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夏が過ぎ、やや涼しさを増していた九月初頭の午前、戦後の八郎潟の干拓によって出来た人工の村、秋田県大潟村の、秋田県道四二号線上にあった、道の駅おおがたの周囲は晴れ割っていたが、突然黒い霧がその上空に発生し、道の駅おおがたもその影に覆われた。
「これは……末鏡ではないか……復活したのか……。これはよい……」
やがてその上空から、低い男性の声がした。しかしそれは一瞬で、また歩行者もまばらだったので、それに気づく者はいなかった。
一方その日の夕方、宮城県松島町も、同様に涼しさを増していた。
同町の松島第一小学校に面したコンビニの裏側には野原が広がっていた。
その中に、地元のサッカー部のユニフォームを着た五名の男子中学生が集っていた。四人が残りの一人を囲みながらだった。四人は囲まれていた一人に向かって怒号を次々と発した。
「お前は確かにサッカーの技術はあるが、なんでいつも補欠なのか教えてやろうか? お前は深夜アニメを見ていると言っていたな。それが俺たちとの違いだ! 深夜アニメのおおよそのメッセージは、自分の中の理性の重要さを発見させてしまう! 逆に俺たちサッカー部は、あたかもバラエティテレビで流れてくるコマーシャルのように、表向きのきれいごとが美しく整備された中で、人間個人の理性を破壊して全体主義を尊ぶことを、間違うことなく確実に叩き込む! 例外もあるのかもしれないが、それはほんのわずかなのだ!」
「その通り! だがしかし、お前たちは善良だから洗脳がしやすい。だから、お前たちこそが犯罪者の多数を占めていて、俺たちは善良者だという洗脳が、東京に奠都がなされてからというもの、とても容易くできる!」
「その通り! だからこそ、俺たち体育系が好んで自己正当化のために用いていた『適応』という単語は、今やそれは即ち、我が国始まって以来、正義の者が発する言葉に転身できた! そしてお前たちが過去から尊く脈々と古典で受け継いできた只管打座や主客未分離は悪が発する言葉に転身させられたのだ! まったくこんな愉快な状況を享受できるとは、ちゃんちゃらおかしい、面白過ぎて笑いが止まらないぜ!」
四名のうち三名が特に怒号を囃し立てた。
「なあ、そうだよな!」
やがてそのうちの一人は、囲んでいたもののあまり喋らなかったもう一人に聞いた。
「あ、ああ……」
彼は小声で同意した。
(なんかおかしい……確かに俺もこいつを『いじって』楽しんでいた……。もちろん俺としては冗談のつもりだった……、但し、やられる側のこいつがどうだったかどうかを確かめることは、いつの間にか省いていた……、何しろ、こうやって、周囲にどんどん、とても急速に、俺と同じ『いじり』を楽しむやつらが増えてしまったから……。本当は俺はこれはおかしいと思うのだが、こっち側につくべきなのだろうか、保身というものもあるし……)
彼は頷きながら少し思案した。
(ククク、お前が実はいじめられているこいつの味方になりたがっていて、渋々俺たちと同じ行動を取っていることは、お前はそれで保身が図れるとか、そんな算段なのかもしれないが、須らく、お前のようなタイプは考えていることが筒抜けだ! こいつが酷い目に遭う頻度と、そうやって保身を図ろうとするお前が酷い目に遭う頻度、ごく一部の例外以外はっきり言えばほぼ変わらないぞ、その徒労はどこから見ても砂上の摩天楼のようだ、見ていてこいつも面白過ぎてたまらない、表にはまだ出すのは早いが、笑いが止まらないぜ!)
一方、彼に声をかけた者も内心で思考した。
「さて、今日はトレーニングをしようじゃないか。もちろん、お前の胴体を使ってな」
そのうちの一人がニヤリと笑って言い放った。
「や、やめてよ、どうしてこんなことするの?」
取り囲まれていた少年は怯えた。
「どうしてだと? ハハハ! こいつは面白い! こんな面白いこともそうそうないぜ!」
「ああ、まったくだぜ! こいつ、人間としての心がサッカー部に通じると思ってやがる! 自然災害だとでも思えばいいのにな!」
「ああっ!」
そう言いながら彼は取り囲まれていた一人の腹部に右の拳を叩きこんだ。取り囲まれていた方は叫ぶとその場に蹲った。
「クククッ、次は俺の番だな、お前の骨を折るのが俺の今日の健康トレーニングの輝かしい目標だ!」
さらにもう一人が言った。
「い、いや……」
それを聞いた、取り囲まれていた方がさらに怯えた。
そのとき、どこからか馬の掛ける音がした。
「へ……」
「な、なんだ……?」
彼らは突然のその音に驚かされた。
「わっ!」
すぐ直後、彼らのうちの一人の傍を、一匹の白馬が駆け抜けた。そしてその白馬はUターンして、中学生たちを見下ろした。
「クククク、このようなところに、鬼玉を生み出している人間がいるな」
「え……」
「喋った……?」
その白馬が人語を話したことで、彼らはさらに驚いた。
「大人しくしてもらおうか」
白馬はそう言うと中学生らの方へと駆けた。
「ひいいっ!」
そして、先ほどまで威勢のいい言葉でいじめに加担していたそのうちの一人の、首ねっこの部分のユニフォームを掴み、空中に上げた。
