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〈岡村詩野音楽ライター講座オンライン 2021年5月期〉

OTOTOY

OTOTOY出版



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noid
鷲津隼平

北陸インディ・シーンに波及する、地方都市に生きるバンドnoid。

〇noidとMagical Colors Night

日本各地には未だ日の目を浴びず、ヒッソリと音楽を奏でているミュージシャン・バンドが数多く存在している。2004年から活動し、幽玄で温もりのあるポップを奏でるnoidもそんなバンドの一つである。Summer Sonic、ボロフェスタなどに参加していたり、2nd ALがCDショップ大賞のローカル賞を受賞していたりするけれど、それを契機に拠点を都市部に移して活動することもなく、2004年から変わらない。石川県金沢市、北陸の地方都市で活動を続けており、現在は8名体制で音楽制作や自主企画『Magical Colors Night』(以下、MCNと呼ぶ)を開催している。
MCNは、彼らが結成して間もない頃(2005年)から開催している自主企画イベントである。自らの手と目が届く規模感の会場、木や紙を素材にクラフトした飾りや展示物が会場を彩っていて、温もりのある空気で満たされている。ゲストは自分たちが見たいインディー・シーンで活躍している国内外のアーティストであり、中々お目にかかれないライブが北陸で見られる貴重な場所となっている。そのため、イベント自体へのファンも多く、観客の中には北陸で活動しているアーティストの姿もあり、毎回盛り上がりを魅せている。
2013年から、MCNは2~3回/年の頻度で活発的に開催されるようになった。そのキッカケは同年にリリースされた2nd AL「so are millions of us」にあると考えている。

〇分岐点「so are millions of us」
2nd AL「so are millions of us」(2013年)は前ALから5年の歳月を経てリリース。彼らが活動拠点とする北陸の街の空気感が閉じ込められているような作品である。リードトラックの「city」は一聴すると普通に明るいポップな曲だけど、ちょっぴりローファイな音になっていて薄く曇りがかって鳴っている。そこに暖かさと少しの陰があり、鉛色の空に包まれているけれど温もりのある北陸の気質が反映されているように感じられて、タイトル通り彼らが活動する街のことが込められている。
そして、そんなアルバムのリリースイベントとしてMCNが2013年12月14日に街のライブ喫茶「メロメロポッチ」(2019年閉店、2020年移転)で開催された。フライヤーはCDショップ2店設置のみ、デザインは現在のように専業作家による制作ではなく〈Vo./Gt〉であるエイジの手で行われていた。このことから、当初はMCNを単発的なお祭りとして考えていたのだと思う。ところが、蓋を開けると100名も入らない小さな会場には老若男女がぎゅうぎゅうに入り、全てのアクトは大盛り上がりで会場には笑顔が溢れ、アンコールは3回も行われた。これは恐らく彼らの想定を超えるものであり、そんな会場の光景こそが今日の活発な開催、そして、この街で活動していくことを決めるに至った要因の一つではないかと思う。

〇この街で生きていく。
先ほど述べた通り、noidは北陸の地方都市である石川県金沢を拠点として活動している。
彼らであれば、都会に拠点を移して活動に専念する道もあったと思う。しかし、そのことよって、活動に縛りが生じてしまい自由に音楽を奏でることが出来なくなってしまう。おそらく、それを危惧して、彼らはこの街で音楽を奏でていくことを選んだのだと思う。そして、自分達の音を届けるのに理想的なイベントとしてMCNを開催するために、街のアートスペース「金沢アートグミ」、カフェバー&マルチスペース「Puddle/social」など、温もりが感じられる場所を選び、街のパン屋さん「こくう」やクラフトビール屋さん「ORIENTAL BREWING」などのフードやドリンクを提供することで、音楽をリラックスして楽しめるような空間を創りあげている。近年では街の中にある大きな広場や公園など、幾つかの場所を使って毎年行われているクラフト系のイベント「春ららら市」の中でMCNを開催されていて、音楽に留まらず、街の様々を巻き込むほどの影響力を持つイベントになってきている。
また、そんなnoidの音楽や活動に呼応するように、やまも、おばけのキーン、cassette tape echo、GeGeGeなどの石川発のアーティストの姿を現し始めている。彼らはローファイ的な暖かさを帯びたポップサウンドを奏で、MCNにはゲストや観客として参加しており、noidとのシンパシーが感じられる。
これらのこと思うと、この街で生きていくことを選択したnoidは、そのスタンスを魅力の1つとして昇華させ、北陸で活動するアーティストの一つの在り方を示した。そんな彼らの在り方が此の先で、どのような光景や音楽を魅せてくれて、北陸のインディー・シーンに波及していくのか、楽しみでしかたがない。

noidと愉快な同志たち

noidの自主企画「Magical Colors Night」(以下、MCNと呼ぶ)、主に北陸の地方都市である石川県金沢で行われている。そんなローカルなイベントでありながらも国内外から様々なアーティストがゲストとして参加するものとなっている。その中で、MCNを経てnoidと共鳴して、縁が繋がっていった愉快な仲間たち、もとい同志と呼ぶに相応しい、アーティストを紹介していきたいと思う。

〇盟友「ROTH BART BARON」
三船雅也が結成したバンド、ROTH BART BARON(以下、ロットと呼ぶ)。ヨーロッパやアメリカのフォークロアが感じられる音楽を奏でている。ライブではレギュラー的なメンバーはいるけれど、その時々で編成が変わっていく、形に囚われない楽団のようなスタイル。現在、インディシーンの中で重要かつ大きな存在となっている。そんなロットとnoidは2014年のMCNで縁が繋がり、MCNに最多出演(約10回)、過去2回行われたクリスマス対バンでは新曲を会場限定で配信リリース(ロット:2016年「Wolf Christmas」,2018年「HERO」 noid:2016年「SUNDAY」、2018年「moon」)を行っている。また、近年では、noidの配信Singleのアートワークを手掛けるなど、最も親交が深いアーティストの1人である。
そんなロットは、インディーシーンの中で、活動の仕方を常に模索している。例えば、AL制作や、全国ツアーで行われる各地のライブのストリーミング配信するため、クラウドファンディングが定期的に行われている。これによって、ロットの活動への応援ができて制作等の支援が出来るため、距離が近しく感じられる。そして、これだけではなくて、更にその先には、彼らのオンラインコミュニティ「PALLACE」があって、更に距離が近しいものとなっている。「PALLACE」は、ロットのwebサイトより登録できる、クローズドなオンラインコミュニティである。その中では、メンバーからのお知らせや裏話に加えて、グッズやCD・DVDの封入作業、イベントボランティアスタッフなどの募集が行われていて、実際に手を動かして彼らの活動の支援が可能となっている。また、このコミュニティの中のメンバーが中心となってイベントのプロデュース(クラウドファンディングのプラン利用)が行われ、プラネタリウムやキャンプ場でのライブが実施されている。このようなコミュニティメンバーが各地にいることによって、ロットは現在もフットワーク軽く様々な実験的な活動や、全国各地に赴いて活動することができているように思える。

このような活動の根底には、今まで経過してきた時代の中で作り出されていった固定概念や、複雑なしがらみなどに縛られずに進んでいこうとする、DIYなマインドがあるように感じられる。そのマインドは、縛りが多いメジャーシーンは勿論、インディーシーンでもあまり見られない。そんな中で、同じようなマインドを持っていたロットとnoidは偶然出会い、この二つが共鳴して、盟友と呼ぶに相応しいほどに深く縁が結ばれていったのだと思う。

〇詩人「ゆーきゃん」
富山県出身のシンガーソングライター、ゆーきゃん。ライブでは、他の音が響くと掻き消されてしまうような、繊細な弾き語りと、声のみを用いたTHE BLUE HEARTSや不可思議/wonderboyなどの作品のポエトリーリーディングを行い、言葉を紡いでいく。彼が奏でる、どこか切なくて、情感のある音、そして詩の世界に魅せられ、ゆっくりと静かに深く深く惹き込まれていく。彼のSNSで発信されている言葉からも詩的なものが感じられて、シンガーソングライターというよりも詩人と呼ぶに相応しい。
2013年から北陸を活動拠点に移して活動している。2014年のお正月、かつて大阪にいて、ゆーきゃんと共演したことがある〈Dr./Cho.〉さんちゃんと13年振りに再会。2月、金沢の専門学校(映像音響学科)の卒業ライブイベントへの出演の誘いをさんちゃんから受けて、noidと共演。そして9月、MCNに初出演。そんなゆーきゃんは、現在noidのメンバーとして〈lyric〉を担い、最も新しいAL「HUBBLE」(2017年)では7/12曲の詩を担当している(収録楽曲「春」と「雲雀」は、さんちゃんが所有するスタジオにて、デモを聴いて20~30分で詩を完成させた)。ALを聴いていると馴染んでいて気にならないけれど、〈Vo../Gt.〉エイジの手掛けた詩と並べて眺めてみると、ゆーきゃんが担当した詩の多くは文章のように言葉が長く連なっていることが分かる。近年では配信Single「1983-2020-」(2020年)の詩も手掛けている。これらの新しい楽曲の詩の他にも、加入する前から存在している「so are millions of us」(2013年)などの楽曲に詩を追加して、新たな息吹を吹き込みライブで披露している。
2000年代は、京都を活動の拠点としていた。その際の活動は京都インディーシーンに大きな影響を与えるものであったけれど、その最たるものの一つとして「ボロフェスタ」が挙げられる。2002年から始まった「ボロフェスタ」は2021年の開催で晴れて20周年を迎える。京都の代表的なフェスの一つであり、全国各地で行われているDIYなライブイベントの先駆け的存在で、毎年老若男・年齢を問わない多くのボランティアスタッフが集い開催されている。そんなフェスの旗揚げは、京都インディーシーンで活動している無名のアーティスト達によるもので、その中の1人として名前を連ねていた。
そんなゆーきゃんは2013年に京都を後にして、北陸の地でnoid、そして、MCNに出会う。DIYで創り上げられた空間の中で音楽が奏でられる光景に、かつて見た「ボロフェスタ」と重なる部分があったのではないかと思う。そこがフックの一つとなって、noidの活動に共鳴して、現在に繋がっているような気がする。

                     
〇盛宴「やまも」
2012年に石川県で結成された4人組のインストバンド、やまも。カントリー、ファンクを感じさせるお祭りめいたサウンドで、楽しくて多幸感いっぱいの音楽を演奏している。金沢や能登を活動の拠点としている。MCNには2016年に一度参加したきりとなっているけれど、「day to day」(2016年、金沢メロメロポッチ)、「市場街ナイト」(2019年、高岡クラフト市場街)などの北陸で開催されているイベントにnoidと共に出演している。また、彼らが出演していないMCNにもオーディエンスとして度々参加している。


そんなやまもの活動は、とてもマイペース。音源は1st AL「YAM AMO」(2016年)、そして4年後にリリースした1st EP「TONCH」(2020年)の2枚のみ。ライブは基本的にお呼ばれしたイベントのみの参加となっていて、少ない時には年間で片手で数えられてしまう位の回数しかなかったりしている。非常に緩やかで穏やかな活動を行っていて、自由に音楽を奏でるために、このようなスタンスをとっているように思えてくる。
それは、やまも自体が元々そのような要素を持っていたことが第一に挙げられる。しかし、それだけでは無くて、noidが金沢を拠点として音楽制作やMCN開催など、北陸インディーシーンで活躍している姿が一つの在り方を示していて、彼らのスタンスへの後押しになっていると思う。
近年は、おそらくスケジュール等の都合だったりで、MCNへの出演は出来ていないので、今後のMCNへの出演を待ち遠しく思う。また、願わくば、今後は彼らが主催する盛宴を是非とも見てみたい。そんなコトを思わせてくれる、北陸で活動する次の世代のバンドである。

〇両軸「GeGeGe」
金沢を拠点として活動するミズノリョウトのソロプロジェクト、GeGeGe。ローファイでドリーミーなポップサウンドと余分な力が抜けた低温気味の声が混ざりあって、ゆらゆらと心地良い音楽を鳴らしている。2017年頃から宅録による音楽制作をメインとして活動開始、2018年頃からはバンドスタイルとして活動を開始している。MCNには2018年に参加、GeGeGeとして初めてライブを行ったイベントとなっている。また、かつてギター&ボーカルを務めていたバンドbasement color(2018年解散)で2016年のMCN(前述のやまもと同じ回)に参加している。バンドスタイルとしての活動と共に、ライブの拠点を東京に移しているけれど、年に数回は金沢でライブを行っている。2020年に2ndAL「MOON」(2019年)のリリースツアー金沢編でnoidとの共演が予定されていたけれど、昨今の事情を考慮して公演が延期となっている。
2つの場所を行き来しての活動は、負担が大きいものになりがちなので、どちらか一方を拠点としてしまう方が、圧倒的に活動しやすい。けれども、GeGeGeは金沢と東京、2つの場所を拠点としている。
日本における様々なシーンの最前線である東京にしかないもの、そして、自身が長く過ごした地方都市である金沢にしかないもの。そのどちらもが、今後音楽を奏でていく上で、必要なものであると判断したのではないかと思う。自身が過ごした街にしかないもの、それは私情が絡んでくるため具体的なものは分からない。けれども、その中にはnoidを含めた金沢の街で鳴っている音楽が確かなモノの1つとしてあるように思う。そして、その確かなモノへの共鳴が起こり、両軸での活動に至っているように感じる。

〇新しい世代「Keishi Kimura」
2021年に突如として現れたシンガーソングライター、Keishi Kimura。金沢出身であること、年齢が19歳であること以外のプロフィールは明らかになっていない。2月にディスクユニオン7店舗限定で1st demo(完売・廃盤)をリリースしている。1950年代に活躍したSanford Clarkから影響を受けて製作したことが公言されているとおり、カントリー、フォークのローファイなサウンドが感じられるものとなっている。ただただ、それらのサウンドをなぞるのではなく、DTMソフト「GarageBand」を用いることで、瑞々しい音楽に昇華している。この他にも、きぬめん という別名義でNowポップと名付けた音楽を奏でる活動を行っている。こちらは打って変わってエレクトロポップを基調としたパキっとしたサウンドとなっているけれど、そこにレゲエやサッドコアの空気感を混ぜ込んで独自の世界観を醸成している。
自身が手掛けていると思われるジャケットのアートワーク、奏でている音、そしてSNS上の言葉を眺めていると、自分自身の音楽を創り上げるために、様々な表現を模索していることが伺える。自らの理想のために、信念を貫こうとするスタイル。それは、どこかnoidの持っているスタイルに近しい波長を発しているように感じられる。
現在、私が魅せられているモノは、おそらくほんの一端に過ぎなくて、今後更なる変化を遂げて様々な音楽が創られていくのだと思う。無数の可能性を秘めていて、いかようの形態にも成っていくことを想像すると、今後の活動が楽しみで仕方が無い。
これまで紹介してきたアーティストと異なり、未だMCNには参加したことは無い。だからこそ、願わくば今後のMCNで音楽を奏でる姿を見てみたいと思わせてくれる新しい世代。

現在の幽玄で温もりのあるポップに繋がるようなドリーミーで牧歌的なサウンドの「wood world」などの楽曲もあれば、このALでしか聴けないようなギターロックの系譜を感じさせる、ゴリゴリにオルタナティブなロックサウンドの「ジャジャッジャー」、「夕暮れる焦燥」などの楽曲を収録。影響を受けたであろうオリジナルへのリスペクトがストレートに伝わってくる。様々なジャンルの音楽が1枚に凝縮された実験的な作品。
『the space-elephant arrives at the moon 』1st Album(2008)
アップテンポで少し激しめの楽曲、スロウテンポで揺蕩うような楽曲。もれなくローファイで温もりのあるポップなバンドサウンドとして鳴っている。そのどれも彼らが拠点とする北陸の街の空気感、そして夜の帳が下りているのが感じられる。楽しいもの、哀しいもの、夜には様々あるけれど、この中では優しい夜を描き出している。夜に沸々と湧き出す不安などのネガティブな感情を包み込んで、穏やかな気持ちに誘ってくれる作品。
『so are millions of us 』 2nd Album(2013)
心地良いサウンドを鳴らす「otouto」、街の賛歌である「already」など、彼らの持ち味であるで幽玄で暖かな楽曲達。そして、本作では、それらに加えて、エッジが効いたロックサウンドをnoid流に響かせる「roji_ura」、エスニックな雰囲気を醸し出すワールドミュージック的な「旧字体(INDIA)」などの新たな一面を魅せる楽曲も収録。4年の時を経て、彼らの世界が拡張したことが感じられる作品。
『HUBBLE』 3rd Album (2017)
好きな事や場所、楽しい時間など、大切な存在が失われたことを告げるような、荒涼とした空気感で満たされた音像。そして、失われてしまったものが、どれほど大きいものであったかを噛み締める様に、空虚さが感じられる声でポツリ、ポツリと紡いでいく言葉。そこには、失うことへの悲痛な思いだけではなくて、失われてしまったものが形を変えて、未来へ繋がっていくことを願う。祈りが込められているように感じられる作品。
「paradiselost」 6th Single (2019)
色々なモノが奪われてしまい、暗雲が立ち込めた2020年。「1983-2020-」の力強さ、勢いは、決して砕けることのない固い意思が感じられた。そして、相も変わらない状況の2021年。イベントの中止が決まった時期にリリースされた「Reverse」は、暗雲立ち込め、一聴すると意思が砕かれている様にも思える。しかし、力強さは健在で、蒼い炎のような気迫を内で静かに燃やし、明くる日が来るのを待っている。
「1983-2020-」&「reverse」 7th&8thSingle(2020&2021)

