞をいつまでもぶつくさとつぶやいていたとしたら、それはもはや微笑ましいどころではない、寒気がするほど不気味な光景なのにちがいない。……
注 「艱難汝を玉にす」とは、「試練が人間を育てあげる」という意味の格言である。 もちろんそこで言う「玉」とは玉石のことであって、まかり間違ってもダンゴムシの球形を指すわけではない。――
*「どこかがおかしい」
――目立ちたがりやばかりのクラスで、「何という目立たない子なんだ!」と、かえって目立ってしまった生徒。……
――「危ないな、怪我するじゃないか!」と生徒を殴りつけて、怪我をさせた体育科の教師。……
――大事なページにしおりを挟んでいるうちに、全部がしおりだらけになってしまった読書家。……
*「宝くじ」
近年練炭やら硫化水素やらの新手の手口も現れて、自殺を試みる者が後を絶たない。
もちろんそんな悲しいニュースは、けっして他人事ではありえない。
平生はおめでたい毎日を送っている極楽とんぼも、思わぬ不幸に見舞われたり、突然のの鬱の発作に襲われたときには、同じように毒物に手を伸ばす誘惑に駆られないともかぎらない。
だが私が思うに、そんな危うい気分に襲われたとき最後の一歩を思いとどまらせる、 究極の予防策がある。
それはあの宝くじである。
たとえ一枚だけでも構わない。とにかくたえず宝くじを買い続けること。そしていつでも「抽選待ち」の状態を作っておくこと。
そうだった。考えてもみたまえ。ついに魔が差したあなたが毒物に手を伸ばしたその瞬間に、買いおいた宝くじが目に入ったとしよう。
自分が死んだ何日か後にくじの抽選があって、ひょっとしたら何千万、何億のお金が手に入るかもしれない。そうなればこれまでの悩みが一気に解決するばかりではない。酒は飲み放題、女も抱き放題の文字通りの極楽の毎日が始まるのだ。
そんなバラ色の未来を見届ける前に、何も知らずにせっかちに自ら命を絶ってしまうというのは、もはや皮肉というのを通り越して、まさしく愚の骨頂、きっと世間の笑い者になるのにちがいない。……
確かにそんな風に考えたら死んでも死にきれない――否。思うにきっとそれこそが宝くじというものの狙いなのだ。
そうだった。いやしくも国家たるものが、こうしてくじの胴元となり、博打のまねごとに手を染めているのはなぜか? 理由は簡単だ。
たいていの国民はうだつの上がらぬ、夢のない人生を送っている。ということはいつ何時彼らが首をくくってもおかしくないのだ。
だがしかし国民に次々死なれてしまっては、国家というものが成立しないから、あの宝くじという幸福への空手形を何千万もばらまいておくのだ。
今度こそ宝くじが当たると思えば死んでも死にきれない――そう思いこんで命を絶つことを思いとどまった生かさず殺さずの奴隷たちが、今日もまた大日本国のために健気に汗水垂らしてくれることを期待しながら。……
*「豹変」
男女を問わず、恋人が出来たとたんに、それまではずぼらだった人間が豹変するという例は珍しくないだろう。
新しい恋人に気に入られたい、といういじらしい一心で、身だしなみは言わずもがな、食生活から日常の言動にいたるまで、すっかりと様変わりしてしまう。
それはそれで微笑ましい光景なのだが、やっかみの混じる同性の目にはまた、苦々しい無節操と映らなくもない。いわく、
とってもむかつく奴――彼女ができたとたんに、それまでの暴食を改めて、ダイエットにはげむ奴。……
もっとむかつく奴――彼女ができたとたんに、それまでの粗食を改めて、精力を付け始めた奴。……
*「国破れて」
「国破れて山河在り」はあまりにも有名な、杜甫の「春望」の一節である。
安禄山の乱の後、荒廃した長安の都を嘆く歌だが、広く漢文の教科書に採られたため、我が国でも人口に膾炙している。
さてかつて私の職場に、博打で負け続けていつでも素寒貧な、藤崎という男がいた。
周囲のいたずら好きが、藤崎をからかおうと、「春望」をもじった対句を色紙にしたためて、その机の上に飾った。いわく、
国破山河在 (国破れて山河在り)
藤崎破金無 (藤崎破れて金無し)
杜甫々
その左下にはご丁寧に、ずいぶん滑稽なトホホ印の落款まで押して。……
*「人肉食」
ある飲み会の席で「人肉食」のことが話題になった。
何でも古代の中国では、人間の肉を食することはけっして珍しくなく、「両脚羊」と称して普通に店先に並べられていた。三国志のあの劉備が、かつて知人の家に泊まったおり、劉備をもてなす肉がないことを恥じた知人は、妻を殺してその肉を供したという。……
おどろおどろしい話の展開に、ひとしきりざわめく一座に、シックジョークが好きなある男が、すかさず割って入った。
いわく、人肉食はけっして、中国だけの話ではない。我が国でも古来から、当たり前に行われていた。
――昔から「愛妻弁当」と言ってな、弁当箱の蓋を開けると、愛する妻の肉が入っているんだ。……
焼き肉弁当じゃないっつーの!
*
また同じ男が、不気味な薄ら笑いを浮かべながら続けた。
人肉食は西洋でも行われていた。それが証拠に、
One man's meat is another man's poison. (人間の肉を食べると食中毒になる)
という、警告のことわざが今でも残っている。……
注 もちろんOne man's meat ……とは、「ある人には香ばしい肉も、他の人には毒のように感じられる」、すなわち人の好みはさまざまという意であり、まかり間違っても人肉食を戒めることわざではない。――
*「盗撮」
ある飲み会でひとしきり盗撮のことが話題になった。
最近は銭湯にもトイレにもラブホテルにも、最新の盗撮機器が仕掛けられ、女の裸が狙われている。――
それを聞いた仲間の一人が、悪乗りしてこんな講釈を始めた。
なるほど盗撮という行為自体は新しいが、日本には昔からいつでも覗きの文化があった。
「壁に耳あり障子に目あり」
という具合で、おちおち房事にもはげめなかった。……
*「とんだ手違い」
――間違えて火災保険を掛けて、亭主を殺しちゃった。……
*「売れない新製品」
――丈夫で水洗いがきき、繰り返し使えるトイレットペーパー。……
*「人非人」
人非人とはもちろん人でなし、人間らしい感情を失った悪党どものことである。
漢文式に読み下せば、人に非らざる人、ということになる。
したがって「人非人に非ず」などと言い出す奴がいると、少しばかり話がややっこしくなる。――
*「ちゃんと」
かつて職場に気の利いた男がいて、昼食後に使えるようにいつでも楊枝をワンセット買い置きしていた。
あるとき仲間の一人が、冗談交じりでこう頼んだ。
「その楊枝一本使わせてくれない? 使ったらちゃんと元に戻しておくから。――」
*「裏ビデオ」
まだインターネットのようなものがなかったころ、裏物のビデオを手に入れるのは、けっして容易ではなかった。
そんな裏ビデオの買い方を必死に研究している男を、仲間がからかってこう言った。
――まずは普通のビデオ屋で、表ビデオを買ってきて、それを裏返しにしてデッキに入れるんだ。
最初は引っかかって入らないから、思い切り力を入れて、えいやっ、と押し込むんだ。 だまされたと思ってやってごらん。だまされるから。……
*「救いがたい奴」
――喜寿の祝いに祝辞を頼まれて、「享年七十七」とやっちゃった奴。……
*「ガガーリン」
かつて若い時分に、地位にも名誉にも背を向けて文学の道を選んだが、結局うだつが上がらぬまま貧乏書生のまま中年を迎える。
親爺の言った通り法学部に進んで、役所勤めでもしておけばよかった。
世の中金じゃないなんて粋がって、親子喧嘩をしたものだが、何だやっぱり世の中金がすべてじゃないか。何が文学だ。何が哲学だ。関係ねえだろ――と自らに突っ込みを入れながら、青春時代の心意気がつくづく青臭かったと悔やまれる。
そんなとき、あの有名なガガーリンのセリフが頭をかすめるのだ。
「地球は青かった」
*「確かにそんな気もする」
かつて職場で向かいの机に座った同僚が肩こりに悩んで、暇さえあれば首の運動をしていた。
初め右回りに何回か首を回したあと、今度は必ず正確に同じ数だけ左に回す。
どうやら片側ばかりに回し続けていると、やがて瓶のふたを開けるように首がはずれてしまうと、思いこんでいるようなのがおかしかった。……
*「確かにそんな気もする」
芸能人にとって、CMほどおいしい仕事はあるまい。
Aランクのタレントなら一本の出演で、千万から一億の出演料が転がり込む。
もちろんスポンサーの側からすれば、毎日何回も同じCMを流せるのだから、それだけ払っても少しも惜しくはないだろうが、確かにタレントの方から見れば、たった一回の撮影で何百回分の出演料がもらえる、ありがたい魔法の仕組みなのだ。
だがときには同じ魔法に、視聴者のほうもだまされてしまうことがある。
かつてあるCMタレントが、町中で会ったファンのおばさんにこう声を掛けられた。
「毎日CM大変ですね」
*「捜査犬」
――優秀な麻薬犬だというので感心したら、麻薬中毒の犬だった。……
注 もちろん「麻薬犬」とは、その嗅覚で麻薬捜査に活躍する警察犬のことであって、まかり間違っても麻薬中毒の犬のことではない。
*「何かが違う」
1.過去を水に流すために、水洗便所に立ち寄った奴。……
2.コインランドリーに心の洗濯をしに行った奴。……
3.JRの駅の改札の横で、過去の恋を精算した奴。……
*「春歌」
――ナイチンゲールとアルゼンチンが
一緒にベッドに入ったら
もうやることは一つしかない♪♪
*「背中」
昔から「親の背中を見て育つ」というようなことを言う。
すなわち子供は傍らで親の生き様を見ながら、同じような人間に育っていく。ことさら言葉で人生を語るような説教など、少しも必要はないのだ。――
だが思えば、すべての親が同じように子供の鑑となりうるわけではない。中には到底まねをして欲しくないやくざな家庭だって、混じっていないともかぎらない。すなわち、
――親父の背中を見て育ったら、刺青が彫ってあった。……
というような、悲しい事態にもなりかねないのだ。――
*「とんでもない奴」
――女には「のどちんこ」の代わりに「のどまんこ」がある、と信じている奴。……
*「悲しい奴」
――アメリカのレストランで "Are you Japanese?" と問われて、「いや、ソースにしてくれ」と答えた奴。……
注 どうやら「ジャパニーズ」と「マヨネーズ」の区別が付かなかったようである。
*「無意味な言葉遊び」
――残り物の大福。……
注 言うまでもなく「残り物には福がある」をもじったもの。
*「とんでもない奴」
――帝国ホテルの受付で、「休憩はいくらだ」と聞いた奴。……
ラブホテルじゃあないっつうの!
*「ハンデ」
「ウサギとカメ」の話はあまりに有名であるが、ここに競馬のことで頭が一杯なギャンブル狂の男が考えた、しょうもないギャグがある。いわく、
――ウサギとカメが、ダートの1800で8キロ差。……
競馬にはハンデ戦と呼ばれる種類のレースがある。
力量差のある馬同士が走る場合、より強い馬により重たいおもりを背負わせて不利な条件にすることで、全馬に均等に優勝する可能性を与え、レースの興趣をもり立てようとするものである。
さしずめウサギとカメほどの力の差があれば、ウサギが8キロくらい重たい斤量を背負っても当然、というところか。
ちなみにダートとは芝ではない砂(ダート)のコース、1800とはレースの距離(メートル)のことである。
*「ありそうでないもの」
――学習院大学に落ちて、浪人している皇太子。……
*「とんでもない奴」
――「俺が死んだら、葬式は友引の日にしてくれ 」と言い残した奴。……
*「無意味な言葉遊び 」
――まみむめも 豆もやし
*「無意味な言葉遊び 」
――あかさたな はまだらか
注 ハマダラカ(羽斑蚊)は、蚊の一種。 マラリア病原虫を媒介する。
*「無意味な言葉遊び 」
―― 敵ながらかっぽれだ。
注 「敵ながらあっぱれだ 」のもじり。「かっぽれ 」とは明治にかけて流行した座敷芸で「カッポレ甘茶でカッポレ」と囃しながら踊る。
*「救いがたい奴」
――「全治一生」と言われて、「治るんですか?」と聞き返した奴。……
確かに、冗談を言われても、皮肉を言われても察しがつかないこの鈍感さは、「死ななきゃなおらない」。――
*「しょうもない奴」
――俺は早稲田を首席で中退した、とうそぶいている奴。……
*「小泉八雲」
耳なし芳一(みみなしほういち)の話はもちろんご存じであろう。
怨霊避けの経文を耳のところにだけ書き忘れたために、耳を削がれた琵琶法師の話である。
確かにそうして、耳をなくして暮らすというのはさぞ辛かろう。
だがしかし、博打に入れ込んでいつでも素寒貧の私の友人に言わせれば、「金なし芳一」で暮らすというのも、どうやら負けずにしんどいものがあるらしい。――
*「時代」
今や時代は、キャッシュレスである。
手持ちの現金はなくとも、カードやらインターネットの入力やらで、いくらでも買い物ができる。
さて私の友人に、博打に負け続けて素寒貧の男がいる。
いつでも周囲に頭を下げて何とかやりくり算段をしながら、それでも強情なこの男は、
「俺はキャッシュレス時代を先取りしているんだ」
と涼しい顔でうそぶいている。
金(=キャッシュ?)がないからキャッシュレス、というしょうもない言い分なのだ。……
*「ジグゾーパズル」
私の友人に、博打に負け続けの男がいる。
今日もまたなけなしのお金をつぎ込んでは、きまって一文無しになって帰ってくる。
そのたびに誰に向かうとでもなく「畜生――」「畜生――」と小さな声で呻いているのだが、その発音がどうしても「ジグゾー」と聞こえるがために、周囲から、
「パズルでもやったら?」
と冷ややかにからかわれている。
*「大器」
晩酌という言葉が似合うのは、やはり中年以上の男性だろう。
一日の仕事から帰った課長さんが、浴衣に着替えて奥さんの手酌でくつろぐ――そんな風景がまず真っ先に頭に浮かぶ。
もちろん二十代の若者が酒をたしなむのは珍しいことではなかろうが、どちらかといえば飲み会に出かけて騒ぐ方が普通で、夕食前につまみで一杯が習慣というのはよほど老成しているか、よほどの大物かどちらかであろう。
さてかく言う私自身は、その実若輩のころから晩酌を常としていた。
一人暮らしの部屋の食膳で、たとえコンビニのつまみと生ビールでも、毎晩一杯やらずにはいられない。
そんなおり、必ず自分自身に向かってつぶやいていた言い訳は、次のようなものである。
――大器は晩酌す。……
いや、もちろん「大器晩成」のもじりで、取るに足らないしょうもない駄洒落である。……
*「言い間違え」
――同じ屋根の上で暮らした家族。……
ね、猫じゃねえんだから!
*「勝利の方程式」
ある競馬狂の友人から「勝利の方程式を編み出しました」という表題のメールが来た。
開けてみると本文はこう続いていた。
――勝利の方程式を編み出しました。
解いてみたら「解なし」でした。(買い目が4+2iと表示されました。……)
*
それから一週間後、また再び同じ表題のメールがきた。
開けてみると今度は、本文はこう続いていた。
――勝利の方程式を編み出しました。
解こうとしたら巨根条件を満たしていました。(鬼沢は8センチなので、大丈夫なようです。……)
巨根条件とは虚根条件のもじり。鬼沢とは私の姓である。――
*「皇室」
その昔あるホームレスが、こう言って強がった。
――公園を住所にしているなんて、皇室かプータローくらいなものだ。……
「公園」とはどうやら皇居外苑の、北の丸公園あたりを思い描いていたようだ。――
*
また同じホームレスがこううそぶいた。
――税金を納めなくていい身分なんて、皇室かプータローくらいなものだ。……
ちなみにプータローでなくても、理論上収入が控除額を下回れば、当然納税の義務はなくなる。おおむね年間50万くらいが目安か。もっとも浮浪者でもないかぎり、年収が50万を下回ることは多くはないだろうが。……
*「物理学」
男たちにとって女の「よがり声」ほど不思議なものはない。
一体性の喜びくらいで、あんな絶叫が可能なものなのか。その感受性の鋭さと、性愛を貪るどん欲な姿勢に感心もし、羨ましくも思うものである。
そのうえそれは、いつでも叫び放しというわけではない。あるときは甘いため息。あるときは切ないむせび泣きが、突然遠吠えに変わるというように、実に不規則な音楽を奏でる。
そんなきてれつな音調のことを評して、ある物理学者が、
「よがり声のドップラー効果」
と呼んだそうな。
そんなわけないけど。――
*「男らしさ」
およそ無言電話と呼ばれるものほど、卑劣きわまる行為はあるまい。
顔を見られない安全地帯から、一日何百回となくダイアルを繰り返し、一言も発するでもない不気味な沈黙で圧力を掛ける。……
気に入らない相手がいるのなら、堂々と出かけていって殴りつければいいものを、そんな潔いやり方はけっして選ばずに、陰湿ないじめの手口に執着する。……
さてかつて私の友人は、周囲からやりこめられるようなおりには、きまってお道化てこんなふうに啖呵を切った。
「こうなったら男らしく、無言電話で勝負だ。――」
「正々堂々と、無言電話で勝負だ。――」
もちろんすべてはあくまで反語であり、冗談であるにすぎない。
無言電話が「正々堂々」と対局にあるがゆえに笑いを誘う、いわば男らしさのカリカチュアのようなものだった。――
*「料理」
独身男の食事など、たいていはずぼらなものと相場が決まっている。
出先の飯屋で丼物を軽くかき込むというのが、もっとも一般的だろう。
外食するだけの金がなければ、当然安アパートで自炊ということになるが、それだって手の掛かる面倒な料理など、たとえできたとしてもやろうとはしない。
ありあわせの肉と野菜をお湯の中にぶち込んでぐつぐつ煮込んでおけば、とりあえずおかずになる。焼いたり、炒めたりだと焦がす心配もあるが、煮込む分にはたとえ時間を忘れたとしたって、台無しということにはならないだろう。
かつてそんな私の夕食の風景を見物した友人が、
「それは調理じゃあなくて、煮沸滅菌だろう」
と言いながら、苦笑いをしていたっけ。――
*「災いの元」
口は災いの元というが、どこにでも一言多い奴というのはいるものである。
貝のように押し黙っていれば、つまらない男と疎まれることはあっても、顰蹙を買うことまではあるまいに、ついついその場の受けを狙って口を滑らせてしまう。
この前も酒の席で、ある女性のことが話題になった際に、友人が、
「そんな女、見たことも聞いたことも、やったこともない。――」
とやらかした。
野郎だけの席なら軽い下ネタと笑ってすまされただろうが、中にご婦人が混じっていたために、友人が総スカンを食ったのは言うまでもない。
注 去年の忘年会で「マゾおけさ」を踊って総スカンを食ったのも、またこの男である。
*「発電」
昔からの俗説に、「猿にせんずりを教えると死ぬまでこすり続ける」というのがある。
もちろん動物学的には何の根拠もない、作り話である。
猿が人まねをすることをとらえて、誰かが言い出したのか。あるいは理性の抑制の利かぬ輩を戒めるための説話なのか。いずれにしても自慰中毒に仕立て上げられた猿たちにはずいぶん迷惑な話である。
さてかつて酒の席で、代替エネルギーのことが話題になったとき、友人の山岡が、お道化てこんな新しい発電法を提唱した。
それは「猿のせんずり発電」とでも言うべきものだった。
すなわち世界中の猿に、一斉にせんずりを教え込む。そうすると奴らは死ぬまでこすり続けるから、その摩擦を発電に利用するのだ。必死に上下する猿の手首に、電極か何かを付けて。――
「それにしても世界中の猿が一斉に『掻く』様子は、さぞ壮観だろうな」とうそぶく山岡を、仲間の一人がこう言ってからかった。
「群の中にちゃっかり山岡も混じって、こすっていたりして。……」
*「プロ野球」
プロ野球選手と女子アナウンサーの結婚は、今では珍しくない。
どちらも顔を知られた有名人だけに、夜の生活の方はどんなだろうと、思わず想像をたくましくしてしまう。
さてかつてある男が、そんな結婚を報じる新聞記事を見ながら、思わずこうつぶやいた。
――フィアンセも 泣いて喜ぶ バットさばき
*
何年かに一度、必ずプロ野球選手の不祥事が報じられる。
軽犯罪法程度のことならともなく、あえて実名こそ挙げないが、球界追放ものの事件も珍しくはない。
さてかつてある男が、そんな事件を報じる新聞記事を見ながら、思わずこうつぶやいた。
――さすがプロ野球選手だけに、人生を棒に振った。……
*「とんでもない奴」
――借金取りの目の前で、半袖のシャツを見せびらかしながら、
「無い袖は振れぬ」
と言って開き直っている奴。……
*「物は言い様」
私の近所に迷惑な酒飲みがいる。
家でおとなしく飲んでいるぶんにはかまわないのだが、この男と来たら夜中に酒瓶を抱えて町中を歩き回り、高歌放吟をする。
もちろんろれつの回らないほど酔っているから、歌詞も節回しもおぼつかず、就寝時であることを差し引いても、耳障りな騒音なのだ。
町中の顰蹙を買いながら本人は平気な顔で、
「吟遊詩人だ。文句あっか!」
と言って開き直っている。……
*「大違い」
私の友人に、真夏には部屋でパンツ一丁で過ごす、という奴がいる。
しかも色物のトランクスなどではけっしてなく、肌着丸出しの白のブリーフ姿である。
一人暮らしの部屋だから何の気遣いもないと言えばそれまでだが、通気のために窓も扉も開け放しなものだから、そのむさくるしい中年男の裸体がときには通行人の目に触れないこともない。
だがしかし本人はいたって平気で、
「パンツルックだ。文句あっか!」
とすっかり開き直っている。……
注 もちろんパンツルックとは、女性のパンツ(=ズボン)姿のファッションを表すものであって、まかり間違っても下着のパンツ一枚で部屋をうろつくことではありえない。――
*「虫」
未婚の娘に男ができることを「虫が付く」などという。
もちろん望ましい相手なら虫呼ばわりはしないだろうが、少なくとも男親にとっては、娘の交際相手はすべからく忌まわしい「虫」なのである。
もちろんその憎さの度合も、場合によって様々である。
文字通り虫が好かない程度の可愛げのある男から、本当に娘の身を滅ぼしかねないとんでもない極道まで。
それはちょうど同じ虫と呼ばれても、まさしく花につくアブラムシから、コキブリや吸血虫の類まで、様々であるように。
そこでいわく、
――うちの娘に 虫が付いたよ 真田虫
*「間男」
今ではあまり聞かれなくなった言葉に、「間男(まおとこ)」というのがある。
亭主のいない留守に他人の家に上がり込んで女房としっぽり、というわけだが、おそらくは亭主のいぬ間を盗むことからそう名付けられたのだろう。
もろろんいないはずの亭主が突然帰ってきて、押入れに身を隠すが、頭隠して何とやらで文字通り尻尾を捕まれて、大変な修羅場が始まる――などということも珍しくなかっただろう。
さてその昔、やはりそのようにして現場を押さえられた間男が、こんな不思議な言い訳をしたそうな。
「俺の女房と寝ただろう?」
「寝てません。起きてました。――」
*「女犯戒」
かつて仏教界に「女犯戒」というのがあった。
修行の妨げになることがないように、文字通り女人との交わりを禁じる戒律なのだが、これが人間の本能にまつわるものだけになかなか守り抜くのは容易ではなかったようである。
誘惑に負けた若い僧呂が、一夜の快楽にふけったきぬぎぬにおのれの未熟に涙する――そんな光景はきっと珍しくはなかっただろう。
あるいは高僧と称えられながら、裏では夜毎に寺に女性を引き入れる、そんなだってあながちいなかったわけではあるまい。
さてそんなころ、齢九十になんなんとするある老僧が、こう言って胸を張った。
「わしなどはもうこの三十年来、一度も女犯戒を破ってはいない。――」
そ、それはひょっとしたら、けっして修行の成果ではなくて。……
*「負けん気」
現代の救命医療の進歩には、めざましいものがある。
いにしえの世ならば間違えなくあの世行きの心肺停止の患者さえ、電気ショックやら呼吸器やらの処置で、再び生き返らせてしまう。
もちろんそれも、すべては医療チームの必死の尽力があればこそで、三途の川を引き返してきた亡者どもは、すべからく両手を合わせて感謝しなければならないのは言うまでもない。
だが世の中には、恩知らずな奴もいる。
かつてある負けん気の強い男が、ICU(集中治療室)でようやく息を吹き返した後、頭を下げて感謝する代わりに、こう言って強がったという。
「ちょっとばかり、仮眠をとっていただけだ。――」
*「宗教」
日本人にはなかなか、宗教というものが根付く土壌がない。
クリスマスも近い頃などには、繁華街の街角でしきりに布教活動が行われ、マイクから「疲れた者、重荷を背負う者は来れ」の説教が流れていたりするが、たいして耳を傾ける者はいない。
くだんの台詞を聞いた私の友人などは、「てっきりマッサージの宣伝かと思った」と苦笑いをしていた。……
*「無意味な言葉遊び」
――大の字によこたわる大便。……
*「けしからん奴」
――交通費はいくらかかったかと聞かれて、「行きが250円帰りが130円 」と答えた奴。……
キセルをするなっつーの。
*「時代錯誤な奴」
――皇居の前に立って「ここが江戸城じゃ」と言っている奴。……
*「土用丑の日」
「土用丑の日」という言葉がある。
陰陽五行説で立夏の前の十八日間を土用と言い、中でも十二支を当てはめて丑にあたる「土用丑の日」は、夏の暑さも盛りであることから、ウナギなど精の付くものを食べる習慣があのだ。
だがしかし、そんないわれを知らない人間の中には、単に音の響きから意味もわからぬまま「土曜牛の日」と思いこんでいる者もあるだろう。
そう言えば、その昔ギャンブル気違いで、日曜のたびに競馬場に入り浸っている男が、こんなふうにうそぶいていたっけ。
「土曜、牛の日。日曜、馬の日。――」
*「Hold'em up」
Hold'em upという英語をご存知だろうか。
日本語に訳せば、「手を挙げろ」ということになる。
本来ならば Hold up your hands. と言うべきところを代名詞で受けて簡略化し( Hold them up. =そいつを上げな)、さらに them を 'em と短縮して発音したわけである。
もちろんそうした簡略化や短縮化が起こるということは、そのうえ英和辞典にまでそれが採録されるということは、それだけ人口に膾炙しているということで、日本では映画の中でしか聞かない恐喝の台詞があちらでは日常に口にされ、耳にされているわけである。
町中を歩いていたら突然背中にピストルを突きつけられて金を奪われる――そんな西部劇の中のような出来事が、銃社会アメリカでは今でも当たり前のように行われている。…… だとしたらそんな殺伐としたお国の人々に、我が国のあの「旗上げゲーム」の極楽とんぼの遊戯のことを、教えてあげたい気持ちに駆られないでもない。
いわく、
手を挙げろ――
赤挙げないで、
白挙げない♪♪
そんな珍妙なリズムに乗せられて、相手の強盗が思わずかっぽれのような踊りでも踊り始めてくれたら、確かにしめたものだと思うのだが。……
*「深窓の令嬢」
良家の子女の暮らしぶりとは本当はどのようなものなのか、われわれ下々の人間には知るよしもない。
ただ聞き覚えた言葉の端々から、そのおぼろげな姿を推し量るよりほかすべのないものだ。
箸より重いものを持ったことがないお嬢さんがいるそうだから、重たい荷物の上げ下ろしなどお手伝いに任せきりで、蝶よ花よと育てられているにちがいない。
深窓の令嬢たちは、文字通り奥の居間にこもって習い事に明け暮れて、まかりまちがっても悪友たちと遊び惚けるようなことはありえない。
嫁入り前の娘たちはけっして虫が付くことがないように、かんじがらめの箱入りにして、厳格な貞操教育が行われている。――
そんなふうに神秘のベールの向こうを覗き込もうと、あれこれ下世話な想像を逞しくするうちに、きっと次のようなエログロなジョークも生まれたのだ。
いわく、
とんでもないお嬢さん――
1.箸より太い物を入れたことのないお嬢さん。
(箸をオナニーの道具に使うなっつーの!))
