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宝物のオイルとは・他短編集

さら・シリウス

さら・シリウス出版



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  この本はタチヨミ版です。

 

目 次

◆ 宝物のオイルとは?

◆ 処理活動

◆ パブ

◆ 夫婦の守護霊

◆ もう一つの世界

  おわりに



宝物のオイルとは?


    1

「俺にゃあ夢があんだよ!」
 まるで自分のために集まった大観衆を前にしたかのように、やまがたひこは自信いっぱいに胸を膨らませ、雄大にそう叫んだ。
 彼の生涯は、語り手である私にもわかっていない。かつてはこの田舎で農業を営んでいたらしいが、私が出会った時にはすでに漁師として、毎日の荒波にもまれる生活をしていた。何度過去の話を聞いても教えてくれないことから、農業組合の中で何らかのトラブルがあったのではないかと、勝手に考えている。
「何よ夢って。あんたもういい歳じゃないの。変に若者ぶると足元巣くわれるわよ!」
「バカ野郎が! これは絶対に成し遂げなきゃいけねぇ夢なんだよ! それに俺だけじゃねぇ! 玉美だって目指さなきゃいけねぇんだ!」
「は、はぁ⁉ 何で私まであんたの夢追わなくちゃいけないのよ! おかしいじゃんか!」
「何がおかしいってんだ! 夫の夢は総じて家族の夢! 当たり前だろーが!」
「そんな当たり前聞いたことないわよ!」
 人となりは説明する必要はないだろう。今の私と彦太の会話を聞いてくれれば、ある程度の雰囲気は掴めるだろう。妻である私に対する扱いも、訴えれば万金の数百枚は請求できそうなものだ。緊急の改善が求められる。
 だが、これでも大切なものだと心に決めたものは、何が何でも守ろうという熱い男でもある。だからこそ、私は今彦太と共にいるのだ。
「いいから聞けって! いいか、俺達が成し遂げなくちゃいけねぇ夢ってのはな、ずばり、干物のブランド化だ!」
 きっと私の人生で、ここまで驚愕と落胆の嵐に見舞われた日はなかっただろう。
「はぁ……あのさぁ、あんた。干物って、あの魚の干物のことだろ?」
「そうに決まってるだろーがよ! いいか、この世の中、田舎はどこも大変なんだ! 若者は都会に吸い込まれちまうし、人手不足だから産業は盛り上がらねぇ! 俺の生業である漁業だって、後継者不足に悩まされてるだろ!」
「まぁ、そりゃあそうだろうけど。でもだからって、どうして干物をブランドにするなんて発想に繋がるのよ?」
「そう、まさにその感想が、今回の夢の始まりなわけだ!」
 ……どういうことだろう。ますます脳内での疑問符が増えていく。
「何だ、その煮え切らん顔は。いいか? お前が今驚いているのは『干物をブランド化なんてできっこない』っつー感情だろ? それなんだよ。ほとんどの人間は玉美と同じ考えなんだ。だからこそ誰もやらないし、誰も可能性を見ねぇ! このしみったれた港町を活性化させるためには、こういうどんでん返しが必要なんだよ!」
「どんでん返しって、なんか使い方違う気もするけど……な、なるほどねぇ……」
 話している内容がわからないわけでもない。こういう時、もっと論理的に跳ね返せればいいのだが、ここが私の詰めの甘さだったりする。
「う~ん……じゃあもしやるとして、私は何をすればいいの?」
「経理だ! お前にはこれから始める企業の経理をやってもらう! 東京の会社でやってたことと同じだから、特に気負う必要はねぇ! どんとやってくれ!」
「経理はどんとやるもんじゃないわよ。それに、もう何年もやってないことを今更やれって言われても……」
「心配すんな! 東京での経験があれば、田舎での仕事なんて屁でもねぇさ!」
 この人は東京という言葉を、何か神様か何かと勘違いしてはいないだろうか。東京への過信が過ぎる。
「とにかくだ! この事業が成功すれば、この港町は必ず活気づく。また忙しい日々が続く、元気な町になるぞぉ!」
 私の反応を待つ気もなく、彦太は窓際から差し込む朝日を見つめながら、声高らかにそう告げる。自分の頭に浮かんだプランが、成功すると信じて疑わない、典型的な頑固おやじだ。きっと私がどんなに反対しようと、干物ブランド化計画を推し進めることだろう。私ができるのは、そのプランが生活破綻を導くことがないように、上手く舵取りをすることだけだ。
 ——思えば、出会った時からいつもそうだった。
『あれ? お前玉美じゃねぇか? おお! やっぱりそうだ! 玉美だ!』
 満員電車に上司からのパワハラとセクハラ、さらに残業は当然という負のスパイラルに苦しめられた私は、東京での生活を諦め田舎に戻り、この地域で唯一のコンビニでアルバイトをしながら、日銭を稼ぐ毎日を過ごしていた。
 自ら死を望んだことだってある。両親への現世への置手紙も書いたし、どこにいるかもわからない友人へ最後のメールを送ろうともした。それくらい、こっちに帰ってきたばかりの頃の私は、生きるという行為にうんざりしていたのだ。自分の心臓の鼓動を止めてしまいたくなるほどに。
 だがそんな時、彦太はコンビニにタバコを買いに来た。小学校の同級生だった彼は、私を見てすぐさま気づき、それ以降よく話しかけに来るようになった。
 私の目の前に現れる彼はいつも元気で明るくて、人生に悩みなんてないと言わんばかりの満面の笑みを、常に表情に浮かべていた。それを見るとなんだか自分も明るくなれて、生きる活力が湧いてくるのを感じた私は、いつの間にか彼を待ちわびるようになる。
 そしてなし崩し的に交際を始め、気がつけば、
『せっかくこんな辺境の地で出会えたんだ! 俺達が結婚すれば、絶対にうまくいく! 俺を信じろ!』
 そう言われていた。
 何の根拠もない、何の保証もない見栄っ張りのプロポーズ。それが私にとって、今までの人生で最大の安心を与えてくれた。
 だから、今回も仕方ない。私は、こういう彦太に、夫に惹かれたのだから。
「——わかったわよ。勘定すればいいんでしょ?」
「お! やってくれるか! よぉし、これで問題はなくなった! まるで最新の船に乗ってる気分だぜ!」
 私からの承諾の宣言に、彦太は両目をこれでもかと見開き、全力のガッツポーズを見せつけてくる。ここまで威勢がいいんだ。もしかしたら本当に、この町を活気づけるほど上手くいってしまうかもしれない。その時「奥さんはろくに協力していなかった」なんて言われるのはごめんだ。
 賭けてみようか。このビジネスという名の大船が、どこに行きつくのかを。
「それじゃあ、まずは材料調達だけど、どれくらいの漁師さんが協力してくれるの? あんたが一日に仕留めてくる魚じゃ、限界があるし」
「おう! それはな…………これから話をつけてくる!」
 …………やっぱり、今すぐにでも降りるべきだろうか。

