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一
僕が車椅子の生活になり、もう一年が経つ。十九才の春、僕は交通事故で足が不自由になってしまった。思うように動けないことは、慣れてしまえば何とかなった。けれども、同じ部屋でパソコンとだけ向き合う日常には、正直辟易していたところだった。
「隼人、ご飯ここに置いておくね」
「ああ」
僕の名は、新田隼人(にった はやと)。病院を出て二か月が過ぎようとしていた。両脚が事故の怪我で思うように動かせないので、食事を僕の部屋まで運んでもらっている。初めは慣れなかった車椅子の生活にも、少しずつ――哀しみは別にして――慣れ始めてきたところだった。
「夕飯は何が食べたい?」
「何でもいいよ」
「好きなものを言ってね」
「じゃあ、ハンバーグとシチュー」
「分かった」
不自由さと引き換えに、僕は色々な人から、温かい言葉を受け取った。善い人が、この世にこんなにも居たなんて、思いもしなかった。けれども、やさぐれた気持ちが、時々顔を出し、僕を蝕むのだった。
僕は昼食のラーメンを食べ終えると、テーブルの上を拭き、パソコンに向かった。
――ツイッターでも見るかな。
僕の日常は、パソコンに向かうことが多かった。一日中インターネットを見て過ごすだけで、何か仕事をしようという気は、余り起きなかった。足が不自由なってからは、殆ど外出はせず、インターネットだけが気晴らしになっていた。インターネットを見る時には通信料がかさむのでほとんどスマホは使わず、主にパソコンを使っていた。
――なんだ、このツイート……。
僕はツイッターに投稿されているポエムに目を留めた。
『春の日の風』
そうタイトルが付いたツイートは、一四六文字のポエムの連作らしかった。作者は、「彩」という女性だった。
春にはすべてが始まる
終わった想いも
別れを経て
もう一度甦るような気がする
――もう、春だもんな。
僕は、何回もそのポエムを読み返した。心にすっと入ってくる感情が、何とも言えず心地良かった。
「彩のポエム:HPはこちら」
ツイッターのプロフィールにHPのアドレスが載っていた。僕は一瞬ためらったが、思い切って、そのURLをクリックした。
「ポエムの森 ~彩の日常~」
そんなタイトルが目に飛び込んできた。HPには数多くのポエムが収められていた。どれも若々しく、みずみずしい感性で切り取られた珠玉のポエムだった。
――素敵な人だな。
僕は本当に感動してしまい、普段なら余りしないコメントを残すという行為をしようと考えた。思えば、それが彩さんへの初めての恋文だったのかも知れない。
「彩さん、はじめまして。素敵なポエムですね。僕は余り外出できないのですが、たまにはこのポエムのような大空の下で、深呼吸をしてみたいと思いました。これからも頑張って下さい」
僕は何度も自分の書いた文章を読み返した。こんなに緊張し、気持ちが昂《たかぶ》ったのは初めてのことだった。そして僕は、すぐにそのコメントを送信した。
僕はパソコンを立ち下げると、ベッドに行き、ごろりと横になった。そして、天井を見上げた。
――僕の人生は、どうなってしまうんだろうか……。このまま遊びに行くことも叶わず、一生をこの部屋で終えてしまうのだろうか……。
「隼人、入るわよ」
「母さん、どうしたの?」
母の志津子(しづこ)が、ノックをして僕の部屋に入ってきた。
「ラーメンの器を下げに来たのよ」
「ああ、そうなんだ」
母は四十六才で、今、専業主婦をしている。午前中の時間をパート労働に行こうか、と考えていることを昨晩僕に話してくれた。
「……それでね、今日、パートの面接に行ってきたの」
「そうなんだ」
うん、と母は頷き、唇をかんだ。
「明日から来てくれって。スーパーのお総菜づくりのパートなの」
「……ゴメン。本当は僕が働かなくちゃならないのに……」
僕はしぼり出すように言った。母は伏目がちに言葉を返した。
「いいのよ、大丈夫。隼人は、隼人らしく一生懸命に生きて」
僕は何も言えなかった。
――僕はどうしたらいいんだろう……。
母はラーメンの器をトレイに乗せると、部屋を出ていこうとした。
