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両手でそっと、銃を置く

中嶋雷太

Qilin Family Company



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  この本はタチヨミ版です。


















     〈はじめに〉

 本作は、ハードボイルド三部作の第三作目となります。
 第一作は「左手で、焼けた薬莢を握り締め」(二〇一九年二月一日発行)、第二作は「右手で、朽ちた銃架を握り締め」(二〇二一年五月一日)で、本作がシリーズ最終作となります。第一作ではクチクラ(生物の表皮)を巡る美の怪物を、第二作では宇宙ゴミと宇宙軍事衛星による宇宙軍拡を描きました。いずれのテーマも、現代そして未来に繋がる私たちの生きるテーマでもあります。本作も、楽しんで頂ければと願っています。
 なお、本作はすべてフィクションです。 

                              中嶋 雷太





     「フォーリー(Follie)」とは…

 通称「F」。国際的な犯罪集団。十九世紀初頭には欧州全域にその食指を伸ばしていたと考えられているが、その背景は不明。第一次世界大戦から第二次世界大戦を経て、動乱を生き延びた犯罪集団。欧州を中心に大小様々な事件を発生させ、時の政府に脅しをかけ陰の権益を得て、政府要人や官僚を手懐け生き延びてきた。複数の犯罪ゲーム(警視庁ではチェス・ゲームと呼称)を同時に展開し、どれが本命の犯罪ゲームかを特定させず捜査当局を撹乱させるのがフォーリーの犯罪の特徴。東西冷静後は、その食指を欧州からアジアや北米・南米へと伸ばしてきた。二〇二〇年時点で、フォーリーに噛まれた(脅しをかけられ手懐けられた)政治家や官僚は、EU参加国では政治家の約二五パーセント、官僚の約十パーセントとされている。日本では政治家が約五パーセント、官僚が約三パーセント。尚、その本拠地も幹部の人物像も不明のまま。







     悪魔の力は情け容赦ないものである。
     もし行為者にこれが見抜けないなら、
     その行為だけでなく、
     内面的には行為者自身の上にも、
     当人を無惨に滅ぼしてしまうような結果を招いてしまう。

               マックス・ヴェーバー
                  「職業としての政治」(岩波文庫)より


















     ◇ ある老画家の死


 その老画家の死は、春先の小鳥のさえずりのように軽やかに訪れた。運河が跳ね返す春の光を背に浴びながら震える手で絵筆を握り、彼はキャンバスに向かっていた。白濁した瞳が求める色のうねりを想像力で補おうと丁寧に描いてみるが失敗を繰り返していた。「昔とは違うのだ」とため息混じりに背筋を伸ばすと、部屋の中空や陰を宿した書棚に瞳をしばらく据え心を整えようとした。昔とは違う。もう若くはない。肉体も精神も深い老いを抱えていた。姑息な北風が忍び込むように、老いが肉体と精神を蝕んでいた。いまはその老いを抱え生きるしかない。彼はため息をつくと、揺らぐ意識をゆっくり引き戻し、絵筆を握り直した。
 運河の静かな流れに逆らった小魚が波紋を描いたときだった。窓際に目を移すと七色の光があった。目を細めその光の輪郭に焦点を当てると、その七色の光はあの懐かしい「虹色の少年」で、笑みを零し手を差し伸べていた。
 「そうか。旅立つんだな」と笑みを返したとき、彼は永遠の眠りに落ちていった。


