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犬神の絵 怪談・短編集

さら・シリウス

さら・シリウス出版



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  この本はタチヨミ版です。

 

目次

◆ 犬神の絵

◆ 妖怪様、さま。大繁盛!

◆ ひどい部長を連れに来た男

◆ 遅まきながらの恋

◆ ハーモニー

◆ 匂い袋

  おわりに



◆ 犬神の絵

 モザイクアートというのは、とても奥深い。点と点の寄せ集めで、近くで見ると本当にただの点の集合体だ。ただ、少し離れて見ると一気に奥行や広がりが感じられる。種田小百合はこのモザイクアートを手掛けるアーティストだ。モザイクアートにもいろいろなものがあるが、小百合は主に仏像や観音様のモザイクアートを手掛けていた。
 少し前までは若手のアーティストが都会で活躍するのがやたらとメディアで取り上げられていたが、最近では若手のアーティストが田舎で活躍するのがブームになっているらしい。あえて田舎でアーティスト活動をするのがいいのだとか。本当に馬鹿らしい。
 小百合の家は、古くからの農家だ。軽く百五十年は経っている。たまに都会から人が訪ねてくるとやれタイムスリップしたみたいだ、やれ映画のセットみたいだと騒がしい。特に、今は古民家が流行っているとかで都会の変な連中が不躾に売ってくれとやってくる。いくら古くからとは言え、土地の値段も無視したような安い金額を平然と言ってくるのには心底呆れる。
「私、生まれたときからずっとここに住んでいるんです。どれだけお金を積まれても絶対に売りませんよ」
 何度このセリフを口にしたかわからない。この手の輩の相手をするだけでも面倒なのに、ここ最近は都会から格好だけのにわかアーティストたちもやってきて、村全体が騒がしくなっている。知人が住んでいる村でもアーティストまがいの若者が移住してきて、治安が急激に悪くなったとか。
 昔のような静かな田舎暮らしは年々難しくなっている。もともと暮らしている人間の生活がなぜ考えなしの外部の人間によって脅かされなければいけないのか。世の中は本当に理不尽だ。ただ、その中でもたったひとつだけいいことがあった。それは、恋人の存在。
 小百合には恋人がいる。小百合の住んでいるところから一キロほど離れたところに住んでいるアーティストの端くれ。名前は花村耕平。陶器を焼いている。確か今日は窯出しの日だから、手伝いに来てほしいと言われていた。
 最近は作品を仕上げるのに集中していたから、耕平と直接会うのは久しぶりだ。会わなくても平気なのかと友達からは言われることもあったが、アーティスト同士が付き合うとなるとこんなものだろうと思う。お互いどれだけ好きであっても、作品は作品。そこは尊重すべきところだ。
 ガラガラと自宅の玄関の戸を開けて、申し訳程度の鍵をかける。広がっているのは田舎ならではの大自然。耕平のところへ行くのには、すぐ近くにある山の中を抜けなければいけない。歩いていけなくはないものの、一度大きなヘビを見かけてから山を抜けるときには車を使うようにしている。
 愛車の軽に乗り込むと、山道をゆっくりと走っていく。本当はもっとスピードを出しても問題はないのだが、時々シカやイノシシが飛び出してくることもある。いつものように、周りに気をつけながらゆっくり走っていると、少し先に人が立っている。近づいてよく見るとバックパッカーだった。
 もしこれが女性ひとりだったら乗せていたかもしれないが、相手は白人系の男性がふたり。さすがに田舎でも警戒心を失ってはいけない。一応、ごめんなさいという気持ちを込めて少しだけ会釈し、ヒッチハイクをスルーした。万が一のことがあったらと考えると、とても乗せられない。この山の中だ。
 しばらくすると、耕平の家に着いた。だいたいいつもは車が砂利道を走る音で気づいて出迎えてくれるのに、今日は耕平がいつまで経っても出てこない。「耕平さーん!」と大きな声で呼んでみるものの、一向に反応はない。留守? でも小百合を呼ぶときに留守にしていたことなんて今まで一度もなかった。
 玄関のほうへ向かうと、激しい犬の鳴き声が響いてくる。
「モモ?」
 耕平はモモという犬を飼っていた。山で見つけて、ちょっと世話をするつもりがそのまま飼うことになったのだ。オオカミのようなワイルドな見た目なのに、中身は甘えん坊でとても可愛い。小百合にも懐いてくれている。ただ、モモがここまで激しく鳴くのは珍しいことだった。
「どうしたの? モモ」
 犬小屋につながれているモモを落ち着かせるように撫でるものの、モモは興奮したままだった。首輪が首に食い込むのも気にせずに、モモはどこかへ向かおうとしていた。モモの様子に不穏なものを感じた小百合は、モモのリードを手に取った。そのままモモに引っ張られるように進んでいくと、耕平が使う窯のところに着いた。
 一旦、モモを近くの木につないで小百合は窯に向かった。窯には大きな扉のような蓋がついているのだが、その蓋が開いている。火は消えていた。ただ、火は消えていても、三日三晩陶器を焼き続けた窯は近寄れないほどに熱い。
