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振られた女・他短編集

さら・シリウス

さら・シリウス出版



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  この本はタチヨミ版です。


目次

◆ 振られた女

◆ フタの無い家

◆ マドンナと剥製

◆ 可愛い娘

◆ いけない弁護士

  おわりに



◆ 振られた女

 くたびれたサラリーマンがとぼとぼと帰宅している。その背中にはどこか悲壮感が漂っている。特別楽しいこともなく、ただただ生きるために働いているのだろうと思わせる雰囲気があった。規則的に同じ歩幅で歩みを進めているそのサラリーマンがふと足を止めた。その視線の先には、路上で音楽を奏でる若者たちの姿があった。
「いいなぁ……」
 サラリーマンの山崎浩二は周りに人がいるのも忘れて、独り言ちた。しばらく若者たちをぼんやりと眺めていたが、ふと尿意を感じて、近くのコンビニのトイレに駆け込んだ。用を足した後、洗面台で手を洗いながら鏡に映った自分の顔をまじまじと見てみる。まだ二十九歳になったばかりなのに、その顔は疲れ切っていて、四十代と言われてもまるで違和感がない。
 今はサラリーマンをしているが、本当は歌手になりたかった。十代から二十代の初め頃までは音楽の道で生きていくつもりだったし、実際にオーディションやコンクールによく出ていた。自分の奏でる音楽にも自信はあった。ただ、どれだけのオーディションやコンクールに出ても、結果を残すことができなかった。
「声が素晴らしい」
「圧倒的な表現力がある」
 声と表現力に関してはそれこそ聞き飽きるくらい毎回絶賛されるのに、最後のところで落とされてしまう。浩二にもその理由はなんとなくわかっていた。気を遣って誰も口にはしなかったものの、浩二は容姿に恵まれていなかったのだ。さすがに審査員も「見た目がダメだ」とは言えなかったのだろう。
 浩二は音楽をやるにあたって、昔の歌手の研究もしていた。昔の歌手にはひどいルックスでも確固たる地位を築いているのが何人もいた。浩二といい勝負になりそうなルックスの者。浩二から見てもこれは敵わないというようなルックスの者。ただ、今の時代はルックスがすべてだ。昔ならスターになれたかもしれない浩二も、時代の流れには抗うことができない。
 本当にルッキズムなんてくそくらえだ。声も表現力も劣っているような奴らが顔だけで、売れっ子になっている。顔に自信があるなら他に仕事があるだろうに。何をするにしても顔が求められる今の時代は、浩二にとって生きづらいことこの上なかった。
 ふと自分の顔に手を当ててみる。そのまま頬骨や輪郭をなぞっていくと、ため息が出た。浩二は顔の下半分が大きく突き出ているのだ。小学校のときのあだ名は「ペキン」だった。実際に、浩二は教科書に載っている北京原人のイラストに瓜二つだった。「猿っぽい」「ゴリラっぽい」と言われることにも慣れてしまった。
 そんな容姿の浩二だからこそ、整形は何度も考えた。そして、一度だけ美容整形外科へ相談しに行ったことがある。かなり実績のある医者だったのだが、浩二の顔を見るなり「これは大工事になりますね……」と言った。もちろん、浩二もそれは覚悟していたものの、改めて医者からこうもしみじみとした感じで言われるにはショックだった。
「別に芸能人みたいになりたいとかじゃないんです。ちょっとカッコイイかな、くらいの顔になりたいんです。その場合、どういう手術になるんでしょう?」
「そうですね……ザックリ言うと、骨を削って、骨格を変えて、ヒアルロン酸やシリコンを注入して……」
「えっ、ほ、骨を削る……?」
「はい、骨を削ります。まず、鼻を削って、ヒアルロン酸を注入して形を整えていきます。シリコンも入れたほうがいいでしょうね。目のくぼみも直していく必要がありますし、頬や額も削る必要がありますね。あと、頭にプレートを入れる必要もあります。その場合には……」
 良い医者なのだろう。浩二の目をしっかりと見据えながら、浩二のために惜しげもなく詳しい話をしてくれた。ただ、その内容があまりにも衝撃的で、浩二は途中で気分が悪くなってしまった。後のことは覚えておらず、気づいたときには自宅でうなだれていた。
 とりあえずテレビでも見ようとチャンネルを回してみると、ちょうど女性の整形に密着したドキュメンタリーをやっていた。やめておけばいいのに、食い入るように見てしまう。頭部が包帯でぐるぐる巻きになっている女性は術後の痛みに呻きながら、その痛みをごまかすように自分自身の体を叩き続けている。