2.鼻の穴の中の処女膜が破れるといけないからと、鼻を掘ったことのないお嬢さん。 (もっと人間の体の仕組みを勉強せいっつーの!)
*「嘘のような話」
風俗の料金と言えば、時間による設定が当たり前である。
ある店は二時間の接客で五万円を請求し、またある店では三十分のサービスで一万円が支払われる。
だがしかし、こうしたやり方だと、もちろんすべての客が同様に満足するというわけにはいかない。前者の店なら、早撃ちの上に精力も強くない殿方はたちまち時間をもてあましてしまうし、後者の店ならその逆に目的を達する前に時間終了、という具合に。――
さてそんな客たちの積もり積もった不満を解消するために、ある経営者が究極の切り売りのシステムを考え出した。
何時間でいくらというセットの料金ではなく、純粋に客が楽しんだ行為の量に応じた請求をする。
すなわち客の尻のあたりに、腰の動きを感知する万歩計のような道具を取り付ける。これをまたタクシーのメーターのような装置に繋いで、ピストンの回数を計測するのだ。たとえば五回ピストンをする度に、メーターが一回上がって、千円の料金が課金されるというように。――
確かに誰の目にもこれほどフェアなシステムはないから、くだんの店が千客万来の繁盛店となったのは言うまでもない。
さてあるとき一人の金欠の風俗マニアが、なけなしの一万円札を握りしめてこの風俗店に現れた。
きっときっかりその一万円分だけ腰を振って、すっきりして帰ろうという魂胆なのだ。
もちろん修行の足りない殿方には、そんな神業のような芸当が可能なようには思われないが、遊び慣れた人間には射精のコントロールなど本当はわけもないのだ。
だがしかし、そこにはたった一つだけ見落とされていた盲点があった。
それはあの「フィニッシュの間近には、いきおいピストンの動きが速くなる」という男たちの習性である。
そうだった。くだんの遊び人は、一万円を目指して順調に快感を高めていたが、いよいよ絶頂間際になったときに、無意識のうちに計算外のスピードで腰を振り立ててしまった。そして気が付いたら、「カシャ」という空しい音とともにメーターが上がり。……
* 「他生の縁」
「袖振り合うも他生の縁」という言葉がある。
道端ですれ違ってただ袖を触れあうだけの邂逅でも、けっして偶然などではない。前世からの因縁(他生の縁)がなさしめたかけがえのない出会いである、ということだ。
確かに六十億という数の世界の人間から、その中の二人が出会う確率は、浜の真砂の一粒を探すような奇跡に近い確率であるにちがいない。だとしたらその運命の奇しさに、そうして一期一会の思いを駆り立てられたとしても、別段不思議ではないだろう。
そしてもしそうだとしたら、同じような感懐は風俗の遊びにもまた当てはまるにちがいない。
そうだった。たいていは一夜限りのお金の関係で終わってしまうその世界でも、「行きずり」という言葉はけっして似合わない。
何しろそこでは、男女のもっとも近しい営みが行われているのだ。だとしたらそのとき二人の魂は、確かに夫婦か恋人と見まがうほど、かぎりなく近くに寄り添っている。
――腰振り合うも他生の縁。……
そんな他愛のない冗談をつぶやきながら、今日もまた肌を合わせた男と女は、はかなくも甘い一夜の恋着を紡いでいるのだ。……
*「後遺症」
後遺症という言葉には、たいそう重たい響きがある。
たった一度の転倒や、ちょっとした交通事故にすぎないもの――取るに足らない打撲のように思えたものが、たまたま打ち所が悪く、その後遺症のために一生痛みや障害に苦しみ続けるのだ。
だがしかしそんな深刻な「後遺症」という言葉を、ときどき変に気軽に用いる奴がいるから、話がややこしくなる。
その昔青い顔をしながら「後遺症に悩んでいる」という仲間がいたから問いただしたら、昨夜の飲酒の後遺症だと言う。
そ、それはただの二日酔いだっつーの!
*「おかしな政治家」
――今度の組閣では太政大臣のポストを狙っている、と言う政治家。……
*「苦しい言い訳」
私の知人にあまり行状のかんばしくない男がいる。
どこかの悪所であいつを見かけたとか、盛り場の道路脇で酔い潰れていたとか、確かにその手の噂には事欠くことはない。
もちろん当の本人は周囲の顰蹙などどこ吹く風で、たとえそんな噂が耳に入ったとしても、「それは双子の兄貴の方だ」と平然とうそぶいている。……
(くだんの知人に双子はおろか、一人の兄弟すらいないのは言うまでもない。――)
*「ありそうでないもの」
――紳士用のパンティー。
その昔ある悪趣味の男が、デパートの店員をからかおうと下着売場に現れて、こう声を掛けた。
「紳士用の水玉のパンティーをください。――」
うぶな女性店員が、真っ赤になって口ごもったのは言うまでもない。……。
*「同じ声でも」
若くて姿のよい男性アイドルには、追っかけのような女性が群がってキャーキャー黄色い声を上げる。――そんなおなじみの光景をテレビで見た友人が、妬ましそうにこうつぶやいた。
「俺だって女をきゃーきゃー言わせているさ」
だがそれはけっして歓声ではなく、恐怖のあまりに逃げまどう悲鳴なのだ。……
*「あまりにもグロテスクな話」
大腸ガンの触診といえば、医者が肛門の中に指を入れて中の状態を探る。
そこに突起のようなものがあれば腫瘍が疑われ、腫瘍が悪性と判明すれば、大腸ガンということになる。
その昔あるオカマが大腸ガンの検査に行った。
医者が指を入れて突起があったので調べてみたら、それはGスポットだった。……
医者がその指で抽迭を繰り返すと、オカマはよがり声を上げながら、肛門から黄色い潮を吹いたという。……
*「好み」
「蓼食う虫も好きずき」というが、私たちの異性についての好みもまた様々である。
美男美女と呼ばれる者たちが広くもてはやされるのは言うまでもないが、そんなお人形さんのような類型的な美形よりも、一癖も二癖もある顔の方が味わいがあると言う者もいる。
芸能界にしたって、木村拓哉や松嶋奈々子ばかりが喝采を集めるわけではない。ブスかわいい女性タレントや 個性派の俳優にだって、また根強い人気があるのにちがいない。
先日仕事仲間の酒の席で、おきまりの女子社員の品定めが始まった。
一人の同僚は、何と経理課のA子がお気に入りだと言う。
このA子が光浦靖子に似たヒラメ顔だっただけに、全員が耳を疑ったのは言うまでもない。
呆気にとられた仲間の一人が、思わずこうつぶやいた。
「相当なマニアだな。……」
*「信心」
いつの世にも霊的なものに惹かれ、彼岸にあるかもしれないものに憧れる気持ちは変わらないが、同時にそんな宗教の名を騙った犯罪も、また跡を絶たない。
拉致、監禁は言わずもがな、暴行や殺人だって珍しくない。
お布施と称して目の玉の飛び出るような金額を巻き上げたり、いんちき教祖が女性信者を籠絡するような話が、今日もまた三面記事を賑わせる。
かつてあるとき、後者の類の記事を読んだ友人が、思わずこうひとりごちた。
――信じる者は、犯される。……
*「ゴト師」
「ゴト師」いう言葉をご存じだろうか。
元来は賭博場でいかさま行為を働く輩を指す。
不正な仕事(隠語でゴトと呼ぶ)を行うことからその名を得たものだが、今ではもっぱらパチンコ業界の符丁として用いられる。
パチンコ台ににさまざまな仕掛けを施して、不正に玉をかすめ取る――その手口たるや、例えばセルロイドや針金を遊戯台に差し込んだり、磁石で玉を操ったりという旧式のものから、電波で台を誤作動させる、電子部品をすりかえるといったハイテクなものまで、枚挙にいとまがない。
もちろん業界にとっては天敵のような存在だから、万全の対策が必要なのだが、実際にはどうしても警備の厳重な店と手薄な店が生まれ、後者の店がもっぱらカモとしてますます狙われ続けることになる。
かくして同じ店に、毎日同じように出没するゴト師のことを、
「例によって例のゴト師」
と呼ぶようになったそうな。――
*「酒と川柳」
「酔い覚めの水千両と値が決まり」という古い川柳がある。
酒飲みなら誰でも覚えがあるだろう。酒に酔って眠った翌朝には、喉がからからに乾ききっていて、そんなときに口にするコップ一杯の水は、確かに千両の金を払っても惜しくないほどの甘露の味わいがある。……
もちろんそんな感覚には、ちゃんとした医学的根拠がある。アルコールには元来利尿作用があるから、大量の飲酒によって一種の脱水症状を起こした身体が、水分を文字通り渇望するのは無理からぬことなのである。
一方「迎え酒」とう言葉がある。
二日酔いの症状とは、けっして脱水症状だけにとどまらない。頭痛に、吐き気に、悪心に、胸のむかつき――そんなすべての不快さから脱却するために、様々な対処法が試みられてきたのだが、その中の一つがこの「迎え酒」である。
いわく、酔い覚めの朝に再びコップ一杯の酒を飲み干す。そうするとあれほど激しかった二日酔いの症状がたちどころに消え去っていく。――もちろんこちらのやり方には何の医学的根拠もない。ただ再度の飲酒の酔いによって感覚を麻痺させることで、それまでの不快さを忘れているだけなのだが、 とりわけ依存症の進んだ酒飲みたちの間で、そんな荒療治の逆療法が好んで実践されているのだ。
やはりそんな二日酔いのアル中男が、あるときこんな川柳をつぶやいた。
――酔い覚めの酒千両と値が決まり 。……
*
酒にまつわる川柳には、また次のようなものもある。
「酒のない国に行きたい二日酔い また三日目に帰りたくなり」
すなわち二日酔いの症状に苦しむときには、もう二度と酒など飲みたくないと後悔するものだが、ようやく吐き気の治まったその翌日は、懲りずにまたアルコールの味が恋しくなる。……
確かに酒飲みの気持ちを言い表して妙であるが、こでもまた破滅型の酒飲みの場合は、けっしてその程度にとどまらない。
いわく、
――酒のない国に行きたい肝硬変 また三日目に帰りたくなり。……
たとえ肝硬変に倒れたとしても、たまに症状がやわらいだ日などには、思わず酒瓶に手を伸ばしたくなる、というのだ。――
*「看板に偽りあり」
――「なでなで」も「しこしこ」もしてくれない大和撫子(やまとなでしこ)。
風俗産業じゃないんだから。……
*「救いがたい奴」
――賭け麻雀は健康によくないからと、賭けゴルフを始めた奴。……
少しは博打のことを忘れろっつーの!
*「単なる言葉遊び」
――ぼこぼこにされた、かまぼこ。……
*「言い間違え」
――婚礼の結納金を、身の代金と言っちゃった奴。……
確かに、そのような側面もないわけではない。――
*「入水自殺」
野郎のメール友達からメールが来た。
タイトルは「入水自殺」と穏やかでないので、あわててクリックすると、文面は、
――一緒に死のうか? 肥溜めに飛び込んで。
とある。
今のご時世だから死にたい気持ちはやまやまだが、せめて美しい女性と玉川上水に飛び込んで死にたいものである。……
*「私の好きな英単語」
there ア・レ
that ア・ソ・コ
意味深に聞こえるかもしれませんが、別に他意はありません。……
*「物は言い様」
どう見ても清らかとは言えない悪友が、「自分のような純粋な人間は。……」とのたまうから、不審に思って聞きただすと、
――純粋に不純なんだ。混じりけ一つない真っ黒け。
このはらわたをかっさばいて見せてやりたいよ。イカスミのような血潮がどっと吹き出らあ。……
だそうだ。
*「アルバイト」
ある金欠の男が「何かいいバイトでもないかなあ」とひとりごちた。
それを聞きつけた口の悪い友人がこう勧めた。
――お前にはちんどん屋がいいよ。
化粧も衣装も音楽も<何もいらない。そのまま歩いているだけでちんどん屋だから。……
そう言われた男が、たちまち激怒したのは言うまでもない。
*「艶やか」
「肌の艶がいい」というのは、通例言われて嬉しい、最大の褒め言葉である。
だがある口の悪い知人は、その後にこんなふうに続けた。
――肌の艶がいいね。まるでゴキブリの羽みたいに、よくてかっている。……
*「自慢」
酒の席などでは、男同士の「持ち物」の自慢は珍しいことではない。
見るからに筋骨隆々の胸毛男が「昨夜は自慢の息子で朝までひいひい言わせてやった」とまことしやかに吹聴すると、コーラの瓶並のサイズを思い描いた周囲の同僚から、思わず賛嘆の声が上がったりもする。……
それに比べて、見るからに貧弱な体格の場合には、虚勢を張ろうにもどこか無理がある。
かつてやはり鉛筆のような細身の友人が、たどたどしい口調でこう言い募った。
「た、確かに俺のものは普段は親指大の大きさだが、いざというときにはウルトラマンのような膨張率で大きくなるんだ。――」
そう言い訳する友人の下半身からは、なるほど股間のふくらみはみじんも感じられない。
そんな笑止な強がりを聞いた友人が、すかさずこう言って冷やかした。
「ウルトラマンじゃあ、三分しかもたないじゃあないか。――」
図星を指された男が、赤面してうつむいたのは言うまでもない。……
*「現代っ子」
かつてはよく、「胸に手を当ててよく考えろ」というようなことを言ったものだ。
我が身を振り返って何か思い当たることはないか、やましいことはないのか。心の鏡に照らして自ら恥じることはないのか。――そうして絶えず自らの心に問いかけ、内省するための儀式が「胸に手を当る」という仕草なのだ。
とりわけ思春期の子供を相手にする中学高校の教師たちが、生徒たちの良心の目覚めを促すために用いた、説諭の言葉だったように思う。
たがしかし今日日の現代っ子ときたら、そんな心の対話にはからっきし慣れていない。
先日ある女子高生などは、
――胸に手を当てて考えてみたら、結構ぼいんだった。……
という具合に、先生方の必死の努力も、いにしえの金言も空しく、ずいぶんと即物的な発見だけで終わってしまった。……
*「穴」
下々の言葉に「一穴主義(いっけつしゅぎ)」というものがある。
生涯女房一筋、よその女には目もくれず、女郎買いとも縁はない――そんな堅物の亭主を揶揄した言葉だが、男女の色恋沙汰を「穴」の一言で表したところが妙に即物的である。
さて先日ある男が、いかにも困り顔でこう尋ねた。
――あの、うちの場合は女房だけで三穴なんですけど。……
*「三回目」
「居候」と言えば、親類や知人の家に上がり込んで厄介になる、寄宿人のことである。
家の回りの仕事を手伝うことはあっても、自らの食い扶持を稼ぐだけの働きはなく、もっぱら寄宿先の家族の好意にすがって養われる、半端者である。
もちろん相手先だって、義理に縛られてやむなく世話をしているだけで、けっしていい顔はされない。目障りなだけでなく、米櫃の心配までしなければならない、あくまでお荷物の存在なのである。
そんな居候の、肩身の狭さをうまく言い表した古川柳がある。
――居候、三杯目にはそっと出し。
確かにぶらぶらと遊んで暮らす居候だって、毎日腹はへる。一杯目、二杯目はともかく三杯目のお代わりとなると、タダ飯食らいの大飯食らいと思われはしないかと、顔色をうかがいながら、お茶碗を差し出す手も思わず遠慮がちになったにちがいないのだ。……
さてそんな居候が、先方の亭主が昼間働きに出ている間には、いきおい女房と同じ屋根の下に二人きりということになる。だとしたらそこに、ちょっとばかりあやしい関係が生まれることも珍しくはなかったようだ。
だがもちろんそんな場合でも、いったんできあがってしまった主従の関係は、けっして変わることはない。
――居候、三発目にはそっと出し。……(パロディ)
というような具合に、ここでもまた女房殿の顔色をうかがいながらの、遠慮がちな一戦となったのは想像に難くはない。……
*「世が世なら」
先日四十回目の誕生日を迎えた朝、友人からメールがあった。
どうやら私の誕生日が十一月十一日と覚えやすい数字であったため、急に思い出したらしい。
タイトルは「おめれとう」。おそらくこれは誤入力ではなく、酔っぱらって舌がもつれたまねをして、ふざけていたのだと思う。
本文は次のような自由詩の体裁をしていた。
おめでとう おめでとう
生誕記念日 おめでとう
世が世なら
今日がクリスマス
もちろんこれもまた冗談にはちがいなかったが、何だかその発想に私は妙な感銘を受けた。
確かに人の世の浮き沈みなど、所詮は時の運である。違う時代の違う国に生まれていれば、自分のような者でも日の目を見ることもあったかもしれない。
そればかりかひょっとしたら、聖者教祖とあがめたてまつられて、今日のこの日が生誕記念日と呼ばれることだってなかったとは言い切れない。
そんな風に思ううちに、目の前のふざけたメールが、何だか深遠な文学のように思え始めたのは気のせいだろうか?……
*「肥やし」
昔から「芸の肥やし」という言葉がある。
もちろん文字通りの、畑にまく糞尿のことではない。「芸を育てる滋養」というような比喩的な意味合いである。
すなわち芸人にとっては、あらゆる人生経験が、その人間の味わいを豊かにはぐくむ養分となり、ひいてそれが芸の奥行きと深みとなって現れる、という定式である。
確かにときにそれは、「苦労は買ってでもしろ」という、ありがたい教えになる。
だがしかし同時にほとんどの場合、その同じ言葉は芸人亭主の放蕩の言い訳として、重宝がられていたようである。
すなわち酒におぼれようが、愛人宅に入り浸ろうが、花街で一身代を散財しようが、「芸の肥やしにする」と言われてしまえばもはや女房に返す言葉はない、ただ黙って見守るしかないというわけである。
そんな芸人たちの理屈の身勝手ぶりを揶揄するために 一つこんなナンセンスはいかがだろうか。
いわく、
――芸の肥やしにすると言って、肥溜めをあさっている奴。……
確かに例の金科玉条を口にしながら、紋付きはかまの芸人が突然字義通り肥溜めの糞尿をあさり始めたとしても、女房殿にもはや意見する手だてはない。ただ黙って見守るしかほかにすべはない、というわけだ。……
*「演歌」
かつて博打で負け続けて、いつでも素寒貧の同僚がいた。
外食する金もないので、会社のお昼はいつも自家製の手弁当をぱくついている。
中身を覗いてみると、安価で栄養があるからと、いつでもたっぷりのかつお節がまぶしてあった。
それを見た仲間の一人が、冷ややかな口調でこう言ってからかった。
――かつお節だよ、人生は。……
(注「浪花節だよ、人生は」はもちろん昭和五十九年の、細川たかしの名曲である。)
*「なぞなぞ」
Q オートバイにまたがったとたんに、うとうとし始めるライダーは?
A 仮眠ライダー
*「口癖」
誰にでも口癖というものがあるが、ときにはこの小さな習癖が裏目に出て、思わぬ災難を招くことがある。
かつてある友人は、何かにつけて「十年早い」と一喝するのがならいだった。
あるとき、あまり見目麗しくない女に言い寄られてすっかり閉口した友人は、思わずいつもの伝で「十年早い」と叱りつけて追い払った。
ところがそれからちょうど十年後、不細工なばかりかすっかり年まで喰ったかの女が、約束通りに再び求愛に現れたという。……
*「清い交際」
今ではもう死語となってしまった言葉に「清い交際」というのがある。
言うまでもなく、肉体的な関係を伴わない、精神的な恋愛のことである。
さてかつて、およそプラトニックとは縁のないはずの友人が、こうのたまった。
――僕と彼女は清い交際です。
その度に塩を撒いてますから。……
*「替え歌」
かつて仲間内ではやった言葉に「死んでるよ」というのがあった。
「元気か?」「元気じゃないよ。死んでるよ」のように挨拶代わりに使われるのが普通だったが、その他にも日常の会話やメールの中で、折に触れて登場する台詞だった。
それはそうだろう。何しろ仲間と言っても、類は友を呼ぶのたぐいである。
中年と呼ばれる年になっても全員がいまだにワーキングプアで、所帯も持てなければ彼女もいない。
憂さ晴らしのギャンブルも負け続けで素寒貧、かろうじて貧乏アパートだけは借りられたが、やけ酒に酔いつぶれて眠るだけの毎日だ。
そんな暮らしぶりを「死んでる」と形容したとしても何の違和感もないだろう。
だがこの連中ときたら、こんなどん詰まりの境遇にありながら、誰もが極楽とんぼのおめでたさを持ち合わせていて、その「死んでるよ」の台詞には、悲劇の湿っぽさはみじんも感じられない。かえって自らのだめ男ぶりを明るく笑い飛ばすような、どこか快活な自嘲の響きがあった。
それかあらぬか、私たちの間にはときにこんな、きっかいな替え歌が口ずさまれた。
本歌は「手のひらに太陽を」。
その節回しをイメージしながら聞いて欲しい。
――ぼくらはみんな死んでいる
死んでいるからうれしいんだ♪
(中略)
みみずだって おけらだって
あめんぼだって♪
みんなみんな死んでいるんだ
友だちなんだ♪
実際の歌では「あめんぼだって」のところに、仲間の誰かの名前を入れる。
たとえば「みみずだって おけらだって 鬼沢だって♪」のように歌いながら互いにはやしあうのが、当時の飲み会につきものの趣向だったように覚えている。……
*「区別の難しいもの」
――行き倒れと酔っぱらいの区別。……
あそこの道ばたで倒れて動かない人物がもし行き倒れなら、もちろん誰もが助けの手を差し伸べるべきだ。
一方もしそれが自業自得の酔っぱらいなら、ただ冷たい視線を投げかけて通り過ぎればよい。
だがしかし、ご存じの通り両者の区別は必ずしも容易ではない。
通例倒れているのが女性の場合、よほど酒の臭いがぷんぷんでないかぎり、行き倒れと判断される。その逆に男性の場合には、おおむね酔っぱらいと決めつけて、見捨てられて終わるようである。
もちろんそれは、元来繊細な女性と違い、頑健な男がそう簡単に病に倒れるはずはない、という思いこみもあるかもしれない。
だが同時にうがった見方をするならば、こちらの場合には、できればそれが酔っぱらいであって欲しいという思いが、私たちの客観的な判断を歪めている、ということもあるだろう。
確かにもしそれが行き倒れと思えば、誰もが助けの手を差し伸べるべき道徳的な義務が生じるが、そうして赤の他人の救済にかかずらう面倒はとてつもなく煩わしい。
つまりは行き倒れと知りつつ見て見ぬ振りをするのは気がとがめるから、無意識のうちに「あれは酔いつぶれているのだ。頑健な男がそう簡単に病に倒れるはずはない、ただ男どもにはありがちな悪癖なのだ」と、みんなが必死になって思いこもうとしているのだ。……
*「区別の難しいもの」
――デパートにとって、プータローとお客様の区別。……
ときおりデパートの店内を、浮浪者がうろついているのを見かけることがある。
確かに彼らにとって、これほどありがたいものはない。
何しろ一年中冷暖房完備の上に、ところどころに足を休めるため椅子も用意されている。
一方デパートにとっては言うまでもなくこれほど迷惑なものはないから、早急にお引き取り願いたいわけだが、悩ましい問題はその見極めである。
プータローという名札があるわけではなし、一般の客だって何も買わずに冷やかしだけで帰ることもる。
ただ薄汚れた身なりで軽い異臭を放っているというだけでプータローと認定して、追い返していいものか。たとえ許されるとしても、だとしてらその線引きはどの程度の臭いからなのか?
そんなジレンマにさいなまれた店側は、結局は見て見ぬ振りを決め込むことになる。後はただプータロー本人の良心に期待しながら。
そうだった。
いい匂いの香水と高級なブランド服に囲まれたこの空間に、自らがいかに不似合いな存在であるか。
周囲の視線がいかに冷たく、棘のように刺さっているか。
そのことに気付けば、よほど神経が太くない限り、プータローだってもう少し居心地のよい安売りのスーパーか駅の構内へ、引き下がっていくのにちがいないから。……
*「ありそうでないもの」
――憲法違反で反則切符を切られた奴。……
言うまでもなく憲法は、国の大元となる大切な決まりごとである。
その違反が反則切符ごときの軽罰で、すまされるはずはよもやない。……
*「精神分析」
古来人類は夢という不思議な現象に、最大限の興味を抱いてきた。
夢占いとも夢判断とも称しながら、その不条理で荒唐無稽な内容に、何らかの意味を求めようと努めてきた。
とりわけそこに、抑圧された無意識の発露を見る精神分析の手法の流行は、世紀をまたいでいまだに衰えることを知らないようである。
だがしかし夢には本当に、そんな外的な要因というものがあるだろうか?
確かにそのような場合もあるだろうが、ひよっとしたらその多くは単なる気まぐれによって着想され、まるで尻取りのような自律の論理によって、展開していくにすぎないのではないだろうか?
