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1
「明日はいよいよ遠足の日だね」
森琴美(もり ことみ)は母さんに嬉しそうに言った。琴美は小学校五年生だ。背は高く、ショートカットでかわいらしい顔をしていた。ほおに、そばかすが少しだけあった。明日は学校の行事で、近くの山まで学年のみんなで遠足に行く。琴美がずっと前から楽しみにしていた行事だ。琴美は眠る準備を整えた。
「明日が楽しみよね、今日は早く休みましょうね」母さんがほほえんだ。
「楽しみで眠れないよ!」琴音は笑いながらふざけて言い返した。母さんとそうしているうちに琴美は眠りに落ちていた。
琴美は夢を見ていた。大きな翼のある白い馬にまたがって、大空を翔る夢だ。それはとても自由な感覚で、すべてから解放されたような気分だった。
「ねぇ、素敵なお馬さん、どこまで行くの?」琴美はすごく楽しい気分だった。翼のある白い馬は心に直接話しかけてきた。
「目指すは、天空の城だよ。そこにはいろんな人が集まっている。文学者や研究者たちが大勢集まって、君の書く物語の続きを待っている。だから、僕が呼ばれたんだ。君を連れてきて、物語の続きを書くように、って。それから、僕のことは『ライ』と呼んでほしい」
「分かったわ、ライさん。でも、私が、お話しを書いていることをどうして知っているの? 誰にも話したことないのに」けげんそうに、琴美はたずねた。
「神様は何でもお見通しさ。最近、書くのをお休みしているね。いけないことだよ。君が物語を書かないと、天空の城の創造の泉がかれてしまうんだ。だから、今晩は君に天空の城を見せてあげることにしたんだ。だから僕が君を連れてくるように呼ばれたんだ」ライは優しく言った。
「あれだ、あれが天空の城だよ」その時、雲のはざまから、宙に浮かぶ大きな城が見えた。城だけでなく、小さな街も一緒に空中に浮いていた。地面の部分は、もぎ取られたように、下についていた。
2
「琴美、起きなさい、もう朝よ」母さんの声で、琴美は目が覚めた。
「母さん、不思議な夢を見たよ」琴美は半分夢の中にいるような気分だった。
「夢なんかいいから、急いで支度をしなさい。遠足に遅れるわよ」
遠足! そうだった、今日は遠足の日だった。琴美は現実に引き戻され、慌ててベッドから飛び起きた。急いで着替え、キッチンへと向かう。「いただきます」目玉焼きとご飯を急いで食べる。
「琴美、もっとゆっくり食べなさい、女の子なんだから」
父さんがのんきに新聞を読みながら説教する。琴美は口をもぐもぐいわせながら、時計を指差した。「ごちそうさまでした!」
琴美は支度を済ませると、荷物のリュックを背負って、外に飛び出した。
「いってきます!」
「琴美!お弁当忘れているわよ!」
玄関から母さんの大きな声が届いた。琴美は慌てて玄関へと戻る。
「まったくもう、おっちょこちょいなんだから……」
母さんがこぼす。リュックを背負ったまま、後ろから母さんにお弁当を入れてもらう。準備完了!
「もう一回、行ってきまーす」
琴美は走り出した。
ようやく学校へ着くと、琴美はすでにぐったりしていた。クラスに入り席に着く。何とか間に合った。
「おはよう、琴美」仲良しの大野麻紀(おおの まき)が笑顔を見せた。
「お・は・よ・うー」琴美はエネルギーを使い切ってしまっていた。
「みんな、おはよう」担任の丹羽真奈美(にわ まなみ)先生が教室に入って来た。
「さ、今日は遠足ですよ、みなさん、元気は十分ね」
「はーい」みんなが一斉に手を挙げた。琴美も机につっぷしたまま、右手を挙げる。
「琴美ちゃん、元気ないわね、大丈夫?」
「だいじょうぶです、たぶん。はい」半分冗談めかして琴美は答えた。
「はい、全員出席ね。じゃあ、みんな、バスに乗りましょうか」
今日の遠足は、一時間程バスに乗って新山というなだらかな山へ向かい、そこでハイキングをする予定だ。
大型バスにクラス全員が乗り込んだ。琴美は麻紀の隣に座った。バスがゆっくり走りだした。窓から流れる風景が、スピードを上げていく。
「麻紀ちゃん、実は昨夜不思議な夢をみたの」琴美がささやいた。
「夢?どんな?」
麻紀はオシャレなメガネをかけていて、いろんなことをよく知っていた。クラスでも成績はトップクラス。両方に下げたおさげが丸顔に似合っていた。
「翼を持った白い馬が出てきたの」
夢は鮮やかに覚えていた。それをそっと麻紀に教える。
「それはきっと、ペガサスね」麻紀は断言した。
「すごい、麻紀ちゃん。ふうん、ペガサスっていうんだ」すこし興奮して、琴美は麻紀をほめた。
「空を飛べる馬なの。空想上の動物だけどね」
麻紀は得意気に解説した。
「私をのせて空を飛んだのよ。ふわふわ、びゅーんって」
琴美がそこまで話した時、急に眠気がやってきた。琴美はバスに揺られながら、いつの間にか眠ってしまっていた。
3