 嫌な予感がした。もしこの中に耕平さんがいたら? いやいや、そんなはずはない。でも確かめないと……。少しずつ足を横にずらして窯の中が見える位置まで移動する。窯の中がよく見える位置まで来ると、そこには耕平が倒れていた。トレードマークのバンダナが見える。作業をしているときに倒れ込んだのかもしれない。
「耕平さん! 耕平さん!」
 呼びかけても反応はない。何かに引っかけて、耕平を引きずり出すしかない。周りに何かないかを探していると、モモが今まで以上に激しく吠えた。悲鳴に近い鳴き声だった。ばっと振り返ると、小百合の後ろにさっきのバックパッカーたちが立っていた。
 車に乗っているときはなんとも思わなかったが、こうやって近くに立たれるとまるで巨人のように見える。ニヤリといやらしく口角を上げるその顔はまるで悪魔のようだった。小百合が悲鳴を上げようとしたその瞬間、小百合は男たちに口を塞がれ、組み敷かれた。その場で全身をまさぐられ、ひと段落すると耕平の家に連れ込まれた。
 田舎の山奥ではどれだけ暴れても、叫んでも、誰も助けに来ない。ましてやここは耕平の家。それこそ小百合くらいしか来ることはない。小百合はそれから三日間、凌辱され続けた。
 地獄だった。小百合と耕平がペアで使っていたマグカップで勝手にコーヒーを飲み、ふたりで過ごしたソファに土足のまま座り込む。そして、ともに語り合ったベッドの上で犯され続ける。耕平との思い出をすべて汚されていくようだった。たった一日でも耐えがたいのに、これがまだ続くのかと思うと気が狂いそうで、殺されたほうがましだと思った。
 男たちはバックパッカーを装い、家に入り、強盗をして回る連中だった。耕平の家の中を物色し尽くし小百合にも飽きると、男たちは小百合をゴミのように抱えて耕平の使っていたあの窯の中に放り込んだ。もう抵抗する気力も逃げ出す体力もなく、外から石で蓋をされるのをただただ眺めていた。
 もしこのまま発見されなければ死んでしまうだろう。誰も来ないまま、誰にも知られることなくふたりで白骨化していくのだろうか。すでに三日間、何も食べていないし、水すら飲んでいない。かろうじて首を動かすと隣には耕平の死体があった。その死に顔から読み取れるのは、絶望と恐怖。
 私たちが何をしたっていうの? 何でこんなに苦しまなければいけないの? 何であいつらは好き放題して、何の罰も受けないの? 嫌だ。嫌だ。嫌だ。あいつらを絶対に許さない。絶対に逃がさない。殺してやる。殺してやる。殺してやる。男たちの去っていく足音が聞こえた瞬間、全身の血液が沸騰し、血管がすべて破裂してしまうのではないかというほどの憎悪に小百合は目を血走らせた。
 すると、強張っていた体が一瞬軽くなった気がした。瞬きをすると、そこは窯の中ではなく窯の外だった。ただ、地面がやたらと近い。視線を下ろすと、犬の前足が見えた。モモの足だ。理屈はまったくわからないが、小百合が今やるべきことはひとつだった。
 リードを噛みちぎると、すぐに男たちの姿を捉えた。まるでハイキングを楽しんだ後かのように談笑している男たち。その背後に回ると、ひとりの首に噛みついた。力加減なんてする必要はない。ブチブチと何かが切れる音とゴリっとした骨の感触。噛みちぎった肉片をぺっと吐き捨てる。
 もうひとりは無様な悲鳴を上げながら、逃げ出した。恐怖で足がもつれるのか、何度も転んでいる。あえて恐怖を煽るように、ゆっくりと近づいていく。とうとう男は立ち上がれなくなり、倒れたまま後ずさりするしかなくなった。その男の肩を前足でしっかりと押さえると、じらすようにゆっくりと首に噛り付いた。耳障りな悲鳴が山にこだまする。いたぶるように、何度も何度も噛り付く。そう時間は経っていないはずなのに、男はもう息絶えていた。もっともっと苦しめてやりたかったのに。
 はっと気付くと、視界はまた窯の中だった。夢を見ていたのか。夢の中だったとは言え一瞬でも復讐を遂げられたからなのか、ほんの少しだけ気力が戻っていた。体もゆっくりであれば動く。のそりのそりと窯の中で体勢を変えて、蓋代わりにされた石をどけた。内側からだと石は簡単に転がっていった。
 外に出ると、一気に涙があふれた。私、まだ生きてる……。どうにか立ち上がると、フラフラになりながら耕平の家に向かい、警察に電話をした。涙が止まらず自分でも何を言っているのかわからなかったものの、警察はすぐに事態を把握し、動いてくれた。
 警察が来るまでどうすればいいのか途方に暮れていると、山から犬の鳴き声がした。「モモ?」と鳴き声のする方向に声をかけてみると、モモが出てきた。ただ、その口の周りは血で真っ赤に染まっていた。
「ああ、モモ。モモ。モモが力を貸してくれたんだね。ありがとね」
 小百合は泣きながらモモを抱きしめた。そして、涙をぬぐうと小百合はモモの首輪を外した。
「私がモモの中に入って、モモと二人で耕平と私の復讐をしたんだ。でも人を噛み殺したなんて知られたら、モモがどうなるかわからない。このまま山にお帰り。ごめんね。本当にごめんね。モモ、大好きだよ。また会おうね」
 最後にぎゅっとモモを抱きしめる。モモの目はすべてを理解しているように見えた。山の中に消えていく前に、モモは小百合のほうを振り返った。しばらく小百合を見つめた後、モモは山の中へと駆けて行った。
 事件後も小百合はモザイクアートを作り続けていた。仏像や観音様をテーマにするのは変わっていなかったが、ひとつだけ変わったことがある。小百合の描く仏像や観音様の横には必ず犬が控えているのだ。