[Alexandros]
髙橋 夏央

現代に刺さる[Alexandros]のロックなバンドスタンス

[Alexandros]の魅力は、単純明快なポリシーとも言える、己の信念を貫き通すバンドスタンスだ。彼らはずっと「世界一のバンドになる」と言い続けている。それもデビューしてからではなく、結成当初からずっとだ。2001年、当時大学一年生だった川上洋平(Gt.Vo)は、磯部寛之(Ba.Cho)をバンドに誘う時も「世界一のバンドになるから」と誘ったらしい。彼らを取り扱う雑誌やメディアにも「世界一」という単語はよく見るし、SNSでも[Alexandros]と「世界一」というワードはセットでよく見かける。ファンの間にもその志は浸透しているようだ。しかし、勝ち負けもなければ、世界大会などで競うこともない音楽という分野において「世界一を目指す」というのは非常に曖昧な野望である。何を以て彼らは「世界一」を成し遂げるのか。

彼らは一つの指標として「グラストンベリー・フェスティバルのメインステージでヘッドライナーを務めること」とインタビューで公言している。父親の転勤で9歳から14歳までをシリアで過ごした川上は、洋楽に憧れを抱いて音楽を始め、特にオアシスを敬愛した。デビュー当初の楽曲もUKロックを継承している雰囲気があり、プライマル・スクリームの来日ツアーや、KASABIANの来日公演、MUSEの来日公演でサポートアクトとして出演したこともある。では、そんな彼らはグラストンベリーのメインステージでヘッドライナーを務めたら「世界一のバンドになった」と喜び、満足するのだろうか。それは、必ずしもそうではないと考える。勿論、世界最大級のロックフェスでヘッドライナーを務めたら誰しもが喜ぶだろう。だが、結局のところ彼らにとって「世界一」は終わらない目標であり、同時に既に叶えている目標でもあるのだ。なぜなら、「世界一」という途方もない夢を掲げたことに意味があるのではなく、それをどんな時も堂々と掲げ続けていることに意味があり、それが彼らの原動力になっているからだ。もしかしたらそれが「世界一」ではなく、「日本一」でも「オアシスを超える」でも何でもよかったのかもしれない。自分達の信念を曲げずに掲げ続けていること自体が[Alexandros]の一番の魅力である。

というのも、普通だったらそんな野望なんて堂々と言えなくなるくらい彼らの下積み時代は長かった。大学時代にあらゆるレーベルにデモテープを送り続けたがデビュー出来ず、全員が一度就職をして生活を安定させ、路上ライブを5年間も続けた。ようやくデビューしたかと思えばドラマーが脱退し、武道館公演まで辿りついたかと思えばとある事情によりバンド名の改名を余儀なくされた。最近ではバンドの土台を支えていた庄村聡康(Dr.)が局所性ジストニアを患い勇退。これまで、そういった壁が幾度となく立ちはだかってきたが、彼らは常に逆境に臆することなく突き進んできた。『Run Away』の歌詞にもある。《高望みと言われて/才能が無いと言われても/怯める程僕は賢くなくて》と。「世界一」なんて身の程知らずだと馬鹿にされたことも沢山あっただろう。だが、彼らの代名詞にもなった『ワタリドリ』の歌詞に《誰も聴いていない/気にも留めない/それでも歌い続けた》とあるように、タフな精神力で己の信念を貫き通した結果、彼らは大型フェスのメインステージでトリを飾り、日本のロックシーンを象徴するバンドにまで駆け上がったのだ。

そんな彼らのスタンスがよく表れている楽曲に『明日、また』という歌がある。この曲は、自分自身を信じ、愛することの大切さを歌っている。二番のサビには《愛したいなら/思う存分愛せばいい/今でも疼く傷跡も/息を吸い吐く身体も/生きると願うから》という歌詞があり、もがき苦しみ傷を背負っても、息をしている時点で一生懸命生きたいと願っている、そんな自分さえも愛してほしい。といった意味が込められているように思う。SNSが発達し様々な意見や情報が過剰に飛び交う中で、他人の意見に惑わされたり正解が分からなくなることもある。そんな混沌とした世の中だからこそ、彼らの眩しいくらいに単純明快なポリシーが突き刺さるのだ。彼らが明示する“自分の人生だから自分が感じたことが正解だ”という至極シンプルなガイドは、情報過多な現状で見失った“一体自分は何をしたくてどう思っているのか”を思い出させてくれる。自分の想いに正直に生きていいんだ、と。

ロックに定義はない。だからこそ自由に己の信念を謳える。それを見事体現している彼らのスタンスは、ロックが持つ本来の強さを表しているのではないか。その強さに私は心を打たれ、その度に自分の気持ちを再確認してきた。これからも《単純明快なこの歌を/世界に投げつけ》、どこまでも突き進んでいってほしい。(『You‘re So Sweet & I Love You』より)

ファッションから紐解く[Alexandros]の“黒っぽさ”

[Alenandros]はこれまで、スタイリストをつけずに自前で衣装を用意し活動してきた。スタジアムやアリーナクラスでワンマンライブを開催し、バンドの規模が大きくなった今でも、自ら店舗に足を運んで自腹で服を購入し、スタイリングしている。そんな彼らの洋服に対するこだわりは周囲からも定評があり、GQ JAPANやSENSEといったファッション誌の表紙、MEN‘S NON-NOの連載、更にはJEANPAULKNOTTやLITHIUM HOMMEとコラボを行うなど、音楽活動のみならずファッションに関する活動も数多く行っている。

中でも注目したいのが、2017年に行われた世界的ファッションブランド・Yohji Yamamotoとのコラボだ。このコラボでは、両者の名前が刻まれたネームタグを使用したカプセルコレクションを制作し、伊勢丹新宿店とオンラインにて期間限定ストアを展開。メンバーはこのコラボが発表されてからすべての夏フェスで実際に衣装として着用し、圧倒的な高級感で観客の目を引いた。公式レポートではこのコラボが実現した理由として、「音楽をこよなく愛する山本耀司さんと独自のファッションスタイルを確立している[Alenandros]のコラボは、ファッション×音楽の親和性の高さから実現」と語られている。しかし私は、それ以上にYohji Yamamotoが象徴する“黒”のイメージと関係性が深いのでは、と考えた。なぜなら[Alexandros]にも、どこか“黒っぽさ”が存在するからである。

[Alexandros]が放つ"黒っぽさ“とは一体なにか。まず、単純に彼らは黒基調の洋服を身に纏うことが多い。公式YouTubeチャンネルに配信されているMV全44本(2本はメンバー登場無し)のうち、実に36本の作品で黒の衣装を着用している。デビュー当初のファッションの参考人として、プライマル・スクリームのボビー・ギレスピーや、アークティックモンキーズの名を挙げていたこともあり、レザージャケットやスーツ、セットアップなど黒基調の衣装でビシッと着飾ることが殆どだ。ブランドで言うとそれこそYohji Yamamotoを以前から愛用しており、他にもSaint LaurentやMaison Margiela、GIVENCHYなど、様々なブランドに精通している。また、音楽的側面から見ても、ラップ調な『Kaijyu』や『MILK』、ソウルな『Thunder』、ファンクさを感じさせる『あまりにも素敵な夜だから』など音楽面での“黒っぽさ”、つまりブラックミュージックの要素も所々に取り入れられている。ただ、『クソッタレな貴様らへ』の歌詞に《We love to make a rock'n'roll and heavy metal,jazz and fusion,psychedelic, rap music, techno, ambient(俺たちはロックンロール、ヘビーメタル、ジャズ、フュージョン、サイケ、ラップ、テクノ、アンビエントもやりたいんだ)》とあるように、ジャンルレスな彼らはブラックミュージックの影響だけをダイレクトに受けているわけではない、ということは言っておこう。とは言え、彼らの衣装や音楽的側面に”黒っぽさ“が存在しているのは確かだ。ただ、彼らの放つ”黒っぽさ“というのは、そういった衣装や音楽性からくる物理的イメージのみならず、バンドの内面的な部分から醸し出される何かが他にもあるように思う。

そもそも「黒」には、どのようなイメージを抱くだろうか。例えば「黒星」からくる負のイメージ、「白黒つける」といった悪のイメージ、そして葬儀の際に喪服に身を包むことからくる哀しみのイメージ。他にも不気味さや闇、そして最近よく言われる“ブラック”企業など、ネガティブな印象が第一に思い浮かぶかもしれない。だが、[Alexandros]の“黒っぽさ”にそのようなイメージがリンクするかというと、ハッキリ言ってそうではない。個々のキャラクターは明るく、どちらかと言えば楽観的で、逆境でもふさぎ込むことなく突き進む印象だ。負や闇、悪というネガティブイメージとは遠い印象がある。

では、視点を変えて「黒」についてもう少し考えてみよう。例えば、時計や車、店内の装飾やグラフィック、アート的な観点から見た「黒」はどうだろうか。非常に品格があり、高級感に溢れ、圧倒的な存在感や強さすら感じる。そんな色彩としての「黒」はどんな色よりも強く威圧感がある為、意見を通したい時や交渉を進めたい時に適している、とも言われるそうだ。そんな「黒」がもたらす断固とした強い意志や不屈さ、圧倒的な存在感こそが、まさに彼らが放つ“黒っぽさ”とリンクしているのではないだろうか。

彼等は誰に何を言われようと、常に己の信念を貫き通してきた。誰に媚びることもなく、群れを成すこともなく、淡々と突き進んできた。その強い意志や孤高の存在感、世に対する反骨精神、常に高みを目指す引き締まった圧倒感こそが、彼らが生み出す“黒っぽさ”に繋がっているのだろう。それはまさにYohji Yamamotoの「黒の衝撃」(ダークすぎる反抗を意味する色としてタブーとされていた「黒」を全面的押し出し、真っ向から向き合ったことで、見事モード界に革新を起こした。)の精神と見事一致する。日本のブランドであるYohji Yamamotoは1981年にパリコレで世界に挑み、見事ファッション業界に革命を起こした。[Alexandros]がファッションの参考人として挙げたプライマル・スクリームやアークティックモンキーズなどの英国人は、もとは黒人音楽に非常に憧憬が深く、白人ながらブラックミュージックに挑んでいった。そして[Alexandros]も世界に挑んでいく。参考にしたアーティストやYohji Yamamotoの背景なども含め、“黒っぽさ”というのは、本場への憧れや挑戦の気持ち、ある種の反骨精神や闘争心が共通して宿っているのかもしれない。“黒っぽい”ファッションに身を包むことで、彼らのポリシーがより確固たるものとして内に宿り、スタイリッシュなロックスターの佇まいを生み出すのではないか。その為にも人に着せられた服を着るのではなく、自分が一番強く在れる服装、いわば戦闘服を自らでこだわって選びスタイリングしているのだろう。彼等のファッションは楽曲制作やライブ演出と同じくらい、[Alexandros]が[Alexandros]であるために必要な一つの武器なのである。

それでも最近は、少しずつカジュアルな服装も増え色が含まれてきた。最新曲『閃光』のMVでは、すっと黒髪だった白井眞輝(Gt.)が派手な金色に髪を染め、川上洋平(Gt.Vo)もカラフルなニットを着用している。他にもレギュラーラジオのカバー写真や地元・相模原のイベントの際にカジュアルなジーンズと黄色のニットを着用したり、とある雑誌の取材では磯部寛之(Ba.Cho)がピンクのトップスを着用していたこともあった。そういった変化の所以は、[Alexandros]のファッションスタイルを確立していった庄村聡康(元Dr、アパレルブランドで働いていたこともあり、奇抜なセンスでアクセントになっていたオシャレ番長)の勇退や、それに伴った新ドラマー・リアド偉武の加入、そして川上の俳優業への挑戦やメディア露出の増加など、バンドの環境や心境の変化がファッションに影響しているのかもしれない。ただ、それでもライブステージに上がる時には相変わらず黒基調の服を身に纏うし、仮にそうでなくても彼らの内から放たれる“黒っぽさ”は変わらずにあるだろう。それは“黒っぽさ”たる所以が、バンドを動かす推進力そのものになっているからだ。高みを目指し、孤高のロックを掻き鳴らし続ける彼等の魂にはいつまでも“黒っぽい”オーラが溢れ続けるだろう。

デビュー作にしては尖りすぎているくらい反骨精神剥き出しのアルバムで、特にM3の『For Freedom』が象徴的である。大胆なイントロのリフが印象的なロックチューンが、当時抱えていた葛藤や、自由を解き放ちたい欲望を吐き出している。M1の『Burger Queen』は今でもSEとして使用され、M11の『かえりみち』もライブ終演後に会場で流れるなど、重要なレパートリーが並ぶ作品となっている。
Where’s My Potato?(1stアルバム)
バンドのグルーヴが格段に増した作品。M2『My Blueberry Morning』では幾度となく起こるリズムの急変に驚かされ、M3『Rocknrolla!』では同じ曲とは思えない程の展開を繰り広げる。確実に楽曲へのアプローチが広がったその所以は、庄村聡康(元Dr.)の加入にあるだろう。川上洋平(Vo.Gt)の持つ絶妙なリズムに応える庄村の華麗なドラミングが、新たなバンドの土台を創り上げた一枚だ。
I Wanna Go To Hawaii(2nd アルバム)
このアルバムを聴くと、バンドの規模が大きくなったことがよく分かる。M1『Rise』やM3『Starrrrrrr』、M4『Kick&Spin』など万の観衆を意識したスケール感が楽曲に生まれ、打ち込みも導入された。だが、ヘヴィーなギターサウンドが効いたM6『Ho!』や路上ライブ時代からあるM7『Forever Young』も収録され、新たに生まれ変わるのではなく、既にある武器を磨き上げたような作品だ。
Me No Do Karate(4th アルバム)
バンド史上最高に多彩なジャンルを盛り込んだコンセプト無しの作品。この頃彼らは“『ワタリドリ』のバンド”というイメージが定着していた。そのイメージを一蹴するように、ヒップホップ調のM2『Kaijyu』やアンビエントなM5『O2』、シティポップなM7『Aoyama』、ロックなM9『Buzz Off!』など、抜群に形容し難い存在感を示した。ルール無用でその時々のモードに愚直なバンドの理念が伺える一枚。
EXIST!(6th アルバム)
バンドが新たなステージに挑む為に必要不可欠だった作品。注目はM3『Mosquito Bite』だ。拘り抜いた大胆不敵なリフに重心を落としたテンポ、観衆の度肝を抜くアタック感。制作を行ったNY滞在中、自分達の未熟さを突きつけられたという。そんな挫折を超えるキッカケが『Mosquito Bite』とのこと。海外シーンを模倣するのではなく、新境地で吸収したものを彼らの解釈で表現した生粋のロックアルバム。
Sleepless in Brooklyn(7th アルバム)

PELICAN FANCLUB
星野美穂

PELICAN FANCLUBの歌詞に見える、形而上的存在を描くことの意義

 <誰かが言う/「死ぬことは生きることの反対じゃない」>。三人組バンド・PELICAN FANCLUBの2stAL『PELICAN FANCLUB』の最後に収録されている楽曲『Karasuzoku』の中でエンドウはこう歌っている。「生」と「死」は対称のものとして度々扱われるが、言われてみれば確かに両者は別物だ。「死」は生命の終着地であり、逆行することは決してないのだから。
 彼らの楽曲には、主にこうした「実体として捉えられないもの」が歌われている。特に、夢幻性のある歌詞とドリーミーなサウンドのバランスが絶妙な割合で盛り込まれたアルバム『PELICAN FANCLUB』では、「生」や「死」という形として捉えられない存在にクエスチョンを示している点が特徴的だ。それは「死」をただ怖ろしいものだと感じるばかりでなく、「死」に対してどのように向き合うべきか、そして与えられた「生」をどう謳歌するか、エンドウ自らがリスナーに対して問いを立てているようにも思える。
 例えば、シューゲイズ要素を前面に押し出した楽曲『プラモデル』には、<人が死ぬなんて都市伝説さ/誰も彼も皆嘘つきなのさ/きっと>というフレーズがある。これは一見、「死」への恐怖心を誤魔化すための自己暗示にも思えるが、実は真逆だ。何故なら、その後のサビでは<あの人をバラバラにしろ>と歌っており、「死」という概念の輪郭を捉えるための最も端的にアクセスする手段として<あの人をバラバラに>し、視覚や触覚を通して「死」を知りたいと望んでいるからだ。(そもそも本作は「謎」をテーマに制作したアルバムのため、曲ごとに異なるクエスチョンがあると筆者は推測している。エンドウが『プラモデル』を通して「死」に対する疑問を楽曲に投影させている、と考えれば合点がいくのではないだろうか。)
 また同楽曲内でもうひとつ、生死に対して言及している箇所がある。サビ直後、<生きていくための必要ないくつかの法則だってさ>を含む以降の部分だ。ここで歌われる<生きていくための必要な法則>とは、安易に世間の風潮に流されないためのマインドの類を示すものだろう。それをエンドウは<魔法の言葉>と比喩し、<もはや盲目だね>と冷笑している。これはエンドウにとって、「生」は<贅沢>をするために与えられた唯一の空間であり、<一方通行>な宗教性を要するものではない、という考えから綴られたもののように思う。加えて、この持論展開は本作のリードトラック『Dali』にも結びついている。彼が自身の死生観を「音楽」という形で発表するだけでなく、音楽に<表現の自由>をどこまで託せるか試しているという、バンドが未だ広く知れ渡る前だからこそ為せた、実験的なアルバムであることが読み取れるのだ。
 等閑視されがちなワードと向き合う姿勢を提案した2ndALだが、3rdAL『OK BALLADE』 では『記憶について』を筆頭に「今」という明確な時間軸をテーマにしている。しかし一方で同曲<目に見えないものを信じたい>や『Ophelia』の<何か見えないものを信じている>等、実体のないものについて言及している点は以前から変わっていない。このことからエンドウにとってのソングライティングは、無形的なあらゆるものに近づくための表現方法であり、その上にリスナーへ体験して欲しい物事を被せながら展開されるもののように思う。
 上述した作品のリリースからすでに約5年の月日が経ち、その間バンドは少しずつ変化を遂げた。サウンド面においてはUKロックを軸にしたドリーミーなものからニューウェイヴ的な音作りを施したものへと変わり、歌詞においてはエンドウの抱えるクエスチョンの解消から、未来という別角度での捉えられないものをテーマに書かれる楽曲が多くなった。それはメジャーデビューやアニメのタイアップ等、彼の抱いていた目標をキャリアの中で着実にクリアしてきたからこその変化であろう。また、認知度が高まると共に各地で様々な彼らのリスナーと出会い、共に築き上げる未来を意識するようになった、という心理的変化も背景にあるのではないだろうか。
 今現在、彼らは『三原色』の歌詞にある通り、未来という極めて不透明なものをリスナーと探求している最中だ。初期の彼らが確立させていた‘‘ドリームポップ/シューゲイザーバンド’’という既存のイメージにとらわれず、その時々で置かれた環境を反映させ、既存の何かに当て嵌められるのではなく‘‘PELICAN FANCLUB’’としての活動を行っている点は彼らがバンド活動を続ける上での矜持であろう。そして同時に「文化になりたい」と願う、エンドウアンリのソングライターの覚悟を見、期待に胸を弾ませられずにはいられなくなるのだ。