「た、助けてくれっ!」
彼は叫んだ。しかしサッカー部員たちには、彼を助けるだけの勇気がなく、その場で腰を抜かしつつも、じりじりと後退し始めていた。
その頃、京都市中・上京区にある地下鉄丸太町駅のコンコースを、小学生の珠洲、耐、雲雀と、宝心寺の近所に住んでいて、図書館を通じてその三名と親しくなった大学二回生の青年、相川正(あいかわただし)大学生の正の四人、所謂『図書館組』が北に向かって進んでいた。
「北西だから……こっち……だよ」
「—―」
「うん……」
「了解だよ」
正のガイドに対し、珠洲は紅潮して小さく頷いた。耐はきょとんしながら、雲雀は快活に返事をした。そして、彼らはその真上にある烏丸丸太町交差点の北西角にある二番出口を出た。
「御所の前だ……」
耐が呟いた。
「うん……。このままもう少しだよ」
「はーいっ」
今度は耐が快活に返事をした。
そして、彼らはそのまま烏丸通を北に進んだ。そして途中、洋菓子屋や、今は高校の門として移築されている、四親王家の一で、かつては建礼門の付近にあった旧有栖川宮邸の門などを横目にしながら、蛤御門の手前まで来た。
「あそこにも門があるよ」
「うん、あれ、蛤御門だよ」
雲雀の呟きに正が答えた。
「それより……こっちの歩道の壁に……」
「え……わぁ……」
今度は珠洲が小さく歓声を上げた。そこは神社の塀だったが、昔話のストーリーが描かれていた。
「これ、何のお話だろ……?」
「六月に、この先、烏丸今出川に行って、みんなその時に会ったって聞いてるけど、ここ、今日の目的地、護王神社の祭神、和気清麻呂さんの伝記みたいだよ」
耐の疑問に正が答えた。
「あっ、ここが護王さんの……」
「うん……」
それを聞いて耐や雲雀は感心したように頷いた。また、珠洲も少しうれしそうに小さく頷いた。
「じゃあ、入ろう」
「うんっ」
正と三人は楼門をくぐった。
「あの、あれ、狛犬……? 形がなんか……」
「うん、あれ、イノシシだよ」
雲雀の疑問に正が答えた。
「清麻呂さんが流罪になったときに、イノシシの群れに助けられた故事があるみたいなので」
「ほほぅ」
雲雀が答えた。
「京都が造られるきっかけになった人なんだけど……神社が高雄の神護寺からここに遷座してきたのは、明治一九年、奠都がなされてから結構後みたいだよ。大典は内裏でやっていたから」
「そうなんだ……」
珠洲は感心したように小さく頷いた。
「烏丸今出川では確かに人々に失望した隙を末鏡に付け込まれた神霊たちもいたけど……、ここで内裏を護ろうとしているから、護王さんはきっと、珠洲ちゃんたち天路の従者の姿を見て、それを幽世に返そうと考えたのかもしれないよ」
「えっ……」
「そ、そうなのかな……」
正の説明を聞いて、珠洲と耐は少し紅潮した。
「うん、きっと……」
「そうかぁ……よかった……」
一方、強調する正を見て、雲雀は安心し頷いた。
「ねえ、お参りしようよ」
耐が言った。
「うん……」
「そうだね」
「おーけーっ」
その言葉に、珠洲が頷き、正、雲雀も同意した。
そして四人は拝殿の前に並び、賽銭を投げた後、各々二礼二拍一礼をした。
「あれ、あっちは……?」
その後振り返った雲雀が目を楼門の付近にやった。そこには授与所があった。
「あ、授与所……お守りとかお札を売ってる場所だよ」
「ふむ……」
雲雀は頷きながらそこに近づいた。
「お守り、いろいろな種類があるんだね……」
「イノシシに絡めたのもあるみたい」
珠洲と雲雀が言った。
「あれ、たあくんは何を……」
「上に見本として掲げてあるお札とかを見てるんだ……、まあ、こういうのは昔からのものなんだけど、最近はあまり目立たないよね……」
「うん……」
雲雀が申し訳なさそうに頷いた。
「実は……私としては、それよりも、さっき途中で通り過ぎたケーキ屋さんに興味があったり」
耐が小悪魔っぽく笑いながら言った。
「ちょ、ちょっと待って、今はもう夕方だから、晩御飯が近いし……」
それを聞いた正は慌てた。
「もう、ほーたえはっ」
雲雀がたしなめた。
「えへへ、冗談だよ、たあくん、ごめんなさいっ」
「んもぅ~。耐ちゃんってば」
正も困惑しつつ耐に注意した。
「あ……でも、のどは少し渇いたかも」
雲雀が再度言った。
「あっ……そういえば割と歩いたかな。水分補給が要るよね……さっきの自販機のところに行こう」
「うんっ」
「はーい」
正の提案に三人も頷き、そして彼らは護王神社の境内を出、少し南に向かった。ちょうど小路の角に自販機が設置してあった。
「僕が出すね。みんな、何にしよう?」
正が子どもたちに尋ねた。
「炭酸のオレンジがいいかな……」
耐が率先して言った。
「それ、多分香りだけのやつ……」
「えへへ、たまにしか飲んでないって」
雲雀の指摘に耐ははにかんで説明した。
「私は……りんごのをお願いしよかなぁ……」
雲雀が言った。
「あ、私……天然水……そう言えばたあくんは?」
珠洲が正に聞いた。
「僕も……微糖のコーヒーにするよ、立ちながらだけど、少し休憩しよう」
正が言った。
「うん……えへへ、たあくん、ありがとうっ」
珠洲が正の前で珍しく快活にはにかんだ。
「うん、たあくん、ありがとう……」