    2

 愛する妻の承諾を得た俺は、すぐさま準備に取りかかった。
 まずは同じ未来を目指してくれる仲間探しから始めた。が、これがなかなか難しい。単純に忙しいのもあるのだが、ほとんどの人がまず干物というものに可能性を感じていないのだ。
「んなの成功するわけねぇだろ! 馬鹿言ってねぇで網上げに行くぞ!」
「干物って……俺らみたいな歳のいった連中しか食わねぇもん作って、なんになるんだよ。流石にきつくねぇか?」
「無理だよ! 無理無理無理無理!」
 予期していたことではあったものの、俺が言えば多少は信じてくれるはずだと思ったのだが、完全に計算違いだった。船団長に無理を連呼された時の心へのダメージは、思い出しそうなので割愛しておこう。
 次に材料となる魚の調達手段だ。これもまた難航し……たというより、確立できなかった。これもまた至難の業のようで「売り上げに繋がるか不確定なビジネスに獲れた魚は使えない」というのが、組合からの回答だそうだ。これもまた、俺が話せばどうにかなると見切り発車したために、計算外の結果になってしまったわけである。
 つまり何が言いたいのかというと——
「——なぁんにも、決まらねぇなぁ……」
 まずい。これはかなりまずい。俺の人生の中で今が一番苦しんでいる気がする。何のノウハウもわからず野菜を育て始めたあの時も、海に憧れて漁師を始めた時も、ここまでの苦戦はなかった。だから今回のひらめきも上手くいくと信じていたのだが……
「うむぅ……どうすれば……」
 さて、考えろ俺。ここからどうすれば計画を進められる? 手助けしてくれる人員を確保し、今から採算が取れる金額で材料をかき集め、システムを作り上げるには、どうやれば——
「——すいません、少しお話いいですか?」
 その時、背後から声が聞こえた。聞いたことのない若々しい声だ。
「おめぇさんは……」
 ぴっちりとしたしわ一つないスーツに身を包む高身長の細い男。その表情は向日葵の如き柔らかな笑顔を湛え、快活な雰囲気を感じさせる。清潔感の権化ともいえる彼の風貌は、潮風の匂いが充満するこの田舎には場違いだ。当たり前だが、よそ者で確定だろう。
 次にびっくりしたのは、そのさらに後ろにいつの間にか止まっていた大型のトラックだ。荷台には何の装飾も宣伝文もなく、車のメーカーシンボルもなくなっている。それにこれが近づく時のエンジン音が、全く聞こえなかったのはどうしてだろう。それだけ考え込んでいたということなのだろうか。
「初めまして。私、各地を巡りながら、とある商品の試供品提供を行っております、西木にしきといいます」
「は……はぁ」
「お伺いして早々申し訳ないのですが、もしご都合の方よろしければ、私の話を聞いて下さりませんでしょうか?」
「な、何だい急に」
 独特な自己紹介に空気を持っていかれ、俺は不本意ながら耳を傾ける。
「ご心配なく。このお話は、山形様にとって絶対に損のないお話ですので」
「そうかい。ならいいんだが……って、おい待てよ。おめぇさん、どこで俺の名前を——」
「——山形彦太さん、ですよね? 今回紹介するのは、あなたにピッタリの商品です」
 不敵な笑みとは、まさにこういうことを言うのだろう。だが俺は、その好奇心をくすぐる微笑に心を突き動かされ、そのまま奈落に落ちていくかのように、彼の饒舌な語りに吸い込まれていくのだった。

