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言葉と目を合わせる

滝田由凪

京都芸術大学 文芸表現学科



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 二〇二一年十月末、私は知り合いが新型コロナウイルスに感染したことにより、濃厚接触者になった。二週間の自宅待機が命じられ、二週間外出をしなかった。週一回の授業以外の日はほとんどアルバイトをしていたので、家に長期間いること自体、イレギュラーであった。なによりも、人と話すことが好きな私にとって、人と会わずに二週間過ごすことに対してのストレスが溜まり、唯一の楽しみがデリバリーで頼む食事だったので、栄養面など気にせずに生活をしていたら、三キロ太った。
 さらに、ストレスと食生活の乱れ(ファストフードなどの脂っこいものを食べすぎたのが原因)で、顔中にニキビができた。
 自宅待機生活一日目から、人と話せないことが苦痛すぎて、妹に「今から夕飯を食べるから、それを見てて」とビデオ電話をし、物凄く嫌がられた。「もう切っていい?」と何度も切られそうになるが、観ているテレビの話などを振るなどしながら電話を切らせないようにした。結局、二時間ほど姉のわがままに付き合ってくれた。次の日は、母と電話をし、その次の日はアルバイト先の先輩、友人などなど様々な人に「電話したいんだけど……」とお願いをし、一日一回は誰かとコミュニケーションをとるようにしていた。
 しかし、自宅待機生活が一週間を過ぎたころ、ラジオでコミュニケーションが図れることに気が付く。
 『Radiotalk』というラジオ生配信アプリで毎晩よしもとの芸人の方々が、時間差でラジオの生配信をしている。今まで、帰宅後はすぐに寝てしまうことが多く、ラジオはアーカイブに残ったものを聴いていたので、気が付かなかったが、生配信中にコメントをすれば読んでもらえる、つまり会話をすることができるのだ。それに気が付いた私は、ヘビーリスナーとなり、様々な芸人の方のラジオを聴きにいき、音声と文章での会話を楽しんでいた。
 電話以外での会話のコミュニケーション方法を知った私は、誰にも迷惑をかけることなく、妹にも嫌われない手前で二週間を無事、過ごすことができた。今回の自宅待機中に、私は人との対話でのコミュニケーションがないと世界に自分しかいないような疎外感を覚え、それがストレスになるという欠点を知ることができた。
 やはり、文字だけでの会話と声を発しての会話は別なのだと学んだ。
 私は、大学(京都芸術大学芸術学部文芸表現学科)で取材執筆をしているのだがテープおこし(取材した音声を文字化すること)をして、記事にしていく際に、音声で聞くと意味が分かるのに文字におこすと意味が伝わりにくいなと感じる事が多々ある。その人の話す速度や言い方、伝えようとしている姿勢などが影響していると考える。書き言葉は、文字だけで伝えなければならないので、よりわかりやすく、具体的な言葉であったり、言い回しをするが、話し言葉は話し方や身振り手振りなど、話し手が利き手に対して五感を使い、伝えようとするので多少言葉が曖昧でも伝えることができる。
 ちなみに、書き言葉にしてみた際、伝わりにくいと感じた際の私の対処法として、録音音声を聴いたり、文字おこしを参考にして、その人が話しそうな言葉や、方言などを使いながらその人らしい文章を完成させる。取材相手の方が自分の言葉で伝えたいことを発信してもらいたいという願いがそこにはあるからだ。

