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この本はタチヨミ版です。
アパレル業界に入って、最初に困ったことは言葉が分からないことでした。専門用語や横文字が飛び交い、というより、ほぼそれらがつながって会話が進んでいきます。
ファッション専門学校を卒業してもそうなんですから、一般の大学を卒業した人も、分からない言葉で苦労したのではないでしょうか。
そもそも、職業教育って何でしょう。私はまず用語の意味を知ることであり、次に用語に対する深い知識と理解だと思います。
アパレル業界は不思議な業界です。流行の最先端のファッション業界と、最も歴史のある繊維業界と隣り合い、重なり合っているのです。したがって、知らなければならない用語も膨大です。しかも、一つ一つの用語には深い意味があるのです。
繊維に関するビジネスで知っておくべき用語を絞りに絞って、それぞれに解説を加えました。自分で書いてみて驚いたのは、その分野の広さと専門性の深さです。それぞれの領域には専門家がいて、何十年もの経験があります。それらの人と全ての知識や情報を共有することは不可能ですが、少なくとも、通訳なしに会話ができないといけないと思います。
本書で紹介した専門用語を知っているだけで、そこそこの業界人として通用するはずです。
本書は、一般社団法人ファッション産業技術継承協会の「繊維ビジネス用語検定 中級・上級」の教科書を兼ねています。 (https://www.fiti.jp/business-kentei/)
是非、検定にもチャレンジして下さい。
ヨーロッパとアメリカでは、服に対するイメージが異なる。
ヨーロッパにおける「服」のイメージは手工業製品であり、アメリカにおける「服」のイメージは、大量生産の工業製品である。
モードは創造的なもの。ファッションは大量に売れることで評価される。
このヨーロッパとアメリカのファッション観、デザイン観の違いが、「モード」と「ファッション」のイメージの違いにも表れている。
「モード」はラテン語のモドウス(modus=方法、様式)に由来し、モードはフランス語にも英語にもなっている。
「モード」は、一部のデザイナーによる独創的なコレクションに使われることが多く、「流行になる前の見本」の意味で使われる。モードには、先端的、実験的、挑戦的なイメージが含まれる。
「ファッション」は、ラテン語のファクチオ(factio=行為、所作)に由来する。ファッションは、「モード」が既製服として大量生産され、一般の人々が着用している状態を指す。
と言っても、一般的にはそれほど厳密にモードとファッションを使い分けているわけではなく、意味も混同されることが多い。
オートは「高い」「高等の」、クチュールは「裁縫仕立て」の意味で、オートクチュールは「高級注文服」「高級衣装店」と訳される。
フランス革命以前は貴族階級を対象にしていたが、フランス革命で貴族階級が消滅した後は、新たな富裕層であるブルジョアジーのための高級衣装店(メゾン)として独立した。
オート・クチュールのドレスは、最高の素材と技術により製作される。メゾンには顧客の体型に合わせたボディが用意され、それを元にドレスが裁断され、更に何度も仮縫いを繰り返し、妥協のない完璧なドレスに仕立て上げる。基本的には一点ものであり、複製は作らない。正に、芸術品としての服である。
当時は、デザイナー、パターンナーという分業ではなく、デザイン、裁断、縫製の全ての技術とセンスを持つ人を「クチュリエ」と呼んだ。クチュリアはクリエイターであり、技術者であり、アトリエのリーダーであり、経営者だった。
やがて既製服の時代となり、オート・クチュールは衰退していく。
現在まで、オート・クチュールを維持できたのは、ライセンスビジネスがあったからである。香水、時計、アクセサリー、バッグ、靴等のメーカーにブランド・ライセンスを与え、そのライセンス料が大きな収益源となった。
そのため、オート・クチュールのコレクションは、ライセンスビジネスのためのプロモーションという性格が強くなっている。
顧客の体型に合わせて作られる注文服に対し、すぐに着用できるようにサイズ展開された服を既製服という。英語では、レディ・メイド・クロージング、略して「レディ・メイド」と呼ばれる。
既製服はアメリカで発達した。工業製品のように規格化されたジーンズやTシャツのような実用衣料から始まり、やがて高級な既製服を量産するようになった。
一つの型を大量生産するために、服を作る仕事も分業化され、デザイナー(スティリスト)とパターンナー(正式にはパタンメーカー、モデリスト))という職業が生れた。
縫製工場も、工程の分析と標準化を進め、ベルトコンベア方式のように長い生産ラインによる大量生産の体制を作った。