    3

 ——特殊物質組成発明装置——
 自分が製造を望む特定の物質が、その原材料や製造工程が不明、もしくは製造状態を確立できない場合、その物質をその場で発明した特殊製法で生成することができる装置。
 生成できる物質は多岐に渡る。組成が単純なダイヤモンドやルビー、または鉄鉱石や石炭といった鉱物はもちろんのこと、人工物であるパソコンやシステムコンピューターまで、本当に何でも生成できるらしい。
 と、いうことはだ。もちろん、食料品だって——
 宝石やコンピューターなんかどうでもいい! 俺はこの港町の活性化の為と、好きな魚で一旗揚げたいだけだ。
 俺は言われた通り、装置についている液晶画面に〝ホッケの干物〟と書いてボタンを押した。
「——う、上手い……これ以上ないくらい立派な干物だ。材料も調味料も、何一つ入れていないのに……どうして……」
 自動販売機に似通った、四角形の扉から出てきた干物に口をつけた途端、俺は自然と大絶賛の感想を漏らしていた。
 しっとりとした感触にハリのある身、そして塩っけの効いた味はまさに魚食品の黄金比。これなら干物に慣れてる大人だけでなく、子供も好きになってくれる。老若男女全ての層に愛される、巨大ビジネスの完成だ。
「すげぇ……おいあんた! これをくれ! 試供品じゃねぇぞ、本物をくれ!」
「はいはい、そんなに急がないで下さい。ちゃんとご用意しております。ですが山形様は運がいいですねぇ。今回ご提供させて頂く台が、現状最後の品物となります」
 テレビ通販で何度も見たお決まりのセールストークに胸を躍らせ、俺は手元に残しておいた事業のための全財産を西木の右手にぶつける。その動きは洗練された兵士の銃撃よりもスムーズで、よどみのないものだった。
 当然だ。目の前に絶対の信頼とパフォーマンスを持った存在が現れた今、資金を出し渋る意味がどこにある。これを手に入れれば、今までのぐだぐだな順序の中で起きた遅れを、瞬く間に取り戻すことができる。これさえあれば、絶対にうまくいく。絶対に! だ。
 金を渡した後の西木の行動は早かった。あれだけ重そうな機械をいとも簡単にトラックから降ろすと、ポケットからシステム権限の全てを譲渡する旨の資料を出し、ペンの頭をカチカチと鳴らした。
「では、こちらの記入欄に必要事項を記入して頂きまして、双方の了承ができ次第、契約は完了ということになります。ご記入の方、よろしくお願い致します」
「おう! 何から何までありがとな! ええと……何々」
 俺の右手に握られた真新しいペンが、薄っぺらい紙面の上ですらすらと舞い続ける。といっても、書き記されたのは俺の名前だけ。あまりこういう契約まわりのことはよくわからないが、これでいいと言っているのだからいいのだろう。安い契約だ。
「ほい! これでいいか?」
「お待ち下さい……はい、大丈夫です。では、ただいまよりこの装置は山形様のものとなりました。この度はお買い上げ下さり、誠にありがとうございます。では、私はこれで」
「あ、おい待てよ!」
 契約終了後、すぐさまトラックの運転席に戻ろうとする彼を、俺はすんでのところで呼び止める。
「大丈夫ですよ。この機会は量産できませんので」
「あ、いやそれも朗報なんだが、それよりこいつの動力って何なんだ? やっぱりガソリンとかオイルとかなのか?」
 すると彼は、最初に見たあの不敵な笑みを再び浮かべ、こう告げるのだった。
「そうですね……一言では説明できませんが、あえて言うなら、宝物のオイル、とでも言えばいいでしょうか?」

