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この本はタチヨミ版です。
ロバート・ルイス・スティーヴンソンは『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの作品で知られる十九世紀イギリスの作家で、晩年(というか、四十四歳で死亡しているので短すぎるその人生の後半)は、転地療養に適した土地を探した末に、南太平洋のサモアに妻と移り住み、その地で没しました。
この紀行は、二十代のスティーヴンソンが友人と二人で大陸(ヨーロッパ)にカヌーを持ちこみ、川や運河づたいに旅をした記録です。
未来の世界的ベストセラー作家がまだ無名だった若き日の、好奇心旺盛で、冒険やキャンプなどのアウトドア大好き青年だったころの、時代の最先端をいくセーリング・カヌーを用いた川旅で、よくある「行った、見た、面白かった」という観光ガイド的な体験記とは、やはり一味違います。
ヨーロッパの大きな川を上流に向かって必死に漕いだり、スリル満点の急流下りを楽しんだり、風がよければ帆走したりと、鉄道や馬車など普通の旅行手段ではとうてい味わえないスリルや緊張感や楽しみに満ちています。
ひとくちにカヌーといっても、カナディアンカヌーやシーカヤックなど、いろいろありますが、ここで使用されているのは、現代カヌー/カヤックの生みの親ジョン・マクレガーが考案して広めた、いわゆる「ロブロイ・カヌー」と呼ばれるもので、帆をつけてセーリングすることも可能なものです。
木製の堅牢な造りで、一人では持ち運べないほどの重量があるため、現代の感覚ではいわゆるディンギー(エンジンや船室のない、海水浴場によくある貸しボートに帆をつけたような小型ヨット)に近いかもしれません。ただし、カヤックと同じで人間が座るところ以外のデッキは甲板でおおわれているので、万一ひっくり返っても、また元に戻して旅を続けることができます。
スティーヴンソンの母国スコットランドやそれを含めた大英帝国もそうですが、ヨーロッパは船で航行可能な大小の河川とそれを結ぶ水路・運河が縦横に張りめぐらされているため、国境を越えて、ほとんどすべての地域を航行することが可能です。高低差があってもロック(水門)を利用すれば低地から高地へと登っていくこともできます。
本書の後半には、サモアに移住したスティーヴンソンの晩年を描いた中島敦の『光と風と夢』を掲載。
中島敦も転地療養をかねて西太平洋パラオの南洋庁に勤務した経験があります。
彼はこの作品で芥川賞の候補になったものの落選。太宰治や村上春樹も落選組であることはよく知られていますが、今では彼らは受賞作家や選考委員の多くをはるかにしのぐ存在になっていますね。
あとがきには『光と風と夢』の芥川賞の選評も掲載してあります。
アントワープからボームまで
ベルギー北部のアントワープのドックではちょっとした騒ぎになった。港湾作業の監督一人と荷役人たちが二隻のカヌーをかつぎ上げ、船着き場に向かって駆け出したものだから、おおぜいの子供たちが歓声をあげてそれを追ったのだ。
まずシガレット号が水しぶきをあげて水面に突進し、アレトゥサ号がすぐそれに続いた。ちょうどそこへ外輪式の蒸気船がやってきた。船上の男たちは大声で警告を発し、監督や荷役人たちも波止場から負けずにどなり返す。
とはいえ、ぼくらのカヌーはひと漕ぎふた漕ぎしただけで、軽々とスヘルデ川*の中央付近まで進んだ。行きかう蒸気船や港湾作業の人々、陸の喧騒はすぐにはるか後方に遠ざかった。
* スヘルデ川 フランス北部を源流とし、ベルギーのフランドル地方を流れて北海にそそぐ国際河川。エスコー川(フランス語)とも呼ばれる。
太陽はきらきらと輝き、強い上げ潮が時速四マイル(時速約六・四キロ)で流れている。風は安定しているが、ときおり突風が吹いた。ぼくはこれまでカヌーで帆走した経験はない。正直、この大河のど真ん中で初めて経験するのだ。
不安はあった。この小さな帆に風を受けたらどうなるのだろう、と。
最初の本を出版したり結婚に踏み切ったりするのと同じで、未知の世界に乗り出していく気分だ。とはいえ、ぼく自身の不安はそう長くは続かなかった。五分もすると、ぼくは帆を操るロープをカヌーに結びつけてしまっていた。
これには自分でも少なからず驚いた。