「母さん、僕生きるよ。一生懸命、生きてみせる」
僕は母の背中にそう言い放つだけで精一杯だった。母はそのまま部屋を後にした。僕は出ていく母を見送ると、もう一度ベッドに横になった。
二
その日の晩のことだった。
「あれ、コメントに返事がついてる」
僕は、お昼に見た彩さんのHPをもう一度見に行ったところだった。
『ハヤトさん。ポエムを褒めて頂いて本当にアリガトウ。凄く嬉しかったです。これからも、創作を頑張ります』
僕はその文章を何回も、食べ物を味わうように読み返した。
――このポエムも素敵だな。
僕は、今日アップロードされた新しいポエムに目を留めた。
『旅に行きたい。
そう願うなら、何処にでも行ける。
海外でも、宇宙へでも。
問題なのは、旅費ではなく
イマジネーションなのだ』
今までの狭い部屋での鬱屈(うっくつ)した想いが、一気にこみ上げてきた。ゆっくりと車椅子を移動させて、電気ポットのところまで来ると、インスタント・コーヒーを淹れた。湯の熱さが、マグカップを経て手に伝わった。
僕は泣いていた。
このポエムに、全ての想いが溶かされようとしていた。
それから、ゆっくりと時間を掛けてコーヒーを飲んだ。
しばらくの間、ポエムの事を想った。もう、旅には行けないかも知れない。もう、海外旅行も無理だろう。涙が止まらなかった。
少しして、パソコンの所へ戻った。そしてこのポエムにコメントを残そうと、キーをタイプした。
「旅に行けることはすごく幸せなことだと思います。僕にもそんな日が来たら嬉しいのですが……。このポエムのように、イマジネーションを使えたら、本当に素晴らしいですね」
やっとそれだけを書いた。上手に書こうと思って何度書き直しても、余り変わらなかった。でも僕は、今の感動を少しでも伝えようと、精一杯考えて想いを綴った。
そして、書いた文章を読み返しながら、自分自身のこれからの事を想った。
――隼人らしく、生きて。
母の言葉を、思い出していた。「僕らしさ」、自分らしさとは一体何のだろうか。そう自問していた。「僕」が「僕らしく」生きるには、どうしたら良いのだろうか。どう生きたら良いのだろうか。
何度も自問自答した。けれども、何も考えが浮かばなかった。
――インターネットでも見て、気持ちを鎮めるか。
パソコンに向かい直すと、とりあえずフェイスブックを開いた。
――「ホームページ・デザイナーになってみませんか? WEBデザインのオンライン学校」
僕はフェイスブックの広告欄に目を見張った。そうだ、インターネットなら見ることが大好きだ。家に居ながら、部屋さえ出ずに収入を得ることができる。やってみようか……。
僕はスマホを取り出し、一階にいる両親に、今すぐ来てくれるようにショートメールを打った。
「どうした、隼人。足が痛むのか?」
すぐに父が部屋に入ってきた。ついで母も訪れた。
「違うんだ。どうしても話したい事があって……」
「何? なんでも話してね」母の言葉は温かった。
「……僕、ウェブデザイナーになってみたい」
「どうして、急に?」母が問いかけた。
「この広告を見たんだ」
僕はさっきお気に入りに登録していたホームページを画面に出した。
「家にいながら、勉強や仕事が出来るんだ。僕、インターネットが大好きなんだ」
「隼人、ありがとう」
母は涙を拭わなかった。
しばらくして、父が口を開いた。
「授業料は幾らぐらい掛かるんだ?」
「ええと……」
それから僕はオンラインでホームページづくりを学びはじめた。最初は慣れなかったアプリケーションの操作にも、少しずつ慣れていった。
――問題なのは旅費ではなく、
イマジネーションなのだ。
彩さんのポエムが、何度も僕を助けてくれた。人生という旅にもそれは当てはまったのだ。イマジネーションは人生を豊かにする。それは、若木に降り注ぐ雨のようだった。
僕の人生の旅が、今はじまった。それは全く新しい旅だった。それはひとひらのポエムが拓いてくれた、奇蹟のような旅になることだろう。
(結)
2021年8月15日 発行 初版
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ポエムと小説、ときどきピアノ。