ある専門分野、奥深く掘り進めていくことで徹底的に追及していく行き方もありですが、一方で幅広く、視野や視点も変えながら自身のインプット体験、知識や情報、思考を結び付けてアウトプットし活かしていく、誰かに伝えていくこともまた重要だと考えます。
今回のシリーズもぜひお楽しみ頂き、参考にして頂ければ幸いです。
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この本はタチヨミ版です。
スポーツには、文部科学省が打ち出している「スポーツ立国戦略」にうたう「する」「観る」「支える」という関わり方があります。「する」は、プレイヤーとして結果を追究する取り組みと生涯スポーツとして安全安心、健康的で楽しさを追求する取り組みとに分けられます。また「観る」は、戦略等を深く考察する視点とエンターテイメントとして楽しむ視点とに分けられます。さらに「支える」も、プレイヤーをサポートする指導者やマネジメントスタッフの立場や純粋にプレイヤーを応援、支援するサポーターという立場に分けられます。
その中で本書は、プレイヤーやそのマネージャーが競技結果を追究する方や深くスポーツを理解して観戦したいと思う方に、私なりの「兵法」をお話しするものです。
なぜ「兵法」かというと、私は陸上競技と出会う前の小学生の頃に、囲碁に取り組んでおりました。そのため、小学生の頃から戦略や大局観などに興味がありました。また、私自身の競技経験の中でも、ふと耳にした故事成語の意味を、競技に活きる形で実感する経験が多かったです。特に論語には、私自身のプレイヤーの心構えを築く上で、多くの影響を受けています。そのような経験を通して、駅伝や陸上競技などの戦略に活きる「兵法」を深く考えるようになりました。大学で歴史学科を専攻したのも、そのような経験から『三国志』や『十八史略』などの中国古典に興味があったからです。
私は、そもそも競技に特化したトレーニングだけで、プレイヤーの能力に大きな差が付きづらいと考えています。高校時代までは、大舞台で勝つような選手ではなかった私が、全日本大学駅伝や箱根駅伝、インカレなどのような大舞台で勝負出来るようなり、日本代表に選ばれたりするような選手になれたのも、そういった中国古典から学んだ「兵法」によって、独自の戦略を確立することができたからだと考えています。その考えをトレーニングや実戦に役立てることで、プレイヤーとして飛躍することができました。
「ここは思い切って行ってやろう」「意表を突こう」など、レース前の準備段階からレース中の駆け引きまで、迷いを持たずに進めることが出来たのも「兵法」との出会いのおかげです。
「兵法」といえば、『孫子』が有名だと思います。『孫子』と書名だけをいうと、遥か昔のもので馴染みがないと感じる人もいるかもしれませんが、今でもよく知られている言葉は多いです。たとえば「風林火山」という武田信玄が掲げていた旗印は、ご存知の方も多いのではないでしょうか。これも『孫子』という中国の古典から引用されているものです。この言葉のように、ビジネスなどでも『孫子』の考え方が参考になることから、現代でも馴染みあり、多くの言葉が実生活に活用されています。
『孫子』の中には、スポーツで「どうすれば、勝利に近づけるか」を考える時に役立つ「兵法」が多く存在します。その「兵法」を参考にして勝利を目指すことは、スポーツの面白さを一段と増してくれることでしょう。また、スポーツを通じて得られる知的な学びと体験は貴重な経験値となり、スポーツ以外のあらゆる場面に繋がるとも考えています。
本書は、大会直前、トレーニング前など、その時々に合わせて、必要になる項目だけを読めるように構成しております。日頃のスポーツに対する何気ない思索の端緒として役立ていただければ幸いです。
なお、本書では『孫子』に加えて『三十六計』という古典の「兵法」を取り扱います。
1.兵法の活用
何事もそうですが、スポーツはまずルールを覚え、全ての参加者がルールを遵守することで成立します。そして明文化されたルールとはまた違う「暗黙のルール」「勝利条件」というものが存在します。トップレベルが集う大会と、とにかく楽しむ為に、初心者用に開催された大会では同じ「スポーツ大会」としても全く違うものになることでしょう。
そういったルール、情報を知り、しっかり押さえていくことでより安全に楽しむことが出来ます。またそういった大会やイベント、クラブチームなどの場にしても、それらを実行する参加者などの情報もしっかり押さえることで同じようなレベル、目的を持つ人々と共にプレイすることが出来ます。そして少しでも上を目指して取り組みたいときにはこういった知識や情報などの習得により差が出てくることもあります。
「兵法」を活用するとしてもルールに基づいた、フェアで安全な、相互信頼に基づいた活用法は必須となります。何が何でも、どんな手を使ってでも勝利するという面も兵法にはあるかもしれませんが、あくまでスポーツの趣旨に基づいた活用を考えて頂くよう、本書をご活用ください。