少なくとも夢の中の何もかもに、いちいち隠れた欲望を見いだそうとする類ときたら、あまりに芸がない。違和感を通り越して、ときに笑止ですらある。……
ある精神科の診察室で、一人の患者が悩ましそうに打ち明けた。
何でもその前の晩に、大きなネズミの夢を見たのだという。
話を聞いた院長はさもありなんというふうにうなずきながら、静かにこう言って聞かせたという。
「それはですね――ネズミを食べたいという願望の現れですよ。……」
*「無意味な言葉遊び」
――ゾンビが鷹を生む。……
言うまでもなく、「鳶(とんび)が鷹を生む」のもじり。
ゾンビとは死体が蘇って歩き回る、あの例のゾンビである。
*「太く長く」
俗に「細く長く生きるか、それとも太く短く生きるか」というようなことを言う。
ささやかな人生ながら、健康に長寿を全うするのが前者なら、ぱーっと豪快に花を咲かせて散っていくのが後者の生き様である。
もちろん本当は「太く長く」の組み合わせが理想なのだが、そんな虫のいい選択は許されないのが天の配剤であるから、誰もがくだんの二者択一を強いられることになるのだ。……
そんな人生談義の傍らで、我関せずと携帯をいじっていた男が、この「太く長く」の台詞を聞きつけたとたんに、話に割り込んできた。
――何だ? うんこの話か?
*「帰国子女」
アメリカ人といえばまず快活で、前向きで、自己主張のはっきりした性格が思い浮かぶ。
もちろんそんな国民性は、彼らの遺伝子の中にも、存分に受け継がれてきたものだった。だが同時にそこには後天的な、その文化と教育の影響もまた、きっと大きいのにちがいない。――
その証拠に純粋な日本人の子弟でも、あちらの学校で教育を受けたあとは、たいていはそのような子供に育つ。
いわゆる帰国子女が日本の学校で目立つのは、語学の堪能よりむしろ、そんな日本人離れした生活態度ゆえなのだ。――
だがもちろん、どこにでも変わり種というものがある。
あるアメリカからの帰国子女は、その真逆に陰気で、後ろ向きで、煮え切らない愚痴っぽい性格で、教師仲間から陰で「あの世からの帰国子女」と呼ばれていた。……
*「情けない奴」
昔から「肉を切らせて骨も断つ」というようなことを言う。
捨て身の戦法でたとえこちらの肉を切られても、それ以上に相手の骨を断つ打撃を加えてしまえば、勝利は自ずから転がりこむ、というわけだ。
だがしかし、情けない奴というのはどこにでもいるもので、私のあるギャンブル狂の友人はいつでも負け続けの素寒貧で、「肉を切らせて骨も断たれた」という台詞を口癖にしていた。……
*「上下関係」
たとえ男友達の間でも、夫婦の閨房のことというのは、なかなか口にするのが憚られる。
他人事のような下ネタは得意でも、相手にも顔見知りの女房と、我が身との間の出来事というのはあまりにも生々しく、気恥ずかしく感じられるのだ。
だがしかし私のある友人は、そのあたりの事情を実にさらりと、おしゃれに言ってのけた。
いわく、
――うちのかみさんは騎馬民族だから。……
*「国際結婚」
かつて仲間内で国際結婚が話題になったとき、一人の友人がこう口を挟んだ。
――俺のワイフはオランダ人ですから。……
だがしかし、この友人は確か、まだ独り身のままだったはずではないのか?
訝かる仲間に向かって、男はこう付け加えた。
――いつもは押入に隠しています。……
何のことはない、オランダ人とは英語で言えばdutch(ダッチ)だという、実につまらない冗談だった。
*「息子のこと」
昔ある下ネタ好きの友人が、こんなつまらない冗談を言っていた。
――私の息子は一触即発です。……
一回軽く触れただけですぐさま爆発する、病的な早漏というわけだ。
――私の息子はホウセンカです。……
そういえば、最近とんと見かけなくなったが、ホウセンカの実は確かに軽く指先で触れただけで、すぐさまはじけ飛んだっけ。
*
また友人は、
――私の息子は再起不能です。……
そ、それはただのインポやないか!
*「替え歌」
――屋根より低い鯉のぼり♪
(中略)
つまんなそうに泳いでる♪。……
確かに本歌の「鯉のぼり」はあまりにも子供っぽい、おめでたい楽観に満ち満ちている。
たいていの人生は、少なくとも大人たちの人生はもっとずっと凡庸で、不幸とは言わないまでも、薄汚れた退屈がつきものである――そんなことを思いつまされる、いわば自虐の替え歌なのだ。……
*「気持ちの悪い奴」
――人体解剖図を見るたびに、すき焼きが食いたくなる、と言う奴。……
*「言い間違え」
――弘法も筆を降ろす。
注 「弘法も筆の誤まり」の言い間違え。「筆を下ろす」とは、新品の筆を初めて墨につけて使い始めることから、暗に男子が童貞を捨てて、初めて女性と交わることを指す。……
*「言い間違え」
よく足かけ何年、というようなことを言う。
例えばある会社に十二月に入社して、翌年の三月に辞めたとすると、在籍はわずか四ヶ月だが、年を跨いだので「足かけ二年」勤めたということになるのである。
もちろん四ヶ月で会社を辞めることはめったにないが、退社の挨拶などで「足かけ五年」のように用いられる計算法である。
だがしかし、そんな四角張った挨拶の折りには、しばしば口がすべって、思わずぽろりと本音が出てしまうことがある。
ある女子社員は送別会の席上で、「足かけ五年」を「腰掛け五年」と言い間違えた。
おそらくこんなつまらない会社は、結婚相手を見つけるまでのただの腰掛けにすぎないと、常々腹の中で思っていたのだろう。……
*「ありそうでないもの」
――ドラキュラがやっている愛の献血運動。……
確かに今日日の世の中は、ドラキュラにとっても受難の時代である。
何しろHIVやら肝炎やら、感染症が恐ろしくて、やたらと首ったまにかぶりつくわけにはいかない。
その上処女の生き血をすすろうにも、それらしい娘はどこにも見あたらない。……
*「新ことわざ集」
――M女をとらえて縄をなう。……
M女とはSMの世界で、マゾヒズムの性癖のある女のことを言う。
いわく、いざM女を捕らえて、これからプレーを始めようという段になってから、縄をなうのでは遅すぎる。
そんな好機の訪れることを予期して、平生から用意を怠らないように、というありがたい教えなのだ。……
*「新SM用語集」
『老骨に鞭打つ』
年老いてもなおSMクラブに通い詰めるM男のこと。
『飴と鞭と蝋燭の使い分け』
若者の教育には何よりもこれが肝要だという。
『鞭打ち症』
鞭で打たれ過ぎてぼこぼこになった、M男の持病。
『ピチピチギャル』
M男にピチピチと鞭を振るう、若いS娘。
『自縄自縛』
M男が自分で自分の体を縄で縛り上げる、一種の自慰行為。
*「情けない奴」
――屈伸運動をしたらほぐれてしまった、不屈の闘志。……
*「ある野心家の弁」
――今の天皇が死んだら、挙兵して天下を取ろうと思っています。……
*「トイレ」
女性の貞操のなさを諷する言葉に、「公衆便所」というのがある。
男たちが気軽に立ち寄っては用を足していく、まるで便器のような存在だという、最大限の蔑称なのだ、
だが近頃では有料トイレというのもあるそうだから、少しばかり用心したほうがよさそうである。――
*「言い間違え」
「国民の血税を」というのは、政治の無駄遣いが話題になったときに、きまって聞かれる嘆きである。
だが私の友人の一人は、そんな言葉の意味が理解できなかったのか、しきりに「国民の血尿を」「国民の血便を」と叫び続けていた。……
*「拒否権」
「拒否権」という言葉は、もちろんご存じだろう。
国連の安全保障理事会では、十五か国の多数決では物事は決まらない。「常任理事国」と呼ばれる五大国のうちの、たとえ一カ国でも反対すれば、たとえ他の十四か国が全員賛成でも、その意向を拒否することができるのだ。――
だがしかし、こんな不思議な権利が幅を利かせている、もう一つの場面がある。
それは若い頃には誰もが覚えがある、あの徹夜麻雀の場合である。
もちろん夜を徹しての麻雀など、体に悪いのはわかっている。できれば九時十時には、少なくとも終電までにはお開きにしたいというのが、みんな本音なのだ。
だがいざその時間になると、メンバーのうちの一番負けの込んだ奴が、きまってだだをこね始める。
それはそうだろう。このまま大負けしたまま引き下がるわけにはいかない。大逆転といわないまでも、損の大半を取り戻すまでは、勝負は続いてもらわなくてはならないのだ。
勝ち逃げは許さない。卑怯だぞ。全員が楽しい思いをするまでは、とことん付き合うのが仲間じゃないか――そんなたった一人の理屈に合わない拒否権に押し切られて、今日もまた四人は眠い目をこすりながら、朝まで雀卓を囲むのだ。……
*「独身」
近年結婚しない男たちがますます増えている。
かつてはどこの職場にも「独身会」と目されるメンバーがいて、四十くらいの年長格が「会長」などと呼ばれて揶揄されていたものだが、いまでは五十代の未婚も少しも珍しくなく、ひそかに「独身会の長老」などと陰口を言われている。……
*「とんでもない奴」
――「大人のおもちゃ」で女を責め立てながら、「人間は道具を使う動物なんだ」とうそぶいている奴。……
*「花札」
幼稚園のクラス名ほど、微笑ましいものはない。
一組、二組などという無機質な名前には、まずお目にかからない。
百合組、梅組、桜組と、高学年の子供だったら気恥ずかしくなってしまうような、思い切り幼児趣味の命名が並ぶ。……
だがしかし、ある幼稚園はクラスの数が思いの外多かったらしく、その後に萩組、牡丹組と続いていたのには思わす笑ってしまった。
お前のところの幼稚園は花札学校か! とつい突っ込みたくなったのは私だけだろうか。……
*「無意味な言葉遊び」
――甲乙つけがたい焼酎。……
「甲乙つけがたい」とは昔の成績表で「甲」が「乙」の上であったことから、優劣を決められないほど拮抗していることを指す。
だがもちろん焼酎の甲乙といえば、言うまでもなく甲類焼酎(連続式に蒸留したアルコール度数の比較的低いもの)と乙類焼酎(単式で蒸留したアルコール度数の比較的高いもの)のことである。――
*「腐っても」
「腐っても鯛」とは、教育の世界でもしばしば使われることわざである。
高級魚である鯛は、多少痛んだところでその辺の下魚とは違う、それなりの価値がある。
それと同じようにもともと素質のある良家の子女は、たとえ不勉強で一時は落ちこぼれていても、それなりにきらりと光るものがある、というわけだ。
だがしかし、ある皮肉屋の教師は、ただの一言でこう切って捨てた。
――鯛でも腐ってる。……
*「目覚まし」
中年期になれば誰しも覚えのあることだが、ある男が、
「いくら寝ても体から疲れが取れない」と嘆いていた。
愚痴を聞きつけた友人が、こう言ってからかった。
「普通に寝ただけじゃあ、積もり積もった疲れは抜けやしないよ。
二三日死んでから、蘇るようにしないと。
大丈夫だよ。ちゃんと目覚ましを掛けておけば、起きられるから。――」
*「演歌」
義理も人情も誠もすたれて、すべてが欲得づくの、いやな世の中になったものである。
そんな当節、ある男が古き良き時代の演歌のせりふを借りて「命預けます」とのたまったら、
「利回りはいくらだ?」と聞き返されたそうだ。……
*「嘘のような話」
その昔女性とは全く縁の遠い、Kという男がいた。
噂によれば、もやもやのはけ口はもっぱら「ビニール製の人形」だそうである。
そんな情けない男について、あるとき追い打ちをかけるようにこんな噂が広まった。
「Kの奴今度は、ダッチワイフに振られたらしいぜ。
しつこいからいやだってさ。――]
*「昔々」
昔三人の男がいた。
Aは天下の好男子、Bはその美声ですべての異性をとろけさせ、Cは大きな声では言えないが、どうやらずいぶん女泣かせの「道具」の持ち主らしい。
あるとき三人の間に、奇妙な相談事が持ち上がった。発案者は「道具」のCである。
なるほど自分たち一人一人は、今はまだ大した女たらしではない。だがしかし、三人がそれぞれの長所をもって合体すれば、史上最強の色男ができあがる。もし美声と「道具」も持ち合わせた天下の二枚目ができあがれば、もはや世の中のどんな女でも意のままに落とすことができるだろう。……
バラ色の未来図に、初めはすっかり乗り気だった二人も、やがてあやうくCのたくらみに引っ掛かるところだったと気づいたようだ。
確かに、そうして三種の神器がそろえば、どんな女でも意のままに落とすことができるだろう。それはその通りだ。
だがしかし、たとえそうして女が落ちたとしても、最後に「いい思い」ができるのはCだけなのだ! Aはいわば呼び込みの看板を貸すだけで、Bに至ってはただ横で声を出しているだけなのだ。……
Cの発案が結局一蹴されたのは、もちろん言うまでもない。――
*「無意味な言葉遊び」
―― 弱きを助け、足を挫く。……
注「弱きを助け、強きを挫く」のもじり。
*
―― 寝る子は太る。……
注「 寝る子は育つ」のもじり。
*
―― 恨み骨髄炎 。……
注「恨み骨髄に徹する」のもじり。
*「勘違いな奴」
――便秘にはラマーズ法が一番だ、と信じている奴。……
ラマーズ法とは言うまでもなく、自然な分娩を促すための出産法の一つである。「ヒッ・ヒッ・フー」と聞こえる独自の呼吸法によって知られる。――
*
――「人間の三大本能」を「飲む打つ買う」と答えた奴。……
もちろん「飲む」とは酒を飲む、「打つ」は博打を打つ、「買う」は女を買うで、かつて遠い昔に男の三道楽と呼ばれていたしろものである。
*
――梅毒スピロヘータはハーフの名前だと信じている奴。……
滝川クリステルやないっつーの!
*「忠告」
その昔、借金に苦しむ男がいた。
何とか取り立てを逃れる方法はないかと悩む男に、人の悪い友人がこう忠告したそうな。
――樹海の中に逃げれば? もう誰も追い掛けてこないから。――
*「天真爛漫」
その昔「頭が良くなる」が謳い文句の、キャラメルが売り出されたことがあった。
ちょうど魚に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸) が学習能力を高める、という学説が広まったころで、その成分をキャラメルに練り込んだ商品だったと思う。
実際の効能を当てにしたのか、それともただの洒落のつもりで買い求めるのか、それなりの人気の出た商品だったはずだ。
さてそのころ、ある進学塾がこれもまた半ば実際の効能を信じて、また半ば洒落のつもりで、かのキャラメルを生徒の「おやつ」用に配布したことがあった。
問題はその配付の仕方である。
その塾は生徒を学力別に三つのレベルに分けていたのだが、最上位の特訓クラスの生徒にはキャラメルを一人一つずつ、真ん中の錬成クラスには一人二つずつ、最後の基礎クラスには何と一人に三つずつ、というやり方で配布したのだ。
一体そんな数の違いの中にはどんな意味が、あるいは悪意が隠れているのか?――だがしかし、当の基礎クラスの生徒たちはそんな疑問などつゆ知らぬかのように、互いに手を叩き合って、ただキャラメルの多さを喜んだという。……
*「とんだ勘違い」
「子供をだしにするような連中は許せない」と憤慨する友人に、
「スープにしたのか……?」と聞き返した奴。――
*「反論」
その昔、いけすかない堅物の上司がいた。
「神聖なる職場で」というのがその口癖であった。
あるとき何人かの酒好きの若手社員が、残業の後のオフィスでこっそり酒盛りをやった。
悪い噂はどこからともなく漏れ聞こえるらしく、くだんの上司が全員を呼びだして、いつもの説教を始めた。
「神聖なる職場で酒を飲むとは。――」
だがしかし、就業時間が終わった後で、そのうえ残業の打ち上げにお疲れさまの一杯をやるくらいなら大目に見てくれてもよいのではないか――そんな若手の不満を代弁して、仲間の一人がこう言い返した。
「神聖なる職場とおっしゃいますが、それではおは一体どうなんでしょう?」
*「中国語講座」
北京五輪をきっかけに覚えた言葉に「加油」というのがある。
「頑張れ」の意味を表す中国語である。
確かに油の切れかかった機械に油を加えればパワーも蘇るだろうから、言いえて妙である。
だがしかし、ときには「火に油を注ぐ」ということもあるので。……
*「無意味な言葉遊び」
――人を食ったような顔をしている、人食い鮫。……
注「人を食ったような」とは「人を馬鹿にしたような」の意味の慣用句である。
「食う」には元来「だます、馬鹿にする」のような意味があった。
言うまでもなく、「人肉を食する」の意味ではない。……
*
―― 身重の妻と気重の夫。……
注「身重」とはもちろん妊娠中であること、一方「気重」とは何とはなしに気がすすまない、落ち込んだ状態を表す。……
*
――やたらと目くじらを立てる、グリーンピースの活動家。……
グリーンピースとはもちろん、過激な反捕鯨運動を展開する、あの環境保護団体の名前である。
確かに、文化と価値観の違いとはいえ、鯨の保護をまるで聖なる大義のように奉つるあの輩のヒステリックな振る舞いは、我々日本人の理解をはるかに越えている。
ちなみに「目くじらを立てる」とは、ささいなことを取り立ててとがめることを意味する慣用句。もちろんここでいう 「目くじら」とは目尻のことを指し、あの「鯨」とは何の関係もない。……
*「十代の妊娠」
その昔、ある高校の教師が、避妊に失敗した女生徒から相談を受けた。
中絶か、出産かと深刻に悩む女生徒に、教師は実にお気楽な口調でこう指導したという。
――心配するな。「 案ずるより産むがやすし」だ。……
*「何かがおかしい」
――縛り首から電気椅子に減刑されて、喜んでいる死刑囚。……
*
――神童とはやされて、飛び級して浪人生になった高校三年生。……
*「嘘のような話」
一度分かれた妻と再婚することを、麻雀用語を借りて「振り聴(フリテン)」と言う。……
注 麻雀の「振り聴(フリテン)」とは、一度自分が捨てた牌で上がることで、一般に禁止事項の一つとされる。
*「お国柄」
――「俺の目の青いうちは」が口癖の、アメリカの頑固おやじ。……
*「何かが違う」
俺も若い頃には硬派だった、とのたまう男がいた。
何でも女の子が傍らにいるだけで、股間がこちんこちんに硬くなったという。……
*「開き直り」
その昔、病的な早漏の男がいた。
それなりのルックスをしているので女はちゃんと寄ってくるのだが、何しろ三分も持たずに果ててしまうため、夜の生活には満足できるはずもなく、次々と去っていく。
あるとき、別れ際に「早さ」をなじる女に、男は開き直ったかのようにこう言い返したという。
「ば、ばかやろう、俺は感受性が鋭いんだ。――」
*「情けない奴」
――間違ってわが世の冬を謳歌している奴。……
確かに誰だって、初めはわが世の春を謳歌するつもりだったのだ。
やがては大金を稼いで一身代を築き上げ、世間のみんなをかしずかせ、女は抱き放題、酒は飲み放題の極楽の人生を送る予定だった。
だがその大半の男達は、どこでどう間違ったのかどんづまりの素寒貧、女からは見放され、周囲からは見下される踏んだり蹴ったりの人生を歩んでいる。……
*「とんでもない女」
「二股かけるほど器用じゃない」と嘆いていた女が、次に会ったときにはぺろりと舌を出しながらこうのたまった。
――三つ股にしてみたら、結構安定してた。……
三脚テーブルじゃないつーの!
*「とんでもない店」
――鉄板焼を注文したら、真っ赤になるまで焼いた鉄板が出てきた。……
*「嘘のような話」
その昔、肥満で有名なA男とB子がめでたく結ばれた。
A男の友だちはみな「なんぼなんでもB子と結婚せんでも」と驚き、B子の友だちはみな「なんぼなんでもA男と結婚せんでも」と驚いたという、その意味でも似合いの夫婦である。
そんな夫婦について、あるとき奇妙な噂が流れた。
何でも結婚して何年経っても子供ができないのを怪しんだ仲間が、こっそり寝室を覗いてみたら、毎晩二人で裸で相撲を取っていたというのだ。……
そのことを指摘されたA男は、「えっ、これじゃあいけないんですか? みんなこうやっているんじゃないんですか?」と目を丸くしてのたまったという。……
*「マーフィーの法則」
――上司はおごってやった数を覚え、部下はおごってくれなかった数を覚える。……
*「新ことわざ集」
――天は二物とも与えず。……
よく「天は二物を与えず」というようなことを言う。
すなわち神様は一人の人間に一つの取り柄を与えることはあっても、二つ三つと立て続けに与えることはない。長所だらけの完璧な人間などいない、という教えなのだが、考えてみれば世の中の大半は、たった一つの取り柄さえ持ち合わせないダメ男ばかりなのだ。
そんな彼らにふさわしいのは、残念ながらやはりこの冒頭のことわざだろう。……
*「新サラリーマン川柳」
――菜の花や 仕事はあいつに 手柄はオレに
確かにサラリーマンの社会に暮らしていると、川柳にして笑い飛ばす以外、耐え難いような理不尽にぶち当たることがある。
上記もやはりそんな私が、サラリーマン時代に詠んだ川柳である。
本歌は言うまでもなく与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」。だが実際に歌われているのは、当時の私の直属の上司である。
文字通り仕事はすべて部下に押しつけて、手柄は横取りするその上司のやり口が腹に据えかねて、パロディーの形で諷してみたというわけだ。
ちなみにその上司に長男が生まれ(若い会社だった)なにがしかの出産祝いを贈る羽目になったとき、腹立ち紛れに作ったのが次の一句である。
――インチキ野郎には インチキ野郎の子が生まれ。……
ちょうど蛙の子は蛙というように、こんなに薄汚い上司の息子はきっと同じような卑劣な人間に育つだろうという、今思い出してもすさまじい、怨念のような悪意がこもっている。……
*「あまり聞きたくないもの」
――水洗便所のせせらぎ。……
*「無意味な言葉遊び」
――履物はいつも笑っている。
靴はくつくつ、下駄はげたげた。……
*「言い間違え」
――間違えて、「男の股間にかかわる」と言っちゃった奴。……
言うまでもなく正しくは「男の沽券にかかわる」である。――
*「とんでもない奴」
――俺は無遅刻無出席だ、と言って威張っている奴。……
*
――「譲りあいの精神」で、責任を譲りあっている奴ら。……
*
――交通事故で頭を骨折して、あわてて接骨院に行った奴。……
――その骨折を、「えいやっ」と気合いを入れて、治そうとした接骨医。……
「ほら呻き声が止まったでしょ」って? それって、くたばっちまったんじゃあないのか?!――
*「無意味な言葉遊び」
――とっとも物欲しそうな物干し竿。……
*
――三度のめしよりラーメンが好き。……
*「情けない奴」
――家内安全のお守りをしていると思ったら、女房が暴力妻だった奴。……
「家内」って、そっちの家内かよ!――
*「搾取」
ある飲食店の女店主は、目一杯の安月給で従業員をこき使って、儲けた金をたんまりと貯め込んでいる。
あんまり搾取がきついので、従業員の間ではひそかに「取り上げ婆」と呼ばれていた。……
注 「取り上げ婆(ばばあ)」とは今で言う助産婦のこと。出産の介助をして赤ん坊を「取り上げる」年増の婦人のことである。
*「変な男」
昔ある男が、死体の口元に耳を押し当てて、「こいつさっきから全然息してないぞ。 すげえ奴だ」と感心したという。――
*「情けない奴」
――泉に映った自分の姿があまりに醜いので、水仙になってしまった奴。……
言うまでもなくギリシャ神話の、ナルシスのパロディである。
ナルシスは泉に映った自分の姿のあまりの美しさに水仙に変じたというのだが、もちろん泉に映るのはいつでもそんな美少年の姿ばかりとはかぎらない。……
*「物は言い様」
あまり手癖のよくない息子が、あげた覚えのない小遣いを持っているのを見て問いつめると、「拾った」のだと言う。
――嘘をおっしゃい。拾ったのならどこで拾ったのか言いなさい。お母さんが返しに行くから。
そう叱りつける母親の激しい剣幕に恐れをなした息子は、それでも意地を張って「嘘じ
ゃないよ。他人のポケットから拾ったんだ」と言い張ったという。
*「コピー」
ある高校生の姉妹は、さすがに姉妹だけあって、顔立ちはうり二つである。
だがしかし、目鼻の一つ一つはその通りそっくりであるにもかかわらず、全体に与える印象はなぜか姉は美人であり、妹はそうではない。
そんな可哀想な妹は、口さがない周囲の連中から「姉ちゃんのミスコピー」と呼ばれている。……
*「おめでたい奴」
世の中には本音とはずいぶん違う「社交辞令」というものがある。
例えば縁談を断るときに「お宅の息子さんはうちの娘にはもったいない」などと言う常套句がある。
本当にもったいないほどいい男なら断るわけはないのだから、ただの肘鉄砲を波風が立たないように表向きだけ繕ったにすぎないのだが、ある男はそんな世の中の裏表が少しもわからずに、「そうか、俺はもったいないか!」とさも嬉しそうに相好を崩したという。……
*「セミプロ」
たいていの大学には、スポーツ推薦という制度がある。
高校時代にそれぞれの競技で優秀な成績を収めた生徒は、ただそのゆえをもって、学科試験の成績にかかわらず入学を許可される。
大学生のスポーツ大会で常勝軍団と呼ばれているような連中は、ほとんどがこの推薦組で、「名門大学なのにスポーツも強く、文武両道だ」などと感心しているのは、とんでもない心得違いなのである。
現に某大学の某学部などは「故障して試合に出られなくなると、大学を自由契約になる」と、まことしやかに噂されている。……
*「物は言い様」
よくスポーツ新聞などに「奇蹟の優勝」のような見出しが踊るが、あれってつまりは「まぐれの優勝」というのと、一体どう違うのだろう?
*「枕詞」
奈良の枕詞といえば「あおによし」である。
「青と丹(に)の色で美しい」の意というが、そんな語源は知らなくとも、ただ音の響きを聞いただけで典雅な古都の情景が目に浮かんでくるから不思議である。
――あおによし奈良の都の。……
かつてある男が、この「あおによし」を「あおみどろ」と言い間違えたことがあった。「あおみどろ」とは言うまでもなく水田などにとろろ昆布のように繁茂する緑の藻で、濁り水を青く見せるその薄気味悪い姿は、こちらは古都の典雅とは似ても似つかない。……
*「単なる言葉遊び」
――お骨折り頂き有り難う 首の骨。……
よく「いろいろとお骨折り頂きまして有り難うございます」というようなことを言う。 ここでの「骨を折る」は、もちろん他人のために労苦をいとわず力を尽くすことを指す。 実際の骨折とは違うし、ましてや首の骨を折ってしまっては、いまさら感謝されたところで到底浮かばれない。……
*「とんでもない奴」
――ソーセージは牛のポコチンだと信じて疑わぬ奴。……
もちろんソーセージとは、羊の腸に挽肉を詰めた物を薫製にして作られる。間違ってもその男性器を引き抜いて、食しているわけではない。……
*「倦怠期」
その昔、
「うちの夫婦もそろそろ倦怠期でね。……」
とため息を付く男に、友人が冷ややかに言い放った。
――フライドチキンでも食べたら?
