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この本はタチヨミ版です。
「僕が君を守るよ!」
それが健二の口癖だった。
「安っぽいから止めなよ。そんな歯の浮くような事」
礼子は意地悪っぽく返す。
「安っぽいかな」
「うん」
「安っぽいか…………」
「うん。でも、嬉しい」
礼子は笑い、健二の手を握り締めた。
健二と出会ったのは大学生三年生の時のコンパの時だった。礼子はテニスサークルで健二は陸上サークルに所属していた。健二の外見は少しチャラく遊び人っぽかったが、内面はとても誠実だった。そのギャップも礼子が彼に惹かれた一因だと思う。
車が大好きだった健二は、暇さえあれば礼子を助手席に座らせて車を走らせたものだった。主に山や海などの自然が多かった。車の中のラジオが悲惨な事件を報じる度に、礼子に何かあったら、僕が君を守る! そう健二は言うのだった。なんだか、漫画のヒーローみたいだよ、と礼子が言って笑う。健二はそれを聞いて顔を赤らめていた。
「僕達、大学卒業したらすぐに結婚するのかな?」
健二は訊ねる。
「うん。そうしたい。でも、今って就職難じゃない? お互いに就職して、落ち着いてからがいいな」
「そうだよね、本当は今すぐにでも結婚したいけど、学生結婚じゃまずいもんなあ。うーん、うーん。僕、頑張るよ!」
「うん。私も頑張る!」
卒業を前に健二は中堅の中小企業に採用されて、礼子はイラストレーターとしての仕事を選んだ。互いに低収入を愚痴りあいながら、それでももっと稼いで金を貯めて結婚しようと誓い合った。
そして、健二と付き合って三年後。
ある事件は起きた。
……僕が君を守るよ!
……何があっても守る。命を賭けても守る。
……正義のヒーローがヒロインを守るように君を守りたい。たとえ僕が死ぬような目にあったとしても、礼子を守りたいんだ!
健二は、その言葉を本当に守り切って死んだ。
一年前の今日、健二と礼子は海に行った。彼はサーフィンが得意で真冬を除いて休日はよくサーフィンに出かけ、礼子と終日過ごしたものであった。
礼子も海が好きだった。蒼く澄み渡っている海。
まるで、それは健二の心そのものだった。
だから、健二には澄んだ海がとてもよく似合った。
スポーツで鍛えた彼の肌は美しい。無駄な贅肉が一切無い。
そんな彼は、何処か儚げな雰囲気をしていた。
……礼子はいつも健二の事を想い出している。その時の潮の香りも、人の叫び声も礼子は鮮明に覚えている。
あの日、健二と礼子はいつものように海辺にあるホテルを出て、岩陰にテントを張り、荷物を置いた。二人の間ではいつものささやかな小旅行のつもりだった。
健二はさっそく海に飛び出していった。礼子はそんな健二を眺めたり、浜辺で少し泳いだり、本を読んだりして過ごす。そんな海辺の過ごし方が気に入っていた。岬の突端の岩陰は、ホテルや皆がいる浜辺からは死角になっていて、誰にも見えないし邪魔をされない。しかし、それが逆に二人の運命を変える要因となってしまった……。
礼子が本を読んでいると、男達の声がした。
とても獰猛で、むさくるしく獣のような男達の声だった。
「なんだ、こいつ一人か?」
「いいや。あいつがこいつの男じゃないのか?」
「ふーん。それにしてもイイ身体してやがるな。たまんねえぇ!」
「こいつだけ、いただいて帰ろうよ。やろ、やろ!」
「いいや、あの男の前でやってやった方が面白いんじゃねぇ?」
「あいつ、捕まえてこよう」
男達はひとしきりゲラゲラと笑っていた。野蛮で不細工な顔の男達だ、と礼子は思った。その癖、性欲は人一倍強そうでとても粗暴な感じがした。
礼子は男達に両手両足を四人の男の強い力で引っ張られて身動きも出来ない。強いガムテープで口を押さえられている。恐怖が極限にまで達した時、健二が連れてこられた。
「おい! こいつ、お前の女だろ? こいつ男が欲しいって言っているから、俺達が可愛がってやるから、お前、そこで見てろ。俺さー、顔のイイ男をボコって、そいつの眼の前で女をマワすの一度、やってみたかったんだよ!」
ゴリラに似た顔の男はそう言うと下卑た笑い声をあげていた。
健二は両膝をつかされ、両手を二人の男に掴まれていた。
男達はよく見ると全部で七人もいた。健二はどうする事も出来ない。彼らは地元のヤンキーなのだろうか。しかし、もっと怖い感じがする。反社会組織の人達? 髪型も怖い。刺青が入っている男もいる。礼子は恐怖で声を上げる事も出来なかった。
礼子の目の前で健二が残りの五人から腹や背中を蹴られたり、顔を踏みつけられている。最初は抵抗していた健二も次第に全身の力が抜け、ぐったりとされるがままになっている。
「健二、健二! 目を開けて! けんじぃぃー!」
礼子の眼の前にゴリラ顔の男が近寄ってきた。
礼子はその男に服を脱がされ辱めを受ける。