ライブステージから見える、PELICAN FANCLUBの「覚悟」とは

千葉県出身の三人組バンド・PELICAN FANCLUB。高い水準で織り成される演奏技術とヴォーカル・エンドウアンリの伸びやかで透明感のある歌声、そして言葉遊びをふんだんに散りばめながら哲学的問答や思想を展開するソングライティングで、インディーズ時代から早耳の音楽リスナーを中心に話題を集めてきた。
 そんな彼らは2018年、ミニアルバム『Boys just want to be culture』(=訳:少年は文化になりたい)のリリースをもち、満を辞してソニー・ミュージックレーベル内のKi/oon Musicからメジャー進出を果たす。かねてから多くのメディアインタビューで「文化になりたい」と話すエンドウの、明確な意思表示がうかがえるメジャーデビュー1作目に相応しい作品となった。
  私がそんな彼らに出会ったのは、今から約6年前--2015年の夏。偶然YouTubeの関連動画にあった「Dali」のMVを見、身体中に電撃が走るような衝撃を受けた。そこから私は彼らのライブに幾度も足を運び、ステージごとに全く色の異なった、それでいて芯の通った彼らのパフォーマンスに魅せられ、彼らのライブを一つたりとも逃したくないと思い至るまでにそう時間はかからなかった。しかし、今でこそ《対リスナー》に力点を置いた楽曲制作やライブパフォーマンスを行うPELICAN FANCLUBだが、活動初期から現在のようにオープンな活動及びパフォーマンスを行っていたわけではない。初期の彼らは音楽を一つの芸術であると捉えていたため、比較的内向的な楽曲制作やライブパフォーマンスを行っていた。必要以上にMCの間をとることも、ひいては去り際に一礼したり手を振ることも稀であったのだ。
 現在のスタンスの初期構築となったのは、3rdAL『OK BALLADE』をリリースした2017年頃ではないだろうか。その頃から徐々に彼らのライブは楽曲と共に「繋がり」を軸に置いた展開が施されるようになり、今現在彼らのライブへ足を運ぶと、観客へハンドクラップを求める場面が多く見られるようになり、またサウンドスケープにおいてはエンドウのルーツであるMy Bloody ValentineやTHE NOVEMBERSなどからインスパイアされたシューゲイザー的サウンドを彼らなりに再解釈し、デビュー当時から更に引き伸ばした形で鳴らされる轟音が、楽曲、また特にライブパフォーマンスにおいて取り立てて目立つようになったのだ。
 そこで今回は、彼らが《対リスナー》を意識する重要なキーポイントとなったライブを3つ取り上げ、当時のバンド背景やリリースされた楽曲を織り交ぜながら、PELICAN FANCLUBというバンドの変遷を体系的に紐解いていこうと思う。内向的な活動を行っていながら高いクオリティで初期時代から注目を集めてきた彼らだが、自分たちの現在地をリスナーと共有することに力点を置こうと思い至るまでの心理的変化は、一体どのようなものだったのだろうか。また現在、メジャーバンドとして活動を続けていく上での彼らの「覚悟」とは一体どこにあるのか。未だメディア露出の少ない彼らにとって力強い「武器」ともいえるライブパフォーマンスの観点から述べていきたい。

①バンドキャリアの中間地点、リスナーと共に振り返る完全再現ライブツアー〈SPACE OPERA〉(2017)

2017年にリリースされた4枚目のアルバム『Home Electronics』を引っ提げて行われた東名阪ツアー〈SPACE OPERA〉。本公演はアルバムのリリースを記念して行われたツアーでありながら、場所ごとにそれまで彼らが発表した3枚のアルバムが振り分けられ、前編では過去作品の完全再現ライブを、後編では『Home Electoronics』収録の楽曲をプレイするというコンセプトが掲げられたツアーとなった。
 なぜメジャーデビュー前の作品『Home Electronics』リリースのタイミングで再現ライブを行うことにしたのか、詳しくは明かされていない。だが、本ツアーのファイナル公演で当時のギタリスト・クルマダの脱退が発表されたことを鑑みると、「4人のPELICAN FANCLUB」が存在していた証として行われたのではないかと思う。また同時に、この先3人体制で今後も活動を続けていくと決めた、彼らなりの決意表明、という意味も持ち合わせていたのではないだろうか。
 しかしながら、未だ活動年数の浅い彼らにとって長年連れ添ったメンバーの脱退には少なからず不安もあったはずだ。ファイナル公演にて初披露された『ガガ』の冒頭にある<どうしたらいいの/ここから先は>というフレーズが、エンドウ自身が当時抱えていた率直な不安感の吐露にあたると筆者は考える。だがその反面で、彼らは少しずつリスナーに心を開くようになったという面も見ることができた。初期の無形的な哲学思想や問答といった楽曲が比重を占めていた時代から、<どうしたらいいの>と問いかけられるまでには、リスナーに対して信頼を置くようになったのだ。
 この頃、メンバーはおろか、彼らを支持していたリスナーにおいても心許ない時期が続いたことは確かだ。しかし、彼らはそんなファイナル公演のサブタイトルを『FUTURE』と名付け、先が見えないながらも前進することを望んだ。この英断は《対リスナー》を意識していなかった以前の彼らではおそらく下せなかっただろうと思う。PELICAN FANCLUBが3人組バンドとして新章を迎える手前、徐々にリスナーと距離を詰める方へシフトしていたからこそ決断できたのだと、現在の彼らを見ていると、そう思わずにはいられないのだ。

②リスナーと心理的距離を縮める大きな一歩となった、通称‘‘ゼロ距離ライブ’’〈DREAM DAZE〉(2017〜2019)

活動初期から2017年頃まで消極的な音楽活動を行ってきた彼らにとって、観客に360℃取り囲まれながら演奏をするフロアライブという形式は実に挑戦的な試みだった。そんな彼らのフロアライブ『DREAM DAZE』は通称‘‘ゼロ距離ワンマン’’と呼ばれ、温度、汗、音といった、ライブに感じられる全ての要素をリアルタイムで感じあい、観客と共に一つの空間を作り上げていくイベントとして、彼らのリスナー以外の方面からも高く支持されていた。
 『DREAM DAZE』は2017年に幡ヶ谷Forestlimitで産声を上げ、その後は不定期開催、地方のファンにもフロアライブならではの熱量を届けるべく、全国ツアーまで実施された。新譜のリリースを伴ったものではなく、リスナーへ‘‘ゼロ距離’’でPELICAN FANCLUBの楽曲を届けるためだけを目的とした全国ツアーは、《対リスナー》のバンドスタンスを構築する上で大きな布石となったはずだ。
 そんな彼らの代名詞ともいえる自主企画『DREAM DAZE』は、2019年4月にバンド史上最大キャパシティとなる恵比寿LIQUIDROOMにて開催された。変わりゆく彼らの目撃者となるため、この日も非常に多くのファンが全国各地から集まったが、終盤では翌日に本イベントの原点となる幡ヶ谷forestlimitでの緊急開催も告知され、2017年の初開催から幾分知名度を上げていた彼らのチケットは文字通りの争奪戦となった。
 『DREAM DAZE』は未だインディーズバンドだった彼らが話題性をさらうには十分なコンセプトライブだったことは言わずもがな、物理的距離を詰めることで心理的距離をも縮まり、それまで彼らとリスナーの間にあった、埋まりきらなかった溝をいとも容易く埋めてしまった。また、本自主企画が走り出した当時、「いつでも当たり前にある家電のような楽曲を届けたい」という明瞭なメッセージが込められたアルバム『Home Electronics』を制作していたという背景からも、彼らが徐々に自身のリスナーと真摯に向き合いながら音楽活動に励む姿勢をもつ方へと変化を試みていたことが読み取れる。
 現在はコロナ禍の影響から『DREAM DAZE』は行われていないが、彼らのバンドキャリアにおける方向性の変化を語る上で、『DREAM DAZE』は非常に重要なターニングポイントとしての役割を果たしていたのだ。
③それぞれが異なる色を持ち寄り、「ひとつになった」東名阪ツアー〈三原色〉(2020)

メジャーデビュー後初のシングルとして発売された『三原色』。アニメ『Dr.STONE』の第2期OPとして大抜擢されたことから、音楽リスナーのみならず様々な界隈へ彼らの存在をアプローチする楽曲となった。かねてから「アニメの主題歌を担されるバンドになりたい」と夢を語っていたエンドウの願いが見事実を結んだ、という点においても、彼らが『三原色』をリリースしたことは、バンドがさらなる新しいステージへ進んだことの証明のように感じる。
 そんな『三原色』のリリースツアーとして開催された東名阪ツアー〈三原色〉は、歌詞に登場する赤・青・黄の三色が各地に振り分けられ、その色のイメージに沿った楽曲でセットリストを組むという、またも斬新な切り口で展開されるコンセプトライブだった。「メンバー間で話し合って決めた」というセットリストは、当然のことながらリスナーの予想を反するものとそうでないものが混在し、まるで答え合わせをするかのような、しかし明確な「答え」というものは存在せず、バンドが提示してくれたものを受け取ることで互いに不透明だった部分が顕になっていくライブのように感じている。また、光の三原色である赤・青・黄が全て混ざり合うと透明に変化するように、本ツアーを通して、PELICAN FANCLUBと、会場に訪れた彼らのリスナーの間で化学反応が起こり、「一つに」なるという実感が得られることを目的として行われたもののようにも思う。


 大胆な告知や積極的な交流を行わなかった活動初期から、PELICAN FANCLUBは音楽活動を続ける中で様々な景色を見、また幾多の困難を乗り越え、リスナーと真摯に向き合う姿勢を方針の基盤にした。これはほとんどの楽曲の作詞/作曲を手掛けるフロントマン・エンドウアンリが自身の殻を破り、より深いところで人と繋がりたいと願うようになったことが背景としてあるのではないだろうか。(現に、彼は度々ライブのMCで「喜怒哀楽を音楽にぶつけよう」と観客へ語りかけている。)
 彼らと同じくして、キャリアを追うごとにライブパフォーマンスが変化し、脚力を鍛えてきたところでいうと、国内においてはBUMP OF CHICKENやスピッツなどが挙げられるのではないだろうか。両者とも00年代を代表するトップアーティストであるが、前者においてはライブごとにテーマ性を持たせたものを展開することでその日の公演を「記憶」から「思い出」に染め上げ、根強いファンを生み出しているし、後者においては比較的マイペースな活動でありながら、生の彼らを観ることでしかできない音楽体験でリスナーの心を射止め続けている、という点で彼らと通ずるものがあるように思う。
 また、メジャー移籍後もメインストリームに挙げられるようなバンドに屈さず、自由な発想で楽曲制作及びライブパフォーマンスを行っている点は、彼らが比較的早い段階からリスナー視点での音楽活動を行い、基礎体力を培った結果であろう。エンドウの語る「文化になりたい」という言葉はただ大言壮語を吐くようなものではなく、彼自身が音楽に人生を賭ける上での強い覚悟を意味している。そして、その中に彼らが「ライブハウス」という空間の中でリスナーと作り上げた‘‘未来への期待’’があり、それは誰にも消されぬ灯火として、この先も煌々と燃え続けていくのだ。

ドリームポップを主軸に展開される本作は、一貫してエンドウの甘やかな妄想が繰り広げられる歌詞が特徴的。 映画のワンシーンのような「クラヴィコードを弾く婦人」、生まれ年が名付けられた「1992」、彼らのホーム・千葉への賛歌「Heaven or poolland」。音楽への純粋無垢な初期衝動が投影されたような、サファイアにも似たアートワークからも、本作が1stALの域を超えた作品であることは自明だろう。
ANALOG(2015)
現実と対峙し、生や死などあらゆる無形的な物事の本質に迫る2ndアルバム。「謎」をテーマに繰り広げられる歌詞はリスナーを深い沼へと誘うよう。特に、My Bloody Valentineが築き上げたシューゲイザーを彼らなりの解釈で展開した「プラモデル」は本作における白眉と言えよう。未だ若き彼らが音楽を一つの芸術と捉え、リードトラック「Dali」を筆頭に作品全体を通して「表現の自由」を象った問題作。
PELICAN FANCLUB(2015)
これまでのバンドの印象を大きく塗り替えた本作。過去でも未来でもなく「今」を「君」と共有したい、といった甘酸っぱくもストレートな歌詞が収録曲の節々に散りばめられ、またそれに沿うようにしてキャッチーなメロディで構成されている点が特徴的だ。しかし一方、これまで彼らが得意としてきたアグレッシヴかつ攻撃的な楽曲もブラッシュアップされた形で健在。彼らの成長スピードと振り幅の広さを同時に感じられる作品である。
OK BALLADE(2016)
初のフルアルバムとなった本作は、彼らの意思表示とも読み取れるナンバー「深呼吸」から幕を開ける。ポストパンク、ドリームポップ、シューゲイザーなどこれまでリリースされてきた作品の特色が1ヶ所に取り纏められ、彼らの軌跡を振り返るような構成に仕上がっている。また「ダダガー・ダンダント」等、エンドウのSF的感性で綴られる彼ららしさも残しながら、リスナーと共に新たな境地へ踏み込む姿勢がひしと感じられる名盤。
Home Electronics(2017)
待望のメジャーデビューアルバムとなった本作。「少年は文化になりたい」といった意味のタイトルが名付けられていることから、活動のフィールドをメジャーシーンへ移しながらも、流行や世間体に屈さない彼らの覚悟が読み取れる。また、それは本作が初期の名曲「Telepath Telepath」の再録版から始まる点においても言えることであろう。疾走感溢れる全8曲は、彼らが近い将来でシーンの主役になることを悟すようでもある。
「Boys just want to be culture」(2018)

ブリング・ミー・ザ・ホライズン
高達俊之

ロックの地平線を目指すブリング・ミー・ザ・ホライズン

アークティック・モンキーズやデフ・レパードといった、イギリスを代表するロックバンドを排出したシェフィールド。ブリング・ミー・ザ・ホライズン(以下、BMTH)は、同地を拠点とするバンドの中でも、より過激で暴力的なロックを追求していた。メタルコアとデスメタルを融合したデスコアは、ロックの初期衝動そのままに、歪み、重さ、唸りをぶちまける。ところが、BMTHは徐々に音楽性を変化させる。ポップであったりダンサブルであったり、異ジャンルの外部アーティストと積極的なコラボを行ったりもする。極めつけは、2019年に発表されたアルバム『amo』だ。デスコアの要素は皆無。初期からのファンは戸惑い、評論家の中でも賛否両論を巻き起こした。デスコアのみならず、もはやロックからもかけ離れているところもあったからだ。ライブではダンサーらも登場し、楽曲イメージにインスパイアされたパフォーマンスを魅せる。では、なぜBMTHは変わったのだろう。

ロックの創成期にさかのぼってみよう。黒人音楽をベースに、ロックンロールやブルース、カントリーミュージックなどが化学反応を起こし、ロックは誕生した。初期からロックは、あらゆるものを貪欲に何もかも飲み、自由でエネルギッシュな音楽として展開されたのだ。
一方、現代のBMTH。デスコアを突き詰めて先鋭化すればするほど、窮屈で不自由な音楽になってしまう。ひいては、バンド自体もマイナーな存在になり、行き詰まる……と考えたはずだ。単純な初期衝動だけでは、今の音楽シーン。ひいては社会と対峙できない。ロックバンドならば、ギター一本で勝負するのも潔いだろう。しかし目の前には、ロックの創世記とは比較にならないほどの、多様で刺激的な音楽が溢れている。ならば、今あるホットな音楽を飲み込んでしまえ! BMTHは、21世紀型のあるべきロックの姿を目指すことにした。

