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氷結

鬼沢哲朗

鬼沢哲朗出版



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目次





氷 結 ………………………………

奔馬 ……………………………………

サボテンの花 …………………

「氷結」

――少なくともルイス・キャロルよりは世間を知り、
  少なくともオスカー・ワイルドよりは小説がうまい。


     1

 それは昨年の初夏のことであった。
 私はある相談事のために、知人宅を訪ねていた。
 
 知人というのは、親友のMの従兄弟に当たる人だった。銀行勤めの彼は、Mの口利きで二度ばかり私に定期預金を作らせていた。そしてこれもまた、釣り好きのMの強引な誘いに従って、一度知人と二人そろって、海釣りのお供をしたこともある。

 知人とは面識があるとは言っても、たったそればかりのことである。そんな彼を突然訪問することを思い立ったのは、当時住宅ローンを組む必要があった私が、知己として親身の助言がいただきたかったからだ。ちょっとした手土産だけを持って現れた私の、そんなかなり強引な相談に、しかし知人は実に快く応じてくれるように見えた。
 確かに知人は、善良さを絵に描いたような人柄らしかった。知り合えば知り合うほど、最初のイメージは裏切られるのが通例だろうに、彼の場合は初対面で得た印象を、逐一追認していた。――本当に知人は、銀行員というお堅い勤め人の類型に、ものの見事に嵌まり込んでいた。鼠色の背広やら、几帳面な仕事振りやら、丁重な言葉使いやらが、けっして仕事の上のことだけではなく、何か持って生れた天性であるかのように感じられてしまう。
 知人の篤実さは、当然家庭の中でも発揮されているようだった。毎日定時には家に帰り、妻や子供の他愛のない会話の相手をし、週末にはときに一家を引き連れて、食事やら行楽やらに繰り出す。それもそんな団欒が楽しいからというよりも、そうすることが父親の務めであると考えられているらしい。
 とりわけこうして部屋着姿のまま、突然の来訪者をもてなすような場合には、知人の面目躍如たるものがあった。まるで休日の貴重な時間が惜しいというように、いきなり本題に入るようなことはけっしてしない。そしていざ融資の説明が始まってからも、理解の遅い私に嫌な顔一つするでなく、実の籠った対応を見せてくれた。――四十分ほどしてようやく得心のいった私は、こうまで丁重な扱いを受けたことを申し訳なく思い、本当に心底から、懇ろに謝意を述べた。
 それからまた友人同志としての、打ち解けた雑談が始まった。もちろん私とて、要件だけを済ませたら即座に引き上げるような、非礼は望まなかった。だからあと十分ほどこうした歓談をした後で、それでも長居はしないように、引き返すつもりだった。そんな雑談の最中に、この目の前の、紅茶を啜りながらしきりに眼鏡のずれを気にしている四十がらみの銀行員――平凡の美徳を地で行くようなこの人物から、あれほど奇怪な物語を聞かされようとは、もちろん夢にも思わずに。……

 それは知人の所有する、一枚の油絵に纏わる話だった。
 応接間の壁に掛けられた、十号はあろうかという大きな肖像画。確かに私も、最初からそれが気にはなっていたのだ。この部屋に足を踏み入れたその瞬間から、そして私たちが用件を煮詰めている小一時間の間も、壁を背にして腰掛けた友人のちょうど右肩のあたりから、それは始終二人を――なかんずく正対して座った私の左の面を、じっと注視しているように感ぜられていた。
 描かれているのは、私たちと同じ位の年齢の男性らしかった。――「らしかった」と言うのは、私がその判断に自信がないからだった。というのは、確かに男の頭髪に白いものは混じらず、肌には目立った皺もなく、着衣も赤い派手なポロシャツだったが、その相貌には明らかな頽唐が、ミイラのように干涸びた雰囲気が感ぜられたのだ。それは奇妙なことだったが、実際もし男が七十の老人であると教えられたとしても、かろうじて信じることができそうにさえ思われた。
 もちろん特異なのは、その年齢の不確かさだけではない。最も印象的だったのは、男が浮かべた何とも名状しがたい表情だった。その極限にまで見開かれた眼は、凄惨なものを前にして、驚愕のあまり瞼が引きつっているようにも思える。心持ち開き掛けた口は、何かを叫ぼうとする瞬間のようでもある。そして画面の前の人に、訴え掛けるようなあの視線。……
 美術の知識など少しもない私は、それでもたちまち、昔教科書で見たムンクの「叫び」を思い出した。もちろんこの絵は、ムンクのそれのように、表現派風な描かれ方をしていたわけではない。それは極めて写実的な筆で、忠実に現実をなぞったものだった。何も捨象せず、何も歪めない一人の人物の直写――だがそれにもかかわらず、ムンクを思わせずにはいない妖気を漂わせてしまう点が、この絵の不思議な特徴だった。

 私も最初から、絵のことが始終気になっていた。――だがもちろん、用談の最中に脇見ばかりをしているわけにはいかなかったから、努めてそれを忘れようとしていたのだ。しかしこうして、用向きを終えて気楽な話題に移ると、緊張の糸が切れたのか再び絵のことが気になり出した。相手の話に相槌を打ちながらも、それでもちらり、ちらりと左上を見上げる私の仕種を、目敏い知人は見逃さなかった。
 「ああ、あの絵ですか。やっぱり気になりますか」
 心中を見透かされた私は、軽い羞恥を感じた。そしてきっとそんな戸惑いが、私をそのうえさらに、あのあまりにも凡庸な質問に駆り立ててしまったのだ。
 「誰か有名な画家の絵ですか」
 私の愚問にも、しかし知人は表情一つ変えるでもなく、落ち着き払って答えた。
 「いいえ、画家は少しも有名ではありません。ただ私の友人の肖像なものですから、大事に飾っているのです」
 確かに、それはそうだった。大家の作品のようなものが、こんな一介の銀行員の家に、いかにも間に合わせといったふうな安物の額縁に入って、飾られていようはずもなかった。第一、目の前の絵の描かれ方は、明らかに名画の筆緻とは違う。絵は確かに、何か異様な魅力を発散させてはいたけれども、それはまた作家の技倆とはだいぶ違ったどこかから、来ているように思われた。
 「ですけれども、それにしては。――」だがしかし、まだ私が何も言わないうちから、知人はその意を汲みとって言葉を続けた。
 「それにしてはずいぶん人を引き付ける、不思議な魔力があるでしょう? この応接間に入った客は、皆そう言います。あの絵の男が気になってしかたがないのだ、と。もちろんそれは、来客ばかりではありません。この家に住む私たちも――いや、妻子はどうだかわかりませんが、少なくともこの私は、たえず友人を意識しながら暮らしているのです」
 たえず友人を意識しながら?――このとき知人が「友人の絵」と言わずに、ただ「友人」という言い回しを用いたことに、私は妙に奇異なものを感じたのを覚えている。それと同時に、この突然の擬人化は、私にある当然の疑問を抱かせた。一体この銀行員に、絵のモデルになるような友人があったのだろうか? たとえいたとしても、なぜよりによってその肖像画が、知人の応接間に飾られていなければならないのか?
 私は自分の怪訝を、素直に言葉に表した。
 「友人とおっしゃるのは、同じ銀行の方ですか」

 「ええ、そうです。同じ銀行の者です」と私の質問に、知人はそこまではこれまでのいつとも同じように、慇懃な口調で答えた。
 そこまでは――だが確かに次の瞬間、言葉を続ける知人の顔つきに、突然著しい変化が現れたのだ。
 「もっとも今では、もうそこにはいませんけれども。……」もちろんそんなせりふ自体は、少しも怪しむに足りない、ありきたりの返答だった。だがそう呟くとき、知人の浮かべた表情に、私は息を呑んだのだ。
 そこに見られたのは、何かとてつもなく不気味な薄ら笑い。しかもそれは、単に口元の歪みではない。まるで光線の具合か何かのように、顔の全体におどろおどろしい隈取りが、現れたようにさえ感じられたのだ。
 確かにそんな陰惨な薄笑いは、いつでも見る者を戸惑わせずにはいない。だがそのうえ、よりによってあの知人が――そうだった。実直で、生真面目で、それゆえにいつでも幾分機械的な印象を与えずにはいなかった銀行員。その容貌に唐突に表れた不可解な変化が、輪をかけて私を悩ませたのだ。
 それは何だか、見てはいけない他人の恥部を、覗き込んでしまったようにすら感じられた。ひょっとしたらそれは、堅物の銀行員が勤め仲間の前にはけっして見せない顔。そして同時に、子煩悩の愛妻家が妻子の前ではけっして見せない部分。そんな平生の仮面の裏を、この私にだけはなぜだか心安く、晒してしまった?……

 会話の中断を恐れて、それでも私は質問を続けた。
 「お辞めになったのですか」
 「いいえ、辞めたわけではないのです。――」
 知人はもう一度、先刻と同じ薄ら笑いを口元に浮かべた。だが今度は私にも、どうやらその意味が理解できそうだった。確かに彼の言う友人とは、亡くなっているのにちがいないのだ。
 「お急ぎでなければ、友人のことをお話ししましょうか」
 私の反応を確かめながら、そうして知人はおもむろに、解説役を申し出た。だが私にも、もうわかっていたのだ。それはおそらく、融資の説明をしたときのような、単なる親切心からの提案ではない。きっと知人自身が、その秘めたる気持ちを語りたがっているのだ。
 私もまた、すっかりその気になっていた。融資の用件が済めば、その日の午後はすっかり空いていたし、そもそも絵のことが引っ掛かったまま帰るというのは、後々まで心残りがしそうに思えたのだ。そのうえまた私は、いつしか絵のこと以上に、今しも垣間見た知人の心の暗がりのようなものに、興味を掻き立てられていたのにちがいなかった。
 そんな私の乗り気を汲んだかのように、知人は再び紅茶を入れ直した。
 そしてゆっくりと煙草に一本火をつけると、右肩にあの謎の絵を従えながら、憑かれたようにその物語を始めた。

     2

 「友人の灰谷稔は、行員仲間でも変り種で通った男でした。
 一体銀行員の生活というものは、世間ではどのように考えられているのでしょうか。単調で、あじけなく、およそ生き甲斐という言葉とは縁のない仕事――もちろんそれは、その通りかもしれません。しかしそんな仕事振りだけを見て、銀行員の生活や人柄にまで同様な想像をするとしたら、まったくの誤解です。私たちの多くは、ただ仕事は仕事と割り切っている。それまでは生気なく、つまらなそうな顔をしていた男たちが、勤務が終わったとたんに失くしていたものを取り戻す。ときには世間並み以上に陽気で、馬鹿が好きで。……そうです。もしプライベートな時間にまで、銀行員丸出しの男がいたとしたら、それではまるで戯画の世界になってしまう。……」
 「もしプライベートな時間にまで、銀行員丸出しの男がいたとしたら――そうでした。そしてその戯画のような男こそが、灰谷だったのです。
 本当にこの不思議な男は、銀行の外でさえあの単調で、あじけない暮らしを暮らしているように見えました。仕事の上のこと以外、けっして口を利かない男。仲間の酒の誘いにも、今日はちょっとというような訳のわからない言い訳をしたきり、けっして応じようとしない。そうして彼が直行するのは、2DKの安いマンション。そう。灰谷は三十を半ば過ぎても、いまだに独身なのでした。灰谷が女遊びをするという話も、聞いたことはない。――いやそもそもあの男は、楽しみとか趣味というものとは、およそ縁のない人間のようでした。もちろん四六時中見張っていたわけではないから、確かなことは言えないはずですが、少なくとも表立った趣味のようなものは、なかったことは間違いありません。それどころか、灰谷はマンションに籠ったきり、そのままそこで昼間の執務を続けている――本当に、おかしいことですが同僚たちは皆半ば本気で、そんなふうに信じていたのかもしれません。
 そんな徹底した個人主義は、仲間内から浮いてしまうのが通例だったでしょう。もちろん灰谷の場合、浮き上がらなかった、というわけではありません。少なくとも当初は、灰谷の不協和振りに眉をひそめる者があったのは事実です。――だがここでもあの、旅人には異体に見えるお化け石が、村人にとっては日常の風景であるような、そんなことが起きるのです。驚異であったことがいつしか当たり前となり、あれはああいう男なのだと、難点がいつしか個性と感じられるようになる。相変わらず打ち解けない灰谷も、それでも気まずさを引き起こすようなことは、もうない。そうして『変わり者』という便利なレッテルで整理された灰谷は、誰ともお互い係わることのないまま、それにもかかわらず私たちの仲間の一人として意識されるようになる。……

 そんな灰谷を単なる同僚ではなく、友人と呼ぶことができるのは、おそらく私一人だったでしょう。というのは、私と灰谷は同い年で、そのうえ同期の入社は、支店にはもう二人しか残っていなかったからです。こんな無口なぶっきらぼうの男であっても、研修と新人の時代を共にしたという意識はやはり特別でした。それがあの『同じ釜の飯を食った』という言葉でしか言い表せないような種類の心安さを、醸し出してしまうのかもしれません。
 もっとも友人とはいっても、二人の間に何か特別な行き来があったというわけではありません。ただ顔を合わせたときには必ず挨拶を交わし、週に一度は食堂で隣の席に座って言葉を掛ける。――ただそれだけのことでしたが、ただそれだけのことでも、周囲と完全に没交渉の灰谷としては、大変なことだったのです。他の連中もその辺の事情は汲み取っていて、宴席などでは灰谷を必ず私の隣に配し、灰谷との間を執り成すことを――変な言葉ですが、灰谷の引き回し役のようなものを、私に期待していたのです。
 友人とはいっても、ただそれだけの仲でした――だがそんな私が、ただそれだけの仲のために、誰も知らない灰谷の秘密を知らされることになったのです」
 「あれは忘れもしない、五年前の秋のことでした。三十五になってようやく、遅れ馳せながら今の妻を娶った私は、新婚旅行のための休暇も明けて、普段通りの仕事に戻っていました。
 昼休み、いつものように食堂に向かった私は、奥まったテーブルですでに食事を取っている灰谷を見つけました。
 隣席に陣取った私は、二言三言挨拶の言葉を交わす。――もちろん大方の場合なら、それきり会話らしい会話もなく終わってしまうものでした。だがその日にかぎっては、つい二週間前の結婚式に列席してもらった義理もあって、そう素っ気なく振る舞うわけにはいかなかったのです。否。今思えば、私に口を切らせたのは、けっしてそんな義務意識だけではありませんでした。自分の結婚を契機として、この同い年の同僚の身の上を案じる気持ちが、私の中に生じていた。そんな衷心から、私は誰にも心開かぬ友に食後のコーヒーまで御馳走して、立ち入った説教を始めたのです。

 自分も遅いほうだったが、灰谷もそろそろ、身を固めることを考えなければならないこと。異性に限らず、対人関係においてあまりに孤立しすぎている。そもそもが仕事の他に、何の楽しみも持たないようなのがいけない。趣味のようなものがきっかけとなって、周囲との交流も生れてくるものなのに、今の灰谷のようでは、話題一つ見つけるのにも苦労してしまう。……
 これも今になって思えば、そんな私の忠言はずいぶん滑稽なものだったにちがいありません。灰谷のことなど本当には何もわかっていないのに、利いた風な口をきく。独身を卒業したというだけで、さっそく兄貴風を吹かせている。そもそも昼休みの社員食堂で、コーヒーを啜りながらというのは、こんなご大層な説教にふさわしい場面ではなかったろう。……
 だが灰谷は笑うでも、腹を立てるでもない。私の独りよがりの難詰に少しも抗うこともなく、ただ幾度もうなずいているだけでした。
 ひょっとしたら灰谷は、あまりに素直すぎるそんな相槌の向こうで、適当に私のお節介を受け流しているだけなのか? だがそんな懸念は、もちろんいささか見当違いなものでした。そのことを私は、最後の最後に口を開いた灰谷の言葉によって、思い知らされたのです。
 
 しかしそれは、本当に意外な言葉でした。
 コーヒーも飲み終わって、そろそろ引き上げるかという頃合。灰谷は突然、初めて科白らしい科白を語ったのです。
 ――もしよかったら明日、うちに遊びに来ませんか。
 もちろんそれは、ありきたりの招待の言葉だったにちがいありません。だがこの孤独癖の男から、そんなありきたりの言葉を聞くこと自体、本当に天地がひっくり返るような驚きだったのです。だとしたら灰谷は、受け流していたどころではなかった。それどころかむしろ、この場には似つかわしくない身の上話の続きを、『河岸を変えて』行おうというのだ? ここでは私の問い掛けに曖昧な相槌しか打てない灰谷も、自分のマンションへ帰れば十分な解答が、用意できるというかのように?
 そんなふうに、相手の真意が少しもつかめないまま、それでも不意打ちを食らった私は、ただ明日が休日であることだけ確認して、即座に訪問を約してしまった。……」

     3

 話の切れ目と思えるところで、知人は一口、二口と紅茶を啜りあげた。
 だがもちろん、それはけっして長い間合いではありえなかった。
 本当にただそれだけで、知人は再び、憑かれたように物語を続けた。
 相変わらず右肩にあの謎の絵を従えて、傍目を驚かす不気味な表情を湛えたまま。――
 「翌日の土曜日は、ちょうど今日と同じような、さわやかな秋晴れの休日でした。そんな場合にふさわしい軽やかな出立ちで、私は書いてもらった地図を頼りに、灰谷を訪ねました。
 迎えられた部屋は、しかし案に違わぬわび住まいでした。2DKのマンションが、調度類が少ないために、かえってだだっ広く感じられてしまう。その広さもけっして開豁の印象ではなく、むしろ索漠とした空洞感のようなものを、漂わせたものでした。
 確かにずっと見回してみても、部屋の中に楽しみを連想させるようなものは、何もない。――サイドボードを兼ねた本棚には、もちろん多少の本が並んでいました。迂闊にも背表紙の文字を見落とした私は、その内容を知ることはできませんでしたが、数だけを言えば、私たちの年齢としてはけっして多い方ではなかったでしょう。少なくともそれは、灰谷にあるはずの無限の一人の時間を満たすには、到底十分なものではありえないはずでした。
 本の傍らに並んだ洋酒の瓶も、ただ貰い物を飾っているといったふうで、常飲している様子は感じられない。……
 寝室にしているらしい奥の部屋からは、カラーテレビが顔を覗かせていましたが、そんなものが消閑の具以上の意味を持つ道理もない。……
 だとしたらこの採光の悪い、陰気な部屋の中で、灰谷は一体どのように時間をやり過ごしているのか? 灰谷がそこで、一人で銀行の執務を続けている――そんなあの、例の荒唐無稽な想像さえ、ここではあながち嘘ではないかのように感じられました」
 「だがしかし、灰谷がもてなす酒が、たちまちそんな私の当惑を吹き飛ばしてくれました。
 それはあの例の、本と一緒に並べられた洋酒の一つでした。銘柄は忘れてしまいましたが、何でもポーランドの薬草酒だとかいうことです。それはそれは口当たりのよい酒で、普段飲みつけない私でも、次から次へと際限なく入ってしまうような具合でした。普段飲みつけない私でも――いやもちろん、飲み慣れている人間なら、けっしてあんなやり方はしなかったでしょう。飲みつけないからこそ加減がわからない私は、喉越しのよさに謀られて、あんな無茶もしたのにちがいありません。
 本当に私は、まるでジュースでも飲むように、灰谷の注いでくれる酒を次から次へと飲み干しました。飲むうちに、先刻までややもすれば滅入りがちだった気分は陽気な饒舌に取って代わられ、二人の間で話に花が咲きました。お互いの学生時代のこと。研修時代の共通の苦労。その後の職場の様変わり――話すうちに私は、近付きがたいと思えていたこの孤独癖の男が、意外なほど楽しい話し相手であることに気付きました。もちろん灰谷が、その場で多くを語ったというわけではありません。会話の八割方は、良い調子の私が勝手なことを喋っていたにすぎませんが、いわばそんなふうに相手を『乗せて』しまうほど、灰谷は聞き上手だったのです。
 うまい酒と、はずむ会話。だがしかし、あのとき私の気分を浮き立たせていたのは、どうやらそんな小道具だけではなかったようです。いわば私が身を置いた状況の本質そのものが、私に楽しみを与えていました。そうでした。一人住まいの友人の下宿を訪ねて、テーブルと机を兼ねた炬燵の上で酒を酌み交わす――それは学生時代になら、誰でも覚えがある経験でした。だとしたらあのときの私は、三十五才の女房持ちが無頼の大学生に身を擬して、いわばままごとに興じていた。そうすることで、なつかしい不羇の時代への、甘いノスタルジアを得ていたにちがいありません。
 実際私はいつしか、このいつまでも気楽に暮している同い年の友に、羨望に近いものを感じていました。確かに誰だって遠い青春の日々には、こんな『城』を持っていたのだ。分別くさい大人の社会の枠組みにまだ捕らわれる以前の、自分だけのちっぽけなお伽の国。やがて時が経ち夫となり父となるころには、誰もがあっさりと明け渡してしまうそんな城を、灰谷だけはその独り身の部屋の中に守り抜いていた。……」
 「そんなふうに私は、久し振りに心から楽しい時間を過しました。その間中、あの緑色の薬草酒のグラスを傾けながら。――そして本当に、始めてから小一時間ほど経って、ようやく灰谷を訪ねた本来の目的を思い出したころには、四十五度のスピリッツの瓶は、もう底のほうにわずかを残すだけとなっていたのでした。
 だがもちろん、私たちはいつまでも酒に酔いしれているわけにはいきません。私たちは所期の話題に立ち戻らなければならない。――昨日の昼休みの、食堂の続き。灰谷の今後の身の上。孤独癖を改めて、新しい人間関係を作るべきこと。だがそうした真顔の話題に戻ろうとしたとたん、私は調子に乗って酒を煽っていたことを、たちまち後悔しました。そうです。それがあの手のものの常なのか、初めは少しも効くようには思えなかった酒が、三十分を過ぎたあたりから急速に体中に回り始めたのです。このままでは舌の縺れと酔眼とが、私の真剣な忠言を、まるで酔っぱらいが管を巻いているように見せてしまうにちがいない。…… 

 だがここでも、灰谷のマナーは完璧なものでした。やや調子の外れた私の繰り言に、苦い顔一つするでなく、神妙に耳を傾ける。そこで説かれる凡庸な理には、異論の一つもありそうなものなのに、ただすべてがごもっともというふうに、はい、はいと素直にうなずいている。あんなあまりの恭順ぶりを目の前にしたら、拍子抜けしてしまうのが普通だったでしょう。だが相当に酔っていたあのときの私は、むしろ嵩に掛かって、さらに続けて灰谷の謎の追及にまで取り掛かったのでした。
 灰谷の謎?――そうです。単調なあじけない銀行の仕事と、一人住まいのマンションの往復。そんなことを十年以上も続けることは、とても尋常なことではない。そんな灰谷の孤独癖には、きっと他の誰も知らない原因がある――それを今、私はこの場を借りて、問い詰めなければならない。……
 しかしここでも、意気込んで追及を始めた私は、たちまちはぐらかされることになりました。そうです。灰谷はあまりにもあっけなく、口を割りました。それは本当に、無理やり白状させられたというよりは、そうして秘密を打ち明けられる話し相手を、長い間ずっと探していたというふうに」

 「灰谷が語ったのは、次のようなことでした。
 ――自分の平生の暮らしが、世間の目にどのように映っているのかは、重々承知している。少しも人付き合いをせず、世間並みの遊びの項目にも関心を示さない没趣味な男。一体何を楽しみ生きているのかわからない。変わり者というのはかなり好意的な表現で、あからさまに言えば、あの『変質者』というおぞましいレッテルが張られているのに、気付いていないわけではない。
 ――だが自分に言わせれば、すべてが逆様だった。彼らこそ何を楽しみ生きているのかわからない。彼らにもし本当の楽しみが、もし本当に心引かれるものがあったとしたら、ちょうどこの自分のようにすべての時間と労力をそれに奪われて、他を顧みる余裕などないはずだ。そのものに魂までを吸い取られて、後には干涸びた抜け殻しか残らない。そうなのだ。何にも関心を示さず、ミイラのように生きるように見える人間が、その実悪魔のような快楽の虜になっている。そんな逆説が、きっとあるのだ。ちょうどこの自分のように。――

 灰谷がそう語り始めただけで、私の焦燥はすでに明らかになりました。このような前置きは、酔っ払いの私が辛抱するには、少々迂遠すぎる。そもそも職場とマンションを往復するだけの男に、そんな秘密の快楽があるとしたら、それはこの部屋の中でなければならない。それなのにそんな楽しみの形跡を示すものは、どこをどう見回しても見つからないではないか!
 だがしかしこの察しのよい話し手は、たちまちそんな無言の抗議の声を、聞き分けたようでした。秘密めかした前口上は早々に切り上げて、灰谷はすぐさま本題と思しきものに移りました。
 ――実はあの鏡なのです。
 かろうじて聞き取れる囁き声で、灰谷は耳打ちしました。だが『あの鏡』と言うのは、一体どの鏡なのだろう? ずっと見回しても、部屋の中に特別な鏡などありはしませんでした。灰谷の言うものが、ちょうど真向かいの裸の壁に、止め金だけで無造作に留められた半身大の鏡であることを確認するまでには、かなりの時間が要りました。

 私の驚愕をよそに、灰谷は続けました。
 ――実は十年程前、ひょんなことであれを手に入れてから、鏡の虜になってしまったのです。自分の時間と労力のすべてを奪い取り、こうして魂の抜けたミイラにしてしまったのは、あの鏡なのです。……
 すべてを聞き終わらないうちに、私は激しい怒りを感じました。この男は、確かに多少酒の回った客人を、からかっているのか。それとも自分の方も酔っ払って、訳がわからなくなっているのか。いずれにしても、親身に相談に乗ろうとするこちらの友情を、侮辱しているのだ!
 だが次の瞬間に目撃したもの、少なくとも目撃したと思ったものは、そんな怒りよりもはるかに激しい衝撃で、私の魂を揺さぶることになるのでした。
 そうでした。ここでも私の憤りを理解した灰谷は、言葉の無益を悟ったようでした。論より証拠といったふうに、今始めたばかりの物語を打ち切りにし、例の薬草酒の瓶の残りを全部私のグラスに注ぐと、おもむろに椅子から立ち上がりました。
 ――それでも飲んで待っていてください。すぐに戻りますから。

 しかし私には、灰谷の言葉の意味が、正確には理解できませんでした。『すぐに戻る』と言うからには、灰谷はこれから、どこかへ出向こうというのだ。だとしたら、銀行とマンションを行き来するだけに思えた灰谷にも、第三の行き場所があったのだろうか? そして今その場所から、奇異な物語の真実を証す何かを、取って戻ろうというのだ? 
 だがしかし、私の怪訝をよそに、幻術は執り行なわれました。
 私の予期に反して、外に通ずる扉に赴く代わりに、灰谷は何と目の前の壁の、あの半身大の鏡の前に立ったのです。
 灰谷は私に背を向けて、鏡の中を覗き込むような形で、佇立している。もちろん鏡の中からは、もう一人の灰谷がこちらを睨んでいる。……
 何の動作も起こらない、そんな静止の状態が、ものの数秒だけ続きました。と突然、見えない糸に引かれたかのように、灰谷の右手が宙に浮いたのです。
 それは顎の高さまで掌をもたげただけの、さりげない動作。だがまるで体操の選手が演技の開始を合図したように、そんな小さな挙手をきっかけとして、その余のすべてが続いたのです。
 灰谷はそうして右手を掲げたまま、鏡との間の二メートルほどの距離を、ゆっくりと一歩ずつ詰め始めました。
 鏡の中で左手を上げている人物も、同じ速度でゆっくりと、こちらににじり寄ってきます。
 それはもちろん、鏡というものを介して行われる、日常の光景だったにちがいありません。だがなぜかあのときの私は、奇蹟を目の前にしているような、神秘の念に打たれていました。そう。あの白銀の中のもう一人の灰谷。それはもちろん、こちら側にいる本当の灰谷の、影にすぎない存在なのだ。だがあれほど明るく、あんなに鮮明な像を見ていると、何だかこちら側の灰谷ほうが、影であるかのように思いなされてくる。……

 そして次の瞬間、私は自分の浸っていた荒唐無稽な想念が、必ずしも妄想ではなかったことを知らされたのでした。
 お互いに手を上げて挨拶をしたまま、ゆっくりと歩み寄る二人の灰谷。だが両者の距離が無限にゼロに近付き、掲げた掌同志が鏡面を境に触れ合ったとたん、驚くべきことが起こったのです。それまでは確かに私に背を向けてそこに立っていた灰谷が、次の瞬間、まるで壁の中に吸い込まれたかのように消えていた!
 私はもちろん、わが目を疑いました。つい先刻まで自分と酒を酌み交わしていた男、ただ壁に向かって歩いていただけの友人が、一瞬にして消え去ってしまう神隠し。そんなことは、到底この世に起こりうる事態とは思えなかった。――だがしかし、あのとき私を本当に戦慄させたのは、そのことではなかった。そうでした。あれは本当に、何というおそろしい発見だったろう。鏡のこちら側にいた本当の灰谷が、そうして跡形もなく消えてしまった後も、あの鏡の向こうの灰谷だけは、それまでと少しも変わらぬ姿をして、そこに立っていたのだ。
 それまでと少しも変わらぬ姿をして、――だがそう思えたのは、ほんの寸時の間でした。鏡の中の灰谷は、やがてすぐにそれまでの無表情を崩して、私に向かって茶目っけたっぷりのウィンクをしてみせたのです。
 それに続いて、しきりに口を動かし始めた灰谷は、声こそ何も聞こえませんでしたが、何かを言っているように見えました。茫然自失する私を尻目に、灰谷はまだ上げていた掌を――その左手をさよならというふうに振る。そうしてくるりと身を翻して、確かに鏡の中にあるあの部屋を出て行った。……」
 「しばらくの間、私はそのまま鏡の方を向いたまま、身動ぎ一つせずに椅子に腰掛けていました。いや、正確に言えば、驚きに腰を抜かした私には、体の自由が利かなかったのです。――同時に私は、心の中に激しい自責のようなものを感じていました。昼間から飲めもしない酒を煽ったこと。酒は魔物だと言うのは本当だ。アルコールに神経を侵されればこそ、こんな理不尽な幻覚も見るのだ。……
 一分ほどしてようやく人心地を取り戻した私は、今度は急に暑苦しさを感じだし、着込んでいたカーディガンを脱ぎ捨てて、シャツのボタンさえはだけました。そうして体の熱を覚ませば、そのことでアルコールの悪い影響も、幾分収まるにちがいありません。

 そうしながら私は、事態を整理しようと努めました。もちろんこのようなことが、現実に起こるはずもない。すべては酒の仕業なのだ。ただ灰谷は鏡を覗き込んで、ちょっと身繕いをした後で、もちろん鏡のこちらの部屋を出ていった。ただそれだけのことを、私は自分の白昼夢の中で、鏡の中に入ったと錯覚したのだ。……
 だとしたらすべては、時が解決してくれるはずでした。灰谷がこうしていつまでも、部屋を空けているわけもない。鏡のこちらのあの現実の扉から、やがて再び現れる灰谷の姿が、すべての勘違いを終わらせてくれるにちがいない。……
 そんないわば当然の理屈を、自分自身に言い聞かせながら、私は灰谷の帰りを待ち続けました。
 だがしかし、そうして今にも戻るはずの灰谷は、いつになっても戻ってこない。――待つ身のいらだちを静めるために、私はいつしか、灰谷が注いでいった最後の薬草酒に口を付けていました。まるでつい先刻の、酒についての反省も、もうすっかり忘れたかのように。
 そしてそれは、やはり飲んではいけない酒だったのかもしれません。そうです。私がグラスの酒をようやく飲み干して、体にも頭にも新しい酔いが加わったと感じられたころ、私はまたしてもあってはならない出来事に遭遇したのですから。

 そうでした。灰谷が消えてから十五分ほど経ったころ、辺りに妙な人気のようなものを感じて、私はあわててマンションの入口を振り返りました。そこに誰もいないことを知った私は、直観的に今度はあの鏡の方を向き直りました。すると果たせるかな、それまでは空だった鏡の中の部屋に、一人の男がこちらを向いて佇んでいたのです!
 一人の男というのが、灰谷であることは間違いありません。灰谷はそこで左手を上げて、この私に向かって何かしきりに合図をしています。否。正確に言えば、それは私に対してというよりも、鏡のこちらに見えている別の人物に対して、合図をしているように感じられました。
 それから十五分前とちょうど同じことが――それとちょうど逆のことが行われました。鏡の中の灰谷は、そうして左手を上げたまま、ゆっくりと、ゆっくりとこちらににじり寄ってくる。そしてその手が鏡の面に触れたと思えた瞬間に、鏡のこちら側に、私に背を向けたもう一人の灰谷が、おそらくは実物の灰谷が、忽然と姿を現したのです。
 だとしたら、これは一体何事なのか? 自分はここでもなお、酒の上での幻覚を見続けているのか、それともこれは本当に、悪魔の行う奇蹟なのか?――そんなふうに、またしても次第に不条理の罠にはまりつつある自分に、私は激しい焦りを感じていました。
 そんな狼狽を見透かすかのように、再び無から現れた鏡のこちらの灰谷は、やおら私を振り返ると、口元に薄ら笑いを浮かべました。
 ――とまあ、大体こういう具合なのです。
 その言葉を聞いて、私はもはやすっかり観念しました。こんなふうに理路整然と喋る人物が、夢の中の存在であるはずがない。だとしたら、すべてはけっして夢などではない、現実の出来事なのだ!
 すっかり打ちひしがれた私を、しかし灰谷はそっとしておいてはくれませんでした。追い討ちを掛けるように、灰谷は立て続けに、さらにずっと奇異なせりふを語ったのです。
 ――さあ、今度は一緒にどうですか。
 それは確かに、悪魔の囁きだったにちがいありません。そう言いながら灰谷は、はっとするほどの握力で私の右手を掴むと、私を鏡の前へと――その向こうへと誘ったのでした。
 その瞬間に私は、雷に打たれたような衝撃を全身に感じました。私の右手を掴んだ灰谷の手から、電気のようなものが流れて、私の体を貫いたのです。
 もちろん今思えば、電気のように思えたものは、私の恐怖でした。灰谷の忌まわしい勧誘に対して、私の体の全体が一斉に否を叫んだのです。
 それは異人にさらわれ掛けた少年の恐怖。いや、それはもっとはるかに動物的な反応だったかもしれない。『死』や『未知』と肌を擦り合わせたときに、獣たちの本能が示す、あの狂おしい拒絶の反応。……
 そんな衝撃に打たれて、私はうわぁあ、と悲鳴に近い声を上げ、これもまた自分でもはっとするような力で、灰谷の手を振りほどきました。
 もちろんその瞬間、大人気ない動揺を見せてしまったことを恥じる気持ちが、私の中になかったわけではない。だが羞恥に恐怖が勝りました。再び気を落ち着けて、席に付くような芸当は、あのときの私には到底不可能でした。
 私はただ、興奮にうわずった声で『もう帰る。帰らしてくれ』と叫びながら、脱兎のごとく部屋を出ました。まるでこの怪奇の部屋に何の証拠も残してはならないというように、脱ぎ捨てたカーディガンをしっかりと小脇に抱きかかえ、言い知れぬ屈辱感に身を震わせながら」

     4

 ここまで一気に語り終えると、知人はようやく一息ついたと言うように、煙草に火をつけた。
 短い幕間は、わずかに私に判断する暇を与えた。
 もちろんそのようなことは、そのようなことは、この世に起こるはずがない!
 こんな拙劣な怪談話を、私が真に受けようはずもないのだ。それなのにどうして知人は、いつまでもこうして真顔で戯れ言を続けるのか?
 否。もちろん知人とて、きっとそれはわかっていたのだ。眉唾ものの奇譚を、このままに終わらせるつもりなど少しもない。きっとこれから舞台の裏の種明かしをし、どんでん返しの結末を設けようというのにちがいない。だがだとしたら、それは一体どのような?
 だがしかし、そうして私を訝からせたものは、ただ話の中身ばかりではなかった。そのうえそれを物語るときの知人の相貌――それはもちろん、初めはあの不気味な薄ら笑いだった。だがその憑かれたような独話の最中、いつしかその表情は旧い語り部の威厳を帯び、託宣を宣べ伝える巫女の妖気さえ漂わせ始める。……
 確かにそんな語り口のために、私もまたこんな荒唐無稽なはずの物語に、思わず引き込まれさえしたのだ。それこそはまた、あの平凡な銀行員の仮面の下の、もう一つの裏の顔? もしそうだとしたら、その正体は一体何なのか?
 そんなふうに、煙草をくゆらす知人を眺めながら、私の中にはいくつもの疑問が渦を巻いていた。
 そしてそんな疑問の解答がまだ少しも見つからないうちに、知人は神経質そうに眼鏡のずれを気にしながら、再びその怪異の物語を続けた。
 「月曜日の出社は、気重なものとなりました。
 もちろん二日間の時間の間隔は、一昨日の出来事の記憶を、すでに濃い霧のようなもので覆っていました。だとしたら、その最中にはあれほど否みがたい現実感を帯びていた怪異も、今では夢の中の記憶として、処理することもできるように思えました。
 初め灰谷が、鏡の中に姿を消したと感じたのも。のみならずその同じ鏡から、再び立ち戻ったと思ったのも。二度までも目撃したオカルトのそのどちらもが、飲みつけぬ酒が私の五感を謀った悪戯だったにちがいない。
 だがしかしもしそうだとしたら、私はそんな自分の酔態を詫びなければならない。なかんずく訳のわからぬ罵声とともに、部屋を飛び出した非礼に、赦しをこわなければならない。だがそれもずいぶんみっともない、気まずいことであるにちがいない。

 そう思うと、月曜日の出社は、もちろん気重なものとなりました。だがしかし、私は気が付かなかった。その先に私を待ち受けていたものは、そんな甘っちょろい危惧とは違う。もっとはるかに決定的で、忌まわしい事態だった。……
 そうでした。あの日の昼休み、すでに食堂で食事を取り始めていた私を見つけて、珍しく遅れて入ってきた灰谷が隣に座った。思わず身構えた私に対して、灰谷は挨拶もそこそこに、擦り寄るように耳元で囁いたのです。
 ――あの鏡ですけれどね。……」
 「それは本当に、おそろしい宣告の言葉でした。それを聞いた瞬間に、私が安住しかけた仮説の家は、一撃のもとに崩れ去った。そうでした。私がすべて、あの飲みつけぬ酒の魔力に帰そうとした不条理。それが少なくとも私たち二人の共有した、実際の体験だと灰谷は言うのだ。
 ありうべからざる宣告を突き付けられて、どうしようもない敗北感に打ちひしがれた私は、席を立つこともかなわない――灰谷はそんな私に、昼休みの残りの四十分の間、一方的にその残酷な判決文の読み上げを続けるのでした。
 ――一昨日のマンションの場面では、私の突然の中座のために語ることのできなかった鏡の由来。その不思議。自分の孤独癖の秘密。……
 とにかく私は、灰谷の得体の知れない独白に、最後まで付き合いました。そんな怪異を信じるわけにはいかないから、適当な相槌だけでお茶を濁しながら、だがしかしあの忌わしい記憶のために、相手の並べ立てるたわごとを一喝してしまうわけにもいかずに。――
 そんな二人の姿は、傍目にはどんなふうに映っていたのでしょうか。誰にも心開かないはずの灰谷が、今日にかぎって饒舌に喋っている。そして漏れ聞こえてくる、言葉の端々。鏡の魔力。あちらの世界。背徳と背理。甘美な幻想……そしてそんな尋常ならざる奇人の物語に、なぜだか辛抱強く耳を傾ける私の姿は、また輪にかけて奇異なものだった。……

 ともかくもそんなふうに苦痛の時間が過ぎて、私は灰谷の話を最後まで聞き終えました。最後まで――いやもちろん、そんな奇譚に何か特別な限りがあったようには思えませんでした。ただ昼休みの終りの刻限が、おのずから灰谷にその続きを語ることをとどまらせたのです。
 灰谷がそうしてようやく口を噤むと、私たちは無言のままに示し合わせて食堂を出て、それぞれの持ち場に戻りました。灰谷は長年心に秘したわだかまりを、誰かに打ち明けることができたことに満足しながら。そして私の方は、相変わらぬ敗北感に打ちひしがれたまま。――」
 「午後の仕事が、少しも手に付かなかったのは言うまでもありません。職場でばかりではない。自宅へ帰った後もその翌日も、昼間のことが――昨日のことが一時も頭を離れない。書類を捲っていても、談笑をしていても、食事を取っていても、私は心の片隅で始終そのことを考えているのだ。一体何が信じることができて、何が信じることができないのか? 何が正常で、何が異常なのか? 本当なのは何か? 

 ――私の頭の中には、食堂で聞いた灰谷の話が、幾度も幾度も繰り返されていました。自分と鏡との出会いは、他でもない。たまたま気が向いて、通りすがりの道具屋に足を踏み入れた自分が、勘定台の横に吊されたそれを見つけたのだ。もちろん何の変哲もない姿見に、格別気を引かれたというわけではない。ただ当時の自分の部屋にまだ鏡がなかった偶然が、それを買い求めさせたのだ。そしてその翌朝。……
 そんなことが、この科学万能の世の中に、そんなことが起こるわけがない!

 ――灰谷はまた語っていた。そこはあらゆる背理と背徳が可能となる、魔法の世界だ、と。
 自分たちの自由を縛るものは、そこには何もない。『道徳』も、『義務』も、『慣習』も、もはや禁じることでその暗い影を投げることはないのだ。いやむしろそこでは、耽美と快楽こそが自分たちを統べる倫理となっていた。自分たちは美の花を手折り、快楽の果実を啄むべきなのだった。……
 本当にそこでは、こちら側に起こりうるあらゆる背徳が、野放しにされていた。だがもっと驚くべきことは、そこにはこちらでは起こりえない背徳も――つまりは背理すらも起こったのだ。念ずる者はたちまちこの世のものとは思えない力を帯び、次々と妖異が招来された。酒の海に泳ぐことも、幾万の女にかしずかれることも、自分たちには容易だった。甘美な幻想と狂乱の毎日。それはあたかも、さかしらな物理学の『法則』すら、あの耽美と快楽の矩に譲ってしまったようだった。そこでは水が低きに付くように、すべてが美へ、美へと流れ落ちていく。……
 そんなことが、この科学万能の世の中に、そんなことが起こるわけがない!

 ――灰谷はまた語っていた。そこには忙しない時間に代わって、『永遠』が支配している。そこでは老いる者も、滅びる者もない。いや正確には、それは『永遠』とは違うもしれないが、少なくともそれに見紛うほど時の流れは悠容としていた。例えば私はそこで、一年を過ごす。ようやく快楽にも倦んだ私が、鏡を抜けてこちらの世界に戻ったとき、目覚し時計の針は目盛り二つを、十分を経過しただけなのだ。……
 そんなことが、この科学万能の世の中に、そんなことが起こるわけがない!

 こうして記憶に蘇る灰谷の話を、危うく信じそうになるのに必死に抵いながら、それでも私は考え続けた。何が正常で、何が異常なのか? 本当なのは何か? 
 自宅へ帰った後もその翌日も、またその翌日も、一時もそのことが頭を離れない。
 そんな気持ちに整理がついて、ようやく平常の自分に戻るころまでには、確かに一週間近い時間が必要だったのです」
「その間、私は事態を理解しようと焦りました。もちろんこの科学万能の世の中に、そのようなことが起こるわけがない。それがあくまで、私の前提でした。だとしたらこれは、一体何事なのか? なぜ灰谷はかく語り、私もまたなぜそれを見たのか?
 私は考えうるかぎりの可能性を数え上げました。例えばあの旧い仮説、すべてを酒毒のせいに帰すること? あるいは何らかの悪意のために、灰谷が用いたトリック?――だがどの考えも、起きてしまったことを十分に説明してくれるようには思えませんでした。
 
 そうして一週間ほどしたころ、私もようやく自分なりに、納得できる新しい説明に辿り着きました。
 その考えによれば、灰谷の言う『鏡の国』とは、一種の比喩のようなものと解釈されました。灰谷がそのマンションの部屋の中に築き上げた、もう一つの世界の比喩。……
 そうでした。銀行への行き来と、単調であじけない昼間の執務。だがきっと灰谷は、そんな外面の自分とは別の、もう一つの世界を持ち続けていました。四角四面の銀行員の暮らしの枠組みには、けっして収まりきれない部分――もちろん常人の場合なら、そんな不調和は時折のガス抜きによって、器用に発散されて終わってしまう。だが灰谷はその逆に、表の世界では本当に役柄そのものになりきって、ただ舞台の裏側でまた別の自分を生きていた。そうでないすべての願望と営みは、あのマンションの小部屋の中に押し込んで、ただその中にだけ自分一人の秘密の隠れ家を築くことを始めたのだ。――
 灰谷が『鏡の国』と呼んだのは、きっとそのような何かの、比喩であったにちがいありません。
 現実とは似て非なる、もう一つの内なる世界――もちろんそれも、初めはちっぽけな、箱庭にすぎませんでした。だがしかし、幾年もの孤独の日々を暮らすうちに、それは確かに「世界」と呼べるものに育っていった。否。大きさばかりではない。本当に細部に至るまで精密に夢見られたこのお伽の国は、精度においてすら現実に比肩し、対峙していた。――そしてそんな不思議な時空の存在を、もし何かになぞらえるとしたら、確かに鏡をおいてはなかったでしょう。冷たい白銀の向こうに、すべてを映してしまったあの鏡の世界。……
 秘密の小部屋に一人こもって、蚕が繭を作るように築きあげた、倒錯の世界。一体そこでは、実際に何が行われ、何が物思われたのか。それは余人には、けっして推し量ることはできない。それはあるいは、時に新聞の三面記事に露呈する、おぞましい裏の顔。口が裂けても言えない習癖? 怪しげな蒐集? 危うい薬物? ひょっとしたらそれは、本当にそうかもしれない。だがしかし、あるいは灰谷の言う「背徳」とは、単なる卑下の言葉にすぎないかもしれない。極端を言うなら、天才たちの築く壮麗な精神世界もまた、そんな現実とは相容れない異の世界――『鏡の国』であるのにちがいない。……

 それが私の、新しい考えでした。そうなのだ。きっとそうなのにちがいない。灰谷はただその内面の、あまりにも鮮烈な仮想の世界を、「鏡の国」と喩えたのだ。――そう考えれば、問題の半ばは片付きました。だとしたらあと、残された問題はただ一つ。もしそれが単に、灰谷の頭の中の世界にすぎないとしたら、どうして私があの日、この目でそれを目撃するようなことがありえたのか?
 その仕組みについては、昔の読書の記憶が、一つの理解を与えてくれました。
 それは私が、かつてあるきっかけから読み散らした、精神医学の書物。その中には確かに、次のような記述があったはずです。
 ある異常者と、同じ環境に暮らす周囲の人物に、本来その異常者のものであった妄想が伝播することがある。そしてそのかぎりにおいてだけ、その人物も異常性を分け持つのだ。とりわけ互いが強い共感を抱いているような場合、あるいは潜在的に同じ気質を分け持つ場合、刷り込みはいとも容易に行われる。――
 もちろんそれは『感応精神病』と呼ばれた症例でした。だがしかし、程度の差こそあれ似たような現象は、健常の世界にもいつでも起こり得るものなのです。
 たとえばあらゆる狂信の集団を動かすものは、もちろんこの原理でした。あるいは鬼監督に心酔して、汗と涙にまみれるアスリートたち。説かれるままに命を投げ出す殉教者たち。国を滅ぼす戦争だって、たいていはその中心に、誰か卍をつけた人物が束ねていた。
 そのうえそれはけっして、そんな大舞台だけではない。私と灰谷の場合のような、ごくありきたりの人物の間にも――そうでした。
私と灰谷は、もちろん同じ環境に暮らしていました。そのうえ今思えば二人の間には、当時の自分は少しも気が付かなかった共感と、共通の気質のようなものさえも、あったのかもしれません。
 つまりはそこには、そんな『感応』が起こる十分な下地があった。そのうえあの日は、飲みつけぬ酒の酔いが私の意識を混濁させて、すでにトランスに近い状態を作っていました。だとしたらそれは、少しも不思議なことではなかったのです。鏡のことを話し始めた、灰谷の謎めいた語り口に誘われて、私は催眠術に掛かったように、一時的にその妄想の世界に引き込まれていった。……」
 
     5

 知人の話は、再び小休止を迎えた。
 例によって煙草に火を付け、紅茶を啜り上げる知人を眺めながら、私はようやく安堵していた。
 あれほどまでに私を困惑させた鏡の奇譚に、今しも決着が付けられた。すべての不条理は、知人自身の口で解き明かされ、そのうえその説明は少なくともこの段階では、十分に納得のいくものと思われたのだ。
 
だが私を安堵させたものは、ただそればかりではなかった。
 私はすでに、もう気が付いていた。謎解きを終えて煙草をくゆらす知人の顔は、今では再び穏やかな、尋常の表情に変わっていたのだ。
 ミステリーを語った知人の、憑かれたように宙を見詰めた視線。語り部の威厳。巫女の妖気。私を驚愕させたそれらのものはすっかりと消えさって、そこにはただ善良で平凡な、一人の銀行員が戻っていた。
 だとしたらすべてはあくまでも、仮の姿にすぎなかったのだ。あの陰惨な、裏の顔だと思えたものも、その実知人が一時かむった鬼面にすぎなかった。
 それもおそらくは、きっとその物語の演出のために――そうだった。これから先の話の続きは知らない。だが少なくともあの鏡の国の奇譚には、きっとあんなおどろおどろしい語り口が似つかわしいと判断されたのだ。
 そんなふうに物語の部位に応じて、声音だけでなくその表情も、身振りも巧みに使い分ける。もちろんそんな迫真の話術が、目の前の銀行員に備わっているとしたら、それもずいぶん不思議なことではあった。だが少なくとも知人には、そうしてありったけの力を駆使して、伝えなければならない何かがあったのだ。
 だとしたらそれは一体、どのような?
 そんなふうに、私の安堵はやがて次第に、話の先をせがむ気持ちに変わっていった。
 そして知人もまたそんな心の内を察したか、しきりに眼鏡のずれを気にしながら、おもむろに話の続きに取り掛かった。
 だがもちろん今度は、先刻までのあの物狂おしい語り口ではない。適度に間合いを起いて相手の反応を確かめながら、身振りさえしてみせる、要するに普通の話し振りで。
 「自分の異常な体験にこうして科学的な説明を得て、私はようやく心の迷路から脱出することができました。自分が訳のわからないオカルトに巻き込まれたのではなかった安堵、とりわけ自分の気がおかしくなっているという可能性を退けることができたことが、私の一週間に及ぶ懊悩に終止符を打ってくれたのです」
 「もちろん新しい理解が、新しい対応を要求することは言うまでもありません。だとしたら、だとしたら自分は、これから灰谷とどのように付き合っていくべきなのか?――だがこの新しい問題は、先のそれに比べれば、さしたる熟慮を必要とするようには思えませんでした。少なくとも当時の私にとって、それにはあまりにも自明な解答が存在すると思えたからです。

 それはもちろん、この灰谷という危険な人物を、極力遠ざけようというものでした。 
 危険な人物――もっとも私は、別段灰谷が世間一般にとって、何かおそろしい存在だと言っているわけではありません。灰谷がどんなおぞましい営みに溺れていようと、それが彼のマンションの部屋の中の、夢想の世界の出来事であるかぎり、そのことでよそ様に何の危害も及ぼすものではない。
 それはもちろん、その通りでした。だがおそらく、私の場合にかぎって、事情は幾分異なっていました。あの日の出来事からも知れるように、ひそかに灰谷と同じ土壌を共有した私は、容易に灰谷の感応を――その支配を受けやすいパーソナリティでした。そんな私が必要以上に灰谷に近付けば、その世界に引き込まれてしまう危険性は十二分にあったのです。だって実際、あの日灰谷は私の手さえ取って、私を鏡の向こうへと誘ったではありませんか? そしていったん引き込まれたら、その甘美な快楽にのめり込み、ついにはそこを脱することもかなわなくなるにちがいない。そうして私はちょうどあの灰谷と同じように、こちらの世界ではただ魂の抜けた、ゾンビに成り果ててしまう。……」
 「もちろん今思えば、そんな心配は随分と、理不尽なものだったかもしれません。たとえ私が灰谷の世界に引き込まれたとしても、滅びるのはあくまでもこちらの私であるにすぎない。私の魂自体は、灰谷の案内してくれた夢想の世界の中で、甘美な快楽を啄みながら、永遠の生命を享けることができる。だとしたら何も恐れることはない、むしろ私は進んでそこに飛び込むべきだった。……
 だがそんな、あまりにも純度の高い幸福を授かることを、私たちはいつでも尻込みしてしまう。いわばそれもまた、火を遠ざける小動物の本能でした。炎の輝く光と迸るエネルギーを、それだからこそかえって恐れてしまう小動物の本能――そんなふうに、天才でもなく狂人でもない凡夫は、かすかな後悔と引き替えに、いつでも安心と平和の方を選んでしまう。……」
 そう語りながら、知人はふいと口を噤んだ。
 数秒の沈黙は、私に観察する余裕を与えた。
 うつむいたまま再び一口、二口と紅茶を啜るその顔には、今ではなぜか弱々しい、とてつもなく淋しそうな表情が浮かんでいる。
 もちろん私に、そんな知人の哀愁の、すべてが理解できたわけではない。だが確かに私は、あのとき初めてこの不思議な銀行員に、ほのかな共感のようなものを覚えていたのだった。それと同時に、その物語が伝えようとするメッセージに、私もまた懸命に、耳を澄ますことを始めたのだ。
 「そのようにしてあのときの私も、火を避けることを――灰谷を避けることを選んだのでした。
 週の明けた月曜日、いつものように出社した私は、ことさらに灰谷と視線を合わせるのを避けた。
 昼休み、隣を空けて座っていた灰谷の傍らを通り過ぎて、私は奥のテーブルに座った。

 その瞬間灰谷の顔に、怪訝とも困惑とも付かない表情が浮かぶのが、横目に見えました。だがしかし、そんな表情はたちまち、淡い苦笑いに取って代わられた。孤独癖の人間にありがちな、自嘲のようにも諦念のようにも見える淡い苦笑――そうでした。自分が嫌われたのに気が付かないほど、灰谷は魯鈍ではなかった。そしてまたそう気が付いていながら、のこのこと擦り寄ってくるほど無神経でもない。むしろ灰谷は、自分がそうして疎んぜられた理由までを、即座に了解してしまったように見えました」
 「その瞬間、その瞬間から再び、灰谷は元通りの灰谷に戻りました。誰も話しかけず、誰にも話しかけない変わり者。二人の間に一週間ほど続いた睦まじい時間、――私の親身の忠言、普段着の訪問、灰谷の耳打ちする打ち明け話――そんなすべてのやり取りは、潮が引くようにやまり、後には元通りの白々とした砂浜だけが残されました。いや、それは元通りですらない。以前の二人なら、少なくとも擦れ違うときには目礼を交し、食堂で相席すれば一言くらいは言葉を掛け合ったでしょう。だがこの瞬間から、そんなことすらなくなったのです。そうしていわば、その孤独と周囲とをかろうじて繋いでいた心細いたつきすら失くして、灰谷は完全に独りぼっちになりました。
 思えばそれも、ずいぶんと残酷な仕打ちだったにちがいありません。もちろん灰谷が、恨みつらみを言うわけもない。だがしかし、擦れ違う度にことさらに視線をそらす私に、灰谷の浮かべる照れ笑いには、確かに一抹の淋しさが混じっていました。……」
 そんなふうに語るとき、知人自身の表情にもまた同じような、「一抹の淋しさ」が浮かぶのが見えた。だがもちろん、それはほんの一瞬だけのことだった。まるでそんな感傷を振り払おうとするかのように、知人はきっぱりと、話の続きに取りかかった。
 「だがしかし、時の流れはすべてを曖昧なものにしていきます。ここでもまた、旅人には異体に見えるお化け石が、村人にとっては日常の風景であるような、そんなことが起きたのです。――あんな出来事があってものの三か月もすると、もう灰谷の孤独を怪しむ者はなくなりました。誰も話しかけず、誰にも話しかけない偏屈男。灰谷は再び、そう解釈されて終わりました。そのうちに当初灰谷に感じていた、わずかな後ろめたさも消え失せて、私はすでに二人の間には、初めから何もなかったかのようにさえ感じ始めていました。
 二年、三年と経つうちに、本当にすべてが忘れられました。私はといえば、妻子に尽くす夫の務めにかまけ、ようやく役の付いた職務に忙殺されながら、他を顧みる余裕などない。灰谷の方は相変わらず誰からも相手にされないまま、あじけない昼間の仕事と、孤独なマンションとの行き来を続けていました。かつて灰谷を訪ね、共に酒を汲み交したことなど、すっかり記憶の中から消え果てました。もし誰かがそんな昔話を指摘したとしても、そんな嘘臭い作り話を、眉に唾付けて聞いたことでしょう。――そればかりか、灰谷の謎の暮らしぶりにも、私はとうに関心を失くしていました。あんなはぐれ者の私生活など、どうでもいいことだ。私もまた他の仲間と同じく、きわめて大ざっぱに、灰谷はそこで昼間の執務の続きをしているのだ、とほとんど信じ掛けていた。……」
 ここまで語ると、知人は再び一服、煙草に火をつけた。
 もちろんこんな知人の最後の言葉には、どこか思わせぶりな、暗示の響きがあった。
 だとしたらもう、私にはわかっていたのだ。物語はけっして、ここで手仕舞いではない。そればかりか、これまですべての筋立てを前置きとして、これから先に本当に手に汗握る物語の展開が、待ち受けているのにちがいない。
 私は思わずソファから身を乗り出して、続きをせがむかのように、知人の目元を注視した。
 「そしてそんなふうに、何の波風も立たない日々が続きました。あじけない昼間の職務と、プライベートでのささやかな幸せ。そんな巧みな使い分けのために、誰もが大過なく、それなりに満ち足りた生活を送っている。……
 だがついこの一年前、そんな安穏の職場を、ほんの少しだけ驚かす事件が起こりました。
 それは灰谷の欠勤でした。

 確かに銀行に就職して以来、まるで愚直な機械のように精勤を続けてきた灰谷が、会社を休むということ自体が、相当な驚きでした。だがそれだけで、騒ぎになろうはずもない。灰谷のはまったくの無断欠勤で、しかも自宅に入れた上司の電話には、何の応答もなかったのです。
 もちろん灰谷一人が欠けたところで、銀行の業務に何の支障も出るはずもなく、それ自体は些細な出来事でした。だがそんな些細な出来事のために、それまでは目の前にいながらかえって忘れられていた灰谷という厄介な存在が、再び意識の閾の上に引き上げられた。そのことが私たちを困惑させ、いらだたせていたのです。
 そのうえ欠勤は翌日も、翌日も続きました。もちろん誰もそんな問題とは、掛かり合いになりたくなかった。このまま放っておいても、何の不都合も生じない。だとしたら、時がすべてを解決してくれるのを待ったとしても、差し障りはないはずだった。――だがしかし五日もそんなことが続いたころ、ようやく上司は、事に対処する必要を感じたようでした。そしてそのとき、方法を思案する上司の頭に、あろうことかかつて灰谷の唯一無二の友人であった、この私の名が浮かんだのでした。
 偵察を仰せつかった私は、その日の退社後、灰谷のマンションに向かいました。もちろんそれは、あまりありがたくない役目でした。だがしかし私を当惑させていたのは、役目そのものの煩わしさよりも、むしろそんな役目を通じて、私もまた思い出さなければならなかった『過去』でした。確かに五年前までは自分は灰谷の友人であったこと、そしてそのころもこうして一度、灰谷のマンションを訪ねたこと――私がもうすっかり忘れかけていた、いやむしろ、努めて忘れようとしていた事実を、今こうしてまざまざと突き付けられたことに、私は当惑していたのでした。

 一時間足らずで到着した灰谷のマンション。
 私は管理人の立ち会いのもとで、部屋のドアをゆっくりと開きました。
 中を覗き込んだ私は、その様子が自分の記憶の中に蘇っていたかつての部屋の光景と、寸分違わないことに驚きました。2DKのマンションが、調度類が少ないために、かえってだだっ広く感じられてしまう。サイドボードを兼ねた本棚に並んだ多少の本。そして本の傍らに並んだ洋酒の瓶。
 もちろん部屋の中からは、少しの人気も感じられませんでした。
 探索の無益を感じながらも、私は靴を脱いで中に上がり込みました。だがそうして居間に足を踏み入れた瞬間、私は何かの啓示を得たかのように、急激にある一つの記憶を呼び起こしたのでした。
 『それ』を探して、私は部屋中を見回しました。
 だがしかし、すでに取り外されていたものか、部屋の壁のどこにも、鏡は見当たりませんでした。そしてその代わりに、まさに五年前のあの日、鏡が取り付けられていたその位置に、一枚の肖像画が――灰谷自身の半身大の肖像画が飾られていたのです。……」
 
     6

 私は思わず固唾を飲んだ。
 一枚の肖像画。そうだった。本当はそれが、すべての始まりだったのだ。
 知人の応接間に掛かった、謎の油絵。年齢を訝らせる衰顔。大きく見開かれた目。叫ぶような口元。――そもそもが知人の長話も、私がこの絵に興味を示したのが発端だった。ただ灰谷にまつわる奇譚の、迷路の中へと迷い込むうちに、いつしかそのことを忘れかけていただけなのだ。
 そうだった。だとしたら今こそ、長すぎた前置きの後に、ようやく物語の本筋が始まるのだ。  
 鏡のあったまさにその位置に、代わりに飾られた肖像画。それは確かに、あの不思議な絵にはふさわしい、謎めいた登場の仕方だった。だとしたらこの新しいミステリーは、これからどのように進展していくのか? 私はこれまで以上に身を乗り出して、話の続きを待った。
 だが私の期待は、たちまち裏切られた。そうだった。何と知人は、そうしてようやく始まったはずの物語を、あまりにもあっけなく結んでしまったのだった。
 「そして――いや、起こったことはそれだけでした。私たちの捜索にもかかわらず、灰谷の居所の手掛かりは何もつかめなかった。やがて捜索願が出されたが、それきり警察からは何の音沙汰もない。そのようにして、元来が影の薄かったこの孤独癖の男は、今度こそ本当に、煙のように私たちの間から消えていったのです。
 本当に、それから何一つ起こるでなかった。今に至るまで、何の新しい情報も、発見もない。ただ灰谷という一人の男が、私たちの間から煙のように消えた。それだけで、すべてが終わったのです。――それから半年後、灰谷のマンションが引き払われるという段になって、挨拶に見えた親御さんに頼み込んで、私はずっと気掛かりだった例の肖像画を譲り受けました。まるで友人の形見であるかのように、それをこうして応接間に飾って、ただ朝な夕なに眺めている。そうしながら私は、ひょっとしたら私だけが理解できるかもしれない灰谷の失踪の謎について、今もなお思いを巡らしているわけなのです。……」
 本当にそうして、知人は始まったばかりの物語を、あっけなく打ち切ってしまった。
 尻切れ蜻蛉の結末に、私は当惑を隠せずにいた。
 だがもちろん、すべては私の心得違いだった。確かに現に起こったことは、ただそれだけだった。灰谷の失踪と、そのあとに残された一枚の肖像画。だとしたら、そうしていったん事実の報告を終えたあとで、知人が話に一段落をつけたのは当然だった。
 だがしかし、知人はそれっきり、口をつぐんでしまったわけではないのだ。確かに起きたはずの「事実」は、すでにすべてが伝えられていた。だがしかし出来事の向こうにあるはずの「真実」は、まだ少しも語られてはいなかったのだ。それは例えば、物語が帯びるはずの意味。隠された背景。そしてあらゆる関連づけ。――事件の顛末を早々と打ち切ることで、むしろ知人はそれらのものを、これからあらためて語ろうというのだ。
 そしてきっとそれこそが、知人が本当に伝えたかったもの。否。何らかの内なる衝動に駆られて、知人が打ち明けずにはいられなかった、魂の「真実」なのだ。……
 そうだった。実際知人は、いつまでも黙してはいなかった。ほんの短い休止のあとで、「今もなお思い巡らしている」と言う灰谷の失踪の謎について、その推理を――知人自身の考えるところの「真実」を滔々と、実に滔々と語り始めた。……

 「謎を解く手掛かりは、どう見てもあの肖像画にありました。そもそも私たちのような年齢の、私たちのような身分の人間は、何か特別思うところでもないかぎり、自分の肖像など描かせるものではない――いやもちろん、問題はそればかりではありません。あなたもお気付きのように、絵に描かれた灰谷の凄惨な表情、その顔に差した老人のような疲労の影は、失踪当時の灰谷の心の状態を、きっと物語っているにちがいないのです。
 失踪当時の――だが今になって思えば、ひょっとしたらそれはそうではない。そんな灰谷の変化は、ああしたことが起こる何年も前から、すでに兆していたものなのかもしれません。ただ私を含めて誰もが、灰谷と顔を見合わせることを避けていた。そのために、例えば灰谷の相貌の顕著な変化をも、看過してしまっていたのだ。……
 本当に、きっともう何年も前から、灰谷の様子には明らかな変化があったにちがいありません。老いと疲労と退廃の影。たとえ能面のような無表情と、薄ら笑いが灰谷の特徴だったとしても、そんな仮面の向こうの素顔には、自棄と絶望と不安が透し見られた――だとしたら、その原因は一体何だったのだろう?
 考えるうちに、私の中にあの古い記憶が蘇りました。かつて五年前、灰谷のマンションを訪ねた翌日に、食堂で聞かされたあまたの物語。灰谷はその一人の部屋で、幻想と耽美の世界に遊んでいる。そこでは快楽が矩となり、あらゆる背理と背徳とが許されている。……そしてきっと、そんな世界で時を過ごした者は、竜宮で暮らした浦島のように、必ずおそろしい報いを受けずにはいないのだ。…… そうでした。だとしたら、それがすべての原因なのだ。そんなふうに快楽に倦み果て、心を病んだ灰谷は、形見に一枚の肖像画を描かせたきり、誰にも知られないこの世の片隅に隠れ住んだのにちがいない。――
 例えばそれが、一つの仮説でした。一つの仮説――そうでした。こうして灰谷の肖像を眺め、灰谷がかつて語った物語を思い出しながら、私はその失踪の謎について、考え得る限りの可能性を吟味しました。一つの仮説が新しい仮説によって覆され、あるいは葬られたはずの古い仮説が蒸し返される。作っては壊しの積み木細工。そんなふうにまるで探偵のように推理するのが、いつしか昼夜を問わず、こうして家にいるときの私の習癖となったのです」
 聞くうちに私は、再び身を乗り出し始めていた。
 そうだった。なるほど肖像画の物語そのものは、あっけなく費えてしまっていた。だがしかし、そうして残された謎には、確かに物語以上のサスペンスがあるにちがいなかった。だとしたら今しも知人が取りかかる推理の中に、きっと私自身もまたパズルを解く興奮と楽しみを、見出すことができるはずなのだ。
 だが私の期待は、ここでも裏切られた。
 パズルを解く興奮と楽しみ――だが話が進行するにつれて、知人の調子は次第次第に、そんなのんきな聞き手の近接を、明らかに拒むものに変わっていったのだ。
 それは初めは、微細な変化だった。だが私は、そんな小さな徴候をも、けっして見逃しはしなかった。間違いなくこれは、あれの前兆だった。再び知人の身の上に、あれが起ころうとしているのだ。
 おどろおどろしい陰惨な隈取り。憑かれたような表情。虚ろに宙を見詰める視線。
 語り部の威厳。巫女の妖気。
 それはもちろん、あの鏡の顛末を語ったときの、知人の表情だった。そして物語の終わりとともに、止まったはずのもの。私自身が、ただ知人の話術の一つと解釈して終えたもの。それがなぜここで、再び始まらなければならなかったのか? だとしたらこれもまた、本当に知人の演出の一環なのか?
 そんな私の怪訝をよそに、知人の話はその進行を早めていた。
 「一つの仮説が新しい仮説によって覆され、昼夜を問わず推理する。だがしかし、そんな暮らしを幾年も続けるうちに、揺れ動く私の思案も次第にある特定の方向を――そしてその先に何やら結論らしきものを、指し示すことを始めたのです。 
 ある特定の方向を――そうでした。例えば灰谷の失踪について、いくつもの可能性を吟味しながら、灰谷が死んでいるという事態だけは、今は思いも及ばない。灰谷はただ行く先をくらましただけで、きっとどこかで生きている。それがいつしか次第に、私のすべての推理の前提となっていた。その公理に異議を挟むような考えは、初めから排除されたのです。
 灰谷の親族は、とりわけ灰谷の老いた母親は、息子がどこかへ身を投げたと信じて悲嘆に暮れていた。だが自分にはそれが、とてつもなく荒唐無稽な想像に思われました。灰谷はきっとどこかで生きている――その信念に、何か特別な根拠があったわけではありません。ただ私には、圧倒的な確信をもってそう感じられた。そう。それは考えられたのではなく、一種の直覚によってそのように感じられたのでした。
 そしてもちろん、そんな私の思い込みには、このあまりにも生々しく描かれた肖像画の中の、『灰谷』の存在が一役買っていた。……」
 一種の直覚、あまりにも生々しい肖像画――そんな謎めいた言葉を用いるとき、もうすでに兆していた知人の調子の変化は、疑いようのないものとなっていた。
 知人は私に語りながら、もう少しも私を見ていない。虚ろに宙を見詰める視線。憑かれたような表情。おどろおどろしい陰惨な隈取り。
 それは確かに、あの鏡の顛末を語ったときの、知人の鬼面だった。一度は脱ぎ捨てたはずのそれが今、あのときよりもはるかに忌まわしい相貌となって蘇っていたのだ。だとしたらそれは、一体なぜ?
 それはここでもまた、単に知人が用いた話術なのか。それともそれは、けっして話術などではない、善良で平凡な銀行員の仮面の裏の、おぞましい恥部のようなもの?。……
 しかもそうして知人が語ろうとしているのは、到底容認することのできない不条理だったのだ!
  