注 言うまでもなく「ケンタッキーフライドチキン」という駄洒落である。家族の問題を真剣に打ち明ける友人に対して、あまりにも悪のりした残酷な助言であった。
*「不謹慎」
その昔「もったいないお化け」というコマーシャルが流れたことがあった。
食べ物を粗末にした子供たちに、粗末にされた人参やら大根やらキュウリやらが、夜中になるとお化けになって襲いかかる――という内容のアニメーションで 、子供たちに好き嫌いをなくし、食べ物を大切にすることを教える、公共広告機構の教育キャンペーンであったと思う。
ちょうどそのころ、ある美少女アイドルが高層ビルから飛び降りて自殺する、という事件があった。
翌日酒の席で事件のことが話題になったとき、趣味の悪いシックジョークの好きな同僚が、突然こんなことを言い出した。
――自殺の現場には、もったいないお化けが出るらしいぜ。
真意を測りかねていぶかる仲間に、くだんの男はこう謎解きをしてみせた。
――もったいないじゃないか。自分で死ぬくらいなら、その前に俺に一発やらせろよ、ってことさ。
あまりにも不謹慎な発言に、周囲が眉をひそめたのは言うまでもない。
その中の一人は厳しい口調で、こう言って男をやりこめた。
――馬鹿なこと言うな。お前にやらせるくらいなら、誰だって身投げして死ぬさ。
*「お粗末」
私の友人に、傍目にもそれとわかるほどの巨根の持ち主がいた。
だがしかし本人の談によれば、そんな羨ましい外観にもかかわらず、ある性能の欠陥のために、女性を満足させるには至らないのだという。
その性能の欠陥とは……いずれにせよ、その一件が知れ渡って以来、友人は仲間内で 「4・7インチ速射砲」という、あまり有り難くないあだ名を頂戴することになるのである。――
*「赤面恐怖症」
その昔あるところに、酒好きの高校教師がいた。
朝まで飲み明かして、そのまま学校に来るようなことも珍しくなく、本人は大丈夫なつもりでも、周囲はちゃんとすべてをお見通しである。
「だって先生、今日は顔が真っ赤じゃないですか」
担任の生徒たちにそう言ってからかわれた教師は、もつれる舌で必死なって言い訳したという。
「せ、先生は酔っぱらっているんじゃないだ。先生はただ、恥ずかしいんだ。――」
*「嘘のような話」
最近は多くの神社に「お神籤の自動販売機」なるものが置かれている。
自らの運命を宣べ伝える厳粛な神事を、いかにも安造りの機械に委ねてしまうというのは、少しばかり気が引けるところがある。
だがしかしよく考えてみれば、昨今はお神籤自体が大量生産の印刷ものばかりだし、引く方もただの遊び心の場合がほとんどだから、目くじらを立てるようなものでもないのかもしれない。
かつてある男が、くだんの自動販売機に百円玉を入れて説明書き通りにレバーを引いたが、一向にお神籤らしきものが出てこない。
神社の受付に苦情を言うと、
――それが大凶です。……
とあっさりあしらわれたという。
おいおい、俺の運勢はボラれっぱなしの人生か!
*
さて、続いて次の男がレバーを引くと、販売機の取り出し口にはお神籤の代わり「なめくじ」が飛び出してきた。
神社の受付に苦情を言うと
――それも大凶です。……
とあっさりあしらわれたという。
んなわけないけど。さすがに。
*「利便」
その昔、携帯電話がようやく出回り始めた頃、真っ先に買い求めた連中が、その便利さを吹聴していた。
ある者は「メシを食いながらでも電話に出られるのがいい」と言い、またある者は「トイレで糞をしながらでも電話を掛けられるのがいい」とずいぶん尾籠なことを言う。
そんな携帯賛歌を締めくくるように、最後にある悪趣味な男が、真顔とも冗談ともつかぬ口調でこう言い添えた。
「トイレで糞をしながらメシを食っていても、電話ができるのがいい。――」
*「クローン」
その昔クローン羊のドリーのニュースが流れたとき、職場でもクローンのことがひとしきり話題になった。
はたしてこの技術を使って、自分の分身を作ることが可能かどうか。可能だとしたら、それを望むかどうか。
そんな議論の最中に、どういうわけか最も強く「分身」を望んだのがA君だったが、このA君は、その超肥満の暑苦しい体型と、鈍感を通り越して無神経な性格のために、みんなから煙たがられる存在だったのだ。
そのことをとらえて、ある口の悪い同僚が冷ややかにこう言い放った。
「そりゃクローン人間じゃなくて、クローン豚だろう。――」
*「物は言い様」
その昔職場に大層身勝手な同僚がいた。
他人の仕事の遅れには容赦ない罵声を浴びせるくせに、本当は当人が最も締め切りにずぼらである。
平気で無断欠勤をしておきながら、他人の遅刻にはねちねちと嫌みを垂れる。――
あるときついにたまりかねた周囲が、同僚をつかまえて厳しく意見したことがあった。
「自分のことは棚に上げてよく言うよ。お前は」
だがしかしたしなめられた本人は、平気な顔でこううそぶいたという。
「自分のことは棚に上げなきゃあ、客観的な判断はできないじゃないか。――」
*「無意味な言葉遊び」
――ほっと安堵の屁。……
単なる「安堵のため息」の語呂合わせだが、確かに安心したときにつくものは、ため息ばかりとはかぎらない。
ときには下の方の穴がゆるんでしまうことだって、大いにありそうなものである。――
*「お下劣ななぞなぞ」
Q 思い切り射精のできる海峡は?
A ドーバー海峡
注 もちろん射精の際に実際に「音」などはするはずもないが、何であれ体内から体液が放たれる際には「ドバー」という擬音語がつきものである。
*
Q とってもムカつく北の海は?
A ムカーツク海
注 単なる「オホーツク海」の駄洒落
*
Q 人生に絶望した関西人が入水自殺する北海道の湖は?
A 阿寒湖
注 確かに彼らの平生の口癖は「アカン」である。
*「人生の皮肉」
――糟糠の妻を娶ったと思ったら、糠味噌ばばあだった。……
注「糟糠の妻」とは酒かすと米ぬか(=糟糠)のような粗末な食物を食べていた貧しい時代から生活を共にし、後の立身出世の支えとなった妻のことである。
*「無意味な言葉遊び」
――なげやりな、槍投げ
*
――酒のみ百姓。……
注「水飲み百姓」の駄洒落。
*
―― 故郷に錦蛇。……
注 「故郷に錦を飾る」の駄洒落。
*
――御徒町のおかちめんこ。……
注「御徒町(おかちまち)」は東京の地名、一方「おかちめんこ」とは器量の悪い女性を罵る俗語である。
*
――ポイする乙女。……
注「恋する乙女」のもじり。次々と男を捨てて(=ポイして)、新しい彼氏に乗り換えていく少女のこと。
*
――トランタンの皮算用。……
注「取らぬ狸の皮算用」のもじり。「トランタン」はフランス語で三十才のことだが、同名の女性誌があったことから、日本では三十代の女性のイメージがある。
確かに三十代ともなれば、発想も次第に現実的となり、「あの男と結婚できれば、年収はいくらだから。……」などという皮算用と縁がないともかぎらない。……
*「ガリレオ」
ぐてんぐてんに酔っぱらったガリレオが、思わずつぶやいた。
「地球は回っている。――」
*「勘違い」
大酒喰らいでついに肝臓を悪くした男が、嘆いて言った。
――あんなに毎日鍛えたのに。……
注 肝臓の場合は、筋力の強化とは違い、「負荷を掛け続ければ鍛えられる」という原理は当てはまりません。念のため。
*「物は言い様」
「海外旅行」=「高跳び」
「着痩せ」=「ぬぎぶとり」
*「無意味な言葉遊び」
――しょせん世の中は、狐うどんと狸蕎麦。……
注 「狐と狸の化かし合い」の駄洒落。
*「ありそうでないもの」
――悪魔にタマタマを売った男。……
「悪魔に魂を売る」はよく聞く話だが、しょぼくれた中年男の男性器など、悪魔もけっして欲しがらないにちがいない。……
*「嘘のような話」
私の友人に、ギャンブル狂の男がいた。
賭け麻雀に賭けゴルフ、あげくのはてには賭けボーリングまで、何でもござれである。
さてあるとき、立ち食いそば屋で「かけそば」のメニューを目にしたかの友人はとたんに目を輝かせて、店の主人にこう質問したという。
「大将、あれはどういうルールだ?」
*「とんでもない奴」
テレビの番組やら、有名人の本やらが火付け役となって、思い出したように「健康法」のブームが起きるが、どの場合にも「朝一番」は大切なテーマだろう。
「朝起きたら青汁をコップ一杯きゅーっと飲み干す」などというのは、そんな健康法の典型なのにちがいない。
さて私のある友人は、その健康法を問われて、
「朝起きたら水割りをきゅーっと一杯やる」と答えたという。
そ、それは健康法ではなくて、ただのアル中では。……
*「似て非なるもの」
――目から鱗が落ちたと思ったら、コンタクトが外れていた。……
*「ありそうでないもの」
――絶世のブス。……
*「何かが違う」
その昔、まだ競馬で枠連が主流だったころ、同枠の馬の一・二着ばかりを好んで狙う、「ぞろ目党」なる人種がいた。
知り合いの蕎麦屋のおやじもその一人で、あるときテレビの競馬中継に見入っていたこのおやじは、レースの結果が7―7であることを確認すると、天を仰いでこう嘆いた。
「6―6と8―8は持っているんだけど。惜しいなあ。……」
*「不思議」
週刊誌の吊り広告などで最も目立つ言葉は、何といっても「美人」の二文字だろう。
――美人女子大生謎の失踪。
――美人女医の裏の素顔。
などというように、何かにつけてこの二文字が踊る。
理由はもちろん明らかだった。この手の雑誌は男性の読者がほとんどだから、その助平な好奇心を刺激することで、売り上げを伸ばそうというわけだ。
だがしかし、ここで一つの疑問が生じる。
「美人」と冠することで必ず売り上げがあがるなら、いつでもそのようにすればいいものを、時々はそうでないこともある。ただ単に、
――女子大生謎の失踪。
――女医の裏の素顔。
というだけで、得意の枕言葉が姿を現さない場合も確かにあるのだ。
だとしたら、それってひょっとして、やはりそう書きたくても到底書けないような、ご面相だということなのだろうか。……
*「違法行為」
八月といえば、高校野球の季節である。
純粋なる若者たちの汗と涙のプレーに感動して、日本中の大人たちが声援を送る。
だがしかし、この場合もまた、すっかり性根の腐りきったギャンブラーの場合は、話はそう簡単にはいかないようである。
あるとき、ギャンブル仲間の一人が、なぜか甲子園のテレビ中継に夢中になっている。不思議に思って、
「お前、賭けてもいないのに、よく高校野球なんかに熱くなれるな?」
と問いかけると、くだんの友人は少々気色ばんでこう答えた。
「馬鹿なこと言うな。ちゃんと賭けてるよ。――」
*「墓穴」
あるとき、交番に落とし物の財布が届けられた。
中身をあらためると、一円の金も入っていない空財布である。
いぶかしがるおまわりさんに向かって、拾い主はこう言って弁解した。
「俺が抜いたんじゃあないんだ。俺が抜こうとしたときには、もうなかったんだ。――」
*「言い間違え」
――「危ないところで」を「惜しいところで」と言っちゃった奴。……
「被害者の男性は、駆けつけた警察官によって惜しいところを救出されました」とやらかしたアナウンサーに、抗議の電話が殺到したのは言うまでもない。
もちろん我が身の大事というときに、一々性別などに構ってはいられないが、これが婦人科というようなことにれば、やはり全く抵抗がないとは言えないだろう。
その点女医の担当ならば、ずいぶんと安心である。
それはただ羞恥がない、というばかりではない。同性として細かい相談に乗ってもらえるから、わざわざ女医のいる医院を選んで通ってくる患者だってけっして珍しくはない。
だがしかしそんな選択にも、ときには思わぬ落とし穴が待ちかまえていることがある。
――女の先生だというので診察に来たら、看護士は全員男だった……。
いや、ちろん現実には、そんなことはありえない。すべてはあくまでも、ジョークの中だけの話である。
だが確かに、カーテンの向こうからニヤニヤしながらこちらを覗き込んでいる看護士たちの顔が、何だか目に浮かぶようだ……。
*「不思議な男」
甘菓子の羊羹に向かって、
「甘ちゃんなんだよ、お前は。――」
と説教をしている奴……。
*「死後硬直」
年とともに衰えるのは、「男」もまた同じである。
若き日には天を衝くほどにそそり立っていたものが、いつしか萎びたただの飾り物となって股間にぶら下がっている。
もちん古希にして子をなすという話もあるから、個人差もあるのだろう。しかるべき機会に恵まれれば、お役に立つこともあるのかもしれないが、たいていは月に一度が、やがて盆と正月になり、ついにはとんとご無沙汰になってしまう。
それこそが、
――爺さんの股ぐらが、ようやく固くなったと思ったら、
死後硬直だった……。
というような事態にもなりかねないのだ。――
*「一姫二太郎」
昔から「一姫二太郎」というようなことを言う。
いわく子をもうけるなら一人目は姫、つまり女の子が、二人目は太郎、すなわち男の子が望ましい。
その順番なら、小さい時分は長女が家事の手伝いもし、幼い弟の面倒も見る。長じては今度は長男の方が、父母を養う大黒柱に育つだろう、という理なのだ。
だがしかし、もしそうだとしたらその後の子供は一体、男女どちらがよいのだろう? 残念ながら、ことわざはそこまでで打ち止めである。その次の、三番目の子供のことは少しも想定されていない。
それも確かに、不思議なことである。
例えば縁起の良い初夢なら、「一富士、ニ鷹、」というように、たいていのことわざは三番目まで数え上げる。まるでそんな三拍子のリズムが日本人の耳には心地よく、きりのよいものにも聞こえるというかのように。
それなのになぜ「一姫二太郎」にかぎって、尻切れとんぼのままに終わっているのだろう? ――おそらくはそんな違和感が、次のような荒唐無稽な冗談を生み出したのだ。
いわく、
――一姫二太郎の後に、なすびを産んじゃった……。
つまりは初夢のリストと混同した、というわけだが、なすびが女の自慰を連想させるものだけに、どこか下ネタの臭いのするシックジョークである。
*「しつけ」
ある昼下がりの電車のシルバーシートに、一組の親子が腰掛けていた。
三十代とおぼしき母親は、突然小学生の娘の袖を引いた。
「お年寄りが来たわよ」。
どうやら向こうの扉から乗り込んだ、老人の姿に気がついたらしい。
確かにここは親のしつけの見せ所である。
こういう幼い時分に、公の場所での正しいふるまいをしっかり教え込んでおかなければ、娘の行く末が思いやられることになる。
だがしかしくだんの母親は、
「お年寄りが来たわよ――寝たふりしなさい。」
と続けると、親子そろってうり二つの寝顔で、狸寝入りを始めてしまった……。
*「気の若い老人」
1.シルバーシートに座っていて、向こうから来たもう一人の老人に、あわてて席を譲る老人。
2.シルバーシートに座っていて、向こうから来たもう一人の老人に、あわてて寝たふりをする老人。
*「尼寺」
人間の欲望には様々なものがある。
守銭奴たちの財欲。餓鬼のように貪る口腹の欲。栄華を望む名誉の欲。とりわけ殿方たちを悩ます女犯の欲と、数えたてればきりがない。
そしてそのどれもが、仏教の世界では解脱の妨げになる煩悩として、疎まれてきたのは言うまでもない。
さて、そんな数多な煩悩から逃れるために編み出されたのが、「出家」のシステムである。
もちろんそれは煩悩そのものを元から断ち切ってしまう、魔法の妙薬とは違う。ただ煩悩の対象を遠ざけることでその発現を抑える、いわば対症療法のようなものであるにすぎない。
だとしたらそれはけっして仏徒たちの心の強さではなく、むしろ誘惑に打ち勝つことのできない心の弱さを証しているはずで、だからこそこんな荒唐無稽な笑い話も生まれるのだ。
いわく、
――間違えて尼寺に出家しちゃった奴……。
つまりは誘惑から逃れたつもりがかえって回り中を女の色香に囲まれて、ますます色欲の泥沼にはまりこんでいく、というわけなのだ……。
*「自虐の詩」
私の友人にすっかり世をすねた男がいる。
踏んだり蹴ったりの人生を送るうちに、健やかな希望のようなものをすっかり失ってしまい、ひたすら自嘲気味のブラックジョークを飛ばしては、周囲の顰蹙を買っている。
そんな男がある日突然、珍しく殊勝なことを言いだした。
「人生まだまだこれからさ。――」
いつになく前向きなその口調を不思議に思って耳を傾けると、案の定この男は途中からいつもの伝の冷笑に口元を歪めて、こう付け加えた。
「人生まだまだこれからさ――これからますます落ちて行くのさ……。」
*「墓穴」
その昔会社の昼休みに、超能力のことが話題になったことがある。
喧々囂々の議論さなか、一人が「俺は通りすがりの女の服の下が見える」と奇妙なことを言い出した。
それを聞いた別の同僚は、激怒してこう答えた。
「それは透視能力じゃあなくて、単なるすけべの妄想だろうが! そんなのでいいのなら、俺なんか下着の下まではっきり見えるわ!」
墓穴を掘るとは、まさにこのことである。
この最後の一言が原因で、会社一の助平であることが知れ渡ったこの同僚が、その後女子社員たちから総スカンをくったのは言うまでもない……。
*「嘘のような話」
その昔ある進学塾で、教材の製本を専門に担当する係がいた。
この男がまたとんでもない天然キャラで、余人にはとうてい思いつかないような言動をやらかしては、職場に笑いの種を提供していた。
あるとき授業中に急にB5の用紙が必要となった講師が、印刷室にインターホンを入れた。
「B5の白紙を五十枚、至急302教室にお願いします。」
依頼を受けたくだんの担当は、何と白紙の原稿をゼロックスで五十枚コピーして、たちまち教室まで持参したという……。
*「本末転倒」
その昔特に十代の娘たちの間で、ミニスカートが大流行したことがある。
「足を長く見せたいから」というのがその言い分なのだが、もちろん見えるのは足ばかりではなく、その「スカートの中身」をめぐって、駅の階段などでは毎日のように無言の攻防が繰り広げられていたものだ。
男たちは前を歩く女子高校生たちの股間のあたりに必死に目を凝らし、当の娘たちはまるで座布団でも敷くように学生鞄を尻に押し当てて、これもまた必死の防御を試みる――そしておそらくはそんな日常の光景こそが、次のような「本末転倒」のブラックジョークを生み出したのだ。
いわく、
―― 階段でパンチラを覗かれないように、ノーパンで出かけた……。
――そのノーパンの中身を覗き込んで「何だ、パンツが見えないじゃないか……。」と
がっかり肩を落とした……。
確かに本来の欲求よりも、その形代であったはずのものにいつしか心が移り、執着される――そんなフェテシィズムの逆説は、多かれ少なかれどんな人間の心にも潜んでいるものなのにちがいない……。
*「無神経」
「人の気持ちがわからない奴」というのは確かに存在する。
相手の痛みを知りながらことさらに踏みにじる、冷酷なタイプとは違う。
ただ目には見えない他者の心の内側を推し量るだけの想像力に欠けた、ただひたすら幼稚な人種なのだ。
だとしたらもちろん、本人たちには何の罪もない。
少なくとも憎むべき悪意のようなものは、かけらほども見つからないのにちがいない。
だがしかし慟哭の涙を「あ、嬉し泣きしている。」と理解し、断末魔の阿鼻叫喚をにこやかに指さして「嬉しい悲鳴だ。」と言いなしたあの男には、確かにかすかな殺意を感じずにはいられなかった……。
*「三つ指」
「三つ指を突く」とはもちろん、両手の三本の指を床について深々と頭を下げる、もっとも丁寧なお辞儀のことである。
今ではすっかり死語になってしまったが、かつては奥ゆかしい日本女性の所作として、大層重んじられていた時代があった。
男子にとってもまた、理想の女性と言えば、きまってそんなタイプだった。
どうせ結婚するのなら、おきゃんな現代娘よりも、三つ指突いて夫の帰りを迎えるような古風な女としてみたい――そんな私の発言に、だがしかし友人のKだけはどうしても納得がいかないらしく、「三つ指は俺にはちょっと……。」と、しきりに首を傾げている。
どうやら「三つ指」という言葉の意味がわからなかったK君は、てっきり女性器の具合のことを話していると思いこんだらしい。
確かに指三本が余裕で入る寸法では、K君が遠慮したいと思ったのも無理からぬことではあるのだが……。
*「占い」
占いなどというものは、たいてい相手に都合のよいことさえ占っておけば、喜んで歓迎される。
その逆に聞かされたくない託宣を突きつけたりすると、大いに落胆されるか、今日のようなご時勢では、ときにはとんでもない逆恨みさえされかねない。
だが中には変わった人間もいて、本来なら大吉と思しき運勢にも、かえって腹を立てることがあるという。
いわく、
――「女難の相は、全然ありません」と言われて激高した奴……。
どうやら一生恋愛沙汰とは縁のない醜男ぶりを、揶揄されたと思い違えたようなのだが、そんな皮肉な指摘があながち当たっていなくもなかったがために――いや、むしろ図星であったがために、到底腹に据えかねたというやつなのだろう。
*「聞き違え」
「三行半(みくだりはん)」という言葉をご存じだろう。
江戸時代には妻君に暇を出す亭主は、そのいきさつやらを三行の書に分かち書きしてしたためたという、いわば離縁状のことである。
さて先日ある芸能人の離婚会見で、当の男性タレントが「女房に三行半を突きつけられた」と、いかにも照れくさそうに頭を掻いていた。
だがしかしその言葉を耳にした友人は、なぜか「そんなに早漏じゃあ仕方がないなあ」と不思議なリアクションをしたのだ。
今思えば友人はどうやら「三行半(みくだりはん)」を「三擦り半(みこすりはん)」と聞き違えたようだ。
「三擦り半」とはもちろん、もっぱら下ねたに用いられる俗語である。
女性の蜜壺にいざ挿入した男性が、三回と半分だけ抽迭をしただけであえなく果ててしまう、病的な早漏のことを揶揄した言葉なのだ。
確かにもし本当に、亭主の方が文字通りの「三擦り半」であったとしたら、そうして女房から願い下げにされたとしても「仕方がない」のにちがいがない……。
*「足裏診断」
その昔「足裏診断」で有名になった宗教団体があった。
何でも足の裏にはその人間の健康状態や、悩みのすべてが表れると考えて診断を行うのだが、その実宣べ伝える診断の結果は初めから決められている。
たいていはあと一年も生きられない大病のように脅かされて、挙げ句の果てには多額の法納料をふんだくられる。何のことはない、昔ながらの宗教詐欺の常套を少しばかり現代風に味付けをしただけの手口なのだ。
当然のことながら、そんなとき詐欺師たちは信者の不安をめいっぱい煽るために、あらん限りの想像力で、多彩な恫喝のストリーをこしらえあげる。
現代の医学では解明できない新種のガンだったり、先祖の誰かに人を殺めた者があってその罪障が祟っていたり、一生晴れない心の曇りで自殺に追い込まれたり……。
次の信者のためには一体どんなおどろおどろしい物語が用意されているのであろうか? ――だとしたらそんな多弁なはずの足裏診断の現場で、もし次のような一言だけで片付けられてしまったら、かえってどんなに衝撃だったろう。
いわく、
――足裏診断でただ一言「臭いですね――」と言われちゃった奴……。
その激臭たるや、口八丁の詐欺師たちも思わず黙りこませるようなものだった、という笑い話なのだ……。
*「瓜二つ」
その昔草刈正男と同郷で、その上年齢まで同じと自慢する男がいた。
お世辞にも好男子とはいえないタイプだけに、その取り合わせが周囲には滑稽なのだが、当の本人は何も気がついてはいない。
さてあるとき、お決まりの自慢話を聞かされた皮肉屋の友人が、
「そう言われてみれば、顔の造りもどことなく草刈正男に似ているな……。」
もちろん賛辞と思しき言葉には、続きがあった
「確かに何から何までそっくりだ。口の数と言い、鼻の数と言い。――」
そう言われた自称草刈正男は、「俺は化け物か!?」と腹立たしそうに突っ込んでいたっけ……。
*「重ね着」
その昔職場の仲間内で、その冬の寒さのことが話題になったことがある。
ある中年の社員が、照れくさそうに頭を掻きながら、
「私もひどい寒がりでしてね。かと言ってあまり着膨れしていてもおかしいので、ここだけの話ですけど、下着を二枚重ねて着るようにしているんですよ。
外から見てもわからないし、暖かいですよ。――」
それはもちろん、今風のおしゃれな重ね着とは違う。正真正銘の白の肌着を、おそらくは上下とも二枚ずつ、身につけているというのである。
そんないかにも、色気とは縁のなくなった中年男ならではの発言に、全員が苦笑いしたのは言うまでもない。
さてそんな笑いのさざなみがようやく静まったころ、もう一人の別の仲間が、今度は真顔でこう打ち明けた
「実は俺も、かなりの寒がりでな。普通の下着の下に、女物の下着をはいているんだ。――」
そ、それはひょっとして寒がりじゃあなくて……。
*「毒舌」
どこの職場にも、口の悪い男というのはいるものである。
その昔、風邪をこじらせたのかしきりに咳き込んでいる同僚をつかまえて、仲間の一人がこう声をかけた。
「心配するな。あなたが死んだらちゃんと葬式をやってやるから。」
毒舌にはさらに、とんでもない続きがあった。
「みんなで盛大に葬式をやるよ。シャンパンを抜いて。――」
*「毒にも薬にも」
物腰のやわらかい柔和な人間が必ずしも魅力的、というものではない。
一癖も二癖もある、危険な匂いのする奴がかえって人を惹きつけて、人畜無害の好男子はただのよい人で終わってしまう、ということも珍しくはない。
「無害ですが食べられません」というのはどうやら乾燥剤だけの表示ではなさそうである。
*「花札」
――風流な 家に生まれて 猪鹿蝶(いのしかちょう)……。
花札というものを見かけなくなってもうだいぶ久しいが、「萩に猪」やら「紅葉に鹿」やら「牡丹に蝶」やらの図柄を独特の色彩で描き込んだ絵札は、確かに知らない者が見たら、上流階級のみやびの一種のように勘違いされないともかぎらない。
だがもちろん、実際の花札はせいぜい西洋のトランプと同じレベルの遊戯であるにすぎない。
花札賭博の伝統もあるので、間違っても良家の子女のたしなみなどではありえない。
上記の川柳もあくまでも反語、アイロニーである。
むしろその育ちの悪さのためにやくざな渡世にどっぷりつかった男の、自嘲のようなものと考えてもらいたい。――
*「ほんの手違い」
「過去との訣別」とは、確かに勇ましいキャッチフレーズである。
過ぎ去った思い出やしがらみにいつまでもしがみつかずに、前向きに人生を切り開く凛々しい心がけを、上手に表した文句であるのにちがいない。
だがときには、情けない手違いが起こることもある。
いわく、
――間違えて未来と訣別しちゃった奴……。
確かに未来の夢も希望もなくして、ただ愚痴っぽく昔を懐かしむ悲しい御仁も、けっしてめずらしくはないのだ……。
*「苦しい言い訳」
性病のひとつに梅毒というのがある。
その昔の花柳界(今で言う風俗産業)で蔓延していたため、「花柳病」と呼ばれたものの一つであるが、今では抗生物質の投与で治癒するため、大流行の話はあまり聞かない。
発症した際に全身に出来る発疹が梅の花を思わせることからその名があり、もちろん梅の毒に当たったわけではないが、確かに誤解を招きやすい名前ではある。
その昔、まだ梅毒が不治の病とされていたころ、悪所通いで病気をもらった亭主が、女房になじられてこう答えた。
「そ、そうじゃないんだ。ちょっとばかり梅酒を飲み過ぎただけなんだ。――」
*「家政婦」
その昔「結婚は不経済、一生独身」を公言する男がいた。
炊事もだめなら掃除もやらないずぼらなタイプだが、「家政婦で十分」だと言う。
それを聞いた友人たちは、こう言ってからかった。
「あっちの方はどうするの? 彼女を作る甲斐性もないのだから、せめて見合いでもして嫁さんをもらったら?」
だがしかし、そう問われた当の本人は、少しも悪びれることなくこう答えたという。
「それも家政婦で十分。――」
お、お前って奴は――
*「勤勉の美徳」
戦前の生まれでなくとも、二宮尊徳のことはご存じだろう。
貧しい家を助けて働きながら学を修め、学者として身を立てたその人物は、かつての修身の鑑であった。
薪を背負って売り歩きながら書物に読みふける幼い金次郎(尊徳の幼名)の銅像は、今でも多くの小学校の校庭に残されているにちがいない。
先日私も同じ銅像を眺めながら、ふとこう思った。これとまったく同じ姿を、つい最近どこかで見たことがある……。
だがしかし、それは何のことはない、行きつけの賭博場で見慣れたギャンブラーの姿――食事を口に入れながらも、連れ立つ友人と言葉を交わしながらも、一心不乱にデータ表に目を凝らす亡者たちの光景である。
――薪を背負いながら、競馬新聞に読みふける二宮金次郎……。
確かにギャンブラーたちは、このうえなく勤勉である。たとえ重たい薪を運ぶ仕事の最中だって、その目は一瞬たりとも彼らの指南書から離れることはない……。
*「タイプ」
山歩きの途中、人気のない林の間の空き地で、極悪の暴走族の一団が一人の可憐な少女を輪姦(まわし)ている現場に出くわした。
さてそのとき、あなたの取る行動は?
