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村崎百郎のパンデミック時代を生き延びろ!鬼畜のススメ別冊エヴァンゲリオンという名の電波

村崎百郎

村崎百郎



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  この本はタチヨミ版です。

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目次


 [気持ち悪いことは、何て気持ちが良いんだろう](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [――鬼畜的視点からいいかげんに見た『新世紀エヴァンゲリオン』](※※内部リンクが見つかりません※※)


[第1章 キ印アニメ『エヴァンゲリオン』](※※内部リンクが見つかりません※※)


[第2章 エヴァンゲリオンと山口県](※※内部リンクが見つかりません※※)


 [★長くてまどろっこしい前置き](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [★二人の抱える「県民無意識」](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [★「裏山口県人会」の陰謀(でっちあげ)](※※内部リンクが見つかりません※※)


[第3章 『エヴァンゲリオン完結篇』](※※内部リンクが見つかりません※※)


 [付録★意味のないおまけギャグ](※※内部リンクが見つかりません※※)


[〝隠された物語〟――オカルティズムの罠](※※内部リンクが見つかりません※※)
[またはエヴァンゲリオンという名の〝電波〟](※※内部リンクが見つかりません※※)


 [★ゲス証言①](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [①少し退屈な構造分析](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [★ゲス証言②](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [②『エヴァ』における隠秘学的的な意義](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [★ゲス証言③](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [③〝隠された物語〟を求める心](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [★ゲス証言④](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [★ゲス証言⑤](※※内部リンクが見つかりません※※)
 [★ゲス証言⑥](※※内部リンクが見つかりません※※)


[あとがき](※※内部リンクが見つかりません※※)

 気持ち悪いことは、何て気持ちが良いんだろう
 ――鬼畜的視点からいいかげんに見た『新世紀エヴァンゲリオン』
村崎百郎



初出・ぼくの命を救ってくれなかったエヴァへ/三一書房/(1997/12/1発行)


