spine
jacket

───────────────────────



ヴィオロンの妻

石藏拓 (いしくら ひらき)

NANA(七)



───────────────────────




  この本はタチヨミ版です。

愛猫 影千代

ヴィオロンとはバイオリンのフランス語読み。

 妻の生まれは東京の笹塚で、
国立音楽大学バイオリン科卒業。
学校でのあだ名は「蝶々」。

ピアノとバイオリンの教師で、
オーケストラでコンサートマスターを務めていた。
正式には女性はコンサートミストレスと言って、
「コンマス」じゃなくて「コンミス」と呼ばれていた。

妻は有名人だった。
身長は約百七十センチ。やせていて足は欧米人のように長い。
年齢は僕より一歳下だった。

妻が主婦参加型のテレビ番組に出演が決まる。
妻の友人らは参加できたが、
妻だけは普通の主婦の顔ではないと出演を却下された。
テレビ局からヤラセはしたくないと言われた。
妻は怒っていた。

結婚した年の晩秋に妻は妊娠した。
妻はオケを休んでも子供が欲しいと強く望んでいた。
初めて新幹線で妻の顔を見たとき、
子供が好きそうだと直感した。
僕が結婚したいと思った理由でもあった。
僕はなぜか女の子しか生まれないと信じていた。
名前をミユキと決めた。
僕は風邪で何度か寝込んだ。
妻は一度もなく健康で家事をテキパキとこなす。
「私は強いのよ」が口癖だった。
お腹が膨らんでからも布団干しをやっていた。
毎日やらないと駄目だ言う。
布団上げがいけなかったらしい。
妻は異常出血して切迫流産の危険ありで入院した。
離婚調停の書類に真っ先に妻が書き込む離婚理由だろう。
妊娠時に家事の手伝いをしなかった。
妻の恨み節となっていった。
千回は言われたかもしれない。
流産はしなくて一度退院した。
妻は子宮口が緩い体質だとわかり正月明けに再入院した。

五月六日大型連休の最後の日だった。
流産を止めるために子宮口を縛る直前だった。
担当医師が休みを取っている間に
入院している病院のベッドの上で流産してしまった。
病室のベッドの上での流産は、よくあるのだろうか?
流産と聞いてかけつけた僕は担当医師をにらんだ。
肝心なときに医師不在で申し訳ないような顔をしていた。
子宮口を縛るタイミングを間違えたのだ。
医師怠慢だと裁判したくなるほど怒りを感じた。
ミユキが戻るわけではないのでとどまった。

毎日の病院通いと家には猫だけが残った。
部屋は男所帯になっていた。
妻の愛猫影千代の糞の後始末はめんどうだった。
下痢はよくするし猫を育てるのは大変だ。
子育てができる女性かどうかを見極めるには
ペットを長年飼っているかがひとつのポイントになるだろう。
流産の翌日には母が九州の大牟田から来て家事を手伝ってくれた。 
母がミユキの遺体を引き取った。
福岡市祇園町にある菩提寺・萬行寺の墓に納骨してくれた。
母は僕らに遺体を見せなかった。
女の子かどうかわからないが母はミユキと呼んでいた。
大げさだが妻はマリリン・モンローに似ていると思った。
マリリンは二度流産している。
マリリンも子宮口が緩かったようで
自伝の中の流産で悲しむ部分は読んでいたたまれなかった。
マリリンに子供が生まれていたら自殺はしなかったかもしれない。天は二物を与えない。

流産の後、退院して実家静養の妻に二度目の仕打ちが襲った。
母乳が定期的に大量に出る。出し切らなくてはならなかった。
妊娠後期には妻の胸はニ倍以上に膨らんだ。
流産したが産道を通ったのでミルクタンクとなった。女体って不思議だ。
洗面器一杯に母乳を出す作業を見ていて痛々しかった。
家に戻った後は僕が飲ませてもらって妻の赤ん坊になった気分だった。
「名前を先に付けたから、早く出たくてしようがなかったのよ。
もうちょっと頑張れば未熟児で生きて出られたのに」と妻は言った。
僕は、産まれるまでは名前を付けないと決めた。