むろんヨットで他の仲間と一緒にいるときには、帆を操るロープはいつも固定していたが、こんなにも小さくて転覆しやすいカヌーで、しかも、ときおり強風が吹くような状況で、同じやり方をする自分が意外だった。それまでの自分の人生観がひっくり返るような感じでもあった。
ロープを固定してさえおけば、両手があくので、タバコだって楽に吸える。が、とっさの対応が遅れてしまうので、ひっくり返るかもしれないという危険のあるときに、のんびりパイプを吹かしてみようという気になることは、これまで一度だってなかった。
で、「実際にやってみるまでは自分でもよくわからない」というのは、よくあることだ。だが、自分で思っている以上に自分が勇敢でしっかりしているとわかって自信が持てたという話は、あまり人の口からは聞こえてこない。
似たようなことは誰でも経験しているのかもしれないが、妙な自信を持ってしまうと、このさき自分自身に裏切られるかもしれないという不安があって、そういうことをあまり人に吹聴しないのではあるまいか。
もっと若いころに人生に自信を持たせてくれる人がいて、危険は遠くにあるときは大きく見えるが、人間の精神の善なるものはそう簡単には屈服しないし、いざという時に自分が自分を見捨てるなんてことは、めったにありはしないと教えてくれる人がいてくれたらよかったのにと、心から思う。
そういう人がいてくれたら、ぼくはどれほど救われていたことだろう。
とはいえ、文学では誰しもがセンチメンタルになるし、勇気を鼓舞するようなことはなかなか気恥ずかしくて書けるものではない。
川の上は快適だった。
一、二隻の干し草を積んだ荷船と行きあった。川の両岸にはアシや柳が生えていて、牛や灰色の年老いた馬がやってきた。土手ごしに頭を出してこちらを眺めている。
木々に囲まれた感じのよい村には活気のある造船所があり、芝生に囲まれた館も見える。
風に恵まれてスヘルデ川をさかのぼり、ロペル川までやってきた。さらに追い風を受けて先へと進むと、はるか遠く右岸にボームのレンガ工場が見えてくる。
左岸はまだ草の生い茂った田園地帯で、土手ぞいに並木が続いている。
あちこちに船着き場の階段があった。婦人が肘を膝に乗せて座っていたり、銀縁メガネをかけてステッキを持った老紳士がいたりもする。だが、ボームとそこのレンガ工場群に近づくにつれて、すすけた印象となり、みすぼらしくもなった。時計台のある大きな教会や川にかかる木製の橋のあたりまで来ると町の中心という感じになった。
ボームはすてきな場所というわけではなかった。唯一の取り柄は、住人の大多数が自分は英語を話せると思っていることだ。
が、実際はそうではない。話をしても、連中が何を言っているのか、よくわからなかった。
宿をとったオテル・デ・ラ・ナヴィガシオンについて言えば、この土地の悪いところが集約されたようなところだった。
通りに面して休憩室があり、床には砂がまいてある。一方の端にはバーがあった。別の休憩室はもっと暗く寒々としていて、飾りといえば空っぽの鳥かごと三色旗をつけた寄付金用の箱があるだけだ。
ぼくらはそこで愛想のない技師見習い三人に寡黙なセールスマンと一緒に食事をすることになった。ベルギーではよくあることだが、食事はなんの変哲もなかった。実際、国民は感じがよいのだが、その食事に人を喜ばせる何かを見つけることは、ぼくにはどうしてもできなかった。
ここの連中はたえず何か食べ物をつまんだり口に入れたりしている。およそ洗練されているとは言えず、フランス風ではあるが根はドイツで、どっちつかずの中途半端という感じだ。
鳥かごはきれいに掃除され飾りもつけられていた。が、鳴き声を聞かせていたはずの鳥の姿はない。角砂糖をはさむため押し広げられた二本の針金が残ったままになっていて、宴の後のようなもの悲しさがあった。
技師見習いたちはぼくらに声をかけようとはしなかったし、セールスマンにも何も言わず、声をひそめて話をするか、ガス灯の明かりにメガネを光らせながら、こっちをちらちら見ているだけだ。顔立ちはよいのに全員がメガネをかけていた。
このホテルには、イギリス人のメイドがいた。
国を出て長いため、いろんなおかしい外国の言いまわしや奇妙な外国の習慣が身についてしまっている。そうした変な流儀について、ここで書いておく必要はあるまい。