また、本書では「兵法」に絞ってご紹介しますが、指導者として幅広く学ぶにあたってはピーター・F・ドラッカーの『マネジメント』を始めとするマネジメント本、リーダー本を。選手時代としてもクラウゼヴィッツの『戦争論』をはじめ、心理学や哲学などを読み漁り、学んできました。もちろんその中には日本の書物、禅や野口整体などもありましたし、中国古典も今回メインで紹介する「兵法」だけではなく、多くの書物からヒントを得ました。
ただあちこちの書物からも多くのヒントを得ることが出来ますし、学びも多いのですが、あまりに量が多く、時間や労力が限られている中で凝縮して学ぶことはなかなか困難なように思われます。
ですので今回のように「兵法」等に『孫子』を中心に焦点を絞り、そこから徹底的に学びを得よう、スポーツにおいて参考になる部分を活用しようと考えた次第です。
『孫子』はこれだけ現代にも愛され、多くの関連書物が今なお出版されていますが、原本は非常に、驚くほど短いものです。その短い文章の中から珠玉の言葉を見つけ出し、解釈し、大いに活かしてきたからこそ、こうして現代まで活用されている訳です。
本書もそのようにここを基点に、集約して何度も読み返し、考えるヒントに、語り合う土台に活用頂ければ幸いです。
2.情報の大切さ
「彼れを知りて、己れを知れば、百戦して危うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一負す。彼れを知らず己れを知らざれば、戦う毎に必ず危うし。」
孫子
シビアな競技力を競う場では情報収集、分析、判断を下し、それらを実践し、行動に活かすことが欠かせません。自分たちの戦い方、競技に集中し、競技に取り組む方法もありますが、それでは相手がどのような戦い方をしてくるか、どういう状況の変化が訪れるかが想定出来ず、勝利すること、主導権を握り、思うような競技を実現する可能性を狭めてしまいます。
この孫子の言葉では「自分と他者」の両方の情報をしっかりと把握し、そこを基点に戦略なり、戦術を立て勝負していくことを説いています。
スポーツに取り組んできた人は特に「自分」のことを把握することは努めていることでしょう。日誌を付け、トレーニングの様々な効果や課題を考えながら心身を造り上げてきていることだと思います。
しかし相手もそうなんです。同じようにこの大会へ向けて取り組んできています。ですので自分のことばかりを意識し、知るだけでは相手がどのような特徴を持ち、作戦を立ててきているかを伺い知れることがありません。1対1の勝負においてはなおさらですが、ランニングのように自分以外に複数の競争相手が居る勝負の場では全ての情報は把握しきれないかもしれません。それでも状況判断や相手の得意とする勝負手、特徴は把握し、自分の勝負手を決める礎にせねば勝利することは難しい面があります。
また、ここの「彼」というのは競争相手だけではありません。大会会場やコース、トイレの位置、時間帯、気象条件、参加人数、往復の交通手段や状況、ありとあらゆる状況の情報も含まれると考えます。「臨機応変」という言葉もありますが、「行き当りばったり」ではなく、きちっとした情報を押さえ、対応を想定した上での臨機応変さがなければ勝負に臨む前に決着が付いてしまいます。いわゆるレースは勝負の前に8割9割決着が付いている」という言葉、事前準備の大切さを表した言葉はこういった面を指します。『孫子』の中でもこういった戦いが起きるであろう地形などについての対応策も多く記されています。そのままスポーツに応用できるものでもないですが、参考までにどのように考えて臨んでいたかも学んでみるのは良いですね。
「上兵は謀を伐つ」
にあるように相手の出方、戦略を見極め、先手を打って相手を封じ込めるのもこの情報線を制することで実現していけます。事前のトレーニングであれ、どの場面で相手がどう出てくるかを知っておく。それが有るか無いかで勝負の優位さを持てるかどうかは大きな差が出てくるものです。
また気象条件やコース形状なども非常に重要。下調べを何度もしたりしますが、条件によって当日のレースプランも変わりますし、それに向けたトレーニングも変わります。全方向、どんな条件でも勝負できる力があれば良いのですが「弱者の兵法」のようにある条件に賭けて1つの武器、戦法を磨いてくる選手やスタッフも居るので注意が必要です。
また、情報を得る、作り出していく為にはこのような方法も考えられます。
打草驚蛇(だそうきょうだ)
(兵法三十六計)
様子を伺うと言っても何もせずひたすら様子を伺っても情報は決して多くはありません。軽く仕掛け、揺さぶりをかけ、心理戦に持ち込んでみたり、ペースやリズムを変えることで状況に変化をもたらし、相手の状態や対応力、余裕度などを図ることが出来るでしょう。その作戦も見抜けるかもしれません。
もちろんそこにはフェイクとなる情報もあるかもしれません。心理戦に長けている相手だとそういった逆手にとって仕掛けてくることも可能になるので要注意。
