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太極拳理論必携
ゆっくり動くのはなぜ?

康 偉 著
渡辺義一郎訳

CAアーカイブ出版



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  この本はタチヨミ版です。

 目 次


本書の内容について

一、太極拳のゆったり練習はなぜ? 過去と現在の変化を通して、天と人間の間を究める
1、太極拳が“決闘”でいつも負ける理由は?
2、『太極拳論』は拳術の練習には使えません
3、太極拳のゆったりとした練習は何を訓練しているのですか? ゆったりするほど敏捷になるというのはなぜですか?
4、太極拳のゆったり練習は、漸進的な変化法則の練習です
5、太極拳は性質を訓練しており、招式動作の変化を訓練しているのではありません
6、“太極操”“太極舞”“太極拳”の区别
7、太極拳と文化の関係
8、太極拳練習の三大ポイント
9、太極拳は、微小な変化を感知し制御する能力を練習するものです!
10、太極拳トレーニングの具体的要求

二、太極拳の「難しさ」と練習について
最初の難しさは「考えを変えること」です。
二番目の難しさは「何を置くか」です
三番目の難しさは「孤独に耐えること」です
4番目の難しさは「誘惑に耐える」ことです
康偉先生が太極拳について語る(康先生が会員メンバーやメル友とチャットした記録)


三、真の太極拳を求めて
1、太極功夫は“養”が出てくるか
2、太極拳の慢と快。ゆったりとした練習で敏捷性を求む
3、太極拳の「リラックス」と「リラックスして緊張しない」について
4、太極拳の“掤勁”と“不丢不頂”
5、太極拳“練意”真の意味
6、太極勁を知らない、用意不用力って何!
7、太極拳の“養生”を実践していますか?


さらに、真の太極拳を求めて
1、天機自然の運行、陰陽自然の開閉
2、“上善水のごとし”に太極を見る
3、太極の動静を論ず―帰根を静といい、自然の法則を知るを明という
4、「各関節が次々と動き、全身一体となる」の分析


四、太極六式基本功を学ぼう!!
太極六式基本功法 動作
太極六式基本功法 原理によせて 天地と人間
康偉先生紹介:

*本文中の(カッコ)*○△□:での記入のほとんどは、訳者による注記である。
 *本書日本語版の発行は、康偉先生のご許可を得て、
  CAアーカイブ出版が翻訳出版をしたものです。
  2021年10月20日 ©CAアーカイブ出版

本書の内容について

 本書は、中国北京の著名な太極拳家・康偉(カンウェイ、こうい)先生が書かれた本で、太極拳理論を解りやすく紹介した内容である。このような太極拳理論を中心とした本は、中国でも少なく、日本ではほとんど見たことがない。
 太極拳を練習する多くの人が、感じているいくつかの疑問は、
 ・太極拳のゆったりとした練習は何を訓練しているのだろうか?
 ・太極拳は武術というが、こんな動作の遅い練習法で、闘えるのだろうか?
 ・太極拳練習での基本要求である “練意不練力”(意識を鍛えるが力は鍛えない)は、そんなことができるのだろうか?
 ・太極拳は健康法として、非常に優れているというが、その理由は何か?
このように、いくつも出てくるのである。

 康偉先生はいっています。「太極拳は、緩慢、柔和、連続性、柔中に剛を寓す……等々が特徴であるといわれています。なぜこの特徴があるか解りますか? 太極拳の練習がゆったりなのはなぜですか? このなぜ、何なのかを考え、その理由を知る必要があります。
 太極拳のゆったりとした練習は、微小な変化を感知、掌握、制御する能力を養うことなのです。」
 「なるほど!」とこの言葉を聞いて思ったものの、その具体的な練習法や、理論はいったいどのようなものであろうか、と考え込んでしまう人が多いのも、現実なのである。