     ◇ ピサコ博士とシンケル博士


 一九二九年のバチカンの秋。
 その年の二月、バチカンの国務長官ガスパリと国民ファシスト党ムッソリーニの間でラテラノ条約が締結され、バチカン市国の独立が承認されたが、時代は第二次世界大戦へと突き進む暗雲が立ち込めていた。
 サン・ピエトロ大聖堂の脇を通り過ぎるレオ・ピサコ博士にベルヴェデーレの中庭の秋の花々が微笑んでいた。バチカン市国の外は荒れ狂うファシスト党が闊歩し、ピサコ博士の心も痛んだが、バチカン図書館への道には悠久の時が流れており、バチカン図書館に一歩足を踏み入れると騒然とした街路の慌ただしさは微塵もなく、時は十五世紀のまま止まっていた。
 一四四八年に設立されたバチカン図書館には様々な写本や絵画など八万冊以上が収容されていると言われるが正確に確かめた者はいない。例えば、その地下三階には未だ研究者の目に触れぬ古代の書物が何万点も眠っているという。ケルン大学の古文書研究家レオ・ピサコ博士は、十六世紀の修道士が遺した日記を収集する為に、これまでも何度かバチカン図書館に通っていた。母方の親戚がバチカンの経理を長年担ってきた経緯もあり、特別待遇での閲覧だったと思われる。一九二九年の秋も、ピサコ博士は三週間にわたりバチカン図書館に籠っていた。その地下三階、十七世紀にバチカン図書館から独立した教皇庁の秘密文書保管所であるバチカン教皇庁図書館に通路で繋がっているのではとピサコ博士は想像したが閉架書庫を自由に動けるはずもなく司書のマリオ・ロッシの監視下に置かれながら図書閲覧用の席に座り、ロッシが運んでくれた古い日記に向かっていた。十六世紀の修道士の日記数冊を数時間かけ写筆し終わったころだった。古い書物をカートに乗せたロッシが数百メートル先の書棚の影から現れると、足音もたてずピサコ博士の席にやって来た。何かの宗教儀式のようなロッシの佇まいをピサコ博士は見守った。やがてロッシがピサコ博士の席で立ち止まると「θ506の書棚はご自由に…」と言い置き一礼すると去って行った。ロッシが地下二階へ去ると、ピサコ博士は空気を乱さぬよう静かに立ち上がり、「θ506」の書棚を探し出した。「θ506の書棚」の鍵は解かれていた。「聖職者による物語蒐集編」と記されたその書棚の鍵を敢えて解いたバチカン側の意図を深く考えることもなく、ピサコ博士は「θ506の書棚」に眠る「聖職者による物語蒐集編」の数冊を取り出した。

 そして、ピサコ博士はある物語…地球誕生以来の超大陸…パールバラ超大陸、コロンビア超大陸、ロディニア超大陸そしてパンゲア超大陸へと繋がる、現生人類以前の古生人類ともいえる古生高等生物の物語を発見した。当時の科学知識では超大陸という科学的概念など一般的には存在せず、超大陸の名前など知られていなかった。ピサコ博士は「聖職者による物語蒐集編」を不可思議な物語と最初はとらえた。当然、あくまで「過去の大地」と記されていた。その「聖職者による物語蒐集編」での古生高等生物の総称は、直訳すれば「七つの色彩の小さな生物」だった。現在、「聖職者による物語蒐集編」についてバチカンに問い合わせても、その「θ506」の書棚さえ不明で「聖職者による物語蒐集編」自体閉架書庫のリストにはないと回答している。

 一九二九年のケルンの冬、バチカンからケルン大学に戻ったピサコ博士は、同じ大学の地球物理学研究者である知人のカール・シンケル博士に、この「聖職者による物語蒐集編」の記述にあった「過去の大地」について詳細を確かめようとした。最初は気軽に訊ねたようだった。そのとき、何らかの資料がシンケル博士に手渡されたようだが、現在その資料は存在しない。
 ここまでの話は、ケルン大学地球物理学のベルツ教授が保管するシンケル博士の日記から読み取られたものだ。ケルン大学の地球物理学研究所資料室で、未整理だったシンケル博士の論文やメモをベルツ教授が整理するなかで、シンケル博士の日記が発見された。古生高等生物「虹色の少年」、そして彼らが生きていた「過去の大地」(超大陸)の謎はシンケル博士からベルツ教授に引き継がれた。そのシンケル博士の日記は彼が二十五歳でケルン大学の地球物理学教授になった一九〇五年から始まり、一九四四年までの約四十年間分が遺されていた。