 「灰谷はきっとどこかで生きている――本当に、この生々しい肖像を眺め暮らすうちに、そのことはもはや私にとっては、疑う余地のない『事実』となっていきました。
 だがそれは、けっしてそれだけにはとどまらなかったのです。
 そうでした。この生々しい肖像を眺め暮らすうちに、いつしか実に不思議な感覚が、私をとらえ始めました。
 確かに灰谷は、きっとどこかで生きている。だがしかしその『どこか』とは、自分とは無縁の遠い『どこか』ではなく、自分のすぐ傍らの『どこか』である――私にはいつしか、そんなふうにすら感じられ始めたのです。
 だとしたらもちろん、その先はあと一歩でした。そう。私があの最後の、とてつもなく忌まわしい結論にたどり着くのは、もう時間の問題だったのです」
 
 「きっかけは今度もまた、あの灰谷の物語にありました。
 そうでした。かつて五年前、昼休みの食堂で聞かされた奇譚。鏡の向こうの魔界の事情。ありうべからざる妄誕として、一度は片づけられたもの。
 だがしかし灰谷の失踪の、その謎を思いめぐらすうちに、それらのすべてが突然、記憶の墓場から蘇った。そして私をあの、最後の結論へと誘ったのです。
 
 鏡の国の物語を織りなす、その無数の挿話。中でもとりわけ手掛かりとなったのは、次のような件でした。
 ――鏡の世界での無尽蔵な快楽と、こちらの世界での行い澄した毎日。そうして鏡の内外を行き来しながら、自分の中である微妙な平衡が保たれている。だがもちろん、皆が皆そうなわけではない。実際、あちらの世界に行ったきり、そのまま住み着いてしまったのも五万といる。だが自分は怖いのだ。あんな獣のように貪る連中は、きっといつか地獄に落ちるにちがいない。否。きっと今彼らのいるそここそが、まさに快楽の地獄なのだ。そういえば快楽に喘ぐ彼らの爛れた表情は、苦痛に喘いでいるようにも見える。……
 灰谷はそう語っていました。そしてそれは確かに、鏡の向こうに行った者がそれきり帰らなくなる可能性を、示唆していたにちがいありません。
 もちろん当時の私は、事の重大さに少しも気が付かなかった。すべては取るに足らない物語の細部として、受け流していたのです。
 だがしかし、そうして忘れていたはずの一節が今こうして蘇り、私に耳打ちしていた。きっとすべての謎を解く鍵は、こんな挿話の中にあるのだ。……

 そこにはまたもう一つ、こんな件もありました。
 ――あちらの世界には『時』がない、否、もっと正確に言えば、生じては滅ぼす移ろう時に代わって、そこでは永遠の時間が支配していた。時の流れを暗示するような変化は、すべてそこから排されていた。そこには老いも、衰微も、四季の変化もなく、温度はいつも恒常のまま維持されていた。……
 ――温度はいつも恒常のまま維持されていた……いや、少なくとも自分には、確かにそのように感じられていたのだ。だがあるときふと、何の気なしに温度計を覗き込んだ自分は、思わずわが目を疑った。何とその数字は、自分が初めてここに来たときから、なぜだか十度近い下降を示していたのだ。手品のからくりは、おそらくこうだった。確かに一年のサイクルで見れば、温度はいつでも一定だった。だがしかし年を追うにつれて、そこにも本当に微量ずつの変化が起こったのだ。そして数百年という時が経って……それはこちらの世界では、数年が過ぎる間なのだが……そんな気付かぬはずの微量の変化が、いつしか次第に積み重なって、こんな明らかな数字の下降となって表れたのだ。
 ――やはり一緒に淫楽を貪っていた、亡者の一人が心得顔で教えた。ソレガ定メナノダ。ヒトノ心ヲ失クシタ者ノ冷腸ガ、コノ白銀ノ世界ニスラ氷河ノ時代ヲ招来シテシマウ。ダガ安心召サレ。我々
ノノ命ハ、タトエ氷河ノ中デスラ滅ビルコトハナイ。……
 ――たとえ氷河の中ですら滅びることはない……そして実際、それはそうらしかった。温度計の数字が十度を切り、五度を切る。そして驚くべきことに、まるで変温動物の類いのように、自分たちの体温もそれにつれて十度を切り、五度を切ったのだ。だが自分たちは、それでも少しの寒さも苦痛も感じない。だとしたら本当に、自分たちは氷河の中ですら生き続けるかもしれない。……もっともそんな自分も、鏡の面を抜けてこちらの世界に戻る瞬間だけは、背中に凍り付くような寒気を感じはしたが。……
 灰谷が何気なく語ったそんな言葉を、あのころの私はこれもまた気にもとめなかった。だがそこには、確かにとてつもなく不吉な予言があったのにちがいない。だとしたら、きっとすべての謎を解く鍵は、こんな挿話の中にあるのだ。……

 そうでした。そんなふうに、かつて昼休みの食堂で灰谷が問わず語りに語った物語。そのすべてが――とりわけその中の思わせぶりの二つの挿話が、今しも蘇って私に教えていた。
 だとしたら確かに、私があの最後の最後の逆説にたどり着くのは、もう時間の問題だったにちがいありません」
 「本当に、灰谷の肖像を眺めながら、その失踪の謎を思い巡らす。そんな暮らしを幾年も続けながら、私も今ようやく、結論らしきものにたどり着いたように見えました。
 きっかけは蘇った、あの灰谷の物語、とりわけその中の、二つの挿話。気温の下降。帰らなくなる亡者たち。……
 もちろんそれらの一つ一つは、それだけではただ、無意味な想起にすぎない。そんな二つの挿話をつないだのは――否、本当にすべてをつないだのは、これもまたある日突然、霊感のように私の頭をよぎった二文字の漢語でした。

 『氷結』――それがその言葉でした。
 水温が氷点を下ったとき、湖の面は氷結を始め、生き物たちは水の底へ底へと、封じ込められてしまう。
 そんなことが、きっとそこでも起こったのだ。
 そうだった。温度計の数字が十度を切り、五度を切る、と灰谷は語っていた。だとしたらそれから五年が、つまり五百年近い時間が過ぎて、温度が零度を切ったときから、それが始まったのだ。鏡の世界はおそらく、空気に似せた忌まわしいガスに満たされていて、それが水が凍るような具合に凝固を始めた。――もちろん灰谷とて、異変には気が付いたにちがいない。だが必死の脱出の努力も及ばず、あれほど卑しんでいた亡者たちと同じく、灰谷もまた永遠に、あの世界の住民となったのだ」
 「そう考えれば、すべてに得心がいった。
 私たちの家探しした灰谷の部屋から、鏡らしきものは姿を消していて、その代わりに、この肖像画が飾られていた。位置と言い、大きさと言い、止め金の用い方と言い、あの鏡と寸分違わぬ油絵? だがすべてがそっくり同じなのも、むべなるかな。それは油絵などではけっしてない、あの鏡そのものだったのだから。
 そうだった。水温が氷点を下ったとき、湖の面は氷結を始める。だとしたらちょうどそのように、鏡もまた凍てついたのだ。この小さな額縁の窓から覗いているのは、けっして絵画などではない。いわばそうして、変わり果てた鏡の化石。耽美の国に訪れた冷寒の最期。そこに満たされた清澄な白銀のガスも、今は凝固して濁りを生じ、その結果がただこうして、油彩を見ているような錯覚を与えているのだ。……

 そう考えれば、すべてに得心がいった。
 私たちのような年齢の、私たちのような身分の人間は、何か特別思うことでもないかぎり、肖像など描かせるものではない? だがしかし、それは肖像などではけっしてなく、生身のままの灰谷が、凝り結ぼれた白銀の向こうに埋もれているのだ。ちょうど氷結した湖の底に魚が封じ込められるように、そんなふうに灰谷も、鏡の向こうに置き去りにされた。――もちろん灰谷とて、異変に気付かなかったわけではない。だが皮肉なことに、引き返そうと急いだ灰谷が、ちょうどこの出口のところまで辿り着いたときに、力尽きたのだ。そしてこの不幸な友人は、こうして世界の境界でこちらを覗きながら、それでも永遠に、あちら側の世界に囚われているのだ。

 そう考えれば、すべてに得心がいった。
 額縁の中の灰谷の、あのあまりにも生々しい存在感。その失踪の後も、灰谷は生きていると確信されたこと。しかも私と無縁の遠いどこかではなく、すぐ傍らのどこかに生きていると確信されたこと。――それらはけっして、私の気のせいばかりではなかったのだ。私たちの直感は、ここでも正しい事実を教えていた。本当に灰谷は、私のすぐ傍らのあの額縁の中で、絵の具のように乾いた白銀に埋もれながら、それでも生きているのだ。そうだった。亡者の一人が語ったように、彼らの永遠の命は、どんな寒気の中でも絶えることはない。まるで変温動物のように体温までが零となり、やがて血液までも凍てつきながら、彼らはそれでも息衝いている。否、そればかりか、そうして氷に縛られながらも、彼らはその永遠の快楽と背徳に浸り、喘いでいるかもしれない。……

 そう考えれば、確かに得心がいった。
 額縁の中の灰谷のあの特異な表情――凄惨なものを前にしたように、引きつった目元。何かを叫ぼうと小さく開いた口。訴えるような眼差――その不思議に印象的な表情を、私はそれまでどうしても理解できずにいた。だがこうして真実を得た今、私にはすべてがわかるのだった。本当に、灰谷自身も語っていたように、灰谷はあちらの世界に住み着くことなど、けっして望みはしなかった。鏡の向こうへの小旅行も、初めは誰にも覚えがある、興味本位の悪戯にすぎなかったのだ。だがそんな小さな好奇心が、こうして永劫の神罰で報われてしまったのを知ったとき、私たちの浮かべる表情は、まさにあのようなものでなければならない。……
極寒の氷の中に幽閉されながら、永遠の背徳に耽る快楽の地獄。私たちの誰もが望まないように、灰谷もまたそんなおぞましい生を望みはしなかった。そしてそんな永遠の地獄に落ちた灰谷は、身動ぎ一つかなわぬまま、ただこちらの世界を睨みながら、その表情だけで訴えている。あれほど切実な眼差しは、あるいは救いを求めているのだろうか? あるいはまた、救済が不可能なことを誰よりもよく知っている灰谷は、そうしてただ、言い知れぬ悲しみを語ろうとしているのかもしれない。……

 そうだった。そう考えれば、そう考えればすべてに得心がいった。
灰谷の部屋の、壁に掛かったあの魔法の鏡。それは確かに、いわば窓のない小部屋に開いた、たった一つの窓だった。灰谷はそこから、牢屋のように気鬱な日常の彼方を覗き、あるいはひそかに窓を抜けて、自在に異界に遊びさえしたのだ。
 だがもちろん、そんな麻薬のような快楽は一口啄んだだけで、すぐに引き返すべきだった。深みにはまって、骨まで毒に犯されて、抜け出せなくなる前に――そしてそんな末期の姿が、今の灰谷だったのだ。
 本当に、鏡の国の異変のために、窓は塞がれた。
 秘密の通路を抜ける行き来は、今ではもうかなわない。
 そればかりか逃げ遅れた灰谷は、そのままあちらの世界に置き去りにされたのだ――否。灰谷とて確かに、すぐあそこまで逃げ帰ったのにちがいなかった。だがしかし、いつものように窓を抜けようとしたとき、あるはずもない壁がそこにあった。
 今や一枚のガラスの板が立ちはだかって友を阻み、友を隔てている。まるで何かの否応のない宣告であるかのように――そんな目には見えない薄氷のようなものが、どんな鋼鉄の板よりも堅固にすべてを仕切ってしまうというのは、本当に何という不思議だろう。
 だとしたら友は、目をしばたたく。狭霧のように込められた銀のガスに包まれて、冷たい吸気をしながら、ただああして呆然と鏡のこちらを覗いているのだ。……
 だがもちろん、そんな灰谷の最期を前にして、私には何もなす術はない。
 ただ私にできることといえば、こうして朝夕に欠かさず額縁の前に立ち、地獄に落ちた灰谷の魂を弔い、唯一の友人としてその永遠の詫ち事に耳を傾けてあげることだけなのだ。……

     7

 憑かれたような陰惨な表情。虚ろに宙を見詰めた視線。その言葉さえもはや目の前の私に向かってはいない、いつしかただ独話の口調に変わっていた。
 聞きながら、私は薄ら寒いものを感じていた。こんな鬼気迫る姿は、本当にただの話術にすぎないのだろうか? そしてもしそうでないとしたら、それは一体何なのか?
 そのうえこうしてうわ言のように語られた話の中身は、一体どうしたことだろう。もちろんそんなことが、実際に起こりえようとは誰も信じはしない。だがしかし、もしそうだとしたら? ――
  
 不気味な沈黙の時間が、一分ほど続いた。
 語るべきことを語り終えて、全身の力が抜けたのか、知人は倒れ込むようにソファに凭れている。
 だがしかし、そうして知人の様子を眺めるうちに、私はそこに再び大きな変化が現れるのを認めていた。ソファに凭れて放心する知人の顔からは、熱が引くように例の強張った表情が消えていたのだ。陰惨な隈取り。虚ろに宙を見詰めた視線。それら私を戦慄させたすべてのものが再び消えて、私の目の前には、平凡で善良で生真面目な銀行員の知人が戻っていた。
 それと同時に、そうして日常の世界に立ち戻った知人は、私の心中の怪訝も、容易に察知したらしかった。申し訳なさそうに眉をひそめると、ここでもまたしきりに眼鏡のずれを気にしながら、知人は再び口を開いた。
 「いやもちろん、もちろんそれはわかっています。この科学万能の世の中に、そのようなことが起こるわけがない。――すべては私の錯覚、私の空想でした。
 思えばあの五年前、灰谷の部屋で起こったのと同じ現象が、今起こっているのでした。ある異常者の妄想が、周囲の人物に一時的に伝播する――そんな『感応』の病理が、確かに五年前の私に働いた。あのとき薬草酒の酔いにも煽られて、灰谷の妄想をすっかり分け持った私は、その結果灰谷が鏡の中に消えていくのを見た。……
 そんな幻覚と同じことが、きっと今もまた起こったのです。今度は酒の代わりにあのあまりにも生々しい絵に触発されて、一度は笑い飛ばしたはずの鏡の国の作り話を、またしても真に受けてしまった。その結果が、油絵を半ば強引に鏡と結び付け、単に画像にすぎないものに生身の灰谷の末路を認めたのでした」
 「鏡の国の作り話を、またしてもすっかり信じ込んだ。――そしてそれはただ、信じたばかりではありませんでした。灰谷の聞かせた話を素材にして、例えばあの氷結のことのように、自分自身の織りなした物語を付け加えていく。いわばかつては灰谷から譲り受けた妄想が、いつしか一人歩きを始め、今ではそれ自体の空想の体系を構築し始めた。
 そしてそれもまた確かに、書物に説かれたところの『感応』のメカニズム――そうでした。忌々しい感応の現象が、今も一時私の心を蝕んでいる。そしてそんな病が、歪んだレンズが歪んだ世界を写すように、さまざまな奇想を抱かせるのです。
 そもそも鏡の世界などというのは、初めから存在しはしない作り話でした。灰谷がその隠れた思いを託した、寓意のようなものにすぎなかったはずです。
 灰谷がその一人の部屋で作り上げた、もう一つの世界。その秘密の営みを、いわば鏡の国の物語に喩えて語ったのだ。――今回の失踪にしても、きっとそうなのでした。そこには灰谷だけの内面の世界の、他人には窺いしれない理由のようなものがあった。いわば『思うところ』があった灰谷は、さあればこそあんな一枚の肖像画を後に残して、ふとどこか遠い町へ漂泊の旅に出たのだ。……
 おそらくは、それが事実でした。それなのに、すべての比喩を馬鹿正直に真に受けた私は、あんな荒唐無稽な物語を思い付いたのでした」
 こうして知人は、自分自身の物語ったオカルトに、ここでもまた合理的な説明を付け終えた。まるでそうすることで、空物語に付き合わされた私のいらだちを鎮めようかというように。
 だが私にも、薄々わかりかけていた。これこそが、知人のパターンなのだ。ありうべからざる奇譚の世界に聞き手を引き込んでおきながら、後になってからあっさりと種明かしをして見せる。そしてその度に反転する、陰惨な鬼面と、平凡な銀行員の二つの顔。―― そしてひょっとしたら、それはけっして話術などではない。もし本当に「術」と呼ばれる種類のものであるとしたら、それはあくまでも知人の外側に置かれた道具のようなもの――だがしかし、これはけっしてそうではない。私が目にしているものはもっと知人の存在そのものに根ざした、不可分の何かだった。
 そうだった。幾度となく傍目を驚かした、陰と陽との不思議な転変。だがしかしすべてはけっして、語り部の表面だけに起こった現象ではない。もっとずっと奥底の、知人の魂そのものに今しも同じ事態が生じていて、私はただそれらを外側から透かし見ているにすぎない、とそんなふうに感じられたのだ。
それはおそらくこういうことだった。ちょうど灰谷の場合がそうであったように、知人自身の中にもきっと二つの世界と二つの自分というものがあり、その間にはまた常住の行き来が行われていた。知人の魂がこちらにあるときその声音はこのように変じ、あちらにあるときその表情はあのように切り替わるのだ。――
 もちろんそんな変わり身を、知人自身は少しも望んではいない。ややもすれば妄想の世界に迷い込もうとする想念を、理性が引き戻し、叱咤し、そして理由付ける。そんなたえざる緊張の関係が、この銀行員の心の内にあった。
 理性と妄念と。現実と不条理とのせめぎ合い。そうだった。知人の言動にあのような周期の波を形作ったのは、きっとそれだった。そしてそんな、あちらとこちらに引き合う二つの力の、微妙な均衡の上にたゆたいながら、知人の魂はかろうじて転落を免れている。……
 もちろんすべてはここでもまた、私の憶測にすぎなかった。
 だがそのとき私は知人の口から、まるでそんな憶測を裏付けるかのような言葉を聞いたのだ。
 「そのことは、私にもわかっています。灰谷が話した鏡の世界の物語など、すべて作り話にすぎない。ましてやその作り話に私が尾鰭を付けてこしらえた荒誕の体系――氷結やら、鏡の死やら、快楽の地獄やら。そんなたわごとは、あの感応による歪みのために、私の精神が見た妄想にすぎない。そのことは、私にもわかっています。そして私の理性は、そんなふうに奇想と非合理の世界にさ迷い出た自分を笑い、たしなめる。……
 私の理性は、そんな自分を笑う。――確かに平生は、それはそうなのです。銀行での執務中。自宅への行き帰り。そして食卓で食事を取っているときも、そんな非合理を私はけっして受け入れはしない。だが恥ずかしながら、白状しなければなりません。ただ一時、ただ一時この応接間にいるときだけは、私の精神は再び、理性の支配を逃れてしまうのです。この部屋に足を踏み入れ、あの肖像画の灰谷の視線を浴びた瞬間に、それもまたあの感応の仕業なのか、何かのパスワードを得たように、私の妄想が誘発される。もちろん私の理性は、初めは必死に否を叫びますが、それもやがては抗しかねたように、想念の奔溢に身を委ねてしまう。……
 そうなのだ。私は再び、そんな想念の世界に引き摺り込まれてしまう。そして私はこうしてソフアに腰掛け、あるいはもっと直接に灰谷の前に立ちながら、鏡の世界に起きてしまった歴史やら、灰谷の今の身の上やらに思いを致すのだ。否。単に物思うだけではない。鏡の中で今でも生きている灰谷は、声は聞こえないまでも、口の動きは読み取れると考えて、私はそれに語り掛けさえするのだ。少女が縫いぐるみと密語を交わすように、私はこのただ一人の心の友に向かって昨日の思い出を語り、今日の悲しみを打ち明け、明日の不安をかこつのだ。……」
 聞きながら私は、知人の様子に再び危険な徴候が現れるのを認めていた。知人はまたしても、あの自分だけの世界にのめり込もうとしている。その表情には陰惨な隈が浮かび、その目は物狂おしく宙を見詰めている。……
 もちろんそれは、これまでにも幾度も目撃してきた知人のパターンだった。理性と妄念のせめぎ合い。こちらの側の私たちの現実と、知人だけの心の中の不条理との、二つの世界の往復。そんないわば魂の相克のようなものが、いつでもこの知人の内部にあった?
 だとしたらそれは確かに、ずいぶんと忌まわしい種類のものだったにちがいない。
 そのうえ私の不安を駆り立てたのは、そんな知人の心の揺れの振幅が、次第次第に小さくなっていくように思えたことだった。このまま揺れ幅が小さくなって、こちらの世界にとどまる時間が短くなっていったとすれば、その先には一体何が起こるのか?
 私は再び背筋に寒いものを感じた。それと同時に、この不気味な部屋にこれ以上居座ることに、苦痛を感じ出した。草々に退散するために、私は暇乞いの機会を探し始めた。

 だがしかし、まるであなぐらに落ちたように、またしても自分だけの世界に閉じ籠った知人は、再び物語ることはなかった。知人はただ無言のまま、糸に引れるようにふとソファから立ち上がると、広くはない応接間のスペースを、憑かれたように強張った表情を浮かべたまま、落ち着かない様子で歩き回り始めたのだ。
 意味不明の挙動に、私は再び戦慄を感じた。そうしてゆっくりと、ゆっくりと歩行しながら、知人はまたその想念の世界に浸っているのか。あるいはこれはひょっとしたら、狂疾の患者がしばしば見せると聞く多動の症状?
 だがやがて、知人のふるまいを眺めるうちに、私にもわかってくる。でたらめのように思えたその動きも、本当はけっしてそうではない。知人の足先の描く迷路のような軌跡の中心には、その実いつでもきまってあの肖像画があるのだった。だとしたら知人は、そうして歩き回ることで距離と角度を変えながら、ためつすがめつあの絵を閲しているのだ。
 ようやくそんな事実に気が付いたころ、ふと知人の足の動きが止まった。そこは知人と絵の中の「灰谷」とが、画面を介してちょうど等しい距離になるような、特別な地点だった。
 そうだった。だとしたらそうしてそこに佇んで画面を覗くとき、絵の中で叫ぼうとしている人物は、確かに知人自身の鏡像のように見えている。……

 そんな知人の異体を眺めながら、私は様々な疑問に悩んでいた。 誠実で、几帳面な銀行員の顔と、その裏のこんなおぞましい鬼面との関係は?
 そしてまた、それほどまでに危うい変化を引き起こしてしまう、「感応」の力とは?
 なかんずく灰谷という不思議な人物と、その失踪の謎。――
 もちろんそのころには、私とてもうとっくに感づいていた。そのようなことは、本当はもちろんありえるはずがない。一枚の肖像画だけを残して、突然行方をくらます孤独癖の男? そんな伝奇小説じみたことが、実際に起こりえるはずはないのだ。第一もし知人の周囲に、そんなミステリアスな事件が本当に起こったとしたら、間接的に私の所まで聞こえてきそうなものなのに、似たような話は少しばかりも耳にすることはなかったではないか。
 だとしたらこれもまたきっと、知人の作り話なのだ。これもまた――そうだった。灰谷の失踪の、その原因として語られた「氷結」の物語は、もちろん知人の捏造だった。そのことは知人自身が認め、私に非礼を詫びたにちがいなかった。だがしかしその実知人の虚構には、もっと手の込んだ二重のからくりがあったのだ。嘘だったのは、ただその原因ばかりではない。灰谷の失踪というその出来事自体が、そもそもあるはずもない作り話だった。そして知人の謝罪は、ただそうして第一の嘘を詫びてみせることで第二の嘘を生かそうという、むしろ狡知のようなものにすぎない。……
 だがしかし、もしそうだとしたら?
 そうだった。もしそうして、その失踪話に信憑性がないとしたら。それをいうならそもそも、灰谷とかいう人物の存在そのものも、怪しいものとなるにちがいなかった。本当に、誰とも付き合うことなしに、空想の世界に閉じ籠る孤独癖の銀行員。そのような人物が、この世にありようがない。すべては知人の作りなした架空の存在なのだ。
 氷結の奇譚も、鏡の国のお伽話も、そもそも灰谷という奇人の逸話すらが、ありもしない作り話だった。だがしかしもしそうだとしたら、それもまたやはり、知人の狂気なのか? すべてはその心の歪みの致す妄想?
 そうだった。この銀行員には多少絵の心得か何かがあって、おそらくはどこかの画商で、印象深く見えたこの油絵を買い求めた。それはもちろん、知人とは何の関係もない人物がモデルになったものだった。だがこうして応接間に飾って眺め暮らすうちに、知人はその心の病のために、絵の人物に纏わるさまざまな物語を織り成してしまった。その結果ご丁寧に「灰谷」という名前までいただいた絵の中の男は、永遠に知人の心の友となったのだ。――
 心の友――否。ここでもまたきっと、物語の主人公は、知人自身の分身だった。銀行の執務以外、楽しみもなく見える男。一人だけの小部屋の、秘密の快楽。二つの世界の往来。そればかりではない。ひょっとしたらあの忍び寄る不条理の結末さえ、すべては知人そのものではないにせよ、少なくとも身に覚えがある何かだったにちがいない。そんな誰も知らない知人自身の内側のすべてを託されて、灰谷はその「心の友」となった。……
 そしてそんな知人の愚行を、私は笑うことも、怒ることもできない。否、もちろんそれは私ばかりではない。私たちは誰も、狂気を哀れみこそすれ、それを指弾することはできない。……
 
 もちろんそれもまた、あくまでも一つの仮定――ただ想像であるにすぎない。だが同時にそれは、とてつもなくまがまがしい想像でもあった。
 本当に、もし灰谷の存在が架空のものであったとしたら、知人が好んで用いたあの説明も、意味をなさなくなる。知人自身が認めた心の歪みは、けっして何かの人物の「感応」による、「一時的」な現象などではない。それは確かに知人自身の心の中に、恒常に巣くった病なのだ。――
 平凡で善良で篤実な銀行員。忠実な夫。優しい父親。そしてそんな仮面の裏になぜか巣くってしまった狂気。
 実直そうな眼鏡の下の、薄汚れた恥部。表の顔が穏やかで清らかであればあるだけ。それだけ醜怪なもう一つの顔。
 それは知人の心に、ぽっかりと口を開けた深淵。いやそれは、知人ばかりではない。ひょっとしたら私たちすべての心に、口を開けているかもしれない深淵。あの瞬間、その吸い込まれるような谷底を覗き込んで、私はわずかにめくるめいた。
 そしてすべては、見てはならないゴルゴンの首だったにちがいない。それが証拠に、あのときの私の心の中には、あらゆる負の感情が渦巻いていた。恐怖、不安、たとえようのない忌まわしさと、不快の気持ち。……

 だとしたらもはやこれ以上、この知人の傍らにいることは、私には耐えられないにちがいなかった。私は再び、暇乞いの機会を探そうとした。
 だがもちろん、それは無用の努力だった。肖像画を前に喪心している知人は、いわば魂を失くした生ける骸だった。そんな知人に対して、いかなる儀礼の言葉も必要はなかった。私はただ手早く自分の荷物をまとめて、黙ってこの部屋を抜け出すべきなのだ。
 そうだった。もはや一刻の猶予もならない。知人はさらに深く、さらに深くその狂気の世界に沈みこもうとしている。何か恐ろしいことが起きてしまわないうちに、私はこの場を立ち去らなければならない。……

 そしてそれから五分後、私は本当に、この汚辱の部屋を永遠に後にしていた。だが立ち去るとき、私の気分は、予期していたものとはずいぶん違っていた。あのたとえようのない忌まわしさ、不快の気持ちはすっかり私の内から消え果てて、私はこの乱心の知人に対して、共感と言わないまでも甘い哀憐のようなものさえ感じていたのだ。
 それはもちろん、私が知人のある言葉を聞いたがためであった。 そうだった。私が慌ただしく帰り支度をする最中、それまで肖像画の前に立ちすくんでいた知人の様子に、わずかな変化が見えた。その憑かれたように強張った表情が、再び一瞬だけ凪いで、知人は最後にもう一度だけ、歌うような口調で語ったのだ。そしてその言葉を聞いた瞬間、私はこの知人のすべてを理解したような、――少なくともそのすべてが許せたような気になったのだ。
 それは本当に、次のような言葉だった。
 「こうして毎日生真面目な銀行員を演じ、忠実な夫を装い、優しい父親を真似ながら。ただこの部屋にいるときだけは、私はこのただ一人の心の友に向かって昨日の思い出を語り、今日の悲しみを打ち明け、明日の不安をかこつのです。……
 だがそんなふうに日々を暮らしながら、このごろふと、妙なことを考えることがあります。凍り付いた鏡の中に閉ざされながら、それでも生きている灰谷には、こちらの世界が見えているかもしれない。私が何も語らずとも昨日の思い出やら、今日の悲しみやら、明日の不安のすべてがすでに見えているのかもしれない。だとしたらそれらは一体、どのように見えているのか?

 それらは一体、どのように見えているのか? とりわけ私のこの顔は、あちらの側にはどのように映っているのか? もちろんそれは、そっくりこのまま映るはずもなかった。固化した鏡面に生じた狂いのために、その像には何らかの歪みが加わるにちがいない。だとしたらそれは、どのように?
 もちろんそのようなことは、こちらの側の人間にわかるはずもない。だが不思議なことに、私にはある圧倒的な確信をもって、こう感じられるのです。私の顔もきっと、あのように映っているにちがいない。鏡の向こうの灰谷の顔が、私たちの目にあのように映っているように、そのように私の顔もまた見えているのだ。……
 
 年齢を訝からせる衰顔。凄惨なものを前にしたかのように、大きく見開かれた目。何かを叫ぼうと、開き掛けた口元。
 それは確かに、鏡の向こうの灰谷の表情でした。だがもしそうだとしたら、私たちもまたきっと、同じように見えているのにちがいない。
 同じように――そうでした。あの氷結の異変のために、鏡の向こうに置き去りにされた灰谷。だがしかし、もしそうして灰谷が戻れないとしたら、私たちもまた、旅立つことはできないのかもしれません。
 灰谷の失くしたすべてのものを、私たちもまた失くしていた。壁に掛かった鏡の魔法。窓のない小部屋の、たった一つの窓。本当に、秘密の通路を抜ける行き来は、今ではもうかなわない。……
 だとしたら私たちもまた、きっとそうなのだ。ちょうど鏡の向こうの灰谷が永遠の氷に縛められてれているように、こちらの私たちもまた何か目には見えない檻に閉ざされて、囚われの悲しみを託っている。……
   
 年齢を訝からせる衰顔。凄惨なものを前にしたかのように、大きく見開かれた目。何かを叫ぼうと、開き掛けた口元。
 そうだった。だとしたら私たちもまた、きっとそうなのだ。鏡のこちらの私たちも、きっとまたそのように身動ぎ一つかなわぬまま、言い知れぬ悲しみを湛えた眼差しで、必死に訴え掛けているにちがいない。
 それもまた、氷の獄に閉ざされて永遠の命を持て余し、ただ救いか破滅かをこいねがいながら。……」
                            (了)










「奔馬」 


























――私の目の前には、不思議な街の不思議な光景が繰られていた。
 
 手を繋いだ、大勢の若いカップル。自転車の隊列をなした女学生の群れ。
 サッカーの応援団。デパートのバーゲンセール。街頭にまで流れ出す夥しい音楽。
 もちろんそれは、ごく普通の東京の一日なのかもしれない。だがそんなありきたりの一コマ一コマが、なぜかこの私の目には、とてつもなく奇異なものに映っていた。何というのどかさだろう。なぜ誰一人、先を急ごうとはしないのだろう。

 それはおそらく、帰還の兵たちをいつでも同じように悩ませる、あの違和感だった。
 そうだった。幾年ぶりかの祖国の街で、彼らをまず驚かせるものは、いつでもその圧倒的な安穏なのだ。銃声の聞こえぬ街。起床喇叭の鳴り響かぬ朝の目覚め。澱んだように緩やかな時の流れ。誰もが訝しげに、目をしばたたく。何という、穏やかな陽射しだろう。なぜ誰もがああまで無防備に、くつろいでいられるのだろう。

 だとしたら、今の自分も、また同じだった。長い戦いをようやく終えて、安穏の時間へと舞い戻った自分。その前に現れた終戦の風景の、あまりの安らかさ。だとしたらここでもやはり、誰の場合とも同じように、言い知れぬ違和感が帰還の兵を悩ませる。
 本当にすべては、昨日までとあまりにも違っていた。昨日までの、あのせわしない時の流れ。戦に駆られて、足早に渡り歩く日々。そんなものは、ここにはもう少しもない。
 記憶の中の時間と、目の前の時間の齟齬。言い知れぬ違和感が、帰還の兵を悩ませる。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか? そしてこの私は、行かなくてもいいのか?
 例えば昨日まで、戦士たちが命を賭してきた「大義」は、そこにはもうない。そしてそれに代わる「何か」は、まだ見付からなかった。彼らの営みの、一つ一つを繋いでいた脈絡が失われ、すべては糸の切れた数珠玉のように、ばらばらな、無益なものとなっていた。 だとしたら、だとしたらなおさら言い知れぬ違和感が、帰還の兵を悩ませる。……

     1

 あの馬のことが私の心を捕らえたのも、ちょうどその頃だった。 その馬の名は――いやもちろん、実名を書くことに差し障りがあるはずもないが、ここでは仮に、「ダイタクミサイル号」とでも呼んでおこう。もちろんそのスピードと気性に敬意を表して、である。

 私が初めてその馬を見たのは、去年の九月、中山競馬場のターフビジョンであった。
 その日もまた、たった一人で競馬場を訪れた私は、二つのレースを続けて外した後で、地階のスタンドに腰を下ろしたまま、ぼんやりとメインレースの開始を待っていた。

 そのとき突然、それまでは静まり返っていたターフビジョンが、けたたましい音量でレース実況を始めたのだ。
 まだそんな時刻でもあるまいに、と初めは怪訝に思っていた私も、ややあってそれが、同時開催函館競馬の、メインレースであることに気が付いた。
 その気になれば中山でも馬券は買えたらしく、周囲の男たちの幾人かは、一心にターフビジョンを見詰めたまま、まだスタートを切る前から、気合の入った声援を送っている。

 そんな他人事の狂騒を、初めは冷ややかに眺めていた私の目も、だがしかしゲートが開かれた途端に、画面の上に釘付けとなった。 画面の上に――否。それは正確には、レースの先頭を疾駆する一頭の馬に、と言ったほうがいいかもしれない。なぜなら、十馬身は引き離されたであろう後続の馬たちを、ターフビジョンの画面が捕らえたのは、ほんの幾秒とはなかったはずだから。
 そしてそれは、カメラばかりではなかった。公平にレースを伝達するはずのアナウンサーでさえ、二番手の馬たちの名前は申し訳程度に付け足すだけで、終始興奮気味にその馬の――ダイタクミサイル号の名前を連呼していたのだ。
 ――速いぞ速いぞ、ダイタクミサイル。痛快豪快な逃げ、ダイタクミサイル。北の新星、新しい英雄の誕生だ。
 ――函館二才ステークス、ここからクラシックへの夢が広がっていく。皐月賞、ダービーへ、クラシックへの夢を乗せて、逃げるぞ逃げるぞダイタクミサイル。
 アナウンサーの上擦った台詞が、必死に伝えようとする驚きを、確かに画面に見入る誰もが、同じように分け持った。ニューヒーローの鮮烈な登場。そのけれんみのない逃げっぷり。そんな光景を目の当たりにして、レースの最中も直後も、私の周囲に溜め息に似た嘆声の絶えることはなかった。
 そしてまた、この私も。――
 だがしかし、それもずいぶん不思議なことであった。そもそも私は、馬券を買ってはいなかったのだ。だとしたら、「賭け」を離れたところで、自分の体が示してしまったあのあまりにも激しい反応、――レースの間中絶えなかった戦慄の、正体は一体何だったのだろう。

 ――レコードタイム、ダイタクミサイル。驚異的なレコードタイム。一分九秒二。マイネルダビデのレコードを、コンマ九秒更新する大差勝ち。……
 そんなアナウンサーの興奮覚めやらぬ絶叫も、やがて次第にフェイドダウンして、ターフビジョンの放送は、まもなくこちらのメインレースへと切り替わってしまった。私たちの関心もまた、目の前の勝負事の方へと、移っていったにちがいなかった。だがしかし私たちの――少なくとも私の胸の奥には、先程の逃走劇が与えた不思議な感動の余韻が、いつまでも消えることはなかった。

        *

 それかあらぬか、競馬場から帰宅した私は、まず真っ先に、ビデオ録りしてあった競馬中継のテープを回した。
 お目当てのレースは、ここではメインレースの直後に、実況録画の形で流されていた。
 目の前にもう一度再現される、一分九秒二のドラマ。14インチのテレビ画面は、それにもかかわらず、ターフビジョンの大スクリーンに少しも劣らない、鮮烈な絵を見せていた。華々しい逃げ足、下馬した騎手から鼻面を叩いて祝福される勇姿――競馬というスポーツの持つ、清々しい魅力のすべてが、確かにそこにはあった。

 ただ一つだけ、今度のテレビ放送の違っていたのは、先刻のターフビジョンの実況がやがてフェードダウンして切り替わっていったのに対して、こちらの場合はそれに続いた騎手インタビューも映していたことであった。
 当然私は、期待しながら言葉を待った。先刻のアナウンサー氏の絶叫のような、手放しの礼讃をそこに予期していたからだ。
 だがしかし、インタビューを受けた関西の若手騎手の返答は、意外にもあっさりしたものであった。
 ――今日のところは強かった、というところでしょうか。まだまだ競馬は、先がありますから。
 クラシック候補、と水を向けられても、拍子抜けするほどそっけない答えが返ってくるだけだ。
 ――スピード任せで、一本調子なところがありますからね。折り合いとか、気性面でレースを覚えていかないと、距離が伸びてからの不安がありますね。
 それはある意味では、とんでもなく手厳しい、つれないコメントであった。聞きようによっては、レースの感動に水を差されたような、後味の悪ささえ感じられただろう。
 だがもちろん、誰より馬のことを知っている、騎手の言葉に偽りがあろうはずはない。彼もまたひょっとしたら、しろうと目に映る華々しさの、裏にある不安を見据えているのかもしれない。

 競馬というものにも、もうだいぶ親しんでいた私には、そんな騎手の真意が、おぼろげながら理解できるような気がした。
 その言わんとするのは、おおむね次のようなことだったと思う。 競馬にはもちろん、スピードとスタミナの、二つの要素がある。そして私たちのしろうと考えでは、この二つの数値がただ大きいものがレースに勝つ、と思われがちだ。だがしかし、どうやら話は、そんなに単純なものではないのだ。
 人間の場合だって、それはそうだろう。例えば百メートルを10秒で走るスピードがあり、42・95キロを完走するスタミナもあるとする。だがその同じ男が、もしマラソンの最初の1キロを、そのままの全速力で疾走してしまったとしたら、たちまち力尽きてしまうだろう。そんな勘違いをしないこと。つまりレースの性質を――ひいては相手関係や気候条件まで、諸々の状況を勘案すること。そしてそのうえで、有限のスピードとスタミナを配分していくこと。そんなレース運びもまた、勝敗を決める大きな要素となっているのだ。
 競馬においてもまた、同様だった。レースの距離や、展開や、駆け引きを勘案しながら、――もちろんそこでは、判断を下すのは、乗り役の騎手である。騎手が馬に、手綱を通して、それらのすべてを教えていくのだ。そしてそんな騎手の指示を守る「折り合いの付く馬」は、最大限にその能力を発揮して、勝利を収めていく。その逆に、指示を守らずにつっ走ってしまう「気の悪い一本調子の馬」は、その潜在能力にもかかわらず、不本意な成績に終わってしまうことも多いという。
 二才馬の時点なら、それでもまだ構わなかった。その頃はレースの設定も、まだ短距離が主体だった。そのうえどの馬もまだ子供で、一本調子という点では似たり寄ったりだから、能力だけに物を言わせて押し切ってしまうことができる。だがやがて三才、四才となり、周囲の馬が大人になっていくにつれて、――そしてレースの距離も伸びるにつれて、腕力自慢の餓鬼大将は、途端に勝手が違ってくる。引くところは引き、押すところは押す、そんなレースのめりはりを覚えた彼らを相手に、あいかわらずやみくもに繰り出すだけの餓鬼大将のパンチは、ぶざまに空を切り始めるのだ。
 そうなると彼は、三才を迎えた頃から、本当にぱたりと勝てなくなってしまう。あれほど晴れやかだった英雄が、やがてファンからも馬主からも見切りを付けられて、二才チャンピョンというわけのわからない勲章だけをぶら下げて、いつしか消えてしまう場合も多いのだ。そしてその「彼」というのが、ひょっとしたらダイタクミサイル号かもしれない――そのことこそが、この騎手の最も危惧していることなのだ。

     *

 おそらくはそれが、騎手の真意だった。
 だとしたら、一見冷ややかに聞こえた彼の物言いの中には、その実それと裏返しの、本当の期待と愛情が込められていたことになる。 ――血統的には長いところも向くはずで、あとは気性面での勉強だけですから。
 ――二才で終わってしまって、いい馬じゃないですから。これだけの素質の馬、大成して欲しいですから。
 ――まあ馬も騎手も、これからまだまだ勉強ですよ。ははは。
 そうだった。早熟と目された馬なら、後先のことは考えず、まだ勝てる二才のうちに、使いづめに使われていく。そのようにして賞金を稼ぐのが、競馬の経済学なのだ。だが今この騎手は、まさにそんなやり方に対して、否を叫んでいるのだ。否。この馬に関しては、そのような道は歩ませたくない。もっとじっくり、大きく育てていきたいのだ、と。

 そして彼の言う「馬と騎手との勉強」は、まさに今日のこの勝利の瞬間から、もうすでに始まっているらしかった。
 そしてまた、この私もどういう成り行きか、彼らの勉強に最後まで付き合うことになった。
 この日初めて、スクリーンの中で出会った馬。そしてその走りに、不思議な感動を覚えた馬。その馬の「その後」のことを、この私もまた、見守らずにはいられなかったのだ。……

     2

 本当に、それ以来私は、ダイタクミサイル号の走るすべてのレースを追っ掛けた。
 当然、関西のレースを、直接見ることはできない。その代わりに、テレビの中継がある時にはテレビで、そうでないときにはスポーツ新聞の記事で、というように。

 もちろん自分自身も、もう気が付いていた。私があの馬の姿に、そうまで引き付けられるのは、そこに私がある種の暗示を、見出していたからにほかならない。
 あの初めての出会いの日に、私がそのレースぶりに異常なまでの反応を示したのも。直後の騎手のインタビューに、逐一うなずいたのも。そしてまたその後の成り行きについて、これほどまでに気掛かりなのも。そのどの場合にも、すべてが自分と、あまりにもよく似ているように思えたのだ。自分の置かれた今の状況と、確かに共鳴するものが、そこにはあると感じられた。
 それはけっして、珍しい心理ではない。スポーツに人生をたぶらせ、競技場を駆け巡るものたちに、我が身をなぞらえるのは、誰にでもありがちなことだったろう。ただ私の場合には、たまたまその対象に選ばれたのが、健気にひた走る一頭のサラブレットだった、ということなのだ。

 あの頃の私の置かれた状況。昨日までの激しい戦いに敗れて、平和の街に立ち戻った自分。そこで始まった新しい暮らしに馴染み、新しい生き方を覚えなければならなかった自分。
 そうだった。だとしたら、すべては私の場合と、あまりにもよく似ている。
 あの初めの日、レースをひた走っていたダイタクミサイルの姿は、昨日までの戦う私そのものだった。そしてまた、これから新しい競馬を学ばなければならない、そんな彼の課題もまた、私の場合とあまりにもそっくりだった。……

     *

 あの頃の私の置かれた状況。昨日までの激しい戦いに敗れて、平和の街に立ち戻った自分。そこで始まった新しい暮らしに馴染み、新しい生き方を覚えなければならなかった自分。かい摘まんで言えば、確かにそれは、そういうことになる。
 昨日までの激しい戦いに敗れて、――もちろんこの太平の世の中のどこかに、実際の戦争が行われている、というわけではない。だが何も、大砲が火を吹き、血が流れるだけが戦争ではないのだ。目には見えないどこかで、それでも人生の戦士たちの戦いは、着実に行われている。誰しもきっと、一度は身を投じる人生の戦い。その多くは敗れていき、ある者は命さえ落としていく。それは実際の戦争に、少しも劣らないほど苛烈な戦いだっだ。そして私もまた、そんな人生の戦いに敗れて、帰還したのだ。

 私の場合の、「戦い」とは一体、どのようなものであったのか。 その詳細はあまりにも個人的すぎて、今ではもう、語るに値しない事柄のように思える。
 ただきっと、私は誰とも同じように戦い、そして誰とも同じように敗れたのだ。
 そして敗残の兵の前に、東京の街は実に不思議な姿で、そこにあった。誰一人不安の影に怯えることもない、安穏の地。そこには永遠のバカンスが支配していた。はてしない遊惰と逸楽。極楽蜻蛉の住民が繰り広げる、祭りのような毎日。サッカーの応援団。デパートのバーゲンセール。街頭にまで流れ出す夥しい音楽。
 そんな光景を目の当たりにして、戦士の心が訝るのだった。本当にすべては、昨日までとあまりにも違っている。昨日までの、あのせわしない時の流れ。銃声に追われ、戦に駆られて、足早に渡り歩く日々。――そんなものは、ここにはもう少しもない。ここでは時間は、限りなくスローに流れる。不思議な微風のような、時間のリズム。いや本当に、ここでは時は、少しも流れていないのかもしれない。
 記憶の中の時間と、目の前の時間の齟齬。言い知れぬ違和感が、帰還の兵を悩ませた。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか?―――そしてこの私は、行かなくてもいいのか?

 だがもちろん、そんな齟齬の時代は、いつまでも続きはしない。 人は誰しも、学ぶものだ。否。生き続けるためには、学ばねばならないのだ。
 私もまた、やがて学ぶことを始めた。こうして訪れた新しい暮らしに馴染み、新しい時間と折り合うための、努力を始めたのだ。
 私もまたとりあえず、それを生きてみた。新しい生の只中に飛び込んで、彼らのしきたりのすべてをまねび、その流儀にも従ったのだ。彼らと同じように歌い、笑い、そして。……
 そうするうちに、頭より先にまず体のほうが、ワインに浸したパンのように否応なく、それを覚え込んでいくだろうと期待しながら。 目の前で極楽蜻蛉の男女が繰り広げる、祭りのような毎日。おめでたい乱痴気騒ぎ。この私自身もまた、そんな宴に連なった。銃声のフラッシュバックや、幾度も目覚める悪夢にときにはうなされながらも、ひたすら素性を押し隠し、彼らと同じように歌い、笑い、そして。……

 競馬場に入り浸るようになったのも、やはりまた、そのころであった。
 なにしろこの安穏の街では、それが当節のはやりだったのだ。そのうえ私はまた、鉄火場の空気に染み付いた殺伐の匂いにも、どこか惹かれていたのかもしれない。
 そしてたまたま、そこで出会った一頭の馬が、あまりにも自分自身の姿に似ていた、というわけだ。

     *

 それがあの頃の、私の状況だった。
 だとしたら、そんないきさつで出会ったあの馬の姿に、私が惹かれていったのも、自然の成り行きだったろう。
 そうだった。あの馬が今しも、学ぼうとしていること。競争馬として大成するための、気性面での勉強。短距離専門の、スピード任せの走りではなく、中距離を乗り切るための、折り合いを付けること。引くところは引く、大人のレース運びを覚えること――すべては自分の場合と、あまりにもよく似ている。勝利を目指して突っ走るような、人生の戦いをやめて、安穏の街の澱んだ時間に馴染もうともがく、自分の場合とあまりにもよく似ている。……

     3

 本当に、それ以来私は、ダイタクミサイル号の走るすべてのレースを追っ掛けた。
 だがしかし、私がそこに見るものは、もうかつてのような勝利の場面ではなかった。

 何とそれは、惨敗に次ぐ惨敗。――単に成績柱の、着順の数字だけを見た者なら、三連勝で函館二才ステークスを制したヒーローの、そんな突然の変調ぶりに驚いただろう。
 だがしかし、現実のレース振りを知っている私には、その敗北が必ずしも意外ではないのだった。
 それはそうだろう。何しろあいつときたらレースの間中、始終頭を上げ、いやいやをし、左へ右へとよれてばかり、とても走りに集中できるような状態ではないのだ。騎手の方もまた、馬をなだめて折り合いをつけるのが精一杯で、時には振り落とされそうにすらなるのだから、初めから勝ち負けなど期待できようはずはなかった。 そんな騎手の手綱さばきに、心ないファンは容赦なく罵声を浴びせた。あの馬のかつての勇姿を知る者には、そんな不可解なレースぶりは、到底納得できるものではなかったのだ。
 だがしかし、あのときの私には、目の前で行われていることの意味が、もうすでにわかっていたのだ。
 ――それでいいんだ。馬も騎手もまだ勉強中なんだから、それでいいんだ。
 そうだった。あれはけっして、騎手の乗り違いなどではない。ああして馬と必死に格闘しながら、新しい、もっとずっと堅実な競馬のスタイルを、教えようとしているのだ。……
 もちろん今まで通り、馬の行く気に任せて突っ走ってしまえば、とりあえずのレースは逃げ切ることができるだろうし、馬券を取ったファンも喝采するだろう。だがそんな、子供染みた乗り方をいつまでも続けていては、何の将来性もない。やがて必ず行き詰まる日が来て、スピードだけの早熟馬ということで終わってしまう。
 今はただ、目先の勝利にこだわらずに、勉強をすること。先頭に踊り出て、一気に走り抜けるようなレースではなく、馬ごみの中でじっと我慢して、折り合いを付ける。スタート直後から全力を出し切ってはいけない。できるかぎりパワーを温存して、レースの後半に賭けるのだ。中団から差すこと。あるいは後方から、追い込みさえする。そんな「大人の」競馬のパターンを、たとえ何度試行錯誤を繰り返してでも、あの馬に教え込んでいかなければならない。

 だがしかし、それにしてもこの馬の飲み込みの悪さは、天下一品だった。普通の馬だったら、二度三度「押さえる」レースを経験すれば、自然とそのこつを体得していくものなのに、あの難物はいつまでたっても一向に進歩しようとしないのだ。惨敗に次ぐ惨敗。あいつのレースを片っ端から追い掛ける私が、相変わらず画面の中に見出だすのは、判で押したようなあの姿――始終頭を上げ、いやいやをし、左へ右へとよれまくる利かん坊のダイタクミサイルなのだ。 だとしたら、スピードに関してはあれほど卓越していたダイタクミサイルが、この折り合いという点に関しては、何と極めつけの劣等生だったのだ。……
 そのことを知らされた私の心中は、嘆きというよりもむしろ、不思議ないとおしさに満ちていた。それはきっとあの、「出来の悪い子ほど可愛い」と言われる心理だった。そうだった。体育の授業ではあれほど溌刺としていた少年が、算数の問題を前にして、鉛筆を噛んだまま頭を抱え込んでいる。――そんな姿には確かに、えもいわれぬ愛嬌がある。
 もちろん、そんなときの私もまた、画面の中の彼と自分自身とを、置き換えて笑っているのだ。本当にすべては、自分の場合とあまりにもよく似ている。勝利を目指して突っ走るような、人生の戦いに見切りを付けた自分。新しい間怠い時間と、「折り合いを付け」ようとする自分。そして思うに任せず、もがく自分。――そんな自分の場合と、すべてはあまりにもよく似ている。
 深刻なはずの人生の問題さえ、そうして一頭のやんちゃな悍馬に、なぞらえてしまうこと。そんなカリカチュアの軽妙さには、確かに不思議なまでの愉快があった。……

   *

 とりわけ難題は、「スローペース」というやつらしかった。
 そうだった。どの馬もそこそこのスピードで走るような、ごく普通のペースなら、ダイタクミサイル号も馬群の中に折り合って、流れに乗ることができるのだ。
 ところがいったんペースが緩んでしまうと、もういけない。周囲の馬がパワーをセーブして、じっと後半に備えているときに、ダイタクミサイル号だけは騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがき始めるのだ。
 だとしたら、この「スローペース」という言葉こそ、すべてを解き明かす鍵なのかもしれない。……

 スローペース。――そもそもが、速さ比べのスポーツの中で、どうしてこんな不思議な現象が生じるのか?
 もちろん長距離のレースが、スローペースに落ち着くのは当然だった。もしそこで、無茶なペースで走ってしまっては、たちまちスタミナ切れを起こしてしまうだろう。だがしかし、話はそれほど単純ではない。たとえそれが中距離でも、いや短距離の場合ですら、しばしばレースはスローに流れる。一マイルくらいなら、全力で駆け抜けられそうなものなのに、どの馬もまるで勝つ意志などないかのように、楽をして回っている。

 まるで勝つ意志などないかのように? 否。もちろん、それは違う。レースに出るからには、誰だって勝つつもりなのだ。だがしかし、同時に誰もが、ハイペースよりはむしろスローペースで、勝ちたいと思っているのだ。
 それが競馬というものの、厄介な部分だった。奇妙に聞こえるかもしれないが、もしそれで勝てるものなら、レースのペースは遅ければ遅いほどよいのだ。――もちろんハイペースを乗り切って、レコードか何かで走破すれば、見た目は華やかだろう。マスコミもまた、やんやと喝采するにちがいない。だがそれは、あくまでが素人の発想だった。馬を走らせる玄人の側に立てば、間違いなく、同じ勝つならタイムは遅ければ遅いほどよい。
 なぜならば? なぜならば競馬は、タイムをではなく、最先着を競いあうスポーツだからだ。
 例えばある馬が、2000メートルを2分の好タイムで走る。だがその同じレースで、たったカンマ1秒でも先着した馬がいたとすれば、その馬の奮闘には何の意味もなくなるのだ。その逆に、2000メートルを走るのに2分10秒掛かったとしても、その同じレースの中で最先着であれば、その馬が勝ち馬となる。競馬は確かに速さ比べだが、比べられるのはその馬の絶対的な速さではなく、目の前のそのレースの中だけの、相対的な速さである。したがって前者の馬の2分よりも、後者の馬の2分10秒の方に価値があるという、逆説の世界が生まれるわけだ。
 だとしたら同じ勝つなら、タイムは遅ければ遅いほどよい。楽をしてレースに勝つことができて、その結果多額の賞金が転がり込むなら、それに越したことはないのだ。

     *

 それが走る側の――走らせる側の論理だった。
 それは我々ファンの――見る側の論理とは違う。
 ファンのイメージし、期待する競馬の姿は、常にトップギアで疾走し、能力の極限を競うようなタイムレースだろう。もちろんそんな、ファンの気持ちに応えることも、不可能ではない。持てる力の百パーセントを常にレースに注ぎ込み、完全燃焼する。いや、それどころではない。馬にも人間と同じように、「火事場の馬鹿力」のようなものがあり、ときには百二十パーセントの力を発揮することだってありうるのだ。そうしてすべての馬が究極の力をぶつけあえば、最も見応えのあるレースが繰り広げられるだろう。そしてその中での勝者には、最も輝かしい栄冠が与えられるだろう。
 だが一体、その後はどうなるのだろう? 百二十パーセントの力を振り絞ったとしたら、その付けは必ず、回ってこないはずはない。おそろしい反動が、きっと待ち受けている。命懸けの勝ち戦の後に残されるのは、精も根も尽き果てた満身創痍の体、凱旋の軍服に包まれた、いわば英雄の抜け殻なのだ。

 そんな過酷なレースの繰り返しによって、競争馬としての生命は確実に縮んでいく。いや、引退ならまだしもなのだ。過酷なレースの最中に故障して、命すら失った例だって枚挙に暇がない。そんなことは馬自身も、関係者も、そしておそらくはファンだって、けっして望むところではないだろう。
 細く長く――それこそがサラブレッドの生に課せられた、不変の鉄則だった。もちろん死力を尽くして戦うことだって、ないわけではない。一生に一度の晴れ舞台。ダービー。天皇賞。有馬記念。そんな最大の栄誉が賭けられている場面では、後先を考えずに燃え尽きることだってあるのだ。だがそんな、とっておきの祭典を除くなら、それはそうではない。ごく普通の、ありきたりレースでは、常に次のレース、さらにその次のレースのことを、――ひいては引退して種牡馬になった後までを考慮に入れながら、騎乗されているのだ。いわばサラブレッドは、どの瞬間を取っても、けっしてその刹那刹那を生きているのではない。いつでもその生涯の、トータルの中を生きているような仕組みが、そこにはあるのだ。

 大切なサラブレッドを損なうような、厳しいレースは極力避けたい。馬を預かる騎手の間には、いつでもそんな、黙契のようなものがある。だから例えば2400メートルのレースなら、初めの1000メートルは大抵スローに流れるのだ。少なくとも有力どころの馬たちは、互いに牽制しあいながら、ゆっくりと一団になって前半をしのぐ。そしてあと残り1000メートル、あるいはあと残り500メートルとなったあたりから、お互い相手の動きを探りながら、ようやく全力でスパートを始める。
 いわば騎手相互のそんな取り引きによって、2400メートルのレースが、実質1000メートルのレースに化けるのだ。その結果、勝っても負けても、過重な負担で馬を痛めてしまうこともなくなる。 そのようなレース運びを、馴れ合いとか、手抜きとか呼ぶとしたら、それはスポーツの営みに対する、重大な誤解である。スポーツであるからには、それは遊戯である。遊戯であるからには、そのルールがあり、ルールの下でのあらゆる戦術が許されるのだ。ルールにのっとって巧み、計り、出し抜きあう――その中ではもちろん、時には睦み、示し合わせることだってある。それこそがスポーツの持つ、ゲーム性というものなのだ。
 ルール無用の死闘だとか、命懸けの戦いだとかいうものは、けっしてスポーツではない。例えばボクシングの試合の、三分ごとの休息。あれもまた、選手同志が命を削り合うことを、防ぐためのルールに他ならない。だがしかし、そのことを手抜きと非難する者はいないだろう。そうなのだ。ただのなぐりあいなら、それはボクシングではない、けっしてスポーツと呼びうる代物にはならないのだ。……同様にして、クリンチもけっして卑劣ではない、立派な戦術だった。ディフェンスもまた、けっして消極策とは違う。
 競馬だって、またそうだった。ただ突っ走って、完全燃焼するだけが、競馬ではない。競馬には競馬のルールがあり、そのルールの下で、無数の戦術の組み合わせがある。その組み合わせの中から、最も有効なものを選び取って、最短距離の勝利を競い合う。それが競馬という遊戯の、本質なのだ。
 そしてたまたま、現在の馬たちの――騎手たちのほとんどが好んで用いるのが、あのスローペースという戦術だ、というだけなのだ。

     4

 細く長く。スローペース。本当に、それこそがすべてを、解き明す鍵なのだ。

 もちろんそんなやり方を、否もうとする馬もいる。
 周囲の馬がスローペースの流れに乗って、じっと後半に備えているときに、ダイタクミサイル号だけは騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがき始める。
 そんなとき、怪訝そうにあたりを見回すダイタクミサイルの、心の呟きが聞こえてくるようだ。この馬たちは、何をいつまでも、じゃれあっているのだろう。なぜまるで、勝つ意志などないかのように、気楽なキャンターで回っているのだろう。彼らは行かなくていいのか。駆けなくてもいいのか――そしてこの自分は、行かなくてもいいのか?
 もちろんそれは、ひとりダイタクミサイルだけの話ではない。同じような仲間の例は、いくらもあった。
 彗星のように速い馬。レコードで走る馬。そして三才を過ぎたあたりから、いつのまにか姿を消してしまう馬。……
 もちろん本当の、馬の気持ちはわからない。だがそんな彼らは、あたかも太く短い、打ち上げ花火のような華々しさに、栄光が潜んでいると、思い込んでいるようにも見える。

 もちろんそれは、そうではないのだ。確かに彼らの鮮烈な姿は、人々の記憶に残るだろう。レコード表の片隅に、その名前も残るかもしれない。だが「名馬」という最高の呼称が、その上に冠されることは、けっしてない。
 名馬と呼ばれる馬たちは、いつも違っていた。
 三才、四才、五才と、細く長く生きながら、数々の勲章を帯びた馬。中距離の大レースを、着実に勝った馬。種牡馬となって、優れた子孫を残す馬。そんな馬たちこそが、現代の名馬たるに相応しいのだ。
 とりあえずの勝利を目指して、全力疾走すること。そして燃え尽きること。そんな「太く短く」の行き先には、彼の考えるような・「栄光」などありはしない。そもそも「栄光」などという幻は、初めからどこにもないのか、たとえあったとしても、それは彼とはまったく逆の――細くて長い、実り豊かな生涯の中に、潜んでいるにちがいない。
 そのことを私たちは彼らに――あのダイタクミサイルに、教えていかなければならないのだ。

     *

 細く長く。スローペース。確かにそれは、すべてを解き明かす鍵だ。それこそが現在の馬たちの――騎手たちのほとんどが用いる、戦術なのだ。

 そしてそれは、単に競馬だけにとどまらない。
 このスローペースという言葉こそ、本当に今の時代のすべてを、解き明かす鍵なのだ。
 なぜならばそれは、時代を生きるあらゆるものたちが用いる戦術、――その選び取った生き様だからだ。

 そうだった。人生にだってやはり、二通りの生き方がある。息が詰まるような稠密な時間を、一気に突っ切るハイペースの人生。間怠い伸び切った時間を、のんびりと過ごすスローペースの人生。一体そのどちらが異常で、どちらが正常なのか。――否。そんなことは、どうでもよかった。少なくとも一つだけ明らかなことは、今のこの時代には、誰もが後者を選ぶ、ということだった。
 確かに遠い昔には、そうでない時代もあったのかもしれない。例えば軍帽を目深に被り、彼らの信じた大義のために、南の空に散った若者たち――だがしかし、時代は移っている。時代は変わったのだ。今のこの、浮かれ切った太平の時代には、ごろ寝しながら缶ビールを飲むような、休日の風景だけが似合うのだ。……

 もちろんそんな生き方を、否もうとする者もいる。
 安穏の街のどこかの片隅で、たった一人で、人生の戦いを戦う者。「大義」と呼ばれた何かのために、絶えず追い立てられて生きる者。幸福も安息も犠牲にして、ひたすら勝利を求めて突っ走る者。
 周囲の呑気な仲間を見回しながら、彼はいつでも怪訝そうに呟くのだ。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか?
 だがもちろん、そんな彼のやり口は、あまりにも大時代だ。――身も心もぼろぼろに磨り減らす、ハイペースの人生。その結果が勝利なら、まだしもだった。そうしてすべてを犠牲にして戦った後の、敗北の空虚は何と救いがたいことだろう! とてつもなく残酷な、容赦のないゲームの結末。そしてそんな危うさは、本当にあまりにも大時代、今のこのソフトな世の中には、少しも似合いはしないのだ。……

 彼はあたかも、そんな「太く短く」の行き先に、栄光が潜んでいる、と思い込んでいるようだ。だがしかし、それはそうではないのだ。栄光などというものは、しょせんは中毒患者の幻覚のようなもの、その最中にはいかに輝かしく見えようとも、覚めてしまえば、すべては悪い夢と知らされるのだ。
 そうなのだ。栄光などというものは、初めからどこにもありはしない、陽炎のような存在だった。否。もしそれが本当にあるとしても、それは彼の考えるものとは違う。ひょっとしたら、それとはまったく逆のところに、潜んでいるのかもしれない。
 それは細くて長い、スローペースの人生。健康に、長生きをして、少しずつの仕事こなし、子孫をもうけ、そして。……もちろんそんな凡庸な暮らしには、何の意味もないように見える。周囲の呑気な仲間を見回しながら、彼はいつでも怪訝そうに呟くのだ。あれは一体、何のための人生なのか? 一体何を目指して、ああして生き続けているのか? だがそれは、単に彼の方が、知らないだけなのかもしれない。一つ一つは些細と思えるそれらの事柄も、やがて積み重なって全貌が見えたときには、この世のものならぬ光輝を帯びているのかもしれない。そしてそれこそが、ひょっとしたら彼があれほどまでに追い求めていた、「栄光」なのかもしれない。……
 そのことを私は彼に――否、この自分自身に、言い聞かせなければならないのだ。

     *

 細く長く、――そうだった。それはひとりサラブレッドだけではない、生きとし生けるものすべてに課せられた、鉄則なのにちがいない。
 私はもう一度、あの例の、騎手のインタビューを思い出す。
 ――レースはこれで終りじゃないですから。まだまだ先がありますから。
 ――二才で終わってしまって、いい馬じゃないですから。これだけの素質の馬、大成して欲しいですから。
 そしてまた、自分の人生だって、まだまだ先は長いのだ。だとしたら、やはりそれも、がむしゃらに突っ走って、燃え尽きるようなやり方では、きっといけないのだ。
 私もまた、今の刹那をではなく、生涯のトータルの中を生きている。だとしたら今はただ、馬ごみの中でじっと我慢して、折り合いを付けるべきなのだ。目先の勝利に逸らずに、できるかぎりパワーを温存して、後半に備えるのだ。そうなのだ。同じレースを走るなら、ペースは遅ければ遅いほどよい。――

     5

 細く長く。スローペース。本当に、それこそが現在の時代を生き抜く、最高の方策なのだ。
 のみならずそんな生き方の中には、ひょっとしたら私たちのまだ見知らぬ栄光が、潜んでいるのかもしれない。
 そしてそのことを、私はダイタクミサイルに――そして他ならぬこの私自身にも、教え込んでいかなければならないのだ。

 ブラウン管の向こうでは、あの例の、馬と騎手との二人三脚の勉強が続いている。ダイタクミサイル号が、スローペースの馬群の中で、いかに折り合いを付け、新しいレース運びを覚えるか。……
 そしてまた、彼らの奮闘の逐一を見守り、応援する私には、私自身の人生の勉強があった。安穏の街の澱んだ時間に、いかに馴染み、いかに新しい生き方を覚えるか。……
 もちろんそんな、彼らと私の姿は、いつしか重なり合っていく。そのようにして、少なくとも私の心の中では、いわば馬と騎手とファンとが一心同体になった、三人四脚の奮闘が続いていたのだ。

     *

 十月。十一月。十二月。そのようにして、私たちの悪戦苦闘が続いた。

 スピードに関してはあれほど卓越していたダイタクミサイルも、この折り合いという点では、極めつけの劣等生だった。レースの間中、始終頭を上げ、いやいやをし、左へ右へとよれまくる。――
 そんなとき、怪訝そうにあたりを見回すダイタクミサイルの、心の呟きが聞こえてくるようだ。この馬たちは、何をいつまでもじゃれあっているのだろう。なぜまるで、勝つ意志などないかのように、気楽なキャンターで回っているのだろう。彼らは行かなくていいのか。駆けなくてもいいのか――そしてこの自分は、行かなくてもいいのか?

 そしてどうやら、この私もまたその点では、必ずしも優等生とは言えないようだった。
 本当に時折――まるで間歇泉のように、私の内部にあの旧い熱狂が蘇る。
 それまでは誰とも同じように、飲み、歌い、笑っていた自分。
 だがそんなとき、まるで頭は忘れていても、体が昔のことを覚えていたというかのように、突然血が騒ぎ出すのだ。
 酒場で飲んでいる最中に、急に目の焦点が合わなくなって、どこにもありはしない、遠い原野を見詰め出す。
 安眠の床から、何かに驚いたかのように、急にかばりと起き上がる。もうとっくに、とっくに戦いなんか終わったのに。
 そんなとき、言い知れぬ違和感が帰還の兵を悩ませる。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか?――そしてこの私は、行かなくてもいいのか? 
 そうなのだ。本当にそんなとき、冷え掛けていた心のおきに、再び火が点る。あのわけのわからない野心が、またしても取り憑いて「安息に背を向けよ」「戦いに赴け」と私を唆すのだ。……
 自分自身のそんな情念を――心の中に猛る奔馬を、御しかねてもがく。そんな私の図たるや、ブラウン管の中の馬と騎手との有様に、確かに笑止なまでにそっくりだった。……

     *

 十月。十一月。十二月。私たちの、悪戦苦闘が続いた。

 そうこうするうちに、はや年も改まる。
 そのころには競馬の世界でも、明け三才となった若駒たちの争いが、ますます熾烈を極めた。
 次々と新しいヒーローが登場しては、その名を轟かす。
 そしてそのレース振りもまた、大人びたものになっていた。あるものは、馬群を縫うように抜け出して見る者を驚かし、またあるものは、豪快な追い込みで酔わせた。だが私のダイタクミサイルは?――私がテレビの画面の中に見出だすのは、相変わらず騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがく彼の姿なのだ。少なくとも表面上は、何の進歩の後も見られない。騎手の必死の訓練も甲斐なく、あまりにも飲み込みの悪い劣等生。……

 そしてこの私も――否。このころになると、私の方には、ある変化が兆し始める。
 それは不思議な、心の清穏のようなもの。もちろん時折、心が燃え立つことはある。だがその「時折り」が、次第次第に間遠になる。そして私には、圧倒的な予感でわかっていた。「時折り」が次第に間遠になり、それはやがて、まったく消え失せてしまうだろう。起床喇叭の鳴り響かぬ朝の目覚めにも、やがてすっかり馴染み、私もまたこの安穏の街の、極楽蜻蛉の住民になりきるだろう。銃声のフラッシュバックさえ、他愛ない悪夢と受け流すことができるようになる。……
 そしてまた、それも当然だった。なにしろもう、私が戦うことをやめてから、一年近くの時が経とうとしていた。そういつまでも、過去の亡霊に取り憑かれて、戦士気取りでいるわけにはいかないのだ。
 そのうえおそらく、あの馬との出会いもまた、私の変身を手伝っていただろう。そうだった。ブラウン管の向こうの、一頭の悍馬。その姿の上に、自分自身の生き様をなぞらえること。私がいつしか馴染みきった、そんな戯画のパターンに従えば、時折自分の心に蘇る狂おしい情念すら、取るに足らない荒馬の癇性として、笑い飛ばすことができるように思えた。
 そうなのだ。テレビの画面の向こうの、一頭のサラブレッドの上に投影された、自分の姿。人生のてんやわんやを、そうして他人事のように遠目に眺めることで、確かにすべての懊悩は乗り越えられるのだ。……

 私の内部に兆し始めた、そんな変化。そして確かに、私は圧倒的な予感でわかっていた。これはけっして、兆しのままでは終わらないだろう。やがてまもなく、戦士たちの学習と、リハビリの日々が完結する。そのときそこには、誰とも同じように飲み、歌い、笑う、ごく当たり前の一人の小市民が、出来上がっているだろう。
 だとしたら、あとは馬を待つばかりだった。そうだった。私はそれを、待たなければならない。自分を馬になぞらえるという、あの例の戯画に馴染むうちに、もはやあの頃の自分にとって、ダイタクミサイルは一心同体の存在として感じられていた。新しい生き様を学ぶための、私と馬の二人三脚の勉強。だとしたらそんな二人三脚の、右足だけが先走ることは不可能だった。一歩だけ先んじたら、それは左足の追い付くのを、じっと待ち続けなくてはならない。
 もちろん、私がテレビの画面の中に見出だすのは、相変わらず騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがく彼の姿なのだ。だがしかし、思えばダイタクミサイルの勉強は、つい半年前に始まったばかりだった。今はまだ何の成果も見えないとしても、あと一月、二月と経つうちに、必ず努力が実を結ぶだろう。そのときには、ちょうど私の後を追うように、ダイタクミサイルの勉強も完結するのだ。 だとしたら、私はそれを、待たなければならない。

     *

 一月。二月。三月。私は待ち続けた。
 幾度裏切られても辛抱強く、ダイタクミサイルの走るすべてのレースを、追っ掛け続ける。
 今はまだ何の成果も見えないとしても、やがて必ず、努力は実を結ぶだろう。そのときこそ、私の学習と彼の学習が、ふたつとも同時に完成するのだ。……

 テレビの画面の向こうでは、少しも進歩を見せない彼の、レースにならないレースが続いている。
 このころになると、ダイタクミサイルの単勝オッズは、十倍、二十倍と跳ね上がっていく。何よりもそのことが、かつての勇姿が、忘れられたことを物語っているのだ。当初はその不振を暖かく見守っていたファンも、さすがに見限った、というわけだ。そしてそれもまた、あまりにも当然のことなのだ。
 だがしかし、この私だけは、見放すわけにはいかないのだ。たとえオッズが百倍、二百倍に跳ね上がり、もう誰も彼には見向きもしなくなったとしても、私だけは追い続けなければならない。なぜなら今や、ダイタクミサイルは私の分身であり、その新しいレース振りを見届けないかぎり、私自身の新しい「生のありかた」もまた、完成しないように感じられたからだ。

   6

 そうこうするうちに、はや四月となり、競馬はクラシックのシーズンに突入していた。
 それは本当に、特別な季節だっだ。日陰者のはずのギャンブルの話題が、この季節だけは公然と語られる。さしたる関心はないはずのにわかファンが、この季節だけは競馬場を埋め尽くし、お馴染の鉄火場の光景を、華やかな一大ぺージェントに演出してしまう。そしてそんな、特別な風にあおられたかのように、競馬にどっぷりつかった常連たちの胸も、また不思議な予感にときめくのだ。
 それはあの甘い、甘い勝利への予感。――
 もちろんそんな期待に、何か特別な根拠があるわけではない。すべては不合理な、笑うべきミスティシズム。だがおそらく、そんな健気な信心のないところでは、そもそもギャンブルなんて、成立しないにちがいない。……

 そしてあの頃、私の胸もまた、同じような予感に踊っていた。
 もちろん私の場合、期していたものは、単なる馬券の収支ではなかった。
 私たちの悪戦苦闘の学習が、ついに実を結ぶだろう。ちょうど私の後を追うように、私の分身であるダイタクミサイルも、まもなく新しい、大人の競馬を身に付ける。そのうえひょっとしたら、そんな彼の努力の成果が披露されるのは、まさしくクラシックの、晴れ舞台の上になるのかもしれない。――そんな予感とも、期待ともつかぬものが、私の胸を踊らせていたのだ。

     *

 そうだった。
 時は四月。
 そんな嬉しい予感で私の――すべての競馬ファンの胸を高鳴らせながら、クラシックのシーズンも、すでにたけなわを迎えていた。
 ここ数日、巷は先週の桜花賞の、大穴の話題で持ち切りだった。 話のやりとりは、自然と今週の、皐月賞のことに移っていく。めいめいが、自分の考える有力馬を披露しあう。だがしかし、そこでもやはり、ダイタクミサイルの名前が聞かれることはない。……
 もちろん出走予定の登録馬の中に、ダイタクミサイルがいることは、誰もがわかっていた。だがしかし、大敗続きのいにしえのヒーローを、いまだに追い続けている人間が、私のほかにあろうはずもないのだ。

 そのうえこの私も、またそうだった。どんなに水を向けられても、ありきたりの人気馬の名前を上げてお茶を濁すだけで、あのことはけっして口にしはしない。
 そうなのだ。神秘が神秘でいられるのは、ただそれが、私たちの心の中にあるときだけだった。言葉にされた途端に、それはただの、軽口ということで終わってしまう。
 その逆に、宝石箱の蓋が閉ざされているかぎり、神秘は無限にその値打ちを増していく。そこに秘められたものが、本当はダイヤであるのかガラス玉であるのかは、少しも問題ではないのだ。

 だからこそ、私もまた、けっしてそれを口にしない。ただただ誰にも知られぬ心の奥で、胸を高鳴らせながら、私は待っていた。

     *

 ただただ胸を高鳴らせながら、私は待っていた。
 おそらくそんなとき、あの例の「二者択一」の論法が、私たちを謀っているのだ。

 私たちが日常に馴染んできた、二者択一の論理。それを目の前の事態に当てはめたなら、次のようになるはずだった。
 ダイタクミサイルの半年に及ぶ努力が、最後の土壇場でむくわれて、クラシックの栄冠を勝ち得るか。
 それとも逆に、半年の努力がそれでもむくわれずに、最後にもう一度みじめな敗退を繰り返すか。
 もちろんそのこと自体は、必ずしも誤りではない。確かにそれは、二者択一なのかもしれなかった。だがしかし、それにもかかわらず、そこにはやはり、重大な錯覚が潜んでいるのだ。

 確かにそれは、二者択一かもしれない。だがその「二者」は元来、同等の確率で選ばれるものではないのだ。実際には後者の、つまり敗北の起こる可能性が圧倒的で、前者の勝利が起こる場合は、ほんの万分の一にすぎない。
 だがしかし、「二者択一」の発想に馴染みすぎるうちに、いつしか私たちは、両者が五分五分の重みを担っているかのように、錯覚し始める。そうなのだ。勝つか、負けるか、二つに一つしかないとしたら、勝利の確率はきっと五分であるにちがいない。……
 それは単に、「勝利」の場合ばかりではない。「奇蹟」ですら、またそうなのだ。奇蹟が「起きるか」「起こらないか」。そんな二者択一の論法を用いているうちに、ここでもまた私たちは、いつしかそれが奇蹟であることも忘れて、待ち焦がれ始める。……

     *

 そのうえ二者択一の論理には、もう一つの、もっとずっとおぞましい落とし穴があった。
 起こるか、起こらないか。裏か、表か。勝つか、負けるか。――そんな単純な仕分けの枠組みで、物事を捕らえることに慣れ切ってしまうと、いつしかそのどちらでもない可能性を、吟味する努力を忘れてしまう。
 裏か、表か? だがしかし、コインが立ってしまうような場合は、本当にありえないのだろうか? あるいは、コインが掌からこぼれてしまったとしても、やはり勝負はご破算になるのではないのか? そしてそんなどちらでもない、第三の可能性が、実際に起きたのだ。

 勝利とも、敗北とも違う、もう一つの選択肢。
 私自身がやがて知らされた、尻切れ蜻蛉の物語の結末。――
 そんなあるべからざる成り行きを、一体誰が予想しえただろう。 そうだった。宝籤を買えば、当たるか外れるか、筋書きはその二つしかないはずだった。
 だがしかし、例えば籤を失くしてしまうような、不条理な脱線があったとしたら?

 そしてそんなあっけない幕切れが、実際に起きたのだ。
 もちろん競馬にも、引き分けはなかった。勝つか負けるか、二つに一つだった。だがその勝利が、あるいは敗北が、あるはずもない形でもたらされたのだとしたら、やはりそれはそのどちらでもない、第三の可能性が起きたことになるのだ。……

     7

 その数日は珍しく、多忙な日が続いていた。

 週の半ばあたりから、相次いで急な仕事が飛び込んできた。
 普通なら週末が近付くと、仕事など上の空になってしまうものなのに、その週は逆に競馬どころではなくなり、クラシックのこともいつのまにやら、どこか心の片隅に追いやられ、失念された。
 だがおそらく、それでよかったのだ。いかに多用とは言え、日曜日だけは、完全にフリーになれるのだ。土曜日も遅くまで仕事で、その夜は倒れるように眠りこけたとしても、朝には昨日までとははっきり違った、くつろぎの一日が待ち受けている。そんなやりかたのほうが、かえって新鮮な気分で、休日を迎えられるものなのだ。 そして競馬のことについても、それは同じだった。クラシックという晴れやかなレースなら、そうして迎えられた特別誂えの時間こそが、きっともっとも相応しいにちがいないのだ。……

 あの日もまた、そんな日曜日になろうとしていた。
 土曜日は遅くまで仕事で、その夜は倒れるように眠りこける。
 だが深い眠りは、必ずしも長い眠りとは違う。明くる朝には、嬉しい日の予感のようなものに揺り起こされて、たいていは驚くほど早く目が覚めてしまうのだ。
 そのくせそんな短い眠りの後でも、身も心も不思議なほど疲労を拭われ、純白の気分で今日のこの日を迎えることができるのだ。

 あの日もまた、そんな日曜日になろうとしていた。
 倒れるように眠りこけた朝、嬉しい日の予感のようなものに揺り起こされて、驚くほど早く目が覚めた。
 だがしかし、今日は休日なのだ。けっして普段の日のように、気忙しく身仕度などをしてはいけない。
 顔だけをさっと洗ったら、そのままのトレーナー姿で、ぶらりとコンビニヘ出掛ける。そうして買って帰った競馬新聞を食卓に広げて、朝食のトーストなどを頬張りながら、のんびりたった一人の検討会を開くのだ。
 いやもちろん、今日の場合はメインの狙い馬は決まっていた。ただダイタクミサイル号の馬番号を探し出し、ついでに連勝の相手を幾頭か、適当に見繕うだけでよかった。
 すべての番号をマークシートに転記した後には、本当に腹ごなしの散歩がてらに、ウィンズまで出向くだけでよい。……

     *

 そうだった。それがその朝の、私の計画表だった。
 そして確かに、呑気な休日のスケジュールは、着実に実行されていたのだ。

 朝起きて、顔だけをさっと洗ったら、そのままのトレーナー姿でコンビニヘ出掛け、そうして買って帰った競馬新聞を食卓に広げる。 ここまでは確かに、予定通りだった。
 だがその直後に、少しも予期しなかった事態が続いたのだ。
 そのようにして、私が目を通した皐月賞の出馬表。……
 その中に、お目当ての馬の名は見付からなかった。

 否。
 もちろんそれは、見落としにちがいない。寝ぼけ眼の自分が、うっかり肝心の馬の所を、素通りしてしまったのだ。
 私はもう一度、今度はもっとずっとゆっくりと、馬の名前を確かめていった。右端の馬から一頭、また一頭。……だがしかし、そうしてようやく十八番目の馬に辿り着いたとき、もう異変は疑いようのないものとなっていた。
 皐月賞の出馬表の中に、何と私のダイタクミサイルの名はないのだ。
 とっさに私の頭の中に、ある一つの言葉が浮かんだ。出走回避。何らかの故障のために、直前にレースへの参加が見送られる。――これもまた、きっとそうなのにちがいない。
 だとしたら一体、それはどんな故障なのか?
 事の経緯を知ろうと、私は目の前の競馬新聞を――そしてさらに、同時に買っていたスポーツ紙のページを、忙しく繰っていった。
 目当ての記事を探して、貪るように活字を追ったのだ。
 そのようにして、ようやくスポーツ紙の六面のページを捲ったとき、私の目はその片隅に釘付けとなった。
 そこには紛れもない、あの御馴染みの、片仮名の八文字が置かれていたのだ。
 ――ダイタクミサイル××
 だがしかし、そんな発見のもう次の瞬間には、私はわが目の確かさを、疑わなければならないことになるのだ。そうだった。ダイタクミサイル。確かにそこには、彼の名があった。だがその後に続いた二文字の漢字は、あまりにも予期に反したものだったのだ。
 ――ダイタクミサイル優勝。
 それは私の危惧していた「故障」とも、「回避」とも違う。何と「優勝」の二文字だった。

 私は言葉の意味を、少しも理解できない。最も見慣れたはずのその漢字が、今は遠い異国の呪符のように、不可思議な形でそこにあった。……
 謎を解こうと焦るあまり、頭の回路にいつしか混線が生じ、私は暫時、出来事のすべての筋道を見失った。
 ダイタクミサイル優勝?
 だとしたら、皐月賞のレースは、もう行われてしまったのか? あれほどまでに私が待ち望んでいた、ダイタクミサイルの奇蹟の優勝は、私の見届けぬどこかで、すでに起きてしまったと言うのか?

 否。否。もちろんそれは違う。
 自分は何を、寝ぼけたことを言っているのだろう。もちろん皐月賞のレースは、今から後、今日の午後になってから、行われるにちがいなかった。そしてその出馬表の中に、ダイタクミサイルの名はなかったのだ。……
 だがだとしたら、この記事は一体、何としたことだろう?

     *

 事態が冷静に分析されるまで、少しく時間が必要だった。
 種明かしは、次のようなものだった。

 新聞の記事は、実は昨日の――土曜日の競馬のレース結果を伝えるものだった。
 ダイタクミサイル号は、今日の皐月賞にではなく、土曜のレースに出走した。そして勝ったのだ。
 だがしかし、確かに月曜日の段階では、皐月賞の登録馬の中にダイタクミサイルの名があって、だからこそ私は一週間の間、今日のこの日を心待ちにしていたのではなかったか?
 そのからくりは、あまりにも単純なものであった。
 競馬の世界では、「二重登録」と呼ばれる登録方法が、日常的に用いられている。
 同一の週に行われる、複数のレースに、持ち馬をエントリーしておくのだ。
 もちろん二つのレースに、同時に出られるわけはない。相手との力関係や、馬自身のコンディションと相談しながら、より勝算の高い方を選んで出走するわけだ。
 それは多少、姑息なやり方のように見えるかもしれない。だがしかし、賞金を少しでも多く得なければならない「走らせる側」の論理としては、至極当然の戦略なのだ。
 今度の場合も、またそれだった。弱気になったダイタクミサイル陣営が、皐月賞の方を回避し、より勝算の高い土曜のレースに出走した。いわば名より実を取ることを選び、そして実際に、そこで優勝したというわけだ。

 私が呆然自失したのは、言うまでもない。もはや私自身と、一心同体の存在となっていたダイタクミサイル。その彼が今日、皐月賞の晴れ舞台に挑戦し、そしてひょっとしたら栄光を勝ち得たかもしれないのだ。それなのに勝利どころか、挑戦さえ早々と断念してしまうとは、あまりにも意外な、情ない結末のように思えたのだ。
 それは確かに、買っていた宝籤を失くしてしまうような、尻切れ蜻蛉の物語の結末。――
 たちまち私の心は、失望と悲しみに満たされた。
 だがしかし、私はまだあの記事の、ほんの見出ししか読んではいないのだ。
 その先を読み進むうちに、さらに思いもしない、新しい事実が明かされる。そして「悲しみ」と呼ばれる心の夕凪は、もっとずっと恐ろしい感情――人を狂わせ、乱し、咆らせる、本当の嵐に取って代わられたのだ。……



 ――ダイタクミサイル優勝。
 否応なく目を引いた、大活字の見出しの下には、次のような記事が続いていた。

 「ダイタクミサイル奇蹟の復活。函館二才ステークスの優勝以来、凡走を繰り返していたダイタクミサイルが、17日のクリスタルカップで、七か月ぶりに逃げ切りの勝利を収めた。
 クリスタルカップは、昨年度から皐月賞の前日に設けられた、短距離の重賞で。……同馬は今日の皐月賞にも登録があったが、厩舎の意向により適距離のこちらに回っていた。……」
 短距離の? 逃げ切った?
 読むうちに私は、頭の中が真っ白になった。本当に、それはそうなのか。だとしたら、あれらすべてのことは、一体どうなってしまったのか。
 先の長い競馬の世界で、大成するための努力。
 スピード任せに逃げ切るような、その場限りの戦法をやめること。そしてその生涯の、トータルの中で勝利を収めるための、騎手と馬との勉強。
 あれらすべてのことは、一体どうなってしまったのか。

 短距離の? 逃げ切った? だとしたら、だとしたらそこでは単に、強敵相手の皐月賞を回避したというだけではない、もっと重大な、何か決定的な選択がなされたのかもしれない。……

     *

 昨日のレースぶりを、新聞は次のように伝えていた。
 「――東西のスピード自慢が顔を揃えた中で、好スタートで先頭に立ったダイタクミサイルは、一度も他馬に詰め寄られることなく、そのまま1200米を逃げ切った。三馬身差の圧勝は、まさに函館二才ステークスの再現そのもの、これまでの凡走続きがまるで嘘のような、鮮やかな復活劇だった。……」
 こんな口調には、確かに聞き覚えがある。それはあらゆるスポーツを美談に仕立て上げる、マスコミの常套、いわば実況放送のマイクでがなりたてる、アナウンサーの話法だ。――あの例の、函館二才ステークスの実況は、今でも私の耳に残っている。昨日もまたきっと、あのときと同じように、中山の競馬場でダイタクミサイルの名が連呼されたにちがいないのだ。速いぞ速いぞ、ダイタクミサイル。痛快豪快な逃げ、ダイタクミサイル。英雄の復活だ。連戦連敗の泥沼から、不死鳥のように蘇った。……
 だがしかし、今の私にはわかっていた。それはけっして、彼らのはやすような、英雄の復活劇などではない。むしろそれは、まったく別の――いやひょっとしたらまったくその逆の、いわば敗北の選択なのだ。

 そうだった。華々しい逃げ切り勝ち。彗星のようにレースを駆け抜け――そしてまた彗星のように、競争馬としての生涯を駆け抜けていくこと。そんな「太く短く」の行く先には、けっして「栄光」など棲んではいないのだ。
 この半年に学んできたことがらを、私はもう一度、おさらいしてみる。
 「栄光」というようなものが、もしどこかにあるとしたら、それはもう一つの、まったく別の生き方の中にあるのだった。
 三才、四才、五才と細く長く生きながら、数々の勲章を帯びた馬。中距離の大レースを、着実に勝った馬。種牡馬となって、優れた子孫を残す馬。
 そうなのだ。だとしたら、同じ勝つなら、タイムは遅ければ遅いほどよい。楽をしてレースに勝つことができて、細く長く走り続けることができれば、それに越したことはないのだ。
 そしてそれは、ひとり競馬だけではない。私たちの人生もまた、きっとそうなのだ。
 彗星のように駆け抜ける、太く短い人生。そんなところに、栄光などありはしない。もし本当の栄光がどこかにあるとしたら、それはもう一つの、まったく別の生き方の中にあるのだった。
 細くて長い、スローペースの人生。健康に、長生きをして、少しずつの仕事をこなし、子孫をもうけ、――そんな一つ一つは些細と思える事柄も、やがて積み重なって全貌が見えたときには、この世のものならぬ光輝を帯びているのかもしれない。……

 スローペース。それが馬も人も、今の時代のすべてが馴染み切った生き方だった。すべてを犠牲にした戦い、ハイペースの疾走などは、誰ももう見向きもしない、時代錯誤のやり方なのだ。
 だとしたら? だとしたら、今目の前の新聞が報じている、ダイタクミサイルの「鮮やかな逃げ切り」というのは、彼のけっして選んではならない勝ち方だった。
 それはけっして、「奇蹟」でも「復活」でもない。もしそんな勝ち方でいいのなら――逃げて勝つのなら、本当はいつでも勝つことはできたのだ。この半年というものは、そんな必勝法をむしろ禁じ手として、ひたすら別の戦法を模索してきたのではなかったか。だとしたらすべては単に、振出しに戻ったということにすぎない。……

     *

 いつしか私の心の中には、先刻までの悲しみとはちがう、もっとずっと激しい感情が猛り始める。
 初めは胸の、奥の奥に兆した小さな渦が、やがて次第につのり、もはやとどめようのない嵐となって、荒ぶっていた。

 嵐の正体を、私は訝かる。こうまで人の心を掻き乱す感情とは、一体何物なのか?
 だが、否。
 それはもちろん、怒りにちがいなかった。人を狂わせ、乱し、咆らせる負の気分――そんなものは、怒り以外にはありえなかった。だがだとしたら、それは一体、何に対する怒りなのか?