琴美はペガサスのライに乗っていた。今朝の夢の続きだ。近づくと、城と街はどんどん大きくなり、まるで、要塞のようだった。ライは大きくはばたくと、空に浮かぶ地面に着地した。
「着きました。ここが天空の城です」
ライは頭の方を下げ、足をかがめて、琴美を地面に下ろした。
「創造の泉って?」
朝の夢の会話を思い出しながら、琴美はライにたずねた。創造の泉が枯れてしまう、たしかライはそういっていた。
「あなたの書く物語が、この天空の城や、天空の街の人が飲むアイディアの源泉なのです。ここは、あなたの心の中にあると同時に、多重世界にある城なのです」
「多重世界?」
琴美には、今一つ理解できなかった。
「多重世界とは、この宇宙と並行して存在する世界のことです。パラレルワールドとも言います。要するに多くの世界がこの城と繋がっているのです」
分かったような、分からないような説明だったが、とにかく、琴美が物語を書かなくなったことが原因で、困っている人たちが居ることは分かった。
「飲み水が無くちゃ、大変でしょう?」琴美が心配そうにたずねた。
「普通の飲み水はいくらでもあります。しかし泉の水は、ただの水ではありません。様々なアイディアや創造物の源泉なのです」
ライは丁寧に答えた。
「ごめんなさい、そんな大変なことになっているなんて、私ちっとも知らなくて……」
申し訳なくて、琴美は泣きそうだった。
「大丈夫です、大丈夫。あなた様は物語を書いてくれれば良いのです。どんな物語でも構いません。心の底より浮かび上がってくる物語です。ただ、人の真似はいけません。あなたにしか書けない物語があるはずです。それを書いてください。宜しくお願いします」
ライは何度何度も頼みこんだ。
「わかった、書いてみる」
琴美はライに大きくうなずいてみせた。
「約束する。きっと私だけの物語を書いてみせる」
ライは涙を流して喜んだ。
「ありがとう、ありがとう……」
後は言葉にならなかった。
4
「琴美ちゃん、琴美ちゃん」
「書いて……みせ…る、うーん」
「琴美ちゃん、着いたよ」
麻紀が琴美の体を揺さぶった。
「あれ、ここは、そうか遠足だったんだっけ」
琴美はどちらが現実か、一瞬分からなくなった。しかし、すぐ遠足の方の現実に戻った。
「あーあ、良く眠った」
約束のことは鮮明に覚えていたけれど、誰にも話さない方が良いような気がして、琴美は夢のことを口に出さなかった。
「もう、ぐっすり寝ていたよ。つまんなかった」麻紀はふくれた。
「ごめん、ごめん。ゆるして、ねっ」琴美は急いで謝った。
「さ、みんな降りて。ここからは歩くわよ」
真奈美先生が先導した。琴美たちもバスから降りて、歩きはじめた。麻紀は、いろいろな事を楽しく話しかけてくれるけれど、琴美はうわの空だった。ライとの約束が心に強烈に残っていたのです。
……自分にしか書けない物語を書く。琴美は時々、ノートに空想の物語を書いていた。何も考えずただ感じるままに。その時読んだ本の影響を受けて書くこともあった。だが、ライの願いはそうではない。琴美自身にしか書けない物語を書くこと。それは、琴美の体験を踏まえた物語を書くことなのではないだろうか。そこまで考えた時、急に疑問が浮かんだ。……私って本当は誰なんだろう? 私が私だということは、どういう事なんだろう?
「……ねえ、琴美ちゃん、聞いている?」
「ごめん、ごめん。ちょっとぼうっとしちゃった。ところで、麻紀ちゃん、自分がどうして自分なのかって分かる?」
突然の問いに、麻紀は少し考え込んだ。
「ずいぶんと哲学的ね」
「テツガクテキ?」
「難しいってことよ」
麻紀はまだ考えていた。頭のいい麻紀が考えている、やっぱり難しい事なのだろうか。しばらくして、麻紀は口を開いた。
「『自分はどうして、自分なのか』か……。それは多分、自分のことを自分自身が決めているからよ。自分が決めているから、自分なの。分かる?」
「こういう事? 琴美はこういう人間になります、って決めたから、琴美は今の琴美なの?」
「そうとも言えるし、そうとも言えない」
「どっちよ」琴美は吹き出した。
「どこまでが琴美ちゃんか、それを琴美ちゃんが決めているのよ。だから、琴美ちゃんは琴美ちゃんが決めているの」
「わかった! アタマいい、麻紀ちゃん!」
いい友達を持って良かった。琴美は心から感謝した。そうか、全部自分で決めているんだ。自分が自分であるためには、まず自分が自分の事を考えなければならないんだ。
「話は変わるけど、今日ウチのママがね……」
麻紀ちゃんが話しはじめたので、今度は琴美が聞き役にまわることにした。
遠足は、楽しい思い出を残して、あっと言う間に終わった。
家に帰りつくと、琴美は急いで、物語のノートを広げ、書き始めた。
5
『ペガサスのつばさ』
むかしむかし、ある国に、ライというペガサスがおりました。ペガサスとは翼を持ち、空を飛ぶことが出来る馬のことです。その国には、ペガサスはたくさんおりました。ライには、人間の友達がおりました。コトミという女の子です。コトミはかわいらしい女の子でした。ライとコトミは大の仲良しでした。ときどき、ライはコトミを背中に乗せて、空を飛んだりしました。