逆に耐は恥ずかしがりながら礼を言った。
「ありがとうっ」
続いて雲雀が明るく礼を言った。
「はは……どういたしまして」
正はそれを聞いてからみんなに返礼した。
「落ち着くよね……みんなで居ると」
「……そうだね……」
耐、雲雀、珠洲が続けて言い、少し紅潮した。そして四人は飲み物を口にしつつ、ぼうっとして頭を休めた。
「みんな!」
「いたいたー」
その時、唯と司の声がした。四人が南の方を向くと、彼らの背後から、他の天路の従者である美濃、司、唯、と新蘭の姿があった。
「移板できたんですね……」
正が新蘭の方を向いて言った。
「はい……」
新蘭は申し訳なさそうに頷いた。
「末鏡……今度はどこなの?」
「東北だって……、宮城県松島町」
耐の問いかけに司が答えた。
「うわ……最遠記録更新だね……」
雲雀が苦笑して言った。
「うん……わかった……」
一方、珠洲は新蘭の方を向いて真顔で頷いた。
「すみません、また、お願いします……」
新蘭があらためて言った。
「弘くんと淡水ちゃんは、また委員会のお仕事?」
「うん、そうだよ」
「了解っ」
耐の問いかけに司が答えた。
「みんな、大丈夫?」
「うんっ」
「もちろん」
続いて、珠洲の問いかけに、耐と雲雀は答えた。
「あ、みんな」
「え……」
そのとき、正が珠洲に呼び掛けた。
「みんなのお家にも門限があると思うから、早めに帰ってきてね」
正は続けた。
「うん……」
「了解だよ、相変わらず、門限は厳しいから」
耐と雲雀がそれぞれ頷いた。
「私も……また、みんなと一緒に、たあくんのもとに帰ってくるよ」
「うん……」
珠洲が言い、正はそれに頷いた。
「じゃあ……、みんな、行こう」
「うん……」
唯が言った。すると珠洲、耐、雲雀の三人も頷き、少し新蘭の方に寄った。
「いってらっしゃい」
正は笑顔で子どもたちに言った。
「はい……」
「いってきます……」
美濃、珠洲らがそれに答えた。
そしてその次の瞬間には、新蘭と六人の子どもたちは薄い緑色の球体の光に包まれ、すぐにその光ごとその場から消えた。
(待ってるよ……)
一人、引き続き烏丸通の歩道にいた正は心の中で呟いた。
宮城県松島町の第一小学校付近の草叢の中では、引き続き白馬が一人の男子中学生の首根っこを掴んでいた。
「に、逃げるんだ……」
「あ、ああ……」
その一方で、他の中学生たちは腰を抜かし、逃げると言いつつもその場から逃れることすらできなかった。
「ま、待ってくれ! 助けてくれよ!」
首根っこを掴まれていた中学生が嘆願したが、他の中学生たちはそれを無視した。また、それと同時に少年の衣服の下から漆黒の霧が出始めた。
「鬼玉か、フフフ……」
白馬は鼻からその霧を吸い始めた。
「ああっ、痛い! 痛いっ!」
掴まれていた彼は苦痛を訴え始めた。
「ひっ……」
それを見ていた他の中学生たちはさらに恐ろしさを感じた。
「その人を離してくださいっ!」
そのとき、草叢に耐の声が響いた。
「ん……?」
白馬は顔をその方に向けた。そのさきに、耐の他、合わせて六名の子どもたちと袴が薄茶色の巫女装束の新蘭がいた。
「……」
「うわっ!」
白馬はそれを見て口を開け、少年を地面へと落とした。
「天路の従者か……ちっ、先に始末しないと厄介だな」
白馬は呟いた。
「あの……、あなたはどちらの神霊さんですか? 末鏡の惑いを受けていますよね」
司が尋ねた。
「我は蒼前(ソウゼン)という……蒼前様と呼ぶがよい。関東、東北を広く根拠地にしている。馬の守護神であり、正月などに人間は、厩に我の神札を貼り、祈祷を実施している……。天路は都の童と聞くが、そのような者に戻される我ではない……!」
「蒼前さん……?」
珠洲が呟いた直後、蒼前様と名乗った白馬は、その口を大きく開けた。その中が白く光り始めた。
「えっ……?」
それを目にした耐は不審に思った。その直後、その光は小さな球体となり、二発続いて、珠洲と美濃の方に飛翔した。
しかしその場にいたはずの二人の姿はなく、その光の球はそのまま草叢の奥の方へと緒を引いて飛んでいった。
「な……?」
それを見た蒼前様は驚かされた。
「どこへ……」
彼は首を左右に振った。その背後で、光筒の力で瞬間移動をしてやってきていた珠洲と美濃が彼に注目していた。
「!」
それに蒼前様が気づいた直後、二人の光筒の先から光弾が飛び出し、蒼前様に直撃した。
「……ぅうっ!」
蒼前様はそれを胴部に受け、その場に横倒しにされた。また、その傷口から一気に濃い紫色の霧が噴き出し、その体を覆い始めた。
「—―」
「……」
珠洲と美濃はそのまま警戒を続けた。
「やった……?」
「……わからない……」
一方蒼前様を挟んだ反対側で、耐と司とが呟き合った。
「ほーたえ! 司くん!」
「え……」
その直後に雲雀が叫んだ。さらにその直後に二発の白色に光る神幹が紫霧の中から飛び出し、それぞれ二人の方へ飛翔した。
「あっ……」
二人はそれを避けようとしたが間に合わず、肩と脇をそれぞれ掠られ、その場に仰向けに倒れた。
「二人とも……!」
それを見て、傍にいた唯と雲雀が慌てて駆け寄ろうとした。
「おっと……待ってもらおうか」