 ケルン大聖堂の広場はクリスマス・オーナメントやホット・ワイン、シュトーレンなどを売る屋台で賑わっていた。その一画の焚き火で暖をとるシンケル博士は、ホット・ワインのマグカップを手に、ピサコ博士の話を楽しんでいた。それはまるで御伽噺のようだったからだ。シンケル博士は、一九六〇年代後期にようやく発展したプレートテクトニクス理論に似た発想を既に持っていた。一九一二年、当時マールブルグ大学で教鞭をとっていた地球物理学者ヴェーゲナー博士が大陸移動説を提唱し、地球にはパンゲア大陸と呼ぶ一つの超大陸が存在し、中生代末から大陸が分かれ現在の大陸へ分かれたという説を示した。シンケル博士がヴェーゲナー博士と交友関係にあったという証拠はないが、一九二九年には、シンケル博士も同様の考えを持っていた。そして、シンケル博士は手計算で、パンゲア超大陸前にも複数の超大陸があるはずだと確信していたようだ。ピサコ博士がバチカン図書館で写筆した「聖職者による物語蒐集編」の写しの一部を預かったシンケル博士は、そこに記された「過去の大地」と、彼が手計算で導いた複数の超大陸の存在を比較検討し確信をさらに深めた。さらに、「虹色の少年」という古生高等生物とも呼べる進化した生物の存在の確証を得ようとシンケル博士は考え、ケルン大学の考古物研究所に所蔵されていた考古物資料に目を通し始めた。当時の考古物研究所はケルン大学の学内の片隅にある物置小屋のような部屋にあった。
 ヴェーゲナー博士がドイツ地質学会で大陸移動説を発表した一九一二年から十七年後、シンケル博士は考古物研究所所員の手助けを得ながら、やがて一八八〇年にアメリカ西部で発見されたデブリ(破片)と一九〇〇年スウェーデンで発見されたデブリの存在を知ることになる。当時は、かなり古い鉄片とされただけで、その親指の爪ほどの菱形のデブリに興味を抱く研究者もなく、選別資料庫に眠っていた。シンケル博士の「研究日記」によればピサコ博士がバチカン経由でアメリカとスウェーデンに話を繋いだようで、一九三一年四月、シンケル博士はその二つの菱形のデブリを手にすることになった。その後、シンケル博士はドイツ政府の後ろ盾、おそらくバチカンの力もあったと思われるが助成金を得て、ケルン市内のカソリック教会の敷地に考古物研究所を移動させ自ら所長となり、世界中で発見されていた菱形のデブリ収集を始め、その研究に没頭した。それから数十年余り、シンケル博士はそれぞれのデブリが磁気で人工的に何らかの信号を記録しているのを発見し、さらに、数多くのデブリの信号を解析し読み解く鍵だと思われる複数の「キー・デブリ」つまり文法書のようなデブリ群を発見した。その一九三三年、ヒトラー内閣が成立し、シンケル博士は暗雲立ち込める気配を感じていたようだ。そして一九四〇年まで、シンケル博士の研究は牛歩のごとく遅々として進まず、一方で悪辣な人種隔離政策や戦線拡大を進めるナチス・ドイツの影に怯え始めたシンケル博士は、その「キー・デブリ」を隠す手立てを考え、知り合いのある若い画家、名前はヘンリクス・アントニウス・ファン・メーレンに一枚の絵画を発注した。その題名は「虹色の少年」で、完成した「虹色の少年」を手にしたシンケル博士はその絵画に「キー・デブリ」を隠すとスイスの友人が保有する銀行にその絵画を一時保管した。
 「キー・デブリ」以外の千点近いデブリは考古物研究所の地下収納庫に残され現存している。尚、ピサコ博士は一九九〇年にベルリンで老衰により死亡。シンケル博士は、彼の「研究日記」の最後のページの日付、一九四四年七月二〇日を最後に行方不明のままだ。