タイプ1
「君たち卑劣なまねはやめたまえ。」と止めに入る。
タイプ2
安全な木陰で、一部始終を見物する。
タイプ3
ちゃんと並んで順番を待つ。
どこが「ちゃんと」じゃ!
*「命名」
かつてある男がこう言って家人を紹介した。
「こちらが長男の二郎、こちらが次男の一郎です。」
紛らわしい名前を付けるなっていうの!
*「タイプ」
目の前の階段をミニスカのいい女が歩いている。さて、男たちの取る行動は?
タイプ1
なるべく距離をおいて、下から股間を覗き込もうとする。
タイプ2
なるべく距離を縮めて、下から股間の匂いを嗅ごうとする。
クンクン♪
い、犬やないんやから――。
*「金策」
その昔ギャンブル好きが祟って、慢性的な金欠の男がいた。
「金貸して」がその口癖である。
もちろん枕詞は「絶対に返すから」と相場が決まっているのだが、あるとき博打の負けが込んで、ついに気でも触れたのか急におかしなことを言い出した。
「絶対に返すから金貸して」最初の一言はいつもと変わらぬ台詞だったが、その後に畳みかけるようにこう続けたのだ。
「たぶん返すと思うから金貸して。」
「ひょっとしたら返すかもしれないから金貸して。」
お、お前という奴は――。
*「プロフィル」
何か犯罪事件が起きれば、当然現場近くに現れた人物が捜査の対象に上がる。
とりわけ犯人のプロフィルに近ければ、執拗な聞き込みにあうことは必定であるが、たとえば「変質者風」というだけでゆえもなく取り調べを受けては目も当てられない。
かつてある、すっかり髪の薄くなった小太りの中年男が、笑いながらこう言って嘆いていた。
――うちの近くで殺人事件があってね。「犯人は二十歳くらいのいい男」だというので、真っ先に疑われちゃったよ……。
もちろんすべては反語、自虐ネタのジョークだと思ってもらってかまわない……。
*「三ない運動」
三ない運動(さんないうんどう)というのをご存じだろう。
例えば高校生にバイクは「乗せない」「買わせない」「(免許を)取らせない」のように、三つの禁止を並べ立てて運動の精神を表すスローガンである。
さて私の知人にも、もう何十年も三ない運動を続けている男がいる。
いわく、
――金ない、夢ない、女ない……。
もちろんそれは、別段何か自ら課した禁止ではない。やむにやまれずそんな散々な人生を歩み続けているのではあるが……。
*「桁取り」
ある知人が「女遊びなど数えるほどしかしたことがない」と、いつになく殊勝なことを言っている。
からかうつもりで「それじゃあ、ためしに数えてみろよ」と突っ込むと、これもまた悪乗りした知人は、そらとぼけて指を折りながら、
「一、十、百、千、万――」
と数え立てた……。
く、位取りをしてどうするんだ!
*「養生訓」
接して漏らさず――江戸時代の貝原益軒という学者が、その「養生訓」に記した、有名な教えである。
すなわち女性と接する(性行する)おりにも、漏らす(射精する)ことは避けるべきだ。そうして精気を失うことを防ぎ、養生をすることで、やがては長生きに通じる、というものだ。
多くの男たちにとって、これはずいぶん耳の痛い言葉だろう。
別段長生きは望まなくとも、少しでも射精を遅らせることができれば、そのぶんだけ長く交情を楽しむことができるわけだから、それが理想なのはわかっている。
だがあの手のものはけっして、自分の意志だけでコントロールできるものではないのだ。何とか引き延ばそうとあの手この手をつくしてみても、結局は蜜壺の心地よさに負けてあえなくはててしまう、というのが大抵のところなのだ。
かつてある男が、
――俺なんか、「接さずして漏らす」だからな……。
とため息をついた。
もちろん自虐ネタのジョークだろうが、誰しも若い頃には似たような覚えがある。
ときめきの女体を前にした興奮のために、入り口のあたりに触れたくらいで放ってしまう。思いっきり情けない失態なのだが、男なら誰しもそんな道を通ってきているのだ。
おそらくはあの、悟り顔の江戸の老学者も。――
*「論語」
ED(勃起不全)といえば、かつては中高年特有の悩みであった。
もちろん年とともに精力が衰えるのはある意味無理からぬことだから、性の喜びに執着さえしなければ、それなりにあきらめもついたはずなのである。
だがしかし物の本によれば、近年は同じ症状が若年層にまで広がっているらしい。
それは現代社会のストレスなのか。文明に恵まれすぎた暮らしが、動物らしい本能を失わせたのか。あるいは忌まわしい環境ホルモンの影響なのか、原因はわからない
ともかくかつては五十代の悩みであったものが、四十代、三十代と次第に年齢が下がっていく。
そうなればもはや問題は、ただ当の本人ばかりではない。子孫の繁栄というただ一点からも、社会の全体にとってそれはとてつもなくゆゆしき事態なのである。
孔子の言葉をもじって、
「三十にして立たず」
などと、茶化して笑っていられる場合では到底ないのにちがいない……。
*「子曰く」
吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず……
とは、有名な孔子の言葉である。
人生の歩みをあくまで人間の修養の行程として見つめるその目は、欲得だらけの現代人には端倪すべからざるもので、そこにはまかり間違っても、
――六十五にして厚生年金をもらう……。
などという卑俗な台詞は、けっして現れはしないのである……。
*「どうにも救いがたい奴」
――宝くじの負け金が、一億円を超えちゃった奴……。
宝くじを外し続けて、その購入資金の合計が積もり積もって、やがてついに一億を越えてしまう。
そうなるともはや、たとえ一等一億円が当たったとしても、せいぜい元を取るのがやっと。
「もしくじが当たったらあれも買って、あれもして――」と思いめぐらす楽しみさえなくなった、あまりにも夢のない状態になってしまう……。
*「単なる言葉遊び」
――首を長くして待つ、ろくろ首……。
ろくろ首と言えばもちろん、我が国に古来より伝わる妖怪である。見かけは普通の女性と変わらぬ姿をしているが、夜になるとその首がまるでろくろの上でこねる粘土のようにひょろひょろと長くのびて、行灯の油などを舐めるという。――
*「病みつき」
こと物理的快感に限って言うなら、口淫(フェラチオ)は男性たちにとって、ひょっとしたら女性たちにとってもまた(クンニリングス)、間違えなく最高の性戯である。
手淫のような粗雑な感触とも異なり、また同じ粘膜でも膣よりははるかに変幻自在な動きが可能で、達人の手に掛かればたちまち天にも昇るここちよさを味わえることは請け合いである。
あるとき友人の一人が、「ろくろ首になりたい」と奇妙なことを言い出した。
不思議に思って理由を問いただすと、
「だって自分のあそこを舐められるじゃん。――」
あそことはもちろん性器のことである。
馬鹿なことを言ってはいけない。もしそんなことが実際にかなったら、たちまち病みつきになつてしまう。それこそ四六時中くわえ続けて、その瞬間から人生終わってしまうことにもなりかねない……。
*「義理マン」
本人にはまったくその気がないのに、女性がただ男性の求めに応じてお義理で関係を持つことを、下々の言葉で「義理マン」と呼ぶ。
愛情の冷め切ったカップルの淋しい風景が、何だか目に浮かぶような言葉である。
その昔、「体位はバックが好き」だと言う奥さんがいた。不思議に思って問いただすと、悪びれずにこう答えた。
「だって新聞が読めるじゃあない。」
こら! もっと気を入れてやらんかい! 気を入れて!
*
ある亭主は、女房が注文したコーヒーの銘柄を見て、ふと女房の浮気を疑った。
――義理マンじゃろう!?
*「音楽大喜利」
ありそうでないもの――ピアノで「猫踏んじゃった♪♪」を弾いているベートーベン。
もっとありそうでないもの――ピアノで「どじ踏んじゃった♪♪」を弾いているベートーベン。
注 「どじ踏んじゃった♪♪ どじ踏んじゃった♪♪」は、一部の負け組のギャンブラーの間で愛唱される悲惨な替え歌である……。
*「替え歌」
不摂生のしすぎで、ヨイヨイになった男の歌。
――ふせっせっせーの♪ よいよいよい♪♪
*「言い訳」
その昔ある新聞に「キムチに覚醒剤と同じ成分が含まれている」という記事が載ったことがある。
もちろんごく微量だけの話なのでキムチを食べることに何も問題はないのだが、実際覚醒剤の検査で陽性が出ることもあるという。
さてそんな記事が出た翌日、警察に捕まったシャブ中(覚醒剤中毒)の男が、案の定こう言い張った。
「シャブじゃあない。キムチを食べ過ぎたんだ。お前ら昨日の新聞を読まなかったのか!」
だがしかし、警官たちはその立っているのもやっとというおぼつかない足元を眺めながら、「キムチを何樽食べたらそんなにラリる(=ふらふらになる)んだ?」と、もちろん笑って取り合わなかったという……。
*「自虐の詩」
しみじみ思う しじみ貝
こんな人生 つくづく法師
今日も啼きます トホホぎす
*「勘違い」
酒を飲み過ぎて肝臓悪くした男が、こう言って嘆いた。
「あんなに毎日鍛えたのに。――」
*「校則違反」
一昔前の女子校と言えば、生徒たちがけっして色気に走ることがないように、がんじがらめの校則が設けられていた。
制服着用は言うに及ばす、スタートの丈からマニュキュアにいたるまで、「女」を否定するためのあらゆる決めごとが用意されたのだ。
だがもちろん、そうして抑えつけることができるのはただ外側のことだけで、内側の成熟は隠しようがない。
思い切り地味な制服に身を包んでいても、その向こうの発育した肢体や、濡れた唇からからは、確かにむんむんの色気が立ち上っている。
そんな瘴気のようなものに当てられた男性教師が、思わずくらくらとするも珍しくなかっただろう。
とりわけFカップはあろうかという胸を体操着の下に揺らして走るある女生徒は、教師の間ではひそかに「校則違反のおっぱい」と噂されていた……。。
*「新ことわざ集」
――弱り目にあたりめ……。
「御難続きのときには、げんが悪いので、酒のつまみにスルメを食べてはいけない」という意味のことわざ。
言うまでもなく「弱り目に祟り目」のもじりであるが、ここでいう「あたりめ」とは俗語で広くスルメのことを指す。
*「無意味な言葉遊び」
―― もも剥けた、憲一。
*「看板に偽りあり」
――天才肌の男だと思ったら、ただの鮫肌だった……。
――人柄がいい女性と聞いていたら、ただの鶏ガラだった……。
注 痩せすぎて骨と皮ばかりの体型の女性を、俗に「鶏ガラ」と呼ぶ。
*「とんでもない奴」
――「赤羽」の次の駅は「しかばね(屍)」だ、と言い張っている奴……。
*「石川啄木」
その昔九州の小倉出身の知人がいた。
何でも小倉の方言は九州の中でもとりわけ乱暴で、喧嘩を売るのにこれほどふさわしい言葉はないが、また愛を囁くのにこれほどふさわしくない言葉もない。
小倉の町の真ん中に小倉競馬場があるのだが、ギャンブル場特有の怒声罵声が飛び交うそここそが、小倉弁がもっとも生き生きと聞こえる場所なのだと言う。
そう語って苦笑しながらなつかしむ知人の表情は、さしずめ、
「ふるさとのなまりなつかし鉄火場の」
とでもいったところであった……。
注 言うまでもなく「ふるさとのなまりなつかし停車場の」のもじり。鉄火場とはギャンブル場の別名である。
*「ダンゴムシ」
ダンゴムシという奴は、おそらく日本中どこにでも見られる虫であろう。
枯れ葉や石の下にひそんでいるのを探し出して、棒で体をつつくと、その名の通り団子のように体を丸める。言葉は悪いが子供たちにとっては、格好のおもちゃである。
だがそれはあくまでも、子供たちならではの話である。
もし大の大人が、同じようにダンゴムシをつついていたとしたら、――その上その口が「艱難汝を玉にす」などと、得体の知れない台詞をいつまでもぶつくさとつぶやいていたとしたら、それはもはや微笑ましいどころではない、寒気がするほど不気味な光景なのにちがいない……。
注 「艱難汝を玉にす」とは、「試練が人間を育てあげる」という意味の格言である。 もちろんそこで言う「玉」とは玉石のことであって、まかり間違ってもダンゴムシの球形を指すわけではない。――
*「どこかがおかしい」
――目立ちたがりやばかりのクラスで、「何という目立たない子なんだ!」と、かえって目立ってしまった生徒……。
――「危ないな、怪我するじゃないか!」と生徒を殴りつけて、怪我をさせた体育科の教師……。
――大事なページにしおりを挟んでいるうちに、全部がしおりだらけになってしまった読書家……。
*「宝くじ」
近年練炭やら硫化水素やらの新手の手口も現れて、自殺を試みる者が後を絶たない。
もちろんそんな悲しいニュースは、けっして他人事ではありえない。
平生はおめでたい毎日を送っている極楽とんぼも、思わぬ不幸に見舞われたり、突然のの鬱の発作に襲われたときには、同じように毒物に手を伸ばす誘惑に駆られないともかぎらない。
だが私が思うに、そんな危うい気分に襲われたとき最後の一歩を思いとどまらせる、 究極の予防策がある。
それはあの宝くじである。
たとえ一枚だけでも構わない。とにかくたえず宝くじを買い続けること。そしていつでも「抽選待ち」の状態を作っておくこと。
そうだった。考えてもみたまえ。ついに魔が差したあなたが毒物に手を伸ばしたその瞬間に、買いおいた宝くじが目に入ったとしよう。
自分が死んだ何日か後にくじの抽選があって、ひょっとしたら何千万、何億のお金が手に入るかもしれない。そうなればこれまでの悩みが一気に解決するばかりではない。酒は飲み放題、女も抱き放題の文字通りの極楽の毎日が始まるのだ。
そんなバラ色の未来を見届ける前に、何も知らずにせっかちに自ら命を絶ってしまうというのは、もはや皮肉というのを通り越して、まさしく愚の骨頂、きっと世間の笑い者になるのにちがいない……。
確かにそんな風に考えたら死んでも死にきれない――否。思うにきっとそれこそが宝くじというものの狙いなのだ。
そうだった。いやしくも国家たるものが、こうしてくじの胴元となり、博打のまねごとに手を染めているのはなぜか? 理由は簡単だ。
たいていの国民はうだつの上がらぬ、夢のない人生を送っている。ということはいつ何時彼らが首をくくってもおかしくないのだ。
だがしかし国民に次々死なれてしまっては、国家というものが成立しないから、あの宝くじという幸福への空手形を何千万もばらまいておくのだ。
今度こそ宝くじが当たると思えば死んでも死にきれない――そう思いこんで命を絶つことを思いとどまった生かさず殺さずの奴隷たちが、今日もまた大日本国のために健気に汗水垂らしてくれることを期待しながら……。
*「豹変」
男女を問わず、恋人が出来たとたんに、それまではずぼらだった人間が豹変するという例は珍しくないだろう。
新しい恋人に気に入られたい、といういじらしい一心で、身だしなみは言わずもがな、食生活から日常の言動にいたるまで、すっかりと様変わりしてしまう。
それはそれで微笑ましい光景なのだが、やっかみの混じる同性の目にはまた、苦々しい無節操と映らなくもない。いわく、
とってもむかつく奴――彼女ができたとたんに、それまでの暴食を改めて、ダイエットにはげむ奴……。
もっとむかつく奴――彼女ができたとたんに、それまでの粗食を改めて、精力を付け始めた奴……。
*「国破れて」
「国破れて山河在り」はあまりにも有名な、杜甫の「春望」の一節である。
安禄山の乱の後、荒廃した長安の都を嘆く歌だが、広く漢文の教科書に採られたため、我が国でも人口に膾炙している。
さてかつて私の職場に、博打で負け続けていつでも素寒貧な、藤崎という男がいた。
周囲のいたずら好きが、藤崎をからかおうと、「春望」をもじった対句を色紙にしたためて、その机の上に飾った。いわく、
国破山河在 (国破れて山河在り)
藤崎破金無 (藤崎破れて金無し)
杜甫々
その左下にはご丁寧に、ずいぶん滑稽なトホホ印の落款まで押して……。
*「人肉食」
ある飲み会の席で「人肉食」のことが話題になった。
何でも古代の中国では、人間の肉を食することはけっして珍しくなく、「両脚羊」と称して普通に店先に並べられていた。三国志のあの劉備が、かつて知人の家に泊まったおり、劉備をもてなす肉がないことを恥じた知人は、妻を殺してその肉を供したという……。
おどろおどろしい話の展開に、ひとしきりざわめく一座に、シックジョークが好きなある男が、すかさず割って入った。
いわく、人肉食はけっして、中国だけの話ではない。我が国でも古来から、当たり前に行われていた。
――昔から「愛妻弁当」と言ってな、弁当箱の蓋を開けると、愛する妻の肉が入っているんだ……。
焼き肉弁当じゃないっつーの!
*
また同じ男が、不気味な薄ら笑いを浮かべながら続けた。
人肉食は西洋でも行われていた。それが証拠に、
One man''s meat is another man''s poison. (人間の肉を食べると食中毒になる)
という、警告のことわざが今でも残っている……。
注 もちろんOne man〝s meat ……とは、「ある人には香ばしい肉も、他の人には毒のように感じられる」、すなわち人の好みはさまざまという意であり、まかり間違っても人肉食を戒めることわざではない。――
*「盗撮」
ある飲み会でひとしきり盗撮のことが話題になった。
最近は銭湯にもトイレにもラブホテルにも、最新の盗撮機器が仕掛けられ、女の裸が狙われている。――
それを聞いた仲間の一人が、悪乗りしてこんな講釈を始めた。
なるほど盗撮という行為自体は新しいが、日本には昔からいつでも覗きの文化があった。
「壁に耳あり障子に目あり」
という具合で、おちおち房事にもはげめなかった……。
*「とんだ手違い」
――間違えて火災保険を掛けて、亭主を殺しちゃった……。
*「売れない新製品」
――丈夫で水洗いがきき、繰り返し使えるトイレットペーパー……。
*「人非人」
人非人とはもちろん人でなし、人間らしい感情を失った悪党どものことである。
漢文式に読み下せば、人に非らざる人、ということになる。
したがって「人非人に非ず」などと言い出す奴がいると、少しばかり話がややっこしくなる。――
*「ちゃんと」
かつて職場に気の利いた男がいて、昼食後に使えるようにいつでも楊枝をワンセット買い置きしていた。
あるとき仲間の一人が、冗談交じりでこう頼んだ。
「その楊枝一本使わせてくれない? 使ったらちゃんと元に戻しておくから。――」
*「裏ビデオ」
まだインターネットのようなものがなかったころ、裏物のビデオを手に入れるのは、けっして容易ではなかった。
そんな裏ビデオの買い方を必死に研究している男を、仲間がからかってこう言った。
――まずは普通のビデオ屋で、表ビデオを買ってきて、それを裏返しにしてデッキに入れるんだ。
最初は引っかかって入らないから、思い切り力を入れて、えいやっ、と押し込むんだ。 だまされたと思ってやってごらん。だまされるから……。
*「救いがたい奴」
――喜寿の祝いに祝辞を頼まれて、「享年七十七」とやっちゃった奴……。
*「ガガーリン」
かつて若い時分に、地位にも名誉にも背を向けて文学の道を選んだが、結局うだつが上がらぬまま貧乏書生のまま中年を迎える。
親爺の言った通り法学部に進んで、役所勤めでもしておけばよかった。
世の中金じゃないなんて粋がって、親子喧嘩をしたものだが、何だやっぱり世の中金がすべてじゃないか。何が文学だ。何が哲学だ。関係ねえだろ――と自らに突っ込みを入れながら、青春時代の心意気がつくづく青臭かったと悔やまれる。
そんなとき、あの有名なガガーリンのセリフが頭をかすめるのだ。
「地球は青かった。」
*「確かにそんな気もする」
かつて職場で向かいの机に座った同僚が肩こりに悩んで、暇さえあれば首の運動をしていた。
初め右回りに何回か首を回したあと、今度は必ず正確に同じ数だけ左に回す。
どうやら片側ばかりに回し続けていると、やがて瓶のふたを開けるように首がはずれてしまうと、思いこんでいるようなのがおかしかった……。
*「確かにそんな気もする」
芸能人にとって、CMほどおいしい仕事はあるまい。
Aランクのタレントなら一本の出演で、千万から一億の出演料が転がり込む。
もちろんスポンサーの側からすれば、毎日何回も同じCMを流せるのだから、それだけ払っても少しも惜しくはないだろうが、確かにタレントの方から見れば、たった一回の撮影で何百回分の出演料がもらえる、ありがたい魔法の仕組みなのだ。
だがときには同じ魔法に、視聴者のほうもだまされてしまうことがある。
かつてあるCMタレントが、町中で会ったファンのおばさんにこう声を掛けられた。
「毎日CM大変ですね。」
*「捜査犬」
――優秀な麻薬犬だというので感心したら、麻薬中毒の犬だった……。
注 もちろん「麻薬犬」とは、その嗅覚で麻薬捜査に活躍する警察犬のことであって、まかり間違っても麻薬中毒の犬のことではない。
*「何かが違う」
1.過去を水に流すために、水洗便所に立ち寄った奴……。
2.コインランドリーに心の洗濯をしに行った奴……。
3.JRの駅の改札の横で、過去の恋を精算した奴……。
*「春歌」
――ナイチンゲールとアルゼンチンが
一緒にベッドに入ったら
もうやることは一つしかない♪♪
*「背中」
昔から「親の背中を見て育つ」というようなことを言う。
すなわち子供は傍らで親の生き様を見ながら、同じような人間に育っていく。ことさら言葉で人生を語るような説教など、少しも必要はないのだ。――
だが思えば、すべての親が同じように子供の鑑となりうるわけではない。中には到底まねをして欲しくないやくざな家庭だって、混じっていないともかぎらない。すなわち、
――親父の背中を見て育ったら、刺青が彫ってあった……。
というような、悲しい事態にもなりかねないのだ。――
*「とんでもない奴」
――女には「のどちんこ」の代わりに「のどまんこ」がある、と信じている奴……。
*「悲しい奴」
――アメリカのレストランで "Are you Japanese?" と問われて、「いや、ソースにしてくれ」と答えた奴……。
注 どうやら「ジャパニーズ」と「マヨネーズ」の区別が付かなかったようである。
*「無意味な言葉遊び」
――残り物の大福……。
注 言うまでもなく「残り物には福がある」をもじったもの。
*「とんでもない奴」
――帝国ホテルの受付で、「休憩はいくらだ」と聞いた奴……。
ラブホテルじゃあないっつうの!