 康偉先生は太極拳の修練は40年以上に及び、さらに太極拳の動作とその法則、理論を中国の古典籍―『易経』(周易)、老子『道徳経』、漢方医学最古の書『黄帝内経』などに求め、研究、実践すること20年以上になるという。
 その結果、現代の太極拳は、創生されてから連綿と受け継がれてきた太極拳とはかなりの違いがあることに気付き、太極拳の源流探索に眼を向けることになる。
 武術である太極拳と中国の古典籍は何の関係があるのか? と感じた方もいるだろう。実際、陳氏太極拳第八代伝人・陳鑫(1849年~1929年)の『陳氏太極拳図説』(1933年発行)を見ると、この書の巻頭から、47ページまで、太極拳のいかなる動作・姿勢も話題にしていない。ずっと『易経』など古典籍にでてくる、河図、洛書、両儀、四象、五行、八卦、地支……などについて述べているのである。
 なぜなのか? それが本書で語られる主な内容である。
 康偉先生はいう「私たちは陳鑫が『陳氏太極拳図説』の中で、『易経』の知識を本の巻頭に置いた理由を理解することができます。彼は私たちにまず初めに、太極拳の道理をはっきりさせ、それから拳の練習は、みなこれらの原則に従って変化運行していることを教えているのです。そうでなければ太極拳の “純粋な自然、陰と陽の共存”は空論となり、一生懸命に練習しても、太極拳の本原に反するだけであり、太極拳のさまざまな効果は当然問題外となってしまうのです。」
 多くの太極拳愛好者が感じてきた想い、疑問、誤解等々は本書によって明らかになると思われます。そして太極拳への“新発見”をされることでしょう。それはまた、あなたを増々、真の太極拳愛好者にしてくれることでしょう。
                              (訳者識)

一、太極拳のゆったり練習はなぜ?
 過去と現在の変化を通して、天と人間の間を究める

康偉先生との対話
 陳式太極拳の達人である康偉先生は、現在、北京太極山荘文化研究会の副主席を務めています。 彼は幼いときから武術を習い、系統的に太極拳と推手を修練し、30数年になります。また『周易』『道德経』『中庸』などの中国伝統文化理論を体系的に研究し、これを指導に用い、伝統太極拳理論の詳細な研究と分析を行いました。太極拳の修練と推手実践にそれらを取り入れています。
 康偉先生は、「中華武術大学堂」という武術研究・普及・広報組織で、太極拳理論と実践セミナーの主任講師を歴任し、太極拳理論の素養が深く、太極功夫に精通しており、太極拳ファンから高い評価を得ています。新年の初めに、「中華武術」雑誌の記者は康偉先生にインタビューし、中国の伝統文化、太極拳理論と実践、その他の問題について詳細な議論を行いました。

1、太極拳が“決闘”でいつも負ける理由は?