 もちろんそれは、まず第一に、騎手に対する怒りだった。
 目の前の新聞の記事も、また例によって、締め括りに騎手のコメントを載せていた。
 『やはりこいつには、短距離の逃げが一番似合ってますね。皐月賞を回避した甲斐がありました』
 もちろんそれ自体は、少しも不思議ではない、もっともなコメントだった。だが私は同時に、あの半年前の、函館二才ステークスのインタビューを、はっきりと覚えているのだ。まだまだ競馬は、先がありますから。これだけの素質の馬、大成して欲しいですから。馬も騎手も、これからまだまだ勉強ですよ。――だとしたら、今しも行われたことは、そんな自らの言葉を裏切る、敗北の選択だった。彼がそれをどう言い逃れようと、すべては体のよい、逃げ口上にすぎない。
 もちろんダイタクミサイルの物覚えの悪さは、私だって重々承知している。ブラウン管の中でいつも見掛ける、頭を上げていやいやをする姿。――だがしかし、ダイタクミサイルの勉強は、つい半年あまり前に始まったばかりだった。あと一月、二月で、いやまさに今日のクラシックの舞台で、きっと努力は実を結んだにちがいないのだ。それなのに、もはや一刻の猶予もならないかのような打ち切りは、あまりにも唐突だった。

 だとしたら、やはり私の怒りとは、まず第一にあの騎手に対する怒りだった。
 だが同時に、私はもう気が付いている。
 そうなのだ。本当は、騎手自身を責めることなど、できはしないのだ。たとえこれが最悪の、敗北の選択だったとしても、すべては周囲の方針に従っただけだ。皐月賞の回避も、逃げ切りの戦法も、すべては厩舎の指示であり、馬主の要望だった。だとしたら、騎手自身を責めることなど、けっしてできないにちがいないのだ。
 そしてまた、彼に命じたそれらの人々も、――馬を走らせる側の経済は、レースの賞金だけで成り立っている。一文にもならない・「勉強」のために、これ以上の時間を棒に振るわけにはいかないのだ。一本調子の逃げ戦法でも通用するような、短距離のレースだけを選んで、勝てるうちに使えるだけ使っていく。それ以外に、方法はないのだ。

 だとしたら?
 だとしたら私の怒りとは、本当は誰かそのような、「人」に対する怒りではなかったのだ。
 それはもっと、ずっと得体の知れない、「何か」に対する怒り。 いわば人々を、そのようなやるせない結末に駆り立てるもの、――世の中のすべてを支配する不条理への、抑えがたい憤懣だった。 そうなのだ。私はもう一度、ここに繰り返そう。
 私の追い続けた一頭のサラブレッドの物語に、続くべき筋書きは、どう見ても二つしかありえなかった。
 ダイタクミサイルの半年に及ぶ努力が、最後の土壇場でむくわれて、クラシックの栄冠を勝ち得るか。
 それとも逆に、半年の努力がそれでもむくわれずに、最後にもう一度惨めな敗退を繰り返すか。
 それなのに、そのどちらとも違う、尻切れ蜻蛉の結末が私たちを迎えたのだ。
 皐月賞の回避と、短距離での優勝。そんな勝利とも、敗北とも違う、あっけない幕切れ。
 買っておいた宝籤を、途中で失くしてしまうような、物語の脱線。 だとしたら私は、そんな「作者」の不手際に――私たちの運命をつかさどる「何か」の不条理に、猛烈な怒りを覚えていたのだ。

 そして今、私はあらためて、思い知らされていた。この怒りというものは、例えば悲しみの淡さとは、あまりにも違う。それは人を狂わせ、乱し、咆らせ、――そしてその後で永遠の宿酔で悩ませる、エネルギーそのものの噴出だった。
 それは確かに、嵐だった。そして同時に、それはいかずちであり、狂瀾であり、また炎でもあるにちがいなかった。……

     9

 私の心の中につのる、不思議な感情の騒擾。
 人を狂わせ、乱し、咆らせるエネルギーの奔出。嵐であり、いかずちであり、狂瀾であり、そしてまた炎でもあるもの。
 その正体を、一体どう解釈したらいいのだろう。

 私は今、それを「怒り」と呼ぼうとした。
 騎手に対する怒り。馬主に対する怒り。私たちの運命をつかさどる、不条理への怒り。……
 もちろんそれは、その通りだった。そしてもしできることなら、そうして「怒り」の一言で、片付けてしまいたいのだ。
 だがしかし、私は同時に、とっくに気付いている。
 確かにそれは、怒りにちがいなかった。だがけっして、それだけというわけではないのだ。

 できることなら、私はそのことを認めたくない。だがもはや、認めざるをえないのだ。
 今の私の、この絶え間なく突き抜ける戦慄は、本当は単に怒りの感情だけではない。激しく燃え立つ怒りに紛れて、その実それとあまりにも似た――狂わせ、乱し、咆らせるもう一つの何かが、炎を上げているのだ。

     *

 その炎に、私は見覚えがある。
 それはあの、戦士たちの胸の奥に燃え立つ、情念の炎だった。

 人はそれを、どんな言葉で呼ぶのだろう。
 見果てぬ夢。野望。大志。
 あるいは、闘魂。勇猛。
 あるいはそれは、雄の獣たちの、あまりにも原始的な戦闘の本能。 否。どう名付けようと、同じだった。つまりはそれは、かつて一度でも戦士であった者ならば、誰もが御馴染みの、あの好戦の気分なのだ。

 かつては私自身も馴れ親しんだ、あの旧い熱狂。そして戦士であることをやめた瞬間に、忘れたように思えたもの。
 だがしかし、それは違った。
 それはけっして、本当に忘れ去られてはいなかった。
 それは確かに、この半年の平穏の日々にも、時折――本当にまるで間歇泉のように、私の心に蘇っていたのだ。そんなとき、冷え掛けていた心のおきに、突然再び、火が点った。わけのわからない野心が、またしても取り憑いて「安息に背を向けよ」「戦いに赴け」と私を唆したのだ。
 もちろん時が経つにつれて、「時折」は次第に間遠になった。私の学習とリハビリの日々が、ようやく実を結んで、そんな心の炎を消し果てる術を、私もまた知ったかのように思えた。
 だがしかし、それもまた、違うのだった。
 今になって、私は気が付いた。消火したように見えたものは、その実、封じ込めただけだった。
 望まれぬ情念として、意識の底に葬むられた私の野心。だがそれは、目には見えない地の底で生き続け、猛り、備えていた。
 そこで蓄えられたエネルギーは、もはや極限にまで圧力を高めながら、ただマグマの湧き出る、わずかな地殻の割れ目を探していたのだ。

 だとしたら、すべての敝いを吹き飛ばす、爆発の日が訪れるのは、時間の問題だったのかもしれない。

     *

 そうだった。目の前にしたスポーツ紙の記事に、私の存在の全体が示した、異様なほど激しい感応。それを私は、「怒り」の一言で片付けようとした。だが私はもう、気が付いている。これは単なる、怒りの感情とは違う。これこそはまさに、あの封じ込められたマグマの、突然の奔出なのだ。

 そんな突然の災禍を誘ったもの。
 もちろんそれは、あの例の心理のトリックだった。
 人を馬になぞらえることにあまりにも馴染みすぎた私は、いわば新聞の記事の中に、自分自身への「行け」の合図を、読み取ってしまったのだ。
 そうだった。ブラウン管の向こうに、私が見守り続けた、ダイタクミサイルの物語。逸り、もがき、駆け抜けようとする一頭の馬。そして必死になだめ、手綱を押さえながら、スローペースのレースに折り合わせようとする騎手。――見守るうちに、彼らの二人三脚の奮闘は、自分自身の心の中の葛藤と、いつしか二重写しとなっていた。
 だが今、そんなダイタクミサイルの勉強は、突然打ち切られてしまった。こいつには、こんなレースしかできないのだ。「短距離の」「逃げ」。そしてそれはそれで、それなりに競馬なのだ。……
 そのようにして、騎手は手綱を緩めた。それは単に、制することを止めたばかりではない。のみならず彼は、きっと鞭さえ入れたのだ。ダイタクミサイル、逃げろ。逃げ切れ。後先のことなどもう考えずに、燃え尽きろ。それがおまえの生き方なのだ。……
 もちろんダイタクミサイルは、今では水を得た魚のように、喜々として走り抜けた。そして「勝った」のだ。
 もちろん、それはただ、それだけのことだった。だが皮肉なことに、ここでもまた私は、自分の分身に起こった出来事に、まるでわが事のような感応を示してしまったのだ。
 そうだった。あの騎手がダイタクミサイルの手綱を緩めた瞬間、同時に私の心を御していた騎手もまた、手綱を緩めたのだ。それは単に、制することを止めたばかりではない。のみならず彼は、きっと鞭さえ入れたのだ。逃げろ。逃げ切れ。後先のことなどもう考えずに、燃え尽きろ。それがおまえの生き方なのだ。……

 そのようにして、爆発の日を待つまでもなく、私の心を塞いでいた蓋は、あっけなく取り去られた。
 地の深みから、初めはおそるおそる昇った炎が、やがて欣然と、空に向かって吹き上がる。まるでそうすることで、再誕の日を寿ぐかのように。
 そうなのだった。そうして吹き上った炎。怒りの炎と見紛うまでに、狂い、乱れ、咆る炎。それこそは私が、必死に忘れようと努めていた、あの狂おしい情熱の炎だった。
 だがしかし、それは危険な炎だ。
 それは例えば、居間の炉の中で、慎ましく燃えている火とは違う。それはけっして、新しい薪のくべられるのを、囲いの内側でじっと待ってはいないのだ。
 それは貪り、食らう火災の炎だ。初めはどこかの部屋の片隅で上った火の手は、だがしかしたちまち広がってしまう。柱を舐り、棟を燃やし、夜目に鮮やかな光の舞いを舞いながら、やがては灰燼だけを残して、すべてを焼き付くしてしまう。いわばそうして、内が外を滅ぼすのだ。

 「背を向けよ」「赴け」と誘う炎。
 炎の命ずる戦いは、もはやゲームではない。馴れ合いのルールと防具に守られながら、勝敗を競うお遊戯とは違うのだ。それはすべての敗者が、ぼろぼろになって滅びるまで続く、文字通りの命懸けの戦いなのだ。
 炎の誘う人生は、もはや細く長くの、スローペースの人生ではない。駆け抜けて、そして消えていくような、疾走の人生なのだ。
 危険だ。危険だ。だとしたらそれは、とても危険だ。……

     *

 炎が「赴け」と誘うもの。私自身の、本当の居場所。
 それはもちろん、ほんの一年も前には、私がそこにいた戦場だった。
 私はそこで戦い、傷付き、――ぼろぼろにくたびれはてて帰還したのだ。
 そのとき敗残の兵は、永久に戦地を後にし、もう二度と立ち戻ることはあるまいと思えた。

 ようよう辿り着いた故郷では、すべてが違っていた。そこでは遠い国の戦のことなど知る人もなく、永遠のバカンスが支配していた。 軍服を脱いだ私を待ち受けていた、はてしない遊惰と逸楽の時間。言い知れぬ違和感が帰還の兵を悩ませた。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか?――そしてこの私は、行かなくてもいいのか?
 だがやがて、時の経過は確実に、心の傷病を癒やしていった。起床喇叭の鳴り響かぬ朝の目覚めにも、いつしかすっかり馴染み、私もまたこの安穏の街の、極楽蜻蛉の住民になりきったのだ。
 銃声のフラッシュバックさえ、他愛ない悪夢と、受け流すことができるようになった。

 そんなとき、本当に、そんな今になって、私に再び召集が掛かったのだ。
 私は思い知らされていた。除隊のように思えたものは、その実休暇と療養にすぎなかった。敗北のように思えたものも、一時食らったノックダウンにすぎない。だってまだ、私は命までは落としていないのではなかったか? そうなのだ。この人生の戦いには、試合停止の甘っちょろいルールなどありはしない。文字通り砲火に斃れるまで、何一つ終わりはしないのだ。
 そうだった。今私に、再び召集が掛かっていた。戦士の休暇は終わった。また君自身の、新しい戦いが始まるのだ。……
 もちろん私にだって、拒む権利はあったにちがいない。だが今の私には、もうそれができないのだ。懐かしいあの呼び声を聞いた途端に、私の体に火が着いてしまった。こうなったら、もう誰も止めることはできない。
 私の体に火が着いてしまった――それこそは私の、もっとも避けたかった状態だった。
 誰かが今、今日の今日まで私を抑えていた手綱を緩め、のみならず鞭さえ入れたのだ。私の心の中の奔馬が猛り出す。――だとしたら、後は私自身が、一番よく知っている。こうなったら、誰も止めることはできない。

 戦士の休暇は終わった。また君自身の、新しい戦いが始まるのだ。……
 もうスポーツ新聞も、皐月賞の出馬表も用はない。お遊びはもう、終わったのだ。
 私の戦場が、今再び私を呼んでいる。今すぐにも、私はそこへ向かわなければならない。
 そう思うそばから、私はすでに歩き始めていた。
 もちろんそれは、意気揚々と、というわけではない。
 命懸けの、そのうえ勝ち目の乏しい戦などに、誰も喜んで臨みはしないのだ。
 ただそんな自分を、もう何も止めることはできない。

 重たい足取りを引き摺りながら、私は相変わらず、心の中で呟いていた。
 危険だ。とっても危険だ。……
                        (了)

「サボテンの花」




























     1

 少年の家はいつでも鉢植えに埋もれていた。
 園芸に熱を入れた父親の壮大なコレクション――庭木の数ももちろん夥しかったが、庭先の植木棚はおろか、南向きの居間や客間に至るまで所狭しと並べられた鉢植えの数には、目を瞠らせるものがあった。十数種類に及ぶさつきや洋ラン、松や梅の盆栽、時々の花瓶の挿花――戸の開け閉てから暖房の調節にまで、いつでもそれらの植物の成育が優先され、それかあらぬか、かくまでかしづかれ尽くされた異類の生き物たちは、人間たちの居室をどこか主顔に占拠していた。……
 ――まるでジャングルみたいだ。……
 少年は皮肉そうに口元を歪めながら、心の中で呟いた。それは少年が、生まれながらに植物を愛でる感性を持ち合わせていなかった、ということではない。むしろ反抗期の心理が少年の中にも例外なく巣食っていて、それゆえに同性の親の性向が、いちいち疎ましいものに思えていたのかもしれない。実際父親が熱を上げれば上げるほど、そしてあの例のせりふで、なあ、綺麗だろう、と同意と賛嘆を強要すればするほど、それまでは凛呼と張り詰めて見えていた花の風姿さえたちまちしょぼくれて、くすんだ紙細工に見えてしまうのだった。

 ――花は綺麗だけど。…… 
 もちろん、鮮やかな花弁を繊細に綴った花冠は、少年にとっても十分感動的なのにちがいなかった。だが樹枝や葉ぶりを愛でる気持ちだけは、どうしても理解できなかった。花を付けているその時にだけ、植物は望ましいものとなり、爾余の期間それはただ無価値で、無意味な存在だった。否。ただ無意味なばかりではない。それは不気味ですらあったのだ。華やぐこともなく、ただ無言のままに呼吸し、摂取し、営む存在――そんな「植物」という観念そのものが、少年の意識の中で、あるいはその無意識の中で、いつしか象徴的な忌まわしさを担い始めるのだった。

 ――花にしても、もう少し小作りでないと。……
 花冠の美しさは認めた少年は、だがここでも父親の好みに異を唱えていた。同じ花でも、少年は藤や雪柳のようなささやかな花、できれば花房をなしているようなものを愛していた。彩りも淡いほうがよい――だが父親ときたら決まって、百合やらランやらの大柄な花を栽培していた。少年の目にはそれらの花が、大雑把で繊細さに欠けているように見えるのだった。色彩も毒々しく、噎せ返るような強烈な香りといい、花底にまでこぼれ落ちた過剰の花粉といい、とりわけ雌蕊にまとわり付いたあの粘液――そんな風体をとてつもなくおぞましいものに感じた少年は、こらえ難い嫌悪感に目をそむけてしまうこともしばしばだった。

 ――悪趣味だな。
 再び心の中にそんなふうに呟きながら、すっかり辟易した少年は、植物園さながらに鉢植えに埋もれた階下の部屋から、二階の勉強部屋へ、そそくさと避難してしまうのが常だった。

      *

 父のコレクションにサボテンというものの加わったのは、少年が高校一年になった年のことであった。
 あれほどまでに園芸のことにかまけながら、何故か奇跡的にサボテンにだけは係わらずにいた父が、この砂漠の植物に突然の関心を示し始めたのは、たまたま訪れた知人の家で、その花の美しさに魅せられたからであった。夏の夜の月明りの下で咲く月下美人の白い花――その名花の魅力の虜になった父は、さっそく知人に頼み込んで、他種の二つと合わせて三株のサボテンを譲り受けてきたというわけであった。
 こうして父の鉢植えに加わった合計三株のサボテン――だがずっと後になってわかったことだが、その内の一株、父の言う「月下美人」は、本当の月下美人とは違うようだった。それは金盛丸という別属のサボテンで、孔雀サボテンの仲間とは姿形もまるで違うのを、ただ「月明りの下に咲く清浄な花」という一事をもって、同じ夜咲き種の月下美人と取り違えていたのであった。こうしてみると父の――そして父の知人のサボテンの知識もずいぶん怪しいものだったが、当時の少年にそんなことは知るよしもなかったから、ただ父からの受け売りの知識と、目の前の三株の鉢植えだけから、サボテンというものの観念を形作っていくよりほかなかったのだった。

 そうして少年が育んでいった、サボテンの観念――だがこの異形の植物は、それまで少年が抱いていた植物全般についての観念と、相対立するものとはならなかった。それはむしろ、「植物」という観念と、それが象徴的に担っていたある忌まわしさとを、極限にまで煮詰めた存在であるように感ぜられたのだった。
 例えばその奇態。ごつごつと節くれ立った、いびつな茎節。肉厚な、ゴムのような弾力を持った稜。そしてとりわけ、どうしても皮膚病を連想させずにはいない疣々。――それはどう見てもグロテスクな姿態だった。だが形が怪異であればあるほど、それはあの「植物」の観念の主調、旺盛な生命力とそれが必ず伴ってしまうおぞましさのイメージを、増幅させていくのだった。確かに可憐な草花ならば、人間たちの日常を彩る装飾品のように思われないでもない。だがかくまでに悪相の存在は、到底人間たちのための飾り物ではありえなかった。それは確かに自らの理由のために生き、営み、繁殖する生命そのものだった。……

 例えばその生息。サボテンの原産地のあのお馴染の光景が、少年の禍々しい観念を増殖させていった。水気一つない荒漠の砂漠。そんな命の墓場では、きっと人の心すら潤いを失くして、干涸びたミイラのようになってしまうにちがいない。そのうえその焼くような熱い砂は、どうしてもある厭ましい欲望を表しているように思えてしまう。そしてもちろん、そこに密生した屹立するハシラサボテン。――そんな想像上の光景は、決まって少年を戦慄させずにはいなかった。否。こうして少年の家に置かれた三つの鉢植えのサボテンさえも、その故郷の記憶を引き摺ったまま、熱い吐息を吐きながら、生き、営んでいる。……

 例えばその形態。この植物の多くの種類は、それぞれの個体が不思議と幾何学的な構造をしていた。父の「月下美人」、つまり金盛丸も、十二の稜が等間隔で角度を割り、数多の棘座も測ったように相称に配列されていた。――そんな最も図形的に構築された植物が、かえって混沌とした生命の力を暗示してしまうのは奇異なことであった。だが確かに、原始の生物もまた、そのような単純な形態をしていた。だとしたら、少年にはこう思えたのだった。もし生命のエネルギーが、何の疎外もなく放射され、何の俊巡もなく展開していったならば、それはきっとこの様な形に結実するのにちがいないと。……

 そしてその繁殖。父の言を借りれば、それは「切って挿すだけ」でよいのだった。胴の枝の一部をナイフで切り取り、挿し穂するだけで、ものの一週間で発根があり、やがて立派な一個の株が根付いていく。それが過酷な自然条件の中を生き抜く、植物の素晴らしい生命力だ――というのが父の能書きだったが、その父の賛嘆を誘ったのとまさに同じものが、少年の嫌悪の源となってしまうのだった。それはちょうど、尻尾を切られてもたちまち再生してしまう、爬虫類のいやらしさに等しいものだった。だがこの植物の場合、まさにその切られた尾の方から、トカゲが再生してしまうというのだから。……

 そしてとりわけ、あの棘だった。目の前のサボテンの棘からは、どう眺めても、例えば茨のそれのような、悲壮な自罰のイメージは沸いてこない。むしろそれは、いつでも少年に、ある種の棘皮動物のぬめった姿態を連想させた。それはおかしなことだが、サボテンの生やした無数の棘は、何だか彼らのひそかな快楽のための、小道具のようにさえ見えてしまう。……

     *

 そしてサボテンの花だった。
 サボテンの花?――だが少年はいまだに、その花を見たことがないのだった。父の「月下美人」の七月の開花期は、ちょうど学校の夏期合宿と重なって不在だった。高校二年、高校三年と、現物にお目に掛かる機会を逸した少年は、ただ父の語る熱っぽい描写から、その姿を窺い知るしかなかった。
 「百合のような大輪の花だ。夜咲く百合と思えばいい。だけど花びらの白は、百合よりもずっと清浄な、匂うがごとき白色。いや、色というよりは、光に近い白だな。――花が咲いたら、家中の電気を消して、月明りの下で観賞するんだ。夏の夜の熱い闇の中に、白い光の花の工作がぼんやりと浮かび上がる様といったら、そりゃ神秘的な美しさだぞ。本当に、今年こそは見せてやりたいよ。……」
 ――嘘だ。
 ここでもまた反抗期の少年は、言葉巧みに息子を誘い込もうとする父親の試みを、いとも単純に撥ね付けてしまうのだった。
 ――これもまた嘘だ。かつて父が説いた世間智やら、道徳やらが、ことごとく誤っていたように、ここでも父の描く甘美な花の佇まいは、空物語なのにちがいなかった。そんな偽りの言葉のすべてに耳をふたいで、虚心に目の前の植物を眺めてみれば、こんなどう見てもグロテスクな生命体に、花など咲くはずがないのだった。

 だが確かに、蕾は伸びていった。
 春先から棘座のそこここに頭をもたげていた、どんぐりくらいの突起。白い綿毛に覆われたそれがサボテンの蕾であることに、少年は気付かなかった。だが七月の上旬のある日、父親の大仰な発見の叫びとともに、家族全員に招集が掛けられた。居間に馳せつけた少年は、父の指摘通りあの小さな突起のうちの二つが、確実に隆起しているのを目撃した。
 「あと一週間ぐらいの間に、どんどん丈が加わっていく。どんどんどんどん伸びていって、やがてその先端が口を割って、百合のような大きな花が開くんだ」
 そして父親の講釈に、誤りはないようだった。その時から日に日に、まるで目に見えるかのような速やかさで、それはひょろひょろと伸びていった。その発達の有様は、ちょうどチューブの口から頼りなげな細さで押し出されていく、練り粉の伸長に酷似していた。その速度、そのひょろ長さ――ついにサボテンの本体よりも丈を増したそれ。そんな不釣合な比率も、異国の植物ならでは許される破調なのにちがいなかった。

 それが確かに蕾であること。
 だとしたらそんな出蕾の光景を前にして、少年は己の敗北を認めなければならなかったのだろうか。こんな身の毛もよだつ植物に、花など咲くわけがない――そんな少年の持説が全然誤っていて、ここではあの例の父親の讃の方が正しいのだ、と。
 だがここでも少年は頑なだった。意見の修正こそ受け入れても、父親の押し付けがましい賛嘆に、完全に折れて譲ってしまうような気持ちは毛頭起こらなかった。
 ――もちろん花は咲くのだろうけれど。……
 少年は心の中で反論した。もちろん花は咲くのだろうけれど、それは父の言うように、清浄な光のような花ではありえなかった。そんなものは、少年を謀ろうとする謳い文句にすぎない。もちろん花は咲くのだろうけれど、あんなにも異形の植物に咲く花は、同じように異形の姿をしていなければならない。
 例えば、毒々しい花粉と粘液にまみれて、腐臭を放つ花――少年は目の前の植物の本体から、想像しうるかぎりの花の姿を思い浮かべてみた。サボテンの猥褻な球体から想像される、そのような花。否。それは本体だけではなかった。そういえば今こうして蛇のようにひょろひょろと伸びた蕾そのものも、少年がどうしても思い出したくないあるものの姿を連想させずにはいなかった。……
 それがサボテンの花についての、少年の新しい理解だった。今年もまた開花を直前にして、夏期合宿に出立しなければならない少年は、そんな仮説を検証する機会を逃していた。だが実物を見るまでもなく自分の意見をすっかり確信していた少年は、そんな醜悪な花を前に置いて、父親の能書きを聞かされずにすんだ己の僥幸を、むしろ言寿いだ。

     *

 蟠居する妖異の生物。その胴体から、巨大なネズミの尻尾のように伸びた蕾の先に、きっと咲くであろう呪わしい花。それが少年が抱いていたサボテンの観念だった。現実の三株の鉢植えが折々に見せる表情と、少年が聞きかじった雑多な知識から、少年が育んでいった観念――それは確かに、あらゆる植物が通有する負の性質を、一身に担っていた。いわばその毒の部分だけをどす黒く抽出した、唾棄すべき存在。……
 少年がこの植物をこれほどまでに毛嫌いしていたのは、それが当時少年が生きていた世界とは、正反対のものを表していたからだった。少年がたった一人の勉強部屋で積み上げていった、彼だけの空間。――医学部を目指す秀才でありながら、少年は学業だけには飽き足らず、文学や美術にまで手を染めていた。そればかりではない。人間の在り方、未来の在り方、愛――少年の大学ノートには自身が作った詩やら、折々の雑感やら、お気に入りの章句やらがびっしり書き付けられていた。……
 だがしかし一度勉強部屋を出て階段を降りると、たちまち階下の部屋を占拠したあの鉢植えたちが彼を迎えるのだった。三つのサボテンを首魁にした、植物たちの群れ。草いきれのようなものを吐きながら、じっと彼を凝視しているそれらの視線を、少年は確かに感じる。それは先刻まで彼が浸っていた夢と理想の世界とは別の、もっとずっと生臭い世界を象徴していた。――そんな観念に生理的に耐え難いものを感じた少年は、たちまち勉強部屋に逃げ帰ってしまう。だがそうして部屋の机に向っている時さえも、それらの生き物たちは少年の無意識を領していたのかもしれない。時には少年自身も、そのことに気付くことがあった。あれらの怪物たちは、今もなお背後のどこかで生温い息を呼吸しながら、無数の目玉で少年を見据えている。……

 そんな時、少年は呟き続ける。
 「――肥厚した葉が漂わす肉感。
 樹姿の畸形が醸し出す淫靡さ。
 乾いた棘がかえって湿潤を思わせ、硬質な表皮がなぜか与える軟熟の印象。……」
 そんな時、少年は心の中で、呪文のように言葉を念じ続けた。そうして言葉を投げ付けることで、かえって脳裏に張り付いたサボテンの像を振り払い、その呪縛から逃れようとするかのように。否。ただ唱えるだけではない。少年はそれらの言葉を必死に書き留めさえしたのだった。――そう言えば、少年が雑記帳の最後の頁に書き付けた次の台詞が、当時の少年の気持ちを見事なまでに集約していた。
 本当に、少年は半ば本気で、こう信じていたのだ。
 「砂漠のような荒れ地に、サボテンが生える。だがおそらく、因果はその逆だった。そうなのだ。あんな禍々しい植物がはびこるからこそ、豊かだった沃土も乾いた砂地に変じてしまう。……」

     2

 三つのサボテンを首魁にした、植物たちの群れ。草いきれのようなものを吐きながら、じっと彼を凝視しているそれらの視線――だがしかし少年はまた、それらの鉢植えの向こうから自分を見詰めている、もう一対の別の目玉の存在を感じていた。
 浅黒い肌。濃いめの眉。剰多なまでの長い黒髪。そしてそれらすべての南国風の造作の中で、その目だけは同じ黒でも艶やかな潤いを帯び、その光沢がまるで何かを語ろうとするかのように表情していた。……
 無口で孤独な女。いつでもどこか影のある女。――それは少年の家から三分も行かぬ雑貨屋の娘、初美の肖像だった。初美と少年は、世間で言ういわゆる「幼馴染み」だったのかもしれない。確かに同じ年の二人は、学校に上がる前には、近所の仲間たちと一緒に鬼ごっこや縄跳びに興じていた。だがしかし、小学校、中学校と同じ学校の二人は、鼻たれ時代の記憶がかえって照れを生んだのか、次第に口も利かなくなり、道で行き会う時にもことさらに知らん振りを決め込むように変わっていた。

 そんな初美の視線を少年が意識し出したのは、いつ頃からのことだったろうか。
 それはやはり、中学に通い始めた頃だったかもしれない。初美と少年は、どういうわけか同じクラスになることはないのだったが、給食の後の束の間の昼休み、級友とキャッチボールに興ずる少年は、校庭の片隅の砂場にぽつねんと佇む初美の視線が、じっと自分の上に注がれているのに気付く。……
 学校では群を抜いた秀才だった少年に、校友たちのある種の好奇の目が集まることは、別段珍しいことではなかった。また一部の女生徒が、少年に憧れていることも知っていた。だがこの初美の視線は、好奇とも憧れとも違う、もっとずっと熱烈な、飢渇のようなものであるように感じられた。
 そんな少年の認識を、自意識過剰と笑う者もあるかもしれない。だが少なくとも、それは少年の自惚れではなかった。実際こうして、好いてもいない女の視線が、確かに自分の上にいつでも蛾のように留まっているのを、少年は薄気味悪い、不快なものにすら感じていたのだから。

              *

 中学校の昼休みの校庭で――だがもちろん、ただそれだけのことだったなら、少年が初美の視線をあれほど不快なものに感じることもなかっただろう。だが少年と初美は、歩いて三分も行かない同じ町内の住民だった。近所住まいであることが、初美の存在を――その視線の存在を、学校の塀の内側に限らせなかったのだ。
 学校の外にいる時も、自宅の勉強部屋にいる時も、いやそれどころか、中学を卒業して別れ別れの高校に進学した後さえも、少年はたえずわずかに、時にははっきりと、自分を見詰める初美の視線を感じていた。いわば中学から高校への少年の思春期の全体を覗き見る目――いやそれはただ、窺い見ているだけではなかった。多少誇張した言い方をするならば、それは少年の思春期を閲し、統轄する目のようにさえ感じられたのだった。

 例えば日曜の午後。二階の勉強部屋である詩集に読み耽っていた少年は、突然それの存在を強烈に感じて、椅子を蹴立てるようにして窓辺に歩み寄る。もちろんそこから見下ろした庭は、いつものように鉢植えと庭木に埋もれていて、人の気配はない。そしてまた柘植の生け垣と、門の鉄扉の向こうの私道にも。……だがひょっとしたらあの電柱の陰に、初美はいるのかもしれない。垣根越しに部屋を覗いていた初美が、少年の気配を察知して、今この瞬間にそこに身を隠したのだ。――だがもちろん、すべては少年の錯覚だった。初めからどこにも、初美などいはしない。だがもしそうだとしても、詩を読んでいた少年に、突然何の脈絡もなくそんな想念を抱かせてしまったものは、一体何なのだろう。それはあるいは、遠感の現象?おそらくその瞬間だけ、少年も危うくそんな非合理を信じかけた。そうだ。あの電柱の陰にもし初美がいないとしたら、初美は彼女自身の勉強部屋から、今少年を見詰めていたのだ。……

 そして例えば散歩の時にも、それはそうだった。勉強に疲れたような時に、少年は多摩川の河原を散歩するのが好きだった。そこで得られる開豁な眺望――豊かに湛えられた河の水や、河辺の草の青さや、向こう岸の丘の稜線を、少年は愛していたのだ。
 だが河原に出るためには、初美の家の前を通り、鎮守の森を抜けることになる。そのことが、少年には多少気に入らなかった。
 鎮守の森は、少しでも脇道にそれると、昼間でも薄暗いようなところがあって、木の間隠れに不良たちが悪さをする、溜まり場のようにもなっていたのだ。
 そしてまた、初美の家の場合は、もちろんあの視線だった。かつて一度、初美の家を通り掛かった少年は、ふと妙な人気のようなものを感じて、これもまた二階になる初美の部屋を見上げたことがある。するとその窓辺には、案の上初美が立っていて、あの例の浅黒い顔の、それよりもずっと黒い黒目で、少年をじっと見据えていたのだ。――もちろんそれは、たまたま階下を眺めていた初美の前を、少年が通り掛かったということにすぎなかったろう。だが少年には何だか、初美がずっと前からそこに立っていて、少年が通るのをじっと待っていたかのような、不気味な印象を得た。……
 もちろんそれとて、一度だけのことだった。その時の一回以外は、雑貨屋の二階を見上げても、そこは分厚いカーテンが引かれているか、どこかへ遊びにでも出ているのか人の姿はなく、ただ空っぽの部屋が覗かれるだけだった。だがあのただ一度の厭わしい体験は、いつまでも少年の意識の中で尾を引いていて、そんな時でも何だか、あのカーテンや家具の陰に隠れて、初美が少年を盗み見ているように錯覚されるのだった。
 そんなおかしな思いをするのを嫌った少年は、散策に出る時にも、初美の家とその先の鎮守の森を避けて、遠回りを承知で別の道を選びさえした。

 例えばそれは、高校に進学した後も変わらなかった。勉強のできた少年は都内の有名私立に、初美は地元の商業科に進んだが、こうして学校は別々になっても、同じ町内に初美の家があるかぎり、少年は初美の視線の呪縛から逃れられないのだった。自宅の勉強部屋にいる時、散策に出る時はもちろん、そして時には通学の電車の中や、高校の教室ですら、絶対にそこにあるはずのない初美の視線を感じてしまうのだった。
 絶対にそこにあるはずのない初美の視線を感じる――確かに高校に進んでからは、そんな倒錯した錯覚が日常茶飯事になっていた。 中学の時なら、学校のある日は毎日、幾度かは現実の初美の姿を見掛けていた。清楚な中学校の制服が、少しも似合わない大柄な体。抑えられた情熱のようなものを感じさせる、南国的な顔立ち。初美に差している孤独と鬱屈の影は、極楽蜻蛉の中学生の中で、確かに初美に異質な存在感を与えていた。――そんな印象的な容貌を見つけていたのだから、その残像がいつまでも残って、現実の初美がいない時、少年の勉強部屋やら散歩の途次に、その存在を感じてしまったとしても格別不思議なことではなかったにちがいない。だが高校に進んでからは、それは違った。高校に進んでからは、近所に住んでいるのが信じられないほど、初美の姿を見掛けるのはまれになった。三年間合わせても数度だけ――しかもそのほとんどは後ろ姿か、横顔がちらりと見えるくらいのものだった。だがそれにもかかわらず、あれほどしばしば初美の視線を意識してしまうというのは、一体どういうことだろう?
 それはひょっとしたら、少年が意識していたのは本物の初美ではなく、初美という観念だったのかもしれない。ちょうどあの父の植物やサボテンが、現実の鉢植えであることをやめて、やがて呪わしい観念に加工されていったように、初美という存在もまた、思弁的な少年の精神の中で、何らかの――それが何であるか当時の少年にはわからなかったが、何らかの象徴に変わっていったのだ。そうして「観念」となった初美の目は、あの無数の鉢植えの向こうに浮かびながら、鉢植えの植物たちと一緒に少年をじっと見つめているのだった。いや実際それは、見つめているだけではなかった。それらは確かに少年の思春期を閲し、統轄してさえいたのかもしれなかった。……

     *

 高校に上がってからは、あのあるはずもない不思議な視線をたえず意識しながらも、実際の初美そのものを見掛けることはまれになった――確かに、それはそうだった。その代わりに少年が耳にしだしたのは、初美についての町の風評だった。もちろん少年が、実際に誰かから噂を聞き知ったわけではない。それは父と母との茶の間でのひそひそ話を、たまたま少年が盗み聞きをしたということにすぎなかった。
 ――乾物屋の娘、最近変に色気付いて……、お母さんがそれは大変だったそうよ。……

 終いまで聞き終えぬうちに、少年は自分の勉強部屋に舞い戻って、百科辞典のページを繰っていた。ニンギョウ。ニンゲン。ニンジョウ。その次の頁に、少年の視線は釘付けになった。そこに少年が見たのは、胎児の発育を図解した絵と、その二枚の実写だった。
 背びれのようなものさえ付いた、一か月の胎児。それはどう見ても、動物図鑑に載ったタツノオトシゴの姿だった。同じように、ごま粒のような目に、水掻きの付いた手をした二か月の胎児。そしてとりわけ、少年が思わず目をそむけたのは、身長十五センチという、十八週の胎児の写真だった。
 透明な卵膜の中の、羊水に浸された小さな空間に、じっと息づく胎児。その頭でっかちの体は、確かにもう人間の特徴を備えてはいた。だかその髪の毛のない頭、開かない目、何故か切なげに開いた口、やせ細った胴――それらが表現しているのは、けっして「生の喜び」などではなく、むしろ生きるために耐えなければならない苦悩の大きさだった。いわば耐え難い苦しみにそれでも耐えながら、必死に死病と戦う蒼褪めた生き物。胎児と胎盤をまるで命綱のように繋ぐ太い臍帯が、懸命に栄養を送り、それを死から蘇生させようとしている。一つの「命」として生み落とされるか、一掴みの屍となって排出されるか。……だがこの小さな生き物の苦しみはあまりに大きく、その喘ぐ息はあまりに力ない――
 少年が初めて手にした、ターヘルアナトミア。少年は思わず目をそむけた――だが少年は見なければならない。見て、知って、分析して、すべてを彼の知識の整理棚にしまい込まなくてはならない。少年は勇を鼓して、もう一度写真を正視した。今度こそ目をそらすことを自らに禁じながら、少年は意志に鞭打って、胎児の写真を凝視した。嫌悪感に耐えるために、呪詛と嘲笑の言葉を必死に投げ付けながら。

 「――まるでフーセンガムみたいだ。……」
 確かに胎児を包み込んだ卵膜は、濁った半透明の袋状をしていて、そのありさまはビニール袋か、さもなくば目一杯に膨ませたフーセンガムを思わせた。と、言葉の連想から、少年はたちまち、一緒に遊び回っていた幼稚園の頃の初美が、始終フーセンガムを噛んでいたのを思い出した。
にちにちと汚い音を立てながら噛んでいるガムを、時折思い出したように膨らませる初美。だがたいていの場合、息を吹き込みすぎたフーセンはそのまま割れて、初美の口元から鼻にまでへばりついた。……自分の顔だけならまだよかった。噛み飽きたガムを、初美は所構わずなすりつけるのだった。例えばブランコの鎖に。また例えば近所の家の白壁に。そして時には悪戯に、友達の洋服をすら狙ったのだ。初美汚ねえ、と絶叫しながら逃げ回る友達の様子を、さもおもしろそうに眺めながら、初美はけたけたと笑い続ける。その時初美の顔に覗けるのは、味噌っ歯だらけの薄汚れた歯並びだったにちがいなかったが、色黒の肌との対比のためか、それらは変に白く、鮮やかに浮き上がって感じられ、何だか入れ歯が笑っているようにも見えた。……

 変に色気付いて。……少年の頭の中には、ひそひそ声の母親のせりふが繰り返されていた。その言葉に反証しようとするかのように、少年は鼻たれ時代の初美と、中学時代の初美の顔を、順繰りに思い浮かべてみた。おかっぱ頭に味噌っ歯の少女。地が黒い上に、泥やらガムのかすやら鼻水やらで汚れた、不潔な顔。痴呆のような脈絡のない笑い。――それに比べて、中学の初美の顔からは笑いは消えていた。その黒の印象は、肌の色からだけ来るのではない。結ぼほれた、わだかまる黒い情念のようなものが、その向こうに予測されたのだ。明るく飾るのが女の子のはずなのに、何て暗い陰気な女だろうと、皆から舌打ちされるような存在が初美だった。
 おかっぱの初美。中学生の初美。――もちろん高校に進んでからの初美の変化を少年は知るべくもなかったが、そんな記憶の中の二人の女の像から、華やぐような色香が生まれてくることがありえようとは、どうしても思えなかった。
 もちろん中学生の初美は、もう十分成熟した大人の女だった。制服のスカートから伸びる長い足、はち切れんばかりの胸回りは、すでに育ってしまったものを、無理やりお人形さんの衣装を着せて、見て見ぬふりをしようとしているようなアンバランスがあった。そうして抑えられていたものが、高校での新しい環境で縛めを解かれた時、初美が男をの気を引くような魅惑的な女に変わることがあるのだろうか。
 否。少年はそんな仮説を、何のためらいもなく論外と断じた。初美の場合、同じ成熟でも、蕾が花開くような過程ではありえない。それは裸子植物か、シダ類の成熟に近いもので、少なくともそれは、少年の住んでいた玲瓏な世界とは、相反する類いの成就であることは間違えなかった。

 そうだった。ここでもまた、初美の幻の視線の呪縛を逃れるために、少年はあの例の大袈裟な呪詛の言葉をぶつけ続けた。
 「――成熟と腐乱は、同じ変化の後先だ。だとしたら初美の場合、成熟を通り越して腐乱が始まっていた。高校生の初美からは、きっと甘美な芳香の変りに、いやらしい腐臭が嗅がれるにちがいない。……」
 少年には、そんな初美に近付いたという男たちの気持ちが、どうしても信じられない。だがここでもまた少年は、とっておきのせりふを用意していた。そうだ、世の中には確かに、腐臭に魅かれる蠅もあるのだ。……

     3

 ――何という違いだろう。……
 同じ女だというのに、何という違いだろう――言葉の魔力によって、悪夢のように浮かんでいた初美の肖像をようやく退散させることに成功した少年は、今度はもう一つの別の肖像を思い浮かべようとと試みた。それは少年の思春期を見つめ続けたもう一人の少女、二才年下の少年自身の妹だった。

 もちろん身内の贔屓目もあったかもしれない。だが確かに妹は、飛びきり愛らしい少女だった。愛くるしい目元にはたえず微笑みが湛えられ、長い綺麗な髪を振り立てて快活なジェスチャーをし、その立ち居振る舞いさえ軽快な、どこかコミカルなリズムに乗っていた。妹の体からはいつも光と、生気と、喜びとが放射している――少年はそんなふうに呟いたが、それは必ずしも、少年の中の詩人が語らせた言葉の綾ではなかった。少年は実際、物理的にそれらのものを感じさえしたのだ。例えば妹が微笑む度に、その大きな目の中心から、まるで泉のように沸き上がった光が、渾々と滾りながら溢れ出た。……
 妹には華がある。妹が現れただけで、その場の雰囲気は、春のように華やぐのだ。――そんな妹が、誰からも愛されたのは言うまでもない。おそらく家の外でも、それはそうだったにちがいない。だが父にとって、母にとって、兄にとって、とりわけ妹は嬉しい存在だった。妹はいわば家族全員のアイドルであり、妹も自分のそんな役割を心得ていて、忠実におどけた仔犬を演じていた。愛されることをつゆ疑わず、愛されていることを喜び、愛されていることに応える小さな天使。――

 少年の成長に合わせて、もちろん妹もまた大人になっていったにちがいなかった。だがそんな兄妹二人の関係自体は、二才といういつも変わらぬ年の差のためか、何の変化もこうむらないように思えた。相変わらず二人は、五才のお兄ちゃんと三才の妹の関係を引き摺っていた。例えば少年にとって妹は、相変わらず可愛い不思議な生き人形であり、庇護しなければ生き残れない子分だった。妹の方もまた、中学生になっても高校一年に進んでからも、いつでも兄の前では、その幼さの側面だけを見せて甘えていた。ねえ、お兄ちゃんという媚びるような頼み事、テレビ漫画のキャラクターを真似た作り声、フグのように頬を膨ませて拗ねて見せる膨れ面、あかんべえ――そんな時妹の唇から、淡紅色の舌が顔を覗かせるのだったが、そんな軟体動物の姿も少しの汚らわしさも感じさせず、むしろ可愛らしいペットであるかのように思いなされてしまう。それどころか捲った瞼の裏に覗かれた無数の血管の血の色でさえ、むし妹の愛らしさを演出する微笑ましい趣向であるかのように錯覚されてしまうのだ。そして妹もまた、そんな効果を知り尽くして演じていた。……

     *    

 妹の方もまた、いつでも兄の前では、その幼さの側面だけを見せて甘えていた。――もちろん妹とて、もはや十六だった。そんな思春期にどっぷり漬かった少女が、ただ脳天気な小鳥のような存在であるはずもなく、そこにはそれ相応の成熟と発達があったにちがいない。もしずっと離れた遠くから妹を眺めることができたとしたら、その心の揺れやら、不安定な情念やらを見ることができたかもしれない。夢や、理想や、挫折や、悩みや、心の葛藤が一杯に詰まっている思春期という名の小箱――だが少なくとも身内の前では、妹は思いきり幼女趣味のピンクのカーテンを引いて、それらのすべてを隠しおおせていた。そして妹自身は、いつもカーテンのこちら側で演じていた。……

 カーテンの向こうに何があるのか、妹はけっして覗かせようとはしなかったし、また少年もそれを知りたいとも思わなかった。ひょっとしたらそこには、本当に何もないのかもしれない――だが時には、カーテンの向こうにあるものの存在を、はっきりと感じさせられてしまうこともないではなかった。
 茶の間でテレビの歌謡番組に見入る妹。ショートケーキをぱくつきながら、漫画を読み耽る妹。そんな時、妹の仕種と表情には、あの例の幼さが充満していた。だがそんな時突然、少年は妹が組んだ足の、ショートパンツから覗いた腿の意外な太さに、はっと息を飲むことがある。それは確かに、三才の少女の鳥がらのようにか細い腿とは違う、健康な肉そのものだった。と同時に、少年はその遙を引いたような肌から、体温の匂いのようなものが立ち上ぼるのを感じたような気がした。……
 そしてまた、文房具やら事典やらを借りに、妹の部屋に入った時。そこもまた、思いっきり幼女趣味の部屋だった。ピンクの絨毯。夥しい数の縫いぐるみ。花に埋もれているようなコロンの香り。壁を埋め尽くした少女漫画のポスター。……
 そんな時ふと、部屋の片隅のベッドの方に目が行くことがある。これもまたピンクの枕と、ピンクの布団が少しの乱れもなく並んだ、いわばままごとのお人形のベッド。――だがままごとに使うには、それはいささか丈が大きすぎた。少年はそこに入るはずのもののことを、心に想像してみた。それはもちろん、着せかえ人形のリカちゃんではありえない。たとえかつては人形のような存在であったとしても、今ではけっしてそうでないもの。そしてまた、やがては「女」と呼ばれる日が来るとしても、まだけっしてそうでないもの。それは確かに、「少女」という不思議な、不思議な存在だった。
 少年はふと、妹の寝顔などもう十年も見たことがないことを思い出す。だとしたらそのベッドで眠るのは、少年の前で妹が演じて見せる、一人のおきゃんな娘ではない。それは確かに、カーテンの向こうの妹だった。そう思うと何だか目の前のベッドから、妹の汗の匂いが、甘美な瘴気のように立ち上ぼるように感じられる。……

     *

 だが時には、カーテンの向こうにあるものの存在を、はっきりと感じてしまうこともないではない。――そんな時少年は、どのように振る舞ったのだろうか。少年らしい好奇心から、その中を覗き見ようと試みただろうか。否。そんな時少年は、はしなくもはだけてしまったカーテンの袖をすかさず繕って、垣間見てしまったものを否定しようとするのが常だった。それはあたかも、それをカーテンで遮ったのが、少年自身の意志であったかのようにも見えた。いやもちろん、カーテンを巡らして演じていたのは、妹当人であったにちがいなかったが、確かに少年もそんな妹の韜晦を肯ない、それに協力しさえしていたのだ。

 だとしたら覗けてしまったものは、それほど少年が忌諱すべき世界だったのだろうか。例えばあのサボテンたちのように、少年の住んでいた清澄の世界とは相反する、腐臭と畸形――否。窺い見られたのは、むしろ少年の世界と近縁の、明らかに此岸の世界だった。そうだった。陶酔。夢。甘美。――それらはもちろん、少年の考える望ましさの範疇に属していた。だがしかし、同時に少年には、それらと対峙するには自分はまだ未熟すぎるように思えたのだ。そうだった。少なくとも今現在の少年にとっては、それらは危うい存在だった。いわばあの華やかなピンクの色のカクテルのように、その甘い円やかな口当たりに謀られて口を付ければ、たちまち少年は酔い痴れてしまう。……
 あるいはここでも、少年は妹という「観念」を守ろうとしていたのかもしれない。少年の思い描く妹は、可憐な菫の花だった。淡い紫の、匂うがごとき色に華やぐ花。か弱いがゆえに愛しいもの。――それは小鉢の中のささやかな鉢植えとなって、平凡の日々を飾るべきものであり、目眩くような強い芳香を放ちながら、その存在を主張する、我の強い生き物であってはならなかったのだ。……そして確かに、少なくともカーテンのこちらにいる時には、妹はそんな観念そのものを、実に忠実に演じているように見えた。
 
 誰も足を踏み入れることのない、少年の孤独な勉強部屋。そこで少年が築き上げていた、詩と理想の世界。それは確かに絶海の孤島だった。階下のグロテスクな植物たちと、近所に住む浅黒い肌の女と、疎ましかるべき世間というものに、すっかり回りを囲まれてしまった六畳だけの陣地――だが確かに、同じ二階の妹の部屋だけは、彼のそれと同じ領域に属するものにちがいなかった。少なくとも少年は、好んでそう考えた――もちろん妹は、共に戦う同志であるにはあまりにも頼りなかったが、窓から外の世界の憂欝な風景を眺めた後に、その存在に目をやる時には、確かに救いがあった。いわば、肩肘張って生きねばならない少年の思春期を飾った、心安らぐ香しい花。――

     4

 その年、少年はすでに大学一年になっていた。
 もちろんそれは、世間並みからいえば、もう少年と呼ばれる年齢ではなかった。いわば自立への一歩を踏み出す年。大人の仲間には加えてもらえないにせよ、その楽しみの幾らかは許される年齢。お仕着せの生活や価値観を捨てて、新しいそれらを探していく、そんな時期。

 確かに、少年の生活も一変していた。
 東北大の医学部に進学した少年の、東京を離れた一人暮らし。そこで少年の経験したことは、これまでのどれとも違っていた。
 大学のアカデミックな、高踏的な講義。公園のようなどでかいキャンパス。アパートを借りた自炊生活。……鼻歌交じりの洗濯。目一杯の夜更かし。友達を呼んで飲み明かす、豪快な高笑い。……
 こんなふうに生活が激変した時、少年の心もまた、同じように大きな変化を被らなければならないのだろうか。繊弱な少年の心から、強固に打ち鍛えられた、大人の心への成長の過程。あるいはその逆に、澄み切った詩人の心が、急流に掻き乱されて濁っていく堕落の過程。――
 だがそれは違った。きっと生活の外面があまりに急変した時、内面の方が追い付けなくなるようなことがあるのだ。そんな時、変化の速度に付いていけない内面は、やがて成長を断念して、そしてついには役者の肉体から離ってしまう。――そうだった。大学一年の、どたばたの毎日を演じているのは確かに少年自身だが、少年の心は――もう一人の少年は一歩身を引いて、まるで赤の他人の出来事であるかのように、それらを観察しているのだった。いわばそれは、カウチに寝そべりながら眺めるテレビの青春映画。そんなふうに少年も、やがて自分自身も加わらなければならない人生という芝居を見つめながら、ただただ不思議そうに目をしばたいている。……

 そうだった。始まったばかりの大学の生活。そこではすべてが、半年前とは違っていた。例えば少年の語るせりふは、時に耳を疑うほど卑俗だった。――だがそれらはすべて、少年ではない誰かが、少年の名を騙って演じた芝居だった。仮面の裏の素顔は、――堅く秘された貝の内側には、瑞々しく柔らかい肉が息衝いてた。
 清澄な思春期の少年の心。実家の二階の、あの例の勉強部屋で築き上げた、詩と理想の世界。――もちろん少年は、すでにあの部屋を後にしていた。だが蛹を破った蝶は、意外なことに自分の体には、まだ宙を舞うための羽が育っていないことに気付いてしまうのだ。蜜を啜る管も、六本の足も備わらぬ、青虫のままの姿――それは確かに、幼虫のまま蛹を破ってしまった蝶の困惑。もちろんそんな奇態も、少年くらいの年頃にとっては、珍しくない倒錯なのかもしれない。だがしかし、甘美な思春期の時間をあれほどまでに愛し、あれほどまでに信じてきた少年の場合に、そんな内外の齟齬がとりわけ著しいものとなっていたのも、また事実だったにちがいない。

 だが少年もまた、変わらなければならない。
 誰もが成年への道程を歩むために、何かを学び、何かを断念しなければならない――そんな日が、少年にもやがて訪れるのだ。
 そして青虫が蝶になるとしたら、やはりそれは、あの蛹の中でだったにちがいない。……

     *

 幸い、蛹は元の姿のままそこにあった。
 東北に下宿する少年が、休暇中以外には、東京に戻れないのはもちろんだった。だが少年の家では、その数少ない帰省に備えて、少年の部屋を手付かずのままに残していたのだ。週に幾度か母親が掃除に入ることを除けば、書棚の本に触れることさえ禁じていた。
 一人暮らしの仙台の下宿と、東京の、高校時代そのままの勉強部屋。二つの部屋を持つということは、二人の自分を持つことと等しかった。実際少年は、心の片隅にたえずそのもう一人の自分を意識していたのだ。――アパートのキッチンでインスタントの食事を暖めながら、友人と歓談しながら、大学の講義を聞きながら、少年はいつでも自分の見えない背中の部分に、やどかりのようにあの部屋を背負っている。それは東京と仙台の気の遠くなるような距離を越えて、一種の呪力のようなものをもって少年に語り掛け、誘い、そして支配していた。
 実際少年は、大学に入っても続けていた大学ノートの雑記帳に、こんなせりふを書き付けていた。
 「――主のいない部屋。確かにそれは、とてつもなく不気味な存在だ。あの日とそっくり同じ装いをしながら、いつとは知れぬ帰宅に備える空っぽの部屋。――だが本当にすべてがあの日と同じだとすれば、そこに主はいるのかもしれない。少なくとも主の影が、陰画が、その不在が、そこにはあった。そんな記憶のようなものを抱きながら、まるで妾宅の女のようにへりくだって、永遠に待ち続ける部屋。……だがひょっとしたら、それが待っているのは、主そのものではないのかもしれない。そうなのだ。きっとそんな永遠の待命に、とっくの昔に飽き果てていたそれが、主自らの手で毀たれる日を待っている。……」
 また少年はしばしば、自分があの部屋に戻る日を思い描いてみる。そこで少年を待ち構えている経験は、どのようなものなのだろう。十年前の小部屋に戻るのなら、懐かしさで胸が一杯になってしまうだろう。また四日ぶりの帰宅なら、たちまち手に馴染む調度の感触が、何にも替えがたい安堵を与えてくれるだろう。だが四か月ぶりに帰るそこには、きっと友人の下宿を訪れたようなよそよそしさと、こそばゆさがある。そうなのだ。そこで少年は、まるで友人に出会うように、四月前の自分と語り、理解し合うのだ。……

 そして実際、最初の帰省の日がやってくる。
 大学の夏休み。それも馴染みのない者には、ずいぶん不思議な時間だった。高校では夏休みは、いつでも期末試験の悪戦苦闘の後に訪れた。だが大学ではそれが、何の境界戦もなく、突然明日から始まるのだ。それは彼らの日常に突然闖入し、二か月もの領土を支配してしまった異質な時間だった。――だが帰省を控えた少年の場合、その異国は必ずしも新しい、未知の世界ではなかった。むしろそれは、少年がかつて住み、そして今では忘れ掛けていた故郷、おそらくは、少年が精算するために戻らなければならない、「過去」の時間だった。……
 下宿に入ってからは、ゴールデンウイークに帰宅できない旨を書き送った以外、親元と手紙のやり取りはない。電話を掛け合うことも皆無だった。――だがやはり、今度ばかりは少年も、帰省の日をあらかじめ知らせておくべきだったろうか。しかし少年は、そうすることで御馳走やら何やらの、ことさらな歓迎を受けることを厭っていた。そんなよそよそしい扱いを受けるよりは、突然風来坊のように立ち戻って、「あら帰ってたの」と、そんな息子がいたことをその時初めて思い出したような驚きの言葉で迎えられたい。その方がかえって、何の不自然さもなく、再びあの部屋に入り込むこともできそうに思われたのだ。本当に、まるで数時間の散歩から帰ったかのようにさり気なく。……

 一学期の最後の講義は休講だった。教授の急用を告げる掲示のビラを眺めながら、こんな紙切れ一枚で、また二時間空っぽの時間が生まれてしまうことが、何だか不思議に思えた。仲の良い友達は、学期の終了を待たずに帰省してしまっていて、少年は一人学食の喫茶コーナーで、しきりに切符の所在を確認しながらコーヒーを啜り、新幹線の時間を待った。
 二時間後少年は、新幹線の車窓を移る景色を眺めていた。
 上り列車。下り列車。――川の流れに譬えたにちがいないそんな言い回しは、なるほど適切な呼称だった。確かに少年は、四か月前に下ったはずの時の流れを、今遡っているのだった。その時未来であったものは過去となり、かつて少年に表を見せていたはずの車窓の景色が、今はことごとく裏返って少年に背中を向けている。…… だとしたらすべての夢は、その舞台裏を晒して、少年の幻滅を誘っていただろうか。かつて少年が夢見た未来、――知的な医学生の生活。堅実な医術を学びながら、あの詩と理想の世界をなお豊かに育んでいく。――そんな薔薇色の未来が、こうして現在となり、過去となった今、色褪せて凡庸な大学生の毎日になり下がってしまっただろうか? だが少年は、そう問い掛けながら、自分の内に断固たる否定の答えを確認していた。否。まだ何一つ変わっていない。少年は相変わらず今を肯ない、未来に夢見ていた。かつて仙台に下る列車で少年の胸を膨らませていた希望は、まだ少しも萎びていなかった。そう言えば、窓から見える阿武隈川の景色さえ、あの時と少しも変わることなく美しいものに感じられていた。
 夢はまだ、少しも萎びてはいない――確かに、それはそうだった。だが皮肉なことに、それからたった数時間後に起きたある小さな事件が、その悪意の針で少年の夢の風船を突いてしまったのだ。いや、それは事件ですらない。本当に取るに足らない、小さな、小さなハプニング。――

     *

 上野駅からは、電車を乗り継いで郊外の実家に向かう。途中からは、少年には御馴染みの、三年間高校に通った路線だった。
 私鉄のK線で少年の乗り込んだ車両は、五つおきの駅に止まる快速列車だった。スピードは新幹線と比ぶべくもなかったが、途中駅を通過していく疾駆感には変わりがない。
 ここでもまた、風景は窓の外を飛ぶように過ぎていく。ただ今の場合、少年は次に現れる風景のすべてを諳じていた。ボクシングジムの黄色い看板。電機会社の社員寮。中学校の運動場。――だが不思議なことに、目に入るのはただそれらの街並みのみなのだ。盛夏の午後の陽射しに意気をそがれたのか、街には人影は疎らだった。ただ一人、熱帯の隊商のような奇妙な服装をした男が、線路沿いの道を歩いてくるのが見える。……
 砂漠化――少年はふとそんな言葉を思い出して、自分の突拍子もない連想を笑った。

 車両の中は、冷房が吹き出す風のために、外の炎暑とは別世界だった。だがここも、閑散としているのは変わりがない。少年は車内広告を順繰りに目で追ってみる。もちろん大半は、仙台でのものと変わらなったが、その他にもローカルの広告が意外に多いことに、少年はいまさらながら気が付いた。
 電車はいつのまにか、少年の降車駅の一つ手前まで着いていた。この辺りまで来ると、今にも知った人が乗り込んでくるような気がして、無意識にドアの方に目がいく。
 地元の駅が近付くにつれて、少年は今度は、帰省の予告をしなかったことが変に気になりだしていた。もちろん長男の唐突な帰宅は、家人にとってはpleasant surprise なのにちがいない。だがそんな趣向が備えられているとはつゆ知らぬ家人は、家を明けてしまっているかもしれない。もちろん少年は家の鍵をもらってはいたが、がちゃがちゃと音を立てて扉を開けて、人気のない家に入るのは何か抵抗があった。本当にそれでは、大きな荷物を持っていることを除けば、高校の授業から留守番の家に帰るのと、何の違いもない。……
 駅名のアナウンスに促されて、少年は降車口に立った。時計の針は、ちょうど四時三十分を指している。荒っぽい減速のために、荷物を持った少年はバランスを失くして、わずかによろめいた。
 扉が開くと、たちまち熱風が襲い掛かった。大気と熱とには、意外なまでに堅実な質量感がある――そんなふうに心に呟きながら、少年は先刻までガラスの向こうから冷ややかに観察していた熱い荒野に、今自ら足を踏み入れたことを実感した。
 駅から家まで、十分弱の道のり。もうすでに日は傾き掛けていたが、冷房から出たばかりの少年の感覚は、うだるような暑さを感じていた。そんな感覚の異常な高揚は、いつでも私たちの認識から現実感を奪ってしまう。眩しい西日。ぎらぎらと輝く家々のガラス窓。乾き切ったアスファルト。――もちろん街並み自体は、少年にとって御馴染みのものだったが、いつになく人気ない今のそれは、嘘ものの舞台装置のように思えてしまう。少年は何だか、自分が夢を見ているように錯覚して、そういえばどこか夢遊病者のように蹌踉と歩みを進めた。
 こんないまいましい夢見心地を破るためには、涼しい冷房の風があるばかりだった。ようやく実家の前に辿り着いた少年は、快適な空調の部屋が迎えてくれることを祈った。

 門は軽く手で押しただけで、すぐに開いた。留守の時は錠を鎖すならわしだったから、幸い家人は在宅らしい。
 庭に入ると、少年はたちまち夥しい庭木に囲まれた。テッセン、モクセイ、ツツジ、キョウチクトウ、それから縁先の一角を占拠したツゲやらサツキやらランやらの鉢植え――それはもちろん、少年には格別目新しいものではなかった。だがこうして夏の陽射しに炙られた時、それらはかえって、所を得たように生き生きと繁茂しているように思える。少年は折りからの暑気に加えて、それら植物たちの草いきれのようなものを感じる。同時にその熱い息の中に、人を害してしまう毒気のようなものも、混じっているように思いなされるのだった。いわばジャングルに迷い込んでしまった旅人の困惑。――
 一刻も早く家に入りたくなった少年は、踏み石の上を急ぎ足に渡って玄関口に立った。呼び鈴で家族を呼ぼうか、手持ちの鍵を用いようか迷う間もなく、右手を添えたノブが軽く回った。
 施錠に関してずぼらな少年の家は、誰かしら在宅の時は、用心を怠って、開けっ放しのことも多かったのだ。――だが扉を開けた瞬間、少年は階下の部屋に――玄関のすぐ向こうの応接間にも、その向こうのダイニングにも、少しも人気がないのがわかった。おそらく家族は、近所にちょっと用足しに出掛けているか、あるいは二階の部屋で、妹一人が留守番をしているのかもしれない。……いずれにしても少年は、まだ自分の長年の勘が生きていて、空っぽの部屋に向かって間の抜けた帰宅の挨拶をしなくてすんだことを喜んだ。

     *

 たくさんの履物が雑然と脱ぎ捨てられた沓脱ぎに、これもまた乱暴に靴を放ったまま、少年は部屋に上がった。
 人気のない応接間も、もちろん正確に言えば、けっして空っぽの部屋などではなかった。あの例の鉢植えたちが、人間よりももっとおどろおどろしい存在感でそこを領していた。それらは相変わらずそこで生き、営み、盛っている――炎天の戸外も耐え難かったが、こうしてガラス戸を立て切った部屋は、さらにうだるような暑さだった。空気そのものが、熱く湿った舌べろで肌を嘗めるような不快感に、少年は悪心を感じた。だがそんなヒトが耐えられない環境を、植物たちはだからこそ喜んでいるかのように、葉末と葉末をすり合わせながらしめやかなささめきを交わしている。――とりわけ部屋の片隅に置かれたあの三鉢のサボテンは、湿潤な温気のもたらす快楽を、そのいびつな形で貪っているかのように見える。……
 植物たちの登場が、少年の夢見心地に悪夢の様相を加えていた。それはきっと、半年来忘れていた忌まわしさの感覚が、今一斉に少年の内部に蘇ったのだ。
 悪夢を覚ます涼風を求めて、少年はここでもまた、逃げるように二階の部屋に向かった。

 二階には、手前に少年の部屋、その奥に妹の部屋が並んでいる。まだ階段を上がり切らぬうちから、少年は耳聡く、冷房のモーター音を聞き付けていた。のみならずその音の中には、確かに妹の笑い声が混じっているように思われた。
 だとしたらきっと、妹の友達か何かが遊びに来ていて、今部屋で涼を取りながら、談笑しているのだ。……
 そう考えると、少年は一刻も早くクーラーに当たりたい気持ちになって、自分の部屋にはすぐに入らずに、廊下に荷物を置いたきり、奥の部屋に向かった。

 冷房を利かせた部屋は、もちろん扉を閉めていた。
 各々の部屋は、必要とあらば内側から鍵ができる構造になっていたが、それでも少年に、ノックの習慣がなかったわけではない。ただ友人やら従兄弟やらの気の置けない仲間が訪れている時には、無礼講の心理も働いて、そんな他人行儀のエチケットなど失念してしまうのもしばしばだった。今もまた、少年は何のためらいもなく、扉を無造作に押した。
 施錠されていない扉はすぐに開いた。――それは確かに、弾けるように勢いよく開け放たれたのだ。だが扉のノブが手を離れてしまった瞬間に、少年はすでに自分の振る舞いを後悔していた。
 訪れていたのは、少年のまったく見知らぬ男だった。

 少年は逃げるように自室に戻った。
 クーラーのスイッチを最強に入れて、絨毯の上に座り込んだまま、肌脱ぎになった体に風を当てる。そうすることで、熱に浮かされて見た悪夢から覚めることを期待するかのように。……だがそうしながら少年は、のぼせていた頭が冷えるにつれて、かえって自分の見たものがけっして夢などではないことを、確認させられる苦々しさを経験していた。
 五分もすると、ドアにノックがあった。
 少年の返事に応えて、妹が姿を現した。ピンクのスカートに、幼い漫画のキャラクターを描いた、白いTシャツを着ている。
 「お兄ちゃん、帰ってたの?」
 「ああ」
 少年は、ただぶっきらぼうに返事をする。何秒か、気まずい沈黙が続く。
 「高校の同級生が来てたの。今帰ったところ」
 「そうか」
 平静を装おうとする気持ちが、少年の口数を少なくしていたのだろうか。だがまた少年は、自分がいつのまにか全然口の利き方を忘れてしまったような、奇妙な気分にも陥っていた。
 取り付くしまのない兄を見て、さすがに妹も会話を続けようという努力をやめた。最後に肩をすくめて、ぺろりと、舌を出したきり、部屋を出てしまう。
 小さなべろが覗いた妹の口腔は、何だか貝の内側の肉のようだった。

 ――九時になって両親が帰った。突然帰省した長男にやや芝居がかった歓迎の意を表しながら、観劇のために今の今まで家を明けていたことを詫びた。
 家族で遅い食卓を囲みながら、大学での生活について、両親の関心は尽きない。少年はほとんど何の表情も浮かべずに、機械的に質問に答えていく。妹は、食卓の隅で殊勝そうに黙っている。

     5

 その日から、少年の心は砂漠になった。

 少年の帰った部屋は、もちろん半年前と少しも変わらなかった。詩集やら思想書やら画集やらの一杯に詰まった本棚は、少年が家を出た時と同じ状態で、手付かずのまま残されていた。――だがしかし、あまりにも整然と並びすぎた書物は、何だか妙によそよそしいインテリアの一部のように感じられて、その一つを引き抜いて手に取ろうという気にはなれなかった。少年は大学から持ってきた医学書をぱらぱらと捲って見たが、すぐに飽いた。ぽつねんと椅子に腰を掛けて頬杖を付いたきり、少年は自分がもはやこの部屋の主ではないことを痛切に感じていた。

 少年の帰った家も、またそうだった。一人前と言われる年になった息子の帰省を、とりわけ喜んだ父親は、少年を幾度も酒に誘った。だが少なからず煙たい存在だった同性の親と、長々膝を突き合わせることを考えて、少年は丁重に辞退した。
 母もまた少年を歓迎していたが、食事と洗濯の面倒を見なければならないお荷物が、また一つ増えたのも事実だった。
 妹は兄の前で、相変わらず朗らかに振る舞っていた。だが同時に、立ち入ったような会話が始まるのは、巧みに避けているようだった。ことさら兄に甘えてみせるようなことも、もう止まっていた。

 そしてまた少年の帰った街も――最初に駅を降りた時の自分の印象が、少しも間違っていなかったことを少年は確認していた。酷烈な陽射しに炙られて、人気の失せた廃墟の街。それは少年の慣れ親しんだ街とは違う、いわば故郷の亡骸。――
 もちろん少年は、そんな感慨が自分の錯覚にすぎないことがわかっていた。街は少しも変わっていない。それはいつだって盛夏の頃には、そんな索漠とした相貌を帯びるにちがいなかった。ただ少年はこれまで、受験の準備のため冷房の部屋に籠っていて、夏の日盛りの街の素顔を目撃すべくもなかったのだ。――確かに、それは錯覚だった。だが錯覚は、ただの妄誕とはちがう。たとえ錯覚であったとしても、少年が実際そう感じた以上、それは少年の心の内の真実だった。そう。この砂漠化の奇想は、少なくとも少年の魂にとっては、重大な意味と象徴を担った心象だった。……

      *

 何のノルマもない、一か月あまりの時間の空白。何かが抜け落ちてしまった心の洞。故郷も、家も、六畳間の城も、すべてが乾いた風の吹くがらんどうになってしまった。――そんな虚ろを埋めるためには、一体どんな術があるのだろう……? 少年はぼんやりとそんなことを思いながら、実家の一間に無為に寝起きしていた。
 父は相変わらず、植木にかまけている。休日はもちろんのこと、会社から帰る間もなく、鉢植えの世話に余念がない。

 すべてが乾き切ってしまったとしたら、土くれはもはや、崩れ落ちるよりほかないのだろうか。それとも土を潤す雨が降る日が、再び来るのだろうか……? 少年はぼんやりとそんなことを思いながら、実家の一間に無為に寝起きしていた。
 妹は予備校の夏期講習に通い始める。到底勉強に行くとは思えないような華やかな格好で、家を出ていく。

 少年の胸には、さまざまな思い出が去来する。同時にこれからの、未来についても思いを巡らす。――もちろんそんなとりとめのない思念に、何か重要な結論を導き出す力があるはずもない。だがそうして時間をやり過ごすうちに、数多の思いが自然にふるいに掛けられて、最後にたった一つ、否応のない少年の選択が残されていたのだ。
 少年はお得意の詩藻を交えて、こんなふうに思い始めていた。
 「――もしすべてが廃墟になってしまったとしたら、弔いを済ませた後には、旅に出るべきなのかもしれない。冒険と危難とが待ち受けているかもしれない砂漠に、新しい棲家を探さねばならない。……」
 そうなのだった。すべてが乾き切ってしまったとしたら、雨を待つのは愚かだった。まるであのサボテンたちのように、砂漠のままの土に根付くこと、そして砂漠に生きることを、少年も学ばなければならない。――そういえば七月も半ばになり、階下の鉢植えの中に、父の「月下美人」の出蕾が始まっていた。ひょろひょろとした二本の尾のようなものが、その胴体から過度の長さにまで伸びて、ちょっとした振動にも頼りなげに揺れている。少年はまたしても、父親の講釈を聞かされる。砂漠の夜に、光のように白い花が咲くぞと。……

     *

 その日少年は、久し振りに真昼の街へ出た。
 庇の深い帽子で日除けをしながら、あてどなくさ迷う廃墟の街?――だが一旦そんな修辞を忘れて、ありのままに眺めれば、もちろんそこは廃墟などではなかった。なるほど人通りはまばらではあるが、けっして皆無ではない。のみならず炎暑にうだりながらも、役所でも商店でも民家でも、それぞれの営みがあり、街は確かに生きていたにちがいなかった。
 少年はそんな風景の一つ一つを確かめていく。
 ショッピングカーを押す、買い物帰りの主婦。お仕着せのユニフォーム姿で、自動販売機の詰め代えをするコカコーラのアルバイト。まして半裸のまま、浮き袋を抱えてプールに出掛ける児童たちは、暑さなど少しも意に介さずに生き生きとしている。……

 少年はそんな風景の一つ一つを確かめていく。飾る言葉も、描く言葉も忘れて、ただ赤ん坊のような真っさらな心で、虚心に眺めている。
 いつしか辿り着いた駅前の商店街。道端では勇敢な露天商が、天幕で陽射を遮っただけの縄張りで茶を売っている。毒々しいまでの暗緑の茶。その色の連想から、茶の葉を噛みしだいた時の濃密な苦みを思い出して、口の中につばきが一杯に沸き上がってくる。…… 時折暑さ凌ぎに、クーラーのよく利いた店を探しては、冷やかしに入る。洋服屋。電気店。ゲームセンター。わが街でありながら、本屋とレコード屋以外ほとんど知らずに来たことを、少年はいまさらながら思い知る。時計屋の宝石コーナーでは、郊外の街では到底買い手が付かないような高価な品物が並んでいる。……
 軒先の通路まで張り出して、品物を並べた八百屋。乱暴に山積みにされた白菜や大根。剰多なまでの果物。店主の呼び声。そんな異国の市にも似た商い風景が、真夏の街には最もふさわしいもののように思いなされる。……

 少年はそんな風景の一つ一つを確かめていく。飾る言葉も、描く言葉も忘れて、ただ赤ん坊のような真っさらな心で、虚心に眺めている。
 そうして歩くうちに、不思議と静穏な気持ちが少年の心を領し始める。そんな心の凪の正体が一体何なのか、少年にはわからない。だがこのことだけは確かだった。――こうしてあらゆる言葉を失くした時、同時に断罪の言葉もまた消え失せたのだ。ただ二顆の眼球となりおおせて、傍らを通り過ぎて行くすべてのものを閲し、諳じる時、それはすべてを肯っているのと等しいことになるのだった。……

 かつて知ることのなかったそんな気持ちに戸惑いながら、少年はさ迷い続けた。それはただ、数時間ばかりのそぞろ歩き。だが少年自身にとっては、それが気の遠くなるような、長い長い心の彷徨であるように感じられた。
 ふと気が付くと、時計はすでに五時を回っていた。
 午後のショッピングの街が、仕事帰りの男たちを迎えて、そのまま盛り場に佇まいを変えていく不思議な時間。
 日の落ち切らぬのも構わず、ネオンに灯が点る。いくつもの飲み屋が仕込みを終えて、店を開き始める。
 少年はふと、縄暖簾の一つをくぐりたい気になったが、おじけついてやめてしまった。
 そこから十歩も行かないうちに、店の外にまで音楽を鳴り響かせたパチンコ屋があった。学生風の二人連れが店に入ったのに釣られるように、少年も自動ドアを踏んだ。
 初めて足を踏み入れた遊戯場。音と光と色彩とが、たちまち少年を圧倒した。充満する煙草の煙りにも当てられて、少年は眩暈に近いものを感じる。……
 だがそんな過激な刺激にも、少年の体はすぐに慣れた。気紛れに選んだ台の一つに腰を掛けて、玉を打ち始める。
 ここでもまた、先刻の不思議な心持ちが尾を引いていた。少年には少しも勝ち負けの意識はなく、ただチューリップの開閉と玉の行方を、興深げに、ぼんやりと眺めているのだ。それはちょうど秋の空の飛行機の行方を、ずっと目で追い続ける子供のように――甘美な心の麻痺。言葉の世界やら、そうでない世界のことを忘れて、ただ目の前の世界だけに没入する少年の口元には、小さな微笑みさえ浮かんでいた。

 普通ならばあれだけの金でどのくらい遊べるものなのか、少年はわからない。だが一進一退を繰り返すうちに、玉をすっかり失くした頃には、時計はもう七時を回っていた。
 店を出ると、街にはすでに夕闇が降りていた。ネオンの光が、その変に甘美な色調で、にじむように闇を彩っている。
 少年は昼間来た道を遡っていく。繁華街のネオンの海はたちまち尽きて、信号一つを隔てて、道は住宅街の真ん中を縫って行く。そこから先は、道の左右を飾っているのは、白く清浄な蛍光の灯ばかりだ。
 真夏の闇が、始終熱い吐息を吹き掛けてくる。ものの五分も歩かないうちに、ポロシャツの下は汗でべっとりと濡れていた。
 もちろんこのままこの道を進めば、まもなく家に辿り着くはずだった。その冷房を利かせた部屋で、存分に涼むこともできたろう。だが少年の足の向かうのは、何故かもう一本の別の道だった。

 何故自分がその道を行ったのか、少年にはわからない。それはきっと、理由を考える必要のないほど、当然の選択だったのだ。いやひょっとしたらそれは、選択ですらないのかもしれない。少年は何の俊巡も、比量もしないまま、決められた順路を行ったにすぎないのだ。……
 道は多摩川の川べりに通ずる道だった。河原の手前には鬱蒼と木の茂った鎮守の森があり、そこではいつでも、夜の闇よりもずっと暗い木暗がりが、薄気味悪く息衝いていた。
 鎮守の森よりもさらに手前に、初美の家の雑貨屋があった。少年は、その後の初美の消息をあまり知らない。ただ高校を出た後は、家の手伝いをしているような話を聞いたことがあった。
 少年の記憶には、中学時代の初美の面影しか残っていない。セーラー服がはち切れんばかりの大柄な体。黒く長い髪。浅黒い肌。そんな南国的な顔立ちの少女が、ちょうど今日の夏の闇のように、熱い情念を秘して息衝きながら、ぎょろりと剥いた大きな眼で、少年を見つめていた。……

     *

 その夜、サボテンの花が咲いた。
 あれほどまでに父親に語り聞かされていたこと。そして少年が、けっして信じようとしなかったこと。咲くわけがない。あんなにもおぞましい風体の植物に、花など咲くわけがない――そんな、少年が必死になって抗い続けてきたことを、今夜わが目で目撃したのだ。

 父親の予言は、確かに見事までに成就していた。
 そうして訪れた奇蹟を目の当たりにして、少年は何をどう感じていただろうか。
 もちろん少年ももはや、頭を振ろうとはしなかった。起きてしまったことをただ素直に受け入れながら、少年の心には神秘の念だけが満ちていた。
 そしてまた少年は、そんな花の目を奪う美しさを、言葉にしようともしない。そうだった。もしそれが奇蹟であり、神秘であったとすれば、神を語る言葉がないように、どんなに言葉の矢を番ったとしてもその美しさを描き切ることはできない。――
 いやそれは、単に不可能なばかりではないのだ。それは逆に、少年が言葉を忘れたからこそ、初めて見ることのできた美しさだったのかもしれない。それは言葉を越えた美、あの詩と愛と理想の小部屋に籠っていては、けっして見ることのできなかった、言葉の彼岸の美なのにちがいなかった。

 花のうてなまでは、もちろん御馴染みの姿だった。岩石のようなサボテンの胴体。淫靡な棘々。棘座の一つからひょろひよろと――何やら思わせ振りな姿で伸びた蕾。そんな醜怪なものの先端に、言葉に言い尽くせない美しい花が咲いている。あんなに忌まわしい植物が、それにもかかわらず美しい花をつけてしまうことが、少年には驚異であった。だがそれは、おそらくは違った。むしろその本体が奇怪であればあるだけ、だからこそ咲いた、ユリよりも藤よりも美しい花。――
 それは確かに、乾き切った真夏の砂漠の夜に咲いた、白い光の花だった。
                            (了)


目次





氷 結 ………………………………

奔馬 ……………………………………

サボテンの花 …………………

「氷結」

――少なくともルイス・キャロルよりは世間を知り、
  少なくともオスカー・ワイルドよりは小説がうまい。


     1

 それは昨年の初夏のことであった。
 私はある相談事のために、知人宅を訪ねていた。
 
 知人というのは、親友のMの従兄弟に当たる人だった。銀行勤めの彼は、Mの口利きで二度ばかり私に定期預金を作らせていた。そしてこれもまた、釣り好きのMの強引な誘いに従って、一度知人と二人そろって、海釣りのお供をしたこともある。

 知人とは面識があるとは言っても、たったそればかりのことである。そんな彼を突然訪問することを思い立ったのは、当時住宅ローンを組む必要があった私が、知己として親身の助言がいただきたかったからだ。ちょっとした手土産だけを持って現れた私の、そんなかなり強引な相談に、しかし知人は実に快く応じてくれるように見えた。
 確かに知人は、善良さを絵に描いたような人柄らしかった。知り合えば知り合うほど、最初のイメージは裏切られるのが通例だろうに、彼の場合は初対面で得た印象を、逐一追認していた。――本当に知人は、銀行員というお堅い勤め人の類型に、ものの見事に嵌まり込んでいた。鼠色の背広やら、几帳面な仕事振りやら、丁重な言葉使いやらが、けっして仕事の上のことだけではなく、何か持って生れた天性であるかのように感じられてしまう。
 知人の篤実さは、当然家庭の中でも発揮されているようだった。毎日定時には家に帰り、妻や子供の他愛のない会話の相手をし、週末にはときに一家を引き連れて、食事やら行楽やらに繰り出す。それもそんな団欒が楽しいからというよりも、そうすることが父親の務めであると考えられているらしい。
 とりわけこうして部屋着姿のまま、突然の来訪者をもてなすような場合には、知人の面目躍如たるものがあった。まるで休日の貴重な時間が惜しいというように、いきなり本題に入るようなことはけっしてしない。そしていざ融資の説明が始まってからも、理解の遅い私に嫌な顔一つするでなく、実の籠った対応を見せてくれた。――四十分ほどしてようやく得心のいった私は、こうまで丁重な扱いを受けたことを申し訳なく思い、本当に心底から、懇ろに謝意を述べた。
 それからまた友人同志としての、打ち解けた雑談が始まった。もちろん私とて、要件だけを済ませたら即座に引き上げるような、非礼は望まなかった。だからあと十分ほどこうした歓談をした後で、それでも長居はしないように、引き返すつもりだった。そんな雑談の最中に、この目の前の、紅茶を啜りながらしきりに眼鏡のずれを気にしている四十がらみの銀行員――平凡の美徳を地で行くようなこの人物から、あれほど奇怪な物語を聞かされようとは、もちろん夢にも思わずに。……