芸術学部文芸表現学科

 私が所属する京都芸術大学芸術学部文芸表現学科では、文章を書き、伝えることを日々学んでいる。文章力と読解力を鍛えるため、一年生が必ず行う学科伝統の授業がある。百讀といい、毎週一冊の本を読み、その本について二限分(約三時間)ディスカッションをしたり、コメントを書いたりする授業がある。本のジャンルは様々で、海外文学からエンタメ小説まで幅広い本を読んだ。この授業を、真面目に受けているのと受けていないのとでは二年生以降の文章力がかなり変わる。私は真面目に受けていて、毎回本も読み、課題も提出していたので、小説の要約(文章の簡略化)や感想、小論文などの授業では、全て良い成績をいただけている。元々、文章を書くのは好きだったので、苦ではないということもあるのだが、それ以上に毎週本を読み、感想を言う、文字にするという行為がタメになり、文章を書く耐性がついた。また要約をすることで、重要なポイント、作者が言いたいことは何かを汲み取る力、いらないなと思った部分は切り捨てる編集力なども学んだ。
 文芸表現学科の授業で扱う文章は主に、脚本の書き方、文章と言えど、小説や、詩、脚本、取材記事など表現の仕方は様々で、私は主に、取材記事で表現をしてきた。取材記事とは、取材先の方に話を聞きに行き、(二〇二一年現在は、オンラインの場合もある)取材をした際の話を元に、記事化するというものだ。
 とはいえ、初めから取材などをやりたいと思い入学を決めたわけではないのだ。元は、ラジオが好きでラジオの構成作家になりたかったから。高校時代、星野源さんのオールナイトニッポンを聴いていて、頻繁に出てくる作家の方に憧れ、国語の作文の成績は良かったので、文章と関わる仕事がしたいと考え、入学を決めた。
 入学して、脚本を書く授業があり、構成作家になりたかった私は真っ先にその授業を受けることに決めた。そもそもの物語を作るときのプロット(要約、簡略化した話の内容)の書き方から学び、プロットを最大で五つ、三つでもいいから書く課題が出て、ようやく物語が書ける、作家の第一歩だとワクワクした気持ちで、自分の頭の中の物語を五〇字のプロットにした。自分が書いたプロットを、他の人にも見てもらい、感想を聞くことになり、周りがどんなのを書いているのか気になったし、自分のを第三者が見たらどう感じるのかなど考えながら見せ、そして他の人のを見た。プロットを書いた紙を回して、余白にコメントを書いていくというものだったのだが、自分のものが返ってきた時、泣きそうになったのを今でも覚えている。書かれていたコメントは、「何かのパクリ」「おもしろくない」など辛辣な意見ばかりで、一人だけ「凄く面白そう」と書いてくれていたのが、とても嬉しかった。物書きの世界はこんなにも厳しいのかと、諦めようと思ったし、実際他の人のは面白そうだった。
 同じ授業内で、短編小説を書くことがあり生まれて初めて小説を書いた。前回のプロットの挽回をしようと、必死に考えて、母や叔母、妹にも読んでもらい、高評価だったので張り切って提出をした。今回は、前回と違いそれぞれの文章を読み、意見をその場で言い合う合評会と呼ばれる形だった。初めて読む同級生の作品は、レベルが高く、でも私も自信があったので大丈夫だと言い聞かせた。いよいよ私の番になり、どんな感想が来るのかと楽しみにしていたら「そもそも文章の書き方がなっていない」と言われた。教わっていなかったし、調べればよかったのだが言い方がきつかったということもありとても落ち込んだ。しかし、何人かは内容を褒めてくれて「もう少し台詞をこういう風にすれば、キャラクターが際立つかも」や設定を変えてみたらなどとアドバイスもしてくれた。何よりも、先生が褒めてくれたので、まだまだ頑張ろうと思えた。
 いよいよ、ドラマの脚本を書くことになり、夢に近づいている気がして、嬉しかった。とはいえ、プロットのストックや書き途中の小説はなかったため、いちから考えるしかなかった。
 だが、前回の短編小説の際に、自分の頭の中から何かを考えてそれを物語として書いていくことに、限界を感じていた。先生が話していた脚本の台詞は、生の声が大事というのを思い出し偶々実家から遊びに来ていた妹の日常をそのまま書くことにした。夕飯前の妹の動き、母との会話などを聞き逃さないようにメモしながら観察し、脚本にした。結果は、高評価でもっと見てみたいという声が多数上がり、とても嬉しかった。
 しかし、これは自分の考えた創作物ではなく、ほぼノンフィクションの妹の生活。自分で考えて物語として書くことが、困難だと判断し、私はラジオの構成作家にはならないと決めた。
 私が次に興味を抱いたのは、取材執筆だった。興味を持ちだしたきっかけは、京都府亀岡市で二〇二〇年開催予定の『かめおか霧の芸術祭』という地域、生活とアートのイベントのプロモーションの一環として、授業を通してではあるが携わっていた時だ。
 私たち、京都芸術大学芸術学部文芸表現学科は文章で世の中に伝えていくことを日々学んでいる。かめおか霧の芸術祭にも、亀岡市在住のアーティストや、農業を営んでいる方などに取材をし、取材記事を芸術祭の公式ホームページに掲載するという形での参加をした。
 私たちが執筆した記事を読み、亀岡市を知らない方々に亀岡市と芸術がどのような結びつきなのかなどを知ってもらえるように亀岡市の風景が分かるような写真選びや、風土、情景などがわかるような文章を用いるなどの工夫をしながら書いた。
 かめおか霧の芸術祭には、一年時の後期、二年時前期の約一年間携わり、生まれて初めての取材執筆もかめおか霧の芸術祭を通しての取材だった。
