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目次
はじめての雪山
雪の森
光の粒
その時の季節
夜明けの月
早春の山
山の音
雪どけの季節
水辺の休息
石楠花
雨の日
山を見る
尾瀬
リンドウの花
ヒツジグサ
夏
空と山
秋のはじまり
白い世界
ホシガラス
森の欠片
冬のにおい
いつもの道で
山になるとき
山を登り、写真を撮りはじめたのは残雪の季節だった。
それから、春、夏、秋とそのあいだの季節も
手探りで山を歩き、写真を撮りつづけていた。
何がそれまでに山に魅力があるのか、と
他人に問われると答えに困ってはいたが、
あきらかに私は山の虜になっていた。
はじめての雪山は
以前も何度か訪れたことのある山。
慣れない冬山の装備に疾駆八苦しながら
展望のよい場所まで辿りつく。
眼に映るのは眩しく、真っ白な雪の山。
写真におさめようとカメラを構えると、
眼で捉えているものと、頭の中のイメージが交錯する。
集中しようと目の前の風景をじっくりと見つめるほど、
その2つの像がダブって見えた。
私の頭はどうにかなってしまったのかもしれない。
そんな風にも思えた。
その戸惑いに負けずになんとか写真を撮り、
カメラをおろしてじっと山を見つめる。
頭の中に浮かんだそのイメージは
同じ山の違う季節の姿だった。
その風景の持つ別の季節や時間が
眼の前の風景の中にくっきりと浮かびあがっていた。
この感覚を知ってから、
私はさらに山へと足が向かうようになった。
何度も同じ場所に行き、シャッターを切る。
出来上がった写真には一体何が映るのか、
時には自分でもわからないままに。
雪の森を歩く。
時より頭の上のほうで聞こえるのは
ホシガラスの鳴き声。
ガァーガァーと大きな声が響く。
ブラブラと歩いて、シャッターを切る。
撮り終えてまた歩きだすが、
気になるものを見つけて立ち止まる。
少し歩いては、写真を撮り、また歩く。
その繰り返し。
シラビソやコメツガなどの常緑樹の葉の緑が
雪で覆われて、まだらに見え隠れする。
雪は葉っぱにそうように積もるものもあれば、
積もる面を持たない細い葉には
団子のように丸くなってくっついている。
そのどれもが違う形を作っていて、
見ていて飽きない。
そして、また歩みをとめる。
今日の目的地は登山口から
2時間ほどの山小屋。
今はその半分の道のりを過ぎたところ。


よく晴れた日。
木についていたのか、
遠くの山に積もっていた雪なのか、
風に吹かれて木々の間を光を浴びながら落ちてくる。
風を受けているのだから、
それなりの速さで落ちているはずなのだけれども、
なぜだか雪の粒、ひとつひとつが見えるようだ。
そして、その光を受けた雪の粒を見ている間、
私はまわりの音を失っている。無音。
まるで水のなかにいるようだ、と思った。
音は遠くなり、目に映るまわりの景色は速度を失う。
降ってくる雪の粒は水中の泡のようだった。
雪は天から地へと、泡は天を目指してのぼっていく。
自分のいま立つこの場所は
誰にも知られていない深海の世界かもしれない。
そんな錯覚におぼえた。
そして、自分の体は森のなかに沈みこんでいく。
山のどの季節が好きなのかと聞かれると
答えに困ってしまう。
いつの季節を歩いても楽しいというのが
その返答に困る理由のひとつではあるのだけれども、
1番の理由は、季節というものは
くっきりと区切られているものではないと思うからだ。
山を歩いていると、
流れる時間のなかで
自然の小さな変化のひとつひとつが
その日、その時間の季節であって、
それらが連なって存在しているように
感じるようになった。
そんなふうに見えはじめたのは
いつ頃からだったろうか。
何度も同じ山を、道を歩くことが
好きになったのも同じ頃だった。
そして、東京の街も同じように
季節の時間を重ねていることに
気づいたのもちょうどその頃だったと思う。