 それは知人の所有する、一枚の油絵に纏わる話だった。
 応接間の壁に掛けられた、十号はあろうかという大きな肖像画。確かに私も、最初からそれが気にはなっていたのだ。この部屋に足を踏み入れたその瞬間から、そして私たちが用件を煮詰めている小一時間の間も、壁を背にして腰掛けた友人のちょうど右肩のあたりから、それは始終二人を――なかんずく正対して座った私の左の面を、じっと注視しているように感ぜられていた。
 描かれているのは、私たちと同じ位の年齢の男性らしかった。――「らしかった」と言うのは、私がその判断に自信がないからだった。というのは、確かに男の頭髪に白いものは混じらず、肌には目立った皺もなく、着衣も赤い派手なポロシャツだったが、その相貌には明らかな頽唐が、ミイラのように干涸びた雰囲気が感ぜられたのだ。それは奇妙なことだったが、実際もし男が七十の老人であると教えられたとしても、かろうじて信じることができそうにさえ思われた。
 もちろん特異なのは、その年齢の不確かさだけではない。最も印象的だったのは、男が浮かべた何とも名状しがたい表情だった。その極限にまで見開かれた眼は、凄惨なものを前にして、驚愕のあまり瞼が引きつっているようにも思える。心持ち開き掛けた口は、何かを叫ぼうとする瞬間のようでもある。そして画面の前の人に、訴え掛けるようなあの視線。……
 美術の知識など少しもない私は、それでもたちまち、昔教科書で見たムンクの「叫び」を思い出した。もちろんこの絵は、ムンクのそれのように、表現派風な描かれ方をしていたわけではない。それは極めて写実的な筆で、忠実に現実をなぞったものだった。何も捨象せず、何も歪めない一人の人物の直写――だがそれにもかかわらず、ムンクを思わせずにはいない妖気を漂わせてしまう点が、この絵の不思議な特徴だった。

 私も最初から、絵のことが始終気になっていた。――だがもちろん、用談の最中に脇見ばかりをしているわけにはいかなかったから、努めてそれを忘れようとしていたのだ。しかしこうして、用向きを終えて気楽な話題に移ると、緊張の糸が切れたのか再び絵のことが気になり出した。相手の話に相槌を打ちながらも、それでもちらり、ちらりと左上を見上げる私の仕種を、目敏い知人は見逃さなかった。
 「ああ、あの絵ですか。やっぱり気になりますか」
 心中を見透かされた私は、軽い羞恥を感じた。そしてきっとそんな戸惑いが、私をそのうえさらに、あのあまりにも凡庸な質問に駆り立ててしまったのだ。
 「誰か有名な画家の絵ですか」
 私の愚問にも、しかし知人は表情一つ変えるでもなく、落ち着き払って答えた。
 「いいえ、画家は少しも有名ではありません。ただ私の友人の肖像なものですから、大事に飾っているのです」
 確かに、それはそうだった。大家の作品のようなものが、こんな一介の銀行員の家に、いかにも間に合わせといったふうな安物の額縁に入って、飾られていようはずもなかった。第一、目の前の絵の描かれ方は、明らかに名画の筆緻とは違う。絵は確かに、何か異様な魅力を発散させてはいたけれども、それはまた作家の技倆とはだいぶ違ったどこかから、来ているように思われた。
 「ですけれども、それにしては。――」だがしかし、まだ私が何も言わないうちから、知人はその意を汲みとって言葉を続けた。
 「それにしてはずいぶん人を引き付ける、不思議な魔力があるでしょう? この応接間に入った客は、皆そう言います。あの絵の男が気になってしかたがないのだ、と。もちろんそれは、来客ばかりではありません。この家に住む私たちも――いや、妻子はどうだかわかりませんが、少なくともこの私は、たえず友人を意識しながら暮らしているのです」
 たえず友人を意識しながら?――このとき知人が「友人の絵」と言わずに、ただ「友人」という言い回しを用いたことに、私は妙に奇異なものを感じたのを覚えている。それと同時に、この突然の擬人化は、私にある当然の疑問を抱かせた。一体この銀行員に、絵のモデルになるような友人があったのだろうか? たとえいたとしても、なぜよりによってその肖像画が、知人の応接間に飾られていなければならないのか?
 私は自分の怪訝を、素直に言葉に表した。
 「友人とおっしゃるのは、同じ銀行の方ですか」

 「ええ、そうです。同じ銀行の者です」と私の質問に、知人はそこまではこれまでのいつとも同じように、慇懃な口調で答えた。
 そこまでは――だが確かに次の瞬間、言葉を続ける知人の顔つきに、突然著しい変化が現れたのだ。
 「もっとも今では、もうそこにはいませんけれども。……」もちろんそんなせりふ自体は、少しも怪しむに足りない、ありきたりの返答だった。だがそう呟くとき、知人の浮かべた表情に、私は息を呑んだのだ。
 そこに見られたのは、何かとてつもなく不気味な薄ら笑い。しかもそれは、単に口元の歪みではない。まるで光線の具合か何かのように、顔の全体におどろおどろしい隈取りが、現れたようにさえ感じられたのだ。
 確かにそんな陰惨な薄笑いは、いつでも見る者を戸惑わせずにはいない。だがそのうえ、よりによってあの知人が――そうだった。実直で、生真面目で、それゆえにいつでも幾分機械的な印象を与えずにはいなかった銀行員。その容貌に唐突に表れた不可解な変化が、輪をかけて私を悩ませたのだ。
 それは何だか、見てはいけない他人の恥部を、覗き込んでしまったようにすら感じられた。ひょっとしたらそれは、堅物の銀行員が勤め仲間の前にはけっして見せない顔。そして同時に、子煩悩の愛妻家が妻子の前ではけっして見せない部分。そんな平生の仮面の裏を、この私にだけはなぜだか心安く、晒してしまった?……

 会話の中断を恐れて、それでも私は質問を続けた。
 「お辞めになったのですか」
 「いいえ、辞めたわけではないのです。――」
 知人はもう一度、先刻と同じ薄ら笑いを口元に浮かべた。だが今度は私にも、どうやらその意味が理解できそうだった。確かに彼の言う友人とは、亡くなっているのにちがいないのだ。
 「お急ぎでなければ、友人のことをお話ししましょうか」
 私の反応を確かめながら、そうして知人はおもむろに、解説役を申し出た。だが私にも、もうわかっていたのだ。それはおそらく、融資の説明をしたときのような、単なる親切心からの提案ではない。きっと知人自身が、その秘めたる気持ちを語りたがっているのだ。
 私もまた、すっかりその気になっていた。融資の用件が済めば、その日の午後はすっかり空いていたし、そもそも絵のことが引っ掛かったまま帰るというのは、後々まで心残りがしそうに思えたのだ。そのうえまた私は、いつしか絵のこと以上に、今しも垣間見た知人の心の暗がりのようなものに、興味を掻き立てられていたのにちがいなかった。
 そんな私の乗り気を汲んだかのように、知人は再び紅茶を入れ直した。
 そしてゆっくりと煙草に一本火をつけると、右肩にあの謎の絵を従えながら、憑かれたようにその物語を始めた。

     2

 「友人の灰谷稔は、行員仲間でも変り種で通った男でした。
 一体銀行員の生活というものは、世間ではどのように考えられているのでしょうか。単調で、あじけなく、およそ生き甲斐という言葉とは縁のない仕事――もちろんそれは、その通りかもしれません。しかしそんな仕事振りだけを見て、銀行員の生活や人柄にまで同様な想像をするとしたら、まったくの誤解です。私たちの多くは、ただ仕事は仕事と割り切っている。それまでは生気なく、つまらなそうな顔をしていた男たちが、勤務が終わったとたんに失くしていたものを取り戻す。ときには世間並み以上に陽気で、馬鹿が好きで。……そうです。もしプライベートな時間にまで、銀行員丸出しの男がいたとしたら、それではまるで戯画の世界になってしまう。……」
 「もしプライベートな時間にまで、銀行員丸出しの男がいたとしたら――そうでした。そしてその戯画のような男こそが、灰谷だったのです。
 本当にこの不思議な男は、銀行の外でさえあの単調で、あじけない暮らしを暮らしているように見えました。仕事の上のこと以外、けっして口を利かない男。仲間の酒の誘いにも、今日はちょっとというような訳のわからない言い訳をしたきり、けっして応じようとしない。そうして彼が直行するのは、2DKの安いマンション。そう。灰谷は三十を半ば過ぎても、いまだに独身なのでした。灰谷が女遊びをするという話も、聞いたことはない。――いやそもそもあの男は、楽しみとか趣味というものとは、およそ縁のない人間のようでした。もちろん四六時中見張っていたわけではないから、確かなことは言えないはずですが、少なくとも表立った趣味のようなものは、なかったことは間違いありません。それどころか、灰谷はマンションに籠ったきり、そのままそこで昼間の執務を続けている――本当に、おかしいことですが同僚たちは皆半ば本気で、そんなふうに信じていたのかもしれません。
 そんな徹底した個人主義は、仲間内から浮いてしまうのが通例だったでしょう。もちろん灰谷の場合、浮き上がらなかった、というわけではありません。少なくとも当初は、灰谷の不協和振りに眉をひそめる者があったのは事実です。――だがここでもあの、旅人には異体に見えるお化け石が、村人にとっては日常の風景であるような、そんなことが起きるのです。驚異であったことがいつしか当たり前となり、あれはああいう男なのだと、難点がいつしか個性と感じられるようになる。相変わらず打ち解けない灰谷も、それでも気まずさを引き起こすようなことは、もうない。そうして『変わり者』という便利なレッテルで整理された灰谷は、誰ともお互い係わることのないまま、それにもかかわらず私たちの仲間の一人として意識されるようになる。……

 そんな灰谷を単なる同僚ではなく、友人と呼ぶことができるのは、おそらく私一人だったでしょう。というのは、私と灰谷は同い年で、そのうえ同期の入社は、支店にはもう二人しか残っていなかったからです。こんな無口なぶっきらぼうの男であっても、研修と新人の時代を共にしたという意識はやはり特別でした。それがあの『同じ釜の飯を食った』という言葉でしか言い表せないような種類の心安さを、醸し出してしまうのかもしれません。
 もっとも友人とはいっても、二人の間に何か特別な行き来があったというわけではありません。ただ顔を合わせたときには必ず挨拶を交わし、週に一度は食堂で隣の席に座って言葉を掛ける。――ただそれだけのことでしたが、ただそれだけのことでも、周囲と完全に没交渉の灰谷としては、大変なことだったのです。他の連中もその辺の事情は汲み取っていて、宴席などでは灰谷を必ず私の隣に配し、灰谷との間を執り成すことを――変な言葉ですが、灰谷の引き回し役のようなものを、私に期待していたのです。
 友人とはいっても、ただそれだけの仲でした――だがそんな私が、ただそれだけの仲のために、誰も知らない灰谷の秘密を知らされることになったのです」
 「あれは忘れもしない、五年前の秋のことでした。三十五になってようやく、遅れ馳せながら今の妻を娶った私は、新婚旅行のための休暇も明けて、普段通りの仕事に戻っていました。
 昼休み、いつものように食堂に向かった私は、奥まったテーブルですでに食事を取っている灰谷を見つけました。
 隣席に陣取った私は、二言三言挨拶の言葉を交わす。――もちろん大方の場合なら、それきり会話らしい会話もなく終わってしまうものでした。だがその日にかぎっては、つい二週間前の結婚式に列席してもらった義理もあって、そう素っ気なく振る舞うわけにはいかなかったのです。否。今思えば、私に口を切らせたのは、けっしてそんな義務意識だけではありませんでした。自分の結婚を契機として、この同い年の同僚の身の上を案じる気持ちが、私の中に生じていた。そんな衷心から、私は誰にも心開かぬ友に食後のコーヒーまで御馳走して、立ち入った説教を始めたのです。

 自分も遅いほうだったが、灰谷もそろそろ、身を固めることを考えなければならないこと。異性に限らず、対人関係においてあまりに孤立しすぎている。そもそもが仕事の他に、何の楽しみも持たないようなのがいけない。趣味のようなものがきっかけとなって、周囲との交流も生れてくるものなのに、今の灰谷のようでは、話題一つ見つけるのにも苦労してしまう。……
 これも今になって思えば、そんな私の忠言はずいぶん滑稽なものだったにちがいありません。灰谷のことなど本当には何もわかっていないのに、利いた風な口をきく。独身を卒業したというだけで、さっそく兄貴風を吹かせている。そもそも昼休みの社員食堂で、コーヒーを啜りながらというのは、こんなご大層な説教にふさわしい場面ではなかったろう。……
 だが灰谷は笑うでも、腹を立てるでもない。私の独りよがりの難詰に少しも抗うこともなく、ただ幾度もうなずいているだけでした。
 ひょっとしたら灰谷は、あまりに素直すぎるそんな相槌の向こうで、適当に私のお節介を受け流しているだけなのか? だがそんな懸念は、もちろんいささか見当違いなものでした。そのことを私は、最後の最後に口を開いた灰谷の言葉によって、思い知らされたのです。
 
 しかしそれは、本当に意外な言葉でした。
 コーヒーも飲み終わって、そろそろ引き上げるかという頃合。灰谷は突然、初めて科白らしい科白を語ったのです。
 ――もしよかったら明日、うちに遊びに来ませんか。
 もちろんそれは、ありきたりの招待の言葉だったにちがいありません。だがこの孤独癖の男から、そんなありきたりの言葉を聞くこと自体、本当に天地がひっくり返るような驚きだったのです。だとしたら灰谷は、受け流していたどころではなかった。それどころかむしろ、この場には似つかわしくない身の上話の続きを、『河岸を変えて』行おうというのだ? ここでは私の問い掛けに曖昧な相槌しか打てない灰谷も、自分のマンションへ帰れば十分な解答が、用意できるというかのように?
 そんなふうに、相手の真意が少しもつかめないまま、それでも不意打ちを食らった私は、ただ明日が休日であることだけ確認して、即座に訪問を約してしまった。……」

     3

 話の切れ目と思えるところで、知人は一口、二口と紅茶を啜りあげた。
 だがもちろん、それはけっして長い間合いではありえなかった。
 本当にただそれだけで、知人は再び、憑かれたように物語を続けた。
 相変わらず右肩にあの謎の絵を従えて、傍目を驚かす不気味な表情を湛えたまま。――
 「翌日の土曜日は、ちょうど今日と同じような、さわやかな秋晴れの休日でした。そんな場合にふさわしい軽やかな出立ちで、私は書いてもらった地図を頼りに、灰谷を訪ねました。
 迎えられた部屋は、しかし案に違わぬわび住まいでした。2DKのマンションが、調度類が少ないために、かえってだだっ広く感じられてしまう。その広さもけっして開豁の印象ではなく、むしろ索漠とした空洞感のようなものを、漂わせたものでした。
 確かにずっと見回してみても、部屋の中に楽しみを連想させるようなものは、何もない。――サイドボードを兼ねた本棚には、もちろん多少の本が並んでいました。迂闊にも背表紙の文字を見落とした私は、その内容を知ることはできませんでしたが、数だけを言えば、私たちの年齢としてはけっして多い方ではなかったでしょう。少なくともそれは、灰谷にあるはずの無限の一人の時間を満たすには、到底十分なものではありえないはずでした。
 本の傍らに並んだ洋酒の瓶も、ただ貰い物を飾っているといったふうで、常飲している様子は感じられない。……
 寝室にしているらしい奥の部屋からは、カラーテレビが顔を覗かせていましたが、そんなものが消閑の具以上の意味を持つ道理もない。……
 だとしたらこの採光の悪い、陰気な部屋の中で、灰谷は一体どのように時間をやり過ごしているのか? 灰谷がそこで、一人で銀行の執務を続けている――そんなあの、例の荒唐無稽な想像さえ、ここではあながち嘘ではないかのように感じられました」
 「だがしかし、灰谷がもてなす酒が、たちまちそんな私の当惑を吹き飛ばしてくれました。
 それはあの例の、本と一緒に並べられた洋酒の一つでした。銘柄は忘れてしまいましたが、何でもポーランドの薬草酒だとかいうことです。それはそれは口当たりのよい酒で、普段飲みつけない私でも、次から次へと際限なく入ってしまうような具合でした。普段飲みつけない私でも――いやもちろん、飲み慣れている人間なら、けっしてあんなやり方はしなかったでしょう。飲みつけないからこそ加減がわからない私は、喉越しのよさに謀られて、あんな無茶もしたのにちがいありません。
 本当に私は、まるでジュースでも飲むように、灰谷の注いでくれる酒を次から次へと飲み干しました。飲むうちに、先刻までややもすれば滅入りがちだった気分は陽気な饒舌に取って代わられ、二人の間で話に花が咲きました。お互いの学生時代のこと。研修時代の共通の苦労。その後の職場の様変わり――話すうちに私は、近付きがたいと思えていたこの孤独癖の男が、意外なほど楽しい話し相手であることに気付きました。もちろん灰谷が、その場で多くを語ったというわけではありません。会話の八割方は、良い調子の私が勝手なことを喋っていたにすぎませんが、いわばそんなふうに相手を『乗せて』しまうほど、灰谷は聞き上手だったのです。
 うまい酒と、はずむ会話。だがしかし、あのとき私の気分を浮き立たせていたのは、どうやらそんな小道具だけではなかったようです。いわば私が身を置いた状況の本質そのものが、私に楽しみを与えていました。そうでした。一人住まいの友人の下宿を訪ねて、テーブルと机を兼ねた炬燵の上で酒を酌み交わす――それは学生時代になら、誰でも覚えがある経験でした。だとしたらあのときの私は、三十五才の女房持ちが無頼の大学生に身を擬して、いわばままごとに興じていた。そうすることで、なつかしい不羇の時代への、甘いノスタルジアを得ていたにちがいありません。
 実際私はいつしか、このいつまでも気楽に暮している同い年の友に、羨望に近いものを感じていました。確かに誰だって遠い青春の日々には、こんな『城』を持っていたのだ。分別くさい大人の社会の枠組みにまだ捕らわれる以前の、自分だけのちっぽけなお伽の国。やがて時が経ち夫となり父となるころには、誰もがあっさりと明け渡してしまうそんな城を、灰谷だけはその独り身の部屋の中に守り抜いていた。……」
 「そんなふうに私は、久し振りに心から楽しい時間を過しました。その間中、あの緑色の薬草酒のグラスを傾けながら。――そして本当に、始めてから小一時間ほど経って、ようやく灰谷を訪ねた本来の目的を思い出したころには、四十五度のスピリッツの瓶は、もう底のほうにわずかを残すだけとなっていたのでした。
 だがもちろん、私たちはいつまでも酒に酔いしれているわけにはいきません。私たちは所期の話題に立ち戻らなければならない。――昨日の昼休みの、食堂の続き。灰谷の今後の身の上。孤独癖を改めて、新しい人間関係を作るべきこと。だがそうした真顔の話題に戻ろうとしたとたん、私は調子に乗って酒を煽っていたことを、たちまち後悔しました。そうです。それがあの手のものの常なのか、初めは少しも効くようには思えなかった酒が、三十分を過ぎたあたりから急速に体中に回り始めたのです。このままでは舌の縺れと酔眼とが、私の真剣な忠言を、まるで酔っぱらいが管を巻いているように見せてしまうにちがいない。…… 

 だがここでも、灰谷のマナーは完璧なものでした。やや調子の外れた私の繰り言に、苦い顔一つするでなく、神妙に耳を傾ける。そこで説かれる凡庸な理には、異論の一つもありそうなものなのに、ただすべてがごもっともというふうに、はい、はいと素直にうなずいている。あんなあまりの恭順ぶりを目の前にしたら、拍子抜けしてしまうのが普通だったでしょう。だが相当に酔っていたあのときの私は、むしろ嵩に掛かって、さらに続けて灰谷の謎の追及にまで取り掛かったのでした。
 灰谷の謎?――そうです。単調なあじけない銀行の仕事と、一人住まいのマンションの往復。そんなことを十年以上も続けることは、とても尋常なことではない。そんな灰谷の孤独癖には、きっと他の誰も知らない原因がある――それを今、私はこの場を借りて、問い詰めなければならない。……
 しかしここでも、意気込んで追及を始めた私は、たちまちはぐらかされることになりました。そうです。灰谷はあまりにもあっけなく、口を割りました。それは本当に、無理やり白状させられたというよりは、そうして秘密を打ち明けられる話し相手を、長い間ずっと探していたというふうに」

 「灰谷が語ったのは、次のようなことでした。
 ――自分の平生の暮らしが、世間の目にどのように映っているのかは、重々承知している。少しも人付き合いをせず、世間並みの遊びの項目にも関心を示さない没趣味な男。一体何を楽しみ生きているのかわからない。変わり者というのはかなり好意的な表現で、あからさまに言えば、あの『変質者』というおぞましいレッテルが張られているのに、気付いていないわけではない。
 ――だが自分に言わせれば、すべてが逆様だった。彼らこそ何を楽しみ生きているのかわからない。彼らにもし本当の楽しみが、もし本当に心引かれるものがあったとしたら、ちょうどこの自分のようにすべての時間と労力をそれに奪われて、他を顧みる余裕などないはずだ。そのものに魂までを吸い取られて、後には干涸びた抜け殻しか残らない。そうなのだ。何にも関心を示さず、ミイラのように生きるように見える人間が、その実悪魔のような快楽の虜になっている。そんな逆説が、きっとあるのだ。ちょうどこの自分のように。――

 灰谷がそう語り始めただけで、私の焦燥はすでに明らかになりました。このような前置きは、酔っ払いの私が辛抱するには、少々迂遠すぎる。そもそも職場とマンションを往復するだけの男に、そんな秘密の快楽があるとしたら、それはこの部屋の中でなければならない。それなのにそんな楽しみの形跡を示すものは、どこをどう見回しても見つからないではないか!
 だがしかしこの察しのよい話し手は、たちまちそんな無言の抗議の声を、聞き分けたようでした。秘密めかした前口上は早々に切り上げて、灰谷はすぐさま本題と思しきものに移りました。
 ――実はあの鏡なのです。
 かろうじて聞き取れる囁き声で、灰谷は耳打ちしました。だが『あの鏡』と言うのは、一体どの鏡なのだろう? ずっと見回しても、部屋の中に特別な鏡などありはしませんでした。灰谷の言うものが、ちょうど真向かいの裸の壁に、止め金だけで無造作に留められた半身大の鏡であることを確認するまでには、かなりの時間が要りました。

 私の驚愕をよそに、灰谷は続けました。
 ――実は十年程前、ひょんなことであれを手に入れてから、鏡の虜になってしまったのです。自分の時間と労力のすべてを奪い取り、こうして魂の抜けたミイラにしてしまったのは、あの鏡なのです。……
 すべてを聞き終わらないうちに、私は激しい怒りを感じました。この男は、確かに多少酒の回った客人を、からかっているのか。それとも自分の方も酔っ払って、訳がわからなくなっているのか。いずれにしても、親身に相談に乗ろうとするこちらの友情を、侮辱しているのだ!
 だが次の瞬間に目撃したもの、少なくとも目撃したと思ったものは、そんな怒りよりもはるかに激しい衝撃で、私の魂を揺さぶることになるのでした。
 そうでした。ここでも私の憤りを理解した灰谷は、言葉の無益を悟ったようでした。論より証拠といったふうに、今始めたばかりの物語を打ち切りにし、例の薬草酒の瓶の残りを全部私のグラスに注ぐと、おもむろに椅子から立ち上がりました。
 ――それでも飲んで待っていてください。すぐに戻りますから。

 しかし私には、灰谷の言葉の意味が、正確には理解できませんでした。『すぐに戻る』と言うからには、灰谷はこれから、どこかへ出向こうというのだ。だとしたら、銀行とマンションを行き来するだけに思えた灰谷にも、第三の行き場所があったのだろうか? そして今その場所から、奇異な物語の真実を証す何かを、取って戻ろうというのだ? 
 だがしかし、私の怪訝をよそに、幻術は執り行なわれました。
 私の予期に反して、外に通ずる扉に赴く代わりに、灰谷は何と目の前の壁の、あの半身大の鏡の前に立ったのです。
 灰谷は私に背を向けて、鏡の中を覗き込むような形で、佇立している。もちろん鏡の中からは、もう一人の灰谷がこちらを睨んでいる。……
 何の動作も起こらない、そんな静止の状態が、ものの数秒だけ続きました。と突然、見えない糸に引かれたかのように、灰谷の右手が宙に浮いたのです。
 それは顎の高さまで掌をもたげただけの、さりげない動作。だがまるで体操の選手が演技の開始を合図したように、そんな小さな挙手をきっかけとして、その余のすべてが続いたのです。
 灰谷はそうして右手を掲げたまま、鏡との間の二メートルほどの距離を、ゆっくりと一歩ずつ詰め始めました。
 鏡の中で左手を上げている人物も、同じ速度でゆっくりと、こちらににじり寄ってきます。
 それはもちろん、鏡というものを介して行われる、日常の光景だったにちがいありません。だがなぜかあのときの私は、奇蹟を目の前にしているような、神秘の念に打たれていました。そう。あの白銀の中のもう一人の灰谷。それはもちろん、こちら側にいる本当の灰谷の、影にすぎない存在なのだ。だがあれほど明るく、あんなに鮮明な像を見ていると、何だかこちら側の灰谷ほうが、影であるかのように思いなされてくる。……

 そして次の瞬間、私は自分の浸っていた荒唐無稽な想念が、必ずしも妄想ではなかったことを知らされたのでした。
 お互いに手を上げて挨拶をしたまま、ゆっくりと歩み寄る二人の灰谷。だが両者の距離が無限にゼロに近付き、掲げた掌同志が鏡面を境に触れ合ったとたん、驚くべきことが起こったのです。それまでは確かに私に背を向けてそこに立っていた灰谷が、次の瞬間、まるで壁の中に吸い込まれたかのように消えていた!
 私はもちろん、わが目を疑いました。つい先刻まで自分と酒を酌み交わしていた男、ただ壁に向かって歩いていただけの友人が、一瞬にして消え去ってしまう神隠し。そんなことは、到底この世に起こりうる事態とは思えなかった。――だがしかし、あのとき私を本当に戦慄させたのは、そのことではなかった。そうでした。あれは本当に、何というおそろしい発見だったろう。鏡のこちら側にいた本当の灰谷が、そうして跡形もなく消えてしまった後も、あの鏡の向こうの灰谷だけは、それまでと少しも変わらぬ姿をして、そこに立っていたのだ。
 それまでと少しも変わらぬ姿をして、――だがそう思えたのは、ほんの寸時の間でした。鏡の中の灰谷は、やがてすぐにそれまでの無表情を崩して、私に向かって茶目っけたっぷりのウィンクをしてみせたのです。
 それに続いて、しきりに口を動かし始めた灰谷は、声こそ何も聞こえませんでしたが、何かを言っているように見えました。茫然自失する私を尻目に、灰谷はまだ上げていた掌を――その左手をさよならというふうに振る。そうしてくるりと身を翻して、確かに鏡の中にあるあの部屋を出て行った。……」
 「しばらくの間、私はそのまま鏡の方を向いたまま、身動ぎ一つせずに椅子に腰掛けていました。いや、正確に言えば、驚きに腰を抜かした私には、体の自由が利かなかったのです。――同時に私は、心の中に激しい自責のようなものを感じていました。昼間から飲めもしない酒を煽ったこと。酒は魔物だと言うのは本当だ。アルコールに神経を侵されればこそ、こんな理不尽な幻覚も見るのだ。……
 一分ほどしてようやく人心地を取り戻した私は、今度は急に暑苦しさを感じだし、着込んでいたカーディガンを脱ぎ捨てて、シャツのボタンさえはだけました。そうして体の熱を覚ませば、そのことでアルコールの悪い影響も、幾分収まるにちがいありません。

 そうしながら私は、事態を整理しようと努めました。もちろんこのようなことが、現実に起こるはずもない。すべては酒の仕業なのだ。ただ灰谷は鏡を覗き込んで、ちょっと身繕いをした後で、もちろん鏡のこちらの部屋を出ていった。ただそれだけのことを、私は自分の白昼夢の中で、鏡の中に入ったと錯覚したのだ。……
 だとしたらすべては、時が解決してくれるはずでした。灰谷がこうしていつまでも、部屋を空けているわけもない。鏡のこちらのあの現実の扉から、やがて再び現れる灰谷の姿が、すべての勘違いを終わらせてくれるにちがいない。……
 そんないわば当然の理屈を、自分自身に言い聞かせながら、私は灰谷の帰りを待ち続けました。
 だがしかし、そうして今にも戻るはずの灰谷は、いつになっても戻ってこない。――待つ身のいらだちを静めるために、私はいつしか、灰谷が注いでいった最後の薬草酒に口を付けていました。まるでつい先刻の、酒についての反省も、もうすっかり忘れたかのように。
 そしてそれは、やはり飲んではいけない酒だったのかもしれません。そうです。私がグラスの酒をようやく飲み干して、体にも頭にも新しい酔いが加わったと感じられたころ、私はまたしてもあってはならない出来事に遭遇したのですから。

 そうでした。灰谷が消えてから十五分ほど経ったころ、辺りに妙な人気のようなものを感じて、私はあわててマンションの入口を振り返りました。そこに誰もいないことを知った私は、直観的に今度はあの鏡の方を向き直りました。すると果たせるかな、それまでは空だった鏡の中の部屋に、一人の男がこちらを向いて佇んでいたのです!
 一人の男というのが、灰谷であることは間違いありません。灰谷はそこで左手を上げて、この私に向かって何かしきりに合図をしています。否。正確に言えば、それは私に対してというよりも、鏡のこちらに見えている別の人物に対して、合図をしているように感じられました。
 それから十五分前とちょうど同じことが――それとちょうど逆のことが行われました。鏡の中の灰谷は、そうして左手を上げたまま、ゆっくりと、ゆっくりとこちらににじり寄ってくる。そしてその手が鏡の面に触れたと思えた瞬間に、鏡のこちら側に、私に背を向けたもう一人の灰谷が、おそらくは実物の灰谷が、忽然と姿を現したのです。
 だとしたら、これは一体何事なのか? 自分はここでもなお、酒の上での幻覚を見続けているのか、それともこれは本当に、悪魔の行う奇蹟なのか?――そんなふうに、またしても次第に不条理の罠にはまりつつある自分に、私は激しい焦りを感じていました。
 そんな狼狽を見透かすかのように、再び無から現れた鏡のこちらの灰谷は、やおら私を振り返ると、口元に薄ら笑いを浮かべました。
 ――とまあ、大体こういう具合なのです。
 その言葉を聞いて、私はもはやすっかり観念しました。こんなふうに理路整然と喋る人物が、夢の中の存在であるはずがない。だとしたら、すべてはけっして夢などではない、現実の出来事なのだ!
 すっかり打ちひしがれた私を、しかし灰谷はそっとしておいてはくれませんでした。追い討ちを掛けるように、灰谷は立て続けに、さらにずっと奇異なせりふを語ったのです。
 ――さあ、今度は一緒にどうですか。
 それは確かに、悪魔の囁きだったにちがいありません。そう言いながら灰谷は、はっとするほどの握力で私の右手を掴むと、私を鏡の前へと――その向こうへと誘ったのでした。
 その瞬間に私は、雷に打たれたような衝撃を全身に感じました。私の右手を掴んだ灰谷の手から、電気のようなものが流れて、私の体を貫いたのです。
 もちろん今思えば、電気のように思えたものは、私の恐怖でした。灰谷の忌まわしい勧誘に対して、私の体の全体が一斉に否を叫んだのです。
 それは異人にさらわれ掛けた少年の恐怖。いや、それはもっとはるかに動物的な反応だったかもしれない。『死』や『未知』と肌を擦り合わせたときに、獣たちの本能が示す、あの狂おしい拒絶の反応。……
 そんな衝撃に打たれて、私はうわぁあ、と悲鳴に近い声を上げ、これもまた自分でもはっとするような力で、灰谷の手を振りほどきました。
 もちろんその瞬間、大人気ない動揺を見せてしまったことを恥じる気持ちが、私の中になかったわけではない。だが羞恥に恐怖が勝りました。再び気を落ち着けて、席に付くような芸当は、あのときの私には到底不可能でした。
 私はただ、興奮にうわずった声で『もう帰る。帰らしてくれ』と叫びながら、脱兎のごとく部屋を出ました。まるでこの怪奇の部屋に何の証拠も残してはならないというように、脱ぎ捨てたカーディガンをしっかりと小脇に抱きかかえ、言い知れぬ屈辱感に身を震わせながら」

     4

 ここまで一気に語り終えると、知人はようやく一息ついたと言うように、煙草に火をつけた。
 短い幕間は、わずかに私に判断する暇を与えた。
 もちろんそのようなことは、そのようなことは、この世に起こるはずがない!
 こんな拙劣な怪談話を、私が真に受けようはずもないのだ。それなのにどうして知人は、いつまでもこうして真顔で戯れ言を続けるのか?
 否。もちろん知人とて、きっとそれはわかっていたのだ。眉唾ものの奇譚を、このままに終わらせるつもりなど少しもない。きっとこれから舞台の裏の種明かしをし、どんでん返しの結末を設けようというのにちがいない。だがだとしたら、それは一体どのような?
 だがしかし、そうして私を訝からせたものは、ただ話の中身ばかりではなかった。そのうえそれを物語るときの知人の相貌――それはもちろん、初めはあの不気味な薄ら笑いだった。だがその憑かれたような独話の最中(さなか)、いつしかその表情は旧い語り部の威厳を帯び、託宣を宣べ伝える巫女の妖気さえ漂わせ始める。……
 確かにそんな語り口のために、私もまたこんな荒唐無稽なはずの物語に、思わず引き込まれさえしたのだ。それこそはまた、あの平凡な銀行員の仮面の下の、もう一つの裏の顔? もしそうだとしたら、その正体は一体何なのか?
 そんなふうに、煙草をくゆらす知人を眺めながら、私の中にはいくつもの疑問が渦を巻いていた。
 そしてそんな疑問の解答がまだ少しも見つからないうちに、知人は神経質そうに眼鏡のずれを気にしながら、再びその怪異の物語を続けた。
 「月曜日の出社は、気重なものとなりました。
 もちろん二日間の時間の間隔は、一昨日の出来事の記憶を、すでに濃い霧のようなもので覆っていました。だとしたら、その最中にはあれほど否みがたい現実感を帯びていた怪異も、今では夢の中の記憶として、処理することもできるように思えました。
 初め灰谷が、鏡の中に姿を消したと感じたのも。のみならずその同じ鏡から、再び立ち戻ったと思ったのも。二度までも目撃したオカルトのそのどちらもが、飲みつけぬ酒が私の五感を謀った悪戯だったにちがいない。
 だがしかしもしそうだとしたら、私はそんな自分の酔態を詫びなければならない。なかんずく訳のわからぬ罵声とともに、部屋を飛び出した非礼に、赦しをこわなければならない。だがそれもずいぶんみっともない、気まずいことであるにちがいない。

 そう思うと、月曜日の出社は、もちろん気重なものとなりました。だがしかし、私は気が付かなかった。その先に私を待ち受けていたものは、そんな甘っちょろい危惧とは違う。もっとはるかに決定的で、忌まわしい事態だった。……
 そうでした。あの日の昼休み、すでに食堂で食事を取り始めていた私を見つけて、珍しく遅れて入ってきた灰谷が隣に座った。思わず身構えた私に対して、灰谷は挨拶もそこそこに、擦り寄るように耳元で囁いたのです。
 ――あの鏡ですけれどね。……」
 「それは本当に、おそろしい宣告の言葉でした。それを聞いた瞬間に、私が安住しかけた仮説の家は、一撃のもとに崩れ去った。そうでした。私がすべて、あの飲みつけぬ酒の魔力に帰そうとした不条理。それが少なくとも私たち二人の共有した、実際の体験だと灰谷は言うのだ。
 ありうべからざる宣告を突き付けられて、どうしようもない敗北感に打ちひしがれた私は、席を立つこともかなわない――灰谷はそんな私に、昼休みの残りの四十分の間、一方的にその残酷な判決文の読み上げを続けるのでした。
 ――一昨日のマンションの場面では、私の突然の中座のために語ることのできなかった鏡の由来。その不思議。自分の孤独癖の秘密。……
 とにかく私は、灰谷の得体の知れない独白に、最後まで付き合いました。そんな怪異を信じるわけにはいかないから、適当な相槌だけでお茶を濁しながら、だがしかしあの忌わしい記憶のために、相手の並べ立てるたわごとを一喝してしまうわけにもいかずに。――
 そんな二人の姿は、傍目にはどんなふうに映っていたのでしょうか。誰にも心開かないはずの灰谷が、今日にかぎって饒舌に喋っている。そして漏れ聞こえてくる、言葉の端々。鏡の魔力。あちらの世界。背徳と背理。甘美な幻想……そしてそんな尋常ならざる奇人の物語に、なぜだか辛抱強く耳を傾ける私の姿は、また輪にかけて奇異なものだった。……

 ともかくもそんなふうに苦痛の時間が過ぎて、私は灰谷の話を最後まで聞き終えました。最後まで――いやもちろん、そんな奇譚に何か特別な限りがあったようには思えませんでした。ただ昼休みの終りの刻限が、おのずから灰谷にその続きを語ることをとどまらせたのです。
 灰谷がそうしてようやく口を噤むと、私たちは無言のままに示し合わせて食堂を出て、それぞれの持ち場に戻りました。灰谷は長年心に秘したわだかまりを、誰かに打ち明けることができたことに満足しながら。そして私の方は、相変わらぬ敗北感に打ちひしがれたまま。――」
 「午後の仕事が、少しも手に付かなかったのは言うまでもありません。職場でばかりではない。自宅へ帰った後もその翌日も、昼間のことが――昨日のことが一時も頭を離れない。書類を捲っていても、談笑をしていても、食事を取っていても、私は心の片隅で始終そのことを考えているのだ。一体何が信じることができて、何が信じることができないのか? 何が正常で、何が異常なのか? 本当なのは何か? 

 ――私の頭の中には、食堂で聞いた灰谷の話が、幾度も幾度も繰り返されていました。自分と鏡との出会いは、他でもない。たまたま気が向いて、通りすがりの道具屋に足を踏み入れた自分が、勘定台の横に吊されたそれを見つけたのだ。もちろん何の変哲もない姿見に、格別気を引かれたというわけではない。ただ当時の自分の部屋にまだ鏡がなかった偶然が、それを買い求めさせたのだ。そしてその翌朝。……
 そんなことが、この科学万能の世の中に、そんなことが起こるわけがない!

 ――灰谷はまた語っていた。そこはあらゆる背理と背徳が可能となる、魔法の世界だ、と。
 自分たちの自由を縛るものは、そこには何もない。『道徳』も、『義務』も、『慣習』も、もはや禁じることでその暗い影を投げることはないのだ。いやむしろそこでは、耽美と快楽こそが自分たちを統べる倫理となっていた。自分たちは美の花を手折り、快楽の果実を啄むべきなのだった。……
 本当にそこでは、こちら側に起こりうるあらゆる背徳が、野放しにされていた。だがもっと驚くべきことは、そこにはこちらでは起こりえない背徳も――つまりは背理すらも起こったのだ。念ずる者はたちまちこの世のものとは思えない力を帯び、次々と妖異が招来された。酒の海に泳ぐことも、幾万の女にかしずかれることも、自分たちには容易だった。甘美な幻想と狂乱の毎日。それはあたかも、さかしらな物理学の『法則』すら、あの耽美と快楽の矩に譲ってしまったようだった。そこでは水が低きに付くように、すべてが美へ、美へと流れ落ちていく。……
 そんなことが、この科学万能の世の中に、そんなことが起こるわけがない!

 ――灰谷はまた語っていた。そこには忙しない時間に代わって、『永遠』が支配している。そこでは老いる者も、滅びる者もない。いや正確には、それは『永遠』とは違うもしれないが、少なくともそれに見紛うほど時の流れは悠容としていた。例えば私はそこで、一年を過ごす。ようやく快楽にも倦んだ私が、鏡を抜けてこちらの世界に戻ったとき、目覚し時計の針は目盛り二つを、十分を経過しただけなのだ。……
 そんなことが、この科学万能の世の中に、そんなことが起こるわけがない!

 こうして記憶に蘇る灰谷の話を、危うく信じそうになるのに必死に抵いながら、それでも私は考え続けた。何が正常で、何が異常なのか? 本当なのは何か? 
 自宅へ帰った後もその翌日も、またその翌日も、一時もそのことが頭を離れない。
 そんな気持ちに整理がついて、ようやく平常の自分に戻るころまでには、確かに一週間近い時間が必要だったのです」
「その間、私は事態を理解しようと焦りました。もちろんこの科学万能の世の中に、そのようなことが起こるわけがない。それがあくまで、私の前提でした。だとしたらこれは、一体何事なのか? なぜ灰谷はかく語り、私もまたなぜそれを見たのか?
 私は考えうるかぎりの可能性を数え上げました。例えばあの旧い仮説、すべてを酒毒のせいに帰すること? あるいは何らかの悪意のために、灰谷が用いたトリック?――だがどの考えも、起きてしまったことを十分に説明してくれるようには思えませんでした。
 
 そうして一週間ほどしたころ、私もようやく自分なりに、納得できる新しい説明に辿り着きました。
 その考えによれば、灰谷の言う『鏡の国』とは、一種の比喩のようなものと解釈されました。灰谷がそのマンションの部屋の中に築き上げた、もう一つの世界の比喩。……
 そうでした。銀行への行き来と、単調であじけない昼間の執務。だがきっと灰谷は、そんな外面(そとづら)の自分とは別の、もう一つの世界を持ち続けていました。四角四面の銀行員の暮らしの枠組みには、けっして収まりきれない部分――もちろん常人の場合なら、そんな不調和は時折のガス抜きによって、器用に発散されて終わってしまう。だが灰谷はその逆に、表の世界では本当に役柄そのものになりきって、ただ舞台の裏側でまた別の自分を生きていた。そうでないすべての願望と営みは、あのマンションの小部屋の中に押し込んで、ただその中にだけ自分一人の秘密の隠れ家を築くことを始めたのだ。――
 灰谷が『鏡の国』と呼んだのは、きっとそのような何かの、比喩であったにちがいありません。
 現実とは似て非なる、もう一つの内なる世界――もちろんそれも、初めはちっぽけな、箱庭にすぎませんでした。だがしかし、幾年もの孤独の日々を暮らすうちに、それは確かに「世界」と呼べるものに育っていった。否。大きさばかりではない。本当に細部に至るまで精密に夢見られたこのお伽の国は、精度においてすら現実に比肩し、対峙していた。――そしてそんな不思議な時空の存在を、もし何かになぞらえるとしたら、確かに鏡をおいてはなかったでしょう。冷たい白銀の向こうに、すべてを映してしまったあの鏡の世界。……
 秘密の小部屋に一人こもって、蚕が繭を作るように築きあげた、倒錯の世界。一体そこでは、実際に何が行われ、何が物思われたのか。それは余人には、けっして推し量ることはできない。それはあるいは、時に新聞の三面記事に露呈する、おぞましい裏の顔。口が裂けても言えない習癖? 怪しげな蒐集? 危うい薬物? ひょっとしたらそれは、本当にそうかもしれない。だがしかし、あるいは灰谷の言う「背徳」とは、単なる卑下の言葉にすぎないかもしれない。極端を言うなら、天才たちの築く壮麗な精神世界もまた、そんな現実とは相容れない異の世界――『鏡の国』であるのにちがいない。……

 それが私の、新しい考えでした。そうなのだ。きっとそうなのにちがいない。灰谷はただその内面の、あまりにも鮮烈な仮想の世界を、「鏡の国」と喩えたのだ。――そう考えれば、問題の半ばは片付きました。だとしたらあと、残された問題はただ一つ。もしそれが単に、灰谷の頭の中の世界にすぎないとしたら、どうして私があの日、この目でそれを目撃するようなことがありえたのか?
 その仕組みについては、昔の読書の記憶が、一つの理解を与えてくれました。
 それは私が、かつてあるきっかけから読み散らした、精神医学の書物。その中には確かに、次のような記述があったはずです。
 ある異常者と、同じ環境に暮らす周囲の人物に、本来その異常者のものであった妄想が伝播することがある。そしてそのかぎりにおいてだけ、その人物も異常性を分け持つのだ。とりわけ互いが強い共感を抱いているような場合、あるいは潜在的に同じ気質を分け持つ場合、刷り込みはいとも容易に行われる。――
 もちろんそれは『感応精神病』と呼ばれた症例でした。だがしかし、程度の差こそあれ似たような現象は、健常の世界にもいつでも起こり得るものなのです。
 たとえばあらゆる狂信の集団を動かすものは、もちろんこの原理でした。あるいは鬼監督に心酔して、汗と涙にまみれるアスリートたち。説かれるままに命を投げ出す殉教者たち。国を滅ぼす戦争だって、たいていはその中心に、誰か卍をつけた人物が束ねていた。
 そのうえそれはけっして、そんな大舞台だけではない。私と灰谷の場合のような、ごくありきたりの人物の間にも――そうでした。
私と灰谷は、もちろん同じ環境に暮らしていました。そのうえ今思えば二人の間には、当時の自分は少しも気が付かなかった共感と、共通の気質のようなものさえも、あったのかもしれません。
 つまりはそこには、そんな『感応』が起こる十分な下地があった。そのうえあの日は、飲みつけぬ酒の酔いが私の意識を混濁させて、すでにトランスに近い状態を作っていました。だとしたらそれは、少しも不思議なことではなかったのです。鏡のことを話し始めた、灰谷の謎めいた語り口に誘われて、私は催眠術に掛かったように、一時的にその妄想の世界に引き込まれていった。……」
 
     5

 知人の話は、再び小休止を迎えた。
 例によって煙草に火を付け、紅茶を啜り上げる知人を眺めながら、私はようやく安堵していた。
 あれほどまでに私を困惑させた鏡の奇譚に、今しも決着が付けられた。すべての不条理は、知人自身の口で解き明かされ、そのうえその説明は少なくともこの段階では、十分に納得のいくものと思われたのだ。
 
だが私を安堵させたものは、ただそればかりではなかった。
 私はすでに、もう気が付いていた。謎解きを終えて煙草をくゆらす知人の顔は、今では再び穏やかな、尋常の表情に変わっていたのだ。
 ミステリーを語った知人の、憑かれたように宙を見詰めた視線。語り部の威厳。巫女の妖気。私を驚愕させたそれらのものはすっかりと消えさって、そこにはただ善良で平凡な、一人の銀行員が戻っていた。
 だとしたらすべてはあくまでも、仮の姿にすぎなかったのだ。あの陰惨な、裏の顔だと思えたものも、その実知人が一時かむった鬼面にすぎなかった。
 それもおそらくは、きっとその物語の演出のために――そうだった。これから先の話の続きは知らない。だが少なくともあの鏡の国の奇譚には、きっとあんなおどろおどろしい語り口が似つかわしいと判断されたのだ。
 そんなふうに物語の部位に応じて、声音だけでなくその表情も、身振りも巧みに使い分ける。もちろんそんな迫真の話術が、目の前の銀行員に備わっているとしたら、それもずいぶん不思議なことではあった。だが少なくとも知人には、そうしてありったけの力を駆使して、伝えなければならない何かがあったのだ。
 だとしたらそれは一体、どのような?
 そんなふうに、私の安堵はやがて次第に、話の先をせがむ気持ちに変わっていった。
 そして知人もまたそんな心の内を察したか、しきりに眼鏡のずれを気にしながら、おもむろに話の続きに取り掛かった。
 だがもちろん今度は、先刻までのあの物狂おしい語り口ではない。適度に間合いを起いて相手の反応を確かめながら、身振りさえしてみせる、要するに普通の話し振りで。
 「自分の異常な体験にこうして科学的な説明を得て、私はようやく心の迷路から脱出することができました。自分が訳のわからないオカルトに巻き込まれたのではなかった安堵、とりわけ自分の気がおかしくなっているという可能性を退けることができたことが、私の一週間に及ぶ懊悩に終止符を打ってくれたのです」
 「もちろん新しい理解が、新しい対応を要求することは言うまでもありません。だとしたら、だとしたら自分は、これから灰谷とどのように付き合っていくべきなのか?――だがこの新しい問題は、先のそれに比べれば、さしたる熟慮を必要とするようには思えませんでした。少なくとも当時の私にとって、それにはあまりにも自明な解答が存在すると思えたからです。

 それはもちろん、この灰谷という危険な人物を、極力遠ざけようというものでした。 
 危険な人物――もっとも私は、別段灰谷が世間一般にとって、何かおそろしい存在だと言っているわけではありません。灰谷がどんなおぞましい営みに溺れていようと、それが彼のマンションの部屋の中の、夢想の世界の出来事であるかぎり、そのことでよそ様に何の危害も及ぼすものではない。
 それはもちろん、その通りでした。だがおそらく、私の場合にかぎって、事情は幾分異なっていました。あの日の出来事からも知れるように、ひそかに灰谷と同じ土壌を共有した私は、容易に灰谷の感応を――その支配を受けやすいパーソナリティでした。そんな私が必要以上に灰谷に近付けば、その世界に引き込まれてしまう危険性は十二分にあったのです。だって実際、あの日灰谷は私の手さえ取って、私を鏡の向こうへと誘ったではありませんか? そしていったん引き込まれたら、その甘美な快楽にのめり込み、ついにはそこを脱することもかなわなくなるにちがいない。そうして私はちょうどあの灰谷と同じように、こちらの世界ではただ魂の抜けた、ゾンビに成り果ててしまう。……」
 「もちろん今思えば、そんな心配は随分と、理不尽なものだったかもしれません。たとえ私が灰谷の世界に引き込まれたとしても、滅びるのはあくまでもこちらの私であるにすぎない。私の魂自体は、灰谷の案内してくれた夢想の世界の中で、甘美な快楽を啄みながら、永遠の生命を享けることができる。だとしたら何も恐れることはない、むしろ私は進んでそこに飛び込むべきだった。……
 だがそんな、あまりにも純度の高い幸福を授かることを、私たちはいつでも尻込みしてしまう。いわばそれもまた、火を遠ざける小動物の本能でした。炎の輝く光と迸るエネルギーを、それだからこそかえって恐れてしまう小動物の本能――そんなふうに、天才でもなく狂人でもない凡夫は、かすかな後悔と引き替えに、いつでも安心と平和の方を選んでしまう。……」
 そう語りながら、知人はふいと口を噤んだ。
 数秒の沈黙は、私に観察する余裕を与えた。
 うつむいたまま再び一口、二口と紅茶を啜るその顔には、今ではなぜか弱々しい、とてつもなく淋しそうな表情が浮かんでいる。
 もちろん私に、そんな知人の哀愁の、すべてが理解できたわけではない。だが確かに私は、あのとき初めてこの不思議な銀行員に、ほのかな共感のようなものを覚えていたのだった。それと同時に、その物語が伝えようとするメッセージに、私もまた懸命に、耳を澄ますことを始めたのだ。
 「そのようにしてあのときの私も、火を避けることを――灰谷を避けることを選んだのでした。
 週の明けた月曜日、いつものように出社した私は、ことさらに灰谷と視線を合わせるのを避けた。
 昼休み、隣を空けて座っていた灰谷の傍らを通り過ぎて、私は奥のテーブルに座った。

 その瞬間灰谷の顔に、怪訝とも困惑とも付かない表情が浮かぶのが、横目に見えました。だがしかし、そんな表情はたちまち、淡い苦笑いに取って代わられた。孤独癖の人間にありがちな、自嘲のようにも諦念のようにも見える淡い苦笑――そうでした。自分が嫌われたのに気が付かないほど、灰谷は魯鈍ではなかった。そしてまたそう気が付いていながら、のこのこと擦り寄ってくるほど無神経でもない。むしろ灰谷は、自分がそうして疎んぜられた理由までを、即座に了解してしまったように見えました」
 「その瞬間、その瞬間から再び、灰谷は元通りの灰谷に戻りました。誰も話しかけず、誰にも話しかけない変わり者。二人の間に一週間ほど続いた睦まじい時間、――私の親身の忠言、普段着の訪問、灰谷の耳打ちする打ち明け話――そんなすべてのやり取りは、潮が引くようにやまり、後には元通りの白々とした砂浜だけが残されました。いや、それは元通りですらない。以前の二人なら、少なくとも擦れ違うときには目礼を交し、食堂で相席すれば一言くらいは言葉を掛け合ったでしょう。だがこの瞬間から、そんなことすらなくなったのです。そうしていわば、その孤独と周囲とをかろうじて繋いでいた心細いたつきすら失くして、灰谷は完全に独りぼっちになりました。
 思えばそれも、ずいぶんと残酷な仕打ちだったにちがいありません。もちろん灰谷が、恨みつらみを言うわけもない。だがしかし、擦れ違う度にことさらに視線をそらす私に、灰谷の浮かべる照れ笑いには、確かに一抹の淋しさが混じっていました。……」
 そんなふうに語るとき、知人自身の表情にもまた同じような、「一抹の淋しさ」が浮かぶのが見えた。だがもちろん、それはほんの一瞬だけのことだった。まるでそんな感傷を振り払おうとするかのように、知人はきっぱりと、話の続きに取りかかった。
 「だがしかし、時の流れはすべてを曖昧なものにしていきます。ここでもまた、旅人には異体に見えるお化け石が、村人にとっては日常の風景であるような、そんなことが起きたのです。――あんな出来事があってものの三か月もすると、もう灰谷の孤独を怪しむ者はなくなりました。誰も話しかけず、誰にも話しかけない偏屈男。灰谷は再び、そう解釈されて終わりました。そのうちに当初灰谷に感じていた、わずかな後ろめたさも消え失せて、私はすでに二人の間には、初めから何もなかったかのようにさえ感じ始めていました。
 二年、三年と経つうちに、本当にすべてが忘れられました。私はといえば、妻子に尽くす夫の務めにかまけ、ようやく役の付いた職務に忙殺されながら、他を顧みる余裕などない。灰谷の方は相変わらず誰からも相手にされないまま、あじけない昼間の仕事と、孤独なマンションとの行き来を続けていました。かつて灰谷を訪ね、共に酒を汲み交したことなど、すっかり記憶の中から消え果てました。もし誰かがそんな昔話を指摘したとしても、そんな嘘臭い作り話を、眉に唾付けて聞いたことでしょう。――そればかりか、灰谷の謎の暮らしぶりにも、私はとうに関心を失くしていました。あんなはぐれ者の私生活など、どうでもいいことだ。私もまた他の仲間と同じく、きわめて大ざっぱに、灰谷はそこで昼間の執務の続きをしているのだ、とほとんど信じ掛けていた。……」
 ここまで語ると、知人は再び一服、煙草に火をつけた。
 もちろんこんな知人の最後の言葉には、どこか思わせぶりな、暗示の響きがあった。
 だとしたらもう、私にはわかっていたのだ。物語はけっして、ここで手仕舞いではない。そればかりか、これまですべての筋立てを前置きとして、これから先に本当に手に汗握る物語の展開が、待ち受けているのにちがいない。
 私は思わずソファから身を乗り出して、続きをせがむかのように、知人の目元を注視した。
 「そしてそんなふうに、何の波風も立たない日々が続きました。あじけない昼間の職務と、プライベートでのささやかな幸せ。そんな巧みな使い分けのために、誰もが大過なく、それなりに満ち足りた生活を送っている。……
 だがついこの一年前、そんな安穏の職場を、ほんの少しだけ驚かす事件が起こりました。
 それは灰谷の欠勤でした。

 確かに銀行に就職して以来、まるで愚直な機械のように精勤を続けてきた灰谷が、会社を休むということ自体が、相当な驚きでした。だがそれだけで、騒ぎになろうはずもない。灰谷のはまったくの無断欠勤で、しかも自宅に入れた上司の電話には、何の応答もなかったのです。
 もちろん灰谷一人が欠けたところで、銀行の業務に何の支障も出るはずもなく、それ自体は些細な出来事でした。だがそんな些細な出来事のために、それまでは目の前にいながらかえって忘れられていた灰谷という厄介な存在が、再び意識の閾の上に引き上げられた。そのことが私たちを困惑させ、いらだたせていたのです。
 そのうえ欠勤は翌日も、翌日も続きました。もちろん誰もそんな問題とは、掛かり合いになりたくなかった。このまま放っておいても、何の不都合も生じない。だとしたら、時がすべてを解決してくれるのを待ったとしても、差し障りはないはずだった。――だがしかし五日もそんなことが続いたころ、ようやく上司は、事に対処する必要を感じたようでした。そしてそのとき、方法を思案する上司の頭に、あろうことかかつて灰谷の唯一無二の友人であった、この私の名が浮かんだのでした。
 偵察を仰せつかった私は、その日の退社後、灰谷のマンションに向かいました。もちろんそれは、あまりありがたくない役目でした。だがしかし私を当惑させていたのは、役目そのものの煩わしさよりも、むしろそんな役目を通じて、私もまた思い出さなければならなかった『過去』でした。確かに五年前までは自分は灰谷の友人であったこと、そしてそのころもこうして一度、灰谷のマンションを訪ねたこと――私がもうすっかり忘れかけていた、いやむしろ、努めて忘れようとしていた事実を、今こうしてまざまざと突き付けられたことに、私は当惑していたのでした。

 一時間足らずで到着した灰谷のマンション。
 私は管理人の立ち会いのもとで、部屋のドアをゆっくりと開きました。
 中を覗き込んだ私は、その様子が自分の記憶の中に蘇っていたかつての部屋の光景と、寸分違わないことに驚きました。2DKのマンションが、調度類が少ないために、かえってだだっ広く感じられてしまう。サイドボードを兼ねた本棚に並んだ多少の本。そして本の傍らに並んだ洋酒の瓶。
 もちろん部屋の中からは、少しの人気も感じられませんでした。
 探索の無益を感じながらも、私は靴を脱いで中に上がり込みました。だがそうして居間に足を踏み入れた瞬間、私は何かの啓示を得たかのように、急激にある一つの記憶を呼び起こしたのでした。
 『それ』を探して、私は部屋中を見回しました。
 だがしかし、すでに取り外されていたものか、部屋の壁のどこにも、鏡は見当たりませんでした。そしてその代わりに、まさに五年前のあの日、鏡が取り付けられていたその位置に、一枚の肖像画が――灰谷自身の半身大の肖像画が飾られていたのです。……」
 
     6

 私は思わず固唾を飲んだ。
 一枚の肖像画。そうだった。本当はそれが、すべての始まりだったのだ。
 知人の応接間に掛かった、謎の油絵。年齢を訝らせる衰顔。大きく見開かれた目。叫ぶような口元。――そもそもが知人の長話も、私がこの絵に興味を示したのが発端だった。ただ灰谷にまつわる奇譚の、迷路の中へと迷い込むうちに、いつしかそのことを忘れかけていただけなのだ。
 そうだった。だとしたら今こそ、長すぎた前置きの後に、ようやく物語の本筋が始まるのだ。  
 鏡のあったまさにその位置に、代わりに飾られた肖像画。それは確かに、あの不思議な絵にはふさわしい、謎めいた登場の仕方だった。だとしたらこの新しいミステリーは、これからどのように進展していくのか? 私はこれまで以上に身を乗り出して、話の続きを待った。
 だが私の期待は、たちまち裏切られた。そうだった。何と知人は、そうしてようやく始まったはずの物語を、あまりにもあっけなく結んでしまったのだった。
 「そして――いや、起こったことはそれだけでした。私たちの捜索にもかかわらず、灰谷の居所の手掛かりは何もつかめなかった。やがて捜索願が出されたが、それきり警察からは何の音沙汰もない。そのようにして、元来が影の薄かったこの孤独癖の男は、今度こそ本当に、煙のように私たちの間から消えていったのです。
 本当に、それから何一つ起こるでなかった。今に至るまで、何の新しい情報も、発見もない。ただ灰谷という一人の男が、私たちの間から煙のように消えた。それだけで、すべてが終わったのです。――それから半年後、灰谷のマンションが引き払われるという段になって、挨拶に見えた親御さんに頼み込んで、私はずっと気掛かりだった例の肖像画を譲り受けました。まるで友人の形見であるかのように、それをこうして応接間に飾って、ただ朝な夕なに眺めている。そうしながら私は、ひょっとしたら私だけが理解できるかもしれない灰谷の失踪の謎について、今もなお思いを巡らしているわけなのです。……」
 本当にそうして、知人は始まったばかりの物語を、あっけなく打ち切ってしまった。
 尻切れ蜻蛉の結末に、私は当惑を隠せずにいた。
 だがもちろん、すべては私の心得違いだった。確かに現に起こったことは、ただそれだけだった。灰谷の失踪と、そのあとに残された一枚の肖像画。だとしたら、そうしていったん事実の報告を終えたあとで、知人が話に一段落をつけたのは当然だった。
 だがしかし、知人はそれっきり、口をつぐんでしまったわけではないのだ。確かに起きたはずの「事実」は、すでにすべてが伝えられていた。だがしかし出来事の向こうにあるはずの「真実」は、まだ少しも語られてはいなかったのだ。それは例えば、物語が帯びるはずの意味。隠された背景。そしてあらゆる関連づけ。――事件の顛末を早々と打ち切ることで、むしろ知人はそれらのものを、これからあらためて語ろうというのだ。
 そしてきっとそれこそが、知人が本当に伝えたかったもの。否。何らかの内なる衝動に駆られて、知人が打ち明けずにはいられなかった、魂の「真実」なのだ。……
 そうだった。実際知人は、いつまでも黙してはいなかった。ほんの短い休止のあとで、「今もなお思い巡らしている」と言う灰谷の失踪の謎について、その推理を――知人自身の考えるところの「真実」を滔々と、実に滔々と語り始めた。……

 「謎を解く手掛かりは、どう見てもあの肖像画にありました。そもそも私たちのような年齢の、私たちのような身分の人間は、何か特別思うところでもないかぎり、自分の肖像など描かせるものではない――いやもちろん、問題はそればかりではありません。あなたもお気付きのように、絵に描かれた灰谷の凄惨な表情、その顔に差した老人のような疲労の影は、失踪当時の灰谷の心の状態を、きっと物語っているにちがいないのです。
 失踪当時の――だが今になって思えば、ひょっとしたらそれはそうではない。そんな灰谷の変化は、ああしたことが起こる何年も前から、すでに兆していたものなのかもしれません。ただ私を含めて誰もが、灰谷と顔を見合わせることを避けていた。そのために、例えば灰谷の相貌の顕著な変化をも、看過してしまっていたのだ。……
 本当に、きっともう何年も前から、灰谷の様子には明らかな変化があったにちがいありません。老いと疲労と退廃の影。たとえ能面のような無表情と、薄ら笑いが灰谷の特徴だったとしても、そんな仮面の向こうの素顔には、自棄と絶望と不安が透し見られた――だとしたら、その原因は一体何だったのだろう?
 考えるうちに、私の中にあの古い記憶が蘇りました。かつて五年前、灰谷のマンションを訪ねた翌日に、食堂で聞かされたあまたの物語。灰谷はその一人の部屋で、幻想と耽美の世界に遊んでいる。そこでは快楽が矩となり、あらゆる背理と背徳とが許されている。……そしてきっと、そんな世界で時を過ごした者は、竜宮で暮らした浦島のように、必ずおそろしい報いを受けずにはいないのだ。…… そうでした。だとしたら、それがすべての原因なのだ。そんなふうに快楽に倦み果て、心を病んだ灰谷は、形見に一枚の肖像画を描かせたきり、誰にも知られないこの世の片隅に隠れ住んだのにちがいない。――
 例えばそれが、一つの仮説でした。一つの仮説――そうでした。こうして灰谷の肖像を眺め、灰谷がかつて語った物語を思い出しながら、私はその失踪の謎について、考え得る限りの可能性を吟味しました。一つの仮説が新しい仮説によって覆され、あるいは葬られたはずの古い仮説が蒸し返される。作っては壊しの積み木細工。そんなふうにまるで探偵のように推理するのが、いつしか昼夜を問わず、こうして家にいるときの私の習癖となったのです」
 聞くうちに私は、再び身を乗り出し始めていた。
 そうだった。なるほど肖像画の物語そのものは、あっけなく費えてしまっていた。だがしかし、そうして残された謎には、確かに物語以上のサスペンスがあるにちがいなかった。だとしたら今しも知人が取りかかる推理の中に、きっと私自身もまたパズルを解く興奮と楽しみを、見出すことができるはずなのだ。
 だが私の期待は、ここでも裏切られた。
 パズルを解く興奮と楽しみ――だが話が進行するにつれて、知人の調子は次第次第に、そんなのんきな聞き手の近接を、明らかに拒むものに変わっていったのだ。
 それは初めは、微細な変化だった。だが私は、そんな小さな徴候をも、けっして見逃しはしなかった。間違いなくこれは、あれの前兆だった。再び知人の身の上に、あれが起ころうとしているのだ。
 おどろおどろしい陰惨な隈取り。憑かれたような表情。虚ろに宙を見詰める視線。
 語り部の威厳。巫女の妖気。
 それはもちろん、あの鏡の顛末を語ったときの、知人の表情だった。そして物語の終わりとともに、止まったはずのもの。私自身が、ただ知人の話術の一つと解釈して終えたもの。それがなぜここで、再び始まらなければならなかったのか? だとしたらこれもまた、本当に知人の演出の一環なのか?
 そんな私の怪訝をよそに、知人の話はその進行を早めていた。
 「一つの仮説が新しい仮説によって覆され、昼夜を問わず推理する。だがしかし、そんな暮らしを幾年も続けるうちに、揺れ動く私の思案も次第にある特定の方向を――そしてその先に何やら結論らしきものを、指し示すことを始めたのです。 
 ある特定の方向を――そうでした。例えば灰谷の失踪について、いくつもの可能性を吟味しながら、灰谷が死んでいるという事態だけは、今は思いも及ばない。灰谷はただ行く先をくらましただけで、きっとどこかで生きている。それがいつしか次第に、私のすべての推理の前提となっていた。その公理に異議を挟むような考えは、初めから排除されたのです。
 灰谷の親族は、とりわけ灰谷の老いた母親は、息子がどこかへ身を投げたと信じて悲嘆に暮れていた。だが自分にはそれが、とてつもなく荒唐無稽な想像に思われました。灰谷はきっとどこかで生きている――その信念に、何か特別な根拠があったわけではありません。ただ私には、圧倒的な確信をもってそう感じられた。そう。それは考えられたのではなく、一種の直覚によってそのように感じられたのでした。
 そしてもちろん、そんな私の思い込みには、このあまりにも生々しく描かれた肖像画の中の、『灰谷』の存在が一役買っていた。……」
 一種の直覚、あまりにも生々しい肖像画――そんな謎めいた言葉を用いるとき、もうすでに兆していた知人の調子の変化は、疑いようのないものとなっていた。
 知人は私に語りながら、もう少しも私を見ていない。虚ろに宙を見詰める視線。憑かれたような表情。おどろおどろしい陰惨な隈取り。
 それは確かに、あの鏡の顛末を語ったときの、知人の鬼面だった。一度は脱ぎ捨てたはずのそれが今、あのときよりもはるかに忌まわしい相貌となって蘇っていたのだ。だとしたらそれは、一体なぜ?
 それはここでもまた、単に知人が用いた話術なのか。それともそれは、けっして話術などではない、善良で平凡な銀行員の仮面の裏の、おぞましい恥部のようなもの?。……
 しかもそうして知人が語ろうとしているのは、到底容認することのできない不条理だったのだ!
  
 「灰谷はきっとどこかで生きている――本当に、この生々しい肖像を眺め暮らすうちに、そのことはもはや私にとっては、疑う余地のない『事実』となっていきました。
 だがそれは、けっしてそれだけにはとどまらなかったのです。
 そうでした。この生々しい肖像を眺め暮らすうちに、いつしか実に不思議な感覚が、私をとらえ始めました。
 確かに灰谷は、きっとどこかで生きている。だがしかしその『どこか』とは、自分とは無縁の遠い『どこか』ではなく、自分のすぐ傍らの『どこか』である――私にはいつしか、そんなふうにすら感じられ始めたのです。
 だとしたらもちろん、その先はあと一歩でした。そう。私があの最後の、とてつもなく忌まわしい結論にたどり着くのは、もう時間の問題だったのです」
 
 「きっかけは今度もまた、あの灰谷の物語にありました。
 そうでした。かつて五年前、昼休みの食堂で聞かされた奇譚。鏡の向こうの魔界の事情。ありうべからざる妄誕として、一度は片づけられたもの。
 だがしかし灰谷の失踪の、その謎を思いめぐらすうちに、それらのすべてが突然、記憶の墓場から蘇った。そして私をあの、最後の結論へと誘ったのです。
 
 鏡の国の物語を織りなす、その無数の挿話。中でもとりわけ手掛かりとなったのは、次のような件でした。
 ――鏡の世界での無尽蔵な快楽と、こちらの世界での行い澄した毎日。そうして鏡の内外を行き来しながら、自分の中である微妙な平衡が保たれている。だがもちろん、皆が皆そうなわけではない。実際、あちらの世界に行ったきり、そのまま住み着いてしまったのも五万といる。だが自分は怖いのだ。あんな獣のように貪る連中は、きっといつか地獄に落ちるにちがいない。否。きっと今彼らのいるそここそが、まさに快楽の地獄なのだ。そういえば快楽に喘ぐ彼らの爛れた表情は、苦痛に喘いでいるようにも見える。……
 灰谷はそう語っていました。そしてそれは確かに、鏡の向こうに行った者がそれきり帰らなくなる可能性を、示唆していたにちがいありません。
 もちろん当時の私は、事の重大さに少しも気が付かなかった。すべては取るに足らない物語の細部として、受け流していたのです。
 だがしかし、そうして忘れていたはずの一節が今こうして蘇り、私に耳打ちしていた。きっとすべての謎を解く鍵は、こんな挿話の中にあるのだ。……

 そこにはまたもう一つ、こんな件もありました。
 ――あちらの世界には『時』がない、否、もっと正確に言えば、生じては滅ぼす移ろう時に代わって、そこでは永遠の時間が支配していた。時の流れを暗示するような変化は、すべてそこから排されていた。そこには老いも、衰微も、四季の変化もなく、温度はいつも恒常のまま維持されていた。……
 ――温度はいつも恒常のまま維持されていた……いや、少なくとも自分には、確かにそのように感じられていたのだ。だがあるときふと、何の気なしに温度計を覗き込んだ自分は、思わずわが目を疑った。何とその数字は、自分が初めてここに来たときから、なぜだか十度近い下降を示していたのだ。手品のからくりは、おそらくこうだった。確かに一年のサイクルで見れば、温度はいつでも一定だった。だがしかし年を追うにつれて、そこにも本当に微量ずつの変化が起こったのだ。そして数百年という時が経って……それはこちらの世界では、数年が過ぎる間なのだが……そんな気付かぬはずの微量の変化が、いつしか次第に積み重なって、こんな明らかな数字の下降となって表れたのだ。
 ――やはり一緒に淫楽を貪っていた、亡者の一人が心得顔で教えた。ソレガ定メナノダ。ヒトノ心ヲ失クシタ者ノ冷腸ガ、コノ白銀ノ世界ニスラ氷河ノ時代ヲ招来シテシマウ。ダガ安心召サレ。我々
ノノ命ハ、タトエ氷河ノ中デスラ滅ビルコトハナイ。……
 ――たとえ氷河の中ですら滅びることはない……そして実際、それはそうらしかった。温度計の数字が十度を切り、五度を切る。そして驚くべきことに、まるで変温動物の類いのように、自分たちの体温もそれにつれて十度を切り、五度を切ったのだ。だが自分たちは、それでも少しの寒さも苦痛も感じない。だとしたら本当に、自分たちは氷河の中ですら生き続けるかもしれない。……もっともそんな自分も、鏡の面を抜けてこちらの世界に戻る瞬間だけは、背中に凍り付くような寒気を感じはしたが。……
 灰谷が何気なく語ったそんな言葉を、あのころの私はこれもまた気にもとめなかった。だがそこには、確かにとてつもなく不吉な予言があったのにちがいない。だとしたら、きっとすべての謎を解く鍵は、こんな挿話の中にあるのだ。……

 そうでした。そんなふうに、かつて昼休みの食堂で灰谷が問わず語りに語った物語。そのすべてが――とりわけその中の思わせぶりの二つの挿話が、今しも蘇って私に教えていた。
 だとしたら確かに、私があの最後の最後の逆説にたどり着くのは、もう時間の問題だったにちがいありません」
 「本当に、灰谷の肖像を眺めながら、その失踪の謎を思い巡らす。そんな暮らしを幾年も続けながら、私も今ようやく、結論らしきものにたどり着いたように見えました。
 きっかけは蘇った、あの灰谷の物語、とりわけその中の、二つの挿話。気温の下降。帰らなくなる亡者たち。……
 もちろんそれらの一つ一つは、それだけではただ、無意味な想起にすぎない。そんな二つの挿話をつないだのは――否、本当にすべてをつないだのは、これもまたある日突然、霊感のように私の頭をよぎった二文字の漢語でした。

 『氷結』――それがその言葉でした。
 水温が氷点を下ったとき、湖の面は氷結を始め、生き物たちは水の底へ底へと、封じ込められてしまう。
 そんなことが、きっとそこでも起こったのだ。
 そうだった。温度計の数字が十度を切り、五度を切る、と灰谷は語っていた。だとしたらそれから五年が、つまり五百年近い時間が過ぎて、温度が零度を切ったときから、それが始まったのだ。鏡の世界はおそらく、空気に似せた忌まわしいガスに満たされていて、それが水が凍るような具合に凝固を始めた。――もちろん灰谷とて、異変には気が付いたにちがいない。だが必死の脱出の努力も及ばず、あれほど卑しんでいた亡者たちと同じく、灰谷もまた永遠に、あの世界の住民となったのだ」
 「そう考えれば、すべてに得心がいった。
 私たちの家探しした灰谷の部屋から、鏡らしきものは姿を消していて、その代わりに、この肖像画が飾られていた。位置と言い、大きさと言い、止め金の用い方と言い、あの鏡と寸分違わぬ油絵? だがすべてがそっくり同じなのも、むべなるかな。それは油絵などではけっしてない、あの鏡そのものだったのだから。
 そうだった。水温が氷点を下ったとき、湖の面は氷結を始める。だとしたらちょうどそのように、鏡もまた凍てついたのだ。この小さな額縁の窓から覗いているのは、けっして絵画などではない。いわばそうして、変わり果てた鏡の化石。耽美の国に訪れた冷寒の最期。そこに満たされた清澄な白銀のガスも、今は凝固して濁りを生じ、その結果がただこうして、油彩を見ているような錯覚を与えているのだ。……

 そう考えれば、すべてに得心がいった。
 私たちのような年齢の、私たちのような身分の人間は、何か特別思うことでもないかぎり、肖像など描かせるものではない? だがしかし、それは肖像などではけっしてなく、生身のままの灰谷が、凝り結ぼれた白銀の向こうに埋もれているのだ。ちょうど氷結した湖の底に魚が封じ込められるように、そんなふうに灰谷も、鏡の向こうに置き去りにされた。――もちろん灰谷とて、異変に気付かなかったわけではない。だが皮肉なことに、引き返そうと急いだ灰谷が、ちょうどこの出口のところまで辿り着いたときに、力尽きたのだ。そしてこの不幸な友人は、こうして世界の境界でこちらを覗きながら、それでも永遠に、あちら側の世界に囚われているのだ。

 そう考えれば、すべてに得心がいった。
 額縁の中の灰谷の、あのあまりにも生々しい存在感。その失踪の後も、灰谷は生きていると確信されたこと。しかも私と無縁の遠いどこかではなく、すぐ傍らのどこかに生きていると確信されたこと。――それらはけっして、私の気のせいばかりではなかったのだ。私たちの直感は、ここでも正しい事実を教えていた。本当に灰谷は、私のすぐ傍らのあの額縁の中で、絵の具のように乾いた白銀に埋もれながら、それでも生きているのだ。そうだった。亡者の一人が語ったように、彼らの永遠の命は、どんな寒気の中でも絶えることはない。まるで変温動物のように体温までが零となり、やがて血液までも凍てつきながら、彼らはそれでも息衝いている。否、そればかりか、そうして氷に縛られながらも、彼らはその永遠の快楽と背徳に浸り、喘いでいるかもしれない。……

 そう考えれば、確かに得心がいった。
 額縁の中の灰谷のあの特異な表情――凄惨なものを前にしたように、引きつった目元。何かを叫ぼうと小さく開いた口。訴えるような眼差――その不思議に印象的な表情を、私はそれまでどうしても理解できずにいた。だがこうして真実を得た今、私にはすべてがわかるのだった。本当に、灰谷自身も語っていたように、灰谷はあちらの世界に住み着くことなど、けっして望みはしなかった。鏡の向こうへの小旅行も、初めは誰にも覚えがある、興味本位の悪戯にすぎなかったのだ。だがそんな小さな好奇心が、こうして永劫の神罰で報われてしまったのを知ったとき、私たちの浮かべる表情は、まさにあのようなものでなければならない。……
極寒の氷の中に幽閉されながら、永遠の背徳に耽る快楽の地獄。私たちの誰もが望まないように、灰谷もまたそんなおぞましい生を望みはしなかった。そしてそんな永遠の地獄に落ちた灰谷は、身動ぎ一つかなわぬまま、ただこちらの世界を睨みながら、その表情だけで訴えている。あれほど切実な眼差しは、あるいは救いを求めているのだろうか? あるいはまた、救済が不可能なことを誰よりもよく知っている灰谷は、そうしてただ、言い知れぬ悲しみを語ろうとしているのかもしれない。……

 そうだった。そう考えれば、そう考えればすべてに得心がいった。
灰谷の部屋の、壁に掛かったあの魔法の鏡。それは確かに、いわば窓のない小部屋に開いた、たった一つの窓だった。灰谷はそこから、牢屋のように気鬱な日常の彼方を覗き、あるいはひそかに窓を抜けて、自在に異界に遊びさえしたのだ。
 だがもちろん、そんな麻薬のような快楽は一口啄んだだけで、すぐに引き返すべきだった。深みにはまって、骨まで毒に犯されて、抜け出せなくなる前に――そしてそんな末期の姿が、今の灰谷だったのだ。
 本当に、鏡の国の異変のために、窓は塞がれた。
 秘密の通路を抜ける行き来は、今ではもうかなわない。
 そればかりか逃げ遅れた灰谷は、そのままあちらの世界に置き去りにされたのだ――否。灰谷とて確かに、すぐあそこまで逃げ帰ったのにちがいなかった。だがしかし、いつものように窓を抜けようとしたとき、あるはずもない壁がそこにあった。
 今や一枚のガラスの板が立ちはだかって友を阻み、友を隔てている。まるで何かの否応のない宣告であるかのように――そんな目には見えない薄氷(うすらひ)のようなものが、どんな鋼鉄の板よりも堅固にすべてを仕切ってしまうというのは、本当に何という不思議だろう。
 だとしたら友は、目をしばたたく。狭霧のように込められた銀のガスに包まれて、冷たい吸気をしながら、ただああして呆然と鏡のこちらを覗いているのだ。……
 だがもちろん、そんな灰谷の最期を前にして、私には何もなす術はない。
 ただ私にできることといえば、こうして朝夕に欠かさず額縁の前に立ち、地獄に落ちた灰谷の魂を弔い、唯一の友人としてその永遠の詫ち事に耳を傾けてあげることだけなのだ。……

     7

 憑かれたような陰惨な表情。虚ろに宙を見詰めた視線。その言葉さえもはや目の前の私に向かってはいない、いつしかただ独話の口調に変わっていた。
 聞きながら、私は薄ら寒いものを感じていた。こんな鬼気迫る姿は、本当にただの話術にすぎないのだろうか? そしてもしそうでないとしたら、それは一体何なのか?
 そのうえこうしてうわ言のように語られた話の中身は、一体どうしたことだろう。もちろんそんなことが、実際に起こりえようとは誰も信じはしない。だがしかし、もしそうだとしたら? ――
  