ある時、ライは大事な翼に怪我を負ってしまいました。竜巻に巻き込まれてしまったのです。ライは飛ぶことができなくなりました。コトミは、薬師から薬草をもらってくると、毎日怪我をしたところに薬草を貼り、包帯を巻きました。手当は一カ月間、毎日続きました。ライは、もう飛べないとあきらめていました。でも、コトミはあきらめません。きっと大丈夫よ、と何度もライにいいました。三カ月たちました。コトミの看病のおかげでライはすっかり良くなりました。最初に飛ぶとき、ライはすごくこわかったのです。でも、コトミが、がんばって、と応援してくれたので、勇気をだして羽ばたきました。するとどうでしょう、前よりもずっと楽に飛べるのです。うれしくなったライは、コトミを乗せてどこかに旅をしたくなりました。コトミにそれを話すと、コトミはまだ早いよ、と言いました。じっくりリハビリしなくちゃダメです、とさとしました。それから一年して、ふたりは旅にでました。この物語の続きはまたの機会に。
6
琴美は一気に物語を書き上げた。物語は自分自身の事とライの事を書いてみた。これで良いのかどうか、琴美には分からなかったが、自分の物語を、自分の言葉で書いたつもりだ。約束は果たした。ライが何と言うか、琴美は気になった。その日は遠足の疲れもあって、物語のノートを広げたまま、机の上で眠り込んでしまった。
7
琴美はふわふわと空を飛んでいた。きっとライの背中だ。
「ありがとう、コトミさん。物語を書いてくれて。それも僕の事を書いてくれるなんて、とても嬉しかった」
やっぱり、ライの背中の上だった。ライはお礼を言うと、ぶるぶると体を揺らした。
「あの物語は、私だけの物語だったかな?」
「もちろん、あなたの物語でしたよ。あなたの心の中から生まれた物語。他の人の真似ではない、あなたの物語でした。この調子でどんどん書いて下さい。創造の泉が蘇ったとききました。まだ水位は低いようですが、この先も書いて下さるなら、前のように豊かなものとなるでしょう」
「ホント?」
「僕らには、物事を新しく創りだすという事は出来ないのです。だから、文学者は創造の泉の水を飲む。そうすると、アイディアが浮かんでくるのです。文学者だけではありません。発明家や宝石職人もそうです。天空の城にアイディアを運んでくるのが、創造の泉なのです」
琴美は、昼の疑問をライにぶつけてみた。
「私が私であるってどういうこと?」
「それは、あなたが考えなくてはならないことです。安易に他人に答えを求めてはなりません。その答えを物語という形で書いてほしいのです」ライは、難しいことですが、と付け加えた。
「わかった、頑張ってみる」
自分とは何者なのか、琴美にはまだ正確な答えが分からなかった。もしかすると、答えなど無いのかもしれない、とも思った。けれど、物語を書くことで、その答えが見つかりそうな気がしていた。
そんな話をしているうちに天空の城が見えてきた。
「みんな喜んでいますよ」ライは少し得意気だった。
「『創造の人』がまた還ってきた、と」
天空の城を眺めながら、琴美はなんて美しい城なんだろうと思った。向かい風が短い髪をすいて、後ろへとなびかせた。ライは天空の城の周りをゆっくりと周回した。
「もっと書くわ。もっともっと、自分らしい物語を書いてみせる。そうすれば、創造の泉はかれないのでしょう? そうすれば、みんなに、アイディアが湧いてくるのでしょう。私頑張ってみる」
琴美は決意を新たにした。
「ありがとう、次の作品を楽しみにしています」
8
「……琴美、起きなさい。こんなところで寝ちゃ駄目よ」
母さんだ。また夢? あまりにリアルな夢だったので琴美はどちらが夢か、一瞬分かららなくなった。
「おはよ、母さん。今何時?」
「十時よ。下の階で呼んでも起きないから……。早くお風呂に入ってね。あら、そのノートは何? お勉強してたの?」
「これはいいの」琴美は慌ててノートを閉じた。誰にも見せてはいけない、というより、誰にも見せたくない、という気持ちが先に立ったのだ。『だれにも見せない』とライと約束した訳ではない。けれど、琴美にとってそれは秘密の世界への扉を開ける鍵だったのだ。
「早く、お風呂に入ってちょうだいね」
そういうと、母さんは部屋を出て行った。琴美は、ノートを鍵のかかる机の引き出しにしまい、小さな鍵をかけた。
これで、よし、と。
琴美はひとりつぶやくと、お風呂へと向かった。お風呂からあがると、父さんがキッチンで缶ビールを飲んでいた。
「勉強しながら寝てしまうなんて、珍しいじゃないか。今日の遠足がよっぽど疲れたのかな?」
琴美は都合の良い誤解を、あえて訂正しなかった。
「ねぇ、父さん。父さんは若い頃、何になりたかったの」
「どうしたんだ、急に。そうだなぁ、子どもの頃は野球選手になりたかったな」