女は無口なほうがいいと思う。
「なぜ、蝶々ってあだ名なんだ?」と妻にたずねた。
「蝶々みたいにあっち行ったりこっち行ったりしているからって言われた」
「漫画にある『エースをねらえ』のお蝶夫人からきたんじゃないか?」
「お蝶夫人ね、クールでかっこいいキャラクターよね」
「クールで派手なところはそっくりだと思う」
流産について愚痴を言うわけでもない。
いらだたず淡々としている。
自分を哀れんで泣くわけでもなく八つ当たりもしない。
妻の性格は、どこからきているのだろう、
バイオリンに集中して悲しさをまぎらわしているのだろうか。
僕に心配かけないように無理しているのだろうか。
妻は江戸っ子で前を向いて過去でクヨクヨしない、
竹を割ったような性格。
妻が男だったらカリスマのある良いリーダーになれたろう。
弟が二人もいるのも大きく影響していると思う。
僕の母はおしゃべりで話さずにいられない。
まるで機関銃のように話してきた。
聞き役が親孝行だと思い長時間じっと耐える。
テレビのようにリモコンのボタンがあれば消音モードにしたくなる。
妻は逆に必要以上しゃべらない。
語らずクールだ。
おしゃべりじゃない女性は僕を落ち着かせた。
歌謡曲の『船唄』に「お酒はぬるめの燗がいい・・・、
女は無口なほうがいい・・・」とある。
男の本音だろう。
僕には二十四時間ずっといっしょにいて疲れない楽な女性が好きだ。
母への反動で母とは別の女性を求めるのだろうか?
誤解しないでほしい。妻も熱く語る日もあった。





# 子宮縛りの名医

五月に流産して妻が健康体に戻った頃の八月に二人で好きな京都へ旅行した。
東京から自家用車で出かけ三泊旅行だった。
暑い京都だったはずだが暑い思い出はなかった。
名所を回った。
大原三千院の苔の庭園が一番美しく忘れられない。
僕が嫌いな車の運転は妻が大好きで六割は妻が運転した。
所変われば子宝を授かるという。
秋に妻は妊娠した。女体の話だがお産した年が一番妊娠しやすいそうだ。
妻も流産というか早産だった。
お腹が脹らみ、昨年の流産の恐怖が襲ってきた。
外を歩くにも僕の付き添いが必要だった。
平らな道なのに妻が転倒してしまった。
舗装された道路にあった微小の砂利で妻は滑った。
妻は尻餅をついてしまい泣きだした。
僕は妻の手を取ると僕に抱きついてきて泣き出した。
クールな妻の牙城が崩壊した最初だった。
家に戻って様子を見たが出血はなかった。
妻は石川医院に入院した。
流産予防施術の名女医だった。
石川医院は自宅から徒歩七分程度だった。
大塚駅の北口を出て左に進む。
見えてきたラブホテルの並ぶコーナーの隅にあった。
人気のない場所で山手線高架橋の空蝉橋の下にうずまっているようだった。
古いコンクリートの三階建てだった。
医院のベッド数は少なく十もなかったと思う。
妻のような子宮状態で悩んでいる女性で満床だった。
毎日必ず二回病院に通った。
当時僕は自転車で通勤していた。
会社は自宅から自転車で十五分程度の後楽園にあった。
昼は妻の好きなパンやモスバーガーを買って病院で一緒に食べた。
病院で食事はでたが妻は食欲があった。
妻は夜になると隣のラブホテルから声がしてくると言っていた。
会社と病院は都道四三六号線という道路でつながっていた。
仕事を終えると四三六号線の文京区側千川通りを進む、
右に小石川植物園があり他には小さな印刷屋が立ち並んでいた。
千石三丁目交差点を越えると南大塚側はプラタナス通りと呼ばれた。
大塚駅に着くと都電の線路を横切った。
大塚駅北口のロータリーに出て病院へ行った。
大塚駅付近には小説『ノルウェイの森』で緑の住む書店があった。
入院といっても健康体の妻だ。
夜の差し入れは松屋かケンタッキーでサラダ。
大塚駅のコージーコーナーでケーキや牛スジ肉が子宮にいいというので、おでん種にした。
たまには、すじ肉をじっくり煮込んで持って行った。
家では家事と猫の世話を行う日々が続きマンションに住む住人から苦情を受けた。
猫のトイレで使う紙砂がドア経由で廊下にお邪魔していたからだ。
妊娠期間は十月十日という。
月は昔の「数え」で計算するので、正確には九ヶ月と十日になる。
出産予定の五月になった。
昨年の魔の流産の五月六日を迎えた夕方だった。
妻は異常に興奮していた。
僕の手を取って抱きついて来た。
妻の手は震えている。
異常な状態を石川女医に知らせた。
診てもらうと手術しなければならないと言われた。
石川女医は帝王切開すると言う。
なぜ帝王切開するのか疑問があった。
子宮は縛ってある。正確には卵管が縛られている。
細径のチューブのような硬いもので縛られていて手でさわるとわかる。
子宮縛りは腹を切らずにすべてを腟からの操作で行う手術のようで
卵管術というらしい。
縛ったチューブを取れば赤ちゃんは出てくるはず。
卵管術を断念して手術になったので出産に立ち会えなかった。
帝王切開で女の子が生まれた。
同時に手のこぶしほどあった肉の塊を見せられた。
子宮筋腫だった。
昨年の流産の原因でもあるらしい。
母乳はなんと皮肉なのだろう。
帝王切開で産道を通っていないので母乳が出なかった。
妻の心は複雑だったに違いない。
母乳を飲ませたかったと思う。
赤ん坊はミユキのよみがえりだと思った。
昨年の五月六日の夜中にミユキを流産して一年違うが
翌日の五月七日に生まれたのだ。
誕生日に七がからむ因縁の数字のようだ。
僕は七月七日、父は二月七日、母は七月三十一日、
妻は七月十六日、義理の父母も七がからんでいたからだ。
妻のお腹には、正中線にミシンの縫い目のような手術跡が残った。
「これは女の勲章よ」と妻は言った。
僕は妊娠線がお腹にできるのを知った。