 不気味な沈黙の時間が、一分ほど続いた。
 語るべきことを語り終えて、全身の力が抜けたのか、知人は倒れ込むようにソファに凭れている。
 だがしかし、そうして知人の様子を眺めるうちに、私はそこに再び大きな変化が現れるのを認めていた。ソファに凭れて放心する知人の顔からは、熱が引くように例の強張った表情が消えていたのだ。陰惨な隈取り。虚ろに宙を見詰めた視線。それら私を戦慄させたすべてのものが再び消えて、私の目の前には、平凡で善良で生真面目な銀行員の知人が戻っていた。
 それと同時に、そうして日常の世界に立ち戻った知人は、私の心中の怪訝も、容易に察知したらしかった。申し訳なさそうに眉をひそめると、ここでもまたしきりに眼鏡のずれを気にしながら、知人は再び口を開いた。
 「いやもちろん、もちろんそれはわかっています。この科学万能の世の中に、そのようなことが起こるわけがない。――すべては私の錯覚、私の空想でした。
 思えばあの五年前、灰谷の部屋で起こったのと同じ現象が、今起こっているのでした。ある異常者の妄想が、周囲の人物に一時的に伝播する――そんな『感応』の病理が、確かに五年前の私に働いた。あのとき薬草酒の酔いにも煽られて、灰谷の妄想をすっかり分け持った私は、その結果灰谷が鏡の中に消えていくのを見た。……
 そんな幻覚と同じことが、きっと今もまた起こったのです。今度は酒の代わりにあのあまりにも生々しい絵に触発されて、一度は笑い飛ばしたはずの鏡の国の作り話を、またしても真に受けてしまった。その結果が、油絵を半ば強引に鏡と結び付け、単に画像にすぎないものに生身の灰谷の末路を認めたのでした」
 「鏡の国の作り話を、またしてもすっかり信じ込んだ。――そしてそれはただ、信じたばかりではありませんでした。灰谷の聞かせた話を素材にして、例えばあの氷結のことのように、自分自身の織りなした物語を付け加えていく。いわばかつては灰谷から譲り受けた妄想が、いつしか一人歩きを始め、今ではそれ自体の空想の体系を構築し始めた。
 そしてそれもまた確かに、書物に説かれたところの『感応』のメカニズム――そうでした。忌々しい感応の現象が、今も一時私の心を蝕んでいる。そしてそんな病が、歪んだレンズが歪んだ世界を写すように、さまざまな奇想を抱かせるのです。
 そもそも鏡の世界などというのは、初めから存在しはしない作り話でした。灰谷がその隠れた思いを託した、寓意のようなものにすぎなかったはずです。
 灰谷がその一人の部屋で作り上げた、もう一つの世界。その秘密の営みを、いわば鏡の国の物語に喩えて語ったのだ。――今回の失踪にしても、きっとそうなのでした。そこには灰谷だけの内面の世界の、他人には窺いしれない理由のようなものがあった。いわば『思うところ』があった灰谷は、さあればこそあんな一枚の肖像画を後に残して、ふとどこか遠い町へ漂泊の旅に出たのだ。……
 おそらくは、それが事実でした。それなのに、すべての比喩を馬鹿正直に真に受けた私は、あんな荒唐無稽な物語を思い付いたのでした」
 こうして知人は、自分自身の物語ったオカルトに、ここでもまた合理的な説明を付け終えた。まるでそうすることで、空物語に付き合わされた私のいらだちを鎮めようかというように。
 だが私にも、薄々わかりかけていた。これこそが、知人のパターンなのだ。ありうべからざる奇譚の世界に聞き手を引き込んでおきながら、後になってからあっさりと種明かしをして見せる。そしてその度に反転する、陰惨な鬼面と、平凡な銀行員の二つの顔。―― そしてひょっとしたら、それはけっして話術などではない。もし本当に「術」と呼ばれる種類のものであるとしたら、それはあくまでも知人の外側に置かれた道具のようなもの――だがしかし、これはけっしてそうではない。私が目にしているものはもっと知人の存在そのものに根ざした、不可分の何かだった。
 そうだった。幾度となく傍目を驚かした、陰と陽との不思議な転変。だがしかしすべてはけっして、語り部の表面だけに起こった現象ではない。もっとずっと奥底の、知人の魂そのものに今しも同じ事態が生じていて、私はただそれらを外側から透かし見ているにすぎない、とそんなふうに感じられたのだ。
それはおそらくこういうことだった。ちょうど灰谷の場合がそうであったように、知人自身の中にもきっと二つの世界と二つの自分というものがあり、その間にはまた常住の行き来が行われていた。知人の魂がこちらにあるときその声音はこのように変じ、あちらにあるときその表情はあのように切り替わるのだ。――
 もちろんそんな変わり身を、知人自身は少しも望んではいない。ややもすれば妄想の世界に迷い込もうとする想念を、理性が引き戻し、叱咤し、そして理由付ける。そんなたえざる緊張の関係が、この銀行員の心の内にあった。
 理性と妄念と。現実と不条理とのせめぎ合い。そうだった。知人の言動にあのような周期の波を形作ったのは、きっとそれだった。そしてそんな、あちらとこちらに引き合う二つの力の、微妙な均衡の上にたゆたいながら、知人の魂はかろうじて転落を免れている。……
 もちろんすべてはここでもまた、私の憶測にすぎなかった。
 だがそのとき私は知人の口から、まるでそんな憶測を裏付けるかのような言葉を聞いたのだ。
 「そのことは、私にもわかっています。灰谷が話した鏡の世界の物語など、すべて作り話にすぎない。ましてやその作り話に私が尾鰭を付けてこしらえた荒誕の体系――氷結やら、鏡の死やら、快楽の地獄やら。そんなたわごとは、あの感応による歪みのために、私の精神が見た妄想にすぎない。そのことは、私にもわかっています。そして私の理性は、そんなふうに奇想と非合理の世界にさ迷い出た自分を笑い、たしなめる。……
 私の理性は、そんな自分を笑う。――確かに平生は、それはそうなのです。銀行での執務中。自宅への行き帰り。そして食卓で食事を取っているときも、そんな非合理を私はけっして受け入れはしない。だが恥ずかしながら、白状しなければなりません。ただ一時、ただ一時この応接間にいるときだけは、私の精神は再び、理性の支配を逃れてしまうのです。この部屋に足を踏み入れ、あの肖像画の灰谷の視線を浴びた瞬間に、それもまたあの感応の仕業なのか、何かのパスワードを得たように、私の妄想が誘発される。もちろん私の理性は、初めは必死に否を叫びますが、それもやがては抗しかねたように、想念の奔溢に身を委ねてしまう。……
 そうなのだ。私は再び、そんな想念の世界に引き摺り込まれてしまう。そして私はこうしてソフアに腰掛け、あるいはもっと直接に灰谷の前に立ちながら、鏡の世界に起きてしまった歴史やら、灰谷の今の身の上やらに思いを致すのだ。否。単に物思うだけではない。鏡の中で今でも生きている灰谷は、声は聞こえないまでも、口の動きは読み取れると考えて、私はそれに語り掛けさえするのだ。少女が縫いぐるみと密語を交わすように、私はこのただ一人の心の友に向かって昨日の思い出を語り、今日の悲しみを打ち明け、明日の不安をかこつのだ。……」
 聞きながら私は、知人の様子に再び危険な徴候が現れるのを認めていた。知人はまたしても、あの自分だけの世界にのめり込もうとしている。その表情には陰惨な隈が浮かび、その目は物狂おしく宙を見詰めている。……
 もちろんそれは、これまでにも幾度も目撃してきた知人のパターンだった。理性と妄念のせめぎ合い。こちらの側の私たちの現実と、知人だけの心の中の不条理との、二つの世界の往復。そんないわば魂の相克のようなものが、いつでもこの知人の内部にあった?
 だとしたらそれは確かに、ずいぶんと忌まわしい種類のものだったにちがいない。
 そのうえ私の不安を駆り立てたのは、そんな知人の心の揺れの振幅が、次第次第に小さくなっていくように思えたことだった。このまま揺れ幅が小さくなって、こちらの世界にとどまる時間が短くなっていったとすれば、その先には一体何が起こるのか?
 私は再び背筋に寒いものを感じた。それと同時に、この不気味な部屋にこれ以上居座ることに、苦痛を感じ出した。草々に退散するために、私は暇乞いの機会を探し始めた。

 だがしかし、まるであなぐらに落ちたように、またしても自分だけの世界に閉じ籠った知人は、再び物語ることはなかった。知人はただ無言のまま、糸に引れるようにふとソファから立ち上がると、広くはない応接間のスペースを、憑かれたように強張った表情を浮かべたまま、落ち着かない様子で歩き回り始めたのだ。
 意味不明の挙動に、私は再び戦慄を感じた。そうしてゆっくりと、ゆっくりと歩行しながら、知人はまたその想念の世界に浸っているのか。あるいはこれはひょっとしたら、狂疾の患者がしばしば見せると聞く多動の症状?
 だがやがて、知人のふるまいを眺めるうちに、私にもわかってくる。でたらめのように思えたその動きも、本当はけっしてそうではない。知人の足先の描く迷路のような軌跡の中心には、その実いつでもきまってあの肖像画があるのだった。だとしたら知人は、そうして歩き回ることで距離と角度を変えながら、ためつすがめつあの絵を閲しているのだ。
 ようやくそんな事実に気が付いたころ、ふと知人の足の動きが止まった。そこは知人と絵の中の「灰谷」とが、画面を介してちょうど等しい距離になるような、特別な地点だった。
 そうだった。だとしたらそうしてそこに佇んで画面を覗くとき、絵の中で叫ぼうとしている人物は、確かに知人自身の鏡像のように見えている。……

 そんな知人の異体を眺めながら、私は様々な疑問に悩んでいた。 誠実で、几帳面な銀行員の顔と、その裏のこんなおぞましい鬼面との関係は?
 そしてまた、それほどまでに危うい変化を引き起こしてしまう、「感応」の力とは?
 なかんずく灰谷という不思議な人物と、その失踪の謎。――
 もちろんそのころには、私とてもうとっくに感づいていた。そのようなことは、本当はもちろんありえるはずがない。一枚の肖像画だけを残して、突然行方をくらます孤独癖の男? そんな伝奇小説じみたことが、実際に起こりえるはずはないのだ。第一もし知人の周囲に、そんなミステリアスな事件が本当に起こったとしたら、間接的に私の所まで聞こえてきそうなものなのに、似たような話は少しばかりも耳にすることはなかったではないか。
 だとしたらこれもまたきっと、知人の作り話なのだ。これもまた――そうだった。灰谷の失踪の、その原因として語られた「氷結」の物語は、もちろん知人の捏造だった。そのことは知人自身が認め、私に非礼を詫びたにちがいなかった。だがしかしその実知人の虚構には、もっと手の込んだ二重のからくりがあったのだ。嘘だったのは、ただその原因ばかりではない。灰谷の失踪というその出来事自体が、そもそもあるはずもない作り話だった。そして知人の謝罪は、ただそうして第一の嘘を詫びてみせることで第二の嘘を生かそうという、むしろ狡知のようなものにすぎない。……
 だがしかし、もしそうだとしたら?
 そうだった。もしそうして、その失踪話に信憑性がないとしたら。それをいうならそもそも、灰谷とかいう人物の存在そのものも、怪しいものとなるにちがいなかった。本当に、誰とも付き合うことなしに、空想の世界に閉じ籠る孤独癖の銀行員。そのような人物が、この世にありようがない。すべては知人の作りなした架空の存在なのだ。
 氷結の奇譚も、鏡の国のお伽話も、そもそも灰谷という奇人の逸話すらが、ありもしない作り話だった。だがしかしもしそうだとしたら、それもまたやはり、知人の狂気なのか? すべてはその心の歪みの致す妄想?
 そうだった。この銀行員には多少絵の心得か何かがあって、おそらくはどこかの画商で、印象深く見えたこの油絵を買い求めた。それはもちろん、知人とは何の関係もない人物がモデルになったものだった。だがこうして応接間に飾って眺め暮らすうちに、知人はその心の病のために、絵の人物に纏わるさまざまな物語を織り成してしまった。その結果ご丁寧に「灰谷」という名前までいただいた絵の中の男は、永遠に知人の心の友となったのだ。――
 心の友――否。ここでもまたきっと、物語の主人公は、知人自身の分身だった。銀行の執務以外、楽しみもなく見える男。一人だけの小部屋の、秘密の快楽。二つの世界の往来。そればかりではない。ひょっとしたらあの忍び寄る不条理の結末さえ、すべては知人そのものではないにせよ、少なくとも身に覚えがある何かだったにちがいない。そんな誰も知らない知人自身の内側のすべてを託されて、灰谷はその「心の友」となった。……
 そしてそんな知人の愚行を、私は笑うことも、怒ることもできない。否、もちろんそれは私ばかりではない。私たちは誰も、狂気を哀れみこそすれ、それを指弾することはできない。……
 
 もちろんそれもまた、あくまでも一つの仮定――ただ想像であるにすぎない。だが同時にそれは、とてつもなくまがまがしい想像でもあった。
 本当に、もし灰谷の存在が架空のものであったとしたら、知人が好んで用いたあの説明も、意味をなさなくなる。知人自身が認めた心の歪みは、けっして何かの人物の「感応」による、「一時的」な現象などではない。それは確かに知人自身の心の中に、恒常に巣くった病なのだ。――
 平凡で善良で篤実な銀行員。忠実な夫。優しい父親。そしてそんな仮面の裏になぜか巣くってしまった狂気。
 実直そうな眼鏡の下の、薄汚れた恥部。表の顔が穏やかで清らかであればあるだけ。それだけ醜怪なもう一つの顔。
 それは知人の心に、ぽっかりと口を開けた深淵。いやそれは、知人ばかりではない。ひょっとしたら私たちすべての心に、口を開けているかもしれない深淵。あの瞬間、その吸い込まれるような谷底を覗き込んで、私はわずかにめくるめいた。
 そしてすべては、見てはならないゴルゴンの首だったにちがいない。それが証拠に、あのときの私の心の中には、あらゆる負の感情が渦巻いていた。恐怖、不安、たとえようのない忌まわしさと、不快の気持ち。……

 だとしたらもはやこれ以上、この知人の傍らにいることは、私には耐えられないにちがいなかった。私は再び、暇乞いの機会を探そうとした。
 だがもちろん、それは無用の努力だった。肖像画を前に喪心している知人は、いわば魂を失くした生ける骸だった。そんな知人に対して、いかなる儀礼の言葉も必要はなかった。私はただ手早く自分の荷物をまとめて、黙ってこの部屋を抜け出すべきなのだ。
 そうだった。もはや一刻の猶予もならない。知人はさらに深く、さらに深くその狂気の世界に沈みこもうとしている。何か恐ろしいことが起きてしまわないうちに、私はこの場を立ち去らなければならない。……

 そしてそれから五分後、私は本当に、この汚辱の部屋を永遠に後にしていた。だが立ち去るとき、私の気分は、予期していたものとはずいぶん違っていた。あのたとえようのない忌まわしさ、不快の気持ちはすっかり私の内から消え果てて、私はこの乱心の知人に対して、共感と言わないまでも甘い哀憐のようなものさえ感じていたのだ。
 それはもちろん、私が知人のある言葉を聞いたがためであった。 そうだった。私が慌ただしく帰り支度をする最中、それまで肖像画の前に立ちすくんでいた知人の様子に、わずかな変化が見えた。その憑かれたように強張った表情が、再び一瞬だけ凪いで、知人は最後にもう一度だけ、歌うような口調で語ったのだ。そしてその言葉を聞いた瞬間、私はこの知人のすべてを理解したような、――少なくともそのすべてが許せたような気になったのだ。
 それは本当に、次のような言葉だった。
 「こうして毎日生真面目な銀行員を演じ、忠実な夫を装い、優しい父親を真似ながら。ただこの部屋にいるときだけは、私はこのただ一人の心の友に向かって昨日の思い出を語り、今日の悲しみを打ち明け、明日の不安をかこつのです。……
 だがそんなふうに日々を暮らしながら、このごろふと、妙なことを考えることがあります。凍り付いた鏡の中に閉ざされながら、それでも生きている灰谷には、こちらの世界が見えているかもしれない。私が何も語らずとも昨日の思い出やら、今日の悲しみやら、明日の不安のすべてがすでに見えているのかもしれない。だとしたらそれらは一体、どのように見えているのか?

 それらは一体、どのように見えているのか? とりわけ私のこの顔は、あちらの側にはどのように映っているのか? もちろんそれは、そっくりこのまま映るはずもなかった。固化した鏡面に生じた狂いのために、その像には何らかの歪みが加わるにちがいない。だとしたらそれは、どのように?
 もちろんそのようなことは、こちらの側の人間にわかるはずもない。だが不思議なことに、私にはある圧倒的な確信をもって、こう感じられるのです。私の顔もきっと、あのように映っているにちがいない。鏡の向こうの灰谷の顔が、私たちの目にあのように映っているように、そのように私の顔もまた見えているのだ。……
 
 年齢を訝からせる衰顔。凄惨なものを前にしたかのように、大きく見開かれた目。何かを叫ぼうと、開き掛けた口元。
 それは確かに、鏡の向こうの灰谷の表情でした。だがもしそうだとしたら、私たちもまたきっと、同じように見えているのにちがいない。
 同じように――そうでした。あの氷結の異変のために、鏡の向こうに置き去りにされた灰谷。だがしかし、もしそうして灰谷が戻れないとしたら、私たちもまた、旅立つことはできないのかもしれません。
 灰谷の失くしたすべてのものを、私たちもまた失くしていた。壁に掛かった鏡の魔法。窓のない小部屋の、たった一つの窓。本当に、秘密の通路を抜ける行き来は、今ではもうかなわない。……
 だとしたら私たちもまた、きっとそうなのだ。ちょうど鏡の向こうの灰谷が永遠の氷に縛められてれているように、こちらの私たちもまた何か目には見えない檻に閉ざされて、囚われの悲しみを託っている。……
   
 年齢を訝からせる衰顔。凄惨なものを前にしたかのように、大きく見開かれた目。何かを叫ぼうと、開き掛けた口元。
 そうだった。だとしたら私たちもまた、きっとそうなのだ。鏡のこちらの私たちも、きっとまたそのように身動ぎ一つかなわぬまま、言い知れぬ悲しみを湛えた眼差しで、必死に訴え掛けているにちがいない。
 それもまた、氷の獄に閉ざされて永遠(なが)の命を持て余し、ただ救いか破滅かをこいねがいながら。……」
                            (了)










「奔馬」 


























――私の目の前には、不思議な街の不思議な光景が繰られていた。
 
 手を繋いだ、大勢の若いカップル。自転車の隊列をなした女学生の群れ。
 サッカーの応援団。デパートのバーゲンセール。街頭にまで流れ出す夥しい音楽。
 もちろんそれは、ごく普通の東京の一日なのかもしれない。だがそんなありきたりの一コマ一コマが、なぜかこの私の目には、とてつもなく奇異なものに映っていた。何というのどかさだろう。なぜ誰一人、先を急ごうとはしないのだろう。

 それはおそらく、帰還の兵たちをいつでも同じように悩ませる、あの違和感だった。
 そうだった。幾年ぶりかの祖国の街で、彼らをまず驚かせるものは、いつでもその圧倒的な安穏なのだ。銃声の聞こえぬ街。起床喇叭の鳴り響かぬ朝の目覚め。澱んだように緩やかな時の流れ。誰もが訝しげに、目をしばたたく。何という、穏やかな陽射しだろう。なぜ誰もがああまで無防備に、くつろいでいられるのだろう。

 だとしたら、今の自分も、また同じだった。長い戦いをようやく終えて、安穏の時間へと舞い戻った自分。その前に現れた終戦の風景の、あまりの安らかさ。だとしたらここでもやはり、誰の場合とも同じように、言い知れぬ違和感が帰還の兵を悩ませる。
 本当にすべては、昨日までとあまりにも違っていた。昨日までの、あのせわしない時の流れ。戦に駆られて、足早に渡り歩く日々。そんなものは、ここにはもう少しもない。
 記憶の中の時間と、目の前の時間の齟齬。言い知れぬ違和感が、帰還の兵を悩ませる。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか? そしてこの私は、行かなくてもいいのか?
 例えば昨日まで、戦士たちが命を賭してきた「大義」は、そこにはもうない。そしてそれに代わる「何か」は、まだ見付からなかった。彼らの営みの、一つ一つを繋いでいた脈絡が失われ、すべては糸の切れた数珠玉のように、ばらばらな、無益なものとなっていた。 だとしたら、だとしたらなおさら言い知れぬ違和感が、帰還の兵を悩ませる。……

     1

 あの馬のことが私の心を捕らえたのも、ちょうどその頃だった。 その馬の名は――いやもちろん、実名を書くことに差し障りがあるはずもないが、ここでは仮に、「ダイタクミサイル号」とでも呼んでおこう。もちろんそのスピードと気性に敬意を表して、である。

 私が初めてその馬を見たのは、去年の九月、中山競馬場のターフビジョンであった。
 その日もまた、たった一人で競馬場を訪れた私は、二つのレースを続けて外した後で、地階のスタンドに腰を下ろしたまま、ぼんやりとメインレースの開始を待っていた。

 そのとき突然、それまでは静まり返っていたターフビジョンが、けたたましい音量でレース実況を始めたのだ。
 まだそんな時刻でもあるまいに、と初めは怪訝に思っていた私も、ややあってそれが、同時開催函館競馬の、メインレースであることに気が付いた。
 その気になれば中山でも馬券は買えたらしく、周囲の男たちの幾人かは、一心にターフビジョンを見詰めたまま、まだスタートを切る前から、気合の入った声援を送っている。

 そんな他人事の狂騒を、初めは冷ややかに眺めていた私の目も、だがしかしゲートが開かれた途端に、画面の上に釘付けとなった。 画面の上に――否。それは正確には、レースの先頭を疾駆する一頭の馬に、と言ったほうがいいかもしれない。なぜなら、十馬身は引き離されたであろう後続の馬たちを、ターフビジョンの画面が捕らえたのは、ほんの幾秒とはなかったはずだから。
 そしてそれは、カメラばかりではなかった。公平にレースを伝達するはずのアナウンサーでさえ、二番手の馬たちの名前は申し訳程度に付け足すだけで、終始興奮気味にその馬の――ダイタクミサイル号の名前を連呼していたのだ。
 ――速いぞ速いぞ、ダイタクミサイル。痛快豪快な逃げ、ダイタクミサイル。北の新星、新しい英雄の誕生だ。
 ――函館二才ステークス、ここからクラシックへの夢が広がっていく。皐月賞、ダービーへ、クラシックへの夢を乗せて、逃げるぞ逃げるぞダイタクミサイル。
 アナウンサーの上擦った台詞が、必死に伝えようとする驚きを、確かに画面に見入る誰もが、同じように分け持った。ニューヒーローの鮮烈な登場。そのけれんみのない逃げっぷり。そんな光景を目の当たりにして、レースの最中も直後も、私の周囲に溜め息に似た嘆声の絶えることはなかった。
 そしてまた、この私も。――
 だがしかし、それもずいぶん不思議なことであった。そもそも私は、馬券を買ってはいなかったのだ。だとしたら、「賭け」を離れたところで、自分の体が示してしまったあのあまりにも激しい反応、――レースの間中絶えなかった戦慄の、正体は一体何だったのだろう。

 ――レコードタイム、ダイタクミサイル。驚異的なレコードタイム。一分九秒二。マイネルダビデのレコードを、コンマ九秒更新する大差勝ち。……
 そんなアナウンサーの興奮覚めやらぬ絶叫も、やがて次第にフェイドダウンして、ターフビジョンの放送は、まもなくこちらのメインレースへと切り替わってしまった。私たちの関心もまた、目の前の勝負事の方へと、移っていったにちがいなかった。だがしかし私たちの――少なくとも私の胸の奥には、先程の逃走劇が与えた不思議な感動の余韻が、いつまでも消えることはなかった。

        *

 それかあらぬか、競馬場から帰宅した私は、まず真っ先に、ビデオ録りしてあった競馬中継のテープを回した。
 お目当てのレースは、ここではメインレースの直後に、実況録画の形で流されていた。
 目の前にもう一度再現される、一分九秒二のドラマ。14インチのテレビ画面は、それにもかかわらず、ターフビジョンの大スクリーンに少しも劣らない、鮮烈な絵を見せていた。華々しい逃げ足、下馬した騎手から鼻面を叩いて祝福される勇姿――競馬というスポーツの持つ、清々しい魅力のすべてが、確かにそこにはあった。

 ただ一つだけ、今度のテレビ放送の違っていたのは、先刻のターフビジョンの実況がやがてフェードダウンして切り替わっていったのに対して、こちらの場合はそれに続いた騎手インタビューも映していたことであった。
 当然私は、期待しながら言葉を待った。先刻のアナウンサー氏の絶叫のような、手放しの礼讃をそこに予期していたからだ。
 だがしかし、インタビューを受けた関西の若手騎手の返答は、意外にもあっさりしたものであった。
 ――今日のところは強かった、というところでしょうか。まだまだ競馬は、先がありますから。
 クラシック候補、と水を向けられても、拍子抜けするほどそっけない答えが返ってくるだけだ。
 ――スピード任せで、一本調子なところがありますからね。折り合いとか、気性面でレースを覚えていかないと、距離が伸びてからの不安がありますね。
 それはある意味では、とんでもなく手厳しい、つれないコメントであった。聞きようによっては、レースの感動に水を差されたような、後味の悪ささえ感じられただろう。
 だがもちろん、誰より馬のことを知っている、騎手の言葉に偽りがあろうはずはない。彼もまたひょっとしたら、しろうと目に映る華々しさの、裏にある不安を見据えているのかもしれない。

 競馬というものにも、もうだいぶ親しんでいた私には、そんな騎手の真意が、おぼろげながら理解できるような気がした。
 その言わんとするのは、おおむね次のようなことだったと思う。 競馬にはもちろん、スピードとスタミナの、二つの要素がある。そして私たちのしろうと考えでは、この二つの数値がただ大きいものがレースに勝つ、と思われがちだ。だがしかし、どうやら話は、そんなに単純なものではないのだ。
 人間の場合だって、それはそうだろう。例えば百メートルを10秒で走るスピードがあり、42・95キロを完走するスタミナもあるとする。だがその同じ男が、もしマラソンの最初の1キロを、そのままの全速力で疾走してしまったとしたら、たちまち力尽きてしまうだろう。そんな勘違いをしないこと。つまりレースの性質を――ひいては相手関係や気候条件まで、諸々の状況を勘案すること。そしてそのうえで、有限のスピードとスタミナを配分していくこと。そんなレース運びもまた、勝敗を決める大きな要素となっているのだ。
 競馬においてもまた、同様だった。レースの距離や、展開や、駆け引きを勘案しながら、――もちろんそこでは、判断を下すのは、乗り役の騎手である。騎手が馬に、手綱を通して、それらのすべてを教えていくのだ。そしてそんな騎手の指示を守る「折り合いの付く馬」は、最大限にその能力を発揮して、勝利を収めていく。その逆に、指示を守らずにつっ走ってしまう「気の悪い一本調子の馬」は、その潜在能力にもかかわらず、不本意な成績に終わってしまうことも多いという。
 二才馬の時点なら、それでもまだ構わなかった。その頃はレースの設定も、まだ短距離が主体だった。そのうえどの馬もまだ子供で、一本調子という点では似たり寄ったりだから、能力だけに物を言わせて押し切ってしまうことができる。だがやがて三才、四才となり、周囲の馬が大人になっていくにつれて、――そしてレースの距離も伸びるにつれて、腕力自慢の餓鬼大将は、途端に勝手が違ってくる。引くところは引き、押すところは押す、そんなレースのめりはりを覚えた彼らを相手に、あいかわらずやみくもに繰り出すだけの餓鬼大将のパンチは、ぶざまに空を切り始めるのだ。
 そうなると彼は、三才を迎えた頃から、本当にぱたりと勝てなくなってしまう。あれほど晴れやかだった英雄が、やがてファンからも馬主からも見切りを付けられて、二才チャンピョンというわけのわからない勲章だけをぶら下げて、いつしか消えてしまう場合も多いのだ。そしてその「彼」というのが、ひょっとしたらダイタクミサイル号かもしれない――そのことこそが、この騎手の最も危惧していることなのだ。

     *

 おそらくはそれが、騎手の真意だった。
 だとしたら、一見冷ややかに聞こえた彼の物言いの中には、その実それと裏返しの、本当の期待と愛情が込められていたことになる。 ――血統的には長いところも向くはずで、あとは気性面での勉強だけですから。
 ――二才で終わってしまって、いい馬じゃないですから。これだけの素質の馬、大成して欲しいですから。
 ――まあ馬も騎手も、これからまだまだ勉強ですよ。ははは。
 そうだった。早熟と目された馬なら、後先のことは考えず、まだ勝てる二才のうちに、使いづめに使われていく。そのようにして賞金を稼ぐのが、競馬の経済学なのだ。だが今この騎手は、まさにそんなやり方に対して、否を叫んでいるのだ。否。この馬に関しては、そのような道は歩ませたくない。もっとじっくり、大きく育てていきたいのだ、と。

 そして彼の言う「馬と騎手との勉強」は、まさに今日のこの勝利の瞬間から、もうすでに始まっているらしかった。
 そしてまた、この私もどういう成り行きか、彼らの勉強に最後まで付き合うことになった。
 この日初めて、スクリーンの中で出会った馬。そしてその走りに、不思議な感動を覚えた馬。その馬の「その後」のことを、この私もまた、見守らずにはいられなかったのだ。……

     2

 本当に、それ以来私は、ダイタクミサイル号の走るすべてのレースを追っ掛けた。
 当然、関西のレースを、直接見ることはできない。その代わりに、テレビの中継がある時にはテレビで、そうでないときにはスポーツ新聞の記事で、というように。

 もちろん自分自身も、もう気が付いていた。私があの馬の姿に、そうまで引き付けられるのは、そこに私がある種の暗示を、見出していたからにほかならない。
 あの初めての出会いの日に、私がそのレースぶりに異常なまでの反応を示したのも。直後の騎手のインタビューに、逐一うなずいたのも。そしてまたその後の成り行きについて、これほどまでに気掛かりなのも。そのどの場合にも、すべてが自分と、あまりにもよく似ているように思えたのだ。自分の置かれた今の状況と、確かに共鳴するものが、そこにはあると感じられた。
 それはけっして、珍しい心理ではない。スポーツに人生をたぶらせ、競技場を駆け巡るものたちに、我が身をなぞらえるのは、誰にでもありがちなことだったろう。ただ私の場合には、たまたまその対象に選ばれたのが、健気にひた走る一頭のサラブレットだった、ということなのだ。

 あの頃の私の置かれた状況。昨日までの激しい戦いに敗れて、平和の街に立ち戻った自分。そこで始まった新しい暮らしに馴染み、新しい生き方を覚えなければならなかった自分。
 そうだった。だとしたら、すべては私の場合と、あまりにもよく似ている。
 あの初めの日、レースをひた走っていたダイタクミサイルの姿は、昨日までの戦う私そのものだった。そしてまた、これから新しい競馬を学ばなければならない、そんな彼の課題もまた、私の場合とあまりにもそっくりだった。……

     *

 あの頃の私の置かれた状況。昨日までの激しい戦いに敗れて、平和の街に立ち戻った自分。そこで始まった新しい暮らしに馴染み、新しい生き方を覚えなければならなかった自分。かい摘まんで言えば、確かにそれは、そういうことになる。
 昨日までの激しい戦いに敗れて、――もちろんこの太平の世の中のどこかに、実際の戦争が行われている、というわけではない。だが何も、大砲が火を吹き、血が流れるだけが戦争ではないのだ。目には見えないどこかで、それでも人生の戦士たちの戦いは、着実に行われている。誰しもきっと、一度は身を投じる人生の戦い。その多くは敗れていき、ある者は命さえ落としていく。それは実際の戦争に、少しも劣らないほど苛烈な戦いだっだ。そして私もまた、そんな人生の戦いに敗れて、帰還したのだ。

 私の場合の、「戦い」とは一体、どのようなものであったのか。 その詳細はあまりにも個人的すぎて、今ではもう、語るに値しない事柄のように思える。
 ただきっと、私は誰とも同じように戦い、そして誰とも同じように敗れたのだ。
 そして敗残の兵の前に、東京の街は実に不思議な姿で、そこにあった。誰一人不安の影に怯えることもない、安穏の地。そこには永遠のバカンスが支配していた。はてしない遊惰と逸楽。極楽蜻蛉の住民が繰り広げる、祭りのような毎日。サッカーの応援団。デパートのバーゲンセール。街頭にまで流れ出す夥しい音楽。
 そんな光景を目の当たりにして、戦士の心が訝るのだった。本当にすべては、昨日までとあまりにも違っている。昨日までの、あのせわしない時の流れ。銃声に追われ、戦に駆られて、足早に渡り歩く日々。――そんなものは、ここにはもう少しもない。ここでは時間は、限りなくスローに流れる。不思議な微風のような、時間のリズム。いや本当に、ここでは時は、少しも流れていないのかもしれない。
 記憶の中の時間と、目の前の時間の齟齬。言い知れぬ違和感が、帰還の兵を悩ませた。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか?―――そしてこの私は、行かなくてもいいのか?

 だがもちろん、そんな齟齬の時代は、いつまでも続きはしない。 人は誰しも、学ぶものだ。否。生き続けるためには、学ばねばならないのだ。
 私もまた、やがて学ぶことを始めた。こうして訪れた新しい暮らしに馴染み、新しい時間と折り合うための、努力を始めたのだ。
 私もまたとりあえず、それを生きてみた。新しい生の只中に飛び込んで、彼らのしきたりのすべてをまねび、その流儀にも従ったのだ。彼らと同じように歌い、笑い、そして。……
 そうするうちに、頭より先にまず体のほうが、ワインに浸したパンのように否応なく、それを覚え込んでいくだろうと期待しながら。 目の前で極楽蜻蛉の男女が繰り広げる、祭りのような毎日。おめでたい乱痴気騒ぎ。この私自身もまた、そんな宴に連なった。銃声のフラッシュバックや、幾度も目覚める悪夢にときにはうなされながらも、ひたすら素性を押し隠し、彼らと同じように歌い、笑い、そして。……

 競馬場に入り浸るようになったのも、やはりまた、そのころであった。
 なにしろこの安穏の街では、それが当節のはやりだったのだ。そのうえ私はまた、鉄火場の空気に染み付いた殺伐の匂いにも、どこか惹かれていたのかもしれない。
 そしてたまたま、そこで出会った一頭の馬が、あまりにも自分自身の姿に似ていた、というわけだ。

     *

 それがあの頃の、私の状況だった。
 だとしたら、そんないきさつで出会ったあの馬の姿に、私が惹かれていったのも、自然の成り行きだったろう。
 そうだった。あの馬が今しも、学ぼうとしていること。競争馬として大成するための、気性面での勉強。短距離専門の、スピード任せの走りではなく、中距離を乗り切るための、折り合いを付けること。引くところは引く、大人のレース運びを覚えること――すべては自分の場合と、あまりにもよく似ている。勝利を目指して突っ走るような、人生の戦いをやめて、安穏の街の澱んだ時間に馴染もうともがく、自分の場合とあまりにもよく似ている。……

     3

 本当に、それ以来私は、ダイタクミサイル号の走るすべてのレースを追っ掛けた。
 だがしかし、私がそこに見るものは、もうかつてのような勝利の場面ではなかった。

 何とそれは、惨敗に次ぐ惨敗。――単に成績柱の、着順の数字だけを見た者なら、三連勝で函館二才ステークスを制したヒーローの、そんな突然の変調ぶりに驚いただろう。
 だがしかし、現実のレース振りを知っている私には、その敗北が必ずしも意外ではないのだった。
 それはそうだろう。何しろあいつときたらレースの間中、始終頭を上げ、いやいやをし、左へ右へとよれてばかり、とても走りに集中できるような状態ではないのだ。騎手の方もまた、馬をなだめて折り合いをつけるのが精一杯で、時には振り落とされそうにすらなるのだから、初めから勝ち負けなど期待できようはずはなかった。 そんな騎手の手綱さばきに、心ないファンは容赦なく罵声を浴びせた。あの馬のかつての勇姿を知る者には、そんな不可解なレースぶりは、到底納得できるものではなかったのだ。
 だがしかし、あのときの私には、目の前で行われていることの意味が、もうすでにわかっていたのだ。
 ――それでいいんだ。馬も騎手もまだ勉強中なんだから、それでいいんだ。
 そうだった。あれはけっして、騎手の乗り違いなどではない。ああして馬と必死に格闘しながら、新しい、もっとずっと堅実な競馬のスタイルを、教えようとしているのだ。……
 もちろん今まで通り、馬の行く気に任せて突っ走ってしまえば、とりあえずのレースは逃げ切ることができるだろうし、馬券を取ったファンも喝采するだろう。だがそんな、子供染みた乗り方をいつまでも続けていては、何の将来性もない。やがて必ず行き詰まる日が来て、スピードだけの早熟馬ということで終わってしまう。
 今はただ、目先の勝利にこだわらずに、勉強をすること。先頭に踊り出て、一気に走り抜けるようなレースではなく、馬ごみの中でじっと我慢して、折り合いを付ける。スタート直後から全力を出し切ってはいけない。できるかぎりパワーを温存して、レースの後半に賭けるのだ。中団から差すこと。あるいは後方から、追い込みさえする。そんな「大人の」競馬のパターンを、たとえ何度試行錯誤を繰り返してでも、あの馬に教え込んでいかなければならない。

 だがしかし、それにしてもこの馬の飲み込みの悪さは、天下一品だった。普通の馬だったら、二度三度「押さえる」レースを経験すれば、自然とそのこつを体得していくものなのに、あの難物はいつまでたっても一向に進歩しようとしないのだ。惨敗に次ぐ惨敗。あいつのレースを片っ端から追い掛ける私が、相変わらず画面の中に見出だすのは、判で押したようなあの姿――始終頭を上げ、いやいやをし、左へ右へとよれまくる利かん坊のダイタクミサイルなのだ。 だとしたら、スピードに関してはあれほど卓越していたダイタクミサイルが、この折り合いという点に関しては、何と極めつけの劣等生だったのだ。……
 そのことを知らされた私の心中は、嘆きというよりもむしろ、不思議ないとおしさに満ちていた。それはきっとあの、「出来の悪い子ほど可愛い」と言われる心理だった。そうだった。体育の授業ではあれほど溌刺としていた少年が、算数の問題を前にして、鉛筆を噛んだまま頭を抱え込んでいる。――そんな姿には確かに、えもいわれぬ愛嬌がある。
 もちろん、そんなときの私もまた、画面の中の彼と自分自身とを、置き換えて笑っているのだ。本当にすべては、自分の場合とあまりにもよく似ている。勝利を目指して突っ走るような、人生の戦いに見切りを付けた自分。新しい間怠い時間と、「折り合いを付け」ようとする自分。そして思うに任せず、もがく自分。――そんな自分の場合と、すべてはあまりにもよく似ている。
 深刻なはずの人生の問題さえ、そうして一頭のやんちゃな悍馬に、なぞらえてしまうこと。そんなカリカチュアの軽妙さには、確かに不思議なまでの愉快があった。……

   *

 とりわけ難題は、「スローペース」というやつらしかった。
 そうだった。どの馬もそこそこのスピードで走るような、ごく普通のペースなら、ダイタクミサイル号も馬群の中に折り合って、流れに乗ることができるのだ。
 ところがいったんペースが緩んでしまうと、もういけない。周囲の馬がパワーをセーブして、じっと後半に備えているときに、ダイタクミサイル号だけは騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがき始めるのだ。
 だとしたら、この「スローペース」という言葉こそ、すべてを解き明かす鍵なのかもしれない。……

 スローペース。――そもそもが、速さ比べのスポーツの中で、どうしてこんな不思議な現象が生じるのか?
 もちろん長距離のレースが、スローペースに落ち着くのは当然だった。もしそこで、無茶なペースで走ってしまっては、たちまちスタミナ切れを起こしてしまうだろう。だがしかし、話はそれほど単純ではない。たとえそれが中距離でも、いや短距離の場合ですら、しばしばレースはスローに流れる。一マイルくらいなら、全力で駆け抜けられそうなものなのに、どの馬もまるで勝つ意志などないかのように、楽をして回っている。

 まるで勝つ意志などないかのように? 否。もちろん、それは違う。レースに出るからには、誰だって勝つつもりなのだ。だがしかし、同時に誰もが、ハイペースよりはむしろスローペースで、勝ちたいと思っているのだ。
 それが競馬というものの、厄介な部分だった。奇妙に聞こえるかもしれないが、もしそれで勝てるものなら、レースのペースは遅ければ遅いほどよいのだ。――もちろんハイペースを乗り切って、レコードか何かで走破すれば、見た目は華やかだろう。マスコミもまた、やんやと喝采するにちがいない。だがそれは、あくまでが素人の発想だった。馬を走らせる玄人の側に立てば、間違いなく、同じ勝つならタイムは遅ければ遅いほどよい。
 なぜならば? なぜならば競馬は、タイムをではなく、最先着を競いあうスポーツだからだ。
 例えばある馬が、2000メートルを2分の好タイムで走る。だがその同じレースで、たったカンマ1秒でも先着した馬がいたとすれば、その馬の奮闘には何の意味もなくなるのだ。その逆に、2000メートルを走るのに2分10秒掛かったとしても、その同じレースの中で最先着であれば、その馬が勝ち馬となる。競馬は確かに速さ比べだが、比べられるのはその馬の絶対的な速さではなく、目の前のそのレースの中だけの、相対的な速さである。したがって前者の馬の2分よりも、後者の馬の2分10秒の方に価値があるという、逆説の世界が生まれるわけだ。
 だとしたら同じ勝つなら、タイムは遅ければ遅いほどよい。楽をしてレースに勝つことができて、その結果多額の賞金が転がり込むなら、それに越したことはないのだ。

     *

 それが走る側の――走らせる側の論理だった。
 それは我々ファンの――見る側の論理とは違う。
 ファンのイメージし、期待する競馬の姿は、常にトップギアで疾走し、能力の極限を競うようなタイムレースだろう。もちろんそんな、ファンの気持ちに応えることも、不可能ではない。持てる力の百パーセントを常にレースに注ぎ込み、完全燃焼する。いや、それどころではない。馬にも人間と同じように、「火事場の馬鹿力」のようなものがあり、ときには百二十パーセントの力を発揮することだってありうるのだ。そうしてすべての馬が究極の力をぶつけあえば、最も見応えのあるレースが繰り広げられるだろう。そしてその中での勝者には、最も輝かしい栄冠が与えられるだろう。
 だが一体、その後はどうなるのだろう? 百二十パーセントの力を振り絞ったとしたら、その付けは必ず、回ってこないはずはない。おそろしい反動が、きっと待ち受けている。命懸けの勝ち戦の後に残されるのは、精も根も尽き果てた満身創痍の体、凱旋の軍服に包まれた、いわば英雄の抜け殻なのだ。

 そんな過酷なレースの繰り返しによって、競争馬としての生命は確実に縮んでいく。いや、引退ならまだしもなのだ。過酷なレースの最中に故障して、命すら失った例だって枚挙に暇がない。そんなことは馬自身も、関係者も、そしておそらくはファンだって、けっして望むところではないだろう。
 細く長く――それこそがサラブレッドの生に課せられた、不変の鉄則だった。もちろん死力を尽くして戦うことだって、ないわけではない。一生に一度の晴れ舞台。ダービー。天皇賞。有馬記念。そんな最大の栄誉が賭けられている場面では、後先を考えずに燃え尽きることだってあるのだ。だがそんな、とっておきの祭典を除くなら、それはそうではない。ごく普通の、ありきたりレースでは、常に次のレース、さらにその次のレースのことを、――ひいては引退して種牡馬になった後までを考慮に入れながら、騎乗されているのだ。いわばサラブレッドは、どの瞬間を取っても、けっしてその刹那刹那を生きているのではない。いつでもその生涯の、トータルの中を生きているような仕組みが、そこにはあるのだ。

 大切なサラブレッドを損なうような、厳しいレースは極力避けたい。馬を預かる騎手の間には、いつでもそんな、黙契のようなものがある。だから例えば2400メートルのレースなら、初めの1000メートルは大抵スローに流れるのだ。少なくとも有力どころの馬たちは、互いに牽制しあいながら、ゆっくりと一団になって前半をしのぐ。そしてあと残り1000メートル、あるいはあと残り500メートルとなったあたりから、お互い相手の動きを探りながら、ようやく全力でスパートを始める。
 いわば騎手相互のそんな取り引きによって、2400メートルのレースが、実質1000メートルのレースに化けるのだ。その結果、勝っても負けても、過重な負担で馬を痛めてしまうこともなくなる。 そのようなレース運びを、馴れ合いとか、手抜きとか呼ぶとしたら、それはスポーツの営みに対する、重大な誤解である。スポーツであるからには、それは遊戯である。遊戯であるからには、そのルールがあり、ルールの下でのあらゆる戦術が許されるのだ。ルールにのっとって巧み、計り、出し抜きあう――その中ではもちろん、時には睦み、示し合わせることだってある。それこそがスポーツの持つ、ゲーム性というものなのだ。
 ルール無用の死闘だとか、命懸けの戦いだとかいうものは、けっしてスポーツではない。例えばボクシングの試合の、三分ごとの休息。あれもまた、選手同志が命を削り合うことを、防ぐためのルールに他ならない。だがしかし、そのことを手抜きと非難する者はいないだろう。そうなのだ。ただのなぐりあいなら、それはボクシングではない、けっしてスポーツと呼びうる代物にはならないのだ。……同様にして、クリンチもけっして卑劣ではない、立派な戦術だった。ディフェンスもまた、けっして消極策とは違う。
 競馬だって、またそうだった。ただ突っ走って、完全燃焼するだけが、競馬ではない。競馬には競馬のルールがあり、そのルールの下で、無数の戦術の組み合わせがある。その組み合わせの中から、最も有効なものを選び取って、最短距離の勝利を競い合う。それが競馬という遊戯の、本質なのだ。
 そしてたまたま、現在の馬たちの――騎手たちのほとんどが好んで用いるのが、あのスローペースという戦術だ、というだけなのだ。

     4

 細く長く。スローペース。本当に、それこそがすべてを、解き明す鍵なのだ。

 もちろんそんなやり方を、否もうとする馬もいる。
 周囲の馬がスローペースの流れに乗って、じっと後半に備えているときに、ダイタクミサイル号だけは騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがき始める。
 そんなとき、怪訝そうにあたりを見回すダイタクミサイルの、心の呟きが聞こえてくるようだ。この馬たちは、何をいつまでも、じゃれあっているのだろう。なぜまるで、勝つ意志などないかのように、気楽なキャンターで回っているのだろう。彼らは行かなくていいのか。駆けなくてもいいのか――そしてこの自分は、行かなくてもいいのか?
 もちろんそれは、ひとりダイタクミサイルだけの話ではない。同じような仲間の例は、いくらもあった。
 彗星のように速い馬。レコードで走る馬。そして三才を過ぎたあたりから、いつのまにか姿を消してしまう馬。……
 もちろん本当の、馬の気持ちはわからない。だがそんな彼らは、あたかも太く短い、打ち上げ花火のような華々しさに、栄光が潜んでいると、思い込んでいるようにも見える。

 もちろんそれは、そうではないのだ。確かに彼らの鮮烈な姿は、人々の記憶に残るだろう。レコード表の片隅に、その名前も残るかもしれない。だが「名馬」という最高の呼称が、その上に冠されることは、けっしてない。
 名馬と呼ばれる馬たちは、いつも違っていた。
 三才、四才、五才と、細く長く生きながら、数々の勲章を帯びた馬。中距離の大レースを、着実に勝った馬。種牡馬となって、優れた子孫を残す馬。そんな馬たちこそが、現代の名馬たるに相応しいのだ。
 とりあえずの勝利を目指して、全力疾走すること。そして燃え尽きること。そんな「太く短く」の行き先には、彼の考えるような・「栄光」などありはしない。そもそも「栄光」などという幻は、初めからどこにもないのか、たとえあったとしても、それは彼とはまったく逆の――細くて長い、実り豊かな生涯の中に、潜んでいるにちがいない。
 そのことを私たちは彼らに――あのダイタクミサイルに、教えていかなければならないのだ。

     *

 細く長く。スローペース。確かにそれは、すべてを解き明かす鍵だ。それこそが現在の馬たちの――騎手たちのほとんどが用いる、戦術なのだ。

 そしてそれは、単に競馬だけにとどまらない。
 このスローペースという言葉こそ、本当に今の時代のすべてを、解き明かす鍵なのだ。
 なぜならばそれは、時代を生きるあらゆるものたちが用いる戦術、――その選び取った生き様だからだ。

 そうだった。人生にだってやはり、二通りの生き方がある。息が詰まるような稠密な時間を、一気に突っ切るハイペースの人生。間怠い伸び切った時間を、のんびりと過ごすスローペースの人生。一体そのどちらが異常で、どちらが正常なのか。――否。そんなことは、どうでもよかった。少なくとも一つだけ明らかなことは、今のこの時代には、誰もが後者を選ぶ、ということだった。
 確かに遠い昔には、そうでない時代もあったのかもしれない。例えば軍帽を目深に被り、彼らの信じた大義のために、南の空に散った若者たち――だがしかし、時代は移っている。時代は変わったのだ。今のこの、浮かれ切った太平の時代には、ごろ寝しながら缶ビールを飲むような、休日の風景だけが似合うのだ。……

 もちろんそんな生き方を、否もうとする者もいる。
 安穏の街のどこかの片隅で、たった一人で、人生の戦いを戦う者。「大義」と呼ばれた何かのために、絶えず追い立てられて生きる者。幸福も安息も犠牲にして、ひたすら勝利を求めて突っ走る者。
 周囲の呑気な仲間を見回しながら、彼はいつでも怪訝そうに呟くのだ。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか?
 だがもちろん、そんな彼のやり口は、あまりにも大時代だ。――身も心もぼろぼろに磨り減らす、ハイペースの人生。その結果が勝利なら、まだしもだった。そうしてすべてを犠牲にして戦った後の、敗北の空虚は何と救いがたいことだろう! とてつもなく残酷な、容赦のないゲームの結末。そしてそんな危うさは、本当にあまりにも大時代、今のこのソフトな世の中には、少しも似合いはしないのだ。……

 彼はあたかも、そんな「太く短く」の行き先に、栄光が潜んでいる、と思い込んでいるようだ。だがしかし、それはそうではないのだ。栄光などというものは、しょせんは中毒患者の幻覚のようなもの、その最中にはいかに輝かしく見えようとも、覚めてしまえば、すべては悪い夢と知らされるのだ。
 そうなのだ。栄光などというものは、初めからどこにもありはしない、陽炎のような存在だった。否。もしそれが本当にあるとしても、それは彼の考えるものとは違う。ひょっとしたら、それとはまったく逆のところに、潜んでいるのかもしれない。
 それは細くて長い、スローペースの人生。健康に、長生きをして、少しずつの仕事こなし、子孫をもうけ、そして。……もちろんそんな凡庸な暮らしには、何の意味もないように見える。周囲の呑気な仲間を見回しながら、彼はいつでも怪訝そうに呟くのだ。あれは一体、何のための人生なのか? 一体何を目指して、ああして生き続けているのか? だがそれは、単に彼の方が、知らないだけなのかもしれない。一つ一つは些細と思えるそれらの事柄も、やがて積み重なって全貌が見えたときには、この世のものならぬ光輝を帯びているのかもしれない。そしてそれこそが、ひょっとしたら彼があれほどまでに追い求めていた、「栄光」なのかもしれない。……
 そのことを私は彼に――否、この自分自身に、言い聞かせなければならないのだ。

     *

 細く長く、――そうだった。それはひとりサラブレッドだけではない、生きとし生けるものすべてに課せられた、鉄則なのにちがいない。
 私はもう一度、あの例の、騎手のインタビューを思い出す。
 ――レースはこれで終りじゃないですから。まだまだ先がありますから。
 ――二才で終わってしまって、いい馬じゃないですから。これだけの素質の馬、大成して欲しいですから。
 そしてまた、自分の人生だって、まだまだ先は長いのだ。だとしたら、やはりそれも、がむしゃらに突っ走って、燃え尽きるようなやり方では、きっといけないのだ。
 私もまた、今の刹那をではなく、生涯のトータルの中を生きている。だとしたら今はただ、馬ごみの中でじっと我慢して、折り合いを付けるべきなのだ。目先の勝利に逸らずに、できるかぎりパワーを温存して、後半に備えるのだ。そうなのだ。同じレースを走るなら、ペースは遅ければ遅いほどよい。――

     5

 細く長く。スローペース。本当に、それこそが現在の時代を生き抜く、最高の方策なのだ。
 のみならずそんな生き方の中には、ひょっとしたら私たちのまだ見知らぬ栄光が、潜んでいるのかもしれない。
 そしてそのことを、私はダイタクミサイルに――そして他ならぬこの私自身にも、教え込んでいかなければならないのだ。

 ブラウン管の向こうでは、あの例の、馬と騎手との二人三脚の勉強が続いている。ダイタクミサイル号が、スローペースの馬群の中で、いかに折り合いを付け、新しいレース運びを覚えるか。……
 そしてまた、彼らの奮闘の逐一を見守り、応援する私には、私自身の人生の勉強があった。安穏の街の澱んだ時間に、いかに馴染み、いかに新しい生き方を覚えるか。……
 もちろんそんな、彼らと私の姿は、いつしか重なり合っていく。そのようにして、少なくとも私の心の中では、いわば馬と騎手とファンとが一心同体になった、三人四脚の奮闘が続いていたのだ。

     *

 十月。十一月。十二月。そのようにして、私たちの悪戦苦闘が続いた。

 スピードに関してはあれほど卓越していたダイタクミサイルも、この折り合いという点では、極めつけの劣等生だった。レースの間中、始終頭を上げ、いやいやをし、左へ右へとよれまくる。――
 そんなとき、怪訝そうにあたりを見回すダイタクミサイルの、心の呟きが聞こえてくるようだ。この馬たちは、何をいつまでもじゃれあっているのだろう。なぜまるで、勝つ意志などないかのように、気楽なキャンターで回っているのだろう。彼らは行かなくていいのか。駆けなくてもいいのか――そしてこの自分は、行かなくてもいいのか?

 そしてどうやら、この私もまたその点では、必ずしも優等生とは言えないようだった。
 本当に時折――まるで間歇泉のように、私の内部にあの旧い熱狂が蘇る。
 それまでは誰とも同じように、飲み、歌い、笑っていた自分。
 だがそんなとき、まるで頭は忘れていても、体が昔のことを覚えていたというかのように、突然血が騒ぎ出すのだ。
 酒場で飲んでいる最中に、急に目の焦点が合わなくなって、どこにもありはしない、遠い原野を見詰め出す。
 安眠の床から、何かに驚いたかのように、急にかばりと起き上がる。もうとっくに、とっくに戦いなんか終わったのに。
 そんなとき、言い知れぬ違和感が帰還の兵を悩ませる。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか?――そしてこの私は、行かなくてもいいのか? 
 そうなのだ。本当にそんなとき、冷え掛けていた心のおきに、再び火が点る。あのわけのわからない野心が、またしても取り憑いて「安息に背を向けよ」「戦いに赴け」と私を唆すのだ。……
 自分自身のそんな情念を――心の中に猛る奔馬を、御しかねてもがく。そんな私の図たるや、ブラウン管の中の馬と騎手との有様に、確かに笑止なまでにそっくりだった。……

     *

 十月。十一月。十二月。私たちの、悪戦苦闘が続いた。

 そうこうするうちに、はや年も改まる。
 そのころには競馬の世界でも、明け三才となった若駒たちの争いが、ますます熾烈を極めた。
 次々と新しいヒーローが登場しては、その名を轟かす。
 そしてそのレース振りもまた、大人びたものになっていた。あるものは、馬群を縫うように抜け出して見る者を驚かし、またあるものは、豪快な追い込みで酔わせた。だが私のダイタクミサイルは?――私がテレビの画面の中に見出だすのは、相変わらず騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがく彼の姿なのだ。少なくとも表面上は、何の進歩の後も見られない。騎手の必死の訓練も甲斐なく、あまりにも飲み込みの悪い劣等生。……

 そしてこの私も――否。このころになると、私の方には、ある変化が兆し始める。
 それは不思議な、心の清穏のようなもの。もちろん時折、心が燃え立つことはある。だがその「時折り」が、次第次第に間遠になる。そして私には、圧倒的な予感でわかっていた。「時折り」が次第に間遠になり、それはやがて、まったく消え失せてしまうだろう。起床喇叭の鳴り響かぬ朝の目覚めにも、やがてすっかり馴染み、私もまたこの安穏の街の、極楽蜻蛉の住民になりきるだろう。銃声のフラッシュバックさえ、他愛ない悪夢と受け流すことができるようになる。……
 そしてまた、それも当然だった。なにしろもう、私が戦うことをやめてから、一年近くの時が経とうとしていた。そういつまでも、過去の亡霊に取り憑かれて、戦士気取りでいるわけにはいかないのだ。
 そのうえおそらく、あの馬との出会いもまた、私の変身を手伝っていただろう。そうだった。ブラウン管の向こうの、一頭の悍馬。その姿の上に、自分自身の生き様をなぞらえること。私がいつしか馴染みきった、そんな戯画のパターンに従えば、時折自分の心に蘇る狂おしい情念すら、取るに足らない荒馬の癇性として、笑い飛ばすことができるように思えた。
 そうなのだ。テレビの画面の向こうの、一頭のサラブレッドの上に投影された、自分の姿。人生のてんやわんやを、そうして他人事のように遠目に眺めることで、確かにすべての懊悩は乗り越えられるのだ。……

 私の内部に兆し始めた、そんな変化。そして確かに、私は圧倒的な予感でわかっていた。これはけっして、兆しのままでは終わらないだろう。やがてまもなく、戦士たちの学習と、リハビリの日々が完結する。そのときそこには、誰とも同じように飲み、歌い、笑う、ごく当たり前の一人の小市民が、出来上がっているだろう。
 だとしたら、あとは馬を待つばかりだった。そうだった。私はそれを、待たなければならない。自分を馬になぞらえるという、あの例の戯画に馴染むうちに、もはやあの頃の自分にとって、ダイタクミサイルは一心同体の存在として感じられていた。新しい生き様を学ぶための、私と馬の二人三脚の勉強。だとしたらそんな二人三脚の、右足だけが先走ることは不可能だった。一歩だけ先んじたら、それは左足の追い付くのを、じっと待ち続けなくてはならない。
 もちろん、私がテレビの画面の中に見出だすのは、相変わらず騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがく彼の姿なのだ。だがしかし、思えばダイタクミサイルの勉強は、つい半年前に始まったばかりだった。今はまだ何の成果も見えないとしても、あと一月、二月と経つうちに、必ず努力が実を結ぶだろう。そのときには、ちょうど私の後を追うように、ダイタクミサイルの勉強も完結するのだ。 だとしたら、私はそれを、待たなければならない。

     *

 一月。二月。三月。私は待ち続けた。
 幾度裏切られても辛抱強く、ダイタクミサイルの走るすべてのレースを、追っ掛け続ける。
 今はまだ何の成果も見えないとしても、やがて必ず、努力は実を結ぶだろう。そのときこそ、私の学習と彼の学習が、ふたつとも同時に完成するのだ。……

 テレビの画面の向こうでは、少しも進歩を見せない彼の、レースにならないレースが続いている。
 このころになると、ダイタクミサイルの単勝オッズは、十倍、二十倍と跳ね上がっていく。何よりもそのことが、かつての勇姿が、忘れられたことを物語っているのだ。当初はその不振を暖かく見守っていたファンも、さすがに見限った、というわけだ。そしてそれもまた、あまりにも当然のことなのだ。
 だがしかし、この私だけは、見放すわけにはいかないのだ。たとえオッズが百倍、二百倍に跳ね上がり、もう誰も彼には見向きもしなくなったとしても、私だけは追い続けなければならない。なぜなら今や、ダイタクミサイルは私の分身であり、その新しいレース振りを見届けないかぎり、私自身の新しい「生のありかた」もまた、完成しないように感じられたからだ。

   6

 そうこうするうちに、はや四月となり、競馬はクラシックのシーズンに突入していた。
 それは本当に、特別な季節だっだ。日陰者のはずのギャンブルの話題が、この季節だけは公然と語られる。さしたる関心はないはずのにわかファンが、この季節だけは競馬場を埋め尽くし、お馴染の鉄火場の光景を、華やかな一大ぺージェントに演出してしまう。そしてそんな、特別な風にあおられたかのように、競馬にどっぷりつかった常連たちの胸も、また不思議な予感にときめくのだ。
 それはあの甘い、甘い勝利への予感。――
 もちろんそんな期待に、何か特別な根拠があるわけではない。すべては不合理な、笑うべきミスティシズム。だがおそらく、そんな健気な信心のないところでは、そもそもギャンブルなんて、成立しないにちがいない。……

 そしてあの頃、私の胸もまた、同じような予感に踊っていた。
 もちろん私の場合、期していたものは、単なる馬券の収支ではなかった。
 私たちの悪戦苦闘の学習が、ついに実を結ぶだろう。ちょうど私の後を追うように、私の分身であるダイタクミサイルも、まもなく新しい、大人の競馬を身に付ける。そのうえひょっとしたら、そんな彼の努力の成果が披露されるのは、まさしくクラシックの、晴れ舞台の上になるのかもしれない。――そんな予感とも、期待ともつかぬものが、私の胸を踊らせていたのだ。

     *

 そうだった。
 時は四月。
 そんな嬉しい予感で私の――すべての競馬ファンの胸を高鳴らせながら、クラシックのシーズンも、すでにたけなわを迎えていた。
 ここ数日、巷は先週の桜花賞の、大穴の話題で持ち切りだった。 話のやりとりは、自然と今週の、皐月賞のことに移っていく。めいめいが、自分の考える有力馬を披露しあう。だがしかし、そこでもやはり、ダイタクミサイルの名前が聞かれることはない。……
 もちろん出走予定の登録馬の中に、ダイタクミサイルがいることは、誰もがわかっていた。だがしかし、大敗続きのいにしえのヒーローを、いまだに追い続けている人間が、私のほかにあろうはずもないのだ。

 そのうえこの私も、またそうだった。どんなに水を向けられても、ありきたりの人気馬の名前を上げてお茶を濁すだけで、あのことはけっして口にしはしない。
 そうなのだ。神秘が神秘でいられるのは、ただそれが、私たちの心の中にあるときだけだった。言葉にされた途端に、それはただの、軽口ということで終わってしまう。
 その逆に、宝石箱の蓋が閉ざされているかぎり、神秘は無限にその値打ちを増していく。そこに秘められたものが、本当はダイヤであるのかガラス玉であるのかは、少しも問題ではないのだ。

 だからこそ、私もまた、けっしてそれを口にしない。ただただ誰にも知られぬ心の奥で、胸を高鳴らせながら、私は待っていた。

     *

 ただただ胸を高鳴らせながら、私は待っていた。
 おそらくそんなとき、あの例の「二者択一」の論法が、私たちを謀っているのだ。

 私たちが日常に馴染んできた、二者択一の論理。それを目の前の事態に当てはめたなら、次のようになるはずだった。
 ダイタクミサイルの半年に及ぶ努力が、最後の土壇場でむくわれて、クラシックの栄冠を勝ち得るか。
 それとも逆に、半年の努力がそれでもむくわれずに、最後にもう一度みじめな敗退を繰り返すか。
 もちろんそのこと自体は、必ずしも誤りではない。確かにそれは、二者択一なのかもしれなかった。だがしかし、それにもかかわらず、そこにはやはり、重大な錯覚が潜んでいるのだ。

 確かにそれは、二者択一かもしれない。だがその「二者」は元来、同等の確率で選ばれるものではないのだ。実際には後者の、つまり敗北の起こる可能性が圧倒的で、前者の勝利が起こる場合は、ほんの万分の一にすぎない。
 だがしかし、「二者択一」の発想に馴染みすぎるうちに、いつしか私たちは、両者が五分五分の重みを担っているかのように、錯覚し始める。そうなのだ。勝つか、負けるか、二つに一つしかないとしたら、勝利の確率はきっと五分であるにちがいない。……
 それは単に、「勝利」の場合ばかりではない。「奇蹟」ですら、またそうなのだ。奇蹟が「起きるか」「起こらないか」。そんな二者択一の論法を用いているうちに、ここでもまた私たちは、いつしかそれが奇蹟であることも忘れて、待ち焦がれ始める。……

     *

 そのうえ二者択一の論理には、もう一つの、もっとずっとおぞましい落とし穴があった。
 起こるか、起こらないか。裏か、表か。勝つか、負けるか。――そんな単純な仕分けの枠組みで、物事を捕らえることに慣れ切ってしまうと、いつしかそのどちらでもない可能性を、吟味する努力を忘れてしまう。
 裏か、表か? だがしかし、コインが立ってしまうような場合は、本当にありえないのだろうか? あるいは、コインが掌からこぼれてしまったとしても、やはり勝負はご破算になるのではないのか? そしてそんなどちらでもない、第三の可能性が、実際に起きたのだ。

 勝利とも、敗北とも違う、もう一つの選択肢。
 私自身がやがて知らされた、尻切れ蜻蛉の物語の結末。――
 そんなあるべからざる成り行きを、一体誰が予想しえただろう。 そうだった。宝籤を買えば、当たるか外れるか、筋書きはその二つしかないはずだった。
 だがしかし、例えば籤を失くしてしまうような、不条理な脱線があったとしたら?

 そしてそんなあっけない幕切れが、実際に起きたのだ。
 もちろん競馬にも、引き分けはなかった。勝つか負けるか、二つに一つだった。だがその勝利が、あるいは敗北が、あるはずもない形でもたらされたのだとしたら、やはりそれはそのどちらでもない、第三の可能性が起きたことになるのだ。……

     7

 その数日は珍しく、多忙な日が続いていた。

 週の半ばあたりから、相次いで急な仕事が飛び込んできた。
 普通なら週末が近付くと、仕事など上の空になってしまうものなのに、その週は逆に競馬どころではなくなり、クラシックのこともいつのまにやら、どこか心の片隅に追いやられ、失念された。
 だがおそらく、それでよかったのだ。いかに多用とは言え、日曜日だけは、完全にフリーになれるのだ。土曜日も遅くまで仕事で、その夜は倒れるように眠りこけたとしても、朝には昨日までとははっきり違った、くつろぎの一日が待ち受けている。そんなやりかたのほうが、かえって新鮮な気分で、休日を迎えられるものなのだ。 そして競馬のことについても、それは同じだった。クラシックという晴れやかなレースなら、そうして迎えられた特別誂えの時間こそが、きっともっとも相応しいにちがいないのだ。……

 あの日もまた、そんな日曜日になろうとしていた。
 土曜日は遅くまで仕事で、その夜は倒れるように眠りこける。
 だが深い眠りは、必ずしも長い眠りとは違う。明くる朝には、嬉しい日の予感のようなものに揺り起こされて、たいていは驚くほど早く目が覚めてしまうのだ。
 そのくせそんな短い眠りの後でも、身も心も不思議なほど疲労を拭われ、純白の気分で今日のこの日を迎えることができるのだ。

 あの日もまた、そんな日曜日になろうとしていた。
 倒れるように眠りこけた朝、嬉しい日の予感のようなものに揺り起こされて、驚くほど早く目が覚めた。
 だがしかし、今日は休日なのだ。けっして普段の日のように、気忙しく身仕度などをしてはいけない。
 顔だけをさっと洗ったら、そのままのトレーナー姿で、ぶらりとコンビニヘ出掛ける。そうして買って帰った競馬新聞を食卓に広げて、朝食のトーストなどを頬張りながら、のんびりたった一人の検討会を開くのだ。
 いやもちろん、今日の場合はメインの狙い馬は決まっていた。ただダイタクミサイル号の馬番号を探し出し、ついでに連勝の相手を幾頭か、適当に見繕うだけでよかった。
 すべての番号をマークシートに転記した後には、本当に腹ごなしの散歩がてらに、ウィンズまで出向くだけでよい。……

     *

 そうだった。それがその朝の、私の計画表だった。
 そして確かに、呑気な休日のスケジュールは、着実に実行されていたのだ。

 朝起きて、顔だけをさっと洗ったら、そのままのトレーナー姿でコンビニヘ出掛け、そうして買って帰った競馬新聞を食卓に広げる。 ここまでは確かに、予定通りだった。
 だがその直後に、少しも予期しなかった事態が続いたのだ。
 そのようにして、私が目を通した皐月賞の出馬表。……
 その中に、お目当ての馬の名は見付からなかった。

 否。
 もちろんそれは、見落としにちがいない。寝ぼけ眼の自分が、うっかり肝心の馬の所を、素通りしてしまったのだ。
 私はもう一度、今度はもっとずっとゆっくりと、馬の名前を確かめていった。右端の馬から一頭、また一頭。……だがしかし、そうしてようやく十八番目の馬に辿り着いたとき、もう異変は疑いようのないものとなっていた。
 皐月賞の出馬表の中に、何と私のダイタクミサイルの名はないのだ。
 とっさに私の頭の中に、ある一つの言葉が浮かんだ。出走回避。何らかの故障のために、直前にレースへの参加が見送られる。――これもまた、きっとそうなのにちがいない。
 だとしたら一体、それはどんな故障なのか?
 事の経緯を知ろうと、私は目の前の競馬新聞を――そしてさらに、同時に買っていたスポーツ紙のページを、忙しく繰っていった。
 目当ての記事を探して、貪るように活字を追ったのだ。
 そのようにして、ようやくスポーツ紙の六面のページを捲ったとき、私の目はその片隅に釘付けとなった。
 そこには紛れもない、あの御馴染みの、片仮名の八文字が置かれていたのだ。
 ――ダイタクミサイル××
 だがしかし、そんな発見のもう次の瞬間には、私はわが目の確かさを、疑わなければならないことになるのだ。そうだった。ダイタクミサイル。確かにそこには、彼の名があった。だがその後に続いた二文字の漢字は、あまりにも予期に反したものだったのだ。
 ――ダイタクミサイル優勝。
 それは私の危惧していた「故障」とも、「回避」とも違う。何と「優勝」の二文字だった。

 私は言葉の意味を、少しも理解できない。最も見慣れたはずのその漢字が、今は遠い異国の呪符のように、不可思議な形でそこにあった。……
 謎を解こうと焦るあまり、頭の回路にいつしか混線が生じ、私は暫時、出来事のすべての筋道を見失った。
 ダイタクミサイル優勝?
 だとしたら、皐月賞のレースは、もう行われてしまったのか? あれほどまでに私が待ち望んでいた、ダイタクミサイルの奇蹟の優勝は、私の見届けぬどこかで、すでに起きてしまったと言うのか?

 否。否。もちろんそれは違う。
 自分は何を、寝ぼけたことを言っているのだろう。もちろん皐月賞のレースは、今から後、今日の午後になってから、行われるにちがいなかった。そしてその出馬表の中に、ダイタクミサイルの名はなかったのだ。……
 だがだとしたら、この記事は一体、何としたことだろう?

     *

 事態が冷静に分析されるまで、少しく時間が必要だった。
 種明かしは、次のようなものだった。

 新聞の記事は、実は昨日の――土曜日の競馬のレース結果を伝えるものだった。
 ダイタクミサイル号は、今日の皐月賞にではなく、土曜のレースに出走した。そして勝ったのだ。
 だがしかし、確かに月曜日の段階では、皐月賞の登録馬の中にダイタクミサイルの名があって、だからこそ私は一週間の間、今日のこの日を心待ちにしていたのではなかったか?
 そのからくりは、あまりにも単純なものであった。
 競馬の世界では、「二重登録」と呼ばれる登録方法が、日常的に用いられている。
 同一の週に行われる、複数のレースに、持ち馬をエントリーしておくのだ。
 もちろん二つのレースに、同時に出られるわけはない。相手との力関係や、馬自身のコンディションと相談しながら、より勝算の高い方を選んで出走するわけだ。
 それは多少、姑息なやり方のように見えるかもしれない。だがしかし、賞金を少しでも多く得なければならない「走らせる側」の論理としては、至極当然の戦略なのだ。
 今度の場合も、またそれだった。弱気になったダイタクミサイル陣営が、皐月賞の方を回避し、より勝算の高い土曜のレースに出走した。いわば名より実を取ることを選び、そして実際に、そこで優勝したというわけだ。

 私が呆然自失したのは、言うまでもない。もはや私自身と、一心同体の存在となっていたダイタクミサイル。その彼が今日、皐月賞の晴れ舞台に挑戦し、そしてひょっとしたら栄光を勝ち得たかもしれないのだ。それなのに勝利どころか、挑戦さえ早々と断念してしまうとは、あまりにも意外な、情ない結末のように思えたのだ。
 それは確かに、買っていた宝籤を失くしてしまうような、尻切れ蜻蛉の物語の結末。――
 たちまち私の心は、失望と悲しみに満たされた。
 だがしかし、私はまだあの記事の、ほんの見出ししか読んではいないのだ。
 その先を読み進むうちに、さらに思いもしない、新しい事実が明かされる。そして「悲しみ」と呼ばれる心の夕凪は、もっとずっと恐ろしい感情――人を狂わせ、乱し、咆らせる、本当の嵐に取って代わられたのだ。……



 ――ダイタクミサイル優勝。
 否応なく目を引いた、大活字の見出しの下には、次のような記事が続いていた。

 「ダイタクミサイル奇蹟の復活。函館二才ステークスの優勝以来、凡走を繰り返していたダイタクミサイルが、17日のクリスタルカップで、七か月ぶりに逃げ切りの勝利を収めた。
 クリスタルカップは、昨年度から皐月賞の前日に設けられた、短距離の重賞で。……同馬は今日の皐月賞にも登録があったが、厩舎の意向により適距離のこちらに回っていた。……」
 短距離の? 逃げ切った?
 読むうちに私は、頭の中が真っ白になった。本当に、それはそうなのか。だとしたら、あれらすべてのことは、一体どうなってしまったのか。
 先の長い競馬の世界で、大成するための努力。
 スピード任せに逃げ切るような、その場限りの戦法をやめること。そしてその生涯の、トータルの中で勝利を収めるための、騎手と馬との勉強。
 あれらすべてのことは、一体どうなってしまったのか。

 短距離の? 逃げ切った? だとしたら、だとしたらそこでは単に、強敵相手の皐月賞を回避したというだけではない、もっと重大な、何か決定的な選択がなされたのかもしれない。……

     *

 昨日のレースぶりを、新聞は次のように伝えていた。
 「――東西のスピード自慢が顔を揃えた中で、好スタートで先頭に立ったダイタクミサイルは、一度も他馬に詰め寄られることなく、そのまま1200米を逃げ切った。三馬身差の圧勝は、まさに函館二才ステークスの再現そのもの、これまでの凡走続きがまるで嘘のような、鮮やかな復活劇だった。……」
 こんな口調には、確かに聞き覚えがある。それはあらゆるスポーツを美談に仕立て上げる、マスコミの常套、いわば実況放送のマイクでがなりたてる、アナウンサーの話法だ。――あの例の、函館二才ステークスの実況は、今でも私の耳に残っている。昨日もまたきっと、あのときと同じように、中山の競馬場でダイタクミサイルの名が連呼されたにちがいないのだ。速いぞ速いぞ、ダイタクミサイル。痛快豪快な逃げ、ダイタクミサイル。英雄の復活だ。連戦連敗の泥沼から、不死鳥のように蘇った。……
 だがしかし、今の私にはわかっていた。それはけっして、彼らのはやすような、英雄の復活劇などではない。むしろそれは、まったく別の――いやひょっとしたらまったくその逆の、いわば敗北の選択なのだ。

 そうだった。華々しい逃げ切り勝ち。彗星のようにレースを駆け抜け――そしてまた彗星のように、競争馬としての生涯を駆け抜けていくこと。そんな「太く短く」の行く先には、けっして「栄光」など棲んではいないのだ。
 この半年に学んできたことがらを、私はもう一度、おさらいしてみる。
 「栄光」というようなものが、もしどこかにあるとしたら、それはもう一つの、まったく別の生き方の中にあるのだった。
 三才、四才、五才と細く長く生きながら、数々の勲章を帯びた馬。中距離の大レースを、着実に勝った馬。種牡馬となって、優れた子孫を残す馬。
 そうなのだ。だとしたら、同じ勝つなら、タイムは遅ければ遅いほどよい。楽をしてレースに勝つことができて、細く長く走り続けることができれば、それに越したことはないのだ。
 そしてそれは、ひとり競馬だけではない。私たちの人生もまた、きっとそうなのだ。
 彗星のように駆け抜ける、太く短い人生。そんなところに、栄光などありはしない。もし本当の栄光がどこかにあるとしたら、それはもう一つの、まったく別の生き方の中にあるのだった。
 細くて長い、スローペースの人生。健康に、長生きをして、少しずつの仕事をこなし、子孫をもうけ、――そんな一つ一つは些細と思える事柄も、やがて積み重なって全貌が見えたときには、この世のものならぬ光輝を帯びているのかもしれない。……

 スローペース。それが馬も人も、今の時代のすべてが馴染み切った生き方だった。すべてを犠牲にした戦い、ハイペースの疾走などは、誰ももう見向きもしない、時代錯誤のやり方なのだ。
 だとしたら? だとしたら、今目の前の新聞が報じている、ダイタクミサイルの「鮮やかな逃げ切り」というのは、彼のけっして選んではならない勝ち方だった。
 それはけっして、「奇蹟」でも「復活」でもない。もしそんな勝ち方でいいのなら――逃げて勝つのなら、本当はいつでも勝つことはできたのだ。この半年というものは、そんな必勝法をむしろ禁じ手として、ひたすら別の戦法を模索してきたのではなかったか。だとしたらすべては単に、振出しに戻ったということにすぎない。……

     *

 いつしか私の心の中には、先刻までの悲しみとはちがう、もっとずっと激しい感情が猛り始める。
 初めは胸の、奥の奥に兆した小さな渦が、やがて次第につのり、もはやとどめようのない嵐となって、荒ぶっていた。

 嵐の正体を、私は訝かる。こうまで人の心を掻き乱す感情とは、一体何物なのか?
 だが、否。
 それはもちろん、怒りにちがいなかった。人を狂わせ、乱し、咆らせる負の気分――そんなものは、怒り以外にはありえなかった。だがだとしたら、それは一体、何に対する怒りなのか?