そういうと、父さんはニュースの流れていたテレビの電源を切った。
「父さんは、機械いじりが好きだったから、大人になるにつれて、工業系の仕事に就きたくて、工学部に入ったんだ。なんだ、進路のことを考えているのか?」
「ううん、そうじゃない。人の人生って本当に色々なんだな、と思って」
「琴美は急に大人になった気がするな。好きな人でもできたのか? それなら、すぐに教えなさい。父さんが殴ってやるから」
「違うって!」琴美は都合の悪い誤解はすぐ解くことにした。そして琴美は少しためらったが、口を開いた。
「父さん、人生って何?」
父さんはビールを吹き出した。慌ててこぼれたビールを拭きつつ、口を開いた。
「そういうことは、母さんに聞きなさい」
そうよね。それは、自分で考えることだもの。安易に他の人に聞いちゃいけなかったんだ。でも、なんでみんな考えないのかな? こんなに大事なことなのに……。
「ごめんね、じゃましちゃって。おやすみなさい」
「おやすみ、琴美。今日は何だか変だな」
琴美は部屋へ戻ると、鍵を開けてノートを取り出し、また物語を書きはじめた。
9
『ペガサスのつばさ 二』
ペガサスのライと、人間の少女コトミは旅に出ました。空を翔る旅です。天空の国のいろいろな珍しい場所をめぐる旅です。まず向かったのはニイヤマという場所に生えている巨木です。樹齢は二千年とも三千年とも言われていました。コトミはその前に立って、木の先端を見上げましたが、視界に入りきれませんでした。コトミはライに頼んで、木の回りを空からぐるりと一周しました。なんと大きな木でしょう。巨木は、青々とした葉をいっぱいにつけていました。噂によると、その葉を持つ者は長生きすると言われていたので、コトミの父さんと母さんのために2枚、今落ちたばかりのような葉を拾い上げました。葉には光沢があり、不思議な生命力がありました。コトミは、それを腰に下げた小さな革の袋にしまい込みました。
ライは落ちている葉を食べていました。なんておいしい葉なんだ、とライは感激していいました。ふたりの旅は、まだはじまったばかりでした。旅はまだまだ続きます。この物語の続きはまたの機会に。
10
「いたたた、あーあ、良く寝た……」
琴美はまた机で眠ってしまっていた。ごつごつした机の感触が頬にあった。跡ついちゃったかな。手鏡を取り出そうと、机を見たとき、琴美は驚きのあまり言葉を失った。机の上に、青々とした葉が二枚置いてある。間違いない、昨夜、物語のなかで書いた葉だ。だって書いたイメージ通りだもの。ドキドキが止まらなかった。どうしよう、書いたことが本当になったのかもしれない。琴美はそっと葉に触れてみた。葉はしっとりとしていて、不思議な感じがしたが、確かにそこに実在していた。物語が本当になったのだ。手が小刻みに震えていた。何かの間違いだと思いたかった。同時に本当の事だとも思いたかった。ライや天空の城が実在しているのかもしれないと思うと、嬉しさと驚きで震えが止まらなかった。
すぅっとひとつ深呼吸をして、琴美は意識を保った。きっと全部現実なんだ。ライは「平行世界」と言っていた。「多重世界」とも。私が暮らす世界と、ライの住む夢の中の世界、そして私が書く物語の世界。すべて重なった世界なのだ。その中を、私が行き来している。そう考えると、また身震いがした。
怖れない、琴美はそう自分自身に言い聞かせた。私がちゃんとした物語を書けば、現実と、夢の中の世界はきっと良くなる。けれど、悪い事を書いてしまったら……。ぞくっ、と背筋が凍った。書く事には、細心の注意を払わなくてはならない。もしそれが現実になってしまったら、大変な事になるかもしれない。
琴美は、慎重に物語を書くようにする事を、肝に銘じた。
琴美は、物語に登場させた二枚の葉を、紙にはさんで、分厚い辞典の頁の間にいれた。押し花のようにするのだ。
今日は日曜日。幸い何の予定もない。まだ、朝日が昇ってすぐだ。時間はある。ライから頼まれた、物語をもっと書こう。
自分は何者であるのか、それを自分自身が決めるのだ。琴美は物語を再び書きはじめた。
何を書こうか考えていた時、不意にライの声が聞こえたような気がした。
「コトミさん、助けて下さい。今、天空の城は大勢のドラゴン達に攻められています。天空の城が勝つ物語を書いて下さい。そうすれば、きっと大丈夫です。お願いします」
琴美は、わかったわ、と心の中でつぶやくと、ペンを取った。
11
『天空の城とドラゴン』
天空の城は、今危機的状況にありました。空を飛ぶドラゴン族に、攻め立てられていたのです。ドラゴン達は、口から炎を吐き、城や街を焼き打ちしていました。狙いは、天空の城に蓄えられた黄金や宝石です。しかし、天空の城の護衛隊も黙ってはいません。分厚い鎧を着こんで長い槍を持ち、ペガサスにまたがって、ドラゴンに挑んでいきます。総大将を含め、百騎余りの騎士が戦っていました。コトミは城に残り、怪我をして戻ってきた騎士やペガサスの手当をしていました。炎をまともに浴びたら、ひとたまりもありません。ペガサスたちはそれを良く知っているので、小回りを利かせて上手に飛んでいるのですが、炎がわずかにかすめたりするのです。コトミは、騎士やペガサスの火傷を、冷たい水で冷やす事におわれていました。火傷は、はやく冷やせば冷やすほど、傷は浅くて済むのです。