実際、LEDモニタを駆使したステージングも、近年のポップスターと肩を並べる。プログラミングによって映し出される映像は、楽曲が持つイメージを更に膨らます。映像の中には、苦悩・破滅・死といった「負」をイメージさせるものもある。しかし、観客を突き放してはいない。テーマが重くともパフォーマンスを通して、「負」から抗おうとするBMTHがステージにいるからだ。
ヴォーカルのオリヴァー・サイクスは、ライブの佳境でステージから降り、観客の中に飛び込んで行く。もはや定番だ。しかも会場の奥の方まで入って行くこともある。ライブハウスはもちろん、アリーナやスタジアムであっても行動は変わらない。数年前、アリアナ・グランデやカントリーミュージックのライブでテロ事件が発生した。以来、ライブの「場」ではセキュリティが厳戒になった。殺伐とした雰囲気さえも感じられる。しかし、オリヴァーは全く意に介さず、観客の中に入っていく。観客も、そうしたオリヴァーを迎え入れる。強い信頼関係がなければ、できない行動だ。

とはいえ、この信頼関係は元からあったものではない。音楽性を変えて、既存ファンから叩かれ、そのままフェードアウトしてしまったバンドも少なくない。BMTHも例外ではなかったはずだ。アルバム『amo』に収録された「heavy metal」という曲がある。曲名だけ見ると、タイトル通りデスコア路線を突き詰めた激しい曲を連想させる。俺たちのBMTHが戻ってきた! 拳を振り上げたファンもいるだろう。
しかし実際に聴いてみると、この曲は初見の印象とは真逆なのである。生演奏のヒップホップグループ「サ・ルーツ」の元メンバー、Rahzelがフィーチャリングされ、バンドにとって神の視点であるファンの立場からつぶやくように歌うのだ。
「You wanna live forever(お前は永遠に生きたいだろう)」
「You know what we want you should give it to us(我々が何を望んでいるのか知っているのならば、それを提供すべきだ)」
一方、オリヴァーは曲の最後で吐露する。
「All I wanna know do you love me anymore(俺が知りたいのは、もう君が俺を愛してくれないのかということ)」
「Cos some kid on the gram says he used to be fan(昔はファンだったと言うキッズがいる)」
「But this shit ain’t heavy metal(でも、こいつはヘヴィーメタルじゃないんだよ)」

バンドにとって変化は恐怖だ。しかしBMTHは目を逸らさず、ファンと向き合う。ロックは昔から、自由で可能性に満ちている。BMTHがロックに忠実であればこそ、最先端の刺激的な音楽を追い求めるのは必然だ。目指す先は「BRING ME THE HORIZON」。ロックの地平線である。

「壁」を壊すコラボアーティストと今後の予想

ヒップホップを中心に「フューチャリング○○」といったコラボは、今や様々なアーティストが積極的に実践している。売れるために、ネームのあるアーティストとコラボをする。逆にまだ見ぬ才能を引き上げて、自らの先駆的なセンスを誇示する者もいる。
では、「変化」のアクセルを踏み続けるブリング・ミー・ザ・ホライズン(以下、BMTH)のコラボは、一体どのようなものだろうか?
 
一聴すると、コラボアーティストについては、人種や国籍、音楽性を問わない雑種性が感じられる。コラボだけで話題になるようなビッグアーティストは、比較的少なめでもある。セールスよりもクリエイティブを優先しているのだろうか。
更に耳を澄ませてみると、ぼんやりと統一性が聞こえてくる。BMTHとコラボするアーティストは、様々な「壁」を壊すタイプが多いのだ。「壁」は音楽性に限らない。例えば、ジェンダーのような社会的「壁」であったりもする。今のBMTH自体が、ロックの「壁」を壊し続けているので、「壁」を意識させないアーティストへの嗅覚が鋭いのだろう。そこに独特の哲学が感じられる。
 
それでは、コラボした代表的なアーティストを紹介しよう。

【ヤングブラッド】 ~男/女~
イギリスの若きポップアイコン、ヤングブラッドが壊す「壁」は「男/女」である。かつてアーティストがゲイであるとカミングアウトすることは、非常にセンセーショナルな出来事であった。しかしオリンピックにも、トランスジェンダーの選手が出る今となっては、「性の属性」自体は特段大きなニュースではない。ヤングブラッドも、軽やかにジェンダーを行き来する。
BMTHとは、ヤングブラッドがフューチャリングされた「obey」で共演を果たしている。ミュージックビデオがなかなかユニークで、BMTHのオリヴァーとロボット対決をしているのだ。ビームが飛び交うハリウッド的アクションではなく、日本の古き良き特撮をオマージュしたロボット同士の肉弾戦だ。音楽はいつものヤングブラッドよりも激しめ。ゲームっぽいデジタルな味付けをされたラウドロックをバックに、ロボットが殴る。蹴る。組む。死闘の結末は、ヤングブラッドらしいものになった。ロボット同士のキスで終わるのだ。いがみ合う者もキスで和解。ヤングブラッドのキスは、「壁」をも溶かす。

【グライムス】 ~人類/宇宙人~
カナダ出身のソロアーティストであるグライムス。壊す「壁」は、「人類/宇宙人」だ。シンセポップやエレクトロニカなどをシェイクした音楽は、極めて宇宙的。ステージやミュージックビデオでも、宇宙をモチーフとしたものが多い。音楽性は異なるがPファンクも彷彿とさせる。
BMTHとは、レイブ色が強い「nihilist blues(ニヒリストのブルース)」でコラボを行った。曲名にブルースが入っているが、楽曲自体はブルースどころか、ギターも鳴らないダンスミュージックである。グライムスの領域内で展開するBMTHは、宇宙空間の中に放り出された人類だ。何とか生きようと必死にあがく。まるで映画『ゼロ・グラビティ』のようである。絶望。しかし、これこそが新しいものを生み出す苦しみ。宇宙からやってきたグライムスは、BMTHを新局面へと導いた。

【BABYMETAL】 ~メタル/アイドル~
「メタル/アイドル」の「壁」を突き破るBABYMETALは、海外フェスでBMTHと同じステージに上がることが多かった。「ズッ友」とファンからも呼ばれる関係性から、本格的なコラボも期待されていた。そうした高まりの中で、BABYMETALの「日本ツアー」の数公演に、BMTHがスペシャルゲストとして出演することになった。海外だと彼らが圧倒的に格上である。大丈夫か?
ライブ当日。盛況のうちにBMTHの出番が終わると、ステージの変更時間が設けられる。どこからともとなく「BABYMETAL!」とファンの掛け声が聞こえてくるが、長くは続かない。先程のBMTHの予熱が収まらず、緊張と不安も漂ってくる。そうか。こういった雰囲気の中で、BABYMETALはずっと戦ってきたのだろう。ホームである自分たちのライブでさえ、きついプレッシャーがある。「色物」として見られていたデビュー当初や海外のメタルフェスなどは、10代のBABYMETALが本来戦える場ではなかったはずだ。しかし全てを乗り越えた。もはや活動も10年。国内外で、BABYMETALフォロワーのアーティストも珍しくはない。BABYMETALは一つのジャンルとなったのだ。そして、この日本公演の一年後、BMTHとBABYMETALの本格的コラボ曲「Kingslayer」が発表された。

以上、BMTHがコラボしてきた代表的なアーティストを紹介したが、今後どのようなアーティストとコラボをするのか、ズバリ予想してみる。当たるも八卦当たらぬも八卦。シンプルに本命・対抗・穴で考えた。皆さんももし興味があれば、自由に予想を立ててSNSなどで発表すると楽しいぞ。妄想バンザイ!

【今後のコラボアーティスト 予想】
◎本命:GHOSTEMANE ~光/闇~
トラップ+ブラックメタル+インダストリアルから導き出される音楽は、激しさと陰鬱が同居している。躁鬱を繰り返す音楽が、陽気なアメリカのフロリダから出てきたのは皮肉だ。世界の闇を白昼に晒すGHOSTEMANEが壊す壁は「光/闇」である。マリリン・マンソンのようなコープスペイントも実に怖い。見てはいけない。聴いてはいけない。禁秘さえも感じさせるが、実は最近のフェスでも引っ張りだこなのである。BMTHとの接点は定かではないが、ロラパルーザ2019のように主要なフェスで被ることも多い。真っ昼間からダークなトラップを奏でても、オーディエンスは熱狂の渦(サークルモッシュ)を作る。延期となった2020年のスーパーソニックでもラインナップされたのは、そのステージングが見込まれてのことだろう。
お化けは夜に出るものだ。しかし、GHOSTEMANEは昼でも夜でも出てくる。BMTGがデスコアから脱却し、ひなたを歩いていても油断はできない。GHOSTEMANEとのコラボが実現すれば、極めて緊迫したものになるに違いない。

○対抗:マネスキン ~ニッチ/マス~
ユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝し、2021年に彗星のごとく現れたマネスキン。ドメスティックなアーティストが強い日本でも、バイラルチャートで1位を獲得。壊す壁は「ニッチ/マス」である。出身国であるイタリアは、ことロックに関してはややマイナーな存在である。プログレなどでニッチ的な人気があるが、全世界的にスタジアムを満員にするバンドは生まれていない。ところがマネスキンは、日本も含め各国のチャートを賑わせる。フランツ・フェルディナントのように、少しひねったロックがベースだが、クイーンのような過剰なビジュアルもある。大衆性をも持ち得ているのだ。
しかし、実はまだ英語詞の曲は少ない。現在は、母国語であるイタリア語の楽曲でも世界を席巻している。BMTHとコラボが決まった際は、コラボ自体が大きなニュースになるのは間違いない。しかし、現代は多様性の時代。マネスキンには、ぜひイタリア語で歌って欲しい。突き抜けたニッチが、マスをも凌駕する瞬間が見られるはずだ。

△穴:遠藤正明 ~アニソン/メジャーロック~
本来であれば、BMTHの日本公演のオープニングアクトとしても出演したHYDEを候補に入れるべきであろうが、予想の「穴」枠としてはふさわしくない。
「Obey」のミュージックビデオでは、古い特撮ロボットが出てくる。そこで、アニメ・特撮シンガーとのコラボの可能性もあるのではないか。「アニメソング界の帝王」水木一郎は、年齢も70歳を超えているので、大型フェスにガンガン出てくるイメージはない。となると、「Always Full Voice」「アニソン界の若獅子」の遠藤正明が候補になる。壊す壁は、「アニソン/メジャーロック」である。かつて「アニメタル」というアニソンとメタルが融合した音楽が流行った。熱いアニソンとメタルの相性は良いのだろう。しかしいつしかブームは消えてしまった。アニソンやメタルは興味のない人にとっては「ダサい」ものとされ、両者が融合しても評価は変わらなかった。しかし、BMTHと遠藤正明がコラボをすると、もう一段階上のレイヤーが狙える。BMTHのオリヴァーは、自身でブランドも展開するファッションリーダーでもある。ファッション面でも世界中にファンを持つ。新時代のメジャーロックに対し、遠藤正明の猛き咆哮が、壁をも崩す。

初期BMTGの集大成となった3作目のアルバム。デビュー以来の路線をベースに、ストリングスや女性コーラスを導入し、新機軸を目指した。無理に背伸びをしている姿勢は今となっては微笑ましいものだが、「自らの可能性を広げる」という強い意志が感じられる。「Blessed with a Curse」を始め、緩急つけた実験的な楽曲も多い。若さ一辺倒のバンドが試行錯誤して、ようやくたどり着いたデスコアの極地。
『There Is A Hell, Believe Me I've Seen It. There Is A Heaven, Let's Keep It A Secret』
転換点となった、ソニー移籍後の初アルバム。今までスクリーミングボイス一辺倒だったオリヴァーがヴォーカリストとして成長し、複雑な感情を伝えられるようになった。冒頭の「Can You Feel My Heart」でも、悲壮な心情を歌い上げる。新加入したキーボーディスト、ジョーダン・フィッシュの寄与も大きい。本格的なエレクトロニックの要素がバンドの一部に。「デスコアバンド」の呼び名は過去のものとなった。
『Sempiternal』(2013)
5作目となる本アルバムで、BMTHは更に一皮むけ確変する。前作で加入したジョーダン・フィッシュが共同プロデュースも行い、よりエレクトロニックの比重が強まる。といっても、ロック的なダイナミズムを失わない奇跡のバランスだ。シンガロングするような曲や「Throne」「Happy Song」などライブの定番曲も多い。商業的にも全英1位、全米2位を記録。一気にメジャーロックバンドの仲間入りを果たした。
『That's the Spirit』(2015)
過去と一線を画し、別次元に突き進んだ6作目。EDMやアンビエント等、いわゆる「ロック」の範疇から逸脱する収録曲も含まれる。バラエティ豊かな曲が多いが、バラバラではなく不思議と統一感があるのは、バンド自体が成熟したおかげだろう。何を奏でても、BMTHとして聴こえる。「バンド」という運命共同体でしかなし得ない、到達地点に着いたのだ。賛否両論を当然のように引き受け、それでも前進する覚悟さえも感じる。
『amo』(2019)
「Post Human」と称される4枚EPの第一弾。前作でバンドとして完成されたBMTHは、アルバム作りを当面止めることにした。今までのルーティンを壊すことになるが、EPであればより時代に即したものが出せる。鉄は熱いうちに打て。今回はちょうどコロナ禍とぶつかり、感染症や荒廃した社会など、今の時代性が色濃く反映されている。EPにしては9曲とボリュームが多いが、それだけ語るべきテーマもあるのだ。
『Post Human:Survival Horror』(2020)

サカナクション
はせのり

サカナクションは「巨大な音楽体験研究所」である。

 ロックを中心にエレクトロやAOR、ファンクなどさまざまなジャンルを取り入れながら音を作り出すサカナクション。彼らは、「巨大な音楽体験研究所」である。2020年に開催したオンラインライブ「SAKANAQUARIUM 光 ONLINE」で、その特徴がよく現れていた。
 今回のライブは、前半が中層·深海、後半が浅瀬というテーマで表現したそうだ。中層·深海はミッドテンポの曲や暗めの曲、マイナーな曲が中心、浅瀬はシングル曲や明るい曲が中心という曲構成によって表現していた。
 公式としてはこのテーマであったが、裏テーマとして前半は陰で後半は陽をテーマとしていたのだと思う。前半でコロナ禍での1人で音楽を楽しむ陰、そして、後半でコロナが落ち着いた後のライブで集まる楽しみ方の陽の2つを1つのライブで体験させてくれた気がした。
 陰と陽を感じたのは演出の部分にもあった。例えば、前半の「流線」という曲では、後ろのスクリーンにメンバーの影(陰)が映る演出をしていた。 
また、前半最後の曲「ボイル」の終わりには、後ろのスクリーンが開き、「陽」が差し込むような演出。後半部分の最初の曲名が『「陽」炎』だったことも、ここから陽の部分が始まることを暗に表していたのだろう。
 それから、前半ではボーカル山口一郎がほとんどカメラ目線にならなかったが、後半ではカメラ目線が多かったことも、内向きと外向きという陰と陽を感じた。
 音楽は明るく元気な気持ちのときだけでなく、暗い静かな気持ちのときも寄りそうもの。コロナ禍の中、陰と陽、どんな気持ちのリスナーにも音楽体験を届けたい気持ちが伝わってきた。
 オンラインライブとしては日本初の3D音響を取り入れたり、一般的なライブ撮影では放送事故とされている、照明が波打つように見えるカメラの現象をあえて取り入れ、幻想的に見せるなど先進性のある演出も見られた。
また、2010年以降のアーティストのライブ演出を思い出させるシーンがいくつかあった。例えば、オイルアートをリアルタイムで行い、カメラの映像に組み合わせる演出がそれに当たる。これは、2019年のサマソニにてFlumeが、サンドアートのように手元で粉をいじり、それをスクリーンに映した演出をイメージさせた。
このように、海外アーティストに普段触れているリスナーが見ても全く遜色ない演出を行っていた。


 


 音楽体験において他のバンドと違う点、それは大型フェスでトリを務めるほどの人気バンドになっても、前衛的な音楽体験に挑戦し続けていることだ。そして、メンバーとスタッフがチームとして機能していることだ。だから、サカナクションは「巨大な音楽体験研究所」であると言える。
 「音楽体験のためなら予算という研究費が大きくなっても構わない」という変態的な価値観を、サカナクションとスタッフという研究員が共通して持っている。そして、規模が大きいからこそ妄想で終わらず実現させることが可能になっている。今回のライブでもカメラでの表現にこだわった結果、カメラの予算が3000万円から6倍の1億8000万円になってしまったというから驚きである。
 サカナクションの音楽体験によって、リスナーは音響や照明、アートなど音楽関連の分野にも興味を持つようになる。そうすると、ライブに行った際に演奏だけでなく、それらについても注目するようになり、音楽の楽しみ方の幅が広がる。
リスナーが変われば、アーティスト側の表現の幅が広がっていく。アーティストが変われば、裏方側の役割も重要になっていき、今以上に脚光を浴びていく。こういった流れから、リスナーは仕事としてのライブ制作に対する興味というより、ライブ・パフォーマンスがすばらしい実験性のあるカルチャーにもなりうるという意識を、サカナクションのステージから受け取ることができる。


