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カドモス

K

LAY-RON出版



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  この本はタチヨミ版です。

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カドモスの名前を持っているのは俺だけだ。でも俺は俺たちだ。

血生臭い話になる。いつからそうなったのかは知らない。オリンポスという神聖な場所がいつから犯され人間の隣人になったのかは俺たちも知らない。
俺たちが生まれた時、大祭司は言った。
「恐れることはない、私がお前たちを守ろう」と。母たちは去っていった。このオリンポスにおいて大祭司の祈りがきかれないことはないと人々は言う。兄にも姉にも弟にも妹にも俺たちは会うことができたのに、大祭司はあの日以来姿を見せなかった。俺たちが疑ったのは大祭司というのは現実にはおらず、ただの偶像に過ぎないのではないかということだ。

役目のないものはオリンポスから地上へと投げ捨てられる。神であった身分を忘れるほど人間は愚かではない。それはかつての話で、オリンポスと地上に厳密な境目があった頃の話であるが。嘲笑といういばらの冠が俺たちの頭上から消し去られることを大祭司が祈ってくれると信じていた。それなのに、大祭司は出てくることはなかった。
カドモス、それは竜を退治し自らも竜になってしまった名前だ。

竜には出会ったことがある、調教師のひとりが俺たちを地下牢に案内してくれた。子供だった俺たちは興奮気味に調教師にいろいろなことを聞いた。
「どうして地下牢にいるの?」「天空をかけめぐるんじゃないの?」「俺たちはすでに捕まっているこいつらを退治するの?」
質問は尽きない。俺たちは分身ではないし、ひとりでもない。それでも数が不確かだ。不可算名詞だと地上の人間どもは笑った。
俺たちは数えられないから人間でも神でもないのだと。

出自ははっきりしている。俺たちはオリンポスで生まれた。父や母の顔も名前も知っている。代々の血筋も家系図もきちんと教えてもらっている。それなのに地上の人間たちは俺たちを笑う。

オリンポスと地上の位置関係には一定の距離が取られていた。川とか山とか海とかで仕切る以上に感情と世界で仕切られていた。かつては、ということになるだろう。

橋がかかったわけでもなかったと調教師は話す。
「私たちはオリンポスから離れることは自由だったはずなんだ。だから本来なら橋もいらない自由な関係性だったんだよ」
地上の人間が何かおかしなことを言い始めた時期と仕切り線に変化が起こったことが同時だったから、地上に何かが投げ込まれたのではないかと調教師は話す。ヨハネの黙示録を読んだことがある。アンゴルモアの大王が地上に硫黄を投げ込むんだ。硫黄は臭い。腐卵臭と形容される。卵は生命のはじまりだ。はじまりの卵を腐らせた匂いの硫黄。いったい何だったのだろう。

俺たちの生命が孵化した頃に、大祭司が俺たちを呼び寄せた。
地上の人々が門の外に押し寄せていた。俺たちが竜を退治するデモンストレーションを見たいとねだってきた、と大祭司は言う。
「あなたは大祭司なのではないのですか?」
正直すぎる俺にシスターが困った顔をして俺を抱きしめた。消毒液の匂いが年々濃くなる気がしていた。おかしい。ここはオリンポスなのに。。。
大祭司は神殿へと帰っていってしまった。謁見というには事務的すぎる。子供でも感覚的にわかるものだ。

神父が俺たちに洗礼を授ける。オリンポスでなぜ洗礼を授けられるのだろう?そんなふうにして俺たちは目を見合わせた。
察したように神父はことの説明を始めた。
「すでにオリンポスだけではことが治められない。洗礼はまじないとして考えなさい。ないよりはあったほうがいい、未知の世界に旅立つお前たちになんでもしてやりたいという大祭司の御心だ。この洗礼がもしかしたらさらに道を不安定にさせる可能性もある。しかし、ないよりはあったほうがいい」
話がうまく見えない。でも仕方ない。俺たちは地上に放たれるのか、だいたい竜はどこにいるのか?
「地上に行くことになる。本来はオリンポスの中の竜退治だったのだが、、、」
放たれる、という言葉を盛んに使い暗い顔をしているシスターたち。足がない、腕がない、耳が切り落とされている、目が潰されている、俺たちは何を見ていたのだろう?シスターたちはいつからこんな、、、駆け寄ろうとする俺に、あの竜の調教師が腕を強く掴む。
「お前たちは放たれる。竜を退治するんだ。シスターたちはここにいる」
なんでそんな当たり前のことを、、、、
戸惑う俺たちカドモス。
不可算名詞の神でも人でもない、不確かな存在。ありふれた思いを抱いてはいけないと言われたあの日の記憶。「恐れるな、お前たちは私が守る」という言葉があったから、俺たちの母親たちはカドモスへと奉献したというのに。