 もちろんそれは、まず第一に、騎手に対する怒りだった。
 目の前の新聞の記事も、また例によって、締め括りに騎手のコメントを載せていた。
 『やはりこいつには、短距離の逃げが一番似合ってますね。皐月賞を回避した甲斐がありました』
 もちろんそれ自体は、少しも不思議ではない、もっともなコメントだった。だが私は同時に、あの半年前の、函館二才ステークスのインタビューを、はっきりと覚えているのだ。まだまだ競馬は、先がありますから。これだけの素質の馬、大成して欲しいですから。馬も騎手も、これからまだまだ勉強ですよ。――だとしたら、今しも行われたことは、そんな自らの言葉を裏切る、敗北の選択だった。彼がそれをどう言い逃れようと、すべては体のよい、逃げ口上にすぎない。
 もちろんダイタクミサイルの物覚えの悪さは、私だって重々承知している。ブラウン管の中でいつも見掛ける、頭を上げていやいやをする姿。――だがしかし、ダイタクミサイルの勉強は、つい半年あまり前に始まったばかりだった。あと一月、二月で、いやまさに今日のクラシックの舞台で、きっと努力は実を結んだにちがいないのだ。それなのに、もはや一刻の猶予もならないかのような打ち切りは、あまりにも唐突だった。

 だとしたら、やはり私の怒りとは、まず第一にあの騎手に対する怒りだった。
 だが同時に、私はもう気が付いている。
 そうなのだ。本当は、騎手自身を責めることなど、できはしないのだ。たとえこれが最悪の、敗北の選択だったとしても、すべては周囲の方針に従っただけだ。皐月賞の回避も、逃げ切りの戦法も、すべては厩舎の指示であり、馬主の要望だった。だとしたら、騎手自身を責めることなど、けっしてできないにちがいないのだ。
 そしてまた、彼に命じたそれらの人々も、――馬を走らせる側の経済は、レースの賞金だけで成り立っている。一文にもならない・「勉強」のために、これ以上の時間を棒に振るわけにはいかないのだ。一本調子の逃げ戦法でも通用するような、短距離のレースだけを選んで、勝てるうちに使えるだけ使っていく。それ以外に、方法はないのだ。

 だとしたら?
 だとしたら私の怒りとは、本当は誰かそのような、「人」に対する怒りではなかったのだ。
 それはもっと、ずっと得体の知れない、「何か」に対する怒り。 いわば人々を、そのようなやるせない結末に駆り立てるもの、――世の中のすべてを支配する不条理への、抑えがたい憤懣だった。 そうなのだ。私はもう一度、ここに繰り返そう。
 私の追い続けた一頭のサラブレッドの物語に、続くべき筋書きは、どう見ても二つしかありえなかった。
 ダイタクミサイルの半年に及ぶ努力が、最後の土壇場でむくわれて、クラシックの栄冠を勝ち得るか。
 それとも逆に、半年の努力がそれでもむくわれずに、最後にもう一度惨めな敗退を繰り返すか。
 それなのに、そのどちらとも違う、尻切れ蜻蛉の結末が私たちを迎えたのだ。
 皐月賞の回避と、短距離での優勝。そんな勝利とも、敗北とも違う、あっけない幕切れ。
 買っておいた宝籤を、途中で失くしてしまうような、物語の脱線。 だとしたら私は、そんな「作者」の不手際に――私たちの運命をつかさどる「何か」の不条理に、猛烈な怒りを覚えていたのだ。

 そして今、私はあらためて、思い知らされていた。この怒りというものは、例えば悲しみの淡さとは、あまりにも違う。それは人を狂わせ、乱し、咆らせ、――そしてその後で永遠の宿酔で悩ませる、エネルギーそのものの噴出だった。
 それは確かに、嵐だった。そして同時に、それはいかずちであり、狂瀾であり、また炎でもあるにちがいなかった。……

     9

 私の心の中につのる、不思議な感情の騒擾。
 人を狂わせ、乱し、咆らせるエネルギーの奔出。嵐であり、いかずちであり、狂瀾であり、そしてまた炎でもあるもの。
 その正体を、一体どう解釈したらいいのだろう。

 私は今、それを「怒り」と呼ぼうとした。
 騎手に対する怒り。馬主に対する怒り。私たちの運命をつかさどる、不条理への怒り。……
 もちろんそれは、その通りだった。そしてもしできることなら、そうして「怒り」の一言で、片付けてしまいたいのだ。
 だがしかし、私は同時に、とっくに気付いている。
 確かにそれは、怒りにちがいなかった。だがけっして、それだけというわけではないのだ。

 できることなら、私はそのことを認めたくない。だがもはや、認めざるをえないのだ。
 今の私の、この絶え間なく突き抜ける戦慄は、本当は単に怒りの感情だけではない。激しく燃え立つ怒りに紛れて、その実それとあまりにも似た――狂わせ、乱し、咆らせるもう一つの何かが、炎を上げているのだ。

     *

 その炎に、私は見覚えがある。
 それはあの、戦士たちの胸の奥に燃え立つ、情念の炎だった。

 人はそれを、どんな言葉で呼ぶのだろう。
 見果てぬ夢。野望。大志。
 あるいは、闘魂。勇猛。
 あるいはそれは、雄の獣たちの、あまりにも原始的な戦闘の本能。 否。どう名付けようと、同じだった。つまりはそれは、かつて一度でも戦士であった者ならば、誰もが御馴染みの、あの好戦の気分なのだ。

 かつては私自身も馴れ親しんだ、あの旧い熱狂。そして戦士であることをやめた瞬間に、忘れたように思えたもの。
 だがしかし、それは違った。
 それはけっして、本当に忘れ去られてはいなかった。
 それは確かに、この半年の平穏の日々にも、時折――本当にまるで間歇泉のように、私の心に蘇っていたのだ。そんなとき、冷え掛けていた心のおきに、突然再び、火が点った。わけのわからない野心が、またしても取り憑いて「安息に背を向けよ」「戦いに赴け」と私を唆したのだ。
 もちろん時が経つにつれて、「時折」は次第に間遠になった。私の学習とリハビリの日々が、ようやく実を結んで、そんな心の炎を消し果てる術を、私もまた知ったかのように思えた。
 だがしかし、それもまた、違うのだった。
 今になって、私は気が付いた。消火したように見えたものは、その実、封じ込めただけだった。
 望まれぬ情念として、意識の底に葬むられた私の野心。だがそれは、目には見えない地の底で生き続け、猛り、備えていた。
 そこで蓄えられたエネルギーは、もはや極限にまで圧力を高めながら、ただマグマの湧き出る、わずかな地殻の割れ目を探していたのだ。

 だとしたら、すべての敝いを吹き飛ばす、爆発の日が訪れるのは、時間の問題だったのかもしれない。

     *

 そうだった。目の前にしたスポーツ紙の記事に、私の存在の全体が示した、異様なほど激しい感応。それを私は、「怒り」の一言で片付けようとした。だが私はもう、気が付いている。これは単なる、怒りの感情とは違う。これこそはまさに、あの封じ込められたマグマの、突然の奔出なのだ。

 そんな突然の災禍を誘ったもの。
 もちろんそれは、あの例の心理のトリックだった。
 人を馬になぞらえることにあまりにも馴染みすぎた私は、いわば新聞の記事の中に、自分自身への「行け」の合図を、読み取ってしまったのだ。
 そうだった。ブラウン管の向こうに、私が見守り続けた、ダイタクミサイルの物語。逸り、もがき、駆け抜けようとする一頭の馬。そして必死になだめ、手綱を押さえながら、スローペースのレースに折り合わせようとする騎手。――見守るうちに、彼らの二人三脚の奮闘は、自分自身の心の中の葛藤と、いつしか二重写しとなっていた。
 だが今、そんなダイタクミサイルの勉強は、突然打ち切られてしまった。こいつには、こんなレースしかできないのだ。「短距離の」「逃げ」。そしてそれはそれで、それなりに競馬なのだ。……
 そのようにして、騎手は手綱を緩めた。それは単に、制することを止めたばかりではない。のみならず彼は、きっと鞭さえ入れたのだ。ダイタクミサイル、逃げろ。逃げ切れ。後先のことなどもう考えずに、燃え尽きろ。それがおまえの生き方なのだ。……
 もちろんダイタクミサイルは、今では水を得た魚のように、喜々として走り抜けた。そして「勝った」のだ。
 もちろん、それはただ、それだけのことだった。だが皮肉なことに、ここでもまた私は、自分の分身に起こった出来事に、まるでわが事のような感応を示してしまったのだ。
 そうだった。あの騎手がダイタクミサイルの手綱を緩めた瞬間、同時に私の心を御していた騎手もまた、手綱を緩めたのだ。それは単に、制することを止めたばかりではない。のみならず彼は、きっと鞭さえ入れたのだ。逃げろ。逃げ切れ。後先のことなどもう考えずに、燃え尽きろ。それがおまえの生き方なのだ。……

 そのようにして、爆発の日を待つまでもなく、私の心を塞いでいた蓋は、あっけなく取り去られた。
 地の深みから、初めはおそるおそる昇った炎が、やがて欣然と、空に向かって吹き上がる。まるでそうすることで、再誕の日を寿ぐかのように。
 そうなのだった。そうして吹き上った炎。怒りの炎と見紛うまでに、狂い、乱れ、咆る炎。それこそは私が、必死に忘れようと努めていた、あの狂おしい情熱の炎だった。
 だがしかし、それは危険な炎だ。
 それは例えば、居間の炉の中で、慎ましく燃えている火とは違う。それはけっして、新しい薪のくべられるのを、囲いの内側でじっと待ってはいないのだ。
 それは貪り、食らう火災の炎だ。初めはどこかの部屋の片隅で上った火の手は、だがしかしたちまち広がってしまう。柱を舐り、棟を燃やし、夜目に鮮やかな光の舞いを舞いながら、やがては灰燼だけを残して、すべてを焼き付くしてしまう。いわばそうして、内が外を滅ぼすのだ。

 「背を向けよ」「赴け」と誘う炎。
 炎の命ずる戦いは、もはやゲームではない。馴れ合いのルールと防具に守られながら、勝敗を競うお遊戯とは違うのだ。それはすべての敗者が、ぼろぼろになって滅びるまで続く、文字通りの命懸けの戦いなのだ。
 炎の誘う人生は、もはや細く長くの、スローペースの人生ではない。駆け抜けて、そして消えていくような、疾走の人生なのだ。
 危険だ。危険だ。だとしたらそれは、とても危険だ。……

     *

 炎が「赴け」と誘うもの。私自身の、本当の居場所。
 それはもちろん、ほんの一年も前には、私がそこにいた戦場だった。
 私はそこで戦い、傷付き、――ぼろぼろにくたびれはてて帰還したのだ。
 そのとき敗残の兵は、永久に戦地を後にし、もう二度と立ち戻ることはあるまいと思えた。

 ようよう辿り着いた故郷では、すべてが違っていた。そこでは遠い国の戦のことなど知る人もなく、永遠のバカンスが支配していた。 軍服を脱いだ私を待ち受けていた、はてしない遊惰と逸楽の時間。言い知れぬ違和感が帰還の兵を悩ませた。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか?――そしてこの私は、行かなくてもいいのか?
 だがやがて、時の経過は確実に、心の傷病を癒やしていった。起床喇叭の鳴り響かぬ朝の目覚めにも、いつしかすっかり馴染み、私もまたこの安穏の街の、極楽蜻蛉の住民になりきったのだ。
 銃声のフラッシュバックさえ、他愛ない悪夢と、受け流すことができるようになった。

 そんなとき、本当に、そんな今になって、私に再び召集が掛かったのだ。
 私は思い知らされていた。除隊のように思えたものは、その実休暇と療養にすぎなかった。敗北のように思えたものも、一時食らったノックダウンにすぎない。だってまだ、私は命までは落としていないのではなかったか? そうなのだ。この人生の戦いには、試合停止の甘っちょろいルールなどありはしない。文字通り砲火に斃れるまで、何一つ終わりはしないのだ。
 そうだった。今私に、再び召集が掛かっていた。戦士の休暇は終わった。また君自身の、新しい戦いが始まるのだ。……
 もちろん私にだって、拒む権利はあったにちがいない。だが今の私には、もうそれができないのだ。懐かしいあの呼び声を聞いた途端に、私の体に火が着いてしまった。こうなったら、もう誰も止めることはできない。
 私の体に火が着いてしまった――それこそは私の、もっとも避けたかった状態だった。
 誰かが今、今日の今日まで私を抑えていた手綱を緩め、のみならず鞭さえ入れたのだ。私の心の中の奔馬が猛り出す。――だとしたら、後は私自身が、一番よく知っている。こうなったら、誰も止めることはできない。

 戦士の休暇は終わった。また君自身の、新しい戦いが始まるのだ。……
 もうスポーツ新聞も、皐月賞の出馬表も用はない。お遊びはもう、終わったのだ。
 私の戦場が、今再び私を呼んでいる。今すぐにも、私はそこへ向かわなければならない。
 そう思うそばから、私はすでに歩き始めていた。
 もちろんそれは、意気揚々と、というわけではない。
 命懸けの、そのうえ勝ち目の乏しい戦などに、誰も喜んで臨みはしないのだ。
 ただそんな自分を、もう何も止めることはできない。

 重たい足取りを引き摺りながら、私は相変わらず、心の中で呟いていた。
 危険だ。とっても危険だ。……
                        (了)

「サボテンの花」




























     1

 少年の家はいつでも鉢植えに埋もれていた。
 園芸に熱を入れた父親の壮大なコレクション――庭木の数ももちろん夥しかったが、庭先の植木棚はおろか、南向きの居間や客間に至るまで所狭しと並べられた鉢植えの数には、目を瞠らせるものがあった。十数種類に及ぶさつきや洋ラン、松や梅の盆栽、時々の花瓶の挿花――戸の開け閉てから暖房の調節にまで、いつでもそれらの植物の成育が優先され、それかあらぬか、かくまでかしづかれ尽くされた異類の生き物たちは、人間たちの居室をどこか主顔に占拠していた。……
 ――まるでジャングルみたいだ。……
 少年は皮肉そうに口元を歪めながら、心の中で呟いた。それは少年が、生まれながらに植物を愛でる感性を持ち合わせていなかった、ということではない。むしろ反抗期の心理が少年の中にも例外なく巣食っていて、それゆえに同性の親の性向が、いちいち疎ましいものに思えていたのかもしれない。実際父親が熱を上げれば上げるほど、そしてあの例のせりふで、なあ、綺麗だろう、と同意と賛嘆を強要すればするほど、それまでは凛呼と張り詰めて見えていた花の風姿さえたちまちしょぼくれて、くすんだ紙細工に見えてしまうのだった。

 ――花は綺麗だけど。…… 
 もちろん、鮮やかな花弁を繊細に綴った花冠は、少年にとっても十分感動的なのにちがいなかった。だが樹枝や葉ぶりを愛でる気持ちだけは、どうしても理解できなかった。花を付けているその時にだけ、植物は望ましいものとなり、爾余の期間それはただ無価値で、無意味な存在だった。否。ただ無意味なばかりではない。それは不気味ですらあったのだ。華やぐこともなく、ただ無言のままに呼吸し、摂取し、営む存在――そんな「植物」という観念そのものが、少年の意識の中で、あるいはその無意識の中で、いつしか象徴的な忌まわしさを担い始めるのだった。

 ――花にしても、もう少し小作りでないと。……
 花冠の美しさは認めた少年は、だがここでも父親の好みに異を唱えていた。同じ花でも、少年は藤や雪柳のようなささやかな花、できれば花房をなしているようなものを愛していた。彩りも淡いほうがよい――だが父親ときたら決まって、百合やらランやらの大柄な花を栽培していた。少年の目にはそれらの花が、大雑把で繊細さに欠けているように見えるのだった。色彩も毒々しく、噎せ返るような強烈な香りといい、花底にまでこぼれ落ちた過剰の花粉といい、とりわけ雌蕊にまとわり付いたあの粘液――そんな風体をとてつもなくおぞましいものに感じた少年は、こらえ難い嫌悪感に目をそむけてしまうこともしばしばだった。

 ――悪趣味だな。
 再び心の中にそんなふうに呟きながら、すっかり辟易した少年は、植物園さながらに鉢植えに埋もれた階下の部屋から、二階の勉強部屋へ、そそくさと避難してしまうのが常だった。

      *

 父のコレクションにサボテンというものの加わったのは、少年が高校一年になった年のことであった。
 あれほどまでに園芸のことにかまけながら、何故か奇跡的にサボテンにだけは係わらずにいた父が、この砂漠の植物に突然の関心を示し始めたのは、たまたま訪れた知人の家で、その花の美しさに魅せられたからであった。夏の夜の月明りの下で咲く月下美人の白い花――その名花の魅力の虜になった父は、さっそく知人に頼み込んで、他種の二つと合わせて三株のサボテンを譲り受けてきたというわけであった。
 こうして父の鉢植えに加わった合計三株のサボテン――だがずっと後になってわかったことだが、その内の一株、父の言う「月下美人」は、本当の月下美人とは違うようだった。それは金盛丸という別属のサボテンで、孔雀サボテンの仲間とは姿形もまるで違うのを、ただ「月明りの下に咲く清浄な花」という一事をもって、同じ夜咲き種の月下美人と取り違えていたのであった。こうしてみると父の――そして父の知人のサボテンの知識もずいぶん怪しいものだったが、当時の少年にそんなことは知るよしもなかったから、ただ父からの受け売りの知識と、目の前の三株の鉢植えだけから、サボテンというものの観念を形作っていくよりほかなかったのだった。

 そうして少年が育んでいった、サボテンの観念――だがこの異形の植物は、それまで少年が抱いていた植物全般についての観念と、相対立するものとはならなかった。それはむしろ、「植物」という観念と、それが象徴的に担っていたある忌まわしさとを、極限にまで煮詰めた存在であるように感ぜられたのだった。
 例えばその奇態。ごつごつと節くれ立った、いびつな茎節。肉厚な、ゴムのような弾力を持った稜。そしてとりわけ、どうしても皮膚病を連想させずにはいない疣々。――それはどう見てもグロテスクな姿態だった。だが形が怪異であればあるほど、それはあの「植物」の観念の主調、旺盛な生命力とそれが必ず伴ってしまうおぞましさのイメージを、増幅させていくのだった。確かに可憐な草花ならば、人間たちの日常を彩る装飾品のように思われないでもない。だがかくまでに悪相の存在は、到底人間たちのための飾り物ではありえなかった。それは確かに自らの理由のために生き、営み、繁殖する生命そのものだった。……

 例えばその生息。サボテンの原産地のあのお馴染の光景が、少年の禍々しい観念を増殖させていった。水気一つない荒漠の砂漠。そんな命の墓場では、きっと人の心すら潤いを失くして、干涸びたミイラのようになってしまうにちがいない。そのうえその焼くような熱い砂は、どうしてもある厭ましい欲望を表しているように思えてしまう。そしてもちろん、そこに密生した屹立するハシラサボテン。――そんな想像上の光景は、決まって少年を戦慄させずにはいなかった。否。こうして少年の家に置かれた三つの鉢植えのサボテンさえも、その故郷の記憶を引き摺ったまま、熱い吐息を吐きながら、生き、営んでいる。……

 例えばその形態。この植物の多くの種類は、それぞれの個体が不思議と幾何学的な構造をしていた。父の「月下美人」、つまり金盛丸も、十二の稜が等間隔で角度を割り、数多の棘座も測ったように相称に配列されていた。――そんな最も図形的に構築された植物が、かえって混沌とした生命の力を暗示してしまうのは奇異なことであった。だが確かに、原始の生物もまた、そのような単純な形態をしていた。だとしたら、少年にはこう思えたのだった。もし生命のエネルギーが、何の疎外もなく放射され、何の俊巡もなく展開していったならば、それはきっとこの様な形に結実するのにちがいないと。……

 そしてその繁殖。父の言を借りれば、それは「切って挿すだけ」でよいのだった。胴の枝の一部をナイフで切り取り、挿し穂するだけで、ものの一週間で発根があり、やがて立派な一個の株が根付いていく。それが過酷な自然条件の中を生き抜く、植物の素晴らしい生命力だ――というのが父の能書きだったが、その父の賛嘆を誘ったのとまさに同じものが、少年の嫌悪の源となってしまうのだった。それはちょうど、尻尾を切られてもたちまち再生してしまう、爬虫類のいやらしさに等しいものだった。だがこの植物の場合、まさにその切られた尾の方から、トカゲが再生してしまうというのだから。……

 そしてとりわけ、あの棘だった。目の前のサボテンの棘からは、どう眺めても、例えば茨のそれのような、悲壮な自罰のイメージは沸いてこない。むしろそれは、いつでも少年に、ある種の棘皮動物のぬめった姿態を連想させた。それはおかしなことだが、サボテンの生やした無数の棘は、何だか彼らのひそかな快楽のための、小道具のようにさえ見えてしまう。……

     *

 そしてサボテンの花だった。
 サボテンの花?――だが少年はいまだに、その花を見たことがないのだった。父の「月下美人」の七月の開花期は、ちょうど学校の夏期合宿と重なって不在だった。高校二年、高校三年と、現物にお目に掛かる機会を逸した少年は、ただ父の語る熱っぽい描写から、その姿を窺い知るしかなかった。
 「百合のような大輪の花だ。夜咲く百合と思えばいい。だけど花びらの白は、百合よりもずっと清浄な、匂うがごとき白色。いや、色というよりは、光に近い白だな。――花が咲いたら、家中の電気を消して、月明りの下で観賞するんだ。夏の夜の熱い闇の中に、白い光の花の工作がぼんやりと浮かび上がる様といったら、そりゃ神秘的な美しさだぞ。本当に、今年こそは見せてやりたいよ。……」
 ――嘘だ。
 ここでもまた反抗期の少年は、言葉巧みに息子を誘い込もうとする父親の試みを、いとも単純に撥ね付けてしまうのだった。
 ――これもまた嘘だ。かつて父が説いた世間智やら、道徳やらが、ことごとく誤っていたように、ここでも父の描く甘美な花の佇まいは、空物語なのにちがいなかった。そんな偽りの言葉のすべてに耳をふたいで、虚心に目の前の植物を眺めてみれば、こんなどう見てもグロテスクな生命体に、花など咲くはずがないのだった。

 だが確かに、蕾は伸びていった。
 春先から棘座のそこここに頭をもたげていた、どんぐりくらいの突起。白い綿毛に覆われたそれがサボテンの蕾であることに、少年は気付かなかった。だが七月の上旬のある日、父親の大仰な発見の叫びとともに、家族全員に招集が掛けられた。居間に馳せつけた少年は、父の指摘通りあの小さな突起のうちの二つが、確実に隆起しているのを目撃した。
 「あと一週間ぐらいの間に、どんどん丈が加わっていく。どんどんどんどん伸びていって、やがてその先端が口を割って、百合のような大きな花が開くんだ」
 そして父親の講釈に、誤りはないようだった。その時から日に日に、まるで目に見えるかのような速やかさで、それはひょろひょろと伸びていった。その発達の有様は、ちょうどチューブの口から頼りなげな細さで押し出されていく、練り粉の伸長に酷似していた。その速度、そのひょろ長さ――ついにサボテンの本体よりも丈を増したそれ。そんな不釣合な比率も、異国の植物ならでは許される破調なのにちがいなかった。

 それが確かに蕾であること。
 だとしたらそんな出蕾の光景を前にして、少年は己の敗北を認めなければならなかったのだろうか。こんな身の毛もよだつ植物に、花など咲くわけがない――そんな少年の持説が全然誤っていて、ここではあの例の父親の讃の方が正しいのだ、と。
 だがここでも少年は頑なだった。意見の修正こそ受け入れても、父親の押し付けがましい賛嘆に、完全に折れて譲ってしまうような気持ちは毛頭起こらなかった。
 ――もちろん花は咲くのだろうけれど。……
 少年は心の中で反論した。もちろん花は咲くのだろうけれど、それは父の言うように、清浄な光のような花ではありえなかった。そんなものは、少年を謀ろうとする謳い文句にすぎない。もちろん花は咲くのだろうけれど、あんなにも異形の植物に咲く花は、同じように異形の姿をしていなければならない。
 例えば、毒々しい花粉と粘液にまみれて、腐臭を放つ花――少年は目の前の植物の本体から、想像しうるかぎりの花の姿を思い浮かべてみた。サボテンの猥褻な球体から想像される、そのような花。否。それは本体だけではなかった。そういえば今こうして蛇のようにひょろひょろと伸びた蕾そのものも、少年がどうしても思い出したくないあるものの姿を連想させずにはいなかった。……
 それがサボテンの花についての、少年の新しい理解だった。今年もまた開花を直前にして、夏期合宿に出立しなければならない少年は、そんな仮説を検証する機会を逃していた。だが実物を見るまでもなく自分の意見をすっかり確信していた少年は、そんな醜悪な花を前に置いて、父親の能書きを聞かされずにすんだ己の僥幸を、むしろ言寿いだ。

     *

 蟠居する妖異の生物。その胴体から、巨大なネズミの尻尾のように伸びた蕾の先に、きっと咲くであろう呪わしい花。それが少年が抱いていたサボテンの観念だった。現実の三株の鉢植えが折々に見せる表情と、少年が聞きかじった雑多な知識から、少年が育んでいった観念――それは確かに、あらゆる植物が通有する負の性質を、一身に担っていた。いわばその毒の部分だけをどす黒く抽出した、唾棄すべき存在。……
 少年がこの植物をこれほどまでに毛嫌いしていたのは、それが当時少年が生きていた世界とは、正反対のものを表していたからだった。少年がたった一人の勉強部屋で積み上げていった、彼だけの空間。――医学部を目指す秀才でありながら、少年は学業だけには飽き足らず、文学や美術にまで手を染めていた。そればかりではない。人間の在り方、未来の在り方、愛――少年の大学ノートには自身が作った詩やら、折々の雑感やら、お気に入りの章句やらがびっしり書き付けられていた。……
 だがしかし一度勉強部屋を出て階段を降りると、たちまち階下の部屋を占拠したあの鉢植えたちが彼を迎えるのだった。三つのサボテンを首魁にした、植物たちの群れ。草いきれのようなものを吐きながら、じっと彼を凝視しているそれらの視線を、少年は確かに感じる。それは先刻まで彼が浸っていた夢と理想の世界とは別の、もっとずっと生臭い世界を象徴していた。――そんな観念に生理的に耐え難いものを感じた少年は、たちまち勉強部屋に逃げ帰ってしまう。だがそうして部屋の机に向っている時さえも、それらの生き物たちは少年の無意識を領していたのかもしれない。時には少年自身も、そのことに気付くことがあった。あれらの怪物たちは、今もなお背後のどこかで生温い息を呼吸しながら、無数の目玉で少年を見据えている。……

 そんな時、少年は呟き続ける。
 「――肥厚した葉が漂わす肉感。
 樹姿の畸形が醸し出す淫靡さ。
 乾いた棘がかえって湿潤を思わせ、硬質な表皮がなぜか与える軟熟の印象。……」
 そんな時、少年は心の中で、呪文のように言葉を念じ続けた。そうして言葉を投げ付けることで、かえって脳裏に張り付いたサボテンの像を振り払い、その呪縛から逃れようとするかのように。否。ただ唱えるだけではない。少年はそれらの言葉を必死に書き留めさえしたのだった。――そう言えば、少年が雑記帳の最後の頁に書き付けた次の台詞が、当時の少年の気持ちを見事なまでに集約していた。
 本当に、少年は半ば本気で、こう信じていたのだ。
 「砂漠のような荒れ地に、サボテンが生える。だがおそらく、因果はその逆だった。そうなのだ。あんな禍々しい植物がはびこるからこそ、豊かだった沃土も乾いた砂地に変じてしまう。……」

     2

 三つのサボテンを首魁にした、植物たちの群れ。草いきれのようなものを吐きながら、じっと彼を凝視しているそれらの視線――だがしかし少年はまた、それらの鉢植えの向こうから自分を見詰めている、もう一対の別の目玉の存在を感じていた。
 浅黒い肌。濃いめの眉。剰多なまでの長い黒髪。そしてそれらすべての南国風の造作の中で、その目だけは同じ黒でも艶やかな潤いを帯び、その光沢がまるで何かを語ろうとするかのように表情していた。……
 無口で孤独な女。いつでもどこか影のある女。――それは少年の家から三分も行かぬ雑貨屋の娘、初美の肖像だった。初美と少年は、世間で言ういわゆる「幼馴染み」だったのかもしれない。確かに同じ年の二人は、学校に上がる前には、近所の仲間たちと一緒に鬼ごっこや縄跳びに興じていた。だがしかし、小学校、中学校と同じ学校の二人は、鼻たれ時代の記憶がかえって照れを生んだのか、次第に口も利かなくなり、道で行き会う時にもことさらに知らん振りを決め込むように変わっていた。

 そんな初美の視線を少年が意識し出したのは、いつ頃からのことだったろうか。
 それはやはり、中学に通い始めた頃だったかもしれない。初美と少年は、どういうわけか同じクラスになることはないのだったが、給食の後の束の間の昼休み、級友とキャッチボールに興ずる少年は、校庭の片隅の砂場にぽつねんと佇む初美の視線が、じっと自分の上に注がれているのに気付く。……
 学校では群を抜いた秀才だった少年に、校友たちのある種の好奇の目が集まることは、別段珍しいことではなかった。また一部の女生徒が、少年に憧れていることも知っていた。だがこの初美の視線は、好奇とも憧れとも違う、もっとずっと熱烈な、飢渇のようなものであるように感じられた。
 そんな少年の認識を、自意識過剰と笑う者もあるかもしれない。だが少なくとも、それは少年の自惚れではなかった。実際こうして、好いてもいない女の視線が、確かに自分の上にいつでも蛾のように留まっているのを、少年は薄気味悪い、不快なものにすら感じていたのだから。

              *

 中学校の昼休みの校庭で――だがもちろん、ただそれだけのことだったなら、少年が初美の視線をあれほど不快なものに感じることもなかっただろう。だが少年と初美は、歩いて三分も行かない同じ町内の住民だった。近所住まいであることが、初美の存在を――その視線の存在を、学校の塀の内側に限らせなかったのだ。
 学校の外にいる時も、自宅の勉強部屋にいる時も、いやそれどころか、中学を卒業して別れ別れの高校に進学した後さえも、少年はたえずわずかに、時にははっきりと、自分を見詰める初美の視線を感じていた。いわば中学から高校への少年の思春期の全体を覗き見る目――いやそれはただ、窺い見ているだけではなかった。多少誇張した言い方をするならば、それは少年の思春期を閲し、統轄する目のようにさえ感じられたのだった。

 例えば日曜の午後。二階の勉強部屋である詩集に読み耽っていた少年は、突然それの存在を強烈に感じて、椅子を蹴立てるようにして窓辺に歩み寄る。もちろんそこから見下ろした庭は、いつものように鉢植えと庭木に埋もれていて、人の気配はない。そしてまた柘植の生け垣と、門の鉄扉の向こうの私道にも。……だがひょっとしたらあの電柱の陰に、初美はいるのかもしれない。垣根越しに部屋を覗いていた初美が、少年の気配を察知して、今この瞬間にそこに身を隠したのだ。――だがもちろん、すべては少年の錯覚だった。初めからどこにも、初美などいはしない。だがもしそうだとしても、詩を読んでいた少年に、突然何の脈絡もなくそんな想念を抱かせてしまったものは、一体何なのだろう。それはあるいは、遠感の現象?おそらくその瞬間だけ、少年も危うくそんな非合理を信じかけた。そうだ。あの電柱の陰にもし初美がいないとしたら、初美は彼女自身の勉強部屋から、今少年を見詰めていたのだ。……

 そして例えば散歩の時にも、それはそうだった。勉強に疲れたような時に、少年は多摩川の河原を散歩するのが好きだった。そこで得られる開豁な眺望――豊かに湛えられた河の水や、河辺の草の青さや、向こう岸の丘の稜線を、少年は愛していたのだ。
 だが河原に出るためには、初美の家の前を通り、鎮守の森を抜けることになる。そのことが、少年には多少気に入らなかった。
 鎮守の森は、少しでも脇道にそれると、昼間でも薄暗いようなところがあって、木の間隠れに不良たちが悪さをする、溜まり場のようにもなっていたのだ。
 そしてまた、初美の家の場合は、もちろんあの視線だった。かつて一度、初美の家を通り掛かった少年は、ふと妙な人気のようなものを感じて、これもまた二階になる初美の部屋を見上げたことがある。するとその窓辺には、案の上初美が立っていて、あの例の浅黒い顔の、それよりもずっと黒い黒目で、少年をじっと見据えていたのだ。――もちろんそれは、たまたま階下を眺めていた初美の前を、少年が通り掛かったということにすぎなかったろう。だが少年には何だか、初美がずっと前からそこに立っていて、少年が通るのをじっと待っていたかのような、不気味な印象を得た。……
 もちろんそれとて、一度だけのことだった。その時の一回以外は、雑貨屋の二階を見上げても、そこは分厚いカーテンが引かれているか、どこかへ遊びにでも出ているのか人の姿はなく、ただ空っぽの部屋が覗かれるだけだった。だがあのただ一度の厭わしい体験は、いつまでも少年の意識の中で尾を引いていて、そんな時でも何だか、あのカーテンや家具の陰に隠れて、初美が少年を盗み見ているように錯覚されるのだった。
 そんなおかしな思いをするのを嫌った少年は、散策に出る時にも、初美の家とその先の鎮守の森を避けて、遠回りを承知で別の道を選びさえした。

 例えばそれは、高校に進学した後も変わらなかった。勉強のできた少年は都内の有名私立に、初美は地元の商業科に進んだが、こうして学校は別々になっても、同じ町内に初美の家があるかぎり、少年は初美の視線の呪縛から逃れられないのだった。自宅の勉強部屋にいる時、散策に出る時はもちろん、そして時には通学の電車の中や、高校の教室ですら、絶対にそこにあるはずのない初美の視線を感じてしまうのだった。
 絶対にそこにあるはずのない初美の視線を感じる――確かに高校に進んでからは、そんな倒錯した錯覚が日常茶飯事になっていた。 中学の時なら、学校のある日は毎日、幾度かは現実の初美の姿を見掛けていた。清楚な中学校の制服が、少しも似合わない大柄な体。抑えられた情熱のようなものを感じさせる、南国的な顔立ち。初美に差している孤独と鬱屈の影は、極楽蜻蛉の中学生の中で、確かに初美に異質な存在感を与えていた。――そんな印象的な容貌を見つけていたのだから、その残像がいつまでも残って、現実の初美がいない時、少年の勉強部屋やら散歩の途次に、その存在を感じてしまったとしても格別不思議なことではなかったにちがいない。だが高校に進んでからは、それは違った。高校に進んでからは、近所に住んでいるのが信じられないほど、初美の姿を見掛けるのはまれになった。三年間合わせても数度だけ――しかもそのほとんどは後ろ姿か、横顔がちらりと見えるくらいのものだった。だがそれにもかかわらず、あれほどしばしば初美の視線を意識してしまうというのは、一体どういうことだろう?
 それはひょっとしたら、少年が意識していたのは本物の初美ではなく、初美という観念だったのかもしれない。ちょうどあの父の植物やサボテンが、現実の鉢植えであることをやめて、やがて呪わしい観念に加工されていったように、初美という存在もまた、思弁的な少年の精神の中で、何らかの――それが何であるか当時の少年にはわからなかったが、何らかの象徴に変わっていったのだ。そうして「観念」となった初美の目は、あの無数の鉢植えの向こうに浮かびながら、鉢植えの植物たちと一緒に少年をじっと見つめているのだった。いや実際それは、見つめているだけではなかった。それらは確かに少年の思春期を閲し、統轄してさえいたのかもしれなかった。……

     *

 高校に上がってからは、あのあるはずもない不思議な視線をたえず意識しながらも、実際の初美そのものを見掛けることはまれになった――確かに、それはそうだった。その代わりに少年が耳にしだしたのは、初美についての町の風評だった。もちろん少年が、実際に誰かから噂を聞き知ったわけではない。それは父と母との茶の間でのひそひそ話を、たまたま少年が盗み聞きをしたということにすぎなかった。
 ――乾物屋の娘、最近変に色気付いて……、お母さんがそれは大変だったそうよ。……

 終いまで聞き終えぬうちに、少年は自分の勉強部屋に舞い戻って、百科辞典のページを繰っていた。ニンギョウ。ニンゲン。ニンジョウ。その次の頁に、少年の視線は釘付けになった。そこに少年が見たのは、胎児の発育を図解した絵と、その二枚の実写だった。
 背びれのようなものさえ付いた、一か月の胎児。それはどう見ても、動物図鑑に載ったタツノオトシゴの姿だった。同じように、ごま粒のような目に、水掻きの付いた手をした二か月の胎児。そしてとりわけ、少年が思わず目をそむけたのは、身長十五センチという、十八週の胎児の写真だった。
 透明な卵膜の中の、羊水に浸された小さな空間に、じっと息づく胎児。その頭でっかちの体は、確かにもう人間の特徴を備えてはいた。だかその髪の毛のない頭、開かない目、何故か切なげに開いた口、やせ細った胴――それらが表現しているのは、けっして「生の喜び」などではなく、むしろ生きるために耐えなければならない苦悩の大きさだった。いわば耐え難い苦しみにそれでも耐えながら、必死に死病と戦う蒼褪めた生き物。胎児と胎盤をまるで命綱のように繋ぐ太い臍帯が、懸命に栄養を送り、それを死から蘇生させようとしている。一つの「命」として生み落とされるか、一掴みの屍となって排出されるか。……だがこの小さな生き物の苦しみはあまりに大きく、その喘ぐ息はあまりに力ない――
 少年が初めて手にした、ターヘルアナトミア。少年は思わず目をそむけた――だが少年は見なければならない。見て、知って、分析して、すべてを彼の知識の整理棚にしまい込まなくてはならない。少年は勇を鼓して、もう一度写真を正視した。今度こそ目をそらすことを自らに禁じながら、少年は意志に鞭打って、胎児の写真を凝視した。嫌悪感に耐えるために、呪詛と嘲笑の言葉を必死に投げ付けながら。

 「――まるでフーセンガムみたいだ。……」
 確かに胎児を包み込んだ卵膜は、濁った半透明の袋状をしていて、そのありさまはビニール袋か、さもなくば目一杯に膨ませたフーセンガムを思わせた。と、言葉の連想から、少年はたちまち、一緒に遊び回っていた幼稚園の頃の初美が、始終フーセンガムを噛んでいたのを思い出した。
にちにちと汚い音を立てながら噛んでいるガムを、時折思い出したように膨らませる初美。だがたいていの場合、息を吹き込みすぎたフーセンはそのまま割れて、初美の口元から鼻にまでへばりついた。……自分の顔だけならまだよかった。噛み飽きたガムを、初美は所構わずなすりつけるのだった。例えばブランコの鎖に。また例えば近所の家の白壁に。そして時には悪戯に、友達の洋服をすら狙ったのだ。初美汚ねえ、と絶叫しながら逃げ回る友達の様子を、さもおもしろそうに眺めながら、初美はけたけたと笑い続ける。その時初美の顔に覗けるのは、味噌っ歯だらけの薄汚れた歯並びだったにちがいなかったが、色黒の肌との対比のためか、それらは変に白く、鮮やかに浮き上がって感じられ、何だか入れ歯が笑っているようにも見えた。……

 変に色気付いて。……少年の頭の中には、ひそひそ声の母親のせりふが繰り返されていた。その言葉に反証しようとするかのように、少年は鼻たれ時代の初美と、中学時代の初美の顔を、順繰りに思い浮かべてみた。おかっぱ頭に味噌っ歯の少女。地が黒い上に、泥やらガムのかすやら鼻水やらで汚れた、不潔な顔。痴呆のような脈絡のない笑い。――それに比べて、中学の初美の顔からは笑いは消えていた。その黒の印象は、肌の色からだけ来るのではない。結ぼほれた、わだかまる黒い情念のようなものが、その向こうに予測されたのだ。明るく飾るのが女の子のはずなのに、何て暗い陰気な女だろうと、皆から舌打ちされるような存在が初美だった。
 おかっぱの初美。中学生の初美。――もちろん高校に進んでからの初美の変化を少年は知るべくもなかったが、そんな記憶の中の二人の女の像から、華やぐような色香が生まれてくることがありえようとは、どうしても思えなかった。
 もちろん中学生の初美は、もう十分成熟した大人の女だった。制服のスカートから伸びる長い足、はち切れんばかりの胸回りは、すでに育ってしまったものを、無理やりお人形さんの衣装を着せて、見て見ぬふりをしようとしているようなアンバランスがあった。そうして抑えられていたものが、高校での新しい環境で縛めを解かれた時、初美が男をの気を引くような魅惑的な女に変わることがあるのだろうか。
 否。少年はそんな仮説を、何のためらいもなく論外と断じた。初美の場合、同じ成熟でも、蕾が花開くような過程ではありえない。それは裸子植物か、シダ類の成熟に近いもので、少なくともそれは、少年の住んでいた玲瓏な世界とは、相反する類いの成就であることは間違えなかった。

 そうだった。ここでもまた、初美の幻の視線の呪縛を逃れるために、少年はあの例の大袈裟な呪詛の言葉をぶつけ続けた。
 「――成熟と腐乱は、同じ変化の後先だ。だとしたら初美の場合、成熟を通り越して腐乱が始まっていた。高校生の初美からは、きっと甘美な芳香の変りに、いやらしい腐臭が嗅がれるにちがいない。……」
 少年には、そんな初美に近付いたという男たちの気持ちが、どうしても信じられない。だがここでもまた少年は、とっておきのせりふを用意していた。そうだ、世の中には確かに、腐臭に魅かれる蠅もあるのだ。……

     3

 ――何という違いだろう。……
 同じ女だというのに、何という違いだろう――言葉の魔力によって、悪夢のように浮かんでいた初美の肖像をようやく退散させることに成功した少年は、今度はもう一つの別の肖像を思い浮かべようとと試みた。それは少年の思春期を見つめ続けたもう一人の少女、二才年下の少年自身の妹だった。

 もちろん身内の贔屓目もあったかもしれない。だが確かに妹は、飛びきり愛らしい少女だった。愛くるしい目元にはたえず微笑みが湛えられ、長い綺麗な髪を振り立てて快活なジェスチャーをし、その立ち居振る舞いさえ軽快な、どこかコミカルなリズムに乗っていた。妹の体からはいつも光と、生気と、喜びとが放射している――少年はそんなふうに呟いたが、それは必ずしも、少年の中の詩人が語らせた言葉の綾ではなかった。少年は実際、物理的にそれらのものを感じさえしたのだ。例えば妹が微笑む度に、その大きな目の中心から、まるで泉のように沸き上がった光が、渾々と滾りながら溢れ出た。……
 妹には華がある。妹が現れただけで、その場の雰囲気は、春のように華やぐのだ。――そんな妹が、誰からも愛されたのは言うまでもない。おそらく家の外でも、それはそうだったにちがいない。だが父にとって、母にとって、兄にとって、とりわけ妹は嬉しい存在だった。妹はいわば家族全員のアイドルであり、妹も自分のそんな役割を心得ていて、忠実におどけた仔犬を演じていた。愛されることをつゆ疑わず、愛されていることを喜び、愛されていることに応える小さな天使。――

 少年の成長に合わせて、もちろん妹もまた大人になっていったにちがいなかった。だがそんな兄妹二人の関係自体は、二才といういつも変わらぬ年の差のためか、何の変化もこうむらないように思えた。相変わらず二人は、五才のお兄ちゃんと三才の妹の関係を引き摺っていた。例えば少年にとって妹は、相変わらず可愛い不思議な生き人形であり、庇護しなければ生き残れない子分だった。妹の方もまた、中学生になっても高校一年に進んでからも、いつでも兄の前では、その幼さの側面だけを見せて甘えていた。ねえ、お兄ちゃんという媚びるような頼み事、テレビ漫画のキャラクターを真似た作り声、フグのように頬を膨ませて拗ねて見せる膨れ面、あかんべえ――そんな時妹の唇から、淡紅色の舌が顔を覗かせるのだったが、そんな軟体動物の姿も少しの汚らわしさも感じさせず、むしろ可愛らしいペットであるかのように思いなされてしまう。それどころか捲った瞼の裏に覗かれた無数の血管の血の色でさえ、むし妹の愛らしさを演出する微笑ましい趣向であるかのように錯覚されてしまうのだ。そして妹もまた、そんな効果を知り尽くして演じていた。……

     *    

 妹の方もまた、いつでも兄の前では、その幼さの側面だけを見せて甘えていた。――もちろん妹とて、もはや十六だった。そんな思春期にどっぷり漬かった少女が、ただ脳天気な小鳥のような存在であるはずもなく、そこにはそれ相応の成熟と発達があったにちがいない。もしずっと離れた遠くから妹を眺めることができたとしたら、その心の揺れやら、不安定な情念やらを見ることができたかもしれない。夢や、理想や、挫折や、悩みや、心の葛藤が一杯に詰まっている思春期という名の小箱――だが少なくとも身内の前では、妹は思いきり幼女趣味のピンクのカーテンを引いて、それらのすべてを隠しおおせていた。そして妹自身は、いつもカーテンのこちら側で演じていた。……

 カーテンの向こうに何があるのか、妹はけっして覗かせようとはしなかったし、また少年もそれを知りたいとも思わなかった。ひょっとしたらそこには、本当に何もないのかもしれない――だが時には、カーテンの向こうにあるものの存在を、はっきりと感じさせられてしまうこともないではなかった。
 茶の間でテレビの歌謡番組に見入る妹。ショートケーキをぱくつきながら、漫画を読み耽る妹。そんな時、妹の仕種と表情には、あの例の幼さが充満していた。だがそんな時突然、少年は妹が組んだ足の、ショートパンツから覗いた腿の意外な太さに、はっと息を飲むことがある。それは確かに、三才の少女の鳥がらのようにか細い腿とは違う、健康な肉そのものだった。と同時に、少年はその遙を引いたような肌から、体温の匂いのようなものが立ち上ぼるのを感じたような気がした。……
 そしてまた、文房具やら事典やらを借りに、妹の部屋に入った時。そこもまた、思いっきり幼女趣味の部屋だった。ピンクの絨毯。夥しい数の縫いぐるみ。花に埋もれているようなコロンの香り。壁を埋め尽くした少女漫画のポスター。……
 そんな時ふと、部屋の片隅のベッドの方に目が行くことがある。これもまたピンクの枕と、ピンクの布団が少しの乱れもなく並んだ、いわばままごとのお人形のベッド。――だがままごとに使うには、それはいささか丈が大きすぎた。少年はそこに入るはずのもののことを、心に想像してみた。それはもちろん、着せかえ人形のリカちゃんではありえない。たとえかつては人形のような存在であったとしても、今ではけっしてそうでないもの。そしてまた、やがては「女」と呼ばれる日が来るとしても、まだけっしてそうでないもの。それは確かに、「少女」という不思議な、不思議な存在だった。
 少年はふと、妹の寝顔などもう十年も見たことがないことを思い出す。だとしたらそのベッドで眠るのは、少年の前で妹が演じて見せる、一人のおきゃんな娘ではない。それは確かに、カーテンの向こうの妹だった。そう思うと何だか目の前のベッドから、妹の汗の匂いが、甘美な瘴気のように立ち上ぼるように感じられる。……

     *

 だが時には、カーテンの向こうにあるものの存在を、はっきりと感じてしまうこともないではない。――そんな時少年は、どのように振る舞ったのだろうか。少年らしい好奇心から、その中を覗き見ようと試みただろうか。否。そんな時少年は、はしなくもはだけてしまったカーテンの袖をすかさず繕って、垣間見てしまったものを否定しようとするのが常だった。それはあたかも、それをカーテンで遮ったのが、少年自身の意志であったかのようにも見えた。いやもちろん、カーテンを巡らして演じていたのは、妹当人であったにちがいなかったが、確かに少年もそんな妹の韜晦を肯ない、それに協力しさえしていたのだ。

 だとしたら覗けてしまったものは、それほど少年が忌諱すべき世界だったのだろうか。例えばあのサボテンたちのように、少年の住んでいた清澄の世界とは相反する、腐臭と畸形――否。窺い見られたのは、むしろ少年の世界と近縁の、明らかに此岸の世界だった。そうだった。陶酔。夢。甘美。――それらはもちろん、少年の考える望ましさの範疇に属していた。だがしかし、同時に少年には、それらと対峙するには自分はまだ未熟すぎるように思えたのだ。そうだった。少なくとも今現在の少年にとっては、それらは危うい存在だった。いわばあの華やかなピンクの色のカクテルのように、その甘い円やかな口当たりに謀られて口を付ければ、たちまち少年は酔い痴れてしまう。……
 あるいはここでも、少年は妹という「観念」を守ろうとしていたのかもしれない。少年の思い描く妹は、可憐な菫の花だった。淡い紫の、匂うがごとき色に華やぐ花。か弱いがゆえに愛しいもの。――それは小鉢の中のささやかな鉢植えとなって、平凡の日々を飾るべきものであり、目眩くような強い芳香を放ちながら、その存在を主張する、我の強い生き物であってはならなかったのだ。……そして確かに、少なくともカーテンのこちらにいる時には、妹はそんな観念そのものを、実に忠実に演じているように見えた。
 
 誰も足を踏み入れることのない、少年の孤独な勉強部屋。そこで少年が築き上げていた、詩と理想の世界。それは確かに絶海の孤島だった。階下のグロテスクな植物たちと、近所に住む浅黒い肌の女と、疎ましかるべき世間というものに、すっかり回りを囲まれてしまった六畳だけの陣地――だが確かに、同じ二階の妹の部屋だけは、彼のそれと同じ領域に属するものにちがいなかった。少なくとも少年は、好んでそう考えた――もちろん妹は、共に戦う同志であるにはあまりにも頼りなかったが、窓から外の世界の憂欝な風景を眺めた後に、その存在に目をやる時には、確かに救いがあった。いわば、肩肘張って生きねばならない少年の思春期を飾った、心安らぐ香しい花。――

     4

 その年、少年はすでに大学一年になっていた。
 もちろんそれは、世間並みからいえば、もう少年と呼ばれる年齢ではなかった。いわば自立への一歩を踏み出す年。大人の仲間には加えてもらえないにせよ、その楽しみの幾らかは許される年齢。お仕着せの生活や価値観を捨てて、新しいそれらを探していく、そんな時期。

 確かに、少年の生活も一変していた。
 東北大の医学部に進学した少年の、東京を離れた一人暮らし。そこで少年の経験したことは、これまでのどれとも違っていた。
 大学のアカデミックな、高踏的な講義。公園のようなどでかいキャンパス。アパートを借りた自炊生活。……鼻歌交じりの洗濯。目一杯の夜更かし。友達を呼んで飲み明かす、豪快な高笑い。……
 こんなふうに生活が激変した時、少年の心もまた、同じように大きな変化を被らなければならないのだろうか。繊弱な少年の心から、強固に打ち鍛えられた、大人の心への成長の過程。あるいはその逆に、澄み切った詩人の心が、急流に掻き乱されて濁っていく堕落の過程。――
 だがそれは違った。きっと生活の外面があまりに急変した時、内面の方が追い付けなくなるようなことがあるのだ。そんな時、変化の速度に付いていけない内面は、やがて成長を断念して、そしてついには役者の肉体から離ってしまう。――そうだった。大学一年の、どたばたの毎日を演じているのは確かに少年自身だが、少年の心は――もう一人の少年は一歩身を引いて、まるで赤の他人の出来事であるかのように、それらを観察しているのだった。いわばそれは、カウチに寝そべりながら眺めるテレビの青春映画。そんなふうに少年も、やがて自分自身も加わらなければならない人生という芝居を見つめながら、ただただ不思議そうに目をしばたいている。……

 そうだった。始まったばかりの大学の生活。そこではすべてが、半年前とは違っていた。例えば少年の語るせりふは、時に耳を疑うほど卑俗だった。――だがそれらはすべて、少年ではない誰かが、少年の名を騙って演じた芝居だった。仮面の裏の素顔は、――堅く秘された貝の内側には、瑞々しく柔らかい肉が息衝いてた。
 清澄な思春期の少年の心。実家の二階の、あの例の勉強部屋で築き上げた、詩と理想の世界。――もちろん少年は、すでにあの部屋を後にしていた。だが蛹を破った蝶は、意外なことに自分の体には、まだ宙を舞うための羽が育っていないことに気付いてしまうのだ。蜜を啜る管も、六本の足も備わらぬ、青虫のままの姿――それは確かに、幼虫のまま蛹を破ってしまった蝶の困惑。もちろんそんな奇態も、少年くらいの年頃にとっては、珍しくない倒錯なのかもしれない。だがしかし、甘美な思春期の時間をあれほどまでに愛し、あれほどまでに信じてきた少年の場合に、そんな内外の齟齬がとりわけ著しいものとなっていたのも、また事実だったにちがいない。

 だが少年もまた、変わらなければならない。
 誰もが成年への道程を歩むために、何かを学び、何かを断念しなければならない――そんな日が、少年にもやがて訪れるのだ。
 そして青虫が蝶になるとしたら、やはりそれは、あの蛹の中でだったにちがいない。……

     *

 幸い、蛹は元の姿のままそこにあった。
 東北に下宿する少年が、休暇中以外には、東京に戻れないのはもちろんだった。だが少年の家では、その数少ない帰省に備えて、少年の部屋を手付かずのままに残していたのだ。週に幾度か母親が掃除に入ることを除けば、書棚の本に触れることさえ禁じていた。
 一人暮らしの仙台の下宿と、東京の、高校時代そのままの勉強部屋。二つの部屋を持つということは、二人の自分を持つことと等しかった。実際少年は、心の片隅にたえずそのもう一人の自分を意識していたのだ。――アパートのキッチンでインスタントの食事を暖めながら、友人と歓談しながら、大学の講義を聞きながら、少年はいつでも自分の見えない背中の部分に、やどかりのようにあの部屋を背負っている。それは東京と仙台の気の遠くなるような距離を越えて、一種の呪力のようなものをもって少年に語り掛け、誘い、そして支配していた。
 実際少年は、大学に入っても続けていた大学ノートの雑記帳に、こんなせりふを書き付けていた。
 「――主のいない部屋。確かにそれは、とてつもなく不気味な存在だ。あの日とそっくり同じ装いをしながら、いつとは知れぬ帰宅に備える空っぽの部屋。――だが本当にすべてがあの日と同じだとすれば、そこに主はいるのかもしれない。少なくとも主の影が、陰画が、その不在が、そこにはあった。そんな記憶のようなものを抱きながら、まるで妾宅の女のようにへりくだって、永遠に待ち続ける部屋。……だがひょっとしたら、それが待っているのは、主そのものではないのかもしれない。そうなのだ。きっとそんな永遠の待命に、とっくの昔に飽き果てていたそれが、主自らの手で毀たれる日を待っている。……」
 また少年はしばしば、自分があの部屋に戻る日を思い描いてみる。そこで少年を待ち構えている経験は、どのようなものなのだろう。十年前の小部屋に戻るのなら、懐かしさで胸が一杯になってしまうだろう。また四日ぶりの帰宅なら、たちまち手に馴染む調度の感触が、何にも替えがたい安堵を与えてくれるだろう。だが四か月ぶりに帰るそこには、きっと友人の下宿を訪れたようなよそよそしさと、こそばゆさがある。そうなのだ。そこで少年は、まるで友人に出会うように、四月前の自分と語り、理解し合うのだ。……

 そして実際、最初の帰省の日がやってくる。
 大学の夏休み。それも馴染みのない者には、ずいぶん不思議な時間だった。高校では夏休みは、いつでも期末試験の悪戦苦闘の後に訪れた。だが大学ではそれが、何の境界戦もなく、突然明日から始まるのだ。それは彼らの日常に突然闖入し、二か月もの領土を支配してしまった異質な時間だった。――だが帰省を控えた少年の場合、その異国は必ずしも新しい、未知の世界ではなかった。むしろそれは、少年がかつて住み、そして今では忘れ掛けていた故郷、おそらくは、少年が精算するために戻らなければならない、「過去」の時間だった。……
 下宿に入ってからは、ゴールデンウイークに帰宅できない旨を書き送った以外、親元と手紙のやり取りはない。電話を掛け合うことも皆無だった。――だがやはり、今度ばかりは少年も、帰省の日をあらかじめ知らせておくべきだったろうか。しかし少年は、そうすることで御馳走やら何やらの、ことさらな歓迎を受けることを厭っていた。そんなよそよそしい扱いを受けるよりは、突然風来坊のように立ち戻って、「あら帰ってたの」と、そんな息子がいたことをその時初めて思い出したような驚きの言葉で迎えられたい。その方がかえって、何の不自然さもなく、再びあの部屋に入り込むこともできそうに思われたのだ。本当に、まるで数時間の散歩から帰ったかのようにさり気なく。……

 一学期の最後の講義は休講だった。教授の急用を告げる掲示のビラを眺めながら、こんな紙切れ一枚で、また二時間空っぽの時間が生まれてしまうことが、何だか不思議に思えた。仲の良い友達は、学期の終了を待たずに帰省してしまっていて、少年は一人学食の喫茶コーナーで、しきりに切符の所在を確認しながらコーヒーを啜り、新幹線の時間を待った。
 二時間後少年は、新幹線の車窓を移る景色を眺めていた。
 上り列車。下り列車。――川の流れに譬えたにちがいないそんな言い回しは、なるほど適切な呼称だった。確かに少年は、四か月前に下ったはずの時の流れを、今遡っているのだった。その時未来であったものは過去となり、かつて少年に表を見せていたはずの車窓の景色が、今はことごとく裏返って少年に背中を向けている。…… だとしたらすべての夢は、その舞台裏を晒して、少年の幻滅を誘っていただろうか。かつて少年が夢見た未来、――知的な医学生の生活。堅実な医術を学びながら、あの詩と理想の世界をなお豊かに育んでいく。――そんな薔薇色の未来が、こうして現在となり、過去となった今、色褪せて凡庸な大学生の毎日になり下がってしまっただろうか? だが少年は、そう問い掛けながら、自分の内に断固たる否定の答えを確認していた。否。まだ何一つ変わっていない。少年は相変わらず今を肯ない、未来に夢見ていた。かつて仙台に下る列車で少年の胸を膨らませていた希望は、まだ少しも萎びていなかった。そう言えば、窓から見える阿武隈川の景色さえ、あの時と少しも変わることなく美しいものに感じられていた。
 夢はまだ、少しも萎びてはいない――確かに、それはそうだった。だが皮肉なことに、それからたった数時間後に起きたある小さな事件が、その悪意の針で少年の夢の風船を突いてしまったのだ。いや、それは事件ですらない。本当に取るに足らない、小さな、小さなハプニング。――

     *

 上野駅からは、電車を乗り継いで郊外の実家に向かう。途中からは、少年には御馴染みの、三年間高校に通った路線だった。
 私鉄のK線で少年の乗り込んだ車両は、五つおきの駅に止まる快速列車だった。スピードは新幹線と比ぶべくもなかったが、途中駅を通過していく疾駆感には変わりがない。
 ここでもまた、風景は窓の外を飛ぶように過ぎていく。ただ今の場合、少年は次に現れる風景のすべてを諳じていた。ボクシングジムの黄色い看板。電機会社の社員寮。中学校の運動場。――だが不思議なことに、目に入るのはただそれらの街並みのみなのだ。盛夏の午後の陽射しに意気をそがれたのか、街には人影は疎らだった。ただ一人、熱帯の隊商のような奇妙な服装をした男が、線路沿いの道を歩いてくるのが見える。……
 砂漠化――少年はふとそんな言葉を思い出して、自分の突拍子もない連想を笑った。

 車両の中は、冷房が吹き出す風のために、外の炎暑とは別世界だった。だがここも、閑散としているのは変わりがない。少年は車内広告を順繰りに目で追ってみる。もちろん大半は、仙台でのものと変わらなったが、その他にもローカルの広告が意外に多いことに、少年はいまさらながら気が付いた。
 電車はいつのまにか、少年の降車駅の一つ手前まで着いていた。この辺りまで来ると、今にも知った人が乗り込んでくるような気がして、無意識にドアの方に目がいく。
 地元の駅が近付くにつれて、少年は今度は、帰省の予告をしなかったことが変に気になりだしていた。もちろん長男の唐突な帰宅は、家人にとってはpleasant surprise なのにちがいない。だがそんな趣向が備えられているとはつゆ知らぬ家人は、家を明けてしまっているかもしれない。もちろん少年は家の鍵をもらってはいたが、がちゃがちゃと音を立てて扉を開けて、人気のない家に入るのは何か抵抗があった。本当にそれでは、大きな荷物を持っていることを除けば、高校の授業から留守番の家に帰るのと、何の違いもない。……
 駅名のアナウンスに促されて、少年は降車口に立った。時計の針は、ちょうど四時三十分を指している。荒っぽい減速のために、荷物を持った少年はバランスを失くして、わずかによろめいた。
 扉が開くと、たちまち熱風が襲い掛かった。大気と熱とには、意外なまでに堅実な質量感がある――そんなふうに心に呟きながら、少年は先刻までガラスの向こうから冷ややかに観察していた熱い荒野に、今自ら足を踏み入れたことを実感した。
 駅から家まで、十分弱の道のり。もうすでに日は傾き掛けていたが、冷房から出たばかりの少年の感覚は、うだるような暑さを感じていた。そんな感覚の異常な高揚は、いつでも私たちの認識から現実感を奪ってしまう。眩しい西日。ぎらぎらと輝く家々のガラス窓。乾き切ったアスファルト。――もちろん街並み自体は、少年にとって御馴染みのものだったが、いつになく人気ない今のそれは、嘘ものの舞台装置のように思えてしまう。少年は何だか、自分が夢を見ているように錯覚して、そういえばどこか夢遊病者のように蹌踉と歩みを進めた。
 こんないまいましい夢見心地を破るためには、涼しい冷房の風があるばかりだった。ようやく実家の前に辿り着いた少年は、快適な空調の部屋が迎えてくれることを祈った。

 門は軽く手で押しただけで、すぐに開いた。留守の時は錠を鎖すならわしだったから、幸い家人は在宅らしい。
 庭に入ると、少年はたちまち夥しい庭木に囲まれた。テッセン、モクセイ、ツツジ、キョウチクトウ、それから縁先の一角を占拠したツゲやらサツキやらランやらの鉢植え――それはもちろん、少年には格別目新しいものではなかった。だがこうして夏の陽射しに炙られた時、それらはかえって、所を得たように生き生きと繁茂しているように思える。少年は折りからの暑気に加えて、それら植物たちの草いきれのようなものを感じる。同時にその熱い息の中に、人を害してしまう毒気のようなものも、混じっているように思いなされるのだった。いわばジャングルに迷い込んでしまった旅人の困惑。――
 一刻も早く家に入りたくなった少年は、踏み石の上を急ぎ足に渡って玄関口に立った。呼び鈴で家族を呼ぼうか、手持ちの鍵を用いようか迷う間もなく、右手を添えたノブが軽く回った。
 施錠に関してずぼらな少年の家は、誰かしら在宅の時は、用心を怠って、開けっ放しのことも多かったのだ。――だが扉を開けた瞬間、少年は階下の部屋に――玄関のすぐ向こうの応接間にも、その向こうのダイニングにも、少しも人気がないのがわかった。おそらく家族は、近所にちょっと用足しに出掛けているか、あるいは二階の部屋で、妹一人が留守番をしているのかもしれない。……いずれにしても少年は、まだ自分の長年の勘が生きていて、空っぽの部屋に向かって間の抜けた帰宅の挨拶をしなくてすんだことを喜んだ。

     *

 たくさんの履物が雑然と脱ぎ捨てられた沓脱ぎに、これもまた乱暴に靴を放ったまま、少年は部屋に上がった。
 人気のない応接間も、もちろん正確に言えば、けっして空っぽの部屋などではなかった。あの例の鉢植えたちが、人間よりももっとおどろおどろしい存在感でそこを領していた。それらは相変わらずそこで生き、営み、盛っている――炎天の戸外も耐え難かったが、こうしてガラス戸を立て切った部屋は、さらにうだるような暑さだった。空気そのものが、熱く湿った舌べろで肌を嘗めるような不快感に、少年は悪心を感じた。だがそんなヒトが耐えられない環境を、植物たちはだからこそ喜んでいるかのように、葉末と葉末をすり合わせながらしめやかなささめきを交わしている。――とりわけ部屋の片隅に置かれたあの三鉢のサボテンは、湿潤な温気のもたらす快楽を、そのいびつな形で貪っているかのように見える。……
 植物たちの登場が、少年の夢見心地に悪夢の様相を加えていた。それはきっと、半年来忘れていた忌まわしさの感覚が、今一斉に少年の内部に蘇ったのだ。
 悪夢を覚ます涼風を求めて、少年はここでもまた、逃げるように二階の部屋に向かった。

 二階には、手前に少年の部屋、その奥に妹の部屋が並んでいる。まだ階段を上がり切らぬうちから、少年は耳聡く、冷房のモーター音を聞き付けていた。のみならずその音の中には、確かに妹の笑い声が混じっているように思われた。
 だとしたらきっと、妹の友達か何かが遊びに来ていて、今部屋で涼を取りながら、談笑しているのだ。……
 そう考えると、少年は一刻も早くクーラーに当たりたい気持ちになって、自分の部屋にはすぐに入らずに、廊下に荷物を置いたきり、奥の部屋に向かった。

 冷房を利かせた部屋は、もちろん扉を閉めていた。
 各々の部屋は、必要とあらば内側から鍵ができる構造になっていたが、それでも少年に、ノックの習慣がなかったわけではない。ただ友人やら従兄弟やらの気の置けない仲間が訪れている時には、無礼講の心理も働いて、そんな他人行儀のエチケットなど失念してしまうのもしばしばだった。今もまた、少年は何のためらいもなく、扉を無造作に押した。
 施錠されていない扉はすぐに開いた。――それは確かに、弾けるように勢いよく開け放たれたのだ。だが扉のノブが手を離れてしまった瞬間に、少年はすでに自分の振る舞いを後悔していた。
 訪れていたのは、少年のまったく見知らぬ男だった。

 少年は逃げるように自室に戻った。
 クーラーのスイッチを最強に入れて、絨毯の上に座り込んだまま、肌脱ぎになった体に風を当てる。そうすることで、熱に浮かされて見た悪夢から覚めることを期待するかのように。……だがそうしながら少年は、のぼせていた頭が冷えるにつれて、かえって自分の見たものがけっして夢などではないことを、確認させられる苦々しさを経験していた。
 五分もすると、ドアにノックがあった。
 少年の返事に応えて、妹が姿を現した。ピンクのスカートに、幼い漫画のキャラクターを描いた、白いTシャツを着ている。
 「お兄ちゃん、帰ってたの?」
 「ああ」
 少年は、ただぶっきらぼうに返事をする。何秒か、気まずい沈黙が続く。
 「高校の同級生が来てたの。今帰ったところ」
 「そうか」
 平静を装おうとする気持ちが、少年の口数を少なくしていたのだろうか。だがまた少年は、自分がいつのまにか全然口の利き方を忘れてしまったような、奇妙な気分にも陥っていた。
 取り付くしまのない兄を見て、さすがに妹も会話を続けようという努力をやめた。最後に肩をすくめて、ぺろりと、舌を出したきり、部屋を出てしまう。
 小さなべろが覗いた妹の口腔は、何だか貝の内側の肉のようだった。

 ――九時になって両親が帰った。突然帰省した長男にやや芝居がかった歓迎の意を表しながら、観劇のために今の今まで家を明けていたことを詫びた。
 家族で遅い食卓を囲みながら、大学での生活について、両親の関心は尽きない。少年はほとんど何の表情も浮かべずに、機械的に質問に答えていく。妹は、食卓の隅で殊勝そうに黙っている。

     5

 その日から、少年の心は砂漠になった。

 少年の帰った部屋は、もちろん半年前と少しも変わらなかった。詩集やら思想書やら画集やらの一杯に詰まった本棚は、少年が家を出た時と同じ状態で、手付かずのまま残されていた。――だがしかし、あまりにも整然と並びすぎた書物は、何だか妙によそよそしいインテリアの一部のように感じられて、その一つを引き抜いて手に取ろうという気にはなれなかった。少年は大学から持ってきた医学書をぱらぱらと捲って見たが、すぐに飽いた。ぽつねんと椅子に腰を掛けて頬杖を付いたきり、少年は自分がもはやこの部屋の主ではないことを痛切に感じていた。

 少年の帰った家も、またそうだった。一人前と言われる年になった息子の帰省を、とりわけ喜んだ父親は、少年を幾度も酒に誘った。だが少なからず煙たい存在だった同性の親と、長々膝を突き合わせることを考えて、少年は丁重に辞退した。
 母もまた少年を歓迎していたが、食事と洗濯の面倒を見なければならないお荷物が、また一つ増えたのも事実だった。
 妹は兄の前で、相変わらず朗らかに振る舞っていた。だが同時に、立ち入ったような会話が始まるのは、巧みに避けているようだった。ことさら兄に甘えてみせるようなことも、もう止まっていた。

 そしてまた少年の帰った街も――最初に駅を降りた時の自分の印象が、少しも間違っていなかったことを少年は確認していた。酷烈な陽射しに炙られて、人気の失せた廃墟の街。それは少年の慣れ親しんだ街とは違う、いわば故郷の亡骸。――
 もちろん少年は、そんな感慨が自分の錯覚にすぎないことがわかっていた。街は少しも変わっていない。それはいつだって盛夏の頃には、そんな索漠とした相貌を帯びるにちがいなかった。ただ少年はこれまで、受験の準備のため冷房の部屋に籠っていて、夏の日盛りの街の素顔を目撃すべくもなかったのだ。――確かに、それは錯覚だった。だが錯覚は、ただの妄誕とはちがう。たとえ錯覚であったとしても、少年が実際そう感じた以上、それは少年の心の内の真実だった。そう。この砂漠化の奇想は、少なくとも少年の魂にとっては、重大な意味と象徴を担った心象だった。……

      *

 何のノルマもない、一か月あまりの時間の空白。何かが抜け落ちてしまった心の洞。故郷も、家も、六畳間の城も、すべてが乾いた風の吹くがらんどうになってしまった。――そんな虚ろを埋めるためには、一体どんな術があるのだろう……? 少年はぼんやりとそんなことを思いながら、実家の一間に無為に寝起きしていた。
 父は相変わらず、植木にかまけている。休日はもちろんのこと、会社から帰る間もなく、鉢植えの世話に余念がない。

 すべてが乾き切ってしまったとしたら、土くれはもはや、崩れ落ちるよりほかないのだろうか。それとも土を潤す雨が降る日が、再び来るのだろうか……? 少年はぼんやりとそんなことを思いながら、実家の一間に無為に寝起きしていた。
 妹は予備校の夏期講習に通い始める。到底勉強に行くとは思えないような華やかな格好で、家を出ていく。

 少年の胸には、さまざまな思い出が去来する。同時にこれからの、未来についても思いを巡らす。――もちろんそんなとりとめのない思念に、何か重要な結論を導き出す力があるはずもない。だがそうして時間をやり過ごすうちに、数多の思いが自然にふるいに掛けられて、最後にたった一つ、否応のない少年の選択が残されていたのだ。
 少年はお得意の詩藻を交えて、こんなふうに思い始めていた。
 「――もしすべてが廃墟になってしまったとしたら、弔いを済ませた後には、旅に出るべきなのかもしれない。冒険と危難とが待ち受けているかもしれない砂漠に、新しい棲家を探さねばならない。……」
 そうなのだった。すべてが乾き切ってしまったとしたら、雨を待つのは愚かだった。まるであのサボテンたちのように、砂漠のままの土に根付くこと、そして砂漠に生きることを、少年も学ばなければならない。――そういえば七月も半ばになり、階下の鉢植えの中に、父の「月下美人」の出蕾が始まっていた。ひょろひょろとした二本の尾のようなものが、その胴体から過度の長さにまで伸びて、ちょっとした振動にも頼りなげに揺れている。少年はまたしても、父親の講釈を聞かされる。砂漠の夜に、光のように白い花が咲くぞと。……

     *

 その日少年は、久し振りに真昼の街へ出た。
 庇の深い帽子で日除けをしながら、あてどなくさ迷う廃墟の街?――だが一旦そんな修辞を忘れて、ありのままに眺めれば、もちろんそこは廃墟などではなかった。なるほど人通りはまばらではあるが、けっして皆無ではない。のみならず炎暑にうだりながらも、役所でも商店でも民家でも、それぞれの営みがあり、街は確かに生きていたにちがいなかった。
 少年はそんな風景の一つ一つを確かめていく。
 ショッピングカーを押す、買い物帰りの主婦。お仕着せのユニフォーム姿で、自動販売機の詰め代えをするコカコーラのアルバイト。まして半裸のまま、浮き袋を抱えてプールに出掛ける児童たちは、暑さなど少しも意に介さずに生き生きとしている。……

 少年はそんな風景の一つ一つを確かめていく。飾る言葉も、描く言葉も忘れて、ただ赤ん坊のような真っさらな心で、虚心に眺めている。
 いつしか辿り着いた駅前の商店街。道端では勇敢な露天商が、天幕で陽射を遮っただけの縄張りで茶を売っている。毒々しいまでの暗緑の茶。その色の連想から、茶の葉を噛みしだいた時の濃密な苦みを思い出して、口の中につばきが一杯に沸き上がってくる。…… 時折暑さ凌ぎに、クーラーのよく利いた店を探しては、冷やかしに入る。洋服屋。電気店。ゲームセンター。わが街でありながら、本屋とレコード屋以外ほとんど知らずに来たことを、少年はいまさらながら思い知る。時計屋の宝石コーナーでは、郊外の街では到底買い手が付かないような高価な品物が並んでいる。……
 軒先の通路まで張り出して、品物を並べた八百屋。乱暴に山積みにされた白菜や大根。剰多なまでの果物。店主の呼び声。そんな異国の市にも似た商い風景が、真夏の街には最もふさわしいもののように思いなされる。……

 少年はそんな風景の一つ一つを確かめていく。飾る言葉も、描く言葉も忘れて、ただ赤ん坊のような真っさらな心で、虚心に眺めている。
 そうして歩くうちに、不思議と静穏な気持ちが少年の心を領し始める。そんな心の凪の正体が一体何なのか、少年にはわからない。だがこのことだけは確かだった。――こうしてあらゆる言葉を失くした時、同時に断罪の言葉もまた消え失せたのだ。ただ二顆の眼球となりおおせて、傍らを通り過ぎて行くすべてのものを閲し、諳じる時、それはすべてを肯っているのと等しいことになるのだった。……

 かつて知ることのなかったそんな気持ちに戸惑いながら、少年はさ迷い続けた。それはただ、数時間ばかりのそぞろ歩き。だが少年自身にとっては、それが気の遠くなるような、長い長い心の彷徨であるように感じられた。
 ふと気が付くと、時計はすでに五時を回っていた。
 午後のショッピングの街が、仕事帰りの男たちを迎えて、そのまま盛り場に佇まいを変えていく不思議な時間。
 日の落ち切らぬのも構わず、ネオンに灯が点る。いくつもの飲み屋が仕込みを終えて、店を開き始める。
 少年はふと、縄暖簾の一つをくぐりたい気になったが、おじけついてやめてしまった。
 そこから十歩も行かないうちに、店の外にまで音楽を鳴り響かせたパチンコ屋があった。学生風の二人連れが店に入ったのに釣られるように、少年も自動ドアを踏んだ。
 初めて足を踏み入れた遊戯場。音と光と色彩とが、たちまち少年を圧倒した。充満する煙草の煙りにも当てられて、少年は眩暈に近いものを感じる。……
 だがそんな過激な刺激にも、少年の体はすぐに慣れた。気紛れに選んだ台の一つに腰を掛けて、玉を打ち始める。
 ここでもまた、先刻の不思議な心持ちが尾を引いていた。少年には少しも勝ち負けの意識はなく、ただチューリップの開閉と玉の行方を、興深げに、ぼんやりと眺めているのだ。それはちょうど秋の空の飛行機の行方を、ずっと目で追い続ける子供のように――甘美な心の麻痺。言葉の世界やら、そうでない世界のことを忘れて、ただ目の前の世界だけに没入する少年の口元には、小さな微笑みさえ浮かんでいた。

 普通ならばあれだけの金でどのくらい遊べるものなのか、少年はわからない。だが一進一退を繰り返すうちに、玉をすっかり失くした頃には、時計はもう七時を回っていた。
 店を出ると、街にはすでに夕闇が降りていた。ネオンの光が、その変に甘美な色調で、にじむように闇を彩っている。
 少年は昼間来た道を遡っていく。繁華街のネオンの海はたちまち尽きて、信号一つを隔てて、道は住宅街の真ん中を縫って行く。そこから先は、道の左右を飾っているのは、白く清浄な蛍光の灯ばかりだ。
 真夏の闇が、始終熱い吐息を吹き掛けてくる。ものの五分も歩かないうちに、ポロシャツの下は汗でべっとりと濡れていた。
 もちろんこのままこの道を進めば、まもなく家に辿り着くはずだった。その冷房を利かせた部屋で、存分に涼むこともできたろう。だが少年の足の向かうのは、何故かもう一本の別の道だった。

 何故自分がその道を行ったのか、少年にはわからない。それはきっと、理由を考える必要のないほど、当然の選択だったのだ。いやひょっとしたらそれは、選択ですらないのかもしれない。少年は何の俊巡も、比量もしないまま、決められた順路を行ったにすぎないのだ。……
 道は多摩川の川べりに通ずる道だった。河原の手前には鬱蒼と木の茂った鎮守の森があり、そこではいつでも、夜の闇よりもずっと暗い木暗がりが、薄気味悪く息衝いていた。
 鎮守の森よりもさらに手前に、初美の家の雑貨屋があった。少年は、その後の初美の消息をあまり知らない。ただ高校を出た後は、家の手伝いをしているような話を聞いたことがあった。
 少年の記憶には、中学時代の初美の面影しか残っていない。セーラー服がはち切れんばかりの大柄な体。黒く長い髪。浅黒い肌。そんな南国的な顔立ちの少女が、ちょうど今日の夏の闇のように、熱い情念を秘して息衝きながら、ぎょろりと剥いた大きな眼で、少年を見つめていた。……

     *

 その夜、サボテンの花が咲いた。
 あれほどまでに父親に語り聞かされていたこと。そして少年が、けっして信じようとしなかったこと。咲くわけがない。あんなにもおぞましい風体の植物に、花など咲くわけがない――そんな、少年が必死になって抗い続けてきたことを、今夜わが目で目撃したのだ。

 父親の予言は、確かに見事までに成就していた。
 そうして訪れた奇蹟を目の当たりにして、少年は何をどう感じていただろうか。
 もちろん少年ももはや、頭を振ろうとはしなかった。起きてしまったことをただ素直に受け入れながら、少年の心には神秘の念だけが満ちていた。
 そしてまた少年は、そんな花の目を奪う美しさを、言葉にしようともしない。そうだった。もしそれが奇蹟であり、神秘であったとすれば、神を語る言葉がないように、どんなに言葉の矢を番ったとしてもその美しさを描き切ることはできない。――
 いやそれは、単に不可能なばかりではないのだ。それは逆に、少年が言葉を忘れたからこそ、初めて見ることのできた美しさだったのかもしれない。それは言葉を越えた美、あの詩と愛と理想の小部屋に籠っていては、けっして見ることのできなかった、言葉の彼岸の美なのにちがいなかった。

 花のうてなまでは、もちろん御馴染みの姿だった。岩石のようなサボテンの胴体。淫靡な棘々。棘座の一つからひょろひよろと――何やら思わせ振りな姿で伸びた蕾。そんな醜怪なものの先端に、言葉に言い尽くせない美しい花が咲いている。あんなに忌まわしい植物が、それにもかかわらず美しい花をつけてしまうことが、少年には驚異であった。だがそれは、おそらくは違った。むしろその本体が奇怪であればあるだけ、だからこそ咲いた、ユリよりも藤よりも美しい花。――
 それは確かに、乾き切った真夏の砂漠の夜に咲いた、白い光の花だった。
                            (了)


 そうでした。かつて五年前、昼休みの食堂で聞かされた奇譚。鏡の向こうの魔界の事情。ありうべからざる妄誕として、一度は片づけられたもの。
 だがしかし灰谷の失踪の、その謎を思いめぐらすうちに、それらのすべてが突然、記憶の墓場から蘇った。そして私をあの、最後の結論へと誘ったのです。
 
 鏡の国の物語を織りなす、その無数の挿話。中でもとりわけ手掛かりとなったのは、次のような件でした。
 ――鏡の世界での無尽蔵な快楽と、こちらの世界での行い澄した毎日。そうして鏡の内外を行き来しながら、自分の中である微妙な平衡が保たれている。だがもちろん、皆が皆そうなわけではない。実際、あちらの世界に行ったきり、そのまま住み着いてしまったのも五万といる。だが自分は怖いのだ。あんな獣のように貪る連中は、きっといつか地獄に落ちるにちがいない。否。きっと今彼らのいるそここそが、まさに快楽の地獄なのだ。そういえば快楽に喘ぐ彼らの爛れた表情は、苦痛に喘いでいるようにも見える……。
 灰谷はそう語っていました。そしてそれは確かに、鏡の向こうに行った者がそれきり帰らなくなる可能性を、示唆していたにちがいありません。
 もちろん当時の私は、事の重大さに少しも気が付かなかった。すべては取るに足らない物語の細部として、受け流していたのです。
 だがしかし、そうして忘れていたはずの一節が今こうして蘇り、私に耳打ちしていた。きっとすべての謎を解く鍵は、こんな挿話の中にあるのだ……。

 そこにはまたもう一つ、こんな件もありました。
 ――あちらの世界には『時』がない、否、もっと正確に言えば、生じては滅ぼす移ろう時に代わって、そこでは永遠の時間が支配していた。時の流れを暗示するような変化は、すべてそこから排されていた。そこには老いも、衰微も、四季の変化もなく、温度はいつも恒常のまま維持されていた……。
 ――温度はいつも恒常のまま維持されていた……いや、少なくとも自分には、確かにそのように感じられていたのだ。だがあるときふと、何の気なしに温度計を覗き込んだ自分は、思わずわが目を疑った。何とその数字は、自分が初めてここに来たときから、なぜだか十度近い下降を示していたのだ。手品のからくりは、おそらくこうだった。確かに一年のサイクルで見れば、温度はいつでも一定だった。だがしかし年を追うにつれて、そこにも本当に微量ずつの変化が起こったのだ。そして数百年という時が経って……それはこちらの世界では、数年が過ぎる間なのだが……そんな気付かぬはずの微量の変化が、いつしか次第に積み重なって、こんな明らかな数字の下降となって表れたのだ。
 ――やはり一緒に淫楽を貪っていた、亡者の一人が心得顔で教えた。ソレガ定メナノダ。ヒトノ心ヲ失クシタ者ノ冷腸ガ、コノ白銀ノ世界ニスラ氷河ノ時代ヲ招来シテシマウ。ダガ安心召サレ。我々
ノノ命ハ、タトエ氷河ノ中デスラ滅ビルコトハナイ……。
 ――たとえ氷河の中ですら滅びることはない……そして実際、それはそうらしかった。温度計の数字が十度を切り、五度を切る。そして驚くべきことに、まるで変温動物の類いのように、自分たちの体温もそれにつれて十度を切り、五度を切ったのだ。だが自分たちは、それでも少しの寒さも苦痛も感じない。だとしたら本当に、自分たちは氷河の中ですら生き続けるかもしれない……。もっともそんな自分も、鏡の面を抜けてこちらの世界に戻る瞬間だけは、背中に凍り付くような寒気を感じはしたが……。
 灰谷が何気なく語ったそんな言葉を、あのころの私はこれもまた気にもとめなかった。だがそこには、確かにとてつもなく不吉な予言があったのにちがいない。だとしたら、きっとすべての謎を解く鍵は、こんな挿話の中にあるのだ……。

 そうでした。そんなふうに、かつて昼休みの食堂で灰谷が問わず語りに語った物語。そのすべてが――とりわけその中の思わせぶりの二つの挿話が、今しも蘇って私に教えていた。
 だとしたら確かに、私があの最後の最後の逆説にたどり着くのは、もう時間の問題だったにちがいありません。」
 「本当に、灰谷の肖像を眺めながら、その失踪の謎を思い巡らす。そんな暮らしを幾年も続けながら、私も今ようやく、結論らしきものにたどり着いたように見えました。
 きっかけは蘇った、あの灰谷の物語、とりわけその中の、二つの挿話。気温の下降。帰らなくなる亡者たち……。
 もちろんそれらの一つ一つは、それだけではただ、無意味な想起にすぎない。そんな二つの挿話をつないだのは――否、本当にすべてをつないだのは、これもまたある日突然、霊感のように私の頭をよぎった二文字の漢語でした。

 『氷結』――それがその言葉でした。
 水温が氷点を下ったとき、湖の面は氷結を始め、生き物たちは水の底へ底へと、封じ込められてしまう。
 そんなことが、きっとそこでも起こったのだ。
 そうだった。温度計の数字が十度を切り、五度を切る、と灰谷は語っていた。だとしたらそれから五年が、つまり五百年近い時間が過ぎて、温度が零度を切ったときから、それが始まったのだ。鏡の世界はおそらく、空気に似せた忌まわしいガスに満たされていて、それが水が凍るような具合に凝固を始めた。――もちろん灰谷とて、異変には気が付いたにちがいない。だが必死の脱出の努力も及ばず、あれほど卑しんでいた亡者たちと同じく、灰谷もまた永遠に、あの世界の住民となったのだ。」
 「そう考えれば、すべてに得心がいった。
 私たちの家探しした灰谷の部屋から、鏡らしきものは姿を消していて、その代わりに、この肖像画が飾られていた。位置と言い、大きさと言い、止め金の用い方と言い、あの鏡と寸分違わぬ油絵? だがすべてがそっくり同じなのも、むべなるかな。それは油絵などではけっしてない、あの鏡そのものだったのだから。
 そうだった。水温が氷点を下ったとき、湖の面は氷結を始める。だとしたらちょうどそのように、鏡もまた凍てついたのだ。この小さな額縁の窓から覗いているのは、けっして絵画などではない。いわばそうして、変わり果てた鏡の化石。耽美の国に訪れた冷寒の最期。そこに満たされた清澄な白銀のガスも、今は凝固して濁りを生じ、その結果がただこうして、油彩を見ているような錯覚を与えているのだ……。

 そう考えれば、すべてに得心がいった。
 私たちのような年齢の、私たちのような身分の人間は、何か特別思うことでもないかぎり、肖像など描かせるものではない? だがしかし、それは肖像などではけっしてなく、生身のままの灰谷が、凝り結ぼれた白銀の向こうに埋もれているのだ。ちょうど氷結した湖の底に魚が封じ込められるように、そんなふうに灰谷も、鏡の向こうに置き去りにされた。――もちろん灰谷とて、異変に気付かなかったわけではない。だが皮肉なことに、引き返そうと急いだ灰谷が、ちょうどこの出口のところまで辿り着いたときに、力尽きたのだ。そしてこの不幸な友人は、こうして世界の境界でこちらを覗きながら、それでも永遠に、あちら側の世界に囚われているのだ。