街の人たちが、総出で冷たい水を運んで来てくれました。
その時、コトミの心に、あるアイディアがひらめききました。総大将様に創造の泉の水を飲ませてあげて、とコトミは叫びました。総大将はベルナルドといいました。ベルナルドも火傷を負い、一旦城に戻っていました。今、空中戦の指揮は、副将であるソレイユという若者に任せてあるのです。
コトミさん、これを……、と街の人が木のコップに、創造の泉の水を汲んできてくれました。コトミはありがとう、と言ってそれを受け取ると総大将のベルナルドを探しました。ベルナルドはすぐに見つかりました。手の甲の鎧、つまり小手に青い宝石をしているのです。そこからは、不思議なオーラが出ていました。ベルナルド様これを……、創造の泉の水です、何かいい作戦が浮かぶかもしれません、そう言って水を手渡しました。ありがとう、とベルナルドは受取り、一気に飲み干しました。すると、どうでしょう、ベルナルドの目は光が灯ったように輝きはじめました。一旦、全員城の中へ退却する、とベルナルドは言いました。空中戦は互角だというのにどうしてなのですか?とみなが聞きました。これより天空の城は雷雲の中に突入する、とベルナルドが宣言しました。伝言はのろしで伝えられました。全員が城へ入ると、城は雷雲の中へ突入しました。ドラゴン達はペガサスと騎士が敗走したと思い、城の近くへ寄っていたので、雷雲の中へ一緒に入ってしまいました。雷雲の中は壮絶な雷の嵐です。多くのドラゴンが雷に打たれました。しばらくして、雷雲を通過すると、ドラゴンの数は十分の一程になっていました。残っているドラゴンも、雷で深手を負っている様子です。総大将のベルナルドが、全員出撃の号令をかけました。勝利はもはや目前でした。
こうして天空の城の危機は、コトミのアイディアとベルナルドの機転とみんなの力で、乗り越えられました。この物語の続きはまたの機会に。
12
物語を書き終えると、ライの声が心の中に聞こえてきた。
「ありがとう、コトミ。君のおかげで、天空の城は救われたよ。本当にありがとう。今晩の夢で、君を正式に天空の城に招待しようと思う。是非来てほしい」
ありがとう、楽しみにしているわ、そう琴美は心の中で答えた。
「おーい、琴美、いつまで寝ているんだ。もうお昼だぞ」父さんの大きな声が一階から聞こえてきた。琴美は、一気に現実に戻された。ノートを秘密の場所にしまい、ゆっくりと階段を下りていく。それはまるで、天空の城から地上に戻るような、不思議な感覚だった。ゆっくりと階段の床を踏みしめる。一歩一歩が現実へと戻っていく過程に感じられた。
「お昼まで寝ているなんて、よっぽど遠足が疲れたのね、琴美。それとも、夜更かししたのかしら」
ちょっとした気づかいに似せて、母さんがお小言をつぶやいた。
琴美はそれに対して何も言わずに、ふたりに葉を差し出した。
「はい、どうぞ。長寿のご利益のある葉なんだって。遅くなってゴメンナサイ」
「昨日の遠足で取ってきたのか、まさか生えている木から取ったんじゃ無いだろうね」いぶかしみながらも、父さんは受け取った。
「ご心配なく、落ち葉ですよ」琴美はにっこりとした。
「あら、美容にいいのかしら」母さんは素直に受け取った。
「お昼はスパゲティよ。たくさん食べてね」
キッチンのテーブルには、出来たばかりのスパゲッティが三つ置かれていた。ナポリタンだ。食べながら話す。
「母さんは子どもの頃、何になりたかったの?」
「私はね、保母さんになりたかったのよ。今の仕事とは全然違うけどね。今は薬局に勤めだけど……。あなた位の時に、急にお腹が痛くなったの。そしたら、田舎のおばあちゃんが、薬草を煎じてくれてね、それを飲んだらピタリと治っちゃったの。今でも不思議ね。それがなかったら、母さん、今の仕事に就いて無かったわ」
スパゲッティをフォークで器用に巻きながら、母さんは早口で言った。
「あなたも、そういう年頃なのかしら」
「昨日も変な事言っていたな。進路か?」
「そんなんじゃないけど、ちょっとね」
「まぁ、人生いろいろあるけど、ちょっとしたきっかけで、決まっていくんだよな。岐路をひとつひとつ、決めていくというか……」
家族でこんな話をしたのは初めてだった。父さんと母さんが大人のような扱いをしてくれたので、琴美は嬉しかった。人生の岐路か……、きっとこの二日は、琴美にとって岐路に違いなかった。ものを書く事がこんなに楽しく、不思議なことに満ちているという経験は初めてだった。生涯の仕事にしたいというのは無理な望みかもしれないけれども、関係する様な仕事に就きたいと、琴美は思った。