彼女は手慣れた様子で独特の表現を使ってぼくらに話しかけ、イギリスでは現在どうなっているのかと情報を求め、ぼくらがそれに答えると、親切にもそれをいちいち訂正してくれるのだった。とはいえ、ぼくらの相手は女なのだ。ぼくらが提供した情報は思ったほど無駄にはならないのかもしれない。女性はなんでも知りたがるし、教えてもらう場合でも自分の優越性は保とうとするものなのだから。
こんな状況では、それが賢明なやりかただし、そうする必要があるともいえる。
というのは、女が自分をほめていると知ると、たとえそれが道をよく知っているという程度のことであっても、男というものはすぐに調子にのって鼻の下を長く伸ばしたがるものだからだ。この手の図に乗った男をあしらうには、女の立場としては、たえず肘鉄をくらわせるようなことをしていくしかないわけだ。
男なんて、ハウ嬢やハーロー嬢*が述べているように「そんな侵入者」なのだ。
* ハウ嬢やハーロー嬢 英国の小説の祖と言われるサミュエル・リチャードソンの書簡体小説『クラリッサ』の登場人物。
ぼくは女性の味方だ。幸せな結婚をした夫婦は別として、狩猟する女神の神話ほど美しいものはこの世に存在しないと思っている。
男が森で苦行しようとしても無駄だ。ぼくらは実際にそうした男を知っている。聖アントニウスもずっと前に同じことをやって悲惨な目にあったではないか。
しかし、女性には男の最高の求道者にもまさる、自分だけで満足できるという人々が確かに存在し、男の顔色をうかがうこともなく、寒冷の地で気高く生きていくことができるのだ。
ぼくは禁欲主義者というわけではないが、女性にこうした理想があることに感謝している。ただ一人をのぞいて、女性に自発的にキスをされたりすれば嬉しいものだが、ぼくとしてはそうしたこと以上に、こういった女性が存在している自体に感謝している。自立し独立してやっている人々を見ることほど勇気づけられるものはない。
スリムで愛らしい娘たちがダイアナ*の角笛の音に駆られて一晩中森の中を走りまわり、そうした木々や星あかりのように、男たちの熱い息吹やどたばた騒ぎにわずらわされず、オークの老木の間を縫って動きまわっているのを想像すると──ぼくにとって、もっと好ましい理想は他にもたくさんあるが──そういう様子を思い浮かべるだけで、ぼくの胸は高鳴ってくる。
* ダイアナ ローマ神話の月や狩猟の処女神ディアーナ。ギリシャ神話では月と貞潔と狩猟の女神のアルテミスとなり、鹿の角と関係が深い。
そうした生き方は、たとえ失敗したとしても、なんと優美な失敗だろうか!
自分が後悔しないものを失ったところで、それは失ったことにはならない。それに──ここでぼくの内なる男がでてきてしまうのだが──こっちを軽蔑している相手をなんとか説き伏せていくのでなければ、どこに恋愛における喜びがあるというのか?
ウィレブルーク運河
翌朝、ぼくらはウィレブルーク運河に入った。雨が激しく降って寒かった。こんなに冷たい雨が降りそそいでいるのに、運河の水は紅茶を飲むのにちょうどよいくらいの温かさだったので、水面から蒸気が立ち上っている。
あいにくこんな状態だったが、出発するときの高揚した気分もあったし、パドルで漕ぐたびにカヌーが軽快に動いてくれるので、苦にはならなかった。雲が流れて太陽がまた顔を出すと、家に引きこもっていては感じられないくらいに、ぼくらの気分も高揚してきた。
風は音をたてるほど吹き、運河ぞいの木々が揺れている。葉もかたまりとなって揺れ動き、陽光に輝いたり影になったりしている。
目や耳にはセーリング日和という感じだったが、土手にはさまれた川面までおりてくる風は弱く、気まぐれに強く吹いたりした。ちゃんと帆走できるほどではなく、速くなったり遅くなったりムラがあった。かつて船乗りだったと思われるひょうきんな男がかわぞいの船を曳いて歩く道からぼくらの方に向かって「速いな、だが先は長いぞ」とフランス語で声をかけてきた。
運河の交通量は多かった。
ときどき緑色の大きな舵柄のついた船が列をなしているのと行き会ったり追い越したりした。船尾が高く、舵のいずれの側にも窓があり、そうした窓の一つには水差しや花瓶が置かれたりしている。船尾から小さなボートを曳航し、女性が食事の準備に忙しそうだったり、子供がいたりもした。
こうした荷船は二十五か三十もあったろうか。
牽引ロープでつながれ、風変わりな構造の蒸気船に曳航されている。
タチヨミ版はここまでとなります。
2021年10月10日 発行 初版
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