娘が産まれて妻を「ママ」と呼ぶようになった。
僕は「パパ」と呼ばれた。
妻は赤ん坊を「ハンコよ。私の判子みたいなものよ。
ミユキの生まれ変わり」と言っていた。
熟睡できない魔の嵐のクライ・ベイビー・クライの期間が始まった。
赤ん坊に深夜も未明もないのだ。
泣き出したら起きて対応するしかない。
長女が便秘になって深夜にミルクに混ぜる便秘薬のマルツエキスを探しに
巣鴨から池袋まで車で探しまわった。
長女は哺乳瓶を片手で持って片足を曲げた膝で瓶を固定させて飲む。
いかにも生意気そうに飲んでいる。
性格は持って生まれてくるようだ。
僕に似た頑固一徹さは飲む態度でわかった。

妻は僕の妻から完全に母に変わってしまった。
朝はきちんと起きるようになった。
今まで僕のために一度も朝は起きなかった。教育ママになり亭主より娘に集中していく。
命がけで授かった子は妻には宝だったのだろう。

# 次女出産時に車衝突

長女が二歳になったときだった。
妻は長女のために二人目を生むと言い出した。
「パパ!お産で母子のどちらかしか救えない
となったら子供を助けてね」
妻は命がけの勝負に出たのだ。
僕は不安だった。
再度の帝王切開ができるのだろうか?
七月十九日、二人目の出産となり、車で出かけた。
石川医院の隣のラブホテル側に駐車して、
医院に向かうときに事件が起こった。
背後から衝突音がした。
振り向くと、僕の車の横腹に、
ラブホテルから出てきた車が激突した。
すぐに現場まで行ってぶつけた車の窓をたたいて、
ウインドーを開けさせた。
運転していたのは男だった。
隣に座っている女性は下を向いていた。
ぶつけた男は示談を希望した。
車の修理費用をぶつけた側に全額支払いをさせるのに時間がかかった。
示談を終えて医院に駆けつけた。
帝王切開でなくて自然分娩で女の子が生まれたと知った。
妻は、僕が出産に立ち会わなかったので不機嫌な顔だった。
衝突事故を伝えると「大丈夫だった?」と聞いてきた。
「乗っているときじゃなくて良かったよ」
車が犠牲になって妻の出産を助けてくれたように思えた。
妻は帝王切開しないで自然分娩で女の子が生まれた。

妻は再び胸が膨らんだ。満悦した顔で母乳を与えていた。
「ずっと、こんななら、いいのに」と妻は豊満になった胸をみて言った。
見るたびに自分の胸じゃない。
他人の胸を見るような感じだったのだろう。
長女の時は帝王切開で産道を通らないので
母乳が出なかったようだ。
母体の不思議さをあらためて感じた。
妻が子育てに専念すればするほど、
僕の疎外感は強まった。
次女が幼稚園に行くようになると、
家庭内で女三名が一致団結した連帯感がある。
異性の僕は浮いていて、なにか疎外されているように思えるようになった。
積極的に育児に参加すればいいのだろうが、
子供は好きだが、なじめなかった。
妻はなんでも完璧にやらないと気がすまない性分だった。
幼児から塾に通わせる教育ママだった。
僕は反対したが、きかなかった。
僕自身は中学生になって塾に行った。
小学生の頃は勉強しろと親から言われなかった。
食事も娘中心で、妻は育児に没頭していく。
疎外感が増大した。どこの家庭でも起こるらしい。
子が生まれると妻の夫への愛情は消滅に近くなる。
「あなたにまでかまっていられない」
というのが妻の本音だ。
夫は大切だが子供が生まれる前の感情とは明らかに違う。
子供を絆にして繋がっている家族だ。
僕は家庭での疎外感を埋めるためだったか、
山登りを始めた。
金曜の夜に出撃して山に入り、
日曜の夜まで帰ってこない生活が始まった。
僕は懲り性で熱中すると周りが見えなくなってしまう。
やるとなればどこまでもやってしまう。
中途半端ができない。反対にやらないと思えばどこまでもやらない。
春と夏だけだが週末は家からいなくなった。
妻からは「週末は母子家庭」と言われるようになった。
妻だけでなく長女も僕に反感をいだいた。
「あなたは、父親じゃない」と言われてしまった。
週末に家庭を顧みないで登山に逃避したからだ。