きっと山も街もずっと前から
そんなふうに季節と時間を重ねて
その場所に存在していたのだろう。
自分の眼は見ているようで
なにも見えていなかったのかもしれない。
もうすこしゆっくりと歩いてみよう。
夜明け少し前に目が覚める。
山小屋の人が朝食の準備をしている音が聞こえた。
布団のわきに置いたメガネに手をのばし、
時間を確認すると、勢いよく体を起こす。
朝、どんなにまわりが暗くても分かるように
カメラはいつも寝る前に
手袋と一緒に枕元に置いておく。
フィルムも新しいものに交換しておいた。
さっと身支度をすませると、
登山靴に履き替えて外へ出る。
気温はマイナス。
でも、不思議と寒さを感じない。
まだ体に布団の温もりが残っていた。
吐いた息が白くなるのを確かめながら
何度か深呼吸をしていると
空の色が少しずつ黒から濃い青色に変化してきた。
そして、徐々にその青色は薄められていき、
とうとう夜明けが来た。
真上を見上げると、月がまだ残っていて、
それを今日のはじまりの一枚として
写真におさめた。
真っ青に澄んだ空の下、
肩をちぢこませて歩く。
この寒さがずっと続くのかと
少しうんざりしはじめた頃。
朝、カーテンを開けると
ぼんやりと煙ったような
春の陽が差し込んできた。
いてもたってもいられずに
家から一番近い山へと出かける。
最寄り駅から頂上までは
1時間半ほどの小さな山。
登山口から見上げた山は
まだ全体に茶色っぽく、
暖かい陽気のせいなのか
その輪郭も滲んでいる。
毎春、私はこの山で見る
スミレの花を楽しみにしている。
時季はまだ早いというのは分かっていたが、
紫色の小さな花との出会いを
期待している自分がいる。
登山道をゆっくりと進む。
林の中を歩き、吊り橋を越える。
ある分岐についた時にふと顔を上げると、
いつしか視線はスミレを求め、
地面ばかりを追っていることに気づいた。
一度その気持ちをリセットするように
首と肩をぐるぐると回してみると、
視覚の隅に黄色いものがよぎった。
あ、と思い、それに近づき、
じっと観察し、シャッターを切る。
下ばかりを見ていた自分が
少し恥ずかしくなった。
見たいものだけを探し歩くことは、
自分の感覚を閉じているのと
一緒なのかもしれない。
黄色いミツマタの丸い姿が
山を下りたあとも
目に焼き付いたままだ。
山を歩くときの機材。
カメラ2台、フィルムを10本、露出計。
三脚はそのときに応じて。
35ミリの一眼レフのカメラ2台には
それぞれ35ミリと50ミリのレンズがついている。
ある時からその機材とともに
ICレコーダーを持っていくようになった。
手のひらに収まるほど小さく、
ボタン一つで録音ができる簡単なものだ。
写真を撮ることに夢中になると
ICレコーダーの存在はすっかり忘れて
カバンの奥にしまわれたまま、
山登りを終えることもしばしば。
それでも、時々思い立って山の音を録音をする。
森の中での休憩のときに、山頂でのひとときに。
そして一番多く音を集めているのが、
日の出の時間だ。
もちろん写真も撮影しているが、
太陽が昇るすこし前の時間帯に
シャッターを切ることが多く、
あらかた撮影するとレコーダーを自分の胸の前あたりで固定して、
息も潜めて動かずにじっと録音に集中する。
写真を撮ることで視覚ばかりに使われている神経が
「聞く」ことへとシフトしていく。
はじめは耳だけで聞いていた音が
録音を続けて1分ほど経つと
体全体にまとわりつくような感覚になり、
そして、徐々に体のあらゆる箇所から
皮膚を通りぬけ、侵入してきた。
山の音たちは体の中で共鳴しはじめ、
自分の体はもはや自分だけのものでなくなったようにすら思えた。
その間、長くても2、3分ほどだろうか。
録音をやめて、またファインダー越しに風景を眺める。
まだ、山の音が自分の中で響きつづけている。
川沿いの道を歩く。
雪どけの水を含んだ川は青く、