健二は最後の力を振り絞りヨロヨロと立ち上がると、大声を上げながら礼子の上に乗っている男を突き飛ばす。男がもんどりうって、ひっくり返り、無様な姿をさらす。下半身裸の男の姿を見ながら、他の男達が腹を抱えて笑っていた。健二はリュックの中からサバイバルナイフを出して、その男を刺した。男は腹に刺さったナイフの柄を手にしたまま倒れ、その拍子にナイフが深く刺さった。凄まじい量の血が男の腹から流れ出した。病院! と、男の中の一人が叫ぶ。彼らは蒼ざめながらその場から去っていく。
「健二、健二! しっかりして!」
「…………礼子、ごめん! 守ってやれなかった!」
健二はパンティーを引き剥がされた礼子を見ながら涙を流していた。礼子も泣いている。礼子の下半身に走る強烈な痛みが、この惨劇を夢ではないと教えている。
「ううん! 守ってくれたじゃない! 私は大丈夫だよ!」
健二と男は死んだ。
残された礼子は大声を上げながら泣きじゃくった。
男達は逃げたが、後日、逮捕された。
どうも、最近、流行りの暴力団組織に属さない半グレと呼ばれる危ない集団だったらしい。男達の余罪は次々に出てきたそうだ。彼らは当分、刑務所から出てこられないだろうと警察が言っていた。
礼子は健二の実家にお焼香に行った。
健二の母親が昔を想って、泣き続けた。
「彼は私を守ってくれました…………」
「あの子はそういう子だったんですよ。昔から優しくて…………」
礼子は健二との想い出の中で生きようと決心した。幸いイラストレーターの仕事は安定して依頼が入ってくる。Webのみだが、月間で漫画の原稿も描いている。収入面では今の処、不安は無い。
ただ…………。
あれから、あの事件が礼子のこころの奥底で酷いトラウマになっていた。
見ず知らずの男達に囲まれ凌辱された事。
それから眼の前で健二が人殺しになった事、健二が死んだ事。何もかも思い出したくない辛い記憶になった。
礼子はあの日から、男性と視線を合わせたり、会話をするのが怖くなった。まともに顔を見て会話ができるのは、自分の父親くらいである。
礼子は心の傷を抑え込み、仕事をこなしていく。だが仕事で描いている絵や漫画には、礼子の精神状態が露骨に現れてしまい、クライアントや編集者からかなり心配されている。
PTSDによる心の傷は、気持ち次第でどうにかなるものではない。
それでも、自分には仕事が、生活がある。
礼子は自身を奮い立たせて、仕事に向き合った。
自分は社会人。大人の女性。だから、その責務を果たす。なんでもいい。
とにかく、自分は人形のように仕事をすればいい。……しかし、毎日がトラウマとの戦いの連続だった。電車に乗れば男の臭いで気持ちが悪くなり、フラッシュバッグを起こしてトイレで嘔吐する。それから、TVで海の情景を見るだけでも礼子はパニック状態になった。
ある日の事だった。礼子は健二とそっくりな青年を見かけた。しかも、健二と一緒によく行っていたカフェでだ。青年は本を読んでいる。カフェはお洒落な内装をしており、人は少ない。ゆっくりと読書が出来る。スポーツも得意なアウトドアな健二だったが、カフェの中では読書家だった。少年のように宇宙や古代遺跡の本を読んでは礼子に説明し、楽しませてくれた。
礼子は健二にそっくりな青年の顔をちらちらと見る。
青年も礼子の存在に気付く。
青年は礼子の方へと近付いてくる。
「あの……、隣、いいですか?」
まるで自然体のように青年は近寄ってくる。
「はい、どうぞ。大丈夫ですよ」
隣、というよりも、青年は礼子が座っている前の席に座った。
青年が読んでいた本を礼子は目にする。
星座の本だった。
まるで、健二と同じような趣味だった。
青年の名は、芳樹と言った。
それから何度も、同じカフェで礼子は芳樹と再会する事になり、隣り合って、色々な話をした。大抵は世間話。仕事の愚痴。自分は海が苦手な事。でも、好きな色彩は青である事。
「俺も青が大好きだよ! 礼子さんと話が合うな」
「ありがとう。芳樹さんといると私も落ち着くわ」
次第に、礼子は芳樹に惹かれていった。
礼子は男性と話したり触れたりするのが怖い……。
だが、芳樹は例外だった。
顔も、声質も、匂いも、立ち居振る舞いも、趣味も、健二とそっくりな芳樹だから……。
芳樹と出会って三ヶ月が過ぎた頃、礼子は初めて健二の部屋を訪ねた。風邪気味で熱っぽいという健二の見舞いに、手作りのシチューとサラダと彼の好きなケーキを持って。
保冷剤をタオルで包み、少し火照った顔の健二の額に乗せる。ベッドに横になった健二が微笑むと、タオルがずれて枕の上に保冷剤が落ちてしまった。それを慌てて拾おうとした礼子の手首を健二が引き寄せたせいで、彼女は思わず健二の体の上に倒れこんでしまった。
頬に健二の熱い吐息を感じる。
「私、怖い……」
礼子は言う。
男のひとと話すのが怖い。男のひとと接するのが怖い。あの男達の顔、声、体臭。そして、なによりもあの瞬間に対しての恐怖心が……。それはきっと、健二が生きていたとしても心の傷は残っており健二の裸を見る事は出来なかっただろう。
「大丈夫だよ。礼子」
芳樹が優しく、礼子の長い髪を撫でる。
「芳樹…………」
「辛かったね……」
「うん……」