 もし自分が整形をすることになったら、この女性とは比にならないくらいの大工事になるだろう。大工事になるからこそ、金額もかなりのものになる。手を加えるところが多い分、痛みもすさまじいものになるはず。それに、整形にはリスクがつきものだ。これらすべてを乗り越えてまで、容姿を変える覚悟はなかった。
 ただ、そうは言っても歌手になるという夢を諦めることはできない。今、この時代に歌手になりたいのであれば顔を変えなければ。それでも、整形のことを考えると気が重い。世の中にはそんなリスクを乗り越えて魅力的な容姿を手に入れた連中がごまんといるのに……。どれだけ考えども悩めども、堂々巡りで結論が出ることはなかった。
 結局、どこまで行っても一歩が踏み出せなかった。そして、浩二はいつもと同じように変わらない毎日を送るのだ。ある日の仕事帰り、浩二は珍しく一杯飲もうと考えていた。上司のミスで濡れ衣を着せられ、大勢の前で罵倒されたのだ。さすがの浩二もこれには飲まずにはいられなかった。
 どこで飲もうかと店を探していると、ひとりの女性が目に入った。人待ち顔でビルの入り口に立っている。綺麗な女性だ。きっとこんな女性を待たせているのだから、それこそモデルのような男が颯爽と現れるのだろう。本当になんとなくその女性のことが気になって、自分も人を待っているふりをして十メートルくらい離れたところに立って様子をうかがう。
 すぐにやってくると思われた待ち人は一向に現れない。三十分くらい経った頃、女性は諦めて立ち去ろうとちょうど浩二がいるほうに向かってきた。そのとき、本当にパチリという音でもしそうなくらいに女性と浩二の目が合った。近い距離で正面から見ると、本当に綺麗な女性で浩二は思わず目を逸らしてしまった。すると、女性がツカツカと歩み寄ってきた。
「待ち人来たらず、ですか?」
「えっ、ええ……そうみたいです」
「突然ごめんなさいね。ずいぶん待ってたみたいなので……まぁ、私もずいぶん待ってたんですけど」
 突然のことに戸惑っている浩二をよそに、女性は時計を見ながら大きなため息をついた。さてどうしたものかと浩二が考えていると、女性は浩二の顔をじっと見て、にっこりと笑顔を浮かべながら言葉を続けた。
「よろしかったら、お茶でもいかがですか? あっ、逆ナンですね、これって。ふふふ」
「ええ、是非。僕のほうもポッカリ時間が空いちゃいましたから」
 女性から声がかかるような容姿ではないことは浩二自身が一番よくわかっていた。きっと醜い容姿だから逆に安心しているのだろう。それにしてもこんな機会は滅多にない。こんな美人に声をかけてもらうのも、一緒にお茶できるのも二度とないかもしれない。仮に怪しい勧誘であれば適当な理由をつけて逃げ出せばいい……そう考えて、浩二は女性からの誘いを受けたのだった。
 ふたりは近くの喫茶店に入った。今どき珍しいレトロな喫茶店。明るい店内で自分の顔を改めて見て、女性が逃げ出しやしないかと少し不安になったが女性の表情も態度も何も変わらなかった。逆に、明るい店内で見る女性の顔は女神かと思うほどに美しかった。
「私、洋子といいます。あなたは?」
「こ、浩二です……」
「浩二さんね。浩二さんは誰を待っていたんです?」
「えっと、飲む約束をしていた同僚を……よくすっぽかされちゃうんですよ」
「まぁ、ひどい!」
「洋子さんは? デートか何かだったんでは……?」
「ううん、いいんです。今日すっぽかされたので吹っ切れちゃいました」
 洋子は浩二の容姿をまったく気にすることなく、よくしゃべり、よく笑った。とても魅力的だったし、店内の男性客も洋子のことをチラチラと気にしている様子だった。
 ――こんな彼女がいれば、人生も少しは楽しいだろうな――
 浩二は本当に心の底からそう思った。
「あら、もう一時間も経っちゃいましたね」
「ああ、本当だ」
「時間、大丈夫ですか?」
「ええ、もともと遅くまで飲む予定でしたし」
「じゃあ、このまま飲みに行きません? よく行く焼き鳥屋があるんです。あ、無理はしなくて大丈夫ですよ。浩二さんの都合もあるでしょうし」
「是非ご一緒させてください」
「ふふふ、よかった」
 サラリーマンの浩二にとって、焼き鳥屋というのは身近な存在だ。ひとりでもふらっと立ち寄れるし、それこそ会社の連中とグループで行くようなこともある。ただ、これまでの人生で女性とふたりで焼き鳥屋に行った経験はない。生まれて初めてのことだ。こんな幸せなことが自分に起こるなんて……と浩二はいまだに半信半疑だった。
「ここ、いいでしょう? 私のお気に入りなんです」
「ええ、いいお店を教えてもらいました。おいしいですし、雰囲気もいい」
「ふふふ、そうでしょう。気に入ってもらえてよかったです」
