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幸せ運び犬クレオ

さら・シリウス

さら・シリウス出版



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  この本はタチヨミ版です。

 

目 次

一 クレオとの出会い

二 クレオとの散歩で結ばれた縁

三 クレオと『むすび』で結ばれた縁

四 クレオの大活躍

五 幸せ運び犬クレオ

  おわりに



一 クレオとの出会い

「ありがとうございましたー」
 いつも通りの日常、いつも通りの仕事内容。そして今日もいつも通り、自転車で十分ほどの家へと帰る。ただそれを繰り返す毎日。
 高校、短大とごく普通なステップアップを踏み、私は念願とまでは思っていないものの、第一志望だった本屋に就職した。全国にチェーン展開されているこの本屋には、小さい頃からよく通っていたからこそ、私はここで働くことを第一志望としていたのだ。
 仕事内容は陳列や発注作業、そして新刊が届くたびに重たい段ボールの運搬などがあって重労働だったりするけれど、それでも私は好きな本に囲まれてそれなりに楽しく仕事を続けられていた。
「天野さん、休憩行っちゃっていいですよ」
「はーい、行ってきまーす」
 時刻は既に十四時過ぎ。接客業の本屋では時間通りにランチに行けることの方が珍しい。平日でも平気でお昼は混むのだ。ランチを後回しにしてでも書籍を求めに来るお客様は多い。
 バックヤードに入って大量の段ボールに囲まれながら、簡素なパイプ椅子に腰かけてお弁当の蓋をあける。空いた左手で、行儀が悪いと理解しながらも携帯を操作すると、同棲している彼から連絡が入っていた。もうお昼過ぎだから、きっと仕込みの最中の空き時間なのだろう。
『来週の映画、どこで待ち合わせする?』
 ソーセージを頬張ると、加工肉独特の味付けが口に広がる。来週のデートは映画かぁ。そういえば今回の発案は彼の方からだっけ。なんでも見たい映画があるとかなんとか……。
『じゃあ駅前の広場にしよっか。今日は何時ごろ帰ってくる?』
 すぐに返ってきた、
『今日は二十二時くらいには帰れると思うよ! 混まなければね( ;∀;)』
 というメッセージを見て、私は冷蔵庫に何が残っていたかと思案する。
 二十三時を過ぎるようならラップをかけて冷蔵庫に入れておきたいし、今日は簡単に冷しゃぶでもしようか。初夏の風が香る六月。私たちは来年の幸せに向けて生きていた。
 同棲している彼こと高木優太と私は、来年の春に入籍する予定なのだ。高校の頃から付き合ってもう六年。部活の先輩だった彼も気が付けば立派な社会人で、その後輩である私ですら社会人となった。頃合いで言えば、絶妙なタイミングともいえるだろう。
 そんな彼は無類のサプライズ好きだ。プロポーズも遊園地のお城の前で、膝をついて指輪を渡してきた。恥ずかしくて仕方なかったけれど、私はお姫様にでもなったような気分になれた。
 サプライズ好きということは、突拍子もない行動をよくするということだ。それが原因で喧嘩したりはするものの、なんだかんだ優太と居るのはとても楽しい。そんな彼と一緒に過ごせる日々が、夫婦という形でこれからも続くと思えば、平凡な私の人生でも幸せだと感じられる。
 ところで優太は数店舗ほどのチェーン展開をしている居酒屋の、雇われ店長をしている。飲食業界は業務内容がハードな割に賃金が安い。おかげで毎月の支出はいつもギリギリだった。
 十万ほどの家賃に加えて、光熱費やら通信費やら税金やら……。ここにお互いの交際費や二人で遊びに行くときの支出、そして結婚資金の貯金を考えると、家計は火の車だった。着いて行くと決めたのは私だけれど、子作りを考えるのはまだまだ先になりそう。
 結婚して運良くすぐに子供が出来たとしたら、妊娠中はさすがにあの重たい段ボールを抱えて走り回る訳にもいかないだろう。今の業務はどうしても妊娠には向かない。
 しかし現実はそう簡単に仕事を辞めるという選択肢が出来なさそうだった。だし巻きを口に放り込むと、絶妙な塩加減さに顔がほころんだ。今日もばっちりな味付けに、自分で自分のことを心の中で褒め称えた。
 ちなみにお弁当を含めた家での炊事は全て私が担っている。優太が家で包丁を握ることはほぼない。仕事でしていることを家でしたくないというのが優太の言い分で、それは私にも理解できると思い、納得こそすれ不満など一つもない。
 ところで、私たちは同棲しているけれど、月に二、三度は外で待ち合わせをしてデートをする。どちらかが実家に帰ったりして、数時間でも一緒にいない時間を作るようにしている。もちろん仕事で離れている時間は数えず、だ。
 これが上手くいく秘訣、とまでは思わないけれど、常に新鮮な気持ちは忘れないでおこうという気持ちから始めて、もう一年も経った。
 最初の頃のような新鮮さがあるかと問われれば、今となってはわからないけれど、一か月に数回は少しばかり新鮮な気持ちで楽しいデートは出来ているわけだから、結果オーライだろう。
 仕事で疲れた心に来週の楽しみが生まれた。仕事の疲れやストレスも、優太といれば軽くなるというものだ。とりあえず午後の業務に戻るとしようか。空になったお弁当箱に蓋をして、私は椅子から立ち上がった。