 彼らに対して、もしかしたら内向的で陰の印象を受けるかもしれない。しかし、音楽体験に対しては熱すぎる程の内なる情熱を持っている陽のバンドである。実際に今回のライブでも、誰もやってこなかったような技術を取り入れたり、過去に誰かがやったものと似た演出を取り入れたりするなど、まるでスポンジのように良いものはどんどん取り入れている。それでもごちゃごちゃにならないのは、やはりチームが優秀かつ互いに信頼しているからだろう。
 サカナクションは決して前に出て叫ぶタイプではない。背中で語るタイプだ。他のアーティストにもその背中を見てもらって、影響を受けてもらえれば、全体的な音楽体験の質もどんどん上がっていくはずだ。
 山口はあるインタビューで、「社会になんらかの影響を与え、音楽シーンになんらかの爪痕を残したい」と語っているが、もうすでに充分影響を与えている。だが、まだこれでは満足していないだろう。サカナクションにはこれからも実験を繰り返していってもらい、音楽体験に革命を起こしていってほしい。

サカナクションが『モス』という曲を通してマイノリティに伝えたいこと

 マイノリティという言葉がある。直訳すると少数派だが、社会的弱者という意味合いが強い。種類としては、ジェンダーや精神疾患、民族などさまざまなものがある。また、マイノリティは一般的に生きづらい傾向にある。
 マイノリティという言葉は、サカナクションのボーカル山口一郎もよく使う言葉である。
 山口の考えるマイノリティは、『モス』の歌詞から読み取ることができる。『モス』では、「つまづいても 誰かが指差しても」、「飛び交う蛾になる マイノリティ 雨に打たれ羽が折りたたまれても」と歌われている。このように周りからマイナスの影響を受けている表現から、今や世界中で認識されているように、山口もマイノリティを“差別を受けたり偏見を持たれる対象”と考えていることが分かる。ただ、その中でも山口が『モス』で伝えようとしたのは、さらにその先へと理解を進めようとする姿勢ではないだろうか。 



 こういったマイノリティが生きやすくなるためには、どのようにしていけばいいだろうか。『モス』に出会う前の私は、次のように考えていた。
 マイノリティ……言い方を変えると社会的弱者やニッチ、アウトサイダー、変わり者とも言えるが……彼らについて理解してもらうためには、マジョリティ……社会的強者やマス、インサイダー、常人も含まれる……が歩み寄りやすいように入口を広げていけばいいのではないかという考え方だった。マジョリティ側にマイノリティ側を身近に感じてもらうと言ったほうがいいだろうか。
 抽象的で分かりにくいと思うので、1つ例を挙げたいと思う。私自身が精神疾患を患っているから、精神疾患のことを例にしたい。
 精神疾患への差別や偏見をいきなりなくすのは正直難しい。そこでまずは、メンタルヘルスケアという側面から「広く一般的な認識」に歩み寄るのはどうだろうか。
 悩み相談ならその入口として機能すると思う。今ならネットで気軽にどんな悩みも相談ができるし、精神疾患の予防を目的に、悩み相談を受け付けているサービスもある。メンタルを整えるという意味では、瞑想やヨガなども入口となる可能性がある。
 こういったメンタルヘルスのような入口で興味を持ってもらえた人に対して、さらに深いところに来てもらう働きかけをしていくと、精神疾患のような社会的弱者への差別や偏見も減っていくと思っていた。



 だが、こういった「マジョリティとマイノリティの二項対立」の考えではダメだということを、サカナクションの『モス』、特にそのMVで気付かされた。
 MVの内容としては、まず白い繭だけが映っている映像から始まり、その中からゆっくりと山口が這い出てくる。這い出た瞬間には息が切れた状態で、とても疲れ切って辛そうに見える。その後、山口は繭の後ろにあるドアから外へと出る。そのドアはマンションの一室のドアで、隣の部屋から出てきた隣人と鉢合わせる。その隣人を演じているのは、井手上漠。“可愛すぎるジュノンボーイ”と呼ばれており、戸籍上は男性だが見た目は女性のような人だ。以上がMVの内容である。



 このMVを見て、山口が表現しているものは、最初の方に述べた私の二項対立的な考え方であり、井手上が表現しているものは、サカナクションが伝えたいマイノリティの生き方ではないかと感じた。
 繭は、“アウトサイダー側の持つ「どうせ分かってもらえないだろう」という内面的な気持ちの壁”、ドアは、“インサイダー側に理解してもらおうと歩み寄る行動をするまでのハードル”を表していると思う。山口は、息が切れて辛くなりながらもそれらを取っ払って、インサイダー側に理解してもらおうと頑張っていた。
 そうやって頑張ってドアを開けて出会ったのは、ニッチ側の井手上漠だった。井手上は、全く疲れてそうでも辛そうでもなく、気持ちも晴れやかでリラックスしてるような様子だった。
 そんな井手上を見て、山口はびっくりした表情を浮かべていた。これは、ニッチ側なのにどうしてそんなに生きやすそうなのかという驚きと、マス側に歩み寄ろうとドアを開けたのに、ニッチ側と出会った驚きという、2つの驚きがあったからだろう。
 ここで伝えたかったことは、「社会的弱者は井手上のような考え方をしていったら生きやすくなるから、お手本にしていこう」ということと、「マジョリティやマイノリティなんて曖昧なものだから気にしないでいこう」ということだと考える。
 前者について、井手上の考え方とは、自分の社会的弱者的な部分はアイデンティティであり、それを受け入れて生きていくというものだ。実際に井手上は、テレビやインタビューで「性別はないです。」と公言しており、それが自分自身だと誇りを持っているのが伝わってくる。
 後者について、ニッチ側だと思っていた山口だが、ドアを開けたら性別のない井手上に出会い、自分が男というマス側だと気付かされている。つまり、人間はマジョリティな側面もマイノリティな側面も両方持っているということだ。その人が持っているニッチな側面が、社会的に目立つか目立たないかの違いがあるだけだ。マジョリティかマイノリティかどちらかを気にするのではなく、「マイノリティ=変」というある種の共通認識を変えていこうと伝えてくれている。



 曲名になったモスとは蛾のことだが、蛾は蝶と比べられがちだ。触覚の形や行動する時間帯など両者の違いは一応あるが、例外も多く存在する。例えば、シャクガモドキという種は、見た目や特徴は蛾に近いのに、分類上は蝶であるのが良い例だ。また、フランス語やドイツ語では、蛾と蝶を区別して呼んでいない。
 サカナクションがモス(蛾)を曲のテーマにしたのは、マイノリティというものは、このように時代や環境、そしてその人その人による物差し次第で変わるもの、その程度のものだということを伝えるためだろう。
 そんなマイノリティという概念に惑わされて、自分の人生を生きられなくなってしまう、そういったマイノリティの呪縛から解き放たれてほしいという気持ちが、この曲からは伝わってくる。
 自分で自分を差別するのはやめよう、自分の味方になってあげよう、自分の色眼鏡を外してみよう。そうすれば、きっと景色が変わって見えるはず。サカナクションは、そのために一歩を踏み出す背中を押してくれている気がする。

露出や認知を意識してきた気持ちが伝わる本作。それは曲調にも伺えこれまでよりもJロック的ポップさがある。曲順もライブでのセトリを意識しているよう。当時のライブのOPで使用されたM1の「Ame(B)」から、ギターを全面に出したM2の「ライトダンス」に繋げ、中盤はミッドテンポの曲やインストも取り入れ、最後のM11の「human」で広がりを感じさせてくれる。起承転結のあるライブを観ている錯覚に陥るだろう。
シンシロ(2009)
タイトルのkikUUiki(汽空域)とは良い違和感のこと。メロディや歌詞などの組み合わせにそれを感じるはずだ。例えばM4の「アルクアラウンド」は、葛藤を描いた歌詞にアップテンポなリズムを合わせている。M11の「壁」は自殺がテーマであったり、ポップさよりも全体的には陰なイメージを持つだろう。しかし、曲の複雑性がさらに増した分岐点的作品であり、バンドが表現したいことを初めてさらけ出せている作品だ。
kikUUiki(2010)
タイトル内に隠れているmental、つまり心がテーマの1つの作品。歌詞にも“心”という言葉が目立つ。「エンドレス」という前半はストリングスが入った“静”、後半はテクノ調の“動”を感じる曲でも、差別や偏見に対しての心の動きを歌っている。本作を聴いていると、問いを投げるから自分の心と向き合ってみてという禅問答を仕掛けられていることに気づくはずだ。自分についてもっと深く知るための触媒になってくれる作品。
DocumentaLy(2011)
悩みに対しての希望を与えてくれる聖書的作品。例えば、和風×テクノ×ギターロックな音が特徴のM4の「夜の踊り子」では、目標のために努力する人の背中を後押しする歌詞になっている。山口は本作を、都こんぶの「物足りないが味があってずっと食べていたい」ところに似ていると言っていた。これは今の自分の悩みとマッチした曲だけ刺さるということだろう。悩みにぶつかったときに聞くと、救いの手を差し伸べてくれるはずだ。
sakanaction(2013)
彼らの歴史と方向性を感じる本作。山口が高校生のときには、今とはメロディの区切り方が違う形でできていた「新宝島」のように、過去の音も熟成させ現在に復活させている。本作は、東京と地元札幌をテーマに2枚組になっている。2枚は全くの別のバンドの音のようであるが、それぞれに別バージョンで入っている「セプテンバー」が2枚を繋げている。これまでの歴史も活かしつつ、挑戦し変化していくという方向性が感じ取れる作品。
834.194(2019)

GEZAN
小倉陽子

バンドであることの答えを探して

2018年のアメリカツアーやFUJI ROCK FESTIVAL’19のWHITE STAGE出演などをともにしてきたバンドメンバー、ベーシストのカルロス尾崎が2021年に入って脱退した。新しい年の始まりに、GEZANとしての変わらぬ意志を感じる赤を纏った4人組の新しいビジュアルが公開された直後のことだった。そして先日、新たなベーシストとして18歳のヤクモアが迎え入れられた。メンバーがひとり脱退することになったとき、新しいバンドメンバーを迎えるという選択肢は、これまでのロックバンドの歴史を見ても最もオーソドックスな回答だろう。しかしそもそも、GEZANというバンドの在り方を振り返ったときに、新たにベーシストを、しかも未経験でGEZANのことも知らなかったヤクモアを迎え入れることは本当に必要だったのだろうか?

確かに、彼らはオルタナティブロックを長い時間4人でやってきた。2016年に初代ドラマー、シャーク安江が脱退し、その脱退を前提とした4人で鳴らす最後の音源として3rdアルバム『NEVER END ROLL』は制作された。そして今回同様、初期衝動を取り戻すかのように「メン募」が行われ、現ドラマーの石原ロスカルが加入することになった。ロスカルの持久力の高いリズムメイクは、最新のフルアルバム「狂 -KLUE-」のダブを取り入れたダンス・ミュージックとしての楽曲制作にも必然性を感じるところ。しかし本作が見据えた未来は4人組ロックバンドにこだわらない姿勢も垣間見えたように思う。

今回のベース募集にあたってマヒトゥ・ザ・ピーポーが出した声明にはこのように記されている。「バンドという集合体はとてつもなく不自由で思い通りにはいかない。宅録や打ち込み、ヒップホップなんかに比べてスタジオ代も時間もかかる分、わずらわしいことも増え、まるで人生そのものみたいな不完全な存在だ。わたしはバンドに対して何を今でも執着しているのか?」

最小の人生であるバンド、GEZANというひとつの命。それは、人と人との関わり合いの中で育まれる社会性や感情を不器用にでも取り戻すために、必要な不自由さでもあるようだ。GEZANの音楽はマヒトの文筆家としての才腕からも伝わる言葉の強さが大きな魅力でもあるが、その言葉がゆえに彼が唯我独尊の存在になってしまわないためにも、バンドという体裁は必要だ。バンドに限らず不自由な人間関係は数多あるが、その中で個人を失わずそれでも他人とともに在り続ける姿勢。「狂 -KLUE-」のテーマを個に還ることに据えながらも、それをバンドとして追求していくことに意味があったのだろう。

元々はTHE BLUE HEARTSや銀杏BOYZといった、パンクでありロックである先人バンドの影響も垣間見えるGEZAN。2009年の大阪での結成以来、音楽業界人らしさのようなものやルーツを表明する姿勢とは距離を取ってきたが、バンド然としたサウンドとバンド美学のようなものはしっかりと継承していることも明かになる。彼らがルーツを蔑ろにしているわけではないことは、コロナ禍において自分たちの大阪での基盤となった難波ベアーズへのドネーションに、いち早く行動を移したことにも現れている。

そう言えば新年のアーティスト写真の4人は、顔が写されていなかった。それぞれ個としての自立を促しながら、自分たちは4人という不自由で最小の共同体として運命をともにする。そんな彼らのライブで巻き起こる激しいモッシュやダイブは、音楽を授受する喜びを体現しながら、その権利を持ち得た私たちが、社会に対して声を上げる当事者でもあるということを身体に訴える。音楽を、あらかじめ音楽が好きで音楽という輪の中で楽しんでいる人のためだけには用意しないとも見えるメッセージは、ただ生きるのに音楽が必要であろう人たちのために、鳴らす音でもある。

先人が築いたやり方、すでに耕された場所で成長するのではなく、自分たちの手でロックの意義を見出すこと。そのことの自由さと不自由さを自分たちの身体の感触を頼りに、自分たちの言葉に置き直していくためのバンド。GEZANは特定の目標とするバンドも置いていないだろうが、彼らを目指すバンドが現れることも望んでいないだろう。自分たちはあくまで4人というフォーマットでやり直す。そして今の自分たちのレベルに合った条件を持っているベーシストではなく、GEZANというバンドも、バンドという活動のなんたるかも知らないただ「音楽がしたい」という気持ちを誰よりも持ったピュアな生命体である、ヤクモア。彼を4人の内の一人として迎える選択が、彼らの目指す理想のバンド像も音楽の在り方も示しているようだ。そしてそれはあくまでGEZANのやり方。「お前はお前のやり方で」そう私たちに繰り返し訴えかけながら、新しい4人で新しい運命を始めていくみたいだ。

「東京」の新たなイメージと、GEZANの周縁に連なるインディペンデント

「東京」というタイトルの楽曲は数々のアーティストがこれまで歌ってきた。くるりの"東京"(1999年)から地方のインディーロックバンドが地元を離れ目指す場所であり、故郷にあったものがない街という視点で歌われることが多くなったのではないだろうか。そのイメージは夢を叶え新しい生活を営む場所、夢を叶えられず離れていく街など少しずつ視点を変えながら、その後銀杏BOYZ(2005年)GOING UNDER GROUND(2005年)eastern youth(2008年)など様々なバンドによってそれぞれの「東京」が歌われる。そして東日本大震災を経て、GEZANと同じく関西から上京した踊ってばかりの国が歌った"東京"(2014年)では<でも 夢の墓場ではない東京>と、その視点をアップデートし歌っていることを冒頭で示している。

GEZANの"東京"はさらに、東京という言葉が持つイメージを<君と歩く いつもの帰り道であるべきだから>と歌う。東京に極めて個人的な、ローカリティを見出す姿勢。京都出身でありマヒトゥ・ザ・ピーポーとNUUAMMなどで音楽活動をともにする青葉市子とは、踊ってばかりの国の下津光史の紹介で出会ったという。彼らの活動からは関西へのノスタルジーが生まれるわけではなく、東京という新たなローカルに身を置き、愚直に音楽に、そして社会に向かう切実さと真摯さに溢れている。マヒトがバンドメンバーたちと身を寄せ合いながら<戦いの螺旋で迷子になる>中、必死に見えざる「前」を見続け<混乱と優劣を浴びて暮らす>日々の中で信頼を寄せる仲間であるのが、踊ってばかりの国と青葉市子の存在なのだろう。

2012年に活動拠点を東京に移したGEZANだが、主催するレーベル『十三月』ではTHE GUAYSやKKmangaといった大阪のバンドをとり上げる。自らが主催するフェス『全感覚祭』では、東京で出会ったバンドと大阪難波ベアーズやファンダンゴでの繋がりを結び合わせていく。山本精一や渚にてといった自分たちの活動のルーツも、決して切り離したわけではない。社会への眼差しも、音楽的探求心もベアーズという場所には根ざしているということを、振り返る機会にもなっているのだ。

『全感覚祭』と言えば、2019年には千葉の特設会場で開催予定だったが台風の直撃により急遽SHIBUYA全感覚祭として開催された。これを実行しようとするGEZANの行動力、まさにそのパワーには驚かされるばかりだが、GEZANとともに実行しようとした渋谷のいくつかのライブハウス、そして出演者たちもまた一筋の光である。GEZANとともに連帯するアーティストたちはそれぞれ自ら意志を持ち、思考し、行動する力がある。

そんなアーティストの中で、特筆すべきは北海道・苫小牧を拠点に活動するNOT WONKだ。『SHIBUYA全感覚祭』の直後に京都で開催された『ボロフェスタ』に、マヒトの体調不良によって出演できなくなったGEZAN。NOT WONKはその空白のタイムテーブルにピンチヒッターとして舞台に立つ。その年の渋谷に私自身は行けなかったものの、むしろその京都でのGEZAN不在とNOT WONKの好演によって、全感覚祭というイベントが命を削った音楽家たちによって新たな使命を果たしたことをひしひしと感じる。NOT WONKがボロフェスタのステージにマインドを繋ぎ、観客である私の想像力が育まれていく。