底の白い石が
陽に照らされて光る。
木々には薄い緑色の葉。
遠くに見える山々は
まだ雪をかぶっている。
吹く風に合わせて歩く速度も
こころなしか早まる。
どうしようもなく心踊る自分がいる。
この気持ちをどう抑えようというのだろう。
水のある場所で人は立ち止まり、休む。
山を歩くようになって、そのことに気づいた。
吸い寄せられるように
沢や池、滝へと足が向き、
「じゃあこの辺で休もうか?」となる。
それは誰と歩いていても同じで、
反対する人はいない。
水のきらめきを背景に、
人はただずむ。
歩き続けて疲れた体を
ひんやりとした空気が包み、
会話もはずむ。
怠け者で、頂上にこだわりのない私は
「今日はこの場所でずっと過ごすのもいいよなぁ」
などと頭によぎったりもする。
そんな考えを知ってなのか、
冷たい風が吹いてきて、そろそろ歩きだせと
私に合図を送る。
ザックを背負い、歩き出す。
一歩ずつ、すこしずつ。
水辺での休息を得たその歩みは
ずっと軽やかに思えた。
登山道わきにシャクナゲの花の姿。
雨に濡れて、葉の表面がツヤツヤと光る。
花についた水滴はその色を含んだかのように薄いピンク色。
シャクナゲの花のまわりにどこか楽しげな空気が漂う。
このあいだ、山を歩いた時、
シャクナゲは冬の寒さに耐え、
縮こませていたその葉をようやく開いたところだった。
その姿からは想像できないほど、
今日のシャクナゲは楽しげに、軽やかに。
でも決して派手に騒ぐことなく、
山での自分の時間を楽しんでいるように見えた。
雨の日に山を歩くことは
すこしだけ私を憂鬱にさせる。
まとわりつくような湿気は不快だし、
足元にも気を払わなくてはならない。
カメラを雨からかばいながら歩くのもわずらしい。
そんな風に言い出したら、
憂鬱の理由はきりがないような気がする。
それでも私は雨のなか、山を歩く。
霧ががった森や山の稜線。
すべてのもの輪郭が滲み、色がまじわる。
土や樹木の香りが濃密に漂っている。
息を吸うと、まわりの風景が
空気と一緒に体の中に入りこんでくる。
その途端、
自分と森の境目がなくなった。
雨の日、私は山の一部になるのだ。
山登りをはじめるまで、
山は眺めるものだと思っていた。
連なる山々を遠くの場所から望み、
あれはなんという山なのかと
名前が記してある看板とにらめっこをしていた。
「山」はただ「山」というひとつの固まりだった。
でも、いまは違う。
天気が悪く、山の全容が望めなくても
たとえその山を歩いたことがなくても、
山のなかにあるだろう風景に思いをめぐらせ、
頭のなかの山歩きを楽しむ。
シャクナゲやイワカガミの花が咲き、
ウソやホシガラスが飛びまわっているのだろうか。
登山道の雪はまだ残っているのだろうか。
そんな風に想像することで
「山」はただの「山」ではなく
多くの生き物たちや光景を包み込んだ
存在として私の目の前にたちあがってくるのだ。
はじめての尾瀬を訪れたのは
黄葉の季節だった。
夕日に照らされ黄金色に輝く湿原。
まっすぐと続く木道を歩きながら
何枚もシャッターを切った。
次はまだ雪が残る春の季節。
木道は雪に隠され、一面の銀世界。
おぼつかない足取りで歩きまわる。
地糖のあたりから雪が溶けはじめている。
エメラルドグリーンの輝き。
できるだけ近づき、
そっとシャッターを切った。
夏は見晴のキャンプ場でのテント泊。
満点の星を寝転びながら眺め、
写真は撮らなかった。
なにかを求めて、山に入ることが
自分勝手なのかと考えさられたのも
この場所だった。
そんな場所と出会えたことが
写真家としての自分にとって
幸せなことだ。
歩いていると道のわきに
二種類のリンドウの花があることに気づく。
立ち止まり、図鑑をしらべてみると、
ミヤマリンドウとエゾリンドウだった。
一方は茎のてっぺんにまとまって、
もう一方は茎に沿って両側に連なりながら
花を咲かせる。
