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〇序章
いつも元気だしはつらつとしているから、実際はそんな人だとは思わなかった。何か知られてはいけない情報かのようにもてあそぶように俺を見つめる。悪戯っぽい視線というよりかは、見下しているような汚い視線だった。
大きなお世話だよ、と思いながら作り笑いをすると「ほらそんなにかわいいのに」とまた文句を言われる。とどめを刺すような言い方は、序列を見せつけられているような気分だった。胸糞悪い。はらわたから何かが飛び出しそうになる。
「タバコもダメ。ヤニ臭いのも似合わないのよ」
そう言って、俺のラッキーストライクを流しに捨てようとした。水浸しにしようとしたのだ。二度と吸えないように、私に従いなさいそんな風に言われた気がした。だから近くにあったスタンガンで思い切り頭を殴って女を殺してしまった。電気ショックではなくて、俺が男であることを最後の最後に味あわせてやりたかったから撲殺した。後始末くらい普通にできる。俺は男だ。かわいいとか似合わないとかそんなことを言われても俺は男だ。だから、女をひとり殺したくらいで後始末なんて朝飯前だった。45キロの体重を持ち上げることは容易にできたし、粉砕するように体を切り刻むことにも何の罪悪感もなかった。
アドレナリンが出まくっていたから、すぐに別の女と寝た。またタバコを吸うと似合わないと笑われた。すぐにかっとなるのは悪い癖だと戒めて、その女を社会的に抹殺してやった。この女は誰とでも寝る商売女だと情報をばらまいた。世の中の風潮だから、そういうやり方は。俺は情報に左右されることがない。俺は何者かといえばコヨーテだ。太陽に例えられる男だ。経済を掌握しているわけでも人気者であるわけでもないけれど、俺はただ単純にコヨーテだ。申し訳ないが今はそこまでしか説明ができない。なんとも立場が難しい、そういうしかない。現時点では。
あの女とは真逆で、それでいて完全にしらけた女に出会った。俺に興味がないのにかかわってくる女に俺はのめりこんでいった。そんなある日、夕陽を背にしながら俺たちは愛を語り合おうとしていた。雰囲気や空気でわかる。俺もそろそろ死ぬのかと覚悟を決めていたときだった。女はふと俺の目を閉じさせてこう言った、「コヨーテ?ほんとに?私コイドッグだと思ったから気に入ったのに」。
決定的な言葉だった。女が何者なのか知る必要が有った。俺はコヨーテだと事実をこの地に置いていかなければならないのだから。
人間とコヨーテの間に生まれたコイドックだということが何も悪いことではないけれど。
〇本編
狼のなりそこない、人間よりも早く走れるのに、男よりも可愛らしい。俺はどっちつかずの人生でこの世を生きている。すべてにおいて中途半端だった。飽き性だと言われることも度々で、続かないとか気分屋だとかそんな言われ方ばかりしてきた。すべての原因は俺の血筋だと決定して生きてきた。人間とコヨーテの間に生まれた人間が、コイドックというくくりに入ってしまうことを俺は知らなかったけれど、侮蔑の言葉であることはすぐに理解できた。侮蔑の中で生きてきたと自己憐憫に語ることも俺には許されなかった。あらゆる人間よりもちょっとだけ秀でていたからだ、あらゆる面で。平均よりもちょっとだけ秀でているから、平均よりもちょっとだけ劣っているところを見つけられては糾弾された。理不尽だと思ったし無責任だといつも怒りを燃やしていた。それなのに、女は都合よく俺を別ったつもりで近寄ってきた。共感すれば男の懐に入れるというのは平均の話で、俺はあらゆる面で平均よりも少し秀でていたから、そういう普通を振りかざしてくる女が特に嫌いだった。バカならバカでいいのに、バカを隠して賢く装うその絹はただ麻でしかないのに、女たちはわかりはしない。その証拠に後生大事に使っているヴィトンのバッグのすべてはパチモンだった。パチモンが悪いわけではない。でもこれがホンモノであると優位性を得意げに示しているその本質を見抜けない浅はかさに俺はそいつの底を知ってしまってなんとも言葉を失っている。それが正しい説明になるだろう。
あの女はいまだに賢いのかバカなのか俺は測りかねている。ただひとつ確実に言えることがある。平均よりも賢いかもしれないし、平均よりも劣っているかもしれないということだ。
俺とあの女は同棲をはじめた。結婚をすることを俺が望んでもかたくなにイエスとは言わない。理由はいつも変化する。今日が「そんな気分じゃない」としても、きっと明日は「法律上不自由を感じるからというだろうし、一昨日の言い分は「まだであったばかりじゃない」というあまりにもありきたりな答えだった。賢さと愚かさの間で生きていると彼女は謙遜するが、そんなタマではない。振り切れたイカれた女じゃないかと先制パンチをくらわすと彼女はいつもしょげてしまう。俺は幾度も言うが男だ。女が泣いていればそれなりに男として罪悪感を与えられる。真心からの涙を見分けるくらいはできる。伝家の宝刀のような彼女の涙を見て他の女は嫌悪する。どんなに知らぬ存ぜぬを通しても、人間は物事の本質を本能的に見抜くことができるように作られているからだ。人が人である条件は良心が無意識にも感じられて、抗うように物事の本質を曲解するところにあると思う。俺はそれがない。だから間の子なのだろう。ハーフというかっこいい言い方も嫌いではないが、俺は自分の価値を貶めてしまうようで絶対に使わないようにしている。間に生まれた、単純にそれだけの存在。人間とか動物ということも言えない、数え方も匹も人も使えない。だから存在と言うしかない。寂しくはない、俺は人間ではないから、本質的なものを見抜けない。それはいつだって俺を悩ませた。そう言っておくと誰もが俺に同情した。それなのに、あの女だけはいつもしらけていた。白けた顔が俺を苦しめた。そうすると俺はもしかしたら人間なんじゃないかと思うことができた。俺は人間であれば、今度はこコヨーテと名乗ることができなくなる。それはアイデンティティをつぶしてしまうことになる。なぜならこの年齢まで俺は自分をコヨーテとしてこの世に葬ろうとしていたからだ。俺はあの女にあらゆる存在意義を崩されかけている。だから結婚という最も確実な制度で縛っておこうと画策しているというわけだ。
コイドッグという言葉を知っている日本人に出会ったのは初めてだった。俺の生まれはスペインだった。アメリカ人の母親がコヨーテだったと酔っぱらった父親が冗談半分でいつも語った。お前チェニスを知っているか?毎度聞いてくる。何が言いたいかといえば、商売女のお前の母親は俺と寝てお前が生まれたと言いたいらしい。だからお前はカサブランカで生まれて、今は流れてカスバ(城塞)でしか生活ができないのだと。城塞にはあらゆるものが運び込まれる。しかしそこから出ることはできない。俺がこの父親が日本人であることを高校生まで知らなかった。日本人という概念さえもなかったということが正しいかもしれない。日本に行ってみたいとこの時初めて思った。自分のルーツをみれば俺がいったい何者なのか少しは判断できると思ったからだ。
日本人の女は最悪だった。どこの国の女よりもおしとやかであったけれど、物事をはっきり言わないくせに二人きりになれば何でもお構いなしで節度なくぶちまけた。正直なことがありのままであるという概念を含んでしまったのはこの日本という国が倫理的な変容が日ごとに起こる世界でも類まれなる国だからだとすぐに理解した。軸のような倫理概念がない。俺はこの国が心底嫌いになった。
2021年11月16日 発行 初版
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