そんなNOT WONKは2019年に『Down the Valley』でcutting edgeからメジャーデビューしながらも、人と一対一の繋がりを手放さないための自主企画『YOUR NAME』を敢行している。たとえメジャーデビューをしても行けない場所があるという落胆と、自分たちが手放すべきではない本当のインディペンデント性。それは例えば苫小牧という街のことではなく、名前で呼び合える関係性の話であるということだ。<誰に勝たなくても、何にも負けてないその日まで つづけよう>音楽にも人間にも本来付けられるべきでない「優劣」を越えて、それでも意味のある活動や表現をし続けようとする連鎖。東京という街自体、勝ち負けの象徴ではないことを確かめることになりそうな2020年代。音楽の横への拡がりは、その音楽に揺さぶられ、心を動かした手の届く範囲の人たちによって紡がれていくのだ。私がGEZANのピンチヒッターとしてステージに立ったNOT WONKを観て、胸を熱くし、何かを書き続けねばならないと思ったように。

1曲目「三島と口紅」から、明快なほどのアバンギャルドを身に纏いつつも、ノイズやパンクがヒップ・ホップなどと複雑に交じり合った2010年代の揺らぐロックのひとつを表現しているようだ。震災後という時代性を悲観的に、皮肉を込めて見つめる様子は、距離をとっているようで等身大の感覚を嘘なく削り出していく姿勢。それは、過去を継承するより未来を創っていくことに血肉を注ぐ、のちのGEZANに通じる態度である。
かつて うた といわれたそれ(2012年・1st)
KiliKiliVillaが2010年代のインディーロックシーンを詰め込んだコンピレーション。シーンをつくることではなく真っ直ぐ音楽を突き詰めることに注力したバンドが、結果各地にシーンらしきものをつくった中、GEZANが提示した楽曲が「HOLIDAY」という名の“永遠の夏休み”を歌っているところに青さと純粋さを感じる。直後の『NEVER END ROLL』への伏線にもなる、ストレートなギターロックだ。
KiliKiliVilla コンピレーション Vol.1「WHILE WE’ RE DEAD.」 Burger Records Edition(2016年6月・コンピレーション)
結成当時からのドラマー、シャーク安江の脱退決定後に制作された作品。素直にGEZANの起点であろう、THE BLUE HEARTSや銀杏BOYZの系譜を感じる「wasted youth」のようなバンドアンサンブルが清々しい。まるでドキュメント、青さや甘さもセンチメンタルも隠さない「blue hour」や「END ROLL」のような楽曲が彼らの根底にある不器用で素直なありのままを抽出し、心を揺さぶるのだ。
NEVER END ROLL(2016年・3th)
全感覚祭の主題“持ってちゃいけない感情なんてない”というマインドが、「忘炎」冒頭の叫びとなって怒りや悲しみをも肯定する。アルバムを通じて繰り返されるシャウトと、パンクとヒップホップを掛け合わせる楽曲が、感情と音楽をダイレクトに繋いでいくようだ。根源にあるのは、「DNA」で歌われる“みんな幸せになってもいい”という思い。もちろんその幸せは与えられるのではなく、自身で思考し行動した先にあるのだけれど。
Silence Will Speak(2018年・4th)
13曲のクレジットがあるものの、43分2秒の一作品のようにシームレスに進行していく本作は、現代のプロモーションや流通にも抗っている。ミックス・エンジニア内田直之を迎えたダブのリズムは、音楽の根源にある人間の鼓動を取り戻す試みのよう。リード曲「東京」の鋭利で包み込むような言葉が、その奥深くに染みていく。この作品は極めて社会的であると見せかけて、各々が自身に向かって問いかける時間を共有させてくれる。
狂(KLUE)(2020年・5th)

GENERATIONS from EXILE TRIBE
日高 愛

あの日の少年から、未来を生きる子どもたちへ

GENERATIONS from EXILE TRIBE(以下、GENERATIONS)について、なるべく多くの人に伝わるように説明するとしたら“EXILE一門で、三代目J SOUL BROTHERSの後輩グループ”だ。
そして音楽グループとしての彼らのパフォーマンスを一言で表現するならば、“少年”。かつて少年だった頃の自分達を心の中に住まわせ、同時に未来へ希望を抱く次世代の少年少女達に向け、彼らは歌い踊る。そのあり方を“子ども向け”と呼ぶと稚拙なもののように聞こえるかもしれないが、それはイコール“子ども騙し”ではない。何故なら彼らの真髄は、各人の高いパフォーマンススキルと真摯なエンタテインメント精神によって作られるライブのステージにあるからだ。

直近のアルバム『SHONEN CHRONICLE』とそれを引っ提げてのツアーは、そんな彼らの思いが最も色濃い形で結実した内容であった。「DREAMERS」「EXPerience Greatness」といった若者へ向けたエールソングを中心に置いたセットリストや、子どものラクガキのようにカラフルで少し不気味さもあるコンセプトアートを多用した映像、キッズダンサー達とのコラボレーション、そして様々な視覚的アプローチを仕掛けたアトラクションの如きソロダンスショーケース。特に、無音の会場内にけたたましくストンプの音を響かせ、肉声で客席を煽り、身体のみでドームの観客へ挑んだ佐野玲於のパフォーマンスは非常に鮮烈かつ情熱的であった。

このライブでは終盤に「少年」というバラードが歌われる。夢を追いかけた少年時代から今に至るまでの道のりを振り返り、決意を新たにするというストーリーを持つ楽曲「少年」。そう、この曲で歌われているスタンスこそが、彼らの表現の根幹を支えているのだ。さらに言えば、GENERATIONSが幅広い世代のファンに愛されている理由もそこにある。

2020年、緊急事態宣言を受け5月に急遽デジタルリリースされた「You & I」という楽曲がある。自分達のファンへの思いを込めて作られたこの曲は、奇しくもコロナ禍の世に放たれたことにより、彼らにとって非常に重要な一作となった。

彼らの楽曲にメロディックかつエモーショナルなEDMが多いのは、その瑞々しいサウンドが2人の歌声を特に表情豊かに輝かせることができるからで、この「You & I」もその例の一つである。シンプルなコード進行に乗せ、数原龍友のクリアで抜けのよい高音と片寄涼太の甘く儚げに響く低音、そしてそのハーモニーとユニゾンが深いリバーヴの中で響き渡る。少しずつ感情の波を高めていくような2人の掛け合いは、サビに至るとオクターヴユニゾンになり、大海に辿り着いたかのように優しい音色に受け止められていく。

ただし、その音色の中で綴られているのは、無謀と言っていいほどに強大で無差別的な愛だ。詞には“愛”という言葉こそ出てこないが〈一瞬交差した視線で撃ち抜かれて/微かに触れた指で熱くなって〉と、人と人との間で少しずつ思いが積み重なる様子が描かれ、やがてそれは〈例えば明日地球が終わって/すべて消えてなくなっても(中略)君がいるならそれでいい〉と、目に映るもの全てを埋め尽くすほどに強いものになっていく。これほどの大それた感情表現やサビで繰り返される〈一つになろう〉というメッセージは、ともすれば綺麗事、もしくはやはり子ども騙しのように聴こえてしまうかもしれない。だが、この強大なメッセージをあくまでポップスとして衒い無く鮮やかにパフォーマンスで色付けし、多くの人の心へと届けられるのがGENERATIONSというグループなのである。何故なら、表現者としての彼らはいつでも無謀で広大な夢を見る少年だからだ。
MV等でも見ることができる「You & I」のダンスパフォーマンスは、詞の中にある感情のグラデーションを立体的かつ具体的に表現しながらも、あくまで整然としていて無駄な動きがない。それでいて、メンバーそれぞれの時に力強く時に優しく穏やかな表情、指先まで祈りを込めるように研ぎ澄ました動きには、彼らの演者としての覚悟や受け手に対する真摯な思いがしっかりと垣間見える。2020年から今年にかけて様々な場所で演じられた「You & I」は多くの人の心へ届き、『紅白歌合戦』のステージでも歌われ、名実ともに彼らのポップネスを象徴する楽曲となった。

それぞれの音楽的ルーツはロックやヒップホップ、R&Bなど様々である彼らだが、こうしてポップミュージックの領域で勝負し続けていることにもまた“少年”たる彼らの思いがあるように感じられてならない。無論、ポップアーティストとしての人気を獲得し続ける活動も、単なる子ども騙しでは務まらない。彼らはただひたすらに全力であり続ける、一流のエンターテイナーなのだ。

GENERATIONSのライブがつくる、未来へ向けた“繋がり”について

それぞれに俳優やTVタレントとしても年々活動の幅を広げている彼らだが、先にも記した通り、表現者としての真髄はそのライブステージにある。ここでは、そんな彼らが数々のライブの中で取り組んできたこと、そしてそこから生まれた3つの“繋がり”について紹介していきたい。

1.一般の高校生を、ドームのステージへ
GENERATIONSは、2017年から放送されている冠レギュラー番組「GENERATIONS高校TV」(AbemaTV)を通じて日本各地の高校へ訪問し、現役高校生と交流を重ねてきた。過去には番組主催の高校生ダンス大会『全国青春ダンスカップ』の三度にわたる開催、ドーム公演における高校生ダンスチームとのコラボレーション企画なども行われており、この番組での活動展開を通して彼らは「人生の分岐点となる時期にある高校生の夢を応援したい」という思いを強めていった。

そうした彼らの思いと番組のコンセプトを踏まえ、2019年8月から開催された五大ドームツアー『GENERATIONS LIVE TOUR 2019 “少年クロニクル”』と連動した企画としてメンバー自ら発案し実現したのが、全国の高校の合唱部員らとコラボレーションによる「少年」の合唱であった。ツアー初日の札幌ドーム公演では、札幌の高校に在籍する合唱部員80名以上が参加。その模様は参加校へのサプライズ訪問の様子も含めて、番組内で放送された。また、その後の公演でも各開催地にある高校の合唱部員が参加しており、ドーム公演のバックコーラスという大役を務めた。

多くが進路選択の直前の最中にある高校生達にとって、ドーム公演規模の“モノづくりの現場”に参加する体験は計り知れないほど貴重かつ大きなものであったと思われる。現在はコロナ禍という状況もあり番組による高校訪問などは行われていないが、彼らの働きによって輝かしく才能を芽吹かせた若者達が大きな花を咲かせることもあるかもしれない。かつてEXILEに夢と憧れを抱いたメンバー達が、競争と苦難を乗り越えGENERATIONSとして花開いたように。

2.ライブステージを通したダンス文化への貢献

前段の高校生ダンスチームとの交流もその例の一つと言えるが、GENERATIONSを含めLDH所属アーティストは国内のダンス文化と共栄してきたという経緯もあり、各グループとも恒常的に日本のダンサーと広く連携、コラボレーションを行っている。

主なところとしてまず名前が挙がるのは、“クランプ”というダンスジャンルの日本国内における先駆者的存在であるダンスチーム「Twiggz Fam」と「RAG POUND」だ。というのも、LDHにはクランプを主な得意ジャンルとするダンサーが多数在籍しているが、現状その多くがこの2チームから輩出されているのである。GENERATIONSでは関口メンディーと佐野玲於がそれにあたり、この2人はデビュー後もTwiggz Famの一員として国内のクランプの大会にゲスト参加するなどしている。また一方で、Twiggz FamメンバーがGENERATIONSのツアーに参加することも多く、双方に密接な関係を継続していることが伺える。その他にも、ドームなどの大規模公演にはいくつかのダンスチームの協力が欠かせないため、この共存共栄の関係性はLDH全体で重んじられているところである。なお最近では関係の深いダンスチームやユニットとアーティストによるダンス動画の公開が活発であり、中でもGENERATIONSの中務裕太はYouTube上で積極的にコラボレーションを行っている。

また、彼らのダンス文化への貢献といえば、LDHが2003年に開校したダンススクール「EXPG STUDIO」との関わりについても語るべきところである。全国各地にあるEXPG STUDIOから選ばれた生徒達がLDHアーティストのツアーに参加・帯同するのは一つの通例となっており、GENERATIONSのツアーにもこれまで多数のEXPG生が参加してきた。特に2017年のアリーナツアーと2018年のドームツアーに関しては、現在ではダンス&ボーカルグループ「FANTASTICS from EXILE TRIBE」として活動しているFANTASTICSがサポートメンバーとして帯同していたことがよく知られている。このように、ライブのステージにおけるプロダンサーとの連携、そして次世代ダンサーの育成という“横”と“縦”の繋がりによるダンス文化への貢献も、GENERATIONSの活動が担ってきた重要な要素である。

3.無観客配信ライブ『LIVE×ONLINE』が繋いだ、リスナーと共に生きる未来

2020年6月、LDH JAPANは新型コロナウイルス感染拡大の影響による自粛要請を受け年内に開催が予定されていた全168公演(未公表含めると全334公演)の中止を発表。本来は4月から開催予定であったGENERATIONSのドームツアーも、全6公演が取り止められた。しかしその後の対応は早く、7月にはLDHアーティストが日替わりで登場する配信ライブ『LIVE×ONLINE』が初開催される運びとなった。それ以降、同ライブシリーズは2020年末までに不定期開催されたのだが、映像配信という条件下において彼らがいかにして“特別な一夜”を演出してきたのか。その取り組みについて最後に紹介していきたい。

まず、そのクオリティの高さにより反響を得たのは「One in a million-奇跡の夜に-」ミュージックビデオの完全再現だ。ある男女カップルの物語を描いた同MVは、一人の女性に対する相手役をメンバー全員が入れ替わりながら演じており、それを人混みや物陰、カメラアングルなどを利用しながらワンカットで撮影するという手法がとられている。そこで、10月に開催された『LIVE×ONLINE INFINITY "HALLOWEEN"』ではMVに出演した俳優・見上愛も特別参加し、そのワンカット映像を忠実に再現。失敗の許されないチームプレイを要する演出であったが、余分な人物を一切写りこませることなく無事成功し、視聴者を大いに沸かせた。

また、この『LIVE×ONLINE』シリーズではリモート映像でのコラボレーションも特徴の一つとなっているのだが、GENERATIONSはそこで全国の高校生達のコーラス映像とコラボし「少年」の合唱を再度実現した。かけがえのない学生生活にも容赦なく災禍が降りかかった2020年、少しでも思い出が増やせるようにと「少年」のコラボが採用されたのは、何とも彼ららしい計らいであった。

なお、この『LIVE×ONLINE』の全ての回で必ず演じられてきたのが、2020年の彼らを象徴する楽曲「You & I」である。様々に趣向を凝らしたライブの中でも、「You & I」には彼ら以外に何のセットも無いシンプルなステージが必ず用意され、時にはファンと繋いだリモート映像、また時には抜けるような青空の映像とともに、いずれも思いを強く込めた熱いパフォーマンスが届けられた。さらに、年末に行われた『LIVE×ONLINE BEYOND THE BORDER』では、曲が始まる前に特別なコメントVTRが流され「(『You & I』は)ファンの皆さんが、改めて僕たちの希望であることに気づかせてくれた楽曲です(中務裕太)」など、この曲にかける一人一人の思いが語られるという場面もあった。これらの演出から読み取れるのは、同じ空間を共有するライブが実現できなかった2020年の彼らが、配信ライブと「You & I」を通して聴き手の心と全身全霊で繋がろうとしていたことだ。

そのポップさと温かなメッセージ、そして真摯なパフォーマンスにより、多くのファンから愛される一曲となった「You & I」。ただその一方で、コロナ禍により表現の機会の多くが失われた彼らにとっても、この「You & I」に込めたファンへの思いと『LIVE×ONLINE』という“繋がり”の場は、一つの大きな支えであり希望となっていたのだろう。

そして、この『LIVE×ONLINE』における彼らの取り組みは、その後のリアルライブの現場にも還元された。2021年5月から全6公演にわたり開催された有観客アリーナライブ『GENERATIONS LIVE×OFFLINE "Loading..."』では、前年『LIVE×ONLINE』で行われた演出とセットリストのいくつかが、新たなアレンジとともに組み合わされて再演された。開催の都度、一夜限りの内容で作られてきた『LIVE×ONLINE』は、近年あまり披露されていなかった楽曲がセットリストに上ってくる点も好評を得ていたため、それもまたリアルライブのパフォーマンス刷新に繋がったと考えられる。筆者も大阪城ホールの最終日に参加したが、一年のあいだ画面で観てきたパフォーマンスの数々が改めて目の前で再現されていく光景には、得も言われぬ感動があった。

今後のライブ活動についてはまだ発表されていないが、彼らの次なるステージにも希望を抱かずにはいられない。エンタテインメントの力を実直に信じて投げかけられる彼らのライブ表現は、これからも多くの人々に希望と感動をもたらし、それぞれの未来を繋いでいくのだろう。