*「ハンデ」
「ウサギとカメ」の話はあまりに有名であるが、ここに競馬のことで頭が一杯なギャンブル狂の男が考えた、しょうもないギャグがある。いわく、
――ウサギとカメが、ダートの1800で8キロ差……。
競馬にはハンデ戦と呼ばれる種類のレースがある。
力量差のある馬同士が走る場合、より強い馬により重たいおもりを背負わせて不利な条件にすることで、全馬に均等に優勝する可能性を与え、レースの興趣をもり立てようとするものである。
さしずめウサギとカメほどの力の差があれば、ウサギが8キロくらい重たい斤量を背負っても当然、というところか。
ちなみにダートとは芝ではない砂(ダート)のコース、1800とはレースの距離(メートル)のことである。
*「ありそうでないもの」
――学習院大学に落ちて、浪人している皇太子……。
*「とんでもない奴」
――「俺が死んだら、葬式は友引の日にしてくれ 」と言い残した奴……。
*「無意味な言葉遊び
――まみむめも 豆もやし
*「無意味な言葉遊び
――あかさたな はまだらか
注 ハマダラカ(羽斑蚊)は、蚊の一種。 マラリア病原虫を媒介する。
*「無意味な言葉遊び
―― 敵ながらかっぽれだ。
注 「敵ながらあっぱれだ 」のもじり。「かっぽれ 」とは明治にかけて流行した座敷芸で「カッポレ甘茶でカッポレ」と囃しながら踊る。
*「救いがたい奴」
――「全治一生」と言われて、「治るんですか?」と聞き返した奴……。
確かに、冗談を言われても、皮肉を言われても察しがつかないこの鈍感さは、「死ななきゃなおらない」。――
*「しょうもない奴」
――俺は早稲田を首席で中退した、とうそぶいている奴……。
*「小泉八雲」
耳なし芳一(みみなしほういち)の話はもちろんご存じであろう。
怨霊避けの経文を耳のところにだけ書き忘れたために、耳を削がれた琵琶法師の話である。
確かにそうして、耳をなくして暮らすというのはさぞ辛かろう。
だがしかし、博打に入れ込んでいつでも素寒貧の私の友人に言わせれば、「金なし芳一」で暮らすというのも、どうやら負けずにしんどいものがあるらしい。――
*「時代」
今や時代は、キャッシュレスである。
手持ちの現金はなくとも、カードやらインターネットの入力やらで、いくらでも買い物ができる。
さて私の友人に、博打に負け続けて素寒貧の男がいる。
いつでも周囲に頭を下げて何とかやりくり算段をしながら、それでも強情なこの男は、
「俺はキャッシュレス時代を先取りしているんだ。」
と涼しい顔でうそぶいている。
金(=キャッシュ?)がないからキャッシュレス、というしょうもない言い分なのだ……。
*「ジグゾーパズル」
私の友人に、博打に負け続けの男がいる。
今日もまたなけなしのお金をつぎ込んでは、きまって一文無しになって帰ってくる。
そのたびに誰に向かうとでもなく「畜生――」「畜生――」と小さな声で呻いているのだが、その発音がどうしても「ジグゾー」と聞こえるがために、周囲から、
「パズルでもやったら?」
と冷ややかにからかわれている。
*「大器」
晩酌という言葉が似合うのは、やはり中年以上の男性だろう。
一日の仕事から帰った課長さんが、浴衣に着替えて奥さんの手酌でくつろぐ――そんな風景がまず真っ先に頭に浮かぶ。
もちろん二十代の若者が酒をたしなむのは珍しいことではなかろうが、どちらかといえば飲み会に出かけて騒ぐ方が普通で、夕食前につまみで一杯が習慣というのはよほど老成しているか、よほどの大物かどちらかであろう。
さてかく言う私自身は、その実若輩のころから晩酌を常としていた。
一人暮らしの部屋の食膳で、たとえコンビニのつまみと生ビールでも、毎晩一杯やらずにはいられない。
そんなおり、必ず自分自身に向かってつぶやいていた言い訳は、次のようなものである。
――大器は晩酌す……。
いや、もちろん「大器晩成」のもじりで、取るに足らないしょうもない駄洒落である……。
*「言い間違え」
――同じ屋根の上で暮らした家族……。
ね、猫じゃねえんだから!
*「勝利の方程式」
ある競馬狂の友人から「勝利の方程式を編み出しました」という表題のメールが来た。
開けてみると本文はこう続いていた。
――勝利の方程式を編み出しました。
解いてみたら「解なし」でした。(買い目が4+2iと表示されました……。)
*
それから一週間後、また再び同じ表題のメールがきた。
開けてみると今度は、本文はこう続いていた。
――勝利の方程式を編み出しました。
解こうとしたら巨根条件を満たしていました。(鬼沢は8センチなので、大丈夫なようです……。)
巨根条件とは虚根条件のもじり。鬼沢とは私の姓である。――
*「皇室」
その昔あるホームレスが、こう言って強がった。
――公園を住所にしているなんて、皇室かプータローくらいなものだ……。
「公園」とはどうやら皇居外苑の、北の丸公園あたりを思い描いていたようだ。――
*
また同じホームレスがこううそぶいた。
――税金を納めなくていい身分なんて、皇室かプータローくらいなものだ……。
ちなみにプータローでなくても、理論上収入が控除額を下回れば、当然納税の義務はなくなる。おおむね年間50万くらいが目安か。もっとも浮浪者でもないかぎり、年収が50万を下回ることは多くはないだろうが……。
*「物理学」
男たちにとって女の「よがり声」ほど不思議なものはない。
一体性の喜びくらいで、あんな絶叫が可能なものなのか。その感受性の鋭さと、性愛を貪るどん欲な姿勢に感心もし、羨ましくも思うものである。
そのうえそれは、いつでも叫び放しというわけではない。あるときは甘いため息。あるときは切ないむせび泣きが、突然遠吠えに変わるというように、実に不規則な音楽を奏でる。
そんなきてれつな音調のことを評して、ある物理学者が、
「よがり声のドップラー効果」
と呼んだそうな。
そんなわけないけど。――
*「男らしさ」
およそ無言電話と呼ばれるものほど、卑劣きわまる行為はあるまい。
顔を見られない安全地帯から、一日何百回となくダイアルを繰り返し、一言も発するでもない不気味な沈黙で圧力を掛ける……。
気に入らない相手がいるのなら、堂々と出かけていって殴りつければいいものを、そんな潔いやり方はけっして選ばずに、陰湿ないじめの手口に執着する……。
さてかつて私の友人は、周囲からやりこめられるようなおりには、きまってお道化てこんなふうに啖呵を切った。
「こうなったら男らしく、無言電話で勝負だ。――」
「正々堂々と、無言電話で勝負だ。――」
もちろんすべてはあくまで反語であり、冗談であるにすぎない。
無言電話が「正々堂々」と対局にあるがゆえに笑いを誘う、いわば男らしさのカリカチュアのようなものだった。――
*「料理」
独身男の食事など、たいていはずぼらなものと相場が決まっている。
出先の飯屋で丼物を軽くかき込むというのが、もっとも一般的だろう。
外食するだけの金がなければ、当然安アパートで自炊ということになるが、それだって手の掛かる面倒な料理など、たとえできたとしてもやろうとはしない。
ありあわせの肉と野菜をお湯の中にぶち込んでぐつぐつ煮込んでおけば、とりあえずおかずになる。焼いたり、炒めたりだと焦がす心配もあるが、煮込む分にはたとえ時間を忘れたとしたって、台無しということにはならないだろう。
かつてそんな私の夕食の風景を見物した友人が、
「それは調理じゃあなくて、煮沸滅菌だろう。」
と言いながら、苦笑いをしていたっけ。――
*「災いの元」
口は災いの元というが、どこにでも一言多い奴というのはいるものである。
貝のように押し黙っていれば、つまらない男と疎まれることはあっても、顰蹙を買うことまではあるまいに、ついついその場の受けを狙って口を滑らせてしまう。
この前も酒の席で、ある女性のことが話題になった際に、友人が、
「そんな女、見たことも聞いたことも、やったこともない。――」
とやらかした。
野郎だけの席なら軽い下ネタと笑ってすまされただろうが、中にご婦人が混じっていたために、友人が総スカンを食ったのは言うまでもない。
注 去年の忘年会で「マゾおけさ」を踊って総スカンを食ったのも、またこの男である。
*「発電」
昔からの俗説に、「猿にせんずりを教えると死ぬまでこすり続ける」というのがある。
もちろん動物学的には何の根拠もない、作り話である。
猿が人まねをすることをとらえて、誰かが言い出したのか。あるいは理性の抑制の利かぬ輩を戒めるための説話なのか。いずれにしても自慰中毒に仕立て上げられた猿たちにはずいぶん迷惑な話である。
さてかつて酒の席で、代替エネルギーのことが話題になったとき、友人の山岡が、お道化てこんな新しい発電法を提唱した。
それは「猿のせんずり発電」とでも言うべきものだった。
すなわち世界中の猿に、一斉にせんずりを教え込む。そうすると奴らは死ぬまでこすり続けるから、その摩擦を発電に利用するのだ。必死に上下する猿の手首に、電極か何かを付けて。――
「それにしても世界中の猿が一斉に『掻く』様子は、さぞ壮観だろうな」とうそぶく山岡を、仲間の一人がこう言ってからかった。
「群の中にちゃっかり山岡も混じって、こすっていたりして……。」
*「プロ野球」
プロ野球選手と女子アナウンサーの結婚は、今では珍しくない。
どちらも顔を知られた有名人だけに、夜の生活の方はどんなだろうと、思わず想像をたくましくしてしまう。
さてかつてある男が、そんな結婚を報じる新聞記事を見ながら、思わずこうつぶやいた。
――フィアンセも 泣いて喜ぶ バットさばき
*
何年かに一度、必ずプロ野球選手の不祥事が報じられる。
軽犯罪法程度のことならともなく、あえて実名こそ挙げないが、球界追放ものの事件も珍しくはない。
さてかつてある男が、そんな事件を報じる新聞記事を見ながら、思わずこうつぶやいた。
――さすがプロ野球選手だけに、人生を棒に振った……。
*「とんでもない奴」
――借金取りの目の前で、半袖のシャツを見せびらかしながら、
「無い袖は振れぬ」
と言って開き直っている奴……。
*「物は言い様」
私の近所に迷惑な酒飲みがいる。
家でおとなしく飲んでいるぶんにはかまわないのだが、この男と来たら夜中に酒瓶を抱えて町中を歩き回り、高歌放吟をする。
もちろんろれつの回らないほど酔っているから、歌詞も節回しもおぼつかず、就寝時であることを差し引いても、耳障りな騒音なのだ。
町中の顰蹙を買いながら本人は平気な顔で、
「吟遊詩人だ。文句あっか!」
と言って開き直っている……。
*「大違い」
私の友人に、真夏には部屋でパンツ一丁で過ごす、という奴がいる。
しかも色物のトランクスなどではけっしてなく、肌着丸出しの白のブリーフ姿である。
一人暮らしの部屋だから何の気遣いもないと言えばそれまでだが、通気のために窓も扉も開け放しなものだから、そのむさくるしい中年男の裸体がときには通行人の目に触れないこともない。
だがしかし本人はいたって平気で、
「パンツルックだ。文句あっか!」
とすっかり開き直っている……。
注 もちろんパンツルックとは、女性のパンツ(=ズボン)姿のファッションを表すものであって、まかり間違っても下着のパンツ一枚で部屋をうろつくことではありえない。――
*「虫」
未婚の娘に男ができることを「虫が付く」などという。
もちろん望ましい相手なら虫呼ばわりはしないだろうが、少なくとも男親にとっては、娘の交際相手はすべからく忌まわしい「虫」なのである。
もちろんその憎さの度合も、場合によって様々である。
文字通り虫が好かない程度の可愛げのある男から、本当に娘の身を滅ぼしかねないとんでもない極道まで。
それはちょうど同じ虫と呼ばれても、まさしく花につくアブラムシから、コキブリや吸血虫の類まで、様々であるように。
そこでいわく、
――うちの娘に 虫が付いたよ 真田虫
*「間男」
今ではあまり聞かれなくなった言葉に、「間男(まおとこ)」というのがある。
亭主のいない留守に他人の家に上がり込んで女房としっぽり、というわけだが、おそらくは亭主のいぬ間を盗むことからそう名付けられたのだろう。
もろろんいないはずの亭主が突然帰ってきて、押入れに身を隠すが、頭隠して何とやらで文字通り尻尾を捕まれて、大変な修羅場が始まる――などということも珍しくなかっただろう。
さてその昔、やはりそのようにして現場を押さえられた間男が、こんな不思議な言い訳をしたそうな。
「俺の女房と寝ただろう?」
「寝てません。起きてました。――」
*「女犯戒」
かつて仏教界に「女犯戒」というのがあった。
修行の妨げになることがないように、文字通り女人との交わりを禁じる戒律なのだが、これが人間の本能にまつわるものだけになかなか守り抜くのは容易ではなかったようである。
誘惑に負けた若い僧呂が、一夜の快楽にふけったきぬぎぬにおのれの未熟に涙する――そんな光景はきっと珍しくはなかっただろう。
あるいは高僧と称えられながら、裏では夜毎に寺に女性を引き入れる、そんなだってあながちいなかったわけではあるまい。
さてそんなころ、齢九十になんなんとするある老僧が、こう言って胸を張った。
「わしなどはもうこの三十年来、一度も女犯戒を破ってはいない。――」
そ、それはひょっとしたら、けっして修行の成果ではなくて……。
*「負けん気」
現代の救命医療の進歩には、めざましいものがある。
いにしえの世ならば間違えなくあの世行きの心肺停止の患者さえ、電気ショックやら呼吸器やらの処置で、再び生き返らせてしまう。
もちろんそれも、すべては医療チームの必死の尽力があればこそで、三途の川を引き返してきた亡者どもは、すべからく両手を合わせて感謝しなければならないのは言うまでもない。
だが世の中には、恩知らずな奴もいる。
かつてある負けん気の強い男が、ICU(集中治療室)でようやく息を吹き返した後、頭を下げて感謝する代わりに、こう言って強がったという。
「ちょっとばかり、仮眠をとっていただけだ。――」
*「宗教」
日本人にはなかなか、宗教というものが根付く土壌がない。
クリスマスも近い頃などには、繁華街の街角でしきりに布教活動が行われ、マイクから「疲れた者、重荷を背負う者は来れ」の説教が流れていたりするが、たいして耳を傾ける者はいない。
くだんの台詞を聞いた私の友人などは、「てっきりマッサージの宣伝かと思った」と苦笑いをしていた……。
*「無意味な言葉遊び」
――大の字によこたわる大便……。
*「けしからん奴」
――交通費はいくらかかったかと聞かれて、「行きが250円帰りが130円 」と答えた奴……。
キセルをするなっつーの。
*「な奴」
――皇居の前に立って「ここが江戸城じゃ」と言っている奴……。
*「土用丑の日」
「土用丑の日」という言葉がある。
陰陽五行説で立夏の前の十八日間を土用と言い、中でも十二支を当てはめて丑にあたる「土用丑の日」は、夏の暑さも盛りであることから、ウナギなど精の付くものを食べる習慣があのだ。
だがしかし、そんないわれを知らない人間の中には、単に音の響きから意味もわからぬまま「土曜牛の日」と思いこんでいる者もあるだろう。
そう言えば、その昔ギャンブル気違いで、日曜のたびに競馬場に入り浸っている男が、こんなふうにうそぶいていたっけ。
「土曜、牛の日。日曜、馬の日。――」
*「Hold〟em up
Hold〝em upという英語をご存知だろうか。
日本語に訳せば、「手を挙げろ」ということになる。
本来ならば Hold up your hands. と言うべきところを代名詞で受けて簡略化し( Hold them up. =そいつを上げな)、さらに them を 〟em と短縮して発音したわけである。
もちろんそうした簡略化や短縮化が起こるということは、そのうえ英和辞典にまでそれが採録されるということは、それだけ人口に膾炙しているということで、日本では映画の中でしか聞かない恐喝の台詞があちらでは日常に口にされ、耳にされているわけである。
町中を歩いていたら突然背中にピストルを突きつけられて金を奪われる――そんな西部劇の中のような出来事が、銃社会アメリカでは今でも当たり前のように行われている……。 だとしたらそんな殺伐としたお国の人々に、我が国のあの「旗上げゲーム」の極楽とんぼの遊戯のことを、教えてあげたい気持ちに駆られないでもない。
いわく、
手を挙げろ――
赤挙げないで、
白挙げない♪♪
そんな珍妙なリズムに乗せられて、相手の強盗が思わずかっぽれのような踊りでも踊り始めてくれたら、確かにしめたものだと思うのだが……。
*「深窓の令嬢」
良家の子女の暮らしぶりとは本当はどのようなものなのか、われわれ下々の人間には知るよしもない。
ただ聞き覚えた言葉の端々から、そのおぼろげな姿を推し量るよりほかすべのないものだ。
箸より重いものを持ったことがないお嬢さんがいるそうだから、重たい荷物の上げ下ろしなどお手伝いに任せきりで、蝶よ花よと育てられているにちがいない。
深窓の令嬢たちは、文字通り奥の居間にこもって習い事に明け暮れて、まかりまちがっても悪友たちと遊び惚けるようなことはありえない。
嫁入り前の娘たちはけっして虫が付くことがないように、かんじがらめの箱入りにして、厳格な貞操教育が行われている。――
そんなふうに神秘のベールの向こうを覗き込もうと、あれこれ下世話な想像を逞しくするうちに、きっと次のようなエログロなジョークも生まれたのだ。
いわく、
とんでもないお嬢さん――
1.箸より太い物を入れたことのないお嬢さん。
(箸をオナニーの道具に使うなっつーの!))
2.鼻の穴の中の処女膜が破れるといけないからと、鼻を掘ったことのないお嬢さん。 (もっと人間の体の仕組みを勉強せいっつーの!)
*「嘘のような話」
風俗の料金と言えば、時間による設定が当たり前である。
ある店は二時間の接客で五万円を請求し、またある店では三十分のサービスで一万円が支払われる。
だがしかし、こうしたやり方だと、もちろんすべての客が同様に満足するというわけにはいかない。前者の店なら、早撃ちの上に精力も強くない殿方はたちまち時間をもてあましてしまうし、後者の店ならその逆に目的を達する前に時間終了、という具合に。――
さてそんな客たちの積もり積もった不満を解消するために、ある経営者が究極の切り売りのシステムを考え出した。
何時間でいくらというセットの料金ではなく、純粋に客が楽しんだ行為の量に応じた請求をする。
すなわち客の尻のあたりに、腰の動きを感知する万歩計のような道具を取り付ける。これをまたタクシーのメーターのような装置に繋いで、ピストンの回数を計測するのだ。たとえば五回ピストンをする度に、メーターが一回上がって、千円の料金が課金されるというように。――
確かに誰の目にもこれほどフェアなシステムはないから、くだんの店が千客万来の繁盛店となったのは言うまでもない。
さてあるとき一人の金欠の風俗マニアが、なけなしの一万円札を握りしめてこの風俗店に現れた。
きっときっかりその一万円分だけ腰を振って、すっきりして帰ろうという魂胆なのだ。
もちろん修行の足りない殿方には、そんな神業のような芸当が可能なようには思われないが、遊び慣れた人間には射精のコントロールなど本当はわけもないのだ。
だがしかし、そこにはたった一つだけ見落とされていた盲点があった。
それはあの「フィニッシュの間近には、いきおいピストンの動きが速くなる」という男たちの習性である。
そうだった。くだんの遊び人は、一万円を目指して順調に快感を高めていたが、いよいよ絶頂間際になったときに、無意識のうちに計算外のスピードで腰を振り立ててしまった。そして気が付いたら、「カシャ」という空しい音とともにメーターが上がり……。
* 「他生の縁」
「袖振り合うも他生の縁」という言葉がある。
道端ですれ違ってただ袖を触れあうだけの邂逅でも、けっして偶然などではない。前世からの因縁(他生の縁)がなさしめたかけがえのない出会いである、ということだ。
確かに六十億という数の世界の人間から、その中の二人が出会う確率は、浜の真砂の一粒を探すような奇跡に近い確率であるにちがいない。だとしたらその運命の奇しさに、そうして一期一会の思いを駆り立てられたとしても、別段不思議ではないだろう。
そしてもしそうだとしたら、同じような感懐は風俗の遊びにもまた当てはまるにちがいない。
そうだった。たいていは一夜限りのお金の関係で終わってしまうその世界でも、「行きずり」という言葉はけっして似合わない。
何しろそこでは、男女のもっとも近しい営みが行われているのだ。だとしたらそのとき二人の魂は、確かに夫婦か恋人と見まがうほど、かぎりなく近くに寄り添っている。
――腰振り合うも他生の縁……。
そんな他愛のない冗談をつぶやきながら、今日もまた肌を合わせた男と女は、はかなくも甘い一夜の恋着を紡いでいるのだ……。
*「後遺症」
後遺症という言葉には、たいそう重たい響きがある。
たった一度の転倒や、ちょっとした交通事故にすぎないもの――取るに足らない打撲のように思えたものが、たまたま打ち所が悪く、その後遺症のために一生痛みや障害に苦しみ続けるのだ。
だがしかしそんな深刻な「後遺症」という言葉を、ときどき変に気軽に用いる奴がいるから、話がややこしくなる。
その昔青い顔をしながら「後遺症に悩んでいる」という仲間がいたから問いただしたら、昨夜の飲酒の後遺症だと言う。
そ、それはただの二日酔いだっつーの!
*「おかしな政治家」
――今度の組閣では太政大臣のポストを狙っている、と言う政治家……。
*「苦しい言い訳」
私の知人にあまり行状のかんばしくない男がいる。
どこかの悪所であいつを見かけたとか、盛り場の道路脇で酔い潰れていたとか、確かにその手の噂には事欠くことはない。
もちろん当の本人は周囲の顰蹙などどこ吹く風で、たとえそんな噂が耳に入ったとしても、「それは双子の兄貴の方だ」と平然とうそぶいている……。
(くだんの知人に双子はおろか、一人の兄弟すらいないのは言うまでもない。――)
*「ありそうでないもの」
――紳士用のパンティー。
その昔ある悪趣味の男が、デパートの店員をからかおうと下着売場に現れて、こう声を掛けた。
「紳士用の水玉のパンティーをください。――」
うぶな女性店員が、真っ赤になって口ごもったのは言うまでもない……。。
*「同じ声でも」
若くて姿のよい男性アイドルには、追っかけのような女性が群がってキャーキャー黄色い声を上げる。――そんなおなじみの光景をテレビで見た友人が、妬ましそうにこうつぶやいた。
「俺だって女をきゃーきゃー言わせているさ。」
だがそれはけっして歓声ではなく、恐怖のあまりに逃げまどう悲鳴なのだ……。
*「あまりにもグロテスクな話」
大腸ガンの触診といえば、医者が肛門の中に指を入れて中の状態を探る。
そこに突起のようなものがあれば腫瘍が疑われ、腫瘍が悪性と判明すれば、大腸ガンということになる。
その昔あるオカマが大腸ガンの検査に行った。
医者が指を入れて突起があったので調べてみたら、それはGスポットだった……。
医者がその指で抽迭を繰り返すと、オカマはよがり声を上げながら、肛門から黄色い潮を吹いたという……。
*「好み」
「蓼食う虫も好きずき」というが、私たちの異性についての好みもまた様々である。
美男美女と呼ばれる者たちが広くもてはやされるのは言うまでもないが、そんなお人形さんのような類型的な美形よりも、一癖も二癖もある顔の方が味わいがあると言う者もいる。
芸能界にしたって、木村拓哉や松嶋奈々子ばかりが喝采を集めるわけではない。ブスかわいい女性タレントや 個性派の俳優にだって、また根強い人気があるのにちがいない。
先日仕事仲間の酒の席で、おきまりの女子社員の品定めが始まった。
一人の同僚は、何と経理課のA子がお気に入りだと言う。
このA子が光浦靖子に似たヒラメ顔だっただけに、全員が耳を疑ったのは言うまでもない。
呆気にとられた仲間の一人が、思わずこうつぶやいた。
「相当なマニアだな……。」
*「信心」
いつの世にも霊的なものに惹かれ、彼岸にあるかもしれないものに憧れる気持ちは変わらないが、同時にそんな宗教の名を騙った犯罪も、また跡を絶たない。
拉致、監禁は言わずもがな、暴行や殺人だって珍しくない。
お布施と称して目の玉の飛び出るような金額を巻き上げたり、いんちき教祖が女性信者を籠絡するような話が、今日もまた三面記事を賑わせる。
かつてあるとき、後者の類の記事を読んだ友人が、思わずこうひとりごちた。
――信じる者は、犯される……。
*「ゴト師」
「ゴト師」いう言葉をご存じだろうか。
元来は賭博場でいかさま行為を働く輩を指す。
不正な仕事(隠語でゴトと呼ぶ)を行うことからその名を得たものだが、今ではもっぱらパチンコ業界の符丁として用いられる。
パチンコ台ににさまざまな仕掛けを施して、不正に玉をかすめ取る――その手口たるや、例えばセルロイドや針金を遊戯台に差し込んだり、磁石で玉を操ったりという旧式のものから、電波で台を誤作動させる、電子部品をすりかえるといったハイテクなものまで、枚挙にいとまがない。
もちろん業界にとっては天敵のような存在だから、万全の対策が必要なのだが、実際にはどうしても警備の厳重な店と手薄な店が生まれ、後者の店がもっぱらカモとしてますます狙われ続けることになる。
かくして同じ店に、毎日同じように出没するゴト師のことを、
「例によって例のゴト師」
と呼ぶようになったそうな。――
*「酒と川柳」
「酔い覚めの水千両と値が決まり」という古い川柳がある。
酒飲みなら誰でも覚えがあるだろう。酒に酔って眠った翌朝には、喉がからからに乾ききっていて、そんなときに口にするコップ一杯の水は、確かに千両の金を払っても惜しくないほどの甘露の味わいがある……。
もちろんそんな感覚には、ちゃんとした医学的根拠がある。アルコールには元来利尿作用があるから、大量の飲酒によって一種の脱水症状を起こした身体が、水分を文字通り渇望するのは無理からぬことなのである。
一方「迎え酒」とう言葉がある。
二日酔いの症状とは、けっして脱水症状だけにとどまらない。頭痛に、吐き気に、悪心に、胸のむかつき――そんなすべての不快さから脱却するために、様々な対処法が試みられてきたのだが、その中の一つがこの「迎え酒」である。
いわく、酔い覚めの朝に再びコップ一杯の酒を飲み干す。そうするとあれほど激しかった二日酔いの症状がたちどころに消え去っていく。――もちろんこちらのやり方には何の医学的根拠もない。ただ再度の飲酒の酔いによって感覚を麻痺させることで、それまでの不快さを忘れているだけなのだが、 とりわけ依存症の進んだ酒飲みたちの間で、そんな荒療治の逆療法が好んで実践されているのだ。
やはりそんな二日酔いのアル中男が、あるときこんな川柳をつぶやいた。
――酔い覚めの酒千両と値が決まり ……。
*
酒にまつわる川柳には、また次のようなものもある。
「酒のない国に行きたい二日酔い また三日目に帰りたくなり」
すなわち二日酔いの症状に苦しむときには、もう二度と酒など飲みたくないと後悔するものだが、ようやく吐き気の治まったその翌日は、懲りずにまたアルコールの味が恋しくなる……。
確かに酒飲みの気持ちを言い表して妙であるが、こでもまた破滅型の酒飲みの場合は、けっしてその程度にとどまらない。
いわく、
――酒のない国に行きたい肝硬変 また三日目に帰りたくなり……。
たとえ肝硬変に倒れたとしても、たまに症状がやわらいだ日などには、思わず酒瓶に手を伸ばしたくなる、というのだ。――
*「看板に偽りあり」
――「なでなで」も「しこしこ」もしてくれない大和撫子(やまとなでしこ)。
風俗産業じゃないんだから……。
*「救いがたい奴」
――賭け麻雀は健康によくないからと、賭けゴルフを始めた奴……。
少しは博打のことを忘れろっつーの!