記者:太極拳が“約架”(決闘で問題を解決すること)でいつも負ける理由は? かつて太極拳と現代の格闘技の武術試合、あるいは“約架”(決闘)は全国にセンセーションを巻き起こし、海外にも伝えられました。それは、1950年代初頭のマカオでの武術試合の実写映画公開の影響に劣りません。“陳呉比武”(香港での擂台試合で、呉式太極拳の達人である呉公儀と白鶴派の陳克夫の対決。)で、しばらくの間、太極拳は嵐の頂点に追いやられました。
 現在、中国の武術界は以前の落ち着きを取り戻してきましたが、試合を巡る話題はまだ決着していません。中国の伝統文化である太極拳の真髄については、深く考えなければなりません。太極拳はいったい闘えるのかどうか、太極拳がフィットネスを発揮できるのかどうか、太極拳に神功の絶技があるのかどうかなどは別として、他の多くのレベル問題があります。私たちは太極拳の文化的な意味合いを探求したいと思いますし、そして太極拳は正確に何を実践しているのかを探りたいと思います。
康偉:あなたの質問はとても良いテーマだと思います。 確かに今、私たちのほとんどは、盲目的に太極拳を練習し、多くの套路を学び、多くの動作をしていますが、彼らは何を練習しているのか判りません。 たとえば、太極拳は中国の伝統文化だといいますが、太極拳に含まれる文化が、これらの套路にどのように反映されているかを教えてくださいといっても、 ほとんどの人はこの質問に答えることができません。
記者:確かに、太極拳練習の機能は何か? なぜこのような練習をするのか? これは太極拳の定義の問題でもあります。つまり、太極拳とは何であるのか? 古くから「知識と行動は一つ」といわれていますが、太極拳を練習する人は「行動」しかなく、「知識」を持っていないか、少し理解している程度です。
康偉:そうですね、いわゆる「知識」は「理由」を知ることです。この「理由」は、太極拳の動作原理と法則についての話です。この原則を理解した場合にのみ、太極拳を練習することができます。
 この原則は、太極拳がそのようなものであり、この能力を練習することを示しています。この能力が出た後、それは太極拳と呼ばれるこの効果を反映しています。一方、なぜ太極拳はこのような練習をするのか? この能力を得るには、この方法を練習する必要があります。この能力を使うと、この種の機能が表れます。というように、この能力が出てこない機能は太極拳ではありません。
記者:つまり、太極拳の定義はまだ分かっていないのですね。
康偉:はい、太極拳が何であるかを知らないで、どのように太極拳を練習しますか? 太極拳とは何か? その定義は何ですか?
 私の考えでは、それはまず拳術です。
 拳術なので、3つの要素が必要です。
 一つは強さです。強さがなければ拳術は無意味です。これが一般の人々の認識です。
 しかし、太極拳を練習するときは、何の力も必要とせず、異常です。
 二つ目はスピードです。拳術はどれもスピードを必要とし、スピードを練習しています。スピードが速いほど、優勢になれます。
 しかし、太極拳だけがゆったりと練習しており、先輩たちもゆったりするほど良いといっていました。これもまた異常です。太極拳の練習は時にゆったり、時に速く、という人もいます。しかし、これは論理的ではありません。ことわざにあるように、「学んだことを実践し、練習したことを応用する」。普段の練習は亀のような動きです。使うときすぐに速く動くことができますか? 誰もそれを信じていません。
 三つ目は、すべての武術が技能の変化を強調していることです。変化が微妙で独創的であるほど、優れています。
 太極拳では「不変ですべての変化に対応」と「静をもって動を制す」といいます。これも異常です。常識的には、殴られるのはじっとしているときだけです。
 なぜゆっくり練習するのですか? なぜ力を使わないのですか? なぜ技能(技・わざ)を使わないのですか? これらの3つのポイントが明確でない場合、実際、毎日練習するとき、太極拳を意図的に練習することができません。人との戦い、組手をするとき、太極拳に必要なのは、通常の練習時のゆったりとした、静かで、力を使わないことでもあります。この練習の目的が判らないので、それは役に立ちません。
 このように、人と戦うと、元の通常の状態に戻ります。つまり、スピード、強さ、技能を他の人と比較します。しかし、あなたはこれらの強さ、スピード、技能の変化を練習していないので、あなたは打ち負かされるだけです。これも、多くの人々が太極拳の技撃性を疑う理由でもあります。
 このように、太極拳の先輩たちの功夫(カンフー)は伝説になりました。しかし、それらの先輩たちは本当の功夫がなければ、それほど多くの伝説は残らず、太極拳の技撃功夫を精力的に探究した過去の人々は、それほど多くなかったでしょう。したがって、太極拳はそのような効果を持っているに違いありませんが、私たち現代人はもはやそれを練習することはできません。

2、『太極拳論』は拳術の練習には使えません

記者:王宗岳の『太極拳論』は太極拳の古典理論であり、多くの人がそれを読み込み、太極拳の練習に役だてようとしています。これはどうなのですか?
康偉:私たちの先輩の多くは太極拳の理論を残しました、最も有名なものは『太極拳論』です。しかし、いわゆる“論”とは、あるものの原理、効果、機能、特徴などを表現した解説や要約であり、「理論、道理」ではありません。 私たちの多くは拳論を拳の理論と見なしています。これは太極拳の実践者の間でよくある誤解です。
記者:おーそうですね、詳しく説明してください。
康偉:たとえば、原子爆弾についていえば、原子爆弾は核分裂の原理で作られているといいます。原子爆弾の威力は非常に大きく、ある原爆BはTNT換算で50キロトンの爆発時破壊力に相当するとかいいます。原子爆弾の殺害効果には、衝撃波、光放射、初期核放射、放射性汚染などがあり、その殺害効果を説明します。このようにして、原子爆弾とは何かを明確に説明することができます。しかし、そのような論文を読んだ後では、核分裂の原理を詳細に説明してないため、原子爆弾を作る方法は見られません。したがって、核分裂の原理は原子爆弾の原理です。原子爆弾を作る前に、この原理をマスターする必要があります。