紫霧の中から蒼前様の声がした。そしてその直後にその霧は晴れていき、彼の胴の傷口へと吸い込まれているのが見えた。
「我とて、まだ回復できる……」
霧の中から、再び立ち上がっていた蒼前様はそう言うと、また口を開けた。
「……?」
そしてその中から再び二発の白色の光が飛び出した。しかしその速度はやや遅く、また飛翔中に形を変え、鎌の形となり、発光しなくなった。
「ひっ……!」
「わっ……」
それは雲雀と唯の傍を通過した。
「七二候はこの東北でも知られている……、第四二番、禾乃ち登る(かすなわちみのる)はちょうど今、九月上旬のものだ。禾とは稲だ。ここでは少し遅いが、稲が実るということだ。そしてそれを刈るために農民たちは稲刈鎌を用いる……、もちろん、我のこの時期の神能としても、適切なものだ!」
蒼前様は二人に向かって言い放った。
「雲雀ちゃん、後ろ!」
その直後に唯が雲雀に向かって叫んだ。
「へ……あ……」
稲刈鎌はUターンをして二人の方へ再び飛んできた。そのうちの一つは途中で高めの草に絡まり、二人とは違う方に少し飛び、落下した。
一方もう一つは雲雀に向かって真っ直ぐに飛んできた。
「痛っ!」
それは避けようとした雲雀の脇腹に数センチほど入ってから飛んでいき、蒼前様の手前で落下した。
「雲雀ちゃん……!」
珠洲が叫び、蒼前様の方に光筒を向けようとした。
「天路、遅し!」
しかしそれより先に、蒼前様の口内には神幹ができており、それは雲雀の方へ飛ぼうとしていた。
「い、嫌……」
雲雀はそれを見て怯えた。
一方蒼前様は雲雀に向けて口から神幹を放った。
――バン!
直後、空中で破裂音がした。
「え……」
雲雀は自分への衝撃の代わりにそれが聞こえたことで硬直した。珠洲、美濃らもそれを見て驚き目を白黒させた。
「間に合うものですね、放たれる直前の停止中の神幹を捕捉すれば……」
そのとき、雲雀と唯の背後、蒼前様の正面から男性の声がした。
「……?」
珠洲がその方に目をやると、蘇芳の狩衣を着用した初老の男性がそこにいた。
「あの、あなたは……」
唯が恐る恐る声をかけた。
「私はウンナンと申します。ここ宮城、岩手を根城としているモノです。近世、新田開発以降の水害を鎮める、水や田にて神として知られています」
その男性はウンナンと名乗った。
「ウンナン……さん……?」
「はい……、様づけの方が多く、さんづけで呼ばれるのは少し慣れないですが、まあ構いません。それよりも……」
唯の問いかけにウンナン様は再度頷き、続いて蒼前様の方に目をやった。
「蒼前が今や末鏡の惑いを受け、現世に姿を顕す事態となっています、あれを幽世へと戻さないといけません、天路殿、お力添えをお願いしたいのです……お仲間のお怪我も不安でしょうが、今はそれが先ではと」
ウンナン様はまた唯の方を向き、彼女に言った。
「え……あ、はいっ、そうですね」
唯は彼の言葉に頷いた。
「では……」
ウンナン様は右手に神幹を白く光らせ始めると同時に、蒼前様の方を向いた。
「はいっ!」
唯もややウンナン様に近寄るとともに蒼前様の方を向いた。またその奥には珠洲と美濃とがウンナン様の出現を見て驚いていた。一瞬、ウンナン様は顔を下に向けた。
「……?」
唯はそれを少し気にした。
「ん……? あっ、いけません!」
「え……」
その直後、ウンナン様は再度顔を上げると、目を見開き、唯に向かって大声を出した。それを聞いた唯はきょとんとなった。
――ヒュン。
「—―!」
さらにその直後に唯の脇を神幹の白光の尾が通過し、唯は蒼褪めた。恐る恐るそれが飛来してきた、蒼前様や珠洲たちとも別の方、左の方を向くと、そこに深い紅色の縫腋袍の束帯を纏い、白髭を垂らした老人がいた。彼はその場でやや狼狽しているように見えた。
「あれは……、……! 何者かはわかりませんが、古装にて天路様を狙うとは、あの者も惑いを受けた神霊に違いありません! 直ちに光筒の用意をお願い申し上げます!」
ウンナン様は唯に早口で告げた。また自らも右手に神幹を光らせ始めた。
「は、はい!」
唯も慌てて言われるままにその老人を捕捉しようと、一歩前に出た。
「へっ……?」
その直後に、唯の左肩の後ろに熱さが走った
「ちっ……」
ウンナン様は老人の方ではなく、再び唯の方を向きながら舌打ちをした。
「あ……な……んで……」
唯はその熱さに耐え切れず、うつ伏せに倒れ込んだ。
「先ほども申した通りですよ、天路様を狙うとは、惑いを受けた神霊であると」
ウンナン様は唯に向かって言い放った。
「あと、そちらの二人も……」
ウンナン様は、蒼前様のさらに奥にいた珠洲と美濃に呼び掛けた。
「—―!」
二人は驚きつつも、慌てて彼を注視しようとした。
「不意がありましたね、もう遅いですよ!」
続いてウンナン様は右手を上に向けた。すると珠洲と美濃の眼前の空中が急に濃紫に光り出し、そこから数十匹ほどの鰻が現れ、宙を舞った。
「えっ……!」
「わっ……」
珠洲と美濃はすぐにその群れに絡まれ、手足と胴を縛られたままになった。
「ちょ……ああっ! やめてっ……!」
「ぎゃっ……いたっ……放しt……」
さらに鰻たちは二人に絡まりつつも体のあちこちを動かし、その体力を奪い出した。