 グレゴリ青山さんという亀岡市在住のエッセイ漫画家の方だ。その日はかめおか霧の芸術祭のイベントとしてワークショップが開催されていたので、見学も行った。ワークショップの内容が、漫画で亀岡を表現しようというもので、それぞれが思う亀岡のいいところや、亀岡ならではの体験談などを話していく中、一人の方が大学生の頃、東京に住んでいたというお話をしていた。東京出身の私は思わず「東京のどこら辺に住んでらしたんですか?」と聞きき、その方と東京トークで盛り上がり、ワークショップ終わりも少し話した。
 また、ワークショップ中、各々の亀岡あるある「スーパー松本の、パンが安売りの次の日は、朝ごはんやお昼がパンになりがち」、「洗濯物にカメムシがつく」などで盛り上がり、全員が初対面にも関わらず、大盛り上がりで、後日その日生まれた亀岡あるあるを元に自作で本も作成していた。自身が住んでいる、住んでいた地域の話をすることで、親睦を深めやすくなり、特に住んでいた地域のことを話せる相手がいると安心感が芽生えてくるものだと感じた。
 グレゴリ青山さんとの取材の際、今回ワークショップの感想について聞いたところ、「亀岡在住の人で亀岡ではない場所に行ったことがある人って、亀岡を客観視しているし、私もそうだけど、よそから亀岡に越してきた人にはどんな風に見えてるんだろうって気になって、そういった人のほうがネタいっぱいあると思いましたね」と話していた。
 大学から地元の東京を離れ、関西に住み始めて半年が経ち、夏休みに実家に帰るなどしてホームシック状態だった私にとって青山さんの言葉は創造をしていく身としてだけでなく、別の地域から来た自分を受け入れてもらえている気がして、凄く励みになった。
 また、亀岡市には霧の芸術祭の拠点として我が大学の空間デザイン学科と共同制作で建てた『KIRICAFE』というカフェがある。(カフェには、地元の農家の方が野菜を売りに来ていたり、アーティストの方がワークショップや講義を開いたり、展示などを定期的に行っていたり多種多様な催しが行われている。)
 カフェの従業員の方は、地元の方で気さくに話しかけてくださり、私が一人暮らしを始めていて自炊にはまっているという話をしていると、「この野菜、持って帰りな。こういう料理にあうよー」と野菜をいただくこともあった。
自然の中にあるカフェならではの居心地の良さも相まって、より一層人の温かさに触れることができ、ここに来れば誰かがいて、誰かが話を聞いてくれる環境があり、第二の故郷ができた気持ちになった。
 新型コロナウイルスで、なかなか亀岡市に足を運べていないのだが、進路が決まった話や今の自分のことなど報告したいことが山ほどあるので、卒業するまでに一度は顔を出したいと考えている。
 取材先の方から聞かせて頂いた話を元に、取材記事を書いていくという作業が楽しく、取材相手の方の思いを受けとって文章として世に発信していくという喜ばしくも責任のある仕事に感激し、ライターもいいなと思い始めていたころ、二年後期から始まった学科内編集ゼミが始まった。私が所属していた京都芸術大学芸術学部文芸表現学科内の編集ゼミ、中村ゼミでは、その都度テーマを決め、テーマに合わせた取材を外にしに行き、取材記事を学内広報誌『瓜生通信』Web版に掲載、雑誌制作、ラジオ制作などを学生がいちから行っている。私たちの代の主なテーマは、「ことばと芸術で社会を変革する SDGsの実践」であった。
 その活動の中で、私のグループでは朝鮮半島の民族衣装「チマチョゴリ」を製作する方にお話しを伺い、文化の表現方法について考えた。
 兵庫県神戸市でチマチョゴリを制作し、販売をする会社、ファンスタイルの経営者兼制作者である黄優鮮さん(ファン・ウソン)さんへの取材は、Facebookに私がメッセージをしたことから始まった。取材をしたのは二〇一九年だが、現在でも親交があり、定期的にお互いの近況報告をしあっている。
 二〇一九年十月二五日に、ヘイトスピーチと人権について活動されている在日朝鮮人・フリーライター、李信恵(リ・シネ)さんに特別講演をしていただき、李さんが以前チマチョゴリ製作を依頼したことのあるチマチョゴリ製作者、黄さんへ取材依頼をした。
 取材依頼は、Facebookのダイレクトメッセージで、初対面の方に対する言葉選びに物凄く苦戦し、正しい敬語について調べながら取材を受けて頂けるには、自分たちの思いを伝えるにはどうしたらいいのか、また相手に失礼のないような文章でメッセージを送らせていただいたのを鮮明に覚えている。親しくなってから、黄さんご本人に聞いたのだが「丁寧な依頼文で嬉しかった」と言って頂けてとても喜ばしかった。
 依頼をする際の緊張ももちろんあったのだが、当日の取材もいかに自分たちが聞き出したいことを聞き出すことができるか、相手が話したいことを話せるような空気感を作れるかなど様々なことを想定して挑んだ。(先輩一人、同級生一人の三人で取材をしに行ったので、記事に起こすうえで聞くポイントとなる題材集めを分担して行い、またそれぞれが個人的に聞きたいことなど事前に打ち合わせをした)
 取材当日、黄さんが普段打ち合わせなどで利用している自宅近所の会議室を抑えてくれていて、指定された駅から車で送迎をしてくださった。
 初対面ということもあり、行きの車内ではお互いにどのような仕事をしているか、どのような分野を学んでいるかや、今現在興味関心があることなどを話し、和やかな雰囲気で目的地まで行くことができた。また、会議室に到着し黄さんが持参してくださったチマチョゴリを準備している間、私の学年が来月成人式(取材日は十二月)という話題になり、成人式の着物はどんなものを着るのかや、成人式用のチマチョゴリもあるという話などをした。
 その後、黄さんがお茶を準備してくださり、お湯を沸かしている間、給湯室が家庭科室のような雰囲気という話から派生し、それぞれの世代の家庭科の調理実習の授業でどのような料理を作ったかなどの話で盛り上がった。