その晩、いつもより早く、琴美はベッドに入って、眠りとそして夢がやってくるのを待った。
13
コトミは、白亜の城の中にいた。夢へと入ったのだと、コトミは自覚した。そこは、大広間で、おそらくは天空の城の中だと思った。大広間は幅が百メートルはあるかと思われた。その壁際に騎士とペガサスが居並んでいた。気づくと、コトミのすぐわきにライが屈んでいた。慌ててコトミも頭を下げた。前には、王冠をかぶった人物と並んで、きらびやかなドレスをまとった四十位の女性が大広間の一段高くなった所に腰かけていた。その前には、総大将のベルナルドと、もう一人立派な体格をした男性がいた。たぶん、副将ソレイユではないかと、コトミは思った。
「顔を見せてくれ。楽にして良いぞ。私はアンディ、この天空の城を治める王だ。隣にいるのが、我が妻で王妃のエビナスだ。総大将のベルナルドとは面識があるな。ベルナルドは私の息子だ。コトミ殿の活躍は、ベルナルドやライから聞いている。窮地を救ってくれて心より感謝いたす」
コトミは、恐縮のあまり、ガチガチになっていた。
「もったいないお言葉、ありがとうございます」それだけ言うのがやっとだった。
「この度の戦いに勝てたのも、コトミ殿の活躍によるところが大きい。何か褒美を差し上げたいが、希望のものはあるか。宝石でも金でもよいのだぞ」アンディの言葉には威厳があった。
「いえ、何も欲しいものはございません。ただ、こちらの世界では見るもの、聞くもの全てが珍しく、出来ればこの国を旅する許可を与えてくださいませんか?」
「欲が無いな。まあ、よかろう。では、ライを護衛につける。それと、ひとつ頼みがある。」
「なんでございましょうか?」
「実はこの天空の城を一度地上に戻す事を今検討しているのだ。戦いの傷が深いものだからな。修復がしたい。できれば地上を旅し、城が地上に戻るのに適切な場所を探してはくれないか? もちろん、我々もさまざまな場所を探す。もし、コトミ殿が良ければの話ではあるのだが……」
「願ってもないお話にございます」
「コトミ様……」王妃のエビナスが口を開いた。
「あなた様の力は、物語を書くこと。その創造力で、適切な場所を創り出して欲しいのです」そして、副将ソレイユの側にいた女性に声をかけた。
「ティアラ、首飾りから一つターコイズを差し上げて」
ティアラと呼ばれた美しい女性は、首から首飾りを外すと、ひとつ宝石を引き抜いた。王妃はそれを受け取ると、琴美の方へ、しずしずと歩いて来た。
「これをお持ちなさい。きっとあなたを幸運へと導いてくれるはずですよ。困ったときには、石に願ってみてください。きっと解決策を教えてくれると思いますよ」
そう言いながら王妃エビナスは、美しい青色のターコイズを琴美の手の上に置いた。王妃の目は静かな森の湖のように澄み、何者も恐れないような強さがあった。
「ありがとうございます、王妃様。幸運のターコイズは、ありがたく頂戴いたします。それでは、『ライと一緒に城の修復に適した場所を探す物語』を書いてみます」
「ありがとう、コトミ様。天があなたに微笑みますように」にっこり笑った王妃の顔は、まるで女神の顔のようだった。
14
琴美は目が覚めた。朝の四時だ。夏なので、もう辺りはほのかに明るくなり始めていた。右手に何かを握っている。開いてみると、それは空色をした宝石、ターコイズだった。窓を開け、夏の朝日にかざして、その輝きを見た。ため息がこぼれた。
……全部本当の事なんだ。琴美は、完全にライたちの世界と繋がっている自分を感じた。そして現実の世界も、もしかして変えられるかもしれないという、ほのかな希望を抱いた。琴美は、明るくなりつつある空をみながら、ノートを開いた。ターコイズを、ノートのすぐそばに置いて、ペンを取った。
15
『ペガサスのつばさ 三』
コトミとペガサスのライは、お城を修復するのに最適な場所を探して、旅にでました。コトミ達はまず、西の方面へ向かいました。どこまでも西へ飛んでいくと、海に行き着きました。海へ沈む夕陽は、この上なく美しいものでした。小さな波頭が、幾重にも夕陽を反射して輝きました。しかし、城の修復をするには、適した場所ではありませんでした。ふたりは次に南へと向かいました。南は気候が温暖で、木々もたくさん生い茂っておりました。見たこともない果実がなっていたので、おそるおそる食べてみました。この世の味とはおもえぬほどの美味でした。しかし、城の城壁等に使う石の、石切場がみつかりませんでした。ふたりは東へ向かいました。すると、良質の石切り場があり、森のある平原にたどり着きました。ここなら、大丈夫かもしれないと、ふたりは思いました。ライは場所を報告し、総大将のベルナルドを連れて来ました。ベルナルドは、この土地を気に入り、父の国王アンディにその旨を伝えました。
城は、東の地にしばらくの間、すえられる事になりました。ふたりの旅は、目的を果たし、終わりを迎えようとしていました。