「今は末鏡に惑わされるこの身も、虚空蔵菩薩の化身とも言われていますが……鰻は彼の使者、私を祀る田の地域は、鰻を食べることが忌みとされることも多い……、それは即ち私の最大の神能です、絡まったまま激しく動くので、そのまま体力を奪い尽くすでしょう」
ウンナン様は二人に向かって言い放った。
「あ……ああっ……あひ……」
「やめ……うごかn……ふあ……」
二人の嘆願の声は次第に乏しくなっていった。
「あ……やば……六人、全滅……」
それを見て、横たわっていた雲雀が蒼褪めながら呟いた。
「ぎゃああっ!」
「え……?」
その直後にウンナン様の叫び声がし、また、珠洲と美濃に取り巻いていた鰻たちが再び濃紫の霧と化した。その様子を見た雲雀も驚かされた。
「あ……」
「うg……」
美濃はそのままその場に倒れた。一方、珠洲は狼狽しながらも立ち、周囲を見渡した。すると、ウンナン様の姿は濃紫の霧に包まれており、その様子を、先ほどの白髭の老人が注視していた。
「え……」
珠洲はきょとんとして老人を見つめた。すると老人も彼女の視線に気づき、一礼し、左手で軽く手招きをした。
「……」
珠洲は一瞬戸惑い、軽く目を閉じ、また開けた。そしてその老人の傍へと光筒によるジャンプをした。
「えっと、こ、こんにちは……、朝霧珠洲と言います、洛内小四年二組です……、おじいさんは……?」
珠洲は右手に光筒を握りしめつつも、少し照れながらその老人に言った。
「あ、これは……。私はここから南西に二里、もとい一〇キロほどのところにある、塩釜神社という社の神霊です。ウンナンが惑わされていることは、その動きの不審さから察し、撃とうと思ったのですが、奴も攻撃の途中、私の神幹も追尾しましたが失敗し、奴から外れ、天路のお仲間の傍をも通り、まことに申し訳ございません……」
「そ、それは……仕方の……ないことで……」
珠洲はふらつきつつも、塩釜神社の神霊と名乗ったその老人をなだめた。
「本当に申し訳ない……、天路殿から見れば取るに足らない神霊にございますが……、これでも、末鏡に惑わされた神霊の返還の助力はできます。創建自体も神話内のこと、武甕槌命・経津主神による東北平定の際に、この地に留まった塩土老翁神が製塩を伝えたことによるとの話で、祭神は塩の神です。文献としては弘仁一一(820)年の『弘仁式』が初見です。産土的なものと思われるかもしれませんが、歴史的にも主要な社にて、近代には国幣中社に列しております。重要な社でありながら同時に産土的な性格も有するのは、相対的な周辺の社の少なさに由るのかもしれませんね」
塩釜神社の神霊は口上を述べた。一方、その間に、ウンナン様を覆っていた霧が徐々に薄らいでいた。塩釜神社の神霊はそれをチラ見した。
「さて、天路殿、それよりも今は……」
「……はい……」
珠洲も引き続きふらつきながらも、ウンナン様の方を注視した。
「な……く……このようなところで終わる我ではぁ……!」
傷口から霧を吸い込みながら、ウンナン様も二人の様子に気づき、狼狽した。
「あああがああっ!」
その直後に、珠洲は傍から叫び声を聞いて驚いた。塩釜神社の神霊はその場に倒れていた。「う……う……」
ただ、意識はあり、彼は傷口から濃紫の霧が出るのを必死に堪えていた。
「ひ……」
「だ、大丈夫……傷は浅いです……、ですが、私の霊力自体も弱く、すぐには動けないです……すみません……」
塩釜神社の神霊は怯える珠洲に言った。
「え……」
「ウンナンが我を狙い身構えていたが、その必要もないようだ……」
怯え続ける珠洲に向かって蒼前様が言い放った。
「今度こそ……お前を幽世に送ってやる!」
「い……嫌……」
蒼前様が怒鳴るのを見て、珠洲はさらに怯えた。
「く……移板の能源は……まだです……」
新蘭もその様子を見て、慌てて移板に目をやり、そしてやるせなく肩を落とした。
「喰らうがいい!」
蒼前様はさっと右手を上げた。
「ああああ!」
そしてそのすぐ後、彼は叫んだ。
「珠洲ちゃん!」
続いて弘明が珠洲を呼ぶ声がした。
「え……弘くん……」
珠洲はその声を聞くなり脱力し、腰を落とした。
「しっかりしてっ……」
次に淡水の声がした。彼女は珠洲のもとにジャンプしてくると、その体を支えた。
「委員会のお仕事、終わったよ……、大丈夫……?」
「ううん……。さっき、鰻さんにいっぱい縛られちゃって……実はちょっとへとへと……、美濃くんは、立てないくらい……」
「わかった……大丈夫だよ……、今から治癒するね……」
淡水が泣きそうになりつつも笑顔で告げ、すぐ珠洲に光筒の薄緑色の光を浴びせ始めた。
「あの二人だね……。ちょっと行ってくるよ」
一方弘明は、左右に立つ蒼前様と、まだ濃紫の霧に撒かれていたウンナン様の姿を見ながら淡水と珠洲に言った。
「うん……無事に戻ってきてね」
「わかった……」
弘明は淡水に告げ、すぐに光に包まれその場から消え、そして蒼前様の後方に飛んできた。
「は……!」
蒼前様はその気配に気づき、慌てて振り返った。
「—―」
しかしその後方にて、弘明は自分の方へと目をやり、既に光筒を光らせていた。
(注視して……)
「無駄だ」
「?」