 待ち合わせの昼下がり。私と優太は対面していた。なぜか優太の手に握られたリードとその先に繋がれている大きな犬。優太が実家に帰り、私は家からの出発で、そこまではいたって普通だった。普通のはず、だった。
 その犬はよく見かける盲導犬に似ていた。ラブラドール? でも、なにかいまいち可愛くない。私のラブラドールのイメージは目が大きくて可愛い犬というもの。でも、目の前にいるこの犬はただ大きいだけの不細工な犬である。とにもかくにも大きい。もう成犬だろうし、優太の実家で犬を飼っていたなんて見たこともなければ聞いたこともない。そんな謎の犬と共に現れた優太と私の間に、私が一方的に散らしている火花が飛んでいた。
「なに、それ」
 睨みをきかせる私に対して、悪いことをしたなんて全く思っていないとでも言わんばかりに人懐っこい笑顔を咲かせながら語り出す優太の言葉を、とりあえず聞くことにして腕を組んだ。優太は大きな荷物を地面に置いて犬の目線に合わせるようにしゃがみこんだ。
「いやぁ、ここに来る前に久しぶりに地元のペットショップにふらっと寄ったらさぁ、こいつが売られてたんだよ。もう二年も売れ残ってて、もちろん成犬だしこれから売れることもないだろうから、タダ同然の値段だって店員さんが言うんだよ。話を聞きながらこいつ見るとさ、まるで飼ってくれぇって言ってるみたいに小さく鳴いたんだよ。放っとけないだろ、そんなの。名前ももう決めたんだ、クレオって! いい名前だろ? ラブラドールレトリーバーっていう犬種なんだぜ。かっこいいだろ」
 誇らしげに、そして愛おしそうにクレオの頭を撫でる優太は、確かに自分の正義感を貫いたのだろう。
 私たちの家はペット飼育が禁止されているわけではない。届け出ればペット飼育は可能だ。だけどその家には私と二人で住んでいるのだ。
 ペットを飼うと決める前に、相談の一つくらいしてほしいものである。それに今日は映画館に行く約束だったのに。しかも、彼が誘ってきたのに。ぐちゃぐちゃとした怒りは、口から飛び出して優太へぶつかっていく。
「優太はさ、考えた? これから結婚して、そしたらそのうち子供もできるでしょ? そのための貯金だってそんな潤沢に貯まってるとは言い辛いよね?」
「でもずっと二人だったんだし、新しい家族が増えるって考えたらめっちゃ良くない? ペットくらい、いいじゃんね! ねー、クレオ」
 ワンッと元気よく鳴く大きな犬に、私はイラつきを隠せなかった。せっかくおしゃれしたのに、犬を連れているとなれば行ける場所も限られてくる。ということは、そう長い時間でのデートだってできないだろう。映画なんてもってのほかだ。
 一人で楽しみにしていたのかと思うと、無性に腹が立って私はつい声を荒げてしまった。周りの視線なんて、気にもならなかった。
「犬の飼育だってお金がかかるんだよ⁉ 私たち、結婚するんだよね⁉ 優太がいつも言ってるんだよ、給料が安いから満足できるほど貯金もしてやれなくてごめんなって! サプライズ好きって言ったって、ここまできたらなんにも考えてないだけじゃんか!」
「じゃあ、このまま保健所に連れていかれるクレオを放っとけって言うのか?」
「私たちが大富豪だったらいいよ? でも優太は自分のお店を持つって夢もあるんでしょ? 私と来年結婚するって、優太が言ってくれたんだよね? それなのに、こんなの無茶苦茶すぎるよ……。その犬、自分だけで全部面倒見れるって本気で思ってるの⁉」
 うっ、と黙りこんだ優太は、クレオと名付けられた犬の頭から手を離し、まるで自分が傷付いたと言わんばかりの表情をしてうつむき、そして一言ぽそりと呟いた。
「先、帰るね」
「……好きにすればっ」
 つくづく自分のことを可愛くないと思う。こういう時は二人でこれからのことを話し合おう、なんて言えたらいいのだ。そうすれば話し合いにすんなり持っていけるはずなのに。そうすれば、こじれることもないだろうに。