 ある日のこと。外で犬の鳴き声がした。もしやと慌てて外に出てみると、そこにはモモがいた。
「モモ!」
 小百合はモモを抱きしめる。すると、モモが鼻先で横を見るように促す。視線を移すとそこには可愛らしい子犬が5匹いた。
「モモ、お母さんになったんだね。よかったね」
 小百合が頭を撫でてやると、モモは満足気な表情を見せる。モモはこうやって時々、小百合のところに来ては、愛くるしい子犬たちを自慢する。すべての傷が癒えたわけではないが、モモとすくすくと育っていく子犬たちを見ていると、小百合の心もいつしか穏やかになっていった。

 そのうち、小百合のモザイクアートの影響なのか、事件の影響なのか、この山には犬神が住んでいて、悪いやつらを噛み殺すという噂が流れるようになった。このあたりでは新興住宅のための買い占めの話も出ていたが、その話も立ち消えになり、古民家漁りの下品な不動産屋も来なくなった。気づけば似非えせアーティストたちもいなくなっていた。町は昔ながらの景色を取り戻し、人間も自然の一部として生きるようになった。動物たちにとっても住みやすい山になったようだ。
 小百合は犬神が控えている絵を今日も描いている。小百合と死んだ耕平とモモの絆をキャンバスにきざみつけるように。





◆ 妖怪様、さま。大繁盛!