*「単なる言葉遊び」
――ぼこぼこにされた、かまぼこ……。
*「言い間違え」
――婚礼の結納金を、身の代金と言っちゃった奴……。
確かに、そのような側面もないわけではない。――
*「入水自殺」
野郎のメール友達からメールが来た。
タイトルは「入水自殺」と穏やかでないので、あわててクリックすると、文面は、
――一緒に死のうか? 肥溜めに飛び込んで。
とある。
今のご時世だから死にたい気持ちはやまやまだが、せめて美しい女性と玉川上水に飛び込んで死にたいものである……。
*「私の好きな英単語」
there ア・レ
that ア・ソ・コ
意味深に聞こえるかもしれませんが、別に他意はありません……。
*「物は言い様」
どう見ても清らかとは言えない悪友が、「自分のような純粋な人間は……。」とのたまうから、不審に思って聞きただすと、
――純粋に不純なんだ。混じりけ一つない真っ黒け。
このはらわたをかっさばいて見せてやりたいよ。イカスミのような血潮がどっと吹き出らあ……。
だそうだ。
*「アルバイト」
ある金欠の男が「何かいいバイトでもないかなあ」とひとりごちた。
それを聞きつけた口の悪い友人がこう勧めた。
――お前にはちんどん屋がいいよ。
化粧も衣装も音楽も<何もいらない。そのまま歩いているだけでちんどん屋だから……。
そう言われた男が、たちまち激怒したのは言うまでもない。
*「艶やか」
「肌の艶がいい」というのは、通例言われて嬉しい、最大の褒め言葉である。
だがある口の悪い知人は、その後にこんなふうに続けた。
――肌の艶がいいね。まるでゴキブリの羽みたいに、よくてかっている……。
*「自慢」
酒の席などでは、男同士の「持ち物」の自慢は珍しいことではない。
見るからに筋骨隆々の胸毛男が「昨夜は自慢の息子で朝までひいひい言わせてやった」とまことしやかに吹聴すると、コーラの瓶並のサイズを思い描いた周囲の同僚から、思わず賛嘆の声が上がったりもする……。
それに比べて、見るからに貧弱な体格の場合には、虚勢を張ろうにもどこか無理がある。
かつてやはり鉛筆のような細身の友人が、たどたどしい口調でこう言い募った。
「た、確かに俺のものは普段は親指大の大きさだが、いざというときにはウルトラマンのような膨張率で大きくなるんだ。――」
そう言い訳する友人の下半身からは、なるほど股間のふくらみはみじんも感じられない。
そんな笑止な強がりを聞いた友人が、すかさずこう言って冷やかした。
「ウルトラマンじゃあ、三分しかもたないじゃあないか。――」
図星を指された男が、赤面してうつむいたのは言うまでもない……。
*「現代っ子」
かつてはよく、「胸に手を当ててよく考えろ」というようなことを言ったものだ。
我が身を振り返って何か思い当たることはないか、やましいことはないのか。心の鏡に照らして自ら恥じることはないのか。――そうして絶えず自らの心に問いかけ、内省するための儀式が「胸に手を当る」という仕草なのだ。
とりわけ思春期の子供を相手にする中学高校の教師たちが、生徒たちの良心の目覚めを促すために用いた、説諭の言葉だったように思う。
たがしかし今日日の現代っ子ときたら、そんな心の対話にはからっきし慣れていない。
先日ある女子高生などは、
――胸に手を当てて考えてみたら、結構ぼいんだった……。
という具合に、先生方の必死の努力も、いにしえの金言も空しく、ずいぶんと即物的な発見だけで終わってしまった……。
*「穴」
下々の言葉に「一穴主義(いっけつしゅぎ)」というものがある。
生涯女房一筋、よその女には目もくれず、女郎買いとも縁はない――そんな堅物の亭主を揶揄した言葉だが、男女の色恋沙汰を「穴」の一言で表したところが妙に即物的である。
さて先日ある男が、いかにも困り顔でこう尋ねた。
――あの、うちの場合は女房だけで三穴なんですけど……。
*「三回目」
「居候」と言えば、親類や知人の家に上がり込んで厄介になる、寄宿人のことである。
家の回りの仕事を手伝うことはあっても、自らの食い扶持を稼ぐだけの働きはなく、もっぱら寄宿先の家族の好意にすがって養われる、半端者である。
もちろん相手先だって、義理に縛られてやむなく世話をしているだけで、けっしていい顔はされない。目障りなだけでなく、米櫃の心配までしなければならない、あくまでお荷物の存在なのである。
そんな居候の、肩身の狭さをうまく言い表した古川柳がある。
――居候、三杯目にはそっと出し。
確かにぶらぶらと遊んで暮らす居候だって、毎日腹はへる。一杯目、二杯目はともかく三杯目のお代わりとなると、タダ飯食らいの大飯食らいと思われはしないかと、顔色をうかがいながら、お茶碗を差し出す手も思わず遠慮がちになったにちがいないのだ……。
さてそんな居候が、先方の亭主が昼間働きに出ている間には、いきおい女房と同じ屋根の下に二人きりということになる。だとしたらそこに、ちょっとばかりあやしい関係が生まれることも珍しくはなかったようだ。
だがもちろんそんな場合でも、いったんできあがってしまった主従の関係は、けっして変わることはない。
――居候、三発目にはそっと出し……。(パロディ)
というような具合に、ここでもまた女房殿の顔色をうかがいながらの、遠慮がちな一戦となったのは想像に難くはない……。
*「世が世なら」
先日四十回目の誕生日を迎えた朝、友人からメールがあった。
どうやら私の誕生日が十一月十一日と覚えやすい数字であったため、急に思い出したらしい。
タイトルは「おめれとう」。おそらくこれは誤入力ではなく、酔っぱらって舌がもつれたまねをして、ふざけていたのだと思う。
本文は次のような自由詩の体裁をしていた。
おめでとう おめでとう
生誕記念日 おめでとう
世が世なら
今日がクリスマス
もちろんこれもまた冗談にはちがいなかったが、何だかその発想に私は妙な感銘を受けた。
確かに人の世の浮き沈みなど、所詮は時の運である。違う時代の違う国に生まれていれば、自分のような者でも日の目を見ることもあったかもしれない。
そればかりかひょっとしたら、聖者教祖とあがめたてまつられて、今日のこの日が生誕記念日と呼ばれることだってなかったとは言い切れない。
そんな風に思ううちに、目の前のふざけたメールが、何だか深遠な文学のように思え始めたのは気のせいだろうか? ……
*「肥やし」
昔から「芸の肥やし」という言葉がある。
もちろん文字通りの、畑にまく糞尿のことではない。「芸を育てる滋養」というような比喩的な意味合いである。
すなわち芸人にとっては、あらゆる人生経験が、その人間の味わいを豊かにはぐくむ養分となり、ひいてそれが芸の奥行きと深みとなって現れる、という定式である。
確かにときにそれは、「苦労は買ってでもしろ」という、ありがたい教えになる。
だがしかし同時にほとんどの場合、その同じ言葉は芸人亭主の放蕩の言い訳として、重宝がられていたようである。
すなわち酒におぼれようが、愛人宅に入り浸ろうが、花街で一身代を散財しようが、「芸の肥やしにする」と言われてしまえばもはや女房に返す言葉はない、ただ黙って見守るしかないというわけである。
そんな芸人たちの理屈の身勝手ぶりを揶揄するために 一つこんなナンセンスはいかがだろうか。
いわく、
――芸の肥やしにすると言って、肥溜めをあさっている奴……。
確かに例の金科玉条を口にしながら、紋付きはかまの芸人が突然字義通り肥溜めの糞尿をあさり始めたとしても、女房殿にもはや意見する手だてはない。ただ黙って見守るしかほかにすべはない、というわけだ……。
*「演歌」
かつて博打で負け続けて、いつでも素寒貧の同僚がいた。
外食する金もないので、会社のお昼はいつも自家製の手弁当をぱくついている。
中身を覗いてみると、安価で栄養があるからと、いつでもたっぷりのかつお節がまぶしてあった。
それを見た仲間の一人が、冷ややかな口調でこう言ってからかった。
――かつお節だよ、人生は……。
(注「浪花節だよ、人生は。」はもちろん昭和五十九年の、細川たかしの名曲である。)
*「なぞなぞ」
Q オートバイにまたがったとたんに、うとうとし始めるライダーは?
A 仮眠ライダー
*「口癖」
誰にでも口癖というものがあるが、ときにはこの小さな習癖が裏目に出て、思わぬ災難を招くことがある。
かつてある友人は、何かにつけて「十年早い」と一喝するのがならいだった。
あるとき、あまり見目麗しくない女に言い寄られてすっかり閉口した友人は、思わずいつもの伝で「十年早い」と叱りつけて追い払った。
ところがそれからちょうど十年後、不細工なばかりかすっかり年まで喰ったかの女が、約束通りに再び求愛に現れたという……。
*「清い交際」
今ではもう死語となってしまった言葉に「清い交際」というのがある。
言うまでもなく、肉体的な関係を伴わない、精神的な恋愛のことである。
さてかつて、およそプラトニックとは縁のないはずの友人が、こうのたまった。
――僕と彼女は清い交際です。
その度に塩を撒いてますから……。
*「替え歌」
かつて仲間内ではやった言葉に「死んでるよ」というのがあった。
「元気か?」「元気じゃないよ。死んでるよ。」のように挨拶代わりに使われるのが普通だったが、その他にも日常の会話やメールの中で、折に触れて登場する台詞だった。
それはそうだろう。何しろ仲間と言っても、類は友を呼ぶのたぐいである。
中年と呼ばれる年になっても全員がいまだにワーキングプアで、所帯も持てなければ彼女もいない。
憂さ晴らしのギャンブルも負け続けで素寒貧、かろうじて貧乏アパートだけは借りられたが、やけ酒に酔いつぶれて眠るだけの毎日だ。
そんな暮らしぶりを「死んでる」と形容したとしても何の違和感もないだろう。
だがこの連中ときたら、こんなどん詰まりの境遇にありながら、誰もが極楽とんぼのおめでたさを持ち合わせていて、その「死んでるよ」の台詞には、悲劇の湿っぽさはみじんも感じられない。かえって自らのだめ男ぶりを明るく笑い飛ばすような、どこか快活な自嘲の響きがあった。
それかあらぬか、私たちの間にはときにこんな、きっかいな替え歌が口ずさまれた。
本歌は「手のひらに太陽を」。
その節回しをイメージしながら聞いて欲しい。
――ぼくらはみんな死んでいる
死んでいるからうれしいんだ♪
(中略)
みみずだって おけらだって
あめんぼだって♪
みんなみんな死んでいるんだ
友だちなんだ♪
実際の歌では「あめんぼだって」のところに、仲間の誰かの名前を入れる。
たとえば「みみずだって おけらだって 鬼沢だって♪」のように歌いながら互いにはやしあうのが、当時の飲み会につきものの趣向だったように覚えている……。
*「区別の難しいもの」
――行き倒れと酔っぱらいの区別……。
あそこの道ばたで倒れて動かない人物がもし行き倒れなら、もちろん誰もが助けの手を差し伸べるべきだ。
一方もしそれが自業自得の酔っぱらいなら、ただ冷たい視線を投げかけて通り過ぎればよい。
だがしかし、ご存じの通り両者の区別は必ずしも容易ではない。
通例倒れているのが女性の場合、よほど酒の臭いがぷんぷんでないかぎり、行き倒れと判断される。その逆に男性の場合には、おおむね酔っぱらいと決めつけて、見捨てられて終わるようである。
もちろんそれは、元来繊細な女性と違い、頑健な男がそう簡単に病に倒れるはずはない、という思いこみもあるかもしれない。
だが同時にうがった見方をするならば、こちらの場合には、できればそれが酔っぱらいであって欲しいという思いが、私たちの客観的な判断を歪めている、ということもあるだろう。
確かにもしそれが行き倒れと思えば、誰もが助けの手を差し伸べるべき道徳的な義務が生じるが、そうして赤の他人の救済にかかずらう面倒はとてつもなく煩わしい。
つまりは行き倒れと知りつつ見て見ぬ振りをするのは気がとがめるから、無意識のうちに「あれは酔いつぶれているのだ。頑健な男がそう簡単に病に倒れるはずはない、ただ男どもにはありがちな悪癖なのだ」と、みんなが必死になって思いこもうとしているのだ……。
*「区別の難しいもの」
――デパートにとって、プータローとお客様の区別……。
ときおりデパートの店内を、浮浪者がうろついているのを見かけることがある。
確かに彼らにとって、これほどありがたいものはない。
何しろ一年中冷暖房完備の上に、ところどころに足を休めるため椅子も用意されている。
一方デパートにとっては言うまでもなくこれほど迷惑なものはないから、早急にお引き取り願いたいわけだが、悩ましい問題はその見極めである。
プータローという名札があるわけではなし、一般の客だって何も買わずに冷やかしだけで帰ることもる。
ただ薄汚れた身なりで軽い異臭を放っているというだけでプータローと認定して、追い返していいものか。たとえ許されるとしても、だとしてらその線引きはどの程度の臭いからなのか?
そんなジレンマにさいなまれた店側は、結局は見て見ぬ振りを決め込むことになる。後はただプータロー本人の良心に期待しながら。
そうだった。
いい匂いの香水と高級なブランド服に囲まれたこの空間に、自らがいかに不似合いな存在であるか。
周囲の視線がいかに冷たく、棘のように刺さっているか。
そのことに気付けば、よほど神経が太くない限り、プータローだってもう少し居心地のよい安売りのスーパーか駅の構内へ、引き下がっていくのにちがいないから……。
*「ありそうでないもの」
――憲法違反で反則切符を切られた奴……。
言うまでもなく憲法は、国の大元となる大切な決まりごとである。
その違反が反則切符ごときの軽罰で、すまされるはずはよもやない……。
*「精神分析」
古来人類は夢という不思議な現象に、最大限の興味を抱いてきた。
夢占いとも夢判断とも称しながら、その不条理で荒唐無稽な内容に、何らかの意味を求めようと努めてきた。
とりわけそこに、抑圧された無意識の発露を見る精神分析の手法の流行は、世紀をまたいでいまだに衰えることを知らないようである。
だがしかし夢には本当に、そんな外的な要因というものがあるだろうか?
確かにそのような場合もあるだろうが、ひよっとしたらその多くは単なる気まぐれによって着想され、まるで尻取りのような自律の論理によって、展開していくにすぎないのではないだろうか?
少なくとも夢の中の何もかもに、いちいち隠れた欲望を見いだそうとする類ときたら、あまりに芸がない。違和感を通り越して、ときに笑止ですらある……。
ある精神科の診察室で、一人の患者が悩ましそうに打ち明けた。
何でもその前の晩に、大きなネズミの夢を見たのだという。
話を聞いた院長はさもありなんというふうにうなずきながら、静かにこう言って聞かせたという。
「それはですね――ネズミを食べたいという願望の現れですよ……。」
*「無意味な言葉遊び」
――ゾンビが鷹を生む……。
言うまでもなく、「鳶(とんび)が鷹を生む」のもじり。
ゾンビとは死体が蘇って歩き回る、あの例のゾンビである。
*「太く長く」
俗に「細く長く生きるか、それとも太く短く生きるか」というようなことを言う。
ささやかな人生ながら、健康に長寿を全うするのが前者なら、ぱーっと豪快に花を咲かせて散っていくのが後者の生き様である。
もちろん本当は「太く長く」の組み合わせが理想なのだが、そんな虫のいい選択は許されないのが天の配剤であるから、誰もがくだんの二者択一を強いられることになるのだ……。
そんな人生談義の傍らで、我関せずと携帯をいじっていた男が、この「太く長く」の台詞を聞きつけたとたんに、話に割り込んできた。
――何だ? うんこの話か?
*「帰国子女」
アメリカ人といえばまず快活で、前向きで、自己主張のはっきりした性格が思い浮かぶ。
もちろんそんな国民性は、彼らの遺伝子の中にも、存分に受け継がれてきたものだった。だが同時にそこには後天的な、その文化と教育の影響もまた、きっと大きいのにちがいない。――
その証拠に純粋な日本人の子弟でも、あちらの学校で教育を受けたあとは、たいていはそのような子供に育つ。
いわゆる帰国子女が日本の学校で目立つのは、語学の堪能よりむしろ、そんな日本人離れした生活態度ゆえなのだ。――
だがもちろん、どこにでも変わり種というものがある。
あるアメリカからの帰国子女は、その真逆に陰気で、後ろ向きで、煮え切らない愚痴っぽい性格で、教師仲間から陰で「あの世からの帰国子女」と呼ばれていた……。
*「情けない奴」
昔から「肉を切らせて骨も断つ」というようなことを言う。
捨て身の戦法でたとえこちらの肉を切られても、それ以上に相手の骨を断つ打撃を加えてしまえば、勝利は自ずから転がりこむ、というわけだ。
だがしかし、情けない奴というのはどこにでもいるもので、私のあるギャンブル狂の友人はいつでも負け続けの素寒貧で、「肉を切らせて骨も断たれた」という台詞を口癖にしていた……。
*「上下関係」
たとえ男友達の間でも、夫婦の閨房のことというのは、なかなか口にするのが憚られる。
他人事のような下ネタは得意でも、相手にも顔見知りの女房と、我が身との間の出来事というのはあまりにも生々しく、気恥ずかしく感じられるのだ。
だがしかし私のある友人は、そのあたりの事情を実にさらりと、おしゃれに言ってのけた。
いわく、
――うちのかみさんは騎馬民族だから……。
*「国際結婚」
かつて仲間内で国際結婚が話題になったとき、一人の友人がこう口を挟んだ。
――俺のワイフはオランダ人ですから……。
だがしかし、この友人は確か、まだ独り身のままだったはずではないのか?
訝かる仲間に向かって、男はこう付け加えた。
――いつもは押入に隠しています……。
何のことはない、オランダ人とは英語で言えばdutch(ダッチ)だという、実につまらない冗談だった。
*「息子のこと」
昔ある下ネタ好きの友人が、こんなつまらない冗談を言っていた。
――私のは一触即発です……。
一回軽く触れただけですぐさま爆発する、病的な早漏というわけだ。
――私のはホウセンカです……。
そういえば、最近とんと見かけなくなったが、ホウセンカの実は確かに軽く指先で触れただけで、すぐさまはじけ飛んだっけ。
*
また友人は、
――私のは再起不能です……。
そ、それはただのインポやないか!
*「替え歌」
――屋根より低い鯉のぼり♪
(中略)
つまんなそうに泳いでる♪ ……。
確かに本歌の「鯉のぼり」はあまりにも子供っぽい、おめでたい楽観に満ち満ちている。
たいていの人生は、少なくとも大人たちの人生はもっとずっと凡庸で、不幸とは言わないまでも、薄汚れた退屈がつきものである――そんなことを思いつまされる、いわば自虐の替え歌なのだ……。
*「気持ちの悪い奴」
――人体解剖図を見るたびに、すき焼きが食いたくなる、と言う奴……。
*「言い間違え」
――弘法も筆を降ろす。
注 「弘法も筆の誤まり」の言い間違え。「筆を下ろす」とは、新品の筆を初めて墨につけて使い始めることから、暗に男子が童貞を捨てて、初めて女性と交わることを指す……。
*「言い間違え」
よく足かけ何年、というようなことを言う。
例えばある会社に十二月に入社して、翌年の三月に辞めたとすると、在籍はわずか四ヶ月だが、年を跨いだので「足かけ二年」勤めたということになるのである。
もちろん四ヶ月で会社を辞めることはめったにないが、退社の挨拶などで「足かけ五年」のように用いられる計算法である。
だがしかし、そんな四角張った挨拶の折りには、しばしば口がすべって、思わずぽろりと本音が出てしまうことがある。
ある女子社員は送別会の席上で、「足かけ五年」を「腰掛け五年」と言い間違えた。
おそらくこんなつまらない会社は、結婚相手を見つけるまでのただの腰掛けにすぎないと、常々腹の中で思っていたのだろう……。
*「ありそうでないもの」
――ドラキュラがやっている愛の献血運動……。
確かに今日日の世の中は、ドラキュラにとっても受難の時代である。
何しろHIVやら肝炎やら、感染症が恐ろしくて、やたらと首ったまにかぶりつくわけにはいかない。
その上処女の生き血をすすろうにも、それらしい娘はどこにも見あたらない……。
*「新ことわざ集」
――M女をとらえて縄をなう……。
M女とはSMの世界で、マゾヒズムの性癖のある女のことを言う。
いわく、いざM女を捕らえて、これからプレーを始めようという段になってから、縄をなうのでは遅すぎる。
そんな好機の訪れることを予期して、平生から用意を怠らないように、というありがたい教えなのだ……。
*「新SM用語集」
『老骨に鞭打つ』
年老いてもなおSMクラブに通い詰めるM男のこと。
『飴と鞭と蝋燭の使い分け』
若者の教育には何よりもこれが肝要だという。
『鞭打ち症』
鞭で打たれ過ぎてぼこぼこになった、M男の持病。
『ピチピチギャル』
M男にピチピチと鞭を振るう、若いS娘。
『自縄自縛』
M男が自分で自分の体を縄で縛り上げる、一種の自慰行為。
*「情けない奴」
――屈伸運動をしたらほぐれてしまった、不屈の闘志……。
*「ある野心家の弁」
――今の天皇が死んだら、挙兵して天下を取ろうと思っています……。
*「トイレ」
女性の貞操のなさを諷する言葉に、「公衆便所」というのがある。
男たちが気軽に立ち寄っては用を足していく、まるで便器のような存在だという、最大限の蔑称なのだ、
だが近頃では有料トイレというのもあるそうだから、少しばかり用心したほうがよさそうである。――
*「言い間違え」
「国民の血税を」というのは、政治の無駄遣いが話題になったときに、きまって聞かれる嘆きである。
だが私の友人の一人は、そんな言葉の意味が理解できなかったのか、しきりに「国民の血尿を」「国民の血便を」と叫び続けていた……。
*「拒否権」
「拒否権」という言葉は、もちろんご存じだろう。
国連の安全保障理事会では、十五か国の多数決では物事は決まらない。「常任理事国」と呼ばれる五大国のうちの、たとえ一カ国でも反対すれば、たとえ他の十四か国が全員賛成でも、その意向を拒否することができるのだ。――
だがしかし、こんな不思議な権利が幅を利かせている、もう一つの場面がある。
それは若い頃には誰もが覚えがある、あの徹夜麻雀の場合である。
もちろん夜を徹しての麻雀など、体に悪いのはわかっている。できれば九時十時には、少なくとも終電までにはお開きにしたいというのが、みんな本音なのだ。
だがいざその時間になると、メンバーのうちの一番負けの込んだ奴が、きまってだだをこね始める。
それはそうだろう。このまま大負けしたまま引き下がるわけにはいかない。大逆転といわないまでも、損の大半を取り戻すまでは、勝負は続いてもらわなくてはならないのだ。
勝ち逃げは許さない。卑怯だぞ。全員が楽しい思いをするまでは、とことん付き合うのが仲間じゃないか――そんなたった一人の理屈に合わない拒否権に押し切られて、今日もまた四人は眠い目をこすりながら、朝まで雀卓を囲むのだ……。
*「独身」
近年結婚しない男たちがますます増えている。
かつてはどこの職場にも「独身会」と目されるメンバーがいて、四十くらいの年長格が「会長」などと呼ばれて揶揄されていたものだが、いまでは五十代の未婚も少しも珍しくなく、ひそかに「独身会の長老」などと陰口を言われている……。
*「とんでもない奴」
――「大人のおもちゃ」で女を責め立てながら、「人間は道具を使う動物なんだ」とうそぶいている奴……。
*「花札」
幼稚園のクラス名ほど、微笑ましいものはない。
一組、二組などという無機質な名前には、まずお目にかからない。
百合組、梅組、桜組と、高学年の子供だったら気恥ずかしくなってしまうような、思い切り幼児趣味の命名が並ぶ……。
だがしかし、ある幼稚園はクラスの数が思いの外多かったらしく、その後に萩組、牡丹組と続いていたのには思わす笑ってしまった。
お前のところの幼稚園は花札学校か! とつい突っ込みたくなったのは私だけだろうか……。
*「無意味な言葉遊び」
――甲乙つけがたい焼酎……。
「甲乙つけがたい」とは昔の成績表で「甲」が「乙」の上であったことから、優劣を決められないほど拮抗していることを指す。
だがもちろん焼酎の甲乙といえば、言うまでもなく甲類焼酎(連続式に蒸留したアルコール度数の比較的低いもの)と乙類焼酎(単式で蒸留したアルコール度数の比較的高いもの)のことである。――
*「腐っても」
「腐っても鯛」とは、教育の世界でもしばしば使われることわざである。
高級魚である鯛は、多少痛んだところでその辺の下魚とは違う、それなりの価値がある。
それと同じようにもともと素質のある良家の子女は、たとえ不勉強で一時は落ちこぼれていても、それなりにきらりと光るものがある、というわけだ。
だがしかし、ある皮肉屋の教師は、ただの一言でこう切って捨てた。
――鯛でも腐ってる……。
*「目覚まし」
中年期になれば誰しも覚えのあることだが、ある男が、
「いくら寝ても体から疲れが取れない」と嘆いていた。
愚痴を聞きつけた友人が、こう言ってからかった。
「普通に寝ただけじゃあ、積もり積もった疲れは抜けやしないよ。
二三日死んでから、蘇るようにしないと。
大丈夫だよ。ちゃんと目覚ましを掛けておけば、起きられるから。――」
*「演歌」
義理も人情も誠もすたれて、すべてが欲得づくの、いやな世の中になったものである。
そんな当節、ある男が古き良き時代の演歌のせりふを借りて「命預けます」とのたまったら、
「利回りはいくらだ?」と聞き返されたそうだ……。
*「嘘のような話」
その昔女性とは全く縁の遠い、Kという男がいた。
噂によれば、もやもやのはけ口はもっぱら「ビニール製の人形」だそうである。
そんな情けない男について、あるとき追い打ちをかけるようにこんな噂が広まった。
「Kの奴今度は、ダッチワイフに振られたらしいぜ。
しつこいからいやだってさ。――]
*「昔々」
昔三人の男がいた。
Aは天下の好男子、Bはその美声ですべての異性をとろけさせ、Cは大きな声では言えないが、どうやらずいぶん女泣かせの「道具」の持ち主らしい。
あるとき三人の間に、奇妙な相談事が持ち上がった。発案者は「道具」のCである。
なるほど自分たち一人一人は、今はまだ大した女たらしではない。だがしかし、三人がそれぞれの長所をもって合体すれば、史上最強の色男ができあがる。もし美声と「道具」も持ち合わせた天下の二枚目ができあがれば、もはや世の中のどんな女でも意のままに落とすことができるだろう……。
バラ色の未来図に、初めはすっかり乗り気だった二人も、やがてあやうくCのたくらみに引っ掛かるところだったと気づいたようだ。
確かに、そうして三種の神器がそろえば、どんな女でも意のままに落とすことができるだろう。それはその通りだ。
だがしかし、たとえそうして女が落ちたとしても、最後に「いい思い」ができるのはCだけなのだ! Aはいわば呼び込みの看板を貸すだけで、Bに至ってはただ横で声を出しているだけなのだ……。
Cの発案が結局一蹴されたのは、もちろん言うまでもない。――
*「無意味な言葉遊び」
―― 弱きを助け、足を挫く……。
注「弱きを助け、強きを挫く」のもじり。
*
―― 寝る子は太る……。
注「 寝る子は育つ」のもじり。
*
―― 恨み骨髄炎 ……。
注「恨み骨髄に徹する」のもじり。
*「勘違いな奴」
――便秘にはラマーズ法が一番だ、と信じている奴……。
ラマーズ法とは言うまでもなく、自然な分娩を促すための出産法の一つである。「ヒッ・ヒッ・フー」と聞こえる独自の呼吸法によって知られる。――
*
――「人間の三大本能」を「飲む打つ買う」と答えた奴……。
もちろん「飲む」とは酒を飲む、「打つ」は博打を打つ、「買う」は女を買うで、かつて遠い昔に男の三道楽と呼ばれていたしろものである。
*
――梅毒スピロヘータはハーフの名前だと信じている奴……。
滝川クリステルやないっつーの!