  理論学習での康偉先生


記者:王宗岳の『太極拳論』も太極拳の理論であり、拳術の指導練習に使える理論ではありません。
康偉:はい、『太極拳論』は太極拳とは何かについての包括的な論述です。
『太極拳論』の始めには、「太極は無極にして生ず、陰陽の母、動静の機なり。動けば則ち分かれ、静まれば即ち合す。」とあり、これは太極とは何か、そしてそれがどこから来るのかを教えてくれます。太極の特徴は何ですか(動けば則ち分かれ、静まれば即ち合す。を意味します)。
そして、拳論には、「動くこと急なれば、則ち急にして応ず。動くこと緩なれば、即ち緩にして随う。変化万端といえども理はただ一貫」と続けている。つまり、太極拳には多くの変化があるが、それは“理”―陰陽変化の理であるとしています。しかし、この拳論には、陰陽変化の原理が何なのかが記されていません。ただ一つの理論があって、それがどんな効果を生むかについて話しているだけです。
 そして、『太極拳論』はまた、太極拳が持つ多くの効果について語り、「英雄の向かうところ敵なく、けだし皆これによりて及ぶなり」と結論付けました。生成された多くの効果はすべて、陰と陽の変化のこの原則によって達成されていることを伝えているだけです。
 拳論はまた、太極拳の理論と他の拳術は異なることを示しています。「この技の旁門は、はなはだ多く、勢いは区別ありといえども、おおむね壮は弱を欺き、慢は快に譲るのみ。力あるが、力なきを打ち、…力を学ぶことに関するに非ずして勝つこと為すところ有るなり。」これは、これらの「旁門」(武術流派)が常識であり、常識とは異なる太極拳の理論を学ぶことを意味します。
 それから、拳論は太極拳の病気、つまり二重の病気について、「この病を避けんと欲すれば、須らく陰陽を知るべし。」と述べています。これは陰と陽の変化の原理に戻ります。陰と陽の変化の原理を理解していなければ、太極拳を練習するときの多くの弊病を克服することはできません。
 したがって、「太極拳について」では、太極拳とは何かについてのみ説明し、太極拳の練習方法や、陰陽の原理がどのように変化するかについては説明していません。この理論に従ってボクシングを練習すると、太極拳のカンフーを練習することができなくなります。
 「いわゆる差はわずか、誤りは千里にして」(基本を離れたごく僅かの間違いでも、長い間には大きな間違いになる〈太極拳論〉)この原則を学び、この理論を習得しなければ、太極拳の学習は「誤りは千里に」になってしまいます。この原則は「陰と陽の変化の理」です。現在、多くの太極拳愛好者は、王宗岳の『太極拳論』を古典的なものと見なしており、拳を練習する指導書としているのは間違っています。
記者:『太極拳論』は陰陽の変化の原理について詳しく述べていないようですが、陰陽の変化の原理はどこにありますか?
康偉:陰と陽の作用はどのような変化をもたらしますか? どんな現象を生むでしょうか? これらの現象と事物の性質との関係、つまり現象と性質との関係は何ですか? これは『周易』が研究していることです。したがって、『周易』は中国伝統文化の大源流であり、一種の哲学思想です。
 中国の伝統哲学は、世界には2つの力があり、1つは陽で、もう1つは陰であるとしています。 陽は発散力であり、陰は収束力です。 発散力は継続的に拡大、生長、および発達します。そうでない場合、収束、凝縮、および消滅します。これらの2つの力は、周期的に増減し、物質のさまざまな特性を組み合わせて生成します。物質のさまざまな特性の起源は、これら2つの力の動きです。
 これらの2つの力は相反する動きを生み出し、それが物事の発展と変化を引き起こしました。物事の発展と変化の根本的な原因は、陰と陽の変化です。私たちの祖先はこの変化の要因を陰と陽と呼んでいましたが、今ではこの要因を矛盾と呼んでいます。したがって、陰と陽は哲学的概念です。
 自然界は実際には一つの矛盾体です。自然界で変化する矛盾の法則とは何でしょうか? これが私たちの先祖が研究していたことです。地球は50億年前に誕生し、現在も存在(生存)発展しており、この矛盾する動きの中で長期に生存してきました。天地万物の長期的な存続と発展のためには、固有の法則がなければなりません。この法則に準拠していれば、長期発展の可能性があり、準拠していなければ、消滅してしまいます。
 そのため、私たちの祖先は、どのような法則が物事を長期に発展させ、存続させることができるのか、そしてどのような法則が長期発展できないのかを研究していました。そのとき、彼らは天地万物のすべての発展と変化、生長と収蔵、一年四季の春、夏、秋、冬の変化を観察し、周期的に、人の生命も天地の気候変化につれて、生長と収蔵、循環変化することを認識しました。これには固有の法則があるに違いなく、『周易』という書物はこの法則を研究していたのです。
 太極は陰と陽の変化の法則であり、実際、それは矛盾した変化の法則です。 矛盾と変化の中で、どのように継続的な変化と発展を維持するか、この法則に適応しない人々は消滅してしまいます。
 したがって、『易経』は冒頭から「易に大極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。」と書かれています。これは実に物事の発展変化の法則について語っているものです。
 武術の一種である太極拳は、陰陽の変化の法則に正確に準拠しています。 多くの動きをしているにもかかわらず、この法則を理解せず、これらの動きが法則に従わない場合、それは太極拳ではありません。誰もが動きをすることができますが、違いはあなたの頭(脳、心)の中に陰陽の、動作運行の法則があるかどうかにあります。
 この法則を知っていても、この法則を理解していなければ、同じ動きをしていても、領域は完全に異なります。1つは法則を実行し、もう1つは身振り手振りだけの動作です。法則に従って動けば、最終的に太極拳の効果が生まれます。法則に従っていない場合、この効果は生まれません。
 このようにして、太極拳をゆっくり、ゆるやかに練習する必要がある理由、柔和にする理由、力を用いない理由、技術を変更する必要がない理由を説明できます。これは実際に陰陽変化の法則を実行しており、この法則を理解しています。