一方、ヨーロッパではオート・クチュールが衰退し、オート・クチュールの技術を生かした高級既製服、「プレタポルテ」が生れた。
フランス語でプレは「用意ができている」、ポルテは「着る」という意味であり、prêt-à-porterは「高級既製服」を表す。
やがて、アパレルは既製服が主流になり、既製服のデザイナーズブランド、ラグジュアリーブランドが生れ、ボリューム市場向けにはファストファッションが生れた。
オートクチュールと百貨店のライセンスは、双方に利益をもたらすものだった。オートクチュールは既製服に押され、衰退していく中で、新たな収入源としてライセンスビジネスが始まり、日本の百貨店にとって、戦後の高度経済成長に向けた「百貨店の顔づくり」が行われたのである。
日本におけるライセンスビジネスは、1956年のディオール社と大丸との独占販売契約から始まった。
その契機は、クリスチャン・ディオール氏が鐘紡の絹織物に興味を示し、1953年に日本でファッションショーを開いたことである。文化服装学院がChristian Dior社からモデル12 名を招聘して本場の製品を披露しただけでなく、鐘紡は田中千代、大丸は上田安子に型紙の買い付けを依頼し、日本で製作を行ない、その作品も発表した。
このファッション・ショーは国産生地を使用した「Christian Dior 製品“再現”の試み」と報じられ、その後のフランスのファッション企業と日本市場が結び付く、大きな転機になった。
この契約は、ディオール社が、日本におけるクチュール領域の商標 Christian Dior を大丸に与え、クチュール製品の複製(リプロダクション)を許可したものであり、これがその後の百貨店とオートクチュール・ブランドのライセンスの基本となった。
その後、1960年にピエールカルダン社と高島屋、ニナリッチとと松坂屋、1962 年に テッド・ラピドスと西武百貨店、1963 年には ピエール・バルマン社と伊勢丹、サンローラン社東レがライセンスビジネスを開始した。
大丸とディオール社との契約は 1963 年で終了したが、1964年に大丸は新たにジバンシー社との独占契約、バレンシアガ社との特別提携を発表している。
ディオール社は、1964年に鐘紡とのライセンス契約を締結し、1997年までその契約は続いた。
百貨店とアパレルの取引慣行は、他の業界では見られない特殊な形態である。売れ残った商品は返品することが可能な「委託仕入れ」、百貨店の店頭で、百貨店の制服を着ている販売員が「派遣販売員」であること。
また、小売価格をアパレルが決定し、決められた納入掛け率で卸していることも、他の商品では認められていない。百貨店とアパレルの取引慣行には歴史があるので、特例として認められているのである。
1957年、専門店アパレルのキャラバンが「参考上代・掛け率制、テリトリー制、返品制」のアパレル取引商慣行の3点セットをスタートし、同じ頃、オンワード樫山が同様の仕組みで百貨店とのアパレル取引商慣行を確立した。
1960年代半ばまでに繊維二次製品卸の9割がその手法を導入し、アパレルと百貨店との取引形態が定着した。
参考上代・掛け率制とは、百貨店卸のアパレル企業が小売価格(上代)の決定権を握り、掛け率ダウン(当初は80%、その後5年ごとに5%ずつダウンし60%前後で定着)を小売価格に転嫁していった。
テリトリー制は、百貨店がアパレル企業に対し、百貨店の競合他店、あるいは量販店や専門店との取引を牽制し、独占的な販売を行ったこと。しかし、アパレル企業の市場支配が強まるにつれ、次第にテリトリーは曖昧になっていった。
派遣販売員制は、百貨店社員が販売するのではなく、売場ではアパレル企業がマネキン(派遣店員)斡旋会社と契約し、派遣販売員を配置した。そのため、百貨店の売場は、企業単位・ブランド単位のコーナー展開が主流となった。
多頻度小口納品制は、日常的な納品について、各百貨店に担当者を配置し、日参して対応したことを指す。
取引口座制は、百貨店が取引口座を開設しないと取引ができず、取引口座を持っていることが既得権益化していったことを指す。
アパレル企業は、ライセンスブランドの積極的導入を軸に続々と多ブランド戦略をとるようになった。
以上のような取引システムにより、百貨店は、商品在庫リスク、人件費負担等が大きく軽減され、一方のアパレル企業は百貨店の店頭(マーチャンダイジング)をコントロールする体制を獲得した。
1970年にパリで高田賢三がデビューし、70年代半ばには日本でも同世代のデザイナーが、続々とコレクションを行い、ブティック(直営店)を立ち上げた。
個性的なデザイナーズブランドは人気を集め、80年代になると原宿近辺のマンションメーカーと呼ばれる個性的なアパレルと共にDCブランドブームを巻き起こした。
DCブランドは、直営店とFC展開を基本にしており、通常のアパレル製造卸よりも粗利益率が高いビジネスモデルを構築した。