リンドウの花たちが咲きはじめると、
山は秋の盛りで、
同時に冬への準備がはじまった合図だ。
このことを教えてくれたのは、
山小屋のご主人だった。
「きれいな紫色の花が咲いていますね」という私の言葉に
「もうすぐ冬だね」と、つぶやくように返してくれた。
私がただ綺麗だと眺めていた花が
見る人によっては全く違う見方をしていることに驚き、
感動したのを覚えている。
そして、目のまえの景色を
ひとつの視点でしか見えていない自分に気づき、
もっと山のことを知りたくなった。
池塘に浮んで咲く。ヒツジグサ。
図鑑を見て、思い描いていたよりも
その花は、ずっと小さく、白い。
もっと近くで見たい。
木道にしゃがみこみ、
池塘に顔をできるだけ近づける。
カメラを構えず、じっと見つめる。
一点を見つめていた視点がふとぶれる。
木道が揺れている。
人が近づいてきた合図だ。
邪魔にならないように立ち上がり、横によけた。
通りすぎるの待ち、
もう一度木道にしゃがみ、
ヒツジグサを見つめる。
触れることはできないけれど、
その小さく白い花の姿の感触を
しっかりと自分の中へとたぐりよせた。
高原の夏を歩く。
緑があふれ、
植物が咲き誇り、
動物や昆虫たちが休むことなく動いている。
その清々しすぎる、生命感あふれる姿に
私はすこし照れくさい気持ちになり、目を閉じる。
どうして、こんな風に自分は生きていけないのだろうか。
過去を憂い、先を案じる。
そんなことに時間を費やしすぎてはいけない。
今の時間をただ存分に味わえばよい。
だたそれだけなのに。
青い空と連なる山々を見ると
できるだけ荷物も自分も身軽にして、
あっちの山からこっちの山へと
どこまで歩き続けていきたいなと、
いつもよりも遠くに視線をやることが多くなる。
こういう日は、いつもの倍フィルムを消耗してしまう。
それに備えて、フィルムは多めに持っているが、
「身軽に」というのとは遠ざかってしまう。
そして私は、山に着替えを持っていかなくなった。
2泊までならまったく着替えを持たずに、
それ以上になると予備の靴下を一足。
カメラやフィルムを優先させて、
着替えだけでなく他の装備も
どんどん持たなくなっていった。
最初のうちこそ、多少の心細さを感じたが、
そのうちにすぐに慣れてしまった。
ないものはないものとしての
自分ができあがっていったのだ。
足りないものを補うように用心を重ねるよりも、
いまあるものを十分に味わうことで
気づくことがあると、山は教えてくれた。
木のてっぺんにある葉が揺れる。
山の稜線近くの雲の動きがはやい。
風がでてきた。
歩みを早めて、先へと急ぐ。
雨が降りはじめる前に
樹林帯のなかへと逃げ込んだ。
しばらく歩いていると
ポツポツと雨粒が葉にあたる音が聞こえた。
とうとう雨が降りだしたようだ。
湿気が森を包んでいく。
カメラを守りながら、
シャッターを切る。
森のシェルターを抜け、
舗装路にでた。
まだ、雨は降り続いている。
濡れたコンクリートの上、
ブーツの底の固さを感じる。
今日の雨はすこし肌寒い。
秋のはじまりの山歩き。
雲か靄なのか判別がつかない白い物体が
谷からあがってきたと思ったら
あっという間に前を歩く人をのみ込んだ。
ドキッとして歩みを早め、前に追いつくと
白い物体は薄いベールのように
自分たちのまわりを覆っているだけだった。
その場所から、一番近くのピークを見上げる。
頂上はまさに白い物体に覆われるところで
今度は山がのみ込まれた。
「山が消えちゃったよ、どうしよう。」と
ふざけていい合う。
山と自分たちは白い物体の間に見え隠れして、
そこにあったり、なかったりしている。
この先に道は続いているのだろうか、
一体どこへと続く道なんだろうかとふざけ半分、
でもどこか大真面目に考えながら歩いた。
ガァーガァーとしゃがれた鳴き声が森に大きく響き、
黒い鳥が木から木へと飛びうつる。
羽ばたくというよりも、