 あの日から、数か月。俺は必至でネットビジネスを独学で勉強し、公式サイトの設立や各種サービスとの連携など、現代のビジネスに必要な環境をなんとか整えた。それからまずは地元の連中に商品を食わせて納得させ、圧倒的に不足していた人的資源も確保できた。
 それからは怒涛の日々だ。商品を出すや否や、まずは地元の魚屋や駅前の店などで干物を出してもらい、商品の認知に努めた。そしてこれが予想以上に上手くいき、俺の商品は昨今のSNS全盛の時代の流れに乗って、瞬く間に日本中に拡散された。
 親戚でもないのに、最上級のレビューを書いてくれる客達のお陰で、飛ぶように売れるから笑いが止まらない。
「ちょっとあんた! また注文が来てるわよ! 早く対応して!」
「やってるよ! 今ネットでも問い合わせが絶えねぇんだ! 待たせててくれ!」
 今の俺達の風景は、こんなやりとりばかりだ。今は俺の計画をバカにしていた連中も、二匹目のどじょうを狙わんとばかりに色んなビジネスを始めやがって、競合する野郎もいる。少々腹が立つが、俺達が競い合ってこの町に活気が戻るのなら、それに越したことはない。
「ええと、この人が三枚セットを三つで……この人は単品で四枚、って、だったらセットで頼めってんだよ! あぁ、めんどくせぇ!」
「画面越しに吠えてどうすんのよ! 早く商品発送して、店先のお客さんの対応に行かないと!」
「玉美! ちょっと対応頼む! 俺は裏で商品作ってくるわ!」
「えぇ⁉ あんたまだ在庫出来上がってなかったの! だから昨日のうちに余分に作ってって——」
「——説教は夜にいくらでも聞く! だから今は頼むぞ!」
 そう投げやりに言い捨てて裏に回り、機械の調子を見る。今日の朝に起動させておいたはずから、もうある程度の数はできているはずだ。あとは田舎の人情ってことで少しだけ時間をもらって、在庫充分になるまで待ってもらえば——
「——あれ? 動いてねぇな。あ? 給油必要だぁ⁉」
 だがトラブルはこういう時に現れるもの。画面に映し出された『給油』のマークが点滅している事実に、俺は素っ頓狂な声を上げた。
 ——その時、俺はあの言葉を思い出す。
『あえて言うなら、宝物のオイル、とでも言えばいいでしょうか?』



  タチヨミ版はここまでとなります。


宝物のオイルとは・他短編集

2022年1月22日 発行 初版

著  者:さら・シリウス
発  行:さら・シリウス出版

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さら・シリウス

 私がヒーリングを生業としてかなりの年月が経ちました。  いつからか瞑想中に小説のプロットが天空から降りてくるようになりました。  最初は気にもとめていませんでしたけれど、それがちゃんと起承転結のある面白いストーリーだと気付き、そしてそれがハイアーセルフからもたらされているというのにも気付きました。  自力で肉付けをして書いた物が十冊ほどになりましたが、やはり中々時間がとれません。  暫くは多忙を言い訳に、数年間、プロットの山を放っておきました。  けれど、ハイアーセルフがプロットを下さったのにも訳があるのだと思い立ち、形にしなければと一念発起したのです。    そこで2021年の始めから、才能のある人に私が書いたプロットを渡して書いて貰うことにしました。  小説は時間がかかります。筆の遅い私が一人でこのプロットの山を形にするには、数百年かかります。  私のプロットと、才能ある方のコラボ、どこまでできるかわかりませんが、形にしていきたいと思っています。  勿論、時間の許すかぎり、自分でも書いていきたいと思っています。  宜しかったら応援してくださいね(#^.^#)               さら・シリウス

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