DCブランドの特徴は、トータルコーディネートされたフルアイテムの商品と、個性的なブティック=ショップ展開であり、ショップと商品をパッケージにして、百貨店、ファッションビル、全国の商店街や地下街に出店し、市場シェアを拡大していった。
80年代には、百貨店のリニューアルはDCブランドの導入を意味するようになった。DCブランドは商品だけでなく、売り場環境の提案も行ったので、百貨店にとっては、DCブランドを導入するだけで、売り場の印象を変えることができた。
また、DCブランドはファッション雑誌によるプロモーション戦略にも特徴があった。「プレスルーム」と呼ばれるサンプルの展示スペースを設け、ファッション雑誌に無料でサンプルを貸し出すサービスを行った。そして、広告、編集タイアップ、編集ページの中で露出を高め、その情報戦略によりブームを巻き起こしたといえよう。
「SPA」は、米国GAP社の社長に繊研新聞の記者がインタビューした時に、「GAPはSPAになった」と答えたことによる。
SPAとは、「Specialty store retailer of Private label Apparel」の頭文字で、GAPで展開している商品が全てオリジナルブランドになったことを意味している。
それ以前のGAPは、品揃え型ジーンズ専門店で、リーバイス・ジーンズの販売は全米第一位だった。そのリーバイスの仕入れを含め、ナショナルブランドのジーンズの取り扱いを停止し、全てオリジナルのGAPジーンズに切り換えたのである。
日本でSPAという言葉が紹介され、やがて、製造小売業という意味で使われるようになった。
DCブランドから始まったアパレルの直営店モデルは、大手アパレル、専門店アパレル等も採用するようになった。それまでのアパレル製造卸業は、次第にアパレル製造小売業への業態転換したのである。日本では、これらの業態を「SPA」「SPA型アパレル」と呼んだ。
SPA型アパレルは、企画・生産管理・営業・店舗開発・接客販売という非常に幅の広い業務を行うようになった。また、次第に中国を中心とする海外生産が増加し、価格競争も激しくなった。そこで、経営効率向上のために生産管理業務を商社に移管し、商社から製品調達するという取引モデルに変わっていった。
80年代以前のアパレル製造卸は、生地問屋(テキスタイルコンバーター)から生地を仕入れ、縫製工場に加工賃を支払い、アパレル製品に加工し、それを小売店に販売するという形態だった。しかし、SPA型アパレルとなってからは、商社がテキスタイルメーカーから生地を仕入れ、縫製工場に加工賃を支払って加工し、製品をアパレルに販売するようになった。こうした中で、生地問屋の存在意義が薄れ、生地問屋の淘汰が進んだ。
SPA型アパレルは、経営資源をブランドプロデュース(商品企画、店舗開発、広告宣伝)と店舗運営等に集中的に投資することで、高い利益率を確保した。一方で直営店戦略を取らず、製造卸に留まった多くのアパレル企業は1990年代から2000年代にかけて淘汰されていった。
当初は、商社への生産管理機能のアウトソーシングだけだったが、次第に商社傘下の企画会社に製品の企画提案までを委託し、商社の提案サンプルから商品をセレクトしてバイイングするだけのアパレル企業も増えてきた。このような企画機能のアウトソーシングと過度の店頭売れ筋フォロー型のマーチャンダイジングが主流となったこともあって、素材やデザインの同質化が起こり、ますます売場で価格競争に陥るという悪循環が起きている。
ファストファッション (fast fashion) は、最新の流行を採り入れながら低価格に抑えた衣料品を、短いサイクルで世界的に大量生産・販売するファッションブランドやその業態を指す。
ファストファッションが生れた背景は、グローバリズムにある。先進国から製造業が周辺の新興国に移転し、新興国は経済成長を遂げた。そして、富裕層と貧困層の間に、大量の中間層が生れたのである。その中間層が巨大なファッションニーズを生み出し、それに対応して周辺国からファストファッションが生れた。
ファストファッションは新興国市場で成長し、先進国市場にも進出した。先進国では、デジタル化の進展で、アパレル支出が減少し、情報機器や通信費の支出が増えていた。そんな先進国の消費者ニーズにも、安くておしゃれなファストファッションは合致し、更に成長を拡大した。
先進国でブランド離れが起きる一方で、更に経済成長した新興国の富裕層はブランド消費が伸びていった。
ファストファッションを代表するブランド「フォーエバー21」は、2009年に原宿店をオープンし、2019年に日本から撤退した。この間の10年間が、日本におけるファストファッションの全盛期といえるだろう。