既に芳樹には、恋人が殺された事。恋人が人を刺した事。自分が恋人の眼の前で強姦された事を言っている。芳樹は優しく礼子の頭を撫でた。
「芳樹、風邪は……」
「もう、平気さ。礼子の顔を見たら熱も吹っ飛んだよ」
「うん……よかった……」
「大丈夫だよ」
礼子は涙を流していた。
そして、二人はその夜、結ばれた。芳樹はとても優しく、彼の愛のある抱擁に、脳裏に鱗のようにこびり付いていたトラウマの記憶が、少しずつ剥がれていくようだった。
「一緒に頑張っていこう」
芳樹は言った。
芳樹の部屋の天井を青い星々がゆっくりと回っている。先月の芳樹の誕生日に、礼子がプレゼントしたプラネタリウムのプロジェクター。礼子と芳樹は青い星の数々に、二人の幸せな未来を重ねていた。
芳樹の寝息も、どことなく健二に似ていた。
世の中には、同じ姿の人間が三人はいると言われている。
芳樹はまるで、健二の分身。ドッペルゲンガーかと思ってしまう程よく似ていた。健二が生き返って、名前を変えて礼子の前にいるのではないかとも。
しかし、そんなことはどっちでも良い。
礼子は確かに、かつて健二を愛した時と同じように芳樹を愛している。
だから、それでいいのだと礼子は思う。
その次の日曜日、二人は水族館でデートをした。大きな水槽の中に入った魚達。深海魚やクラゲ、アシカなんかも見た。エビやカエルの水槽もある。
ある水槽の中で元気が無さそうな二匹の魚を見た。係員さんに訊いてみると、
「この魚はつがいなんですよ。片方が病気になっていて、もう片方が支えている感じなんですよね。まるで人間のカップルみたいで……」と水槽を覗き込みながら、心配げな様子で言った。魚の名前は忘れたが、なんだか自分と芳樹を彷彿とさせた。その日はアシカショーを見て、芳樹と一緒に閉館間際までにいた。そう言えば、健二が生きていた頃、いつか水族館に行こうね、という話になったことがある。プラネタリウムは一緒に行ったけれど、水族館には結局行けなかった。
アシカショーが終わったあと、数秒間、真っ暗闇になった。
礼子は思わず芳樹の手を握り締めた。握り返してくれるその手に愛を感じて、彼女は闇の中でそっと芳樹の名前を呼んだ。
「礼子って、やっぱり可愛いよね」
「可愛いって何処が?」
「うん。飯食っている仕草と、髪の毛かな?」
「もう!」
「後、匂いも好きだよ」
そう言いながら、芳樹は礼子の首筋を犬のようにくんくんと嗅ぐ。
芳樹とは健二とそっくりで、仕草や言うことも健二とよく似ていた。
そんなある日、芳樹は言った。
「礼子。本当の事を言うね。あの日、もう一人の僕が現れて、あのカフェに行けと言ったんだ。そして、髪の長い女性が本を読んでいるから、その人と話してって! 僕のお勧めの女性だよ。そして、その人を守るんだよ、って言ったんだ。僕が、僕にだよ、おかしいだろ? そして、カフェに行ったら君がいたんだ」
それを聞いて、礼子は思った。
健二だ。
それは、もう一人の芳樹ではなくて健二だ。
健二が自分を芳樹さんに出会わせてくれたのだ。
礼子の心から、健二への罪の意識が消えた。
そして。
少しずつ、心の傷も芳樹のお陰で癒えてきている。
まだ、電車の中や男達が多い場所は怖いけれど。
でも、あの日のフラッシュバッグが苦しい時、礼子は芳樹の事を思い出し、症状が酷い場合はすぐにメールや電話をした。
「これからも、俺が健二君に代わって礼子を守るよ」
タチヨミ版はここまでとなります。
2021年12月27日 発行 初版
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私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。 いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。 最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。 自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。 暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。 けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。 そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。 小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。 私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。 勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。 宜しかったら応援してくださいね(#^.^#) さら・シリウス