これは奉献です。
母親たちは複雑な表情をしていたことを今になって思い出す。
放たれる、荒野へと。


地上は血生臭い荒野だった。草も生えていない、硫黄が湧き出ているというのに人々はl気にも留めていなかった。歩く姿が楽しそうに見えるのはそういう仮面をつけているからだ。ああ、今年の流行は「笑顔」と「勇気」らしい。硫黄の匂いがきつかった。俺たちはカドモスと名乗らずとも色物扱いを受けた。太陽のその上にいたから肌が白い。雪や陶器は白い。それ以上に白い俺たちの肌を見て、地上の人々は遠巻きに噂と仮説を立てた。柱は日々変わる、仮説と流行は柱として地上を支えていた。
真実の柱はオリンポスでは揺るがないものだった。日々変化を繰り返すことはあり得なかった。俺たちがいたオリンポスと地上の差は大きすぎた。そして隣接するふたつの世界がつながることで硫黄の匂いが流れこんでいたからシスターたちは傷だらけだったのだ。
アンゴルモアの正体はもしかしたら日々変化する柱に紛れ込み入り込んだ悪魔なのかもしれない。それが竜だったとしたら、俺たちのようなカドモスに倒せるというのだろうか。
竜の調教師は珍しく女だった。名前はアフロディーテ。金星を住まいにしていると噂できいたことがあるが、アクセサリーとか装飾品とは無縁の土と埃にまみれた女だった。俺たちはふざけて土埃とあだ名をつけた。何度喧嘩したかわからない。年齢差にして200年の差はあったと思うが、対等に本気でけんかをして俺たちが時々勝ってしまうのだから面白かった。
懐かしい。
地上の土や埃を手の中で弄んでも、土埃は叱りにこない。顔を真っ赤にして、牛みたいな勢いで俺たちを追いかけてこない。
寂しかった。
アフロディーテの言葉が夜になると思い返された。
「お前たちは放たれる。竜を退治するんだ。シスターたちはここにいる」
つまり、この地上において俺たちを抱きしめる愛はないということだ。
カドモスの片割れが俺を見捨ててそう言った。結束がもともとあったわけではない、俺たちはひとつではないし、大勢でもない、ただの不可算名詞の神でも人でもない、よくわからない幻想の生き物だから。

ばらける俺たちを束ねようと東奔西走する大祭司もシスターもいない。あの調教師も。
土埃を手の中で弄ぶ。夜が幾度訪れ、朝が引きずり出されてきたか。俺たちの地上の生活に時間は存在しなかった。俺たちは永遠を味わっていた。感情の境界線を破ってオリンポスに帰ろうと試みたけれど、オリンポスの門番はすでに人になっていたから俺たちは意地悪をされた。

放たれた。俺たちは本当に、この地上に親のない子供として放たれたんだ。
苦役に耐え、救い主が来るのを待つか、それとも俺たちが本当にカドモスに成長してしまうか。どちらにしろ、俺たちはどちらにしろ進むつもりだ。永遠の中で座り続けていても時間が解決しない。永遠は責任ばかりがつきまとう。仕方ない。俺たちは放たれたのだから。

まだ知らない竜を追い求めて。カドモスに成長して。
選択肢はない。やるべきことがあるから地上に放たれた。
土埃のいうことそのままに俺たちは永遠の責任の中であえぐことになるのかもしれない。



  タチヨミ版はここまでとなります。


カドモス

2021年11月30日 発行 初版

著  者:K
発  行:LAY-RON出版

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