古着は、英語では「used clothes」や「old clothes」。単に誰かが着た古い服であり、そこに特別な価値を認めていない。
日本では、「リーバイスのヴィンテージ」に骨董品のような価値を見い出し、高値で取引したことから、世界中にヴィンテージ市場が広がっていった。
ヴィンテージ(ビンテージ,Vintage)とは、「由緒ある、古くて価値のある」という意味手、「当たり年のワイン」を指す言葉だったが、そこから「完成度が高い、古くて価値が高い、年代物のアイテム」「価値の高い古着」を指すようになった。
古着は、古着屋やリサイクルショップで販売されている。古着屋は、目利きのバイヤーが価値のある古着を国内外から仕入れるのに対し、リサイクルショップでは顧客が持ち込んだ商品を買い取って、それを販売している。
古着は、「ヴィンテージ古着」「レギュラー古着」「ブランド古着」「一般古着」に分類されることが多い。
「ヴィンテージ古着」は、質が高く、古いことでより価値が高まるものであり、多くは着用するよりコレクション用に購入される。最低でも1990年以前の商品で高値のついて商品をさすことが多い。
「レギュラー古着」は、ヴィンテージ程古くないが、ヴィンテージに匹敵する質が高く、雰囲気が良い古着を指す。
例えば、90年代のチャンピオン「リバースウィーブ」のスウェット、90年代ラルフローレンのアイテム、gapの80〜90年代のアイテムなど。
「ブランド古着」は、最近のドメスティックブランド 、インポートブランド、セレクトショップオリジナルなどの古着を指す。
しかし、ファストファッションやノーブランドの古着は、ブランド古着と呼ばないことが多い。
「一般古着」とは、上記以外のノーブランド古着を指す。
古着の魅力は、「ブランド商品の新品と比べると安い」「街でも被らないので、一点物に近い」「こなれ感、経年変化の風合い」などが上げられる。
近年、東京のストリートファッションでは、古着屋の販売員の着こなしや、ディスプレイしたコーディネートがトレンドリードするケースも増えている。
「ラグジュアリーブランド」とは、欧米のオートクチュール、プレタポルテ、高級皮革製品等のブランドの中で、特に著名でブランド価値が高いブランドを指す。歴史があり、デザインと品質のレベルが高く、所得が高いだけでなく、センスが良い顧客を持っており、トレンドに左右されない価値を持っているブランドである。
ラグジュアリーブランドは、オートクチュールやプレタポルテのメゾンに由来するもの、高級バッグ等の皮革製品メーカーに由来するものに二分される。
「ラグジュアリーブランド」に似た表現で「プレミアムブランド」があるが、両者の印象は微妙に異なる。
「ラグジュアリー」には、非日常的な贅沢さ、精神的な解放感や自由さが含まれている。つまり、高級リゾートホテルのような非日常的なイメージである。
それに対して、「プレミアム」は日常における高級で高品質なイメージで、都心の高級ホテルのイメージと重なる。
日本人は仕事をしている時間に価値をおく人も多いが、西欧人はリゾートの時間こそ、自分の本物の時間であり、人生を楽しむ時間と認識する人が多い。仕事の時間なら、多少まずい食事でも我慢するが、リゾートの時間は絶対に妥協しないと考えるのである。
ブランド・コンサルティング会社のインターブランド(Interbrand)によると、2019年の世界のブランド・ランキングを発表した。それによると、ラグジュアリーブランドを手掛ける企業上位9社のブランド価値は、合計で約1177億8400万ドル(約12兆8000億円)にのぼった。
前述した定義でいうと、これらのブランドにはラグジュアリーブランドとプレミアムブランドが混在していることになる。しかし、一般的には、世界的に有名な大型高級ブランドをラグジュアリーブランドと呼んでも差し支えないだろう。
タチヨミ版はここまでとなります。
2021年4月7日 発行 初版
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1957年東京生まれ。文化服装学院ファッションデザイン専攻科卒業後、株式会社ニコル、株式会社スクープ等、アパレル数社の商品企画、ブランド開発業務を担当後、独立。
1990年有限会社シナジープランニング設立同社代表取締役就任、現在に至る。
専門は、テキスタイル(織物、ニット)からアパレル、流通にいたるまでのトータルな企画コンセプト立案及びコンサルティング。
最近は、ファッションブランディング、ファッションビジネスの人材育成、伝統産業振興、地域振興等、幅広く活躍中。
著書に、「脱・トレンド主義」商業界、「ポストDC時代のファッション産業」日本経済新聞社、「ファッションビジネス用語辞典」ファッションビジネス学会(共著)、「次世代百貨店構築のシナリオ」ストアーズ社(共著)等がある。