     ◇ ザ・チーム

 その日のロンドンは快晴で、着陸体制に入った飛行機の窓から見えるロンドンの煉瓦色の世界は陽気に輝いていたが、ヒースロー空港からロンドン郊外までの約一時間、車に揺られる長嶋啓太郎、田川寛そして嘉納忠親の心は淀んでいた。長嶋と田川は警視庁で同じ海外犯罪局に所属する二人だが、これまで接点はなかった。長嶋は同局海外犯罪課課長であり、田川寛は同局盗難美術品捜査課課長で、四半期に一度の局会で挨拶を交わす程度で名前だけ知る関係だった。防衛省地理調査研究所のリサーチャーの嘉納忠親とは、成田空港のロビーで初めて挨拶を交わしただけだった。

 数週間前のことだった。海外犯罪局局長の吉田(直人)に長嶋と田川は突然呼び出され「詳細はロンドン現地でレクチャーを受けて欲しい」とだけ指示を出された。嘉納もまた、上司から「警視庁担当者のサポート」としてロンドン出張を命じられた。そして、彼ら三人は、不安げにヒースロー空港に降り立った。コンクリートで固められた中層ビルの前で車を降りた三人は、玄関ポーチで出迎えたイギリス政府内務省情報局のイーサン・ジョーンズ調査官の笑顔で緊張の糸をわずかに解いた。
 「日本からの長旅お疲れ様です」
 「ご心配ありがとうございます」
 階段を上がる長嶋は、長身のジョーンズ調査官の背中を見上げていた。

 二階の会議室に到着すると、ジョーンズ調査官は「どうぞ」と三人を部屋に誘った。
 この会議の参加者は日本からの三名を含め合計六名だった。日本からの長嶋、田川と嘉納、イギリス内務省情報局ジョーンズ調査官、ベルリン州警察のラング警部、そしてケルン大学地球物理学研究者のベルツ教授だった。白いシャツに薄いピンク色のロング・スカートが映えるファリカ・ベルツ教授は、会議前の挨拶では笑顔豊かだったが、会議が始まると冷徹な知性のカーテンを下ろし、静かな語り口調で揺るぎない言葉を一つ一つ重ねていった。

 「ベルツ教授。つまり超大陸ごとに文明が存在したと言われるのですか」
 長嶋は、ベルツ教授がホワイト・ボードに書いた超大陸の文字を睨んでいた。

     四六億年前 地球誕生
     三八億年前 生命誕生
     三〇億年前 パールバラ超大陸誕生(最初の超大陸)
     十八億年前 コロンビア超大陸誕生
     十億年前  ロディニア超大陸誕生
     三億年前  パンゲア超大陸誕生
     七百万年前 人類誕生

 「つまり、現在に繋がるパンゲア超大陸から現人類誕生までおよそ二億九千万年の月日がある。生命誕生は遥か三八億年前で、パンゲア超大陸までに、パールバラ超大陸、コロンビア超大陸、ロディニア超大陸と三つの超大陸が存在した。それぞれの超大陸誕生の間には何億年もの月日があり、それぞれの超大陸に人類に似た生物が誕生し何らかの文明を持ちそして絶滅した…と」



  タチヨミ版はここまでとなります。


両手でそっと、銃を置く

2021年12月25日 発行 初版

著  者:中嶋雷太
発  行:Qilin Family Company

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Qilin Family Company(チィーリン・ファミリー・カンパニー)は、大人の為の物語を紡いでいきたいという願いを込めて設立しました。時代に振り回され、喜怒哀楽を重ねながらも、日々力強く生きる大人たちに、少しでも安らぎを感じてもらえれば幸いです。 主要ライターに、雷文氏を迎え、2020年を超えて、日本および世界に向けて、「大人の為の物語」を拡げていきたいと考えています。見たい映画や演劇、そしてテレビ・ドラマを、物語という形で描き出し、織り紡ぎ出してゆければと願うばかりです。(代表:中嶋雷太) Qilin Family Company was established for weaving stories for adult people. For them, who are always struggling daily lives, we hope they enjoy the stories. Welcoming Mr. Ray Bun as a main writer (story teller), we would like to expand our stories over the world as well as in Japan, over 2020. Also, we would like to weave the stories for future theatrical films, theatrical play or TV dramas. (Rep: Raita Nakashima)

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