そこまで書くと、コトミは泣き出した。嬉し涙だった。涙がノートの端をぬらした。悲しい涙でもあった。もう、ライたちと別れなければならない、そう直感したのだった。涙はとめどなくあふれてきた。塩辛い味がした。
「物語には、いつか終わりが来るものよ」どこかで聞いた声が心に響いた。ターコイズをくれた王妃エビナスの声ではなかろうか。また夢を見ているのだろうか。違う、これは現実の部屋だ。時計の針は六時を指していた。いつもの起床時間まで、あと三十分しかなかった。
「王妃様、私は物語を終わらせたくないのです。できれば、ずっと一緒にライと旅をしたい。天空の城の修復を見ていたい。でも、もう、書く内容がありません。書く時間もありません。むしろ、ずっと物語の中で暮らしたいと思う程なのです」コトミはまた泣きはじめた。
「現実に戻らなければなりません。忘れないでください、物語は常にあなたと一緒にあります。あなたの心の中に、いつまでもあるのです。物語の中で生きたいという気持ちもわかります。でもあなたには、現実の世界がある。物語が自由に変えられるように、あなたの現実も自由に変えることができるのですよ。すべては、あなたの考えひとつ、行動ひとつです。分かりますね」王妃エビナスは優しくさとした。
「……分かりません。私はライたちと、王妃様たちと、もっと冒険がしたいのです。このままでは、物語が終わってしまいます。私は物語の中で生きていきたい」琴美は涙が止まらなかった。
王妃エビナスは続けた。
「あなたには、書く創造力があるではありませんか。物語はいつまでも終わることはありません。書く人がいる限り。そしてそれを読む人がいる限り。あなたは、自分の書いた物を誰かに見せた事がありますか?」
コトミは首を横に振った。
「いいえ、王妃様。誰にも見せた事はありません。見せてはいけないと思って……」
「物語は完成した時に、他の人に見せる事が出来るようになるのですよ。そうなれば、物語の世界は力を持ちます。読んだ人の心に浸透していきます。世界はどんどん広がっていくのです。気の済むまで、お泣きなさい。別れは辛いものです。しかし、別れがなければ新しいはじまりは無いのですよ。新しい世界を見つけなさい。扉は何処にでもあります。あなたが、それを見つけて、開くのです。創造力という鍵で、扉を開けるのです。もう朝ごはんの時間ですよ。さあ、新しい扉を開けるのです。あなたには、変えるべき現実がある。それを忘れないで下さい。物語は常に一緒にいます」
そこで、王妃エビナスの声は途切れた。
コトミは、学校へ行く服に着替えた。そしてターコイズをポケットに忍ばせた。そして、部屋の扉をゆっくりと開いた。
朝の太陽が部屋をくまなく照らした。ノートは机の上に広げたままだった。もう、机の引き出しの中の暗闇へ帰ることはなかった。
16
「おはよう、コトミ」父さんが言った。その時、コトミは気付いた。
『私は誰かに書かれている!』
「ことみ」のイントネーションが違う。父さんはいつも「琴美」と呼ぶ。いま父さんは「コトミ」と私の事を呼んだ。私も物語の登場人物になっている? そんな事って……。王妃が言った「変えるべき現実」とはこの事なのだろうか?
「どうしたの、コトミ? 早く食べてね」
母さんのイントネーションも違う! コトミは冷静になろうと必死に努めた。
「いただきます」
朝食をすますと、学校へ行く準備をして、すぐに出かけた。そうだ、ノートを持っていこう。麻紀ちゃんなら、何かわかるかもしれない。
「いってきます」
「いってらっしゃい、コトミ」
学校へ着くと、隣の席の麻紀はもうすでに来ていて、今日の予習をしていた。
「おはよう、コトミちゃん」
麻紀ちゃんまで……。
「おはよう、麻紀ちゃん。あのね、後で見てほしいものがあるんだ。放課後、ちょっと時間とれる?」
「大丈夫よ、コトミちゃん、顔がこわばっているよ、どうかしたの?」
「ううん、何でもないの」
「コトミちゃん、何か元気ないけど、大丈夫?」先生が心配そうに声をかけてきた。コトミは思わず涙ぐんだ。
「コトミちゃんのお父さんとお母さんに何かあったの? 本当に病気とかじゃないの?」
「大丈夫です。本当に」
「何かあったら、すぐ言ってね、コトミちゃん」
放課後、誰もいなくなった教室で、コトミは物語のノートをランドセルから取り出した。
「実はね、私、物語を書いているんだ」
「へぇ、すごいね。どれどれ、わたしに見せて」
麻紀はゆっくりと読んでいった。『ペガサスのつばさ』・『ペガサスのつばさ 二』・『天空の城とドラゴン』・『ペガサスのつばさ 三』……。
麻紀が読んでいる間、時間はカタツムリのように、のろのろと進んでいるかに思えた。
コトミはズボンのポケットに忍ばせたターコイズを握りしめた。
「あー、面白かった。どうしてこれ、途中で終わっているの。もっと続きを書けばいいのに。ねぇ、琴美ちゃん、どうして?」
えっ、と琴美は驚いた。イントネーションが元に戻っている。どうして……?