 行きの車内や、チマチョゴリの準備中、給湯室などでの会話のお陰で、和やかな雰囲気でお互いにリラックスした状態で取材を始めることができた。
 取材中、なぜ日本でチマチョゴリを制作しているのかと聞くと、「日本で産まれたが、自身のルーツは別の国で、その国の衣文化を着ることで日本にいながら、代を継ぎ何十年も意識されていることを感じ取ることができる。それは、母国の思いを繋いだ沢山の方々がいたからこそのものであり、自分のアイデンティティをしっかりと持たれて一歩前に踏み出したい方々の、その人たちに合わせたものを、日々模索している」と話していたのがとても印象的だった。
 これは、黄さんだけではなくグレゴリ青山さんをはじめ、私がこの四年間で取材し、取材先の方自身の言葉で、声で聞くたびに感じたことなのだが、自身の実現したいことや、現在取り組んでいる事柄について話ができることは素晴らしいことだと毎回感じる。
 黄さんとは、二〇一九年一二月の取材依頼頻繁にメッセージのやり取りをしていて、二〇二〇年七月に近況を聞きたいと思い、Zoomではあるがお話を聞かせていただいた。
 お二人のお子さんのおうち時間の過ごし方の話から、ファンスタイルの現状や、私の就活についてなどプライベートのことから、仕事の話、時事問題まで様々な話をさせて頂いた。
 黄さんは、とてもポジティブな方でこの日も「コロナ渦で自宅で過ごすことが多くなってしまいましたがどうですか」という質問に対し、「ファンスタイルは、依頼されていた舞台などの公演が中止、延期になってしまったので依頼された衣装を作る機会がなかったが、チマチョゴリも、インターネット販売を始め全世界の人が買えるようにすることで窓口を広げることができ、より多くの人に知ってもらえるきっかけになるかもしれない」とインターネットの普及をうまく活用した次なる一手を考え始めていた。
 そして、話の最後に「インターネットが普及したことで、誰でも、何でも手に入りやすくなったけど、そういう世の中だからこそ流行りものの中で、いかに自分らしさを出していくかが重要になってくる。それに、同じことを学んでいてもとらえ方は人それぞれでそれもまた個性になる。色んなことにどんどん挑戦していってほしい。チャレンジは無限」と話してくれた。ただ自粛期間で家にいなければいけないではなくて、今この状況下でどうしたら自分は良い方向に進めるのかを考える思考は常に持つべきだなと黄さんの話を聞いて考えた。
 また、この方とは今後も交流を続けていきたいと強く感じた。
 取材へ出向く前に、必ず取材相手のことを調べ、その方の職業、関わっている事柄についてを下調べしていくのだが、調べても出てこない、日々携わっているからこそ感じる事や思いが聞けるのでミーハーと言われてしまえばそうなのかもしれないが、知らない世界を知れるようで、下調べの段階から物凄くワクワクした。
 また、扱う題材によっては見る側の捉え方次第では不快に感じさせてしまったり、嫌な思いを思い出させてしまう場合もあるので、どの人が見ても問題のないような文章構成、言葉選びをしていかなけらばならない。話し言葉でもそうだが、自分では気づかなくとも、受け取る側は傷つく言葉もあるので提出前にゼミ生同士で読みあい、丁寧に校正を行っていた
 そして、同じ題材でゼミの同級生たちと挑んだラジオでも言葉について沢山試行錯誤した。二〇二〇年六月頃から、ラジオ制作は始まったので、コロナの影響をうけリモートでの打ち合わせで、上手く伝わらないもどかしさと葛藤しながらそれぞれの役割を果たした。中身は、内輪ノリにならないように、且つ重すぎない雰囲気作り、理解しやすい言葉で、など気を遣いながら収録したのを鮮明に覚えている。ラジオの題材が、多文化共生ということもあり聞き馴染みのない言葉であるし、そもそも多文化共生とは? の説明から始めた。取材に行った感想などを交えて話し、一番足を運んだ大阪府大阪市生野区の鶴橋について話す場面で、どう話せば行ったことのない人にも伝わるのだろう、またどうすれば行ってみたいなと思ってもらえるのかと三時間以上話し合った。
 結果的には自分たちが初めて鶴橋に行ってどう感じたかの第一印象を話すことにし、タピオカ屋が沢山ある、韓国コスメ、観光アイドルのグッズショップとかもあるなど見たままの情報を話した。私たちと同世代の方に来てほしいと思い、魅力に感じてもらえるようなワードを沢山使い、興味を引くようにした(タピオカ、トッポギ、韓国コスメ、チーズハットグなど)。
 それぞれがラジオ内で話すことを決め、迎えた収録日当日。Zoomを繋げたまま、それぞれのスマートフォンのボイスレコーダーで録音し、個々のデータを繋ぎ合わせるという方法により、リモートでの収録が可能になった。
 三〇分という限られた時間の中で、題材ごとに何分ぐらい話すかを決めて話していたのだが、一人で話すものではないので自分がどのくらい話したらいいのか、均等に話すにはどうしたらいいのかという時間配分と言葉選びを同時に考えなけらばならない状況で頭がパンクしそうだった。
 しかし、話しすぎたと感じたら司会進行役の人が「じゃ次は……」と良きところで進めてくれたり、反対に時間が余ってしまったら別の話題を振るなど助け合って、無事収録を終えることができた。編集を全て行ってくれた同級生の腕もあり、完成したものはかなり良い出来で京都にある市民ラジオ局、『三条ラジオカフェ』で二〇二〇年十月二四日に放送された。私たちが制作したラジオ番組『ことばラジオ』は、三条ラジオカフェの公式ホームページに、アーカイブが残っているのでぜひ私たちの苦労の成果を聴いていただきたい。