記者:『周易』はそのような深い哲学的思考を持っていますが、残念ながら多くの人々はそれを占いの本と見なしています。
康偉:『周易』は、物事の外的現象と内的性質との間の変化の法則を研究しています。すべてに内在的な固有の特性があります。中国には占いの職業があります。それは、あなたの現象を見て、物事の変化の法則と性質を把握すること、つまり、現象を通して本質を見ることです。本質を知ることで、何が起こるかを判断することもできます。
 『周易』は、自然の観察、要約、洗練を通して、最後に現象と物事の性質との関係を探求します。つまり、事物の発展現象と法則を研究する科学です。
 太極拳も、この現象と本質的な法則を研究する拳術です。この法則を理解しないと、力を使わずに相手を打ち負かすことができる理由が理解できず、極端にゆったりと動く理由が理解できず、最終的には他の誰よりも速く動くようになります。
 なぜゆったりとすべきところが速くなってしまうのか、太極拳の不動の動とは何ですか? これは弁証法です。
 私たちはこの道理を理解しているので、私たちが毎日太極拳を練習するとき、実際にその中の法則を探し、この原則を明確にしています。最後に、太極拳のこれらすべての特性を練習すると、太極拳の現象が発生します。たとえば「四両撥千斤、以柔克剛、人不知我我独知人」です。なぜこれらの現象が発生するのか? これらの結果を引き起こすのは、太極の陰陽の変化の性質と法則です。
記者:陰陽変化の法則を自分で練習すると、他の人と推手技撃をするとき、すべての動きが自然にこの法則に準拠し、『太極拳論』で説明されている現象が現れますか?
康偉:はい。つまるところ、太極拳練習は一種の性質(作り)で、精神修養、養うのはこの個性です。私たちは太極拳のこの運動方式を使い、一種の性質を作っており、このような性質は太極陰陽変化の性質です。

3、太極拳のゆったりとした練習は何を訓練しているのですか?
 ゆったりするほど敏捷になるというのはなぜですか?