降下しているように飛ぶ様子は
すこし不器用な動きにも見えた。
葉がすっかり落ちた木々のてっぺんを陣取り、
鳴き声をあげるとまわりを見わたし、
また次の木へと移動した。
何回かそんなことを繰り返して、
その姿は私たちのいる場所からは
見えなくなってしまった。
ガァーガァーという鳴き声だけが
私たちを森の奥へと導いているかのように
響きつづけている。
苔の森を歩いていると
ところどころに雪が残っている。
すこし前、東京でもぐっと気温が下がった日があった。
このあたりの山では雪が降ったのかもしれない。
雪は溶けかかり、欠片に分断され、
苔の上にちらばっている。
欠片のふちは透きとおっていて
まわりの苔の緑を自分のなかにとり込んで、
ぼんやりと淡い緑色に光っている。
今日は晴れの予報。
陽に照らされれば、
欠片はあとかたなく消えてしまうだろう。
自分自身が森の中に吸いこまれていくことも知らずに、
雪の欠片はつかのまの輝きを見せる。
冬のにおいがする。
鼻のおくにツンと刺さる冷たい空気のにおい。
木々の隙間から細く、鋭い光のにおい。
土からあがる湿気に満ちた湯気のにおい。
小屋の煙突から立ち上る薪のにおい。
川の水しぶきが小枝の上で氷になる。
森の苔が凍っている。
その匂いたち。
鼻をくんくんと嗅がなくても、
体全体から感じる冬のにおい。
その匂いで体がいっぱいになると
自分のすべての感覚がすっと姿勢を伸ばす。
そして、山は静かに来たる季節を自ら刻んでいる。
いつもの道を歩く。
昼前だというのに陽はかなり傾いている。
立ち止まって息を吐くと白い煙になって空中に消えた。
「歩くことが好きだ。」
頭の中にそんな言葉が浮かぶ。
その言葉は声となって、
森の静けさのなかに響いたような気がして
すこし照れくさくなった。
歩くことが好きなのは小さい頃からで、
散歩好きの両親の影響かもしれない。
写真を撮ることを目的に山を登りはじめたとき、
「歩いては撮る」という行為や
そのペースになぜか心地よさを覚えたのは
子どもの頃のリズムと一緒だったからなのか。
ブラブラと歩いて、立ち止まり、
撮影をして、また歩く。
そんなことを繰り返しているうちに
頂上にたどりつく。そして、また歩きだす。
登山中、目に止まり記憶に残る景色は、
決して派手なものではなく、
言葉に表すと、とてもささやかな瞬間だ。
そして、そんな瞬間は山だけではなく、
街にも溢れていて、
いつも目の前の風景は、
私の心を山と街の両方へと向かわせる。
街で山を、山で街を。
そんな風に心を漂わせながら
今日もいつもの道をのんびりと歩く。
今年もまた雪の時間が訪れた。
標高の高い山はこれから半年ほどの間、
雪とともにある。
山はいつもよりも静かに緩やかに呼吸をしている。
そのペースに合わせるように、
自分の歩みもいつもよりもゆっくりになる。
吐く息は白く、
湿気を含んだその息がネックウォーマを濡らす。
木々に積もっている雪が風に吹かれ、
太陽の光を受けてきらきらと光を放ちながら舞い落ちた。
森の中にはキツネやウサギ、テンなどの動物たちが
雪の上に無数の足跡をつけている。
苔や石楠花が寒さに身を縮めて、じっとしている。
そんな山の様子を写真にひとつずつおさめる。
そうしていると、
どこにいるのか、自分が自分なのかが、
わからなくなるほど集中している感覚が訪れた。
まわりの世界と自分の区別がなくなり、
自分を覆っている殻が消える瞬間。
山にあるひとつのものとして
存在している自分を感じるとき。
この時間がどうしようもなく好きだ。
その感覚のなかで
雪の森にしばらく立っていると、
鼻と指先の冷たさが
今ここにいる自分という存在を思い出させて、
まわりの世界と自分は離れていってしまった。
2022年1月1日 発行 初版
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