コミュニケーションでの言葉

 東京出身の私は、大学入学と同時に関西へ来たのだが、関西でしかできないバイトがしたいと思い、思い切って関西にしかないテーマパークで働くことを決めた。
 私が所属していたのは、フォト部署で様々なエリアにあるフォトスポットでの写真撮影の手伝い、またパーク限定のフォトフレームでの撮影、その写真の販売を行っていた。遊びに来てくださるゲストがより世界観に溶け込めるように、そしてもっと楽しんでもらえるように様々な声掛けをし、笑顔になってもらえることがとても嬉しかったし、モチベーションにも繋がった。
 フォトの部署内では、店舗異動が頻繁にあり私は計三回異動した。
 入社直後に配属されたのは、期間限定のサバイバルゲームとのコラボレーションをしているアトラクション内での撮影された写真を出口で販売するという店舗で、ゲストがアトラクションを楽しんでいる所を機械で撮るというものだったこともあり、カメラを触って撮影することはなかった。
 また、世界観をしっかりと守らないといけなかったのでお金の単位はそのエリアに合わせ、映っている武器の名前、キャラクターの名前などを覚えるなどとスタッフとしての基本的な業務内容にプラスで覚えることが沢山ありとても苦労した。
 しかし、武器の名前を覚えたり、キャラクターの名前を覚えるなどして、自分自身が世界観に入ることができると、ゲストとの会話もスムーズにできるようになり、「この武器を持って撮影されたんですね」と話しかけると「そういい感じに構えられたんだよね」などと返してくださる方がいたり、自分が知らない武器の話をされても「まだ初心者なので、教えてください」とお願いする形で、話を広げるなどの会話のスキルを身に付けていった。また、登場するキャラクターのグッズを持ったゲストには「良い相棒連れてきてますね」と話しかけたり、世界観に合わせた言葉のボキャブラリーを増やしていった。
 アトラクションを楽しむ要素の一つとして私たちスタッフとの会話があるということを知り、もっと知識をつけて様々な人に、楽しんでもらいたいと考えるようになった。
 入社直後に配属された店舗は期間限定だったので三ヵ月しか勤務せず、すぐに次の店舗へと異動になった。
次に異動した店舗は、既存店舗と呼ばれ、期間限定ではなく、常にある店舗で一度離れてしまったが、トータルでは一番長く働いた店舗でもあった。
 家族や、インバウンドのゲストが多いエリア内にある店舗で、そのエリアのキャラクターの大きな壁画と一緒に写真を撮るというフォトスポット。前回と違い、老若男女、国籍関係なく様々ななゲストが訪れる場所であった。大きな壁画と撮影をするというものなので、全体を映すために、カメラのアングルがかなり下になっている。
 そのため、ゲストにはしゃがんでもらうか、前かがみになってもらわなければならない。(遠近法で、体のバランスがおかしくなってしまうため)
 しかし、ただしゃがんでくださいや前かがみにと言っても、伝わらないので、撮影する前に「カメラがかなり下にあります」と指を指しながら、言葉とボディーランゲージで伝えるようにしていた。また、小さい子どもには、
「あそこのカメラ見える? ここから撮るからね」と自らが、カメラの横に行き、カメラがここにあるよということを知らせる動きをしていた。言葉だけでは伝わらないことを、動作で補っていた。
 同じフォト現場で働いていた際、すぐ横に併設されたトイレを待っている方々と話す機会がよくあった。
 ある日、親御さんのトイレ待ちをしていた小学校に上がる前くらいの男の子と、女の子が話しかけてくれた。二人は、一所懸命、背伸びをしながら、新幹線でいとこと一緒に遊びに来たと話してくれた。どのアトラクションに乗ったのかや、どのキャラクターが好きなのかなどこっちが質問したことに対して、沢山答えてくれた。二人は、最後まで「すっごく、すっごく楽しいんだ!」と言っていて、こっちが笑顔になった。
 またある時は、友達と一緒に初めて来たというおばあちゃん。アトラクションは怖くて乗れないけれど、壁の装飾だったり、世界観を見ているだけで楽しい気持ちになれると言ってくださった。
 楽しいよと面と向かって言われることがこんなにも嬉しく、聞いているこっちも、ワクワクした気持ちになれること。楽しい、嬉しいと言葉にすることで、誰かと共有することができ、共有した人も楽しい、嬉しい気持ちになれる。感情を言葉にすることで、自分以外の人へ分けることができることを知った。

ゲストに合わせた声掛け

 親子や、インバウンド、おひとりの方、カップルなど老若男女様々なゲストが日々遊びに来る場所だったので、言葉選びも様々だった。
 写真の案内をするにも、小学校に上がる前くらいの小さい子どもには「あのキャラクターと一緒に撮ろうね、ほら! あそこから、お姉さんが撮ってくれるよ!」などの、ここは楽しい場所だから安心してねと言うことを伝える言葉をかける。また、小学校低学年の方には「写真はおうちのカメラでも撮れるよ」とシステムの説明を少し入れたり、高学年の方には「パークのカメラと、お客様のカメラ両方で撮ります、パークの写真は見て気に入ったらの購入です」と大人と同じ説明をしていた。
 また、インバウンドの方に対しては英語で、「無料で撮れるけど、このフォトフレーム付きのはお金がかかる」というのを簡潔に説明する。
 そして、テンションの違いも見極めなければならないのだ。例えば、パークが開園した直後は、全員これから楽しむぞという気持ちなので、テンションは高いので、写真の説明も、会話も通常のテンションで問題はない。少し時間が経過し、正午になると空腹になり早くご飯が食べたいけどどこも混んでるから空くまでの時間潰しでという方が多いため、テンションは少し下げめで、会話も相手に合わせて、こちらからはお昼ご飯には触れず、ゲストから「お昼ご飯のおすすめありますか」などと聞かれたら、答えるなどの気づかいをする。
 そして、閉園間近の遊び疲れてくたくたな疲労マックスの状態は二パターンあり、最後だから思いっきりはしゃぐ方と、疲れたけど最後の思い出にと最後の力を振り絞ってきてくださった方がいる。もちろんテンションは変えるのだが、どちらにも共通して行うのは、今日の締めくくりを最高の思い出にしていただきたいという気持ち。なので、こちらも楽しむことと、会話をする際は今日の思い出を話してもらうこと。ゲスト自らが話してくれる言葉こそが、今日の思い出であり楽しかったなと言う気持ちで帰っていただくために我々ができるお手伝いでもある。
 また、人数でもテンションの対応は変わってくる。
 五人グループで来ていて二人はテンションが高いけれど三人はそうでもないなんてこともよくある。そういったときは、高い方、低い方どちらかに合わせるのではなく、世界観に合わせたテンションで接客をすることを心がけている。世界観に合わせたテンションであれば、テンションが低かったとしても、無理に合わせるのではなく、エンターテインメントとして楽しんでもらいやすいからだ。
 そして、私たちがよくやりがちなことで親子が来てくれた際に、写真の説明などは親御さんにするが、その後のカチューシャを褒めたり、何のアトラクションに乗ったのかなどの会話をお子さんにしかしないということ。これは悪いことではないのだが、テーマパークに来るということは老若男女問わず楽しみであるので、それは親御さんも同じである。
 なので、お子さんに話しかけることに集中するのではなく、親御さんも一緒に話すことがとても大事である。特に一日の終わり頃の、歩き回って、子どもの面倒もみて疲れ切った際はより話しかけるべき場面であると働いていて感じた。
 疲れ切った親御さんには、「今日、何が一番楽しかったですか?」この言葉をかけるだけで「そうだね―何が楽しかったかな?」とお子さんと相談してくれたり自身が楽しかったことを話してくれたりと、自然と笑顔にもなるし待ち時間が長い場合の、時間つぶしにもなるのだ。この方法で、私が一番印象に残っているのは、物凄く暑い夏の日の日中、四歳くらいの男の子とお母さんが写真の列に並んでくれていた時のこと。炎天下の中、長い列で三〇分はかかる程の列の長さであった。
 並んでくださっている方々に、写真のシステムの説明をした後、男の子に「一緒に写真、撮ろうね」と言うと、お母さんの足の後ろに隠れてしまっていて、恥ずかしそうに、もじもじしていた。私がお母さんと話したら安心してくれるかもと考え、「アトラクション何か乗りました?」とお母さんに聞いてみた。すると、お母さんが「今丁度あれ乗ってきて、涼しかったんですよねぇ、あれ乗ったよねー!」と、同じエリア内にあるアトラクションを指さし、男の子にも話を振ってくれた。
男の子は、「うん! あのね僕ね」とお母さんの足から離れて、私の方に身体を向け、話してくれた。思わずお母さんと顔を見合わせ、二人で笑顔になったのを覚えている。初めにお子さんに話しかけるよりも、親御さんに話しかけたほうが、「知っている大人と話しているこの人は、危なくない人なんだ」と思ってもらいやすく、撮影する時に泣いてしまったり、撮りたくないと言われずに、笑顔で撮れることが多かった。