記者:先生から、太極拳の練習がゆったりしている原因を詳しく話ていただけますか? 多くの人が太極拳はゆったりと練習し、使うときは速いといいます。これは可能なんですか?
康偉:多くの人は、太極拳がゆったりと練習しなければならない理由がはっきり判らず、練習時にはゆったり、使う時には速くということがはっきり判っていませんが、どこで速くするのですか? そのため、太極拳はゆったりと練習している人も多いのですが、なぜゆったりなのか判らず練習しているため、練習で功夫は向上しません。
 毎日ゆったりと拳を打つ練習で何をしているのですか?
 『太極拳論』にある一句に、「太極は無極にして生ず、動静の機、陰陽の母なり。」があります。ここで言及されている“機”とは何でしょうか? 動と静の間のわずかな変化のことです。
 俗にいわれる、「私には動機があります」は、自分には動こうとする思いがあります。まだ動いていません。つまり、何かをやろうとする動の先機と動の念頭(思い込み)しかないのです。この動は発生したばかりであり、非常に小さいものです。“動機”と呼ばれます。しかし、太極拳の練習では“動静の機”であり、私たちが把握しているのはこの“機”なのです。
 私たちはよく「機(会)と勢(状況)を知り」、「機会を得て勢いをつけなければ」ならないといいます。いわゆる「勢」とは、行動姿勢が形成されていることを意味します。「可能性」の認識は、状況が形成されており、誰もがそれを見て認識できるため、非常に単純です。「機」は、ほとんどの人が感じることができない非常に小さな動きです。したがって、「機」は「勢」(可能性)の前にあり、「機」を把握すれば「勢」をしっかりと把握することができます。太極拳のゆったりとした練習は、陰陽変化のこの「機」を体験し、知覚することです。
 世上では、動きが遅いほど微妙です。たとえば、時計の秒針の動きは見えますが、分針の動きは見えにくく、時針の動きはより微妙で感じにくいものです。したがって、動きが遅いほど、動きは微妙になります。そして、私たち人間のほとんどは、そのような微妙な変化を知覚する能力がなく、小さな変化の神経知覚はもはや利用できません。
 太極拳のゆったりとした練習は、わずかな変化を知覚(感知)する人々の能力を養うことです。したがって、太極拳の先輩たちは、「十分にゆったりすると、霊(敏捷性、精神)は十分に達する」と述べました。つまり、太極拳のゆったりとした練習は、神経系の感度(霊敏度、敏捷性)を向上させることなのです。

記者:ゆったりした太極拳の練習はどのように体験し、わずかな変化を知覚しますか?
康偉:一つ目は、あなたの神経系があなたの身体のわずかな変化の幅度(大きさ)を理解することができるということです。手足と重心が動いた所で、安定した範囲から外れていると、神経系がそれを認識できます。
 二つ目は、動きのわずかな変化、動きの範囲、重心の変化などを制御できることです。
 そのため、太極拳を練習することで、人間の中枢神経系の感度がどんどん高くなり、やがて一般の人には届かないところまで到達します。拳論では、「彼不動己不動、我が意先にあり」(彼は動かず私も動かない、私の動こうとする意識は先にある)といっています。つまり、あなたは動かないので、私も動かなかったが、私の意識はあなたの前にあります。つまり、「私は最初に動くつもりです」ということです。
 拳論にまたいう、「彼微動我先動、我が意なお先にあり。」(彼が微動すれば私は先動する、私の意識はその先にある。〈武禹襄「打手要言」〉)といわれています。つまり、彼のわずかな動きは、私にとっては大きな動きです。私はそれを完全に感知しているので、彼の動きの前に対処(動く)することができます。このことから、太極拳の快(速さ、スピード)はわずかな変化に対応する能力であることが解ります。
 いわゆるわずかな変化は外形ではほとんど見えず、ほとんどの人はそれを感知できません。太極拳の練習は、そのような微妙な外見の変化を感知する能力を養うことです。したがって、太極拳は練習するのに慢(ゆったり、ゆっくり、遅い)と、用いるときの快(速さ)を必要とします。その理由はここにあります。
 これに気づかないと、ゆったりと練習するためにゆっくりと練習し、手足の微妙な変化を感知するために神経系統を使用しない場合、毎日練習しても、このトレーニングなしでは神経系統は微妙な変化を感知する能力を向上させることはできません。
 太極拳の動きには起承転結(始まり、受け継がれ、向きを変え、結合する)があり、この勁力の変化はさらに細微です。太極拳を20年から30年練習していても、その体験方法が解らなければ、何を練習してきたのか判りません。太極拳のゆったりさを、どこに集中すればいいのか判らないし、ゆったり練習の原理も分からないからです。ただゆったり動作で毎日練習しているだけです。
 したがって、太極拳の速度は動きではなく、中枢神経系の感受性にあります。 太極拳は“人不知我,我独知人”(人は私を知らない、私一人が人を知る)ことができます。その理由は、微小な変化を感知する能力にあります。
記者:解りました。わずかな変化に対するあなたの感知能力の差は、反応が遅く、対戦相手の感知能力が強い、このような交手であるとき、あなたは戦いの至る所で先を制されるでしょう。



  タチヨミ版はここまでとなります。


太極拳理論必携 ゆっくり動くのはなぜ?

2021年10月28日 発行 初版

著  者:康 偉
発  行:CAアーカイブ出版

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