「面白いよ、これ。ねぇ、もっと続きを書いてよ、琴美ちゃん」
「ありがとう、麻紀ちゃん。もう少しで、完成なんだ。頑張って書いてみるね」嬉しくなって、コトミは満面の笑みを浮かべた。
「今日、帰ってから書くよ」
「じゃ、明日見せてね。約束よ、琴美ちゃん」
「わかった! 約束ね」
家に帰りつくと、母さんはもう仕事から帰って来ていて、玄関の掃除をしていた。
「お帰り、コトミ」
コトミはイントネーションが、朝のままだったのにはもう驚かなかった。
「あのね、見てもらいたいものがあるの」
「何? テスト?」
「違う、これなの」
コトミは物語のノートをランドセルから取り出した。
「読んでみて」
母さんは好奇心にかられたのか、物語のノートを読みだした。コトミはポケットのターコイズに指先を当てた。
「……へぇ、面白いじゃない、琴美」
コトミはほっとして、思わず息をもらした。
「でも中途半端はいけないわね。最後まで書いて無いじゃない。こういう物はね、全部書いてから人に見せるものなのよ。分かった、琴美」
「今度から、そうするね。ありがとう、母さん」
17
部屋に入るとすぐ、コトミは続きを書きはじめた。
『ペガサスのつばさ 四』
天空の城は、琴美たちの見つけた場所に降り立ちました。そこで修復を行うのです。琴美とライは役目を終え、また大広間に呼ばれました。
ふたりがかしこまっていると、国王アンディと王妃エビナスが入ってきました。
「面をあげよ」
「はい」
「良く素晴らしい場所を見つけてくれた。ここなら石切り場も近いし、森もある。木造の修理に使う材木やレンガを焼くための木もとれる。それになにより景色が良く、空気が清浄だ。礼をいうぞ」
「良く見つけてくれました、琴美様、そしてライ。特に琴美様は、辛い中良くがんばりましたね。礼を言います。本当にありがとう」
「復旧の作業の指揮は、私にお任せあれ」ベルナルドが言いました。
半年ほどして、城は完全に復旧しました。明日いよいよ飛び立つという夜、祝いのパーティが催されました。琴美とライも招待されました。
琴美は、着慣れないドレスをまといました。
「ライ、似合っている?」
「すごく似合っているよ、琴美」
この数カ月で、琴美は大きく成長しました。冒険の物語を書くことが、琴美を飛躍的に成長させてくれたのです。
いよいよ、パーティの夜がやってきました。大勢の騎士たちや淑女たちが、着飾って参加していました。楽団の音楽が流れる中、パーティは進みました。
パーティの中で、王妃エビナスが琴美のもとに近づいてきました。素晴らしい装飾品を身に着けていましたが、王妃エビナスはその心の方が美しく、また賢い人であると、琴美には分かっていました。
「そのドレス、とても良くお似合いですよ、琴美様」
「ありがとうございます。王妃様もすごく素敵です。けれど、もっと大事なものがあると、王妃様が教えてくれました。知恵と心です」
「ありがとう。現実の世界はどうですか?元に戻りましたか?」王妃は心配そうにたずねた。
「多くの『創造の人』は、現実に還れなくなってしまうことが良くあるのです。この物語の世界の方が、居心地が良くなってしまって……」
「大丈夫です。ちゃんと帰るとおもいます。秘密が分かりました」
「よく気がつきましたね。秘密は名前にあるのです。あなたが、本当の名前を使う時、ここへはいつでも来ることができ、そして還ることができます。しかし、偽物の名前を使っていると、帰れなくなるのです」
王妃との話が終わり、一人になると、ライが話しかけてきた。
「琴美、今までありがとう。辛いけれども、一度、お別れをしなくてはならない。もし何かあったら、また夢枕に立つよ。本当にありがとう!」
「ううん、ライ、お礼を言わなくてはならないのは、私の方よ。私を呼んでくれてありがとう。私、自分の進むべき道が見えた気がするの。本当に、本当にありがとう。さようなら」琴美はうっすらと涙を浮かべて言った。
パーティは朝まで続いた。次の日、城は天空へと、昇って行った。今はもうどこにあるのか分からない。そう、ガイド役のライがいなければ。琴美は、今でも思う。あれは夢だったんじゃないだろうか、と。しかし、空色のターコイズが、手元にある限り、決してライを、王妃を、そして物語の全てを忘れることはないだろう。
天空の城は、今日もどこかを漂っているに違いない。 (おしまい)
やっと書き上げた。もう夕食時だ。父さんも帰ってきているに違いない。さあ、現実の世界に戻ろう。また、いつでも遊びにいける。そう、ちゃんと帰り方さえ知っていれば。
「おおい、琴美ご飯だぞ」一階から父さんの声が聞こえた。琴美はにっこりすると、大きな声で返事をした。
「はーい、今行きます!」琴美は下へと降りて行った。現実に戻るために。
開け放たれた窓から、風が入り込み、物語のノートをパラパラとめくった。真っ白な新しいページが、開かれた。それは、琴美の新しい物語のはじまりを象徴するかのようだった。
(結)
2021年11月12日 発行 初版
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