一瞬でも声掛けを

 二〇一九年一月から三月まで、有名怪盗アニメとコラボしたアトラクション内にあるフォトスタジオで勤務していた。以前のアトラクション内の店舗とは違い、アトラクションの待機列の中にあり、乗車記念という形で、一眼レフで撮影するというものだった。一眼レフを自分の手で持ち、画角、ピント全て自分で合わせながら撮影しなければならないカメラ初心者の私には過酷な現場だった。(その分物凄く成長できた)
 そして、待機列ということもあり撮影時間は一組当たり、三〇秒もなく、撮影ブースに入ってくるまで人数はわからない。
 入ってきた瞬間に、何列で撮影しましょうと案内するのだが、BGMや周りの声、また興奮状態であるゲストは中々話を聞いてくれなかったりする。なので、声を張るだけではなくわかりやすい言葉で、ジェスチャー付きで案内をすることを心がけて、スムーズに短時間で撮影をできる工夫をしていた。
 また、待機列で長い間並んでくださっているゲストに、少しでも楽しんでもらいたいと考え、毎回ブースに入った際、瞬時に観察し、ゲスト一人一人に合った声掛けをした。
 「そのお洋服、めちゃくちゃ可愛いですね」や「上から下まで全部お揃いなんですか!」、「よかったら、拳銃を構えるポーズでかっこよく決めてみてくださいね」などと、とにかく特徴を気づけるようにして、カチューシャなどは、どのスタッフも褒めるポイントであるから、できる限り別の場所、キーホルダーや、缶バッジなどの声をかけられたら、そこも見てくれてるんだという驚きに繋がるような部分を選んで観察していた。
 そうすることで、相手も「そうなんです!」や「ありがとうございます」など、お礼を返していただけるのと、撮影後再び待機列に戻った際にお連れ様同士で「こう言ってもらえた!」などの会話のきっかけ作りにもなり、待ち時間を楽しいものにしてもらえるように手助けをした。
 そして、アトラクションなのでシステムトラブル等の理由により、頻繁に列が動かなくなることが多かった。
 その際は撮影ブースから出て、積極的に話に行くようにしていて、内容はどのアトラクションが好きかやこの場所がおすすめですよなど、今パークにいるからこそ共有できる話題であったり、私が好きなアニメキャラクターやアーティストグッズなどを身に付けている方とはより深く会話したりとその人に合った話題を提供することを心がけていた。
 カメラブースに入ってきた瞬間に特徴に気が付き、すぐに言葉としてゲストに投げる。そして、クオリティの高い写真を撮影し、ゲストに楽しんでもらう。カメラに入ったその瞬間から、楽しむことができるように、三〇秒もない時間の中でブースに入ってきたゲストを瞬時に観察し、ゲスト一人一人に合った声掛けをできるように日々訓練をした。
 言葉で初対面の相手を笑顔にさせることができるのは人間しか出来ないことであり、それに気づいている人は案外少なく、それを仕事にしている人は素晴らしいと改めて感じる。
 約三年間勤務していて、新型コロナウイルスの影響により余儀なく辞めることになったのだが、最後の一ヵ月間は普段のフォト部署ではなく、新型コロナウイルス感染拡大防止の為に新しく設置された、入口での検温の仕事をしていた。
 来客されたゲストの額に、非接触体温計を当てて検温をし、三七・五度以上の場合、別室のクーラーの効いた涼しい部屋で、再度時間を空けてから、再度検温を案内するという業務内容だった。
 私は、体温を測る際、万が一高体温が出てしまったらどうしようという不安な気持ちを少しでも取り除き、楽しい気持ちでパーク内へ送り出したいと思い、来客される全てのゲスト一人一人に合わせた声掛けをした。
 残り一ヵ月しか働けないという思いと、今までフォトの現場で培ってきたコミュニケーション能力、洞察力、語彙力を駆使し最高のおもてなしをしようと決め、自分自身も楽しむことを忘れずに声をかけていった。
 お馴染みのキャラクターグッズを身に付けたゲストへの「今日はそのキャラクターと遊びに来てくださったんですね、楽しんでってくださいね!」などの声掛けはもちろんのこと、向こうから「このアトラクションがとても楽しみで」と言ってくださることも多かったので、その際は「どこに乗るのがおすすめですよ。」などの情報を教えたりした。
 また入口ということもあり、ワクワクした気持ちでテンションがとても上がっているゲストがほとんどなので、立ち止まっての検温、間隔を空けての待機をしていただくということを中々してくれない際は、アトラクション内のフォトスタジオでの経験を活かし、「安全に楽しんでいただくために、おでこでの検温お願いします」と、わかりやすく短い言葉で伝え、検温している二〇秒もない時間の中で声をかける技術も、このキャラクターを身に付けているゲストにはこの言葉が最適だ、などと自分の頭の中の引き出しから引っ張り出したりするのも、全て今までの経験からなるものだった。
 約三年間の経験は、楽しいだけではなく自分が伝えたいことが、相手に中々伝わらないということも多々あり、その場合の対処方法や、言い回しの仕方を先輩から教わったりしながら一発で伝えられるようにしていた。また、瞬間的に人を笑顔にすることができる言葉や、老若男女、国籍関係なく楽しいを共有できた瞬間のフレーズ、臨機応変に対応する能力など今後の人生において、絶対に役に立つ術だと思うので、とても濃い三年間だった。
 上司や同僚、後輩からはもちろんのこと、初対面のゲストから教わったことも沢山あり、初めは恥ずかしがっていたけれど、最後は笑顔で話してくれた男の子とお母さん、新幹線でいとこと来てくれたお子さんたち、初めてパークに遊びに来てくれたおばあちゃんなどここには書ききれないくらい、三年間で携わったゲストの方々、スタッフ、関わった全ての方々との会話のお陰で、私は成長できた。
 母に言われた、「小さい頃あなたが見ていたテーマパークのお姉さんに、今あなたはなっているんだよ。あなたが今覚えているように、きっと、小さい子たちが大きくなった時に、あの時のテーマパークのお姉さんって思い出してくれるよ」という言葉は今でも忘れないし、私が関わったゲストにそう思ってもらえているのなら、働いた意味があるのかなと思う。
 たった一言だけで人を笑顔にさせられる、一つ一つの言葉はアトラクションであり、言葉自体がエンターテインメントである。