 それでもできない。怒りに任せて酷い言葉を言ってしまいそうな気がするから。とぼとぼと歩いていく優太の背中と、それに連れられて行く犬を見送るしかできなかった。泣きそうになる自分を律して、私は別の方向へと歩く。駅前にあるカラオケボックスに入って、セミロングの髪をまとめていたお気に入りの髪留めを外した。
 大好きな曲を十曲ほど入れて、私は連続で熱唱した。今日のモヤモヤを吹き飛ばそうと大声を張り上げて、それはもう大熱唱だった。
 しばらくして疲れてきた私は、なんとなく気になってスマホを覗いた。誰からも連絡は入っていない。もちろん、優太からも。
 いつもこうだ。肝心な時に弁解もできないし、私も何か送ることもない。だからこそ喧嘩してそれが収まる瞬間は、どちらかがこの意地の張り合いに疲れてしまったときだけ。それが長引けば冷戦の始まりなのを、お互いが知っているから。
 でも今回ばかりは私は折れることはできなかった。
 きっとクレオを飼おうと思ったのは優太なりの優しさとか、正義感なのだろう。でもそれに振り回される私はどうだというのだ。
 目の前に私がいなければ、私の優先順位なんてすぐに下がってしまう。誰にでもいい顔しようとして財布を広げたり、私に対してのサプライズを少し凝ってみたり、自分の買い物もして、それのせいで金欠になってしまっている分を誰が補填していると思っているのだろう。
 握りしめたスマホのロックを解除して、私は犬一匹の飼育料金の相場を調べた。何かあった時の為の犬保険というものや、毎日の餌代などを勘定して、大型犬はどれだけ節約しても二万円ほどは絶対にかかるらしい。
 そんな大金が、毎月の支払いにのしかかってくる。そう思うとぞっとした。優太は本当にここまで考えていたのだろうか。
 確かに大好きだった優太への感情がわからなくなっていく。こんな状態で本当に結婚なんてしていいのだろうか。
 このままじゃ、別れることも考えないといけないのかな。
 悲しいことばかりが浮かんでくる頭を振り切ろうと、大好きなアーティストの大好きな曲を入れた。しかしその歌はベタすぎるほどの失恋ソングで、私はその曲を途中で止めて伝票を持って椅子から立った。
「……帰ろ」
 まだ夕方だったけれど、一人でいてもこのモヤモヤした頭がすっきりすることはないし、もちろん現状を変えようと思ったって変えられないのだから。私には最終的に自分が暮らす家に帰る選択肢以外なかったのだ。
 優太と話し合いするにしても、今日はもう疲れてしまった。明日も仕事があるというのに、こんな気持ちでずっといる訳にもいかない。今日は簡単なもので夕飯を済ませて早く寝よう。こういうときはさっさと寝てしまうのが一番いい。
「ただいま」
 一応挨拶を投げてみるけれど、返事はない。
 喧嘩の時はいつもそうだ。何を言ったって何をしたって、今は放っておいてと言わんばかりの態度を示す。今日もそうだ。リビングのソファにクレオと名付けられた犬と座ってテレビを眺めている優太は、こちらをちらりとも見ない。
「ご飯は?」
「いらない」
「……そ」
 シンクには茶碗や皿が水で浸されていた。クレオは大人しく主人となった優太の傍を離れようとはしない。ため息を一つ吐くと、クレオがこちらを見て小首をかしげてみせた。
 お前のせいだからね。
 心で毒づいても犬には伝わらないまま、その双眸そうぼうがこちらをじっと覗いているのが余裕のない心をさらに苛立たせた。私は冷蔵庫の中にある作り置きを適当に並べただけの夕飯をさっと食べて、シャワーを浴びた。
 寝室に来る素振りも見せない優太を放置して、まだ二十一時というのに私は布団に潜り込んだ。読みかけの文庫本を開いて、何も入ってこないのに文章を目で追う。面白いと絶賛されてベストセラーになっているはずの小説は、なんとも悲哀に満ち溢れた失恋ストーリーだった。