「ANIMAL」「HOT SHOT」などライブを意識したパワフルなダンスポップと「今、風になって」などEXILEの色を踏襲したJポップソングが主であり、前者で若手グループとしての勢い、後者でEXILE一門としての印象付けがなされている。主に数原が基盤を作っているツインボーカルの声はそれぞれ現在よりもかなりアッパーな印象で、先輩グループとの差別化を意識しつつスタイルを模索している様子が伺える。
『GENERATIONS』(2013年11月13日発売)
同年の国内では「ULTRA JAPAN」初開催や三代目JSB「R.Y.U.S.E.I.」の大ヒットなどもあり、豪華なアレンジが増加した。特に「Sing it Loud」ではメロディアスなビッグルームサウンドとツインボーカルの親和性の高さを証明。ポップソングも一層華やかになり「Always With You」や「NEVER LET YOU GO」は根強い人気を誇る。グループの方向性を決定づけた一作。
『GENERATION EX』(2015年2月18日発売)
ヒット曲「AGEHA」や「Evergreen」、ダブステップを取り入れた「TRANSFORM」などの良曲により、当初から追求してきたスタイルが一つの完成形を見せた一作。アニメ『ONE PIECE』の主題歌になった8ビートのポップロック「Hard Knock Days」や「Gimme!」「LOADSTAR」などのクールなヒップホップチューンもあり、ボーカルのパート構成と歌唱表現の幅が大きく広がった。
『SPEEDSTER』(2016年3月2日発売)
知名度の上昇に伴い、幅広い世代に親しまれるJポップの表現を深めた作品。同時に「太陽も月も」「Stupid~真っ赤なブレスレット~」などシリアスで激しいロックナンバーが増加。片寄が作詞を担当した「Pray」、数原が作詞した「NEXT」はそれぞれ真摯なメッセージソングとしてライブの現場で多くの感動を呼んだ。四つ打ちポップス「Togetherness」の爽快なファルセットなど、歌声もさらに洗練。
『涙を流せないピエロは太陽も月もない空を見上げた』(2017年7月5日発売)
「F.L.Y. BOYS F.L.Y. GIRLS」「G-ENERGY」などアッパーな楽曲はさらにポップかつグルーヴィーに革新され、2ステップガラージが基調の「One in a Million-奇跡の夜に-」ではリズミカルな歌唱が調和した良質なJポップを実現。全英語詞のバラード「Control Myself」など海外志向の楽曲も収録。2度のドームツアーを経たグループの技術の蓄積と進化を示した。
『SHONEN CHRONICLE』(2019年11月21日発売)

東京事変
曽我美 なつめ

セルフストリーテラー・東京事変のこれまでとこれから

東京事変のこれまでの歩みを振り返った際、その歴史については「実によくできた脚本(シナリオ)だ」と言う他ない。結成から8年足らずの活動、電撃解散。その後活動期間を越える年月を経ての歴史的再結成、活動再開。本来ならば祝祭一色となるはずだったオリンピックイヤーを襲ったウイルスの件を含め、様々な予想外の展開はあったに違いない。それでもなおこの東京事変というバンドの変遷は、実によく練られた演出・脚本を以てしてその軌跡を紡いでいる。
思い返せば2004年の結成時から一度大きなメンバーチェンジを経てなお、彼らのリリース作品は一貫して「テレビチャンネル」のコンセプトを守り抜き、普遍的な軸を据えつつもバンドは音源毎に様々な試行錯誤を重ね常に変化し続けてきた。
特にギター・浮雲、キーボード・伊澤一葉が加入した第二期東京事変以降に、バンドの風向きが大きく変わった事は疑いようのない事実だろう。この転換点によって東京事変は「ソロシンガー・椎名林檎の表現の幅を広げるプロジェクト」から、「業界屈指のプロプレイヤー達によるドリームチーム」へと舵を切る。その後もドラマ主題歌・CMタイアップやオリコンチャート1位獲得などの業界実績を残し、大衆的アーティストとしての知名度も徐々に獲得。一方で各メンバーごとの独自色の強い音楽的素養のあるバックグラウンドも保持し続け、その唯一無二性を獲得するバンドにまで大きく成長したのである。
結果5thアルバム『大発見』で自身の成熟しきった最大値のポテンシャルを華々しく披露し、ひとつのバンドの完成形としての地位を確立した彼ら。その直後に業界を激震させた急転直下の解散発表からの、僅か1ヵ月半での鮮やかな幕引き。奇しくも2月29日、四年に一度の閏日をバンドのメモリアルデーとして鮮烈に印象付け、徹頭徹尾大衆を魅了したまま彼らが表舞台から忽然と姿を消した事は、大勢の音楽ファンにとってもはや周知の事実だろう。

その後(既存音源の再録リリース等はあったものの)約8年間「東京事変」としての沈黙を守り抜き、去る2020年年始、オリンピックイヤー開幕直後に届いた再結成の祝砲。この一報が音楽業界へもたらしたインパクトの大きさには、単純に再始動を喜ぶ声と同時に多くのファンの「期待通りの展開」に追従する歓喜があったに違いない。
2012年2月29日、彼らは確かに「活動休止」ではなく「解散」と銘打って東京事変の歴史を終わらせた。だが2013年に2020年東京五輪が決定し、2017年に椎名林檎が五輪の式典プランニングチームメンバーに就任。その前後のタイミングには椎名林檎のソロ活動において、東京事変のメンバーが予告なく彼女のバックミュージシャンを務めたり音源に参加したり。予兆、ないしは後から思えば伏線だったと思わざるを得ない出来事が頻発していたのも事実である。
とは言え最近でこそ珍しくない話ではあるものの、「解散」とまで言い切ったバンドの再始動が容易でない事は常識中の常識だ。あまつさえ彼らは言わば、どこまでもいい意味で「意識の高い」東京事変、椎名林檎である。けれどこれらの事象からバンドを愛していたフリークからすれば、再結成の可能性は一縷の望み程度の希望だったが決してゼロではなかった。同時に椎名林檎というアーティストの仕事ぶりを長年見て「彼女がもし東京事変について何某かを仕掛けるなら、間違いなく以前の時のように細部まで拘ったシナリオを以て活動を組み立てるはず」という期待にも似た予想を抱えていた諸兄も少なくなかったはずである。
その結果のオリンピックイヤー・2020年年始の再結成、同年2月29日の復活後初ライブ。ある意味ファンが各々描いていた青写真との答え合わせがここで行われ、大多数のファンが確信したくともしきれなかった未来予想図を。東京事変は再び、鮮やかに描き始めてくれた、というわけである。

 では活動再開の今、東京事変というバンドの次なるヒストリーの脚本はどう展開されるのか。6月9日に6thアルバム『音楽』をリリースした彼らだが、特筆すべきはこれまでに音楽業界としても例を見ないプロモーションである。結成時から一貫して「テレビチャンネル」を作品に冠し続けてきた彼らが、そもそもメディア露出を積極的にするバンドでもなかったというのに、今回次々に実際のテうレビ番組をジャックして出演していくではないか。
前作の『大発見』では音源ないしライブパフォーマンスのクオリティにおいて、彼らはバンドとしてのエンターテインメントのひとつの完成形となった。さらに華麗に復活を遂げた此度、ついに「バンドや音楽の枠を越えたエンターテインメントを提供するプロジェクトチーム」へと変遷し始めているように見える。アーティストであると同時に、あまりにも優秀なセルフストーリーテラーである東京事変。未だ先行きの見えないこの世界で、彼らはこれからどのような脚本を紡いでいくのだろう。

プロミュージシャン集団・東京事変──各メンバーの音楽的真髄を知るべし

 2020年の復活を遂げた今、メンバー全員が音楽業界で幅広い活躍を見せるプロミュージシャン集団となった東京事変。いわゆる音楽フリークからすれば後にも先にもない唯一無二のドリームチームである彼らだが、依然としてその象徴足る存在はフロントに佇む椎名林檎その人である。
 しかし彼らの事を知れば知るほど、東京事変というバンドが「椎名林檎のバックミュージシャン」ではなく、「椎名林檎と同等の音楽的センスを兼ね備えたプロ集団」であることが分かるだろう。そこで今回は各メンバーがこの東京事変というバンドで、どのようにその才を輝かせているのか。各々の真髄が光るバンドでのプレイや作詞作曲といった一面を、1人1曲ずつご紹介しよう。

■椎名林檎『空が鳴っている』
 椎名林檎の詞といえば旧仮名遣いや独特の日本語表現が一見目を引きがちだが、彼女の真価はそこではない。真の魅力は所謂「殺し文句」である言葉が当てはめられるべき場所に当てはめられた瞬間、そこに生まれるカタルシスにあるのではないだろうか。
 それが最も顕著に現れているのが、この『空が鳴っている』。本楽曲サビの最後のボーカルオンリーのフレーズは、椎名からのオーダーで亀田が意図的に楽器陣の音を抜いている。とっておきを置くはずだから、という自身の言葉通り、曲を作った亀田も思わず感服するほどの殺し文句を。彼女は見事、この箇所に書き記したのだ。
 さらに特筆するならば、歌詞全体を通しても楽曲最後のリリックとなる「あきらめさせて」という表現の妙には唸るしかない。本来であれば自主的、ないしは主体的な「諦める」動作を他者に委ねたこの表現。けれど元来何かを諦める事の本質はあまりにも大きな未練や執着を断ち切るもので、己の中でそこまで肥大した感情を自分一人で片付けるのは確かに到底容易ではない。それでもその感情を葬らなければならないと、何かに縋るような切実さすら孕むこの一言。何かを諦める事の本質をここまで極めた解像度を乗せたこの殺し文句には、非常に端的かつ鮮明に彼女の詞の魅力が凝縮されているように思う。

■浮雲『OSCA』
 現在は星野源のバックミュージシャンとしても、大勢に知られる存在の長岡亮介こと浮雲。文字通り雲のように掴みどころのない、飄々とした彼の魅力である気まぐれさやお茶目さ。それが度々光るのがこの『OSCA』での、たった1小節、4拍のギターソロである。
 本曲にはイントロからAメロへ入る所に、各楽器陣が1小節ずつソロ回しを行うフレーズが登場する。曲全体を通し2度登場するこのソロだが、様々なライブで1回目は皆音源通りプレイし、2回目は各々音源とは全く異なるプレイをするのが定石だ。なかでも浮雲はこの箇所でライブ毎に全く違うフレーズを弾くことに加え、たった1小節、4拍しかないここに、時折「多くの人がどこかで聞いた事のあるフレーズ」を織り込んでくる。
Aerosmithの『Walk This Way』やJeff Newmann And His Orchestra『Positive Force』(『朝まで生テレビ』のオープニングだ)のイントロなど。たった一瞬、ほんの1小節からも大勢のファンをニヤリとさせる遊び心を垣間見せるこのプレイ。そんなお茶目さを滲ませる演奏で、益々ファンは彼のギターから目が離せなくなってしまうのだ。

■伊澤一葉『永遠の不在証明』
 細美武士率いるthe HIATUSのメンバーでもある伊澤一葉。先述の浮雲のようにメディア露出こそ少ないものの、米津玄師やaiko、大橋トリオや吉澤嘉代子等の錚々たるアーティストのバック・レコーディングメンバーとして、幅広く活躍するプレイヤーでもある。同業者のキーボーディストからの尊敬も厚く、特に東京事変での彼の独壇場とも呼べるピアノソロは通称・スーパーイザワタイムと呼ばれることも。会場の空気を全て掻っ攫うダイナミクス溢れるプレイは、大勢のファンからも熱い支持を得ているのである。
 そんな彼の真髄が見られる曲の中でも今回特筆したいのが、『永遠の不在証明』におけるピアノソロだ。そもそもの曲の立ち位置として、約8年ぶりに復活した東京事変初のタイアップ(しかも国民的アニメ映画の主題歌)で、言わばバンド再始動の号砲とも呼べる本曲。その構成もまさしく非常に東京事変的なトリッキーさを以て作られており、楽曲が一度クローズしたと見せかけ一瞬のブレイクの後に始まるのが好事家お待ちかね、実に8年振りのスーパーイザワタイム、というわけである。
リスナーの胸倉を思い切り掴む濁ったピアノの低不協和音からの軽やかな跳ねのシャッフルに乗るメロディ。ギターのサウンドと絡み合い、縺れ込むように一抹の不穏さを残したまま真の曲のエンドへと向かっていくプレイはまさに圧巻の一言に尽きる。

■亀田誠治『金魚の箱』
 今やプレイヤーとしてだけでなく、プロデューサーとしても人気の亀田誠治。ヒットメーカーとして様々な人気曲を手掛ける彼の、東京事変のベーシストとしてのプレイが光るのがこの『金魚の箱』である。
 元々彼のサウンドの魅力として語られることの多い歪みだが、その片鱗はこの曲の全体を通して刻まれているベースラインからも十分に感じ取ることができるだろう。ベースサウンドとしては攻撃的な音でありながらも、楽曲全体としてはポップ且つ軽やかな楽曲であることもポイントが高い。
 さらに特筆すべきは、ギターソロの箇所におけるベースとしてはかなり変則的なフレーズ。聞いていて耳にかなりの心地よさを感じるギターのハモリの裏で、敢えて刻みに徹さずベースもギターに近い高音域で動きのある特徴的フレーズを歌い上げている。通常であればこの流れはバンド全体の低音域を大きく欠く動きでもあり、絶対的なメロディラインや盤石な音の地盤が無ければ忽ちバランスの崩壊に繋がるかなりリスキーな動きだ。しかしこの曲に関していえばそのプレイがあるからこそ、直後のベースの歪みを持たせた響きやスタンダードなリズムがより引き立つというもの。そんな駆け引きの効いたプレイは大衆音楽の最前線からニッチなシーンまで、幅広い世界を知る亀田のベースだからこそ為せる業と言っても過言ではないだろう。

■刄田綴色『ほんとのところ』
 東京事変解散後の活動としては、やはり刄田綴色のイメージはRADWIMPSのサポートドラマーとしての働きっぷりの印象が強い人も多いであろう。加えて、今や日本の音楽業界の最前線を走るKing Gnu、そしてOfficial髭男dism。この両バンドのドラマー2人共から共通して強くリスペクトされている点からも、彼がいかに唯一無二の強烈な個性を放つドラマーであるかをうかがい知ることができるのではないだろうか。
 そんな刄田のドラムプレイの基盤の一つには、自身の生まれ育った町・島根で彼が幼い頃から親しんできた石見神楽の舞が深く根付いている。太鼓の音に合わせ、その土地で古くから伝承されてきた神楽舞。そのリズムや体感拍がいわゆる日本ネイティブな独特の拍感やいい意味での土着感の音頭をもたらし、結果彼のドラムサウンドにそれらが刻み込まれる形となっているように思う。
 刄田が東京事変のバンドキャリアで初めて作詞作曲を担当した『ほんとのところ』は、そんな彼のルーツが非常に色濃く滲み出ている楽曲だ。各メンバー作詞作曲の曲を1つずつ収録したアルバム『ニュース』の中でも、一際異彩を放つ本曲。しかしその異彩さは東京事変と言うバンドに於いては、全員が対等なプロ集団であるからこそ非常に大きなウェイトを占める是として構成される。事実この曲はアルバム制作作業中のスタジオで何度も繰り返し流されるほど、メンバー全員のお気に入り曲として当時認定されているのだ。

一期をネオ椎名林檎プロジェクトと評するのであれば、確かに今作こそ東京事変というバンドの初作品と呼んでも過言ではないだろう。彼らの作の中でも、特にサウンドの緻密さや綿密な計算の元組み立てられたバンドアンサンブルが光る一作。2012年の解散時に明かされた「今作のレコーディング数日前にバンド加入が決まった」という浮雲のエピソードもまた、彼自身の底知れぬ能力やこのアルバムの魅力をより深い物にしてくれている。
『大人』(アルバム/2006年)
今作を以てして、東京事変というバンドは一度「完成」した。見目も美しくトラックリストに整然と並ぶ数々のタイアップ曲、見事に華やかさと静謐さの緩急が付けられたアルバムとしての曲展開。さらにライブで細部に渡って施される、楽曲の魅力を視覚的にも引き出した演出。それは彼らがバンドというパフォーマンススタイルで実現できる最上級のエンターテイメントショーを提供するチームとして、成熟しきった何よりの証だった。
『大発見』(アルバム/2011年)
東京事変というバンドの「終わり」を示唆するのに、これほどまでに効果的な表現は他に類を見ないだろう。彼らの放送終了=活動終了を決定づけた今作は、メンバー全員が作詞作曲を手掛けた曲を1つずつ収録したコンセプトアルバムというこれまでにない位置付けでもある。最後の最後まで、彼らは数多の伏線や粋で大勢のファンを喜ばせて去っていったのだ。来るX年後の「再生」時における、入念な種蒔きまできっちりとこなして。
『color bar』(アルバム/2012年)
 はたして彼らが蒔いた種は、8年後に実を結びしかと花開いた。「東京事変二〇二〇再生」の報を追うように届いた『ニュース』は、酷く既視感のある各メンバー作曲による5曲入りのコンセプトアルバムだったという訳である。かくして実に以前の活動期間をゆうに超える8年の歳月を経て、あの頃よりずっと進化した「再生装置」で鳴り始めた東京事変の新たな音楽。それを聴いた感動はまさに、筆舌に尽くし難いものであったことだろう。
『ニュース』(アルバム/2020年)
 今作から鳴る音楽は、確かに9年前一度解散したはずだった東京事変のものであり、同時に世界的な祝祭を祝い損ねた日本の令和に存在する東京事変のものでもある。空白期間にメンバー各自が築き上げた音楽家あるいはエンターテイナーの素養を下地とし、トレンドや大衆性をその唯一無二性で以て混ぜ込んだ一作。『音楽』を以てして、音楽そしてバンドの領域を超えるエンターテイメントを実現する、彼らの次なる目的地は何処。
『音楽』(アルバム/2021年)