お笑いの言葉

 二〇二〇年九月より、学科の紹介でインターンとしてお笑いの劇場で働いている。所属芸人は九〇を超え、毎日ライブがあるので、お笑い中心の生活をしていて、漫才やコントなど様々な表現を五感で体感している。
 私がお笑いを好きになったのは、両親の影響で幼い頃から、主にコント番組をよく観ておりM―1グランプリ、キングオブコントは毎年必ず観ていたのだが、その時はただ面白いというだけで特に、どの芸人が好きなどはなかった。そんな中、二〇一三年の『THEMANZAI』で優勝したウーマンラッシュアワー(ボケの村本大輔さんとツッコミの中川パラダイスさんからなる、吉本興業所属のコンビ)さんのネタを見て、初めてこの芸人が好き、他のネタも見てみたいという感情を初めて抱いたのだった。
 ウーマンラッシュアワーさんのどこが好きになったのかと言うと、まずボケの村本さんの高速で話しているのにも関わらず、嚙むことなく、そして聞き取りやすく、どのテーマでも、世代問わずわかる言葉で話している所と、対するツッコミの中川さんが、高速で話し続ける村本さんの邪魔にならない絶妙な隙間で的確な、そして観客目線でツッコミを入れるというところが好きだ。
 もちろん、ボケとツッコミのテンポ感も気持ちがいいということも一つなのだが、それぞれが自分の言葉で、例え台本があったとしても、自然に聞こえる会話のような構成の仕方が凄く好きである。ウーマンラッシュアワーさんのように、漫才師の方は言葉を元に、間やテンポ感、声色などを加えながら笑いを生み出しているのだ。
 漫才師だけではなく、コント師もまた言葉を元に、笑いを作っているのだが、私が思う言葉を巧みに使い、より日常に近い形で表現し、笑いをとっているなと思う芸人の方がいる。
ロングコートダディさんだ。ボケの堂前透さんとツッコミの兎さんからなる吉本興業所属のコンビで、主にコントを軸としているが、漫才もする。兎さんの人柄を生かしたネタが多く、自然体でネタができる様な工夫が施されている。
 例えば、「万引き」という堂前さん扮する主婦が、スーパーで万引きをしてしまい、兎さん扮するスーパーの店員に事務所に連行され、事情聴取をしているというネタがある。ざっくり内容を言うと、「スリルが辞められなくて、つい万引きをしてしまう主婦と、スリルと言う言葉を知らない店員の掛け合い」と言う内容だ。
 注目していただきたいのが、「スリル」という普段何も考えずに使っているけれど、意味を聞かれたらいまいち説明しがたいという絶妙なラインの言葉を知らないという設定。実際ネタ中に、堂前さんが巣率の説明をする際に、「ジェットコースターとかで味わえるやつです」というのだが、兎さんはピンと来ておらず、しかも味わえるという単語を聞いて、食べ物だと思ってしまい、最終的にスリルは、堂前さんが万引きをしたお総菜の事だと勘違いして終わる。それぞれが持つ言葉のイメージ、捉え方の違いで笑いは生まれていき、言葉が笑いになっていく瞬間を目の当たりにしていた。
 また、滝音さんと言うボケの秋定さんとツッコミのさすけさんからなる吉本興業所属のコンビも言葉を巧みに使うネタをよくしている。
 滝音さんは、さすけさんが生み出す「ベイビーワード」という新しい言葉つまり、造語が漫才やコント、共に頻繁に出現する。例えば、家の中で象を飼う現象のことを「お座敷エレファント」といったり、秋定さんの返す言葉がすべて、前向きな言葉なのを受け、「ポジティブおばけ」と言ったりなどの、使いたくなるようなワードを生み出している。また、さすけさんのツッコミは、「なんでやねん」や「ちゃうやろ」と言った短いものも使うのだが、長い言葉で突っ込むことが多く、その言葉もまたベイビーワードなのだ。さすけさんの数あるツッコミワードの中で、特に印象深く、出現頻度が高いのが「知ったかするなら当てにこい」である。どのような場面で出現するかと言うと、漫才中に出てきた固有名詞、例えば、『BUMPOFCHICKEN』だとしたら秋定さんが「あー知ってる知ってる、六人組の、じゃなくて、六〇代の女性の」などと、明らかに的外れなことをつらつらと話していくのだが、その際に発動するのがこの「知ったかするなら当てにこい」。
 一般的な会話では、知ったかぶりと言うのは、似たようなことを言い当てにいくものだし、知ったかぶりはあまり良いとはされていない。にも関わらず、知ったかとはかけ離れた、真逆の単語を言うことで面白みを増し、笑いになる。凄い発見だと思うし、お笑いは、一般の逆を行くものだと改めて感じた。
 お笑い芸人の方が使う言葉は、滝音さんのように言葉そのものが初めて耳にするから面白いこともあれば、話す速度や、捉え方のずれ、間のとり方などを加えながら笑いを生み出す場合もある。彼、彼女らが使う言葉は、特別なものではなくて、私たちの日常会話の中で使われているものがほとんど。その日常会話の言葉をいかに、自分たちだけの調味料を加え、味付けしてオリジナルな笑いに変えていくかが、鍵となってくるのだと私は考える。