 文庫本を握ってそのまま寝てしまったらしい目覚めは、隣に優太がいないことで一気に不快なものになった。喧嘩しても一緒のベッドで寝ようと言ってきたのは優太のほうなのに。
 リビングに行ってみてもトイレを恐る恐る覗いてもいない。どこかへ出かけてしまったのだろうか。姿のない優太の代わりに、クレオがソファの傍で利口そうに座っていた。
「お前、なんで売れ残っちゃったのよ」
「クゥーン」
 大きく鳴くこともなく、犬が甘える時特有の鳴き声を出したクレオに、私は未だに嫌悪感丸出しだった。どうしたって好きにはなれなさそうだ。
 それにしても優太だ。昨日の今日で家にいないということは、朝一番に実家に帰ったか、あるいは友人の家に逃げたかだろう。どちらにしてもこんな日に居なくならなくたっていいじゃないか。
 ~♪
 携帯の着信音が寝室の方で聞こえる。こんな朝早くからということは会社から? シフトの変更はよくあることだから、多分そうだろうなと思って画面を覗くと、全く知らない番号からだった。市外局番はこの辺りを示しているけど、全く身にも記憶にも覚えがない番号だった。
「こんな朝早くから誰……?」
 一瞬出るか迷ったけれど、それでも私はその電話を取ることにした。応答ボタンを押して耳に当てると、落ち着いた声の女性がもしもし? と一言発した。その声も、私にはまったく聞き覚えがなかった。
「天野さとみさんのお電話で間違いありませんか?」
「そうですけど、どちら様でしょうか?」
「私総合病院の者なのですが、保険証の裏に天野さんの名前と連絡先が書かれていたので、まずはと思ってご連絡しました。高木優太さんが事故に遭って搬送されてきました。今から来れますか?」
 電話を切って私はすぐに職場に電話をして、急遽休みにしてもらった。
 優太が、事故?
 命に関わるようなものだったら、と思うと私は居ても立っても居られなかった。
 部屋着のままタクシーに飛び乗って、病院に着くや否や受付に病室を聞いて、エレベーターの中で頼むから無事でいてくれ、と願った。部屋の扉を勢いよく開けると、カーテンが開けられていたからすぐに優太の姿が見えた。
 四人部屋の窓側で優太が横になっていて、恐る恐る近付いて「優太……?」と問いかけると、すぐに目を開けて小さく「よっ」と言ってのけたのだ。
「元気じゃない!」
「いやあ、悪い悪い」
 可動式ベッドを起こして、私と目線を合わせた優太は、怪我している以外はいたって普通でしょ? と言わんばかりに笑っていたのだ。
 あんな心配は一瞬の杞憂きゆうだとわかって、へたり込みそうなほど力が抜けた私は、テーブルの上には事故でぐちゃぐちゃになってしまっている、私の大好きなパン屋の袋があることに気が付いた。
「朝イチで買いに行ったんだよ。好きでしょ、ここのチョコチップメロンパン。クレオをさ、いきなり飼ってきて俺も悪かったなぁって思って。でも信号無視してきた車と衝突しちゃって、全治三か月だって……」
 事故の説明をしていくうちに本気で落ち込んできた優太に、私は少しばかり安心した。この調子じゃ命に別状もないだろうし、保険金だって降りてくるだろう。
「急に大型犬を連れて帰ってきたことはまだ許せないけど、とりあえず生きててくれて本当によかったよ……」
 さっきまでモヤモヤと広がり続けていた怒りなんて、もうどうでもよくなってしまった。ここに優太が生きている。それだけしか今は考えられなかった。
 テーブルに置かれたぐちゃぐちゃのメロンパンをかじると、緊張していた心がほぐれたのか、それとも安心からか、右目から涙が一粒零れ落ちた。
 しばらくは入院して経過を見ると主治医の先生から伝えられ、私は一度家に帰って部屋着から着替え、入院中に必要なものを優太に届け、当の本人は両親や職場へ連絡したり、相手の保険会社とこちらの保険会社と連絡を取り合っていたりと忙しそうにしていた。



  タチヨミ版はここまでとなります。


幸せ運び犬クレオ

2021年11月18日 発行 初版

著  者:さら・シリウス
発  行:さら・シリウス出版

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さら・シリウス

私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。  いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。  最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。  自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。  暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。  けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。    そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。  小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。  私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。  勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。  宜しかったら応援してくださいね(#^.^#)               さら・シリウス

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