 そう考えれば、すべてに得心がいった。
 額縁の中の灰谷の、あのあまりにも生々しい存在感。その失踪の後も、灰谷は生きていると確信されたこと。しかも私と無縁の遠いどこかではなく、すぐ傍らのどこかに生きていると確信されたこと。――それらはけっして、私の気のせいばかりではなかったのだ。私たちの直感は、ここでも正しい事実を教えていた。本当に灰谷は、私のすぐ傍らのあの額縁の中で、絵の具のように乾いた白銀に埋もれながら、それでも生きているのだ。そうだった。亡者の一人が語ったように、彼らの永遠の命は、どんな寒気の中でも絶えることはない。まるで変温動物のように体温までが零となり、やがて血液までも凍てつきながら、彼らはそれでも息衝いている。否、そればかりか、そうして氷に縛られながらも、彼らはその永遠の快楽と背徳に浸り、喘いでいるかもしれない……。

 そう考えれば、確かに得心がいった。
 額縁の中の灰谷のあの特異な表情――凄惨なものを前にしたように、引きつった目元。何かを叫ぼうと小さく開いた口。訴えるような眼差――その不思議に印象的な表情を、私はそれまでどうしても理解できずにいた。だがこうして真実を得た今、私にはすべてがわかるのだった。本当に、灰谷自身も語っていたように、灰谷はあちらの世界に住み着くことなど、けっして望みはしなかった。鏡の向こうへの小旅行も、初めは誰にも覚えがある、興味本位の悪戯にすぎなかったのだ。だがそんな小さな好奇心が、こうして永劫の神罰で報われてしまったのを知ったとき、私たちの浮かべる表情は、まさにあのようなものでなければならない……。
極寒の氷の中に幽閉されながら、永遠の背徳に耽る快楽の地獄。私たちの誰もが望まないように、灰谷もまたそんなおぞましい生を望みはしなかった。そしてそんな永遠の地獄に落ちた灰谷は、身動ぎ一つかなわぬまま、ただこちらの世界を睨みながら、その表情だけで訴えている。あれほど切実な眼差しは、あるいは救いを求めているのだろうか? あるいはまた、救済が不可能なことを誰よりもよく知っている灰谷は、そうしてただ、言い知れぬ悲しみを語ろうとしているのかもしれない……。

 そうだった。そう考えれば、そう考えればすべてに得心がいった。
灰谷の部屋の、壁に掛かったあの魔法の鏡。それは確かに、いわば窓のない小部屋に開いた、たった一つの窓だった。灰谷はそこから、牢屋のように気鬱な日常の彼方を覗き、あるいはひそかに窓を抜けて、自在に異界に遊びさえしたのだ。
 だがもちろん、そんな麻薬のような快楽は一口啄んだだけで、すぐに引き返すべきだった。深みにはまって、骨まで毒に犯されて、抜け出せなくなる前に――そしてそんな末期の姿が、今の灰谷だったのだ。
 本当に、鏡の国の異変のために、窓は塞がれた。
 秘密の通路を抜ける行き来は、今ではもうかなわない。
 そればかりか逃げ遅れた灰谷は、そのままあちらの世界に置き去りにされたのだ――否。灰谷とて確かに、すぐあそこまで逃げ帰ったのにちがいなかった。だがしかし、いつものように窓を抜けようとしたとき、あるはずもない壁がそこにあった。
 今や一枚のガラスの板がたちはだかって友を阻み、友を隔てている。まるで何かの否応のない宣告であるかのように――そんな目に
は見えないのようなものが、どんな鋼鉄の板よりも堅固にすべ
てを仕切ってしまうというのは、本当に何という不思議だろう。
 だとしたら友は、目をしばたたく。狭霧のように込められた銀のガスに包まれて、冷たい吸気をしながら、ただああして呆然と鏡のこちらを覗いているのだ……。
 だがもちろん、そんな灰谷の最期を前にして、私には何もなす術はない。
 ただ私にできることといえば、こうして朝夕に欠かさず額縁の前に立ち、地獄に落ちた灰谷の魂を弔い、唯一の友人としてその永遠の詫ち事に耳を傾けてあげることだけなのだ……。

     7

 憑かれたような陰惨な表情。虚ろに宙を見詰めた視線。その言葉さえもはや目の前の私に向かってはいない、いつしかただ独話の口調に変わっていた。
 聞きながら、私は薄ら寒いものを感じていた。こんな鬼気迫る姿は、本当にただの話術にすぎないのだろうか? そしてもしそうでないとしたら、それは一体何なのか? 
 そのうえこうしてうわ言のように語られた話の中身は、一体どうしたことだろう。もちろんそんなことが、実際に起こりえようとは誰も信じはしない。だがしかし、もしそうだとしたら? ――
  
 不気味な沈黙の時間が、一分ほど続いた。
 語るべきことを語り終えて、全身の力が抜けたのか、知人は倒れ込むようにソファに凭れている。
 だがしかし、そうして知人の様子を眺めるうちに、私はそこに再び大きな変化が現れるのを認めていた。ソファに凭れて放心する知人の顔からは、熱が引くように例の強張った表情が消えていたのだ。陰惨な隈取り。虚ろに宙を見詰めた視線。それら私を戦慄させたすべてのものが再び消えて、私の目の前には、平凡で善良で生真面目な銀行員の知人が戻っていた。
 それと同時に、そうして日常の世界に立ち戻った知人は、私の心中の怪訝も、容易に察知したらしかった。申し訳なさそうに眉をひそめると、ここでもまたしきりに眼鏡のずれを気にしながら、知人は再び口を開いた。
 「いやもちろん、もちろんそれはわかっています。この科学万能の世の中に、そのようなことが起こるわけがない。――すべては私の錯覚、私の空想でした。
 思えばあの五年前、灰谷の部屋で起こったのと同じ現象が、今起こっているのでした。ある異常者の妄想が、周囲の人物に一時的に伝播する――そんな『感応』の病理が、確かに五年前の私に働いた。あのとき薬草酒の酔いにも煽られて、灰谷の妄想をすっかり分け持った私は、その結果灰谷が鏡の中に消えていくのを見た……。
 そんな幻覚と同じことが、きっと今もまた起こったのです。今度は酒の代わりにあのあまりにも生々しい絵に触発されて、一度は笑い飛ばしたはずの鏡の国の作り話を、またしても真に受けてしまった。その結果が、油絵を半ば強引に鏡と結び付け、単に画像にすぎないものに生身の灰谷の末路を認めたのでした。」
 「鏡の国の作り話を、またしてもすっかり信じ込んだ。――そしてそれはただ、信じたばかりではありませんでした。灰谷の聞かせた話を素材にして、例えばあの氷結のことのように、自分自身の織りなした物語を付け加えていく。いわばかつては灰谷から譲り受けた妄想が、いつしか一人歩きを始め、今ではそれ自体の空想の体系を構築し始めた。
 そしてそれもまた確かに、書物に説かれたところの『感応』のメカニズム――そうでした。忌々しい感応の現象が、今も一時私の心を蝕んでいる。そしてそんな病が、歪んだレンズが歪んだ世界を写すように、さまざまな奇想を抱かせるのです。
 そもそも鏡の世界などというのは、初めから存在しはしない作り話でした。灰谷がその隠れた思いを託した、寓意のようなものにすぎなかったはずです。
 灰谷がその一人の部屋で作り上げた、もう一つの世界。その秘密の営みを、いわば鏡の国の物語に喩えて語ったのだ。――今回の失踪にしても、きっとそうなのでした。そこには灰谷だけの内面の世界の、他人には窺いしれない理由のようなものがあった。いわば『思うところ』があった灰谷は、さあればこそあんな一枚の肖像画を後に残して、ふとどこか遠い町へ漂泊の旅に出たのだ……。
 おそらくは、それが事実でした。それなのに、すべての比喩を馬鹿正直に真に受けた私は、あんな荒唐無稽な物語を思い付いたのでした。」
 こうして知人は、自分自身の物語ったオカルトに、ここでもまた合理的な説明を付け終えた。まるでそうすることで、空物語に付き合わされた私のいらだちを鎮めようかというように。
 だが私にも、薄々わかりかけていた。これこそが、知人のパターンなのだ。ありうべからざる奇譚の世界に聞き手を引き込んでおきながら、後になってからあっさりと種明かしをして見せる。そしてその度に反転する、陰惨な鬼面と、平凡な銀行員の二つの顔。―― そしてひょっとしたら、それはけっして話術などではない。もし本当に「術」と呼ばれる種類のものであるとしたら、それはあくまでも知人の外側に置かれた道具のようなもの――だがしかし、これはけっしてそうではない。私が目にしているものはもっと知人の存在そのものに根ざした、不可分の何かだった。
 そうだった。幾度となく傍目を驚かした、陰と陽との不思議な転変。だがしかしすべてはけっして、語り部の表面だけに起こった現象ではない。もっとずっと奥底の、知人の魂そのものに今しも同じ事態が生じていて、私はただそれらを外側から透かし見ているにすぎない、とそんなふうに感じられたのだ。
それはおそらくこういうことだった。ちょうど灰谷の場合がそうであったように、知人自身の中にもきっと二つの世界と二つの自分というものがあり、その間にはまた常住の行き来が行われていた。知人の魂がこちらにあるときその声音はこのように変じ、あちらにあるときその表情はあのように切り替わるのだ。――
 もちろんそんな変わり身を、知人自身は少しも望んではいない。ややもすれば妄想の世界に迷い込もうとする想念を、理性が引き戻し、叱咤し、そして理由付ける。そんなたえざる緊張の関係が、この銀行員の心の内にあった。
 理性と妄念と。現実と不条理とのせめぎ合い。そうだった。知人の言動にあのような周期の波を形作ったのは、きっとそれだった。そしてそんな、あちらとこちらに引き合う二つの力の、微妙な均衡の上にたゆたいながら、知人の魂はかろうじて転落を免れている……。
 もちろんすべてはここでもまた、私の憶測にすぎなかった。
 だがそのとき私は知人の口から、まるでそんな憶測を裏付けるかのような言葉を聞いたのだ。
 「そのことは、私にもわかっています。灰谷が話した鏡の世界の物語など、すべて作り話にすぎない。ましてやその作り話に私が尾鰭を付けてこしらえた荒誕の体系――氷結やら、鏡の死やら、快楽の地獄やら。そんなたわごとは、あの感応による歪みのために、私の精神が見た妄想にすぎない。そのことは、私にもわかっています。そして私の理性は、そんなふうに奇想と非合理の世界にさ迷い出た自分を笑い、たしなめる……。
 私の理性は、そんな自分を笑う――。確かに平生は、それはそうなのです。銀行での執務中。自宅への行き帰り。そして食卓で食事を取っているときも、そんな非合理を私はけっして受け入れはしない。だが恥ずかしながら、白状しなければなりません。ただ一時、ただ一時この応接間にいるときだけは、私の精神は再び、理性の支配を逃れてしまうのです。この部屋に足を踏み入れ、あの肖像画の灰谷の視線を浴びた瞬間に、それもまたあの感応の仕業なのか、何かのパスワードを得たように、私の妄想が誘発される。もちろん私の理性は、初めは必死に否を叫びますが、それもやがては抗しかねたように、想念の奔溢に身を委ねてしまう……。
 そうなのだ。私は再び、そんな想念の世界に引き摺り込まれてしまう。そして私はこうしてソフアに腰掛け、あるいはもっと直接に灰谷の前に立ちながら、鏡の世界に起きてしまった歴史やら、灰谷の今の身の上やらに思いを致すのだ。否。単に物思うだけではない。鏡の中で今でも生きている灰谷は、声は聞こえないまでも、口の動きは読み取れると考えて、私はそれに語り掛けさえするのだ。少女が縫いぐるみと密語を交わすように、私はこのただ一人の心の友に向かって昨日の思い出を語り、今日の悲しみを打ち明け、明日の不安をかこつのだ……。」
 聞きながら私は、知人の様子に再び危険な徴候が現れるのを認めていた。知人はまたしても、あの自分だけの世界にのめり込もうとしている。その表情には陰惨な隈が浮かび、その目は物狂おしく宙を見詰めている……。
 もちろんそれは、これまでにも幾度も目撃してきた知人のパターンだった。理性と妄念のせめぎ合い。こちらの側の私たちの現実と、知人だけの心の中の不条理との、二つの世界の往復。そんないわば魂の相克のようなものが、いつでもこの知人の内部にあった? 
 だとしたらそれは確かに、ずいぶんと忌まわしい種類のものだったにちがいない。
 そのうえ私の不安を駆り立てたのは、そんな知人の心の揺れの振幅が、次第次第に小さくなっていくように思えたことだった。このまま揺れ幅が小さくなって、こちらの世界にとどまる時間が短くなっていったとすれば、その先には一体何が起こるのか? 
 私は再び背筋に寒いものを感じた。それと同時に、この不気味な部屋にこれ以上居座ることに、苦痛を感じ出した。草々に退散するために、私は暇乞いの機会を探し始めた。

 だがしかし、まるであなぐらに落ちたように、またしても自分だけの世界に閉じ籠った知人は、再び物語ることはなかった。知人はただ無言のまま、糸に引れるようにふとソファから立ち上がると、広くはない応接間のスペースを、憑かれたように強張った表情を浮かべたまま、落ち着かない様子で歩き回り始めたのだ。
 意味不明の挙動に、私は再び戦慄を感じた。そうしてゆっくりと、ゆっくりと歩行しながら、知人はまたその想念の世界に浸っているのか。あるいはこれはひょっとしたら、狂疾の患者がしばしば見せると聞く多動の症状? 
 だがやがて、知人のふるまいを眺めるうちに、私にもわかってくる。でたらめのように思えたその動きも、本当はけっしてそうではない。知人の足先の描く迷路のような軌跡の中心には、その実いつでもきまってあの肖像画があるのだった。だとしたら知人は、そうして歩き回ることで距離と角度を変えながら、ためつすがめつあの絵を閲しているのだ。
 ようやくそんな事実に気が付いたころ、ふと知人の足の動きが止まった。そこは知人と絵の中の「灰谷」とが、画面を介してちょうど等しい距離になるような、特別な地点だった。
 そうだった。だとしたらそうしてそこに佇んで画面を覗くとき、絵の中で叫ぼうとしている人物は、確かに知人自身の鏡像のように見えている……。

 そんな知人の異体を眺めながら、私は様々な疑問に悩んでいた。 誠実で、几帳面な銀行員の顔と、その裏のこんなおぞましい鬼面との関係は? 
 そしてまた、それほどまでに危うい変化を引き起こしてしまう、「感応」の力とは? 
 なかんずく灰谷という不思議な人物と、その失踪の謎。――
 もちろんそのころには、私とてもうとっくに感づいていた。そのようなことは、本当はもちろんありえるはずがない。一枚の肖像画だけを残して、突然行方をくらます孤独癖の男? そんな伝奇小説じみたことが、実際に起こりえるはずはないのだ。第一もし知人の周囲に、そんなミステリアスな事件が本当に起こったとしたら、間接的に私の所まで聞こえてきそうなものなのに、似たような話は少しばかりも耳にすることはなかったではないか。
 だとしたらこれもまたきっと、知人の作り話なのだ。これもまた――そうだった。灰谷の失踪の、その原因として語られた「氷結」の物語は、もちろん知人の捏造だった。そのことは知人自身が認め、私に非礼を詫びたにちがいなかった。だがしかしその実知人の虚構には、もっと手の込んだ二重のからくりがあったのだ。嘘だったのは、ただその原因ばかりではない。灰谷の失踪というその出来事自体が、そもそもあるはずもない作り話だった。そして知人の謝罪は、ただそうして第一の嘘を詫びてみせることで第二の嘘を生かそうという、むしろ狡知のようなものにすぎない……。
 だがしかし、もしそうだとしたら? 
 そうだった。もしそうして、その失踪話に信憑性がないとしたら。それをいうならそもそも、灰谷とかいう人物の存在そのものも、怪しいものとなるにちがいなかった。本当に、誰とも付き合うことなしに、空想の世界に閉じ籠る孤独癖の銀行員。そのような人物が、この世にありようがない。すべては知人の作りなした架空の存在なのだ。
 氷結の奇譚も、鏡の国のお伽話も、そもそも灰谷という奇人の逸話すらが、ありもしない作り話だった。だがしかしもしそうだとしたら、それもまたやはり、知人の狂気なのか? すべてはその心の歪みの致す妄想? 
 そうだった。この銀行員には多少絵の心得か何かがあって、おそらくはどこかの画商で、印象深く見えたこの油絵を買い求めた。それはもちろん、知人とは何の関係もない人物がモデルになったものだった。だがこうして応接間に飾って眺め暮らすうちに、知人はその心の病のために、絵の人物に纏わるさまざまな物語を織り成してしまった。その結果ご丁寧に「灰谷」という名前までいただいた絵の中の男は、永遠に知人の心の友となったのだ。――
 心の友――否。ここでもまたきっと、物語の主人公は、知人自身の分身だった。銀行の執務以外、楽しみもなく見える男。一人だけの小部屋の、秘密の快楽。二つの世界の往来。そればかりではない。ひょっとしたらあの忍び寄る不条理の結末さえ、すべては知人そのものではないにせよ、少なくとも身に覚えがある何かだったにちがいない。そんな誰も知らない知人自身の内側のすべてを託されて、灰谷はその「心の友」となった……。
 そしてそんな知人の愚行を、私は笑うことも、怒ることもできない。否、もちろんそれは私ばかりではない。私たちは誰も、狂気を哀れみこそすれ、それを指弾することはできない……。
 
 もちろんそれもまた、あくまでも一つの仮定――ただ想像であるにすぎない。だが同時にそれは、とてつもなくまがまがしい想像でもあった。
 本当に、もし灰谷の存在が架空のものであったとしたら、知人が好んで用いたあの説明も、意味をなさなくなる。知人自身が認めた心の歪みは、けっして何かの人物の「感応」による、「一時的」な現象などではない。それは確かに知人自身の心の中に、恒常に巣くった病なのだ。――
 平凡で善良で篤実な銀行員。忠実な夫。優しい父親。そしてそんな仮面の裏になぜか巣くってしまった狂気。
 実直そうな眼鏡の下の、薄汚れた恥部。表の顔が穏やかで清らかであればあるだけ。それだけ醜怪なもう一つの顔。
 それは知人の心に、ぽっかりと口を開けた深淵。いやそれは、知人ばかりではない。ひょっとしたら私たちすべての心に、口を開けているかもしれない深淵。あの瞬間、その吸い込まれるような谷底を覗き込んで、私はわずかにめくるめいた。
 そしてすべては、見てはならないゴルゴンの首だったにちがいない。それが証拠に、あのときの私の心の中には、あらゆる負の感情が渦巻いていた。恐怖、不安、たとえようのない忌まわしさと、不快の気持ち……。

 だとしたらもはやこれ以上、この知人の傍らにいることは、私には耐えられないにちがいなかった。私は再び、暇乞いの機会を探そうとした。
 だがもちろん、それは無用の努力だった。肖像画を前に喪心している知人は、いわば魂を失くした生ける骸だった。そんな知人に対して、いかなる儀礼の言葉も必要はなかった。私はただ手早く自分の荷物をまとめて、黙ってこの部屋を抜け出すべきなのだ。
 そうだった。もはや一刻の猶予もならない。知人はさらに深く、さらに深くその狂気の世界に沈みこもうとしている。何か恐ろしいことが起きてしまわないうちに、私はこの場を立ち去らなければならない……。

 そしてそれから五分後、私は本当に、この汚辱の部屋を永遠に後にしていた。だが立ち去るとき、私の気分は、予期していたものとはずいぶん違っていた。あのたとえようのない忌まわしさ、不快の気持ちはすっかり私の内から消え果てて、私はこの乱心の知人に対して、共感と言わないまでも甘い哀憐のようなものさえ感じていたのだ。
 それはもちろん、私が知人のある言葉を聞いたがためであった。 そうだった。私が慌ただしく帰り支度をする最中、それまで肖像画の前に立ちすくんでいた知人の様子に、わずかな変化が見えた。その憑かれたように強張った表情が、再び一瞬だけ凪いで、知人は最後にもう一度だけ、歌うような口調で語ったのだ。そしてその言葉を聞いた瞬間、私はこの知人のすべてを理解したような、――少なくともそのすべてが許せたような気になったのだ。
 それは本当に、次のような言葉だった。
 「こうして毎日生真面目な銀行員を演じ、忠実な夫を装い、優しい父親を真似ながら。ただこの部屋にいるときだけは、私はこのただ一人の心の友に向かって昨日の思い出を語り、今日の悲しみを打ち明け、明日の不安をかこつのです……。
 だがそんなふうに日々を暮らしながら、このごろふと、妙なことを考えることがあります。凍り付いた鏡の中に閉ざされながら、それでも生きている灰谷には、こちらの世界が見えているかもしれない。私が何も語らずとも昨日の思い出やら、今日の悲しみやら、明日の不安のすべてがすでに見えているのかもしれない。だとしたらそれらは一体、どのように見えているのか? 

 それらは一体、どのように見えているのか? とりわけ私のこの顔は、あちらの側にはどのように映っているのか? もちろんそれは、そっくりこのまま映るはずもなかった。固化した鏡面に生じた狂いのために、その像には何らかの歪みが加わるにちがいない。だとしたらそれは、どのように? 
 もちろんそのようなことは、こちらの側の人間にわかるはずもない。だが不思議なことに、私にはある圧倒的な確信をもって、こう感じられるのです。私の顔もきっと、あのように映っているにちがいない。鏡の向こうの灰谷の顔が、私たちの目にあのように映っているように、そのように私の顔もまた見えているのだ……。
 
 年齢を訝からせる衰顔。凄惨なものを前にしたかのように、大きく見開かれた目。何かを叫ぼうと、開き掛けた口元。
 それは確かに、鏡の向こうの灰谷の表情でした。だがもしそうだとしたら、私たちもまたきっと、同じように見えているのにちがいない。
 同じように――そうでした。あの氷結の異変のために、鏡の向こうに置き去りにされた灰谷。だがしかし、もしそうして灰谷が戻れないとしたら、私たちもまた、旅立つことはできないのかもしれません。
 灰谷の失くしたすべてのものを、私たちもまた失くしていた。壁に掛かった鏡の魔法。窓のない小部屋の、たった一つの窓。本当に、秘密の通路を抜ける行き来は、今ではもうかなわない……。
 だとしたら私たちもまた、きっとそうなのだ。ちょうど鏡の向こうの灰谷が永遠の氷に縛められてれているように、こちらの私たちもまた何か目には見えない檻に閉ざされて、囚われの悲しみを託っている……。
   
 年齢を訝からせる衰顔。凄惨なものを前にしたかのように、大きく見開かれた目。何かを叫ぼうと、開き掛けた口元。
 そうだった。だとしたら私たちもまた、きっとそうなのだ。鏡のこちらの私たちも、きっとまたそのように身動ぎ一つかなわぬまま、言い知れぬ悲しみを湛えた眼差しで、必死に訴え掛けているにちがいない。
 それもまた、氷の獄に閉ざされての命を持て余し、ただ救い
か破滅かをこいねがいながら……。」
                        (了)










「奔馬」 


























――私の目の前には、不思議な街の不思議な光景が繰られていた。
 
 手を繋いだ、大勢の若いカップル。自転車の隊列をなした女学生の群れ。
 サッカーの応援団。デパートのバーゲンセール。街頭にまで流れ出す夥しい音楽。
 もちろんそれは、ごく普通の東京の一日なのかもしれない。だがそんなありきたりの一コマ一コマが、なぜかこの私の目には、とてつもなく奇異なものに映っていた。何というのどかさだろう。なぜ誰一人、先を急ごうとはしないのだろう。

 それはおそらく、帰還の兵たちをいつでも同じように悩ませる、あの違和感だった。
 そうだった。幾年ぶりかの祖国の街で、彼らをまず驚かせるものは、いつでもその圧倒的な安穏なのだ。銃声の聞こえぬ街。起床喇叭の鳴り響かぬ朝の目覚め。澱んだように緩やかな時の流れ。誰もが訝しげに、目をしばたたく。何という、穏やかな陽射しだろう。なぜ誰もがああまで無防備に、くつろいでいられるのだろう。

 だとしたら、今の自分も、また同じだった。長い戦いをようやく終えて、安穏の時間へと舞い戻った自分。その前に現れた終戦の風景の、あまりの安らかさ。だとしたらここでもやはり、誰の場合とも同じように、言い知れぬ違和感が帰還の兵を悩ませる。
 本当にすべては、昨日までとあまりにも違っていた。昨日までの、あのせわしない時の流れ。戦に駆られて、足早に渡り歩く日々。そんなものは、ここにはもう少しもない。
 記憶の中の時間と、目の前の時間の齟齬。言い知れぬ違和感が、帰還の兵を悩ませる。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか? そしてこの私は、行かなくてもいいのか? 
 例えば昨日まで、戦士たちが命を賭してきた「大義」は、そこにはもうない。そしてそれに代わる「何か」は、まだ見付からなかった。彼らの営みの、一つ一つを繋いでいた脈絡が失われ、すべては糸の切れた数珠玉のように、ばらばらな、無益なものとなっていた。 だとしたら、だとしたらなおさら言い知れぬ違和感が、帰還の兵を悩ませる……。

     1

 あの馬のことが私の心を捕らえたのも、ちょうどその頃だった。 その馬の名は――いやもちろん、実名を書くことに差し障りがあるはずもないが、ここでは仮に、「ダイタクミサイル号」とでも呼んでおこう。もちろんそのスピードと気性に敬意を表して、である。

 私が初めてその馬を見たのは、去年の九月、中山競馬場のターフビジョンであった。
 その日もまた、たった一人で競馬場を訪れた私は、二つのレースを続けて外した後で、地階のスタンドに腰を下ろしたまま、ぼんやりとメインレースの開始を待っていた。

 そのとき突然、それまでは静まり返っていたターフビジョンが、けたたましい音量でレース実況を始めたのだ。
 まだそんな時刻でもあるまいに、と初めは怪訝に思っていた私も、ややあってそれが、同時開催函館競馬の、メインレースであることに気が付いた。
 その気になれば中山でも馬券は買えたらしく、周囲の男たちの幾人かは、一心にターフビジョンを見詰めたまま、まだスタートを切る前から、気合の入った声援を送っている。

 そんな他人事の狂騒を、初めは冷ややかに眺めていた私の目も、だがしかしゲートが開かれた途端に、画面の上に釘付けとなった。 画面の上に――否。それは正確には、レースの先頭を疾駆する一頭の馬に、と言ったほうがいいかもしれない。なぜなら、十馬身は引き離されたであろう後続の馬たちを、ターフビジョンの画面が捕らえたのは、ほんの幾秒とはなかったはずだから。
 そしてそれは、カメラばかりではなかった。公平にレースを伝達するはずのアナウンサーでさえ、二番手の馬たちの名前は申し訳程度に付け足すだけで、終始興奮気味にその馬の――ダイタクミサイル号の名前を連呼していたのだ。
 ――速いぞ速いぞ、ダイタクミサイル。痛快豪快な逃げ、ダイタクミサイル。北の新星、新しい英雄の誕生だ。
 ――函館二才ステークス、ここからクラシックへの夢が広がっていく。皐月賞、ダービーへ、クラシックへの夢を乗せて、逃げるぞ逃げるぞダイタクミサイル。
 アナウンサーの上擦った台詞が、必死に伝えようとする驚きを、確かに画面に見入る誰もが、同じように分け持った。ニューヒーローの鮮烈な登場。そのけれんみのない逃げっぷり。そんな光景を目の当たりにして、レースの最中も直後も、私の周囲に溜め息に似た嘆声の絶えることはなかった。
 そしてまた、この私も――。
 だがしかし、それもずいぶん不思議なことであった。そもそも私は、馬券を買ってはいなかったのだ。だとしたら、「賭け」を離れたところで、自分の体が示してしまったあのあまりにも激しい反応、――レースの間中絶えなかった戦慄の、正体は一体何だったのだろう。

 ――レコードタイム、ダイタクミサイル。驚異的なレコードタイム。一分九秒二。マイネルダビデのレコードを、コンマ九秒更新する大差勝ち……。
 そんなアナウンサーの興奮覚めやらぬ絶叫も、やがて次第にフェイドダウンして、ターフビジョンの放送は、まもなくこちらのメインレースへと切り替わってしまった。私たちの関心もまた、目の前の勝負事の方へと、移っていったにちがいなかった。だがしかし私たちの――少なくとも私の胸の奥には、先程の逃走劇が与えた不思議な感動の余韻が、いつまでも消えることはなかった。

        *

 それかあらぬか、競馬場から帰宅した私は、まず真っ先に、ビデオ録りしてあった競馬中継のテープを回した。
 お目当てのレースは、ここではメインレースの直後に、実況録画の形で流されていた。
 目の前にもう一度再現される、一分九秒二のドラマ。14インチのテレビ画面は、それにもかかわらず、ターフビジョンの大スクリーンに少しも劣らない、鮮烈な絵を見せていた。華々しい逃げ足、下馬した騎手から鼻面を叩いて祝福される勇姿――競馬というスポーツの持つ、清々しい魅力のすべてが、確かにそこにはあった。

 ただ一つだけ、今度のテレビ放送の違っていたのは、先刻のターフビジョンの実況がやがてフェードダウンして切り替わっていったのに対して、こちらの場合はそれに続いた騎手インタビューも映していたことであった。
 当然私は、期待しながら言葉を待った。先刻のアナウンサー氏の絶叫のような、手放しの礼讃をそこに予期していたからだ。
 だがしかし、インタビューを受けた関西の若手騎手の返答は、意外にもあっさりしたものであった。
 ――今日のところは強かった、というところでしょうか。まだまだ競馬は、先がありますから。
 クラシック候補、と水を向けられても、拍子抜けするほどそっけない答えが返ってくるだけだ。
 ――スピード任せで、一本調子なところがありますからね。折り合いとか、気性面でレースを覚えていかないと、距離が伸びてからの不安がありますね。
 それはある意味では、とんでもなく手厳しい、つれないコメントであった。聞きようによっては、レースの感動に水を差されたような、後味の悪ささえ感じられただろう。
 だがもちろん、誰より馬のことを知っている、騎手の言葉に偽りがあろうはずはない。彼もまたひょっとしたら、しろうと目に映る華々しさの、裏にある不安を見据えているのかもしれない。

 競馬というものにも、もうだいぶ親しんでいた私には、そんな騎手の真意が、おぼろげながら理解できるような気がした。
 その言わんとするのは、おおむね次のようなことだったと思う。 競馬にはもちろん、スピードとスタミナの、二つの要素がある。そして私たちのしろうと考えでは、この二つの数値がただ大きいものがレースに勝つ、と思われがちだ。だがしかし、どうやら話は、そんなに単純なものではないのだ。
 人間の場合だって、それはそうだろう。例えば百メートルを10秒で走るスピードがあり、4295キロを完走するスタミナもあるとする。だがその同じ男が、もしマラソンの最初の1キロを、そのままの全速力で疾走してしまったとしたら、たちまち力尽きてしまうだろう。そんな勘違いをしないこと。つまりレースの性質を――ひいては相手関係や気候条件まで、諸々の状況を勘案すること。そしてそのうえで、有限のスピードとスタミナを配分していくこと。そんなレース運びもまた、勝敗を決める大きな要素となっているのだ。
 競馬においてもまた、同様だった。レースの距離や、展開や、駆け引きを勘案しながら、――もちろんそこでは、判断を下すのは、乗り役の騎手である。騎手が馬に、手綱を通して、それらのすべてを教えていくのだ。そしてそんな騎手の指示を守る「折り合いの付く馬」は、最大限にその能力を発揮して、勝利を収めていく。その逆に、指示を守らずにつっ走ってしまう「気の悪い一本調子の馬」は、その潜在能力にもかかわらず、不本意な成績に終わってしまうことも多いという。
 二才馬の時点なら、それでもまだ構わなかった。その頃はレースの設定も、まだ短距離が主体だった。そのうえどの馬もまだ子供で、一本調子という点では似たり寄ったりだから、能力だけに物を言わせて押し切ってしまうことができる。だがやがて三才、四才となり、周囲の馬が大人になっていくにつれて、――そしてレースの距離も伸びるにつれて、腕力自慢の餓鬼大将は、途端に勝手が違ってくる。引くところは引き、押すところは押す、そんなレースのめりはりを覚えた彼らを相手に、あいかわらずやみくもに繰り出すだけの餓鬼大将のパンチは、ぶざまに空を切り始めるのだ。
 そうなると彼は、三才を迎えた頃から、本当にぱたりと勝てなくなってしまう。あれほど晴れやかだった英雄が、やがてファンからも馬主からも見切りを付けられて、二才チャンピョンというわけのわからない勲章だけをぶら下げて、いつしか消えてしまう場合も多いのだ。そしてその「彼」というのが、ひょっとしたらダイタクミサイル号かもしれない――そのことこそが、この騎手の最も危惧していることなのだ。

     *

 おそらくはそれが、騎手の真意だった。
 だとしたら、一見冷ややかに聞こえた彼の物言いの中には、その実それと裏返しの、本当の期待と愛情が込められていたことになる。 ――血統的には長いところも向くはずで、あとは気性面での勉強だけですから。
 ――二才で終わってしまって、いい馬じゃないですから。これだけの素質の馬、大成して欲しいですから。
 ――まあ馬も騎手も、これからまだまだ勉強ですよ。ははは。
 そうだった。早熟と目された馬なら、後先のことは考えず、まだ勝てる二才のうちに、使いづめに使われていく。そのようにして賞金を稼ぐのが、競馬の経済学なのだ。だが今この騎手は、まさにそんなやり方に対して、否を叫んでいるのだ。否。この馬に関しては、そのような道は歩ませたくない。もっとじっくり、大きく育てていきたいのだ、と。

 そして彼の言う「馬と騎手との勉強」は、まさに今日のこの勝利の瞬間から、もうすでに始まっているらしかった。
 そしてまた、この私もどういう成り行きか、彼らの勉強に最後まで付き合うことになった。
 この日初めて、スクリーンの中で出会った馬。そしてその走りに、不思議な感動を覚えた馬。その馬の「その後」のことを、この私もまた、見守らずにはいられなかったのだ……。

     2

 本当に、それ以来私は、ダイタクミサイル号の走るすべてのレースを追っ掛けた。
 当然、関西のレースを、直接見ることはできない。その代わりに、テレビの中継がある時にはテレビで、そうでないときにはスポーツ新聞の記事で、というように。

 もちろん自分自身も、もう気が付いていた。私があの馬の姿に、そうまで引き付けられるのは、そこに私がある種の暗示を、見出していたからにほかならない。
 あの初めての出会いの日に、私がそのレースぶりに異常なまでの反応を示したのも。直後の騎手のインタビューに、逐一うなずいたのも。そしてまたその後の成り行きについて、これほどまでに気掛かりなのも。そのどの場合にも、すべてが自分と、あまりにもよく似ているように思えたのだ。自分の置かれた今の状況と、確かに共鳴するものが、そこにはあると感じられた。
 それはけっして、珍しい心理ではない。スポーツに人生をたぶらせ、競技場を駆け巡るものたちに、我が身をなぞらえるのは、誰にでもありがちなことだったろう。ただ私の場合には、たまたまその対象に選ばれたのが、健気にひた走る一頭のサラブレットだった、ということなのだ。

 あの頃の私の置かれた状況。昨日までの激しい戦いに敗れて、平和の街に立ち戻った自分。そこで始まった新しい暮らしに馴染み、新しい生き方を覚えなければならなかった自分。
 そうだった。だとしたら、すべては私の場合と、あまりにもよく似ている。
 あの初めの日、レースをひた走っていたダイタクミサイルの姿は、昨日までの戦う私そのものだった。そしてまた、これから新しい競馬を学ばなければならない、そんな彼の課題もまた、私の場合とあまりにもそっくりだった……。

     *

 あの頃の私の置かれた状況。昨日までの激しい戦いに敗れて、平和の街に立ち戻った自分。そこで始まった新しい暮らしに馴染み、新しい生き方を覚えなければならなかった自分。かい摘まんで言えば、確かにそれは、そういうことになる。
 昨日までの激しい戦いに敗れて、――もちろんこの太平の世の中のどこかに、実際の戦争が行われている、というわけではない。だが何も、大砲が火を吹き、血が流れるだけが戦争ではないのだ。目には見えないどこかで、それでも人生の戦士たちの戦いは、着実に行われている。誰しもきっと、一度は身を投じる人生の戦い。その多くは敗れていき、ある者は命さえ落としていく。それは実際の戦争に、少しも劣らないほど苛烈な戦いだっだ。そして私もまた、そんな人生の戦いに敗れて、帰還したのだ。

 私の場合の、「戦い」とは一体、どのようなものであったのか。 その詳細はあまりにも個人的すぎて、今ではもう、語るに値しない事柄のように思える。
 ただきっと、私は誰とも同じように戦い、そして誰とも同じように敗れたのだ。
 そして敗残の兵の前に、東京の街は実に不思議な姿で、そこにあった。誰一人不安の影に怯えることもない、安穏の地。そこには永遠のバカンスが支配していた。はてしない遊惰と逸楽。極楽蜻蛉の住民が繰り広げる、祭りのような毎日。サッカーの応援団。デパートのバーゲンセール。街頭にまで流れ出す夥しい音楽。
 そんな光景を目の当たりにして、戦士の心が訝るのだった。本当にすべては、昨日までとあまりにも違っている。昨日までの、あのせわしない時の流れ。銃声に追われ、戦に駆られて、足早に渡り歩く日々。――そんなものは、ここにはもう少しもない。ここでは時間は、限りなくスローに流れる。不思議な微風のような、時間のリズム。いや本当に、ここでは時は、少しも流れていないのかもしれない。
 記憶の中の時間と、目の前の時間の齟齬。言い知れぬ違和感が、帰還の兵を悩ませた。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか? ―――そしてこの私は、行かなくてもいいのか? 

 だがもちろん、そんな齟齬の時代は、いつまでも続きはしない。 人は誰しも、学ぶものだ。否。生き続けるためには、学ばねばならないのだ。
 私もまた、やがて学ぶことを始めた。こうして訪れた新しい暮らしに馴染み、新しい時間と折り合うための、努力を始めたのだ。
 私もまたとりあえず、それを生きてみた。新しい生の只中に飛び込んで、彼らのしきたりのすべてをまねび、その流儀にも従ったのだ。彼らと同じように歌い、笑い、そして……。
 そうするうちに、頭より先にまず体のほうが、ワインに浸したパンのように否応なく、それを覚え込んでいくだろうと期待しながら。 目の前で極楽蜻蛉の男女が繰り広げる、祭りのような毎日。おめでたい乱痴気騒ぎ。この私自身もまた、そんな宴に連なった。銃声のフラッシュバックや、幾度も目覚める悪夢にときにはうなされながらも、ひたすら素性を押し隠し、彼らと同じように歌い、笑い、そして……。

 競馬場に入り浸るようになったのも、やはりまた、そのころであった。
 なにしろこの安穏の街では、それが当節のはやりだったのだ。そのうえ私はまた、鉄火場の空気に染み付いた殺伐の匂いにも、どこか惹かれていたのかもしれない。
 そしてたまたま、そこで出会った一頭の馬が、あまりにも自分自身の姿に似ていた、というわけだ。

     *

 それがあの頃の、私の状況だった。
 だとしたら、そんないきさつで出会ったあの馬の姿に、私が惹かれていったのも、自然の成り行きだったろう。
 そうだった。あの馬が今しも、学ぼうとしていること。競争馬として大成するための、気性面での勉強。短距離専門の、スピード任せの走りではなく、中距離を乗り切るための、折り合いを付けること。引くところは引く、大人のレース運びを覚えること――すべては自分の場合と、あまりにもよく似ている。勝利を目指して突っ走るような、人生の戦いをやめて、安穏の街の澱んだ時間に馴染もうともがく、自分の場合とあまりにもよく似ている……。

     3

 本当に、それ以来私は、ダイタクミサイル号の走るすべてのレースを追っ掛けた。
 だがしかし、私がそこに見るものは、もうかつてのような勝利の場面ではなかった。

 何とそれは、惨敗に次ぐ惨敗。――単に成績柱の、着順の数字だけを見た者なら、三連勝で函館二才ステークスを制したヒーローの、そんな突然の変調ぶりに驚いただろう。
 だがしかし、現実のレース振りを知っている私には、その敗北が必ずしも意外ではないのだった。
 それはそうだろう。何しろあいつときたらレースの間中、始終頭を上げ、いやいやをし、左へ右へとよれてばかり、とても走りに集中できるような状態ではないのだ。騎手の方もまた、馬をなだめて折り合いをつけるのが精一杯で、時には振り落とされそうにすらなるのだから、初めから勝ち負けなど期待できようはずはなかった。 そんな騎手の手綱さばきに、心ないファンは容赦なく罵声を浴びせた。あの馬のかつての勇姿を知る者には、そんな不可解なレースぶりは、到底納得できるものではなかったのだ。
 だがしかし、あのときの私には、目の前で行われていることの意味が、もうすでにわかっていたのだ。
 ――それでいいんだ。馬も騎手もまだ勉強中なんだから、それでいいんだ。
 そうだった。あれはけっして、騎手の乗り違いなどではない。ああして馬と必死に格闘しながら、新しい、もっとずっと堅実な競馬のスタイルを、教えようとしているのだ……。
 もちろん今まで通り、馬の行く気に任せて突っ走ってしまえば、とりあえずのレースは逃げ切ることができるだろうし、馬券を取ったファンも喝采するだろう。だがそんな、子供染みた乗り方をいつまでも続けていては、何の将来性もない。やがて必ず行き詰まる日が来て、スピードだけの早熟馬ということで終わってしまう。
 今はただ、目先の勝利にこだわらずに、勉強をすること。先頭に踊り出て、一気に走り抜けるようなレースではなく、馬ごみの中でじっと我慢して、折り合いを付ける。スタート直後から全力を出し切ってはいけない。できるかぎりパワーを温存して、レースの後半に賭けるのだ。中団から差すこと。あるいは後方から、追い込みさえする。そんな「大人の」競馬のパターンを、たとえ何度試行錯誤を繰り返してでも、あの馬に教え込んでいかなければならない。

 だがしかし、それにしてもこの馬の飲み込みの悪さは、天下一品だった。普通の馬だったら、二度三度「押さえる」レースを経験すれば、自然とそのこつを体得していくものなのに、あの難物はいつまでたっても一向に進歩しようとしないのだ。惨敗に次ぐ惨敗。あいつのレースを片っ端から追い掛ける私が、相変わらず画面の中に見出だすのは、判で押したようなあの姿――始終頭を上げ、いやいやをし、左へ右へとよれまくる利かん坊のダイタクミサイルなのだ。 だとしたら、スピードに関してはあれほど卓越していたダイタクミサイルが、この折り合いという点に関しては、何と極めつけの劣等生だったのだ……。
 そのことを知らされた私の心中は、嘆きというよりもむしろ、不思議ないとおしさに満ちていた。それはきっとあの、「出来の悪い子ほど可愛い」と言われる心理だった。そうだった。体育の授業ではあれほど溌刺としていた少年が、算数の問題を前にして、鉛筆を噛んだまま頭を抱え込んでいる。――そんな姿には確かに、えもいわれぬ愛嬌がある。
 もちろん、そんなときの私もまた、画面の中の彼と自分自身とを、置き換えて笑っているのだ。本当にすべては、自分の場合とあまりにもよく似ている。勝利を目指して突っ走るような、人生の戦いに見切りを付けた自分。新しい間怠い時間と、「折り合いを付け」ようとする自分。そして思うに任せず、もがく自分。――そんな自分の場合と、すべてはあまりにもよく似ている。
 深刻なはずの人生の問題さえ、そうして一頭のやんちゃな悍馬に、なぞらえてしまうこと。そんなカリカチュアの軽妙さには、確かに不思議なまでの愉快があった……。

   *

 とりわけ難題は、「スローペース」というやつらしかった。
 そうだった。どの馬もそこそこのスピードで走るような、ごく普通のペースなら、ダイタクミサイル号も馬群の中に折り合って、流れに乗ることができるのだ。
 ところがいったんペースが緩んでしまうと、もういけない。周囲の馬がパワーをセーブして、じっと後半に備えているときに、ダイタクミサイル号だけは騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがき始めるのだ。
 だとしたら、この「スローペース」という言葉こそ、すべてを解き明かす鍵なのかもしれない……。

 スローペース。――そもそもが、速さ比べのスポーツの中で、どうしてこんな不思議な現象が生じるのか? 
 もちろん長距離のレースが、スローペースに落ち着くのは当然だった。もしそこで、無茶なペースで走ってしまっては、たちまちスタミナ切れを起こしてしまうだろう。だがしかし、話はそれほど単純ではない。たとえそれが中距離でも、いや短距離の場合ですら、しばしばレースはスローに流れる。一マイルくらいなら、全力で駆け抜けられそうなものなのに、どの馬もまるで勝つ意志などないかのように、楽をして回っている。

 まるで勝つ意志などないかのように? 否。もちろん、それは違う。レースに出るからには、誰だって勝つつもりなのだ。だがしかし、同時に誰もが、ハイペースよりはむしろスローペースで、勝ちたいと思っているのだ。
 それが競馬というものの、厄介な部分だった。奇妙に聞こえるかもしれないが、もしそれで勝てるものなら、レースのペースは遅ければ遅いほどよいのだ。――もちろんハイペースを乗り切って、レコードか何かで走破すれば、見た目は華やかだろう。マスコミもまた、やんやと喝采するにちがいない。だがそれは、あくまでが素人の発想だった。馬を走らせる玄人の側に立てば、間違いなく、同じ勝つならタイムは遅ければ遅いほどよい。
 なぜならば? なぜならば競馬は、タイムをではなく、最先着を競いあうスポーツだからだ。
 例えばある馬が、2000メートルを2分の好タイムで走る。だがその同じレースで、たったカンマ1秒でも先着した馬がいたとすれば、その馬の奮闘には何の意味もなくなるのだ。その逆に、2000メートルを走るのに2分10秒掛かったとしても、その同じレースの中で最先着であれば、その馬が勝ち馬となる。競馬は確かに速さ比べだが、比べられるのはその馬の絶対的な速さではなく、目の前のそのレースの中だけの、相対的な速さである。したがって前者の馬の2分よりも、後者の馬の2分10秒の方に価値があるという、逆説の世界が生まれるわけだ。
 だとしたら同じ勝つなら、タイムは遅ければ遅いほどよい。楽をしてレースに勝つことができて、その結果多額の賞金が転がり込むなら、それに越したことはないのだ。

     *

 それが走る側の――走らせる側の論理だった。
 それは我々ファンの――見る側の論理とは違う。
 ファンのイメージし、期待する競馬の姿は、常にトップギアで疾走し、能力の極限を競うようなタイムレースだろう。もちろんそんな、ファンの気持ちに応えることも、不可能ではない。持てる力の百パーセントを常にレースに注ぎ込み、完全燃焼する。いや、それどころではない。馬にも人間と同じように、「火事場の馬鹿力」のようなものがあり、ときには百二十パーセントの力を発揮することだってありうるのだ。そうしてすべての馬が究極の力をぶつけあえば、最も見応えのあるレースが繰り広げられるだろう。そしてその中での勝者には、最も輝かしい栄冠が与えられるだろう。
 だが一体、その後はどうなるのだろう? 百二十パーセントの力を振り絞ったとしたら、その付けは必ず、回ってこないはずはない。おそろしい反動が、きっと待ち受けている。命懸けの勝ち戦の後に残されるのは、精も根も尽き果てた満身創痍の体、凱旋の軍服に包まれた、いわば英雄の抜け殻なのだ。

 そんな過酷なレースの繰り返しによって、競争馬としての生命は確実に縮んでいく。いや、引退ならまだしもなのだ。過酷なレースの最中に故障して、命すら失った例だって枚挙に暇がない。そんなことは馬自身も、関係者も、そしておそらくはファンだって、けっして望むところではないだろう。
 細く長く――それこそがサラブレッドの生に課せられた、不変の鉄則だった。もちろん死力を尽くして戦うことだって、ないわけではない。一生に一度の晴れ舞台。ダービー。天皇賞。有馬記念。そんな最大の栄誉が賭けられている場面では、後先を考えずに燃え尽きることだってあるのだ。だがそんな、とっておきの祭典を除くなら、それはそうではない。ごく普通の、ありきたりレースでは、常に次のレース、さらにその次のレースのことを、――ひいては引退して種牡馬になった後までを考慮に入れながら、騎乗されているのだ。いわばサラブレッドは、どの瞬間を取っても、けっしてその刹那刹那を生きているのではない。いつでもその生涯の、トータルの中を生きているような仕組みが、そこにはあるのだ。

 大切なサラブレッドを損なうような、厳しいレースは極力避けたい。馬を預かる騎手の間には、いつでもそんな、黙契のようなものがある。だから例えば2400メートルのレースなら、初めの1000メートルは大抵スローに流れるのだ。少なくとも有力どころの馬たちは、互いに牽制しあいながら、ゆっくりと一団になって前半をしのぐ。そしてあと残り1000メートル、あるいはあと残り500メートルとなったあたりから、お互い相手の動きを探りながら、ようやく全力でスパートを始める。
 いわば騎手相互のそんな取り引きによって、2400メートルのレースが、実質1000メートルのレースに化けるのだ。その結果、勝っても負けても、過重な負担で馬を痛めてしまうこともなくなる。 そのようなレース運びを、馴れ合いとか、手抜きとか呼ぶとしたら、それはスポーツの営みに対する、重大な誤解である。スポーツであるからには、それは遊戯である。遊戯であるからには、そのルールがあり、ルールの下でのあらゆる戦術が許されるのだ。ルールにのっとって巧み、計り、出し抜きあう――その中ではもちろん、時には睦み、示し合わせることだってある。それこそがスポーツの持つ、ゲーム性というものなのだ。
 ルール無用の死闘だとか、命懸けの戦いだとかいうものは、けっしてスポーツではない。例えばボクシングの試合の、三分ごとの休息。あれもまた、選手同志が命を削り合うことを、防ぐためのルールに他ならない。だがしかし、そのことを手抜きと非難する者はいないだろう。そうなのだ。ただのなぐりあいなら、それはボクシングではない、けっしてスポーツと呼びうる代物にはならないのだ……。同様にして、クリンチもけっして卑劣ではない、立派な戦術だった。ディフェンスもまた、けっして消極策とは違う。
 競馬だって、またそうだった。ただ突っ走って、完全燃焼するだけが、競馬ではない。競馬には競馬のルールがあり、そのルールの下で、無数の戦術の組み合わせがある。その組み合わせの中から、最も有効なものを選び取って、最短距離の勝利を競い合う。それが競馬という遊戯の、本質なのだ。
 そしてたまたま、現在の馬たちの――騎手たちのほとんどが好んで用いるのが、あのスローペースという戦術だ、というだけなのだ。

     4

 細く長く。スローペース。本当に、それこそがすべてを、解き明す鍵なのだ。

 もちろんそんなやり方を、否もうとする馬もいる。
 周囲の馬がスローペースの流れに乗って、じっと後半に備えているときに、ダイタクミサイル号だけは騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがき始める。
 そんなとき、怪訝そうにあたりを見回すダイタクミサイルの、心の呟きが聞こえてくるようだ。この馬たちは、何をいつまでも、じゃれあっているのだろう。なぜまるで、勝つ意志などないかのように、気楽なキャンターで回っているのだろう。彼らは行かなくていいのか。駆けなくてもいいのか――そしてこの自分は、行かなくてもいいのか? 
 もちろんそれは、ひとりダイタクミサイルだけの話ではない。同じような仲間の例は、いくらもあった。
 彗星のように速い馬。レコードで走る馬。そして三才を過ぎたあたりから、いつのまにか姿を消してしまう馬……。
 もちろん本当の、馬の気持ちはわからない。だがそんな彼らは、あたかも太く短い、打ち上げ花火のような華々しさに、栄光が潜んでいると、思い込んでいるようにも見える。

 もちろんそれは、そうではないのだ。確かに彼らの鮮烈な姿は、人々の記憶に残るだろう。レコード表の片隅に、その名前も残るかもしれない。だが「名馬」という最高の呼称が、その上に冠されることは、けっしてない。
 名馬と呼ばれる馬たちは、いつも違っていた。
 三才、四才、五才と、細く長く生きながら、数々の勲章を帯びた馬。中距離の大レースを、着実に勝った馬。種牡馬となって、優れた子孫を残す馬。そんな馬たちこそが、現代の名馬たるに相応しいのだ。
 とりあえずの勝利を目指して、全力疾走すること。そして燃え尽きること。そんな「太く短く」の行き先には、彼の考えるような・「栄光」などありはしない。そもそも「栄光」などという幻は、初めからどこにもないのか、たとえあったとしても、それは彼とはまったく逆の――細くて長い、実り豊かな生涯の中に、潜んでいるにちがいない。
 そのことを私たちは彼らに――あのダイタクミサイルに、教えていかなければならないのだ。

     *

 細く長く。スローペース。確かにそれは、すべてを解き明かす鍵だ。それこそが現在の馬たちの――騎手たちのほとんどが用いる、戦術なのだ。

 そしてそれは、単に競馬だけにとどまらない。
 このスローペースという言葉こそ、本当に今の時代のすべてを、解き明かす鍵なのだ。
 なぜならばそれは、時代を生きるあらゆるものたちが用いる戦術、――その選び取った生き様だからだ。

 そうだった。人生にだってやはり、二通りの生き方がある。息が詰まるような稠密な時間を、一気に突っ切るハイペースの人生。間怠い伸び切った時間を、のんびりと過ごすスローペースの人生。一体そのどちらが異常で、どちらが正常なのか。――否。そんなことは、どうでもよかった。少なくとも一つだけ明らかなことは、今のこの時代には、誰もが後者を選ぶ、ということだった。
 確かに遠い昔には、そうでない時代もあったのかもしれない。例えば軍帽を目深に被り、彼らの信じた大義のために、南の空に散った若者たち――だがしかし、時代は移っている。時代は変わったのだ。今のこの、浮かれ切った太平の時代には、ごろ寝しながら缶ビールを飲むような、休日の風景だけが似合うのだ……。

 もちろんそんな生き方を、否もうとする者もいる。
 安穏の街のどこかの片隅で、たった一人で、人生の戦いを戦う者。「大義」と呼ばれた何かのために、絶えず追い立てられて生きる者。幸福も安息も犠牲にして、ひたすら勝利を求めて突っ走る者。
 周囲の呑気な仲間を見回しながら、彼はいつでも怪訝そうに呟くのだ。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか? 
 だがもちろん、そんな彼のやり口は、あまりにも大時代だ。――身も心もぼろぼろに磨り減らす、ハイペースの人生。その結果が勝利なら、まだしもだった。そうしてすべてを犠牲にして戦った後の、敗北の空虚は何と救いがたいことだろう! とてつもなく残酷な、容赦のないゲームの結末。そしてそんな危うさは、本当にあまりにも大時代、今のこのソフトな世の中には、少しも似合いはしないのだ……。

 彼はあたかも、そんな「太く短く」の行き先に、栄光が潜んでいる、と思い込んでいるようだ。だがしかし、それはそうではないのだ。栄光などというものは、しょせんは中毒患者の幻覚のようなもの、その最中にはいかに輝かしく見えようとも、覚めてしまえば、すべては悪い夢と知らされるのだ。
 そうなのだ。栄光などというものは、初めからどこにもありはしない、陽炎のような存在だった。否。もしそれが本当にあるとしても、それは彼の考えるものとは違う。ひょっとしたら、それとはまったく逆のところに、潜んでいるのかもしれない。
 それは細くて長い、スローペースの人生。健康に、長生きをして、少しずつの仕事こなし、子孫をもうけ、そして……。もちろんそんな凡庸な暮らしには、何の意味もないように見える。周囲の呑気な仲間を見回しながら、彼はいつでも怪訝そうに呟くのだ。あれは一体、何のための人生なのか? 一体何を目指して、ああして生き続けているのか? だがそれは、単に彼の方が、知らないだけなのかもしれない。一つ一つは些細と思えるそれらの事柄も、やがて積み重なって全貌が見えたときには、この世のものならぬ光輝を帯びているのかもしれない。そしてそれこそが、ひょっとしたら彼があれほどまでに追い求めていた、「栄光」なのかもしれない……。
 そのことを私は彼に――否、この自分自身に、言い聞かせなければならないのだ。

     *

 細く長く、――そうだった。それはひとりサラブレッドだけではない、生きとし生けるものすべてに課せられた、鉄則なのにちがいない。
 私はもう一度、あの例の、騎手のインタビューを思い出す。
 ――レースはこれで終りじゃないですから。まだまだ先がありますから。
 ――二才で終わってしまって、いい馬じゃないですから。これだけの素質の馬、大成して欲しいですから。
 そしてまた、自分の人生だって、まだまだ先は長いのだ。だとしたら、やはりそれも、がむしゃらに突っ走って、燃え尽きるようなやり方では、きっといけないのだ。
 私もまた、今の刹那をではなく、生涯のトータルの中を生きている。だとしたら今はただ、馬ごみの中でじっと我慢して、折り合いを付けるべきなのだ。目先の勝利に逸らずに、できるかぎりパワーを温存して、後半に備えるのだ。そうなのだ。同じレースを走るなら、ペースは遅ければ遅いほどよい。――

     5

 細く長く。スローペース。本当に、それこそが現在の時代を生き抜く、最高の方策なのだ。
 のみならずそんな生き方の中には、ひょっとしたら私たちのまだ見知らぬ栄光が、潜んでいるのかもしれない。
 そしてそのことを、私はダイタクミサイルに――そして他ならぬこの私自身にも、教え込んでいかなければならないのだ。

 ブラウン管の向こうでは、あの例の、馬と騎手との二人三脚の勉強が続いている。ダイタクミサイル号が、スローペースの馬群の中で、いかに折り合いを付け、新しいレース運びを覚えるか……。
 そしてまた、彼らの奮闘の逐一を見守り、応援する私には、私自身の人生の勉強があった。安穏の街の澱んだ時間に、いかに馴染み、いかに新しい生き方を覚えるか……。
 もちろんそんな、彼らと私の姿は、いつしか重なり合っていく。そのようにして、少なくとも私の心の中では、いわば馬と騎手とファンとが一心同体になった、三人四脚の奮闘が続いていたのだ。

     *

 十月。十一月。十二月。そのようにして、私たちの悪戦苦闘が続いた。

 スピードに関してはあれほど卓越していたダイタクミサイルも、この折り合いという点では、極めつけの劣等生だった。レースの間中、始終頭を上げ、いやいやをし、左へ右へとよれまくる――。
 そんなとき、怪訝そうにあたりを見回すダイタクミサイルの、心の呟きが聞こえてくるようだ。この馬たちは、何をいつまでもじゃれあっているのだろう。なぜまるで、勝つ意志などないかのように、気楽なキャンターで回っているのだろう。彼らは行かなくていいのか。駆けなくてもいいのか――そしてこの自分は、行かなくてもいいのか? 

 そしてどうやら、この私もまたその点では、必ずしも優等生とは言えないようだった。
 本当に時折――まるで間歇泉のように、私の内部にあの旧い熱狂が蘇る。
 それまでは誰とも同じように、飲み、歌い、笑っていた自分。
 だがそんなとき、まるで頭は忘れていても、体が昔のことを覚えていたというかのように、突然血が騒ぎ出すのだ。
 酒場で飲んでいる最中に、急に目の焦点が合わなくなって、どこにもありはしない、遠い原野を見詰め出す。
 安眠の床から、何かに驚いたかのように、急にかばりと起き上がる。もうとっくに、とっくに戦いなんか終わったのに。
 そんなとき、言い知れぬ違和感が帰還の兵を悩ませる。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか? ――そしてこの私は、行かなくてもいいのか? 
 そうなのだ。本当にそんなとき、冷え掛けていた心のおきに、再び火が点る。あのわけのわからない野心が、またしても取り憑いて、「安息に背を向けよ」、「戦いに赴け」と私を唆すのだ………。
 自分自身のそんな情念を――心の中に猛る奔馬を、御しかねてもがく。そんな私の図たるや、ブラウン管の中の馬と騎手との有様に、確かに笑止なまでにそっくりだった……。

     *

 十月。十一月。十二月。私たちの、悪戦苦闘が続いた。

 そうこうするうちに、はや年も改まる。
 そのころには競馬の世界でも、明け三才となった若駒たちの争いが、ますます熾烈を極めた。
 次々と新しいヒーローが登場しては、その名を轟かす。
 そしてそのレース振りもまた、大人びたものになっていた。あるものは、馬群を縫うように抜け出して見る者を驚かし、またあるものは、豪快な追い込みで酔わせた。だが私のダイタクミサイルは? ――私がテレビの画面の中に見出だすのは、相変わらず騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがく彼の姿なのだ。少なくとも表面上は、何の進歩の後も見られない。騎手の必死の訓練も甲斐なく、あまりにも飲み込みの悪い劣等生……。

 そしてこの私も――否。このころになると、私の方には、ある変化が兆し始める。
 それは不思議な、心の清穏のようなもの。もちろん時折、心が燃え立つことはある。だがその「時折り」が、次第次第に間遠になる。そして私には、圧倒的な予感でわかっていた。「時折り」が次第に間遠になり、それはやがて、まったく消え失せてしまうだろう。起床喇叭の鳴り響かぬ朝の目覚めにも、やがてすっかり馴染み、私もまたこの安穏の街の、極楽蜻蛉の住民になりきるだろう。銃声のフラッシュバックさえ、他愛ない悪夢と受け流すことができるようになる……。
 そしてまた、それも当然だった。なにしろもう、私が戦うことをやめてから、一年近くの時が経とうとしていた。そういつまでも、過去の亡霊に取り憑かれて、戦士気取りでいるわけにはいかないのだ。
 そのうえおそらく、あの馬との出会いもまた、私の変身を手伝っていただろう。そうだった。ブラウン管の向こうの、一頭の悍馬。その姿の上に、自分自身の生き様をなぞらえること。私がいつしか馴染みきった、そんな戯画のパターンに従えば、時折自分の心に蘇る狂おしい情念すら、取るに足らない荒馬の癇性として、笑い飛ばすことができるように思えた。
 そうなのだ。テレビの画面の向こうの、一頭のサラブレッドの上に投影された、自分の姿。人生のてんやわんやを、そうして他人事のように遠目に眺めることで、確かにすべての懊悩は乗り越えられるのだ……。

 私の内部に兆し始めた、そんな変化。そして確かに、私は圧倒的な予感でわかっていた。これはけっして、兆しのままでは終わらないだろう。やがてまもなく、戦士たちの学習と、リハビリの日々が完結する。そのときそこには、誰とも同じように飲み、歌い、笑う、ごく当たり前の一人の小市民が、出来上がっているだろう。
 だとしたら、あとは馬を待つばかりだった。そうだった。私はそれを、待たなければならない。自分を馬になぞらえるという、あの例の戯画に馴染むうちに、もはやあの頃の自分にとって、ダイタクミサイルは一心同体の存在として感じられていた。新しい生き様を学ぶための、私と馬の二人三脚の勉強。だとしたらそんな二人三脚の、右足だけが先走ることは不可能だった。一歩だけ先んじたら、それは左足の追い付くのを、じっと待ち続けなくてはならない。

 もちろん、私がテレビの画面の中に見出だすのは、相変わらず騎手の制止を振り切って、突っ走ろうともがく彼の姿なのだ。だがしかし、思えばダイタクミサイルの勉強は、つい半年前に始まったばかりだった。今はまだ何の成果も見えないとしても、あと一月、二月と経つうちに、必ず努力が実を結ぶだろう。そのときには、ちょうど私の後を追うように、ダイタクミサイルの勉強も完結するのだ。 だとしたら、私はそれを、待たなければならない。

     *

 一月。二月。三月。私は待ち続けた。
 幾度裏切られても辛抱強く、ダイタクミサイルの走るすべてのレースを、追っ掛け続ける。
 今はまだ何の成果も見えないとしても、やがて必ず、努力は実を結ぶだろう。そのときこそ、私の学習と彼の学習が、ふたつとも同時に完成するのだ……。

 テレビの画面の向こうでは、少しも進歩を見せない彼の、レースにならないレースが続いている。
 このころになると、ダイタクミサイルの単勝オッズは、十倍、二十倍と跳ね上がっていく。何よりもそのことが、かつての勇姿が、忘れられたことを物語っているのだ。当初はその不振を暖かく見守っていたファンも、さすがに見限った、というわけだ。そしてそれもまた、あまりにも当然のことなのだ。
 だがしかし、この私だけは、見放すわけにはいかないのだ。たとえオッズが百倍、二百倍に跳ね上がり、もう誰も彼には見向きもしなくなったとしても、私だけは追い続けなければならない。なぜなら今や、ダイタクミサイルは私の分身であり、その新しいレース振りを見届けないかぎり、私自身の新しい「生のありかた」もまた、完成しないように感じられたからだ。

   6

 そうこうするうちに、はや四月となり、競馬はクラシックのシーズンに突入していた。
 それは本当に、特別な季節だっだ。日陰者のはずのギャンブルの話題が、この季節だけは公然と語られる。さしたる関心はないはずのにわかファンが、この季節だけは競馬場を埋め尽くし、お馴染の鉄火場の光景を、華やかな一大ぺージェントに演出してしまう。そしてそんな、特別な風にあおられたかのように、競馬にどっぷりつかった常連たちの胸も、また不思議な予感にときめくのだ。
 それはあの甘い、甘い勝利への予感――。
 もちろんそんな期待に、何か特別な根拠があるわけではない。すべては不合理な、笑うべきミスティシズム。だがおそらく、そんな健気な信心のないところでは、そもそもギャンブルなんて、成立しないにちがいない……。

 そしてあの頃、私の胸もまた、同じような予感に踊っていた。
 もちろん私の場合、期していたものは、単なる馬券の収支ではなかった。
 私たちの悪戦苦闘の学習が、ついに実を結ぶだろう。ちょうど私の後を追うように、私の分身であるダイタクミサイルも、まもなく新しい、大人の競馬を身に付ける。そのうえひょっとしたら、そんな彼の努力の成果が披露されるのは、まさしくクラシックの、晴れ舞台の上になるのかもしれない。――そんな予感とも、期待ともつかぬものが、私の胸を踊らせていたのだ。

     *

 そうだった。
 時は四月。
 そんな嬉しい予感で私の――すべての競馬ファンの胸を高鳴らせながら、クラシックのシーズンも、すでにたけなわを迎えていた。
 ここ数日、巷は先週の桜花賞の、大穴の話題で持ち切りだった。 話のやりとりは、自然と今週の、皐月賞のことに移っていく。めいめいが、自分の考える有力馬を披露しあう。だがしかし、そこでもやはり、ダイタクミサイルの名前が聞かれることはない……。
 もちろん出走予定の登録馬の中に、ダイタクミサイルがいることは、誰もがわかっていた。だがしかし、大敗続きのいにしえのヒーローを、いまだに追い続けている人間が、私のほかにあろうはずもないのだ。

 そのうえこの私も、またそうだった。どんなに水を向けられても、ありきたりの人気馬の名前を上げてお茶を濁すだけで、あのことはけっして口にしはしない。
 そうなのだ。神秘が神秘でいられるのは、ただそれが、私たちの心の中にあるときだけだった。言葉にされた途端に、それはただの、軽口ということで終わってしまう。
 その逆に、宝石箱の蓋が閉ざされているかぎり、神秘は無限にその値打ちを増していく。そこに秘められたものが、本当はダイヤであるのかガラス玉であるのかは、少しも問題ではないのだ。

 だからこそ、私もまた、けっしてそれを口にしない。ただただ誰にも知られぬ心の奥で、胸を高鳴らせながら、私は待っていた。

     *

 ただただ胸を高鳴らせながら、私は待っていた。
 おそらくそんなとき、あの例の「二者択一」の論法が、私たちを謀っているのだ。

 私たちが日常に馴染んできた、二者択一の論理。それを目の前の事態に当てはめたなら、次のようになるはずだった。
 ダイタクミサイルの半年に及ぶ努力が、最後の土壇場でむくわれて、クラシックの栄冠を勝ち得るか。
 それとも逆に、半年の努力がそれでもむくわれずに、最後にもう一度みじめな敗退を繰り返すか。
 もちろんそのこと自体は、必ずしも誤りではない。確かにそれは、二者択一なのかもしれなかった。だがしかし、それにもかかわらず、そこにはやはり、重大な錯覚が潜んでいるのだ。

 確かにそれは、二者択一かもしれない。だがその「二者」は元来、同等の確率で選ばれるものではないのだ。実際には後者の、つまり敗北の起こる可能性が圧倒的で、前者の勝利が起こる場合は、ほんの万分の一にすぎない。
 だがしかし、「二者択一」の発想に馴染みすぎるうちに、いつしか私たちは、両者が五分五分の重みを担っているかのように、錯覚し始める。そうなのだ。勝つか、負けるか、二つに一つしかないとしたら、勝利の確率はきっと五分であるにちがいない……。
 それは単に、「勝利」の場合ばかりではない。「奇蹟」ですら、またそうなのだ。奇蹟が「起きるか」「起こらないか」。そんな二者択一の論法を用いているうちに、ここでもまた私たちは、いつしかそれが奇蹟であることも忘れて、待ち焦がれ始める……。

     *

 そのうえ二者択一の論理には、もう一つの、もっとずっとおぞましい落とし穴があった。
 起こるか、起こらないか。裏か、表か。勝つか、負けるか。――そんな単純な仕分けの枠組みで、物事を捕らえることに慣れ切ってしまうと、いつしかそのどちらでもない可能性を、吟味する努力を忘れてしまう。
 裏か、表か? だがしかし、コインが立ってしまうような場合は、本当にありえないのだろうか? あるいは、コインが掌からこぼれてしまったとしても、やはり勝負はご破算になるのではないのか? そしてそんなどちらでもない、第三の可能性が、実際に起きたのだ。

 勝利とも、敗北とも違う、もう一つの選択肢。
 私自身がやがて知らされた、尻切れ蜻蛉の物語の結末。――
 そんなあるべからざる成り行きを、一体誰が予想しえただろう。 そうだった。宝籤を買えば、当たるか外れるか、筋書きはその二つしかないはずだった。
 だがしかし、例えば籤を失くしてしまうような、不条理な脱線があったとしたら? 

 そしてそんなあっけない幕切れが、実際に起きたのだ。
 もちろん競馬にも、引き分けはなかった。勝つか負けるか、二つに一つだった。だがその勝利が、あるいは敗北が、あるはずもない形でもたらされたのだとしたら、やはりそれはそのどちらでもない、第三の可能性が起きたことになるのだ……。

     7

 その数日は珍しく、多忙な日が続いていた。

 週の半ばあたりから、相次いで急な仕事が飛び込んできた。
 普通なら週末が近付くと、仕事など上の空になってしまうものなのに、その週は逆に競馬どころではなくなり、クラシックのこともいつのまにやら、どこか心の片隅に追いやられ、失念された。
 だがおそらく、それでよかったのだ。いかに多用とは言え、日曜日だけは、完全にフリーになれるのだ。土曜日も遅くまで仕事で、その夜は倒れるように眠りこけたとしても、朝には昨日までとははっきり違った、くつろぎの一日が待ち受けている。そんなやりかたのほうが、かえって新鮮な気分で、休日を迎えられるものなのだ。 そして競馬のことについても、それは同じだった。クラシックという晴れやかなレースなら、そうして迎えられた特別誂えの時間こそが、きっともっとも相応しいにちがいないのだ……。

 あの日もまた、そんな日曜日になろうとしていた。
 土曜日は遅くまで仕事で、その夜は倒れるように眠りこける。
 だが深い眠りは、必ずしも長い眠りとは違う。明くる朝には、嬉しい日の予感のようなものに揺り起こされて、たいていは驚くほど早く目が覚めてしまうのだ。
 そのくせそんな短い眠りの後でも、身も心も不思議なほど疲労を拭われ、純白の気分で今日のこの日を迎えることができるのだ。

 あの日もまた、そんな日曜日になろうとしていた。
 倒れるように眠りこけた朝、嬉しい日の予感のようなものに揺り起こされて、驚くほど早く目が覚めた。
 だがしかし、今日は休日なのだ。けっして普段の日のように、気忙しく身仕度などをしてはいけない。
 顔だけをさっと洗ったら、そのままのトレーナー姿で、ぶらりとコンビニヘ出掛ける。そうして買って帰った競馬新聞を食卓に広げて、朝食のトーストなどを頬張りながら、のんびりたった一人の検討会を開くのだ。
 いやもちろん、今日の場合はメインの狙い馬は決まっていた。ただダイタクミサイル号の馬番号を探し出し、ついでに連勝の相手を幾頭か、適当に見繕うだけでよかった。
 すべての番号をマークシートに転記した後には、本当に腹ごなしの散歩がてらに、ウィンズまで出向くだけでよい……。

     *

 そうだった。それがその朝の、私の計画表だった。
 そして確かに、呑気な休日のスケジュールは、着実に実行されていたのだ。

 朝起きて、顔だけをさっと洗ったら、そのままのトレーナー姿でコンビニヘ出掛け、そうして買って帰った競馬新聞を食卓に広げる。 ここまでは確かに、予定通りだった。
 だがその直後に、少しも予期しなかった事態が続いたのだ。
 そのようにして、私が目を通した皐月賞の出馬表……。
 その中に、お目当ての馬の名は見付からなかった。

 否。
 もちろんそれは、見落としにちがいない。寝ぼけ眼の自分が、うっかり肝心の馬の所を、素通りしてしまったのだ。
 私はもう一度、今度はもっとずっとゆっくりと、馬の名前を確かめていった。右端の馬から一頭、また一頭……。だがしかし、そうしてようやく十八番目の馬に辿り着いたとき、もう異変は疑いようのないものとなっていた。
 皐月賞の出馬表の中に、何と私のダイタクミサイルの名はないのだ。
 とっさに私の頭の中に、ある一つの言葉が浮かんだ。出走回避。何らかの故障のために、直前にレースへの参加が見送られる。――これもまた、きっとそうなのにちがいない。
 だとしたら一体、それはどんな故障なのか? 
 事の経緯を知ろうと、私は目の前の競馬新聞を――そしてさらに、同時に買っていたスポーツ紙のページを、忙しく繰っていった。
 目当ての記事を探して、貪るように活字を追ったのだ。
 そのようにして、ようやくスポーツ紙の六面のページを捲ったとき、私の目はその片隅に釘付けとなった。
 そこには紛れもない、あの御馴染みの、片仮名の八文字が置かれていたのだ。
 ――ダイタクミサイル××
 だがしかし、そんな発見のもう次の瞬間には、私はわが目の確かさを、疑わなければならないことになるのだ。そうだった。ダイタクミサイル。確かにそこには、彼の名があった。だがその後に続いた二文字の漢字は、あまりにも予期に反したものだったのだ。
 ――ダイタクミサイル優勝。
 それは私の危惧していた「故障」とも、「回避」とも違う。何と「優勝」の二文字だった。

 私は言葉の意味を、少しも理解できない。最も見慣れたはずのその漢字が、今は遠い異国の呪符のように、不可思議な形でそこにあった……。
 謎を解こうと焦るあまり、頭の回路にいつしか混線が生じ、私は暫時、出来事のすべての筋道を見失った。
 ダイタクミサイル優勝? 
 だとしたら、皐月賞のレースは、もう行われてしまったのか? あれほどまでに私が待ち望んでいた、ダイタクミサイルの奇蹟の優勝は、私の見届けぬどこかで、すでに起きてしまったと言うのか? 

 否。否。もちろんそれは違う。
 自分は何を、寝ぼけたことを言っているのだろう。もちろん皐月賞のレースは、今から後、今日の午後になってから、行われるにちがいなかった。そしてその出馬表の中に、ダイタクミサイルの名はなかったのだ……。
 だがだとしたら、この記事は一体、何としたことだろう? 

     *

 事態が冷静に分析されるまで、少しく時間が必要だった。
 種明かしは、次のようなものだった。

 新聞の記事は、実は昨日の――土曜日の競馬のレース結果を伝えるものだった。
 ダイタクミサイル号は、今日の皐月賞にではなく、土曜のレースに出走した。そして勝ったのだ。
 だがしかし、確かに月曜日の段階では、皐月賞の登録馬の中にダイタクミサイルの名があって、だからこそ私は一週間の間、今日のこの日を心待ちにしていたのではなかったか? 
 そのからくりは、あまりにも単純なものであった。
 競馬の世界では、「二重登録」と呼ばれる登録方法が、日常的に用いられている。
 同一の週に行われる、複数のレースに、持ち馬をエントリーしておくのだ。
 もちろん二つのレースに、同時に出られるわけはない。相手との力関係や、馬自身のコンディションと相談しながら、より勝算の高い方を選んで出走するわけだ。
 それは多少、姑息なやり方のように見えるかもしれない。だがしかし、賞金を少しでも多く得なければならない「走らせる側」の論理としては、至極当然の戦略なのだ。
 今度の場合も、またそれだった。弱気になったダイタクミサイル陣営が、皐月賞の方を回避し、より勝算の高い土曜のレースに出走した。いわば名より実を取ることを選び、そして実際に、そこで優勝したというわけだ。

 私が呆然自失したのは、言うまでもない。もはや私自身と、一心同体の存在となっていたダイタクミサイル。その彼が今日、皐月賞の晴れ舞台に挑戦し、そしてひょっとしたら栄光を勝ち得たかもしれないのだ。それなのに勝利どころか、挑戦さえ早々と断念してしまうとは、あまりにも意外な、情ない結末のように思えたのだ。
 それは確かに、買っていた宝籤を失くしてしまうような、尻切れ蜻蛉の物語の結末。――
 たちまち私の心は、失望と悲しみに満たされた。
 だがしかし、私はまだあの記事の、ほんの見出ししか読んではいないのだ。
 その先を読み進むうちに、さらに思いもしない、新しい事実が明かされる。そして「悲しみ」と呼ばれる心の夕凪は、もっとずっと恐ろしい感情――人を狂わせ、乱し、咆らせる、本当の嵐に取って代わられたのだ……。



 ――ダイタクミサイル優勝。
 否応なく目を引いた、大活字の見出しの下には、次のような記事が続いていた。

 「ダイタクミサイル奇蹟の復活。函館二才ステークスの優勝以来、凡走を繰り返していたダイタクミサイルが、17日のクリスタルカップで、七か月ぶりに逃げ切りの勝利を収めた。
 クリスタルカップは、昨年度から皐月賞の前日に設けられた、短距離の重賞で……。同馬は今日の皐月賞にも登録があったが、厩舎の意向により適距離のこちらに回っていた……。」
 短距離の? 逃げ切った? 
 読むうちに私は、頭の中が真っ白になった。本当に、それはそうなのか。だとしたら、あれらすべてのことは、一体どうなってしまったのか。
 先の長い競馬の世界で、大成するための努力。
 スピード任せに逃げ切るような、その場限りの戦法をやめること。そしてその生涯の、トータルの中で勝利を収めるための、騎手と馬との勉強。
 あれらすべてのことは、一体どうなってしまったのか。

 短距離の? 逃げ切った? だとしたら、だとしたらそこでは単に、強敵相手の皐月賞を回避したというだけではない、もっと重大な、何か決定的な選択がなされたのかもしれない……。

     *

 昨日のレースぶりを、新聞は次のように伝えていた。
 「――東西のスピード自慢が顔を揃えた中で、好スタートで先頭に立ったダイタクミサイルは、一度も他馬に詰め寄られることなく、そのまま1200米を逃げ切った。三馬身差の圧勝は、まさに函館二才ステークスの再現そのもの、これまでの凡走続きがまるで嘘のような、鮮やかな復活劇だった……。」
 こんな口調には、確かに聞き覚えがある。それはあらゆるスポーツを美談に仕立て上げる、マスコミの常套、いわば実況放送のマイクでがなりたてる、アナウンサーの話法だ。――あの例の、函館二才ステークスの実況は、今でも私の耳に残っている。昨日もまたきっと、あのときと同じように、中山の競馬場でダイタクミサイルの名が連呼されたにちがいないのだ。速いぞ速いぞ、ダイタクミサイル。痛快豪快な逃げ、ダイタクミサイル。英雄の復活だ。連戦連敗の泥沼から、不死鳥のように蘇った……。
 だがしかし、今の私にはわかっていた。それはけっして、彼らのはやすような、英雄の復活劇などではない。むしろそれは、まったく別の――いやひょっとしたらまったくその逆の、いわば敗北の選択なのだ。

 そうだった。華々しい逃げ切り勝ち。彗星のようにレースを駆け抜け――そしてまた彗星のように、競争馬としての生涯を駆け抜けていくこと。そんな「太く短く」の行く先には、けっして「栄光」など棲んではいないのだ。
 この半年に学んできたことがらを、私はもう一度、おさらいしてみる。
 「栄光」というようなものが、もしどこかにあるとしたら、それはもう一つの、まったく別の生き方の中にあるのだった。
 三才、四才、五才と細く長く生きながら、数々の勲章を帯びた馬。中距離の大レースを、着実に勝った馬。種牡馬となって、優れた子孫を残す馬。
 そうなのだ。だとしたら、同じ勝つなら、タイムは遅ければ遅いほどよい。楽をしてレースに勝つことができて、細く長く走り続けることができれば、それに越したことはないのだ。
 そしてそれは、ひとり競馬だけではない。私たちの人生もまた、きっとそうなのだ。
 彗星のように駆け抜ける、太く短い人生。そんなところに、栄光などありはしない。もし本当の栄光がどこかにあるとしたら、それはもう一つの、まったく別の生き方の中にあるのだった。
 細くて長い、スローペースの人生。健康に、長生きをして、少しずつの仕事をこなし、子孫をもうけ、――そんな一つ一つは些細と思える事柄も、やがて積み重なって全貌が見えたときには、この世のものならぬ光輝を帯びているのかもしれない……。

 スローペース。それが馬も人も、今の時代のすべてが馴染み切った生き方だった。すべてを犠牲にした戦い、ハイペースの疾走などは、誰ももう見向きもしない、時代錯誤のやり方なのだ。
 だとしたら? だとしたら、今目の前の新聞が報じている、ダイタクミサイルの「鮮やかな逃げ切り」というのは、彼のけっして選んではならない勝ち方だった。
 それはけっして、「奇蹟」でも「復活」でもない。もしそんな勝ち方でいいのなら――逃げて勝つのなら、本当はいつでも勝つことはできたのだ。この半年というものは、そんな必勝法をむしろ禁じ手として、ひたすら別の戦法を模索してきたのではなかったか。だとしたらすべては単に、振出しに戻ったということにすぎない……。

     *

 いつしか私の心の中には、先刻までの悲しみとはちがう、もっとずっと激しい感情が猛り始める。
 初めは胸の、奥の奥に兆した小さな渦が、やがて次第につのり、もはやとどめようのない嵐となって、荒ぶっていた。

 嵐の正体を、私は訝かる。こうまで人の心を掻き乱す感情とは、一体何物なのか? 
 だが、否。
 それはもちろん、怒りにちがいなかった。人を狂わせ、乱し、咆らせる負の気分――そんなものは、怒り以外にはありえなかった。だがだとしたら、それは一体、何に対する怒りなのか? 