Withコロナを生きる私たちと言葉

 二〇二〇年より爆発的な感染拡大を見せている新型コロナウイルス。私たちの生活は大きく変わってしまった。がしかし、コロナ渦から約一年が経った二〇二一年九月現在、ワクチン接種や、マスク生活の日常化、黙食、おうち時間などとコロナウイルスに対して適応しつつある。また、コロナウイルスが流行りだしたことで、オンラインという選択肢が増えた。小、中学校では、オンラインと対面のハイブリット授業を取り入れたり、会社はテレワークを推奨したりなど直接会わなくともやり取りができるようになった。
 黄さんと、コロナ渦の二〇二〇年七月に、オンライン上で取材を行った際にも感じたのだが、オンラインという選択肢が増えたことで、遠くの人とも話す機会が増えて、発注もネットから申し込んで、リモートでオーダーを聞くということができるようになった。なので、直接会わずにやり取りできるので、日本にとどまらず、世界の人とも気軽に話すことができるし、移動にかかる時間や、交通費も削減できるなど悪いことばかりではない。と話していた。確かに、オンラインが当たり前になりつつある現在で、どこにいてもネット環境さえあれば、会えるという凄い時代になってきている。
 言葉は、いつの時代も変わらずに存在し、言語が違うだけで世界中で使われている誰もができるコミュニケーションツールだ。
 また、SNSが普及した現在、アルバイトの休み連絡も電話ではなくメッセージなどで済ますことが当たり前になりつつある。便利ではあるし、私も頻繁に利用するのだが、言葉で伝えたいこと、この人には文字ではなく会話で伝えたいという場面が誰しも起こりうるのではないだろうか。
 例えば、内定が決まったなどの嬉しい報告や、落ち込んだ日、励ましてほしい、話を聞いてほしいときなど。会話で言葉を使うということは忘れずに行ってほしいし、そうしなければ、人間本来の感情が無くなってしまうと私は思う。
 もちろん、対面で話すことが理想ではあるが、未だコロナウイルスが終息しない中で、気軽に会おうということが叶わないことが多いと思うので、せめて電話で話す機会を設けてみてほしい。SNSは便利だし、決してダメだということではないのだが、対面での対話と、上手に使い分けて過ごしていくことが、今後の私たちに課された課題だと考える。

言葉を通して

 入学した時から、将来やりたいことは変わり、何度も挫折を繰り返してきたが、根本的にある私の軸は「言葉を通して何かを伝えたい」ということ。この言葉が、文字なのか口語なのかの違いであって、初めて脚本を書いて褒められた瞬間も、初めて取材をし、自分の居場所が見つかったことも、第二の故郷が見つかったことも。取材依頼から記事執筆まで自分で行い、現在でも親交のあるファンスタイルさんへの取材も。この四年間で学んできた言葉の使い方、重要性は確実に身に付いている。
 言葉と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。私は、人との繋がりをもつためのものだと思うが、それぞれの解釈があり、十人十色だと思う。
 がしかし、これだけは忘れないでほしい。
 「良くも悪くも言葉は人を動かす」

※SDGs(Sustainable Development Goals)

二〇一五年九月の国連サミットで採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための二〇三〇アジェンダ」において記載されている二〇一六年から二〇三〇年までの国際目標。地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)持続可能な世界を実現するための17のゴール・一六九のターゲットからその目標は構成されています。
※京都芸術大学SDGs推進室:https://www.kyoto-art.ac.jp/info/research/sdgs/

言葉と目を合わせる

2022年2月5日 初版 発行 

著者:滝田由凪
装丁:村澤萌々花(情報デザイン学科3年)
カヴァーイラスト:藤田佳乃(情報デザイン学科4年)
発行:京都芸術大学 文芸表現学科

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