*「忠告」
その昔、借金に苦しむ男がいた。
何とか取り立てを逃れる方法はないかと悩む男に、人の悪い友人がこう忠告したそうな。
――樹海の中に逃げれば? もう誰も追い掛けてこないから。――
*「天真爛漫」
その昔「頭が良くなる」が謳い文句の、キャラメルが売り出されたことがあった。
ちょうど魚に含まれるDHA(ドコサヘキサエン酸) が学習能力を高める、という学説が広まったころで、その成分をキャラメルに練り込んだ商品だったと思う。
実際の効能を当てにしたのか、それともただの洒落のつもりで買い求めるのか、それなりの人気の出た商品だったはずだ。
さてそのころ、ある進学塾がこれもまた半ば実際の効能を信じて、また半ば洒落のつもりで、かのキャラメルを生徒の「おやつ」用に配布したことがあった。
問題はその配付の仕方である。
その塾は生徒を学力別に三つのレベルに分けていたのだが、最上位の特訓クラスの生徒にはキャラメルを一人一つずつ、真ん中の錬成クラスには一人二つずつ、最後の基礎クラスには何と一人に三つずつ、というやり方で配布したのだ。
一体そんな数の違いの中にはどんな意味が、あるいは悪意が隠れているのか? ――だがしかし、当の基礎クラスの生徒たちはそんな疑問などつゆ知らぬかのように、互いに手を叩き合って、ただキャラメルの多さを喜んだという……。
*「とんだ勘違い」
「子供をだしにするような連中は許せない」と憤慨する友人に、
「スープにしたのか……?」と聞き返した奴。――
*「反論」
その昔、いけすかない堅物の上司がいた。
「神聖なる職場で」というのがその口癖であった。
あるとき何人かの酒好きの若手社員が、残業の後のオフィスでこっそり酒盛りをやった。
悪い噂はどこからともなく漏れ聞こえるらしく、くだんの上司が全員を呼びだして、いつもの説教を始めた。
「神聖なる職場で酒を飲むとは。――」
だがしかし、就業時間が終わった後で、そのうえ残業の打ち上げにお疲れさまの一杯をやるくらいなら大目に見てくれてもよいのではないか――そんな若手の不満を代弁して、仲間の一人がこう言い返した。
「神聖なる職場とおっしゃいますが、それではおは一体どうなんでしょう?」
*「中国語講座」
北京五輪をきっかけに覚えた言葉に「加油」というのがある。
「頑張れ」の意味を表す中国語である。
確かに油の切れかかった機械に油を加えればパワーも蘇るだろうから、言いえて妙である。
だがしかし、ときには「火に油を注ぐ」ということもあるので……。
*「無意味な言葉遊び」
――人を食ったような顔をしている、人食い鮫……。
注「人を食ったような」とは「人を馬鹿にしたような」の意味の慣用句である。
「食う」には元来「だます、馬鹿にする」のような意味があった。
言うまでもなく、「人肉を食する」の意味ではない……。
*
―― 身重の妻と気重の夫……。
注「身重」とはもちろん妊娠中であること、一方「気重」とは何とはなしに気がすすまない、落ち込んだ状態を表す……。
*
――やたらと目くじらを立てる、グリーンピースの活動家……。
グリーンピースとはもちろん、過激な反捕鯨運動を展開する、あの環境保護団体の名前である。
確かに、文化と価値観の違いとはいえ、鯨の保護をまるで聖なる大義のように奉つるあの輩のヒステリックな振る舞いは、我々日本人の理解をはるかに越えている。
ちなみに「目くじらを立てる」とは、ささいなことを取り立ててとがめることを意味する慣用句。もちろんここでいう 「目くじら」とは目尻のことを指し、あの「鯨」とは何の関係もない……。
*「十代の妊娠」
その昔、ある高校の教師が、避妊に失敗した女生徒から相談を受けた。
中絶か、出産かと深刻に悩む女生徒に、教師は実にお気楽な口調でこう指導したという。
――心配するな。「 案ずるより産むがやすし」だ……。
*「何かがおかしい」
――縛り首から電気椅子に減刑されて、喜んでいる死刑囚……。
*
――神童とはやされて、飛び級して浪人生になった高校三年生……。
*「嘘のような話」
一度分かれた妻と再婚することを、麻雀用語を借りて「振り聴(フリテン)」と言う……。
注 麻雀の「振り聴(フリテン)」とは、一度自分が捨てた牌で上がることで、一般に禁止事項の一つとされる。
*「お国柄」
――「俺の目の青いうちは」が口癖の、アメリカの頑固おやじ……。
*「何かが違う」
俺も若い頃には硬派だった、とのたまう男がいた。
何でも女の子が傍らにいるだけで、股間がこちんこちんに硬くなったという……。
*「開き直り」
その昔、病的な早漏の男がいた。
それなりのルックスをしているので女はちゃんと寄ってくるのだが、何しろ三分も持たずに果ててしまうため、夜の生活には満足できるはずもなく、次々と去っていく。
あるとき、別れ際に「早さ」をなじる女に、男は開き直ったかのようにこう言い返したという。
「ば、ばかやろう、俺は感受性が鋭いんだ。――」
*「情けない奴」
――間違ってわが世の冬を謳歌している奴……。
確かに誰だって、初めはわが世の春を謳歌するつもりだったのだ。
やがては大金を稼いで一身代を築き上げ、世間のみんなをかしずかせ、女は抱き放題、酒は飲み放題の極楽の人生を送る予定だった。
だがその大半の男達は、どこでどう間違ったのかどんづまりの素寒貧、女からは見放され、周囲からは見下される踏んだり蹴ったりの人生を歩んでいる……。
*「とんでもない女」
「二股かけるほど器用じゃない」と嘆いていた女が、次に会ったときにはぺろりと舌を出しながらこうのたまった。
――三つ股にしてみたら、結構安定してた……。
三脚テーブルじゃないつーの!
*「とんでもない店」
――鉄板焼を注文したら、真っ赤になるまで焼いた鉄板が出てきた……。
*「嘘のような話」
その昔、肥満で有名なA男とB子がめでたく結ばれた。
A男の友だちはみな「なんぼなんでもB子と結婚せんでも」と驚き、B子の友だちはみな「なんぼなんでもA男と結婚せんでも」と驚いたという、その意味でも似合いの夫婦である。
そんな夫婦について、あるとき奇妙な噂が流れた。
何でも結婚して何年経っても子供ができないのを怪しんだ仲間が、こっそり寝室を覗いてみたら、毎晩二人で裸で相撲を取っていたというのだ……。
そのことを指摘されたA男は、「えっ、これじゃあいけないんですか? みんなこうやっているんじゃないんですか?」と目を丸くしてのたまったという……。
*「マーフィーの法則」
――上司はおごってやった数を覚え、部下はおごってくれなかった数を覚える……。
*「新ことわざ集」
――天は二物とも与えず……。
よく「天は二物を与えず」というようなことを言う。
すなわち神様は一人の人間に一つの取り柄を与えることはあっても、二つ三つと立て続けに与えることはない。長所だらけの完璧な人間などいない、という教えなのだが、考えてみれば世の中の大半は、たった一つの取り柄さえ持ち合わせないダメ男ばかりなのだ。
そんな彼らにふさわしいのは、残念ながらやはりこの冒頭のことわざだろう……。
*「新サラリーマン川柳」
――菜の花や 仕事はあいつに 手柄はオレに
確かにサラリーマンの社会に暮らしていると、川柳にして笑い飛ばす以外、耐え難いような理不尽にぶち当たることがある。
上記もやはりそんな私が、サラリーマン時代に詠んだ川柳である。
本歌は言うまでもなく与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」。だが実際に歌われているのは、当時の私の直属の上司である。
文字通り仕事はすべて部下に押しつけて、手柄は横取りするその上司のやり口が腹に据えかねて、パロディーの形で諷してみたというわけだ。
ちなみにその上司に長男が生まれ(若い会社だった)なにがしかの出産祝いを贈る羽目になったとき、腹立ち紛れに作ったのが次の一句である。
――インチキ野郎には インチキ野郎の子が生まれ……。
ちょうど蛙の子は蛙というように、こんなに薄汚い上司の息子はきっと同じような卑劣な人間に育つだろうという、今思い出してもすさまじい、怨念のような悪意がこもっている……。
*「あまり聞きたくないもの」
――水洗便所のせせらぎ……。
*「無意味な言葉遊び」
――履物はいつも笑っている。
靴はくつくつ、下駄はげたげた……。
*「言い間違え」
――間違えて、「男の股間にかかわる」と言っちゃった奴……。
言うまでもなく正しくは「男の沽券にかかわる」である。――
*「とんでもない奴」
――俺は無遅刻無出席だ、と言って威張っている奴……。
*
――「譲りあいの精神」で、責任を譲りあっている奴ら……。
*
――交通事故で頭を骨折して、あわてて接骨院に行った奴……。
――その骨折を、「えいやっ」と気合いを入れて、治そうとした……。
「ほら呻き声が止まったでしょ」って? それって、くたばっちまったんじゃあないのか?! ――
*「無意味な言葉遊び」
――とっとも物欲しそうな物干し竿……。
*
――三度のめしよりラーメンが好き……。
*「情けない奴」
――家内安全のお守りをしていると思ったら、女房が暴力妻だった奴……。
「家内」って、そっちの家内かよ! ――
*「搾取」
ある飲食店の女店主は、目一杯の安月給で従業員をこき使って、儲けた金をたんまりと貯め込んでいる。
あんまり搾取がきついので、従業員の間ではひそかに「取り上げ婆」と呼ばれていた……。
注 「取り上げ婆(ばばあ)」とは今で言う助産婦のこと。出産の介助をして赤ん坊を「取り上げる」年増の婦人のことである。
*「変な男」
昔ある男が、死体の口元に耳を押し当てて、「こいつさっきから全然息してないぞ。 すげえ奴だ。」と感心したという。――
*「情けない奴」
――泉に映った自分の姿があまりに醜いので、水仙になってしまった奴……。
言うまでもなくギリシャ神話の、ナルシスのパロディである。
ナルシスは泉に映った自分の姿のあまりの美しさに水仙に変じたというのだが、もちろん泉に映るのはいつでもそんな美少年の姿ばかりとはかぎらない……。
*「物は言い様」
あまり手癖のよくない息子が、あげた覚えのない小遣いを持っているのを見て問いつめると、「拾った」のだと言う。
――嘘をおっしゃい。拾ったのならどこで拾ったのか言いなさい。お母さんが返しに行くから。
そう叱りつける母親の激しい剣幕に恐れをなした息子は、それでも意地を張って「嘘じ
ゃないよ。のポケットから拾ったんだ」と言い張ったという。
*「コピー」
ある高校生の姉妹は、さすがに姉妹だけあって、顔立ちはうり二つである。
だがしかし、目鼻の一つ一つはその通りそっくりであるにもかかわらず、全体に与える印象はなぜか姉は美人であり、妹はそうではない。
そんな可哀想な妹は、口さがない周囲の連中から「姉ちゃんのミスコピー」と呼ばれている……。
*「おめでたい奴」
世の中には本音とはずいぶん違う「社交辞令」というものがある。
例えば縁談を断るときに「お宅の息子さんはうちの娘にはもったいない」などと言う常套句がある。
本当にもったいないほどいい男なら断るわけはないのだから、ただの肘鉄砲を波風が立たないように表向きだけ繕ったにすぎないのだが、ある男はそんな世の中の裏表が少しもわからずに、「そうか、俺はもったいないか!」とさも嬉しそうに相好を崩したという……。
*「セミプロ」
たいていの大学には、スポーツ推薦という制度がある。
高校時代にそれぞれの競技で優秀な成績を収めた生徒は、ただそのゆえをもって、学科試験の成績にかかわらず入学を許可される。
大学生のスポーツ大会で常勝軍団と呼ばれているような連中は、ほとんどがこの推薦組で、「名門大学なのにスポーツも強く、文武両道だ」などと感心しているのは、とんでもない心得違いなのである。
現に某大学の某学部などは「故障して試合に出られなくなると、大学を自由契約になる」と、まことしやかに噂されている……。
*「物は言い様」
よくスポーツ新聞などに「奇蹟の優勝」のような見出しが踊るが、あれってつまりは「まぐれの優勝」というのと、一体どう違うのだろう?
*「枕詞」
奈良の枕詞といえば「あおによし」である。
「青と丹(に)の色で美しい」の意というが、そんな語源は知らなくとも、ただ音の響きを聞いただけで典雅な古都の情景が目に浮かんでくるから不思議である。
――あおによし奈良の都の……。
かつてある男が、この「あおによし」を「あおみどろ」と言い間違えたことがあった。「あおみどろ」とは言うまでもなく水田などにとろろ昆布のように繁茂する緑の藻で、濁り水を青く見せるその薄気味悪い姿は、こちらは古都の典雅とは似ても似つかない……。
*「単なる言葉遊び」
――お骨折り頂き有り難う 首の骨……。
よく「いろいろとお骨折り頂きまして有り難うございます」というようなことを言う。 ここでの「骨を折る」は、もちろん他人のために労苦をいとわず力を尽くすことを指す。 実際の骨折とは違うし、ましてや首の骨を折ってしまっては、いまさら感謝されたところで到底浮かばれない……。
*「とんでもない奴」
――ソーセージは牛のポコチンだと信じて疑わぬ奴……。
もちろんソーセージとは、羊の腸に挽肉を詰めた物を薫製にして作られる。間違ってもその男性器を引き抜いて、食しているわけではない……。
*「倦怠期」
その昔、
「うちの夫婦もそろそろ倦怠期でね……。」
とため息を付く男に、友人が冷ややかに言い放った。
――フライドチキンでも食べたら?
注 言うまでもなく「ケンタッキーフライドチキン」という駄洒落である。家族の問題を真剣に打ち明ける友人に対して、あまりにも悪のりした残酷な助言であった。
*「不謹慎」
その昔「もったいないお化け」というコマーシャルが流れたことがあった。
食べ物を粗末にした子供たちに、粗末にされた人参やら大根やらキュウリやらが、夜中になるとお化けになって襲いかかる――という内容のアニメーションで 、子供たちに好き嫌いをなくし、食べ物を大切にすることを教える、公共広告機構の教育キャンペーンであったと思う。
ちょうどそのころ、ある美少女アイドルが高層ビルから飛び降りて自殺する、という事件があった。
翌日酒の席で事件のことが話題になったとき、趣味の悪いシックジョークの好きな同僚が、突然こんなことを言い出した。
――自殺の現場には、もったいないお化けが出るらしいぜ。
真意を測りかねていぶかる仲間に、くだんの男はこう謎解きをしてみせた。
――もったいないじゃないか。自分で死ぬくらいなら、その前に俺に一発やらせろよ、ってことさ。
あまりにも不謹慎な発言に、周囲が眉をひそめたのは言うまでもない。
その中の一人は厳しい口調で、こう言って男をやりこめた。
――馬鹿なこと言うな。お前にやらせるくらいなら、誰だって身投げして死ぬさ。
*「お粗末」
私の友人に、傍目にもそれとわかるほどの巨根の持ち主がいた。
だがしかし本人の談によれば、そんな羨ましい外観にもかかわらず、ある性能の欠陥のために、女性を満足させるには至らないのだという。
その性能の欠陥とは……いずれにせよ、その一件が知れ渡って以来、友人は仲間内で 「4・7インチ速射砲」という、あまり有り難くないあだ名を頂戴することになるのである。――
*「赤面恐怖症」
その昔あるところに、酒好きの高校教師がいた。
朝まで飲み明かして、そのまま学校に来るようなことも珍しくなく、本人は大丈夫なつもりでも、周囲はちゃんとすべてをお見通しである。
「だって先生、今日は顔が真っ赤じゃないですか。」
担任の生徒たちにそう言ってからかわれた教師は、もつれる舌で必死なって言い訳したという。
「せ、先生は酔っぱらっているんじゃないだ。先生はただ、恥ずかしいんだ。――」
*「嘘のような話」
最近は多くの神社に「お神籤の自動販売機」なるものが置かれている。
自らの運命を宣べ伝える厳粛な神事を、いかにも安造りの機械に委ねてしまうというのは、少しばかり気が引けるところがある。
だがしかしよく考えてみれば、昨今はお神籤自体が大量生産の印刷ものばかりだし、引く方もただの遊び心の場合がほとんどだから、目くじらを立てるようなものでもないのかもしれない。
かつてある男が、くだんの自動販売機に百円玉を入れて説明書き通りにレバーを引いたが、一向にお神籤らしきものが出てこない。
神社の受付に苦情を言うと、
――それが大凶です……。
とあっさりあしらわれたという。
おいおい、俺の運勢はボラれっぱなしの人生か!
*
さて、続いて次の男がレバーを引くと、販売機の取り出し口にはお神籤の代わり「なめくじ」が飛び出してきた。
神社の受付に苦情を言うと
――それも大凶です……。
とあっさりあしらわれたという。
んなわけないけど。さすがに。
*「利便」
その昔、携帯電話がようやく出回り始めた頃、真っ先に買い求めた連中が、その便利さを吹聴していた。
ある者は「メシを食いながらでも電話に出られるのがいい」と言い、またある者は「トイレで糞をしながらでも電話を掛けられるのがいい」とずいぶん尾籠なことを言う。
そんな携帯賛歌を締めくくるように、最後にある悪趣味な男が、真顔とも冗談ともつかぬ口調でこう言い添えた。
「トイレで糞をしながらメシを食っていても、電話ができるのがいい。――」
*「クローン」
その昔クローン羊のドリーのニュースが流れたとき、職場でもクローンのことがひとしきり話題になった。
はたしてこの技術を使って、自分の分身を作ることが可能かどうか。可能だとしたら、それを望むかどうか。
そんな議論の最中に、どういうわけか最も強く「分身」を望んだのがA君だったが、このA君は、その超肥満の暑苦しい体型と、鈍感を通り越して無神経な性格のために、みんなから煙たがられる存在だったのだ。
そのことをとらえて、ある口の悪い同僚が冷ややかにこう言い放った。
「そりゃクローン人間じゃなくて、クローン豚だろう。――」
*「物は言い様」
その昔職場に大層身勝手な同僚がいた。
他人の仕事の遅れには容赦ない罵声を浴びせるくせに、本当は当人が最も締め切りにずぼらである。
平気で無断欠勤をしておきながら、他人の遅刻にはねちねちと嫌みを垂れる。――
あるときついにたまりかねた周囲が、同僚をつかまえて厳しく意見したことがあった。
「自分のことは棚に上げてよく言うよ。お前は。」
だがしかしたしなめられた本人は、平気な顔でこううそぶいたという。
「自分のことは棚に上げなきゃあ、客観的な判断はできないじゃないか。――」
*「無意味な言葉遊び」
――ほっと安堵の屁……。
単なる「安堵のため息」の語呂合わせだが、確かに安心したときにつくものは、ため息ばかりとはかぎらない。
ときには下の方の穴がゆるんでしまうことだって、大いにありそうなものである。――
*「お下劣ななぞなぞ」
Q 思い切り射精のできる海峡は?
A ドーバー海峡
注 もちろん射精の際に実際に「音」などはするはずもないが、何であれ体内から体液が放たれる際には「ドバー」という擬音語がつきものである。
*
Q とってもムカつく北の海は?
A ムカーツク海
注 単なる「オホーツク海」の駄洒落
*
Q 人生に絶望した関西人が入水自殺する北海道の湖は?
A 阿寒湖
注 確かに彼らの平生の口癖は「アカン」である。
*「人生の皮肉」
――糟糠の妻を娶ったと思ったら、糠味噌ばばあだった……。
注「糟糠の妻」とは酒かすと米ぬか(=糟糠)のような粗末な食物を食べていた貧しい時代から生活を共にし、後の立身出世の支えとなった妻のことである。
*「無意味な言葉遊び」
――なげやりな、槍投げ
*
――酒のみ百姓……。
注「水飲み百姓」の駄洒落。
*
―― 故郷に錦蛇……。
注 「故郷に錦を飾る」の駄洒落。
*
――御徒町のおかちめんこ……。
注「御徒町(おかちまち)」は東京の地名、一方「おかちめんこ」とは器量の悪い女性を罵る俗語である。
*
――ポイする乙女……。
注「恋する乙女」のもじり。次々と男を捨てて(=ポイして)、新しい彼氏に乗り換えていく少女のこと。
*
――トランタンの皮算用……。
注「取らぬ狸の皮算用」のもじり。「トランタン」はフランス語で三十才のことだが、同名の女性誌があったことから、日本では三十代の女性のイメージがある。
確かに三十代ともなれば、発想も次第に現実的となり、「あの男と結婚できれば、年収はいくらだから……。」などという皮算用と縁がないともかぎらない……。
*「ガリレオ」
ぐてんぐてんに酔っぱらったガリレオが、思わずつぶやいた。
「地球は回っている。――」
*「勘違い」
大酒喰らいでついに肝臓を悪くした男が、嘆いて言った。
――あんなに毎日鍛えたのに……。
注 肝臓の場合は、筋力の強化とは違い、「負荷を掛け続ければ鍛えられる」という原理は当てはまりません。念のため。
*「物は言い様」
「海外旅行」=「高跳び」
「着痩せ」=「ぬぎぶとり」
*「無意味な言葉遊び」
――しょせん世の中は、狐うどんと狸蕎麦……。
注 「狐と狸の化かし合い」の駄洒落。
*「ありそうでないもの」
――悪魔にタマタマを売った男……。
「悪魔に魂を売る」はよく聞く話だが、しょぼくれた中年男の男性器など、悪魔もけっして欲しがらないにちがいない……。
*「嘘のような話」
私の友人に、ギャンブル狂の男がいた。
賭け麻雀に賭けゴルフ、あげくのはてには賭けボーリングまで、何でもござれである。
さてあるとき、立ち食いそば屋で「かけそば」のメニューを目にしたかの友人はとたんに目を輝かせて、店の主人にこう質問したという。
「大将、あれはどういうルールだ?」
*「とんでもない奴」
テレビの番組やら、有名人の本やらが火付け役となって、思い出したように「健康法」のブームが起きるが、どの場合にも「朝一番」は大切なテーマだろう。
「朝起きたら青汁をコップ一杯きゅーっと飲み干す」などというのは、そんな健康法の典型なのにちがいない。
さて私のある友人は、その健康法を問われて、
「朝起きたら水割りをきゅーっと一杯やる」と答えたという。
そ、それは健康法ではなくて、ただのアル中では……。
*「似て非なるもの」
――目から鱗が落ちたと思ったら、コンタクトが外れていた……。
*「ありそうでないもの」
――絶世のブス……。
*「何かが違う」
その昔、まだ競馬で枠連が主流だったころ、同枠の馬の一・二着ばかりを好んで狙う、「ぞろ目党」なる人種がいた。
知り合いの蕎麦屋のおやじもその一人で、あるときテレビの競馬中継に見入っていたこのおやじは、レースの結果が7―7であることを確認すると、天を仰いでこう嘆いた。
「6―6と8―8は持っているんだけど。惜しいなあ……。」
*「不思議」
週刊誌の吊り広告などで最も目立つ言葉は、何といっても「美人」の二文字だろう。
――美人女子大生謎の失踪。
――美人女医の裏の素顔。
などというように、何かにつけてこの二文字が踊る。
理由はもちろん明らかだった。この手の雑誌は男性の読者がほとんどだから、その助平な好奇心を刺激することで、売り上げを伸ばそうというわけだ。
だがしかし、ここで一つの疑問が生じる。
「美人」と冠することで必ず売り上げがあがるなら、いつでもそのようにすればいいものを、時々はそうでないこともある。ただ単に、
――女子大生謎の失踪。
――女医の裏の素顔。
というだけで、得意の枕言葉が姿を現さない場合も確かにあるのだ。
だとしたら、それってひょっとして、やはりそう書きたくても到底書けないような、ご面相だということなのだろうか……。
*「違法行為」
八月といえば、高校野球の季節である。
純粋なる若者たちの汗と涙のプレーに感動して、日本中の大人たちが声援を送る。
だがしかし、この場合もまた、すっかり性根の腐りきったギャンブラーの場合は、話はそう簡単にはいかないようである。
あるとき、ギャンブル仲間の一人が、なぜか甲子園のテレビ中継に夢中になっている。不思議に思って、
「お前、賭けてもいないのに、よく高校野球なんかに熱くなれるな?」
と問いかけると、くだんの友人は少々気色ばんでこう答えた。
「馬鹿なこと言うな。ちゃんと賭けてるよ。――」
*「墓穴」
あるとき、交番に落とし物の財布が届けられた。
中身をあらためると、一円の金も入っていない空財布である。
いぶかしがるおまわりさんに向かって、拾い主はこう言って弁解した。
「俺が抜いたんじゃあないんだ。俺が抜こうとしたときには、もうなかったんだ。――」
*「言い間違え」
――「危ないところで」を「惜しいところで」と言っちゃった奴……。
「被害者の男性は、駆けつけた警察官によって惜しいところを救出されました。」とやらかしたアナウンサーに、抗議の電話が殺到したのは言うまでもない。
2021年3月18日 発行 初版
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