 もちろんそれは、まず第一に、騎手に対する怒りだった。
 目の前の新聞の記事も、また例によって、締め括りに騎手のコメントを載せていた。
 『やはりこいつには、短距離の逃げが一番似合ってますね。皐月賞を回避した甲斐がありました。』
 もちろんそれ自体は、少しも不思議ではない、もっともなコメントだった。だが私は同時に、あの半年前の、函館二才ステークスのインタビューを、はっきりと覚えているのだ。まだまだ競馬は、先がありますから。これだけの素質の馬、大成して欲しいですから。馬も騎手も、これからまだまだ勉強ですよ。――だとしたら、今しも行われたことは、そんな自らの言葉を裏切る、敗北の選択だった。彼がそれをどう言い逃れようと、すべては体のよい、逃げ口上にすぎない。
 もちろんダイタクミサイルの物覚えの悪さは、私だって重々承知している。ブラウン管の中でいつも見掛ける、頭を上げていやいやをする姿。――だがしかし、ダイタクミサイルの勉強は、つい半年あまり前に始まったばかりだった。あと一月、二月で、いやまさに今日のクラシックの舞台で、きっと努力は実を結んだにちがいないのだ。それなのに、もはや一刻の猶予もならないかのような打ち切りは、あまりにも唐突だった。

 だとしたら、やはり私の怒りとは、まず第一にあの騎手に対する怒りだった。
 だが同時に、私はもう気が付いている。
 そうなのだ。本当は、騎手自身を責めることなど、できはしないのだ。たとえこれが最悪の、敗北の選択だったとしても、すべては周囲の方針に従っただけだ。皐月賞の回避も、逃げ切りの戦法も、すべては厩舎の指示であり、馬主の要望だった。だとしたら、騎手自身を責めることなど、けっしてできないにちがいないのだ。
 そしてまた、彼に命じたそれらの人々も、――馬を走らせる側の経済は、レースの賞金だけで成り立っている。一文にもならない・「勉強」のために、これ以上の時間を棒に振るわけにはいかないのだ。一本調子の逃げ戦法でも通用するような、短距離のレースだけを選んで、勝てるうちに使えるだけ使っていく。それ以外に、方法はないのだ。

 だとしたら? 
 だとしたら私の怒りとは、本当は誰かそのような、「人」に対する怒りではなかったのだ。
 それはもっと、ずっと得体の知れない、「何か」に対する怒り。 いわば人々を、そのようなやるせない結末に駆り立てるもの、――世の中のすべてを支配する不条理への、抑えがたい憤懣だった。 そうなのだ。私はもう一度、ここに繰り返そう。
 私の追い続けた一頭のサラブレッドの物語に、続くべき筋書きは、どう見ても二つしかありえなかった。
 ダイタクミサイルの半年に及ぶ努力が、最後の土壇場でむくわれて、クラシックの栄冠を勝ち得るか。
 それとも逆に、半年の努力がそれでもむくわれずに、最後にもう一度惨めな敗退を繰り返すか。
 それなのに、そのどちらとも違う、尻切れ蜻蛉の結末が私たちを迎えたのだ。
 皐月賞の回避と、短距離での優勝。そんな勝利とも、敗北とも違う、あっけない幕切れ。
 買っておいた宝籤を、途中で失くしてしまうような、物語の脱線。 だとしたら私は、そんな「作者」の不手際に――私たちの運命をつかさどる「何か」の不条理に、猛烈な怒りを覚えていたのだ。

 そして今、私はあらためて、思い知らされていた。この怒りというものは、例えば悲しみの淡さとは、あまりにも違う。それは人を狂わせ、乱し、咆らせ、――そしてその後で永遠の宿酔で悩ませる、エネルギーそのものの噴出だった。
 それは確かに、嵐だった。そして同時に、それはいかずちであり、狂瀾であり、また炎でもあるにちがいなかった……。

     9

 私の心の中につのる、不思議な感情の騒擾。
 人を狂わせ、乱し、咆らせるエネルギーの奔出。嵐であり、いかずちであり、狂瀾であり、そしてまた炎でもあるもの。
 その正体を、一体どう解釈したらいいのだろう。

 私は今、それを「怒り」と呼ぼうとした。
 騎手に対する怒り。馬主に対する怒り。私たちの運命をつかさどる、不条理への怒り……。
 もちろんそれは、その通りだった。そしてもしできることなら、そうして「怒り」の一言で、片付けてしまいたいのだ。
 だがしかし、私は同時に、とっくに気付いている。
 確かにそれは、怒りにちがいなかった。だがけっして、それだけというわけではないのだ。

 できることなら、私はそのことを認めたくない。だがもはや、認めざるをえないのだ。
 今の私の、この絶え間なく突き抜ける戦慄は、本当は単に怒りの感情だけではない。激しく燃え立つ怒りに紛れて、その実それとあまりにも似た――狂わせ、乱し、咆らせるもう一つの何かが、炎を上げているのだ。

     *

 その炎に、私は見覚えがある。
 それはあの、戦士たちの胸の奥に燃え立つ、情念の炎だった。

 人はそれを、どんな言葉で呼ぶのだろう。
 見果てぬ夢。野望。大志。
 あるいは、闘魂。勇猛。
 あるいはそれは、雄の獣たちの、あまりにも原始的な戦闘の本能。 否。どう名付けようと、同じだった。つまりはそれは、かつて一度でも戦士であった者ならば、誰もが御馴染みの、あの好戦の気分なのだ。

 かつては私自身も馴れ親しんだ、あの旧い熱狂。そして戦士であることをやめた瞬間に、忘れたように思えたもの。
 だがしかし、それは違った。
 それはけっして、本当に忘れ去られてはいなかった。
 それは確かに、この半年の平穏の日々にも、時折――本当にまるで間歇泉のように、私の心に蘇っていたのだ。そんなとき、冷え掛けていた心のおきに、突然再び、火が点った。わけのわからない野心が、またしても取り憑いて、「安息に背を向けよ」「戦いに赴け」と私を唆したのだ。
 もちろん時が経つにつれて、「時折」は次第に間遠になった。私の学習とリハビリの日々が、ようやく実を結んで、そんな心の炎を消し果てる術を、私もまた知ったかのように思えた。
 だがしかし、それもまた、違うのだった。
 今になって、私は気が付いた。消火したように見えたものは、その実、封じ込めただけだった。
 望まれぬ情念として、意識の底に葬むられた私の野心。だがそれは、目には見えない地の底で生き続け、猛り、備えていた。
 そこで蓄えられたエネルギーは、もはや極限にまで圧力を高めながら、ただマグマの湧き出る、わずかな地殻の割れ目を探していたのだ。

 だとしたら、すべての敝いを吹き飛ばす、爆発の日が訪れるのは、時間の問題だったのかもしれない。

     *

 そうだった。目の前にしたスポーツ紙の記事に、私の存在の全体が示した、異様なほど激しい感応。それを私は、「怒り」の一言で片付けようとした。だが私はもう、気が付いている。これは単なる、怒りの感情とは違う。これこそはまさに、あの封じ込められたマグマの、突然の奔出なのだ。

 そんな突然の災禍を誘ったもの。
 もちろんそれは、あの例の心理のトリックだった。
 人を馬になぞらえることにあまりにも馴染みすぎた私は、いわば新聞の記事の中に、自分自身への「行け」の合図を、読み取ってしまったのだ。
 そうだった。ブラウン管の向こうに、私が見守り続けた、ダイタクミサイルの物語。逸り、もがき、駆け抜けようとする一頭の馬。そして必死になだめ、手綱を押さえながら、スローペースのレースに折り合わせようとする騎手。――見守るうちに、彼らの二人三脚の奮闘は、自分自身の心の中の葛藤と、いつしか二重写しとなっていた。
 だが今、そんなダイタクミサイルの勉強は、突然打ち切られてしまった。こいつには、こんなレースしかできないのだ。「短距離の」「逃げ」。そしてそれはそれで、それなりに競馬なのだ……。
 そのようにして、騎手は手綱を緩めた。それは単に、制することを止めたばかりではない。のみならず彼は、きっと鞭さえ入れたのだ。ダイタクミサイル、逃げろ。逃げ切れ。後先のことなどもう考えずに、燃え尽きろ。それがおまえの生き方なのだ……。
 もちろんダイタクミサイルは、今では水を得た魚のように、喜々として走り抜けた。そして「勝った」のだ。
 もちろん、それはただ、それだけのことだった。だが皮肉なことに、ここでもまた私は、自分の分身に起こった出来事に、まるでわが事のような感応を示してしまったのだ。
 そうだった。あの騎手がダイタクミサイルの手綱を緩めた瞬間、同時に私の心を御していた騎手もまた、手綱を緩めたのだ。それは単に、制することを止めたばかりではない。のみならず彼は、きっと鞭さえ入れたのだ。逃げろ。逃げ切れ。後先のことなどもう考えずに、燃え尽きろ。それがおまえの生き方なのだ……。

 そのようにして、爆発の日を待つまでもなく、私の心を塞いでいた蓋は、あっけなく取り去られた。
 地の深みから、初めはおそるおそる昇った炎が、やがて欣然と、空に向かって吹き上がる。まるでそうすることで、再誕の日を寿ぐかのように。
 そうなのだった。そうして吹き上った炎。怒りの炎と見紛うまでに、狂い、乱れ、咆る炎。それこそは私が、必死に忘れようと努めていた、あの狂おしい情熱の炎だった。
 だがしかし、それは危険な炎だ。
 それは例えば、居間の炉の中で、慎ましく燃えている火とは違う。それはけっして、新しい薪のくべられるのを、囲いの内側でじっと待ってはいないのだ。
 それは貪り、食らう火災の炎だ。初めはどこかの部屋の片隅で上った火の手は、だがしかしたちまち広がってしまう。柱を舐り、棟を燃やし、夜目に鮮やかな光の舞いを舞いながら、やがては灰燼だけを残して、すべてを焼き付くしてしまう。いわばそうして、内が外を滅ぼすのだ。

 「背を向けよ」、「赴け」と誘う炎。
 炎の命ずる戦いは、もはやゲームではない。馴れ合いのルールと防具に守られながら、勝敗を競うお遊戯とは違うのだ。それはすべての敗者が、ぼろぼろになって滅びるまで続く、文字通りの命懸けの戦いなのだ。
 炎の誘う人生は、もはや細く長くの、スローペースの人生ではない。駆け抜けて、そして消えていくような、疾走の人生なのだ。
 危険だ。危険だ。だとしたらそれは、とても危険だ……。

     *

 炎が「赴け」と誘うもの。私自身の、本当の居場所。
 それはもちろん、ほんの一年も前には、私がそこにいた戦場だった。
 私はそこで戦い、傷付き、――ぼろぼろにくたびれはてて帰還したのだ。
 そのとき敗残の兵は、永久に戦地を後にし、もう二度と立ち戻ることはあるまいと思えた。

 ようよう辿り着いた故郷では、すべてが違っていた。そこでは遠い国の戦のことなど知る人もなく、永遠のバカンスが支配していた。 軍服を脱いだ私を待ち受けていた、はてしない遊惰と逸楽の時間。言い知れぬ違和感が帰還の兵を悩ませた。この人たちは何をいつまでも、ぐずぐずと話し込んでいるのだろう。彼らは行かなくていいのか? 起たなくてもいいのか? ――そしてこの私は、行かなくてもいいのか? 
 だがやがて、時の経過は確実に、心の傷病を癒やしていった。起床喇叭の鳴り響かぬ朝の目覚めにも、いつしかすっかり馴染み、私もまたこの安穏の街の、極楽蜻蛉の住民になりきったのだ。
 銃声のフラッシュバックさえ、他愛ない悪夢と、受け流すことができるようになった。

 そんなとき、本当に、そんな今になって、私に再び召集が掛かったのだ。
 私は思い知らされていた。除隊のように思えたものは、その実休暇と療養にすぎなかった。敗北のように思えたものも、一時食らったノックダウンにすぎない。だってまだ、私は命までは落としていないのではなかったか? そうなのだ。この人生の戦いには、試合停止の甘っちょろいルールなどありはしない。文字通り砲火に斃れるまで、何一つ終わりはしないのだ。
 そうだった。今私に、再び召集が掛かっていた。戦士の休暇は終わった。また君自身の、新しい戦いが始まるのだ……。
 もちろん私にだって、拒む権利はあったにちがいない。だが今の私には、もうそれができないのだ。懐かしいあの呼び声を聞いた途端に、私の体に火が着いてしまった。こうなったら、もう誰も止めることはできない。
 私の体に火が着いてしまった――それこそは私の、もっとも避けたかった状態だった。
 誰かが今、今日の今日まで私を抑えていた手綱を緩め、のみならず鞭さえ入れたのだ。私の心の中の奔馬が猛り出す。――だとしたら、後は私自身が、一番よく知っている。こうなったら、誰も止めることはできない。

 戦士の休暇は終わった。また君自身の、新しい戦いが始まるのだ……。
 もうスポーツ新聞も、皐月賞の出馬表も用はない。お遊びはもう、終わったのだ。
 私の戦場が、今再び私を呼んでいる。今すぐにも、私はそこへ向かわなければならない。
 そう思うそばから、私はすでに歩き始めていた。
 もちろんそれは、意気揚々と、というわけではない。
 命懸けの、そのうえ勝ち目の乏しい戦などに、誰も喜んで臨みはしないのだ。
 ただそんな自分を、もう何も止めることはできない。

 重たい足取りを引き摺りながら、私は相変わらず、心の中で呟いていた。
 危険だ。とっても危険だ……。
                        (了)

「サボテンの花」




























     1

 少年の家はいつでも鉢植えに埋もれていた。
 園芸に熱を入れた父親の壮大なコレクション――庭木の数ももちろん夥しかったが、庭先の植木棚はおろか、南向きの居間や客間に至るまで所狭しと並べられた鉢植えの数には、目を瞠らせるものがあった。十数種類に及ぶさつきや洋ラン、松や梅の盆栽、時々の花瓶の挿花――戸の開け閉てから暖房の調節にまで、いつでもそれらの植物の成育が優先され、それかあらぬか、かくまでかしづかれ尽くされた異類の生き物たちは、人間たちの居室をどこか主顔に占拠していた……。
 ――まるでジャングルみたいだ……。
 少年は皮肉そうに口元を歪めながら、心の中で呟いた。それは少年が、生まれながらに植物を愛でる感性を持ち合わせていなかった、ということではない。むしろ反抗期の心理が少年の中にも例外なく巣食っていて、それゆえに同性の親の性向が、いちいち疎ましいものに思えていたのかもしれない。実際父親が熱を上げれば上げるほど、そしてあの例のせりふで、なあ、綺麗だろう、と同意と賛嘆を強要すればするほど、それまでは凛呼と張り詰めて見えていた花の風姿さえたちまちしょぼくれて、くすんだ紙細工に見えてしまうのだった。

 ――花は綺麗だけど……。 
 もちろん、鮮やかな花弁を繊細に綴った花冠は、少年にとっても十分感動的なのにちがいなかった。だが樹枝や葉ぶりを愛でる気持ちだけは、どうしても理解できなかった。花を付けているその時にだけ、植物は望ましいものとなり、爾余の期間それはただ無価値で、無意味な存在だった。否。ただ無意味なばかりではない。それは不気味ですらあったのだ。華やぐこともなく、ただ無言のままに呼吸し、摂取し、営む存在――そんな「植物」という観念そのものが、少年の意識の中で、あるいはその無意識の中で、いつしか象徴的な忌まわしさを担い始めるのだった。

 ――花にしても、もう少し小作りでないと……。
 花冠の美しさは認めた少年は、だがここでも父親の好みに異を唱えていた。同じ花でも、少年は藤や雪柳のようなささやかな花、できれば花房をなしているようなものを愛していた。彩りも淡いほうがよい――だが父親ときたら決まって、百合やらランやらの大柄な花を栽培していた。少年の目にはそれらの花が、大雑把で繊細さに欠けているように見えるのだった。色彩も毒々しく、噎せ返るような強烈な香りといい、花底にまでこぼれ落ちた過剰の花粉といい、とりわけ雌蕊にまとわり付いたあの粘液――そんな風体をとてつもなくおぞましいものに感じた少年は、こらえ難い嫌悪感に目をそむけてしまうこともしばしばだった。

 ――悪趣味だな。
 再び心の中にそんなふうに呟きながら、すっかり辟易した少年は、植物園さながらに鉢植えに埋もれた階下の部屋から、二階の勉強部屋へ、そそくさと避難してしまうのが常だった。

      *

 父のコレクションにサボテンというものの加わったのは、少年が高校一年になった年のことであった。
 あれほどまでに園芸のことにかまけながら、何故か奇跡的にサボテンにだけは係わらずにいた父が、この砂漠の植物に突然の関心を示し始めたのは、たまたま訪れた知人の家で、その花の美しさに魅せられたからであった。夏の夜の月明りの下で咲く月下美人の白い花――その名花の魅力の虜になった父は、さっそく知人に頼み込んで、他種の二つと合わせて三株のサボテンを譲り受けてきたというわけであった。
 こうして父の鉢植えに加わった合計三株のサボテン――だがずっと後になってわかったことだが、その内の一株、父の言う「月下美人」は、本当の月下美人とは違うようだった。それは金盛丸という別属のサボテンで、孔雀サボテンの仲間とは姿形もまるで違うのを、ただ「月明りの下に咲く清浄な花」という一事をもって、同じ夜咲き種の月下美人と取り違えていたのであった。こうしてみると父の――そして父の知人のサボテンの知識もずいぶん怪しいものだったが、当時の少年にそんなことは知るよしもなかったから、ただ父からの受け売りの知識と、目の前の三株の鉢植えだけから、サボテンというものの観念を形作っていくよりほかなかったのだった。

 そうして少年が育んでいった、サボテンの観念――だがこの異形の植物は、それまで少年が抱いていた植物全般についての観念と、相対立するものとはならなかった。それはむしろ、「植物」という観念と、それが象徴的に担っていたある忌まわしさとを、極限にまで煮詰めた存在であるように感ぜられたのだった。
 例えばその奇態。ごつごつと節くれ立った、いびつな茎節。肉厚な、ゴムのような弾力を持った稜。そしてとりわけ、どうしても皮膚病を連想させずにはいない疣々。――それはどう見てもグロテスクな姿態だった。だが形が怪異であればあるほど、それはあの「植物」の観念の主調、旺盛な生命力とそれが必ず伴ってしまうおぞましさのイメージを、増幅させていくのだった。確かに可憐な草花ならば、人間たちの日常を彩る装飾品のように思われないでもない。だがかくまでに悪相の存在は、到底人間たちのための飾り物ではありえなかった。それは確かに自らの理由のために生き、営み、繁殖する生命そのものだった……。

 例えばその生息。サボテンの原産地のあのお馴染の光景が、少年の禍々しい観念を増殖させていった。水気一つない荒漠の砂漠。そんな命の墓場では、きっと人の心すら潤いを失くして、干涸びたミイラのようになってしまうにちがいない。そのうえその焼くような熱い砂は、どうしてもある厭ましい欲望を表しているように思えてしまう。そしてもちろん、そこに密生した屹立するハシラサボテン。――そんな想像上の光景は、決まって少年を戦慄させずにはいなかった。否。こうして少年の家に置かれた三つの鉢植えのサボテンさえも、その故郷の記憶を引き摺ったまま、熱い吐息を吐きながら、生き、営んでいる……。

 例えばその形態。この植物の多くの種類は、それぞれの個体が不思議と幾何学的な構造をしていた。父の「月下美人」、つまり金盛丸も、十二の稜が等間隔で角度を割り、数多の棘座も測ったように相称に配列されていた。――そんな最も図形的に構築された植物が、かえって混沌とした生命の力を暗示してしまうのは奇異なことであった。だが確かに、原始の生物もまた、そのような単純な形態をしていた。だとしたら、少年にはこう思えたのだった。もし生命のエネルギーが、何の疎外もなく放射され、何の俊巡もなく展開していったならば、それはきっとこの様な形に結実するのにちがいないと……。

 そしてその繁殖。父の言を借りれば、それは「切って挿すだけ」でよいのだった。胴の枝の一部をナイフで切り取り、挿し穂するだけで、ものの一週間で発根があり、やがて立派な一個の株が根付いていく。それが過酷な自然条件の中を生き抜く、植物の素晴らしい生命力だ――というのが父の能書きだったが、その父の賛嘆を誘ったのとまさに同じものが、少年の嫌悪の源となってしまうのだった。それはちょうど、尻尾を切られてもたちまち再生してしまう、爬虫類のいやらしさに等しいものだった。だがこの植物の場合、まさにその切られた尾の方から、トカゲが再生してしまうというのだから……。

 そしてとりわけ、あの棘だった。目の前のサボテンの棘からは、どう眺めても、例えば茨のそれのような、悲壮な自罰のイメージは沸いてこない。むしろそれは、いつでも少年に、ある種の棘皮動物のぬめった姿態を連想させた。それはおかしなことだが、サボテンの生やした無数の棘は、何だか彼らのひそかな快楽のための、小道具のようにさえ見えてしまう……。

     *

 そしてサボテンの花だった。
 サボテンの花? ――だが少年はいまだに、その花を見たことがないのだった。父の「月下美人」の七月の開花期は、ちょうど学校の夏期合宿と重なって不在だった。高校二年、高校三年と、現物にお目に掛かる機会を逸した少年は、ただ父の語る熱っぽい描写から、その姿を窺い知るしかなかった。
 「百合のような大輪の花だ。夜咲く百合と思えばいい。だけど花びらの白は、百合よりもずっと清浄な、匂うがごとき白色。いや、色というよりは、光に近い白だな。――花が咲いたら、家中の電気を消して、月明りの下で観賞するんだ。夏の夜の熱い闇の中に、白い光の花の工作がぼんやりと浮かび上がる様といったら、そりゃ神秘的な美しさだぞ。本当に、今年こそは見せてやりたいよ……。」
 ――嘘だ。
 ここでもまた反抗期の少年は、言葉巧みに息子を誘い込もうとする父親の試みを、いとも単純に撥ね付けてしまうのだった。
 ――これもまた嘘だ。かつて父が説いた世間智やら、道徳やらが、ことごとく誤っていたように、ここでも父の描く甘美な花の佇まいは、空物語なのにちがいなかった。そんな偽りの言葉のすべてに耳をふたいで、虚心に目の前の植物を眺めてみれば、こんなどう見てもグロテスクな生命体に、花など咲くはずがないのだった。

 だが確かに、蕾は伸びていった。
 春先から棘座のそこここに頭をもたげていた、どんぐりくらいの突起。白い綿毛に覆われたそれがサボテンの蕾であることに、少年は気付かなかった。だが七月の上旬のある日、父親の大仰な発見の叫びとともに、家族全員に招集が掛けられた。居間に馳せつけた少年は、父の指摘通りあの小さな突起のうちの二つが、確実に隆起しているのを目撃した。
 「あと一週間ぐらいの間に、どんどん丈が加わっていく。どんどんどんどん伸びていって、やがてその先端が口を割って、百合のような大きな花が開くんだ。」
 そして父親の講釈に、誤りはないようだった。その時から日に日に、まるで目に見えるかのような速やかさで、それはひょろひょろと伸びていった。その発達の有様は、ちょうどチューブの口から頼りなげな細さで押し出されていく、練り粉の伸長に酷似していた。その速度、そのひょろ長さ――ついにサボテンの本体よりも丈を増したそれ。そんな不釣合な比率も、異国の植物ならでは許される破調なのにちがいなかった。

 それが確かに蕾であること。
 だとしたらそんな出蕾の光景を前にして、少年は己の敗北を認めなければならなかったのだろうか。こんな身の毛もよだつ植物に、花など咲くわけがない――そんな少年の持説が全然誤っていて、ここではあの例の父親の讃の方が正しいのだ、と。
 だがここでも少年は頑なだった。意見の修正こそ受け入れても、父親の押し付けがましい賛嘆に、完全に折れて譲ってしまうような気持ちは毛頭起こらなかった。
 ――もちろん花は咲くのだろうけれど……。
 少年は心の中で反論した。もちろん花は咲くのだろうけれど、それは父の言うように、清浄な光のような花ではありえなかった。そんなものは、少年を謀ろうとする謳い文句にすぎない。もちろん花は咲くのだろうけれど、あんなにも異形の植物に咲く花は、同じように異形の姿をしていなければならない。
 例えば、毒々しい花粉と粘液にまみれて、腐臭を放つ花――少年は目の前の植物の本体から、想像しうるかぎりの花の姿を思い浮かべてみた。サボテンの猥褻な球体から想像される、そのような花。否。それは本体だけではなかった。そういえば今こうして蛇のようにひょろひょろと伸びた蕾そのものも、少年がどうしても思い出したくないあるものの姿を連想させずにはいなかった……。
 それがサボテンの花についての、少年の新しい理解だった。今年もまた開花を直前にして、夏期合宿に出立しなければならない少年は、そんな仮説を検証する機会を逃していた。だが実物を見るまでもなく自分の意見をすっかり確信していた少年は、そんな醜悪な花を前に置いて、父親の能書きを聞かされずにすんだ己の僥幸を、むしろ言寿いだ。

     *

 蟠居する妖異の生物。その胴体から、巨大なネズミの尻尾のように伸びた蕾の先に、きっと咲くであろう呪わしい花。それが少年が抱いていたサボテンの観念だった。現実の三株の鉢植えが折々に見せる表情と、少年が聞きかじった雑多な知識から、少年が育んでいった観念――それは確かに、あらゆる植物が通有する負の性質を、一身に担っていた。いわばその毒の部分だけをどす黒く抽出した、唾棄すべき存在……。
 少年がこの植物をこれほどまでに毛嫌いしていたのは、それが当時少年が生きていた世界とは、正反対のものを表していたからだった。少年がたった一人の勉強部屋で積み上げていった、彼だけの空間。――医学部を目指す秀才でありながら、少年は学業だけには飽き足らず、文学や美術にまで手を染めていた。そればかりではない。人間の在り方、未来の在り方、愛――少年の大学ノートには自身が作った詩やら、折々の雑感やら、お気に入りの章句やらがびっしり書き付けられていた……。
 だがしかし一度勉強部屋を出て階段を降りると、たちまち階下の部屋を占拠したあの鉢植えたちが彼を迎えるのだった。三つのサボテンを首魁にした、植物たちの群れ。草いきれのようなものを吐きながら、じっと彼を凝視しているそれらの視線を、少年は確かに感じる。それは先刻まで彼が浸っていた夢と理想の世界とは別の、もっとずっと生臭い世界を象徴していた。――そんな観念に生理的に耐え難いものを感じた少年は、たちまち勉強部屋に逃げ帰ってしまう。だがそうして部屋の机に向っている時さえも、それらの生き物たちは少年の無意識を領していたのかもしれない。時には少年自身も、そのことに気付くことがあった。あれらの怪物たちは、今もなお背後のどこかで生温い息を呼吸しながら、無数の目玉で少年を見据えている……。

 そんな時、少年は呟き続ける。
 「――肥厚した葉が漂わす肉感。
 樹姿の畸形が醸し出す淫靡さ。
 乾いた棘がかえって湿潤を思わせ、硬質な表皮がなぜか与える軟熟の印象……。」
 そんな時、少年は心の中で、呪文のように言葉を念じ続けた。そうして言葉を投げ付けることで、かえって脳裏に張り付いたサボテンの像を振り払い、その呪縛から逃れようとするかのように。否。ただ唱えるだけではない。少年はそれらの言葉を必死に書き留めさえしたのだった。――そう言えば、少年が雑記帳の最後の頁に書き付けた次の台詞が、当時の少年の気持ちを見事なまでに集約していた。
 本当に、少年は半ば本気で、こう信じていたのだ。
 「砂漠のような荒れ地に、サボテンが生える。だがおそらく、因果はその逆だった。そうなのだ。あんな禍々しい植物がはびこるからこそ、豊かだった沃土も乾いた砂地に変じてしまう……。」

     2

 三つのサボテンを首魁にした、植物たちの群れ。草いきれのようなものを吐きながら、じっと彼を凝視しているそれらの視線――だがしかし少年はまた、それらの鉢植えの向こうから自分を見詰めている、もう一対の別の目玉の存在を感じていた。
 浅黒い肌。濃いめの眉。剰多なまでの長い黒髪。そしてそれらすべての南国風の造作の中で、その目だけは同じ黒でも艶やかな潤いを帯び、その光沢がまるで何かを語ろうとするかのように表情していた……。
 無口で孤独な女。いつでもどこか影のある女。――それは少年の家から三分も行かぬ雑貨屋の娘、初美の肖像だった。初美と少年は、世間で言ういわゆる「幼馴染み」だったのかもしれない。確かに同じ年の二人は、学校に上がる前には、近所の仲間たちと一緒に鬼ごっこや縄跳びに興じていた。だがしかし、小学校、中学校と同じ学校の二人は、鼻たれ時代の記憶がかえって照れを生んだのか、次第に口も利かなくなり、道で行き会う時にもことさらに知らん振りを決め込むように変わっていた。

 そんな初美の視線を少年が意識し出したのは、いつ頃からのことだったろうか。
 それはやはり、中学に通い始めた頃だったかもしれない。初美と少年は、どういうわけか同じクラスになることはないのだったが、給食の後の束の間の昼休み、級友とキャッチボールに興ずる少年は、校庭の片隅の砂場にぽつねんと佇む初美の視線が、じっと自分の上に注がれているのに気付く……。
 学校では群を抜いた秀才だった少年に、校友たちのある種の好奇の目が集まることは、別段珍しいことではなかった。また一部の女生徒が、少年に憧れていることも知っていた。だがこの初美の視線は、好奇とも憧れとも違う、もっとずっと熱烈な、飢渇のようなものであるように感じられた。
 そんな少年の認識を、自意識過剰と笑う者もあるかもしれない。だが少なくとも、それは少年の自惚れではなかった。実際こうして、好いてもいない女の視線が、確かに自分の上にいつでも蛾のように留まっているのを、少年は薄気味悪い、不快なものにすら感じていたのだから。

              *

 中学校の昼休みの校庭で――だがもちろん、ただそれだけのことだったなら、少年が初美の視線をあれほど不快なものに感じることもなかっただろう。だが少年と初美は、歩いて三分も行かない同じ町内の住民だった。近所住まいであることが、初美の存在を――その視線の存在を、学校の塀の内側に限らせなかったのだ。
 学校の外にいる時も、自宅の勉強部屋にいる時も、いやそれどころか、中学を卒業して別れ別れの高校に進学した後さえも、少年はたえずわずかに、時にははっきりと、自分を見詰める初美の視線を感じていた。いわば中学から高校への少年の思春期の全体を覗き見る目――いやそれはただ、窺い見ているだけではなかった。多少誇張した言い方をするならば、それは少年の思春期を閲し、統轄する目のようにさえ感じられたのだった。

 例えば日曜の午後。二階の勉強部屋である詩集に読み耽っていた少年は、突然それの存在を強烈に感じて、椅子を蹴立てるようにして窓辺に歩み寄る。もちろんそこから見下ろした庭は、いつものように鉢植えと庭木に埋もれていて、人の気配はない。そしてまた柘植の生け垣と、門の鉄扉の向こうの私道にも……。だがひょっとしたらあの電柱の陰に、初美はいるのかもしれない。垣根越しに部屋を覗いていた初美が、少年の気配を察知して、今この瞬間にそこに身を隠したのだ。――だがもちろん、すべては少年の錯覚だった。初めからどこにも、初美などいはしない。だがもしそうだとしても、詩を読んでいた少年に、突然何の脈絡もなくそんな想念を抱かせてしまったものは、一体何なのだろう。それはあるいは、遠感の現象? おそらくその瞬間だけ、少年も危うくそんな非合理を信じかけた。そうだ。あの電柱の陰にもし初美がいないとしたら、初美は彼女自身の勉強部屋から、今少年を見詰めていたのだ……。

 そして例えば散歩の時にも、それはそうだった。勉強に疲れたような時に、少年は多摩川の河原を散歩するのが好きだった。そこで得られる開豁な眺望――豊かに湛えられた河の水や、河辺の草の青さや、向こう岸の丘の稜線を、少年は愛していたのだ。
 だが河原に出るためには、初美の家の前を通り、鎮守の森を抜けることになる。そのことが、少年には多少気に入らなかった。
 鎮守の森は、少しでも脇道にそれると、昼間でも薄暗いようなところがあって、木の間隠れに不良たちが悪さをする、溜まり場のようにもなっていたのだ。
 そしてまた、初美の家の場合は、もちろんあの視線だった。かつて一度、初美の家を通り掛かった少年は、ふと妙な人気のようなものを感じて、これもまた二階になる初美の部屋を見上げたことがある。するとその窓辺には、案の上初美が立っていて、あの例の浅黒い顔の、それよりもずっと黒い黒目で、少年をじっと見据えていたのだ。――もちろんそれは、たまたま階下を眺めていた初美の前を、少年が通り掛かったということにすぎなかったろう。だが少年には何だか、初美がずっと前からそこに立っていて、少年が通るのをじっと待っていたかのような、不気味な印象を得た……。
 もちろんそれとて、一度だけのことだった。その時の一回以外は、雑貨屋の二階を見上げても、そこは分厚いカーテンが引かれているか、どこかへ遊びにでも出ているのか人の姿はなく、ただ空っぽの部屋が覗かれるだけだった。だがあのただ一度の厭わしい体験は、いつまでも少年の意識の中で尾を引いていて、そんな時でも何だか、あのカーテンや家具の陰に隠れて、初美が少年を盗み見ているように錯覚されるのだった。
 そんなおかしな思いをするのを嫌った少年は、散策に出る時にも、初美の家とその先の鎮守の森を避けて、遠回りを承知で別の道を選びさえした。

 例えばそれは、高校に進学した後も変わらなかった。勉強のできた少年は都内の有名私立に、初美は地元の商業科に進んだが、こうして学校は別々になっても、同じ町内に初美の家があるかぎり、少年は初美の視線の呪縛から逃れられないのだった。自宅の勉強部屋にいる時、散策に出る時はもちろん、そして時には通学の電車の中や、高校の教室ですら、絶対にそこにあるはずのない初美の視線を感じてしまうのだった。
 絶対にそこにあるはずのない初美の視線を感じる――確かに高校に進んでからは、そんな倒錯した錯覚が日常茶飯事になっていた。 中学の時なら、学校のある日は毎日、幾度かは現実の初美の姿を見掛けていた。清楚な中学校の制服が、少しも似合わない大柄な体。抑えられた情熱のようなものを感じさせる、南国的な顔立ち。初美に差している孤独と鬱屈の影は、極楽蜻蛉の中学生の中で、確かに初美に異質な存在感を与えていた。――そんな印象的な容貌を見つけていたのだから、その残像がいつまでも残って、現実の初美がいない時、少年の勉強部屋やら散歩の途次に、その存在を感じてしまったとしても格別不思議なことではなかったにちがいない。だが高校に進んでからは、それは違った。高校に進んでからは、近所に住んでいるのが信じられないほど、初美の姿を見掛けるのはまれになった。三年間合わせても数度だけ――しかもそのほとんどは後ろ姿か、横顔がちらりと見えるくらいのものだった。だがそれにもかかわらず、あれほどしばしば初美の視線を意識してしまうというのは、一体どういうことだろう? 
 それはひょっとしたら、少年が意識していたのは本物の初美ではなく、初美という観念だったのかもしれない。ちょうどあの父の植物やサボテンが、現実の鉢植えであることをやめて、やがて呪わしい観念に加工されていったように、初美という存在もまた、思弁的な少年の精神の中で、何らかの――それが何であるか当時の少年にはわからなかったが、何らかの象徴に変わっていったのだ。そうして「観念」となった初美の目は、あの無数の鉢植えの向こうに浮かびながら、鉢植えの植物たちと一緒に少年をじっと見つめているのだった。いや実際それは、見つめているだけではなかった。それらは確かに少年の思春期を閲し、統轄してさえいたのかもしれなかった……。

     *

 高校に上がってからは、あのあるはずもない不思議な視線をたえず意識しながらも、実際の初美そのものを見掛けることはまれになった――確かに、それはそうだった。その代わりに少年が耳にしだしたのは、初美についての町の風評だった。もちろん少年が、実際に誰かから噂を聞き知ったわけではない。それは父と母との茶の間でのひそひそ話を、たまたま少年が盗み聞きをしたということにすぎなかった。
 ――乾物屋の娘、最近変に色気付いて……、お母さんがそれは大変だったそうよ……。

 終いまで聞き終えぬうちに、少年は自分の勉強部屋に舞い戻って、百科辞典のページを繰っていた。ニンギョウ。ニンゲン。ニンジョウ。その次の頁に、少年の視線は釘付けになった。そこに少年が見たのは、胎児の発育を図解した絵と、その二枚の実写だった。
 背びれのようなものさえ付いた、一か月の胎児。それはどう見ても、動物図鑑に載ったタツノオトシゴの姿だった。同じように、ごま粒のような目に、水掻きの付いた手をした二か月の胎児。そしてとりわけ、少年が思わず目をそむけたのは、身長十五センチという、十八週の胎児の写真だった。
 透明な卵膜の中の、羊水に浸された小さな空間に、じっと息づく胎児。その頭でっかちの体は、確かにもう人間の特徴を備えてはいた。だかその髪の毛のない頭、開かない目、何故か切なげに開いた口、やせ細った胴――それらが表現しているのは、けっして「生の喜び」などではなく、むしろ生きるために耐えなければならない苦悩の大きさだった。いわば耐え難い苦しみにそれでも耐えながら、必死に死病と戦う蒼褪めた生き物。胎児と胎盤をまるで命綱のように繋ぐ太い臍帯が、懸命に栄養を送り、それを死から蘇生させようとしている。一つの「命」として生み落とされるか、一掴みの屍となって排出されるか……。だがこの小さな生き物の苦しみはあまりに大きく、その喘ぐ息はあまりに力ない――
 少年が初めて手にした、ターヘルアナトミア。少年は思わず目をそむけた――だが少年は見なければならない。見て、知って、分析して、すべてを彼の知識の整理棚にしまい込まなくてはならない。少年は勇を鼓して、もう一度写真を正視した。今度こそ目をそらすことを自らに禁じながら、少年は意志に鞭打って、胎児の写真を凝視した。嫌悪感に耐えるために、呪詛と嘲笑の言葉を必死に投げ付けながら。

 「――まるでフーセンガムみたいだ……。」
 確かに胎児を包み込んだ卵膜は、濁った半透明の袋状をしていて、そのありさまはビニール袋か、さもなくば目一杯に膨ませたフーセンガムを思わせた。と、言葉の連想から、少年はたちまち、一緒に遊び回っていた幼稚園の頃の初美が、始終フーセンガムを噛んでいたのを思い出した。
にちにちと汚い音を立てながら噛んでいるガムを、時折思い出したように膨らませる初美。だがたいていの場合、息を吹き込みすぎたフーセンはそのまま割れて、初美の口元から鼻にまでへばりついた……。自分の顔だけならまだよかった。噛み飽きたガムを、初美は所構わずなすりつけるのだった。例えばブランコの鎖に。また例えば近所の家の白壁に。そして時には悪戯に、友達の洋服をすら狙ったのだ。初美汚ねえ、と絶叫しながら逃げ回る友達の様子を、さもおもしろそうに眺めながら、初美はけたけたと笑い続ける。その時初美の顔に覗けるのは、味噌っ歯だらけの薄汚れた歯並びだったにちがいなかったが、色黒の肌との対比のためか、それらは変に白く、鮮やかに浮き上がって感じられ、何だか入れ歯が笑っているようにも見えた……。

 変に色気付いて……。少年の頭の中には、ひそひそ声の母親のせりふが繰り返されていた。その言葉に反証しようとするかのように、少年は鼻たれ時代の初美と、中学時代の初美の顔を、順繰りに思い浮かべてみた。おかっぱ頭に味噌っ歯の少女。地が黒い上に、泥やらガムのかすやら鼻水やらで汚れた、不潔な顔。痴呆のような脈絡のない笑い。――それに比べて、中学の初美の顔からは笑いは消えていた。その黒の印象は、肌の色からだけ来るのではない。結ぼほれた、わだかまる黒い情念のようなものが、その向こうに予測されたのだ。明るく飾るのが女の子のはずなのに、何て暗い陰気な女だろうと、皆から舌打ちされるような存在が初美だった。
 おかっぱの初美。中学生の初美。――もちろん高校に進んでからの初美の変化を少年は知るべくもなかったが、そんな記憶の中の二人の女の像から、華やぐような色香が生まれてくることがありえようとは、どうしても思えなかった。
 もちろん中学生の初美は、もう十分成熟した大人の女だった。制服のスカートから伸びる長い足、はち切れんばかりの胸回りは、すでに育ってしまったものを、無理やりお人形さんの衣装を着せて、見て見ぬふりをしようとしているようなアンバランスがあった。そうして抑えられていたものが、高校での新しい環境で縛めを解かれた時、初美が男をの気を引くような魅惑的な女に変わることがあるのだろうか。
 否。少年はそんな仮説を、何のためらいもなく論外と断じた。初美の場合、同じ成熟でも、蕾が花開くような過程ではありえない。それは裸子植物か、シダ類の成熟に近いもので、少なくともそれは、少年の住んでいた玲瓏な世界とは、相反する類いの成就であることは間違えなかった。

 そうだった。ここでもまた、初美の幻の視線の呪縛を逃れるために、少年はあの例の大袈裟な呪詛の言葉をぶつけ続けた。
 「――成熟と腐乱は、同じ変化の後先だ。だとしたら初美の場合、成熟を通り越して腐乱が始まっていた。高校生の初美からは、きっと甘美な芳香の変りに、いやらしい腐臭が嗅がれるにちがいない……。」
 少年には、そんな初美に近付いたという男たちの気持ちが、どうしても信じられない。だがここでもまた少年は、とっておきのせりふを用意していた。そうだ、世の中には確かに、腐臭に魅かれる蠅もあるのだ……。

     3

 ――何という違いだろう……。
 同じ女だというのに、何という違いだろう――言葉の魔力によって、悪夢のように浮かんでいた初美の肖像をようやく退散させることに成功した少年は、今度はもう一つの別の肖像を思い浮かべようとと試みた。それは少年の思春期を見つめ続けたもう一人の少女、二才年下の少年自身の妹だった。

 もちろん身内の贔屓目もあったかもしれない。だが確かに妹は、飛びきり愛らしい少女だった。愛くるしい目元にはたえず微笑みが湛えられ、長い綺麗な髪を振り立てて快活なジェスチャーをし、その立ち居振る舞いさえ軽快な、どこかコミカルなリズムに乗っていた。妹の体からはいつも光と、生気と、喜びとが放射している――少年はそんなふうに呟いたが、それは必ずしも、少年の中の詩人が語らせた言葉の綾ではなかった。少年は実際、物理的にそれらのものを感じさえしたのだ。例えば妹が微笑む度に、その大きな目の中心から、まるで泉のように沸き上がった光が、渾々と滾りながら溢れ出た……。
 妹には華がある。妹が現れただけで、その場の雰囲気は、春のように華やぐのだ。――そんな妹が、誰からも愛されたのは言うまでもない。おそらく家の外でも、それはそうだったにちがいない。だが父にとって、母にとって、兄にとって、とりわけ妹は嬉しい存在だった。妹はいわば家族全員のアイドルであり、妹も自分のそんな役割を心得ていて、忠実におどけた仔犬を演じていた。愛されることをつゆ疑わず、愛されていることを喜び、愛されていることに応える小さな天使――。

 少年の成長に合わせて、もちろん妹もまた大人になっていったにちがいなかった。だがそんな兄妹二人の関係自体は、二才といういつも変わらぬ年の差のためか、何の変化もこうむらないように思えた。相変わらず二人は、五才のお兄ちゃんと三才の妹の関係を引き摺っていた。例えば少年にとって妹は、相変わらず可愛い不思議な生き人形であり、庇護しなければ生き残れない子分だった。妹の方もまた、中学生になっても高校一年に進んでからも、いつでも兄の前では、その幼さの側面だけを見せて甘えていた。ねえ、お兄ちゃんという媚びるような頼み事、テレビ漫画のキャラクターを真似た作り声、フグのように頬を膨ませて拗ねて見せる膨れ面、あかんべえ――そんな時妹の唇から、淡紅色の舌が顔を覗かせるのだったが、そんな軟体動物の姿も少しの汚らわしさも感じさせず、むしろ可愛らしいペットであるかのように思いなされてしまう。それどころか捲った瞼の裏に覗かれた無数の血管の血の色でさえ、むし妹の愛らしさを演出する微笑ましい趣向であるかのように錯覚されてしまうのだ。そして妹もまた、そんな効果を知り尽くして演じていた……。

     *    

 妹の方もまた、いつでも兄の前では、その幼さの側面だけを見せて甘えていた。――もちろん妹とて、もはや十六だった。そんな思春期にどっぷり漬かった少女が、ただ脳天気な小鳥のような存在であるはずもなく、そこにはそれ相応の成熟と発達があったにちがいない。もしずっと離れた遠くから妹を眺めることができたとしたら、その心の揺れやら、不安定な情念やらを見ることができたかもしれない。夢や、理想や、挫折や、悩みや、心の葛藤が一杯に詰まっている思春期という名の小箱――だが少なくとも身内の前では、妹は思いきり幼女趣味のピンクのカーテンを引いて、それらのすべてを隠しおおせていた。そして妹自身は、いつもカーテンのこちら側で演じていた……。

 カーテンの向こうに何があるのか、妹はけっして覗かせようとはしなかったし、また少年もそれを知りたいとも思わなかった。ひょっとしたらそこには、本当に何もないのかもしれない――だが時には、カーテンの向こうにあるものの存在を、はっきりと感じさせられてしまうこともないではなかった。
 茶の間でテレビの歌謡番組に見入る妹。ショートケーキをぱくつきながら、漫画を読み耽る妹。そんな時、妹の仕種と表情には、あの例の幼さが充満していた。だがそんな時突然、少年は妹が組んだ足の、ショートパンツから覗いた腿の意外な太さに、はっと息を飲むことがある。それは確かに、三才の少女の鳥がらのようにか細い腿とは違う、健康な肉そのものだった。と同時に、少年はその遙を引いたような肌から、体温の匂いのようなものが立ち上ぼるのを感じたような気がした……。
 そしてまた、文房具やら事典やらを借りに、妹の部屋に入った時。そこもまた、思いっきり幼女趣味の部屋だった。ピンクの絨毯。夥しい数の縫いぐるみ。花に埋もれているようなコロンの香り。壁を埋め尽くした少女漫画のポスター……。
 そんな時ふと、部屋の片隅のベッドの方に目が行くことがある。これもまたピンクの枕と、ピンクの布団が少しの乱れもなく並んだ、いわばままごとのお人形のベッド。――だがままごとに使うには、それはいささか丈が大きすぎた。少年はそこに入るはずのもののことを、心に想像してみた。それはもちろん、着せかえ人形のリカちゃんではありえない。たとえかつては人形のような存在であったとしても、今ではけっしてそうでないもの。そしてまた、やがては「女」と呼ばれる日が来るとしても、まだけっしてそうでないもの。それは確かに、「少女」という不思議な、不思議な存在だった。
 少年はふと、妹の寝顔などもう十年も見たことがないことを思い出す。だとしたらそのベッドで眠るのは、少年の前で妹が演じて見せる、一人のおきゃんな娘ではない。それは確かに、カーテンの向こうの妹だった。そう思うと何だか目の前のベッドから、妹の汗の匂いが、甘美な瘴気のように立ち上ぼるように感じられる……。

     *

 だが時には、カーテンの向こうにあるものの存在を、はっきりと感じてしまうこともないではない。――そんな時少年は、どのように振る舞ったのだろうか。少年らしい好奇心から、その中を覗き見ようと試みただろうか。否。そんな時少年は、はしなくもはだけてしまったカーテンの袖をすかさず繕って、垣間見てしまったものを否定しようとするのが常だった。それはあたかも、それをカーテンで遮ったのが、少年自身の意志であったかのようにも見えた。いやもちろん、カーテンを巡らして演じていたのは、妹当人であったにちがいなかったが、確かに少年もそんな妹の韜晦を肯ない、それに協力しさえしていたのだ。

 だとしたら覗けてしまったものは、それほど少年が忌諱すべき世界だったのだろうか。例えばあのサボテンたちのように、少年の住んでいた清澄の世界とは相反する、腐臭と畸形――否。窺い見られたのは、むしろ少年の世界と近縁の、明らかに此岸の世界だった。そうだった。陶酔。夢。甘美。――それらはもちろん、少年の考える望ましさの範疇に属していた。だがしかし、同時に少年には、それらと対峙するには自分はまだ未熟すぎるように思えたのだ。そうだった。少なくとも今現在の少年にとっては、それらは危うい存在だった。いわばあの華やかなピンクの色のカクテルのように、その甘い円やかな口当たりに謀られて口を付ければ、たちまち少年は酔い痴れてしまう……。
 あるいはここでも、少年は妹という「観念」を守ろうとしていたのかもしれない。少年の思い描く妹は、可憐な菫の花だった。淡い紫の、匂うがごとき色に華やぐ花。か弱いがゆえに愛しいもの。――それは小鉢の中のささやかな鉢植えとなって、平凡の日々を飾るべきものであり、目眩くような強い芳香を放ちながら、その存在を主張する、我の強い生き物であってはならなかったのだ……。そして確かに、少なくともカーテンのこちらにいる時には、妹はそんな観念そのものを、実に忠実に演じているように見えた。
 
 誰も足を踏み入れることのない、少年の孤独な勉強部屋。そこで少年が築き上げていた、詩と理想の世界。それは確かに絶海の孤島だった。階下のグロテスクな植物たちと、近所に住む浅黒い肌の女と、疎ましかるべき世間というものに、すっかり回りを囲まれてしまった六畳だけの陣地――だが確かに、同じ二階の妹の部屋だけは、彼のそれと同じ領域に属するものにちがいなかった。少なくとも少年は、好んでそう考えた――もちろん妹は、共に戦う同志であるにはあまりにも頼りなかったが、窓から外の世界の憂欝な風景を眺めた後に、その存在に目をやる時には、確かに救いがあった。いわば、肩肘張って生きねばならない少年の思春期を飾った、心安らぐ香しい花――。

     4

 その年、少年はすでに大学一年になっていた。
 もちろんそれは、世間並みからいえば、もう少年と呼ばれる年齢ではなかった。いわば自立への一歩を踏み出す年。大人の仲間には加えてもらえないにせよ、その楽しみの幾らかは許される年齢。お仕着せの生活や価値観を捨てて、新しいそれらを探していく、そんな時期。

 確かに、少年の生活も一変していた。
 東北大の医学部に進学した少年の、東京を離れた一人暮らし。そこで少年の経験したことは、これまでのどれとも違っていた。
 大学のアカデミックな、高踏的な講義。公園のようなどでかいキャンパス。アパートを借りた自炊生活……。鼻歌交じりの洗濯。目一杯の夜更かし。友達を呼んで飲み明かす、豪快な高笑い……。
 こんなふうに生活が激変した時、少年の心もまた、同じように大きな変化を被らなければならないのだろうか。繊弱な少年の心から、強固に打ち鍛えられた、大人の心への成長の過程。あるいはその逆に、澄み切った詩人の心が、急流に掻き乱されて濁っていく堕落の過程。――

 だがそれは違った。きっと生活の外面があまりに急変した時、内面の方が追い付けなくなるようなことがあるのだ。そんな時、変化の速度に付いていけない内面は、やがて成長を断念して、そしてついには役者の肉体から離ってしまう。――そうだった。大学一年の、どたばたの毎日を演じているのは確かに少年自身だが、少年の心は――もう一人の少年は一歩身を引いて、まるで赤の他人の出来事であるかのように、それらを観察しているのだった。いわばそれは、カウチに寝そべりながら眺めるテレビの青春映画。そんなふうに少年も、やがて自分自身も加わらなければならない人生という芝居を見つめながら、ただただ不思議そうに目をしばたいている……。

 そうだった。始まったばかりの大学の生活。そこではすべてが、半年前とは違っていた。例えば少年の語るせりふは、時に耳を疑うほど卑俗だった。――だがそれらはすべて、少年ではない誰かが、少年の名を騙って演じた芝居だった。仮面の裏の素顔は、――堅く秘された貝の内側には、瑞々しく柔らかい肉が息衝いてた。
 清澄な思春期の少年の心。実家の二階の、あの例の勉強部屋で築き上げた、詩と理想の世界。――もちろん少年は、すでにあの部屋を後にしていた。だが蛹を破った蝶は、意外なことに自分の体には、まだ宙を舞うための羽が育っていないことに気付いてしまうのだ。蜜を啜る管も、六本の足も備わらぬ、青虫のままの姿――それは確かに、幼虫のまま蛹を破ってしまった蝶の困惑。もちろんそんな奇態も、少年くらいの年頃にとっては、珍しくない倒錯なのかもしれない。だがしかし、甘美な思春期の時間をあれほどまでに愛し、あれほどまでに信じてきた少年の場合に、そんな内外の齟齬がとりわけ著しいものとなっていたのも、また事実だったにちがいない。

 だが少年もまた、変わらなければならない。
 誰もが成年への道程を歩むために、何かを学び、何かを断念しなければならない――そんな日が、少年にもやがて訪れるのだ。
 そして青虫が蝶になるとしたら、やはりそれは、あの蛹の中でだったにちがいない……。

     *

 幸い、蛹は元の姿のままそこにあった。
 東北に下宿する少年が、休暇中以外には、東京に戻れないのはもちろんだった。だが少年の家では、その数少ない帰省に備えて、少年の部屋を手付かずのままに残していたのだ。週に幾度か母親が掃除に入ることを除けば、書棚の本に触れることさえ禁じていた。
 一人暮らしの仙台の下宿と、東京の、高校時代そのままの勉強部屋。二つの部屋を持つということは、二人の自分を持つことと等しかった。実際少年は、心の片隅にたえずそのもう一人の自分を意識していたのだ。――アパートのキッチンでインスタントの食事を暖めながら、友人と歓談しながら、大学の講義を聞きながら、少年はいつでも自分の見えない背中の部分に、やどかりのようにあの部屋を背負っている。それは東京と仙台の気の遠くなるような距離を越えて、一種の呪力のようなものをもって少年に語り掛け、誘い、そして支配していた。
 実際少年は、大学に入っても続けていた大学ノートの雑記帳に、こんなせりふを書き付けていた。
 「――主のいない部屋。確かにそれは、とてつもなく不気味な存在だ。あの日とそっくり同じ装いをしながら、いつとは知れぬ帰宅に備える空っぽの部屋。――だが本当にすべてがあの日と同じだとすれば、そこに主はいるのかもしれない。少なくとも主の影が、陰画が、その不在が、そこにはあった。そんな記憶のようなものを抱きながら、まるで妾宅の女のようにへりくだって、永遠に待ち続ける部屋……。だがひょっとしたら、それが待っているのは、主そのものではないのかもしれない。そうなのだ。きっとそんな永遠の待命に、とっくの昔に飽き果てていたそれが、主自らの手で毀たれる日を待っている……。」
 また少年はしばしば、自分があの部屋に戻る日を思い描いてみる。そこで少年を待ち構えている経験は、どのようなものなのだろう。十年前の小部屋に戻るのなら、懐かしさで胸が一杯になってしまうだろう。また四日ぶりの帰宅なら、たちまち手に馴染む調度の感触が、何にも替えがたい安堵を与えてくれるだろう。だが四か月ぶりに帰るそこには、きっと友人の下宿を訪れたようなよそよそしさと、こそばゆさがある。そうなのだ。そこで少年は、まるで友人に出会うように、四月前の自分と語り、理解し合うのだ……。

 そして実際、最初の帰省の日がやってくる。
 大学の夏休み。それも馴染みのない者には、ずいぶん不思議な時間だった。高校では夏休みは、いつでも期末試験の悪戦苦闘の後に訪れた。だが大学ではそれが、何の境界戦もなく、突然明日から始まるのだ。それは彼らの日常に突然闖入し、二か月もの領土を支配してしまった異質な時間だった。――だが帰省を控えた少年の場合、その異国は必ずしも新しい、未知の世界ではなかった。むしろそれは、少年がかつて住み、そして今では忘れ掛けていた故郷、おそらくは、少年が精算するために戻らなければならない、「過去」の時間だった……。
 下宿に入ってからは、ゴールデンウイークに帰宅できない旨を書き送った以外、親元と手紙のやり取りはない。電話を掛け合うことも皆無だった。――だがやはり、今度ばかりは少年も、帰省の日をあらかじめ知らせておくべきだったろうか。しかし少年は、そうすることで御馳走やら何やらの、ことさらな歓迎を受けることを厭っていた。そんなよそよそしい扱いを受けるよりは、突然風来坊のように立ち戻って、「あら帰ってたの」と、そんな息子がいたことをその時初めて思い出したような驚きの言葉で迎えられたい。その方がかえって、何の不自然さもなく、再びあの部屋に入り込むこともできそうに思われたのだ。本当に、まるで数時間の散歩から帰ったかのようにさり気なく……。

 一学期の最後の講義は休講だった。教授の急用を告げる掲示のビラを眺めながら、こんな紙切れ一枚で、また二時間空っぽの時間が生まれてしまうことが、何だか不思議に思えた。仲の良い友達は、学期の終了を待たずに帰省してしまっていて、少年は一人学食の喫茶コーナーで、しきりに切符の所在を確認しながらコーヒーを啜り、新幹線の時間を待った。
 二時間後少年は、新幹線の車窓を移る景色を眺めていた。
 上り列車。下り列車。――川の流れに譬えたにちがいないそんな言い回しは、なるほど適切な呼称だった。確かに少年は、四か月前に下ったはずの時の流れを、今遡っているのだった。その時未来であったものは過去となり、かつて少年に表を見せていたはずの車窓の景色が、今はことごとく裏返って少年に背中を向けている……。 だとしたらすべての夢は、その舞台裏を晒して、少年の幻滅を誘っていただろうか。かつて少年が夢見た未来、――知的な医学生の生活。堅実な医術を学びながら、あの詩と理想の世界をなお豊かに育んでいく。――そんな薔薇色の未来が、こうして現在となり、過去となった今、色褪せて凡庸な大学生の毎日になり下がってしまっただろうか? だが少年は、そう問い掛けながら、自分の内に断固たる否定の答えを確認していた。否。まだ何一つ変わっていない。少年は相変わらず今を肯ない、未来に夢見ていた。かつて仙台に下る列車で少年の胸を膨らませていた希望は、まだ少しも萎びていなかった。そう言えば、窓から見える阿武隈川の景色さえ、あの時と少しも変わることなく美しいものに感じられていた。
 夢はまだ、少しも萎びてはいない――確かに、それはそうだった。だが皮肉なことに、それからたった数時間後に起きたある小さな事件が、その悪意の針で少年の夢の風船を突いてしまったのだ。いや、それは事件ですらない。本当に取るに足らない、小さな、小さなハプニング。――

     *

 上野駅からは、電車を乗り継いで郊外の実家に向かう。途中からは、少年には御馴染みの、三年間高校に通った路線だった。
 私鉄のK線で少年の乗り込んだ車両は、五つおきの駅に止まる快速列車だった。スピードは新幹線と比ぶべくもなかったが、途中駅を通過していく疾駆感には変わりがない。
 ここでもまた、風景は窓の外を飛ぶように過ぎていく。ただ今の場合、少年は次に現れる風景のすべてを諳じていた。ボクシングジムの黄色い看板。電機会社の社員寮。中学校の運動場。――だが不思議なことに、目に入るのはただそれらの街並みのみなのだ。盛夏の午後の陽射しに意気をそがれたのか、街には人影は疎らだった。ただ一人、熱帯の隊商のような奇妙な服装をした男が、線路沿いの道を歩いてくるのが見える……。
 砂漠化――少年はふとそんな言葉を思い出して、自分の突拍子もない連想を笑った。

 車両の中は、冷房が吹き出す風のために、外の炎暑とは別世界だった。だがここも、閑散としているのは変わりがない。少年は車内広告を順繰りに目で追ってみる。もちろん大半は、仙台でのものと変わらなったが、その他にもローカルの広告が意外に多いことに、少年はいまさらながら気が付いた。
 電車はいつのまにか、少年の降車駅の一つ手前まで着いていた。この辺りまで来ると、今にも知った人が乗り込んでくるような気がして、無意識にドアの方に目がいく。
 地元の駅が近付くにつれて、少年は今度は、帰省の予告をしなかったことが変に気になりだしていた。もちろん長男の唐突な帰宅は、家人にとってはpleasant surprise なのにちがいない。だがそんな趣向が備えられているとはつゆ知らぬ家人は、家を明けてしまっているかもしれない。もちろん少年は家の鍵をもらってはいたが、がちゃがちゃと音を立てて扉を開けて、人気のない家に入るのは何か抵抗があった。本当にそれでは、大きな荷物を持っていることを除けば、高校の授業から留守番の家に帰るのと、何の違いもない……。
 駅名のアナウンスに促されて、少年は降車口に立った。時計の針は、ちょうど四時三十分を指している。荒っぽい減速のために、荷物を持った少年はバランスを失くして、わずかによろめいた。
 扉が開くと、たちまち熱風が襲い掛かった。大気と熱とには、意外なまでに堅実な質量感がある――そんなふうに心に呟きながら、少年は先刻までガラスの向こうから冷ややかに観察していた熱い荒野に、今自ら足を踏み入れたことを実感した。
 駅から家まで、十分弱の道のり。もうすでに日は傾き掛けていたが、冷房から出たばかりの少年の感覚は、うだるような暑さを感じていた。そんな感覚の異常な高揚は、いつでも私たちの認識から現実感を奪ってしまう。眩しい西日。ぎらぎらと輝く家々のガラス窓。乾き切ったアスファルト。――もちろん街並み自体は、少年にとって御馴染みのものだったが、いつになく人気ない今のそれは、嘘ものの舞台装置のように思えてしまう。少年は何だか、自分が夢を見ているように錯覚して、そういえばどこか夢遊病者のように蹌踉と歩みを進めた。
 こんないまいましい夢見心地を破るためには、涼しい冷房の風があるばかりだった。ようやく実家の前に辿り着いた少年は、快適な空調の部屋が迎えてくれることを祈った。

 門は軽く手で押しただけで、すぐに開いた。留守の時は錠を鎖すならわしだったから、幸い家人は在宅らしい。
 庭に入ると、少年はたちまち夥しい庭木に囲まれた。テッセン、モクセイ、ツツジ、キョウチクトウ、それから縁先の一角を占拠したツゲやらサツキやらランやらの鉢植え――それはもちろん、少年には格別目新しいものではなかった。だがこうして夏の陽射しに炙られた時、それらはかえって、所を得たように生き生きと繁茂しているように思える。少年は折りからの暑気に加えて、それら植物たちの草いきれのようなものを感じる。同時にその熱い息の中に、人を害してしまう毒気のようなものも、混じっているように思いなされるのだった。いわばジャングルに迷い込んでしまった旅人の困惑――。
 一刻も早く家に入りたくなった少年は、踏み石の上を急ぎ足に渡って玄関口に立った。呼び鈴で家族を呼ぼうか、手持ちの鍵を用いようか迷う間もなく、右手を添えたノブが軽く回った。
 施錠に関してずぼらな少年の家は、誰かしら在宅の時は、用心を怠って、開けっ放しのことも多かったのだ。――だが扉を開けた瞬間、少年は階下の部屋に――玄関のすぐ向こうの応接間にも、その向こうのダイニングにも、少しも人気がないのがわかった。おそらく家族は、近所にちょっと用足しに出掛けているか、あるいは二階の部屋で、妹一人が留守番をしているのかもしれない……。いずれにしても少年は、まだ自分の長年の勘が生きていて、空っぽの部屋に向かって間の抜けた帰宅の挨拶をしなくてすんだことを喜んだ。

     *

 たくさんの履物が雑然と脱ぎ捨てられた沓脱ぎに、これもまた乱暴に靴を放ったまま、少年は部屋に上がった。
 人気のない応接間も、もちろん正確に言えば、けっして空っぽの部屋などではなかった。あの例の鉢植えたちが、人間よりももっとおどろおどろしい存在感でそこを領していた。それらは相変わらずそこで生き、営み、盛っている――炎天の戸外も耐え難かったが、こうしてガラス戸を立て切った部屋は、さらにうだるような暑さだった。空気そのものが、熱く湿った舌べろで肌を嘗めるような不快感に、少年は悪心を感じた。だがそんなヒトが耐えられない環境を、植物たちはだからこそ喜んでいるかのように、葉末と葉末をすり合わせながらしめやかなささめきを交わしている。――とりわけ部屋の片隅に置かれたあの三鉢のサボテンは、湿潤な温気のもたらす快楽を、そのいびつな形で貪っているかのように見える……。
 植物たちの登場が、少年の夢見心地に悪夢の様相を加えていた。それはきっと、半年来忘れていた忌まわしさの感覚が、今一斉に少年の内部に蘇ったのだ。
 悪夢を覚ます涼風を求めて、少年はここでもまた、逃げるように二階の部屋に向かった。

 二階には、手前に少年の部屋、その奥に妹の部屋が並んでいる。まだ階段を上がり切らぬうちから、少年は耳聡く、冷房のモーター音を聞き付けていた。のみならずその音の中には、確かに妹の笑い声が混じっているように思われた。
 だとしたらきっと、妹の友達か何かが遊びに来ていて、今部屋で涼を取りながら、談笑しているのだ……。
 そう考えると、少年は一刻も早くクーラーに当たりたい気持ちになって、自分の部屋にはすぐに入らずに、廊下に荷物を置いたきり、奥の部屋に向かった。

 冷房を利かせた部屋は、もちろん扉を閉めていた。
 各々の部屋は、必要とあらば内側から鍵ができる構造になっていたが、それでも少年に、ノックの習慣がなかったわけではない。ただ友人やら従兄弟やらの気の置けない仲間が訪れている時には、無礼講の心理も働いて、そんな他人行儀のエチケットなど失念してしまうのもしばしばだった。今もまた、少年は何のためらいもなく、扉を無造作に押した。
 施錠されていない扉はすぐに開いた。――それは確かに、弾けるように勢いよく開け放たれたのだ。だが扉のノブが手を離れてしまった瞬間に、少年はすでに自分の振る舞いを後悔していた。
 訪れていたのは、少年のまったく見知らぬ男だった。

 少年は逃げるように自室に戻った。
 クーラーのスイッチを最強に入れて、絨毯の上に座り込んだまま、肌脱ぎになった体に風を当てる。そうすることで、熱に浮かされて見た悪夢から覚めることを期待するかのように……。だがそうしながら少年は、のぼせていた頭が冷えるにつれて、かえって自分の見たものがけっして夢などではないことを、確認させられる苦々しさを経験していた。
 五分もすると、ドアにノックがあった。
 少年の返事に応えて、妹が姿を現した。ピンクのスカートに、幼い漫画のキャラクターを描いた、白いTシャツを着ている。
 「お兄ちゃん、帰ってたの?」
 「ああ。」
 少年は、ただぶっきらぼうに返事をする。何秒か、気まずい沈黙が続く。
 「高校の同級生が来てたの。今帰ったところ。」
 「そうか。」
 平静を装おうとする気持ちが、少年の口数を少なくしていたのだろうか。だがまた少年は、自分がいつのまにか全然口の利き方を忘れてしまったような、奇妙な気分にも陥っていた。
 取り付くしまのない兄を見て、さすがに妹も会話を続けようという努力をやめた。最後に肩をすくめて、ぺろりと、舌を出したきり、部屋を出てしまう。
 小さなべろが覗いた妹の口腔は、何だか貝の内側の肉のようだった。

 ――九時になって両親が帰った。突然帰省した長男にやや芝居がかった歓迎の意を表しながら、観劇のために今の今まで家を明けていたことを詫びた。
 家族で遅い食卓を囲みながら、大学での生活について、両親の関心は尽きない。少年はほとんど何の表情も浮かべずに、機械的に質問に答えていく。妹は、食卓の隅で殊勝そうに黙っている。

     5

 その日から、少年の心は砂漠になった。

 少年の帰った部屋は、もちろん半年前と少しも変わらなかった。詩集やら思想書やら画集やらの一杯に詰まった本棚は、少年が家を出た時と同じ状態で、手付かずのまま残されていた。――だがしかし、あまりにも整然と並びすぎた書物は、何だか妙によそよそしいインテリアの一部のように感じられて、その一つを引き抜いて手に取ろうという気にはなれなかった。少年は大学から持ってきた医学書をぱらぱらと捲って見たが、すぐに飽いた。ぽつねんと椅子に腰を掛けて頬杖を付いたきり、少年は自分がもはやこの部屋の主ではないことを痛切に感じていた。

 少年の帰った家も、またそうだった。一人前と言われる年になった息子の帰省を、とりわけ喜んだ父親は、少年を幾度も酒に誘った。だが少なからず煙たい存在だった同性の親と、長々膝を突き合わせることを考えて、少年は丁重に辞退した。
 母もまた少年を歓迎していたが、食事と洗濯の面倒を見なければならないお荷物が、また一つ増えたのも事実だった。
 妹は兄の前で、相変わらず朗らかに振る舞っていた。だが同時に、立ち入ったような会話が始まるのは、巧みに避けているようだった。ことさら兄に甘えてみせるようなことも、もう止まっていた。

 そしてまた少年の帰った街も――最初に駅を降りた時の自分の印象が、少しも間違っていなかったことを少年は確認していた。酷烈な陽射しに炙られて、人気の失せた廃墟の街。それは少年の慣れ親しんだ街とは違う、いわば故郷の亡骸――。
 もちろん少年は、そんな感慨が自分の錯覚にすぎないことがわかっていた。街は少しも変わっていない。それはいつだって盛夏の頃には、そんな索漠とした相貌を帯びるにちがいなかった。ただ少年はこれまで、受験の準備のため冷房の部屋に籠っていて、夏の日盛りの街の素顔を目撃すべくもなかったのだ。――確かに、それは錯覚だった。だが錯覚は、ただの妄誕とはちがう。たとえ錯覚であったとしても、少年が実際そう感じた以上、それは少年の心の内の真実だった。そう。この砂漠化の奇想は、少なくとも少年の魂にとっては、重大な意味と象徴を担った心象だった……。

      *

 何のノルマもない、一か月あまりの時間の空白。何かが抜け落ちてしまった心の洞。故郷も、家も、六畳間の城も、すべてが乾いた風の吹くがらんどうになってしまった。――そんな虚ろを埋めるためには、一体どんな術があるのだろう……? 少年はぼんやりとそんなことを思いながら、実家の一間に無為に寝起きしていた。
 父は相変わらず、植木にかまけている。休日はもちろんのこと、会社から帰る間もなく、鉢植えの世話に余念がない。

 すべてが乾き切ってしまったとしたら、土くれはもはや、崩れ落ちるよりほかないのだろうか。それとも土を潤す雨が降る日が、再び来るのだろうか……? 少年はぼんやりとそんなことを思いながら、実家の一間に無為に寝起きしていた。
 妹は予備校の夏期講習に通い始める。到底勉強に行くとは思えないような華やかな格好で、家を出ていく。

 少年の胸には、さまざまな思い出が去来する。同時にこれからの、未来についても思いを巡らす。――もちろんそんなとりとめのない思念に、何か重要な結論を導き出す力があるはずもない。だがそうして時間をやり過ごすうちに、数多の思いが自然にふるいに掛けられて、最後にたった一つ、否応のない少年の選択が残されていたのだ。
 少年はお得意の詩藻を交えて、こんなふうに思い始めていた。
 「――もしすべてが廃墟になってしまったとしたら、弔いを済ませた後には、旅に出るべきなのかもしれない。冒険と危難とが待ち受けているかもしれない砂漠に、新しい棲家を探さねばならない……。」
 そうなのだった。すべてが乾き切ってしまったとしたら、雨を待つのは愚かだった。まるであのサボテンたちのように、砂漠のままの土に根付くこと、そして砂漠に生きることを、少年も学ばなければならない。――そういえば七月も半ばになり、階下の鉢植えの中に、父の「月下美人」の出蕾が始まっていた。ひょろひょろとした二本の尾のようなものが、その胴体から過度の長さにまで伸びて、ちょっとした振動にも頼りなげに揺れている。少年はまたしても、父親の講釈を聞かされる。砂漠の夜に、光のように白い花が咲くぞと……。

     *

 その日少年は、久し振りに真昼の街へ出た。
 庇の深い帽子で日除けをしながら、あてどなくさ迷う廃墟の街? ――だが一旦そんな修辞を忘れて、ありのままに眺めれば、もちろんそこは廃墟などではなかった。なるほど人通りはまばらではあるが、けっして皆無ではない。のみならず炎暑にうだりながらも、役所でも商店でも民家でも、それぞれの営みがあり、街は確かに生きていたにちがいなかった。
 少年はそんな風景の一つ一つを確かめていく。
 ショッピングカーを押す、買い物帰りの主婦。お仕着せのユニフォーム姿で、自動販売機の詰め代えをするコカコーラのアルバイト。まして半裸のまま、浮き袋を抱えてプールに出掛ける児童たちは、暑さなど少しも意に介さずに生き生きとしている……。

 少年はそんな風景の一つ一つを確かめていく。飾る言葉も、描く言葉も忘れて、ただ赤ん坊のような真っさらな心で、虚心に眺めている。
 いつしか辿り着いた駅前の商店街。道端では勇敢な露天商が、天幕で陽射を遮っただけの縄張りで茶を売っている。毒々しいまでの暗緑の茶。その色の連想から、茶の葉を噛みしだいた時の濃密な苦みを思い出して、口の中につばきが一杯に沸き上がってくる……。 時折暑さ凌ぎに、クーラーのよく利いた店を探しては、冷やかしに入る。洋服屋。電気店。ゲームセンター。わが街でありながら、本屋とレコード屋以外ほとんど知らずに来たことを、少年はいまさらながら思い知る。時計屋の宝石コーナーでは、郊外の街では到底買い手が付かないような高価な品物が並んでいる……。
 軒先の通路まで張り出して、品物を並べた八百屋。乱暴に山積みにされた白菜や大根。剰多なまでの果物。店主の呼び声。そんな異国の市にも似た商い風景が、真夏の街には最もふさわしいもののように思いなされる……。

 少年はそんな風景の一つ一つを確かめていく。飾る言葉も、描く言葉も忘れて、ただ赤ん坊のような真っさらな心で、虚心に眺めている。
 そうして歩くうちに、不思議と静穏な気持ちが少年の心を領し始める。そんな心の凪の正体が一体何なのか、少年にはわからない。だがこのことだけは確かだった。――こうしてあらゆる言葉を失くした時、同時に断罪の言葉もまた消え失せたのだ。ただ二顆の眼球となりおおせて、傍らを通り過ぎて行くすべてのものを閲し、諳じる時、それはすべてを肯っているのと等しいことになるのだった……。

 かつて知ることのなかったそんな気持ちに戸惑いながら、少年はさ迷い続けた。それはただ、数時間ばかりのそぞろ歩き。だが少年自身にとっては、それが気の遠くなるような、長い長い心の彷徨であるように感じられた。
 ふと気が付くと、時計はすでに五時を回っていた。
 午後のショッピングの街が、仕事帰りの男たちを迎えて、そのまま盛り場に佇まいを変えていく不思議な時間。
 日の落ち切らぬのも構わず、ネオンに灯が点る。いくつもの飲み屋が仕込みを終えて、店を開き始める。
 少年はふと、縄暖簾の一つをくぐりたい気になったが、おじけついてやめてしまった。
 そこから十歩も行かないうちに、店の外にまで音楽を鳴り響かせたパチンコ屋があった。学生風の二人連れが店に入ったのに釣られるように、少年も自動ドアを踏んだ。
 初めて足を踏み入れた遊戯場。音と光と色彩とが、たちまち少年を圧倒した。充満する煙草の煙りにも当てられて、少年は眩暈に近いものを感じる……。
 だがそんな過激な刺激にも、少年の体はすぐに慣れた。気紛れに選んだ台の一つに腰を掛けて、玉を打ち始める。
 ここでもまた、先刻の不思議な心持ちが尾を引いていた。少年には少しも勝ち負けの意識はなく、ただチューリップの開閉と玉の行方を、興深げに、ぼんやりと眺めているのだ。それはちょうど秋の空の飛行機の行方を、ずっと目で追い続ける子供のように――甘美な心の麻痺。言葉の世界やら、そうでない世界のことを忘れて、ただ目の前の世界だけに没入する少年の口元には、小さな微笑みさえ浮かんでいた。

 普通ならばあれだけの金でどのくらい遊べるものなのか、少年はわからない。だが一進一退を繰り返すうちに、玉をすっかり失くした頃には、時計はもう七時を回っていた。
 店を出ると、街にはすでに夕闇が降りていた。ネオンの光が、その変に甘美な色調で、にじむように闇を彩っている。
 少年は昼間来た道を遡っていく。繁華街のネオンの海はたちまち尽きて、信号一つを隔てて、道は住宅街の真ん中を縫って行く。そこから先は、道の左右を飾っているのは、白く清浄な蛍光の灯ばかりだ。
 真夏の闇が、始終熱い吐息を吹き掛けてくる。ものの五分も歩かないうちに、ポロシャツの下は汗でべっとりと濡れていた。
 もちろんこのままこの道を進めば、まもなく家に辿り着くはずだった。その冷房を利かせた部屋で、存分に涼むこともできたろう。だが少年の足の向かうのは、何故かもう一本の別の道だった。

 何故自分がその道を行ったのか、少年にはわからない。それはきっと、理由を考える必要のないほど、当然の選択だったのだ。いやひょっとしたらそれは、選択ですらないのかもしれない。少年は何の俊巡も、比量もしないまま、決められた順路を行ったにすぎないのだ……。
 道は多摩川の川べりに通ずる道だった。河原の手前には鬱蒼と木の茂った鎮守の森があり、そこではいつでも、夜の闇よりもずっと暗い木暗がりが、薄気味悪く息衝いていた。
 鎮守の森よりもさらに手前に、初美の家の雑貨屋があった。少年は、その後の初美の消息をあまり知らない。ただ高校を出た後は、家の手伝いをしているような話を聞いたことがあった。
 少年の記憶には、中学時代の初美の面影しか残っていない。セーラー服がはち切れんばかりの大柄な体。黒く長い髪。浅黒い肌。そんな南国的な顔立ちの少女が、ちょうど今日の夏の闇のように、熱い情念を秘して息衝きながら、ぎょろりと剥いた大きな眼で、少年を見つめていた……。

     *

 その夜、サボテンの花が咲いた。
 あれほどまでに父親に語り聞かされていたこと。そして少年が、けっして信じようとしなかったこと。咲くわけがない。あんなにもおぞましい風体の植物に、花など咲くわけがない――そんな、少年が必死になって抗い続けてきたことを、今夜わが目で目撃したのだ。

 父親の予言は、確かに見事までに成就していた。
 そうして訪れた奇蹟を目の当たりにして、少年は何をどう感じていただろうか。
 もちろん少年ももはや、頭を振ろうとはしなかった。起きてしまったことをただ素直に受け入れながら、少年の心には神秘の念だけが満ちていた。
 そしてまた少年は、そんな花の目を奪う美しさを、言葉にしようともしない。そうだった。もしそれが奇蹟であり、神秘であったとすれば、神を語る言葉がないように、どんなに言葉の矢を番ったとしてもその美しさを描き切ることはできない。――
 いやそれは、単に不可能なばかりではないのだ。それは逆に、少年が言葉を忘れたからこそ、初めて見ることのできた美しさだったのかもしれない。それは言葉を越えた美、あの詩と愛と理想の小部屋に籠っていては、けっして見ることのできなかった、言葉の彼岸の美なのにちがいなかった。

 花のうてなまでは、もちろん御馴染みの姿だった。岩石のようなサボテンの胴体。淫靡な棘々。棘座の一つからひょろひよろと――何やら思わせ振りな姿で伸びた蕾。そんな醜怪なものの先端に、言葉に言い尽くせない美しい花が咲いている。あんなに忌まわしい植物が、それにもかかわらず美しい花をつけてしまうことが、少年には驚異であった。だがそれは、おそらくは違った。むしろその本体が奇怪であればあるだけ、だからこそ咲いた、ユリよりも藤よりも美しい花。――
 それは確かに、乾き切った真夏の砂漠の夜に咲いた、白い光の花だった。
                   (了)




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2021年3月22日 発行 初版

著  者:鬼沢哲朗
発  行:鬼沢哲朗出版

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