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日本の南にある島を、おとなりの国がとろうとしているね、
と、パパがいうので、
「やっちまえば」と、ぼくがいうと、
「戦争になってもいいの?」と、パパにききかえされました。
「えっ、せんそう?」
ぼくはびっくりしました。
ケンカのつもりでいったのに。
せんそうは、イヤだな。
パパは、テレビをみながら、新聞をよんでいます。
ぼくは、ニュースをきいてもよくわからないし、むずかしい字はよめないし……
だけど、バクダンあとのボロボロになった町のすがたをテレビでみたときから、せんそうというのはいやだなあ、こわいなあ、とおもいました。
パパは、なんでせんそうがおこるってわかったのだろう?
大人たちのケンカは、せんそうになるのだろうか?
むずかしい漢字がよめれば、せんそうになることがわかるのだろうか?
大人たちは、せんそうが、わかるのだろうか?
ケンカなら、ぼくにも、わかるのにな。
だって、いつもやってるし、すぐにおこる。
わるぐちいいながら、こづいたり、けっとばしたり。
このあいだは、ともだちに目のしたをツメでえぐられて、
「みえなくなったら、どうするんだ!」と、パパから、しかられた。
でも、いいもんじゃないけど、イヤなかんじでも、ないきがする。
キッズの先生は、3年生までは、いっぱいケンカをしていたほうがいいんだって、ママに、いってた。
そうか、そうやって、大人たちは、いっぱいせんそうをして、おおきくなっていったのかな?
でもぼくは、やっぱり、せんそうは、イヤだな。
パパだって、「やめてくれよ」と、つぶやいている。
植木屋さんのパパが、木からおちて、あるけないでいたとき、おっきなじしんがきて、つなみにたくさんの家がながされていったのを、ニュースでみてたけど、バクダンがばくはつするみたいな、イヤなかんじとはちがっていた。
それよりも、あとからきた、ほうしゃのうの話しのほうが、こわくてイヤだった。
こどもがみんな病気になっちゃうなんて、イヤだな。
大人は、だいじょうぶなの?
せんそうが、わかってるから、だいじょうぶなのかなあ?
そういえば、パパといっしょに、『マトリックス』って映画のDVDをみたことがあった。
鬼ごっこのハンターが、つぎからつぎへとでてきて、サイコーにおもしろかったけど、あれは、コンピューターと人間の、せんそうの話しなんだって。
太陽をみえなくさせて、機械のスイッチをきろうとした人間が、ぎゃくに機械にやりかえされて、機械の発電機として栽培されて、そのために夢をみさせられてるんだって……そうして、その夢の世界が、こうしてぼくが学校へいき、勉強したり、サッカーしたりしているここなんだって。
わけがわからないなあ。
でも、それより、もっとわからなかったのは、大人のおとこと、おんなが、キスばっかしてたことだ。
外国人だから、かなあ?
あいさつの、ハグには、みえなかったけど。
なんで、キスしなくちゃならないんだろう?
大人になると、わかるのかな?
漢字がよめるようになると、わかるのかな?
戦争がわかれば、わかるのかな?
いや、キスがわかれば、わかるのかな?
せんそうが、わかるように、なるのかな?
ママは、ときどき、チュッチュしてくれるんだけどなあ。
フロイト著 『人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス』中山元訳 光文社古典新訳文庫 (アインシュタインとの往復書簡より)
《それは、わたしたちがなぜこれほど反戦活動に熱中するのか、わたしもあなたもほかの人々も、人生のその他の多くの苦痛に満ちた苦難の一つとして、戦争をうけいれようとしないのはなぜかということです。戦争というものは、むしろ自然なもので、生物学的に十分な根拠があり、実際問題としてほとんど避けがたいものと思われるからです。》
《心理学的な観点からすると、文化には次の二つの重要な特徴があります。一つは知性の力が強くなり、欲動をコントロールし始めたことです。もう一つは攻撃的な欲動が主体の内部に向かうようになり、これがさまざまな好ましい結果をもたらすとともに、危険な結果をもたらしていることです。文化の発展のプロセスのために必要とされてきたわたしたちの心的な姿勢は、戦争にはあくまでも抵抗するものであり、それだけにわたしたちは戦争に強く反対せざるをえないのです。これはたんに理性的な拒否や感情的な拒否というものではありません。わたしたち平和主義者は、戦争には体質的に不寛容になっているのです。生理的な嫌悪感が極端なまでに強まっているのです。ですからわたしたちが戦争を拒否することの背景には、戦争の残酷さにたいする反感だけでなく、戦争にたいする美的な観点からの嫌悪感も働いているようなのです。》
《わたしたちが戦争に強く反対する主な理由は、ともかく反対せざるをえないからだと思います。わたしたちは平和主義者ですが、それはわたしたちが生理的に戦争が嫌だと感じるからです。それだからこそ、戦争に反対し、さまざまな反戦論を提示しようとするのです。》
2021年4月13日 発行 初版
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1967年生まれ。植木職人。 自著;『曖昧な時節の最中で』(近代文藝社)・『書かれるべきでない小説のためのエピローグ』(新風舎) *カニングハムは、「振り付けするとはダンサーがぶつからないようにすることだ」と言っている。盆栽に象徴される日本の植木の仕立ての技術とは、枝が交差し絡み、ぶつからないよう偶然を準備していくことにある。自然に気づかれないで、いかに生起してくるaccidentを馴化していくかの工夫なのだ。たとえ西洋のトピアリーのような造形をめざさないことに文化的な価値の規定を受けていようと、そこには特殊にとどまらない普遍的な対応がある。芥川が「筋のない話」として日本の私小説の困難な特異さと歴史的前衛性を洞察したことが、日本の植木職人の技術のなかにも潜在するのである。