逆に自分がそういった技術、能力を持っていればこちらから仕掛けることも、相手の仕掛けを逆手に取ることも可能となります。そういった強さを身に付けることは競技力を身につけることと同様に大切ですね。もちろん競技力がなければ絵に描いた餅でしかありません。チーム指揮官も同様で、チーム力がなければ扱える戦略も限られます。先ずは育成強化が重要で、何をどのように優先し、構築、準備していくかが腕の見せどころになります。
また情報を得るためには以下の鉄則も欠かせません。
爵祿百金を愛みて敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり
(孫子)
情報を活かせる選手、マネジメントを担う人材、その環境や支援体制にも存分に投資をしていく必要があります。勝利を考えた時にライバルより劣る環境、投資、強化や育成で勝てるほど甘くはありません。
同様にソフト面における、マネジメントの血液とも言える情報に対しても投資を惜しんではいけません。情報が得られない、学ぶ機会を持てなければ当初はある程度のレベルで創り上げられたとしても更新し続けることが出来ず、いずれはその組織は古び、血液が淀み、衰退していきます。
よき人材、環境を活かすも活かせぬも情報次第。継続的な投資次第だと言えます。
自身に対してもそのような発想を持って投資していくことで勝利する確率を上げ、より高いレベルでの勝負を実現することが可能となっていきます。
もちろん机上の空論という言葉や、生兵法という言葉もあります。ただ理論理屈だけ、知識だけを得たりしてもその情報や知識を活かしきれはしません。心身を鍛え、育むことと両輪、同時並行で高めていくことが必須であることを念頭においておきたいですね。
そして大抵のスポーツには「相手」が存在します。情報は自分だけにとって必要であり、存在する訳ではなく、相手との絡みがありますよね。その相手にどう情報を見せていくか、得ていくかを考えていく言葉がこちらにあります。
無の中に有を生ず
(兵法三十六計)
マラソンや駅伝の競り合いにおいては余裕がないと把握されると必敗になります。ある程度の事前情報を掴まれるのは止むを得ないとしても極度に上り下りに弱い、暑さ寒さに弱い、向かい風に、という風に様々な弱点を知らていると相手に勝機を簡単に伺わせ、主導権のみならず勝率も大きく下げることになることでしょう。決して余裕は無くても、得意とは言えない場面でも出来るだけ平易に、相手に悟られないように努力する必要があります。少なくとも集団において直接勝敗を分けそうなライバルに悟られないよう、少し離れた位置でレースを運ぶなどの配慮も必要です。
これは球技になるともっと顕著で。事前情報の重要性は更に増しますし、最初からベストメンバーで挑むのか、切り札を控えに隠しておき、いざという時まで見せない戦略も採ることが出来るでしょう。逆にもうこれ以上のカードが残っていないと見切られてしまうと相手が戦略上優位に立つことが出来てしまいます。たとえ手札が残っていなくても、ブラフに近い状態でも「ある」ように見せることも重要な戦略、兵法となります。
くれぐれも手の内を見切られ、実力を推し量られることのないように情報線には気をつけるとともに、駆け引きを覚え、上手に戦えるようにしていきたいものです。
強豪チーム、選手は概して有力なマネジメント、特に情報戦に強いスタッフ、ノウハウ、人であったりするものです。
3.勝負における駆け引き
勝負における駆け引き、鉄則は幾らでもありますし、孫子をはじめ、兵法もこの「勝利」を意識して記されたものも多く、応用可能な知見も多くあります。ぜひ存分に活かして頂きたいところですが、まずは勝負において一番大切であろうことは「チャンスがきたら逃がすな」だと考えられます。
事機作りて応ずる能わざるは、智に非ざるなり。
勢機動きて制する能わざるは、賢に非ざるなり。
情機発して行う能わざるは、勇に非ざるなり。
(諸葛亮集・将苑)
「機」をチャンスと読み替えれば解りやすいですよね。否定的な「非」を使っていますが、要は「智」「賢」「勇」と称される名将、アスリートはどういった時にどう行動するかが大切かを訴えてきます。
チャンスがやってきた、勝利への道筋が見えてきた、自分たちが優勢ないしは相手の劣勢や弱点が見えてきた。そういった時に余計な逡巡を行い、決断も行動も出来なければ勝利はおぼつきません。勝利は欲しいけど、自分にも不安がある。それは確かによく解る心理ではありますが、かといって勝機を前にして思い切った勝負をしていかなければ相手が盛り返してくることも考えられます。
せっかくのチャンスを迷って行動しなかったが故に、他の人に持っていかれることも往々にしてあること。情報を集め、精査していくことも大事ですし、勇み足を踏んで失敗することの愚かさも充分承知の上で。だからこそ日頃から情報収集に努め、シミュレーションを通じ、トレーニングと対策を充分講じ、万全を期して臨むことが大切です。その上で「機」が熟した、やってきたと判断すれば、思い切って行動に移しましょう。
以逸待労
(兵法三十六計)
タチヨミ版はここまでとなります。
2021年11月1日 発行 初版
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