 食べて飲んでしゃべって……多くの人にとっては普通のことなのかもしれないが、浩二にとっては本当にすべてが夢のようだった。同時に、この時間がもうすぐ終わってしまうことを受け入れたくなかった。もちろん、それが分不相応であることはよくわかっていた。そろそろお開きかという沈黙の中で、口を開いたのは洋子だった。
「……浩二さんが嫌でなければ、番号とアドレス、交換しません?」
「えっ、も、もちろん! 是非お願いします」
「よかった~。連絡入れても無視しないでくださいよ?」
「いやいや、そんなことするわけないじゃないですか」
 浩二と洋子は番号とアドレスを交換し、その日はわかれた。連絡をしてもどうせ返事はないだろうとダメ元でメールを送ってみたところ、すぐに洋子から返事があった。いやいや、返事が来てもやり取りが続くわけがないと思っていたものの、洋子とのやり取りはその後も続き、ふたりでよく会うようになっていった。
 これで付き合えるなんて思ってはいけない……と毎回毎回その可能性を自分の中で打ち消していた浩二だったが、自然な流れで洋子と付き合うようになっていった。浩二にとっては、人生初の彼女、ガールフレンドだった。
「なぁ、浩二。お前、彼女ができたって本当か?」
「ああ、そうだよ」
「ちょっと会わせてくれよ」
「いやだよ。そもそも何で君に会わせないといけないんだよ」
「いやぁ、気になるんだよ。お前がどんな女と付き合ってるのか。変な女に引っかかってたら大変だろ?」
 失礼な……と思いながら、同僚の岡村武がしつこく食い下がってくるのを適当にあしらった。岡村はいわゆるプレイボーイで、会社一のイケメンでもある。泣かされる女は山のようにいるのに、それでも岡村にはたくさんの女たちが群がっていた。
 岡村には特に洋子を合わせたくなかった。イケメンの岡村と会えば、きっと洋子も岡村のほうを好きになってしまう。男として器が小さいとは思ったが、「中身でなら負けない!」と胸を張って言えるほどの自信もなかった。
 その週の金曜日、浩二は六時に洋子と待ち合わせした。ふたりでいつもの焼き鳥屋に行って、楽しい時間を過ごす。入って二十分ほど経った頃だろうか。誰かが浩二の肩をいかにも親しげに叩いてきた。そこにはにんまりといやらしい笑顔を浮かべた岡村が立っていた。
「よう! カップルでこんなところに来てんのか? 珍しいな」
「な、なんでここに……」
「ちょっと腹が減ってな。たまたまだよ、たまたま」
 岡村は、「たまたま」という部分だけをわざとらしく強調した。
 ――嘘を言うな。つけてきたくせに――
 店内で追い返すわけにもいかず、浩二はひとり分のスペースを空けるために焼き鳥の皿を脇に寄せた。岡村は当たり前のように洋子の隣に座り、まるで最初からふたりで来ていたかのように振る舞う。
「俺、こいつの同僚の岡村っていうんです。彼女さんですよね? お名前は?」
「えっと……洋子です」
「洋子さん! いい名前だ。それにしても美人っすね」
「いえいえ……」
 岡村はしつこいくらいに洋子にあれこれと尋ねる。洋子は洋子でもともと気がいい性格なので、岡村に合わせてしゃべっている。洋子は何度も浩二に話題を振ろうとしたが、そうすると岡村が強引に話を戻していく。
 ――ああ、せっかく彼女と付き合えるようになったのに!――
 浩二は気が重かった。三人でいても面白くない。岡村が来てからすべてが岡村のペースで、浩二の入る隙はなかった。きっとこのまま洋子も岡村にとられてしまうのだろう。岡村が帰った後、絶望的な気持ちで洋子を送ることになった。
 ようやくタクシーの中で洋子とふたりになれたのに、何も話す気が起きない。洋子は洋子で、心配そうに浩二の顔をのぞき込んでいる。しばらくするとタクシーが洋子の実家の前で止まった。洋子はタクシーから降りる直前に、浩二にキスをした。どこか照れくさそうにしている洋子を見て、浩二は有頂天になった。
 月曜日、岡村はふんぞり返っていた。
「よう、浩二。彼女にはフラれたか? 洋子さんの連絡先、教えてくれよ」
「……洋子さんは僕とつき合っているんだ! 余計な手出しはしないでくれ!」
 洋子にキスをされて勇気百倍。浩二はあのプレイボーイの岡村に堂々と宣言してみせた。 呆気にとられた岡村の顔は見物だった。それからも岡村はしつこく洋子のことを尋ねてきたが、浩二は相手にしなかった。
 岡村と会っても一切なびくことがなかった洋子を見て、浩二は少しずつ自信が持てるようになっていった。洋子との関係も進展し、浩二は洋子との結婚を考えるようにもなっていった。
 ――もう歌手になる夢なんかどうでもいい。彼女と結婚できるのなら――
 しばらくして、浩二は洋子にプロポーズした。喜んでくれるだろうと思っていたが、洋子はちょっと困った顔をした。ショックを受けなかったと言えば嘘になるが、結婚はその人の一生を左右するものだ。考える時間が必要だろうと、洋子の気持ちが決まるのを待った。