そして蒼前様に向かって発砲しようとしたそのとき、右の方からウンナン様の声が聞こえた。
「我は既に回復した。適当な予測のつもりだったが、意外と当たったな……」
「な……」
それを聞いた弘明は顔を強張らせた。
「うん……そろそろ、大丈夫かも……なんか、早いね」
一方その頃、淡水による治癒を受けていた珠洲が彼女に言った。
「え、もういいの……結構強く念じたからかな?」
それを聞いた淡水は驚き、そして呟いた。
「そうかも……美濃くんたちもお願い……、私は弘くんの加勢に行くね」
「うん、そうだね」
珠洲は笑顔で淡水に告げた。それを見た淡水も笑顔を返してその言葉に頷いた。
「あああああっ!」
「え」
「—―」
その直後に弘明の叫び声を聞いて、二人はジャンプせずにその方を向いた。やや離れた場所で、逃げようとした弘明の右肩をウンナン様の神幹が貫通し、彼は血を流して倒れていた。それを見た二人は驚き慌てた。
「あっ……」
「ちょ、先に弘くんのところに行くね、症状を見ないとっ」
「わかったっ」
淡水は珠洲に告げ、震える手で光筒を少し持ち上げた。
「ヤバ……震えで……私、落ち着い……やあああっ!」
「へ……?」
声をかわした直後、珠洲の目の前で淡水はうつ伏せに倒れた。またその腰から血が流れていた。
「ウンナンのおかげで、私も被害を逃れたのだ」
「――!」
珠洲は背後を振り返った。そこに四本足の蒼前様が立っていた。
「そちらの天路もまだトドメに至っていないが……先にお前だ!」
「あ……」
珠洲は蒼前様の口内に生成されつつある神幹を見て蒼褪めた。
「移板……は……あっ!」
そのとき、倒れていた耐と司のもとで二人を看病しつつ戦況を見ていた新蘭が、再び移板の能源量を確認し目の色を変えた。
「朝霧さん! 皆さん! 移板行けますっ!」
新蘭はありったけの声で叫んだ。
「ん……?」
「え……」
それを聞いた蒼前様は彼女の声を不思議に思い警戒した。一方、それを聞いていた珠洲を始め、その周辺の草叢にいた他の天路の従者の子どもたち八名と、塩釜神社の神霊と、男子中学生五名の体がそれぞれ白く光り出し、すぐにそれに包まれ、そしてその光ごとその場から消えた。
「は……?」
「な、何が起こったのだ……!」
その光景を見た蒼前様、ウンナン様、二人の神霊は目を白黒させた。
「わ、わからぬ……」
そしてそのまま、少しの間二人は呆けた。
「ふふ、その様子だと、難儀しているようだが……」
「!」
「何奴!」
そのとき、二人の背後から低い男性の声がした。二人が驚き振り返ると、その上空二、三メートル程度の空中を中心に、漆黒の霧がかかっていて、その中はほぼ見えなかった。
「我は羽後八郎潟の神霊だ。この度末鏡の発動に伴い、これを深く慶び、もってこの身をそれに捧げたものだ」
漆黒の中からの声は、八郎潟の神霊と名乗った。
「な、なんと……潔い……」
「では、末鏡は意思を持ったのですね」
二人の神霊が返事をした。
「うむ、おおよそ、この東北程度であれば我が意思は末鏡と一体となり届くであろう」
八郎潟の神霊はさらにそれに答えた。
「なお……天路たちが用いたのは、おそらく移板であろう。連中個々にでなく、一度に大勢を遠距離まで飛ばすことができると聞く……。しかしそれゆえ使える頻度は低い。また、移動をした経路には霊気の跡が残る」
続いて、八郎潟の神霊は移板について、蒼前様とウンナン様に説明した。
「霊気の跡……む……確かに……」
「北東のようだな……」
それを聞いた二人の神霊はそれぞれ互いの顔を見合わせ、ほくそ笑んだ。
夕方頃、多少田畑の入り混じった閑静な住宅街の狭い道路の中央に、突然直径数メートル程度の薄い緑色の球状の光が出現した。それはすぐに薄らいでいき、その中から、立っていた新蘭、珠洲と、五名の男子中学生ら、また、横たわっていた、美濃、耐ら七名の天路の従者の子どもたちと塩釜神社の神霊とが現れた。
「ここは……」
珠洲はきょろきょろと周囲を見渡したが、特徴的なものはこれと言ってなかった。
「移板は行先の指定をしなかったら、周辺の、霊的な場所に着くはずなのですが……」
新蘭も首を傾げた。
「と、とりあえず、みんなの治癒をします」
珠洲は慌てて、まずは一番近かった美濃の元に赴いた。
「あ……あふ……珠洲ちゃん……」
鰻に絞められて体力を消耗していたものの、外傷が発生しなかった美濃は徐々に意識をはっきりとさせていった。
「もう少し……まだ話さないで……」
珠洲は美濃に告げた。
「珠洲ちゃん、筒爪……、前に多度津の人たちから貰ったやつ……使って……」
「えっ……あ、うん、わ、わかった……、付けるから、安心して、喋らないで……」
珠洲は慌てて美濃を宥め、彼に言われた通り、彼の光筒から筒爪を自分の光筒に取り付けた。そして再びそれを彼の脇部の上に当てた。
「治癒は無駄だ」
「—―」
その直後に、背後から蒼前様の声が聞こえ、珠洲は硬直した。
「その角度からは見えないだろうな……、煌々と光る、我が神幹も。そして……天路は……お主で最後だ」
「……」
蒼前様の声が続き、珠洲は顔の向きも変えずに、沈黙しつつも怯えた。
「やめろー!」
そのとき、松島第一小学校前の草叢の中にいた男子中学生らのうち、いじめに加担しつつも自問をしていた者が蒼前様に向かって叫んだ。