第1章 キ印アニメ『エヴァンゲリオン』


 さて、どうやら「エヴァを語ることは己自身を語る」ことであるらしいので、俺も俺とエヴァのかかわりについてから書き記すことにしよう。
 中卒工員の俺は北海道で食いつめて(行く先々の現場や工場で傷害事件を起こし過ぎて悪評が立ち、雇ってくれる職場がなくなった)上京以来17年間、夜毎の徘徊とその際の趣味のゴミ漁りを欠かさず、せ●ずり用のエロ本や女の下着や個人のプラバシーを漁り続けて年間平均一千回に及ぶ下品極まりないせ●ずり生活を送ってきた最低のゴミオタクである。アニメについてはこれといって思い入れがあるわけでもなく、その時々に流行ったものを適当に見る程度で、間違ってもアニメのキャラをオカズにして一発抜くようなオタクなせ●ずりはコイたことがなかった。
 そんな俺が『新世紀エヴァンゲリオン』を知ったのは、『エヴァ』のTVシリーズ放映終了後に、近所に住む専門学校生の女が大量にゴミ集積所に出した同人誌やコミックのゴミの山の中から拾って帰ったビデオやフィルムブックなどの『エヴァ』資料一式に目を通してからである。捨てられていたゴミの状況から判断するに、ゴミの捨て主が『エヴァ』の最終回を見てショックを受けて、エヴァファンだけではなくアニメオタクからも足を洗ったのは明白だった。後に「これこそ庵野監督が意図したアニメオタクの〝現実回帰〟の実例なのか」と感心したものだが、他人の捨てたゴミの中から『エヴァ』にハマるとは、鬼畜のぶんざいで全くもって情けない限りである。
 この件を少々補足すると、ゴミ集積所というのはどこも他人の捨てた物や情報がふきだまる場所であり、赤の他人のゴミを漁るという行為には「自分が日常生活では決してアクセスしえない情報にアクセスできて、これをサンプリングする機会に恵まれる」という面白みもあるのである。本屋へ行っても絶対に手にも取らないような自分に興味のない分野の本でも、ゴミで拾うと不思議と「これも何かの縁だろう」と読んでみようという気になるものだ。そして、その本が面白かったりすると、ついついその本の続刊まで買いに行ってしまう。こっぱずかしい話だが、俺が『遊』や『エピステーメー』や『パイディア』などの雑誌を全巻揃えて読むようになったのも、実は80年代初頭のある夜、今はすでに故人となった著名な女性のユング研究家の家のゴミの中から『遊』を一冊拾ったのがきっかけだったのである。
 そういう経緯で『エヴァ』を知り、TVシリーズをビデオで全て観たあとで思い出したのは、その昔、ミヒャエル・エンデが小説『はてしない物語』(これもゴミで拾った)を通して読者に向けて放った「いつまでも幻想文学に浸っていては駄目だ、現実の中で頑張らなければ何も変わらないんだよ」というメッセージだった。『エヴァ』もまた観客に現実回帰を促すという点では「アニメを否定するアニメ」という特異な存在である。
 『エヴァ』は最終回近くまで、物語の謎を深めるだけ深めて、物語を盛り上げるだけ盛り上げておいて、アニメとしての魅力を最大限にふりまいてから、最後の最後で「君たちが夢中になって観ている『エヴァ』は単なる〝アニメ〟でそれ以上でもそれ以下でもないんだよ。想像力さえ働かせれば君たちはもっと無限に無数の世界観や物語を自分の裡に持つこともできる。別に〝アニメオタク〟じゃない君がいたっていていいんだし、君たちの前には無数の可能性と選択肢がある。君がアニメオタクを続けようが止めようが俺の知ったことじゃないけど、続けるにしても止めるにしても、自分に多くの可能性と多くの世界があることを分かったうえでやりなよ」と観客をつき放す、利潤追求が金科玉条の高度に資本主義的な市場社会の倫理からは考えられないほど良心的なアニメだった。
 これは、常日頃から「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ことだけを目標に、ひたすらゲス文書と鬼畜思想を可能な限りメディアにばらまき「この世の腐敗を加速させる」べく卑劣で邪悪な活動を続けてきた「鬼畜系」の俺には考えられないぐらい深刻な脅威だった。今だからいえるが、TVシリーズの最終話を観終わったときには、俺はこの物語と庵野監督に底知れぬ〝恐怖〟を感じたものだ。よもやアニメーター側からアニメオタクに向けて〝お前らもういい加減にしろよ、いつまでアニメに夢中になってんだ!〟などという良心的な呼びかけがなされようとは考えてもみなかった。こんな腐った時代に、そんなに「誠意ある善意」を仕事に持ち込む馬鹿がいようとは冗談でも考えられなかった。
 だいたい「人がいつまでもアニメを観続けることに対しての疑問」なんてものは、善意と良心の塊としか思えないような宮崎アニメにだって今までもこれからも絶対に表現されないテーマであるはずだ。「アニメーターの良心」なんてものは、せいぜいが毒にも薬にもならない環境保護の「エコロジー運動」を呼びかける程度が関の山ではなかったのか? そう考えると庵野監督の所業は明らかに「領海侵犯」もいいところの、「アニメーターを逸脱した行為」である。
 「オイオイ冗談じゃねえぞ、玩具メーカーの御用達アニメが何でこんな真面目で良心的なメッセージをかかえてんだ? こんなアニメを見たオタクどもがみんなして〝自分と自分をとりまく世界との関係〟について真剣に考え始めたら、下手をするとせっかくここまで腐った世の中が良い方へ向かってしまうじゃないか! こいつらアニメーターは黙ってひたすらキャラクター商品の購買欲をそそるだけの白痴アニメ作って誉められて喜んでりゃいいのに、何でわざわざ自らの存在意義まで危うくするような作品作ってんだよ!」
 これだけ腐った時代に「てめえの利益」を考えないような、こういう手合がまだいようとは、全く恐ろしいことである。俺が玩具メーカーの社長なら、とうに監督を解雇しているだろう。「お前ら馬鹿かァ? いつまでガキ向けのアニメ見て喜んでんだよ!」などという「玩具の購買意欲に歯止めをかけるメッセージ」の付いたアニメを、自ら出資してまで作られてはたまったものではないからだ。玩具業界にとっての「庵野監督」という存在は、それほど特異で危険な存在であったのだ。
 しかし、俺の怖れは結果的に杞憂に終わった。『エヴァ』はオタクを覚醒させるどころか、監督の意図とは全く逆に、すでにアニメから遠ざかっていた三十代の元オタクたちまでをも再び引き戻して、多くの同人誌やガレージキットやコスプレなどに興じる「エヴァマニア」を生み出しただけに終わったのだ。あまつさえ、当のオタクたちからは「結末が自分達の求めるアニメのコードを大きく逸脱したものである」という理由で、奇跡とも思えるくらいに良心的なメッセージをはらんだ物語の最終回の「作り直し要求」の大合唱まで始まる始末だった。
 まあ、世の中なんてそんなものだ。とりあえずは、
 〝誰よりもオタクを憎んだ君は、誰よりもオタクを愛した君だ〟
 とでもいっておこう。