Still Woozy
平石結香莉

この世界に不条理がある限り、それに心を痛める者がいる限り、サイケデリアは死なない。そしてサイケ・ミュージックが歩んできた道のりは、癒しと解放を求めて彷徨う人々の歴史である。
カリフォルニア州オークランド出身のSven Gamskyによるソロ・プロジェクト、Still Woozyの楽曲は、”サイケデリックなベッドルーム・ポップ”と評されることが多い。理不尽な現実に争い、愛と平和を求めたヒッピーたち、そして彼らが愛したサイケ・ミュージックの精神は、たしかに彼の楽曲の中にも脈打っている。
ヒッピー・ムーヴメント最盛期、1960年代のアメリカでは、ベトナム戦争を含む数多くの問題に起因した矛盾が社会全体を取り巻いていた。社会的な動揺に晒された若者たちはドラッグによる自己解放を求め、アメリカ西海岸を中心に自身が抱える漠然とした感情を他者と共有できるコミューンを形成し、やがてラブ&ピースや反戦思想を理念とするカウンター・カルチャーを発展させていった。サイケ・ミュージックはその一部として、音楽というツールを用いて表現されたドラッグの擬似体験であり、拡張された心象風景の投影である。
一連のヒッピー・ムーヴメントは、理不尽な社会に絶望した若者たちが、社会と自己の治癒を求めた運動であったとも言える。無意識の奥底に潜む自分自身と対峙し、不安や不満、内省的な感情を仲間と共有できる居場所があったからこそ彼らは自分自身を取り戻すことができた。同様に、うつ病をきっかけに13歳で自宅倉庫でのレコーディングを始めたSvenにとって、音楽制作は、漠然とした不安から逃れるとともに、傷ついた心を癒すために必要なプロセスであった。彼もまた、音楽を介して自身の心象風景を理解することで心の内に潜む感情と向き合い、自分自身を癒していったのである。だからこそ彼の楽曲には、多幸感、悲しみ、浮遊感、憂鬱、その感情の全てが詰まっている。Svenの語りかけるような歌声は愛しい人の頬を撫でるように繊細で、優しい声と溶け合うように響く何層にも重ねられたハーモニーは文字通り夢のような空間を生み出す。それは創造性とディテールに溢れていながら、けして無秩序でカオスな風景ではない。めくるめく音は透明度と明快さを保ったまま響き合い、そこに流れる時間は永遠にも思われるし、一瞬のようにも感じられる。それはまさに、サイケデリアの目指す、”超現実でありながら夢を見るような感覚”である。「Woozy」という言葉は、酔いが残っていたりして頭がぼんやりする状態を表すものだから、なんとも自身の音楽性を上手く表現したアーティスト名をつけたものだ。音楽によって生み出された空間には、Svenの心の中の風景と、そこに溢れる感情が体現されている。そして聴く者は、その中に自分自身の断片を見つけるだろう。それは無意識の中に浮かんでいた感情かもしれないし、忘れようとしていた思い出かもしれない。彼らは、Still Woozyの楽曲が描く景色に反映された、ありのままのSvenに自分自身の姿を重ね合わせるのだ。音楽を通して他者と繋がるその場所は、癒しを求めて彷徨う人々の拠り所であり、Svenが目指す音楽の姿そのものなのである。
彼が見つけた居場所は音楽だけではなかった。Still Woozy全作品のカヴァー・アートを手掛るアーティスト、Amiya Kahn-Tietzは、Svenの婚約者であり、楽曲制作へのインスピレーションでもある。そして、抽象的で詩的な表現が多い彼のラブソングのほとんどが彼女へと捧げられたものだ。孤独を抱えてきたSvenにとって、彼女の存在がどれだけ大切なのか、それが顕著に現れた作品のひとつに、2020年にリリースされた”Foolsong”がある。<I was ready to be alone(1人になる準備はできてたんだ)/But then she laid eyes so she wanna be a place I'mma die(でも彼女は僕を見つけて、僕の死に場所になりたいって/Laid eyes so she wanna know if I'm alright(僕が大丈夫か見ててくれたんだ)/Gotta be the softest thing I could feel(それはこれ以上ないくらい穏やかな気持ちだったんだよ)>彼にとってAmiyaはまさに安寧の地であり、彼女の深い愛はSvenが心の平和を取り戻すための大きな役割を担ってきたのである。
あなたがStill Woozyの楽曲から受け取るのはどんな感情だろうか。そのメロウで夢見心地な音の中に溶け出たものは幸せかもしれないし、痛みかもしれない。それは自分自身を救うためにもがくSvenの、そして聴く者自身の剥き出しの感情であり、これまでも、そしてこれからも多くの楽曲たちが紡いでゆくサイケデリアの歴史の1ページなのである。

ワウの効いたベースに、16ビートを刻むシンプルでレトロなドラム、それら全てを包み込むようなSven Gamskyのボーカルは、一瞬でリスナーをStill Woozy特有の懐かしくも寂しいノスタルジックな世界に引き込む。それは、残暑で気だるい晩夏にそよぐ、秋の訪れを予感させる夜風に、どこかを寂しさ覚える感覚に似ている。Sven本人が出演し、アンニュイな表情をながら独特なダンスを踊るMVも必見である。
Goodie Bag (2017年、シングル)
Still Woozy初の、そして現在唯一のEPである「Lately EP」は、彼がこれまで追及してきた、R&B、インディー・ポップ、そして電子音楽の文脈から奏られるトリッピーなサウンドの集大成とも呼べる作品である。作品を通して語られる恋人への愛には、Sven自身の脆さと表裏一体である執着と混乱が見え隠れする。それさえも愛おしいと思えるのは、彼の幸せや痛みでさえもどこか懐かしく感じるからだろう。
Lately EP (2019年、EP)
7枚目のシングルは、 それまで多かった、スローでトリッピーな曲調とは一味違った、エレクトリックなサウンドとアコースティックの絶妙な組み合わせから生まれる、アップリフティングな一曲だ。とはいえ、メロウさを残したキャッチーなメロディーは今作でも健在である。彼女(Svenの婚約者であるAmiya)の愛になす術ない自分自身を人質に、その彼女をショットガンを持って頭の中を駆け回る強盗に例えた歌詞も秀逸だ。
Window (2020年、シングル)
Still Woozyの楽曲の中でも特にエモーショナルなこの一曲は、喪失感とそれを抱えて生きる孤独を独り言のように呟く歌詞、それを穏やかながらも感傷的な息遣いで歌う声、揺れめきながらじんわりと余韻を残すハーモニーから、Sven本人の、そして人間そのものの儚く脆い一面が感じられる。それと同時に、空虚な自分から目を背けるのではなく、不完全さを認め、ありのままの自分を抱きしめて生きる強さがそこにはある。
Kenny (2021年、シングル)
2021年8月に発売される自身初のアルバムに先駆けてリリースされた今作は、コロナ禍の影響色濃く受けた作品だと言える。全体を取り巻くファンク・ポップなサウンドと、<過去に戻りたくなることもあるけど、落ち込んで、立ち上がって、それが人生でしょ?>と繰り返し歌うサビには、またいつ暗闇が訪れるかわからない正解のない物語をそれでも歩み続ける覚悟が感じられ、Still Woozy第二章の始まりを予感させる。
That’s Life (2021年、シングル)

ベッドルームから世界へ 〜繋がる新世代アーティストたち〜

アーティストStill Woozyこと、Sven Gamskyは1992年生まれの"ミレニアル世代"と呼ばれるカテゴリの一員だ。1983年頃から1995年頃までに生まれ、2000年以降に成人を迎えた世代である彼らのあとには、"Z世代"と呼ばれる、1990年後半頃から2012年頃に生まれた人々がいる。デジタルネイティブとも称されるこの二つの世代は、インターネットの普及に伴い、さまざまなテクノロジーの恩恵を受けてきた。それは音楽制作の現場でも顕著であり、宅録技術の進化に伴って、パソコン一つあれば誰でもアーティストになれる時代に突入している。自室で音楽制作し、インターネット上で発表するところまで自分だけで完結させてしまう彼らは、"ベッドルーム・プロデューサー"と呼ばれる。Svenもその1人であり、パソコンと、楽器と、小腹が空いたときの食べ物さえあれば十分だと話す。彼らが作る音楽は、同世代の若者を中心に絶大な人気を集めており、欧米を中心とした現在の音楽シーンを語るうえでの重要なキーワードとなっている。日本でも抜群の知名度を誇り、若干19歳で音楽業界での不動の地位を築き上げたBillie Eilishにとっても、彼女が注目を集めたきっかけは、13歳のときに兄Finneasと自宅の寝室で制作し、SoundCloudで公開した楽曲であった。なぜ新世代のアーティストたちはこれほどの創造性と独創性を持ち、既存の音楽スタイルをいとも簡単に壊してゆけるのか。本稿では、Still Woozyをはじめとする、テクノロジーを駆使し、自身のベッドルームから世界へと繋がる新世代アーティストたちを、彼らが特に重要視する5つの視点から紐解いてみた。

ジャンルを超えて繋がる
<自分自身の音楽を説明することができない。影響を受けた作品がたくさんある。一つの場所だけに留まるにはアイデアがありすぎて一つのジャンルに囚われたくないし、一つのことだけに制限されたくもない。やりたいこと全てが表現できるようになりたい。>Svenがそう語るように、"ベッドルーム・ポップ"というカテゴリだけではStill Woozyの音楽を語ることは到底できないだろう。それはBilie Eilishを含む他の新世代のアーティストたちも同様で、彼らは伝統的なカテゴライズなどに興味はなく、自分の表現したいサウンドのためなら従来の音楽ジャンルを軽々と飛び越えてゆく。それにはストリーミングサービスの普及が大きく寄与しているであろう。2020年にアメリカの音楽業界全体の収益のうち、83%を占めた音楽ストリーミングサービスは、リスナーがラベルに縛られることなく幅広いジャンルの音楽を吸収することを容易にした。さらに、若い世代では、ジャンルから音楽を選ぶのではなく、ムードやシチュエーションをテーマにしたプレイリストから選曲することが多い傾向にあり、Svenいわく<ジャンルというのは音楽をナビゲートするためのツールにすぎない>のである。そんな彼らにとって、さまざまなサウンドを融合させて旧来のジャンル分けに留まらないオリジナルな音楽を生み出すことはいたって自然な流れなのだ。

社会問題で繋がる
ミレニアル世代やZ世代は、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ、日本では2011年3月11日に発生した東日本大震災など、社会全体に衝撃を与え、人々の価値観を変えた出来事を目の当たりにしてきた。近年では、BLM (Black Lives Matter) 運動を通して日本でも人種差別問題への注目が高まり、また、コロナのよるパンデミックは我々の生活を一変させ、確実にパラダイムシフトを加速させてきた。SNSを通じて国内外の問題に触れる機会の多い新世代では、他の世代と比べて、これら社会問題に対する関心が高い。それは音楽を通じて社会と密接に繋がるアーティストたちも例外でなく、彼らは楽曲やSNSを通じて情報発信や意思表明をすることで連帯し、次世代を担う者としての責任感を持って社会をより良い方向へ導こうとしてきた。Svenは、政治的、文化的な動きによって社会から疎外されてきたコミュニティをサポートすることを重要視しており、黒人男性のジョージ・フロイトが白人警察官に押さえつけられ死亡した事件の際には、相手の警察官への厳しい処罰を求めるよう、SNSを通じてフォロワーたちに行動を呼びかけた。彼らに共通するのは当事者意識であり、一人一人の小さなアクションが大きな変化へと繋がることを強く自覚しているのである。

メンタルヘルスで繋がる
前項であげたような社会問題を若年期にリアルタイムで経験してきた彼らにとって、メンタルヘルスは特に大きな問題の一つである。実際に、ある調査では、アメリカに住むZ世代の37%、ミレニアル世代の35%が、自身の心の健康について治療を受けたりセラピーに行ったりしたことがあると答えている。自身の鬱をきっかけに宅録をはじめたSvenにとっても、メンタルヘルスは私生活において、そして楽曲制作においても重要なファクターである。彼の作品には漠然とした不安やアンニュイな感情を歌ったものが非常に多く、インタヴューの際には、自身の体験も含めてメンタルヘルスについて言及する場面がよくみられる。以前、楽曲を通してファンに伝えたいことは何かと訊かれた際には、<この文化において、自分自身が何者か見つけることが難しくなっている。容易に世界の重圧を背負い、疎外感を感じてしまう。自分のことをあまり深刻にとらえず、周りの人々を愛すること。(中略)私が経験してきたことを通して、それらがリスナーに伝わったら嬉しい。>そして、<人々が音楽を通じて私と繋がっていると感じられるような楽曲を作りたい。>と語っていた。Svenだけでなく数多くのアーティストが、彼ら自身が抱える鬱やパニック障害などの心の健康についてよりオープンに語るようになってきている。例えば、1994年生まれのSSWであるLauvは、長年うつ病や強迫性障害と戦ってきたことをSNSで公表しており、さらに自身の楽曲"Sαd Forever"について、この曲は彼自身が精神的に辛いときに書いたものであり、曲の全収益を世界中のメンタルケアの団体に寄付すると発表している。彼らがメンタルヘルスにあえて言及し、苦しみを分かち合うことは、これまでタブー視されることが多かった心の健康に向き合うきっかけをつくると同時に、同じように戦うたくさんの人々を救ってきたはずだ。

ジェンダー、セクシュアリティを超えて繋がる
2020年の調査では、アメリカのZ世代の6人に1人、ミレニアル世代では10人に1人が自身はLGBTQ+のコミュニティに属すると答えており、さらにその数は年々増えてきているという。日本ではまだまだ一般的ではないものの、音楽のカテゴライズのように、ジェンダーやセクシュアリティも流動的で揺れ動くものだという考え方は若い世代を中心に確実に広まっている。その認識は新世代たちのアーティストたちの中でも大きく、彼ら自身が当事者、非当事者に関わらず、差別や偏見に晒されることの多いLGBTQ+コミュニティを積極的に支えようという姿勢を見せている。SSWのConan Grayもそんなアーティストの1人である。1998年生まれの彼は、そのルックスや言動から、自身のセクシュアリティについて多くの人々から関心を寄せられてきた。それらに対して彼はSNSでこう答えている。<あなたたちは私にラベルを貼りたいだけだ。(中略)セクシュアリティやジェンダー、信仰などに対するラベルが、自分自身にとって役立つのなら私は賛成だ。でももし、あなたが他人を"小さくて便利な簡単に他人を理解するための箱"に押し込めようとしているなら、私は許さない。頼むからやめてくれ。>この意見は多くの共感を呼んだ。彼らが望むのは、ラベルによって他人を判断する社会ではなく、多様な価値観を持つ人々がありのままの状態で認められる社会なのだ。SvenがStill Woozyの楽曲に吐露する弱くて脆い剥き出しの感情も、多くのリスナーを伝統的なジェンダーの固定観念に基づく呪いから解放してきたであろう。新世代のアーティストは、どんなラベルもであったとしても、その人が何者であるかを定義することも、何をしたいかを制限することもできないということ積極的にを伝えようとしているのだ。

国境を越えて繋がる
SNSが新たな音楽体験の入り口となり、ストリーミングサービスの恩恵を受けて、他国や他言語の楽曲へのアクセスが容易になったいま、音楽のグローバル市場がアメリカやイギリスなどの英語圏のアーティストに独占される時代は終焉に向かっている。事実、2020年にSpotify上で最も再生されたアーティストは、1994年生まれでプエルトリコ出身のアーティストBad Bunnyであり、3位はコロンビア出身のレゲトンアーティストJ Balvinであった。また、日本でも高い人気を誇る韓国出身のアイドルグループBTSが、ビルボードで4週連続1位を達成し、ザ・ビートルズ以来となる最短記録を更新したことも記憶に新しい。つまり近年では、非英語圏の音楽に対する注目がかつてないほど高まっていると同時に、リスナーの他言語の楽曲に対する抵抗が小さくなってきているのだ。ディスクレヴューでも取り上げた、Still Woozy初のEP『Lately EP』に含まれる楽曲"Ipanema"は、メキシコ系アメリカ人のアーティストOmar Apolloとのコラボ作品であり、英語とスペイン語の両方で歌われたものである。また、この楽曲は60年代のボサノヴァの名曲「イパネマの娘」に強く影響を受けていて、異国感溢れるビートとStill Woozyの世界観が混ざり合った新感覚のサウンドを生み出している。新世代のアーティストが生み出す、ジャンルをかけ合わせた個性的な音作りは、このような国や文化や言語を超えた音楽体験が深く起因しているのだろう。

これまでみてきたように、新世代アーティストたちの音作り、そして同世代のリスナーとの連帯は、テクノロジー発展、そしてそれを余すことなく使いこなす彼らの創造力に支えられてきた。彼らはこれからも留まることなく進化していくだろうし、また次の世代が、私たちの想像もつかないような音楽体験を生み出してゆくだろう。本稿の終わりに、新世代を象徴するアーティストの1人であるBillie Eilishと、兄でプロデューサーを務めるFinneasの、2020年のグラミー賞で主要4部門を受賞した際のスピーチを紹介して締めくくりとする。<私たちはベッドルームで一緒に音楽を作りはじめた。いまでもそうやって作っているし、周りもそうさせてくれる。この賞はベッドルームで音楽を作り続ける全ての子供たちに捧げる。いつか君たちも同じ賞を手にするときがくるよ。>

〈岡村詩野音楽ライター講座オンライン 2021年5月期〉

2021年8月22日 発行 初版

著  者:OTOTOY
発  行:OTOTOY出版

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