「ん……?」
蒼前様がその方に目をやったとき、同時にその足元に石ころが転がってきた。
「お、おい、何をしてるんだ!」
「そ、そうだぞ、逃げる機会を……」
他の中学生らが、その石を投げた、自問していた中学生に向かって口々に言った。
「もういい!」
そのとき彼は怒鳴った。
「確かに僕も、君たちと同じ行動を取り続けてきた。山ほど、自分たちを美化する言葉を使って……それなのに、もやもやがずっと消えなかった。つまりおかしかったんだ。しかもあげくに、君たちにおべっかを使うことは必ず水泡に帰すことにも気づいてた。それなのに……どうしたらいいのかわからなかった。人の嘆きを嗤いにし続けた……。でも、今、ただ一つ言えることは、僕たちのせいで、あの子どもが怖ろしい異形から攻撃に遭おうとしていて、それは傍観するには耐えられない、ということだ!」
彼は再び周囲の中学生らに向かって怒鳴った。
「目障りだな……、お前たちのグループのうち、少なくともお前は鬼玉は期待できない……!」
蒼前様は、その中学生に向かって言い放ち、神幹を光らせていた口内ごと、その顔も彼の方へと向けた。
「ひっ」
その中学生は蒼褪めた。
「やめて!」
その様子を見て、蒼前様への反撃も間に合わないと気付いた珠洲が彼に向かって叫んだ。
「小賢しい!」
蒼前様はその中学生に向かって再び怒鳴るとともに、口をさらに開けた。
「あああああっ!」
そしてすぐその直後に、蒼前様は叫び声を上げた
「へ……?」
「え……」
それを聞いたその中学生も、珠洲も驚き、蒼前様の方を向いた。蒼前様は横倒しになり、胴部から濃紫の霧が噴き出していた。
「間に合いましたか……、近かったのが救いですね……」
そのすぐ後に、珠洲の傍らから一人の男性の声がした。珠洲が振り向くと、黒の法衣の上に、藍色の絡子をつけた僧侶が目に入った。
「お坊さん……?」
珠洲はその僧侶を見て呟いた。
「ん?」
彼も珠洲と目が合った。
「……、……あの、あなたも神霊さんなのでしょうか」
珠洲は意を決して彼に尋ねた。
「天路の従者殿ですね……、はい、ここ、瑞巌寺(ずいがんじ)の神霊です」
その僧侶は瑞巌寺の神霊と名乗った。
「ここ……って、あの、すみません、お寺はどこに……」
「あ……、これは失礼、この道は、境内の宝物館の裏通りなのです。すぐそちらに、杉の立ち並ぶ境内がございます」
瑞巌寺の神霊は笑顔で説明した。
「平安期には既に、ここから近い松島海岸を守る仏堂、延福寺があったようですが……伝承の類ばかりで、詳しくはわかってはいないです。鎌倉期に禅宗が流行しましたので、ここにも禅寺もできる可能性もありましたが、時の執権北条時頼は、この寺院に目を付け、天台宗の宗徒ら追い出し、強制的にここ自体を禅寺に改宗させ、名称も円福寺となりました……、京都の方にお話するのは少し恥ずかしい事件ではありますね。戦国期には荒廃しつつありましたが、伊達政宗により再興され、今の瑞巌寺の名となったものです……が……、それはさておき……」
瑞巌寺の神霊は、蒼前様の方をチラ見した。その姿は完全に霧に包まれ、そして徐々に霧が薄らいでいったとき、その姿は消えていた。
「く……蒼前……。瑞巌寺―!」
彼と同じくその様子を見ていたウンナン様は、瑞巌寺の神霊に向かって怒鳴った。
「—―」
それを聞いた珠洲はまた少し怯えた。
「ウンナンを幽世に送りたい……、天路殿、お力をお借りしたいのです」
瑞巌寺は珠洲に向かって小声で告げた。
「……! あっ、はい……!」
珠洲はそれを聞き、さっと光筒を胸の前まで自然に持ち上げた。
「な……、そうはさせn……」
二人の様子を見たウンナン様も慌てて右手を上げた。
「いちにのさん、で参ります……!」
「はいっ」
二人は言い合った。
「では、いち、にの……」
「くっ……!」
ウンナン様は右手を白く光らせた。
「さん!」
「—―!」
瑞巌寺の神霊が叫ぶとともに、彼の右手からは白い神幹が、珠洲の光筒からは薄い緑色の光弾が飛び出し、珠洲の視線に誘導され、それらは二つとも、自身の神幹を放つ直前のウンナン様の胸部に着弾した。
「ぎゃあああ!」
ウンナン様が叫ぶとともに、そこから急速に濃紫の霧が噴き出し、すぐに彼の姿を覆い隠した。
珠洲は警戒しながらその様子を見守った。
程なくその霧は薄らいでゆき、そこには何者の姿もいなかった。
「幽世返し……できたのかな……」
珠洲が呟いた。
「む……、……どうやらそのようです、奴の霊力は消えました。幽世に戻ったことで、末鏡の惑いからも逃れられます……」
瑞巌寺の神霊は少し安堵しながら珠洲に言った。
「え……よかった……」
珠洲もほっと胸を撫で下ろした。
「……?」
すると、自分の手が若干軽くなっていることに気づいた。すぐに自分の右手を見ると、握っていた光筒のうち、美濃から貰って取り付けた筒爪の部分が消えていた。
「あ……。あれがなかったら、もしかしたらまだ危険だったのかな」
珠洲はそれを見て苦笑した。
「……。あっ」
そして、他の子どもたちや塩釜神社の神霊が負傷していることを思い出し、慌てて彼らの元へと向かった。