第2章 エヴァンゲリオンと山口県


 ★長くてまどろっこしい前置き
 さて、35年も生きていると「物事はあまり真面目に考えれば考える程、ろくなことにならない」ということに気がつくものだ。人は目を引く出来事や対象があると、その周囲には目が行き届かないものである。
 そのいい例が、この春、日本中を沸かせた「神戸小学生連続殺人事件」だ。誰も指摘しないのでここに書いておくが、「あの事件で一番得をしたのは、全く同時期に総会屋への巨額の不正融資と利益供与事件が発覚した第一勧業銀行と野村証券だ」ということを忘れてはならない。規模からいっても、一勧と野村の事件の方が国政を揺るがすような大事件で、トップ記事で扱われてもおかしくなかったのだが、屍体のディスプレイに凝っただけのチンケな殺人事件の報道に完全に喰われてしまっていた。確かにニュースとしてのインパクトは神戸の事件の方が断然強く、TVの映像にしても、ビルや背広を着たサラリーマンが歩く姿が映るだけの不正融資事件の映像よりは、挑戦状だのタンク山だの校門の血痕だのと次から次へと出てくる殺人事件の方が見ていて退屈しないということはあるだろう。ワイドショーが連日須磨区の街に釘付けで、一勧と野村の事件の方をほとんど報じなかったのも無理はない。
 この二つのニュースが並んで報じられると、政治家や官僚の汚職事件に慣れっこになってしまい、もはや誰にも何の期待もしていない国民の皆さんには、「ああ、また金持ちがズルをしたのか、どうせみんなやってるんだろう。でもこいつらは別に小学生を殺して首を切ってさらしてるわけではないからな」というわけで、一勧や野村の連中の悪がかすんでしまい、彼らが「それほど悪くない連中」に見えてしまうから便利なものである。俺は神戸で小学生の生首がさらされた当初、「これは第一浣腸銀行と野糞証券が政府と組んでCIAの協力を経て、国民の目を不正事件からそらす為に起こしたヤラセの事件なのでは?」と思った程だ。
 とにかく神戸の事件は、発生当初から一貫して一勧や野村をかばうかのように進行して見えた。たとえば一勧の副頭取クラスが一挙に4人逮捕された日の深夜には、第二の挑戦状が神戸新聞に公開されて翌日の新聞やワイドショーのトップはこの挑戦状の話題で埋まってしまった。更に犯人の少年が逮捕された翌日の昼に、一勧の元会長が自殺した。「犯人が14歳で少年法に守られているため、2年後には堂々とシャバに出られる」という情報がお茶の間の皆さんの耳に行き渡って日本列島中がやり場のない怒りに包まれていたときに、「一勧の元会長が責任を取っての自殺」の報である。「死ねば全て善人扱い」&「死人の悪口をいわない」という素敵なお国柄の日本人のほとんどが自殺した元会長について「何と潔い人だろう、そこまでしなくてもよかったのに」と思っても何の不思議もないだろう。いたいけな小学生を惨殺しても罪に問われない神戸の事件の犯人のことを思うと、自殺した元会長が「ものすごくいいひと」に見えてくるから不思議なものである。
 こういう例は、あげていけばキリがないので省くが、この国では「政府やある特定の人々に都合の悪い事件」が起きたりすると、不思議と同時期に全く別の場所で悲惨な大事故や、芸能人のビッグなスキャンダルが発覚したりして、そこに報道が集中するという便利な現象がいくらでも起こる。まあ「マスメディアぐるみの情報操作」というのは、いつの時代でもあるもんだし、TVや新聞の報道番組を全て真に受ける方がどうかしてるんだから、大切なことはTVを消してから考えたほうがいいのだろう。
 以上、もったいぶって「目先のことにとらわれると、全体の構造が見えなくなる」という事例を紹介するためだけに、一見『エヴァ』とは何の関係もなさそうな現実世界(これも広義では妄想の一種)の事件について触れてみたが、全く関係のない話では決してなく、大流行した『エヴァ』の謎解きについてもこれと同様のことがいえるだろうというのが俺の主張したいことであるのだ。
 たかがアニメだろうが何だろうが、深遠な思想を期待して思い込みの塊となってそこに向かえば、製作者たちの意図とは無関係に、そこから〝何らかのメッセージ〟を読み取ることは充分可能なのである。先ごろ死んじまった偉大なる尊師、ウィリアム・S・バロウズなら「人は自分で見ようとするもの以外、何一つ見ることができない」とでもいうだろうが、鬼畜の俺はどうせ見るなら思いきり馬鹿馬鹿しいものを見てみたい気がするので、以下は誰も語ることがなかった全く新しい「山口県」という切り口で『エヴァ』を語ることで、『エヴァ』の謎解きの馬鹿馬鹿しさを表現してみたい。


 ★二人の抱える「県民無意識」
 電波系の俺の頭には常時さまざまな電波が届いていつもウルサくてかなわないのだが(興味のある方は太田出版刊の『電波系』[根本敬と共著]を参照されたい)、中には興味深いことを主張する電波もいくつかあって、俺もヒマなときはワイドショーを見るレベル程度の真摯な態度で聞くことがある。これから紹介する説はそういう電波のいうことなのでマトモに考える必要は全くないが、マトモすぎる意見は時として退屈なだけなので、たまにはそういうマトモではない意見を聞くのもひまをつぶすにはいいだろう。
 この電波の主張するところによれば、『エヴァ』は庵野監督の出身県の「山口県」を抜きにしては語れない代物だというのである。



  タチヨミ版はここまでとなります。


村崎百郎のパンデミック時代を生き延びろ!鬼畜のススメ別冊エヴァンゲリオンという名の電波

2021年7月23日 発行 初版

著  者:村崎百郎
発  行:森園みるく

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