 池袋の北部にある「上池袋」に移った。
上池袋という町名は池袋駅・大塚駅・板橋駅の中間に位置し、およそ真ん中を明治通りが通る。
東武東上線「北池袋」駅が近い。町名を変えるにあたり地元住民に聞いたらしい。
新町名案は北池袋だったが、地元住民が「北じゃない」と猛反対。
「上」になったと聞いた。池袋の町名に南池袋はあるが下池袋はない。
退職金で新築の上池袋マンションを購入した。
妻が住みたいと強く希望した。

正月は母を連れて、ハワイに家族旅行に行き、
「一生に一度、あこがれのハワイに行きたか」と言っていた母の念願をかなえた。

長女は小学六年、次女は小学三年、妻は四十六歳になった。
妻の風貌は衰えてきたが、他人には変わらなく見えた。体の線も変わらない。
百七十センチになろうとする長身は、すらりとしたままだった。
妻は家庭でも女優を維持していた。家にいても、いつも身奇麗にしていた。


#目撃

十二月二十六日、午前零時になろうとしていた。
自宅マンションの周りを、妻が見知らぬ男と恋人のように、腕を組んで一周二周している。
僕は一階の正面入口にあったマンション応接間の窓からのぞいていた。妻は僕に気づいた。
二人はあっというまに離れて、妻はマンションの裏口の門から入ってしまった。
あっけにとられた僕は、妻から離れて逃げるように去っていく男を追いかけた。
男の進行をさえぎって、顔をじっと見た。
男は、黙って立ち止まった。
僕と視線を合わせない。下を向いていた。
会った覚えのある顔か判断しようとした。
見覚えはなかった。
男は酔っているように思えた。
泥酔に近かった。
僕らは何も言葉を交わさなかった。
初めての経験だった。
どうしていいかわからなかった。
沈黙状態は十秒も続いただろうか、
僕は自宅へ戻った。

近くのエレベーターで七階の部屋に戻った。
僕は妻を探すと、妻はパウダールームにいた。
妻に「一階の入り口近くの応接間で待っている」と伝えた。
僕は先に一階の応接間まで行ってソファーに座った。
わけもわからずにいきなり人に殴られた気分だった。
どう妻に切り出すべきか、自問自答していた。
結論は出た。覚悟を決めた。
妻が十分もしないでやってきた。
いつもは平気で一時間でも待たせる。
早くやってきた妻の行動に、
僕は別の妻を見るようだった。

妻と結婚して十五年が経過していた。
まさかの目撃だと思った。誰もが経験するだろうか。
二人の歩く姿を見て、僕は覚悟した。
映画の名言だが。「別れるときは優しくあれ」
なぜか太宰治の小説「ヴィヨンの妻」がよぎった。
妻に浮気された太宰の中に逃避したかったのだろうか。
小説「ヴィヨンの妻」と同じ切り出しをしてしまった。
僕は何も言わない妻に言った。
「僕はコキュに、とうとう、なりさがったのでしょうか」
僕は小説の主人公に酔ってしまった。
重大な局面なのに。
僕は感情が高ぶると冷静になろうとして、
わざと他人めいた丁寧語になってしまう。
「コキュって?」と、言葉を知らない顔をした妻が問いかけた。
「フランス語で、妻を寝取られた夫のことです」
「絶対に、それはないわ」
「本当にそうなんですか? じゃ、どんな関係なんですか?」
妻は男について、説明を始めた。
妻が何を言ったか覚えていない。僕の心の防衛線が強固になっていた。



  タチヨミ版はここまでとなります。


ヴィオロンの妻

2021年10月28日 発行 4

著  者:石藏拓 (いしくら ひらき)
発  行:NANA(七)

bb_B_00172075
bcck: http://bccks.jp/bcck/00172075/info
user: http://bccks.jp/user/150628
format:#002t

Powered by BCCKS

株式会社BCCKS
〒141-0021
東京都品川区上大崎 1-5-5 201
contact@bccks.jp
http://bccks.jp

jacket