「よかった……。……?」
珠洲による治癒がひとまず間に合いそうに窺え、自身も胸を撫で下ろした直後、新蘭は背後から人の気配を感じて振り返った。
「あ、あの……」
そこに、最初に松島第一小学校付近の野原にいた五名の中学生たちがいた。
「この騒動って、僕らが原因なんですよね……」
彼らは首を垂れながら言った。
「はい」
新蘭は深々と頷いた。
「本当にすみませんでした……」
「あの、僕たちも、あの子たちの助けになりたいです……、何かできることがあれば……」
中学生たちは新蘭にか細い声で言った。
「それは……あるにはあるんですが……、少し待ってください、皆さんの治癒が終わったらお話します」
「は、はい……」
「わかりました……」
新蘭の言葉に彼らは頷いた。
そして少し時間が経ち、子どもたちや塩釜神社の神霊の治癒が終わり、珠洲は新蘭に呼ばれ、中学生たちの前に立った。
そして、珠洲が立てて持った自分の光筒を、さらに中学生のうち、蒼前様に向かって小石を投げた者が覆い被さるように握り、それに筒爪を付けた。筒爪ができる光景を見て珠洲も中学生たちも驚き声を上げた。
「あとは……口でお伝えするより、直接皆さんの頭に送りたい映像があるんです」
「え……?」
新蘭の言葉に、再度周囲は驚いた。
「皆さんのしていたこと、当人の受容を超えるふざけはいじめです。それがしてはいけないことであるくらい、皆さんは知っているはずです。心からなのか、周囲が言っているからなのかが本当は末鏡にとって重要なのですが……、それは私たちが教えなくても既に皆さんは見聞しているはずなので、いずれその違いがわかるときがくるでしょう。それよりも私たちが伝えないといけないことは、心からだろうと、周囲に言われてだろうと、いじめはいけないと知っていながら、それを皆さんに現にやめさせるに至るはずの、市民たちの国家社会が崩れているということです。『取り繕いの狡猾さを身に着けたいじめっ子が、抑制されず、大手を振って、それが成功者であると吹聴し、跋扈している』——要するに、『悪が勝つ』という、実は振り込め詐欺などと大して変わらない危ないマインドコントロールが吹き荒れていて、皆さんを抑制できなかったのです……、朝霧さん――」
「え?」
新蘭に名を呼ばれ、珠洲はきょとんとした。
「霊界の者として、勝手ながら、私は、私の他にも、朝霧さんたちが別の時間軸の過去の海外で活躍していたことを知りました」
「あ……。もしかして、あの別時間軸の国、関東共和国のことを知っておられるのですか?」
「はい……、そこで皆さんが、大人の姿に変身して、西暦二一世紀、二〇〇二年から、国家財経社労委員となってたことも……」
「……」
珠洲は少し頬を赤らめた。
「あの場所で皆さんが活躍しておられたことを、霊界の者であれば映像として直接頭で見ていただくことができるのですが……、彼らに、それを見せてもいいでしょうか……?」
「え……? あ、はい。私は大丈夫です……、みんなはまだ回復したてであと少しだけ安静がいるんですが……私が代理で、みんなの分も良いですって言いますね。後でみんなに確認して、ダメだったら謝ります」
珠洲は新蘭に言った。
「ありがとうございます……。私たちの社会を、いじめもやむを得ないと思わせてしまう社会から、それはダメで、そんな『技術』を身に着けても何にもならないという社会に変革する必要があるんですが、それは『賃金を上げろ』などの、単純なキャッチフレーズで解決するものでもありません。強いて言えば『不便にしよう』でしょうか。それは具体的には、直接皆さんがあの場所で、あの委員会でなさっておられたことを観た方が早いと思いましたので……」
「わかりました……。あらためて……別の時間軸にできている、日本の近くの、関東共和国という国で、二一世紀初頭で、私たちが国家財経社労委員としてやっていたことを、どうか観てください……。お時間は取るかもだけど、それ以外は何もしないです……」
珠洲は中学生たちに頼んだ。
「え、あ、あの……」
それを聞いた中学生たちは少し震えた。
「確かにそれを観ることはできますが……僕たちは中学生です……、いじめをしていましたが、もはやそれは異端ではなく、それを普通とする時代において普通の……」
「うん……、そんな僕たちが、そんな大活躍をしている人たちの姿を見たところで、できることはとても小さいことばかりなのでは……」
中学生たちは暗い表情で俯いていった。
「あ、あの……」
「え……?」
そのとき、珠洲が彼らに呼び掛けた。彼らは暗い表情のまま再び顔を少し上げた。
「小さいことばかりで、全然大丈夫です、私たちがあの時あの場所でやったことの影響で、そういうことをしてくださるっていうの、とても嬉しいです、ありがとうございます……!」
珠洲は照れながらもなるべくはっきりとした声で中学生たちに感謝の言葉を述べた。
「う、うん……」
「小さくても大切だよね」
「どういたしまして……」
中学生たちも少し明るい表情に変わり、そして珠洲に返礼を述べた。
2021年3月19日 発行 初版
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