 そんなある日、浩二は所用で洋子の実家がある町へと行くことになった。いつかタクシーで送っていったことのある洋子の実家の前に来ると、玄関が開け放たれている。何か集まりでもあるのか開け放たれた玄関からはたくさんの靴が見えた。気になってのぞいてみると法事のようだった。首を伸ばして見てみると仏壇の中に洋子の写真があった。
 ――えっ? 彼女って双子だったのか……?―—
 浩二は思わず声をかけた。すると、奥のほうから年配の女性が出てきた。洋子によく似ているところを見ると、おそらく母親なのだろう。
「あの、突然すみません。洋子さんいますか? えっと、友達なんですけど……」
「えっ? 洋子のお友達? あら……あの子、洋子は二年前に亡くなりまして、今日は三回忌なんですけど……ご存知なかったの……?」
 ――そんな……そんなバカな……――
「そう、お友達だったのね……どうぞお上がりください」
「あの……洋子さんはなんで……」
「……あの子ね、自殺したんです。飛び降りて……」
「そんな! なんで……」
「当時、お付き合いしてた人がいたんだけどね。このあたりでも評判のモデルさんみたいな人よ。やっぱりそういう人ってモテるでしょう? 根っからの遊び人って言うのかしらね……。あの子、その人の浮気を問い詰めて、罵倒ばとうされて、ショックでそのまま……」
「そんな……そんな……」
 そのとき、浩二は唐突にすべてを理解した。きっと洋子は容姿に恵まれた美しい男に失望し、浩二と付き合ったのだ。もう歌手になるのも諦めよう。いつかきっと浩二のような見た目でもいいという女性が現れるはずだ。洋子がそれを教えてくれた。
 浩二は、洋子の顔を思い出しながら涙を拭いた。






  タチヨミ版はここまでとなります。


振られた女・他短編集

2021年12月27日 発行 初版

著  者:さら・シリウス
発  行:さら・シリウス出版

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さら・シリウス

 私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。  いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。  最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。  自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。  暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。  けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。    そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。  小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。  私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。  勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。  宜しかったら応援してくださいね(#^.^#)               さら・シリウス

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