 カチャリカチャリ。ガサガサ。バタバタ。ドタドタ。小間物屋の朝は忙しい。それでなくとも店が狭いので、商売をするためには戸板を渡しただけの台を通りに並べなければならない。それが終わったら、今度はその上に商品の小物を並べる。言葉にするとなんてことはない作業に思えるが、これが嫌に手間がかかる。
 小間物屋の嫁のお花にとっては、これが毎朝の日課のようなものだ。朝に始めて、作業が全部終わるのはだいたいお昼ちょっと前。面倒だとは思うものの、生きていくためには仕方のないことだ。それにやりがいがまったくないわけでもない。
 ある日のこと、大工の嫁のお梅がやってきた。根っからの悪い人間というわけではないものの、お梅は癖のある女だった。
「今度ね、姪っこの祝言があるのよ。だから新しいかんざしをちょうだいな」
「まぁ、それはおめでたい! その姪っこってのはどんな子なんだい?」
「そうさねぇ……器量よしなんだけど、控えめな子でねぇ」
「控えめな子ねぇ……ならこういうのはどうだい?」
「うーん、地味すぎやしないかい?」
「そうかねぇ……なら、これはどうだい?」
「まぁ悪かないけど、今度は派手すぎやしないかい?」
「あー……ならこれはどうかねぇ?」
「あーん、どれも今ひとつだねぇ。今日は気も乗らないし、やめとくよ」
「そうかい。なら、また来ておくれ」
 お梅が見えなくなったのを確認してから、お花は大きなため息をついた。
「まったく。どれかひとつでも買っていきゃあいいのに。あー、疲れた」
 背伸びをして、かんざしを並べ直す。すると、かんざしが足りない。お梅は何も買わなかったはず。しかも、足りないのは上物の輪島塗りのかんざし。お梅が持っていった……?いやいや、お梅とはずっと話をしていたし、そんな隙はなかったはず。
 どうしたものかと思っていると、今度は金物屋の熊がやってきた。
「よう、お花。突然で悪いんだけど。半襟をくれ」
「まぁ、熊さん! はいはい、半襟ね。ここにあるから選んどくれ」
「助かる。じゃあ、これで。お代はこれな。釣りはとっときな。じゃあ、またな」
 お梅とは違って何とまぁ……と思っていると、今度は京都の上物の半襟がなくなっている。まさか、あの熊さんが……? いやいや、でもお梅のとき以上にそんな隙はなかったはず。何よりもお花は熊から一瞬も目を離していない。
 そもそもお花と熊とは子どもの頃からの付き合いだ。今までだって何十回、何百回と店に来ているが、こんなことはただの一度もなかった。それに正義感の強い熊がこんなことをするなんて絶対に考えられない。
 ああ、今日は何かがおかしい……もう片付けをしてしまおうと思っていると、大家の嫁のお松がやってきた。
「お花さん、爪やすりをちょうだいな」
「はいはい。爪やすりならここですよ」
「あら、いくつかあるのね。どうしようかしら……」
 お松は爪やすりを手に取ってそれぞれを見比べると、結局一番安いものを買っていった。まぁ、安いものでも買ってもらえるのはありがたい。そう思いながら残りの爪やすりに目を向けると、何かが足りない気がした。もしや……と思って、並んでいる爪やすりを見てみると一番いいのが消えている。
 来る客皆が盗みを働いているとは思えない。ただ、ものがなくなっている以上は盗まれたとしか考えようがない。こう盗みが多いと店をしないほうがいい。仕入れ代が儲けを上回ってしまう。どうしたものか……とお花は頭を抱えた。
 そこへ、とび職をしている亭主の新二郎が帰ってきた。
「おう、お花。今帰ったぞ!……どうした? 何かあったのか?」
「ああ、あんた……。今日はなんだかおかしいんだよ」
「おかしいって何がだ?」
「客が来るたびにものがなくなるんだよ」
「盗まれてるってことかい?」
「でも、今日来た客は皆、そんな素振りこれっぽっちもなかったんだよ。なんだか気味が悪くてねぇ……」
「なら、俺が見張りでもしようか? 理由を言やぁ一日くらい休めるだろう」
「ダメだよ。そんなもったいない。でも、次の休みの日に見張り、お願いできるかい?」
「おう、わかった。盗っ人がいたらその場でとっちめてやらぁ!」

 新二郎の休みの日。お花はいつもの通り、店の準備をしていた。新二郎はというと、障子に穴を開けて見張りをしている。店の準備が終わると、お花は新二郎のほうに視線をやった。新二郎はお花の視線に気づくと、任しとけと言わんばかりに深く頷いたのだった。



  タチヨミ版はここまでとなります。


犬神の絵 怪談・短編集

2021年10月24日 発行 初版

著  者:さら・シリウス
発  行:さら・シリウス出版

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さら・シリウス

私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。  いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。  最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。  自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。  暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。  けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。    そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。  小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。  私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。  勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。  宜しかったら応援してくださいね(#^.^#)               さら・シリウス

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